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【短編】大迷宮~若き金級冒険者が幼馴染の少女に告白し続けるわけ~

作者: A-RYO

 花が舞った。

 青く開いた花弁は、さらわれるように風に乗った。それから、溶けるようにして、空に流れた。


「あ……」


 漏れた声は、花束を差し出していたオットーのものではない。それを拒絶した、クララのものだ。

 淡い色をたたえる花びらが散って、殺風景な街路を慰めるように彩った。


 わずかな時間だった。

 時間が止まったようだった。


 誰も、声を上げない。


「………っ」


 自らが叩き落した花束を見下ろして、クララはわずかに唇を噛んだようだった。痛みに耐えるように。見たくないものを、見るように。

 まるで、傷ついたのは自分の方だと言わんばかりに。


「あーあ、ごめんな。好みじゃなかったか」


 乾いた笑顔を浮かべながら、オットーはしゃがみこんで、花を拾った。


「今度は赤い花を持ってくるよ。バラか、ダリアか。そんなの、迷宮に咲いてるかは分かんないけど」


 それだったら受け取ってくれるだろ、と笑顔で語りかける。そのオットーを無視するように、クララは自分の手を見つめていた。

 途方に暮れた幼子みたいだ、とオットーは思った。思いがけないことをしてしまい、謝ることも、取り繕うことも出きず、ただ呆然と立ち尽くすだけの、子供。


「……いらない。もう何も、持ってこないで」

「クララ」


 しゃがみこむオットーを置き去りにして、クララは走り去った。制止の声は、きっと届いてもいない。

 まったく、とため息を吐く。いつもこうだ。そんなつもりはないのに、俺はいつも、クララを傷つけてばかりいる。


 道に散った花弁を、目につくものだけ拾い集めて、オットーはゆっくりと立ち上がった。

 今日は日が悪かった。きっと次回はうまくいく。


 そんな言い訳を重ね続けて、もう何年が過ぎただろう。



*  *  *



「オットーよぉ。お前、いい加減に諦めたらどうだ」

「そうそう。あの娘は無理よぉ、オットーちゃん」

「あん? 何の話だ?」


 酒場である。

 まだ夜とは言えない時間からハイペースで杯を空けているのは、だいたい迷宮冒険者の一行だと相場が決まっている。


 エールを気持ちよく流し込んでいたオットーに話しかけてきたのは、ご多分に漏れず、金級ゴールド冒険者のデニスとカルラだった。

 コンビの冒険者としては名うてで、見た目の派手さに反して堅実でクレバーな探索をする。着実に実績を積み上げて、半年ほど前に金級ゴールドに上がった猛者だ。


 オットーとの付き合いは古い。数年以上、オットーがクララを口説き続けていることも知っている。


「ソロで金級ゴールドまで上がれる冒険者なんてそうそういないんだから、オットーちゃんなら引く手数多でしょ?」

「そうだぜ、女には困らんはずだ。それをなんで、何年も同じ女にこだわってるかねえ。まあ、たしかに見てくれはいい女だけどよ。俺だって機会があればお手合わせ願いたい」

「あれー? デニス、いま何か言ったー?」

「おっと口が滑った」


 イチャつくふたりを無視して、ごとり、とジョッキを置く。女は他にもいる、とつぶやいてみる。なるほど、理屈を言っているのはデニスたちの方だ。なにしろ人類の半分は女だ。誰に言わせたって、おかしいのはオットーだろう。

 実際、一年前に金級ゴールドに昇級してからというもの、女性たちからの誘いは絶えない。もちろん、冒険者パーティへの勧誘も絶えない。


 迷宮冒険者の楽園であるこのハインスボーンの街でも、金級ゴールド以上に属する冒険者は極めて少ない。全体のせいぜい1%だという話もある。ましてソロで上り詰めたとなれば、前例を探すのも難しいくらいだろう。

