【前編】お姫様とサイボーグ
少女の命は いつか爆ぜるもの
その日まで 使命の為 命を奪わないといけないの
少女の涙は 土に溶け込んでゆく
その悲しみを 理解してくれる 人がいないから
忌み嫌われたくて この道を 選んだわけじゃない
返り血に 染まった身体を 誰も拭ってくれないの
少女の夢は いつか消え去ること
その日には 幸せだったと 笑って言えるかな
少女の唄は 星に溶け込んでゆく
その嘆きを 受け止めてくれる 人がいないから
孤独になった この私を 人は恐れるでしょう
時限爆弾は 作動しているのに 誰も止めてくれないの
静謐の夜を包み込む、繊細で美しい調べ。
そのメロディーとは裏腹に、綴られる言葉は、悲惨で、救いようのないものだった。
「もしかして、あなたは私の王子様ですか……?」
真夜中の小さな公園。日中は子供達が、数少ないブランコや滑り台で遊び、土砂の上を走り回る。その親が、井戸端会議に花を咲かせる。住宅街の景観を決して損なわないような、素朴な造り。
そんな場所で王子様と呼ばれた女性は、歌唱を中断し、ベンチから立ち上がる。
伸びきった銀髪と赤目、年の頃は二十歳程。スレンダーな全身を漆黒のドレスで装った様相の彼女は、怪訝な表情を浮かべる。
突如として現れた、艶やかな長い黒髪が印象的な、公家顔の少女に話しかけられた。
「王子様?」
そう聞き返された少女は、冷ややかな一瞥を食らうも、それを気にすることもせず、暗闇の中で輝く瞳を向け続ける。
「私は女よ」
「見ればわかります。ですが、こうして物語のように巡り合えたのです、あなたと。この運命の出会いに、性別は介入しません」
「話が見えないわ、お姫様」
王子様は、頭一つ分は身長差がある少女の見てくれを確認しながら告げた。華やかな着物に身を包んだその姿は、確かにお姫様と呼ぶに相応しい格好だ。
瑞々しさを孕んだ高い声色、顔つきは、十代前半に感じとれる。突拍子もない言動は、見る者に幼稚な印象を与えるだろう。
「私は四宮時雨と申します、王子様」
「……沖名ノア」
時雨は意趣返しを決めた後、 ノアに接近する。
この瞬間を、時雨は待ち望んでいた。隔離された空間から飛び出し、運命的な出会いをした王子様に連れ去られる、その瞬間を。
「あなたのことをもっと知りたいです。先程の歌は何ですか?」
歌詞と歌声が、時雨の脳裏に焼き付いて離れなかった。
「……これを見て」
しかしノアは質問を無視し、おもむろに右腕のドレスの裾を、肩まで捲り上げる。
「そ、その腕は……?」
驚愕に、時雨は目を丸くする。
「子供でも分かるでしょう。私、サイボーグなの。あの」
ノアの右腕は、無骨な機械の義手によって構成されていた。
薄汚れた灰色が、彼女をただの人間足らしめないことを、証明していたのだ。
「人殺し。悪魔。殺戮兵器……呼ばれ方は色々あるらしいけれど……」
暗闇でも判別がつくほど、彼女の表情に、陰りが差していく。
「さ、さいぼおぐ? 人殺し?」
聴き馴染みのない単語に、時雨はまるで初めて習う英単語を反復するように、その言葉を口にした。
「まさか、知らないの?」
問いかけに、時雨は首を縦に振る。それどころか、より一層の、好奇の眼差しを彼女に向けている。
「……分かった。教えておいてあげる、何も知らないお姫様……私はね、人をたくさん殺したの。王子様と、これほど縁遠い存在は、いないかもしれない」
ノアは踵を返すと、砂利の音を鳴らしながら公園を後にする。
「待って、まだ私……!」
刹那に過ぎる、逢瀬の時間。時雨が手を伸ばした瞬間。
「姫様! 見つけましたぞ!」
背後から時雨を呼び止める、年老いた男性の声。
幻想のような空間は終わりを迎え、少女にとっての現実が訪れる。
「げっ、爺や」
「げっ、ではありませんぞ! こんな夜更けに家を抜け出すなど、何事ですか!」
背の低い白髪の老人は、時間帯も気にせずに声を張り上げている。
