前編 婚約破棄は突然に☆
このお話は『妖精騎士の物語』の主人公の実姉が婚約破棄されるお話です。第一部における姉の婚約者が登場する際のプレストーリーとなっております。
近隣諸国が束になってもかなわぬほどの国土と歴史と人口を有する『王国』。その王都は人口三十万人を超え、新たな拡張計画が王家主導の元に進んでいる。
とはいえ、国王陛下自ら陣頭指揮を執るような事ではなく、とある子爵家が国王の代官として王都の有力者・参事会員達と調整を行い進めている。ただ単に敷地を外に広げるだけではなく、環境汚染の原因となっている古くからある教会や王都共同墓地などを郊外に移転し、病気の発生源を根絶し、生活環境や治安の改善につなげようとしていた。
そして、新たな大規模事業が行われるという事は、そこに加わろうとする新たな人々が積極的に交流する場も増えることになる。
女性同士の社交であれば日中の『茶会』であるが、男性においては『夜会』のような広く様々な人物とつながりをつくる場を設けたり、その中で特に関係を強めようとするのであれば、限られた人間だけで『晩餐』をともにすることもある。
また、郊外で王家の許可の元『狩猟会』などで、知己を得ることも少なくない。先代の国王陛下は建築好き、戦争好き、女好き、そして何よりも狩猟を好んでいたので多くの機会を得られたものの、当代の陛下はその反動……主に金銭面での負担を鑑み、地道な経済発展を選択している。
その一つの夜会において、何やら騒動が起こっている。
「子爵令嬢アイネ!! トワーズ伯爵が息アンベセシルとの婚約、この場で破棄させてもらうぅぅ!!!!!」
トワーズとは、王都から半日ほど離れた場所にある歴史ある商業都市。王都の人口とは比べるべくもないが、ランドル地方へと向かう古の帝国街道と大河の交差する渡河点に発達した河川港が元となった街が発展した都市だ。
『尊厳王』の時代、自治都市としての免状を受け周囲の小麦の産地の中心都市としてその加工集積産業を中心に発達し、さらに、ロマンデ地方と王都圏の境界上にあるため、ロマンデから王都に入荷する産物に関税をかける「貿易港」の側面も有していた。
今では同じ王を頂くロマンデだが、百年戦争以前においては幾度となく連合王国、当時はその中の『蛮王国』の領地であったためである。
その『領主』の三男坊がアンベセシル。
「……トワーズ卿……その理由をお聞かせいただけますでしょうか」
大きく輪を描くように人が二人の男女の周りから離れていく。大声を張り上げる男、アンベセシルは中庸と平凡を兼ね備えた褐色の眼と髪を持つやや小柄なひょろりとした男。
それに相対する女性は、ブルネットの波打つ髪をもつ、色の白いやや灰色がかった黒い眼を持つスラリとした美女。可愛らしさを残しつつ、計算されつくされた表情で自身の魅力を十分に周囲へとアピールしている。
恐らく、この夜会に参加している女性の中で頭一つ抜きでていると思われる美貌。その背後には、友人であろうか心配そうな視線を送る数人の女性が佇んでいる。
「知れたこと!! お前は嫉妬にかられ、我が愛するマルールを虐げた!! そのような心の醜い女を妻にする事など、到底出来ぬ!!!!」
トワーズ卿アンベセシルの眼は恍惚と輝き、陶酔の極みが見て取れる。その背後には、いささか慎みにかける肌の露出の多いドレスを着た肉感的な若い女性がわななき乍らアイネを見つめている。
「その、あなたの『お連れ様』がマルール様なのでしょうか」
鼻を鳴らし、アンベセシルが鷹揚に頷く。
「何を白々しい。お前が彼女になにをしたのか、忘れたとは言わせぬ!!」
アイネは首を傾げ、一通り考えを巡らせたあと言葉を紡ぎ出す。
「忘れたのではありません。心当たりが全くないのですが」
「なんだと! お前は、マルールが挨拶しても無視をし、茶会にも呼ばず、あまつさえ夜会の場でワインをドレスにかけたそうではないか!!」
