17. 晩夏のお茶会
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侯爵家本邸には、正門から屋敷までを繋ぐ石畳の両側にシンメトリーに整えられた前庭と、屋敷に囲まれる形の中庭、そして館の後方には厩舎も備えた広大な庭園が広がっている。
本日は中庭のテラスにてフェネージュ様とお茶会である。前庭は噴水を中心に生垣やトピアリーが綺麗に形作られた伝統的なフォーマルガーデンであるのに対し、この中庭は実にユニークで自由な場所である。
一部建物から迫り出したテラスには白く美しい細工のガーデンセットが備えられていて、周囲には季節の草花が手前から奥へグラデーションに植えられている。
しかし、その奥の温室では異国の植物を実験的に栽培する研究所と化しているし、一部の花壇では薬草が青々と茂っている。
「ここは日当たりもよくて、人目にもつかないとても素敵な場所なのに、侯爵様と旦那様に味気ない研究施設にされていたんですのよ。わたくしが嫁いできてまず初めに手入れをしたのがこちらですわ。」
研究材料は残しつつ、お茶会にも適した空間を作るのがフェネージュ様の目標らしい。
ただ薬草を移動してしまうと生育に影響が出るため難航しているそうだ。
「そんなことより、詩子様!ルートランス様と逢引なさったんですってね。お互いの瞳の色を交換する約束なんて素敵ですわね。」
「…えっ!な、なんで知ってるんですかっ?!あ、あ、あ、逢引きでもないですしっ!」
口をつけていた紅茶を吹き出しそうになって慌ててハンカチで口元を抑える。
「なんでって、いやだわぁ。侯爵家でお預かりしている大切なお嬢様をその家の子息とは言え未婚の男女だけで出かけさせるなんて外聞が悪いですもの。もちろん、護衛のものをつけていてよ?リタも付いていっていたのではないかしら?」
フェネージュ様に水を向けられ慌てたように表情を崩したリタをキッと、睨みつける。
「怒らないであげてちょうだい。貴女に何かあった時、殿方だけでは手に余ることもあるでしょう?」
そう、リタは悪くない。いつも通りきちんとお仕事を全うしただけなのだ。しかし、八つ当たりせずにはいられない!
「当然、ルートランス様はお気付きでしょうから不用意な言動はされないでしょう。心配することはないと思うわ。」
フェネージュ様は背中に黄色のリボンが編み上げてある真っ白なマーメイドラインのドレスを纏い、足元に広がる裾が花びらのようで、まるでカラーの花のようだ。
晩夏とは言えまだ、午後の紅茶の時間には強い陽射しが残っているにもかかわらず、汗ばむ様子もなく涼しげなお顔で微笑んでいる。
幾人かの使用人にデート(デートではないがっ!)を見られていても、フェネージュのような生まれながらの貴族ならばこのように涼しい顔で、さして気にも留めないのだろう。
「フェネージュ様は気にされないでしょうけど、私は田舎で走り回ってたみたいな平民の子ですから、誰かに見られているのは落ち着かないです。」
子供っぽく頬を膨らませて拗ねて見せると、フェネージュ様は心底楽しそうにくすくすと笑った。
「あら、ではわたくしと同じだわ。わたくしも北の外れの田舎の領地で野山を駆け回って育ちましたのよ。」
傷ひとつなく透けるような肌、絹糸のような艶やかでまっすぐな髪、深窓の令嬢を絵に描いたようなフェネージュ様が田舎育ちと言われ一瞬ぽかんとしてしまった。
「野山を駆け回っていてその、透けるような透明感なんですか…?すごい…」
「あらぁ、初めての反応だわ。やはり詩子さんはおもしろいはねぇ。わたくしが領地育ちだと言うと皆さん、こちらにこられてよかったですねっておっしゃるのよ。王都にいらっしゃる方はここにいられることが至高だと思っていらっしゃるから。」
うふふと、口元に手を当てて楚々と微笑む。
フェネージュ様のご実家は国境にある北の広大な土地を収める伯爵家である。国境には高く険しい山が聳え立ち、国外からの侵入は不可能なため、戦さの心配はないが、時々その山から魔獣が降りてくることがある。そのため、平民の子供でも武器を持って戦えるほど武芸に長けた土地柄らしい。
フェネージュ様は遅くに生まれた三女で、歳の離れた兄2人がたちを両親の補佐を担い、姉2人もすでに嫁いでいたため、自由におおらかに育てられたそうだ。
12歳の時、見聞を広げるため母に連れられて王都のタウンハウスに居を移した。というのは建前で、婚約者探しのためだろう。領地で模造刀を振り回して男の子たちばかり遊んでいる娘を心配してのことだとフェネージュ様はいう。
王都での暮らしはなにかと窮屈で、貴族同士のお茶会やパーティーでも建前ばかりの探り合いに辟易してしまっていた。
また、王都の貴族子弟は気位ばかり高く、フェネージュの領地をどこか見下しているくせに、花の香りに誘われた虫のように彼女に擦り寄ってくるものばかりでひどく不快だった。
そんな時に出会ったのがジュスタンだった。
「旦那様もね、みんなと違ったわ。『それではさぞかし窮屈にお思いでしょう。』とおっしゃったの。」
フェネージュの容姿を褒めるか、領地の魔物の被害を面白半分に尋ねるしかしない貴族令息たちと違いジュスタンは北国での植物の育成方法や高山植物の特徴、魔物対策などについて興味をもち、現在抱えてる問題については新技術の活用などを提案してくれた。
「旦那様はとても聡明で、常に紳士的でお姿も洗練されていて素敵でしょう?わたくし、絶対にこの方と一緒になりたいと思いましたの。でも、初めは『自分と一緒になると苦労させるから』と断られてしまいましたの。」
ほぅと小さく息を吐いて、白魚のような手を頬に当てる。この美貌の令嬢を袖にするとはさすが堅物真面目なジュスタン様。
「苦労させる、とはどう言うことでしょう?」
ジュスタン様は堅物で女性の機微に疎そうではあるが、侯爵家の嫡男で心身ともに健康。婚約者もいないのなら、伯爵家のフェネージュ様とはとても良いご縁だと思うし、苦労をさせると断るのは腑に落ちない。
「そうねぇ、お父上である侯爵様はお身体が不自由でいらっしゃって、旦那様は当時15歳ながら侯爵代理のお仕事をされていたわ。さらに官僚学校にも通いながら、大人の中で職務をこなしていつも心身ともに疲弊していらしたわ。」
官僚学校は騎士学校と同じく10歳から15歳までの生徒が全寮制で学んでいる。
本来、高位貴族の跡取りであれば家で学ぶのが慣例だがジュスタンはあえて官僚学校に入学した。
「ジュスタン様のお母上もルートランス様のお母上も儚くなられて久しく、侯爵様もお体を悪くしてから荒れていらっしゃったそうだから、内向きのことにはなかなか手が回ってなかったと思うのよね。だから、家をでたかったのかもしれないわね。」
「ジュスタン様のお母上とルートランスのお母上…?」
わざわざ、2人のお母さんを分けて言ったことが気に掛かった。
「あら、詩子さんはご存知なかったかしら。旦那様とルートランス様は異母兄弟なのよ。」