♭3
「閣下。お時間です」
「おう」
ロサンゼルス城。
トニーが座る大きな玉座の前に、リザードマンのミッキーが跪いて報告した。トニーの右手には巨漢のフランコが手を後ろに組んで起立している。
広い玉座の間に、たった三人だけ。他のファミリーの人間らは、城の中の空いている部屋をあてがってくつろがせている。
「いよいよニューヨーク行きか」
「閣下。私なぞに護衛を任せていただき、嬉しく思います」
トニーから授かった腕章代わりのポケットチーフを誇らしげに指でなぞるミッキー。魔族にとって六魔将の護衛とは、かなりの大任なのだろう。
……
大魔定例幹部会に出席する各幹部には、二人の護衛をつける事が許されているらしい。それでトニーはフランコとミッキーを指名したわけである。
ミッキーが珍しく、鉄製の杖を取り出した。空間転移の為だろうが、先日の襲撃の際には触媒無しで詠唱できていたはず。トニーとフランコが見ていると、ミッキーがそれを察した。
「あぁ、この杖ですか?もちろん無くとも構わないのですが、定例幹部会の召集ですから。少しでも座標がズレて閣下に恥をかかせるわけにもいきますまい」
「杖を使えば魔術の精度があがるのか?」
「いえ。私の魔力など、たかがしれております。気休め程度ですよ」
忠誠を誓った主君に気をつかってくれたらしい。ミッキー自身も緊張しているのだろう。
……
「……空間転移!」
バリバリバリ……!
いつものように、空間に亀裂が走って大きな穴が空いた。
「閣下、フランコ殿、どうぞ中にお入りください」
亀裂が閉じ、視力と聴力が奪われた「無の世界」。
それもすぐに終わり、目の前におどろおどろしい建物が現れた。
「閣下。無事に到着いたしました」
ミッキーが言う。
「こりゃ、なかなかの迫力だな」
闇空は曇天。星一つ光らない代わりに無数の雷光が走り回っている。
ニューヨーク城は、現世で言うなればスペインのバルセロナにあるサグラダファミリア聖堂に似た、円錐形の細長く突出した五つの塔からなる造りをしていた。飛竜と呼ばれるドラゴンが数体、上空を飛び回りながら轟々と吠える。
「私も初めて見ましたが、さすが我ら魔族の頂点に立っておられるお方の城ですね」
「ふん、大魔王の名は伊達じゃねーか。上等だよ」
トニーはスーツの埃をパンパンと両手ではたき、ギャングスタハットを斜めにずらした。
正門前。城壁で囲まれているわけではなく、直接城の扉である。
「待たれよ」
ガチャガチャ!
やはり重装備の衛兵が二人おり、双方の長槍が扉の前でクロスして行く手を阻む。鬼か龍をモチーフにしたのか、二本の角が突き出した兜、鎧や具足にも鋭いトゲが無数にあしらわれている。
「あ?通せよ」
「何用だ」
衛兵の槍は動かない。
「ロサンゼルス城主、トニー・バレンティノだ。大魔定例幹部会に出席する為に来た」
「トニー……?そんな奴は知らん。斬られる前に去れ」
城主が代わったという情報が遅れているのか、衛兵らはトニーの事を知らなかった。
「どうなってる、ミッキー?」
「これは困りました。お許し下さい、閣下。そのくらい伝わっていないはずがないと、気にもとめておりませんでした」
申し訳なさそうにミッキーがうつむく。
……
ズズ……ズ……
バリバリバリ……!
空間転移の音がする。
ズゥン……
将と兵二人。三体の魔族が姿を見せた。
「……よう、ヘルじゃねーか!」
「トニー、来たか」
ちょうど良かった、と死神ヘルに声をかける。
彼は相変わらずボロボロのローブと大鎌という出で立ちだ。護衛は長剣と盾を持った骸骨兵である。
「して、何をしておるのだ?」
「そこの衛兵が俺を知らねーとか言いやがってよ。入れねーんだ。殺して入ってもいいのか?」
トニーの過激な発言に、衛兵達が一瞬びくりとした。ヘルと対等に喋っている事で、すべてを悟ったようだ。
「ふふ、それもよかろうな」
カタカタと骨を鳴らして笑う。
「へ……ヘル様。どうぞお通り下さい。その男は……?」
槍を引いて恐る恐るたずねてきた。
「彼の名はトニー・バレンティノ。なかなか面白い男ぞ。貴様らの好きにしたら良いではないか、ははははは!」
笑いながらヘルが堂々と城に入っていく。
「あ、おい!てめー、ヘル!助け舟くらい出せ!ぶっ殺すぞ!」
振り返りもせずに左手を振りながらヘルは消えていった。
……
「親父、骨野郎もなかなか粋なことをやりやがる」
フランコはニヤけ面だ。
「まったくだぜ。で、ミッキー。コイツら殺したら入れるシステムって事でイイのか?」
「ううむ……閣下にお任せいたします」
「……だそうだが。お前ら、いっちょ死んどくか?」
トニーが銃を構えると、フランコも銃を取り出し、ミッキーは腰の剣を抜いた。
「くっ……しばし待たれよ!確認して……」
ズドン!ズドン!
問答無用。トニーの銃はすでに火を噴いていた。
ガシャァン!
一人の衛兵が崩れ落ちる。
「なっ……!?何だ!?」
もう一人が慌てふためく。
銃弾は的確に兜と鎧の間、鎖帷子が見えているわずかなスペースを撃ち抜いていた。即死である。
「何が確認だ。客を待たせるとは、てめーのボスはどういった教育してやがる。通るぞ。いいな」
「……くっ。本当に、ロサンゼルス城主なのですな」
「俺に二回同じ事を言えと?」
トニーがイライラと放つ。だが、すでに銃はしまってある。
「おい、兵隊。親父は今機嫌がイイ。殺されなくて良かったな。そこに跪いとけ」
フランコが衛兵の肩をポンと叩いた。トニーは扉の中へ進む。
完全に意気消沈した衛兵が片膝をつく。死んだ兵士の死体は塵となって消え、防具と槍だけが転がっていた。
……
建物の中は、大きな吹き抜けの空間になっていた。
大魔王の居城というだけあって、悪魔や龍の石像が壁際にずらりと並んでいる。巨大なシャンデリア型の燭台が吊されており、火は灯っているはずなのだが、室内はなぜか薄暗い。
「誰もいやしねー。王座はどこだ」
「閣下、この先だと思われます」
エントランスホールしか存在しない一階部分の中央。黒い絨毯が敷かれた階段が、螺旋状に上へと続いていた。
「あー、親父。二階に部屋が一つだけ見えますね。あれ以外ないでしょう」
天井まで吹き抜けなので、フランコの言うとおり、二階の部屋は丸見えだった。
螺旋階段の頂上にログハウスが付いている、といえば分かりやすいだろう。小部屋というには大きいので、一軒家が丸々空中に浮いているような光景だ。
「エレベーターも無しにあんなところまで上らせる気かよ。ヘルの野郎、さっさと行っちまいやがったのか?」
二階とはいえ、巨大な塔の上部である。人の足で歩くならば五分以上かかりそうなものだが、螺旋階段にヘルの姿はないので、すでに上階に到着しているはずだ。
「どうなさいましたかな」
「!?」
飛び退くトニーら三人。誰もいないはずの場所から男の声がしたのだ。
「こちらですこちらです」
よく見ると、黒くて小さなコウモリが一匹。パタパタと飛び回っている。
「貴様……使い魔か」
ミッキーがそう言うと、コウモリは床に着地して深々とお辞儀をした。
「使い魔?」
「高位の魔族が飼っている下僕の事です、閣下。魔術によって屈服させ、会話や簡単な使い走りが出来ます。カラスや猫、蜘蛛などが人気だとか」
