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♭4

「……!ふん、ようやく話が出来る奴が現れたか」

  

 一瞬たじろいだが、トニーは巨大な体躯を持つ大魔王アデルを見上げてニヤリと笑った。

  

 この世界のものではない。詳細は分からずとも、おそらく正解だ。間違いなくこの世界は現世とかけ離れている。

  

「もう一度言おう。貴様はこの世界のものではないな。そして、人間であろう」

  

「もう一度言おう……じゃねーよ、タコ。だからどうなんだ?俺達は未だに何がどうなってるのか分かってねー。お前は帰る方法を知ってんのか?知ってるならさっさと教えろ」

  

 トニーやアデル、フランコはともかく、ミッキーには何の事やらチンプンカンプンである。しかし余計な口を挟めないほど、トニーとアデルの会話はミッキーを夢中にさせた。

 

「やはりか」

  

「ん?」

  

「見たことも無い格好に見たことも無い武器。クルーズが一撃で倒された事から、何かがおかしいとは思っていたが……」

  

 前々からトニーの存在を怪しんではいたらしい。実際に彼を見ることで、それは確信へと変わったのだ。

  

「魔王ってのはいちいち回りくどく話すんだな」

  

「異世界から来たとしても、帰るすべを知らぬと申すか?」

  

「あぁ、そうだよ!ここはどこなんだ!俺の知るニューヨークにこんなどでかい悪趣味な城は無いぞ!車も走ってねーし、人っ子一人いやしねー!タイムズスクエアは!?ブロードウェイは!?自由の女神は!?」

  

「ふむ……」

  

 アデルは少し何かを考えるそぶりを見せた。永らく生きてきた、自らの知る知識をフル回転させている。

  

「トニー・バレンティノ。貴様は星守(ほしもり)と言う存在を知っているか?」

 

 星守。当然、トニーは聞いたことも無い言葉だ。

  

「星守?なんだ?」

  

「言葉の通りだ。星を守る者。すなわち、この地球を御する者」

  

「あー……地球をコントロールするって?何の話だよ?それよりもさっさと……」

  

「……か、閣下」

  

 黙っていただけのミッキーがトニーの言葉を遮った。

  

「あ?」

  

「……お、畏れながら……申し上げてもよろしいでしょうか、大魔王陛下、バレンティノ閣下」

  

 魔族の最高位が会話している中に割って入るのだ。首をはねられてもおかしくは無い状況。しかし、ミッキーは勇敢にも声を発した。

 二人のやり取りに夢中だったはずの彼だが、何かに駆り立てられたのだろう。

  

「おう、どうした」

  

 トニーは気楽に返したが、アデルは返事をしない。

 

 それを見て、ミッキーが押し黙ってしまう。いかに主であるトニーが許可しようとも、大魔王がイエスと言わねば無許可なのだ。

  

「トニー・バレンティノ。このリザードマン、何やら普通とは違っているようだが?」

  

 だが、アデルはミッキーの事が気になっただけで、彼を咎めるつもりはないようだ。

  

「ミッキーか?コイツは俺がこの世界に来たときからの付き合いでな。世話になる事も少なくねー、頼りになる子分だ。チーフを結んだ腕章が洒落てるだろ?」

  

「グルル……!」

  

 嬉しいのか、ミッキーが喉を鳴らす。

  

「リザードマンごときに名前をつけて護衛まで任せているとは驚いたな。やはり何から何まで常識にとらわれておらぬか」

  

「しかし俺がよそ者で、しかも人間だとして、なぜてめーはそれを容認する」

  

「興味がある。それだけだ」

  

「嬉しくねー答えだな。おい、ミッキー。てめー、何か言おうとしてただろ?話せ」

  

 トニーが促す。

 

「グルル……しかし……陛下が」

  

「言いたい事はハッキリ言え!命令だ!」

  

 バシン!とミッキーの肩を叩く。かなり強めに力を入れたつもりだが、さすが魔族というべきか、ミッキーはびくともしない。

  

「リザードマン。星守の件か?」

  

 ようやくアデルがミッキーに声をかけてやった。発言を許されたと取って間違いなさそうだ。

  

「は……はい、陛下!」

  

「申してみよ」

  

 ミッキーが反応したのは星守という話が出てきてからである。アデルの読みは正しかった。

  

「ありがとうございます。星守について何か情報があるというよりは、バレンティノ閣下が星守と通じておられる事に感激した次第です」

  

「俺が?」

  

「はい。確かに人間によく似ておられ、未知の種族だと思っておりましたが……まさか星守を通じてお越しになっていたとは。以前、クルーズ閣下からその存在をお教えいただいたのです」

  

 トニーとフランコはまだ内容についていけないが、星守は普通であれば下位の魔族には知られていないらしい。

 アデルがミッキーを気にしたのにも納得できる。

 

「さっきからてめーらが話してる星守ってのは何だ?神とでも言うつもりか」

  

「神か……近からず遠からずだな。目には見えぬ。しかし現に存在する。時折、こうやって異世界からの来訪者があるのが何よりの証拠である。かねてより、わずかな者にのみ語り継がれてきた『世界をつなぐ』存在なのだ」

  

「もう少し分かりやすく話せねーのかよ。星を守るだの世界をつなぐだの、意味不明な話はうんざりだぜ!なぁ、フランコ?」

  

 急に話を振られたフランコがハッとし、苦笑を浮かべて頭を掻く。どうやら最初から興味がなく、聞いていなかったらしい。

  

「この星は一つではないのだ。表裏一体、九の顔。言い伝えによれば、この星は九つの世界を有しておる。今この瞬間も、このニューヨーク城の座標には九つの場所が存在するというわけだ。貴様が知る世界にも、景色は違えどここと同じ場所が存在するのであろう」

  

 九の世界。

 アデルの話によれば、トニー達が暮らしていた現世もその一つであるという考え方になる。

 

「何で九つなのかは知らねーが、ここが俺たちにとっちゃ異世界で、てめーらにとっちゃ俺たちが異人だってのは理解出来たぜ。だが……そんなことは最初から分かってんだよ!帰り方が知りたいんだ!その……姿が見えねー星守ってのとどうにか話せねーのか!?」

  

「第一の世界『アン』、第二の世界『ツヴァイ』、第三の世界『サラーサ』、第四の世界『クアトロ』、第五の世界『ファイブ』、第六の世界『シャスチ』、第七の世界『チー』、第八の世界『ハチ』、第九の世界『ノービ』……それが世界の名だ。我々がいるこの世界はシャスチ。魔族と人間が住まう混沌の世界である」

  

「話聞いてるか?」

  

 説明はありがたいが、今は欲していない。

  

「星守は、秩序を守る為にその世界の頂点に立つ国家に宿ると聞く。つまりこの世界の星守は、現時点では所在が不明なのだ」

  

「はぁ!?俺がソイツのせいで飛ばされたんなら、こっちでもアメリカにいるんじゃねーのかよ!」

  

 確かに現世ではアメリカは世界のリーダーと言われている。秩序を守るという点でFBIはその象徴と言えない事もない。

 しかし、この世界ではそれは適用されない。

 

「遥か昔、それはイギリス合衆国と共にあったと言う。この世界で最初に国を興したのだ。その時代の王妃は不思議な力を持ち、神々しい光で対象物を消し去る事が出来た」

  

「光……消し去る……身に覚えがあるぜ。星守は見えねーんだろ?憑依したりするのか」

  

「いかにも。星守はその時が来れば、人や動物、魔族、建物や道具にいたるまで、様々な姿を借りて我々と向かい合うであろう」

  

 少し、星守の存在が分かってきた。間違いなく、その王妃の力はトニーらの経験した現象と酷似している。

  

「だが何のために異世界へ?星を守るのと、どう関係するんだよ」

  

「わからぬ。その世界にそぐわぬ存在だと見なし、対象を別世界に飛ばしてしまうのか、他に理由があるのか……」

  

「ふん……今こっちは世の中が混沌として星守の居場所がわからねーんだったな。だったら、アメリカがこの世界の人間共を根絶やしにしちまえばイイ」

  

「ほう……貴様とて人の子であろう?」

  

「ここじゃ違う!……おい、決めたぞ。てめーに力貸してやる。ロサンゼルス城の兵士を戦争に使わせろ。俺が滅ぼし、世界を平定してやるよ」

  

 ついにトニーの目的が明確化された。

 

「くくく……面白い。では貴様にも大アジア大陸への侵攻を命じようではないか」

  

 ミッキーが目を見開く。こうも簡単にトニーの意見が通されたのだ。いくら絶対王政とはいえ、こんな大事な話を口約束で決定してしまうのは軽すぎる。

 六魔将は本来、将軍とは呼ばれていてもそれぞれの地場に根付いて大魔王の政を手助けする職なのだ。定期的に侵入はしても、戦地へ赴くのが使命である魔王正規軍の団長や副長とは違う。

  

「グルル……」

  

「なんだ、ミッキー?不満か?」

  

「いえ……しかし、閣下の御身が心配です」

  

 反対はしないが、そういうことらしい。

  

「ありがとよ。だが、やると決めたらやる。ミッキー、このことはしばらく口外するな。フランコ、ロサンゼルスに戻ったらウチの組員を全員玉座に集めろ。話がある」

  

「はい、親父。元の世界に帰れるかもしれねーんだ。俺たちも何だってやりますよ」

 

……

  

……

  

 数時間後。ロサンゼルス城。

  

 玉座に座るトニーの周りに、バレンティノファミリーの面々が整列した。魔族からも特別にミッキーだけが出席を許され、護衛らしくトニーの横に控えている。

  

「親父!この度のニューヨーク訪問、お疲れ様でした!」

  

「お疲れ様でした!」

  

 まずは一同から声が上がる。

  

「おう。ニューヨークとは名ばかりの、つまらねーど田舎だったぞ」

  

 いくつか笑い声が上がる。問題ない。しばらくわけの分からない状況におかれてきたはずだが、彼らの精神力は大したものだ。

  

「大魔王とやらにあってきた。バカでかい悪魔みたいな生き物で、色々な事を教えてくれたぞ。……中でも一番面白かったのは、コイツだ!よく見とけよ……『発火』!」

  

 ボウッ!

  

 なんと、トニーの人差し指から炎が上がった。彼はニューヨークから戻る前に、アデルから魔力を解放してもらったのである。異世界の人間に扱えるかは大魔王ですら分からなかったが、見事に成功したわけだ。

 

「お、親父!?」

  

「手が燃えてますよ!火傷しちまいます!」

  

「大魔王って奴に手品を教えてもらったんですか!?」

  

 慌てた皆が、様々な声をあげている。

  

「何が手品だ!魔術だろうが!この世界じゃ嘘みたいな事が平気で起きる。わかってんだろ?」

  

 トニーが拳を握ると、炎は跡形もなく消え去った。

  

「……とまぁ、妙な特技が増えちまったわけだが、化け物共の頭領としちゃあ、このぐらいでちょうどイイだろうぜ。だが、俺がてめーらを集めたのは他でもない。元の世界に戻れる方法が見つかったからだ!」

  

 おおっ、とざわめく一同。

  

「だが、一筋縄じゃいかねーんだ。しばらくはこっちの世界で暮らす事を覚悟しなきゃならねー」

  

「問題ありません!」

  

「俺達は親父についていくだけです」

  

 なんとも嬉しい言葉が返ってくる。

  

「閣下」

  

「あ……?おう」

  

 ミッキーが一枚の旗をトニーに手渡した。翼を広げる竜が描かれている。しかしそれは生身ではなく骸骨の竜。なんともおぞましい。

  

「魔王正規軍の軍旗だ。俺は六魔将って役職らしいが、コイツは少し違う」

  

 不思議そうに旗を見るファミリーの人間にそう説明する。

 

「俺はロサンゼルス城の兵隊共を率いて、人間共が住む地域に進撃する。こないだの食料調達の時の侵入とはわけが違う。船か飛行機か知らねーが、直接海を渡ってアジア大陸へと侵攻する!大部隊を率いてな!」

  

 さすがにピンとこないらしく、ミッキーとフランコ以外の一同はポカンとしたままだ。数秒の沈黙の後、一人が手を挙げた。

  

「あん?」

  

「親父、化け物共を引き連れて、よその国を攻め滅ぼすって事ですか?」

  

「おう。アメリカが世界を統治すれば帰れるってわけだ。どうせ異世界なんだからよ。同じ人間だろうと構いやしねーだろ」

  

「まぁ……それはそうですが。そうすれば元の世界に帰れるんですか?その、言いづらいですけど……大魔王とかいう親玉に騙されてるんじゃねーですかね?どう見ても魔族の有利に働く話だ」

  

 当然の意見だ。トニー本人にしても、アデルへの信頼性はほとんど無い。

  

「違ったら大魔王を殺す。他に質問は?」

  

 ミッキーのみ驚いた表情になったのは言うまでもなく、組員達は「そりゃそうだ!」と手を叩いて喜んだ。

 

「親父、何か必要なもんはありますか?」

  

 代表してフランコが質問する。

  

「そうだな……武器はどうだ。こないだ拾った剣や槍もあるが、どうにかして銃と弾薬を作れるようにしろ」

  

