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31 パン屋のお仕事

お読みいただきありがとうございます

「詩子ちゃん、焼き立てのクロワッサンあがったよぉ〜」

「はーい!お店に並べちゃいますね!」


ジャンとフレッドのパン屋さんの混雑のピークは日が空のてっぺんに上がり、昼時を告げる鐘がなる少し前である。

この国では朝食は家で簡単に食べる習慣なので、お店で買ったパンを食べるのは昼食が圧倒的に多い。


一部の職人などの日の出と共に働き始める人は、朝と昼の間の時間にちょっとした休憩と食事をとるのでちらほらと買いに来る人はいる。


夕方には、夕食と次の日の朝ごはんのためのバゲットを買って行く人が多い。


つまり、この国のパン屋の朝は早くない。


「私の世界ではパン屋さんって明け方くらいから働いてるイメージだったんだよねぇ。」


釜から出したばかりの焼き立てのパンの香りを楽しみながら、トングでトレーにパンを綺麗に並べて行く。


「そんな早く焼いたって買いに来る奴いねぇからなぁ」


ジャンが次に釜に入るパンの成形をしながら答える。そろそろ職人たちがブランチ用のバゲットサンドを買いに来る時間だ。


私の勤務時間は9時から15時くらい。仕事は主に接客だ。

朝の掃除と簡単な仕込み、それから閉店間近の販売と閉店後の清掃は孤児院の小さい子供たちが手伝いに来ている。まだ、奉公に上がれない年齢の子にはいい小遣い稼ぎなのだ。ちなみに賄いでパンが食べられる。


「詩子は客のあしらいが上手いから助かってるよ。孤児院のチビ達じゃあこうはいかねぇし、富豪や貴族相手に粗相があったらすぐに無礼打ちされちまうからな。」


さらっと怖いことを言うが、この国では孤児の価値は低く、身分の高いものが無体を敷いても罪に問えることは稀である。

私もただの平民の娘ということになると、貴族からの誘いを断ることが難しいため、オーナーの遠縁の富豪の娘ということになっている。

ジャンとフレッドの店のオーナーは貴族にも顔の効く大商人で、簡単に手出しできないらしい。

グライユル侯爵家預かりの異世界人イーリスという身分を明かすと平民の店では働けないし、かえって邪魔になってしまうかもしれないということで防衛対策の為の身分詐称だ。

オーナーにはグライユル侯爵家を通して、私の身分を保証するお願いをしてあるのだが、侯爵家と縁ができるならと二つ返事で了承してくれた。


「詩子ちゃーん!照り焼き肉のバゲッドサンド1つ!」

「おれは、ソーセージに塩振ったの挟んだバゲットくれ!」

「おれは柔らかいパンのサンドウィッチおまかせで!」

魔導具工房の職人達が3人連れ立って入ってきた。


「ゴストさん、ポランさん、エメさんいらっしゃい!すぐに用意するね!」


この3人は魔導具工房の若手職人でいつもこの時間に連れ立ってパンを買いに来る常連さんだ。力持ちのゴストさん、頭脳派のポランさん、可愛い担当のエメさんと認識している。


「詩子ちゃん聞いてくれよ!お貴族様が急に収穫祭に闘技大会するとかでよぉ、急ぎで魔物が暴れても大丈夫な魔法障壁を作れっていうんだよ!収穫祭まで後どれくらいあると思ってるんだよ?!」


