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時限爆弾少女と刻読みの姫  作者: batabata
2/3

【中編】生きる理由

 

 王子様は、振り返らない。その背中から時雨は、寂しげな哀愁を感じ取っていた。


「どこへ行ってしまったのでしょう……」

 信徒達や家族のいる手前、時雨は差し出した手を、引っ込めるしかなかった。


「時雨、何をぼうっとしている。もう終わったぞ」

 そう囁いて、時雨の肩を叩いたのは、兄の司だ。

 どこか上の空だった時雨。目の前の信徒達に意識を裂くこともせず、ただ、ノアとの再びの邂逅に、心を揺さぶられていた。


「あ、はい……今日も、ありがとうございました」

 帰っていく信徒達に手を振る時雨。隣で克世と司が、深々と頭を下げている。


 信徒達が出払った後、爺やに車いすを引かせながら、自室に戻る克世に付き添う、司と時雨。

「司様。姫様を少しよろしいですかな」

「構わないが……爺や、また時雨が何かしでかしたか」

 部屋に克世を帰してからというものの、時雨は、爺やと司の冷たい視線を浴び続けていた。

「もうっ、何ですか兄上様! 私がいつも迷惑をかけているみたいにぃ」

「時雨。溌剌なのはいいことだが、あまり爺やを困らせないようにな」

 頬を膨らませる時雨を、ため息混じりに笑う司。


 司も自室に戻る。広い廊下には、向かい合う時雨と爺や。

「見ておりましたぞ姫様。本日の集会、全く集中できておりませんでしたな……爺やには思い当たる節がいくつかありますぞ」

 そう言うと爺やは、小指をピンと立てた。


「先日の女性のことを考えていたのでしょう……あれはサイボーグだと申した筈ですぞ。近づこうなどと考えるのは、絶対にやめなされ」

「そ、そんなこと……」

 図星を突かれ、顔を伏せる時雨。爺やは気にせず薬指を立てる。


「そして……あってはならないことですが、姫様、未だに信じていない訳ではないでしょうな?」

「な、何をでしょう」

 爺やは目を瞑ると、息をすうっと吐いた。


「……未来予知など、嘘っぱちだと」

 それは、刻読みの一族の禁忌。信仰なき者に、未来予知などできる筈もない。

 その四宮家当主の教えに対しての反感を、時雨は父に対して隠し持っていたのだ。


「そんなの、いつも思ってるよ」

「コホン、何か言いましたかな、姫様」

 思わず不貞腐れる時雨に、それを訂正させるように暗示する爺や。彼女が反抗的な態度を取る、単純明快な理由があった。


「だって私、未来予知できないし……」

 四宮家にあって、唯一の異端。彼女は、未来予知の能力を会得していない。


「それは姫様の信仰が足りないからですぞ。現に司様は、今の姫様程の年齢で、未来予知ができるようになりましたな」

 方法を教えてもらえば、誰でも簡単に未来が読める……という訳ではない。

 刻読みの一族の信仰。人間としての成熟。時雨の課題は山積みだった。


「爺やもできないくせに……あんなのただの統計学だよ。なのに父上様、信徒の方々に、あることないことでっち上げて。皆が可哀想だよ」

「……可哀想なのは克世様ですぞ。奥様を亡くされてから、心身共に疲労がたまり、自力で歩くこともままならない状態。司様はともかく、姫様がこの調子では……」

 口を濁す爺や。克世の身体は病に蝕まれており、今でこそ信徒達の前に顔を出せているが、いつ病状が悪化するか分からない。