「銃ですか。確かに必要だ」

  

「魔族共はイイとして、俺達は銃も持たずに戦争なんか行けねー。騎士殿相手にいつまでもチャンバラで生き残ってられる保証なんざねーんだ。もう一度言っておくが、ちょろっとメシを拝借しにいくのとはわけが違うんだぜ」

  

 残弾も少ないマグナム銃をくるくると回すトニー。フランコが話をミッキーにふった。

  

「ミッキー、この辺りにコイツを作れそうな奴は?」

  

「グルル……武器や防具の入手はもっぱら侵入による略奪です」

  

「魔族に鍛冶屋はいねーのか?」

  

 コクリと頷く。

  

「ふーむ……親父、まずは戦争に行く前に、鉄や火薬を扱ってる職人をさらって来ちゃどうでしょう。現物はここにあるんだ。頭ひねって作らせましょう」

  

「売女もリストに加えとけ」

  

「もちろんです」

  

 マフィアらしく、危ないにおいのする会話が平然と飛び交う。

 

「ミッキー、次の襲撃の予定はあるか?」

  

「ありません、閣下」

  

 いまやミッキーの存在がファミリーにとって大きな助けになっている。

  

「工業が盛んなイメージはドイツだがな。こっちにはあるのか?」

  

「あります。では、次の侵入はドイツ帝国に絞ってよろしいでしょうか」

  

「そうしろ。だが言葉が通じねーな。まぁ……なんとかなるか」

  

 わからない事はやってみて考える。それがトニー・バレンティノ流だ。

  

「ドイツの街で英語が話せる奴も探しちゃどうです」

  

 フランコが助言する。

  

「いらねーよ。本当に職人肌な奴なら、ピストル見せた瞬間に好奇心が湧いてくるだろうぜ。向こうからコイツをバラしていじくって、色々と調べさせてくれって頭下げるに違いねぇ」

  

「そりゃ頼もしい奴隷で」

  

「よし、さっさと始めるぞ。ミッキー、城の連中を集めろ。次は魔族の兵士に戦争の話を聞かせてやる」

  

「ははっ、仰せのままに」

 

……

  

……

  

 部屋中にひしめく魔族の兵士達。体躯は大小様々だが、ざっと五百体はいるだろうか。  

 彼らの視線はトニーに向けられている。

  

「いいか!よく聞けよ!俺は大魔王陛下に対して、直に願い出た!」

  

 玉座の上に立ち上がり、魔王正規軍の軍旗を高々と掲げる。

  

「六魔将トニー・バレンティノが率いるロサンゼルス城の兵士は、正規軍と同様に戦争に参加する!」

  

 予想だにしていなかった発表に、ざわめきが起こった。しかし、反対を叫ぶ声はない。やはり強者に対しては従順なのだ。

  

「一時も早く、アメリカが世界を手中におさめるための判断だ!よって、これからしばらくの侵入作戦はその下準備も含む!……要は、武器やその材料、技術者を獲得する為に集落を襲う!」

  

 大義名分は適当なものである。自分達が現世に帰還する為とは言わない。

 

「だからてめーらも俺に力を貸せ!必ず全ての敵国を滅ぼして、俺達が世界を征服しようじゃねーか!」

  

 ズドン!

  

 空に向けて一発。貴重な銃弾を撃ち放つ。初めて聞く轟音に驚く者も多かったが、やがて歓声が沸く。

  

「大魔王陛下万歳!」

  

「バレンティノ閣下万歳!」

  

「アメリカ万歳!」

  

 全ての兵士から了解を得る事が出来たようだ。

  

「よし!そんじゃ……とりあえず解散しろ!人数が多くて暑苦しいからよ!」

  

 バレンティノファミリーからのみ笑いが上がり、命令を受けた魔族の兵士達は素直に退室していった。

  

……

  

「さーて、色々とイベントが盛りだくさんになってきやがったな」

  

 トニーが玉座に腰を下ろして一息いれる。フランコが葉巻と火、さらに先日奪ってきた酒樽からワインをグラスに注いでくれた。

  

「親父、どうぞ」

  

「おう」

  

 グイッと一口で赤ワインを喉に流し込む。

  

「閣下、飛竜レースにフィラデルフィアの虫駆除、戦争の準備に参戦と……くれぐれもお身体にはお気をつけて」

  

「けっ!てめーの百倍は頑丈だ。安心しろ、ミッキー」

 

 ズゥ……

  

 バリバリバリ……!

  

 室内に響く音。

  

「あー?空間転移か。誰だ」

  

 空間に亀裂が走り、どこからか誰かがやってくる。

  

「閣下、私の後ろへ」

  

 空間転移は玉座の間の入り口辺りに出現している。ミッキーはそれからトニーを守るように立ちはだかった。組員達もそれを見て、次々に銃を構える。

  

 バリバリバリ!

  

……

  

「やぁ、こんばんは。お邪魔しますよ!」

  

 現れたのは意外や意外、カウボーイ姿のエルフ族。六魔将が一人、アルフレッドだった。  

 不審者ではない為、ミッキーが胸をなで下ろしているのが分かる。

  

「おう、てめーか。おい、お前ら銃を下ろしとけ。コイツはヘルや俺と同じ六魔将だ。同業っつーこった」

  

 トニーがファミリーの面々に説明すると、すぐに警戒は解かれた。アルフレッドの容姿がほとんど人間なのも無関係ではなかろう。

  

「頼もしい部下をお持ちですな、バレンティノ殿」

  

 アルフレッドが目の前まで拍車をガチャガチャと響かせながら歩いてくる。

  

「何の用か知らねーが、とりあえず一杯どうだ」

  

「これはありがたい」

 

 アルフレッドはワイングラスを受け取ると、それをちびりと舐めた。ありがたいと言いながら、あまり酒には強くないのだろうか。

  

「ん……?おい!ミッキー、ぼさっとしてないでグラスを持って来い!俺のが無いだろうが!」

  

「はっ!ただちに!」

  

 リザードマンが駆け足で軽快に飛び出していく。アルフレッドからの返盃がすぐにあると思っていたのだ。それはトニーも同じなので、何もミッキーが悪いわけではない。

  

「おや、これは上等だ。フランス産ですかな?」

  

「ご名答。詳しいみてーだな」

  

 香りをたしなむように酒を少しずつ舐めている。つまりアルフレッドは酒を舐めることしかできない極度の下戸なのではなく、通という事だ。

  

「ブドウ酒は特別でして。ビールやスコッチを問われても何がなにやら」

  

「そうか。明日のV.I.P.サービスが楽しみだな」

 

「おぉ、そうだそうだ!これを渡そうと思って来たんですよ。明日の飛竜レース決勝戦のチケットです」

  

 一枚の羊皮紙を差し出すアルフレッド。

  

「律儀だな。スタッフに一声かけときゃ良かっただけだろ」

  

 確かに彼からトニーの六魔将就任祝いで招待してもらえるという話だったが、まさかわざわざ手渡しで持ってくるとは思わなかった。トニーは、明日会場で顔パスでもするつもりだったのだから。

  

「そんな粗相は出来ませんよ!贈り物は誠心誠意、相手にお渡しせねば!」

  

「ま、ありがたく受け取っておくぜ。明日はてめーも出場するんだろ?優勝出来たらまた杯でも交わそうじゃねーか」

  

 チケットを胸ポケットにしまい、激励の言葉を送る。

  

「ははは、そうなる事を願っていますよ」

  

……

  

「……閣下!お待たせいたしました!」

  

 ミッキーがグラスを持って戻ってきた。再びフランコがそれにワインを注ぐ。

  

「前祝いだ」

  

「これはこれは。バレンティノ殿の方こそ律儀ではないですか」

  

 カチンとグラスが軽くぶつかる。

  

「ようやく飲めるぜ」

  

「先ほどまで飲んでいたのでは?」

  

「誰かと、って事だよ!しみじみしてちゃあつまんねーだろうが!」

  

 トニーはアルフレッドとは対照的にすぐにグラスを空け、フランコへ放った。

 慌ててキャッチして、お代わりが差し出される。

  

「これはたまげた。言われた通り、酒はたんまりと用意しておかなければ」

  

「おう」

  

「それでは短いですが、失礼しますよ!また明日、会場でお会いしましょう!」

  

 ズゥ……

  

 バリバリバリ!

  

「あわただしい奴だな!」

  

「準備がありますので!あ!美味いブドウ酒、ご馳走になりました!」

  

 バリバリバリ!

  

 手に持っていたグラスごと、アルフレッドは帰っていった。

 

……

  

……

  

 翌朝。


 寝ぼけ眼をこすりながら豪華な寝室から玉座へと向かう。

 なんとヘルはすでに到着しており、当番でその場に控えている二体のリザードマンと雑談しているではないか。トニーに気づくとリザードマン等は跪き、ヘルは右手を軽くあげた。

  

「おはよう。しかし遅いぞ」

  

「てめーが年寄りだから早起きすぎるんだよ。準備するから早朝の散歩でもしてろ、骨」

  

「大した準備などなかろうに」

  

 肩をすくめてリザードマン達に視線を戻す。

  

「おい、トカゲ。便所はどこだ」

  

 ミッキーではないのでそう呼ぶしかない。

  

「はっ、厠でございますか。ご案内いたします」

  

 一体がそう言ってトニーを先導する。

 自分の城ではあるが、興味も無いので周辺はおろか城内の事もよく知らない。 

 便所はシンプルなもので、簡素な木製の敷居の中、床に穴が一つ空いているというものだった。現世のアジアやアフリカの途上国にあるそれに近い。

 魔族とはいっても、クルーズやアルフレッドは人間と大差ない。大型の魔物は獣と同じく、外で用をたすのだろう。

 空いている穴は底無しで、何か落とそうものならば決して戻っては来ない。単純に手作業で深く掘られているわけではなく、ブラックホールのような要領で糞尿を吸い込んでしまうのだ。その行き先は不明であるという。

  

「ま……扉があるだけましか」

  

 仕方がないので屈んでズボンを下ろし、事を済ませるトニー。便座つきのトイレに慣れてしまった彼には少しばかり苦行だ。

 手洗い場などあるはずもなく、鏡で身だしなみを整える事が出来ない。くもった窓ガラスを見てみるが、自らの顔はぼんやりと映るだけだった。

 

「閣下、お手を」

  

 手を洗う代わりに、布巾をリザードマンが差し出してきた。トニーは無言でそれを受け取り、手や顔を拭う。

  

「……風呂はねーのか?シャワーくらい浴びときたいが」

  

「風呂……と、おっしゃいますと?」

  

 やはり通じない。確かに魔族が入浴するとは考え難い。

  

「水浴び場だ。身体や頭を洗いたいってんだよ」

  

「なるほど、クルーズ閣下以上に綺麗好きなお方だ。私共には厠の後で手を拭く事すらもあまり理解出来ませんが」

  

 口ぶりから、差し出された布巾はクルーズの要望だったのが分かる。風呂場までは作っていなかったようだが。

  

「誰が理解しろなんて言った!ねーならさっさと準備しろ!デカい桶か樽に水を汲んで来るんだよ!」

  

「グルル……承知しました。少々お待ちください」

 

……

  

……

  

「それで、お前は何をしているのだ?」

  

 ザバァ!と用意された大型の桶の中で水を浴びるトニーにヘルが訊く。

 それもわざわざ玉座の真ん前に運ばせ、ヘルやリザードマン達がそれを見ているという状況だ。

  

「あー?風呂だろ。やっぱり目覚めのシャワーは気持ちがいいぜ!」

  

「おわっ!?親父!ソイツぁ風呂じゃねーですか!」

  

 ちょうど顔を出したフランコが笑いながらそう言った。

  

「おう!お前達も後で身体くらい洗ったらイイ。そんで、今日俺が留守の間、城の中に大浴場を作らせとけ」

  

「どうせなら湯を沸かせる奴にしておきましょう。ミッキーに頼んで田舎町にでも侵入して、鏡や石鹸類も用意しておきます」

  

「頼むぜ」

  

 桶から全裸のトニーが出てくる。リザードマン達がその身体を布巾で拭いた。 

 スーツを着込み、お気に入りのボルサリーノを被る。

  

「よし行くか!待たせたな、ヘル」

  

「構わん。しかし、やはり貴様は変わった男だ」

  

「そうか?喋る骨の方が百倍変わり者だろ」

  

 興味がなさそうに適当に返し、胸ポケットから葉巻を取り出して一服入れた。残りも少なくなってきている。

  

「フランコ、人間共の街からタバコなんかも頂戴しとけ。葉巻が無くなっちまう」

  

「分かりました。準備します。しかし何やら危なっかしいレースなんでしょう?親父、ケガしねーようにお気をつけて」

  

「てめーもな。ミッキーと喧嘩すんなよ」

  

 バリバリバリ……!

  

 ヘルが空間転移を発動させる。

  

「入れ、トニー」

  

「おう」

  

「空間転移」

  

 バリバリバリ!

  

 景色は一瞬にして暗闇に包まれた。

 

……

  

……

  

 ズゥ……

  

 バリバリバリ!

