春が来て
暫くの間、取り立ててどうということもなく時が過ぎたのは、社交の少ない冬があったからこそ。
いよいよ選定まで残り半年を切り、ジョージナの焦燥感も否応なく高まっていく。それを抑えきれずに、意味もなく動悸がすることも増えていた。
そんなある日──春の訪れと共に、大きな事件が起こった。
王都から辺境までを繋ぐ大きな二本の国道のうち、旧道が雪溶け水の影響を受け損壊した──場所は、西の森付近だ。
その昔、西の森は広大な山の一部だった。
あの森はそこが一部崩れ、定着したことでかたち造られた地だ。
崩れたとは言っても今回とは違い、大規模な地滑り(※深部からの倒壊)だった。地形を変えながらも土地上部はそのまま、場所を移動したように元の地と融和し、やがて今のような森になったとされている。
切り立った崖を境に山側と森側に分断されたことで、開拓はそれぞれ別方向からとなった。
山として残った広大な地が緩やかな傾斜地だったこともあり、開拓が進んだのは山側。
この国の成り立ちは、現辺境と現王家の祖の結びつきによる。建国当初の辺境は今よりもう少し王都寄りに拠点を携えており、これを機に強固な城壁の建設と共に国土を開拓し広げることとなった。
この旧道が作られたのは、王都と辺境の開拓地との大幅なショートカットができるのが一番の理由だった。
城壁の建設も終わり王国が発展するにつれ、利便性が高く辺境と通じるのに適した別の地に大きな道が新しく作られた。
それも今からしたら、もうかなり昔のこと。
旧道が新道に比べて寂れたことは否めない。
それでも運搬に重要な道であり、特に王国西側に住む者にはやはり便利な道だ。
だからこそ、野盗が多く出るようになった。
かなり開拓されたとは言え、山の面影を残した旧道には潜める場所もそれなりにある。
それに森の広がる崖は、遺体などの証拠の隠滅にうってつけだった。
──かつてのジョージナが襲われたのも、ここである。
誰かの横槍やジョージナ自身が逃亡の手段を得ることを恐れたルパートは、王都から辺境の修道院へジョージナを護送するのに、新道より目立たずなにもないこの旧道を指示したのだ。
そして襲われ、あのひとに助けられた。
森側も含めたこの地周辺は、特殊な地形と発展を遂げたせいで管理が難しく、何度か領主が変わっている。
それもあり今は王領だが、いくつかに割って管財人と代行領主を立てているものの、警備だけでなく、補強整備や災害への備えなども後回しになっていた。
婚約者候補達には、王妃や王子妃のような明確な費用は割り当てられてはいない。
ただし申請を行うことはでき、公的な面で有用と認められれば適した予算が降りることになっている。融通される予算が多いとは限らないものの、申請が降りれば功績として残る。生家からの持ち出しは不問だ。
善し悪しに関わらず、諸々の都合上後回しされる案件はそれなりにあるので、特に自分で考える必要はない。上奏された意見書の中で最終決済や宮廷会議に掛けるところまで至らなかったモノに手を加えればいい。
そんなわけで、皆それぞれそれなりの功績を残していた。
これといった功績がないのは、婚約者候補となって期間の短いジョージナのみ。
(これは……あの地へ赴く絶好の機会だわ)
こんなに都合のいい理由はない。
それだけでなく、ランサム家の名を穢すことなく撤退する具体的算段を企てる、またとない機会だ。
ジョージナは、まずは周辺への寄付と試算の為の視察逗留という名目で草案を纏め、申請を行った。
想定通りなので心配もしていなかったけれど、申請は簡単に通った。
ジョセフィンは少し渋り、『視察などしなくても望むなら支援にかかる費用くらい出す』などと言っていたけれど、結局は折れてくれた。
場所が場所なだけに、ジョセフィンの反応も想定済みだった。
ひとつ、全く予期していなかったのは、キャシーも同様の申請を行っていたことだろう。
まず現場へ向かい、それから逗留先へ。逗留先は森側の街にある、代行領主の邸宅だ。
警備と経費の関係上、ふたりは同じ馬車で向かうことになってしまった。
キャシーとは仲良くしているものの、あれからどことなく彼女の態度はぎこちない。
無論それはほんの僅かな違和感程度に過ぎず、態度や表情に現れているわけではないけれど。
おそらく、人の機微に敏いアントニアと、キャシーに強い情を抱くレスリーも気付いている。レスリーに至ってはジョージナがなにかするまでもなく、キャシー自身が彼女に距離を置いているようだった。
戸惑いながらもそれを受け入れ、切なげにキャシーを遠巻きに見詰めるレスリーの姿を思い出し、ジョージナは軽く咳をするフリをして小さく笑う。
(まるで捨てられた仔犬みたいだったわ。 レスリー様がついて来なかったのは幸いだけれど、アレじゃどちらが庇護者かわからないわね)
その笑いのまま、ジョージナは斜向かいに座るキャシーに笑顔を向けた。
「キャシー様とご一緒できて、とても心強いですわ」
「ええ、私も……」
貴族淑女らしい笑みで応えた後で少し目を伏せると、キャシーは意を決したように視線を上げてジョージナを見据えた。
「ですがジョージナ様……正直なところ、貴女が申請をなさるとは意外でした」