20 ジャンとフレッドとリタ
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「「先ほどは失礼いたしました」」
向かい側に座るジャンとフレッドが同時に頭を下げた。
「私は大丈夫ですよ。ジャンさんリタに思いっきり叩かれてたし…。」
「リタの平手なんて虫が止まったようなもんですよ。はははっ!」
豪快に笑うジャンをリタがムッと頬を膨らませて睨む。
「さあ、では早速仕事内容について説明してください。」
リタがメガネをかけてないのに眼鏡をくいっと持ち上げる動作をする。そんなのどこで覚えてきたの。
もちろんそんなオタク仕草を教えられるのはこの世界には私しかいないのだが。
「まぁ、やって欲しいことは接客と清掃だな。俺らでパンを焼いて売ってたんだが、最近この店の人気が上がってきて、手が回らなくなってきたんだ。」
パンはジャンとフレッド2人で作っていて、今までは会計やパンの陳列、清掃も協力してやっていたが、あまりのパンのおいしさにお客さんがどんどん増えて回らなくなってきたらしい。うれしい悲鳴だ。
「それに詩子様は異世界人なんだろ?新しいパンのインスピレーションももらえるかも知れねぇしな!」
うぅ。異世界人としての知識を求められるとちょっとこまる。私はたくさんパンを食べてきたけれど、一から作ったことは一度もないのだ。
しかし、ここで役立たずと思われたくはない。
「うん!もちろん、私パン作ったことはないけど、どんなパンがあったとかなら…えーっと」
なんとか記憶を絞り出そうとする私をジャンが片手で制して、白い歯を見せてニッと笑った。
「あぁ、いいんだいいんだ!パンについての話を話そうとすると、詩子様が『話そう、役立ちそう』って思ったことだけしか言わないだろ?そうじゃなくてなんも役に立たなそうなことからアイディアを拾い上げるのが職人だからな!気軽にいろんなこと話してくれよ!」
私が気負わないような物言いが嬉しい。大きくて豪快な印象だったが繊細な気遣いのできる人のようだ。
「それで、いつから手伝ってもらえるのかな〜?ボクたちとしては早くきてもらえると助かるんだけど〜。」
先ほどまで向かいの席に座っていたはずのフレッドが厨房からトレーを運んできた。
そのトレーにはパンと紅茶が乗っているのが見える。
「お前どこ行ってたんだよ。」
「まずは僕たちのパンを食べてもらいたいなって思ったんだよ〜。」
お皿にはナッツの入ったハード系のパンと白いふわふわのパンが乗っていた。
「わぁ、嬉しい!いただきます!」
さっそく白パンを小さく千切って口に入れるとすぐに溶けてしまうほど柔らかく、ほんのりとハチミツの甘さを感じる。ハード系のパンは噛み締めるほどにナッツの香ばしさと小麦の力強い香りが感じられてどちらもとっても美味しい。
「おいしい!すっごく美味しいです!」
ジャンから順に3人の顔を見るとみんな嬉しそうな誇らしそうな顔で笑っていた。
「だろ!俺はパンの女神に愛されてるからなっ!」
ジャンがどうだとばかりに胸を張り、フレッドがそれを見て苦笑する。
「パンの女神様かどうかはわからないけど、ジャンは女神の花なんだよ〜。」
フレッドがのんびりと教えてくれる。
ジャンとフレッドはリタと一緒で道端で生活する孤児だった。リタが伯爵様に保護されると、伯爵様がその地域一帯の孤児を補助金とともに孤児院に入れてくれた。
「そこで生まれて初めてパンを食べてよぉ、それがすげぇ美味かったんだ。今思えばボソボソで大してうまくなかったんだけどよ、ずっとこれを食べていたいって思ったな。」
