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♯4

……

  

……

  

 イタリア王国、ローマ。王宮内研究室。

  

 近頃は、異世界から来た新参者の考案したよく分からぬ物体を開発する事に利用されていると、もっぱらの噂である。

  

……

  

「違う!この配線を溶接してくれ、ベレニーチェ」

  

「え?え?これですか!……発火!」

  

「あぁ!強すぎるぞ!あちゃー……ロウソクの火に代えてみようか」

  

「す、すいません!」

  

 なかなか上手くいかない様子だ。照明器具を作る為に生まれた失敗作の残骸が日に日に積み上がり、ただでさえ狭い作業スペースを埋め尽くしていた。

  

……

  

「おぉ、やっとるのぅ」

  

 ウィリアムとベレニーチェが、かけられた声に振り返る。大司教がにこやかな笑顔を浮かべて立っていた。

  

「差し入れじゃ。首尾はどうかの?」

  

 香ばしい焼き菓子が、木の枝で編まれたバスケットいっぱいに入っている。これはありがたい。

  

「物を生み出すってのは大変なんだな……技術や魔術を考えてきた先人達には頭が上がらねーよ」

 

 クッキーのような菓子を口に運ぶウィリアム。味が薄すぎて分からない。

  

「これは何て言う食い物だ?」

  

「クッキーじゃ。知らんのか。非常食にもなる優れものじゃぞ」

  

「軍用の乾パンみたいなもんか?俺の知るクッキーは砂糖たっぷりで、甘くてもっと美味いもんだが」

  

 異世界で食べる食料品は、全般的に薄味なものが多かった。あまり贅沢も言ってられないが、肥えた舌には濃い味が欲しくなってくる。

  

「砂糖を?貴重品じゃが、確かにそれはうまそうな」

  

「次はソイツを楽しみにしてるよ」

  

 ボウッ!

  

「あ!バレンティノ様、成功しました!」

  

 差し入れには目もくれずに作業を再開していたベレニーチェから歓喜の声。完成ではないが、一歩前に進んだわけだ。

  

「ロウソクは使わなかったのか?しかし、よくやったな」

  

「私だって、やるときはやりますから!」

  

 ベレニーチェが得意げに笑う。

 

「結構結構。大いに期待しておるぞ、二人とも」

  

 大司教も嬉しそうだ。自身のアメリカ行きがかかっているからであろうが、発明品にも興味があるのは間違いない。

  

「ベレニーチェ、休憩したらどうだ?菓子もあるが」

  

「いえ!まだ大丈夫ですから!」

  

 ウィリアムは味気ない菓子の代わりにタバコを吹かし始めたが、ベレニーチェは研究者魂に火がついてしまっている。

 こうなっては疲れ果てるまで止まりはしない。

  

「これはこれで困ったもんじゃがの」

  

 大司教が室内を見回しながら頭を掻いた。

 研究室内の他の使用人たちは未だに怪我人の看護にあくせくしているが、その長はそちらにまったく目を向けていないのだ。

  

「陛下にも喜んでもらえるはずですよ!頑張りましょう、バレンティノ様!」

  

「あ、あぁ……一休みしたら手を貸すよ」

  

「ほほぅ。これは余も楽しみだ」

  

 そんな言葉が聞こえ、全員が瞬時に固まる。

  

「な……!?」

  

「陛下!?どうしたんだ、いきなり!」

  

 突如現れたのは間違いなく国王、ミケーレ・マランツァーノ三世、その人である。

 

「はっはっは!城内ではお主らの噂で持ちきりだからな!様子を見に参ったのだよ!ふふふ……若い男女が二人で精を出しておるのだ、何かいかがわしい事の一つや二つ、あってもおかしくなかろう?のう?」

  

「まぁ!陛下!またそのような事をおっしゃって!」

  

 ベレニーチェが両手で顔を覆って赤面する。よく見ると、国王の後ろには直立している右大臣の姿もあった。

 他の従者達は突然の国王の登場に、全員がその場に跪いて微動だにしない。いくら城内に勤めていようとも、ベレニーチェや大司教、ウィリアムのように国王と気さくに話したりは出来ないのである。

  

「真面目にやってただけですよ、陛下。だいたい、こんなに周りに人間がいるのに、アンタが期待するような色恋沙汰なんて起きるはずないでしょうが!」

  

「はっはっは!開発に色恋に、余は期待が膨らむばかりだぞ!」

  

 国王はゲラゲラと笑っているが、右大臣はやはりクスリともしない。

 

 それからしばらく談笑が続く。ベレニーチェも作業に戻るわけにはいかないので、しばし国王の相手をする事になった。

  

……

  

 数分経ったところで、右大臣が初めて口をきいた。

  

「陛下、あまり長居されますと、作業に滞りが生じるのではないでしょうか?それに、他の従者共もまともに動けていません」

  

「はっはっは!皆、気をつかうでない!と言いたいところだが、アダムの言うとおりひとまず退散するとしようか。おっと、これは美味そうだ」

  

 クッキーを一つ右手でつまみ、赤いマントを翻して国王が振り返る。

  

「ごきげんよう、陛下」

  

「陛下、それはわしの特製クッキーですぞ!」

  

 ベレニーチェと大司教がそれぞれ国王の背中に言葉を飛ばす。右大臣も一礼して彼の後ろをついていった。

  

「料理なんてやるのか」

  

「意外かの?自信はあるぞ」

  

「まあな」

  

 大司教の趣味に驚きつつ、机に向かう。

 

「わしもそろそろ聖堂に戻るとしよう。ウィリアム、今日はどのくらいで終わるつもりじゃ」

  

「あと二、三時間くらいで切り上げるよ。何かあるのか?」

  

「言っておらんかったか。今宵はタルティーニ中将との会食じゃよ。わしだけでも構わぬが、酒が飲めねば中将もつまらぬであろう」

  

 大司教は聖職者である為、国王がいない場では極力飲酒を控えている。

  

「将軍と?なぜだ」

  

「なぜと言われても、特に理由などないが」

  

 城の上層部の人間は、様々なところで食事の約束をするのが習わしらしい。

  

「あらあら、殿方だけでの食事なんて、良い息抜きになるのではないですか?バレンティノ様も研究の虫だとおっしゃるならば、いくらでもお付き合いしますが」

  

 ベレニーチェに背中を押される。彼女なりにウィリアムを気遣ってくれているようだ。

  

「わかった。場所は?直接行こう」

  

「食堂の近くに客間がある。そこの予定じゃ」

 

……

  

……

  

 その日の夜。

 会食とはいえ、服は一張羅のスーツしかないので、そのまま現地に向かう。従者に頼んで、見よう見まねでもう一着見繕ってもらおうと考えているところだ。

 下着は用意されたものに毎日履き替えているので、不衛生ではないが、一番重要な見た目が毎日同じなのだ。これは、もともとハイセンスな生活を送っていたウィリアムにとって、味気ない食事と同じくらいの死活問題である。

  

「バレンティノ様、お待ちしておりました」

  

 食堂の近くだと聞いていたので、近くを歩いていたところ、目的地らしき部屋の前の扉に控えていた使用人が話しかけてきた。

  

「この部屋か?」

  

「はい。中将閣下と大司教様はすでに中におられます」

  

 最後になってしまったようだ。

  

「ありがとう」

  

 そう言って小銭を握らせてやる。ウィリアムは城下や城内で不憫しないようにと、大司教から少なくない小遣いを受け取っていた。

 

 ガチャ。

  

「遅いぞ、客人!」

  

 開口一番。タルティーニ中将から怒鳴り声が飛ぶ。

  

「ふん。ちゃんとした時間なんて知らされてないが」

  

「がはははは!それもそうだな、座れ座れ!」

  

「ウィリアム。料理が冷めてしまわないか心配しておったところじゃ」

  

 丸い卓を囲んで、椅子が三つ並べられている。

 料理はシンプルな牛ステーキとスープのようで、まだ湯気が上っている。おそらく出来上がって五分前後だろう。

  

「乾杯といこうか!」

  

 中将が待ちきれない様子で勢いよく、グラスに白ワインを注いだ。もちろん自分とウィリアムの為に二つだ。大司教は水が入ったグラスを手に持って、音頭をとる。

  

「では……今宵のしめやかな晩餐に」

  

「乾杯!」

  

「乾杯」

  

 グラスが鳴り、それぞれが飲み物をあおる。

 

「して、どうだ客人?」

  

 やぶからぼうな質問を、突拍子もなくぶつけてくる中将。

  

「何の話なのか、まったく的が絞れてないぞ」

  

「ローマ王宮内での生活よ。二、三日前から部屋も与えられているそうではないか」

  

 今までは聖堂で寝泊まりしていたウィリアムだが、中将の言うとおり、城から出てすぐの小さな借家を国王から与えられていた。

 元々は憲兵の詰め所だった小屋らしく、木製の屋根と石の壁、室内にはベッドがあるだけのワンルームだが、何もないよりはマシだ。そこから通いで聖堂や研究室に顔を出している。

  

「悪くない。陛下には最大の配慮をしてもらって幸せだよ。野垂れ死にか、処刑されていてもおかしくない状況だったからな」

  

「そうかそうか。たまには兵舎や訓練所にも来ぬか。まだ、お主との手合わせもしておらんが」

  

「しねーよ……忘れてたし」

  

 以前、そんな事を言われたな、と思い返す。

 

「武人ではなかったか?理由はどうあれ、一人さまよっておったのだ。腕が立つと思うに決まっておろう」

  

「残念ながら剣なんて握った事もない。ケンカはからっきしだ。それに、多少腕が立ったとしても、アンタのあんな戦を見せられちゃ、とても敵いはしないよ」

  

 馬上から巨大な剣を振り回して魔物を叩き斬る将軍の姿は、圧巻の一言だった。

  

「なぁに。相手の魔物が弱すぎただけだ。がははは!」

  

「その弱すぎた魔物に何人食われたってんだよ……」

  

 コツコツ、とナイフの柄をテーブルに当てて大司教が咳払いをする。

  

「血なまぐさい話は結構。食事が不味くなっては本末転倒じゃ」

  

 ステーキがもじゃもじゃのひげで囲まれた口に入る。

  

「すまんすまん。大司教は菜食主義者かと思ってたよ」

  

「まさか。そんなことは無いぞい」

 

 さらに一口。

  

「客人、手が止まっておるぞ。よもや、お主が肉嫌いなわけではあるまいな」

  

 中将が声をかけてくる。

  

「いやいや、ありがたくいただくよ」

  

 目の前で十字をきって、ようやくステーキにナイフを入れた。大司教がほう、と感心している。

  

「アメリカにも宗教はあるのかの?」

  

「もちろんだ。その点は大してこの国と変わらない。文明が発達している代わりに魔法や剣が力を振るわないのが大きな違いだが、暮らしているのは同じ人間なんだからな」

  

「人口はどのくらいなのだ?軍備は?」

  

 これは中将である。

  

「人口は三億人くらいだ。軍備……?兵士の数は知らないが、陸軍、海軍、空軍、海兵隊がある。こっちで言う憲兵、警察とは別にな」

  

「三億だと!?全世界の人口を合わせても到底追いつかんぞ!一体どうなっておるのだ……」

 

 イタリアの首都ローマでさえ、ウィリアムには古都にしか見えないのだ。この世界全体の人口が少ないのも予測できる。

 戦争や疫病、魔族からの被害も、この街だけに限った事ではあるまい。そうなれば自然と人の数は増えない。

  

「それだけ平和な世の中だって事さ。しかしこの国の人々は力強い。いかに自分たちが腑抜けていたかを考えさせられたよ」

  

