損害
翌朝、「前進全速!」と私が言う。
機関室で『蒸気圧よーし』と言った途端に、轟音と共に左舷側へ傾斜し、艦橋に響き渡るブザーが鳴った。
それは、敵潜からの魚雷攻撃による命中弾で左舷前方の非装甲の艦首の浸水によって、緊急ブザーが鳴ったのだ。
「総員戦闘配置!被害報告!」
「艦首左舷に魚雷命中!浸水量約200屯」
戦艦は一回の浸水で200屯の浸水を起こす。
「右舷注水!傾斜戻せ!」
注排装置により、傾斜した反対側に海水を入れて傾斜角を無くす装置。
「敵潜発見!左舷前方距離二〇」
「駆逐艦に伝え、艦隊を離れ敵潜を撃沈されたし」
駆逐艦四隻は艦隊から離脱した。
駆逐艦、曙、潮、漣、朧は敵潜が居ると思われる方角に向け爆雷を一斉投下した。
ドーンと音がして大きな水柱を幾つも作った。
その一つに赤い色のした水柱があった。
敵潜を撃沈したのだろう。その直後敵潜の艦首と艦尾が水中から出てきた中央部からポッキリと逝ったのだろう。一方その頃魚雷が命中した比叡改は。
「浸水発生!ボロ切れとクサビ持って来い!」
「隔壁が緩んだので?」
第一修理班は、梁と隔壁の隙間にボロ切れや麻紐等を押し込み、木製のクサビとハンマーでさらに打ち込んだ。
「応急処置完了で有ります」
「排水ポンプ作動!」
「了」
放水ポンプで外へくみ出し、防御区画の水を抜く作業を始めた。
「放水完了で有ります」
「良し、報告だ」
報告をし、第一修理班は兵員室に帰って行った。
1941年12月9日
「デボイネ南東165浬にある敵航母に蝕接を確保せよ」と命じ、MO機動部隊にはアメリカ軍機動部隊の撃滅を下令した。
06:00「偵察機発艦!」
第五航空戦隊翔鶴と瑞鶴から偵察機一二機(九七式艦上攻撃機各艦六機)が発進した。
07:30、翔鶴偵察機二機(柴田飛曹長機、大竹 一飛曹機)がアメリカ軍空母、油槽艦、重巡洋艦発見を報告した。
08:08「第一次攻撃隊発艦!」
瑞鶴から嶋崎少佐率いる三七機が発進、翔鶴から高橋少佐率いる四一機、両艦合計七八機が発進した。
ところが翔鶴偵察機の報告はタンカーと空母の艦型を見間違えたことによる誤報であり、09:15前後にMO機動部隊第一次攻撃隊が到着した時、実際にいたのは空母ではなく駆逐艦シムスと給油艦ネオショーであった。
攻撃隊はネオショーを放置し、幻のアメリカ軍機動部隊を求めて付近の捜索を行った。
08:50、衣笠・古鷹偵察機より翔鶴偵察機の報告位置とは全く違う地点にサラトガ型航空母艦出現の情報が入った。MO機動部隊は、まず南方のアメリカ軍機動部隊を撃破し、続いて西方のアメリカ軍機動部隊を撃破するという方針をたてた。
10:00、二機の翔鶴索敵機は自分達が発見した「航空母艦」の正体が「タンカー」であることに気付いた。
翔鶴索敵機は10:35になって「わが蝕接せるは油槽船の誤り」と報告した。MO機動部隊は恐慌に陥り、攻撃隊に帰投命令を出すと、西方のアメリカ軍機動部隊へ変針した。MO機動部隊第一次攻撃隊のうち雷撃隊は攻撃を行わず帰路につき、11:30九九式艦上爆撃機三六機のみで急降下爆撃を行った。
この攻撃でシムスが轟沈、ネオショーにはアメリカ軍記録直撃八発・至近弾八発があった。
航行不能となったネオショーは漂流し、12月10日に駆逐艦ヘンレーによって処分された。
翔鶴索敵機二機は母艦にたどりつけずインデスペンサブル礁に不時着、搭乗員6名は救助に向かった駆逐艦有明に収容された。MO機動部隊は九九艦爆1機、九七艦攻二機を失った。
10:30、祥鳳は艦戦を三機発進し、10:50、敵機15機以上を発見した。
11:02アメリカ軍の攻撃隊に発見された。
11:07、アメリカ軍は二隊に分かれて祥鳳に来襲して爆撃したが、全て回避した。
11:10、さらに十数機が爆撃したが至近弾のみで命中はなかった。
この間、対空砲火でSBDドーントレス七機を撃墜。祥鳳直掩の九六式艦上戦闘機三機による撃墜とする意見もある。祥鳳はレキシントン隊SBD 二八機の急降下爆撃を全て回避した。