孤児院では6歳頃から奉公にでたり、孤児院の手伝いをするらしい。保護されて時点でその年を超えていたジャンとフレッドはすぐに奉公に出ることになった。そこでジャンはパン屋への奉公を熱望した。本来は希望が通ることなどほとんどないのだが、なぜか偶然にも求人が来て、フレッドと一緒にパン屋の雑用係として雇われた。
「パン屋で働き始めたらよぉ、親方より自分の方がうまいパン焼けるって解っちまったんだよ。んで、俺バカだからアドバイスのつもりで口出しちまって、親方と兄弟子からボコボコにされた。」
ジャンはパン生地の水加減、温度、釜の火の入れ方すべて見ただけで改善点に気づいてしまった。入って方ばかりの孤児に今のままでは不十分だと指摘されて気分を害したのだろう。
「それで、神殿に駆け込んだんだよね〜。絶対、パンの女神に愛されてるから審判を下して欲しいって〜。」
ジャンとフレッド2人で審判を受けたが、女神の花はジャンだけだった。
「ボクは女神の花じゃなかったのに、パンの成形は得意だし、奉公と一緒に上がることができて不思議だよね〜」
フレッドは自分だけ審判が下らなかった事をさして気にした様子もなく、首を捻る。
「おれはさぁ、一緒にパン作れるやつがいたらいいって孤児院の時から思ってたよ!それがフレッドだったら良いと願ったかも知れねぇ。それで女神が一緒にパンの道に連れてきたのかもなっ!」
「ボクは付属品じゃないんだけど〜」
2人は楽しそうに笑い合っているが女神の花の願いが他人にも作用するのは、少し怖い気がして背筋にスッと冷たいものが走った。
「それで、今ここのオーナーしてくれてる大商人のところに売り込みに行ってさ、店を持たせてもらったんだ。この建物、3件店が繋がってるだろ?全部オーナーが出資してる店だ。」
残りの2件はチーズや牛乳を扱う乳製品店とベーコンやソーセージを扱う加工肉店、それぞれオーナーがパンに合うものがあったら繁盛するだろうと連れてきた職人たちだ。
「さすが、手広くやってる商人はすげーよな。相乗効果で3件とも売り上げは好調だ。事務仕事や金関係はオーナーの手配した書記官がやってくれるから楽なんだけどよ。」
商人に売り込んだ行動力もすごいが、パンを作りたいというジャンの希望を都合よく叶えられるようになっているのは女神の花の力なのか。でも、リタと同じように孤児から少しでも生活を良くしたいとは思っていなかったのだろうか。
「あの頃は幸せになりたいなんて考える余裕もなかったな。」
ジャンが目を細めて、少し遠くを見る。
「…あの頃思ってたのはさ、明日も明後日も朝起きた時にフレッドとリタが隣にいますように、って事だけだ。暑くて干からびそうな日差しの時も、雪が降って手足の感覚がなくなった時も朝起きて2人がちゃんと目を開けるかそれだけが心配だったな。」
フレッドが優しくジャンに微笑み、隣に立つリタが小さく鼻をすする。
「…なに湿っぽいこと言ってるんですか!いっつもジャンが目が覚めるのが1番遅かったでしょ!」
「そうだよね〜。リタとボクで叩き起こしたらしてたよね〜。」
「はぁーー?そうだったかぁ?!」
2人が笑い、ジャンが少し顔を赤くして叫ぶ。3人の楽しそうな様子に思わず私も笑ってしまった。
「まぁ、そんなわけで、リタは妹みたいなもんだ。妹の紹介なら初めから断る気はねぇんだ。詩子様が良ければ一緒にパンを作ってくれ!」
ジャンは最初に会った時と同じように大きな手のひらを差し出して、ニッと笑った。私はその手をぎゅっと握って言った。
「私もリタのお兄さんたちなら安心だよ。一生懸命がんばるのでよろしくお願いします。私のことは詩子でいいよ。従業員に様付けなんておかしいでしょ?」
ジャンとフレッドはことさら嬉しそうに笑い、フレッドは私たちの握った手の上に手のひらを重ねた。
「ああ、仲間としてよろしくな、詩子!」
「よろしくね〜。詩子ちゃん。」
一之瀬詩子、無事異世界で就職しました!




