拝啓 山脈に欲情ししマツリカ様
300年前、人間と魔物との生存をめぐる闘争の末、心臓に聖剣を突き立てられ魔王ククルクルルは封印された。
勇者アリエストは友人である善なる魔法使いトバルハバルの協力によって長大なククルクルルの肉体から人の形をした心臓を見つけ出し、心臓へと聖剣を突き立てたのだ。
だがその封印は魔王が復活する可能性を残すものであった。
魔王ククルクルルの巨大な体躯、およそ世界の3分の1に相当する山脈を満たす魔物の血がこの地上に流されたとき、魔王の心臓は再び脈打ち封印の聖剣を滅ぼすだろう。
――民間伝承 『勇者アリエストの魔王退治』より
魔王ククルクルルの遺骸はその巨大な体躯そのものが山脈として今も残り、聖剣を突き立てられた心臓は虚空へ吠える形相のまま石となっていた。
その山脈がこの数か月余り、小刻みな地震を頻発させていた。
◆
「拝啓 山脈に欲情ししマツリカ様
私はあなた様の妹カリンカの末ユーリカです。
この度、御身がご子息であり我らが魔物すべての王であるククルクルル様が300年ぶりにお目覚めあそばされましたため、筆をとりました。
ご存じの通り、ククルクルル様は300年以前の頃、父君であらせられます巨龍ジャバハッド様の血筋により長大な体躯を持つ龍としてこの世に君臨なされました。
しかしながら、ククルクルル様は龍でありながら他者を求める気性がために生み出した意思疎通器官に搭載した魔力核の1つを人間に貫かれたことで封印され、その肉体は世界の3分の1を覆う山脈となりました。
絶対の王を失ったことにより魔物たちは士気を低下させ、この300年を人間に駆逐されるかあるいは家畜、奴隷として使役される暮らしに甘んじてまいりました。
されど、魔王ククルクルル様はこの度、種族サキュバスとして復活を果たされましたがため、私が見聞きいたしましたこと、日記という形でマツリカ様へご報告させていただくべく記させていただきます」
◆
山脈の中に作られた石造りの神殿はほとんど朽ちかけていた。
苔すら生えない不毛の大地で300年近くの風雨により削り取られ屋根から差し込む光は筋となり、魔王ククルクルルの人型の心臓――意思疎通器官であった石造を照らしていた。
意思疎通器官は姿こそ17、8の人間の青年に近かったが、額からは龍主のまっすぐな角が2本生え、大きく吠える形に開かれた口の中には獣のような牙が生えていた。
両腕とおぼしき部分は何かを掴もうとするかのように宙へと伸ばされ、その胸板に突き立てらた聖剣は黒くくすんでいた。
「おい、本当に魔王復活の兆しがあるのか?」
「まだ地震があっただけだ、確証はない」
「大体こんな巨大な山脈が動いていたということ自体、大昔の作り話だろう」
白銀の甲冑に身を包んだ男たちが三人、かつての魔王の遺骸を見上げて話をしていた。
地震が起きた場所が場所なだけに教会のお偉方が魔王復活の伝説を真に受けて派遣された騎士の
1人であるコンラートは呆れた表情をしていた。
かつて世界を2分した魔王ククルクルルと人間の戦いの伝説など今となっては遠い昔のお話だ。 人の形をしているから上級魔族だったのは確かだろうが、大方神聖エルエスト皇国が先祖の箔付の為に作った魔王退治の勇者伝説におひれがついただけだろう。
山脈が動くなどありえない、コンラートは呆れたように溜め息をついた。
この神殿に派遣されてもう1週間になるがその間、小さな地震が何度かあったくらいで魔物すら見かけなかったのだ。
何事もなければ教会の連中も満足してくれるだろう、そう考えたときに足音がした。
「誰だ、何をしに来た」
神殿の扉の方へ視線をやると女が立っていた。
少女、といっていい年ごろで大きな丸い目とぷっくりとした唇が印象的な美人だった。
しかし、その背中から生える大きな蝙蝠の翼は女がサキュバスであることを示していた。
「サキュバスか……魔王の墓参りにでも来たか?」
「お、おい、まさか本当に魔王が復活しそうなんじゃ」
コンラートが一歩、サキュバスに近寄ろうとすると共にこの地に派遣されてきたトビアスが声をあげた。
トビアスは騎士としては臆病な男であった。
しかし、当のサキュバスは少し考えるようにしてから、柔らかく微笑みを浮かべた。
「そんなところです。 またこの近くで魔物が倒されましてね、せめてククルクルル様の近くで葬ってあげようとおもって」
そういってサキュバスは自分が胸に抱いていた小さな魔獣の子供を見せた。
魔獣は犬ほどの大きさであったがもう呼吸もしていないようで、ぴくりとも動かなかった。
「魔物風情に葬儀をする感覚があるとはな」
「あ、ひどいですねえ。 サキュバスは半人間ですから半分とはいっても人権があるんですよ」
コンラートの言葉にも表情を崩すことなく答えると、サキュバスはククルクルルの遺骸の近くへと歩いていき、宙へ睨む石像の顔を見てから、石畳が朽ちてむき出しになっている地面へ目線を向けた。
だが、サキュバスはそれ以上動くことができなかった。
「あ……」
豊満なサキュバスの胸の間には騎士の剣が突き刺さっていた。
背後に立っていたコンラートへと、3人目の騎士であるユーリが声をかけて笑った。
「サキュバスなんだから、遊んでから殺せばよかっただろ?」
サキュバスの娘は自分の胸を貫いた剣の先から溢れる自分の血を見ながら、前のめりに崩れてククルクルルの前に倒れた。
「葬儀なんてする必要もない。 魔物に権利などないんだからな」
吐き捨てるようにコンラートは呟いて、倒れたサキュバスの背中から剣を引き抜くと背中を向けた。
魔物は家畜、奴隷。 半分は人間として認められているサキュバスだろうと殺したところで人間を裁く法律などない。
それは魔王封印以降の当然の世界の在り方だ。
サキュバスもまたそれを理解していた、だから胸を貫いた剣が心臓を貫通したのではなかったことで苦しみが長引くことに僅かに苦笑していた。
しかし、サキュバスはその瞬間に聞こえた音に打たれたように顔を上げた。
それは石が砕ける音だった。
幾層にも重なっていた繭が割れるように、目の前の石像から石が崩れ落ち、その下から白磁の肌が浮かんでくる。
崩れる石の間から大地を揺るがすほどの咆哮が溢れてくる。
騎士たちが何か喚いて剣を抜くのが見えて、サキュバスはとっさに立ち上がろうとした。
目の前の石像を守らなければならない――なぜなら、このお方は。
「ククルクルル様!」