「ほう、おもしれー。便利なペットってわけだな。お前は誰の使い魔だ」
コウモリに問う。
「大魔王、アデル・グラウンド十一世様の使い魔にござります。私共使い魔には名はありませんが、今後ともごひいきに」
やはりそうか、とミッキーがうなる。大魔王の城なのだ。他者の使い魔がうろついているはずもなかろう。
「見たところ、お客様でございますね?撤退の警笛が呼び鈴代わりとなっておりますが、ご存知ありませんでしたか」
「全員一見だからな。あの部屋に行けばいいのか?」
ミッキーも先代のクルーズの時代にニューヨークに来たわけではないので、何も知らない。
「左様でございます。しかし歩いて行かれても、あそこに見える玉座の間へは永久にたどり着けません。結界で守られておりますので、御身が朽ち果てるまで上り続ける事になってしまいます」
「結界……魔術か?そういう事はさっさと教えろ、バカ野郎が」
かなり厳重なようだ。誰もが簡単に大魔王と謁見できるわけではない。
「申し訳ございません。恐縮ですが、お名前を頂戴できますか。大魔王様にお伺いをたて、認証されれば指示がくる手筈でございますので」
「めんどくせーなぁ。そのくらいそっちには分かってるだろうによ。ロサンゼルス城主のトニー・バレンティノだ。大魔定例幹部会に参加させてもらうつもりでな。大魔王陛下に取り次いでもらいたい。……分かったな?スリーサイズまで申告しろってんじゃねーだろうな」
「……ロサンゼルス城主!?六魔将の方でしたか!あなたがクルーズ様を一撃で倒したと噂に名高い、トニー・バレンティノ様だったとは!この度は外にいる門番共々、大変失礼いたしました!」
衛兵とは違い、使い魔は名前さえ出せばすべてを分かってくれたようだ。
「すぐに大魔王様に……ぐっ!?」
「あー?」
コウモリが突然固まる。
そして次の瞬間には、腹の底から響くようなおぞましい声に変わってこう言った。
「……貴様がバレンティノか」
ミッキーはもちろんだが、トニーやフランコにも状況が理解できる。使い魔の身体を介して話しかけてきたのが大魔王本人であると。
「そうだ。お前は……何て呼べば良い?大魔王様か?はっ!虫酸が走るような気色悪い声だな、おい?」
「か、閣下!相手は大魔王陛下ですぞ!」
ミッキーがトニーの無礼な態度に慌てている。フランコはニヤニヤと笑い、内ポケットに隠し持っていたウィスキーをあおった。
「ひっく……あきらめろ、ミッキー。親父はこういうお人だよ」
「しかし……!」
……
「ふはははは!命知らずか、ただの阿呆か。ヘルが言うとおり、面白い男ではあるな」
大魔王の口調からは怒りが感じられない。生意気な小僧が来たものだ、と楽しんでいるようにも聞こえる。確かに、トニー・バレンティノには他の追随を許さないカリスマじみた魅力があった。
「前置きが長いぞ、アデル。どうでもいいから早く俺達をそのしみったれた部屋に入れろ」
「閣下!」
のっけから大魔王を呼び捨てる我が君主。すでにミッキーは生きた心地がしないだろう。
「そう急くな、小童。六魔将の交代は久々だ。つまらぬ者ならば今すぐこの場で処分するつもりだ」
「自分は面も見せねーで、ペットの背後から高みの見物か?もしつまらねーなんて理由で処分されるんなら、間違いなくお前が俺より先だろうが。グズグズ言ってねーで早くしろ。ノロマな大将を担いでやるほど俺は甘くねーぞ」
物怖じ一つせずにコテンパンに大魔王を煽っていく。
「ふふ……ふははは!!その言葉、しかと受け取ったぞ!我が名はアデル・グラウンド十一世。すべてを討ち滅ぼす者なり。新たな同志よ、よくぞ参った」
……カッ!
薄暗いはずの城内。目の前が眩しいくらいの閃光でつつまれる。
バリバリバリ……!
続いて、最近よく耳にする音。
「……これは、空間転移!?バカな!術者がその場におらずして!?遠隔操作で発動するなんて、聞いた事がない!」
閃光のせいで周りは全く見えないが、ミッキーがそう叫んでいるのは分かった。
……
「いつまでそうやって突っ立っておるのだ」
言われてハッとする。
「おぉ……ついたか」
三人は、すでに先ほどまでとは別の場所に立っていた。彼らに声をかけたのはヘルである。
不思議な空間だ。確かに足は地面をとらえているのに、目では床も壁も存在していないように見える。
まるで宇宙空間にいるかのように、上下左右に延々と闇が広がっている。透明なガラス板の上を歩く感覚で歩を進める。全部で十八の鉄製の座席が半円形に並べられており、背景に溶け込んでしまいそうな漆黒の玉座の方を向いていた。
明かりは無い。しかし、はっきりとそこにいるすべての人物の顔が分かる。悪魔、死神、巨人、竜人、獣人……おとぎ話や映画に出てくるような生き物が着席していた。
「あれがクルーズ閣下を倒したとかいう……」
「いくら六魔将様々とはいえ新入りが最後とは、呑気なものだ……」
そんな声がひそやかに聞こえてくる。
「ヘル、俺が最後だって?」
「そうだ。陛下を除けばな」
トニーは葉巻に火をつけ、脚を組んで腰を下ろす。二人の護衛はその後ろに立った。
「確かに玉座は空席だな。さっき話したんだが」
「じきにお見えになる」
「幹部は十八人いるのか。俺達六魔将だけだと思ってたぞ」
「武官最高位である六魔将の他、魔術の権威として三魔女が三人、大僧正、参謀長、ニューヨーク城の陛下直属の正規軍兵団長、その副長。そして五人の陛下のご子息。それで十八人だ」
ヘルが丁寧に説明してくれる。他の幹部も、大声を張るものこそいないが、皆それぞれで会話している。
「そういえば、先ほど大きな音が城門から聞こえたが?」
「なんだ、聞いてたのかよ。衛兵がバカだからよ」
「なにをした」
ヘルの白骨化した不気味な顔がトニーを見やる。
「殺した」
「く……!はははは!はーっはっは!やりおったか!」
ヘルが大口を開けて笑い出すものだから、皆の注目が二人に集まる。
「ヘル様が笑っておられる……!」
「よほど仲が良いのか……?しかし聞いたか、あやつ、門番の兵士を殺したと言ったぞ」
「なに!?魔王正規軍になんたる仕打ちを!」
ニューヨーク城の兵団長か副長なのだろう。憤り、剣を抜いてズンズンとトニーの席へ歩いてくる者がいた。
トニーが殺した兵士と同じデザインの鎧を身にまとっているが、背中に青いマントがついているのが違いとして目立つ。兜は脱いでいるので、顔はハッキリと分かる。金色の鬣、獅子の顔を持つ獣人だ。
「誰だ、てめー。ライオンキングの熱狂的ファンか?」
「魔王正規軍兵団長、エイブラハムである!たとえ六魔将であろうが、ワシの兵士を手にかけた狼藉、見過ごしてはおれん!すぐさまこの場で謝罪を求める!拒否するならば、斬り捨てる!」
肩が激しく上下し、息が荒い。これにはさすがにミッキーとフランコがトニーの前に出た。
「団長。剣をお納め下さい。閣下に傷を負わせる事は許しません」
「ライオン……さっさと失せろ」
一気に室内に緊張が走る。トニーはエイブラハムを挑発するかのように、席に座ったまま葉巻の煙を大きく彼の顔に吐きかけた。
「……く!貴様ぁぁ!」
ガキン!
