消えたジョージナ
ジョージナはその瞬間、無意識のうちに理解した。自分の善性だと思っていたモノがただの保身と欺瞞でしかなかったことに。
それは間接的で、認識するようなことではなかったけれど。
『真実の愛』というものがもしあるとして。
今感じているのがソレならば、全く尊べるようなモノではない。
かつてのジョージナが過去に受けた仕打ちもそれに関与した皆も、その時の怒りや無念さも。
今の自分が受けている厚遇への戸惑いと不信、葛藤の中で芽生えた情と幾許かの好意、善良とは言えない自分の中にも辛うじてある善性なのだと信じていた『せめて酷いことにはならないように』という気持ちも。
なにもかも。
もう、全てがどうでも良くなっていた。
目の前の相手と再会できた歓喜に。
うち震える胸も、痺れる脳も、肉体も心もきっと魂も。
自分の全ては彼の為にあったのだ。
──それから約一年半。
「パレードで見たおふたりはとても美しかったよ。 それこそ……夢でも見てるみたいにね」
レスリーは西の森に面した、小さな村の小さな酒場にいた。
王太子夫妻の婚姻に国は沸いた。
式は荘厳で、パレードでは凛々しい騎士達が夫妻を守るように先導し、美しいおふたりが優雅に微笑み手を振る馬車に、少し遠くから民が投げる祝福の花が王都を彩った。
王家とランセル、スタレットの支援もあって崩れた箇所は瞬く間に直り、今も続けられている諸々の整備工事により、旧道は以前より安全で美しくなっている。
それに一役買ったスタレット家のご令嬢が王太子妃に選ばれたことで、春先に行われた式の日はこちらでもお祭り騒ぎだった──と酒場で声を掛けた男は笑う。
(全く、私はなにをやっているんだろうな)
彼はエディと言うらしい。
名は聞いていないが、レスリーは知っていた。
この出会いは偶然ではない。
今酒場にいるのは自分と彼と、遠方からの客を装った護衛達のみ。
エディは気持ちのいい男で、偏屈そうに見えていい意味で田舎者らしい愛嬌を持ちながらも聡明さが垣間見える。酔うのを楽しみながらもこちらが貴族とわかって必要以上に踏み込んではこず、名を聞くことすらしない。
レスリーは普通に楽しんでいる自分に、僅かに苦笑する。
ジョージナが来てからおかしなことばかりだったが、極めつけがキャシーと共にこちらに赴いた際に起こったこと。
崩れた旧道を確認した後、森側の領主邸で一晩過ごした翌日。
ジョージナ・ランサムは拐かされ、森に連れ込まれて襲われ、純潔を失った。
宮廷医師も確認していること、レスリーもそれ自体を疑ってはいない。
だがどうしてそんなことになったのか。
護衛としての任務に当たっていた騎士達が責任を問われたという話は入ってこず、調べてもなにもわからない……明らかにおかしかった。
事件後にジョージナが登城したのをレスリーは見たことはないが、一度だけ秘密裏に来たという報告は上がっている。
以降は数度ジョセフィンがやって来たが、彼も領地へと戻ったそう。
それからの王宮はまるで、ジョージナなど最初から存在しなかったかのようで。
辛うじて話題に出すのはアントニアと双子のみ。
「箝口令が敷かれているのでは?」
「ランサム嬢の御身に関わることですもの」
双子は神妙な面持ちで言う。
「ふふ、どうかしら? 一体ジョージナはどんな魔法を使ったのかしらね」
アントニアだけが、まるで事件がマジック・ショーであるかのようにそう笑っていた。
そしてキャシーは──
「……やめましょうレスリー様。 ジョージナ様のお気持ちを……それに殿下のお気持ちを考えたら、口にすべきではありませんわ」
やはり双子と似たようなことしか語ってはくれなかった。
それは正論であり優しさと配慮と思える言葉だが、レスリーには違和感どころじゃなく不自然に思えた。
それが優しさであったとしても、あまりにキャシーに似つかわしくない言葉だ。
令嬢が純潔を奪われることは、死に等しい。
少なくともキャシーはそういう考えで育ってきている。だから口を噤め、と注意するのはわかる。
だが、ただでさえ善良なキャシーがこの事態に『殿下の気持ち』を引き合いに出すことなど、今までの彼女からは考えられない。
おそらく、キャシーは知っているのだ。
伏せられている、なにかを。
「──今夜はお陰で有意義な時間を過ごせた……最後に一杯、寝酒に」
レスリーはそう言って、強い酒をショットでふたつ頼み、エディと乾杯した。
肝心なことはなにも聞けていないが、興が削がれていた。今夜でなくてもいい。
「あまりこういうことは言うべきでないかもしれんが、アンタはとても綺麗だ……ああ、口説いているわけじゃない。 身の程は弁えてるんでね」
「ふっ、急になに?」
「……誰かを思い出していたろ?」
「ああ……」
──キャシーは言葉通り、失意のサミュエルに寄り添い、尽くした。
避けられていた一時期がそれこそ悪い夢だったかのように、レスリーとも以前のような距離で微笑むキャシーに悲壮感はなく、代わりにそれまでになかった凛とした強さを感じるようになった。
サミュエルも彼女に支えられ決意を新たにしたようで、思いの外早く立ち直った。
彼のキャシーを見る目には、確かな信頼と愛情が育まれている。
けれど、それとは別にジョージナへの気持ちも区切れてはいないのでは、とレスリーは感じていた。
直接的な当事者ではない自分ですら、納得いっていないのだ。
キャシーを思うと、胸が締め付けられる。
一体どんな気持ちで、サミュエルの傍にいるのだろうか。
「近く、夏至祭りが。 実際に誰かがなにかを体験したという話は知らんが、それに纏わる御伽噺なら沢山ある……良かったら、また。 それなりに賑わう、こんな田舎の村でも」
どこかバツの悪いような表情で、そう言うエディを眺め、レスリーはグラスをテーブルから上げる。煽ったようには見えない美しさで、一気に空になったショットグラスは、数秒も掛からずテーブルに戻った。
「ありがとう、覚えておくよ」
立ち上がり彼に微笑んだ後、顔を隠すようにフードを目深に被り直してから、レスリーは酒場を後にした。
『いい夢を』──レスリーに見惚れたままのエディに、そう一言残して。