 そう、オットーには需要がある。なにも、街の商家の娘ひとりにこだわり続ける理由などない。 


「ねえねえ、オットーちゃん。あの子の何がそんなにいいの?」

「何が、って言われもなあ」


 がしがしと後頭部をかく。面と向かって聞かれると困る。

 微笑こそ浮かべてはいるが、いつもはふざけ半分のカルラが、今日はいつになく真剣なまなざしだ。


「カルラ、今日のこと、誰かに聞いたのか?」

「聞いたわよお。っていうか、結構な噂になってたわよ。金級ゴールドソロのオットーが、またクララにこっぴどく振られたんだって」

「人の恥を大声で言うなよ」

「何度も振られた相手に、道端でいきなり花束渡すような人に、恥なんてものが残っているとは思わなかったわ。しかも、その花束、払い落されたとか」


 実際のうわさはもう少しひどかったのだろう。言いながら、カルラはちょっと眉根を寄せている。


「あれは、たまたま手が当たっちゃっただけだ。クララだって、そんなことはわざとしない」

「でも、謝りもしないで走り去ったんでしょ?」

「……詳しいな」


 カルラはデニスの恋人だが、きっと友人として、オットーのことも憎からず思ってくれている。

 だからこそ、オットーに対するクララの仕打ちを苦々しく思っているのだろう。


「オットーちゃん、いっつも迷宮でクララのためにレアなアイテムとか綺麗な宝石とか拾って、渡してるじゃない」

「いやあ、それほどでも」

「ほめてないわよ。何を聞いたらその返事になるのよ」

「そうなの?」


 はーっと頭を振って、カルラは続ける。


「いつまで、そうやって贈り物を続けるつもりなの?」

「さあ?」

「さあって……」

「そもそも贈り物っていうか、押し付けてるんだけどな」


 実際、クララが受け取りを拒否した場合、郵便受けに突っ込んだり、店の前に座り込みをしてやると脅して、無理やり引き取らせている。


「……あれ、もしかして俺、そのせいで嫌われてるのか?」

「さあね」


 呆れてため息も出ない、と言った様子だ。


「でも、冗談抜きで、そろそろ終わりにしたら? オットーちゃんに、あの子は似合わないわよ」

「そうかい。あり得るとしたら、逆だと思うけどな」


 クララに俺は似合わない、と言いかけて、口をつぐんだ。しゃべるべきではないことまで口にしてしまいそうだった。

 クララにこっぴどく振られた足で逃げ込んだこの酒場で、昼過ぎから飲んでいる。いい加減、酔いも回ってくる頃だった。

 夕方を過ぎて、そろそろ店も混みはじめる。詮索されるのは好きじゃないし、ここらが潮時だろう。


「なあオットー。真面目な話、あいつの何にそんなに惚れたんだ?」

「そんなの、決まってるだろうが」


 ぐいっと身を乗り出してくるデニスをうまくかわし、スツールから腰を上げて、金をカウンターの上に置いた。いつも通り、ちょっと多めに。


「顔だよ。顔に惚れたんだ」

「ホントにそれだけか?」

「他になにがあるんだよ? 貧乏商家のひとり娘だぜ?」

「胸とか?」

「魅力的じゃないと言えば嘘になるがな。残念ながら、俺は尻派だ。しかも小ぶりなのがいい」

「業の深いやつめ」


 まー、たしかに美人だよなー、俺もよく見とれるぜ、とデニスが懲りずに続ける。馬鹿め、と言う間もなく、カルラが嫌な目でデニスをにらんだ。


「ところでオットーちゃん、もう帰っちゃうの? 夜はこれからなのに」

「夫婦漫才に付き合わされるのは趣味じゃないんだ。また、迷宮のどっかでな」

「やだぁ、夫婦だなんて。私まだプロポーズされてないわよー」

「……まだ?」


 ひきつった笑みを浮かべたデニスに、カルラが「なに?」と微笑みかけている。ほら見ろ、夫婦漫才になった。

 くだらないやり取りをはじめたふたりを残し、オットーは酒場から退散することにした。



*  *  *



 翌日から、迷宮にもぐった。もちろん、クララへの次の贈り物を探すために、だ。

 アイテムを使って40層まで一気に飛ぶ。今日の目当ては虹水晶と黒一角獣ブラックユニコーンの角だ。虹水晶はだいたい40層から50層あたりで採掘され、黒一角獣ブラックユニコーンは40層から45層に出現する。もっとも、遭遇率は極めて低い。レアモンスターなのだ。