「ふんっ、大丈夫だよ。父上様、まだまだ元気だし。長生きできる未来を自分で見たんでしょ? 本当か分からないけど」

 時雨は、自身が将来、四宮家の顔になる、という未来から目を背けていた。


「そのような心持ちでおられることに、不安を感じているのです」

「もお、うるさい! お部屋篭るから、爺やどっか行って!」

 そう憤りながら、時雨は自分から自室に戻った。


 閉ざされた空間。窓から一望できる庭には、先程とは打って変わって、人の気配が全く感じられなかった。


「知らないよ、先の未来なんて……ああ、会いたいなぁ。王子様」

 サイボーグでも、何でも構わなかった。いや、サイボーグだからこそ、時雨が介入できる余地があった。

 窓の額縁に手をかける。彼女の行き先など、知る由もない時雨。


 現実逃避。この窓の向こう側に飛び出せば、自己欺瞞からの解放が待っている。それは、昨夜の二の前に終わるかもしれない。


「ごめんね、爺や……でも、分かってくれるよね?」

 時雨は窓を全開にする。家からの脱走ルートを頭に描きながら、機械仕掛けの王子様に、思いを馳せた。




 持ち出した草履を履き、外の世界を歩き回る。

 日中の住宅街。すれ違う人々から、不審な眼差しを向けられているような感覚を、時雨は覚えていた。

 言いつけを反故にしている自覚があったからである。


 足は自然と公園へと向かっていた。それだけが、時雨とノアを結びつける接点で、その縁だけが、時雨自身をここまで突き動かす原動力だからだ。


「王子様……王子様……」

 きょろきょろと視線を這わせる時雨。この瞬間だけは、四宮家の長女であることを忘れることができる。


 孤独からの解放。


 時雨には、同年代の友人がいなかった。

 現在、小学校には通っている彼女だが、自由行動を拘束される家庭環境にある為に、遊びに誘うことも、誘われることもない。

 また、年相応の趣味を持ち合わせている訳でもないので、学内では、成績は優秀な方だが、孤立している。

 故に、外に出て、何かに熱中できる時間だけは、何物にも邪魔をされたくなかった。


 しかし、慣れない環境における少女一人の単独行動は、あまりにも危険。


「見つけた……!」

 それは、時雨の声でもノアの声でもなかった。

 公園へ抜ける為に、細い路地に入った瞬間。


「きゃっ!」

 何者かに腕を掴まれる時雨。口元を、男の大きな掌で塞がれたかと思えば、もう一人の男に猿ぐつわを噛まされる。

 手際よく手足をロープで縛られ、時雨は四肢を必死に動かそうとするも、身動きが取れない。


「早く乗せろ!」

 車の後部座席の扉が開いていた。成す術もなく、車内に放り込まれる時雨。

 叫ぼうにも、助けを乞おうにも、声が言葉にならない。

 忙しない様子で、男二人が前席に乗車する。

 興奮状態にあって、時雨は激しい後悔に苛まれていた。


「おい何してる、出発しろ!」

 己の価値。これから自分が、どのような扱いを受けるのか。それは未来など予知できなくとも、分かり切ったことだった。


「あれ、動かね……」

 エンジンの音が数回、車内に響く。しかし、運転手がもたついているのか、出発する気配が無い。


「おい、何だこの女!」

 不測の事態に困惑している男達の様子に、冷静さを取り戻していく時雨。


「素手で車の発進を止めてやがる……って、待て待て待て待て!」

 狼狽した声と同時に、ドアを開け、車から脱出する男達。その直後だった。


 バリィン!