怒りが爆発したエイブラハムが振り下ろした剣を、ミッキーの剣が受ける。その切っ先は、トニーの頭すれすれである。少しでも部下の防御が遅れていれば即死だった。
「剣を、お納め下さい……!」
ガチガチと刀身がぶつかり合う音がする。さすがに強い。ミッキーは両手で受けているが、エイブラハムは片手である。
「むんっ!」
剣を一度振り上げ、さらに攻撃を加えようとしてきた。しかし、ピタリと止まる。
「エイブラハムさーん。もうイイじゃないっすかぁ。みんなが見てる前で顔真っ赤にしちゃってダサいっすよー」
間が抜けたゆるい声。甲冑を着た獣人がもう一人。いつの間にかトニーらとエイブラハムの前に立っていた。
「ほら、この新入りの将軍様なんて、落ち着いたものじゃないっすかー?さすが六魔将だなぁー」
「なんだ、コイツは?」
トニーが新しい獣人をまじまじと見る。
服装はエイブラハムと全く同じで、ニューヨーク城の兵士の鎧。そして青いマント。だが、顔は獅子ではなく、銀色の体毛で覆われた狼であった。
「ふん!邪魔をしおって!オースティン!」
きびすを返し、エイブラハムがズカズカと自分の席へ戻っていった。
「白銀のワーウルフ……オースティン副長、ですか?」
「おやぁ?護衛のリザードマン君は優秀だなぁ。僕の事をご存知とは!ははは!」
……
ニューヨーク城、魔王正規軍副長。オースティン。ガバッと口を開けて笑うと、鋭い牙がその姿を見せた。
「エイブラハム団長とオースティン副長は、国中に名を轟かす勇将ですから」
「そりゃどーも。……しかし、すいませんねぇ、閣下?ウチの団長、すぐ怒るんですよー。もう少し大人になって欲しいなぁ」
トニーに向けて、オースティンがぺこりと頭を下げる。
「調子の狂う奴だな。ま、お堅い連中の集まりだと思ってたからよ。てめーみたいな奴がいた方がおもしれー」
「ありゃあ!こりゃ、団長にも見習って欲しいくらい大らかなお方だ!聞きましたか、団長ー!」
遠くから「やかましいわい!」とエイブラハムの声が返ってくる。
「トニー・バレンティノだ」
「オースティンです。よろしくお願いしますね、バレンティノ閣下。……えーと、ウチの門兵を殺しちゃったんですってね?一応、細々した報告書を提出するっていう、かったるい仕事があるんで、理由だけ訊いてもイイっすかね?雑務は全部副長に押しつけてくるんですよ、あの獅子野郎ー」
「てめーらの手違いでロサンゼルスの城主交代の連絡が届いてなかったんじゃねーのか?入城を拒否されたから殺して入ってきた。それだけだぜ」
「うっわぁ……案外乱暴者なんすかぁ……?」
なぜかオースティンが軽く引いているのが可笑しい。
「いきなり斬りかかるライオンもいるがな」
「えぇ!?後出しじゃんけんはズルいっすよー!そいつぁ僕が代わりに詫びますけど、兵士の補填も楽じゃないんすよ?頼みますよ、閣下ぁ」
「あー!うるせーな!分かったよ!悪かった!許してくれ!」
オースティンの調子に乗せられ、トニーが謝罪する。
「……おっ!?これはこれは!団長!聞きましたかー!バレンティノ閣下が謝罪してくれましたよー!」
また遠くから「やかましいわい!」と飛んでくる。
「ま……あんまり調子に乗らないで下さいね。殺しちゃいますよ?」
「あ?」
内容が急変した台詞にトニーが返事をした時には、オースティンはすでに席へ戻っていた。
……
「食えねー犬っころですね、親父」
「慣れ合ってきたと思ったら手の平返しやがったな。なつかねー犬は蹴飛ばすまでだ」
吸い終えた葉巻を指で弾いた。
「人気者だな」
隣からヘルがぼそりと言う。
「迷惑なパパラッチに悩まされるスーパースターの気分が分かるか?」
「お前は時々理解不能な言葉を使うな。本当に面白い男だ」
理由は分からないが、彼は他の幹部たちとは違い、初めからトニーに友好的だ。トニーもそんなヘルには一目置いていた。
「ヘル。大魔王は?」
「じきにおいでになる」
「そればっかだな……」
トニーが到着しておよそ十分程度。玉座は未だ空席だ。
「退屈なら、他の六魔将の名くらい教えてやろう」
トニーの心境を察したのか、ヘルがそんなことを言い出した。しかし、トニーはヘルの顔を見て一言。
「興味ねー」
「ふっ……はははは!貴様はどこまでも愉快だな!……ん?」
ズゥ……バリバリバリ!
玉座の真上の空間に亀裂が走る。
「やっと来たみたいだな?クソでもしてて遅れたんなら許さねーぞ」
バリバリバリ……!
玉座に人影が現れた。
トニーの二倍はあろうかという長身である。もっとも、列席者の中にある巨人族の体躯はさらに大きいが。
「……よく集まった、同志よ。大義である」
間違いない。先ほどコウモリから聞いたおぞましい声と一致する。
大魔王、アデル・グラウンド十一世は、二本の角と羽根を持つ、真紅の巨大なデーモンだった。顔は山羊とも取れるが、牙が口から飛び出している。身体は筋肉隆々で、腰みののような麻製の原始的なパンツだけを着ている。鬼神、と呼べば誰もがしっくりくる容姿だ。
「大魔王陛下万歳!」
誰かが叫ぶ。
「万歳!」
「万歳!」
会場のボルテージは人気歌手のライブのオープニング並みに最高潮だ。
立ち上がったままだったアデルが玉座に腰を下ろす。それでも大柄なトニーの身長よりいくらか大きい。
「万歳!」
「万歳!」
まだ歓声が鳴り止まない。各幹部たちの中で、叫んでいる者は少ない。だが、その護衛らが声を上げている様子だ。よく見ると、トニーの後ろに立つリザードマンのミッキーも唱和している。
「おい、ミッキー。うるせーぞ!」
「はっ……!申し訳ありません、閣下。なにやら叫ばねばならぬ衝動にかられて……」
トニーの声にびくついて我に返った。操られでもしていたというのか。
「下等な生物は陛下のオーラの強さに当てられて、あの方の前では思考など働かんに等しい。我が護衛兵を見てみよ。騒がしくてかなわん」
ヘルが言う。彼の骸骨兵士の様子は説明するまでもない。
「……しかし、貴様のもう一人の護衛。何者だ」
フランコはというと、気をつけの姿勢は保っているが、未だにウィスキーをあおり続け、いつの間にかタバコまでくわえている。
「ひっく。親父、死神なんかに興味なんざ持たれたくねーんですが」
「だろうな」
苦笑いで返す。縁起が悪いにも程がある、と。
「ヘル。このフランコは俺と長い間、同じ時を過ごしてきた家族だ。てめーのとこのカルシウム君達と一緒にすんじゃねーよ」
「ほう。家族か。容姿も似ているし、それならば頷けるな」
「はぁ?どこが似てんだよ。目玉つけて出直してこい、骨が」
トニーらが魔族の顔を同一視してしまうのとそう違わないだろう。魔族からすれば、人間の顔などすべて同じだ。
……
「皆の者。静粛に」
アデルが重々しくそう言うと、一斉に声と拍手がやんだ。
ミッキーと同じように呪縛じみた感覚から解き放たれてハッとする者もいれば、その場で卒倒してしまう護衛兵もいた。
「欠席者はおらぬな。では此度の大魔定例幹部会の開催をここに宣言する」
その言葉を皮切りに、各幹部が順番に起立して活動報告を行う。
まず、三魔女と呼ばれる三人の魔術師が新たな術の開発に成功したと発表した。会場にはどよめきが起こるが、興味のないトニーは欠伸をもらす。
「ミッキー、あとで内容を簡略化して聞かせろ。俺は寝る」
「閣下。おそらく我々にも報告の順番が回ってきます。特に、城主が代わったので、陛下も注目されているのでは?」
「まったく……」
仕方なく目を開けておく。魔女達の話は、『死霊術による死者の炸裂』などという、トニーには小難しい話だ。
「死体を爆破するのか?なんだそりゃ」
「戦場で、敵味方構わずに死んだ者を後方支援の死霊術師が爆破させれば、一気に前衛を吹き飛ばせるな」