 迷宮もこのあたりまで深くなると、通常出くわすモンスターも相当な強さだ。補助を見込めないソロ冒険者だと、わずかな油断が命取りになる。

 まして黒一角獣ブラックユニコーンは、出現率が極端に低いだけあって、階層の常識を無視した速度を持つという。


「ま、紅蓮未草の時よりマシだろ。あの時は二週間かかったもんな」


 今回も、無事に狩れるまで何日でも迷宮内に泊まり込むつもりだった。


「いっちょやるか!」


 腕まくりをして、たいまつの宝玉を掲げる。ぼう、とあたりが明るくなる。見落としがないように、オットーは慎重に探索を開始した。



*  *  *



 クララとは幼馴染だった。


 オットーは十四の誕生日に迷宮冒険者の資格を得た。その二年後、両親は新天地を求めて別の国へ向かい、オットーはハインスボーンに残ることになった。いまでは年に一度、顔を合わせる程度の付き合いしかない。

 十六から自活をはじめたオットーだったが、生来のものぐさが祟って、食事は適当、部屋の掃除は月に一度、散髪は自分で、というありさまだった。

 見かねて手を貸してくれたのが、クララだった。もちろん、アルバイト代は渡した。そのころには銅級ブロンズ上位の冒険者となっていたオットーは、金には困っていなかった。


 お互いが言葉をしゃべり始める前からの付き合いだ。部屋に招いたところで妙な空気が流れるはずもない。恋愛とは程遠いところにある、親愛の情。

 それに変化が生じたのは、それから一年後、いまから五年前のことだ。


 クララの両親が死んだ。不幸な事故だった。だからと言って、誰かがその不幸を補填してくれることはなかった。残されたのはわずかばかりの思い出と、借金だけだった。

 両親が営んでいた小さな商店を、クララは継ぐことにした。経営は決して楽ではなかった。誰もが店をたためと言った。そうした助言を、クララは笑顔で退けた。


「だって、お父さんとお母さんが遺してくれたものだから」


 消え入りそうな声でもらしたつぶやきは、いまでもオットーの耳にこびりついている。呪いのように。

 店を正式に再開させてからも、クララは笑顔を絶やすことなく、従業員を励まし、客に愛想を振りまき続けた。


 その日から、オットーは迷宮に潜るたびにクララへの贈り物を持ち帰るようになった。やがて、遠慮してそれを断るクララへの、愛の告白が付されるようになった。

 不思議なものだなあ、とあの頃のことを思い出すにつけ、オットーは苦笑する。愛を囁けばささやくほど、ふたりの距離は遠くなった。


 甲斐甲斐しく世話をやいてくれていたのも今は昔、顔を合わせるたびに、クララはオットーに嫌な目を向ける。

 他の人には決してそんなことはしないのに。



*  *  *



 虹水晶は2日目に手に入ったものの、黒一角獣ブラックユニコーンとは遭遇できないまま一週間がたった。

 ぬぐい切れない疲労を背負って角を曲がった瞬間、獣の臭気が鼻をつく。期待して目を凝らした先にいた影を見て、オットーはため息を吐いた。


「リザードベアか」


 竜のうろこで全身を鎧った熊の魔物だ。攻撃、防御力ともに高く、魔抵も低くない。ついでに火炎を吐く。

 肉もうろこも爪も高く売れるし、魔石にはいいポイントがつくが、そのぶん手ごわい。できれば遭遇したくない相手だった。


「こいつは、初手が肝心!」


 懐からスピードポーションを取り出して飲み干すと同時、腰から抜き取ったナイフをうろこの隙間に突き刺した。大したダメージにはならない。リザードベアは、すこし顔をしかめるだけだ。