 グラスの中のワインが無くなり、新たに注ぎ足す。

  

「空軍というのが気になるな。飛竜を乗りこなすのか?」

  

 始めの頃に大司教から言われたのと同じような言葉だ。

  

「飛竜じゃないが、飛行機という乗り物で空を飛び回る」

  

「ほーう。見れるか?」

  

「基地には飾ってあるし、バンバン飛んでるはずだが、気軽にアメリカに行けるようなら俺も苦労してないだろ?諦めてくれ」

 

 苦笑しながらそう言うと、中将はさらに真面目な顔つきで質問を飛ばしてくる。

  

「その、空を飛ぶ兵士は主に何を使うのだ?投げ槍か、弓か?」

  

「戦闘機の装備?知らないよ、ミサイルとか機銃だろう。まず、その武器すらこっちには無い。逆に、この国にはどんな兵器があるんだ?剣や槍は見たが、もっと最新鋭の奴はないのか」

  

 すると、中将が自慢げに鼻を鳴らした。

  

「ふふん!よくぞ訊いてくれたな!実は今、極秘裏に開発中の兵器がある。詳しくは教えれんが、完成が楽しみだよ」

  

「魔法を使うのか?」

  

「秘密だと言うておろう!……が、そのくらいは良いか。魔法は使わん。オーガのような巨大な魔物に対抗するための特別な兵器だ。度肝を抜かれるに違いないぞ!」

  

「やれやれ。聖堂には資金が流れて来んと思うておったのじゃ。軍備もよいが、ボロボロの偶像では神がへそを曲げてしまうわ」

 

 大司教がタルティーニ中将を恨めしそうに見ながら大きなため息を一つ。しかし、中将は豪快に口を開けてそれを笑い飛ばした。

  

「がはははは!クレメンティよ!資金繰りに何が必要不可欠か、分からぬわけではあるまい!」

  

「陛下のお許しか?」

  

 ウィリアムが先に訊ねる。

  

「そうだ!客人の技術開発の件は特例であったがな!普通ならば、陛下はおいそれと首を縦に振られぬ!なぜか、客人!」

  

「財政難だと聞かされたからな。当たり前だろう」

  

「おうおう!しかし、それでは我らの新兵器はいつまでも完成せぬ!そこでだ、敵からの侵入を受ける度に、大型の魔物への対抗手段が必要だという署名を集めて回ったわけよ!老朽化した教会の修復や、偶像の買い直しを要求したければ、民の意見ほど陛下の御心に突き刺さるものはなかろう!

 なぁ、クレメンティ!」

 

 なかなか姑息な手である。名君の民への慈悲を利用するわけなのだから。しかし、嘘をでっち上げているわけではないので非道とまでは言えない。

  

「民か、なるほどな。参考にさせてもらおう」

  

「だが、近頃は芳しくない事もあった。今朝、早馬が飛んできたのだが、ミラノに駐屯している騎士団の団長・カルマル大佐が討ち死にしてな。魔族め……日に日に力を増しておる」

  

「それは残念だな。優秀な部下を失う悲しみは俺にも理解できるよ。将軍、ワインのおかわりは?」

  

 暗い話題になりそうだったので、ウィリアムが中将に酒をすすめた。

  

「あぁ。いただくとしよう。……部下?客人も人の上に立つ者であったか」

  

「しがない小さなキャラバンのようなものだよ。アンタみたいに大した人数は預かってないけどね」

 

 事実とやや異なるが、酒のせいもあってウィリアムの口が少々軽い。

  

「ほほう、珍しいな?お主が身の上話をするとは面白い。キャラバン隊か、商材は何を?」

  

 大司教が興味を持つ。「珍しい」の言葉でハッとしたウィリアムは、素性を開けっぴろげにするわけにはいかないと冷静さを取り戻した。

  

「なんでも屋と言えばいいかな。武器に車両に薬品に奴隷に、文字通り何でも扱ったよ」

  

 武器や車両はそのままだが、違法なドラッグを薬品、密入国者や売女の取り扱いを奴隷と表すあたりに彼のトンチがきいているのが分かる。

  

「奴隷か。目に痛い光景じゃ。感心出来ぬが、世の定めかのぅ……」

  

 中世のような世界での暮らし。大司教の反応から察するに、奴隷はイタリア国内でも平然と売り買いされているようだ。

  

「そうか?奴隷は貴重だぞ、クレメンティよ。なぶり殺しにするわけでなければ、道徳的な問題は無い。単なる低賃金で雇える労働力だろう」

  

 将軍はそう考えているらしい。

 

「奴隷は他国民か?」

  

「そうじゃな。アジア人や島国の者がほとんどじゃよ」

  

「ヨーロッパ人は協定を結んでるって話だったしな」

  

 ステーキをつまむ。コショウが利いていてスパイシーな味わいだ。

  

「左様。しかしながら、もちろん逆もあるわけじゃ」

  

「逆?」

  

「大アジア大陸で奴隷として働かされておるヨーロッパ人がいるんじゃよ。悲しいかな、戦争には人身売買がつきものじゃ」

  

 敗走した兵士や、制圧されてしまった街の住民らだろう。

  

「魔族は?」

  

「魔族が何じゃと?どういう意味だ」

  

「魔族を捕らえ、奴隷としている場合は無いのか」

  

「イタリア国内では、魔族の生け捕りに成功した前例は無い。他国もおそらくはそうじゃろう。じゃが、魔族に連れさらわれた人間なら少なくない……。奴隷や捕虜にされているわけではなく、おそらく食用との考え方が強いがの」

 

 先ほどは食事がマズくなると自分で言っておきながら、食用として人がさらわれるなどと、これが最も吐き気を感じる話題だ。

 将軍がうげぇ、と舌を出している。もちろん冗談だが。彼ほど悲惨な光景を見てきた者はいまい。

  

「将軍程の猛者がいれば、小型の魔物くらい捕まえられそうだがな。そうもいかないのか?」

  

「捕らえようとした試しは無いが、おそらく無理だろうな。奴らは敵を目の前にすれば、死ぬまで戦い続ける。縄をも引きちぎり、牢をも破るだろう。もしそれが叶わず、自らを死に追いやるだけだとしてもだ」

  

「絶命するまで石牢の壁を叩き続けるか」

  

「そういう事だ。奴らは人間と違い、腕や脚がもげても勢いを殺す事なく噛みついてくるからな。捕獲できたとして、その後の行動が容易に想像できるだろう?危険な上に、余計な面倒がかかるだけだ」

 

 そう言って将軍が顔をしかめる。よく見ると、小さな真新しい切り傷があった。

  

「その傷は?この間の魔物の襲撃とは関係なさそうだが」

  

「これか?これは今朝の訓練中につけられたものだ。我が部隊にも、骨のある奴がいる証拠よ!」

  

 怪我を負って喜ぶのもどうかと思うが、兵士が強くなるのは良い事である。

  

「下士官任せじゃなく、直接稽古をつけているのか?しかしアンタにひと太刀あびせるとは感心じゃないか。天下無敵だと思っていたよ」

  

「がははは!その後でたっぷりしごいてやったがな!」

  

「そ、そうか……必死で向かっていったのに、ソイツは気の毒にも感じるな……少しは誉めてやれよ」

  

「誰が誉めるものか!訓練中は甘い言葉など無用だ!兵の心身を鍛えてやらんとな!」

  

 ウィリアムには理解できないが、やはり軍隊の中というものは手厳しいようだ。

 

「ソイツぁ顔を出す機会は余計に無さそうだよ。アンタとやり合ったら命がいくつあっても足りない」

  

「ふん!お主も鍛練が必要なようだな!」

  

 勘弁してくれ、と手をひらひらと振るウィリアム。将軍と対峙するくらいならば、喜んで魔族の前に立つだろう。

  

「夜も更けてきたな。二人とも疲れておるじゃろう。ウィリアム、今何時じゃ?」

  

 一人だけさっさと皿を空にした大司教が問う。酒を飲んでいないのでペロリと平らげてしまっている。

  

「今は九時半だ。お開きにするのか?」

  

 腕時計を見て、大司教ではなく将軍に返した。

  

「もうそんな時間か。ではそうしよう」

  

 彼がそう言ったので、全員が起立して退室した。

  

……

  

……

  

 自宅に戻る。

 スーツを壁にかけ、下着姿でベッドに寝ころんだ。

 

 コンコン。

  

 目を閉じる寸前に扉が鳴る。

  

「……!」

  

 帰ってきてすぐに来客とは、つけられていた可能性が高い。しかし、危害を加えるつもりならばノックなどしないだろうし、道中で襲ってきてもおかしくはない。

 一瞬戸惑ったウィリアムだったが、スラックスだけを履いて返答した。

  

「誰だ?」

  

「私です。ベレニーチェです」

  

「お前か、今開ける」

  

 扉の外には、研究室と変わらない魔女服のベレニーチェが立っていた。

  

「夜分遅くに申し訳ありません」

  

「護衛もつけずに王宮から出るとは何事だ?」

  

 彼女を招き入れてベッドに腰掛ける。室内はロウソクの小さな炎だけしかなく、薄暗い。

  

「じゃじゃん!これを見てください、バレンティノ様!」

  

「ん……?悪い、暗すぎてよく見えない……」

  

「それもそうですね。では……放電!」

  

 彼女の杖先に明かりが点く。

 

「……ん!」

  

 いや、違う。光っているのは杖先ではない。

 丸いガラスのコップを利用して作った、単純な作りの電球だ。それはまさしく、この世界に電化製品が誕生した証であった。

  

「うふふ!どうですか!私はついにやりました……きゃっ!?」

  

 ウィリアムがたまらずベレニーチェにハグをして喜びを露わにした。もちろんコンセント向けの配線は用意されていないので原動力は魔術なのだが、放電の力はまだまだ無限に活用できそうだ。

  

「はははは!よくやった!すごいじゃないか、ベレニーチェ!」

  

「ち……ちょっと!ウィリアム様……!?どうなさったのですか、はしたのうございますわ……!」

  

「おっと!これはすまん!」

  

 ベレニーチェを放してやる。いくらイタリア人とはいえ、上流階級の女性相手に突然のハグは少々手荒だったようだ。

 

「わ、私にも世間体や心の準備というものがございますし……その、お気持ちは嬉しいのですが……」

  

 赤面してごにょごにょと語尾が小さくなる。

  

「えーと……勘違いさせてしまってすまないが、大した意味はないから気にするなよ。……そうだ!これがアメリカでのコミュニケーションの基本だから!このくらい当たり前なんだぞ!」

  

 文化の違いに困ったら『アメリカ流』のワードは鉄板である。実際、ハグくらいでいちいち驚かれていたら困る。

  

「はっ……?あ、なるほど!でも、急に抱きつくのはデリカシーに欠けますわ!あー、びっくりした!次からは前もって宣言してからお願いしますね!それならば構いませんから……って、何を言わせるんですか!?」

  

「怒涛の勢いでしどろもどろしすぎだろ」

  

 ベレニーチェのとんでもない慌てっぷりがなかなか面白い。 

 術者の集中力によって魔術は維持されるらしく、お手製の電球はすでに消灯してしまった。

  

「すまない。よく見たいんだが、もう一度光らせてくれないか?」

  

「お安いご用ですよ。……放電!」

  

 杖先を光らせる発光の呪文に負けずとも劣らない光量だ。

  

「電線を国中に引いて回るのも酷だ。やはり次は蓄電池の開発をして、電池式で動かせる道具を作っていくのが良いだろうな……」

  

「……電線??蓄電池??」

  

 ぶつぶつとウィリアムが言うが、ベレニーチェには分からない。

  