「早く戻りなされ姫様。こんなことが父上様に知れれば一大事ですぞ。この古坂吉藏の首が飛ぶだけでなく、姫様に対しての監視体制も、今まで以上に厳重なものになりましょう」
爺やは鼻息を荒らげ ながら、時雨の手首を掴む。
「こら、早く行きますぞ」
「王子様、必ずまた会いましょうね!」
爺やの進む反対方向に向かって、声を上げる時雨。王子様の姿は、既に暗闇の中に溶け込んでしまっていた。
「姫様、近隣住民の迷惑ですぞ!」
「爺やだって声でかいよ!」
小言の絶えない帰り道。時雨は、たった一度しか聞いていなかったにもかかわらず、公園でノアが歌っていた歌を、頭の中で何度も反芻していた。
四宮時雨は朝七時、雀の鳴き声と共に起床する。広々とした自室のカーテンを開けると、陽光に目を細めた。
朝の身支度を済ませると、父親の書斎で調べ物をしていた。
「姫様、朝からお勉強ですか。関心ですな」
箒を持って、日課の清掃を行っていた爺やに遭遇する時雨。まるで昨日のことなど意に介していない様子で、微笑を湛えている。
「ねぇ爺や、さいぼおぐって何なの?」
時雨は、「人体とテクノロジー」と表紙に記された本を閉じながら尋ねた。
「唐突ですな姫様……なぜ急にそんなことを?」
「いいじゃん別に。ちょっと気になっただけだよ」
家出中に起きた出来事な為だけに、蒸し返すと、爺やの機嫌を損ねてしまうかもしれない。
「ま、まさか昨日の女性は」
しかし爺やは掃き掃除の手を止め、時雨に身体を向ける。
「ど、どうしたの、爺や。えへへ、真剣な顔しちゃって」
彼が自身の顎髭を、指で強く引っ張るように撫でる時は、決まって説教が始まる。
まさに爺やは今、ため息混じりにその動作を繰り返していた。
「いいですか姫様。アレは人であって、人ではありませんぞ」
「アレって……」
流石の物言いに、内心腹を立てる時雨。
「姫様が産まれる前の出来事。周辺国との戦争の勝利、それにおける、四宮家の活躍については、習っておりますな」
「ええ。私が赤子の頃に、終戦したと。しかし何故、今戦争の話を?」
時雨の年齢が十二歳。資源をめぐる周辺の国々との戦争が、時雨が生まれたての頃まで行われていた。
「歴史の変遷等、戦時中の詳しい出来事については、いつか勉強されることです……ですが人の上に立つ器になる者として、これは知っておいてもよいでしょう」
爺やが放つ厳かな雰囲気に、時雨は背筋を伸ばす。
「我が国の暗部……と言っても、知らない者も少ないでしょうが……先の戦争を勝利に導いたと呼ばれる、数人の少年少女がいたのです。戦争中期から導入された彼らは、その身体に機械を宿しており、恐ろし気な風貌、超人的な戦闘能力故、敵国からは、殺戮兵器と恐れられていたと聞きますな」
「その方々が、サイボーグ……しかし、彼らのお陰で戦争に勝利したのでしょう? どうして爺やは、そんな人達を、悪い様に言うのですか?」
時雨が首を傾げると、爺やは更に深いため息を吐いた。
「考えてみなされ。彼らがどれだけの戦果を上げたかは知りませんが……殺戮兵器ですぞ、殺戮兵器。そのように呼ばれている者たちと共に、生活などとても送れましょうか。一体連中が何を考えているのやら、見当もつきませぬな」
爺やの考えは、あまりに独善的であった。時雨はそれに憤りを覚えたが、同時に納得できる理由を持ち合わせていた。
──私、サイボーグなの。あの。
あの、殺戮兵器の。あの、人殺しで有名な。あの。
ノアが抱えていたのは、きっと、諦めに似た感情。
ノアは自身が畏怖の対象として、周りから捉えられていることを認知していたのだ。
彼女とって、それは日常であったのだろう。しかし、時雨はそれはおろか、サイボーグについてさえ、 何も知らなかった。
やはり先日の出会いは、運命だった。彼女は再度確信する。四宮時雨は唯一、沖名ノアを、サイボーグを、愛することができる人間であると。
「爺や、決めました。私……!」
「姫様。話は終わりました。もう時間ですぞ」
「はい?」
