恋する青年
──ふたりのジョージナなんて存在しない。
あれは、セラフィーヌの知るジョージナ・ランサムだ。
信じられないけれど、そうなのだと思う。
「誰よりも王妃として相応しいのは君だ、セラ」
「レニー……それは貴方が王だからだわ。 貴方が隣にいてくれたから」
(……ならばこそ、だ)
長く王都から離れていたレナルドが王宮へ戻ったのは、前王妃が倒れたと報告を受けた後のこと。
ジョージナをそこまで知らないからこそ、彼は気付いていた。
セラフィーヌの言うことは正しいが、きっと間違っている。
あれがセラフィーヌの知るジョージナ・ランサムだとしても、最早その容姿と能力を備えただけの、別の女でしかない。
(あの娘が如何に王妃たる資質を持とうとも、依る辺なくしては王妃足り得ぬ)
サミュエルは善く育ったが、アレは支えてもらう側だろう。双子を抜かした候補者のどの娘も決して足りてはいないものの、それぞれ代替になり得るなにかを持つが、ジョージナにそれを求めるのは難しいように思う。
(サミュエルが成長するならば──)
可能性はないでもない。
思慮深く育ったと思ったものの、初恋に惑い初手で失敗している息子に対する評価は、精々その程度だろう。
(……幸い、時間はある。 なにも起こらなければ、の話だが)
レナルドはジョージナという娘の今後を憂いながら、言葉を心の内に留めた。
事実、サミュエルは浮かれていた。
ジョージナへの嫌がらせは間接的であり、いつも上手く対処してしまうだけに問題として挙がらなかったのも悪く作用した。
それでもジョージナが報告をすれば違っただろうが、彼女はそうしなかった。
報告をして誰かが罰せられるのも、報告を信じて貰えないことも嫌だった。それは末端への同情や王宮で働く者達への不信感などではなく、なにかもっと漠然とした不安から。
婚約者候補としてサミュエルとの交流の席に呼ばれ、赴いた王宮。
現れた案内の侍女に、柔らかな微笑みで名前と今日の場所を尋ねるだけで、充分な牽制と判断材料になることをジョージナは知っている。それでも違う方向へ進もうとするなら、足を止めて場所と名前を改めて確認し、ジョージナが誰かを含めた今日の仕事を相手に問うて確認させる。あくまでも、優しく優雅に。
買収された程度なら、これでも暴挙に出れる者はまずいない。多少幅を利かせようと、王宮でできる初手は所詮この程度。
どこかへ引き摺り込むのはリスクが高く、こちらが誘導さえされねばどうということもない。
(気持ち悪い)
しかし、ジョージナの自分への違和感は強くなっていくばかり。
もういっそ、罠に乗ってしまおうかと考えたりもした。どうせ待っているのは不貞の罪を被せ、純潔を奪うとかなのだろう。抵抗したように見られない為、媚薬を使うつもりならきっと苦しくはない。
だがそれもできなかった。やはりそれ自体というよりも別の不確かななにかから、漠然と恐ろしく感じてしまって。
「ジョージナ!」
本来少し遅れてくる立場のサミュエルは、既に茶会の場で待っていた。待ちきれなかったのは明らかで、侍従と目が合うと僅かに苦笑される。
日々過ごす中で、サミュエルへ抱く感情も緩やかに変化していた。
報告がなされていないとはいえ、なにも気付かない様子でこうして好意を向けてくるサミュエル。初恋の熱に浮かされた彼は、王太子という立場がなければあまりにも凡庸な、ただの青年のよう。
だがそれが、僅かな安堵を齎しジョージナをほんのり温かい気持ちにさせる。
彼は綺麗だ。
その一方、サミュエルに感じていた恐怖と不快感は拭えたわけでもなく、不安定にかたちを変えてより強くなってもいた。
それは彼自身というよりも、そこに着いて回る。強い日差しが作る濃い影のように、離れることなく。
「ジョージナ、次の夜会は君をエスコートする。 残念ながらドレスを贈ることはできないが、なにか目立たない物でいい、贈る許可をくれないだろうか」
複数の候補者を立てているだけあり、令嬢同士の対立への懸念と選定後選ばれなかった令嬢への配慮から、装飾品を贈ることは互いに許されていない。エスコートも順番で、その際に王太子は相手の色をさりげなく取り入れると決められている。
令嬢側は任意ではあるものの、あからさまに纏わないようにと言われている。
勿論アントニアは守っていないけれど。
「殿下、それはいけません」
「そ、そうか。 そうだよな……すまない」
(断られて当然だ。 むざむざ彼女を危険に晒す気か? ああ……参ったな)
唯一の子であり男児として生を受け、プレッシャーと周囲の圧の中で育ったサミュエルにとって『国王陛下に似て思慮深い』という自分への評価は、本当の父親ではないが敬愛するレナルドと繋がる特別な褒め言葉であり、自信と支えになっていた。
なのに、ジョージナの前だと上手くいかない。
(思慮深いどころか短慮そのものだ)
レスリーにも言われたし、自覚もある。
反省はしているというのに、全く活かされない。実感として危機感を抱けていたなら違ったかもしれないが、幸か不幸かジョージナを想う時の彼は『凡庸な恋する青年』でしかなかった。
本当はせめて王宮の入口まで送りたい、という気持ちを我慢して、通例通りにジョージナより先に席を立つ。それでも彼女と過ごせたことに幸福感が押し寄せてくる。
そんな自分への戒めに、なるべく幸せを噛み締めないようにともう何度目かのひとり反省会をしながら、サミュエルは意味無く王宮内を歩いた。
「はぁ……」
「──殿下?」
人気がないと思って入った図書室で、出会したのはキャシー。
「失礼、溜息が聞こえたものですから」
そう言って、彼女はふわりと笑った。