 だが、それでいい。


 収納袋に手を突っ込み、対火性能に優れたサラマンダーローブを引っ張り出す。上から羽織るだけのローブは、こういう時に重宝する。

 襲い掛かってきたリザードベアの一撃をよけ、追撃を手甲ではじく。距離を取ろうとした瞬間に吐き出された炎を、ローブで遮断してやり過ごす。


「とはいえ、熱いのは熱いんだよなあ」


 わずかに、頬にやけどを負った。もとより無傷で済まそうという気はない。

 それからしばらく、防戦一方が続いた。ナイフに仕込んでいたのは、強力だがやや遅効性の毒だ。効いてくるまではひたすら時間を稼ぐしかない。


 十五分の格闘ののち、ようやくリザードベアの動きが鈍り始めた。それまでに、スピードポーションと、目くらましの閃光弾をそれぞれ三つ消費した。

 肉体のダメージもそこそこで、特に右肩に負った一撃は重い。爪が肉をごそっと持っていきやがった。


 長引けば血を喪うだけと判断したオットーは、武器を三重黒鉱剣に持ち変えて、上段に構える。重量があるから取り回しには苦労するが、一撃の破壊力に秀でた剣だ。

 ふたたび襲い掛かってきたリザードベアの足元がふらついたところを見計らって、大きく踏み込む。


「くらえ!」


 脳天をたたき割るつもりで、剣をふるう。骨まで砕く確かな手ごたえがあって、魔物の喉から息が抜ける間抜けな音がした。

 その直後、ずん、という鈍い音を立てて、リザードベアは倒れ伏した。


 目的のものではないが、放っておくのももったいない。魔石を抉り出し、爪、うろこ、牙あたりを解体して、素早く収納袋にしまう。

 迷宮管理局特製の収納袋は、こういうときに便利だ。魔力を通わせるだけで、見た目の数十倍、数百倍の物資を収納できる。おまけに軽い。


「しかし、困ったな、そろそろアイテムも尽きてくる頃だぞ」


 これだけのダメージとアイテムでリザードベアの魔石が手に入るのであれば、収支としては大きな黒字だ。しかし、問題はそこではない。


 迷宮内の大気はマナが濃く、外から持ち込んだ食物はすぐに腐ってしまう。

 ここで一週間を過ごすということは、水場を見つけて火を熾し、魔物を狩ったり食用になる植物を採取して食事とすることに他ならない。

 また、ソロの冒険者は寝込みが危ない。体力が限界を迎える前に寝床に適した場所を見つけ、警報アイテムなどを設置して、短い睡眠をとることになる。


 年齢の割にはすでにベテラン冒険者であるオットーにしてみれば慣れた日常だったが、持ち込んだアイテムには限りがある。

 このままだと、一度冒険を中断して地上に帰らなければならない。


 しかし、迷宮管理局の取り決めで、大きなけがを負った冒険者は、それがある程度癒えるまで、再度迷宮にアタックすることはできない。

 それでは、期日に間に合わなくなる。


「うーん。もうすこし、粘ってみるか」


 あと一日だけ、と決めて迷宮の奥に足を踏み出す。遠くで、風が不満そうに鳴いていた。



*  *  *



 クララの目の前に、捨てることができなかったものたちが、山となっている。

 夜も更けた。そろそろ眠らなければ、明日の開店準備に差し支える。わかっていても、今夜ばかりは眠気が遠い。


 明日は両親の、五回目の命日だった。債権者たちには、五年だけ待ってもらうように懇願した。

 最初は怪しかった経営も、従業員たちの支えのおかげで、徐々に軌道に乗り始めた。それでも、借金を返し終えるまでには至らなかった。


 明日、店は他人の手に渡る。

 そうしない方法は、まだ残っていた。けれども、どれだけ追い詰められても、自分がその手段だけは採らないことを、クララは知っていた。


「ごめんなさい、お父さん、お母さん」


 つぶやきを聞きつけたわけではあるまいに、にわかに窓の外が騒がしくなった。顔をだして覗くと、わめきながら夜道をこちらに向かってくる影がある。

 何事だろと思う間もなく、その冒険者が呼ばわっているのが自分の名前であることに気が付いた。


 闇夜に目を凝らす。声に聞き覚えはあった。あれはたしか、オットーの友人の、デニスという冒険者ではなかった。たまに、高額のアイテムを買っていってくれる上客だ。

 慌てて上着を羽織り、階段を駆け下りる。店と兼ねている自宅へは、裏口からしか入れない。デニスはそのことを知らないだろう。


「デニスさん、どうしたんですか?」

「おう、クララ。良かった、まだ起きてたか」


 路上、声とともに闇夜にぬっとあらわれた姿は、血と塵埃にまみれていた。迷宮帰りなのだと、それで知った。

 デニスは大声でクララの名を呼びながらやってきた。ご近所さんたちも何事かと顔をのぞかせている。おそらくは尋常の用事ではないと思っていたが、声音は思ったよりも明るい。


