一人ぼっちの反逆
裾に縋りついていたロイの手を払って、アルクは再び男たちと対面する。アルクを囲んでいるのは十数人で、その向こうの馬車の近くに4人。この作戦にはほとんどの境界民が参加しているので、ここにいるのは三分の一程度だろう。彼らを全員倒せるはずなどないが、アルクは何度も考えた計画を頭の中でもう一度なぞる。
「アルク。貴様は境界民を裏切った。裏切ったやつがどんな目に合うか、お前はよく見てきたから知っているだろう」
「裏切ったが、騙していたのはそっちだろう。俺が思っていたラピスリータ家と実際の彼らはあまりにも違った。洗脳されていたんだ」
「それはお前が信頼されてなかったからだろう。誰も仲間以外には腹の内は見せない」
ぴく、とアルクの頬がひきつったのを見て、男はにやりと笑う。
「図星か」
「っ。もう遅い。今頃お嬢様は屋敷に戻り傭兵が動き出したころだ。俺たちはここで終わる。俺が道連れにする」
「チッ、終わるなどあるはずがない!殺せ!」
先頭に立っていた男が剣を振り上げるのを合図に、一斉にアルクに飛び掛かってくる。アルクは一歩飛びのいてから駆け出す。目の前に迫る剣筋を避けて、がら空きの腹部に突き刺す。悲鳴が上がり、転がる。息つく間もなく攻撃を防ぎ、軽くいなして蹴り。野良育ち故、汚い手もためらわずに使うので、元は騎士出身のものが多い境界民ではアルクは少し浮いた存在だった。
「うっ」
目に砂が入って反射的に瞑った者を斬り捨てる。脛への殴打、隠し持ったナイフで手の甲を突き刺す。剣を握る力が抜けたところを同じように斬りつける。
ざっと4人は斬ったが、肩で息をするアルクに対して一切消耗していない境界民たち。扇状になって迫ってくる彼らの奥にロイが見えた。リスのようだと何回か形容したことがある愛らしい瞳を憎悪に吊り上げて睨むその視線に、僅かながら胸が痛んだ。
「いっ」
うち一人の剣が腕を斬り、仕立ての良い服が裂けた。そのまま大腿も斬られる。かくんと膝が嗤った。片膝をついた状態で剣を受け止めるが、空いた脇腹が刺され、肉片が飛び散る。
脳が警鐘をがんがんと鳴らす痛みの中、ユノを探す。視界の片隅でユノに振り上げられるナイフが見えた。
「っ」
瞬発的に筋肉に熱を集めて受け止めていた剣を弾く。男が体勢を崩した隙間にユノへ向かって走り出す。間に合わないと判断して、自分の剣を放る。ナイフを持った男の首筋―――頸動脈―――を掠めて、鮮血が噴出した。
「あ、ああああああああ」
間近で血を被ったユノが腰を抜かしてへたり込む。がくがくと全身を震わせる彼女を横から抱き留めて、血だまりに沈む体に縫いついて離れない視線をアルクに向かせる。
「あ、あ、あ、アルクさん………」
「ユノさん手荒い真似をしてすみません。ですがあなたに他の子どもたちを連れて逃げてほしいのです」
「え、でも………」
すぐに平静を取り戻したユノを、賢く強い子だとアルクは称賛する。一度頭に手を乗せて笑いかけ、地面に転がっていた剣を取って再び男たちに向かう。しかし駆けだそうとする足は、ユノに裾を引かれて止まった。
「アルクさんは?一緒に逃げて………」
「出来ません。私は一緒には逃げません」
「何で………」
「―――っ」
ユノに寄せていた意識が明確な隙となった。飛び掛かってくる男たちから守ろうと、ユノを抱きしめる。
「―――っぐ………」
背中が焼けるように痛む。鋭敏になった神経はこのような時には全く役に立たず、痛みで意識が飛びそうになる。とにかく腕の中で震える少女だけでも助けねばと、脳みそを働かせていたその時―――
「―――そこまでですわ」
凛とした声が響く。その力強さに、安心感に、懐かしさに、アルクの肩から力が抜けた。
同じように動きを止めた境界民たちは顔を彼女の方へ向けた。隙間から見えるのはセラフィーネ・ラピスリータ。アルクの主人だ。
セラフィーネの銀髪と蜂蜜色の瞳の美しさは、血の匂いが蔓延るこの場所と似つかわしくて、なんで、と声が漏れた。ユノもセラフィーネに気付いて呆けた顔をする。
