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時限爆弾少女と刻読みの姫  作者: batabata
3/3

【後編】少女の夢

 翌日。この日は集会があった。


 父親の死を嘆くのも束の間。克世の死について、信徒達に説明が必要だった。

 しかし現れた信徒達は、先日の半分近く。また、彼らの様子もどこかおかしなもので、その中の一人が、口を開く。


「司様! 克世様が亡くなられたと、我々はニュースや新聞で拝見しました」

 かつての戦争を、勝利に導いた刻読みの一族の当主の死。それは、大々的に報道されるほどのことであった。


「何故です! 克世様はご自身の未来について予言され、長生きをするとおっしゃっていた……それなのに、彼は我々を置いて、先に旅立たれた! これはどういうことでしょう! 我々は、裏切られたのでしょうか!」

 恐れていたこと。それは、未来が外れたことによる、信徒達への信頼の失墜。


「克世様は、我々に出鱈目を言っていたのでしょうか!」

「一体どうなっているんですか!」

 一人の信徒を皮切りに、次々と、他の信徒達から不満の声が上がる。


「私はこれから、何を信じれば!」

 神を失った子羊の群れは、道に迷い、新たな救いの手を求める。


「お、落ち着いてください皆様、まずですね……」

 そう訴えかける司が、最も落ち着きがない。


 混乱の様相を呈する四宮家を、兄の隣で眺めていた時雨。その心はなぜか、冷静さで溢れかえっている。

 彼女は、この喧噪の中にいる人々と、先日までの自分を重ね合わせていた。


 大切な存在の消失。未来の自分についての不安。

 沖名ノアとの出会いは、己の未熟さを鑑み、その考えを翻す機会でもあった。

 気がつけば時雨は、観衆達に向かい一歩を踏み出していた。


「時雨?」

「姫様……」

 視線が時雨に集中する。凛とした所作、表情には、彼女が刻読みの一族を代表する人間たらしめる存在感があった。


「……私は今まで、未来予知というものを信じていませんでした」

「姫様、そんな……!」

 時雨の第一声に、信徒達はどよめきだす。しかし彼女は構わずに続けた。


「それは、私の精神が幼い子供のままだったから。自分の常識に当てはまらないものを、何でも否定し、自分のことばかり考えていました」

 胸に手を当て思い返すは、克世との思い出。教えに対し、反抗心をひた隠しにしていた日々。忙しさを理由に、彼は今までろくに遊んでくれたことなどなかったが、それでも、たった一人のかけがえのない父親であることに変わりはない。


「私達は知りました、未来予知の能力は絶対のものではないことを。それでも、私達についてきてくれる人がいるのなら、この力を使って、必ず兄と共に、皆さんの心の支えになって見せます」