その背後では、マルール嬢が「そんな」とか「私が悪いんです、でも、アイネ様が」などとアイネが悪いような言葉を言いながら、アンベセシルを煽っているように見える。
アイネはつまらない愛憎劇擬きの悪役を、勝手に押付けられたことに気が付き、少々腹立たしく思っていた。
「どうやら、その方は社交をご存知ないようですわね」
流行の『扇』で口元を隠しながら、周囲により声が聞こえるように声を少しだけ高くする。
「私と知り合いたいのであれば、御自身の周囲に私の共通の友人がいないかどうか調べ、いなければ、そのまた友人を探すのですわ。その上で、茶会などを開き、自身が紹介される事がその方にとって有意義であることをそこはかとなく伝えるべきです。その中で、私が茶会に誰を招くか、また、その時に同行することを許すかどうか、初めて可否がわかるのですわ」
男性同士であれば、夜会で顔を合わせた共通の友人を介して面識を得て、招く招かれる関係に発展することもあるだろう。また、仕事の場の会合などで意気投合することもある。
だが、女性同士というのは実家・婚家の関係性もあり、誰とでも仲良くできるわけではない。しいて言えば、教会の奉仕活動などをともにする事で垣根を越えて関係が成立することもあり得るが、それは社交とは少々趣がことなる関係性になるだろう。
「だが、無視したり嫌味を言ったりしたのではないのか」
「知らない者から話しかけられても返事をしないのは当然ですわ。それが解らない方に、遠回しにお知らせしたことが『嫌味』ととられたのであれば、私、大変心外ですわ」
背後のアイネの友人だけでなく、女性たちから「常識が無い」であるとか、「社交がわかっていない」というような呟きが聞こえよがしにされる。
「だ、だが!!」
「トワーズ卿に伺いますが、マルール嬢は王都の方でしょうか」
「……いや、トワーズの女性だ」
「ならば、何故、王都の社交場に出ようとなさるのでしょう。トワーズにはトワーズの社交がございましょう? 商会頭のような人物や街の参事である有力者の方であれば、取引などで王都の社交の場に参加為される場合もあるでしょうが、女性の社交の場というのは、地域に根差したものがほとんどです。貴方様が強引に王都に連れてこられたのが原因では?」
アイネは回りくどい貴族の言い回しでは目の前の二人に伝わらないかと考え、少々貴族の子女らしくないとは思うのだが、率直に伝える事にした。
次期子爵として、父の元で会合などに同席し王都の商人や有力者である都市貴族との話し合いを聞くこともあり、宮廷風の言い回しでは伝わらないと考えたからだ。
「ひどい、アイネ様。私のような者は、トワーズから出て来るなとおっしゃるんですかぁ!!」
悲劇の主人公役の女優のように声を張り上げるマルール。だが、周りは眉を顰めこそすれ、誰も同調せず、空気が張り詰めたようになる。
社交というのは、個人的な友誼を結ぶことも大切だが、未婚の時は実家同士の絆を強める為、嫁いでからは婚家同士の関係性を高めるのはもちろん、男性同士では話せない搦手の腹の探り合いを夫人同士で茶会の場でさりげなく調整する事などにある。
その昔、王と皇帝の戦争を母親同士が仲立ちし納めたという歴史もある。自身の面子や周囲の利害関係より、『家』と『子ども』を大切にできる『妻』『母』の立場が重要なこともあるのだ。
アイネはそう考え、子爵令嬢ながら王都の社交界で自身の派閥を立ち上げ、爵位を持たぬ王都の都市貴族の子女や富裕な商人の娘と王国の高位貴族の子女を引き合わせる連結器の役割を果たしている。
彼女が支持されている理由は、女性としての魅力のみならず、自身の役割にたいして貪欲であるところにもある。誰しも家を富ませ、安定した家庭を築きたいと考えている。『家政』こそが女性の活躍する場であると理解している聡明な貴族女性がアイネの派閥の主要な構成員である。
