サキュっと金づるゲット
騎士団一行が隊長ルドルフにかけられた呪いを解くために山を下りたことにより一つの問題を解決したククルクルル達の前には更に新たな難題が待ち構えていた。
「ぶっちゃけ資金がやべーですよ」
ユーカリが危機感のない口調で言いながらソファーに座りこんだ。
向かいの長いすに腰を下ろしていたキースも資金面では同意なのか静かに頷いている。
「そんなにまずい状況なのか」
「3人でやりくりするには足りていますが、一気に魔獣100体とアズゼンさんが増えましたからね。 我々の稼ぎだけでやっていくのは不可能です」
「略奪すりゃあいいじゃねえか! こっから近くにゃ農村だってある。 村1つ食いつぶせばしばらくやっていけるぜ!」
「また騎士団が派遣されたらどーするんですか! 今のククルクルル様には変態1人自力で吹っ飛ばす力もないんですよ!」
あからさまに自分が非力である、とユーカリに言われてククルクルルは眉間に皺をよせた。
しかし、ククルクルルにとって今の自分が非力である、ということは言われずとも承知していた。
先の一件で再度ルドルフから精を奪ったことで翼を生やす程度の魔術は使えるようになったが、未だに自らの体躯を巨大化させるであるとか、絶対的な威力を持つ魔術弾を撃ちだすようなことはできない。
つまり、いまのククルクルルは少し強い魔獣程度の力しかなく、場合によっては兵士程度の戦力で殺される可能性があるのだ。
「というわけで、これから私とキースさんで金策に出ようと思います!」
ぱぱーんと効果音が付きそうなほどにこやかな表情と共にユーカリは断言した。
金策、というワードにククルクルルはなんだか想像がつかず、アズゼンは娼館経営でもすんのかな、などと考えていた。
◆
「サキュバスの金策っていったらやっぱり金持ち男たぶらかして貢がせることですよね~」
言いながらユーカリは使用人が着るような簡素な青のワンピースの裾を揺らした。
髪型はいつもと変わらず、化粧も飾りも控えめではあるが唇にはしっとりとしたピンクの口紅が塗られている。
特徴的な蝙蝠の翼も今は魔術で隠し、片手にはキースが偽造したパーティの招待状を持ってこのエルマイア伯爵主催の夜会へと来たのだ。
「ですが、その……絶世の美女、という風ないでたちではないんですね」
「恋愛に憧れは邪魔ですから。 手の届かない高値の花より庭に咲いてるチューリップくらいの方がもてるんですよ」
「は、はは、そういうものですか」
そう言いながら隣に立っているキースはユーカリの手練手管により、見事に貴婦人に仕立て上げられ濃紺のカクテルドレスに身を包んでいた。
化粧をされた時点で自分の顔ではないご令嬢が鏡の中にいてキースも言葉を失っていたが、ここまで来てしまえばあとはユーカリの補助をしつつ、エルマイア伯爵家の次男を陥落させるしかないと腹をくくっていた。
夜会を前にしてユーカリとキースは設定を決めていた。
ユーカリは裕福な商人の娘として生まれるが、1年前に両親が事故死した。
そこへ叔母夫婦が入り込み財産を乗っ取った上にユーカリを使用人のように扱い、冷遇しておりその叔母夫婦の娘役がキースだ。
不運な令嬢ユーカリは夜会の華やかさに憧れており、叔母へ連れて行ってくれるように頼んだところ、意地悪な娘キースの荷物持ちとして同行を許された、という具合だ。
キースの方も声を魔術で女のものにし、アズゼンらが略奪していた荷物から白の毛皮の襟巻を拝借して肩幅をごまかすといった格好をしており、完全にお嬢様と侍女の役回りにふさわしい姿になっている。
「エルマイア伯爵家の長男は非常に有能な方で既に婚約者もいますから、ご令嬢方は必ず次男のジェイムスに群がります。 キースさんも表向きはジェイムスに恋慕してくださいね」
「そ、それでユーカリさんの役に立てますか?」
「もちろん。 キースさんはわざと私に嫌がらせをして、ジェイムスの前でひどい目に合わせてください。 聞いた話、困っている人を見過ごせないお人好しだそうですから……きっとうまくいきますよ」