ヘルがカタカタと言う。
「そりゃ味方の兵隊もろともだろ。それに、仏さんを吹き飛ばすとは罰当たりな魔術だぜ」
「なるほど、貴様はそう考えるか」
魔族の死体は早くて数十秒、遅くとも数十分で消滅してしまう。これは死者が持つ魂の強靭の個体差に加え、この世への執念の強さも、死体が消滅するまでの時間に関わっているらしい。
魔族、つまりヘルの考えでは「どうせ消えてしまうものならば、死体さえも武器として再利用すべき」である。しかし人間、つまりトニーの考えでは「死体を吹き飛ばしたら、肉体が四散して酷い事になる」だ。先の仲間の死でも分かるように、横暴なトニー・バレンティノも、死者にだけは最大級の敬意を払っていた。魔族が死を軽んじるのは、死者が形として残らないから、という事も関係していると言えるだろう。
「文句でもあんのかよ、あぁ?」
「あるわけなかろう。死霊術は未だに賛否両論が割れる秘術なのだ。見てみろ、大僧正など顔を真っ赤にしておるわ!くはははは!」
ヘルが指差す先には、生身に赤い袈裟だけを着た坊主がいた。チベットあたりの僧侶のような質素な格好である。だが、その身体は人の三倍はあろうかという巨人だった。
「まったくけしからん……けしからんぞぉ……死霊術なぞ魂への冒涜じゃ……」
大僧正はぶつぶつとつぶやいているつもりなのだろうが、巨人の声帯はタフなようだ。周りには丸聞こえである。
「だっはははは!あのデカブツ、心の声が漏れてやがる!ヘル!アイツおもしれーじゃねぇか!」
「くくく……あまり騒いでは本人に聞こえるぞ」
「ぬぅ!?」
トニーが周りにお構いなしで笑い転げるせいで、やはり大僧正に反応があった。今や、起立している三魔女よりもトニーや大僧正へ向けられている視線の方が多い。
「もう!静かにしてよぉ!」
「私どもの報告の途中ですわよ!」
「おやおや、元気なのがいるねぇ」
三魔女達がバラバラに声を発する。
彼女らは人間でいえばそれぞれ五歳にも満たない幼女、十歳前後の少女、七十歳程度の老婆といった姿で、パーティードレスに似た煌びやかな装いだ。ほとんどの部分が人間と一致するが、先代ロサンゼルス城主、クルーズと同じく青い肌をしていた。やはり魔族であるのは間違いない。
「静粛に」
アデルの声色に苛立ちが含まれている。これはトニーがふざけていられるのも時間の問題である。
「チッ……少し黙っといてやるか」
トニーが新たな葉巻をくわえると、フランコが横から火をつけた。
「陛下ぁ!あの人達があたしの報告を邪魔するよぅ!」
小さな幼女が耳に響く金切り声をあげた。
三魔女が一人、幼女・カトレアは透き通るほど見事な美しい金髪を腰の辺りまで伸ばしている。ぶんぶんと右手に持つ杖を振り回してトニーらを非難しているが、アデルは取り合わない。
「続けよ」
「むぐぅ……!」
「カトレア。続けましょう。陛下が怒っちゃうわよ」
そう諭す少女の名はクリスティーナ。
セミロングの赤毛に淡い緑色のドレスを着ているのが印象的だが、魔術師であるはずの彼女の腰にはなぜかレイピア(細身の長剣)がぶら下がっている。
「ひっひっひっ」
不気味に笑う老婆・エリーゼ。
彼女は三魔女の中でも最高位であり、『大魔女』と呼ばれ、魔族や人間からも恐れられていた。
「もぅ!知らない!」
カトレアがムスッと頬を膨らませる。
「……ではわしが話そうかねぇ」
しわがれた声。先程から報告はカトレアだけに任せている形だったが、大魔女・エリーゼがそれを引き継いだ。
「死霊術による死者の再利用。今回開発したのは爆破だが、以前から死者を蘇生させる類の術は存在しておる。これは皆が分かっている事だ。それこそが死霊術の起源だからねぇ」
エリーゼが大僧正の方を向いた。落ち着いているので、特に敵意や対抗心があるからではなさそうだ。
「反対派も多いが、もしわしが戦場にて倒れたとなれば……死してなお、敵に一矢報いる事が出来たらこんなに嬉しい事はない」
そうだそうだ、と誰かが叫ぶ。
「使う、使わないは、また別の機会に話し合おうじゃないか。今回のわしらの報告で重要なのは、新たな死霊術が完成したということ。この場でその術の是非を言い争うつもりはないよ。いいね?」
場が嘘のように静まる。大魔王アデルの存在感も強大だが、このエリーゼも大魔女と称されるだけはある大物のようだ。
「しかし死霊術といえば、ロサンゼルス城主のクルーズ閣下だったねぇ。彼を凌ぐネクロマンサーは見た事がないよ。新しい城主様はどんな人物なのか、今日は楽しみにしてきたのさ。ひっひっひっ」
クルーズが死霊術を使っていた事は知らないが、ヘルが彼の事を死の魔術師と呼んでいた事が思い出される。
「ミッキー。クルーズは俺の部下達を一瞬にして燃やした。それが死霊術なのか?」
たまらずトニーがミッキーに訊いた。
「それは恐らく、死の灰と呼ばれる死霊術です。術者に急接近する生命体に対してのみ反応する、防御用の術だと聞きました。クルーズ閣下は死霊術の他にも呪術などの魔術を得意としておられたので、一概には言えませんが」
「術者に接近……確かにそんな状況だったな」
嫌な光景がよみがえる。
「……さて、報告は以上だよ。大魔王陛下、よろしいでしょうか?」
「結構だ。三魔女よ、座るが良い」
「ひっひっひっ」
頷いてエリーゼが座ると、カトレアとクリスティーナも席についた。
……
……
三魔女の後には、エイブラハムとオースティンによる正規軍の大陸侵攻の報告が行われた。アメリカから最も近い、アジア諸国とロシア帝国に兵を送り込んでいるようだ。これは突発的に行われる空間転移での侵入とは違い、敵の城や街を滅ぼし、大魔王の領土を増やす事を目的としている。
「……ってわけで、僕らの攻撃に人間共も必死の抵抗をしてきてるわけっすね。すでにいくつかの街は落としたんすけど、奴らにも強力な魔術師や屈強な戦士もいるわけで、しばらくは均衡が続きそうですよ」
「出来れば、増兵の為に皆さんの手を貸していただきたいですな。我々からの報告は以上です、陛下」
エイブラハムがそう締めた。
「承知した。正規軍の侵攻への手立てを考えておく。次は……先程から目立っておるようだが、皆の者に紹介せねばならぬ者がいる。新たな六魔将として参加している男だ」
アデルが話題を変え、いよいよトニーの事に触れた。
「閣下、ご起立を」
「おう」
トニーが立ち上がり、全員からの注目が集まった。
「この男の名はトニー・バレンティノ。先のロサンゼルス城主、クルーズを打ち倒し、新たな城主、及び六魔将に就任した。皆、新たな同志を歓迎するがよい」
パチパチとまばらな拍手が起こる。
「クルーズ閣下が倒れたというのは誠でしょうか、陛下!ワシには信じがたいのですが!」
エイブラハム団長が挙手して、唾を飛ばしながら発言する。すると、アデルの返答より早く、トニーの隣にいるヘルが手を挙げた。
「それなら我がこの目で確認済みである。クルーズはトニーの放った一撃に倒れ、すでに絶命しておった。間違いなく、この男は六魔将の座を得ている」
「ぐむぅ……承知した」
エイブラハムが下がる。
「我ら魔族、力のある者は歓迎しようぞ、エイブラハム。では、トニー・バレンティノからの報告を貰おう」
アデルが報告を求める。もちろん今のトニーには、自己紹介程度の事しか不可能ではあるが。
「トニー・バレンティノだ。色々あって、六魔将になっちまった。大した報告はねーが、よろしく頼む。質問があれば受け付けてやるぜ」
簡潔に話す。
「人間にしか見えぬが、何者だ?」
どこからか声が飛んでくる。
「なんだってイイだろうが?俺達はバレンティノ・ファミリーと名乗ってる。問題あるか?」