 クララの目は、しかし、それよりも何よりも、デニスが背に負ったものにくぎ付けになった。


「オットー!」


 デニスの背にだらりと全身をあずけたもの。

 それは、傷だらけになり、血だらけになった幼馴染の姿だった。


「デニスさん、これ、どういうこと……どうしてオットーが」

「迷宮で拾ったんだ。中でできる限りの治療はしたから、もう医者に連れて行っても仕方ねえ。大丈夫、命は助かってるよ」

「だからって……」


 クララの声には悲痛の色が濃い。当然と言えば当然だ。

 だって、デニスには、左腕がなかった。


 一週間前には、たしかにあった。あったのだ。だって、その手で差し出された花束を、自分は払ってしまったのだから。

 他にも、数えきれないくらいの外傷があるのだろう。見れば、閉じられた右目を遮るように傷がある。深い。これでは右の眼球も危うい。


「いいから、早く医者のところへ」

「ダメだ。今夜中にアンタのとこに連れて行けって、こいつがうるさかったんだ。――おい、そろそろ起きろ、オットー」

「そ、そんなにゆすったら……!」


 悲鳴を上げかけるクララを無視して、デニスは乱暴にオットーをゆする。これはもう腕ずくで止めるしかないと歩み寄った時、


「ん、ああ、着いたか」


 と、聞きなれた声がした。

 デニスが軽く膝を曲げると、オットーは軽やかに地面に立った。まるで、何事もなかったのだと言わんばかりだ。


 でも、その片腕はない。

 ないのだ。

 何度見ても。


 それすら意に介さない者のことを迷宮者と呼ぶのなら。

 ああ、とクララは息を吐く。


 ――わたしの幼馴染は、なんて存在になってしまったのだろう。


「ったく、元気じゃねえか。自分で歩けよ」

「いやいや、死にそうだったんだって。助かったよ、デニス」

「言葉はいいから、礼はちゃんとモノで払えよ。リザードベアの魔石と素材一式だぞ」

「はいはい、今度な」


 言い残して、デニスは去っていく。残されたのは、傷だらけのオットーとクララだけ。


「すまんな、夜遅くに」

「そんなことより、オットー、腕が」

「ん? ああ、これか。ちょっとな。手ごわいやつに持っていかれた」


 朗らかに笑っている。

 怒ればいいのか泣けばいいのかわからず、クララはただ、唇を噛んだ。


「なんか、久しぶりだな」

「何が?」

「こうして、クララが俺の心配してくれるなんて。こんなことなら、たまには大けがもしてみるもんだな」

「――っ」


 無言のまま、オットーの腕を引いた。のこされた右腕。

 もう何年も前、はずみで触れた時よりも、はるかに太くて男らしくなった、その腕。


「クララ?」

「いいから、家に入って。立ち話もなんでしょ?」

「あ、おい」


 無理やりオットーを招き入れて、部屋に通す。ソファに触らせた後、一瞬だけためらってから、クララはその服を脱がせた。


 記憶にあるものよりもはるかにたくましい胸板よりも、やはりなくなってしまった左腕に目がいった。

 魔法かアイテムの力によるものか、あるいは単に我慢しているだけなのか、オットーが痛みに苦しんでいる様子はない。


「おい、クララ?」

「せめて、血は拭かないと」


 桶に水を入れ、意味があるのかわからないまま濡らしたタオルでオットーの体を拭っていく。

 タオルを浸すと、桶の中の水がたちまく黒くなった。


「あ、すまん。風呂に入ってから来るべきだったな。ちょっと急いでて」

「急いでって、なにをそんなに」


 言いかけるクララを無視して、オットーは残った方の手を、腰に括りつけた袋の中に突っ込んだ。

 迷宮管理局で購入できる収納袋だ。冒険者たちは、戦利品の多くを、これに入れて持ち帰ってくるという。


「ぎりぎり間に合った」

「え?」


 誇らしげな笑顔とともにオットーが取り出したのは、漆を塗ったように黒々と輝く、大きな角だった。


黒一角獣ブラックユニコーンの角。結構なレアものでさ、きれいだろ? これ、プレゼントだ」

「……っ」


 ふいにこみあげてきた、名前の付けられない感情の奔流に、クララは耐えた。耐えねばならなかった。

 だって、そんなことはわかっていたのだから。


 オットーは、債権の取り立てが明日であることを覚えていたのだろう。だから、今日までに借金のかたにできるような、高額のアイテムを持ってこなければならなかった。

 強いて言葉にしていなかったとしても、意図するところは明白だった。


 ぱん、と音が鳴った。黒一角獣ブラックユニコーンの角が、音もなく床に転がった。それを差し出していたオットーの右手ごと、クララが払ったからだ。ちょうど、一週間前に花束を払ったように。