「幸運なことに、魔術によって充電が出来るのは確認済みだ。次はこの、時計や携帯電話に入っている電池を作りたいと思う」

  

「電気というものを溜め込んでおける容器なんですよね?術者がいなくとも、誰もがこの明かりを使うことができますね!」

  

「明かりだけじゃない。音楽に映像に、きっとこの国は豊かになるぞ!」

 

 この世界にある他の国の情報はほとんど分からない。他のヨーロッパ諸国やアジアの国々の文明レベルは不明だ。

 しかし、現世からウィリアムが持ってきたような技術はどこの国にも無いと見て間違いない。もしそこまで発展している国家があれば、戦争が均衡しているとは思えないからだ。

  

「しかしバレンティノ様。どのくらいの技術をお教え下さるおつもりですか?延々と開発を行っているだけではアメリカへ渡る機会を逃してしまうのではないでしょうか」

  

 確かに、ウィリアムの目的はそこである。イタリアの未来だけに一生涯を捧げるわけにはいかない。

  

「そうだな……見切りをつけるタイミングが難しそうだ。電池が出来れば通信機器にも応用が利く。さらに火薬や鉄が大量に手に入るなら、小銃や爆弾みたいな兵器の開発も出来るはずだ。まずは電池の生産まで頑張ってみようと思う。それで右大臣や将軍が納得してくれれば良いが」

 

「ここだけの話ですが、陛下はすでにアメリカ大陸調査団の為の船を発注なさることを検討中だとか」

  

「ありがたい話だが、急ぎすぎじゃないか?反発は避けられんだろう。それに、発注……?国内の造船所で造るか、すでにある船を使うと思っていたが……」

  

 しかしここでウィリアムは大司教から聞かされた話を思い出した。イタリアの船は小さく、ドイツあたりの大型船でもなければアメリカへ渡る時の荒波を越えてはいけないと。設計図を盗み出す、国王に船を頼んでもらう、いずれもドイツ相手では難しいと大司教は言っていたはずだ。

  

「我が国の船では無理です。バレンティノ様の技術で船を開発するというわけにもいきません」

  

「ドイツ帝国も無理だという話だが?」

  

「ええ。そうなれば必然的にイギリスかフランスとの交渉になりますわね。どちらも大国ですが、造船の技術はよく存じません」

 

 同盟国とはいえ、相手の手の内は互いに知らないらしい。造船の技術は軍事力に直結するといっても過言ではないため、それぞれの国があまり知られたくないのも分かる。

  

「買ってみたらダメでした、じゃ済まされないからな。もし推し進めるならよくよく知る必要がある。しかし、他に手は無いものか……」

  

 考えてみるも、ウィリアムはこの世界の事を知らなすぎる。

  

「陸路で行こうにも、アジアの最東端が限界です。もちろん、先に大河を越えるのは必須ですし、その後も敵国の真っ只中を進んでいくなんて、ほぼ不可能ですわ」

  

 確かに、それも地図で確認した。

  

「国王も頭を悩ませているだろうな。今のところ、技術開発に集中するしかなさそうだ」

  

「そうですわね。それでは、私も城に戻りますので」

  

 スカートを両手で広げてお辞儀し、ベレニーチェは帰っていった。

 

……

  

……

  

 翌朝。

  

 カンカンカン……!

  

 カンカンカン……!

  

「……?」

  

 まどろんでいたウィリアムの耳に、甲高い音が届いた。

  

 金属、これは警鐘の音だ。ということは……

  

「……警鐘!?まさかっ!」

  

 急いで身体を起こし、スラックスとジャケットを着込む。ドアに手をかけ飛び出そうとしたやさき、向こう側からそれが開いた。

  

「バレンティノ殿!ご無事か!」

  

 衛兵らしき男が二人、完全武装の姿で立っていた。

  

「魔族が侵入してきたのか!」

  

「左様!中将の命でこちらへ救出に参った!魔の手はすぐそこまで迫っておる!早く城内へ!」

  

 確かにそう遠くない場所から悲鳴や武器の音が聞こえている。ちらりと時計を見ると午前五時半。ほとんどの者が寝ていただろうが、兵士達の反応は俊敏そのものだった。普段の訓練や実戦の経験が活きている。

 

……ボウッ!

  

 隣家から火の手が上がる。魔族による火矢か飛竜などの火炎弾が命中したのだろう。

  

「ぎゃああああ……!」

  

 耳をつんざく女の悲鳴。間違いなく、寝ていて逃げ遅れた住民のものだ。

  

「……!中に人が!?」

  

「いかん、バレンティノ殿!構ってはおれぬぞ!」

  

 衛兵達がウィリアムの腕を引く。

  

「バカを言うな!助けてやらないと!」

  

 それを振りほどいて燃える家の扉を蹴破った。

  

「おい、誰かいるんだろ!返事をしろ!」

  

 すでに家の半分近い面積にまで炎が燃え広がっており、視界は遮られてしまっている。

  

「ごほっごほっ!助けて……助けて下さい……!」

  

 奇跡的に声が届いた。目を凝らし、煙にまかれて苦しんでいる中年の女性を発見する。

  

「衛兵!生存者だ!手を貸せ!」

  

「むぅ!承知した!行くぞ、上等兵!」

  

「はっ!」

 

 炎の中に鉄製の装備を着て飛び込むのは酷だが、わざわざ外している暇は無い。扉からの距離はそう遠くなかったので、数秒で衛兵達が女性を担いで出て来た。

  

「ごほっごほっ!」

  

「大丈夫か、ご婦人!我々は城に向かうが、どうされる!」

  

「わ、私もご一緒させて下さい……」

  

「了解した!」

  

 火傷も煙による中毒も大した事はないようだが、女性が望んだのでそのまま肩を貸して歩く。

  

「衛兵、敵の規模は?」

  

「不明だ。しかし、中将が直接出陣された。きっと討ち果たして下さるだろう」

  

「元気な司令官だな」

  

……

  

 そんなことを話している内に、城門に到達した。例によって閉ざされており、上からロープが投げおろされる。

  

「悪いが自力で上って来てくれ!」

  

 上にいる兵士が叫ぶ。

 

「バレンティノ殿!すまぬが婦人を背負って上れるか!?」

  

「はぁ!?」

  

 付き添いの衛兵が難題を押しつけてきた。

  

「我々は再び城下に住まう他の要人達の救出に戻らねばならんのだ!頼んだぞ!では!」

  

「おい!ちょっと……!」

  

 ガチャガチャと甲冑や武器を鳴らしながら去っていってしまった。

  

「抱えてロープを上るだと……?」

  

「お願いします。私の腕の力では……」

  

 女性が申し訳なさそうに言った。しかし、抱きかかえるのは無理だ。少なくとも片手が塞がってしまう。

  

「仕方ない……俺の背中にしがみついていられるか?」

  

「分かりました。それくらいならば頑張ってみます」

  

 ウィリアムがしゃがみ、女性が両腕を彼の肩の上から通す。尻を支えてやれはしないが、おんぶをしているような形だ。

 

「いくぞ。ふんっ!」

  

 ギシギシとロープがきしむ。

  

 上に立つ兵士は、弓を構えて射程距離にいる魔物を射ている。これでは引き上げてもらうのも難しいだろう。

  

「すいません……すいません……」

  

「んぐぐ!」

  

 歯をかみしめて両腕に力を込める。二人分の体重を支える両腕が悲鳴を上げているようにさえ感じた。

  

……

  

「くっ!」

  

 気合いを入れて足掻いても、平凡な身体能力しかないウィリアムにはやはり難しい。城門の上は遥か彼方。このままでは永遠に上れない気がする。

  

 その時。

 ふっ、と身体が軽くなり、目の前の城壁が下にスライドした。

  

「……引き上げられている?なぜだ?」

  

 疑問を抱いたウィリアムに、頭上から声が届く。

  

「何をやっとるんだ!お前達!早く、ウィリアムを引き上げんか!」

  

「ははっ!申し訳ありません!」

  

「陛下!危のうございます!お下がり下さい!」

  

「ならん!ウィリアムが無事にたどり着くまで、余は断じてこの場を動かんぞ!」

  

 それはなんと、国王の声だった。

 

「せーのっ!」

  

 ズズッ……

  

「せーのっ!」

  

 かけ声と共に、ウィリアムと女性の身体が引き上げられていく。  

 ついに城門の上まで到達し、ぐったりと大の字に寝転がると、両手から血を滲ませている国王がウィリアムの顔を覗き込んだ。

  

「無事だったか。よかったよかった!はっはっは!」

  

「陛下、血が……まさか、俺を引き上げたせいで?」

  

「なぁに!唾でもつけとけば治るわ!お主の手のほうがよっぽど酷いぞ!」

  

 ぺっぺっ、と唾を吐きつけて笑う。確かに、ウィリアムの手はロープで切れてズタボロだ。すでに痛みを通り越して感覚が無い。

 ちなみに加勢してくれた兵士たちは手甲を装着しているので無傷である。

  

「陛下!すぐに手当てを!ささ、客人とそちらのご婦人も一緒に!」

  

 一人の兵士がそう言い、国王とウィリアム、そして救出した女性をベレニーチェの研究室へと連れて行く。

 

「どいたどいた!道を空けて下さい!」

  

 王宮内の廊下には追加で出撃するのか、槍兵の部隊が集結し始めているところだった。整列を取り仕切っていた将校が、慌てながら走ってくる門兵の様子に何事かと立ちふさがる。

  

「貴様!我が部隊の整列を妨げるでない!いかがいたした!」

  

 金ピカの鎧を着たその将校は、傷一つ無い新品の装備が物語る通りの小物臭が漂っている。

  

「陛下と客人らがお怪我を……!申し訳ありませんが道を空けて下さい、少尉殿!」

  

「はにゃっ!?」

  

 妙な言葉を発し、ふてぶてしい態度が一変する。

  

「へ、陛下!?全隊員、壁際に!陛下のお通りだ!」

  

 言うが早い、素早く片膝をつき、少尉は頭を垂れた。命令を受けた兵士たちもそれに習う。

  

「御免!感謝します!」

  

……

  

 少し進むと、研究室の扉とその前に立つベレニーチェが見えた。

 

「こんな擦り傷で大袈裟なものだ、のうバレンティノ?しかしそちらのご婦人の火傷は、我らよりも早く治療が必要だろう」

  

 女性は国王を目の前にしているのが信じられないといった様子で、カクカクとぎこちなく頷くばかりだ。

  

「はぁ……陛下、そろそろ俺の呼び名も固定していただけるとありがたいんだが」

  

「ははは!すまんすまん!ではやはり、ファーストネームのウィリアムで決まりだな!そうしよう!」

  

「ありがとうございます」

  

 当の本人達はこの様子だが、先行する門兵とこちらへ駆け寄るベレニーチェの顔色は穏やかではない。

  

「ベレニーチェ様!急ぎ、手当てをお願いしたい!」

  

「陛下、それにバレンティノ様!一体どうされたのですか!早く中へ!」

  

「慌てるな!余は最後でよい!先ずはこちらのご婦人の治療を!その次はウィリアムだ!」

  

 国王がむんずと女性の両肩を掴み、ベレニーチェとの間に立たせる。

 

……

  

……

  

「ご婦人は?眠ったか」

  

「えぇ、お休みになられました。疲れていらっしゃったようで」

  

 ギィ、と椅子を鳴らしてベレニーチェが座った。

 彼女の研究スペースに、ウィリアムと国王を含めた三人が座っている。すでに怪我の治療は終わった。

  

「まだ、街では戦闘が続いています。撃退が終われば、すぐにこの部屋も兵士たちでいっぱいになるでしょうね」

  

「撃退?軍が負けるとは誰も思わないんだな」

  