そういって片目を閉じて微笑む侍女姿のユーカリに、女性というのは人間も魔物も恐ろしいものだ、とキースは青ざめた表情をした。
◆
ジェイムスは溜め息をつきながら夜会の会場を見つめていた。
きらめくシャンデリアと広々としたホールの中を互いの権威を競い合った派手なドレスが動き回る姿がジェイムスには苦手だった。
子供のころから周囲は優秀な兄と自分とを比較し、兄の代替品、財産分与の権利を持つ男としてしか見てくれなかった。
貴族である以上それは仕方ない、と理解していたがどこか、割り切れないところがあったのも事実だ。
ジェイムスは一度溜め息をつくと、ダンスホールの中ほどまですすみ、気が乗らないながらに招待客たちへと挨拶をしていた。
何かを期待するような表情で自分を見上げてくる女性たちに表面ばかりの笑顔を浮かべて応対するのも慣れたものだった。
「ちょっと、何をしているのよ!」
突然あがった声にジェイムスは驚いて視線を向けた。
そこには白い毛皮に身を包んだ長身の美女と、その侍女だろうか……質素なワンピースを着た少女がいた。
美女は甲高い声で少女を叱責し、彼女が零したというカクテルのグラスが床に落ちていた。
「本当に役に立たない愚図ね、お母様が連れていけというから仕方なく連れてきてやったのに……貴方、少しはわたくしたちに恩を感じているの?」
「も、申し訳ございません……私の不注意で……」
厳しい声をかけられ、頬を打たれて少女は小さく震えていた。
淡い青の瞳には涙が浮かんでいたが、少女は抵抗するでもなく頭を下げていた。
その少女へと、女は更に手を振り上げようとしたので、ジェイムスは思わず彼女らの間に割り込むようにして入った。
ぱん、と短い破裂音がして、女は驚きに目を丸くした。
「何をしたかは知りませんが、暴力はよくありませんよ」
ジェイムスは女へと声をかけると、打たれて赤くなった自分の頬が僅かに痛むのを感じながらも少女へ振り返った。
少女もまた驚いたように目を見開いていたが、その瞳を縁取るまつげは涙の雫で濡れていた。
「大丈夫かい、君」
手を取ると、少女は頬を赤くして視線を惑わせていた。
そして、ごく小さな声で彼女が「大丈夫」といった直後、その華奢な体は横合いから突き飛ばされた。
「まあ、ジェイムスさま! お初にお目にかかりますわ、わたくしはキルスティーナと申しますの」
先ほど少女をぶった女が真っ赤な口紅を引いた唇を釣り上げて微笑んでいた。
顔立ちは確かに美女の類だが、あまりにもひどいその仕打ちにジェイムスは眉根をよせた。
しかし、少女の方はまるでこの仕打ちがいつもの事というように諦めた顔をして立ち上がると、静かに壁際に歩みだしていた。
ジェイムスは咄嗟に、少女の手を取り、そのまま追いすがる女の手を払って中庭へと走っていた。
「は、はは、女の子を連れて走ったのははじめてだよ」
「わ、私も……こんなに走ったのは初めてです」
途中で少女の靴が脱げてしまったせいで今は少女は中庭にある噴水の縁へ腰かけていた。
白い素足が夜の闇でもはっきりと見えて、ジェイムスは頬を赤らめて目線をそらした。
そんなジェイムスの行動に少女の方も淑女にあるまじく素足を晒していたことに気付いたのか、丈の足りないワンピースの裾に足先を押し込もうと片足を噴水のへりにあげ、頬を赤らめていた。
「す、すみません……急に連れてきてしまったから」
「い、いえ、靴がすこし大きくて……あの靴は、お母様のものでしたから」
「母君の?」
「私のものは……もう、どれも古くなってたりちいさくって」
とつとつと少女が口にした内容にジェイムスは息を飲んでいた。
裕福で両親の愛に恵まれていたのが、自分1人を残して両親は死に、親戚だという同年代の女性に侍女として扱われる日々……想像したこともない苦しみにジェイムスは眉を寄せた。
