7 ルートランス・グライユル
与えられた客室の窓から見えるのは、春の庭と呼ばれる春先に咲く花を中心に植えられた庭園だ。今は春咲きのグラジオラスが綺麗だと教えてもらった。
紫やピンクの可愛らしい花を中心に色とりどりの花が風に揺れ、青々とした木々から漏れる木漏れ日が真っ白なガゼポに水面のような模様を描く。
あそこで昼寝をしたらさぞ、気持ちがいいだろう。
たまにしか戻らない屋敷の主人が帰宅すると言うことで、穏やかに漂っていた時が急に流れ出したように屋敷の使用人たちが忙しなく行き来している。
だが、誰も彼も嬉しそうだ。メイドが口元を押さえて笑い合いながらカゴを抱えて小走りになる様子も、庭師が溌剌とした声で弟子に指示を出す声も、番犬が塀の外を見入って止まったままの様子も、みんなソワソワと逸る気持ちを抑えられないかのようだ。
「ルートランスさんは慕われているんだねぇ…」
鏡台の椅子を窓まで引っ張って行き、だらしなく頬杖をつきながら庭園を眺め、独りごつ。
朝の支度も気合の入ったメイクも終わって暇になってしまった。
これから、ついに家主との対面だ。体をだらーんとして、リラックスすることも大切なことだ、と開き直って目を閉じた。
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さてさて、ついに命の恩人、侯爵家の次男で騎士様この屋敷のご主人様ルートランス様とのご対面である。
つける肩書きが多すぎるので心の中でルト様と呼ばれてもらおう。
先ほどの客室から階段を登り最奥の重厚な扉を前を歩いていたクラリベールさんがノックする。
「ルートランス様、失礼致します。一之瀬詩子様をお連れいたしました。」
短い返事の後、執事さんが扉を開けてくれると、正面の窓から差し込む光が私の足元に迫ってくる。下を向いていた私は、つい光から逃げるように一歩下がってしまった。
いやいや、何をビビってるんだ。ギャルが新キャラに出会う場面で下を向いて逃げ腰なんてありえないでしょ。ギャルだったらまっすぐ前を向いて、ニコッて笑って元気に挨拶!
体の真ん中にグッと力を入れて、背筋を伸ばして正面を向く。
「初めまして一之瀬詩子です!お世話になってます!」
「初めまして。私はフロレゾン王国第三騎士団副団長兼王都警備隊隊長ルートランス・グライユルと申します。」
騎士の隊服に身を包んだ青年は、私のから元気一杯な挨拶を聞いてふんわりと微笑んだ。
少しクセのある柔らかそうな金色の髪が綿飴のようにきらきらと光を反射し、陶器のような白い肌にバランスよく配置されたブルーグリーンの瞳は、その奥にプレシャス・オパールを閉じ込めたように煌めいている。
筆舌に尽くし難いほどの美貌の青年を前に言葉を失ってしまった。
こんなにも美しい人がこの世に存在するのだろうか。
だらしのない顔を見せないように、顔全体に力を入れて口を硬く結んだ。
それが緊張で顔が強張っているように見えたのだろう。目の前の青年は心配そうに眉尻を下げて、こちらにゆっくりと近づき片膝をつき、私を少し下から見上げる。
「怖がらせてしまいましたね。申し訳ありません。貴方は違う世界からいらした方だと聞いています。この国はそんな方々を大切に遇します。私も貴方を決して傷つけないと誓います。どうか、話を聞かせていただけませんか?」
心配そうに話しかけられると、ただ貴方に見惚れただけですよとは言えず、落ち着かなく視線を彷徨わせてしまった。
「詩子さんとお呼びして良いですか?私のことはルートランスと呼んでください。言葉も崩していただいて構いませんよ。異世界人と私の間に身分差などないのですから。」
労わるような笑みを向けられじんわりと心が温かくなった。
あれ、おかしいな。私はイケメンにクラクラしてただけなはずなのに。
「じゃあ、わ…私のことは詩子と呼んでください…」
なんとか言葉を紡ぎ出すことができたが、メイクと気合いでガチガチに固めた武装が剥がされるように、見知らぬ世界に1人で迷い込んでしまった寂しさが溶け出し、目に涙が滲んだ。
「詩子、綺麗なお名前ですね。さぁ、そちらにおかけになってゆっくりお話ししましょう。」
口を開くと声が震えてしまいそうでコクンとひとつ頷くと、彼はまたにっこりと笑って立ち上がり、手を引いて、ローテーブルを挟んでがあるソファまでエスコートしてくれた。
ルートランスの役職を王国第三騎士団副団長兼王都警備隊隊長に変更しました
第三騎士団の副団長とその騎士団内の王都警備隊という部隊の隊長を兼務しています