「クララ」


 オットーは微笑を崩さない。悲し気な目で、クララを見つめるだけだ。

 その濁りのない瞳を見つめ返す勇気もなく、返すべき言葉もなく、クララは顔を伏せた。せめて、涙だけは見せまいとして。


「まいったな、そこまで嫌われたか?」


 苦笑交じりにオットーが言う。クララは動かない。クララはしゃべらない。口を開いてしまえば、決して言ってはならぬ本音を漏らしてしまう自分がいることを、嫌というほど知っていたから。

 だから、唇を噛んだ。


黒一角獣ブラックユニコーンの角はさ、加工するといいアクセサリーになるんだ。これで髪留めでも作ったら、クララの金髪に似合うと思ったんだけど」


 俺の黒髪じゃ、埋もれちまって目立たないんだ。だからもらってくれ。そんな、聞けばすぐにわかる嘘を白々しく口にして、オットーは笑う。

 父母のことを言葉にしなかったのは、オットーの気遣いだろう。両親の残してくれた店を守るためには、これを売るしかない。そういう言い方になるのを、オットーは嫌った。

 とことん、不器用な男なのだった。


 だからこそ、クララはそれを受け入れることができない。せめてもっと、ずるい男であってくれたならと思ったことは、一度や二度ではなかったのに。

 息を吸う。吐く。必要な仕草はそれだけだった。


 続いて口にした言葉は、意図したよりもさらに冷たい音になった。


「ねえオットー、それ、馬鹿にしてるの?」

「馬鹿に?」

「それとも、憐れんでるの? かわいそうなわたしのために、一流冒険者のオットーは、レアなアイテムを恵んでくれるってわけ?」

「クララ……」

「そこまで落ちぶれてなんかないわ。馬鹿にするのもいい加減にして!」

「違う、俺はそういうつもりじゃ……」

「じゃあ、どういうつもり?」

「ただ俺は、お前に喜んでもらいたくて」


 そう告げたオットーの瞳が揺れていた。やめてよ、とクララは思う。そんな顔をするのはやめて。だってそれじゃあ、まるで迷子の子供みたいじゃない。

 どうすればいいかわからずに、ただ途方に暮れている子供。


 誰よりも強いはずのソロ冒険者は、泣きそうな顔でクララを見ていた。


「――っ!」


 言うべきではなかった。でも、もう我慢ができなかった。大粒の涙が瞳から零れ落ちると同時に、クララは口を覆って泣いた。

 本音が、堰を切ったようにあふれ出した。


「もうやめてオットー」

「でも、クララ」

「耐えられないの! ずっとずっと好きだった人に、こんな風に憐れまれたら、わたしはもう生きていけない!」


 オットーが本当は、クララを愛してなどいないことは、誰よりも自分がよくわかっていた。仲の良い幼馴染で、少なくともオットーにとってのクララはそれ以上でもそれ以下でもなかったはずだ。

 それが、両親の急死以来、がらっと態度を変えた。


 理由など、憐れみ以外の何があっただろう。


 知っていたのだ。

 オットーが誰よりも優しいこと。幼馴染のクララの苦境を見かねて、贈り物にかこつけて援助をしようとしてくれていたこと。それが単なる施しだと思われないように、愛の言葉を添えてくれていたこと。


 ああ。

 なんて惨めな、わたしだろう。


 そんなことは、クララにはわかっていた。昔から誰よりも優しくて、誰よりも意地っ張りだったオットー。両親を亡くしたクララのために、傷だらけになっても迷宮に挑み続けたオットー。


 わかっていたからこそ、クララはオットーからあらゆる施しを受けたくはなかった。受け取ってしまえば負い目になる。援助する側とされる側になる。そうなるのが嫌で、助けてもらうのが嫌で、その愛を偽った同情を受け入れられなくて、だからクララは拒絶した。

