感謝
「貴方をお待ちしていたのですもの」
そうルパートを迎えた記憶──夢のあの部分が、何故俯瞰だったのかをジョージナはもうわかっている。
思い出したくない記憶だからではなく、思い出してはいけなかったのだ。
あの時のジョージナの気持ちを完全に理解し同期してしまったのなら、おそらくもっと無茶をしていたに違いない。
蛇の青年は暫く眠り続ける必要があった。それより早く目覚めてしまったジョージナには、どのみち待つことしかできなかったというのに。
だから、人でいなければならなかったのだ。
あのひとを、待っている間は。
「あれがルパート殿下ならば、ジョージナ様もやはり……20年程前に消えたジョージナ・ランサム元公爵令嬢……」
「……そうよ」
蛇の人。
『夏至祭りの女王』。
サミュエルにそっくりな男が、彼の父ルパート。
最早、『記憶を失って現れたジョージナそっくりな女』が、『かつて失踪したジョージナ』であったことに、疑問を抱くことなどない。
想像していなかったキャシーですら、あれがルパートだとわかった以上は『そう考える方が自然である』と思う。
それだけで充分だった。
既に理解の範疇を超えている。
どう身体を維持したのかとか、そんなことはわからなくていい。
「ジョージナ様がご自身の記憶を思い出されたのは、おそらく視察で一緒に泊まったあの夜だったと……王妃様はいつから、なにをどこまでご存知だったのでしょうか」
「貴女の言う通りよ。 あの後、彼女が一度だけ王宮に来た時に、過去の記憶のことを話してくれたの」
王妃はなにを語るべきか、慎重に選んで言葉を紡ぐ。一部、微妙に答えをずらしたが、嘘は言っていない。
ジョセフィンと共にやってきたジョージナだが、起こった事件が事件なだけに、ジョージナは王妃と、ジョセフィンは国王とそれぞれ別室で話をした。
その際、王妃は以前に記憶を引き出したことや、過去のことを含め謝罪したのだ。
できることはなんでもするつもりで。
それはやはり身勝手な行為だけれど、結果としては良かった。ジョージナは王妃に対し一切の悪感情を抱いてはおらず、強く謝意を示したことでこれまでのことを語ってくれたのだから。
キャシーに申し訳なさと感謝を抱いていても、それはジョージナにもある。
このふたつは同じようでいて、全く別だ。
きっとジョージナにはどうでもいいことだろうが、王妃にとっては大事なこと。和解したからといって、決して忘れてはいけない。
この場で駆け引きをするつもりなどなかったけれど、キャシーの質問以上のジョージナのことを暴露するつもりもなかった。
あたかも今が告解の場であるかのように懺悔をするとしても、それは王妃自身のことだけでいい。極力、そうあるべきだ。
だがジョージナの不名誉な話については否定しておかねばならない。せめて、ここだけでも。
「ルパートは婚約を破棄し、ジョージナ様を表舞台から引き摺り下ろした一方、彼女に執着をしていたの。 失踪したジョージナ様が故人扱いとなっても彼だけは諦めず、秘密裏に探し続けていた」
「それは……」
全く知らなかった話だった。
まだキャシーはこの世に生を受けていないけれど、ルパートがジョージナにしたことは聞いている。
婚約者のジョージナとは不仲であり、当時侯爵令嬢だったセラフィーヌを寵愛していたが、明らかな不貞行為には及ばず、また公の場では婚約者としての勤めを果たし、決してジョージナをあからさまに蔑ろにはしなかったそう。
勿論全てが真実とは思っていなかったし、その善し悪しの判断は難しい。
だが、愛情はないものと思っていた。
王妃に嘘を吐く理由がないことから、今語られたことが事実という前提で考えるべきだろう。
ルパートが非常に聡明で早逝が惜しまれたことは間違いないだけに、それが事実であるなら、婚約破棄で問われたジョージナの罪やその処遇にも疑念を抱かざるを得なくなる。
(どんなお気持ちで私に話してくださっているのかしら……)
だがキャシーはそれが気になり、軽率に問うことは出来なかった。
キャシーの知るジョージナがかつての彼女と同一人物ならば、当時はかなり比べられたに違いない。ルパートに寵愛され、選ばれたという自負は支えとして大きかった筈だ。
それが全て、ジョージナへの歪んだ愛や執着心からだったとしたら、あまりにも酷い。
押し黙ったキャシーの気持ちを察し、王妃は微笑む。優しい娘だ、と改めて思う。
しかしまずこの話で大事なのは、当時の王妃の気持ちではない。
「野盗に襲われたのは事実で、奇跡的に助かったジョージナ様は、ようやくルパートからも逃げられると思った。 なのに彼は諦めず、捜索の手は近くまで迫った……それで彼女は仕方なく人に非ざる者に救いを求めたのでしょうね」
ジョージナはルパートが夏至祭りの夜に迎えに来るよう上手く手を回し、やってきた彼を唆して湖に向かった。
そしてルパートは、女王に囚われたのだ。
ジョージナは王妃に全てと言っていいくらいの経緯の凡そを語ったけれど、自身の心情については然程吐露してはおらず、王妃は推測としてジョージナの心情を語った。
推測なので嘘とは言えないが、実のところ王妃はそれが行動原理であったとは全く思っていない。
精々『そういう面も多少はあったかもしれない』くらいのものだが、それでもジョージナの悪意としては伝えたくなかったのだ。
だがそれを伏せても、充分キャシーには恐ろしい話だった。
「ジョージナ様は……サミュエル殿下にもそれをしよう、いえ、私にさせようと?」
想像はしていたけれど、いざ口に出すと尚更恐ろしく感じ、キャシーは青ざめて震えた。
「キャシー……ジョージナ様、いえジョージナが貴女に伝えたのはきっと、ただの善意からよ。 貴女がそれを望んでいないとわかったから、助けてくれたのでしょう」
「ですが……!」
「ごめんなさいキャシー。 悪いのは私とルパートだわ。 謝って済むことじゃないけれど、本当にごめんなさい」
ジョージナが語った数少ない心情で、彼女はルパートと瓜二つなサミュエルに怯えていたと言う。
元々のジョージナの気持ちを知らなかったとはいえ、王妃は自分が良かれと思って彼女を王太子妃候補に加え、後悔していることのひとつがコレだ。
だが王妃の一番の罪は、これではない。
「キャシー……貴女達のことに関しては、わかってて止めなかった私が悪いのよ」
「──」
そう、王妃はわかっていたのだ。
なのに、止めなかった。
そのことに今更のように気付く。
「王妃様、は……」
「キャシー…………
サミュエルを見捨てないでくれて、ありがとう」
この特別なサロンの席に、座ったばかりの時と同じことを王妃はキャシーに言った。
今度は深々と頭を下げて。
──セラフィーヌはルパートを愛していた。
だが公務と閨だけでしかルパートと会えない日々……その最中、彼は優しかったけれど、無意識のうちに告げられた他の女の名前に、気持ちはいとも呆気なく霧散してしまったのだ。
そんな時、優しくしてくれた王弟殿下に心が移るのは、あっという間だった。
決して不貞などは働いていない。
だが、ルパートの失踪により死亡とすることが決まった際、セラフィーヌは内心で歓喜してしまっていた。
だから彼がどうなったのか、ジョージナの記憶を知っても、セラフィーヌは彼女を責められない。
──感謝こそすれ。