初陣
振り下ろされた剣を受け止めて流す。力を抜いて相手の勢いを利用する武術は前世でもあったが、これはそれの応用。己の剣がセラフィーネの刀を滑っていくのには驚いたようだが、すぐに不敵に笑った。背中に隠れていたもう一対の刃がセラフィーネの顔を狙って向けられ、上半身だけを使って躱した彼女に追いうちがかかる。
「くっ………」
迷わず後ろに飛んで距離を取る。息つく間もなかった切り合いに、呼吸が遅れて波のようにやってくる。肩で息をするセラフィーネに対して、黒マントの下から笑みが覗いた。
「あれれれれ可愛い血が流れちゃったねぇ。ン………おいし」
そう言って刀身に絡みついた血を舐めとられて初めて、セラフィーネは自身の頬の傷に気づいた。軽く舌打ちして構えなおす。刀身を鞘に戻して抜刀の姿勢をとった彼女に、興奮で赤く染まった顔に恍惚の表情を浮かべた。
「アハ。ここまでして壊れない玩具は久しぶりだよぉ」
「随分と趣味の悪い遊びですこと」
投げられた、マントに忍ばせていて気付かなかったナイフを刀身に弾かせて躱す。その間に間合いを詰められ、顔が近づく。幼い間延びした喋り方は近距離での切り合いでも変わらず、むしろ応酬を重ねていくごとに増していくようだった。
一撃一撃受け止めていくが、その重みは衰えることなく、セラフィーネの腕が限界を迎え始める。それに目ざとく気付くと、
「ダメダメつまんないよぅ。もっともっと頑張って!まだまだボクと遊んでよ!」
頑張れ頑張れと手を叩きながら斬撃を繰り出してくる。それらを正確に躱していくセラフィーネの反応も既に常人離れしているが、踊るように攻撃を繰り出してくる先の読めない剣術に舌を巻く。
「ねぇおじょーさま」
「なん、ですの!」
「フフフ。ボクねぇ今までたっくさんの人を殺してきたんだぁ」
すっかり相手のペースに持っていかれ、防戦一方だが隙を見て突きを繰り出す。が、ひらりと躱され、黒いマントがなびいて視界を覆った。
「チッ」
わずかに緩んだ腕の筋肉―――その一瞬で、背後からねっとりと絡みつくように白い四肢がセラフィーネに抱き着いた。
「あっ………」
「だけどその中でもおじょーさまは最高。殺すのがもったいないからしたくないけど、そんなおじょーさまのまっかな血はもっときれいだと思うから―――ごめんね?」
音もなく首筋にそえられた刃が、後ろに引かれる。頸動脈が切断され、溢れだした鮮血が宙を舞う。のは幻覚。
柄で鳩尾を突かれて、小柄な体躯が空を舞う。
「ぐっ」
セラフィーネはよろめいた体勢を立て直して、突き飛ばした無防備な体に向けて飛び掛かる。ローブの隙間から覗いた表情は、初めて張り付いていた笑みが剥がれて歯を食いしばっていた。
「はああ!」
振り下ろした刀を胸の前で防がれるが、その衝撃までは抑えきれなかったようで、地に叩きつけた。土煙が舞い上がる中、仕留めきれなかったようで、黒いマントが着地するセラフィーネから飛びのいた。すかさずセラフィーネは後を追う。一瞬で間合いを詰め、マントが隠す頭部に向けて突きを繰り出す。しかし急にしゃがみこんだため、手ごたえはなく空いた隙間から刀がマントのフードを刺し貫く。
はらりとフードが脱げた。
「―――っ!?」
現れたのは翡翠の瞳。目元の泣き黒子が殺伐とした雰囲気の中に色気を漂わせており、セラフィーネは胸をつかまれたような錯覚を覚える。だけど息を飲んだのはそこではない。透き通った瞳に映る自分の顔が滑稽に映った。
「―――フフフ。アハハハハハハハハ!!!ねえびっくりした!?びっくりするよねぇ!!」
狂気に満ちた笑い声が響く。驚きで固まるセラフィーネに、おかしくてたまらないといった風に目元を拭って笑った。
「女の子………?」
「そう!そうだよぉ!」
少女は自分の髪を一房掴んで見せる。ウェーブのかかったクリーム色の髪。マントで隠れていたが少女の腰まであるそれを、くるくると弄んでこちらを挑戦的な瞳で見る。
「まさか自分と同じくらいの女の子も境界民にいるって思ってなかった?ざんねーん!」
図星で唇を噛み締めたセラフィーネに、にんまりと笑った少女は大げさに腰を折った。
「改めましてボクの名前はフウカ!今日はおじょーさまと遊びに山から下りてきたんだよぉ。だからぁこんなんじゃ満足できないの!もーっとあ・そ・ぼぉぉぉぉ!?」
迫りくる刃を眺めて、まるでダンスを踊っているようだとセラフィーネは再び思った。それほど洗練された動きに経験値。相手の首を狙う執念。
(これは敵いませんわ………)
完全なる敗北を認めた途端、力が入らなくなる。でも不思議と死を受け入れる心は穏やかだ。怖い、とも思わず、初めてにしては上出来だとどこか満足するような………。
そんなセラフィーネの表情に、フウカは怪訝な顔をして眉をひそめる。張り合う気を無くしたとわかると、先程まで浮かべていた笑顔もなしに、無慈悲に振りかざした―――その瞬間、
キン―――………
耳障りの良い金属の擦れる音がして、そのまま夕暮れの山道に響いた。
静かに目を閉じていたセラフィーネは、訪れるべき痛みが何時まで経っても来ないことを不思議に思い薄目を開けると、目を見開いたフウカと、―――見慣れた頼もしい背中に肩の力を抜いた。
「あ………あれぇぇ?」
確実に決まる一撃を、割り込んできた新手に容易く防がれたことに、フウカは目を白黒させる。
セラフィーネは動かなかったはずの腕を伸ばして、その武骨な背中にそっと触れた。
「ユーグ………」
セラフィーネの声に赤髪が揺れて、ゆっくりと振り返る。
いつも喧嘩ばかりで憎たらしい端正な顔を、泣きそうに歪ませた傭兵に、セラフィーネは微笑んだ。