 これはウィリアムだ。

  

「魔族共の襲撃は、この街を滅ぼし尽くす程の規模であった事は一度もないのだ。討ちもらしても、一日足らずで退く。つまりこちらに全滅の心配は無い。それに甘んじているという状況も情けないがな」

  

 国王がため息をついた。

 魔族の侵入には必ず終わりがある。しかし、逆に攻める事は出来ないせいで、必ず次の襲撃もやってくる。

 

「単純に、知能が低くて本能的に街を襲っているのだろうか?」

  

「それは違うだろう。アメリカ大陸から比較的距離が近いアジア大陸は、魔族の軍勢からの侵攻を受けていると聞く」

  

「では、ヨーロッパ方面への攻撃は、物資の調達や牽制に近いものでしょう」

  

 ウィリアムの言葉に、国王が大きく頷く。

  

「ウィリアムは賢いな。わずかな期間で様々な事に気がつく」

  

「お褒めいただき、ありがとうございます。一刻も早く、この国が平和になることを願っていますよ」

  

 これは彼の本心だ。いくら異世界の人間であろうと、酷たらしく殺されている現状を無視はできない。

  

「時に陛下。本日ご報告するつもりでしたが、明かりを灯す道具の開発に成功いたしました。バレンティノ様のお力添えのおかげですわ」

  

 ベレニーチェが話題を変える。

 

「おぉ、出来たか!見せてくれ!」

  

「はいっ、ただ今。えーと……少々お待ちください」

  

 散乱した机の上から物を探すのはひと苦労だ。国王とウィリアムが目を合わせて苦笑する。

  

「あれ?どうしよう……無いわ」

  

「何やってんだよ……」

  

 仕方なくウィリアムも加勢する。国王はどんな見た目の道具なのかよく分からないので待つしかない。

  

……

  

「あったぞ。こんなところに。しっかりしてくれよ」

  

 ようやく足下にそれが転がっているのをウィリアムが発見し、ベレニーチェに手渡した。

  

「ありがとうございます!では、動かしますね……放電!」

  

 パッと、温かみのある電球の光がその一帯を包んだ。国王が「ほう」と声を漏らす。

  

「いかがでしょう、陛下」

  

「面白いが、これは杖を光らせるのと、何か違うのか?」

  

「確かに今は魔術と大差ありません。しかし次の開発予定は動力源となる電池です。そうすれば、誰でも簡単に明かりを灯せるようになりますよ」

 

 ウィリアムが補足した。

 確かにこれだけではインパクトに欠ける。最低でもこの電球を電池式にし、国王や将軍らに実際にスイッチを入れてもらうくらいの事をやり遂げなければならない。

  

「言うておることが何やら分からんが、期待して待つとしよう」

  

「陛下……!陛下!」

  

 バン!

  

 勢いよく、一人の人物が研究室に飛び込んできた。

  

 アダム。右大臣である。

  

「お咎め役の登場だ。これは弱ったな」

  

 国王が頭を掻く。

  

「陛下!聞きましたぞ!城門までお出になられてお怪我を負われたとか!何をなさっておるんですか!」

  

 右大臣が国王に肉薄した。

  

「別に……」

  

「別に、じゃないでしょう!万が一の事があったらどうなさるおつもりか!君主なくして王国は成り立ちませんぞ!」

  

 しかし国王は両耳を指で塞いでいる。

 

「ん?まさか、貴公が陛下のお手を煩わせたのか?」

  

 アダムの矛先がウィリアムに向けられた。

  

「さぁな」

  

 彼は肯定も否定も出来ず、肩をすくめた。

  

「どういう意味かね!」

  

「そのまんまの意味だよ。俺には分からない。以上だ」

  

「貴様……!まさか、陛下のお命をっ!」

  

 ウィリアムが立ち上がってアダムに顔を寄せる。

  

「状況を理解出来てない奴がベラベラと憶測で話を進めるもんじゃないぞ。俺が陛下に何をしたって?言ってみろ。俺は陛下の手を擦り切らせて殺すつもりだったのか?バカか、お前?」

  

「何だとっ!無礼者め!」

  

 ドン、とウィリアムを突き飛ばすアダム。

  

「無礼者の意味が分かってるのか?そんなおつむじゃ、国が傾くぞ」

  

 さすがに国王の目の前で殺人犯扱いされて恥をかかされては、ウィリアムも黙ってはいれない。

 

「やめい」

  

 限りなく静かだが、不思議とその声は響いた。国王が厳しい表情で右大臣を一瞥する。

  

「ははっ!」

  

 不満げな様子だが、命令には従う他ない。

  

「ウィリアムもだ。言い返しても、何も良い事はないぞ」

  

「はい」

  

「しかしアダム。今のはウィリアムに対して言い過ぎではないか?余も見ていて心地よくはなかったぞ。そして、この怪我は余が自らの判断で負ったものである。まずは非礼を詫びよ」

  

 ぴしゃりと自らの部下の落ち度を明言した。おどけている姿ばかりが目立つ人物だったが、やはりこの男の威厳は絶大だ。

  

「ははっ。……客人、今の言葉は忘れて欲しい。誠に申し訳なかった」

  

「気にしてないさ」

  

「今は国の中で仲違いしている場合ではない。忌むべきは魔族であり、大アジア大陸の敵国である。分かるな」

 

 これは、ウィリアムとアダムだけではなく、ベレニーチェ、その場にいる従者や患者達の心に深く刻まれた。

  

「心しておきます」

  

 アダムが頭を下げた。

  

「先に戻っておれ。随時、部隊からの報告はお前が受け取っておくのだ」

  

「ははっ!」

  

 戦闘の経過報告があるのだろう。国王が玉座に不在では、報告を持ってきた兵士がその場で困り果ててしまう。

 アダムはもう一度深々と一礼し、研究室をあとにした。

  

「ウィリアム」

  

「ん?」

  

「余からもあやつの非礼を詫びさせてくれ。国を、王を、民を思うあまりに、突如どこからともなく現れたお主を必要以上に警戒しておるのだ」

  

「分かってます。彼は間違ってない。ああいう嫌われ役も国には必要だ。俺も少しばかり苛立ってしまって、申し訳なかった」

  

 ウィリアムが謝罪する。

  

「お主はきっと、この国を変える」

  

「買いかぶりすぎですよ、陛下」

  

「余は、自負しておるのだぞ。……人を見る目はあるとな」

 

……

  

 戦闘自体は終結していないが、重傷を負って戦えない兵士たちがちらほらと運び込まれてきた。腕が無い者、脚が無い者、腹や胸から出血している者……そのどれもが痛々しく、見ていられない。

  

「手当ては薬や縫合に頼っているようだが、治癒や回復を行う魔術は存在しないのか?」

  

 ベレニーチェに訊く。ウィリアムのイメージではファンタジーの映画やゲームの中において、魔術師や聖職者がそういう魔法を使うのも珍しくないからだ。

  

「回復ですか?呪術師が魔術によって、痛みを感じない狂戦士、バーサーカーを生み出す事は可能です。他には、死者を復活させて従属させる死霊術師の秘術。

 しかしどちらも治癒力があるわけではありませんわ」

  

「そう都合よくはいかないか。魔術で延命できては、世の中が不老不死の人間だらけになってしまうからな」

 

「まさか……アメリカには治癒を行う魔術が存在するのですか!?」

  

 いらぬ火種をまいてしまったようだ。ベレニーチェが興味を持った。

  

「いや、アメリカにもそんなものは無いよ。期待はずれですまない」

  

「そうですか……では、医療の分野はどのように?」

  

 ベレニーチェがウィリアムに対する質問を少し変えた。

  

「薬の投与や手術を行う。こことあまり大差は無いかな。しかし、機械も多く使われている点では優れていると言える」

  

「素晴らしい。技術の力こそ、私達にとって魔法と言えますわね」

  

「そうなのかもしれないな。では、俺は聖堂に向かうよ。宿無しの時はあそこで過ごすつもりだからな」

  

 ウィリアムが立ち上がる。

  

「余も玉座に戻ろう。ベレニーチェ、世話をかけたな」

  

 国王も同時に腰を上げ、二人はベレニーチェに見送られて退室した。

 

 カンカン!

  

 再び警鐘が鳴っている。

  

「これは?」

  

 途中までは国王と道中を共にしているので、そう質問してみた。

  

「鐘か?」

  

「はい」

  

 城内に残っていた兵士たちが慌てているのが分かる。

  

「おそらく、魔族共が城を攻撃しておるのだろう」

  

「何?大丈夫なんですか?」

  

 国王は落ち着いているように見える。

  

「問題ない。むしろ好都合だ」

  

「なぜです?」

  

「知っていると思うが、この城はベレニーチェとクレメンティの魔力を用いて結界を張り巡らしている。まずそれが破られる事はない。しかしこちらからは弓矢や投石、魔術で一方的に攻撃可能だ。さらに、タルティーニが率いる兵はほとんど出撃している。彼らとの挟撃が出来れば、城に奴らをはりつけたまま城下の被害を抑えて殲滅出来るだろう」

 

 軍略や作戦に詳しくなくとも、挟撃はかなり有効なのは理解出来る。

  

「しかし、外にいる部隊に、敵の位置を知らせるすべは?市街地で戦闘中ならば建物の陰になってなかなか見つからないのでは」

  

「その為の警鐘だよ。狼煙を上げでも良いが、それでも気づかなければ目立つ魔術を使うという手もある。とにかく、今回は運が良かったと言える。被害者には申し訳ないがな。あとは収束を待つばかりだ」

  

 穏やかで落ち着いた声だ。彼がそう言うのならば間違いないのだろうという気持ちにさせられる。

  

「陛下、たびたびお伺いして申し訳ないですが」

  

「うん?どうした?」

  

「なぜ、あんなにも必死になって、ご自分の手を傷つけられてまで、俺なんかを助けてくれたんですか」

  

「ははは、何度も言わせるな。お主は希望なのだ。それだけだよ」

 

 玉座の大広間の前まで来たので、ひらひらと手を振りながら国王が去っていった。ウィリアムはそれに向けて一礼する。

 研究室と聖堂は王宮の端と端なので、中心に位置する玉座の近くを先に通過することになるわけだ。

  

「さて」

  

「バレンティノ様」

  

 聖堂に進もうとしたところで声をかけられる。

  

 女性。

  

 先ほど隣の家から助け出した、中年の女性だ。

  

「おや?寝ていたのでは?」

  

 目を覚まし、小走りでウィリアムを追いかけて来たようだ。少し息が上がっているのが分かる。

  

「えぇ。目が覚めたので、バレンティノ様はどちらにいらっしゃるのか従者の方にうかがったのです。そしたら、たった今聖堂に向かわれたとの事でしたので」

  

「そうだったのか。火傷も軽くて何よりだったな」

  

「あなた様は命の恩人です。あのままでは私は確実に命を落としていたはず。本当にありがとうございました」

 

 腰が痛くないのかと心配に思ってしまうくらいに、深々とお辞儀する女性。

  

 その肩にウィリアムは手を置き、制止させた。

  

「気にしなくていいって。むしろ、礼を言うなら陛下にだろう?いくら俺がいたところで、ロープから上がれはしなかった。それに今、城壁は敵の攻撃を受けている。まだあそこにぶら下がっていたら、確実に死んでたよ」

  

「そんな……王宮にまで魔の手が……」

  

「心配ないとさ。この城は結界のおかげで落ちないんだと」

  

 言ってすぐにハッとした。平民にはこの情報は明かされていないはずなのだ。  

 誰もが助かりたい気持ちで王宮に押し寄せてしまっては、結界の許容人数制限を越えてしまう。毎度、大部隊を投入して魔族との戦闘をわざわざ城外で行うのはそういう理由も含まれているのかもしれない。

 

 カンカンカン!