「ひゃっ!」

 ガラスの割れる音に、身体を縮こませる時雨。恐る恐る顔を上げると、フロントガラスが粉々に砕け散っていた。


「逃げたか……」

「え、嘘……」

 驚くべき光景が、時雨の眼前に広がっていた。

 飛び散ったガラス片を気にすることもせず、ダッシュボードに腰を下ろす女性。


「これはどういうことだ、お姫様」

 後光を背に、弱者に手を差し伸べる沖名ノアの姿は、まるで本物の王子様のようであると、時雨は感じていた。




「私に会いたくて家を飛び出したら、人さらいにあった、ね」

 車内にて、時雨に巻かれた猿ぐつわと ロープを解いたノアは、家出からの一連の流れを聞いていた。幸い、接着面に赤い痣等はできていなかった。


「ぐすっ、うぅ、はい……本当に、ありがとうございました……!」

 恐怖から解放された反動で、先程まですすり泣いていた時雨。今も鼻水を鳴らしている。


「私がたまたま通りかかっていなかったらどうなっていたか……自分がただの子供じゃないという自覚は無いのかしら」

「自覚……今日の集会で、私のことを見ていてくれたんですね、王子様」

 呆れた様子のノア。対して時雨は、少しでも意識を向けてもらえたことが、嬉しかった。


「成り行きでね……それにその呼び方、むず痒いわ」

 視線を逸らし、頭を掻くノアに、口元を抑え、恍惚とした表情を作る時雨。


「だって、悪者から救い出してくれるなんて、王子様そのものじゃないですか!」

「……私はサイボーグ。力があるからそうしただけ。ただの人間だったら、どうだか」

 彼女は自分という存在を、一向に肯定しない。


「ほら、騒ぎになる前に早く出て。帰りましょう」

 時雨の手を取り、車から降りるノア。日中の住宅街は閑散としており、運よく近隣住民に見つからずに済んだ。

「ふふ、やっぱり王子様だ」

「……せめてノアって呼んで」

 ノアの手を、強く握り返す。攫われたことなど意にも介さず、繋いだ手から伝わる温もりを堪能している。

 あえて歩幅を狭めて歩く時雨。彼女の感情を汲み取ってか、ノアも歩くスピードを合わせる。


「ねぇお姫様。どうしてあなたは、そこまでして私に会いたいの? どうして王子様なんて、漠然とした存在を探し求めてるの?」

 一方的に好意を寄せられているノアにとって、それは当然の質問だろう。豪邸で暮らし、綺麗な着物に身を包む少女。しかし家出の理由は、その環境あってのものだった。


「えへへ、私も名前呼びでいいですよ……そうですね、ノアさん。集会での父……四宮克世の話は聞いていましたか?」

「少しだけ。あとあなた達が、未来予知ができる、刻読みの一族って呼ばれていることも、聞いたわ」

「わぁ、そこまで知ってくれてるんですね……じゃあ、どう思いますか?」

「な、何がかしら?」

 脈略の無い質問に、首を傾げるノア。


「決まってます。未来予知についてですよ。ノアさんは、そんな能力、信じられますか?」

「し、正直に言っていいの?」

「無論です!」

 時雨の圧の強さに、ノアは顔を少し遠ざける。


「……わ、私には、理解できなかった」

「そうですよね!」

 その共感の言葉を待っていた。時雨は同調しながら、間隔を詰める。


「あんなもの、嘘っぱちなんです。私にもできないし。なのに父上様ったら、それっぽい言葉で誤魔化して、信徒の方々を騙してるんです」

「そうなんだ……自分の家族に、大した物言いね……適当な嘘を並べてるだけで、あそこまでの信仰を得られるとは思えないけれど……」

 克世の言葉の一つ一つは、確かに信徒達に活気を与えていた。


「そんなことないですよ。私、信徒の方々に対してどんな顔で振舞えばいいのか、ずっと分からないんです。皆、何かしら悩みを抱えているのに……」

 自分が信じてもいないものを、他人に信じ込ませることなど、できる筈もない。それどころか、ありもしない妄言に縋る人々に対し、罪悪感すら覚えていた。


「彼らのことを大切に考えているのね……なら、信じてみるしかないんじゃないかしら?」

「え?」

「……時雨。あなたは、自分には未来予知なんてできない。そもそもそんな能力ある筈が無いと思っているから、嘘だって思ってるのよね?」

「そ、そうです。でも、ノアさんだって信じてないんですよね?」

「そうよ。でもこれは、昨日今日会ったばかりの、赤の他人の意見。今日まで自分を育ててくれた家族の生き方を否定する理由には、ならないわ」

 時雨の黒い瞳を覗き込むようにして、告げるノア。

 四宮家とは時雨にとって、刻読みの一族である以前に、血の繋がった家族の筈だった。


「あなたにとって家族が、信じるに値しない程度の存在なのかしら……?」

「ノアさん……」

「刻読みの一族のことは、私には分からない。でも、一族を信仰する人々がいて、彼らもその思いに答えている。これは、純然たる事実よ。未来予知に興味が無くても、それだけは否定しないわ」

 ノアの言葉は、集会に参加した上でのものだった。彼女にとって、時雨も含め四宮家は、赤の他人に過ぎないが、そこには確固たる心情があった。


「……私は何を言われても、考えを曲げません……父上様や兄上様、爺やのことは勿論大好きです。でもそれとこれとは別。私はあの家で過ごす退屈な日々、ありもしないものを信仰させられる環境が嫌で、ここまで来たんです。王子様に、連れ出して欲しくて」

