キャシー/キフト公爵
真面目なのも事実だが、ジョージナとすぐ仲良くなったように本来のキャシーは人懐っこい。
婚約者候補である為、彼女からの声掛けは許される行為。だが、こうして彼女からサミュエルに気軽に声を掛けたのは初めてのこと。
今までアントニア達への警戒から、キャシーはサミュエルと話すのにも緊張を強いられていた。
ジョージナが現れたことで肩の荷が下りたらしい彼女の場合、『変わった』というよりも『元に戻った』と言った方が正しいかもしれない。
「折角のジョージナ様とのお茶会でしたでしょうに……上手くいかなかったのですか?」
「……今日の君は随分率直だ。 彼女と仲良くなったと聞いているが」
「ええ。 ふふ、あの方と仲良くなったきっかけも図書室でしたのよ。 殿下がよろしければ、少し庭園にでも花を愛でに参りませんか? 殿下のお好きな花の季節ではありませんが、今の花は今の季節だけ。 盛りのうちは目に入れておくのもよろしいかと」
暗にジョージナへの態度を注意された上に気を遣われてしまい、サミュエルは自分の情けなさに落ち込みつつも、キャシーの厚意を受けた。
「殿下があの方をお望みなのは、誰の目にも明らかですもの。 他を立てることは大事ですが、私のことはあまりお気になさらないで。 苦しいこともなかったとは申しませんが、ここでの日々は得難いもので……私、とても感謝しておりますの」
「キャシー……」
庭園に出るとキャシーは再び率直な表現での会話に戻す。
だがそこから伝わってくるのは、彼女の優しさとこれまでになかった親しみやすさで、サミュエルを柔らかな気持ちにさせた。
培った信頼もあり、サミュエルは問われるままに先程の失敗を吐露するに至る。
「──まあ、それはいけませんわ」
「考えれば当然……というより考えなくてもそうだ。 彼女を前にすると、物凄く馬鹿になっている気がする」
「うふふ」
レスリーは心配していたが、キャシーは彼女が思うよりもっと鈍感だった。矜持の高さのせいもあって、全く自身の想いには気付かない。
今までの彼ならしないあまりに軽率な粗相に、シュンと項垂れるサミュエルが可愛らしく、なにか力になってあげたいと単純に思うだけで。
「そうだわ、殿下。 ジョージナ様に爪紅を贈るのは如何ですか?」
「爪紅を?」
「ええ。 流石に殿下のお色とはいきませんが、爪紅なら問題なく身につけて頂けますわ」
「! 成程……!」
嬉しそうな様が微笑ましくてキャシーは思わず笑い、サミュエルも照れくさそうに髪を撫で付けながら笑う。
鈍感なキャシーがひとつだけ気付いたのは、サミュエルと幼馴染みのレスリーをほんの少し羨んでいたのだ、ということ。
いつも彼は王子様らしく微笑むだけで、こんな風に表情を変えて見せるのは今までは彼女の前くらいだったから。
どこまでも鈍感で、それ故善良でいられたキャシーはジョージナに感謝こそすれ、嫉妬にはまるで至らなかった。
──一方のアントニアは、父であるキフト公爵と話をする為に執務室にいた。
「トニア。 これ以上は無理だ、諦めなさい。 ジョセフィン殿が宮廷を退いたとはいえ、ランサムと構えるのは得策じゃない」
娘に請われ、色々手を貸してやっていた父であるキフト公爵だったが、溺愛はしていても決して盲目的ではない。
王家との婚約・婚姻に利がないとは言わないが、公爵家の繁栄も国の安寧ありき。また溺愛しているからこそ、娘の婚姻に利など求めてもいない。
今まで協力してやったのだって相手が格下のスタレットだからで、辺境伯家であるバーセルと敵対するつもりではいなかった。
これが単純に王太子の婚約者の座を奪うだけの闘いならバーセルは兎も角、スタレットの娘を排除するくらい吝かではなかったかもしれないが、そもそもが王家の意向だ。婚約者候補として擁立されている娘に、そこまでのことはできない。
ゲートスケル家の双子を引き込んだのは、いざという時の生贄。
だが一番は取り巻きを置くことで、事を荒立てずに気性の荒い娘を満足させる為だ。
溺愛しつつも娘の苛烈さを不安に思っていた公爵にとって、比較的正々堂々と勝負をできる場に加えてくれたことは有難かった。
なにしろ一介の令嬢風情にできることは限られているし、なにかして疑われるのは娘にとっても、求める愛を得るどころか失いかねない行為だ。
それでもスタレット家の娘には多少の怪我くらいはさせるだろうと覚悟していたが、問題にならない程度で済んだのは幸い。
王太子殿下も上手く立ち回ってくれたので、今までは事なきを得ていた。
娘もそれらがわからぬ程、愚かには育っていないと思っていたのだが、最近は少し度が過ぎる。
(ここにきて面倒な真似を)
これだから箱入りの童貞は──娘自身が一番の問題であることを棚上げし、公爵は内心でそう毒吐き舌打ちした。
なにしろもう後一年程だったのだ。
選ぶのが誰かはわからねど、選定に落ちたところでいい相手との縁と慰労金が舞い込むだけ。
その際娘の説得には多少苦労しても、愛情の有無というより僅差の判定負けだとするなら慰めはきく。
敵に手を出しづらいからという前提はあったにせよ娘も努力をしており、選ばれる可能性もそれなりにある──筈だった。
ジョージナが来るまでは。
「ええ、ええ、お父様の仰る通りかと」
てっきり更なる苛烈な妨害の要請の為に現れたと思っていた公爵だが、意外にも娘は柔らかく微笑んでそう言う。
見目は華やかにして可憐な彼女がそういう表情をすると、まるで妖精のよう。
「……わかってくれたか」
「うふふ、そもそもお父様は私のことを誤解しておいでですわ。 ここだけの話、殿下にはガッカリ致しましたもの。 私、あの方の伴侶になるなんてもう嫌ですのよ?」
しかも意外なのは表情だけでなく、その返事もだった。そもそも別の理由でやってきたらしい。
「そうなのか? しかし──」
「ランサム嬢への今迄のことは、突然加えられた婚約者候補に対して思うところがあったからです。 だって、故ジョージナ様に瓜二つとはいえ、別人ですのよ? 私達五人が数年の月日を掛けて切磋琢磨している中に、それもあと一年というところで、ポンと入り込んできたんですもの」
「それはそうだろうな」
「ちょっとした試験のようなモノを与えて駄目なら、それはやはり向いてなかったという証左です」
結果、ジョージナはクリアした。
だから彼女に対してもう思うところはないが、サミュエルに対してはあるらしい。
「殿下の見る目だけは認めるにせよ、それ以外には失望しましたの。 定められた期間の王太子妃教育は表向き続けますが、選出からは辞退する旨を予めお伝え頂きたいわ」
「ふむ……」
このままいけばジョージナで決まりだろうが、サミュエルには教育のし直しが必要だ。
実質的な抗議行動ではあるものの、誰も損はしない。
表向きには離脱しないので王家の体面も守られるし、内示を出すことで、アントニアには先行していい相手との縁組が整えられることになる。こちらから断ることで、自尊心も傷付かない。
「……よく判断した。 ふっ、父はトニアをまだまだ子供だと思っていたようだ。 しっかり殿下の問題についてもお伝えしておこう」
「うふふ、ありがとうございます」
こうして王太子妃の選出は、アントニアの意外な離脱を以て平和的解決を迎えようとしていた──
かに、見えたのだが。