夏至の夜の終わり
「行かないの?」
「ああ……うん、」
夏至祭りの夜。
レスリーはここに来て、『キャシーの元には行かない』という選択をしていた。
行ったところでなにもできなかったであろうことを考えれば、賢明な判断と言える。
だがそれを促したのは、少年に促されて広場の方を見た際、遠くに見えた村人と話すエディの姿だった。
会話はすぐに終わったようで、相手は広場の方へ。彼は件の酒場の方へと向かっているようだった。
元々今日、自分はキャシーの為にここに来たわけではない……そう思い出し、何故か安堵していた。
「祭りはもういいかな……それより預かり賃はおいくら?」
祭りに参加できない少年の為に、言われた金額より少し多めに金を渡す。
「えっ……?!」
「余りは働き者へのご褒美。 ああ、これもあげるよ」
ついでに街で少女から購入したブレスレットも。気が変わって森になど行かないように、という気持ちから。
「気になる子にでもあげて、揃いでつけるといい」
「……そんなのいないよ」
仄かに苦い想いが胸を掠めたものの、そう言って口を尖らせながらも、誰かを思い出したように頬を染めた少年の微笑ましさに塗り替えられた。
少年のお陰で、気分よく酒場へと向かう。
酒場は祭りの日らしく賑わっていたが、メインはこの日の為に特設されているテラス席のようだ。
ガーランドとランタンで飾られた空間には、女性や子供もちらほら。普段はメニューにないような食事が古びたガーデンテーブルの上を飾っている。
どうやら広場に近い場所な為、場所を貸しているだけのよう。
賑わう横をすり抜けて開放された扉の中には、男性ばかり。いくつかのグループでそれぞれ賑やかに酒を楽しんでいるのが見える。
おそらくは普段とそう大差ないのだろう。違うのは、端のテーブルに王国騎士団員らしき人間達がいることくらいか。
パッと見で女性とわからない程度には小汚くしているレスリーだが、なるべく中の客に気取られないようにさり気なく店内へと入る。
エディはいつもの席にいた。
「やあ」
「──!」
声を掛けるとエディは驚いた顔を見せた後、「はは」と小さく笑い、少し気まずそうに顔を背ける。
「本当に来るとは思わなかった」
「ご挨拶だな」
「すまん……いや違うんだ、ああ、参ったな」
顔を逸らしたまま、彼は後頭部をわしゃわしゃと撫でた。
少し気分を害したレスリーだったが、揺れた癖毛気味の髪から出た、エディの耳が赤いことに気付いて機嫌を直す。
どうやらただ照れ臭かっただけのようだ。
「……来てくれるといいな、とは思っていた」
「ふっ……くくっ」
「笑うなよ」
店内奥は相変わらず薄暗くて最初はわからなかったが、エディは前回生やしていた無精髭も今回は綺麗に剃っていた。
「前に会った時よりこざっぱりしてるが、祭りだからかい?」
「祭りだからっていうのは間違いでもないが、それに関係した仕事でちょっと街まで出ててね。 街はこの村以上の賑わいだ、いつもの小汚ねぇ格好じゃ破落戸と間違われちまう」
「ふふ。 無精髭がないだけでも随分若く見えるよ」
「見えるだけでなく、若いんだよ……村ではまだ、それなりに」
レスリーが酒を頼み、それがくるとふたりは小さくグラスを鳴らし、乾杯する。
二回目だからか祭りの夜だからか、それとも緩い冗談を交わしながら会話が始まったのが良かったのか。
ふたりは他の客よりも静かながらも、楽しく時を過した。前回のようなアンニュイな空気はまるでなく、酒を呑んではくだらない話に花を咲かせた。
それは特に有益でもなく、どちらかというと無意味で。
だが特別な時間だった。
「──そろそろ帰らなきゃ」
今夜、レスリーは入る前に根回しをしておらず、護衛もついていない。
街や宿まではどうしても自由にはならなかったが、無理矢理自由時間をもぎ取ってここにいる。それだけに、他の祭りを楽しむ者のように一晩中とはいかなかった。
「ああ……そうだな、もうこんな時間だ」
相手がやんごとなき血筋の女性だとわかっているエディが、彼女を引き留めることはない。
「送ろう」
「……いや、大丈夫さ。 今夜は」
「そうか……そうだな」
今夜は自警団や警邏隊がそれぞれの街や村を巡回、それらを繋ぐ道に配備されるなどし、事件や事故の警戒をしている。