爺やはぱん、と手を叩くと、書斎の扉を開いた。
「皆様が、お待ちです」
朝の九時を回った頃。沖名ノアには、気になることがあった。
先日の話。彼女は、自分達が守り抜いた街を、国を、見て回っていた。
その夜に出会った一人の少女に、僅かばかし心を動かされていたのだ。
四宮時雨。
サイボーグに対し、畏怖の感情を抱かない人間と出会ったのは、彼女にとって、久方ぶりの出来事であった。
かつての戦友。何も知らないお姫様。そして。
「博士……」
胸の左側に手を当てる。ノアは目的地に辿り着いた。
公園から立ち去った後、時雨が連れ戻される様子を窺っていたノア。
あくまで冗談のつもりで、ノアは時雨を、お姫様と小馬鹿にした。
しかし実際、彼女に対し、姫様呼ばわりをする老人が現れ、彼女も彼に対し、爺やと返していた。
浮世離れした光景に、ほんの少しの興味を抱き、物見遊山で今日、ここに来たのだ。
家の外観を一目見て、帰ろうとしていたノア。
だが結果的に彼女は、なし崩し的に四宮家の門をくぐることになる。
「まるでお屋敷……」
ノアの眼前に飛び込んできたのは、高官の住まい を彷彿とさせる、木材や瓦から成る、巨大な和風の豪邸。
濃い茶色や黒が印象的な、古めかしい構え。
それは他の家屋と比較しても遜色なく、住宅街の中に同化しているが、敷地内は塀に囲まれていて、その中に、目視で確認できるだけで三つの建物が並んでおり、まるで大きな神社へ参拝に伺った気分になる。
観音開きの門扉が解放されており、その門の上部に、白い横断幕が掲示されていた。
「四宮家集会……どなたでもご参加ください?」
横断幕にそう記載があった。門の先を見やると、人がまばらに集まっている。
「あれ、お姉さん見ない顔だな。新入りか?」
門の前で立ち止まっていたノアに声をかける、中肉中背の男性。
「えっと……まぁそんなところです」
「取り合えず中に入りなよ。なに、話を聞くだけでもいいんだ」
ノアは促されるまま、男性と邸内に足を踏み入れる。
三十人程度の人が集まっている場所の前には、お堂のような、格式ばった建築物がある。
彼らの年の頃は、三十代から四十代辺りであると見受けられる。
齢二十になるノアからして、少し居心地の悪い場所ではあった。
「刻読みの本質とは、人として、成熟することにあります。人として、正しい行いが為せる様、努めましょう……」
建物を背に、足が悪いのか、車いすに座った五十代程の男性が、観衆に向けて何かを伝えている。
「あれは……」
車いすの男性の左右に、若い青年と、見覚えのある少女が立っている。皆、立派な着物を着用している。
「あの子、本当にお姫様だったのね……」
四宮時雨は、凛とした面持ちで、正面を見据えていた。先日垣間見た、年相応の少女のようなあどけなさは、なりを潜めている。
「あの人達は、何者なんですか?」
中肉中背の男性に質問するノア。
「四宮家当主、四宮克世様と、長男の司様。それに司様の妹、長女の時雨様さ。彼らは刻読みの一族と呼ばれ、その能力で、政界に多大な影響を与えたと言われている。その最たる例が、先の戦争だな」
「能力って……あ、ごめんなさい、お話の途中に質問ばかり」
四宮克世の説法のような話に、観衆は相槌を打って聞き入っている。
「いいのさ。ほら、ちょうど克世様の話が終わったらしい。それに俺は、未来を見てもらいに来ただけだからな」
家族に視線を向け直す。今度は、長男の司が前に立ち、話を始めていた。
「えっと……未来って?」
突拍子の無い単語に、思わずノアは聞き返した。
「ああ。刻読みの一族の人間は、代々未来を読むことができると言われている。克世様はこの能力を用い、戦時中、自国の勝利の為に貢献した。そして克世様は告げた。刻読みの一族を信仰し続ければ、いつか俺達にも、未来予知の力が会得できる、と」
ノアにとって、雲をつかむような内容だった。未来予知についても、それを習おうとしている彼らの心境も、にわかには信じがたい。
