後編 通りすがりの悪魔
あと、数十分・・・・・・。
そしたら私はどうなるんだろう?
この人たちと一緒に、あの恐ろしい地獄に行くのかな?
天使ってことで、天界に帰してくれないかな?
・・・・・・エル先輩なんて、追うんじゃなかった。
「違う!」
その言葉が、口をついてでてくる。はっとして口を塞いで辺りを見ると、私に視線が注がれていた。
違う。そんなこと考えちゃだめ。私は、エル先輩のことが好きで――
でも、先輩を追わなければこんな目には――
ああ、なんでこんな言葉を口にして――
――私は、何をしているんだろう?
「おい、そこの天使」
誰かに呼ばれて、私は恐怖に身を縮ませる。
この列車の中で、天使がどんな目で見られているかは知っている。だから、きっとこの人も――
「大丈夫か?」
その言葉に、私はばっと顔を上げた。
目の前には、黒い肌と角を額に付けた悪魔がいた。
その見た目は、とても安心できるようなものではなかったが・・・・・・。
「・・・・・・大丈夫か?」
「・・・・・・えっ、あっ、はい。大丈夫です・・・・・・」
目頭が急に熱くなった。
何に安心しているんだろうと私は思う。
だが、
『大丈夫?』
この一言が、どれだけ大きいものか・・・・・・。
「珍しいね。天使がこの列車にいるなんて」
悪魔が苦笑いを浮かべる。
「どうしてこんな列車に?」
「えっと、私の彼氏が天界を追放されて・・・・・・。それで、追いかけてきちゃったんです。あはは。我ながらおかしなことをしたなって」
私は悪魔と目を合わせずにそう言う。
正直に言ってしまえば、エル先輩を追いかけたことを少し後悔してしまっている。それでは、追った私も、天界に残った私の友達も誰も報われないのに。
「へえ。好きだったんだ。その彼氏さんのこと」
「はい。大好きでした」
そう堂々と言い切ると、悪魔がなぜか驚いたように目を丸くする。
「どうかしました?」
「いや、人前で言い切るとは思わなかったからな」
「そうですか・・・・・・」と答えたが、私は言い切ったことになんの疑問もないし、何がおかしいかもわからない。
好きなものを好きと言い切るのは普通ではないのか?
「変な質問したな。すまん」
「いえ、全然大丈夫です」
なぜか謝る悪魔に、私はそうとしか答えられない。
そして、話題の尽きた私たちの間に気まずい沈黙が流れる。
そんな私の視界に、唐突に外の景色が映った。
「・・・・・・怖いですね」
それは、なんとなく出た言葉だった。それに、
「ああ、そうだな」
と悪魔も素っ気なく答える。
「なあ、天使の仕事ってなんだ?」
悪魔がそう私に尋ねる。
天使の仕事・・・・・・。
「天使の仕事は、外界に住む生物に幸せを配るんです。それで命を救って上げたり、生活を楽にして上げたり、一時の快楽を与えて上げたり・・・・・・。知能の高い人間とかなら、道を踏み外さないようにリードしてあげたり」
不幸になると、彼らは何をしでかすかわからない。だから、一定の幸せが抑止剤になるとも言われている。
「このぐらいです」
「そうか・・・・・・。それ以外はないのか?」
『それ以外』?
「ないです。私たちは幸せを配ること以外はしません」
「いや、そうじゃなくて・・・・・・。なんだろうな。なんつーか、その・・・・・・」
自問自答を繰り返す悪魔が、うんうんと目の前で必死になって適切な語を探そうとしている。
それが、どこかおかしくて。
「・・・・・・ふふ」
「おい、今笑ったか?」
「へっ! わ、笑ってないです!」
「じゃあなんださっきの『ふふ』は」
「あれです、あの・・・・・・。思い出し笑いです!」
そうなんとか誤魔化すも、なかなか悪魔は疑問の目を解こうとしない。
「よくもまあ地獄を目前にして笑えるもんだな」
「笑ってないと、不安に押しつぶされそうじゃないですか?」
「確かにな」
そして、また沈黙が流れる。
『到着まで、あと残り五分ほどです。皆様。心の準備を』
というアナウンスが聞こえてきた。
「心の準備って、何をすればいいんでしょうね」
「さあな。自慰でもしろってことじゃねえの?」
「自慰?」
そう私が首をかしげると、「知らねえならいいや」と悪魔が言った。
自慰・・・・・・初めて聞く言葉だ。いつか調べてみよう。
「ま、なんか思い思いにしてろよってことだろ?」
「そうなんですかね・・・・・・」
「そうだな。笑ったりさ。そうして緊張解いとけよっつってな」
だが、地獄を前にして緊張など解けるわけもないだろうとは思ってしまう。今なお車窓から見えるのは絶望的なまでに恐ろしい《フェニックス》と赤黒い空だけだ。
「なあ」
悪魔が声をかけてくる。
「お前は、その天使の仕事に誇りを持っているか?」
そんなものは当然。
「持ってるに決まってるじゃないですか。じゃないと、続けてなんかいませんよ」