何か力になれることはないだろうか、そう考えていると少女は柔らかく微笑んだ。
「不思議ですね、ジェイムスさまは。 はじめて会った方なのに、こんなに自分のことを話してしまうなんて」
「……君のためにできることはないだろうか」
「そんな、私にはこうして優しくしてくださっただけでも十分です」
真剣な表情をして見つめるジェイムスに少女は屈託のない笑顔を浮かべていた。
純粋なその笑顔がまたあの諦めた表情に戻ってしまう、そう考えるとジェイムスにはたまらなかった。
付き添いで連れてこられただけの少女、ジェイムスが何者かもわからずに、ただ「助けてくれた人」として微笑んでくれる彼女の笑顔を守りたかった。
「ユカリ、僕は君に笑っていてほしいんだ……そのために、何ができるだろう」
「ジェイムスさま……私は、その、叔母さんのいる今の家から離れられるでしょうか……どこか、住み込みで働ける場所でもあるなら、私なんだって働かせていただくのですが」
「それなら!」
少女の言葉にジェイムスははっと顔を輝かせた。
伯爵家ではかつての生存戦争以来放置されてきた古城をいくつか有している。
その内の1つはジェイムスが既に任されているが、住むものもおらず、管理をしている老人が1人いるばかりで手伝いを求めていた。
「ホルスワーズの川岸にある城がいま、手伝いをしてくれる人間を求めているんだ。 古い城ではあるけれど自然も多いし山も近くにある素敵な場所だよ」
「そこで……働かせていただけるんですか?」
「ああ、大丈夫。 僕が推薦状を書くから安心してくれ!」
「ジェイムスさま……こんなによくしていただいて、ありがとうございます!」
両目に涙をためて頭をさげる少女を止め、ジェイムスはその頬を撫でた。
こぼれ落ちた涙を拭きとると、少女はまた微笑みを浮かべていた。
彼女なら自分だけを見てくれるのでは……ジェイムスの胸には淡い熱がこもっていた。
◆
「はい、城1つゲットいたしましたー!」
到着したホルスワーズ川岸の古城レデリックでユーカリは高らかに声を上げていた。
管理人の老人はおっぱいに顔面埋めて陥落済み、都心部から離れているので魔獣たちが城内をうろついていようとも問題なし。
特に大きいメリットとしては巨体であるアズゼンでも悠々と歩き回れる天井の高さと廊下の広さだ。
これなら青空会議などしなくとものんびり全員で話ができる。
「チャームを使えばよかったではないか」
「人間相手の攻撃は法的にご法度なんですよ。 平民相手なら黙認されますけど、貴族のお坊ちゃん相手なんて即指名手配されちゃいます」
実際に100年ほど前にはサキュバスがそうやって金持ちを破産させる事件が多かったため、チャームのような直接的なダメージを負わない魔法も禁止されているのだ、と言われてククルクルルは納得した。
「しかし、拠点は得られたが金はどうしたのだ」
「そこからは、私の役目ですね」
傍らに控えていたキースがにっこりと微笑んで、大きな木製のテーブルの上に図面を広げていった。
図面は城内の見取り図だが、ところどころにキースによる但し書きなどが行われていた。
「短期的な作戦としまして私はこちらで魔法薬を作り、それを街の方に売ります。 毒や危険性のあるものは扱いませんが、単純な滋養強壮剤の類は民間でも需要が高いんです。 特にこの辺りは医者も街にひとつあるだけですからね」
キースはそういって工房の部屋を指示した。
城の外壁の陰になるような場所だが、薬のなかには光の影響を受けて変質するものもあるらしく、ここがよい、とのことだった。
そして次にキースは城の空き地となっている部分を示した。
「こちらは魔獣の皆さんに手伝っていただき、畑と酪農を行います。 食料の自給生産を行うことが目的です。 本来ならば年単位でかかる計画ですが、何分私も魔術師。 生活に役立つ魔術、というものを承知しております」
「以前から気になってはいたが、その生活に役立つ魔術、というのはなんだ」
