アントニア
アントニアは初恋であるサミュエルを、一途に思い続けている──と思われている。
人の機微に敏く、表情を作るのに長けていることこそ、彼女の一番の強み。
生来の気質や環境により培われた尊大さも、その強みを存分に活かせる儚げな美しい容貌と相まって高潔さとして映り、自信に満ち溢れた言動に魅了される者は男女共に少なくない。
そんなアントニアにとって、同世代の男の子の心を奪うことなど指を動かすくらいに簡単なことだった。
タイミングよくしっかりと目を合わせ、妖精のような微笑みを向ければ、すぐだ。
だがうっかりタイミングが合い勝手に相手が籠絡されたことこそあれど、アントニアが能動的にそういった行為に及ぶことは今までなかった。特に婚約している者にわざわざ横槍を入れるようなことは、気に食わない者の嫌がらせですらしない。ただし金で雇った、他人を使ってならすることもある。
そんなところが『一途』と呼ばれる所以であろう。
だが実際それは、貞操観念の高さやサミュエルに対する愛からというよりも、自尊心の高さからだ。
単純に、相手にその価値を感じない為。
アントニアが一途でありサミュエルが初恋の相手というのも事実だが、彼女の中で優先されるべき事項より順位がずっと低い。
サミュエルは王太子という立場だけでなく、美しい容貌を持ち、常に立場に相応しい穏やかな笑みを崩さず、とても思慮深い。
彼には唯一、価値があっただけ。
──だというのに、ジョージナに恋をした彼はてんで凡庸に成り下がってしまった。
だからアントニアが悋気を燃やしたのは、ジョージナが現れてからほんの僅かな時間のみ。
ジョージナの出現が彼女に齎したのは確かに『失恋』ではあるけれど、皆や父が考えているようなモノではなく、サミュエルに対する価値が消え失せたのである。
最早彼は、アントニアが欲する男ではない。
そして、王太子妃……次代の王妃という立場に関しても。
王妃という立場は特別だけれど、権力を当たり前に持つ彼女にとってはそこまで固執する程のものではなく、ただの選択肢の一部に過ぎない。
サミュエルに失望した以上、別に王妃になどなりたいとも思わなかった。
とは言え──それらと自尊心を傷付けられたこととは、また別の話だ。
「……許せないわね」
家柄も経済状況も良い家の末娘として生まれ、美貌にも恵まれていたアントニアは、苦労をしたことがない。
けれど意外にも努力家であり、自身が思う素晴らしい女性であろうとしたし、周囲の評価が語るようにそれは概ね成功している。
ただし彼女の培った矜恃や自尊心は、国や民や伴侶などの為などではなく、自分自身のみに捧げられるもの。
そんな彼女が、自分のこれまでを無下にされたこの屈辱を、そう簡単に許せるわけがなかった。
翌日。
アントニアは王宮に来たジョージナに声を掛け、王太子妃教育の後に庭園へと誘った。
この時間、サミュエルは双子の姉の方とお茶をしているので、邪魔は入らない。妹の方には念の為見張りをさせている。
レスリーとキャシーもいる前で堂々と誘っただけに、逆にふたりも止められなかった。
なにしろ家や個室というわけでもない、王宮の庭園だ。
アントニアの方も、ジョージナをどうこうするつもりはない。少なくとも、今は。
「ランサム嬢……私、婚約者候補を辞退致しましたの」
まずアントニアはそう告げてジョージナの反応を窺いつつ、ゆっくりと、友好的な態度で穏やかに、父にしたのとほぼ同じ話をした。
(やはり)
今までアントニアが、苦労もせずに上手くやれていた一番の理由は『人の機微に敏いこと』。
彼女はジョージナの隙のない淑女らしい振る舞いと表情からでも、薄々感じていたことがあった。それが当たっていたのだと、今ハッキリとわかる。
「ランサム嬢……いいえ、ジョージナ様」
アントニアは内心ほくそ笑みながらも、可憐で嫋やかに眉を下げ、気遣わしげに尋ねた。
「貴女、本当は王太子妃なんかなりたくないのね?」