 クララこそは本当に、ずっとずっと、オットーのことが好きだったから。

 だから、この想いは受け取れない。


 顔を伏せて泣いた。声を絞るようにして、ひざまずいて泣いた。もう、オットーとはこれっきりになるだろう。その別れがつらくて、クララは泣いた。


 数分もそうしていただろうか。クララの涙が収まるまで、オットーは何も声をかけなかった。ならば、別れを切り出すのは自分の役目だろう。

 手で顔を覆ったまま、クララは呼吸を整えた。せめて、今日までの友情に報いるために、笑顔でさよなら告げようと思った。


 顔を上げる。オットーの顔を見る。

 そして、クララは絶句する。


「え?」


 オットーは赤面していた。恥ずかしそうに、残った右腕で顔を隠して。


「な、なんだよ、じろじろ見るなよ」

「オットー?」

「し、仕方ないだろ! だってクララ、さっき、俺のこと、好きって言ってくれたから」

「え?」

「お、お前、なんか勘違いしてるだろ?」


 もじもじと、残った方の腕で器用に髪をいじって、オットーは恥ずかしそうに笑った。どこか自信なさそうに、すねたように、頬を染めたまま。


「俺だってずっと、クララのこと、好きなだけだぞ」


 ああ、もう、とクララは思う。泣きたいくらいにまた胸が鳴る。

 人のことは言えないとわかってて、馬鹿と言いたくなる。本当にどうしようもなく不器用で、子供で、かわいらしい、わたしの幼馴染。



*  *  *



 オットーの告白をどう受け取ったのか、クララは完全にフリーズしてしまった。

 しかし、さっきまでのやり取りで、オットーとクララの間には、長い間大きな勘違いが居座っていたことがよくわかった。


「つまり、クララは俺が贈り物をするのも、何もかも、同情だって思ってたってこと?」


 こくり、と小さくうなずかれる。そんな馬鹿な、と言いたい気持ちに蓋をして、呆れ顔を作る。


「なんでだよ。なんでそんなことになるんだよ」

「だ、だってオットーは昔から優しいし、それに、ほら」

「ほら、なんだ?」

「わたし、オットーにふさわしいような女じゃないし」


 何を言っているんだこのスットコドッコイ、と声を荒らげたいのを我慢して、なんとか渋面を作る。そういえば酒場でカルラも似たようなことを言ってなかったか。

 あり得るとしたら逆だろう、とオットーは思っている。クララは街でも評判の美人だし、誰にでも優しい。店の客からも人気だと聞いている。


「借金ばかりだし、お店の経営だってうまくできてないし、泣き虫だし」


 クララは泣きそうな顔で、自分のダメなところを指折り数えていく。その様子を見ていたくなくて、オットーはついつい、クララを抱き寄せた。


「あっ」

「やめろよ、そういうこと言うの」


 借金はクララのせいではない。店の従業員たちはみんな、クララの人柄に惹かれて働いてくれている。泣き虫なのは、泣かせてばかりいるオットーが悪いのだ。

 それでも、オットーの肩に顔を埋めて、クララは続けた。


「オットーに色目使って、貢がせ続けている悪い女だって、噂されてるのだって知ってる」


 しゃくりあげながら、クララはそんな悲しいことを言った。傷ついていたのだろう。人知れず、枕を濡らした夜もあったのかもしれない。それでも、否定はしなかった。それはクララが自分に与えた罰だったはずだ。

 そういう噂を口にする馬鹿は、見つけ次第ぶん殴ってきたつもりだったが、クララの耳には届いてしまっていた。己のあまりのふがいなさに、オットーは震える唇を噛んだ。


「今回だって、オットーに大怪我までさせて……」

「これは関係ない、俺が未熟だっただけだ」

「でも」

「関係ないんだ。クララ、怪我をしようが、誰に噂されようが、お前がどういう女かってことは、俺がいちばんよく知ってる」


 クララの涙を右手の親指で拭って、オットーは精一杯の笑顔を浮かべた。


「クララは悪い女なんかじゃないよ。だってクララ、俺からの贈り物、なにひとつ売ってないだろ?」

「――知ってた、の?」

「知らん。けど、想像すればわかる。大方、この家のどこかにまとめて置いてあるんだろ」

「よく、わかるね。部屋に置いてあるの。さっきも、じっと見てた」

「これを売れば店は助かるけど、それはできないなあって思いながら?」


 クララは答えない。沈黙は肯定だろう。

 贈り物をやすやすと金に換えることができるような女だったら、そもそもこんな苦境には陥っていない。その程度の想像力もない馬鹿の流した噂に、まんま傷ついてしまうようなクララだからこそ、オットーは愛しくて仕方がない。