一応、堂々と『人間である』と発言するのは伏せておく。ファミリーを一括りにしておいた方が面倒な説明もいらず、話しやすい。
「クルーズをいかようにして倒した!」
また別の場所から質問が飛び出す。
「銃で倒した。俺達だけが使いこなせる特殊な武器だ」
マグナム銃を取り出して見せる。
「なんだ、あれは?」
「奇妙な道具だな……」
やはり誰も見たことがないらしい。
「死にたい奴がいれば、試しに撃ち込んでやるぞ!他に質問はあるか!」
一つ、手が挙がる。大魔王アデルだ。
「あ?なんだ、アデル?」
「貴様ぁ!」
「陛下に対して何たる態度だ!」
トニーの言葉に、全体が憤った。トニーとフランコだけは涼しい顔をしているが、ヘルでさえもこれには驚いている。
「小僧、その武器。どのようにして手に入れた?」
アデルが質問を発したので、ひとまず騒ぎが収まる。
「知り合いから買った。グリップのところに俺の名前が彫ってある特注品だぜ」
「……この世の物ではないな。もしや、貴様は……」
「大魔王が吐く台詞かよ?最もこの世にいちゃいけない存在だろうが」
フランコだけがクスリと笑い、再び周りが騒ぎ始める。
「よい。トニー・バレンティノ。この会が終了した後、しばしこの場に残れ。以上だ」
「居残りのご指名かよ……」
本人は落胆するが、皆は揃って驚愕していた。 新参者でありながら、大魔王が直々に用があると言ったのである。叱責するつもりがあれば今すぐに粛清されているはずなので、内密な用件であるのは誰もが理解出来た。
それから、六魔将が順に侵入や略奪、各都市の近況報告などを行う。
「次は、ヘル。貴様が報告を」
まずは、アデルに呼ばれたヘルの番だ。大鎌を椅子に立てかけて、起立した。
「はっ、陛下。仰せのままに」
右手を腹に、左手を腰に当て、深々と騎士のような礼をする。
「フィラデルフィア城主、ヘルである。城下では現在、超大型のカマキリが大量発生しており、領民や兵士が斬りつけられて死傷者が多数出ている」
「なんと、それは一大事ではないか!」
大僧正が大声を『漏らして』いる。
「いかにも。発見次第、精兵が駆除に当たっている。恐らくこのような異常現象を起こしているのは……かの大悪党、フレデリック・フランクリンであると考えられる」
その名が出たところで、周りの連中が唸る。
「なんと……」
「奴め、許してはおけんな」
どうやら魔族も人間と同じように王を中心としたコミュニティーを形成し、一般人と兵士の区別はあるらしい。中には大悪党などと呼ばれるはみ出し者もいるようだ。 見た目は違えど、どこの世界も似たように回っている。
「ふーん。そりゃ、どんな奴だ?いっちょ俺が出張ってやろうか」
トニーがヘルに向けて言う。これには各幹部も感嘆してくれた。
「ほぅ……それはありがたいな。どういう風の吹き回しだ、トニー」
「美味い酒をたんまり用意しとけよ。そいつで手打ちにしてやる」
「ははは!そうか、貴様は酒が好物か!悪くないな!」
実は、人間が作る酒は魔族にも人気があった。エイブラハムなど「これは、奴を見る目を変えねばならんな!」と手を叩いて喜んでいる。
「大悪党、フレデリック・フランクリン。別名、イリュージョニスト・フランクリン。奇術師よ」
「……奇術?また別の魔法かよ。色々あるもんだな」
「左様。錯覚を引き起こす『幻術』も同意だが、この者が操る術は非常に高等なものでな。奇術に分類される」
幻術の高位にあたるのが奇術という解釈で間違いなさそうだ。
「錯覚で死傷者が出るわけがねー、ってのがミソなんだろ」
「正解だ。そこが奇術師と幻術師の境目よ」
そこで一旦、ヘルがアデルに目線をやった。
「陛下」
「うむ?」
「実はこの場をお借りして、大悪党フレデリック・フランクリンの捜索、そして超大型カマキリの駆除の助力を誰かに請おうと思っておりました。その任、トニー・バレンティノに依頼しようと思うのですが、よろしいでしょうか」
本人が「やる」と言っているものを、わざわざ大魔王に伺い立てするのも変だが、幹部会の最上位であるアデルの顔を立てる為にそうしておく。
「構わん。その小童もまだまだ、知らぬ事が多々あろう。六魔将として、貴様の働きを見せてやるのも悪くない。必ずや、乗り越えてみせるが良い」
賢明である。寛大な慈悲は感じられないが、結果主義なのだろう。
「ありがたきお言葉。我が力及ばず、城下一つすら守れぬのを、責められるべきだと覚悟しておりました」
「その苦行に自ら名乗り出たトニーに賛辞を送ろうではないか。皆、精進せよ」
「ははっ!」
各幹部が襟を正す。
「報告は以上です」
「うむ、座るがよい」
ヘルがゆっくりと着席し、次の報告に移る。六魔将はあと四人。見るからに個性的な面々が集まっている。
「アルフレッド」
「はっ!」
ガチャガチャと音を鳴らしながら、白いテンガロンハットを被った男が起立した。
「ボストン城主、アルフレッドです!」
聞き取りやすいバリトン。
ボストン城主、アルフレッドは、背中に巨大な弓を担いだ痩せ型の男だった。腰に下げた矢筒の中の鉄矢が音を立てる原因かと思われたが、ブーツの踵に取りつけられた拍車が鳴ったようである。普段から馬によく乗るのだろう。
革製のベストにハット。拍車付きのブーツ。さながら西部劇に登場するカウボーイだが、残念ながら得物は銃ではなく大弓だ。
「ヘル。アイツ、あんなデタラメなデカさの弓、引けるのか?」
「アルフレッドはアメリカ大陸随一の弓使いだ。遥か彼方から敵の大将を一撃で射抜いた事もある」
「うげぇ……遠距離ミサイルの間違いだろ……」
かなりの筋力がなければ矢を射る事は出来ないように見えるが、アルフレッドは巨人でも筋肉質でもない。武器か、彼自身に何かしらの魔力が宿っていると考えるしかなさそうだ。
「ボストン城下では明日、毎年恒例となった行事である飛竜レースの決勝戦が行われます!皆様、是非ともボストンにお越しください!もちろん、私も愛竜のジルコニアと出場いたします!」
……
「竜……?馬じゃねーのかよ」
「閣下。馬に乗る者など、魔族では数えるほどしかおりません」
なんと、ブーツの拍車は馬ではなく、竜の腹を蹴るための物だった。
「前年に引き続き、笑いあり、涙あり、殺しありのデスレースとなっておりますので、皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております!なお、会場内では飛竜や騎乗者の攻撃による負傷や死亡に対する責任は一切負いませんので御了承下さい!」
何やら物騒な催しのようだが、迫力満点なのは間違いない。
「興味があるのか、トニー」
「いんや」
ヘルが問いかけてくる。
「フレデリック・フランクリンの話なら気にするな。我も今日明日から貴様に手を貸せとは言うておらぬ。遠慮せずとも、一緒にどうだ。チケットなら我が買っておいてやる。確か、人の首が二つと等価だ」
なるほど。通貨を持たない魔族は、物々交換をする事を「買う」や「売る」などと言うらしい。
「首と交換?気色わりーな。しかし、やけに乗り気じゃねーか。そんなに面白いのか?」
わざわざ誘ってくるくらいだ。ヘルもレースのファンなのかもしれない。
「一興ぞ。決勝戦ともなると、猛者が集まってきておる。去年は行けず終いでな。ちょうど、行こうと思っておったのだ」
「ま、珍しいもんを見ておくのも悪くないか。ロサンゼルスまで迎えに来いよ。俺は魔術が使えねーからな」
「構わんが。なんと、魔力を持たぬと?魔族であれば、そんなはずはなかろう。我では分からぬが、大魔女か陛下に見てもらうと良い。上手く力を引き出せない者が時折いるが、魔力解放をしてもらうのだ」
