令嬢、決意する。
さて。整理をしよう。
清水涼の記憶が戻るまでの八年間、涼とは違う人格のセラフィーネがいたかといえばそうではない。すべての記憶を無くした涼がもう一度幼児時代を送っていたのだから、全く別の人格とは言えるはずもなく。好きな遊びや嫌いな食べ物も同じで、周囲の人に与えていた印象も、前世と何も変わっていないのだ。そのことに涼は───いや、セラフィーネはほっとする。記憶が戻るまでのことは全て覚えているが、いざ意識すると自分が自然体でいられるか不安だったのだ。だがその懸念は無くなったと言っていい。ひゃっほい、自由だ。
そして新しく生を受けたこの世界は予想した通り地球のある世界とは別の次元にある、いわゆる異世界という場所だ。魔法なんて期待したが無く、科学も地球以下。電球程度はあるが連絡手段もない、スマホっ子にとって地獄のようなアナログ生活。まあセラフィーネは六年間その生活をしているので今となってはどうでもいいことだが、今一度その事を噛み締めたら少し目眩がした。決して前世感覚で口走ったらいけないと分かっているが、絶対と言い切れないのが怖いのだ。だがまだ起きてないことを心配するなんて涼らしくもないので、強制的に思考をシフトする。
次に生まれ落ちたこの国のことだが、この国はアティシア王国といい、長い歴史を持つ由緒正しき王家の治める国だ。王都は王家の管轄だが、その他の領地はそれぞれ爵位を持つ貴族達が治めており、領地経営を行い、領地毎に傭兵団を持つ。ちなみに王都には王国騎士団が存在しており、国中の若者たちはこぞってここを目指すのが当たり前である。セラフィーネの家───ラピスリータ家はアティシア王国最北端に領地を持つ辺境伯家であり、代々隣接する強大なロゼシュタイン帝国との小競り合いや、戦争の最前線を担っているなかなか激しい地域だ。
(今思えば、貴族というわりに茶会とか出てませんね………。まあ、王都や他領地から遠いからなのでしょうけど)
自室の紅茶キットで自分で入れた紅茶をすする。結局前世のような口調ではなく、八年間で染み付いた丁寧な喋り方を一人の時もすることにした。もともと自分で紅茶を入れたり、着替えも自力で行ってきたので、部屋に侍女を入れることはあまりないが、人前でボロを出すようなことはしたくないし、もう未練は絶ったからだ。
………にしても
「暇です」
先程から欠伸が出ること計十一回。退屈なのだ。帰宅部だったが、その運動神経から助っ人を頼まれ続けた彼女が、お上品に紅茶を一人で飲むなど天変地異が起きてもあり得ない。もっと女らしくいろ、と怒ってきた先生には、家庭科の調理実習で作ったオムライスにそいつの婚約者の名前を書いたくらいだからな。
「───そうだわ!剣術でも学びましょう。そうしたら運動できるし、何より暇じゃない!」
ひらめいた、と瞳を輝かせながら手を叩く。
以前から令嬢修行(なにそれ美味しいの?)や基礎学力を付けるために家庭教師が来ているが、セラフィーネは清水涼と同一人物のはずだが、頭は少し良いらしい。記憶が戻る前は苦戦していなかったし、戻った今高校級の知識があるのだから躓くことはないだろう。
つまり、暇なのである。勉強は午前中のみ。午後は今まで何をしていたのだろうと思い出せなくなるくらい決まった予定がないのだ。
「そうと決まったらお父様に直談判です!」
もう朝食の時間なので侍女から呼ばれるだろう。ラピスリータ家の朝食と夕食は家族全員でとるのが習慣となっているので父にもそこで会える。可愛い娘の頼みだ。聞かない親がいるか。いや、いないはずだ。
クローゼットからドレスを引っ張り出すと目がチカチカするほどの数が収納されている。しかしどれもピンとこない。生地も一流でデザインも嫌いじゃないのだが、なんか恥ずかしいのだ。
(そりゃそうですわ。仮にも心はJK。今さらフリフリのドレスなんて着れたものじゃないのですよ)
何かないかと暫く漁っていると、白いドレスが目に入った。可愛らしさというよりは、清楚さを引き立てるような少し大人びたデザインだ。全体的にからだにフィットする形のため、少し体型が必要になるがセラフィーネには問題なし。寝間着を脱いで着てみると、思っていたよりも動きやすい。だがもう春とはいえ、ラピスリータ領は寒い。クローゼットの奥深くにあったのはそのためかと納得すると、鏡の前でくるりとターンする。
(うんうん。着てて恥ずかしくないし、動きやすい。何よりこの美貌だから似合いますね。今度から動きやすさ重視で仕立ててもらいましょう)
思っていた以上の仕上がりに満足げに頷いていると、扉をノックする音が聞こえた。
「お嬢様。朝食ができております。皆様食堂でお待ちですよ」
「分かりました。今行きます」
セラフィーネは人に手伝ってもらうのが嫌いなため(前世の影響もあり)、侍女は基本付かず、部屋の外からの会話で済ましてくれる。
(よぉし。絶対にいいよ、って言わせますよ!待ってなさい、お父様!)
部屋から出て駆け足で食堂まで向かう。早くも剣術をならう気なのかその足取りは軽やかだ。近道をするため中庭を抜けようとすると、木陰に見知った銀髪が見えた。セラフィーネは方向転換をして近づく。すると本を読んでいるその少年は、こちらに気づき顔をあげた。目が合うとセラフィーネはにっこりと微笑んで挨拶をする。
「おはようございますわ───ルカ」