 父の死と向き合い、乗り越えること。それは、享受されるだけの生活を抜け出し、四宮家を支える存在になることを意味していた。


「私達は、先の道を記すのではなく、皆さんの隣を歩いていきたいと思います」

 その言葉は、齢十二の少女が口にするには重すぎたのかもしれない。

 しかし信徒達から帰ってきたのは、賞賛と、拍手。


「大きくなられた、姫様……」

 そもそも刻読みの一族を信仰していた人々は、精神的に余裕が無い、何かにすがりたい人が多い。

 決意に満ちた彼女に対し、信徒達は安堵の表所を浮かべていた。


「ありがとうございます、皆さ……」


「ふ、ふざけるな!」

 しかし、事はそう上手く運ばない。


「俺は、この国に勝利をもたらしたあの方だからこそ、予言を信じていたんだ! 克世様を返せ!」

「おいアンタ、落ち着……」

「うるさい黙れ!」

 克世を盲信していた一人の信徒により、火種が撒かれた。止めにかかった別の信徒の身体を押し倒してしまった。


「そ、そうだ! 克世様を返せ!」

「我々の未来の責任を、子供二人がどう取るつもりだ!」

 事態はヒートアップする。克世の死を納得できない信徒達が、声を荒げだした。


「司様、姫様、離れてください!」

 傍に控えていた爺や。興奮した様子の信徒達が、こちらに歩み寄ってきた。


「未来のない老人は引っ込んでいろ!」

「爺や!」

 悲痛な叫びを上げる時雨。信徒を止めに入った爺やは、いとも簡単に突き飛ばされる。


「時雨、部屋に戻っていなさい。代表は私だ。私が彼らの話を聞く」

「ま、待ってください兄上様!」

 暴れ出す信徒に、それを止めようとする信徒。混迷の一途を辿る四宮家を、司一人が止められるとは思えなかったが、それは当主たる彼としての、覚悟だったのだろう。

 そしてその覚悟は、奇跡のように、成就する。


「え、どうして……」

 口を抑え、かすれた声を漏らす時雨。


「そこまでだ」

 幻想的な漆黒のドレスに身を包んだ女性。その存在感は、物騒な雰囲気を、一瞬で静寂に変えてしまう。


 沖名ノアは、先程爺やを突き飛ばした、時雨に接近する男性の左手を、右手でがっちりと掴んでいた。


「ニュースを聞いて、心配で来てみれば……」

「な、何だお前は……?」

 信徒達に一瞥を送るノア。今は彼女の時間であると、そう思わせる気迫が、視線から滲み出ていた。


「立派だったわ、時雨。初めて会った時は、世間知らずのお姫様にしか見えなかったけれど……どうやら、私の杞憂だったみたい」

「そんな……私はまだ、あなたに……」


「お願いします、どうか落ち着いてください。これから彼女達は、大切なお父様の死を乗り越え、新たな一歩を踏み出そうとしているんです。どうか、その邪魔だけはしてあげないでください」

 ここにいる全員が、ノアの祈りにも似た言葉に、耳を傾けていただろう。


「離せ……!」

 しかし、それが彼らの心に届くかどうかは、別問題。


「無関係なお前に何が分かる! 克世様に裏切られた俺の気持ちが、分かってたまるか!」

 掴まれていないもう片方の手で、ノアの右手を引き剥がそうとする男性。

 ここで彼女が、男性を力で制圧することは簡単だろう。


「ちょっと、いい加減にしなさい……!」

 躊躇している様子のノア。やはり彼女は、このような状況であっても、自分がサイボーグであることをひた隠しにしている。

 だがこの状況下で、自身の腕を隠し通す余裕などなかったのだろう。


「な……この腕、まさか……!」

 男性ともみ合いになった結果、ノアの右腕の裾が、捲れてしまっていた。


「サイボーグだーっ!」

 何者かが、まるで危険を知らせるように声を張った。


「きゃあああっ!」

 ヒステリックな悲鳴が聞こえてくる。ノアの機械仕掛けの右腕を確認した信徒達は、立て続けにパニックを起こしている。

 まるで、見てはいけないものを見ているよう。


「ノアさん……」

 初めて時雨が、爺やにサイボーグについて質問した時と同じだった。

 恐怖。国を救った英雄は、今や、返り血に染まった人殺しでしかないと言うの。


「ごめんなさい時雨……最後にあなたを一目見ようとして……でも、やっぱり私は……」

 右腕を庇うように隠しながら、ノアはその場を後にするところだった。


「謝ってください!」

 それは、時雨から信徒達に向けられた。ノアの隣に立ち、一瞬、彼女にだけ穏やかな表情を覗かせる。


「……四宮克世は、もう死にました。正しい行いをしたものを、敬うこともできないのなら、未来予知の力はおろか、人間として成熟することもできません。これは、生前の父の教えです」

