13 お兄様と会食
ここ数日どんよりした天気が続き、異世界にも梅雨があるのかと憂鬱な気持ちになる。数日雨が続いた後、今日は一日中鉛色の雲が空を覆っていた。少し突っついたら雲が破けて雨が溢れ出てきそうな雲を恨めしく見つめる。
ルートランスの屋敷の庭にはアジサイに似た花が咲いていた。この花は魔木で、花の美しさに誘われたカタツムリのような虫を吸収して、花を七色に変えるらしい。でんでん虫を愛でる歌を聞いて幼少期を過ごした身としては、かわいそうにもなるがこの虫は花を枯らす憎い奴らしく、庭師のおじさんは嬉々と教えてくれた。
日課の散歩も出来なくなり、読書や勉強続きで陰鬱としていたところ、急に予定が入った。
超激務のルートランスのお兄さん、ジュスタン・グライユルの予定が急遽空いたということで、侯爵邸にて会食と相成ったのである。
本来であれば侯爵家当主であるルートランスのお父様と面会するのだが、お身体の具合が悪く人前に出られる状態ではないそうだ。
ルートランスの屋敷より少し高い天井を見上げると、雫型のクリスタルが連なった壮麗なシャンデリアがマホガニーの内装を反射して無数の琥珀のように優しく光を放っている。
その光の向こうに、銀に見えるグレーの髪を後ろに流した長身痩躯の厳しい顔つきの男性が座っている。ジュスタン・グライユルその人である。
歳の頃は30代半ばくらいだろうか。洗練された雰囲気を纏い、彫りの深い目元の濃い影が日頃の多忙ぶりを物語っている。その隣では奥様のフェネージュ様が優美な微笑みを湛えている。
「詩子嬢はこちらにきて、二月ほどだったか。こちらでの暮らしは不自由はないだろうか。」
「あ、は…はい!ルートランス様にも屋敷の皆様にも大変よくしていただいています。えっと…閣下には私の保護を受け入れてくださり感謝申し上げます。」
必死に頭を働かせて失礼のない言い回しを考える。普通の高校生には貴族と会話するスキルも礼儀作法も備わっていないのだ。いつ、無礼を指摘されるかとヒヤヒヤしていると、ジュスタンはしばし逡巡した後、ゆっくりと口を開いた。
「異世界人を保護することはこちらの貴族にとっては誉である。貴方が礼を言う必要はない。言葉や礼儀作法関しても、畏まることはない。違う国の貴人にこちらの流儀を押し付けるのは不調法であろう。」
「…私、貴族とかじゃありませんけど…」
ジュスタンが片方の口角だけを上げてふっと笑う。
「どうとでも思わせておけば良い。彼の国の人が貴方だけなら貴族でも王族でも同じことだろう。面倒を避けるには、それが最も穏当だろう。どうせこの国では貴女は貴族と同等の扱いを受けるのだから。」
貴族や王族なんて畏れ多くて嘘でも言えるわけがない。なんと返答したものかと内心で冷や汗をダラダラ垂らしていると、ふふっと鈴が鳴るような声が聞こえた。
「詩子様、旦那様はね、これでも冗談を言っているおつもりなのよ。ごめんなさいね、お顔がこーんなに怖いですものねぇ。今はお仕事が落ち着いて、やっと詩子様とお話しできるので嬉しくてたまらないのですよ。」
フェネージュはほっそりとした指を口元に当てて楚々と微笑む。雪のように白い肌に、晴天の空のように透き通る水色の長い髪がさらりと揺れる。
「そのようなことは言わなくても良い。」
ジュスタンは眉間の皺を一段濃く刻み、憮然と呟いた。
「ふふ、これはねぇ、恥ずかしいから言わなくていいと言っているのよ。」
フェネージュ様、その翻訳は本当に正しいのですかと問いただしたくなる。柔和な微笑みを湛えるルートランスの顔を思い浮かべ、本当に兄弟なのかと疑ってしまう。
ちらりとジュスタンの顔を覗き見ると、アッシュグレーの瞳が一瞬こちらをみた。
ジュスタンはわずかに眉をひそめ、すぐに目を逸らすと、わざとらしく咳払いをして、話題を変えた。