「金払いはいいけど、こちらの事情がわからないからって無茶なこと言ってくれるよなぁ。」


「俺らももう何日も工房に泊まりきりだよぉ。詩子ちゃん慰めてぇぇぇ」


3人とも疲れと不満が溜まっているようで、店内の椅子に倒れ込むように座りながら愚痴をこぼしている。


闘技大会は第三騎士団の勝ち上がり戦と、ルト君が魔物と闘う演武を行うらしい。

魔導具工房のみんなには悪いがルト君のために特別頑丈な魔法障壁を作ってほしい。


「大変だと思うけど、みんな頑張って!私も闘技大会見に行くの楽しみにしてるし、観客の安全はみんなの腕にかかってるんだよ!」


それぞれに、オーダーされたパンを手渡しながら激励の言葉をかける。


ゴストがバゲットサンドを握り締め、ウルウルとした瞳でこちらを見つめながら立ち上がり、こちらに近づいてきた。


「っ…うたこちゃん…」


ゴストは体格のいい男性で身長は190cmほど、筋肉質で横幅は私の倍ほどある。よろよろと近づいて来られるとちょっと、いやだいぶ怖い。


「えーっと…ゴストさん?」


戸惑いながらカウンター裏の厨房を覗くとジャンもフレッドも窯の火入れに忙しくこちらに気づいていない。


「詩子ちゃん!この仕事が終わったら…俺と…!」


「え、えっ…?」


浅黒い顔を赤て、鼻息を荒くしたゴストがジリジリと近づいてくる。


「あ、こら、ゴスト…」

ポランさんとエメさんが止めに入ろうと腰を浮かした時だった。




「詩子、近くを通りかかったので顔を見にきましたよ。」





よく澄んだ、優しい声が店の入り口から響いてきた。

大きな声ではないのに、通りのざわめきも厨房の器具が奏でる音も消えてしまったかのように、彼の声だけがはっきりと耳に届いた。


「ルト君!きてくれて嬉しい」


ゴストさんの分厚い体の横からひょっこりと上体だけを出して、声がした方を見た。


お店の入り口に片手をかけたままこちらを見つめるルト君と、後ろにはエラン君が付き従っていた。


明るい太陽を背にしているので、少し顔が暗く、表情はよく見えないが、入り口の近くにいるポランさんとエメさんが青白い顔をしたまま固まっていた。ゴストさんも後ろを振り返って、冷や汗をダラダラと流している。


ゴストさんの影から抜け出して、ルト君に駆け寄ると、ふわりといつもの優しい微笑みを見せてくれた。


「ルト君、お昼はどうするの?パン持って行く?」


「これから少し面倒な用事があって、持って行くことができないんです。夕方には終わるから夜食用のパンを取りに来てもいいですか?」


ルト君は訓練の合間や見回りの途中で立ち寄る時はお昼用のパンを買って行ってくれる。今日はそうではなかったようだ。


「うん、待ってるね。お仕事がんばって!」


「ありがとう。何か困ったことがあったらすぐ私に言ってくださいね。…必ず、力になりますから。」


ルト君が腰を折って、私の顔の横で少し声を低くして言った。お互い正面を向いたままなので表情は見えないが、直接耳に響くような声に少し、ドキリとしてしまった。


「ルト君!そんな声で囁いちゃダメだよ!人前でそんな近づいて…破廉恥ですっ!」


こんな綺麗な顔を近づけて、低い声で囁くなんて色気の暴力だ。ルト君が顔を近づけた側の耳を両手で覆って、少し後ろに下がって叫んだ。きっとちょっと顔が赤くなっているだろう。


少し驚いた様子のルト君が体勢を戻して、顎の下に手をやり少し考えるようなそぶりをしてこちらを見ている。

一度、私の後ろに視線をやってから、また屈んで声を落として囁いた。



「人前でなければ、いいんですか?」



「…ッッ!!」


顔が爆発したかと思った。

今までにないほど顔が熱くて、目にじんわり涙が浮かんでくる。


「それでは、詩子また夕方にきますね。」


ゆったりと笑みを深めて言われたので、なんとか動揺を鎮めてルト君とエラン君に小さく手を振る。


「あ、うん…。お仕事がんばってね。エラン君も気をつけてね。」



「はい、詩子様また。あまり、副団長を心配させないでくださいね。私が気が気ではありませんので。」


エラン君は苦笑しながら、店の中を見回した後ルト君の後をついて出て行った。


「…うん??」


エラン君の言った意味がよくわからなくて、首を捻った。困らされたのは私の方なんだけど。


ふと、ゴストさんを振り返るとムキムキの体を小さく縮めたゴストが両手で顔を覆ってさめざめと泣いていた。


「あれ、ゴストさんなんで泣いてるの?」


「いや、ごめんね、詩子ちゃん。ゴストは連れて帰るから、また来るね。」


ポランさんとエメさんがゴストさんを半ば引きずるように連れて店を出て行った。


「うん…ありがとう。みんなまた来てね!おしごとがんばってねー!」 


手を振って見送ると店を通る人たちが不思議そうにこちらを見ていた。体を小さくして泣いてる成人男性が引きづられて歩いてたら、不審だよねぇ。


「…そして誰もいなくなった…なーんてね。」


誰もいなくなった店内に1人佇んでいると、厨房から出てきたフレッドと目があった。


「ゴストは災難だったけど、仕方ないよねぇ〜。誰もルートランス様に敵うわけがないだからさぁ〜」


フレッドは何か面白がるように笑っていた。


「…ねぇ、フレッド?私みんなが変な理由が全然わかんないんだけど。」


フレッドはため息をついて何も言わずに厨房に戻って行った。


「だから!なんなの?!」


魔導具工房3人組はルト君を見てそそくさと帰ってしまうし、エラン君もフレッドも意味深なことを言う。

それにルト君は人の耳元で無駄に色気を振り撒いて行くし…人前であんなに顔を近づけるなんて外聞が悪いと思います!



「人前でなければ、いいんですか?」


「…っ!」


頭の中で先ほどと同じ声色のルト君の声が響いて、胸の奥がザワザワして落ち着かない。

気持ちを落ち着けるために息を大きく吸い、胸の辺りを大きく撫でた。

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