 あまりにも、裏表のない言葉だった。しかしそれだけに、その効力は絶大。


「謝って、ください……」

「くそ……」

 いたたまれなくなった様子の一部の信徒達は、背中を丸め、帰り去っていく。


 彼らがもう、四宮家の門を潜ることはないだろう。克世の死で失ったものは多い。しかし、時雨は後悔していなかった。


「ノアさん、やはりあなたは王子様でした……でもあなたは、最後と言っていた。これから何をしようとしているのか、未来が見えなくても、私にはわかります」

 俯いたまま、ノアの右手を掴む。ひんやりとしていて、無骨な感触だったが、それがノアをノアたらしめる証明だった。


「今の私なら、あなたを愛するものとして、自信をもって隣に立てます。だから、行かないでほしい……」

「姫様、何を……」

 その光景を傍観していた信徒達の表情には、やはり拭いきれない恐怖心が貼り付いていた。


「……もう、駄目みたい。やっぱり私は、こんな世界で生きていける自信が、無い……」

 ノアの右手は、するりと滑り落ちる。


「待って!」

 導かれるように、門の外へ向かうノア。信徒達の注目を、自分一人のものにしていた。


「時雨、今はよせ」

「でも兄上様! このままではノアさんは……」

「姫様、皆様にご説明を。皆様とともに歩くことを決意したのは、他ならぬあなたですぞ」

「爺や……」

 ノアの姿は既に消えていた。


 きっと彼女が向かったのは、かつて博士と呼ばれる育ての親と暮らしていた、北にある小さな研究所。

 生きる理由を終ぞ見つけられなかった彼女は、己の肉体に備え付けられた、活動停止の機能を作動しようとしているのだろう。


 胸中ただならぬ中、集会が終わる。これからも刻読みの一族は、未来予知の力をもって、信徒達を支え続ける。

 彼らを見送った後、時雨はノアを追いかけるべく、家を抜け出す算段をつけていた。


「……姫様」

 きっと爺やは、それすらも見通していたのだろう。


「爺や、私は……」

 聞き分けのないお姫様と思われても構わなかった。これが、時雨の最後の我が侭。


「爺やだって、もう分かってるんでしょう? あの人が誘拐犯じゃないってことくらい……ノアさん、死ぬつもりなんだよ? ノアさんがいなかったら今頃私、いや私達、どうなっていたか……だからお願いだよ、通して……」

 腕を組み、黙って全てを聞いていた爺や。やがて自身の顎髭を、指で強く引っ張るように撫で、ため息を吐く。


「……司様に好きしてやれと言われました。ですが爺やの本心を述べさせて頂くと、行って欲しくはないですな……だからこれは、独り言だと思って聞き流してくだされ」

 爺やは門の前に、視線を送る。


「玄関を潜った先に、紙切れが置いてある筈です。誰が忘れていったのか……確かあれは、戦時中の記録。ある研究所までの行き先が記された地図ですな。門番は今休憩中ですので……戻ってきたら、回収されるでしょうな」

「それじゃあ!」

「今の刻読みの一族を支えるのは、司様と、姫様です……戦時中、克世様に拾って頂いたこの身。ご子息の為、時には心を鬼にする必要があると言い聞かせておりましたが……」

 それは、厳かな爺やが、初めて時雨に笑みを見せた瞬間だった。


「気をつけて行ってきなされ、姫様」

「……爺や、本当にありがとう!」


 感謝すると同時に、走り出す時雨。

 着物と草履で走ることに、一切の抵抗はない。家から無断で抜け出し、外の世界へ逃避していた日々は、全てこの日の為にあったようにすら思えた。


「しかし……本当に大きくなられましたな、姫様」

 追い風が、黒髪を強く靡かせた。




「ねぇ博士、どうして博士はその歌が好きなの?」

 戦争が起こる前、沖名ノアの、幼い頃の記憶。


「好き……とは少し違うな。これを歌っていると、お前を守ってやらなくちゃ、って思えるんだ。だからいつも、歌ってしまうんだ。ノアは嫌いだったか?」

「ううん、博士の歌声好きだから、この歌も好きだよ! もう空で歌えるし」


 ノアがその歌と呼ぶ、「時限爆弾少女の唄」は、彼女が産まれるずっと前に放送していた、戦争アニメの主題歌だ。

 身体に時限爆弾を埋め込まれ、半身が機械で構成された少女の一生を描いた、ダークな内容の番組。戦時中、時限爆弾少女は英雄として称えられるが、終戦後、身体の時限爆弾が作動してしまう。誰にも助けてもらえず、最終的には、自分が守った世界を憂い、誰もいない荒野で、時限爆弾の起動を待ち続け、死んでいく。


