不穏な噂
お久しぶりです。気まぐれ更新になると思いますがよろしくお願いします。
初めて訪れた時抱いた明るい街という印象はそのままだった。
春を代表する花に彩られて、あちらこちらから笑い声が聞こえてくる。白のレースに赤い刺繍をこしらえた伝統衣装を見に纏う女性に、狩りから帰ってきたばかりの男性たち。北国でありながらも日に焼けた健康的な肌が眩しい。そして彼らの合間を走り回っている子供たちに向けられる穏やかな視線の数々。これが幸せなのだと思えるほど素敵な風景だった。
絵のように完成された街の一角で、セラフィーネたちに気づいた女性がこちらを振り返り手を振ってきた。
「お坊ちゃんじゃないかー。今日も屋敷を抜け出してきたのかい?」
ルカのことを良く知る様子のその女性。手にパンの入った篭を抱えており、セラフィーネのところまでその甘い匂いが漂ってくるほどだった。隣のルカが笑顔で会釈をする。女性───マーヤおばさん───の声につられて、たくさんの人がこちらに振り向く。
「お坊ちゃんに…………お嬢様もいるじゃないか!」
「こんにちは!この前教えて貰ったパンの美味しい食べ方のお陰で息子が食べられるようになったのよ!」
「八歳になったんだってな!子供の成長は早いなー」
あっという間に取り囲まれた二人は町人からたくさん物を渡される。みんな旦那様には内緒よ、といたずらっぽく笑ってくれるのだが、これほどの荷物をもって帰ってばれないわけないだろうと思う。まあルカも町人たちも、本気でローゼンにばれていないなんて思っていないが。
「こらあんたたち!そんなに囲んだらお坊ちゃんたちが困るだろう?」
マーヤがパンパンと手を叩いて、群がっていた町人たちを一蹴する。みんな唇を尖らせて文句をいいながらぞろぞろと自分の目的に戻っていく。セラフィーネはその様子をポカンと見つめていたが、すぐにその腕をマーヤに取られることになる。
「いやーこうでもしないとお嬢様とサシで話せないからねぇ~」
にんまりと笑ったマーヤに思わずセラフィーネもつられて笑う。
「ずるいことしますわね」
「いいんだよ、何年もの付き合いさ。にしてもようやく会いに来てくれたね」
幼かった表情が一転して、母が子に向けるような感情を顔に浮かべてセラフィーネを見つめるマーヤ。そのような感情を向けられるとは思っておらずセラフィーネは驚く。
「ルカがよく抜け出してきていると知ってついてきましたわ。でも実は何回かだけ来たことはあったんです。その時は誰にもばれませんでしたわ。ですがずいぶんとお待たせしましたわ」
「そうだったのかい?いやぁもったいないことをしたよ。………そうさね。あたしたちみーんなの希望だったんたから、お嬢様たちはね。戦争で疲弊したこの地に、もう一度希望を与えてくれたのはあんたらさ。ありがとう」
そう言ってセラフィーネの頭をがしがしと撫で回す。
セラフィーネは貴族であり、平民のマーヤとは地位が違う。でも誰もここではその事を咎めないし、セラフィーネにとっても、母のような彼女のぬくもりがたまらなく嬉しかった。だからセラフィーネはくい、とマーヤの袖を引っ張り、かがんだマーヤの頬にキスをする。
「!」
驚いたマーヤにいたずらっぽく舌を出す。全く、と呆れたように呟いた彼女だが、喜びが隠せていない。いつの間にかまた帰ってきていた町人たちがずるいと口を揃えて文句を言っているが、誰かが照れているマーヤに気づくと、からかうような野次に変わっていた。
「いい街ですわね」
「そうだね。いつまでもこの光景を守らないとね」
ルカの返答にセラフィーネは少し驚いて彼を見た。普段は家族や親しい使用人にしか心を許さない彼だが、アノンの住民を見つめる横顔はとても穏やかで、ルカがこの街を愛していること、そしてルカが心を許せるほど彼らに親しみを抱いていることが分かる。その事にセラフィーネは嬉しくなるが、同時になぜ早く来なかったんだと、以前の自分に言ってやりたくなる。前世ならば頭をかきむしっているが、今のセラフィーネは貴族。口をパンパンに膨らませるだけにしておいた。
「ところでマーヤおばさん、何か変わったことはあったかい?」
ルカが尋ねた。いつも彼はただ遊びに来ているわけではない。実際に領地の現状を見に来ているのだ。
「前来た時とおんなじださ。相変わらず平和なこったい。ありがたいことにね」
「それは良かった。でも僕はもっと他領地や王都との行き来が頻繁になるべきだと思うんだ」
初めて聞いたルカが描く未来の話にセラフィーネは驚いた。思わず見つめた双子の弟の横顔は真剣だけどどこか楽しそうで、その話に一緒になって盛り上がる領民たちにも嬉しくなった。
(ラピスリータは安泰ですわね。にしても私の弟凄いな。齢8歳最強かよ)
すると、ふと思い出した中年の男性が声を上げた。
「そういえば前聞いたんだけど、なんか境界民が動いているらしいぞ。この前ロゼシュタイン側でキャラバンが襲われたらしい」
「境界民が?ここ数年は滅多に動きを見せなかったはずだろい?」
「調べる必要がありそうだな………教えてくれてありがとう。父上にも相談してみるよ」
境界民。その単語に聞き覚えはあったが、セラフィーネは詳しく思い出せなかった。ルカが考え込んでいるのを見ると、あまりいい情報ではないのだとわかる。
(にしても私は何やってたんですの!全然この世界のことを知らないじゃない!)
しばらく思案していたルカが顔を上げ、別れを告げる。
「じゃあ今日は帰るとするよ。気を付けて生活するんだよ!特にダレンさん!一人で商売しに行ったら襲われるかもしれないからね。もし行くならうちの傭兵団から何人か護衛を出すから声かけてよ!」
「そいつぁ頼もしいな!お言葉に甘えさせてもらうぜ」
がたいのいい男が白い歯を見せてガハハと笑う。つられて笑う町民たちに、本当にいい街だと思った。
セラフィーネとルカは最後まで彼らに手を振りながら別れた。行きとは違う道を他愛もない話をしながら帰るが、どこか先程の話を気にかけている様子のルカがセラフィーネは気になった。