しかし男性の表情、言動に、一切の迷いは見受けられなかった。
「そうですか……仮に未来予知ができるようになって、一体何がしたいんですか?」
「それは……不安なのさ、とにかく。仕事、病気、家族……未来が予知できれば、その不安も払拭できるだろうさ」
男性に対し、ノアは返す言葉を持ち合わせていなかった。返答に窮したノアは、再び家族の話に耳を傾ける。
「私もいつか、皆様を先導する刻読みの一族の代表として、成長してみせますので、応援をどうぞよろしくお願いします……」
時雨が話を終えたばかりだった。
「えっと、ありがとうございました……」
時雨のお辞儀と当時に、まばらな拍手が起こる。どうやら観衆達の興味の大半は、当主の四宮克世にあるらしい。
「……姫様の話も終わったらしい。これから克世様が俺達の悩みを聞いてくれる……それじゃあ、失礼するよ」
或いはこれが彼の、彼らの、唯一の迷いなのかもしれない。
少し離れた場所から、四宮克世と、信徒と思わしき女性の会話内容を盗み聞きするノア。
「最近不幸が多くて……昨日は大切なネックレスが切れてしまって、それに……」
「……そうでしたか。それはお気の毒でございます。ですが安心なさって下さい。あなたを中心とする時の流れは、決して悪くない。例えば娘様ですが、近いうちに仕事で大事を成し遂げるでしょう。あなたにつきましても、交友関係の向上が見受けられます。これは、あなたが我々の教えを全うし、人間としても、正しい行いを全うしているからでしょう」
他の信徒達も同じだった。四宮克世は、信徒達の話に耳を傾けながら、一人一人の手を包み込んで握り、まるで活気づけるように、未来を教示する。
己の弱みを晒け出した人々は、やがて満足気な表情を浮かべ、四宮克世に感謝する。
未来予知の力を賜る為に、四宮家を妄信しているというよりも、心に余裕が無い人、何かにすがりたい人が集まっているという印象を、ノアは受けた。
隣に立っていた兄弟も、信徒達と会話をしている。が、あくまでも身の上話をしているだけに聞こえる。
あの二人も、未来予知ができるのだろうか。しかしノアは、それを確認するつもりも、終ぞ四宮家の能力に興味を抱くことも無かった。
「私の未来が変わったところで、周りは何も変わらない」
ノアには……生きる理由が無かった。
人殺しと恐れられ、生きることを否定され続ける日々。大切な人、拠り所の無い生活。
ノアは、自分達が守り抜いた国を、見て回っていた。ここに行き着いたのは偶然。
時雨はそれを運命と呼ぶのだろうが、ノアからしてみれば、取るに足らない出来事であった。
彼女の心境に変化は無い。彼女が自分自身に終わりをもたらそうとしている事実に、変化は無い。
「最後は、あの場所で迎えさせてほしいです、博士……」
ノアにサイボーグ化の改造を施した、一人の若い男性の博士がいた。
終戦後、すべてのサイボーグは、政府の指定により、日常生活において不必要な武装が解除されると同時に、一つの機能が備え付けられた。
それは、自決用の装置。
左胸に手を当てる。体内に埋め込まれた、人工心臓の活動を停止させる機能を実行することで、彼女の人生は、終わりを迎える。
沖名ノアの心臓は、既に停止しており、機械によってその生命を維持させていたのだ。
踵を返し、歩き出す。最後にチラリと見た、信徒達と話す四宮時雨は、貼り付けた笑顔を浮かべていた。
「あ、ちょっと待ってください! 王子様!」
少女の声が、ノアの耳朶に触れた。しかしノアは、振り返ることをしなかった。
四宮時雨は唯一、忌み嫌われ、破滅的な感情を抱くサイボーグに、理解を示してくれる存在であると直感していたからだ。
歩みを止めないノア。時雨から、これ以上呼び止められることはなかった。
信徒達のいる前で、事を荒立てる訳にもいかなかったのだろう。
四宮家の門を抜ける。未来を生きる人々と、過去に囚われるノア。己の矮小さを見せつけられたようで、思わず苦笑するのだった。