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第二章:もしも、あのとき

「朝ごはん、ちゃんと食べる人?」


「えっ、ああ……まあ、適当に済ませてたよ。いつも」


「じゃあ今日は、ちゃんと“作ってあげる”。あ、安心して。レトルトだけどね?」


 キッチンで鼻歌を歌いながら動く彼女の後ろ姿を見て、思わず笑ってしまった。


 仮想とはいえ、こんな風に朝を迎えるなんて何十年ぶりだろう。いや、正確には“初めて”なのかもしれない。


「はい、スクランブルエッグとウィンナー。あとインスタントだけど、味噌汁。野菜はない。文句ある?」


「ないない。最高だよ。こんなの食べたの……学生の頃の合宿以来かも」


「ふふっ、庶民的でしょ? 仮想世界にしては、地味な朝食よね」


「いや、俺には豪勢だよ。……これ、君が?」


「うん。私の“記憶”で、あなたが好きだったもの、再現してみたの」


「……そうだったっけ」


 そんなに話したことがあっただろうか。

でも、彼女の笑顔を見ていると、そんな疑問すら消えていった。



「ねえ、ナオくん」


「ん?」


「もし、あのとき。私に声をかけてたら、どうなってたと思う?」


「……たぶん、もっと早く髪の毛が抜けてた」


「ひどい!」


「冗談だって。……でも、怖かったんだ」


「なにが?」


「君に断られること。拒まれて、距離ができること。……それだけで、全部壊れそうで」


「だから、声をかけなかった?」


「うん。眺めてるだけでよかった。好きでいられるだけで……」


「それ、“自分だけが安全な場所にいたい”ってやつね」


「耳が痛いな……」


「でも、わかる。私もね、あなたのこと、少し気になってたの。だけど……向こうから話しかけてこない人には、自分から行けないでしょ?」


「え、それって……」


「うん。チャンスは、あったんだよ」


 胸が、軋んだ。

今さら、そんなことを言われても、どうしようもないじゃないか。


 でもこの空間なら、やり直せる。


「じゃあ……そのとき、俺が言ってたら、どう返してくれた?」


「“良いですよ、村瀬くん”って、笑ってたかもね」


「……ちょっと、泣きそうなんだけど」


「泣いていいよ。仮想世界なんだし。どうせ誰も見てない」


 彼女の声はやさしく、からかいのようで、包むようでもあった。


 仮想恋愛体験。記憶から生成された人格。

頭では分かっている。彼女は「宮崎佳澄」ではない。ただのデータだ。


 でも、心は叫ぶ。

「この人を失いたくない」と。



 日々は穏やかだった。

朝は一緒に朝食をとり、日中は彼女と過ごす大学キャンパスの仮想空間。

若い自分になった気分で、講義室でくだらない話をして、喫茶店でコーヒーを飲みながら過去の音楽を語り合う。


「村瀬くん、井上陽水とユーミン、どっち派?」


「俺は陽水かな。あの声、たまらん」


「うわ、渋すぎ。私はユーミン。あの詞がね、なんか、切なくて」


「そっか……君も、切ない恋をしてたの?」


「してたかも。してなかったかも。でも……今、してるかも」


「……俺?」


「かもしれない」


 こんな会話を何時間でもできると思った。

彼女がいる世界に、ずっといたかった。


 けれど、違和感は、確かに少しずつ近づいていた。


 彼女の言葉の端々に、“俺の知らない話”が混じるようになったのだ。


「ねえ、ナオくん。覚えてる? あのとき、教室で落としたマフラー。私が拾って渡したら、ものすごく照れてたでしょ?」


「……え?」


「ほら、冬の初め、暖房が壊れたとき。あなた、ずっと鼻すすってて、風邪気味だったんじゃない?」


 俺は首を振った。

そんな出来事、なかった。いや、俺の記憶にはない。


 戸惑う俺を見て、彼女はふっと目を伏せた。


「……おかしいね。私の記憶にあるのに」


「“君の記憶”って、俺のじゃないのか?」


「さあ、どうかな――」


 その笑顔に、かすかな違和感が残った。



(続く:次章【第三章:違和感】へ)

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