負の遺産
セラフィーネは屋敷の書庫で書物を漁っていた。床に座り込む彼女の周りに散らばるのはどれも歴史書で、彼女は先日街で聞いた『境界民』について調べていた。分かったことは手元のメモに記していき、三枚目に入った時に一度ペンを置き体を伸ばした。
「はぁ~………なかなか疲れますわね。前世でも調べものなんて授業ぐらいでしかしたことありませんでしたからね」
開けっ放しにしていた窓から心地の良い風が吹き込んできて彼女の銀髪を撫でる。今日はハーフアップにしてみたがメイドたちからも評判が良かった。意識してきたのどの渇きに、水筒を持ってこればよかったと後悔する。ラピスリータの水は雪解け水なので美味しく、それは元日本人の彼女から見ても高い品質の味だと思う。さらに年中使える氷室が冷蔵庫代わりとして屋敷にあるので常に冷たい状態で飲むことができ、街の中にも共同の巨大氷室があるため、そのおいしさはセラフィーネたちの特権ではない。この時代にここまで領民たちの生活が充実している領地はここだけだろう、とセラフィーネは胸を張ってこたえられる。
暫くの休憩の後、セラフィーネは再び意識を書物に戻した。
「境界民………10年前の戦争の遺産がこんなところにもあるなんて………」
『境界民』。それはアティシア王国とロゼシュタイン帝国の国境付近の山脈にねぐらを置く盗賊集団のようなものだ。彼らは元々両国の兵士であり、10年前の戦争を生き残ったが、国に愛想を尽かしたり、身寄りを無くしたり、物理的に家に帰れなくなった兵士たちの集まりである。端的に言うとやさぐれてしまった人たちなのだ。戦後たびたび事件を起こしてきたがここ数年は鳴りを潜めていた。しかし彼らが起こした事件のうちには滞在に問われるものもあったため、ラピスリータやアティシア王国、帝国が尻尾をつかもうとしているが、なにせ場所が場所なのでどちらも手を出しにくい。誤って再び戦争になってしまう可能性もあるのだ。
「しかし彼らが起こした事件の中でもこれはひどいですわね」
ラピスリータの傭兵団の記録係がまとめた事件簿の、最重要項目を開く。記された日付は今から五年前のもの。
―――8月29日。ラピスリータ領の南側の街にて子供を狙った誘拐事件が4件発生。被害者は皆5歳未満の子供たち(男女問わず)で、被害人数は20人を上る。どれも夕暮れ時を狙った犯行で、抵抗した保護者が1人死亡、4人重軽傷を負った。傭兵団に通報があるも間に合うことができなかった。誘拐された子供たちの捜索は半年ほど行われたが、ラピスリータ領内から脱出したと考えられる。捜査は引き続き行う。
―――6月14日。ラピスリータ領とアーシュ領(ロゼシュタイン帝国)を隔てるティアンダ山脈の山小屋にて誘拐事件の被害者と見られる少女2人の死体を発見。死体は死後1週間以上経過しているとみられ、犯人の捜索は困難として1カ月で打ち切られた。
―――12月2日。アーシュ領より電報が来る。誘拐事件の被害者と見られる少年少女計3名が瀕死の状態で発見。発見場所は同じくティアンダ山脈のアーシュ領側であり、同時に犯人とみられる男を発見捕獲した。男は『境界民』の一人であったことから今回の誘拐事件の実行犯が『境界民』だと確定。尚、アーシュ領との交流がこれを機に再開。戦争後一部国交が復活した。
記事を読み終えたセラフィーネは深いため息をつく。
「この事件が起きた時私とルカは3歳ですわ………被害者は私たちと同じような年ごろの子たちだったのでしょうけれど、この事件のこと、お父様たちは教えてくれませんでしたわ」
自分の領地で起きた事件を知らなかったことに腹立たしさを覚えるが、あの父なら自分が興味を持つまで教えなさそうだ。
これからは知っていかなければならないので近くの歴史書をざっと見繕って数冊手にする。
(ルカに歴史書を読まない、って言っちゃった手前なんか恥ずかしいですわ)
見つからないように部屋に持ち込もうと、気合を入れて立つ。ふと壁時計に目をやると、剣術の訓練の時間まであと15分だった。
「やばいですわ!お父様は時間に厳しいんですのー!!!」
散らかした本の山にごめんなさいあとで片づけます、と謝ってから書庫を出る。まずは着替えなくてはいけないが、ここから部屋までは近いので走れば間に合いそうだ。
―――ちなみに、書庫にやって来たルカによって、セラフィーネが散らかした山は発見され、夕食の時ににやにや顔で言及されたのはすっかり恥ずかしい思い出になったのである。