「貴様はラピスリータの娘だな」
「えぇ。ところで皆さんどうして我が家の使用人をいじめてくれているのかしら」
「躾がなっていない犬を可愛がっていただけだ」
境界民たちは今度はセラフィーネに剣を向ける。蹲っていたアルクとユノも立たされて腕を拘束される。拘束した男を見るとロイだった。
セラフィーネがアルクとユノを見て、血まみれのユノに眉を顰める。
「私はアルクに裏切られましたわ。でもどうやら違ったようで。そこいらに転がっている死体は皆アルクがやったのかしら」
「忌々しい男だ。これから裏切った代償としてこいつを痛めつけて殺そうと思っているのだが、なんとまあ戯言を吐くようで。道連れにして境界民を終わらせるだと?笑わせる」
セラフィーネの視線が探るようにアルクに向けられるがアルクは逸らした。それにまたセラフィーネの顔が険しくなる。境界民たちが捕らえろと動き出そうとしたとき、セラフィーネが声を張り上げた。
「少しよろしいかしら」
「?」
「使用人に問いただしたいことがありますの」
境界民たちは訝しげにセラフィーネを見返すが、それを肯定と受け取った彼女はアルクをまっすぐ見た。内面を暴かれるような視線に、身を焦がされるような錯覚をする。アルク、と呼びかけた彼女に返事をする。
「あなたはどうしてこれを一人でしたのです?どうして私たちを頼らなかったのですか?」
「………」
「命令です。答えなさい」
先の沈黙は、何も答えたくなかったからじゃない。その質問が予想外だったからだ。他にも子供たちを巻き込んだこととか問うべきことがあるはずなのに、セラフィーネはアルクのことを問うた。何故、と思う。セラフィーネはアルクが何か企んでいると知りながらも止めなかった。アルクの意思を、選択を常に尊重してくれていたのに、ここにきて何故不満げな顔をするのか。
「巻き込んではならないと思ったからです」
「違うでしょう」
「………信じられなかったからです」
即答で否定されて、もう逃れられないと思ったから素直に答えた。
そうだ。アルクは最後の最後で信じる勇気が出なかったのだ。何度も自分を受け入れてくれた主人も、自分がやろうとしていることに協力してくれないのでは、と彼女を信じられなかった。それが仲間である境界民を裏切ったことよりも、アルクの計画において後悔の糸を引いているものだった。
アルクの答えにセラフィーネが目を伏せた。アルクははっと気づく。
(そうか)
セラフィーネは拗ねているのだ。否、拗ねるなんて単純なことではないが、根本は拗ねているで合っているだろう。そのどこか不自然に大人びていて、年相応に子供っぽい主人はキッと目尻を吊り上げて、
「アルク!覚悟なさい。屋敷に戻ったらあなたにみっちりと仕込んでやりますわ。そうね、信じるの意味を辞書で調べるところから始めましょう」
「え」
思わず動揺したアルクにセラフィーネはにや、と笑う。しかし痺れを切らした境界民たちが再び剣を構えた。
「何が屋敷に戻ったらだ!アルクは死に、貴様は捕らえられるのだ!」
「お退きなさい。私はそこの男に用があるのです」
「かかれ!」
合図でセラフィーネに男たちが迫る。まだ幼くか弱い令嬢にあってはならない状況だが、アルクはそれよりもセラフィーネから目を離せなかった。銀髪が赤色を纏って煌めくが、それは夕日ではなく体の奥底の炎が燃え滾っているかのような、そんな輝き。
「聞こえませんでしたか」
飛び掛かった境界民たちも一瞬動きを止めた。背筋を撫でられるかのような声に、その場にいた全員が凍り付く。
ぷちん、とセラフィーネの中で何かが千切れた。
「―――どけっつってんだよ」
懐かしい口調と共に溢れ出してきたのはずっとセラフィーネの中にいた何か。赤黒く、炎を纏ったそれがセラフィーネを覆いつくして、彼女の意識が夕闇に消えた。
次回は30日20時投稿の予定です。




