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32 フェネージュ様とピクニック

お読みいただきありがとうございます

昔、新宿御苑に行ったことがある。


都会の中にこんなに自然豊かで広大な庭園が広がっていることにとても驚いた。

丁寧に手入れのされた芝生が一面に広がり、池の周りには長い年月を感じさせる大木が悠々とその葉を揺らしていた。

かと思えば、その風雅な自然の奥に突然は生え出たかのように、高層ビルが聳え立っていた。それはまるで異なる世界が隣り合わせで存在しているような不思議な光景だった。


なぜそんな事を思い出しているかというと、今まさに敷物を広げてピクニックをしているグライユル侯爵邸後方の庭園は、新宿御苑の日本庭園のようだなと思ったからだ。

ただ、奥に聳えるのは高層ビルではなく、荘厳な威厳をたたえる侯爵邸なのだけれど。


「詩子様、お仕事もお忙しい中お茶会においでくださってありがとうございます。とても嬉しく思いますわ。」


フェネージュ様が透けるように白く美しい手を頬に添えて、ふわりと微笑んだ。


「こちらこそお招きありがとうございます。私もフェネージュ様とお話ししたかったので嬉しいです。私の勤めるパン屋で作ったお菓子をお持ちしたので、召し上がってください。」


今日のためにジャンとフレッドと開発した、スコーンサンドだ。

中に挟んだのは控えめな甘さのラムレーズンと、食事系のスモークサーモン&クリームチーズだ。

定番のプレーンにクロテッドクリームとジャムを添えたものも用意した。


「まぁ、とってもおいしそうですわね。スコーンはよくいただくのだけれど、中に何かを挟んだものは初めてね。」


「これをもう少し大きくして、安価なフィリングを挟んだものを収穫祭の屋台で販売しようと思ってるんです。」


今日フェネージュ様のためにお持ちした具材はどれも最高級のもので、香りと口当たりにこだわって上品に仕上げてもらった。

平民向けの屋台ではもっと食べ応えがあって安い食材にしなければ売れないだろう。


「とっても良いと思うわ。詩子様は屋台のお手伝いもなさるのかしら?」


「いえ、収穫祭の屋台は孤児院の子達がたくさんお手伝いにくるから、私はお休みです。屋台や広場の催し物を楽しんでこようと思ってます。」


収穫祭の屋は孤児院の子供達の大事な稼ぎ時なので、私は遠慮して十分お祭りを楽しんでお金を落としてきてくれと言われてしまった。


「それは、ルートランス様と?」


「はい。1日目は特別にお休みをいただいたそうです。3日目が武闘大会だからって。」


「楽しそうでいいわね。わたくしも下町の収穫祭の方へ行きたかったわ。貴族は王宮で堅苦しい晩餐会なのよね。」


フェネージュ様が残念そうに視線を下げる。


収穫祭は3日間にわたって行われ、平民は屋台と広場でのダンスを、貴族は王宮での晩餐会とダンスパーティーを楽しむ。

今年は3日目に騎士団と王宮主催の武闘大会が行われ、第三騎士団の勝ち上がり戦とルト君の演舞がある。

私とルト君は平民の催しに参加するつもりだ。


「武闘大会はグライユル侯爵家の席が用意されてますからご一緒に観覧しましょうね。」


「ありがとうございます。ぜひご一緒させてください。」


武闘大会は闘技場を魔法障壁で囲いその周りに王族をはじて、貴族の階級順に前から席が用意されているらしい。侯爵家の席でルト君の勇姿を見られるのはありがたい。


「詩子様も晩餐会に行かれませんの?」


実は執事を通してジュスタン様にも提案はされたのだけれど、貴族の催しはお断りさせていただいた。私には晩餐会もダンスパーティーも恐れ多い。


「無理です。私は貴族のマナーもダンスもできませんから。」


手のひらを前に出してご遠慮申し上げるのポーズをする。


「残念だけれど、せっかく参加されるならルートランス様がエスコートできる時がいいものね。」


フェネージュ様はご自分でご自分を納得させて、ふうと息を吐いた。


「ところで、ルートランス様は魔獣と闘うと聞きましたけど危なくはないんでしょうか?ちょっと心配で…」


「特に心配はないと思うわ。殺さずに内密に捕らえて王都に連れて来られるレベルの魔獣にルートランス様が遅れをとることはないでしょう。それよりは殿下のご機嫌を損ねないように振る舞うのが骨かもしれないわね。」


普段は複数人で協力して討伐を行なっている魔獣を1人で相手をするのは危険ではないかと気を揉んでいたのだが、フェネージュ様の言葉に安心した。それより気になる言葉があった。


「殿下…?」


「この国で最も高貴な血筋、王太子殿下よ。ルートランス様は気に入られてしまったようね。」


王太子殿下に気に入られたと言うのはいいことではないのかと、首を捻る。

フェネージュ様はそんな私の様子を見てクスリと笑った。


「殿下は大変聡明な方なのだけれど、その分周りの方に苛立ってしまうことも多いようなの。その苛立ちを向けられるのはご信頼の厚い方になるのよね。」


能力に対して精神的には少し幼いかもしれないわと、フェネージュ様は扇で口元を隠しておっしゃった。言いづらいことを言う時の淑女の所作だ。


なるほど、わがままおぼっちゃまな王子様が猫耳つけて、周りの人にツンツンする様子が浮かんだ。

気に入った人につい意地悪をしてしまうタイプなのかもしれない。


「え、つまりお気に入りの子への意地悪レベルで魔獣と戦わされるってことですか?」


意地悪のレベルが高すぎる。下手をしたら死んでしまうこともあるだろう。ルト君への期待が高いのか、加減を知らないのか、どちらにしても迷惑な話だ。


「詩子様にかかるととても可愛らしい表現になってしまうのね。でも、そう言うことになるわね。」


フェネージュ様は少し困ったように眉尻を下げて首を傾げた。ぼかされて言われていただけでことはもう少し複雑なのかもしれないが私にはまだよくわからなかった。


「詩子様は何も気にせず、ルートランス様の勇姿を楽しまれたらいいと思うわ。それが一番喜ばれると思うもの。」


「わかりました!全力でルートランス様を応援しますね!」


難しいことはよくわからないけれど、危険でないならルト君がかっこよく戦っている姿を堪能しようと決めた。


「…先日はわたくし、詩子様に押し付けがましいことを言ってしまってごめんなさいね。わたくし、反省致しましたの。詩子様に背負わせるようなことではなかったと。」


一瞬何のことだかわからなかったが、前回のお茶会の時、ルト君を救ってほしいと言われたことを思い出した。


「あー、大丈夫です。ちょっとあの後悩んだんですけどルト君が昔のどんなことがあったとしても今の私が知ってるルト君を信じようって。」


リタやクラリベールさんのアドバイスもあって、私はギャルらしく「ルト君はルト君」の精神を貫くことにした。私が見るルト君はジュスタン様やフェネージュ様達家族にも侯爵家の使用人にも騎士団の人にも愛されて信頼されている立派な人だ。

私が救うなんて望んでるとは思えない。


「そうね。詩子様が知っているルートランス様と仲良くしていただけたらいいわよね。わたくし、詩子様がだいすきですわ。」


フェネージュ様は慈愛に満ちた表情で微笑んでいた。


私は照れ笑いをした後、ふと先日ルト君がお店に来た時のことを思い出して、フェネージュ様に相談しようと思ってやめた。

妙に胸がザワザワしたあの時のことに、名前をつけられるのが嫌だったからだ。

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