王太子夫妻
婚姻式とパレードが行われたのは婚約者選定後、再び春が来てすぐ。
ジョージナが離脱してから約一年後のことになる。
王太子夫妻の初夜の晩。
ふたりきりになった夫婦の寝室で、キャシーの夫となったサミュエルの表情は緊張で堅かった。
だがその緊張が別の意味からなのは、扇情的なナイトドレスを身に纏った妻キャシーを見ないように顔を逸らし、まずブランケットを優しく被せたあたりからもわかる。
「キャシー、私は君を大切に思っている……だが」
「殿下……」
サミュエルの言葉に嘘はない。
婚姻式で立てた誓いにも。
ジョージナが現れる前からキャシーのことは好ましく思っており、元々彼女を妃に選ぶつもりでいた。
サミュエルはジョージナに心奪われたものの、そのことで結果としては、以前よりも深い情が育まれたと言っていい。
恋に溺れていた時も、突然失って憤り狼狽した時も、寄り添うように傍にいて支えてくれたキャシーに、サミュエルは深い信頼と愛情を抱いている。
鮮烈だった初恋のジョージナへ抱く気持ちとは違うが、それはむしろ一組の夫婦として、そしてこの国の次代を支えていくふたりとして、却って理想的なかたちとも思えた。
──だが、それとは別に。
ジョージナのことについては、未だにやはり納得できていない。
それは概ね、レスリーと同じ理由からだった。
サミュエルですら事の経緯について、曖昧な報告しか伝わっていないのだ。
ジョージナとは、一目会うことすら叶わなかった。一度だけ来たその日、サミュエルは公務で王宮を離れていた……狙ってのことだろう。
事件の内容からも、なるべく人と会いたくないというのは理解出来る。それだけならば、サミュエルもジョージナを慮って諦めることを最善としただろう。
だがどこかしら、違和感がある。
全てに於いて。
ジョージナは勿論、王妃にも陛下にも。王宮内の空気にも。
そしてキャシーにも。
その違和感は、冷静になるにつれ増していった。
「ああ誤解しないで欲しい。 正直に言えば今もジョージナへの気持ちはあるが、だからどうこうという類のモノではない……どう説明したらいいか難しいけれど」
ただでさえもどかしくなるような心の内。その吐露のままならなさに、誤解をされるのでは、と焦るサミュエル。
「わかっておりますわ」
キャシーはそれを見て、いつものようにおっとりと笑う。
「忘れることはきっと簡単だ、君を抱けばいい。 だけどこんな気持ちで初夜を済ませたくはない」
彼は言う。『女々しいだろうか』と眉を下げる様子も可愛らしく、妻への気遣いを見せて。
未練とは違うが、初恋の女性の鮮烈な恋心が美しい思い出と化すのには、まだ時間が足らない──その喪失感を埋めてくれたのがキャシーだからこそ、初夜にまでそんな真似をしたくはない、と。
それにもやはり嘘はない。
それだけではない、というだけで。
サミュエルも、キャシーがなにかを隠しているのはわかっている。
それが今後の澱として残るのは避けたい。
そのことをハッキリと言わないのは、他の人間は兎も角彼女がなにも語らないのは自分の為なのだ、とサミュエルは確信しているから。
それを尊重しつつも事実を知り、終わらせるべきなのだ。
「──もう少しだけ。 もう少しだけお待ちください」
「キャシー……」
「近々、全てをお話し致します」
その晩、正しく初夜は行われなかったものの、ふたりは寄り添って眠り、サミュエルは朝まで夫婦の寝室から出ることはなかった。
その後の仲睦まじい様子からもキャシーが侮られることはなく、王太子夫妻は恙無く時を過ごした。
その年の、夏至の夜まで。
サミュエルの愚かで微笑ましい初恋を肯定し、力になり、時に苦言を呈したキャシー。
鈍感なキャシーは自身の恋がよくわからないまま、サミュエルの恋をあたかも自分のモノであるかのように、重ねていた。
そんな彼女にとっても、サミュエルの初恋は宝物だ。
──だからこそ。
キャシーは領主邸での夜、なにもかもを見ており、ジョージナは彼女に全てを話した。
全てがどうでもよくなったジョージナだが、結果として上手くいったのは、このことが大きく関係している。
ジョージナを止めることは出来なかったキャシーには、彼女が彼と結ばれ、今後自分達が困らないよう協力する以外の選択肢はなかったのだ。
それはジョージナにとっても、都合が良かった。
もう周囲が取るに足らないモノになってしまったジョージナにとっては、全てを捨てても構わなかったけれど、人としてのなにかが完全に消え失せたわけでもない。
キャシーに話す間、ジョージナはずっと微笑んでいた。今まで見た事のない笑みだった。
それは美しく酷薄で。
キャシーは僅かにアントニアを思い出したけれど、その時のジョージナに比べたらアントニアなどずっと温度があると思えた。
それでもジョージナは、キャシーに優しかったのだと思う。
『殿下がもし、納得されなかったら──』
彼女がこの言葉を、残してくれたから。
キャシーがこの件で、自ら色々語らずに済むように。
それでもサミュエルの、信を失わないように。
──多分。
キャシーはそういう意味の、優しさなんだと思うことにした。
深読みをしてはいけない。
これに関してはしないと決めている。
サミュエルがキャシーを問い質すことなく、こちらを気遣う言葉で尋ねてくれたことは嬉しかった。
貴族という、どこか種族のような枠組みの中で尊重され育ってきたキャシーには、彼がジョージナに向けたような率直な愛情を求める気持ちなどない。
サミュエルの恋愛を微笑ましく、眩しく感じ大切に思えるのも、それが他人事だから。
レスリーが感じているキャシーは幻想……とはいかないまでも、表層でしかない。
根底はそれこそ貴族という種族、という表記が正しく、自然体で強かなのだ。
だから──サミュエルの言葉を嬉しくは感じても、できれば尋ねないで終わって欲しかった。