「はぁ、強情なお姫様ね……」

 交差する互いの主張に、ため息を漏らすノア。


「ねぇ、少し昔話をしてもいいかしら」

「え、昔話ですか?」

「そう。ちょっと話題転換をね」

 このまま話を続けても、平行線を辿るのみ。時雨は首肯する。


 天を仰ぐノア。繋がれた掌に力が加わっていくのを、時雨は感じていた。




 沖名ノアは、生まれながらにして、心臓に病気を抱えていた。

 両親は金銭面の問題で、養育費や手術費が払えなかった。彼女は、この国の北にある、小さな研究所に引き取られ、手術を受けることになる。


 そこでノアは、一人の若い男性と出会う。

 博士と名乗るその男は、ノアに手術を施す。


 身体に異常を抱える孤児を、機械の力で正常な生活を送れるようにするという、政府のプロジェクト。

 博士はそのプロジェクトに参加しており、ノアの身体に人工心臓に植え付け、弱った肉体には、体内から補助装置を埋め込んで、彼女の命を取り留めたのだ。


 それからノアは、その研究所で博士と過ごすことになる。

 手術後のリハビリだけでなく、衣食住を共にする二人。

 ノアは博士を父のように慕い、博士もまた、ノアを娘のように愛していた。


 博士は、「時限爆弾少女の唄」という歌を、よく口ずさんでいた。

 悲しげな歌詞とメロディ。幼いノアには歌詞の意味が理解できなかったが、博士は一人でそれを歌うたび、涙を流していた。


 やがて、周辺国との戦争が起こり始める。

 そしてそれは、プロジェクトを次なる段階へと移行させた。


 サイボーグ化計画。


 プロジェクトの被検体は、ノアだけではない。手術を受けた少年少女は、戦争に駆り出されることになる。


「悪い、ノア……今まで黙っていて……」

 未来の無い子供達の命を繋ぎ止める代わりに、身体能力の高い兵士を作り上げる。それが、プロジェクトの全貌だった。


「ううん。謝らないで博士。むしろ、感謝させてほしい。助けてくれて、育ててくれて……本当にありがとう」

 しかしノアは、博士を恨むこともせず、自分に課せられた使命を全うした。


 生身の人間には到底扱えない武器。機械化によって身に付いた、圧倒的な身体能力。

 結果、自国は戦争で勝利することになる。

 戦場で、何人もの敵兵の命を奪ったノア。彼女自身も、右手が使えなくなるほどの大怪我を負い、高性能な義手を取り付けられることになる。


 終戦後もノアは、大好きな博士と共に暮らすことを考えていた。

 兵器として生み出された自分にとって、終戦は、存在の否定を意味していた。


 そんな彼女を肯定してくれる、唯一の存在。

 博士はノアに、日常生活に不必要な武装の解除と同時に、ある機能を身体に埋め込んだと言う。


 それは、人工心臓の活動を停止させる装置。

 この措置は、政府側の温情により実装されたものだった。


 戦争が終わり、精神に異常をきたしたサイボーグは、全て処理、もとい殺害された。

 ノアのように、国民に被害を及ぼさないと考えられるサイボーグにのみ、実装される。


 メンテナンス中、時限爆弾少女の唄を口ずさむ博士は、今日まで共に過ごしてきた時間の中でも一際長い間、涙を流していた。

 そのメンテナンスが、博士と過ごした最後の時間だった。


 技術者の抹殺処分。

 新たなるサイボーグの開発や、その技術力の流出を恐れた政府が下した決断は、愚かにも、彼らを闇へと葬り去ることだった。


 これにより、生きる理由を失ってしまったノア。やがて研究所も破壊され、彼女は天涯孤独の身として、サイボーグを必要としない世界に降り立ってしまったのだ。




 生い立ち、境遇、生き様。これが、ノアの歩んできた道。外の世界に憧れ、毎日を家で過ごす時雨にとって、それはあまりにも壮絶で、時雨の人生観が口を挟めるものではなかった。