  

「閣下の中隊が戻られたぞ!」

  

「好機だ!射手は全員配置につけ!」

  

「一気に叩きふせるぞ!急げ!」

  

 将軍の部隊が敵の動きを察知したようだ。城内の兵がそれに合わせて反撃をしようとしている。

  

「何やら騒がしく……」

  

「面白くなってきそうだ。聖堂に向かう前に俺は観戦と洒落込もう」

  

 先ほど上がってきた城門の上に行き先を変更だ。

  

「はい?」

  

「アンタも来るか?少々刺激的な光景が眼下に広がるとは思うが」

  

 わけが分かっていないようだが、女性はコクリと頷いた。

  

「お手を」

  

 婦人の手を取り、城門の内側へ進む。

  

「梯子は平気だよな?」

  

「えぇ」

  

 手足を使って上り下りする分には彼女も問題なさそうだ。

 

……

  

……

  

「これは……」

  

 女性が息を飲んだ。ウィリアムも然りである。

  

 城門の上から見下ろす景色は、想像以上に迫力があった。  

 百体はいようかという大小様々な魔族の大群。それらが城門にへばりついて、激しい攻撃を繰り返している。  

 しかしその刃は今のところ結界に遮られ、ウィリアムらと同じ城門に立つ弓兵の矢がその頭上に降り注ぎ、魔族の背面からはタルティーニ中将が直接指揮をする精兵達が突撃を開始していた。

  

「放てぇ!」

  

 バシュッ!

  

 守備兵の数は決して多くはないが、弓矢は効果的なダメージを与えている。横ではなく上から降るのだ、急所と思われる頭部に命中する確率が高い。

  

「圧巻だな。爽快な気分だよ」

  

「何でしょう……こんなに多くの魔物がこの街に……」

  

 二人がそれぞれの意見をこぼした。

 

 一方的。とはいえ、魔族の肉体的強靭もかなりのものだ。無数の矢を受けても倒れないオーガ。背面からの騎士団の攻撃に素早く反撃を開始したスケルトン兵、そして飛竜とリザードマン。  

 城門や城壁にはダメージがなくとも、外で戦う兵士等は生身である。斬られ、食いちぎられてしまう者も出てくる。

  

「陣形を崩すなぁぁ!槍兵、前へぇ!」

  

 将軍の声だ。かなりの距離があるにも関わらず、しっかりとウィリアムの耳にも届いた。

  

「うぉぉ!」

  

「おらぁぁ!」

  

 鼓舞された兵士たちが力の限り刃をふるう。

  

……

  

 バリバリバリ……!

  

 その時。その戦場の真上の空間に亀裂が走った。城門からは少し離れているが、ちょうどウィリアム達がいる場所と同じ程度の高度である。

  

「なんだ……?」

  

 バリバリバリ!

 

 ズゥゥン……

  

 亀裂が開いたと思ったら、数秒と経たずに閉じてしまった。

  

「ややっ!なんだアイツは!」

  

「放て!撃ち落とせ」

  

 ウィリアムからはすぐに確認出来ていなかったが、兵士たちは何かを指差して口々に叫んでいる。新しい異形が亀裂から現れていたらしい。  

 サングラスを額にずらして目を凝らし、対象を確認する。

  

「人……?違うか」

  

 人型には違いないが、それは大鎌を持った骸骨。ローブをはためかせて空中に静止していた。

  

「アイツか……?まるで死神……だな」

  

 ローマ上空に現れたのは、死神の姿に似た魔族だった。

  

「何をやっておるか。状況が悪い。直ちに撤退する」

  

 英語。

  

 おそらく発したのは死神。やはり魔族の共通言語は英語であるとウィリアムは確信した。

 しかし不思議な事に、叫んでいるわけでもないその声が、ウィリアムも含めて周囲一帯に届いた。何らかの魔術によって声を変化させた可能性が高い。

 

 バシュッ!バシュッ!

  

 その、空中に浮遊している魔族に対して、矢が飛んでいく。数本が明らかに命中したかに見えた。

  

 しかし。

  

「なっ!?」

  

 矢は命中する直前で向きを百八十度変え、射手の方に跳ね返ってきた。

  

 ドスッ!

  

「ぐわぁぁ!」

  

 一人の弓兵がその矢を腕に受けてしまう。

  

「なんだ、アイツは……矢も、イタリア兵士の放ったものだと結界を抜けてしまうのか」

  

「やめ!撃ち方やめ!」

  

 ウィリアムが観察しながら思考していると、守備兵の士官が攻撃停止命令を下した。

  

……

  

 バリバリバリ!

  

 バリバリバリ!

  

 魔族の集団の間に、いくつもの亀裂が走る。先ほど死神が現れた時のそれと同じに見える。何もないはずの空間が割れているのだ。そこにいる人間達は目を疑った。

 

「あれは……転移術か!」

  

 誰かが叫んでいる。

 驚いたとはいえ、魔族が使う空間転移を見たことが無い者しかいないわけではない。敵が撤退しようとしているのは明らかなわけで、死神が使った英語を理解出来ていなくとも、中将の部隊は猛攻撃を再開していた。

  

「敵は逃げ腰だぞ!叩き潰してしまえ!今し方現れた指揮官らしき魔物には注意しろ!」

  

 自らも巨大な剣を振り回しながら、敵陣に斬り込む。

  

「俺に続け!この命、民の為に!」

  

「この命、民の為に!」

  

「中将閣下に続けぇ!」

  

 将軍の黒い騎馬が敵をなぎ倒して、部下数人がそれに続いた。  

 彼の通った道には緑色の血らしき液体をを吹き上げ、バタバタと倒れていく敵兵の姿。

  

「……」

  

 婦人は声も出ないようだ。

 

「絶句してるところに申し訳ないが。俺はここに始めて立った時、あの悲惨な光景の対象が一方的に殺戮される人間だったんだ」

  

 ブォォォ……!

  

 バリバリバリバリ!

  

 何かラッパのような音が聞こえ、魔族の撤退が始まった。空間転移の亀裂へと吸い込まれるように誘われ、一体、また一体と姿を消していく。

  

 ズゥゥン……

  

 先ほどまで展開していた大部隊は嘘のように姿を消し、討伐された三十体程度の魔物の死体が、灰となってさらさらと風にさらわれていった。

  

「勝ち鬨を上げよ!我々は見事に魔族を追い返したぞ!王と民に勝利を知らせろ!勝ち鬨を上げよぉぉ!」

  

 将軍の怒鳴り声が響くと、おうおうおう!と兵士たちの勝ち鬨がローマの街中に届くような勢いで轟き始めた。

  

「……悲しき世です」

  

「変えてやるよ。俺が」

  

 婦人の肩に手を置き、ウィリアムは力強く頷いた。

 

……

  

……

  

「ウィリアム!ウィリアムはおるか!」

  

 城門から帰還してくる騎士団達に揉まれながら王宮へと入ったところで、ウィリアムを探している大司教と遭遇した。

  

「ここだ」

  

「ウィリアム!そこにおったか!怪我をしたと聞いたが、まさかまた城外に!?」

  

 じろじろと全身を見回す。もちろん目立った外傷など無い。

  

「いや、出てない。城門の上から戦況を見てただけさ。怪我も、始めの警鐘から王宮に避難する時にロープで手を擦り切っただけだよ」

  

「そうであったか。無事で何よりじゃ。そちらのご婦人は?」

  

「お隣さんだ。家が焼け落ちてな。逃げ遅れていたから助け出した」

  

 女性が大司教にお辞儀する。位が高い人物なのは理解できるのだろう。

  

「なるほど。それは災難でしたな。わしはアンドレア・バッティスタ・クレメンティ。大司教を名乗っておる者ですじゃ」

  

「はじめまして、大司教様」

  

「時に、ご婦人。王宮の結界をご覧になられましたな?」

 

 やや高圧的に聞こえるが、おそらくそれで間違いない。極秘情報なのだから。

  

「はい。見ました」

  

「くれぐれもご内密にいただきたい。すべての民を守る為には、結界の力が足りませぬ。しかし陛下のお命だけは、何があってもお守りせねば」

  

「もちろん理解は出来ますわ。ご安心下さいませ」

  

 信用できる言葉かは分からないが、大司教は頷いた。

  

「良かった。もし口外されれば、王宮には民が押し寄せ、陛下の事を悪く言う者も出てくるやもしれん。さすれば、魔族への怒りがあらぬ方向へと……」

  

「分かります。私も先ほど陛下とお話させていただきました。あの御方は真の名君であらせられます。私のようなみすぼらしい民草にまでお声をかけていただいて……すぐにそう感じましたわ」

  

「そうじゃ。我々国民はすべて、陛下の慈愛と神々の祝福に守られておる。直接それを感じられるとは、幸運でしたな」

 

 この大司教の発言に、ウィリアムは首を傾げた。女性も、少し表情を強ばらせる。

  

「大司教。そんな言い方はないだろ」

  

「はて?どういう意味じゃ」

  

「確かに国王の人柄に直接触れられたのは素晴らしい。だが、そのきっかけは何だ?彼女は魔族のせいでその財産をすべて失っているんだぞ。それが神の導き、幸運か?」

  

 彼女だけではない。多くの人々が家や物を壊され、あるいは大事な人や自身の命を失っている。

  

「バレンティノ様」

  

「ん?」

  

「良いのです。大司教様も、少しでも私を慰めようとしてくださっておられるのですから」

  

 悲しげな表情で笑う。

  

「しかし」

  

「私なら大丈夫です。家もいつかは直ります。それよりも、一日も早く、平和な世の中を……」

 

 そこまで言うと、女性は再び小走りで研究室へと戻っていった。姿が消える寸前で一度振り返り、ぺこりと頭を下げる。

  

「強がって見せるのは、遠慮からだろうな」

  

「そうじゃのぅ……経緯も知らず、申し訳ない事をしたわい」

  

「聖堂へ戻るんだろ?行こう」

  

 二人が肩を並べて歩き始める。

 戦闘は終結しているが、街は未だ酷い状態だろう。ウィリアムが自宅へ戻るのは、せめて死体の処置が済んでからである。

 もちろん、その頃には逆に聖堂が兵士の亡骸で埋め尽くされてしまうが。

  

「今回はかなり大規模な襲撃だったらしいの」

  

「見てないのか?とんでもない数だったぞ」

  

「城に釘付けに出来ていなければ、損害も膨大なものになっていたじゃろうな」

  

「指揮をとるものがいなかったように見えた。撤退の直前になって、地位が高そうな死神がやってきたがな」

 

 大司教が眉間に皺を寄せた。もともと皺だらけの顔が、さらに険しくなる。

  

「死神……とな?」

  

「知り合いか?」

  

「馬鹿を申すな。ウィリアム、先に聖堂に戻っておれ。わしは書庫に寄っていくでな」

  

 寄り道を宣言されたが、ウィリアムは特に気にとめる事もなく、一人で聖堂へと向かった。

  

……

  

 五分程経過したところで、一冊の本を手にした大司教が戻ってくる。

  

「お疲れさん」

  

「これを見ろ」

  

「ん?」

  

 机に本を広げ、指をさす。魔族に関する古い資料のようだ。死神のイラストと説明が書かれたページが開かれていた。

  

「コイツだ。間違いない」

  

「やはりか」

  

「どういう事だ?」

  

「こやつは地獄の死神、名をヘルと言う。魔族の中でもかなり地位が高い者だとされておる」

 