「そうか、好きだったか……それはよかった……」

「あーっ、博士また泣いてる! いっつも泣くよね、それ歌ってるとき」


 博士はきっと、ノアと時限爆弾少女を比較していたのだろう。

 やがてノアは戦争に駆り出されてしまう。そうなれば、彼女は時限爆弾少女と同じような境遇を歩むかもしれない。あのアニメのような、悲しい結末を迎えてほしくはない。


「大丈夫。お前はきっと、立派な大人になる。そうなるように、私が守ってやるから……」

「何それ博士、さっきから変だよぉ」

 ノアを優しく抱き寄せる博士。彼はきっと、後悔に苛まれていた。


 命を救う為とはいえ、幼いノアを戦場へ向かわせる苦悶。

 世界の無常に、たった一人で抗う術などない。ならばせめて、彼女が独りぼっちにならない為に、一切の苦労も厭わなかったであろう。


 屈託なく笑うノアの姿は、決して殺戮兵器などではない、人間の少女だった。




 かつて二人が寝食を共にした研究所は、その痕跡すら残っていない。

 荒廃した大地。無人の野に吹きすさぶ風が、銀髪を弄んだ。


 ここに至るまで、ノアはずっと博士との日常を振り返っていた。

 この場所に来れば、涙の一つでも流せるかと思っていたが、広がる地平線を前に、ノアは何の感懐も抱けなかった。

 活動停止の機能を実行するのは簡単だった。目を瞑り、胸に手を当てる。

 人工心臓は臓器のように鼓動することはないが、停止機能は、体内で自家発電される電力の供給をシャットダウンする役割を持つ。


 ──いいかノア、最後にお前に教えることがある。もしお前が、生きるのが辛くなった時、人生に疲れてしまった時、義手の掌を、胸にずっと押し当てるんだ。そうしたら、お前の活動は……お前の命は、終わりを迎える。ずっと一緒にいてやれれば、こんなものは必要なかっただろうよ。でも……ごめん。


 何故そんなことを言うのか、何故こんな装置が実装されたのか、理解できなかった。

 技術者の抹殺処分と、装置の実装義務。恐らく博士は、既に死刑通告を言い渡されていたのだろう。その心情は計り知れないが、博士にとっても、苦渋の決断だった筈だ。


 当時の記憶が、この義手から、機械化によって生かされた身体から、蘇ってくるようだった。


 ノアという名前は、博士が付けてくれた。

 ノアの箱舟のように、あらゆる困難を乗り越えてほしい、そして色んな人を救ってほしいという意味を込めての命名。

 由来を教えてくれた日のことを、確かに覚えていた。

 その日、その瞬間から、博士を父として慕うようになったからだ。


「博士、私もあなたと同じ、天国へ行けるでしょうか……もし巡り会えたのなら、もっと沢山、お話がしたいです……」

 終わりの時。装置を起動させてから、一分程度が立つ。


 しかし。

「これは……?」


 心臓が停止する気配が、全くしない。

 それどころか、全く別の装置が起動し始めているような感覚。

 胸がざわざわと鳴っている。


「久しぶりだなノア。元気にしているか」

「っ!」

 唐突に胸の奥から、音声が流れ始めた。これがざわつきの正体。

 忘れもしない、それは大好きな博士の声だった。


「……って、これを聞いているってことは、そうじゃないのかもしれないな」

 間違いなくノアは、装置のある胸に義手をかざしていた。


「すまん。装置の埋め込みだけは偽装できなかったんだがな、機能に少し……というか大幅に細工をさせてもらった」

 死ぬことが、できない。恐らく博士は、ノアが自分の教えの通り、機能を実行しようとした場合、この音声が流れるようにプログラムを組み替えていた。


「どうしてこんな……」

「死ぬ前に少し、耳を傾けてほしい……いや、この場合は胸か? とにかくこの音声を聞き終わって、それでもまだ、お前がこの世界に絶望を抱いているのなら、もう止めるつもりはないさ」