  

「ん?着いたか」

  

「あぁ。会場まで少しだけ歩く。……こっちだ」

  

 以前、フランスに侵入した時に近い景色。のどかな草原が広がっている。

 朝だというのに空は曇っていて薄暗い。晴れていれば心地よいのだろうが、陰湿なイメージが強い魔族にはお似合いだな、と考えるトニー。

  

「しかし……死神とデートだなんてよ」

  

「む……?何か言ったか」

  

「何でもねー」

  

 灰色のローブに包まれた後ろ姿を追ってトニーも土を踏みしめた。

  

……

  

 ギャアギャアと飛竜や悪魔、大型のドラゴンの鳴き声が聞こえてくる。見上げると、優雅に空を舞うそれらが一方を目指していた。

  

「見えたぞ。ボストンの飛竜レース場。デビルズ・コートだ」

  

「ほう……さすがにどでかいコロシアムだな。まだ距離があるのにすげー威圧感だ」

  

 メジャーリーグの野球場五つ程度の大きさだろうか。楕円形をした石造りのコロシアムである。入り口らしき大型の扉には人々が殺到していた。

 

「盛り上がってるじゃねーか」

  

「まだまだ序の口だ。レースは始まっておらぬのだぞ?」

  

「まさか俺達もすぐに入場出来ねーなんて言うなよ。並ぶのはごめんだ」

  

 開場してはいるが、入場待ちの観客は長蛇の列だ。それに近づくにつれ、彼らの会話もちらほらと耳に入ってくる。

  

「今年の優勝は誰だろうな!貴殿はどう予想する!」

  

「アルフレッド閣下が大本命だろうが、シアトルのチャールズ卿も侮れんぞ!」

  

「なるほど!チャールズ卿か!しかし、サウスカロライナからも有名な選手が来ているらしいぞ!」

  

 まだコロシアムの外だというのに、レースの開始が待ちきれない様子だ。

  

「チャールズ卿?公家の出がいるのか?」

  

 トニーがヘルに訊く。

  

「アメリカ大陸に追いやられる前はヨーロッパやアジアにも魔族はいたのだからな。英国の地から由緒ある家柄を出た者もおろう」

  

「ほーう?牙生やして火を吹くジェントルマンか?ソイツに洒落たステッキ持たせりゃ傑作だな」

  

「意味が分からん」

 

 元々、異世界の者に冗談が通じるわけもない。列を見ながらため息をつき、招待状を胸ポケットから取り出したトニーはその場に座り込んでしまった。

  

「どうした」

  

「並ぶのはごめんだと言ったはずだぜ。俺は特別扱いが大好物でよ」

  

「ちやほやと構ってもらいたいか。子供だな」

  

「てめーの歳からしたらアデルでも赤子同然の感覚だろうぜ」

  

 草むらにごろりと寝転んでしまう。すると、どこから現れたのか、一匹の黒猫がその顔を覗き込んできた。

  

「六魔将、トニー・バレンティノ様、ヘル様とお見受けいたします」

  

「……使い魔って奴か」

  

 色気のある女性の声を発した黒猫にも驚きはしない。

  

「左様でございます。わが主、アルフレッド閣下より言伝がございます」

  

 目線はコロシアムに向いたままだが、ヘルも聞き耳を立てているのが分かる。

  

「なんだ」

  

「我が名を叫べ。さすれば道は開かれん。との事です」

  

「なぞかけか?そんな趣味はねーんだよ」

 

 シッシッ、と手で黒猫を追い払うような素振りを見せる。  

 だが黒猫は去るわけもなく、逆にヘルが寄ってきた。

  

「トニー。とにかくやってみるのだ。おそらくこの使い魔には何かある」

  

「何か?使い魔なんだから魔術をかけられてて当然だろう」

  

「我が名を叫べ。つまり、アルフレッドの名を叫ぶ。それでこの使い魔の存在価値が分かるはずだ」

  

 仕方なく、起き上がって黒猫を見下ろした。尻尾を立てて彼女もトニーを見返してくる。

 腹に目一杯の空気を吸い込み、声を出した。

  

「アルフレッドぉぉー!!俺だ!来てやったぞ!!」

  

 カッ!

  

 黒猫の瞳が光を帯び、全身がブルブルと激しく震え始めた。

  

「お二人とも、お手を。私に触れて下さい」

  

「……はぁ?」

  

 意味は分からないが、トニーとヘルが言われた通りにすると、ふわりと宙に浮く感覚が襲ってきた。いや、間違いなく、彼らは黒猫共々、宙に浮いている。

  

「げっ!飛んでるぞ!」

  

「なるほど、アルフレッドもなかなか面白い仕掛けを作りおる」

  

 足下を見ると、入場待ちの観客達の長蛇の列が彼らを見上げて指差していた。 

 そのままふわふわと空中を浮遊しながら移動し、コロシアムの客席や競技場がトニー達の眼下に広がった。

  

「ほー。中はやっぱりすげー熱気だな」

  

「うむ。今か今かと観客達も沸いておるのだ」

  

 客席は会場の外とは比べものにならないくらいの人の数。軽く万は超えている。ほぼ満員の状態なので、もしかしたら今現在外で列を成している者たちは、中に入れないのかもしれない。

  

……

  

 客席の中央。

 鎖で仕切られたスペースがある。広さは車四、五台分程度。赤い絨毯が張られており、座席は十にも満たない。特別招待客向けのV.I.P.席だ。  

 黒猫はその真上でゆっくりと降下を始めた。地面に足をつき、ようやく黒猫から手を離す二人。

  

「到着いたしました。ごゆっくりお楽しみ下さいませ」

  

 黒猫が前足を投げ出してひれ伏すようにお辞儀をする。

  

「アルフレッドはどうした?呼んでこい」

  

「我が主は準備に追われております」

  

「呼んでこい。二度言わすな。なめてんのか?」

  

「……少々お待ちください」

 

 小走りで黒猫が去っていく。魔術によって強制的に従属されているだけなのでトニーの高圧的な態度が恐怖心を抱かせた、というわけではなさそうだ。

  

「どこに行っても勇ましい限りだな」

  

「てめーも走らされたくなかったら俺をイラつかせない事だな!」

  

 椅子にふてぶてしい態度で深く腰掛け、ニヤニヤと会場を見渡しながら葉巻に火をつける。

  

「どうだ。すごい観客の数だろう。特別席から見下ろすこの景色はそうそう味わえまい」

  

「それは言えてるな。ヘル、観戦は久々なんだったか?」

  

「そうだ」

  

「賭けでもやるか?勘が鈍ってる奴が相手なら初見の俺でも勝敗は五分だ」

  

「賭け?なんだそれは」

  

 賭け事を知らないのではなく、何に何を賭けるのかが分かっていないようだ。

  

「一着を予想するのさ。賭け金は、そうだな……お前が負けたらフィラデルフィアの兵を百人ばかし寄越せ」

  

「ほう?面白そうだが、貴様は何を賭ける」

  

「俺の首」

  

「なんと!気が狂ったか!兵士百名と六魔将の首が等価だと!?良かろう!我が負ければ、兵士三百と武器をくれてやる!」

  

「ははは!気前がイイのは嫌いじゃないぜ!」

 

 バシバシとヘルの背中を叩くトニー。彼の白骨化した身体が折れてしまわないか心配である。

  

「しかしその自信、どこからくる?自らの首を賭けている者の態度とは思えんな。もしや、めぼしい選手でもいたか?」

  

「いねーよ、そんなもん!首がなんだって?勝ちゃあイイんだよ!勝ちゃあ!俺はいつだってそうやって生きてきたぜ!それに、てめーも三百だなんて兵士を失っちゃ死活問題だろ?デカいカマキリに街が襲われてるんだったよな!」

  

「うむ。しかし、徴兵すれば補填は利く。一時的に被害は増えようが、死活問題とまでは言えまい」

  

 トニーがヘルのローブの襟をグイッと手繰り寄せ、自分の顔に近づける。

  

「じゃあ、お前も首を賭けるのか……?どうなんだ、あぁ?」

  

「おやおや!何やら物騒なお話があっているようですな!」

  

 使い魔が呼びに行ったアルフレッドが、タイミングよく到着する。

 

「本当に来たのか。貴様もお人好しだな」

  

 ヘルが早速軽い冗談を投げかけている。

  

「えぇ!バレンティノ殿がお怒りだと聞きましてね!せっかく来ていただいたのに出迎えも出来ず、不躾な招き入れで申し訳ない!」

  

「その通りだぜ!昨夜のチケット配りの心意気はどこへやら!」

  

「失敬失敬!選手や会場を取り仕切るのも楽じゃないんですよ!どうかこれでご勘弁を!」

  

 パチン!と指を鳴らすアルフレッド。

  

 数人の従者達が、酒や食べ物を席に運び入れてきた。

  

「お!」

  

 トニーが小躍りする。  

 酒はボトル入りのワイン、樽詰めのビール、ウィスキーなど、シャンパンこそ無かったが申し分ない品揃えだ。

 しかし、問題は食べ物である。カエルやトカゲの丸焼き、虫と野菜のサラダ。人間の手指入りのスープ。他にもトニーには食べれそうにないものばかりだった。

 

「おぉ……嬉しいやら悲しいやら」

  

「どうかされましたかな?」

  

「いや。つまみは気に食わねーが、酒がありゃ俺はご機嫌だぜ!」

  

 ワインのボトルをひっつかみ、グビグビと一息に飲んでしまった。

  

「相変わらず豪快なお方だ!では、準備に戻りますので!ヘル殿もごゆっくりどうぞ!……くれぐれも、首のやりとりなどされませんように」

  

「うむ、しっかり聞かれていたか。トニー、主催者は首以外を賭けろと仰せだぞ」

  

「うるせーよ!早く行け!」

  

 ははは、と笑い声を響かせながらアルフレッドが背を向ける。

  

 ゴウッ!

  

 突如。突風が吹き荒れ、頭上が真っ暗になった。

  

「あ?」

  

「奴の飛竜だ」

  

 真っ暗になったのは、彼らの真上にアルフレッドの飛竜が現れ、大きな影を作っていたからだった。

 

「それっ!」

  

 アルフレッドが空高く跳躍した。大きな飛竜の背中に跨がり、手綱を取る。

  

「なんてジャンプだ。スーパーマリオかよ、アイツは?」

  

「誰だそれは」

  

「あぁ?スパイダーマンって喩えなら分かんのか?」

  

「知らん」

  

 そんな二人のやりとりの上空で、アルフレッドが拍車を飛竜のわき腹に当てる。

  

「はぁっ!行け、ジルコニア!」

  

 グァオ!と鳴き声を上げ、飛竜は飛び去っていった。  

 一般客の席からは歓声が沸き起こっている。レース前にアルフレッドの飛行を見れて興奮しているのだ。

  

「うむ、調子が良さそうだ。彼に賭けよう。貴様は?まだ首を賭けると言うか」

  

「てめーが欲しいものがあるなら賭けてやるよ。ねぇんなら首だ」

  

 ピッ、と親指で自らの首を斬る仕草をしてみせるトニー。

  

「ふむ……いや、良かろう。死んで文句を言うなよ」

  

「死人はしゃべらねーんだよ。……あ。お前、死神だよな。紛らわしい面しやがって」

 

 死神であるヘルは生きているのか死んでいるのか、どういう存在なのか不明だ。もちろん大して興味もないのでトニーは訊きはしない。

  

「うむ、美味だ。ヘビの干物はコブラに限るな」

  

「気持ち悪いからこっち向けんじゃねーよ。レースの開始時刻はいつだ?」

  

「まだ一時間ほどある。レースが始まってからも一時間くらいの戦いだな」

  

 少なくとも残り二時間はこの会場にいる事になる、ということだ。

  

「選手の紹介とか無いのか?誰に賭けりゃイイか、考えねーとな」

  

「一覧表くらいあるはずだぞ。誰かに持って来させよう」

  

 ヘルがパンパン、と手を叩くと、先ほど出迎えてくれた黒猫がやってきた。さすが特別招待席だ。常に誰かが近くに控えているらしい。

  

「何かご用でしょうか、ヘル様」

  

「選手の一覧表が見たい」

  

「かしこまりました」

 

……

  

 数分待たされたが、黒猫が巻かれた羊皮紙を口にくわえて持ってくる。

  

「どれどれ」

  

 トニーはそれをさっさと奪い取って広げた。英語で選手の名前がずらりと記されている。

  

「定例幹部会で、あのデカい坊さんが識字率が低いって言ってたんじゃなかったか。割としっかり作ってあるじゃねーか」

  

「階級や位が高い者向けであろうな。一般大衆はほとんど読み書きなど出来ぬ」

  

「小学校の先生に生まれて初めて感謝してやるよ」

  

「またよく分からん事を」

  

 ヘルがやれやれと呆れた声を出す。

  

「……おい、なんだよ。騎手と飛竜の名前だけか。ヘル、この中でアルフレッドを負かした事がある奴はいるか」

  

「もちろんだ。貸してみろ。我が覚えているだけ、印を入れてやる」

  

「全然勝った事ないようなカスに印なんか入れやがったら殺すぞ」

  

「少しは信用せんか」

 

 言いながらパンパン、と手を叩く。やはり黒猫がやってきた。

  