また新しい言葉が飛び出す。だが、言葉の意味はそのままなので、それを考える必要はなさそうだ。
「マジか!?その魔力解放をすれば、魔法を使えるようになるのか!魔力が俺にもあるのか!?」
あまりの興奮に立ち上がり、ヘルの胸ぐらを掴んで前後に揺らすトニー。自らが魔法が使えるようにならないか、以前もミッキーに尋ねていたくらいなので、かなり興味深い話なのだ。
「トニー……急にどうした。手を放すのだ」
「おいおい!もったいぶんなよ、ヘル!」
ここで、レースの宣伝を続けていたアルフレッドが大きな咳払いをした。
「うぉっほん!バレンティノ殿、飛竜レースに何か文句でもあるんですかね!やかましいですよ!」
「げっ!あー……すまん、邪魔しちまったな。明日は楽しみにしてるからよ。続けてくれ」
恥をかいて着席する。
「おっ!バレンティノ殿!明日、ボストンにお越しいただけるのならば、ご招待いたしますよ!私からの六魔将就任祝いだと思って下さい!」
アルフレッドが機嫌を持ち直して、気さくに申し出た。
ヘルの奢りで行くつもりだったので、トニーの個人的な負担が軽くなるわけでもないが、ここは受けておくことにする。
「特等席だろうな?ヘルと一緒に行くからよ。テーブルにシャンパンも頼むぜ」
「これは贅沢な!出来る限りの手は尽くしましょう!」
にこやかにそう返してくれる。
「では、以上でボストンからの報告は終わりです!飛竜レースの宣伝だけで大変恐縮です!陛下、何かございますでしょうか?」
こうやって報告の最後に大魔王に振るのは、暗黙のルールに近い。
「構わぬ。下がってよいぞ。確約は出来ぬが、明日は余も赴こうかと思っていたところだ」
口ぶりからして、アデルはあまり顔を見せないらしい。例によって、各々がざわついている。
「なんと!陛下がお越しになるとあらば、選手達の志気も上がる事でしょう!では皆様、長々と失礼いたしました!」
アルフレッドが着席した。
「ミッキー、ちょっといいか」
手招きし、護衛のリザードマンを呼び寄せる。
「アルフレッドって奴だが」
さすがに二席隣に座っている者の話題であれば、耳打ちするしかなかった。
「はい、どうかなさいましたか」
「奴は魔族か?肌や身体も俺達に似ていて、人間にしか見えん」
そう。アルフレッドは、魔族特有の青い肌を持っていなかった。もちろん巨人や獣人にも見えない。トニーが言うのもおかしいが、まるで人間なのだ。
「あの方はエルフと呼ばれる種族です。確かに一般的な魔族とは違いますが、人間ではありません」
「エルフ……?」
注視すると、テンガロンハットから少しだけ出ている耳が、三角形なのに気づいた。人間との差異はその程度である。
「エルフと言えば、妖精みたいなイメージだったが……魔族側なわけか」
現世のおとぎ話で言い伝えられているエルフは『神の使い』『聖なる種族』と言われる事が多く、トニーのように『妖精』だと思っている者も多いだろう。しかし、この世界のエルフは、大魔王に忠誠を誓う『魔族』の一派であった。
次の幹部が起立して話しているが、トニーは見向きもしない。ミッキーは目立ってしまわぬ様、片膝をついて姿勢を低くし、トニーの目線より下で会話している。
「どういう事でしょう」
「ん?いや、こっちの話だ。これだけたくさんの種族が暮らしてるんだ。逆に、人間と友好関係がある生き物はいないのか?」
「もちろんおります。世界は広いですが、まだまだ我ら魔族の領土は人間のそれには及んでおりません。それだけ人間側では他の種族と出会う機会も多いでしょう」
確かに、魔族の力は強大でも、そのほとんどはアメリカ大陸に集中している。
「たとえば?」
「閣下が先ほどおっしゃった、馬などはその典型では?」
若干、食い違った回答である。トニーの中では、動物は別物だ。
「馬……?俺が言いたいのは、人並みに会話や行動が出来る奴だ。巨人やエルフみたいにな。分かるか?」
「あぁ、理解しました。それならば、ほとんどいないはずです」
「なぜそう言える?」
「巨人や獣人が、あちらの土地にいないわけではありません。少数ですが、ひっそりと暮らしている者もおります。しかし人間共は、未だに同種族で争っている仲。特に大アジア大陸と大ヨーロッパ大陸など、激戦を繰り広げているとか」
魔族からすれば同士討ちにしか見えない行為であろう。人を喰らうおぞましい魔族よりも、人間の方がよっぽど野蛮だと思われても仕方がない。
「そうやって独り相撲のような縄張り争いをしている内は、他の種族に目を向ける余裕など無いのでは?目にしたところで、すぐに襲いかかるのが関の山です。我ら魔族との戦争も、元はといえば人間が引き起こしたものですから」
「何?人間が?」
「ご存知ないのですか?はるか昔、人間共の弾圧によって、我らの祖先はアメリカ大陸に追いやられたと言い伝えられております。以来、この土地で力を蓄え、頭数を揃え、今の陛下の代になってようやく反撃が開始されたのです」
これは衝撃の事実だった。
言い伝えならば信憑性は何とも言えないが、戦争のきっかけが人間側だとは思いもしないからだ。
……
「……陛下。以上でジャクソンビルからの報告は終了となります……」
ちょうど、ぼそぼそと報告を終えているのはジャクソンビル城主のリーバイス。
体型はトニーとあまり変わらない大きさで、ガッシリとした印象だ。ミイラ男のように、目だけを出して他の部分はすべて白い布を巻いている。刀の使い手のようで、左右の腰に日本刀のような曲剣が下がっていた。二刀流なのだろう。
「うむ。ジャクソンビルは此度も問題なく順調なようだな。安定した政ほど難しいものはない。苦難している者は、リーバイスにその手法を説いてもらうのも良かろう」
「勿体無きお言葉です、陛下……」
「そう謙遜するな。座るがよい」
「ははっ」
リーバイスの番が終わり、六魔将も残すは二人。
しかし、ここで数分間の休憩を挟むことになった。確かに長い会議ではあるが、休憩を入れるのは特例らしい。
「皆、しばし待て」
そう言ってアデルが空間転移で消えていったのである。
……
「ちょうどダルくなってたところだ」
「最近の陛下はお忙しいようでな。どこからかお呼びでもかかったのだろう」
ヘルが言う。
使い魔や従者がアデルに近づいたところは見ていない。テレパシーのような通信手段でもあるのだろうと、トニーは解釈した。
「大魔定例幹部会よりも大事な用事なんてあるのか?」
「我も詳しくは知らん。あるとすれば、王妃様か、先代であろう」
「王妃か。まぁ、子供がいるんだから、嫁もいるだろうな。しかし、先代が生きてるのか」
「王妃様はめったに我々の前には出てこられないのだ。……先代は百年程前に隠居されたが、陛下に負けず劣らずの名君であった」
「は!?百年!?」
トニーは驚いて声を裏返す。
「うむ。百年だ。何か問題が?」
「いや……魔族の平均寿命はだいたいどのくらいか分かるか?」
ヘルはさらっと言ってのけたが、人間にとっての百年は果てしなく長い。興味本位でそんなことを訊いてみた。
「五百年といったところだろうな。アルフレッドのようなエルフはもう少し長いぞ」
「そ、そうか」
五百年。想像もつかない数字である。
「そして我が死神の命は、誰かに殺されぬ限り尽きる事はない。すでに一千年近い時を生きておる。年齢など、とうに忘れてしもうたわ」
「涼しい顔してとんでもない事を言いやがる。死にたくなったらいつでも言えよ。つまらねー人生にトドメをさしてやる。……しかしそんだけ長く生きてたら、さぞかし色んな経験をしてきたんだろうな」
「いらぬほどな」
ヘルが物思いにふけるように遠くを見つめるが、壁が見えない部屋には永久に続く暗闇が広がるのみであった。
……
バリバリバリ……!