「ルートランスは屋敷には帰ってきているのだろうか。以前は騎士寮に入り浸っていて、なかなかこちらには戻らないと使用人たちがこぼしていたが。」
「はい。3、4日に1回は帰ってこられていますよ。ここのところ忙しいとかでお会いしていませんが。」
ルートランスが忙しくなければこの会食にも同席してもらう予定だったのだ。王都周辺の魔獣が騒がしいらしく連日走り回っているようだ。仕事の合間に少しだけ顔を見せてくれるのだが白磁の肌にも疲れが見えてキラキラが2割ほど減ってしまっていた。
詩子がこの世界で目覚めてからは数日おきに本やお菓子を持って会いにきてくれていた。流石に拾った犬の世話を家のものに任せて放っておくような無責任なことはしないようだ。
あの、花びらがそっと開くような優しい笑顔とオパールみたいに光を映す瞳が見られないと少し寂しい。
「彼の方のお戯ゆえか。騎士たちは災難だな…」
小さく苦々しげにつぶやかれた言葉の意味がわからず首を傾げる。話の流れから外れた独り言のようなセリフが妙に気にかかる。
それに気づいたジュスタンは取り繕うようにワインに口をつけた。
「旦那様は詩子さんの世界の政治や法律にも興味がありますのよ。ぜひいろいろ教えて下さらないかしら。」
フェネージュの新雪のように柔らかく澄んだ声が響くと、なんとなく気まずくなりかけた雰囲気がすっと解けた。
「あ、はい。私で分かることでしたら。」
「あぁ、そうだな。興味深いと思っている。貴女の国には王はいないのであろう?どのようにして国を治めているのか伺いたい。それに教育制度に関しても」
学校で勉強したはずなのに、自分の国のことを説明するのがこんなに難しいなんて知らなかった。国の制度や教育制度、政治や法律すらすら答えられない自分が恥ずかしくて、内心汗だくになりながら頭の中の知識を全部ひっくり返して説明した。無事に家に帰れたらもっと国や法律について勉強しようと思った。
「とても興味深いな。貴女は平民であり、学生であると言うがほとんどの国民が貴女のように国の成り立ちや制度について他国のものに説明できるほど学んでいると言うことも大変素晴らしい。賢く豊かな国であるのだな。」
全然上手に説明できなかったと俯き落ち込んでいるところに、予想外な褒め言葉をもらって驚いて顔を上げた。
「いえ…私全然上手に説明できなくて…お恥ずかしいです。」
「何も恥じることなどない。貴女の説明は明瞭で理論的で理解しやすい。非常に教養を感じさせるものであった。」
ジュスタンは真っ直ぐにこちらを見たままそう言った。
特に詩子を褒めたつもりもフォローしたつもりもないのだろう。
でもそれがなんだか嬉しい。ルートランスとは見た目も性格も全然違うし、瞳にオパールのような採光を宿しては居ないけれど、そのまっすぐな心はどことなく、彼と似ている気がした。
✳︎✳︎✳︎✳︎
「お話しできてとっても楽しかったわ、詩子さん。また遊びに来てくださいね。」
「ああ、大変有意義な時間であった。グライユル侯爵家はいつでも貴女の助けとなる。何か困ったことがあったらいつでも連絡して欲しい。」
緊張したけど、侯爵家での会食は恙無くおわった。
堅い表情と鋭い目つきのせいで、最初はちょっと怖かったけど、ジュスタンは真面目で誠実な人だとわかった。
「ああ、ルートランスに会ったら、たまにはこちらにも顔を出せと言っておいてくれ。」
ついでのように付け加えた言葉が本当に伝えたかったことなんじゃないかとなんとなく思った。ジュスタンがルートランスのことを気にかけているのはこの短時間でも感じるほどなのに、なぜかこの兄弟には距離を感じる。歳の差のせいだろうか。
「必ず伝えますね!」
にっこりと笑って伝える。ギャルならきっと2人の距離なんか気にせずルートランスをグイグイ引っ張ってこの公爵邸に連れてくるはずだ。
明日も15時に更新します。よろしくお願いします