 それは禁忌の行為。技術者に課せられた最後の使命を、大切な娘の為、博士は反故にしていたのだ。


「研究一筋だった私の元に舞い込んできたお前は、 まだ三歳だった。子供なんぞに興味の無かった私は、このプロジェクトを易々と引き受けた。自分が殺されるとも知らずにな。そしてお前は、命を救ってくれてありがとう、と私に感謝してくれた」

「博士は初めて会った時、随分不愛想でしたね……ちょっとだけ、怖かった……」

「リハビリと称した訓練も、健康を第一に考えた食事も、全て兵士として一流になるためのものだった。しかしお前はそんな生活でも、楽しいと言って笑ってくれていたな」

「そんなの……当たり前だよ、家族だもの……」

「だからだろうな……お前と過ごす毎日が、楽しくて仕方なくなってきたんだよ。研究のことしか頭になかった私を、お前が変えてくれたんだ」

 ノイズ混じりに聞こえる音声が、彼女を包み込んでくれる。


「私を救ってくれたのは、ノア、お前なんだよ。なぁノア。お前を必要としてくれる人間は、絶対にいる。私がそうだったように」

「私を、必要としてくれる人……」

「その身体も、義手も、戦争で敵兵を殺すためじゃない。そう言ってくれる人と、きっと巡り会えるから……だから、死なないでくれ、ノア……」

 メッセージの一つ一つに、胸はただ、締め付けられるばかり。


「最後に一つ、言わせてほしい……」


 ──生まれてくれて、ありがとう。


 ぷつり、と音声が終了する。

 かざしていた右手は自然と項垂る。ノアはそのまま脱力して、地面に座り込む。


「ずるい、ずるいよ博士……こんなの用意してさ……死ねる訳ないよ」

 ずっと聞きたかった博士の声。久しぶりに耳にした反動で、思わず幼い言葉遣いが現れてしまう。

 こんなに涙を流したのは、博士が亡くなって以来だろうか。死してなお、彼は自分の存在を肯定してくれたのだ。


 そして 、もう一人。


「立たなくちゃ」

 サイボーグも人間も関係ない。時雨はノアを必要としてくれて、ノアもまた、時雨の存在を強く求めている。

 時雨は伝えてくれた。支えになり、隣を歩いてくれると。そんな彼女がいれば、一人の人間として、生きていける気がしたのだ。


 ノアは、来た道を逆走する。時雨に、伝えたいことがあった。




「はぁ、はぁ、ノアさん、ノアさん……」

 どれだけの時間、走り続けただろうか。

 四宮家から約十キロ。荒れ果てた大地には、研究所の痕跡などどこにもなく、ここまで来てしまえば、地図はもう役に立ちそうになかった。


「兄上様、爺や、ありがとう」

 立ち止まり地図をしまうと、疲れがどっと押し寄せてきた。

 恐らく一時間半は走り続けていた。疲弊する身体に鞭を打ち、名前を叫ぶ。


「ノアさーん!」

 地平線に吸い込まれる叫びは、無常にもこだますら返してはくれない。


「早く見つけないと、いけないのに……はぁ、はぁ」

 果てしなく広がる大地。これ以上の手掛かりはなく、悲鳴を上げる足腰が、ぐったりと膝をついてしまった。


「駄目、駄目なの、動いてよ……!」

 立ち上がる気力を奮い起こしても、身体が反応しない。


「まだ間に合うから……ここで力尽きたら、一生後悔するから……だから……!」

 ノアに、伝えたいことがあった。

 あなたが必要だと。あなたはこの世界に不要な存在などでは、決してないと。

 その願いは再三に渡るが、狭い世界を拒み、我が侭なだけだった幼稚な自分はもういない。


 時雨は、初めて会った日のことを、思い返していた。

 幻想的な空間に運命を感じ、それからもずっと、思いを馳せ続けていた。

 誘拐犯から救ってくれた。過去を打ち明けてくれた。