「お呼びでしょうか、ヘル様」

  

「筆をもって来い。これに書き入れをしたいのだ」

  

「かしこまりました。そちらをどうぞお使い下さい」

  

 黒猫が指し示したのはヘルの目の前。よく見ると、酒や食べ物が置かれているテーブルに羽根ペンと白紙が数枚あった。もともとは食事の注文に使うものである。

  

「おっと、気づかなんだ。すまぬな」

  

「いえ、滅相もございません」

  

「よう、猫。他にこの特別招待席に来る連中は?後から来るのか?」

  

 トニーとヘル以外の席はすべて空いている。

 並べられているだけの可能性はあるが、大魔王アデルも来場するかもしれないと発言していたのを思い出す。

  

「おそらく」

  

「そうか、分かった。もう行っていいぞ」

  

「失礼いたします」

  

「……できたぞ、トニー。参考にするがよい」

  

 ヘルの手から選手の一覧表が戻される。 

 出場する選手はおよそ三十名。その内、二十近い選手に×印が入っている。

  

「おい、印が入ってるのが雑魚か?」

  

「馬鹿を言うな。それがアルフレッドに勝った経験がある者だ」

  

「ほとんどじゃねーか!こんなもん……発火!」

  

 くしゃくしゃに丸めた紙を魔術で燃やしてしまう。

 その灰が風に乗って消えてゆくと、トニーは両足をテーブルに乗せて葉巻を取り出し、一着を予想することを完全に諦めてしまった。

  

「逃げるか。我は一向に構わんが」

  

「ほざけ。俺は逃げるのが大嫌いなんだよ」

  

 しかし今にもトニーは居眠りをしてしまいそうな様子である。言っている事とやっている事がまったく一致していないが、ヘルはそれ以上何か言ってくるわけでもなく、ヘビの干物を骨ごとバリバリと食べ続けるのであった。

 

……

  

……

  

 いよいよレース開始直前。

 ルールはコロシアムの空中に配置された四つの大きな鉄製リングを順番に、ひたすらくぐっていくというシンプルなものらしい。支柱など無しにリングが浮遊しているので、何らかの魔術がかけられている事は言うまでもない。それらはコロシアムの東西南北に配置されており、四つを通過するとコースを一周する形だ。

 選手達はそれぞれの愛竜に騎乗し、すでに空でスタンバイしている。決まったスタートラインはないようで、並びは一直線ではない。

  

 いよいよ、何でもありのデスレースの幕開けだ。

  

 ズウ……

  

 バリバリバリ!

  

 しかし、空間転移で直接場内に侵入してくる不届き者が現れた。六魔将を名乗るヘルですら、コロシアムへの直接侵入は無礼だと自重していたのだが。

 空間の亀裂は、トニーのすぐ左手。特別招待席の中に走っている。

  

 大きい。

  

 会場の誰もが異変に気付き、その様子を見つめている。

 

 バリバリバリ!

  

 ぬっ、と巨大な身体が姿を現した。

  

「ふん……ま、そりゃそうだよな」

  

 トニーが鼻を鳴らした。やってきたのは真紅のデーモン、大魔王、アデル・グラウンド十一世だったのだ。  

 ゆっくりとした動きで辺りを見渡し、トニーに気づいた彼が口を開く。

  

「余は、間に合ったのか」

  

「ギリギリだ。水をさすくらいにな。社長出勤もほどほどにしておけよ」

  

「そうか」

  

 アデルがそう返したところで、会場からは一斉に大歓声が起こった。レース開始直前とあって元々湧き上がっていた会場であるが、さらに拍車がかかって大盛り上がりとなる。

  

「陛下だ!陛下がおいでになったぞぉぉ!」

  

「大魔王陛下、万歳!」

  

「万歳!万歳!」

  

 あまりのうるささに、たまらずトニーは耳をふさいでしまう。横のヘルを見ると、ひざまずきながら頭を下げていた。

 今まさにスタートしようとしていた選手達も、飛竜を一斉に特別招待席の前へと飛ばした。横一列に並び、馬上ならぬ竜上から大魔王へと挨拶をする。

  

「陛下!ごきげん麗しゅう!お越しになられたのですね!」

  

 代表してアルフレッドがさわやかな笑顔でそう言った。

 しかし、数十騎の飛竜が羽ばたく音がそれ以上にやかましい。さらに、風が巻き起こって酒瓶や食べ物がテーブルの上からガチャガチャと床に落ちてしまう。

 大魔王アデルはアルフレッドの声がきちんと聞き取れたのか、軽く右手をあげてそれに応じた。

  

「それではごゆっくりとお楽しみ下さいませ!はぁっ!」

  

 それを確認したアルフレッドが、飛竜の腹を拍車で蹴る。それを皮きりに、それぞれの選手がスタートラインに戻っていった。

  

……

  

「とんだ大惨事だ!おい、黒猫!さっさと代わりの酒を持ってこい!」

  

 トニーが腹を立てている。

  

 アデルの分も含めて、すぐに新しい酒と料理が運ばれてきた。

 

「まさかてめーが来るとは思わなかったぜ。お忙しいんじゃなかったのか、陛下よう?」

  

「しかし、我々三人だけとはな」

  

 気さくに話しかけると、アデルは特別招待客の少なさを気にかけていた。

  

「ヘル、いつもはどのくらい来るんだ?」

  

「たいてい、六魔将と三魔女くらいは揃うのだがな。まぁ、皆それぞれ何かあるのだろう」

  

 確かに席の数はそのくらい用意されていた。しかし、レース自体も一時間程度の予定らしいので、途中からやってくる者もあるかもしれない。

  

「トニー。我から一つ、忠告だ」

  

「あー?」

  

「飛竜の吐く火の玉、騎手の放つ矢や魔術に注意しておけ。避けれぬようなら我の後ろへ。簡易的な結界で防いでやろう」

  

 特別招待席だろうが、容赦なく攻撃は飛んでくるのだ。

  

「なんだそりゃ。俺に当たるような攻撃をした奴は、すぐに撃ち落としてやるぜ」

  

「ふはは!それもよかろう!」

  

 なんと否定されないではないか。これは想像以上に白熱しそうである。

 

「しかし、いよいよスタートだってのに、賭ける選手が見つからねー」

  

「ははは!それならば下りるが良い!」

  

「チィッ……!」

  

 高笑いをするヘルと舌を打つトニー。

  

「あの、青い飛竜に乗ってる奴だ!」

  

「ほう?首を賭けるにも適当なものだな」

  

 しかし、ここで賭けの話を聞きながら黙っていたアデルが口を開く。

  

「首を賭けるだと?」

  

「おう」

  

「なぜ死を望む」

  

「望んじゃいねーよ。戦争の為にフィラデルフィアの兵士をいただこうって腹だ」

  

 すると、今度はヘルが反応した。

  

「戦争?トニー、貴様、正規軍に加わる気か」

  

「言ってなかったか?正規軍に加わるわけじゃねーが、俺は世界を統一しようと考えてる。アメリカを勝利へと導いてな」

  

「待て。それでは、なおさら我がこの勝負に勝つわけにはいかんぞ」

  

「あぁ?いまさら何を言って……」

  

 ブォォ!

  

 撤退の警笛が鳴る。スタートのピストル代わりだ。

 一斉に選手達が飛び出し、場内からは一層大きな歓声が沸き起こる。

  

「げっ!急に始まりやがった!」

  

「仕方あるまい。ひとまず賭けはまた別の機会にしようではないか」

 

 ヘルに諭され、押し黙るトニー。兵士を増やす手段は、別の手を考える必要がありそうだ。

  

……

  

 レースは序盤だというのに、すでに大波乱の状況。

 先頭を飛んでいた選手が、無防備な背面から攻撃を受けて沈んでいく。そんな場面が何度も何度も繰り返されていた。

  

 バシュッ!

  

 ちょうど、トニーらの前で自慢の大弓を引き放つアルフレッドが見えた。

 彼の順位は現在十位。遥か前方を飛ぶ一位の選手の腹部を射抜き、上半身と下半身がばっくりと避けて落竜しているのが見えた。まるで対戦車ライフルでも食らったかのような威力だ。

  

「お見事!やるじゃねーか、アルフレッド!」

  

「いやはや!まだまだ油断出来ませんからな!……はあっ!」

  

 余裕の表情でトニーの声援に応え、アルフレッドが拍車を鳴らして飛び去っていく。

 

「アナウンスやスクリーンがねぇのが残念だな。離れてると誰が誰だか分かりゃしねー」

  

 特別招待席はコロシアムの外周を囲む客席のちょうど中央ではあるが、それでも常にレースの状況を見極めるのは困難である。

  

「見えぬのか?視力が弱いのだな」

  

「は!目玉無しのくせに偉そうだな!それに俺は視力は良い方だぞ!」

  

「人間共の道具には、双眼鏡とやらがあると聞く」

  

 これはアデルだ。

 双眼鏡があるのならば、眼鏡や望遠鏡など、レンズを用いた道具は存在していると見て間違いない。

  

「ここには?」

  

「無い。必要ないのだ。貴様らとは違ってな」

  

 この、アデルの意味深な発言にヘルが食らいついた。

  

「……おや?おそれながら、陛下。トニーらのバレンティノ・ファミリーなる種族をご存知なのでしょうか」

  

「うむ。人間に限りなく近い。そう思っておけばよい」

  

 異世界からの来訪者である事は伏せておく。

 

……

  

……

  

 レースは中盤へとさしかかるところである。

 途中、近くへ飛竜の火炎放射が弾着したことにトニーが怒り狂って選手を一名撃ち殺した以外は、大きな変化もなくそれは続いていた。

 生き残っている選手は二十二人。周回遅れを出すことなく、抜きつ抜かれつの接戦であった。

  

 カツカツ……カツ……

  

 靴が石を踏む音。

  

「おやおや、もう始まっておるようだね」

  

 しわがれた声に振り返る。黒いローブととんがり帽子に身を包んだ三魔女が長、大魔女・エリーゼの姿があった。

  

「あぁー!もぉ!最初っから見たかったのにぃ!」

  

 小走りで駆けつけてきたのはカトレア。金髪のロングヘアが目立つ彼女もまた同じ装いで、後ろからはレイピアを腰にさげた赤毛のクリスティーナが歩いてくる。

  

「三魔女とかいう奴らか」

  

「あー!新人の将軍様だ!」

  

 カトレアがトニーを指差してそう言うと、彼女の頭上にクリスティーナの拳骨が降ってきた。

  

「失礼でしょう!それにほら、まずは陛下にご挨拶!」

  

「いったぁーい!何するのさ!クリスティーナの鬼!悪魔!三魔女!」

  

「……最後のは文句のつもりかしら……」

 

 カトレアのよく分からない罵声に戸惑いつつ、クリスティーナが膝を折って頭を垂れた。肩くらいまで伸ばされた赤髪がさらりと落ちる。

  

「陛下、ごきげんよう。カトレアの無礼をお許し下さい」

  

 カトレアもクリスティーナの真似をして跪き、大魔女・エリーゼは足腰が悪いのか軽く会釈をするに留まった。

  

「うむ。そなたらのおかげでこの催しにも華が咲いたな。誰か、おらぬか。三魔女の席を準備いたせ」

  

「お気遣いありがとうございます、陛下」

  

 にこりと笑い、クリスティーナが立ち上がる。青い肌をした魔族の従者達が、テキパキとテーブルに食事を用意していく。

  

「ねぇねぇ、よく見たらハンサムなバレンティノ閣下」

  

「あ?なんだ、ガキ」

  

 エリーゼとクリスティーナは席についてしまったが、幼女のカトレアだけはトニーの横に立って彼の肘をつついてきた。

  

「カトレアだよ!ガキじゃない!」

  

「ガキと言われてムキになる奴はガキなんだよ」

  

「違うもん!あたしは大人だもん!」

 

 肌が青いという違いこそあるが、見た目は人間の五歳児くらいにしか見えない。

  

「そう言われてもな……大人の女ってのはよ。こう、胸がバンッとあってだな。尻なんかぷりっとして……」

  

「大人だもん!」

  

 トニーの前で胸を張ったり尻を突き出したりとカトレアがなぜか必死のアピールをしてくるが、トニーは子供の相手などしない。

  

「分かったから、あっちいけよ。俺に大した用なんてねぇだろ、ガキ」

  

「用はあるよ!閣下はあたしのタイプなのだ!」

  

「知らねーよ!」

  

 変な形で愛の告白をされるが、やはり興味が無い。

  

「今年で五十になります。ふつつか者ですが」

  

「は!?中身はババアじゃねーか!」

  

「どっちだよ、閣下!」

  

 ついにカトレアがトニーに飛びかかり、彼の頬を左右に引き伸ばした。

  

「いててて!また変なのに懐かれちまった!」

  

 ミッキー然り、ヘル然り、である。荒々しい性格のトニーは、なぜか魔族に気に入られてしまうようだ。

 

「これは面白い。三魔女と色恋とは、貴様も好き者だな」

  

 隣のヘルは完全に他人ごとである。面白がって軽口を叩いてきた。

  

「あら!ヘル様もあたし達を祝福してくれるのかしら!」

  