そういった立場で、トワーズの社交を仕切る女性であれば、アイネも相手をしたであろう。しかし、男性にぶら下がる若さと性的な魅力しかない女性とアイネとは相いれない関係であるし、目的も共有できそうにもない。故に、相手のアプローチを無視してきたという経緯がある。
「婚約破棄の件、家に戻って父に伝えます。トワーズ伯は、この件は既にご承知おきなのでしょうね」
「……父にはこれから話す。だが、俺の意思は決まっている。お前のような可愛げのない女を妻にする気は毛頭ない!!」
可愛げのある女をお望みなら、そういう場所に出向けばよろしい。勿論、アイネも相手によっては可愛げのあるところを見せることはあるし、むしろ、可愛げを出せる婚約者であればなと常々考えてもいた。
「では、この話は……」
「終わりなわけないよね」
話を切り上げ場を離れようとしたアンベセシルを、アイネが呼び止める。口調が替わり、いつもの淑女然とした雰囲気ではないと周囲もざわつき始める。
「姐さん! やっちまってください!!」
「アイネ様ぁ!!」
一部から、なにやら声援めいた期待する声が上がる。
「な、なんだ。どんなに縋ろうとも、俺の意思は……」
「ん、そこじゃないよね? 君さ、私に一方的に因縁付けて名誉を汚し、あらぬ嫌疑を与えたよね。でもさ、それについて、認めてないし、名誉も回復されていないじゃない? これって、ハッキリさせないといけないと思うの。
早急に」
貴族同士の争いは、王都の高等法院において裁かれることになる。とはいえ、名誉を汚されたといった事象で裁判を行えば、事実関係をお互いに認めず、審理ばかりが長引きアイネの名誉は回復されないまま時間が経過していってしまうことになる。
それでは、今発生している事象が言いがかりであったとしても、アイネに敵対するまたは面白く思っていない旧守派にとって、格好の攻撃材料となってしまう。
近々、王都の社交界にギュイエ大公女が加わる事になる。まだ幼い王女殿下がいない現在、王都の社交界において、王妃殿下に次ぐ身分の高い女性となる。元王弟殿下を曾祖父に持ち、王国でも豊かな地方を領有するギュイエ公爵家の『姫』であるから、庶民派アイネグループを良く思わない人達は、公女を領袖として派閥を強化しようとしている。
言いがかりとはいえ、小さな炎も大火事にするのが社交の技術。早急に、この言いがかりを完全否定し、小火にすらさせずに終わらせる必要がある。
「名誉回復のために、神様の前で決着を付けようじゃない?」
「なんだ、教会で神の声でも聴こうというのか」
「決闘裁判に決まってるでしょ。まあ、殺さない程度に痛めつけてあげるから。覚悟しておきなよね」
「「「「「……はあぁぁぁ!!!」」」」」
淑女の口から『フェーデ』という言葉か聞かれるとは思いもよらなかったアイネとそこまで親しくない紳士淑女は驚きの声を上げ、良く知る者たちはバンプアップして喜んでいる。
「はいこれ」
身体強化を施した指先で、自らの手袋を『ボルト』のようにトワーズ卿の腹に叩きつける。ありえない鈍い音がして、トワーズ卿は前のめりに倒れ込む。
「日時と場所、道具は……レイピアかな。こっちは代理人は立てないけど、怖かったら他の人に頼んでもかまわないよ。わ・た・し 寛大だから☆」
大喝采を一部から浴びつつ、主催者に詫びを述べて立ち去るアイネとその一団。主催者である王都の参事の一人は「私も是非決闘裁判の傍聴の席をお願いします」と言葉を返していた。
――― すなかぶり席、最前列での観戦をご所望である。
三話構成です。本日中に完結します。
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