 死神、ヘル。

 薄汚れた紙に所々がかすれた文字が長々と綴られているが、ウィリアムはそれを読む気にはならない。

  

「まあ、お偉いさんには見えたよ。しかし、いつの本だ。ボロボロじゃないか」

  

「四百年以上昔の書物じゃ。魔族の寿命には驚かされるのぅ」

  

「奴らはそんなに生きるのか……?いつまでも古い資料に頼れるのは便利だな」

  

 少しばかり明らかになった魔族の生態に驚きながらも、皮肉まじりの冗談を飛ばす。だが、大司教はぶつぶつとヘルのページを読みあさっている。

  

「うぅむ。だらだらと宗教的な死神の解釈が綴られておるだけじゃな……やはり出生の秘密や、弱点は分からん」

  

「名前を調べただけでも大した著者じゃねーか。一つ、書き加えるとすれば『奴は英語を話していた』ってのはどうだ。奴が発した撤退命令は、間違いなく英語だった」

 

「やはりそうじゃったか」

  

 すでにそういった報告は過去にも上がってきていたようだ。大司教も知っていたが確証は無かったらしく、そのまま続ける。

  

「多少じゃが、英語を理解する者はこの街にもおる。カタコトではあるが、通訳者もおるからな。公用語として常日頃から使っておるわけではないから、魔族が話しておるのは英語であるように聞こえた……という知らせはいくつかあったのじゃ。しかしながら、お主は違う。英語を使うのが当たり前じゃったのならば、聞き間違えたりはするまい」

  

「そうだな。断言できる。英語だった」

  

「魔族と会話が出来るとあらば、イギリスの人間は我々よりも多くの情報を握っているかもしれんな」

  

 イギリスの公用語はもちろん、アメリカと同じく英語である。

 

「イギリスの他にも、点在する島国の中には英語を使う国もあるはずだ。オーストラリアにカナダなんかな」

  

 現世で英語を公用語にしている国を列挙する。

  

「わしは聞いた事も無い国じゃが、陛下ならおそらくご存知であろう。地理や国交に明るい」

  

「すると、そういう国があれば、魔族とコンタクトを取っている可能性はあるな。イギリスから何か情報は?たとえば……魔族に襲われる事が無くなった、国内に居住している魔族がいる」

  

「無い。かの国が何か魔族について重要な情報を握れば、欧州諸国には知れ渡るはずじゃ。協定のリーダーじゃからの」

  

「多くの情報を持っているかもしれない、と言ったのは?こちらに伝わっていなければその可能性は無いんだろう?」

  

 確かに矛盾する。

  

「会話や命令から聞き取れるであろう、戦略や将校の名、その程度の話じゃよ」

  

「なるほどな」

 

「この書物も、もとはイギリス人の学者が書いたものを、イタリアの翻訳家が要約したのじゃと聞く」

  

 辞書のような見た目である。要約と言うには少々分厚い気もするが、古い羊皮紙では無理もない。原本は一体何冊に及んでいるのだろうか、とウィリアムは身震いする。

  

「イギリスに行くことは?」

  

「なぜじゃ?」

  

「今現在、どのくらいの情報があるのかを直接訊くのさ。道具の開発とはかけ離れてしまうが、魔族の事を知る事はアメリカ大陸調査団には有意義だ」

  

「ふむ。悪くはない。お主なら難なく会話出来るじゃろうからな。しかし……」

  

 大司教が何かに詰まる。

  

「どちらを取るか、だろ。技術開発に英国訪問。どちらにも俺が必要だ」

  

「その通りじゃ。ベレニーチェがいても、彼女だけでは研究は難しい。かたや英語を話せる者を何人かイギリスに送っても、必要な情報を完璧に聞いて来れるのか分からん」

 

 事を起こすにはウィリアムが必要不可欠。いつの間にか、そういう状況に陥っていた。国王が言った「人を見る目」と無関係だとは思えない。

  

「研究所を移動する……というのはどうだ?」

  

「ふむ?どういうことじゃ」

  

「どでかい馬車でも用意して、移動式の研究施設を作るのさ。ベレニーチェにも同行してもらう。それならイギリスに遠征しながら技術開発も出来るだろ」

  

「なんと!それは面白いな!」

  

 大司教が賛同してくれた。

  

「ベレニーチェが離れたって、結界に問題は無いんだろう?アンタがアメリカへ行きたがってるのがその証拠だ」

  

「いかにも。確かに現在はわしとベレニーチェの二人の魔力で結界を張っておるが、数人の魔術師を常駐させておけば代行させられる」

  

「決まりだな。移動中に研究用の資材が不足しないように、錬金術師とやらが必要だ」

 

 鉄や銅は必要不可欠だ。

 イタリアからイギリスへ行く先々で購入するのも可能だが、出来れば小分けで使いたいので錬金術師の存在は有効活用できる。

  

 とはいえ、ウィリアムはまだその存在を確認してはいない。実際にその術を見せてもらうしかあるまい。

  

「錬金術師か……分かった。手配しよう。しかし、何事をやるにもまずは陛下にご報告をせねばな」

  

「もちろんだ。早速向かうか?戦闘の事後処理でてんてこ舞いだと思うが」

  

「そうじゃな、日を改めよう」

  

 やはり聖堂に兵士の遺体が運び込まれてくる。  

 亡骸に囲まれて居心地が悪くなってきたウィリアムは、自宅へと戻ることにした。

  

「ではまた明日な、ウィリアム」

  

「あぁ。ウチが焼け落ちてない事を祈るよ」

  

「その時は客間をあてがってやろう。心配するでない」

 

……

  

……

  

 翌朝。焼けた家屋や遺体のにおいも消えていない街。

  

 ウィリアムは頭痛と共に目を覚ました。

  

「……城で寝るべきだったのか」

  

 いつものようにスラックスを履いて、スーツに袖を通す。鏡も洗面台もないので、身なりを整えるのは難しい。

  

 ようやく衛兵から「おはようございます」と声をかけられるようになった。交代制ではあるが、兵士の中にも顔なじみが増えてきた証拠だ。  

 城門を抜けて入城する。アダムの姿が見えたので一礼したが、ふん!と鼻を鳴らされて無視されてしまった。

  

「おはようございます」

  

 従者の女性に挨拶をされる。

  

「おはよう……ん、どうしたんだ?その格好は」

  

 よく見ると昨日ウィリアムが助けた中年の女性ではないか。なぜメイド服を着ているのか気になる。

 

「まさか、雇ってもらったのか?」

  

「いいえ、違いますよ。服が火事のせいでボロボロだったので、貸していただいたのです」

  

 なるほどな、とウィリアムが笑う。

  

「よく似合ってるぞ」

  

「ありがとうございます。宿無しになるくらいならば、いっそ本当に雇っていただいた方が良いのかもしれませんね」

  

 女性も口元に手を当ててクスクスと笑った。あまり落ち込んではいないようだ。

  

「家族は?」

  

「夫は数年前に病気で他界いたしました。息子夫婦がミラノにおります。なので、あの家の事ならば大して心配いりませんわ」

  

「そうか。雇い入れの話、本気ならば研究室長に口利きしてやれるが?」

  

「本当ですか?では、お願いしようかしら」

  

 そのまま研究室を訪ねることとなった。

 

……

  

「あら?バレンティノ様?聖堂に行かれるのでは?」

  

 デスクで書類を読み上げていたベレニーチェがウィリアムに気づいて首を傾げる。昨晩か今朝にでも、大司教から国王へ相談がある事を聞かされていたのだろう。

  

「あぁ。すぐに向かうつもりだよ」

  

「では、どうなさったんですか?」

  

「このご婦人の件だ」

  

 女性の肩に軽く触れて、一歩前に出させる。

  

「はぁ……?」

  

「実は、家屋が昨日の魔族の襲撃で焼け落ちてしまってな。しばらく使用人として研究室で世話になれないだろうか?」

  

「雑用でも何でもいたしますので、よろしくお願いします……」

  

 女性が深々と頭を下げた。

  

「まぁ、それはお困りでしょうに。ただ、他にも被害を被った庶民の方々の事を思うと……」

  

 さすがに二つ返事では了承してもらえない。

 

「そうですか……」

  

「どうにかならないか?」

  

「私の一存では決められませんわ。申し訳ありません」

  

 ベレニーチェがバツが悪そうにうつむいた。助けてやりたい気持ちはあるのだ。

  

「仕方ない。少しやり方を変えてみよう。ベレニーチェ、ありがとう。無理を言ってすまなかった。邪魔したな」

  

「ごきげんよう」

  

……

  

 予定通り聖堂へと向かう。

  

「やり方を変えるとは?」

  

「任せておけ。ちょうど、大司教と共に陛下に新しい提案を持っていくところだったんだ。それにあんたを連れて行く」

  

 移動式の研究所の従者として同行してもらおうという腹だ。

  

 ギィィ……!

  

 聖堂に入る。

  

「おはよう、ウィリアム。……ん?」

  

「おはよう。今日は陛下の所にご婦人も連れて行く」

  

「……うむ」

  

 理由を分かってくれたのか。大司教は何も言わない。

 

……

  

……

  

 王の間。

  

 玉座からやや距離を置き、赤い絨毯の上に三人が跪く。

  

「我が君。おはようございます」

  

「おはよう」

  

 他には、十二人の騎士が絨毯を挟んで両脇に六人ずつ控えている。因みに彼らは『十二近衛』と呼ばれ、騎士団とは全く別の組織に分類されている。城内では基本的にこの場所で待機しているが、国王が城から出る際には必ず護衛として彼らが付き添う。  

 軍属ではなく王の直属であるため、将官やタルティーニ将軍の命令には従う必要はない。さらに十二人全員が騎士の称号と爵位を与えられており、貴族や王族と同じ扱いである。つまり国内外を問わず、一般人扱いとなってしまう大臣や将軍ですら許可が必要となる重大な会議や晩餐会にも、何食わぬ顔で出席出来るほどに位が高いという事だ。

 

「……して、何用だ?ウィリアムと昨日のご婦人の姿も見えるが」

  

「ははっ。この度は、お願いがあって参りました次第にござります」

  

「そうか。構わん、申せ」

  

 特に悩む様子も怪訝な顔もせず、すぐに先を促してきた。

  

「ウィリアムを、使者としてイギリスに送ろうと思っております」

  

「イギリスに?なぜだ」

  

 当然、国王にはその理由など浮かばない。

  

「魔族の話す言語が、英語である事が確実となりました。このウィリアムはアメリカ人。母国語を聞き間違えるはずもありません。そう証言してくれました。さすれば欧州諸国に開示されていない些細な情報かもしれませんが、イギリスは魔族の事を我々よりも多く知るものではないかと」

  

「ほう。それを訊きにいくのか。だが、研究はどうする」

  

「そうです。そこで一つ、妙案がございます」

 

 十二近衛には守秘義務があるので、他言の心配はない。この場で話された事は会議で話された事と同意である。

  

「妙案?」

  

「はっ。大型の馬車を用意し、その中に資材や錬金術師、書物を乗せて移動式の研究所を作ります」

  

「ほう、さすればイギリスへの使者と技術開発の両方が同時進行できるな。ベレニーチェを同行させるつもりか?」

  

「はい、許可をいただけますでしょうか」

  

 下げっぱなしだった頭を、大司教が国王に向けた。

  

「大した予算もかからぬだろう。心配はいらん。……書状を渡そう。おい!誰かおらぬか!」

  

 国王が声を張り上げると、男性の使用人が一人、駆け足で入ってきた。

  

「ははっ!お呼びでしょうか、陛下!」

  

「羊皮紙と羽ペンを持って参れ!」

  

「はっ、承知いたしました!」

  

 男が機敏に動く。

 

