レスリーとキャシー/苦悩
「ジョージナ様、少しご意見を窺っても?」
「ええ」
「……」
「あら、レスリー様。 ご機嫌よう、殿下とのお茶会はもう?」
「ああうん……それより、ふたりはいつの間に仲良くなったの?」
キャシーが、知らぬ間にジョージナに懐いていた。
なんでも出入りの自由が許されている王宮内図書室で彼女と会ったらしく、与えられた課題の資料となる本を探していたことがきっかけで打ち解けたという。
「ジョージナ様はとても本にお詳しいだけでなく、博識ですのよ! 調べていた事柄から紐付けて、まだ気付かなかった必要となる別資料まで探してくださいましたの」
「博識なんて。 たまたま記憶にあっただけですのに」
(『たまたま記憶にあっただけ』か。 なんだか妙な言い回しだな……)
「話が弾んでいるようだが、私も仲間に加えて頂きたいな」
彼女の言葉に違和感を覚えつつも、いい機会だからと、レスリーはジョージナを自宅へと誘うことにした。
「殿下との茶会は思うように飲食ができなくて。 いつもキャシーを誘って家でお茶をし直すんだ。 ランサム嬢、貴女も是非お招きしたいのだが、如何だろう。 この後ご予定は?」
「特にございませんわ。 ご厚意、有難く頂戴致します」
話してみると確かにジョージナは博識で、大人しそうに見えて物怖じしない。かといって出しゃばることはなく、さりげなく会話を回し上手く相手を褒める。
所作もとても美しい。
(驚いたな、非の打ち所のない淑女じゃないか)
レスリーは一目惚れなどと吐かすサミュエルに『所詮は見た目か』と実は呆れていた。
だが見た目の美しさに違いはないが、『所詮』と言うべきものではない。確かに彼女の容貌は整っているけれど、輝かせているのは品良く滲み出る知性。
五人の令嬢もタイプは違えどそれなりに美しいというのに、着飾った夜会でもない場所で一目で見惚れ、今までの令嬢達の献身や立場を無視する程に心を奪われ、我儘を言っただけのことはある。
「そろそろ失礼致します。 今日は──」
「ランサム嬢」
「?」
「アントニア・キフト公爵令嬢には気を付け給え」
「え?」
「レスリー様……」
驚いた様子を見せたのはほんの数秒で、ジョージナは先程と同様におっとりと微笑む。
「心得ました」
「私もジョージナと呼んでも?」
「是非」
優雅なカーテシーで帰る彼女の背中を見送り、部屋の扉が閉まった。
「キャシー……ごめんね。 君の努力を見ていたのに」
「いいえ、レスリー様。 仰って下さって良かったと安堵しております。 どうすべきか悩んでおりましたので」
キャシーがアントニア達からの嫌がらせに折れずにいたのは、レスリーの厚意と、それに甘えるしかなかったからでもある。
安堵したのは解放されるからではなく、自分からジョージナになにかを言うのは、レスリーのこれまでの配慮と期待を裏切るような気がしていたから。
「これからも変わらず頑張ります。微力ですが今度はあの方のお力になれるように」
「……そう。 そうだね」
心からそう口にしているであろうキャシーを見て、レスリーはその鈍感さに安堵しつつも胸を締め付けられる気持ちでいた。
(これからも変わらぬ献身なんて)
そう思いながらも口を噤む。
早く婚約者の選定が終わり、キャシーが別の好い人と結ばれてしまえばいい。
願わくば──どうか、彼女がずっと自分自身の気持ちに気付かないうちに。
「ジョージナ、今日はどうだった?」
「ふふ。 お爺様、お友達ができましたわ」
「……どのご令嬢だね?」
「レスリー・バーセル辺境伯令嬢とキャシー・スタレット侯爵令嬢です」
「そうか」
今や祖父となったジョゼフィンは、ジョージナとタウンハウスに残ってくれていた。
養子となった公爵夫妻とも少しずつ交流しているが、普段の物理的距離のおかげもあり、意外と良好な関係を保っている。
「共に研鑽なさい」
「はい」
会話中の微妙な間と表情の変化から、レスリーの懸念は既に把握済だとわかる。実際行き帰りの侍女や警備の騎士達の実力は充分で。
アントニアがなにか仕掛けてきたくとも、難しいだろうと感じる。
なにかするとしたら、王宮での婚約者候補の勉強会などの集まりか夜会だろう。
(──おかしいわ)
婚約者候補となった為に通っている王宮で、今のところ危険な目には遭っていないものの、既にいくつか嫌がらせを受けている。
買収されている侍女が数人いるらしく、時間や場所の指定や案内は嘘ばかりだ。
だが、感じている違和感や不快感はそれではない。想定し、対処できる自分に。
どうしてこんなにも冷静でいられるのか。
それを考えている今の方が、余程冷静ではない。
それにサミュエルにも。
彼はあんなに優しくしてくれているのに、何故か拭えない不快感と恐怖。
記憶のない時に男性になにかされたのでは、とも疑ったが、検査結果で身体的問題はなにもないと判明しているのだ。
そこには当然、純潔であることも含まれている。不明瞭な場合、相手は王太子……たとえ候補であれ許されなかった筈だ。
(私は誰なの)
導き出される答えはひとつしかないが、それはにわかには信じがたく、また信じたくもない。
答えが当たっていたとしても、その記憶は感覚的なモノとただの知識でしかない。
かつての自分にあったかもしれない矜持や覚悟どころか、自分を納得させるだけの諦念すらなかった。
動かしているのは自分の筈の身体も思考も、拠り所のない不確かなナニカで支えられている。
感情はぐちゃぐちゃでおかしくなりそうなのに、口元は穏やかに弧を描く。
それはジョージナに取り乱すことすら許してくれないのだ。
(助けて……!)
与えられた自室の姿見を小さく叩いて、ようやくジョージナは少しだけ泣いた。
早く誰かが迎えに来てくれるのを、待ちながら。