ククルクルルは牛乳の入ったマグカップを片手に問いかけた。
生存戦争の頃、魔法というものはほとんどすべてが攻撃魔法か生存能力を底上げするために使われるものだった。
魔物を殺すため、魔物に殺されないために使うのが魔法であり、それは神秘であるために日常生活に使われることはほとんどなかったはずだ。
ククルクルルからの問いにキースは穏やかに目を細めて説明を始めた。
「まず、生存戦争以降、人類はお互いが争うことを放棄するため、攻撃魔術の使用を禁忌としました。 そして、それは時代を経て平和に慣れていくごとに古代魔術の研究、既存の魔術を組み合わせての新規魔術の開拓への規制へと変わっていきます」
「それなら私も聞いたことがありますよ、魔術は国家に登録されてない魔術師以外は一切使ってはいけないって法律ですよね」
「そうです。 300年前は魔術が使える人間が魔術師、とされていたそうですが現代では魔術を使ってよい人間は魔術師だけなのです」
なんと非合理的な制度を設けたものか、とククルクルルは唖然とした。
才能あるものが魔術を使えるのではなく、国家に認められたものだけが魔術が使えないのであれば、斬新な発想や強大な魔力の持ち主は絶対に魔術師として認められない。
しかし、それこそが現代の人間の社会だとキースは断言した。
「そこで我々魔術師が現在行っているのは人間同士の争いには使えない魔術の研究です。 例えば石に火の魔術をかけておくことで即座に火のつく竈を作り、水がめに水の魔術をかけることでいつでも清水の湧き出す水がめを作る……少し生活を便利にする程度のことが我々の人生なんです」
「……概ねは承知したが、それが何故畑仕事や酪農に役立つのだ」
「畑に植えた種が数日後には実をつける、そんな土があれば便利だと思いませんか?」
ククルクルルがキースを見つめると、キースは自分の主が自分を見つめてくれたことにときめき頬を赤らめていた。
魔獣たちの協力のもと空き地に杭を刺し、土を掘り起こして石くれや木の根っこなどを取り払い終えると、これこそが「日常に役立つ魔術」の研究を行ってきたキースの本領だとばかりに杭にそれぞれ魔術が刻まれていった。
杭の間に囲まれた土は見た目には変化がないが、キースが街で買ってきたカボチャの種をまいていくと、すべてまく頃には最初に種をまいた辺りから芽がでていた。
「す、すげー! こんな魔術があったのか!」
「これいつ食えるんだ?」
巨大な豚と犬の魔獣に左右から問われながらキースは苦笑しつつ収穫時期や、あまり連続して使うと土地の力そのものが弱まるなどの説明をしていた。
といっても、この畑は本当に自給自足レベルの小規模なものに過ぎない。
酪農を始めるにはまだ元手が足りていないし、魔獣の中には狼のように完全に肉食の種族もいる以上、植物だけでやり過ごすことはできない。
だからこそキースは魔法薬の作成にも取り掛かっていた。
◆
「それではククルクルル様、いってらっしゃいませ」
「いってらっしゃいませ」
にこやかな一同の笑顔を前に、荷車一杯に詰め込まれた魔法薬の箱を引っ張ってククルクルルは街へと出かけた。
力の弱いユーカリでは動かせず、アズゼンや魔獣たちでは目立ちすぎるため当然といえば当然の人選ではあるが、ククルクルルは少し空を見上げた。
「余は、魔王であるぞ……?」
誰に言うでもなく呟いた声が澄み渡るような青空に空しく消えていった。
荷車を引っ張りながらククルクルルが向かったのは城から近い辺りにある小さな村だった。
商売人の類もいるがどちらかといえばこの村で生まれてこの村で死んでいくような農民たちが圧倒的に多い。
ククルクルルは通り過ぎる人波を見ながら村の通りに荷車を止めていた。
(案外、人間というのは変わらないものだな)
300年前、自分は巨大な龍として地上を見ていた。
人間という種族は小さく、ほとんど認識することができずにいた。
けれど自分に立ち向かった勇者アリエストたちと服装も体躯も似たようなものだった。