「でも、オットーどうして?」

「なにが?」

「どうして、そんなにわたしのことを?」


 みんな同じようなこと聞くんだな、とオットーは後ろ髪をかいた。

 この問いに、いつだって、オットーは正直に答える。


「顔だよ。顔に惚れたんだ。なあクララ、笑ってくれよ」

「え?」

「いいから、笑ってくれ」


 戸惑いながらも、クララは笑ってくれた。涙のあとを頬に残したまま、うるんだ瞳を細め、唇を上げる。


「そう。そんな顔をしてた、あの日も」


 両親の葬式を出した後、従業員に対して、店は続けると宣言した日。

 クララは泣きはらした顔で、それでも笑って見せた。強がりだったのか、従業員を不安を見せたくなかったのか、空で見ている両親へのメッセージだったのか、オットーにはわからない。


 それでも、その時、強いなと思ったのだ。その儚くも美しい笑顔に、少年だったオットーは恋をした。

 誰よりも強く、優しく、気丈で、健気な幼馴染を、好きだと思った。ずっと一緒にいたいと思った。幸せになってほしいと思った。


「だから、俺はお前の顔に惚れたんだ」

「……その言い方、誤解を招くと思う」

「本当のことは、クララが知ってる。それでいいさ」


 にこりと笑いかけると、うん、とほほ笑んでくれた。


「それで、クララにもう一個、プレゼントがあるんだけど」

「え?」

「これ」


 差し出したのは、虹水晶で拵えた指輪だ。魔術的な加護は何もない。装備品として特に秀でた効果もない。

 ただ美しく、ただ愛らしいだけの、小さな指輪。


「オットー、これ」

「迷宮内で、自分で加工したやつだから、サイズは自信ないけど」


 促すと、クララは震える指に着けようとする。


「ああ、クララ違う。そっちじゃない」


 右手ではなく、左手の薬指に輪を通す。虹水晶は、その名に一切の偽りなく、虹色に輝いた。


「その、結婚、してほしいんだけど」

「………」


 クララは答えない。彫像のように固まっている。言葉が足りなかったかと、慌ててオットーがまくしたてる。


「け、結婚してくれたら俺とクララの財産って一緒になるじゃん? そ、そしたら俺が貯めてた金で借金返せるし、今までの贈り物だって、全部クララに似合うと思って採ってきたものだから、堂々と身に着けてくれると嬉しいし。変な噂流すやつだっていなくなるし、それに、俺、幸せだし」

「………」

「ぼ、冒険者だからたまに心配させたりもするかもしれないけど、俺、浮気だけは絶対しないし。稼ぎだってそんなに悪くないし、なによりクララのことよく知ってるし、な、たぶん、いや絶対、後悔させないから!」

「………」

「だからその、ダメ、かなあ? やっぱ俺じゃ、足りないか? け、結婚、してくれないかなあ」


 必死に言いつのるオットーの声が聞こえているのかいないのか、クララは指先を見つめて絶句している。返事を待つ沈黙がもどかしく、オットーは部屋を見回したり足踏みをしたりして、落ち着きがない。


「あの、それで、返事は?」

「馬鹿」


 言いながら、クララが抱きついてきた。



*  *  *



 唯一のソロ金級ゴールド冒険者のオットーが結婚した、という話は、あっという間にハインスボーンに広まった。

 無事に店を守ったクララは、これまでの冷たい態度を取り返すように街中でも構わずにオットーの腕を取る。そのオットーも満更ではないようで、鼻の下を伸ばして応えている。


 見た目に美しい光景ではないのだが、二人から発散される幸せオーラがあまりにもすさまじいので、街の人たちもほほ笑みながら見守っている。


 オットーは黒一角獣ブラックユニコーンに奪われた右腕を義手に替え、迷宮冒険者を続けることにした。とはいえ、さすがにソロは続けられないということで、デニスとカルラのパーティに加えてもらうことになった。

 オットーの結婚に後押しされて、二人もまた、一緒になったばかりだった。新婚旅行ならぬ新婚冒険を邪魔してもいいものかと尋ねたら、冒険に新婚もくそもあるかと怒鳴られてしまった。

 まったく、見上げた冒険者魂だ。


 そういうわけで、オットーは今日も迷宮に行く。朝、家を出るときに最愛の妻を抱きしめて、必ず帰ると誓って大入口へ足を向ける。


 ここはハインスボーン。

 冒険に魅入られた人間たちが暮らす、明るくにぎやかな、世界最大の迷宮都市である。

同一世界観の長編も連載しています。

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― 新着の感想 ―
[一言] 思うところがあるのなら言葉に出して話し合いましょう まあそれでもハッピーエンドにはなったけど
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