 共に過ごした時間は少なくとも、その中で、鮮明に焼き付けられた記憶がある。


「あ……」

 声が、漏れた。

 身体が言うことを聞かなくとも、ここにいることを証明することはできる。

 いつかノアがそうしていたように。時雨は地平線に向かい、息を吸った。


「少女の命は いつか爆ぜるもの その日まで 使命の為 命を奪わないといけないの」

 ノアのように、上手く歌えなくても構わなかった。


「少女の涙は 土に溶け込んでゆく その悲しみを 理解してくれる 人がいないから

 忌み嫌われたくて この道を 選んだわけじゃない 返り血に 染まった身体を 誰も拭ってくれないの」

 無限のような世界にあって、この歌だけは、二人だけの道しるべになる。


「少女の夢は いつか消え去ること その日には 幸せだったと 笑って言えるかな

 少女の唄は 星に溶け込んでゆく その嘆きを 受け止めてくれる 人がいないから」

 地平線の先に、人影が見えた。


「孤独になった この私を 人は恐れるでしょう 時限爆弾は 作動しているのに 誰も止めてくれないの」

 影はゆっくりと、しかし確かな足取りで時雨の元へ近づいている。

 涙で視界がぼやけていたが、時雨は確信した。身体は不思議と立ち上がり、砂で汚れきった着物を気にすることもせず、ただ歩み始めた。


「少女の命は やがて潰えるもの その瞳には 私が守った 世界があった

 少女の唄を 誰か憶えていますか 私を作った あなたまで もう消えてしまった」

 歩み寄る影は、歌を歌っていた。

 それは酷い涙声で、初めて出会った時に聞いた歌声とは程遠かったが、その時よりずっと、安心できるものがあった。


「世界の片隅で 一輪の花に出会った 雄々しく咲くそれを ずっと眺めていよう 心臓が停止する その刻まで」

 四宮時雨と沖名ノアは、どちらともなく抱き締め合った。

 鼓動が、吐息が、至近距離で伝わる。それは間違いなくノアがここに生きている証。


「ノアさん! ノアさんっ! 良かった、生きていてくれて……私を、見つけてくれて……」

「あなたに、伝えたいことがあったから……そうしたら歌が、私を導いてくれた」

「えへへっ、奇遇ですね、私も伝えたいことがあるんです」

 時雨は言いながら距離を取る。涙に濡れる頬を拭うと、正面に立つノアが穏やかに微笑んでいた。


「私の、王子様になってください」


 告白は、無人の野に溶け込み、静寂を呼ぶ。二人の音以外が介在する余地はなかった。


「そう、良かったわ。私も同じことを考えていた……あなたが必要としてくれるのなら、私はあなたの、王子になります」

 肯定は、彼女がこの世界で生を享受することを意味していた。


 最初は我が侭な願いに過ぎなかったが、結果、存在を否定され続けてきたサイボーグを、その理不尽から救い出すことに成功していた。


「きゃっ……ちょっと時雨っ」

 無意識のうちに、時雨はノアに飛びついていた。彼女は不意を突かれたように驚きながらも、その小さな身体を受け止めてくれる。


「これからは……もっと新しいノアさんを、愛させてください。一緒に過ごす中で、あなたに愛してもらえるよう、私も頑張りますので」

 ノアは言葉を返す代わりに、時雨の乱れた髪の毛を優しく撫でた。もしかすれば彼女は、直接的な表現が苦手なのかもしれない。


「ねぇノアさん、私ね、少しだけど、ようやく未来が見えた気がするよ」

 それは、とても漠然としたもの。


「ノアさんも私も、いつか終わりを迎える。でもその時まで、私達は幸せだったと、笑って過ごせる……そんな未来」

 願望にも似た未来予知。ノアと共に歩めるなら、きっと叶えられると信じていた。