生存戦争の頃は常にククルクルルを殺すため、あらゆるものが改良を求められていた。
鎧は鉄から鋼に変わり、魔術も人間たちは積極的に兵器に転用していた。
それがククルクルルの目には物珍しく、次はどんな新しい出し物をしてくれるのかと面白がってもいたのだが、人間たちが最後に作り上げたミスリル合金による聖剣で魔核を貫かれたことによって封印されてその出し物も終わってしまったらしい。
人間はミスリル合金を最後に新しいものを作るのに飽きてしまったのか、と考えてククルクルルは息をついた。
「お兄ちゃん、この荷車はなんだい?」
村人らしい男に声をかけられてククルクルルは顔をそちらに向けた。
男はククルクルルの顔を見て驚いたようではあったが、商人が魔物に荷運びや露店を任せるのは珍しいことでもないのですぐに興味を失った。
「魔法薬だ。 レデリック城で余ったものを売りに来た」
「へえ? てことは伯爵さまの城で使ってたのか!」
城の名前を積極的に出していけ、というのはユーカリの意見だったが男はその名前に飛びついた。
医者の少ない土地、ということもあってか客は思いのほか多かった。
必要とされる薬は傷薬や風邪薬といった日用品の他に、ろうそくや石鹸などキースが手慰み程度に作ったものも含まれていた。
が、ククルクルルはその客の多さに管理が追い付いていなかった。
「ま、待て、少し待て。 石鹸1つが銅貨2枚、風邪薬が銀貨1枚だな。 こっちはろうそく5本で銅貨5枚、それから」
「兄ちゃん大丈夫か?」
「そんなんじゃご主人に殴られるぞ」
あわあわとしながら油紙につつまれた品物を取り出して代金を受け取る姿がなんとも不慣れな商人の手伝い、といった具合で面白いのかククルクルルの周囲には多くの客が詰め寄っていた。
「ほら、兄ちゃん! また計算間違えたぞ、こっちは傷薬は銅貨5枚だろ」
「待ってくれ、追い付かん! そんなに一度に言うな!」
文字の読み書きこそできたが、ククルクルルは生前その巨躯がゆえに他者と多くを語らうことができなかった。
言われた注文通りに品物を荷車から取り出し、その売り上げを帳面に記載するという作業がククルクルルには既に手いっぱいであった。
「はは、兄ちゃんほんとに慣れてねえな!」
「急いでやってはいるのだ、少し待ってくれ」
異形でこそあるが美しい顔にあからさまな困惑を浮かべて最後の客に品物を手渡すとククルクルルは深く溜め息をついた。
「これは……騎士たちよりも手強いのではないか」
値切りの交渉を仕掛けてくる女将や、まだかまだかと声をあげる子供、面白がってはやしたてる野次馬などの客を思い出しながらククルクルルはか細い息をつき、すっかり軽くなった荷車を引いた。
街の門まで近づいたとき、ククルクルルの行く手を阻むようにして数人の男が立ちふさがった。
5人程度いる男たちは皆人相が悪く、身なりも薄汚れて擦り切れた服を着ていた。
「よお、兄ちゃん。 随分と懐が重そうだな」
「誰に断りをいれて商売してたんだ?」
ククルクルルの両側に男たちが近寄り、リーダー格らしい男はにやついた顔でククルクルルの顔を見据えた。
今のククルクルルは並みの人間の青年程度の体躯しかない。 外見上の弱さが彼らをつけあがらせているのだろうな、と考えてククルクルルは一応歩みを止めた。
人の話を聞くことは嫌いではない、少し聞いてやるか。 そんな心地だった。
「露店を出す届け出は他のものが済ませている」
「そういうことじゃねえんだよ、この通りは俺らの場所なんだ」
「使用料を置いてけっていってんだよ」
何を馬鹿なことを言っているのか。 街の通りであればそれは領主の土地であり、私有地であるならば所有者の土地である。
俺達の、などという曖昧な土地はどこにもない。
魔物や獣の縄張りとて言ってしまえばただ自分達が主張しているだけで、その土地の所有者というわけではない。
