43 もう戻れない(ガルデニア団長視点)
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「…くそっ!!」
苛立ち紛れに拳を壁に二度三度と打ち付ける。
壁に赤い血が滲んでいるのさえ忌々しく、舌打ちをしてどこへともなく歩き出した。
あの女っ!!
異世界人でグライユル侯爵家の賓客だからと良い気になって、俺を馬鹿にした。
身分制度がない国から来たと言うならつまり平民ということではないか。由緒正しいガルデニア侯爵家の血筋に生まれた俺に偉そうに説教をして、恥をかかせた。
許せない許せない許せない許せない
フェネージュに縁がなければあの場でその顔面を打ち据えてやりたかった。
あの白く可憐な頬に傷でも作ってやれば少しは大人しくなったかもしれない。
それにあの女はいつか、ルートランスと往来を歩いていた女だ。傷ついた女の顔をみて奴の顔が悲痛に歪んだらそれだけで、胸がすっとするだろう。
それを想像にて笑みが溢れ出た。
「…はっ…ははっ…!」
そうだ、すべてあのルートランス・グライユルの所為ではないか。
兄に言われた。
父があの分家の子爵家嫡男をゆくゆくは我が家の養子に迎え、第三騎士団団長に据えるつもりだと。その時俺はどうなる?
兄はルートランスは優秀な部下なのだからもっと上手く付き合って、成果を上げろと言った。そうしなければ今の地位にいることはできない、と。
馬鹿にしている。
俺がルートランスの助けがなければ成果もあげられない能無だと言いたいのか。
妻が出て行った。
兄の話を聞いて、どうにも気が収まらず屋敷で酒を煽っていると口うるさく意見してくるものだから、酒瓶を床に打ち付けて粉々に割った。
それが気に入らないと実家の伯爵家に帰ってしまった。
それを父上からも義父からも責められた。あの女が我慢が足りないのだ。見た目も賢さもフェネージュの足元にも及ばない平凡な女のくせに気位ばかり高く、甲高い声で喚く。
何もかもがうまく行かない。それもこれもフェネージュが婚約を拒否したからだ。
女に興味がないような顔をして横からフェネージュを掠め取って行ったジュスタンの取り澄ました顔が頭に浮かびギリリと奥歯を噛んだ。
俺の不幸は全てグライユル侯爵家の所為だ。
ジュスタンもルートランスも詩子とかいう女も全てグライユル侯爵家に類する者だ。
あの家門を今の地位から引きづり下ろしてやらなくては腹の虫が収まらない。
そもそも、文官は武官のお陰で暮らせているような者ではないか。我々が戦い、守ってきたからこの国はあるのだ。会議と書類仕事しかしていないようなやつらが、我が家門と同格のような顔をして偉そうにその地位に居座っているのがおかしいのだ。
グライユル侯爵家への恨みを募らせながら、王都をふらふらと歩いた。
どこをどう歩いたのかも覚えていない。
気づくと闘技場の近くに出ていた。
そこで、ルートランスと詩子、ディミディッドとその妹の姿を見つけた。
「…ちっ!」
今一番会いたくない奴らに出会ってしまった。
俺は見つからないようにそっと路地に身を隠した。
すると、詩子の鞄から何かが転がり落ちた。
本人は気づいていないようだが、ディミディッドの妹が気づき、何も言わずに拾いに戻った。
そこで目があってしまった。
ディミディッドの妹は驚いたように目を見開いた後、怯えるような眼をして視線を外した。
「…ッッ!!」
血がカッと沸騰するような熱を感じた。
あのような平民の小娘が俺を愚弄した。
気まずそうに視線を逸らし、逃げるように兄たちの元へ走ろうとした。
思わず走り出し、腕を掴み、声を上げる前に口を塞いだ。
憎い憎い憎い。俺を馬鹿にする全ての奴が憎い。
----気づくと腕の中に意識のない少女がいた
信じられない。
俺がこの少女に何かしたというのか?幼い子供に手をあげるなど、この誇り高き侯爵家の俺がすべきことではない。
ありえない。おかしい。あってはならない。なぜ。
まだ、息はある。しかし、この少女には俺の姿を見られた。このままあいつらの元に戻せば何を言われるかわからない。こうなってしまっては取り返しがつかない。どうにもならない。止まらない。誰かに知られるわけにはいかない。
もう、戻れない----




