サミュエル
サミュエルの足には蛇の噛み跡のようなモノが残っていた。
おそらくあの薬は解毒剤──血清による抗毒薬の投与ような効果を齎したと考えられた。
薬瓶は残っていたけれど、キャシーは調べさせなかった。
きっと、思うような結果が出ることはない、そんな気がして。
サミュエルが倒れた理由が蛇の毒で、ジョージナから貰い受けた薬がその解毒剤だったという確信はあるが、通常蛇毒の血清投与は注射で行うもの。
なによりアレが人でも蛇でもないなにかであることは、彼女自身がハッキリと目にしているのだから。
──あの後。
ふたりが目を覚ましたのは、あの小さな家だった。
ベッドではなく重なるように床に倒れており、先に目を覚ましたサミュエルが身体を起こしたことで、キャシーも目を覚ました。
自分の無事な姿を見て、子供のように声を上げて泣くキャシーに愛しさを募らせながら、サミュエルは妻を抱き締める。
その一方、彼はいまひとつ状況がよくわからないようでもあった。
それは、その声に慌てて扉を叩いた護衛騎士も同様で。彼や近くで警護していた騎士達は、ふたりが家を出入りしたのを誰も知らなかった。
だが、ふたりの服は土で汚れており、髪の毛には草もついていた。
寄り添うように、密かに、ふたりは森を抜け、街の宿まで戻った。
夜通し行われる夏至祭りに、村の賑わいは消えることなく。どれくらいの時が経ったのかは、よくわからないまま。
湯浴みをして一息ついた後、キャシーはなにをどう話すか迷っていた。
まずサミュエルがどこまでなにを見たかわからない。話はそこからだった。
「……あまりなにが起こったか覚えていないんだ」
サミュエルはそう言ったものの、その前の思案げな表情から、キャシーはそれが嘘だと感じた。彼もそれを察したらしく、苦笑を浮かべる。
「悪夢をみた、それでいいと思っている。 つまらないこだわりで君を煩わせたが……本当は、もう以前からどうでも良かったんだ」
「──そ……そうなのですか?」
「言えなくてごめん、その……」
「?」
サミュエルは言い淀んで真っ赤になる。
「ジョージナの代わりだとか、忘れる為だとか……に、肉欲に負けて抱くのだとか思われたくなくて……」
そう小声で言ったあと。なにか吹っ切れたのか、これまでの胸の内を吐露し続けた。
それはジョージナに関係するものもあれば全く関係しないものもあり、概ねは格好つけで、みっともないもの。
だがそれらはキャシーにしてみれば、自分への愛の告白そのものだった。
大変格好悪い告白をした彼は、その羞恥に顔を乙女のように両手で隠し、俯いた。なにかを返す隙もなく話され、当初は呆気にとられていたキャシーの顔もじわじわと熱くなっており、もうその頃には彼女の顔も真っ赤だった。
話す為にか、サミュエルはキャシーの向かい合わせに座っており、それがまた初々しい。
そんな今の物理的距離もあり、いつもの彼なら『伝えられれば、今は』などと、紳士的であり消極的でもあることを吐かしていたところ。
だが顔を上げたサミュエルは、意外な行動に出た。
思い立ったように立ち上がりキャシーの隣に座ると、およそ彼らしくない強引な仕草で妻に迫り、愛を乞うたのだ。
キャシーは思いがけない夫の言動に驚き、戸惑った。けれど破れんばかりに早鐘を打っている心臓と上がる体温に、頭が回らない。
それがときめきなのだと理解したキャシーがサミュエルを拒むわけなどなく──
ふたりはこの夜、ようやく正しく夫婦となった。
翌朝のベッドの中。
他愛ない会話を擽ったい感じで交わす中、キャシーは恥じらいながら意外だったサミュエルの行動について触れる。
彼は愛しげな目でキャシーを見つめ、柔らかな頬を撫でながらこう言った。
「君のものになりたかった」
それはまるで乙女のような台詞で。
希うようなそれに、余韻だった熱が再燃し思考は途切れた。
だがその言葉はキャシーにとって『やはり殿下は覚えていたのだ』と感じさせてもいた。
イヴリンを先駆けとし、この国の女性の地位向上や社会進出には、まだ目が向けられ始めたばかり。サミュエルはとりわけ女性に優しい方ではあるが、本来この言葉のような感覚を持ち合わせてはいない。
妻は、夫に所有されるモノ──わざわざ言葉にはしないが、この国の一般感覚としてはこう。妻の尊厳を守り、大切にする意味でキャシーに『抱かない』と言ったサミュエルも、おそらくそうだった筈だ。
それとは真逆のこの発言。
この発言の意味や理由を推測するならいくつも思い付く。そのあたりは不確かだが、考えの変化を齎した事象だけはハッキリしていた。
湖での光景──自分そっくりな男が、美しい女と踊っていたこと。
『悪夢』という単語を発したことからも、サミュエルが恐怖したのは間違いないと思う。単純に、自分と同じ顔の人間が踊っているだけで衝撃ではあったろう。
彼がどのようにあれを解釈したのかは、本人が語らないのでよくわからない。
ただ『あまり覚えていない』『それでいい』と言って切り捨てた声に迷いは感じず、どうも彼はそれでいいようだった。
だからキャシーも、もうこれ以上彼に尋ねるつもりも、あの夜のことを話し合うつもりもなかった。
──話す相手は、別にいる。
束の間の新婚旅行を楽しんだ王太子夫妻は、そのまま公務として整えられた旧道を通り、顔見せと挨拶の為辺境へと向かう。
辺境へと嫁いだ、王妃の姉であるレスリーの母は、男児をふたりと女児ひとりを立て続けに産み、その後も少し時を経て男女と、合計五人の子を産んだ。
個性は強いがどの子も健やかに育ち、家族仲もいい。兵を介して領民との繋がりが強い辺境伯家で、評判の良い子供達の存在はそのまま母の功績となっている。
ルパートの婚約破棄と婚約者の変更、そして王家に訃報が続いた中。王妃セラフィーヌがそれでもなんとかやってこれたのは、現夫である国王レナルドと、姉のお陰で得た辺境の後ろ盾が大きい。
王宮に戻ったふたりが、まず公務の報告の為に赴くのは、王妃のところ。
そこで案の定、キャシーは王妃に茶の誘いを受けた。
やはりヒロインはサミュエルに違いない(確信)