……

  

……

  

「これでよし、と。受け取れ」

  

「ははっ!ありがとうございます!」

  

 国王が三枚の書状を大司教に渡した。  

 一つは、イギリス国王にあてたもの。

 ウィリアムをイタリアからの使者とし、王への謁見とイギリス国内での魔族の情報収集をする許可を求めるものだ。

 次は右大臣であるアダムに向けられたもの。

 国の予算から、移動式の簡易的な研究所を作る承認。  

 最後はベレニーチェに向けられたもの。

 一時的に王宮の結界を張ることを他者に委託し、ウィリアムに付き従う勅命である。

  

……

  

 ウィリアムが手を挙げた。

  

「陛下、俺からも一ついいですか」

  

「どうした?」

  

「ご存知でしょうが、昨日の襲撃でこちらのご婦人は家を失いました。それで、使用人として移動式の研究所に雇用したいんです」

 

 大司教は何も言わない。やはりウィリアムが女性をつれてきた理由は分かっていたのだ。

 しかし、それは国王も同じようである。大して驚きもせず、簡単に返した。

  

「好きにするがよい。イギリス行きの責任者はお主なのだからな」

  

「ありがとうございます」

  

 これはすべての人選と計画は任せる、という意味だ。

  

「あ、ありがとうございます……!」

  

 続いて女性も礼を述べる。頭を床に押しつけ、目には涙を浮かべて。

  

「他に何かあるか?」

  

「数人で構わないので、手練れの護衛をいただきたい」

  

「好きにしろと言ったはずだぞ」

  

 国王が意地悪く笑った。

  

「将軍と話してみます」

  

「うむ。ではそろそろ暇を貰って良いかな?少し、城下に出ねばならんのだ。期待しているぞ」

  

「えぇ、任せといて下さい」

  

 国王が立ち上がり、十二近衛が彼の後ろをついて行った。

 

……

  

「詰め所に行くのかの?」

  

 ひとまず女性と別れて、大司教とウィリアムの二人で城内を歩く。

  

「そうだな。アンタは?」

  

「わしは錬金術師の方を当たってみようと思う。知り合いが城下町におるでな」

  

「そうか。何から何まですまない」

  

「気にするな。後で聖堂で落ち合おう。お互いに首尾を聞かねばなるまいて」

  

「分かった」

  

 ローブを翻し、大司教が去っていった。

  

……

  

……

  

 兵員詰め所。

  

 王の間の玉座がある、真後ろの部屋がそれだった。

  

「まさか、ここを訪れる羽目になるとはな」

  

 自嘲気味に笑う。勝手に取り決められていた将軍との手合わせが思い出されたからだ。

  

 ギィィ……!

  

 中は聖堂や研究室と大して変わらない程広く、槍や剣が壁際にぎっしりと立てかけてあった。

 

「むっ!何奴だ!」

  

 木製のテーブルと数脚の丸椅子があり、鎖帷子を着た兵士達がくつろいでいた。一人がウィリアムに気づいて話しかけてくる。

  

「将軍はいるか?」

  

「何奴だと訊いている!」

  

 残念ながらこの場にいる兵士の中にウィリアムの顔見知りはおらず、不審者扱いされてしまう。

  

「話にならねーな……他を当たるよ、失礼」

  

「待てぃ!」

  

「やはりそうなるか……」

  

 兵士達に囲まれ、身動きが取れなくなってしまった。こうなっては大人しくしておくしかない。

  

「中将閣下に何用だ!まず、名を名乗れ!」

  

「ウィリアム・バレンティノ。将軍への用件は機密事項につき、本人としか話せない。以上」

  

「機密事項……?貴様、何か企んでおるのか?」

  

「はぁ……」

  

 勤務に忠実なのは誉めるべきだが、ウィリアムとしては困る。

 

「何事だ」

  

 男の声が入ってくる。

 将軍が詰め所に戻ってきたのかと期待したが、視界に入ったのは別人の姿だった。

  

「はっ、中佐殿!こやつが閣下に会わせろと!」

  

「よう」

  

 手をふっておく。

 中佐と呼ばれた男に、ウィリアムは見覚えがあった。彼が初めてこの世界で目にした魔族の襲撃の際、将軍の副官として指揮をしていた男だ。

  

「これは……客人。お前達、彼ならば心配いらん。放してやれ」

  

「ははっ!」

  

 兵士達が中佐の命令で警戒を解く。

  

「……失礼した。ルイジ・ロッシーニだ。中将閣下の補佐をしている」

  

「ウィリアム・バレンティノだ。中佐、覚えていてくれて嬉しいよ」

  

 互いに自己紹介、握手をした。

  

「かけたまえ、バレンティノ殿。閣下は数分で戻られるはずだよ」

  

「ありがとう」

  

 丸椅子に座り、タバコに火をつける。目の前にいる中佐がライターに驚いたのは言うまでもない。

 

……

  

 中佐の言うとおり、将軍は数分後にはやってきた。

  

「お?どうした、手合わせか」

  

「違うっての」

  

 まず最初の一言がこれである。

  

 中佐が起立して敬礼し、将軍がその椅子に座った。

  

「ま、そう言うだろうと思ってたぞ。何用だ?」

  

「機密事項だ」

  

「中佐」

  

「はっ」

  

 中佐は副官らしく、ぴたりと将軍の後ろについて直立したままだ。

  

「人払いを頼む」

  

「了解いたしました。おい、軍曹!詰め所の兵士を全員部屋の外へ出せ!」

  

 すぐさま命令を下士官に伝え、自らも退室していった。

  

「これでよかろう」

  

「すまないな」

  

「どうしたというんだ?」

  

 改めて問われる。

  

「近く、イギリスへイタリアの使者として赴くことになった。護衛を借りたい」

 

「そうか。他ならぬお主の頼みだ。許可しよう」

  

「ありがとう」

  

 右手を差し出すと、将軍の大きな手がそれを握った。

  

「人数や兵種は?まさか中隊を寄越せとは言うまいな」

  

「その辺りも含めての相談さ。まず、イギリスの首都……おそらくロンドンだろう?そこまでの道のりがどうなのかすら知らない」

  

「ロンドンへは、早馬ならば二週間。徒歩での鈍行ならばひと月ほどだろうな」

  

「馬車を引いての鈍行だよ」

  

 行きだけで1ヶ月の期間を覚悟する。

  

「ルート上は比較的安全な地域だ。盗賊や魔物の拠点もないはず」

  

「ヨーロッパ内でも、そんなものがある場所が……」

  

「無論だ。戦争中なのだからな。三名の手練れを選抜しよう。それで構わないな?」

  

「任せるよ」

 

 将軍が一度席を外し、すぐに王国騎士団の兵員名簿を持ってきた。ローマに駐屯している部隊のものだ。

  

「そうだな……弓兵を一人と、槍兵を一人、それに分隊長として下士官か将校を一人つけよう」

  

「いいのか?」

  

 ローマの防備もままならないというのに、かなりの配慮をしてくれている。

 手練れとは言ったものの、使い物にならない一兵卒ばかり回されてしまうだろうと思っていたからだ。

  

「馬車を引くんだろう?他に要人は?」

  

「ベレニーチェが一緒に来る」

  

 将軍は他にも守護対象がいるのを分かっていたらしい。それならば手を抜かないのも納得できる。

  

「あいつか。戦力としても充分だな。では、後ほど三人を連れて行く。研究室か、聖堂か?」

  

「夜、聖堂で」

  

「承知した」

 

……

  

……

  

 まだ時間があるので、一度研究室にも顔を出す。

 相変わらず、ベレニーチェは患者などそっちのけでガラクタをいじっていた。先ほど会った女性の姿もある。彼女の方はベッドのシーツを取り替えているところだった。ボランティアといったところか。

  

……

  

 ベレニーチェのデスクに椅子を寄せ、ウィリアムが座る。

  

「よう、やってるな」

  

「あら、バレンティノ様。いらっしゃいませ」

  

「大司教から書状をもらったか?」

  

 ぴたりと動きが止まる。

  

「書状?何のでしょう?」

  

 まだ話は聞かされていない様子だ。人の多いこの部屋でおおっぴらに話すのもどうかと判断し、深くは語らない。

  

「そうか。後でやってくるはずだ。内容をよく確認しておくといい」

  

「はぁ、わかりました」

 

……

  

 彼女の手元に目をやると、蓄電池に使うコイルのようなものをどうにか組み立てようとしているところだった。思いのほか飲み込みが早く、現世の人間であるウィリアムよりも道具に詳しくなるのは時間の問題だろう。

  

「楽しくなりそうだ」

  

「?」

  

「いや、こっちの話さ。ところで、彼女の働きっぷりはどうだ」

  

 従者の女性を指差す。

  

「えぇ、断ったのにわざわざ無償でやっていただいているのが申し訳ないくらいですわ。とても働き者でいらっしゃって、私の母を思い出していたところです。母は家事が得意なもので」

  

 ベレニーチェの両親はローマにいるのだろうが、しばらく会っていないような言い方をした。王宮に住み込みの状態で長い間働いてきたのが分かる。

  

「いい親御さんなんだな」

  

「はい、とても」

 

「技術開発についてだが、今のところ不備はあるか?」

  

 金属のたいていは揃っているが、他に必要なものが無いかを尋ねておく。予想では錬金術師という職業が生み出せるのは金属だけなはず。

 石材や木材、燃料などが必要ならば、なるだけイギリスへ出発する前にローマで揃えておきたい。

  

「いいえ、特に思い当たりませんわ。ありがとうございます」

  

「そうか。悪いが今日は作業を手伝えそうもないんだ。頑張ってくれよ」

  

「はい、お気になさらず。ごきげんよう」

  

 ベレニーチェの関心はすでに目の前の作業に戻っている。

 ウィリアムは椅子を戻し、従者の女性に手を挙げて軽く挨拶すると、研究室から出た。

  

……

  

……

  

 その日の夜。

 聖堂にはウィリアム、大司教、ベレニーチェ、従者の女性、将軍と三人の兵士、そして錬金術師らしき一人の男が集った。

 

「互いに、問題なかったようじゃな」

  

 ウィリアムに向けて大司教が口を開く。この場にいる面子を見ればそれは一目瞭然だ。錬金術師も護衛も揃っているのだから。

 そして、ベレニーチェ達もウィリアムがやらんとしている事を充分理解してここにいた。国王の命令である。すべての事において、それは優先される。

  

「そうだな。将軍、兵士達の紹介を頼んでいいか?」

  

「よかろう」

  

 兵士らがウィリアムに敬礼した。武装していないのではっきりと顔が分かる。全員思いのほか若い。

  

「弓兵のアマティ上等兵、槍兵のカンナバーロ伍長、そして分隊長のチェザリス少尉だ。……彼らを王国騎士団第一特務分隊、通称ガットネーロ隊と命名した。かわいがってやってくれよ、指揮官殿」

  

「ありがとう。よろしく頼むぞ」

  

 三人の若者に対してウィリアムは敬礼の代わりに笑顔を返す。ちなみにガットネーロとはイタリア語で『黒猫』を意味する。

 

「申告します。ガットネーロ隊、分隊長、チェザリス少尉であります。バレンティノ殿、よろしくお願いします」

  

 代表して分隊長が一歩前に出て、改めて自己紹介をしてくれた。

  

「ウィリアム・バレンティノだ。少尉らは非常に若く見えるが、将軍からよく鍛えられた手練れの兵士だと聞かされている。期待しているぞ」

  

「はっ!命をかけてお守りいたします!遠征中には何なりとご命令下さい!」

  

 ハキハキと応えてくれる。緊張はしているようだが、実直な青年で好感が持てた。

  