空間が切り裂かれる。
「あ?大魔王陛下のお帰りだぜ」
「うむ、そのようだ。早かったな」
ズゥン……
真紅のデーモンの姿が現れる。
「待たせたな」
「お帰りなさいませ、陛下」
エイブラハム団長がそう言うと、他に数人からも同じような言葉が上がった。
「では、続きを行うとしよう」
何の用事だったのか、幹部の皆に伝える気はないらしい。もちろん誰もそこには突っ込まない。
「ハインツ、貴様だ」
「はっ!仰せのままに」
六魔将の一人、ハインツが起立した。
やや小柄だが、いかにも正統派の魔族騎士という出で立ちで、髑髏を模した甲冑、竜が翼を広げた形の盾、真っ直ぐな刀身の大剣を装備している。それらはすべて漆黒の色を基調としていた。
「ヒューストン城主、ハインツです。ご報告いたします」
ハインツが羊皮紙を広げる。何枚か重なっており、分厚い報告書だ。
本来ならばそのくらいやって当たり前だが、手ぶらで報告を行う幹部が多いので、彼がやたらと真面目に見えてしまう。
「今月は、主にイタリア王国への侵入を行いました。計十二回です」
「ふむ、なかなか良い働きだ」
アデルが頷いた。
「ありがとうございます、陛下。……首都、ローマへも兵を送りましたが、やはり猛将タルティーニによって、ほぼ壊滅させられております。どこの国にも英雄はいるわけですな」
ペラペラと報告書がめくられる。
「しかし、大都市ミラノでそこそこの戦果が上がりました。この場には某も参加していたのですが、軍の幹部、大佐と称されている男を斬り伏せました」
「素晴らしい。強敵であったか」
「えぇ、なかなかのものでした。目にも止まらぬ槍さばきが見事な戦士でしたが、某の剣でその身体を真っ二つに。人間共に魔族の力を思い知らせる事が出来たでしょう」
賞賛の声と拍手が沸き起こった。
「ふーん……槍持った大佐ねぇ。戦車隊率いててもおかしくねー階級なのに、妙な取り合わせだ」
「ひっく……魔族のお偉方はみんな魔法にばっかり頼ってるもんだと思ってましたが、腕っぷしが強いのもいるんですね。俺は好感持てますよ、あぁいう奴にゃ……」
トニーの独り言にフランコが返す。
「ライオンも剣を振ってたしな。この世界じゃ人間も魔物も、剣や魔法を極めた連中がゴロゴロいるみてーだ。力の強さが地位に関係してるんだろうな。文官は知らねーがよ」
また葉巻をくわえたトニーにフランコの手から火が灯される。
「個々の能力は魔族が勝つんでしょうが……ここで仕入れた情報から考えると、あまりに多い人間の数と、一握りの英雄らのおかげで状況が均衡してるんでしょう」
「魔物がいる世界だ。人間だってタフに育つぜ」
「そりゃ間違いねぇ」
フランコの赤ら顔が緩む。
そのまま報告を終えたハインツが着席し、いよいよ六魔将最後の一人が呼ばれる。
「フレイムス」
「グルル……」
返事代わりのうなり声と共に起立したフレイムス。全身が緑色の鱗に覆われた竜人だ。
ミッキーのようなリザードマンにも近い生き物だが、それよりも一回り大きく、背中には翼が生えている。
竜といえば、ニューヨーク城の上空を飛び回っていた飛竜には後ろ足と翼しかない。それに対し、竜人には手とも前足とも取れる腕があった。つまり、デーモンのアデルと同じように、四肢とは別に翼があるのだ。まさに、人とドラゴンを掛け合わせて生み出されたような存在である。
「シカゴ城主、フレイムス。報告、行う」
単語を少しずつ小分けしながら話す。どうやらあまり会話が得意ではないらしい。そして、フレイムスの名の通り、彼が言葉を発する度に口からは炎が漏れていた。
「イギリス、フランス、フィンランド、ポルトガル、エストニア、中国、モンゴル、日本、侵入した」
ヨーロッパ大陸、アジア大陸、離島の島国を無差別に襲っているようだ。
ちなみに現世でヨーロッパに含まれる国も、この世界では大ヨーロッパ大陸の四カ国以外はそのほとんどが島国として存在しており、フィンランド、ポルトガルなどはそれに該当する。
逆にアジア諸国は小国としてすべてが陸つなぎになり、大アジア大陸を成している。例えば、本来は島国であるフィリピンやインドネシアなども、中国やモンゴル、朝鮮とつながっていた。最東端の島国、日本だけは現世と同じく例外ではあるが。
「人間、殺した。引きちぎった。食った。シカゴ、兵、民、力が、増している」
ヒューストンと同じく、かなり順調な様子である。人間は六魔将の侵入に怯えながら暮らしているのだろうが、こちらは割と気楽なものである。とはいえ、正規軍が侵攻に手こずっているので、圧倒的に有利とも言い切れない。
「ご苦労だ、フレイムス。何か変わった事はあったか?」
アデルが訊く。
フレイムスの報告は端的すぎて詳細が見えてこない。そこでアデルが助け舟を出して、会話に弾みをつけているのだ。
「変わった事?変わった事……変わった事……」
「無ければ構わんぞ」
フレイムスは悩んでいる様子である。
「変わった事……あぁ、死霊術、使う、人間、見た」
「何?奴らは魔族と違い、死霊術を完全なる禁忌としているはずだが」
人間は信仰心が魔族よりも高い。一般大衆にも当然のように宗教的概念が流通しているが、魔族は大僧正のような聖職者以外の者にはあまり馴染みがない。
一つ。これは驚くべき点なのだが、魔族も人間も、共に同じ神を崇めている。魔族の聖堂や教会にも、いわゆる邪神像や悪魔像ではなく、女神像や十字架が掲げられているのだ。
「死んだはずの、敵兵、動いた」
「フレイムス殿、術師は!術師は見たのか!」
これはアデルではなく巨人族の坊主、大僧正だ。死霊術を疎んじるあまり、たまらず叫んでしまったのだろう。
「そうだ。術師を、見た、言ってる。魔術、発動、死者、動いた」
有り得ない、なぜだ。ところどころからそんな声が聞こえている。
「どこでだ!?」
「日本」
「むぅ!あの田舎国家めぇ!断じて許されぬ!」
ドシン!と大僧正の足踏みが鳴った。
……
「ミッキー、日本は田舎なのか?」
「グルル……聞いた話では、他国との国交がほとんど無い弱小国です。国土も人口も少なく、独自の文化を形成しているとか」
「もしかして、サムライ、ニンジャ、なんて呼ばれる戦士がいたりするか?」
ミッキーが一瞬だけトニーの目を見たが、すぐに頭を垂れる。
「ははっ。ご存知でしたか、閣下」
「マジか!ソイツぁおもしれー!」
サムライやニンジャと言えば、現世でも世界中で有名な兵だ。トニーも知らないわけがない。
「皆、聞いたな?人間共も一筋縄ではないようだ。古い考えは捨てねばならぬ」
アデルの一言が一同を黙らせる。
「だが、それを恐れる事はなかろう。すべての人間が蘇って戦うわけではない。……フレイムス。死霊術を使う術師の事を報告せよ」
「白い、女」
言葉足らずな報告である。しかし、フレイムスはそこで終わらせずに続けた。
「服が、白い、顔に、赤い、鬼の面。杖、使わない。代わりに、鈴、鳴らす。女、ばかり」