しかし、ここで騒ぎを起こせば今後の商売に差しさわりが出ることは予想できるため、暴力やチャームで解決を測るわけにもいかなかった。
「では、ひとつ遊びをしないか?」
「遊びだあ?」
ククルクルルの提案をいぶかしんで男の1人が声をあげた。
男からすればククルクルルはただの魔物にしか見えていない、たとえ暴力を振るおうと大ごとにはならない以上、こうして金をせびっているだけの現状はとても紳士的なものだった。
だが、ククルクルルは笑みを浮かべた。
「今からお前たち5人で一斉に余へ襲い掛かり、余に一撃をいれられたならば今日得た金をすべて渡そう」
「は、一発で済ましてもらおうって考えかよ」
「ずいぶんと舐めた口ききやがるな!」
男たちはククルクルルの提案通り、一斉に殴りかかってきた。
しかし、統制のとれた騎士であればまだしも、一般人が一度に1人に殴りかかったところで動きに連携が取れるはずがない。
むしろ自分以外の味方に当てないよう動きは制限されてしまうものだ。
最初にククルクルルに殴りかかってきた男の拳はククルクルルの顔に向かっていたが、それは少し首を傾ける程度でよけられた。
横合いからの蹴りを避けるためにククルクルルが地面を蹴って宙に浮かぶと、男たちは一瞬動きが止まり、ククルクルルの落下に合わせて殴りかかった。
「ふむ、やはりルドルフは優れた人間であったのだな」
300年で人間の質がルドルフら騎士程度まで底上げされつつあるのか、と思っていたが最初に倒した自警団たちとこのごろつきの動きの質には大差がなかった。
改めて彼の騎士は優れていたのだな、と感心しながらククルクルルは上体を大きく反らすと、殴りかかった男はそのままの勢いに向かいにいた別の男を殴っていた。
「てめえ! どこ見てやがる!」
「うるっせえ! てめえがとろくさいんだろ!」
仲間割れをしたかのように怒鳴りながらククルクルルを捕まえようとする男の腕の間を体のバネやしなりを利用して抜けていきながら、ククルクルルは自分の体の具合がようやく分かってきたことに満足していた。
どの程度動けば避けられるか、どう動けば相手を誘導できるかが分かってきた。
ククルクルルが視線を右にやれば男は右に意識を向け、すぐにククルクルルは左へと逃れることができた。
鍛えてもいない人間が本気で殴りかかっても体力はすぐに尽きていく。
息が上がっていく男たちの拳や動きはどんどん精細を欠いていき、ククルクルルは避けるのにも飽きてきた。
「ふむ、まだやるか?」
「うるっせえ!」
男たちの大半は息を切らして半ば嫌気がさした顔になっていたが、リーダー格らしい人間はもはや意地になっていたのかククルクルルの腹目掛けて拳を振りぬいた。
ククルクルルはそれを左手で掴むと深紅の瞳を男へと向けた。
男は歯ぎしりをし、それでもまだククルクルルへ殴りかかろうと反対の腕を振り上げた。
「よい、その目は実に好ましい」
言うなり、ククルクルルは自分に殴りかかろうとしていた男の腰へ空いた手を伸ばすと、力任せに引き寄せた。
男は魔物が攻撃を仕掛けてきた、と怯んだがそれを無視し、ククルクルルは男の唇へと自分の唇を重ねた。
周囲はもはや声をあげることも忘れていた。
ククルクルルに口付けされた男も拳を振り上げた姿勢で硬直している。
キスで奪い取れる精はごくわずか、そう聞いていたがククルクルルは満足を覚えて男の体を引き寄せていた手から力を抜いた。
すると、男はすとんとその場に尻もちをついて倒れた。
「その目に免じ、余はお前を許す。 ゆえ、精進せよ……強くなるがいい」
落ちかけていく夕日を背に微笑むククルクルルの姿はどこまでも優雅で、人間とはまったく異質な色香を持っていた。
木偶のように立ち尽くす男たちを無視すると、目の前に倒れている男を轢かぬよう荷車を持ち上げてククルクルルは悠然と街の門から出ていった。
その背後を見送る男たちの眼差しは圧倒的な強者へと向ける心酔が4名、何かしら別のものに目覚めてしまったのが1名であった。