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23 エラン副隊長の心配(ルートランス視点)

お読みいただきありがとうございます

「誠に申し訳ございませんでした!!!私の不用意な発言でグライユル副団長に多大なご迷惑をお掛けし面目次第もございませんっ!!!私が余計なことを言わなければ、ガルデニア団長からの無理難題をお引き受けすることもありませんでしたのに。」


エランは体が半分になりそうなほど深く頭を下げている。


「いいんだよ、頭を上げて欲しい。私のことを庇ってくれて嬉しく思っているよ。王太子殿下のご用命を断る事なんて不可能だし、ガルデニア団長からの命令も結局は引き受けることになったんだ。気にすることはないよ。この事はもう忘れておくれ。」


肩に手を添えて、体を起こさせるとエランは体を小さく振るわせ今にも泣き出しそうな顔でこちらを見た。


「しかし、ガルデニア団長のあの言いようは酷すぎます!グライユル侯爵家を通して正式に抗議すべきではありませんか?!」


エランの真っ直ぐで真摯な姿勢が眩しくて、苦笑が漏れる。


「どうかな。騎士学校時代はもっと酷いことを言われることもあったし、荒っぽい騎士団の中では別段騒ぎ立てるほどでもないんじゃないかな。」


騎士学校は平民から高位貴族まであらゆる身分のものが同じ教室で学ぶため、学校内では基本的に身分差はないものと規則に記載されている。しかし、個々の学生の気持ちまで縛れるものではない。むしろ階級意識は強く、平民と高位貴族は相容れない。その中で自分はとても中途半端な存在であった。貴族からは出自の卑しいものと蔑まれ、平民からは妬まれた。「売女の子」「教師からの評価を美貌で買った」だの謂れのない誹謗中傷を受けることもあった。


「しかし!グライユル侯爵家の威厳にもかかわるのではっ!それに、あんな事を吹聴されては、グライユル副団長のお立場にも影響を及ぼしかねません!」


エランの主張はもっともだ。

本来であれば、厳重に抗議すべきである。同格の家門から嘲り受け、胸に収めるなど侯爵家の名を辱める行為である。


しかし、もとより私には貴族の矜持などないのだ。

物心ついた頃より、侯爵家で1人で過ごしていた。世話をしてくれる使用人たちはいたが、それも淡々と業務をこなすのみ。血の通った会話などした覚えもない。貴族の下の最低限のマナーは教えられたが、それを披露する様な場も与えられなかった。


生まれてすぐに亡くなったという母はもちろん、父にもほとんど会った記憶はない。

だから母という人への侮辱を聞いても何も心が動かないのだ。母への誹りなど、どうでもよい。


「…もし、家にすがって、見放されたら?」


思わず溢れた弱音に、自分でもひどく驚いた。ここ連日の激務と団長の謗りに気づかぬうちに精神を磨耗していたのかもしれない。

そう、私は怖いのだ。父に、兄に、お前など救う価値などないと言われるのが。この世のどこもお前の居場所などないと、突きつけられるのが。


「…えっ?」


エランが戸惑いの声を漏らす。


「いや、忘れてくれ。でもね、私の事などはどうにでもなるのだよ。例えば、私が重大な過失により、刑罰を受けたとする。そうしたら、グライユル侯爵家は私を除籍すれば良い。または、下賤な女に騙されたが本当の子ではなかったと人知れず斬り捨ててしまえば、数年は謗りを受けるかも知れないが、兄は優秀な人だからすぐに瑕疵などないようになる。だから、私を守る理由は侯爵家にはないんだよ。」


エランが悲しげに顔を歪めるが気にせずに続ける。


「そんなより、君は自分をもっと大切にすべきだ。ニジェル子爵家は陞爵したばかりで、風当たりも強い。きみは嫡男であるし、御両親の大切な一粒種だ。私のために団長に楯突く様な事はもう二度としてはいけない。」


エランの家は元は男爵家で、この度武功をあげ子爵へ陞爵しょうしゃくしたばかりだ。勢いのある貴族の足を引っ張ろうとするものは少なくない。エランもそんな家を盛り立てようと騎士団で功績を上げようと日々励んでいるのを知っている。そんな彼が私のために責めを負うところなど見たくはない。


エランは必死に首を左右に振る。


「そんな悲しいことをおっしゃらないでください。グライユル副団長だってご自分を大切にすべきです。侯爵家にとっても、我が第三騎士団にとっても副団長はなくてはならない存在だと理解していただきたい。」


エランが必死に言い募ってくれる様子はとても嬉しく、面映い。しかし、騎士団にとってもさほど私は重要ではない。

半年前、最年少の若さでこの第三騎士団の副団長に任命された。噂では宰相閣下の推薦があったとのことだが、私には直接の面識もなくなぜ推挙されたのか皆目見当もつかなかった。

若すぎる就任のせいか、団長からの風当たりは冷たく、部下たちもどこかよそよそしい。コネによる分不相応な出世と疎まれているのか、はたまた、魔物の子という噂でも聞いたのか。

そんな中、このエランだけは私の補佐官ということもあり、気さくに接してくれてる。

彼の心遣いがうれしく、どう返して良いか分からず曖昧に微笑むことしかできない。


「グライユル副団長!お分かりになってませんね?!団員たちが貴方に必要以上に近づかないのは、あまりにも神々しく文にも武にも秀でた副団長に、恐れ多くて気軽にお声をかけることすらできないだけです!」


「ありがとう。君の気持ちは受け取ったよ。でもね、たとえどの様に思われていなかったとしても、身命を賭して団員を守り、この国のため殉ずる覚悟があるんだ。」


どの様に思われていたとしても、私居場所をくれたこの騎士団に報いる覚悟はある。だから、無理に慰めの言葉をかけてくれなくても構わないと伝えたかった。

むしろこの身が誰のために役立てたら、死にゆく中で満足してこの目を閉じることができるのではないだろうか。私の生に意味があったと、思いたいのだ。


エランはあまりにも歯がゆいと言った様子で、髪をくしゃくしゃにかき混ぜると天を仰いで、それから真剣な目でこちらを見た。


「あ〜〜〜っ!!グライユル副団長にその様に思わせたのは私の落ち度です!お願いですからその様に儚げなお顔でご自分を粗末に扱う様なことは仰らないでください!今にも朝露のように消えてしまいそうで、不安で…悲しいです!」


「ふふ、私だって態々死にゆく様な真似はしないよ。心配かけてすまないね。」


「いえ、違うんです!そうだ、何かしたいことですとか、希望や願望の様なものはないか、考えてみていただけませんか?この世に引き留める様なものがあって欲しいと思うのです」


「希望…」


そう言われて浮かんだのは、詩子の笑顔だった。そうだ、詩子が仕事をして給金を得たらアデルヴィアスのお守りを買ってくれると言っていた。それまでは生きていたいかもしれない。でもこれは、なんとなくエランには言いたくなかった。


「そうだな…パンが食べたいかな…」


詩子がパン屋へ話を聞きに行く前に「私がパンを焼ける様になったら、ルト君に美味しいパン食べさせてあげるね!」と言って笑っていたのを思い出した。


「パン、ですか…?」


エランが不思議そうに首を傾げている。

戸惑うのも無理はない。自分でもよく分からないことを言っている自覚がある。


でも、そうだな。今いちばんしたいことを聞かれたら、詩子の作ったパンを食べて、「ルト君、おいしい?」と期待を含んだキラキラした瞳で見つめられたい。

「美味しいよ」と答えたら、午後の柔らかい西陽を浴びた花の様にふわりと笑ってくれるだろう。


その笑顔は希望と呼べるかもしれない。

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