「ノアさんができなかったこと、私がさせてもらえなかったこと、全部しようよ。春はお花見、夏は花火大会に行ってさ、秋は紅葉を見て、冬は雪だるまを一緒に……えへへっ」

 思わずはにかんでしまう無邪気さの中には、これからの未来が晴れやかであるという、強固な意思が内包されている。


「ええ、そうね。ありがとう、時雨……さようなら、博士」

 戻れない過去に、手を振った。最後に背中を押してくれた存在に、天を仰いで別れを告げるノア。


「よし……それじゃあ帰りましょう。時雨」

「はい!」

 カウントを刻む時限爆弾は、もうどこにもない。動き出した二人の未来に、これから一体、何を刻もうか。





 とある休日。朝の十時を迎える四宮家。


「まだかなぁ……ふふっ」

 自室のベッドで布団を被る時雨。眠気は無いが、目を瞑り、狸寝入りをする。

 廊下を踏み鳴らす音が近づいてくる。待ち人はもうそこまで来ていた。期待に顔が綻ぶ。


「姫様、もう昼前ですぞ! だらしのない。早く起きなされ」

「……」

 年老いた声色は、目的の人物のそれではなかった。だんまりを決め込む時雨。


「はぁ、仕方のない……来てくだされ、ノア殿。今日も姫様が起きんのです」

 お目当ての名前に思わず身体が反応し、布団がもぞもぞと動いてしまう。

 規則的な足音は、間違いなく彼女のものだった。


「時雨、おはよう。起きなさい」

 身体を揺すられ、目をパチリと開ける時雨。こちらを覗き込むノアの姿に笑顔を浮かべるが、視界の端に爺やを確認し、顔をしかめた。


「爺や外行ってて」

「やるせない……」

 小言を呟き、爺やは去っていく。これで部屋の中は、時雨とノアの二人きり。


「ノアさんは、私の王子様なんですよね? だったらキスで目覚めさせるのが、普通じゃないですか?」

 時雨は再び目を閉じて、唇を突き出す。


「全くこの子は……」

 ちゅ、と唇が触れる。


「もうっ、おでこじゃないですか。一体いつになったらここにしてくれるんですか」

 不満に頬を膨らませながら、自身の唇に人差し指を添える。


 これはほんの、日常の風景。

 ノアを連れ戻したあの日から、帰る場所の無い彼女に与えられたのは、四宮家の使用人としての居場所。

 四宮家を救ってくれた恩人として、時雨は勿論、司と爺やも彼女を招き入れた。

 機械化された身体を効率的に扱い、家事や事務をこなす様は、彼女がサイボーグとしての自分を受け入れていることに他ならないだろう。


「膨れないで。今日は二人でお出かけする約束でしょ。早く準備して」

 ノアは既に部屋着から、いつも愛用している黒いドレスに着替えを済ませていた。


「えへへ、私、今日をすっごく楽しみにしてたんですよ?」

「……私もよ」

 身支度の為に部屋を出る。廊下には司と爺やがいた。


「おはよう時雨。今日は楽しんでくるといい」

「兄上様、許可を出してくれてありがとうございます!」

 数日前まで、自由な外出すら許されなかった。しかし姫を護衛する王子がいれば、身の危険は無いだろうと判断をした司。


「好奇心が旺盛なのはお前の長所だ、時雨。今まで肩身の狭い思いをさせてしまったからな」

「ですが司様。やはり心配はありますぞ。せめて追加の護衛として、爺やも……」

「爺やは兄上様とお留守番!」

「にべもない……」

 項垂れる爺やに、いたずらっ子のように笑う時雨。思わずノアも、吹き出してしまった。


 これはほんの、日常の風景。

 今日もよく、笑い声が響く。


 王子様のキスが時雨の唇に届く時。それは 彼女がもう少し、大人になってからの話。


 -end-

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