 唯一の心の拠り所である、博士の死。

 時雨の家族に対する態度に、ノアが異論を唱えていた理由が、少し分かった気がしていた。


「ありがとうね、こんな私を必要としてくれて」

「え?」

 己の過去を曝け出したノア。身を切るような出来事であり、それは他人に簡単に話せるような内容ではない筈だった。


「少女の命は いつか爆ぜるもの そ の日まで 使命の為 命を奪わないといけないの」

「あ、その歌……」

 家までの残り僅かな距離。ノアは時限爆弾少女の唄を不意に口ずさむ。

 きっとノアは、博士との思い出である、この歌が大好きなのだろう。時雨はただ黙って、その旋律に耳を傾けていた。


 ノアは歌い終わると同時に、繋がれた手を離した。目的地に到着したからだ。


「あなたはまだ若くて、大切に育ててくれる家族もいる。あなたを助けてあげられる王子様は、私じゃない。今のあなたにとって必要な人は、私じゃない」

 別れの時。時雨は直感していた。このまま別れを済ませてしまえば、もう二度と、彼女に会うことは叶わないと。


「なら……私のことを、必要になってほしいです」

「あなたのことを?」

 手を取り直したのは、時雨。


「ノアさんは、優しい人なんです。どれだけ理不尽に嫌われても、私だけは、あなたを愛し続けます……だから、このままいなくならないで……」

「時雨……」

 時雨の願いは、弱弱しくも紡がれる。機械仕掛けの右手を、力強く両手で包み込む。

 伝わってほしかった。生きる意味が無いなんて、思わないでほしかった。


「姫様から離れろ!」


 突如として飛び込んできた、老人の怒号。

 二人は同時に振り返る。そこには激昂した様子の爺やがいた。


「じ、爺や! えっとごめん、これには……」

「離れろと言っているのだ、この人さらいめが!」

 しかし爺やの様子は、先日公園から連れ戻した時のそれとは、かけ離れたものだった。


「何言ってるの爺や? ノアさんはね、私をここまで送ってくれ……きゃっ!」

 爺やは強引に、時雨の手首を掴み、自身の腕の中に彼女を抱え込んだ。ノアの掌は、呆気なく放れてしまった。


「姫様を探す折、誘拐犯が現れたとの噂を小耳に挟んだのだ。やはり貴様、四宮家の財産目当てで、姫様に接近していたのだな?」

「そんな……私は」

 目を丸くするノア。爺やは更に続ける。


「何か姫様の弱みに付け込み、幼気な少女を甘言でそそのかしたのだろう。サイボーグのほとんどは、身寄りの無い孤児だと聞く。誘拐など、金の無い人間もどきの浅知恵の考えることよ!」

「変なこと言わないで爺や! 怒るよ!」

 ノアのことを馬鹿にされ、黙っていられる時雨ではなかった。しかし突然の出来事に、呆気に取られた様子のノアだったが、やがてどこか納得したような表情を浮かべ、踵を返した。


「ふふ……そうね、私はサイボーグだもの……これが現実。私を肯定してくれる人がいたとしても、サイボーグを見る世間の目が変わるわけではない……」

 時雨一人の願いは、容易く掌からすり抜ける。


「待ってノアさん! どうして何も言わないの!」

「じゃあね、時雨」

 顔も合わせず、淡々と別れの言葉を告げるノア。引き戻そうにも、爺やがそれを許してはくれない。


「ノアさんっ!」

 暫くして、恰幅のいい黒服の男性が数人現れる。ノアが去った後を走りながら追いかけていったが、時雨にその後の経過を知る術はなかった。


「二度と勝手に家出はさせませんぞ。今まで以上に警備を厳重にしますので」

 家に戻された時雨は、自室に閉じ込められる。


「爺やなんて、大っ嫌い!」

 叫びはただ、虚しく部屋を反射する。


 たった二日間の逢瀬。奇跡のように始まり、悲劇のように幕が下りる。

 孤独の悲しみに打ちひしがれたまま、一日が終わるのであった。




 早朝。ドタドタと忙しなく鳴る廊下の音で、時雨は目を覚ます。

 自室のドアを開けると、廊下に狼狽した様子の爺やの姿が見えた。


「……爺や」

 昨日の今日だ。爺やの顔はあまり見たくなかった。


「ひ、姫様! 大変ですぞ!」

 爺やの上ずった声。どうやら、そんなことを言っている場合ではないらしい。


「ど、どうしたの爺や、そんなに慌てて」


「今朝、克世様の病状が急激に悪化し、たった今、病院に緊急搬送されました!」


「え……」

 瞬間、白に染まる時雨の脳内。


「司様にも既に知らせてあります。姫様、すぐに身支度を。病院へ向かいますぞ」

 再び忙しない様子で廊下を駆ける爺や。ただ事ではない事態が巻き起こっていることを、家全体が知らせていた。




 国内有数の大学病院に搬送された克世。集中治療による手術は、十時間以上にも及んだ。

 戦争で妻を亡くした彼は、ショックからかねてより抱えていた病気が悪化。自力で歩くことすらままならなくなり、車いすによる生活を送る。

 だが健康的な生活と、薬の効果もあり、暫く容体は安定していた。また、長生きできる未来を見たと謳い、信徒達にも元気な姿を見せていた。


 今回の事態は、彼らにとっては想定外。

 最悪の場合、この日をもって四宮家の当主が、克世から長男の司に代わることになるだろう。

 四宮家は勿論、ここにはいない彼らを信仰する全ての人々が、克世の安寧を願い、また、信じていた。

 やがて家族用の待機室に、担当医が顔を見せる。

 そして知らされる、手術の結果。


「……そう、ですか」

 声を漏らしたのは、司だった。

 泣き崩れる時雨。爺やも頭を抱え、涙を流している。

 その中で司だけが、冷静な面構えをしていたが、その実、胸中は不安や悲しみで溢れかえっていることだろう。


 だが彼らは、この現実を受け止めなくてはならならない。

 これからの刻読みの一族について。そして、克世がこの世を去ったことによって、直面する問題について。

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