「うむ。六魔将と三魔女が結ばれたとあれば、ややこは類い希なる才能を持っていよう!」

  

「ふざけんな!俺は断固拒否だ!こんなガキんちょにおっ起てて、変態呼ばわりされたくねーんでな!……おい、黒猫!次の酒を持ってこい!」

  

 バンバン、と手の平でテーブルを叩いて注文をする。

  

「あら、あなた。飲み過ぎはお身体に障りましてよ」

  

「あぁ、めんどくせぇ……」

  

 いよいよ抗うのに疲れてきたトニーが肘をついてレースの観戦に意識を戻す。これ幸いと膝の上にカトレアが座ってくるが、無視して酒をグビグビとあおった。

 

……

  

……

  

 レースはクライマックスを迎える。

 力を温存していたのか、全ての選手が次々と激しい攻撃を加え始めた。当然、客席への流れ弾も激増し、死傷者が多数出ている。

  

「さて、アルフレッドは六魔将のメンツを守れるか」

  

「いっけぇー!」

  

 トニーの声をかき消して、未だ膝の上に陣取るカトレアの声援が響く。

  

「アデル、てめーはどう見る」

  

「へっ!?」

  

 ギョッとしたカトレアが大魔王を見やるが、彼は腕を組んで質問の答えを考えていた。

  

「腕ならばあやつの勝ちだ。しかし、飛竜の速度で言えば、誰が一着になろうと不思議ではない」

  

「なら、アイツが勝つのは他の選手が全員死んだ時だな」

  

「……ぐはははは!それもそうだ!射撃大会では無かったはずだがな!」

  

 ニヤリと放ったトニーの冗談にアデルが大笑いし、カトレアは二人の顔を交互に見比べて首を傾げるのであった。

 

「カトレア!いつまでそこにいるつもり!」

  

 クリスティーナの声が飛んでくる。

  

「ほら、姉貴が呼んでるぞ。早く行け」

  

「やだ!ここがイイ!」

  

「大人の女はもっと聞き分けが良いもんだがな」

  

「え?そうなんだ」

  

 ころっと騙されてしまうあたり、まだまだ子供である。五十歳という年齢は、人間のものとしては考えないほうが良さそうだ。

  

「分かったらさっさと行けっての!ずっとお前が乗ってるから、膝がしびれてきやがったぜ!」

  

「貧弱だなぁ。ねぇ、どうしてバレンティノ閣下は大魔王陛下とお友達みたいに話せるの?新入りなのに、実はすごい人だったりするのかしら」

  

「おう。俺様は超大物だからな……って、余計なこたイイんだよ!ぶん殴るぞ!」

  

「はいはーい」

  

 トニーから拳骨を食らう前に、小走りでカトレアが逃げていく。

 

「トニー」

  

 カトレアが離れるやいなや、ヘルが神妙な声色で耳打ちしてきた。

  

「カトレアは、可愛らしい容姿に見えて油断ならん。何せ、魔族内で最強の魔女だからな。怒らせると恐いぞ」

  

「てめー……真面目なフリして楽しんでやがるな」

  

「ははは!見破られたか!」

  

「いつか犬のエサにしてやるぜ……!」

  

……

  

 バシュッ!

  

 再び、アルフレッドが近くから矢を放つ音がした。

  

「だが、あのガキが最強だなんて、大魔王やあのババアの魔女を差し置いてそんな事言えるのか?」

  

「言える。もちろん、陛下や大魔女、六魔将、正規軍の団長や副長、攻守揃った戦士や魔術師はごまんとおる。ただ、単純にあやつの魔術の威力が絶大なのは間違いないのだ」

  

「ほう……そりゃイイ事を訊いた」

  

 カトレアの魔術が最強だと知ったトニーが何かを企んでいる。しかし、それが何なのかを予想するのはそう難しくないだろう。

 

 最終ラップ。残っているのは僅か六人の選手。  

 アルフレッドは現在四位。しかし、誰が勝ってもおかしくない程の僅差でデッドヒートが繰り広げられている。これには会場が一斉に総立ちとなり、皆が固唾を飲んで成り行きを見守っていた。

  

「決着か!」

  

「ここからはスピードが物を言うぞ!まばたきするのも勿体ないわ!」

  

「てめーにはそんなもんねぇだろうが!」

  

 ヘルも興奮を抑えきれない様子だ。アデルや三魔女らも立ち上がって、拍手と声援を送っている。

  

……

  

 攻撃の手を休め、各選手が飛竜の身体に拍車や鞭を入れる。

 けたたましい嘶きと突風が巻き起こり、猛スピードでトニー達の前を通過していった。

  

「こりゃすげー!この瞬間だけでも、見に来た価値があるな!」

  

「そうであろう!見ろ、ゴールだ!」

  

 決着。

  

 見事、アルフレッドと愛竜ジルコニアのコンビが一着でゴールし、レースは大歓声に包まれたまま幕を下ろした。

 

……

  

……

  

 表彰台やシャンパンファイトなどあるはずもなく、アルフレッドが数周の間ウイニングランをしながら観客席に手を振って回る。

  

 観客がちらほらと席を立ち、帰り支度を始める中、特別招待席の前に飛竜を横付けしたアルフレッド。そこから見事な跳躍を見せて飛び移ってきた。

  

「皆さん!本日はお越しいただいてありがとうございました!」

  

 右手を胸に当て、ぺこりと頭を下げる。

  

「おっ!今日のヒーローのお出ましだな!」

  

「あーあ、終わっちゃったよー。でも楽しかった!一等賞おめでとう!」

  

「見事であったぞ!我も久方ぶりに手に汗を握ってしまった!」

  

 トニー、カトレア、そしてヘルの順で賞賛の声が送られた。

  

「陛下」

  

 やはり、最後は大魔王の前に跪く。

  

「うむ。大義であった。余も存分に楽しむことが出来たぞ。我が忠実なる六魔将が大会を制した、と鼻を高くしてニューヨークへ帰る事が出来よう」

  

「なんと温かいお言葉でしょう……感服至極にございます」

 

 感極まり、アルフレッドがうっすらと目に涙を浮かべている。

 大魔王・アデルはそれ以上は何も声を掛けず、空間転移を詠唱する。

  

 ズゥ……

  

 バリバリバリ!

  

……

  

「陛下、さようならーって……もういないわ」

  

「さぁ、私達も帰りましょうか。新しい死霊術の研究に戻らなくては。皆さん、ごきげんよう」

  

 クリスティーナがカトレアの手を引いて帰り支度を始める。実の姉なのかは知らないが、面倒見が良いのは分かる。

 それを見たアルフレッドが再び皆に向けて一礼した。

 そしてジルコニアに飛び移り、颯爽と空を駆けていく。大会が終わった後も大忙しなのだろう。

  

「カトレア……だったか」

  

「へっ?」

  

 トニーとヘルの横を三魔女が通り過ぎようという時に、カトレアが名前を呼ばれて笑顔で振り返った。

 エリーゼは無表情だが、クリスティーナはその行為に怪訝な顔をした。

  

「近々、ロサンゼルス城に顔でも見せに来い」

  

「えぇっ!?いいの!?わーい!遊びに行きたい!」

  

「ダメです!私達は忙しいんだから!」

  

 ぴしゃりと切り捨てられる。

  

「てめーは誘ってねーぞ、姉貴。引っ込んでろ」

 

 空気が張り詰める。

  

「なんですって?」

  

 売り言葉に買い言葉である。トニーの横柄な態度に寛大な者ばかりではない。

  

「やる気か?おもしれぇ」

  

「六魔将と言えど、私を侮辱する事は許しませんわ」

  

 腰のレイピアに右手を当てるクリスティーナ。いつでも抜刀出来る。

  

「侮辱?そりゃあ、さぞご丁寧に接されてきた奴の言葉だな!邪魔だから黙ってろって言っただけだが?」

  

 もちろん、すでにトニーの右手も懐に入り、人差し指は引き金に掛かっていた。

  

 たまらずヘルが間に入ろうと足を踏み出したが、先に大魔女・エリーゼから言葉が出る。

  

「二人とも、およし」

  

 静かだが、不思議と力のある物言いだった。クリスティーナが一瞬、たじろいだのが分かる。

  

「……はい」

  

「おい、ババア。勝手にケンカ腰になったのはそっちのお嬢様だぜ」

  

「お黙り。聞き分けの悪い小僧だね」

  

 少し前に、膝の上のカトレアに自らが言った台詞を用いて揶揄されてしまう。

 

「こりゃ一本とられたな」

  

「ぎゃあぎゃあ喚くだけが男じゃないよ」

  

 しわがれた声がゆっくりとトニーに近寄った。背が低いので、ちょいちょいと手招きをして彼を屈ませる。耳打ちをしたいのだろう。

  

「なんだ」

  

「わしゃ、お前が何者なのか気づいてんのさ。陛下がせっかく気に入って下さってる。もっと強くなって、世界に爪痕を残しておゆき」

  

 さすがに大魔女と称される人物である。全ては理解出来ないが、エリーゼもまた、アデル同様にトニーの動きに興味があるのは分かった。

  

「俺は俺のやりたいようにやるだけだ」

  

「虫けらのように殺されたくはないじゃろ?噛みつく相手はわしらじゃないはずだよ」

  

 そこまで言うと、エリーゼはトニーから離れた。そしてカトレアの頭を撫でる。

  

「カトレア、力を貸しておやり」

  

「うーん……?遊びに行ってもいいって事?」

  

 遊びに行けとは肯定しづらいが、エリーゼは「そうだね」と頷いた。

 

「わぁ!ありがとう!いつ行こうかな!明日かな!その次かな!」

  

 カトレアが大喜びで手を万歳して飛び上がった。もちろんその後ろからクリスティーナが恨めしそうにトニーを睨んではいるが。

  

「それじゃ、帰ろうかね。久しぶりの遠出で少し疲れたよ」

  

 ゆっくりとエリーゼが歩き、それに寄り添うようにしてクリスティーナとカトレアも帰っていく。

  

……

  

「カトレアと末永く幸せにな」

  

「うるせー。しかし利用価値はありそうだ」

  

「ははは!貴様のことだ。戦争にでも引っ張っていきかねんな!」

  

 しばらくその場で酒を飲んでいたが、観客の退場も済み、空には夕焼けが広がり始めたので腰を上げる。ほどよく火照った身体は思いのほか軽やかに動いた。

  

 コロシアムから離れ、再びヘルの空間転移でロサンゼルスへと帰還する。

 

 バリバリバリ!

  

 空気を切り裂く音が城内に響き渡る頃には、バレンティノ・ファミリーの面々が玉座の間に集結していた。主の帰還を待ちわび、当然のようにミッキーもその場に控えている。

  

 ズゥ……

  

 亀裂が閉じる。

  

 トニーとヘルの姿があった。

  

「親父、お疲れ様でした」

  

 フランコから声がかけられる。

  

「おう、帰ったぞ。なかなか面白いレースだったぜ」

  

「酒の準備が出来てます」

  

「いや、たらふく飲んできたからいらねー。風呂はどうだ?人間の街には侵入してきたのか」

  

 フランコの返事より先に、ミッキーが割って入る。

  

「閣下、横槍失礼いたします。まずは、おかえりなさいませ。その風呂という物の件で、ご報告がございます」

  

「話せ」

  

「はっ。簡易的な水風呂ならばご用意可能ですが、城の近くに湯が湧き出る源泉があるのを発見いたしました。お時間を頂ければ、そこから湯を引いて参りますが」

  

 アメリカ人にはあまり馴染みが無いが、いわゆる温泉である。日本やギリシャではポピュラーな風呂場だ。

 

「それは面白そうだな」

  

 まだその場にいるヘルが頷きながらそう言った。

  

「面白いのはてめーの身体だろうが。骨だけのくせに風呂に興味なんてよ」

  

「違うわ!その、湯が湧き出るというのが不思議なものだとな。誰が何の為にそんな術をかけているのか……」

  

「なんだよ、地熱も知らねーのか?魔術じゃねーぞ。溶岩で地下水があったかくなって湧き出てんだろ。ほら、火山が噴火したりするのを見たことねーか?あれがとんでもなく熱いんだよ」

  

 ヘルはもちろん、ミッキーもぽかんとしてしまった。返事が無いのを不思議に思ったトニーが続ける。

  

「どうした。まさかマグマも知らねーなんて話なら、これ以上はどう伝えたらいいか分かんねーぞ」

  

「いや……意外と博学なのかと驚いてな」

  

「私もです。さすが、閣下」

  

 ミッキーなど、トニーの珍しい一面に感服して目を輝かせている。

 源泉は発見しても、仕組みまでは理解出来ていなかったようだ。

 

「引くって言っても、距離はどのくらいだ」

  

「すぐそこです。城から二、三分でしょうか」

  

 三本しかない指をフル活用してミッキーが距離を示した。

  

「見に行くか。ヘル、てめーは?」

  

「我はそろそろ帰る。虫駆除の件はどうするのだ」

  

「あー……何日かしたら迎えを寄越せ」

  

 やる事が増えてきたトニーは案外多忙である。

 ヘルが小さく頷いた。

  

「承知した。ではまたな」

  

「おう」

  

 バリバリバリ!