「こやつは先日士官学校を出たばかりだが、すでに魔族襲撃の実戦経験を二度こなしている。小隊を一つ任せていたのだが、激戦地の前衛に送って唯一、一人の死者も出さずに帰還したのだ。信頼してくれていいぞ」

  

 将軍が自慢げにそう伝えた。訓練中は厳しいのだろうが、こういった場面では部下を誉める事もあるらしい。

 

「頼もしいな。騎乗するのか?」

  

「馬車を引かせるのにも馬を揃えねばならん。出せてもチェザリス少尉の分くらいだろう」

  

「なるほどな」

  

 つまり残る二人は歩いて移動するわけだ。鍛えられていても、ひと月は辛そうに感じる。

  

「バレンティノ様は、乗馬の経験がおありで?」

  

 横からベレニーチェが質問してきた。彼女の中ではまだ、ウィリアムは高貴な家の出身である疑いは晴れていないのだろう。

  

「乗れないぞ。言わなかったか?この国での常識は、俺が住む世界では浸透していない」

  

 兵士らや従者の女性、錬金術師がウィリアムに『何を言っているんだ』という視線を向けた。彼らはウィリアムが現世のアメリカの出身だと知らされていないからだ。

  

「では道すがら、兵士の方々に教わるのも楽しそうですね!良い息抜きになりますわよ」

  

「そりゃ名案だな」

 

「お任せ下さい。乗馬は士官学校でみっちり身体に叩き込まれておりますので!」

  

 チェザリスが胸を張る。ウィリアムはまるで興味が無かったが、これはいよいよベレニーチェの提案が冗談では済まなくなりそうだ。

  

「うおっほん!雑談もよかろうが、次はわしから紹介をしたいのだが?」

  

「お、おう。すまんな、待たせて」

  

 次は大司教にバトンタッチだ。

  

「こちら、わしの古くからの友人じゃ。錬金術師として長く活躍しておる」

  

「ピエトロ・ムッソリーニです。此度は急なお話でしたが、旧友の頼みです。喜んで皆様のお力になりましょう」

  

 穏やかな老人、という印象だ。

 フード付きの紫色のローブを全身にまとっており、所々に金色で見事な鷹の刺繍が施してある。それはウィリアムに豪華なチャイナドレスを連想させた。

 ムッソリーニといえば現世では大戦時にイタリアをファシズムの道へと導いた独裁者『ベニート・アミルカレ・アンドレア・ムッソリーニ』のイメージが強いが、案外イタリア国内ではありふれている姓のようだ。

  

「俺は錬金術師という職業をよく知らない。具体的にはどんな術が使えるんだ?」

  

「鉱石から金属を作る事が出来ます。たとえば鉄鉱石からは鉄を」

  

 さすがにおとぎ話のように砂から金を作ることは出来ないらしい。しかし一人で金属の精製が出来るのならば、かなりの活躍が期待できる。

  

「それはすごいな。金や銀、その他の金属も可能なのか?」

  

「もちろん。材料さえあれば」

  

「ウィリアムよ。鉄鉱石などそこら中に転がっておる。その都度供給していけば、鉄や銅が足りないという心配はいらんぞ」

  

 大司教がそう付け加えた。

 

「そんなに?なぜ手つかずなんだ?金属はどこの国だろうと必需品のはずだ」

  

「大抵は鉱山から大量に採掘するからの。道端の石ころを拾い集めるよりも効率的じゃ」

  

 確かに大量生産を考えたらそうなるのだろうが、ウィリアム達の技術研究開発にはそんな量は必要ない。現世と比べて物資がありふれているのはよく理解できた。

  

「ま、確かに自走砲や爆撃機を作るわけじゃないがな」

  

「自走砲?爆撃機?」

  

 意味不明な言葉に、大司教がオウム返し。皆もぽかんとする。

  

「気にするな。こっちの話だ。普段、鉱山から切り出した鉱石もすべて錬金術師が?」

  

「いいえ。そこまで手は回りませんので、専門の職人達が」

  

 ピエトロがそう答えた。錬金術師は希少な人材らしい。

 

「刀匠はいるらしいな」

  

「我々は精製のみ。それを鍛え上げるのはまさに職人芸と言えますね」

  

「ということは……大司教?」

  

 ピエトロから大司教に向き直る。

  

「いや、それは無理じゃ。ムッソリーニが作り上げた金属をお主等が加工せねばならん」

  

 鍛冶屋の類を同行させるのかという問いに、大司教は否定を示した。

  

「少量ならばベレニーチェの魔術でどうにかしろって事か。しかしなぜだ?」

  

「馬車の中に製鉄所でも作れと言うつもりか?」

  

 苦笑混じりの回答が返ってくる。

  

「炉は重いし、燃料となる木材も調達する労力が必要となろう。研究開発の段階では無用じゃと思うが……」

  

「許してくれ。錬金術師の精製した金属も、魔術師が物質を加工できる限界も分からなくてな」

  

「案ずるな。大がかりなものでない限り、なんとかなるはずじゃ」

 

 大司教がウィリアムの肩を優しく叩く。異世界から飛ばされ、ウィリアムが置かれている状況を最も正しく理解しているのはおそらく彼で間違いないだろう。

  

……

  

 ここで将軍が退出を申し出た。

  

「すまんな。騎士団の佐官会議がある。こいつらは置いていく。詳細は後ほど聞かせてもらうとしよう」

  

「そうか。ありがとう、将軍」

  

「中将閣下に敬礼!」

  

 皆がお辞儀したり手を振ったりする一方、ガットネーロ隊は軍人らしく敬礼して司令官を見送った。

  

 ちなみに佐官とは『佐位』を持つ上級将校の事である。  

 イタリア王国騎士団の階級序列は兵士として下から、二等兵、一等兵、上等兵。次に下士官としてステップアップすると伍長、軍曹、曹長、先任曹長、上級曹長、最上級曹長。さらにエリートとなる将校は一般兵からの昇進は不可能で、士官学校を卒業しておく必要があり、序列は下から准尉、少尉、中尉、大尉。

 そこから佐官クラスの少佐、中佐、大佐。最後に軍人としての最高位である将官クラス。准将、少将、中将、大将となる。現在は大将が存在しないので、王国騎士団の団長、及び最高司令官はタルティーニ中将となっている。

 

「あの……一応、私も自己紹介をさせていただいてもよろしいでしょうか」

  

 中年の女性が声を発した。服装は町民の一般的な麻のロングスカートとボタンシャツに着替えている。

  

「そうだな。頼むよ」

  

「ありがとうございます、バレンティノ様。……私、ローマ城下のバレンティノ様宅の隣人でございます。アーシアと申します。先日の魔族の攻撃からバレンティノ様に命を救っていただき、何かお役にたてないかと考えていたのです。この度のイギリス遠征の際は雑用係として同行し、皆様の食事や身仕度のお世話をさせていただく事になりました。何なりとお申し付け下さいませ」

  

 深々と頭を下げる。彼女のおかげでかなり快適な旅になるだろうとウィリアムは確信した。

 もちろん御者の腕と馬車の造りが最も重要ではあるが。

 

「俺の方からも少し話しておこう」

  

 ウィリアムが皆の視線を集めた。今回の中心人物なのだから当然だ。イギリス遠征に参加するものは全員、彼の指示に従うことになる。

  

「大きな目的は、イギリス国内で魔族の情報を得ることにある。言語の問題は心配ない。俺の出身はアメリカであり、公用語は英語だったからだ」

  

 理解不能な発言に、それぞれが驚いている。しかし質問は飛ばず、とりあえずはそういうことにしておこうとの総意が感じられた。今はウィリアムの生い立ちをどうこう言う場ではない。

  

「イギリスは合衆国だと聞いているが、国王がいるのか?」

  

「四つの州を有するが、国の長はバッキンガム宮殿におられるイギリス国王じゃよ」

  

 大司教が応えた。呼び名が違うだけで、王制国家だと見て良いようだ。

 

「国王……女性か?」

  

「ふむ?いや、男性じゃが。何か思い当たる節があるのか」

  

 女王ではない。となるとやはり現世との類似点は地名と言語くらいなものだ。

  

「俺の住んでいた世界では、イギリスは女王を頂いていたからな」

  

「ふぅむ……やはりお主のいたアメリカは、この世界とはまた別の……」

  

「いや、よそう。俺やアンタが完全に理解できてない内は、ここにいる誰もが分かりゃしないさ。ところで、馬車はこれから作るのか?」

  

 不毛とはいわないが、周りの為に話題を変える。おいてけぼりでは誰もがつまらないだろう。

  

「そうじゃ。その件も皆からの意見が聞きたい。ベースはコーチにしようと思うのじゃが」

  

 馬車にはバギー、カブリオレ、クーペなどの小型から、キャラバン、ワゴンなどの大型馬車まで様々な種類があり、それらは現在も自動車の車種名として残っている。

 ちなみに大司教が言ったコーチとは馬四頭立ての最大級の大型馬車であり、高級ブランド『コーチ』のロゴにもあしらわれている。

 

「悪くない。むしろどれほど小型の馬車だろうと、今のベレニーチェのデスクよりは広いだろうな」

  

 意地悪くにやけながらベレニーチェを見やる。

  

「もう!バレンティノ様!先日、整理整頓いたしましたのに!まるで私が片付けも出来ない子供みたいではないですか!」

  

「そう言ってるんだが……」

  

 驚いた。本人は片付けが出来ているつもりらしい。

 彼女のデスクの様子を知っている大司教やアーシアが笑いをこらえていた。

  

「まあ!失礼ですわ!私は立派な大人です!」

  

「そうだな。しかし、くれぐれも幌を焼いたりしないでくれよ?火事で寝床が無くなってはアーシアが気の毒だ」

  

 この冗談にはたまらずアーシアが吹き出してしまった。すぐに「し、失礼いたしました!」と言いながらペコペコと何度も頭を下げている。

 

「ともかくじゃ」

  

 大司教がおふざけになりつつあるこの場を制した。

  

「イタリア王国の使者ウィリアム・バレンティノ以下、王国研究室長ベレニーチェ・シレア、錬金術師ピエトロ・ムッソリーニ、護衛部隊ガットネーロ隊として分隊長チェザリス少尉、カンナバーロ伍長、アマティ上等兵、下女のアーシア、そして未定じゃが御者を一人。……以上八名での編成となるが、異存はあるかの?」

  

「また質問が一つある」

  

 ウィリアムが挙手した。

  

「なんじゃ」

  

「一時的にでも構わないが、俺にイタリア国民としての証明がほしい。出来るか?何か問題があったら厄介だ」

  

「無論じゃ。陛下に証明書を発行していただこう。お主はイタリア王国の代表として責務を果たすが良い」

  

「そうさせてもらうよ」

 

……

  

 一同がバラバラと解散していく。再び全員が顔を合わせるのは、馬車が完成していよいよ出発するという日だ。

 聖堂にはウィリアム、大司教、錬金術師のピエトロだけが残っている。

  

「バレンティノ殿……でよろしかったですかな」

  

「あぁ」

  

「道中、アメリカとやらの話に食らいつく自分の姿が手に取るように思い描けますな」

  

「覚悟しておくよ」

  

 ウィリアムはピエトロに苦笑いでそう返した。

  

「旧知の親友だ。つもる話もあるんだろう?俺は家に帰るよ」

  

 ピエトロが残った理由を見抜いてそう発する。

  

「そうじゃな。たまには年寄り同士、話に花を咲かせるとするか」

  

 大司教が微笑んで応えた。

  

「それじゃ、おやすみ」

  

 二人に別れを告げ、ウィリアムは聖堂をあとにした。

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