2 宿の夜
美崎の祖母の家を後にした2人は、町の駅前近くの温泉宿に宿泊した。
「いい湯だったな」
「うん。ご飯も思ったより美味しかったし。さて、飲み直すとしますか」
食事と風呂を済ませた浴衣姿の美崎と進藤は、缶ビールとおつまみを持って、部屋の窓側に移動した。小さなローテーブルを挟んで配置された古いソファーに向かい合って座る。
「なあ、今日見に行ったお前のおばあさんの家のことなんだが、色々と気になることがあってな」
ビールを一口飲んだ進藤が、ローテーブルに缶ビールを置くと席を離れ、美崎の祖母の家の図面を持って来た。
「気になること? あの仏壇の木札のこと?」
美崎がおつまみをローテーブルの端に移動しながら聞くと、進藤が図面を開きながら言った。
「あれもそうなんだが……まずはこれを見てくれ」
進藤が、ローテーブルに広げた図面の右上と左下を指差しながら話を続けた。
「この図面は上が北。右上が北東で、左下が南西だ。この二つの方角が何か知ってるか?」
「ごめん、知らないなあ」
「いわゆる、鬼門と裏鬼門って奴だ。これなら知ってるか?」
「ああ、何か聞いたことがある。不吉な方角だったっけ?」
「まあ、簡単に言えばそうだ」
進藤が図面の右上、茶の間を指差した。
「鬼門や裏鬼門については、その方角の屋根に鬼瓦を設置したり、建物の外にヒイラギやナンテンを植えたり、四角く囲って玉砂利を敷いたりして、外から鬼や禍いが家に侵入するのを防ぐ、『鬼門封じ』という処置を施すことがある」
「すごいな。詳しいんだね」
「仕事柄な。それに、元々オカルト話が好きだし」
進藤が苦笑しながらそう言うと、ローテーブルの隅に置いていたビールを一口飲んで、話を続けた。
「まあ、そんな感じで、外部からの鬼・災厄の侵入を防ぐために鬼門封じを施すんだが、お前のおばあさんの家はちょっと違う」
進藤が図面の右上、茶の間の角から、図面の左下、家の中へと向かって指を移動させながら、美崎の顔を見た。
「茶の間の角、鬼門である北東に、家の中の方へ向けて鬼の面を飾っているんだ。まるで鬼門から家の中に入ってくる鬼の顔を表すかのように。そして……」
進藤が指をそのまま図面の左下・南西に移動させた。
「……そして、こちらの南西・裏鬼門。裏鬼門に位置する寝室の中には何もなかったが、その外にはビワの木が植えられていた」
「そうそう、あのビワ美味しいんだよ。おばあちゃんが何度か送ってくれたなあ」
「それがな、ビワって、家に植えるには不吉って考える人もいるんだ」
「え? あの美味しいビワが?!」
驚く美崎に、進藤が笑いながら言った。
「ははは、まあ迷信の類いだがな。ビワは病人を呼び寄せるという言い伝えがあるんだ」
進藤が、おつまみの袋に手を伸ばしながら話を続けた。
「それに、俺がざっと見た限り、家の南西側には、ビワの他、サルスベリやツバキも植えられていた。これらも、家に植えるのは不吉だと言う人がいる木だ。一種類ならともかく、三種類もあるのは偶然とは思えない」
「つまり、わざと不吉な家にしてるってこと?」
美崎がビールを一口飲んでそう言うと、進藤が頷いた。
「ああ。そして、極めつけはあの仏壇だ」
進藤が缶ビールを飲み干すと、ソファーから立ち上がった。
† † †
進藤が缶チューハイとスマホを持って戻ってきた。
進藤は、スマホをローテーブルに置き、仏壇の写真を表示した。写真を拡大する。
『招来所有穢為抗神力喼急如律令』
木札の例の文字が、スマホの画面に大きく映し出された。
「なあ、お前が子どもの頃におばあさんと一緒に唱えていた『家を守るおまじない』、もう一度言ってくれないか?」
「ええっと……『しょーらい、しょーゆー、わいいーこー。じんりき、きゅーきゅー、にょりつりょー』だね、確か」
それを聞いた進藤が、得心した様子で言った。
「やっぱりな。この木札にフリガナをふると、多分こうなる」
進藤が木札の文字を読み上げた。
「招来所有穢為抗神力喼急如律令」
「あ、おばあちゃんのおまじないとソックリだ!」
驚く美崎に、進藤がニヤリと笑った。缶チューハイを一口飲むと、得意気に言った。
「な。多少違うところはあるが、ほぼ同じだ。おばあさんとお前は、この木札の文章を読み上げていた可能性が高い」
そこまで言うと、進藤が缶チューハイをローテーブルに置き、真面目な顔になった。
「だが、これ、変だと思わないか?」
進藤にそう言われた美崎は、肩をすくめた。
「うーん……そもそもどういう意味かが分からないし」
「漢文みたいに読んでいけばいいだけだよ」
進藤に促され、美崎はしぶしぶ読み始めた。
「えっと、招き来る。所有する穢れ。抗う為。神の力……口偏は別として、急ぎ急ぎ律令の如く。なんじゃこりゃ」
「所有は『あらゆる』って意味だな。喼急如律令は陰陽道とかの呪文の定型文。まあ、『急ぎ叶え給え』、くらいの意味かな」
「ということは『神の力に抗うため、あらゆる穢れが招来するよう、急ぎ叶え給へ』ってことか……って、何それ?!」
「そう。あの『おまじない』は、家を守るどころか、家に『穢れ』を招き入れるものだったんだよ」
進藤がおつまみの袋を顔の上でひっくり返し、その残りを口に流し込んだ。
美崎は、気になったことを進藤に聞いた。
「『穢れ』って、汚い、悪いモノってことだよね?」
「ああ、まあそんな感じだ」
「でも、おばあちゃんの家は綺麗そのものだったよ。何か変な生き物もいなかったし」
美崎の疑問に、進藤は腕を組みながら言った。
「そうなんだよ。あの家は不自然なほど綺麗だった。『穢れ』は単なる『汚れ』とは違うのか。それとも……」
2人の会話が途切れ、部屋に静寂が訪れた。
おばあちゃんの家は昔から綺麗に使われていた。それなのに、おまじないで『穢れ』を招き入れようとしていた。
『これは家を守る大事なおまじないなのよ』
おばあちゃんの言葉と笑顔が思い出された。美崎は、それが決して嘘を言っているようにはどうしても思えなかった。