そういう意味でも特別な夜であり、そうでなければ流石に、多少の目溢しは受けても一人で夜遊びなど許されなかっただろう。
結局、ふたりは互いに名も名乗っていない。
スマートに勘定を済ませると、まだいつもより賑やかな店内を入った時同様にさり気なく出て行くレスリー。
それを席に座ったまま見送るエディに、店主はグラスを磨きながら尋ねた。
「いいのか?」
「……ああ」
「格好つけやがって」
「今夜会えただけで充分な奇跡だ」
店主はフンと鼻を鳴らし、「臭ぇこと言いやがる」とボヤく。イヴリンにも『貴方詩人だったのね』と揶揄われたことが過ぎり、エディは苦笑した。
彼女から貰ったオルゴールは、タイミングがなくレスリーには渡せないまま、古ぼけた鞄の中に入れっぱなしになっている。
なんとなく持って帰るのは憚られ、置いていくつもりで取り出す。リボンを解き、サンプルで箱がない代わりに緩衝材が内側に入った、綺麗な袋からも。『店のどこかにでも飾ってくれ』と、そう言うつもりで。
しかし──
「!」
「……おっと?」
テーブルに置いた途端、まだネジも巻いていないのにオルゴールが鳴り出した。
ダンスを踊る男女の人形がクルクルと回る。
「ふっ……まだ夏至祭りは終わってないってよ、エディ。 行ってきな、ここはツケとく」
「格好つけやがって」
先程食らったばかりの台詞をそのまま返しながらも、エディは既に席を立っていた。
「馬鹿、俺は格好いいんだ」
店主がそう返した時には既に姿は見えず、その速さに彼はくつくつと笑った。
「……あのッ!」
「──」
エディがレスリーの姿に追い付いた時、彼女はもう馬に乗る直前で。
驚いた顔をして、振り返った。
「なに……どうかした?」
「……いや……やっぱり、送らせてくれないか」
「え……」
「送りたいんだ」
レスリーは言葉に詰まってしまい、頷いて答えた。
ほんの少し前まであんなに喋ったのが嘘のように、互いに言葉が出てこないまま、ふたりは夜の道を歩く。遠くに聞こえる喧騒と、馬の蹄音が長閑に響く。
レスリーが特になにも言わないのをいいことに、エディは馬を借りなかった。
少しでも長く一緒にいたくて。
「──さっき、」
「うん?」
「アンタを呼び止めるのに困った……名前を聞いてもいいだろうか」
駄目に決まっているとわかっていたのに、都合よく理由付けができたせいで、ウッカリ──いや、とうとう口にしてしまった。
それは子供の時分から大人の社会に接し、非常に弁えていた彼にしてみればあまりにも自分らしくない、分不相応極まりない行為で。
口にしてしまったことに動揺し、レスリーの顔を見た時同様に、顔を背け後頭部を撫でる。
「ああ、いや……失礼なのはわかってる。 忘れて──」
「確かに失礼だな」
「すまな」
「名を聞く時は、自分から名乗るものだ」
「──」
「……そうだろ?」
(私はもう知っているけどね、エディ──)
おそらく彼は、自分が貴族であることに気付いている。そのことは前回から感じていた。
弁えた人であることも。
だから今夜も名前を聞かなかったし、名乗らなかった。
だからすんなりと、ただ見送った。
それをどうして土壇場で覆していくのかわからないが、不快どころかジワジワと込み上げるような温かい気持ちが溢れている。
何故か胸が詰まって、少し苦しかった。
レスリーは家名は伏せて、名前だけを名乗る。偽る気はなかった。
「じゃあ、ありがとう。 エディ」
「ああ……レスリー、また」
お互いに名乗ったが、名前を呼び合ったのはこの一度のみ。
エディはやはり弁えており、前回のように任意の誘いすらせず、別れの挨拶はほんの僅かに再会の期待を滲ませるだけで去っていく。
エディがレスリーの家名を知ったら、今の様には接せなくなるだろうし、レスリーの自由な期間も終わりが近く、だからこそ許された今回の我儘に、同じような次などない。
そろそろレスリーも、身の振り方を決めねばならなかった。
ふたりが再び酒を酌み交わす……そんな未来がくる可能性はきっと、とても低い。
それでも。
(また……会えるといいな)
レスリーはそう思う。
短く神秘的な夏至の夜が終わる。
なんの変哲もない、いつもの夜明けと共に。
※本編はここで完結です。
でもあと一話あります。