それに、もはや義務と化したあの仕事を続けないと、私が幸せを与えている生物に申し訳ないし、そんな感情のないことはできない。
「俺さ、思うんだ」
悪魔がそう続けて語り出す。
「与えられる幸せってなんだろうって。与えられている側からしたら嬉しいもんだが、幸せは無制限には配れない。どこかで不幸なことが起きてしまう。だから、いっそのこと幸せなんて配らなくてもいいんじゃないか? ずっと不幸なら、幸せも不幸の境もわからないから、普通でいられるんじゃないか? ってさ」
きょとんとする私を置いて、悪魔は続ける。
「それに、そんな資格を俺たちが持っていて良いのか? そんな大層な権利、いらないだろ? 罪悪感だって残るんじゃ無いのか? あそこまでこの幸せをとっておけば、この子はもっと幸せになれたって」
この悪魔は何を言っているんだろう。
私はそう思ってしまう。
幸せを配るのは、素晴らしい仕事だと思っているし、罪悪感も何もないのに・・・・・・。
いや、それよりも。
「悪魔さん。そう思ったのはなんで――」
「罪状切符を拝見いたしまーす」
疑問に思ったことを口に出そうとしたところで、車掌らしき魔物が私たちと反対の扉から出てきた。
「・・・・・・罪状切符?」
「ん。なんだ、お前持ってないのか?」
「はい」
私はエル先輩を追ってきただけだから、そんなもの聞かされてもいないし、持ってもいない。
念のため服のポケットも見たが、やはりなかった。
「拝見しまーす」
車掌がついに私たちのところまで来た。隣で悪魔の黒い切符を切って、今度は私を見る。
「天使さん。あなたは?」
「え、あ、あの。そんなもの持っていなくて・・・・・・」
「ほう?」
車掌がさっと肩に掛けてある鞄から見たことのない機材を取り出す。
「・・・・・・嘘ではないですね。では、本当に無罪・・・・・・。珍しいですが、きちんと対応はできますので。こちらを」
車掌が白い切符を私に渡す。
「こちら、天界行き列車の切符となります。地獄駅のホームに着き次第、天界行きの列車が参りますので、ホームでお待ちください。それと、ホームにおりますと罪人の皆様の姿は見えなくなりますので。では」
そう言って、車掌がふっと文字通り消えた。
その光景に私は口をぽかんと開けて、だが我に返って貰った切符を見る。
《天界行き切符》
「あ・・・・・・」
それを見て、安堵に腰を抜かしてしまった。
よかった、帰れる・・・・・・。
「エル先輩。ごめんなさい」
そう呟いて、私はなんとか手すりにつかまって立ち上がった。
折角追ってきたのに、エル先輩に会うこともできず、それどころか自分だけ帰ろうとしていることに罪悪感を感じてしまう。
だけど、ほっとするしかなかった。
「・・・・・・そのエル先輩が彼氏なのか?」
「はい。そうです。でも、先輩を追ってきたのに、自分だけ帰るなんて、私もひどいことをしていますよね。本当、なんのために追ってきたのか・・・・・・」
今考えても、やはり私はあの空間から逃げたかっただけなんだろうと、切実に感じる。私は彼のこと思っていたんじゃなかったって、思ってしまう。
「私は逃げたいだけだった。何も、彼のことなんて考えていなかった」
「でも、大好きなんだろ?」
今度は返答に困る。
何も考えずに大好きと言ったさっきの私が馬鹿みたいだ。
私は、私のことしか考えていないのに――
「大好きです」
それでも、こう言い切ってしまう。悪いことだと、自己中心的だとわかっても、こう言い切ってしまう。
きっと、私はとても悪い人だ。
「最後に一つ」
車窓から、ホームが見えてきたところで、悪魔がそう言った。
「お前は、その仕事のことどう思っている?」
「どう・・・・・・ですか?」
「生物に幸せをもたらすその仕事」
「誇りに思っていますよ」
そう答えて、あれ、と思う。
この会話、どこかで――
列車が止まった。
「俺は、その誇りを見つけられなかったよ」
そう言う悪魔の顔は、どこか寂しそうで、悲しそうで――
「あなたは――」
どんっ、と私は悪魔に押される。
私は、裸足でホームに降りる。瞬間。
「あ・・・・・・」
悪魔の姿が消えた。
それどころではない。赤黒かった空も、真っ青に澄み渡る晴天へと変わり、漆黒のホームも純白に変わった。
『ホームにおりますと罪人の皆様の姿は見えなくなりますので』
車掌の言葉が再生される。
これはきっと、天界と地獄を分ける切符だったのだろう。と私は今になって気づく。
私は、あの悪魔を思い出す。
なぜか、天使の仕事を語ったあの悪魔。
「通りすがりの悪魔さん。あなたは、もしかして――」
その答えを聞くのは、あと三十年後だ。
「天使、地獄行き列車に揺られ」これにて完結とさせていただきます。最後までお付き合いいただきありがとうございました。