  

……

  

 ヘルを見送り、いよいよ城の外へと赴く。

 ニューヨークやボストンには行っているが、ロサンゼルスで城の外に出るのは初めての事である。

  

「フランコ、来るか」

  

「お供します、親父」

  

 気をつけの姿勢を崩さずに並んでいる組員から、彼だけを引き連れて玉座の間を後にする。  

 左右と正面の三方に広がる薄暗い廊下。先頭のミッキーが正面への道を進んでいく。常識的に考えれば、その道が城の正面出口へと続いているはずだ。

 

 いよいよ天井が無くなり、青空が頭上に現れた。ボストンはすでに夕暮れだったが、ロサンゼルスは時差の関係で未だ明るい時間である。

 背後を振り返ると、ニューヨーク城には見劣りするものの、立派な石造りの城の全貌が見えた。それは綺麗な正方形で、中心にひと回り背の高い部分がある。そこが先ほどまでいた玉座の間だ。外周をぐるりと囲んでいる部分は窓の配置からして二階建てだが、玉座の間は一階のみで大きく吹き抜けた天井だった。そこだけは広々とした空間を確保している事が分かる。

  

「なかなかイイ城じゃねーか」

  

「スタテンにある屋敷よりは広そうですね」

  

 フランコが軽口を飛ばす。

  

「ははは!そうきたか!そういえば、フランコ。侵入はどうなってんだ?」

  

「はい。鏡やら石鹸はいただいて来ました。鍛冶屋みたいな職人や売女は、親父がいらっしゃる時にしようかと」

  

「それでイイ。あ!?……おい、ありゃあ!」

  

 会話の途中でトニーが指を差して声を張った。彼の目に思わぬ物が飛び込んできたのだ。

  

「えっ!こりゃたまげた!ここにあったのか!」

  

 駆け出したトニーに、フランコもそう言ってついて来た。

 

 大きな鉄の塊。そう表現するのが正しいのだろうか。

  

「壊れてねーか!コイツはゴキゲンだぜ!」

  

 ベタベタとそれを触り、頬ずりをするトニー。

  

「閣下、これは……?先ほど城を出た時にも目にはついておりましたが……やはり閣下の持ち物でございましたか」

  

 ひと足遅れて横に並んだミッキーが問う。

  

「車だ!俺の車だよ、ミッキー!勝手に触ってたらお前をぶっ殺してたぞ!おい!フランコ、エンジンをかけてみろ!」

  

 それはなんと、バレンティノ・ファミリーが所有するイタリア製の高級車、マセラティのセダンだったのである。

 FBIの襲撃を受けたあの日、トニーやウィリアムが直前まで乗車していたものだ。台数は合計で四台。すべての車がロサンゼルス城に近い、荒れ地の地面に鎮座していた。高い買い物だ。無事である愛車達を発見したトニーが大はしゃぎするのも無理は無い。

 幸い、ドアにロックはかかっておらず、鍵もステアリングの横のキーホールに差し込まれたままだ。 フランコが巨体を運転席にねじ込み、鍵を数回まわす。

  

 カカカッ……!カカカッ……!

  

 しかし、セルモーターからは虚しくも乾いた音が響くばかりで、点火することは叶わなかった。  

 ミッキーがあんぐりと口を開けている。

  

「こ……これは人が中に入る道具だったのですか」

  

「移動に使う道具だ。それも飛竜みたいなクソ危ない乗り物とは違って快適なものだぜ!……おい、フランコ!いつまで待たせるつもりだ!」

  

 バシバシと窓ガラスを叩いて急かすが、フランコは残念そうに首を左右に振って外に出てきた。

  

「ダメです、親父。携帯もそうでしたが、どうもバッテリーが逝っちまってるみてぇだ」

  

「んだと!とにかく城の中に押して運ぶぞ!野郎共を呼んでこい!」

  

 源泉の事など後回しである。フランコはドタバタと足音を鳴らしながら、彼なりに全速力で駆けていった。

 

 すぐに全ての組員達がやってきた。

  

「おぉ!無事だったんですね!」

  

「動くんですか!」

  

「俺が運転しますよ、親父!」

  

 口々にそんな事を叫んでいる。

  

「てめーら、とりあえず中に入れとけ!」

  

「分かりました!」

  

「いくぞ、せーのっ!」

  

 まずは二台。段差は無いので問題なく終わるだろう。もちろんトニーは参加しない。

  

「参りましょう、閣下」

  

「そうだな」

  

「こちらです」

  

 フランコは抜けてしまったが、そのまま再びミッキーの先導についていく。

 時折、緑色の鱗をまとったリザードマン達や、灰色の巨大なオーガの集団とすれ違った。彼らはトニーとミッキーに向けて一礼している。

  

「アイツらは俺の城の兵士か?」

  

「いえ、民草です。顔の違いが分かりませんか?」

  

「わからねー。違いがあるとすれば、武装していない事くらいだな」

  

 城下ではあるが、民家は一切見当たらない。城勤めでない者達は、洞穴や木の下で生活を送っているようだ。

 

「家はねーんだな」

  

「持っている者もおりますが、このあたりは気候も過ごしやすいですから。必要と感じている者はあまりいないでしょうね」

  

 やはりそういう事らしい。

 また一組、リザードマン達がすれ違い様にお辞儀をしていった。

  

「民家を寄せ合って集落を形成している場所も、あるにはあります。人間共の街ほど立派ではありませんが」

  

「さっきから俺達に対して礼儀正しくやってくれてるが、城主交代の件は伝わっているのか?」

  

「いいえ。ほとんどの者が知らないでしょう。ただ、我々が城の人間であると判断しての行動です。先ほど閣下がおっしゃったように、私は甲冑と剣を身につけていますから」

  

 トニーはともかく、組員達を城から出す時は護衛をつけてやったほうがよさそうだ。バレンティノ・ファミリーだけでは、魔族の民間人がどんな行動に出るのか想像もつかない。

 

「到着いたしました。閣下、こちらです」

  

 荒れ地の中に、小さな泉が現れた。

 水気があるからか、周りには青々とした草木も生えている。見た目は砂漠地帯のオアシスに近い。しかし、澄んだその泉からは湯気が上がっている。

  

 トニーは屈んで泉の水に触れてみた。

  

「……あちっ!」

  

「大丈夫ですか!」

  

 すかさずミッキーがトニーの手を案じる。温度はかなり高い。ほとんど熱湯だ。

  

「大丈夫だ。思ってたより熱いな。だが、城まで引くにはちょうどイイ」

  

「左様でございますか。では、早速石材で水路を引きましょう。数日間、お時間を頂きたく思います」

  

「分かった。兵士じゃなく、民衆を使え。酒や食い物を褒美として出すと言って、頭数を集めろ」

  

 兵士は戦争の準備に使いたい。もちろんそれを理解しているミッキーは了解、と頷いた。

 

 しかし、兵士や民衆にとってこれは大きな出来事であった。

 何がそうなのかというと、ロサンゼルスでは城から民衆に対してお触れが出る事が前代未聞だったのである。  

 城を中心としたコミュニティーを形成してはいるものの、生産者や集落が存在しないので、他の街のように徴税や罰則などの法令は城の外でほとんど皆無に近かった。この片田舎は城下町を有するボストンやフィラデルフィアには遅れを取っていると言える。

  

……

  

……

  

 数日後。

 何度も人里に侵入しては、武器や食料を略奪している最中のトニーのもとに知らせが届く。

 

「閣下、源泉からの水路が完成いたしました」

  

 玉座の前に、ミッキーが跪いて申告する。

  

「そうか。働いた奴らに褒美を渡しておけ」

  

「はっ!それからもう一つ。……民草の中から、褒美が出るのならば城に仕えたいと申す者が増えてきているようです」

  

「ほう。そりゃイイ」

  

 これは好都合だ。

 ヘルの兵士を奪えなかったので、トニーの兵士の数はまだまだ足りていない。訓練こそ必要だが、これを上手く利用したいところだ。

 

「いかがいたしますか」

  

「もちろん採用だ。志願兵を今夜、城門の前に集めろ。今日は一件、ドイツにちょっかい出す予定があっただろ?その後にソイツらの面を見てやる」

  

「承知いたしました。……して、侵入のご出発は?」

  

 玉座の間には、トニーとミッキーの二人きりである。

 他の組員達は、別のリザードマンらと共に、方々へと散っている。

  

「フランコが戻ったらすぐに出る。編成は任せるぜ」

  

「御意」

  

 今一度、深く頭を下げ、ガチャガチャと甲冑を鳴らしながらミッキーが退室していった。

 フランコは遅くとも一時間以内には戻る。それまでに城内で待機している兵士から、トニーと行動を共にするメンバーを選抜しておくつもりなのだろう。

  

 ズゥ……

  

 バリバリバリ!

  

 ちょうど、どこの班のものか、空間転移の亀裂が走った。

 しかし、姿を見せたのはロサンゼルスの連中ではなく、灰色のローブを身にまとった死神であった。

  

「げっ」

  

 約束していたのをすっかり忘れていたトニーがギョッとする。もちろん目の前のヘルはそれを見逃さない。

  

「何を驚いておる。数日後に来いと言っていただろう」

  

「そ、そうだったか……わざわざご苦労な事で」

  

「未だ、巨大カマキリが街中を闊歩しておるのでな。行くぞ、兵はどうした」

  

「待て待て!今、侵入に出払ってんだよ!俺も今から行くところだ!それに、今夜は志願兵も集まる予定があってだな」

  

 早口でまくし立てるが、ヘルは軽く鼻を鳴らした。

  

「ふん……人間共の街への侵入程度、部下に任せておけばよかろう。しかし、志願兵か……ちょうど良いではないか。そやつらを実戦投入すると思えば」

  

「あぁ!?いきなりフィラデルフィアに連れて行くってか!他人の兵隊だと思って適当な事言いやがって!」

  

 間違いなく、危険度は高いはずだ。

  

「ふはは!くたばるようならば、それまでの兵よ!」

 

「簡単に言ってくれるぜ!」

  

「いつもの強気な姿勢はどうした?」

  

「チッ……分かったよ!新兵でも何でも率いて出向いてやろうじゃねーか!」

  

 ズゥ……

  

 バリバリバリ!

  

 再び空間転移。

  

 今度こそロサンゼルス城の兵士やバレンティノ・ファミリーの面々である。

 その内の一つの班で、フランコの姿も確認出来た。

  

「親父、ただいま戻りました」

  

「おう、無事だったか。お疲れさん」

  

 彼らの横には戦利品らしき食料が箱積みで転がっている。悪くない戦果に見えるが、実際は厳しい結果であった。

  

「……閣下、貴重な兵士を三名失ってしまいました。申し訳ありません」

  

 同行させていたリザードマンが一歩前に出て申告してくる。

  

「何だと!ウチの連中は!」

  

「一人やられました、親父。すいません……」

  

 リザードマンに続いてフランコが謝罪する。

 よく見ると、ぐったりとした様子でスーツ姿の男が一人、荷物のそばに仰向けに横たわっていた。

  

「クソ……!」

  

 すぐにトニーはそこへ飛んでいき、片膝をついて彼の頬に触れた。外傷は確認出来ないが、冷たく、息をしていないのが分かる。

 

「ほう……死体はすぐには消えないのか。よほど強い人物だったのだろう」

  

「黙れ」

  

 ヘルはバレンティノ・ファミリーも他の魔族と同じく死体が消滅すると思っているようだ。仲間の死を悔やんでいる時に声をかけられ、トニーからは短く不機嫌な返答があった。

  

「……?」

  

「家族を葬る。ヘル、てめーは客室で待ってろ」

  

「そうか、承知した」

  

 ヘルもこの空気を読めないほど愚かではない。ローブを翻して玉座の間を出て行く。

 一度だけ振り返った。

  

「トニー。その、死者を痛む気持ち。定例幹部会の時の死霊術への貴様の見解を思い出したぞ。バレンティノ・ファミリーは誠に慈悲深い頭領を持っている」

  

「早く行け……」

  

「うむ」

  

 ヘルの姿が見えなくなると、目の前で十字をきって手を組み、トニーは一筋の涙を流した。

 

……

  

……

  

 ロサンゼルス城外。石造りの城門の前。

 防御を想定していない為か、門は常に開放されている状態だ。

  

「閣下、お待ちしておりました」

  

 ミッキーが一礼する。

  

 ヘルとの約束、それに仲間の埋葬があったので侵入の予定をキャンセルしたトニーは、志願兵の様子を見にやってきたのだ。

 そこにはすでに、五十体前後の魔族達がひしめいていた。この荒れ地のどこからこんな数が湧いて出てきたのだろうかと考えさせられる。

 ロサンゼルス城周辺はリザードマンの人口が多いらしく、志願兵の中にもその緑色のトカゲの化け物が多く見受けられる。他には馬の下半身と人の上半身を持つケンタウロスや、コウモリに似た羽でパタパタと飛び回る小型の悪魔インプなどがいるようだ。ミッキーら、リザードマンの兵士達が数人、志願兵の事を監視していた。先ほどミッキーが言ったとおり、武装しているので新入りとの区別はつきやすい。

