アノンへの小道
短めです。
土がむき出しになった道をルカとセラフィーネは並んで歩いている。この道は屋敷から領都であるアノンへ向かう一本道だ。
ルカは町人が身に纏うようなラフな格好をしている。対するセラフィーネは、先日母ルシアに貰ったスポーツウェアに、腰にリボンを巻いた格好だ。屋敷を抜けたときに門番に顔をしかめられたのはきっとそのせいだろう。気にせず通りすぎたが。
今日はルカと二人で屋敷を抜け出してきたのだ。セラフィーネは2、3回しかないが、聞いたところルカは何回もしているらしい。というわけで『お忍びベテランのルカ先生と領都に行こう』の日なのだ。
周りの森は木々が生い茂りながらもきちんと手入れが行き届いている。ラピスリータの屋敷は領都から少し離れており、その周辺は森に囲まれているところにあるのだ。だがそのお陰で十年前の戦争では屋敷は大きな被害を免れている。
森の中に所々ある半壊した小屋や、血痕のついた武具が転がっているのをセラフィーネは見つけて思い出す。
十年前の戦争。隣国ロゼシュタイン帝国の当時の王は狂王と呼ばれ、周辺の国への意味のない侵略を繰り返していた。かつては優れた為政者と知られていたが、いつの間にか変わってしまったらしい。ここラピスリータ領は国内で唯一帝国と山ひとつ隔てて隣接した領土を持つ。そのためロゼシュタイン帝国の侵略からの防衛を一手に担うことになってしまった。優れた武人を多く排出してきた北の名家だったが、数の暴力には勝てなかった。名だたる将達が討ち死にし、多くの領民は犠牲になり、少ない農耕地は蹂躙された。だがそれでも有力な援軍は来ず、当時まだ領主ですらなかったセラフィーネの父ローゼンが傭兵団を率いて戦ったのだ。そしてローゼンはこの戦いをきっかけに英雄と呼ばれ、国中にその武功を広めることとなる。
余談だが、王家からの援軍が来ず、尚戦後の復興の援助がなかったことは知られた話で、ラピスリータは半王家派だと噂されているが詳しいことはセラフィーネには分からない。あの優しい父は仕える主に牙を剥くのだろうか。ルカはそこのところ知っているのかもしれないが、隣でうきうきとした表情で歩いている彼に聞く気にはならなかった。
「にしてもすごかったね。まさかセラが剣術に長けているなんて驚きだよ。運動神経はすごいけどさ。お父様の顔見た?すんごい嬉しそうだったよ」
昨日の出来事を嬉々とした表情で掘り返してくるルカに、セラフィーネは恥ずかしそうにする。ルカはそれを指差しながら笑ってきたが、無視して耳を塞いだ。声は聞こえないが、やかましいくらいによく動くルカの口を見ながら、セラフィーネは昨日の事を思い出す。
☆
「うそ…………」
ポツリとルシアが呟いた。
その言葉にセラフィーネは気まずそうに振り返った。
「申し訳ありませんわ。加減してくださったのに、私ったら遠慮もなく打ち込んでしまいましたわ」
自分の行動を反省し項垂れるセラフィーネの肩を、慌ててローゼンが掴んで揺さぶる。
「そういうことではない!いや、すごいことなのだ!これほどの才能があるならアルガフォートにだって…………っ!」
「?」
キョトンとした顔のまま状況が飲み込めないセラフィーネから、ユーグによってローゼンが引き剥がされる。
こちらを向いたユーグが、セラフィーネのはてなの浮かんでいる表情を見て、ため息をつくと、静かに語りかけだす。
「あのですねお嬢。彼は手加減してたわけではないんですよ。一応一年弱ここで訓練を受けている奴ですし、俺たちとしてもお嬢が勝つとは思っていなかったんですよ」
うんうんとセラフィーネが頷く。
「ですがお嬢は勝った。俺から見ても見事な踏み込みでした。普通なら尻込みしてしまうところを、何の迷いもなく、更に完璧なタイミングで。小柄な体格を活かして懐に飛び込んだのも見事です。そして何より、あの抜刀は初めてですよ。俺はあんなの見たことありません。どこで知ったんですかい?」
誉め倒してくれるユーグに表情筋を緩めていたセラフィーネだったが、最後の問いかけに、そっと目を逸らす。追いかけてくる視線が痛い。墓穴を掘らないように丁寧に言葉を選びながら説明をする。
「実は以前一度だけ屋敷を抜け出して街に行ったことがあったのですわ。その時に旅をなさっている方にお会いして、その時に似たような剣術を見せていただいたのですわ。…………抜け出したことを叱られたくなくて隠していましたが」
もちろん嘘だ。何が旅人だ。街に行くなんて発想、ルカに言われるまでなかった元箱入り娘なのだ、こっちは。
だがユーグはなるほどとそういうものか、と頷いている。
父にしろユーグにしろ、わりと簡単に納得してくれるんだなぁ、なんてセラフィーネは思ったのだ。
☆
「にしてもセラは随分運動神経が良いんだね。羨ましいよ」
「自分でもびっくりですわ。でもルカはその分とても頭がいいですわ」
おどけたように言ったルカだったが、嘘なんか言っていない顔でセラフィーネが言ったのだから少し照れた。
それに気づかずセラフィーネは前方を見たままルカに質問する。
「ところでお父様仰っていたアルガフォートとは一体?」
「王都よりも南に領地を持つ家で、剣術に長けているんだ。代々近衛騎士団に所属するぐらいの腕前の騎士を輩出しているよ。北のラピスに南のアルガフォートって呼ばれているんだよ」
「なるほど」
「セラはもう少し社交界に詳しくなった方がいいよ、ほんと」
ルカの呆れた笑みに少しうなだれる。全く興味がないし、まだ8歳なのだから良いだろうと思うが、それが許されるのはラピスリータ家が辺境の地を治めているからであり、王都に近い貴族たちは幼い頃から頻繁に夜会に出ているのだ。8歳だったら誕生日パーティーを利用して御披露目をしている時期だろう。まあこんな辺境の地まで誕生日パーティーに出席しに来る人はいないだろうが。
小道の大きな砂利が少なくなってきたと気づいたのと同時に、赤色の屋根を持つ石造りの家々が見えてきた。
「どうやら着いたみたいだね」
町中色とりどりの花に飾られた領都アノン。遅めの春が訪れたばかりの美しい街に久しぶりにセラフィーネは足を踏み入れた。
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