 武器こそ持っていなくとも、魔族は強靭な肉体や魔術の力を秘める種族である。突然暴れ出したりすれば、トニーの身に危険が及んでしまう。兵士達はそれを警戒しているのだ。

  

「ミッキー、コイツらと少し話してーんだが」

  

「はっ。皆の者!静粛に!」

  

 雑談していた志願兵達の視線がトニーに集まる。横にいるミッキーは気をつけの姿勢でさらに続ける。

  

「貴様ら!頭が高いぞ!このお方がロサンゼルス城主、六魔将のトニー・バレンティノ閣下である!」

  

 ボルサリーノのハットのつばを軽く上に曲げ、トニーは彼らを舐めるように見回した。組員達は仲間の埋葬の後は休ませてあるので随伴していない。

  

「城主?おいおい、人間じゃねーのか?」

  

「クルーズ閣下はどうした!」

  

 民衆に城主交代の話は伝わっていないのは確かなようで、そんな声があがってきた。

「無礼者!」と兵士達がそれを黙らせようと怒鳴りつけている。

 

「おう、今文句言った奴ら」

  

 トニーが手招きをする。

  

「その二人、前へ」

  

 ミッキーがそう言うと、兵士が槍の切っ先でつついて、トニーの目の前にその者達を連れてきた。

  

 彼ら二人は筋骨隆々の大きな人間の身体に、牛の頭を乗せたような怪物、ミノタウロスという種族だ。外見から年齢は分からないが、血気盛んな若者なのだろう。

  

「けっ!」

  

 細い目でトニーを見下ろし、睨みつけてくる。そばへ来ると、彼の二倍程の巨体だった。

  

「よく来てくれたな、デカいの」

  

「おう、城主様から褒美が出ると聞いてな」

  

「知り合いのリザードマンから、水路を引いたらたくさんのメシが出たと」

  

 それぞれが、低いうなり声でそう言った。

  

「その通りだ。俺は強い力を持った兵隊が欲しい。手ぇ貸せ」

  

「本当に城主様なのか?前のクルーズ閣下とは違って、変わった姿だな」

  

 まだ半信半疑なのだろう。人間だと思われているようなので、彼らの少々反抗的な態度にも頷ける。

 

「正真正銘、俺が将軍様だよ。姿形なんか気にするな。色んな奴がいたほうが賑やかで良いじゃねーか」

  

 言いながらフランコに調達してもらったタバコを取り出し、人差し指から魔術で火をともす。もはやトニーにライターは必要ない。

  

「ま、まぁ……メシが出ればそれで構わねーが」

  

「俺も俺も」

  

 金や地位を欲しがらないあたり、人間を雇うより遥かに楽だと言える。

 ロサンゼルスの民はこの荒野で狩りなどをして生活している。食事の配給だけでもかなり魅力的な雇用条件なのだ。

  

「決まりだな。俺の兵隊になるんだろ?」

  

「どのくらいの食い物が貰えるんだろうか。たくさんくれ」

  

「あぁ!?質問に応えろ、クソガキがぁ!」

  

 トニーの声で、バッと兵士達が一斉に武器を構えた。あまりの剣幕に、反射的に彼らは動かされたのだ。

  

「なっ!?なんだ、コイツ!?いきなりキレやがった!」

  

「黙れ!でけえ図体のくせにチマチマとした事を気にしやがってよ!俺がいつまでも優しくしてると思うんじゃねーぞ!志願兵の分際で俺と交渉しようってか!百年早えーんだよ!」

 

 これには他の志願兵達からも野次が飛び始める。収拾がつかなくなりそうな事態に、ミッキーが進言した。

  

「閣下、こやつらの首をはねますか」

  

「……好きにしろ」

  

 見せしめ、というわけだ。

  

「ふざけるな!」

  

「何でそうなるんだ!」

  

「貴様ら。兵士というものを甘く見すぎだ。死ねと言われれば死ね。それが我ら魔族の誇り高き戦士の誓いである」

  

 ミッキーが抜刀する。

 しかし相手は巨大な牛の化け物が二体。もちろんミノタウロス達も黙って殺されてくれるはずは無いので、簡単に斬れるものか難しいところだ。

  

……

  

「騒がしいと思ったらこれか、トニー。こやつらが志願兵か?」

  

 全員の視線が動く。

 客間にいるはずの死神・ヘルが騒ぎを聞きつけてやってきたのだ。

  

「すまねーな。退屈だったろ?どうにも聞き分けが悪いガキがいてな」

  

「ふむ、ちょうど良い。先陣に突っ込ませてやるか」

  

「クソの役にも立たねーぞ」

 

 トニーのひどい言い草に、ミノタウロスの二人組がいきり立って叫ぶ。

  

「なんだと、このやろう!」

  

「俺たちを甘く見てるとぶっ殺すぞ!人間もどき!」

  

 だが、手を出してくることはない。大きな身体で一捻りすれば、トニーの事を殴り飛ばす事は可能なはずだ。城主ではないとは思いながらも、未知数であるトニーの力に対して少しばかり躊躇しているのが分かる。

  

「無礼者が!死んで詫びろ!」

  

 ついに剣を振り上げたミッキーを、トニーが制止した。

  

「待て、ミッキー」

  

「……はっ」

  

「フィラデルフィアにコイツらを率いて出張してくるぜ」

  

「はい?この者達を……ですか?」

  

「デカい口叩いてくれたからな。力を見定める良いチャンスだ。ヘルも来ちまった事だし、斬り殺すよりいくらかマシじゃねーか?」

  

 ミッキーが驚くのも無理はないが、それよりも集まった志願兵達からざわめきが起こった。

 

「フィラデルフィア?そちらはまさか六魔将のヘル閣下か!」

  

「いきなりどこかへ連れて行く気だと!」

  

「訓練や城の警護をするのかと思っていたが……」

  

 不安な声ばかりが聞こえてくるが、トニーはそれらをすべて無視する。

  

「なんだ、弱気な奴ばっかりだな!ウダウダ言ってねーで行くぞ!ミッキー、ついてこい。他のトカゲ共はひよっこ達に貸し出す装備を運んで来い!」

  

「ははっ!」

  

 兵士達が装備を運び出す為に城内へと消えていく。

  

「ヘル、この人数を運べるか?」

  

「無理だ。そのリザードマンに手伝わせろ。それで足りよう」

  

 ヘルがミッキーを指差す。

 空間転移には人数制限があるので、この場の志願兵全員を飛ばすのには最低二人の術者が必要だとの事だ。ヘルが往復するのも手だろうが、一時的に置き去りにされる者が出るのでそれはあまり好ましくない。

 

……

  

 リザードマン達が武器を手にして戻ってくる。人数が若干増えている。中にいた兵士に加勢を頼んだのだろう。

  

 ガチャガチャ!

  

 侵入時に手に入れた槍や剣、斧、鎌、鍬や盾が乱暴に地面に放り出される。

 どれもこれも、お世辞にも整備が行き届いているとは言い難い。サビやカケ、折れている物もあり、使い物になるのかどうか分からない。もちろん刀鍛冶がいないので修繕出来ないのが理由だが、それでも丸腰で出撃させるよりは良いだろう。

  

「好きなのを使え。作戦の内容はフィラデルフィアに到着してからヘルに訊く」

  

 不安はあっても逃げ出す者はいない。

 目的地が国内である事や、詳細を聞かされていない事が大きい。

  

 まず、反抗的なミノタウロス達二人が斧と剣を手にとった。

  

「なんだかわからねーが、やってやろうじゃないか!」

  

「きちんと働いた分のメシは準備しろよな!」

  

「おう。せいぜい頑張れ。……くたばらねーようにな」

  

 ぼそりとつぶやいた最後の言葉は、わらわらと武器の山に群がる志願兵達には届かない。

 

「では参ろうか」

  

「おう」

  

 ヘルが詠唱を開始し、空間転移の術が発動された。

 引率に必要な兵士を数人選抜し、志願兵の大半と共にヘルが作り出した真っ暗な空間の亀裂へと押し込んでいく。わずかに入りきれなかった志願兵を、後続のミッキーが連れてくる手筈だ。トニーはヘルと共に、先に出発する。

  

「空間転移」

  

 バリバリバリ!

  

 振り返ると、視界が閉ざされていく中に、こちらをじっと見つめるミッキーの姿があった。

  

……

  

……

  

 ズゥ……

  

 一瞬に感じるが、数分程度経ったのか、無の空間は時間の感覚を忘れさせる。

  

 フィラデルフィアの街は活気にあふれていた。

 侵入先のフランスやドイツの整った街並みとはまた違い、粘土や石を利用した無骨な住居が乱立している。それぞれの入り口に穴が空けられているが、扉や窓ガラスはない。  

 ロサンゼルス城の便所でも感じた事だが、魔族の建築に機能性やスタイリッシュさは微塵もなく、必要最低限、という表現がぴったりだ。しかし、大魔王の居城であるニューヨーク城だけは見事なものだったので、高等な魔術を駆使して造り上げたものだという事が分かる。

 

 トニーが到着した場所は一階建ての民家が並んでいるだけで、辺りを見渡しても城のような高くそびえ立つ建物は確認出来ない。確か、超巨大カマキリが暴れているのは城下町だったはず。ヘルが目的地を間違えるはずもないが、尋ねてみる。

  

「おい。ここがフィラデルフィアか?」

  

「いかにも。ようこそ我が街へ」

  

 連れてきた兵士や志願兵達も、トニーと同じようにキョロキョロと周りを見渡している。

 空間転移を初めて体験した者もいるようで、片足を上げたり跳ねたりして土の地面を踏みしめる感覚を確かめていた。

  

「城は?」

  

「よくぞ訊いてくれたな。実はすでに我々はフィラデルフィア城の敷地内に入っている。なぜだか分かるか」

  

「あー?地下に要塞でも仕込んでるのか?」

  

 その時、空に大きな陰りが現れ、辺りは夜のように真っ暗になってしまった。

  

「な……!城!?」

  

 上を見上げ、腰を抜かしてしまう。

  

「ふはは!我がフィラデルフィア城は、天空に建つ城なのだ!」

  

 ボストンで飛び回っていた飛竜どころの騒ぎではない。

 ブロック型の石の底面しか見えないが、正方形の巨大な建物がふわふわとトニー達の上空を漂っていたのだ。

 

「何だ!石の箱が浮いている!」

  

「バカ!ありゃ建物だ!」

  

「お……落ちてくるんじゃないのか!?」

  

 他の者達も信じられない状況にあたふたしていた。

 いくら魔族でも、こんな光景はめったに見られないものなのだと分かる。

  

「ははは!案ずるな!落ちてきたりはせん!」

  

 ヘルは一人高笑いしながら、白骨化した親指と人差し指を口にくわえる。

 ピィ!と甲高い指笛が鳴り、どこからともなく真っ白なヘビが地面を這いながら現れた。そのままスルスルとヘルのローブの中へ潜り込んでいき、空っぽの目玉の部分から顔を出す。

  

「お呼びでしょうか、我が主」

  

 喉が枯れてかすれてしまったような、弱々しい男の声でヘビが喋った。ヘルの使い魔だ。

  

「報告」

  

 短く要求を伝える。

 

「城内、変化なし。城下町、南部エリアで町民同士のケンカが一件。南部管轄の憲兵隊が処理済み。北部、および西部エリア、異常なし。東部エリアに巨大昆虫二体発生。スケルトン兵団本隊出撃により一体駆除、残り一体と交戦中。死傷者多数。尚、術者は未確認」

  

 淡々とかすれた声が返ってくる。よく躾られた使い魔のようだ。

  

「なんと、少しばかり我がいぬ間に……皆、聞いたな?今回の任務は、我がフィラデルフィアを襲う脅威と戦う事である」

  

「いきなり実戦か!」

  

「巨大昆虫だと!」

  

 当然、不満の声が上がるが、もはやロサンゼルスに引き返す事は出来ない。

 逃げ出そうとすれば、正規兵から斬られるだけである。

  

 ズゥ……

  

 バリバリバリ!

  

 そこへ、後続のミッキーと志願兵達が到着した。転移の座標にさほどズレは無く、無事に合流する事が出来た。

 

「お待たせいたしました、閣下、ヘル殿」

  

「おう。ちょうど虫が湧いたらしい。今からヘルの部隊と合流だ」

  

「ははっ」

  

 後続の者達もやはり天空に浮かぶ物体に度肝を抜かれているが、ゆっくり観光している暇はない。

  

「よし、それでは城下町の東部エリアに徒歩で移動を開始する。ついて参れ」

  

 フィラデルフィア城が作り出す影のせいで薄暗い中、ヘルがローブをはためかせて歩き始めた。

  

「移動開始!」

  

「移動だ!全員続け!」

  

 トニーが銃を引き抜いてその後ろに続き、兵士達は命令を何度も復唱して志願兵達を動かしていく。

  

……

  

 五分程度歩いたところで、まずは聴覚が異常を捉えた。

  

 ドン!ドン!と何かが爆発するような轟音と、ガチャガチャと金属が鳴る音である。

 前者は魔術の、後者は剣や槍の音だと予測できる。ヘルの使い魔が伝えた通り、巨大カマキリとフィラデルフィアの兵が交戦中なのは確信出来た。

 

 次に嗅覚。

 兵士や攻撃対象のものか、血なまぐさい匂いが鼻をついてトニーは顔をしかめた。

  

「第二陣!突撃!」

  

 指揮官がいるようで、大声で命令を怒鳴り散らしているのが聞こえる。

 ついに、その光景が目に飛び込んできた。

  

 超巨大カマキリが二体。

 一体は倒れて動かないが、もう一体はその両腕に備わった鎌を振り回して、フィラデルフィアのガイコツ兵士達をなぎ倒していた。

  

……

  

「でけぇな」

  

「怖じ気づいたか、トニー」

  

「ちっとばかし、気合いが必要だな」

  

 見た目はそこらにいるカマキリと大差無いが、その大きさに一同は目を奪われた。

 先日、定例幹部会に出席していた巨人の大僧正・イェン。彼はトニーの身の丈の三倍以上の身体を持っていたが、カマキリはそれを遥かにしのぐ大きさだ。

 ビルで喩えるならば三、四階程度の高さである。

 

 ヘルの兵士であるスケルトン兵団は、その名の通り、骨だけの身体を持つガイコツ達によって編成されていた。

 彼が幹部会に引き連れてきていた兵士と同じ種族である。  

 鉄製の鎧兜を身につけ、武器や盾を手にした重装備の部隊だが、まるで群がるアリを踏み潰すかのように巨大カマキリに蹴散らされてしまっている。

 戦闘力は人間の兵士と同程度だと見て間違いなさそうだ。

  

「ふぅむ……劣勢だな」

  

「やけに冷静じゃねーか。かわいいカルシウム君達が叩きつぶされてるのによ」

  

 今のところ、トニーとヘルのいる位置から戦場までは少し距離がある。ヘルは部隊全体と、敵の動きを確認しているようだ。

  

「か……閣下!来ていただけましたか!」

  

 一人のスケルトン兵が、城主の到着に気づいて駆け寄ってきた。

 鎧の胴体部分が深くえぐられ、中の肋骨も何本か折れてしまっている。平然と駆けたり話したりしているので、痛みは感じないらしい。

 

「よく頑張ってくれたな。ロサンゼルスからの増援を連れてきた」

  

「おぉ!これはありがたい!よそにまで顔が利くとは、さすがでございます」

  

「うむ。我はこの者達の指揮を執る。スケルトン兵団は北と東に移動して包囲網を展開し直し、我らと目標を挟撃せよ。ここが踏ん張りどころだぞ」

  

「ははっ!直ちに命令を伝えて参ります」

  

 すぐさま兵士が戦場に伝令を持って帰った。

 見たところ、暴れまわる巨大カマキリの南側にはもう一体のカマキリの死骸と家屋の集まりがある。

 障害物のせいでそこに兵を配置するわけにはいかないので、トニー達はこのまま真っすぐ目標に接近して、西側から攻撃をしかける作戦のようだ。

  

「では、寄せ集めの底力を見せてもらうとしようか」

  

「チッ……野郎共!攻撃に入るぞ!敵はデカいが所詮虫けらだ!あのデカブツを仕留めた奴にはこの先一年間、メシと酒に不自由させねー事を約束してやる!」

  

 これは大盤振る舞いだ。腰が引けていた志願兵達の瞳にギラギラとした輝きが生じる。

 

「お……俺がやる!」

  

「待て!抜け駆けは許さねーぞ!」

  

 我先にと飛び出したのは、先ほどロサンゼルスでトニーに突っかかってきたミノタウロスの二人組だ。

 刃こぼれのひどい斧を振り上げて、一人目がカマキリの脚へと斬りかかる。

  

「うおおぉぉ!!」

  

 ガチン!

  

 しかし、カマキリの硬い脚を斬ることは叶わなかった。

 恐るべき硬度である。

  

 巨大カマキリが首を下に向け、その目がミノタウロスを捉える。

  

 ビュッ!

  

 鎌を一閃。

  

 ブチッ!

  

 同時に、何かが引きちぎれる音。誰もが状況を理解するのに一拍かかった。

 ごろりと『滑り落ちる』ミノタウロスの上半身。斬れたのではない。あまりの衝撃に引きちぎれたのだ。地面にそれが転がると、立ったままの下半身から上に向けて勢いよく緑色の血液が噴出した。

  

……

  

 一撃。

  

 強靭な筋肉を持つミノタウロスの身体を、巨大なカマキリの化け物は、いとも簡単に真っ二つにしてしまった。

 

「……っ!」

  

 トニーが目を見開く。ここまで歯が立たないのは予想外だ。

 ヘルも腕を組んでうなった。

  

「ミノタウロスごときでは厳しいか」

  

「だが一体は倒してるんだ。あれはどうやった?まだ兵隊はいるんだろ、数で押していけねーのか?」

  

「不可能ではないだろうな。あの一体は、おそらく猛攻撃を加えて倒したはずだ。もちろん我が城にはまだスケルトン兵団以外の様々な種族の部隊もおるが……」

  

「それを使わねーあたり、何か事情があんだろ?」

  

 トニーの問いに、ヘルは頷いた。

  

「うむ、これ以上の兵は割けん」

  

「まあいい。あれは俺が潰す。そこで見てろ」

  

「ほう、面白い。やってみろ」

  

 これで事実上、志願兵達の指揮権をトニーが得た事になる。

  

「ミッキー!ついて来い!」

  

「はっ!全員、閣下に続け!」

  

 わずか数十名の寄せ集めが、決死の戦いに臨む。

 

「おらぁ!」

  

「クソッ!死にやがれ!」

  

 ボロボロの武器を振り回し、巨大カマキリの脚に一斉攻撃をしかける。

 他の部位は高さがありすぎて届かないのだ。片割れを殺されたミノタウロスが怒り狂って何度も何度も脚に斬りつけるが、傷一つ負わせることすら出来ていない。

 西側からのトニー達の集中攻撃に、カマキリは完全にこちらを向いてしまった。

  

 ズドン!ズドン!

  

 トニーの愛銃も兵士達の攻撃に負けじと火を噴く。しかしその銃弾は、当たりこそするが敵を貫くことはない。

  

「かてぇな!」

  

 ビュッ!

  

 カマキリが再び鎌を振り下ろして反撃。不運な志願兵数人が肉塊と化した。

  

「くっ……距離を取るぞ!一旦下がれ!」

  

「はっ!後退だ!後退しろ!」

  

 やむを得ず、兵を退く。

 

「くく……どうした」

  

 ヘルが愉快なものでも見るように肩を揺らしている。

  

「うるせー!どう崩すか考えてんだよ!」

  

「なるほどなるほど……我が兵も上手く使うのだ」

  

「ふん!ありがとよ!」

  

 西側が開いた包囲網は二面に薄れているが、巨大カマキリは今度はスケルトン兵団の攻撃に気を取られて場所を移動してはいない。

 追撃を受けていたらかなりの犠牲を被っていただろう。

  

「さて……うげっ!見ろよ、ヘル!」

  

 トニーが巨大カマキリの行動にギョッとする。

 先ほど引きちぎって殺されてしまったミノタウロスの下半身を、口へと運んで食べているのだ。バリバリと骨の砕ける音が彼の耳にも届き、なんとも気持ちが悪い。

  

「知らないのか?カマキリは肉食だ」

  

「そのくらい知ってるっての!ウチの兵隊が食われてんだぞ!気色わりぃったらありゃしねー!」

 

 一人のスケルトン兵が、ミノタウロスを喰らう巨大カマキリの隙をつき、脚から胴体へとよじ登った。

  

「むっ、勇気ある兵だ」

  

「あぁ?……ほう、アイツ。もしかしたらやれるんじゃないか」

  

 トニーが銃弾を補填しながら期待する。

  

「うむ。やってくれるかもしれん」

  

 その兵士はさらにカマキリの胴体から頭部を目指して登っていく。

 剣は腰の鞘に納まっており、四肢すべてを使ってしがみつきながらの行動だ。  

 カマキリが身体の向きを変えたり鎌を動かしたりするので、振り落とされないようにするのにひと苦労である。

  

「行け!」

  

「頭に食らわせてやれ!」

  

 カマキリの足元で戦い続けている同志達から、いくつもの声援がその兵士に投げかけられた。


 カマキリの口が止まる。どうやらミノタウロスの下半身を食べ終わってしまったようだ。

 

 ビュッ!

  

 ガシャァン!

  

 食事を終えて力がみなぎったのか、カマキリからの激しい攻撃が始まった。  

 何度も鎌を振り下ろし、地面に叩きつける。直撃してしまう者や、地面と鎌が激突する衝撃で吹き飛ばされてしまう者など、次々と犠牲者が増えていく。

 カマキリの上に登っていた兵士も、しがみつくのに必死で、それ以上は進めなくなってしまった。

  

「まずいな……」

  

「てめーはいつまでも高みの見物か、ヘル?チャンスは今しかねー!俺は行くぜ!ミッキー、もう一度突っ込むぞ!あの、上にいるガイコツを虫の頭まで到達させるのを助ける!」

  

「はっ!皆、攻撃の準備だ!」

  

 策など無いが、あの勇敢な兵士の手助けをする他ないと、トニーが命令を下す。

  

「犬死にするだけだ!むちゃくちゃじゃないか!」

  

 一人の志願兵が不満を漏らした。ミッキーらと同族のリザードマンである。

 

「命令に背く気か、貴様!」

  

 引率してきた兵士達が怒鳴っている。

 数人から剣や槍を向けられる中、その志願兵はさらにまくし立てる。

  

「ふざけるな!あんたらだって死んじまうぞ!」

  

「コイツ……!構わん、斬る!」

  

 ズドン!

  

 リザードマンの頭が撃ち抜かれる。

 今まさに叩き斬ろうとしていた兵士達、そして他の志願兵達からもどよめきが起こった。

  

……

  

「閣下……?お手をわずらわせて申し訳ございません」

  

 ミッキーが跪き、すぐさま謝罪した。

  

「おう。同族を殺すのは気がひけるだろ」

  

 煙を立ち上らせる銃とトニーを交互に見やりながら、志願兵達は目を丸くした。

  

「一撃……?」

  

「なんだ、今のは。さっきからカマキリに向けてうるさい術を使うと思っていたが」

  

「……黙れ」

  

 ピリピリとしたトニーの声に、緊張感が漂う。

  

「てめーら。二度言わせるな。俺が攻撃っつったら攻撃だ。分かったな」

  

 トニーがリザードマンの死体を蹴飛ばして一歩踏み出すと、全員が黙ってそれに続く。

 魔族内では、力ある者が絶対だというルール。ついにそれを目の当たりにした新入り達は、誰一人としてトニーに逆らう気は無くなっていた。

 

……

  

……

  

「敵の意識は北側のガイコツ共に張りついてる。それを俺達に向けるぞ。てめーら、一斉に仕掛けろ」

  

 巨大カマキリの北と東に陣取るスケルトン兵団。

 痛みを感じない彼らに疲労の色は見られないが、数が限りなく少ない。どちらも動ける者は十人にも満たないのではなかろうか。累々と積み上がった亡骸の数を見ると、戦闘開始から今までにおよそ十分の一にまで減らされてしまっていた。全滅するのも時間の問題である。

  

「やむを得まい。我も手を貸そうぞ」

  

 いつの間にかヘルが横に立っている。

  

「もともとてめーのケンカだろ。いつまでも下っ端や俺達よそ者に任せてんじゃねーぞ」

  

「……酷炎」

  

 返事代わりに魔術を詠唱する。

  

 ボウッ!

  

 巨大カマキリの頭部が黒い炎に包まれた。

 以前クルーズが唱えた術に似ているが、それよりもさらに濃い色をしている。ゴムを焼いた時のような、真っ黒な煙が上っている様子に近い。

  

 キシャア!とカマキリが悲鳴に似た鳴き声を上げたが、炎が消えると再び鎌を振り回し始める。残念ながら効果は薄いようだ。

 

「なんだ、もっと強いのかと思ってたぜ」

  

「馬鹿者。今のは死霊術だぞ。効けば即死、効かねば無傷。常識であろう」

  

 また新しい情報を知らされる。

 死霊術と言うだけあって、死ぬか生きるかという極端な魔術らしい。0か100か、二つに一つというわけだ。

  

「死者を爆発させるとかってのは?直接攻撃に近いんじゃねーのか」

  

「三魔女が開発したとかいう、例の術か?よく覚えていたな。……話を聞く限りでは、対象を即死させる一般的な死霊術とは違っておるな。だからこその新種なのだろうが……死体を操るという観点からして、死霊術に位置付けしておいて間違いなかろう」

  

「待てよ……おもしれー事を思いついた。ヘル、ちぃと抜けるぜ。カトレアはどこにいる」

  

 トニーが何かを閃いた。

  

「貴様、まさか……いや、確かに面白い。おそらく三魔女はアトランタだ。そこに奴らの研究所がある」

  

「ミッキー、行くぞ」

  

「はっ!」

  

 空間転移が発動し、連れてきた兵士らやヘルを残してトニーとミッキーは消えていった。

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