杖ではなく鈴を鳴らす女。しかし、それが日本人が編み出した死霊術の詠唱であるのは間違いない。
「どのくらいの数がいた?」
「だいたい、十人。ほとんど、殺した。でも、少しは、逃げた」
「術によって蘇った連中は?」
「それも、十人、くらい。すぐ、武器で、襲いかかってきた。意識、ない、ただの人形。だから、また、殺した」
これを聞くと、術師の人数と蘇生の対象の数は比例するのかもしれないと思える。そして、術によって蘇った者は不死身ではないらしい。
「あいわかった。今回は論議をする場ではない。ここまでにしておこう。他に何かあるか、フレイムス」
「無い。報告、終わり」
「座るがよい」
「グルル……」
これで六魔将の全員が報告を終えた。
……
……
「イェン、次は貴様が報告せよ」
「ははーっ!待ちくたびれましたぞぉ!」
巨人族の僧侶。
大僧正・イェンがその巨体で起立した。その場にいるすべての者が彼を見上げなければならない。
「立つとさらにでけーな」
「NBAに引っ張りだこでしょう」
見たままの感想を述べたトニーに、フランコが軽い冗談を投げかける。
「大僧正、イェンにございます!各々方に、神のご加護があらんことを!そして魔王国家アメリカに神の祝福あれ!」
聖職者だけに、一際仰々しく始まる。
「此度も我々の布教により、宗教が伝わっておらぬ田舎町を巡って参りました!熱心に話を聞いてくれる集落もあり、簡単な造りの教会を建てて参りましたぞ!」
大僧正自らが巡業して布教活動に励んでいるようだ。
宗教は思いのほか、人々の支えになるものである。
神への祈りにより内面が磨かれた聖職者や信者の心は、訓練や戦場で鍛えた屈強な兵士の心よりも、時として猛威を奮う。
「それは素晴らしいぞ。神は偉大だ。我々魔族の繁栄の為にも、神の力を借りて強き心を持つ民が増える事は望ましい」
アデルも魔王でありながら、神を否定せず、それが自分の国に良い影響を与えると考えていた。
「ありがとうございます、陛下。しかし、まだまだ神の存在に気づいておらぬ者も多く、我々が目指す平穏までの道のりは遠いかと存じます。引き続き、布教を行って参ります」
「うむ。布教活動に関して、何か弊害は無いか?」
「民の識字率の低さかと。並行して、古文書や聖書による教育も教会内で行って参ります」
なるほど。文字の読み書きが広まっていないようだ。これが広がれば、魔族に様々な恩恵があるのは目に見える。
「任せっきりになってしまうが、民の知識を向上させていくのも、貴様の働きに期待するとしよう」
「お任せ下さい、陛下!神はすべての種族に対して平等に、その知恵をお授けになることでしょう!」
自らの胸板を拳で軽く叩き、大僧正が言った。
「しかし、人間共の暴挙だけは許しておけませんな!あぁいう輩がはびこっている限り、この世界に神の教えが示すような、争いごとのない楽園が完成する事はございませぬ!奴らだけは絶対に排除せねばならん!」
大僧正が言葉に力を込めると、同意を表す言葉が飛び交う。その点だけは、この場にいる誰もが心を一つにしていた。無論、トニーだけはあまり興味がないが。
「戦地に赴く将兵共は、イェンのような者の想いも背負っている事を忘れぬことだ」
「陛下、報告は以上となります!」
「結構だ。座れ」
着席に際しても、大僧正が地鳴りを起こしたのは言うまでもない。
……
……
「ブックマン」
「はい、陛下」
次に名前を呼ばれて立ち上がったのは、よぼよぼの老人だ。
上下紺色の服、短い頭髪は真っ白。肌は青く、魔族であるが、皺だらけの顔は老いている事を隠せない。
ブックマン。参謀長。
大魔王が抱える家臣の中で、最も彼の内面を知る者。腹心の部下として、アデルが数少ない相談を行うこともある忠臣であった。
「皆さん、ご機嫌よう。参謀長、ブックマンです」
声も嗄れており、直前のイェンとは逆に、注意して耳を傾けなければ聞こえない。
「毎度の事で申し訳ありませんが、皆さんのように、大した武勲も、栄誉も無いわけです。何せ、書類とにらめっこするのが仕事ですからな」
報告する内容が無い、と堂々と宣言してしまう。裏方である以上、城に籠もりっきりなのだから。
「なんだ、あのジジイは。つまんねー野郎だ」
「ブックマン参謀長は、元々目立つ事を嫌う。たとえ何か功績を立てていても、同じ事を言うであろうな。陛下に『話せ』と仰せつかりでもしない限り」
ヘルが説明してくれた。という事は、この報告の裏にも何かが隠されているのかもしれない。
「毎月毎月、何もしてねーって話すわけか?」
「大抵はな」
するとトニーが身をよじってヘルに耳打ちした。
「書類がどうのってのはあぁいう裏方の隠れ蓑だ。内部にも話せない動きでもやってんだろ?」
「……ほう?何が言いたい」
「俺もボスだからよ。組織ってのは、いざこざがあって当たり前だ。誰と誰が不仲だの、誰と誰が色恋だの。絶対王政を敷くってんなら、内部事情を完全に掌握してる奴が要る。色んな不審も火種の内にもみ消す、そういう汚れ仕事をやる奴は大抵、一番地味な存在だって相場は決まってんだよ」
ただの思いつきや勘にしては的確な意見だ。ヘルも感心して返す。
「面白い意見だ。それに、そういう裏の組織がある事は間違ってないぞ。皆、何も言わぬようにはしているがな。……陛下を良く思わぬ不届き者を誅殺する部隊があるとか。名も無き影の軍団とでも言うべきかな」
「そうだろ?それを仕切ってるのがあのジジイって寸法よ。CIAみたいなもんだよな。邪魔者は事故や病気に見せかけて人知れず消されるのさ」
ちゃっかり盗み聞きしていた後ろのフランコが「あぁ、CIAか」と妙に納得している。公表されない仕事をこなす組織だと言われているからだ。
「だが、一つ言っておく。ブックマン参謀長は確実にそれには関与していない」
「なんだいまさら?」
「むしろ彼は以前、陛下に仇なす国一番の反逆者だったからだ。その罪を負って、捕らえられた過去がある。おそらく噂の部隊の仕業だと思われる」
「……は?」
トニーの頭の中がこんがらがる。
忠臣が元反逆者。ではなぜ今は生きてアデルに仕えているのか。誰が裏を仕切っているのかなど、興味が薄れてしまうほど衝撃的な過去だ。
「そりゃどういう……」
「簡単な話がその昔、参謀長が謀反を計画していた。それが露見し、捕らえられたというわけだ」
「俺には奴の首が胴体から切り離されてるようには見えねーが?」
そんな事をしておいて、なぜ処刑されていないかを問う。
「先代の頃の話だがな。しかし、参謀長の処遇をお決めになられたのは、若かりし頃のアデル陛下だ」
「何……?あのジジイもアデルやお前みたく、ご長寿自慢参加者だったか。だがそれじゃ理由もわからねー」
「細かく知りたければ本人に訊けばよかろう。参謀長にでも、陛下にでもだ」
当時の国王だった父親に裏切りを働いた人物をアデルは助けたのだ。斬り捨て無かったのにはそれなりの理由があるのだろうが、書類整理をさせているだけならばそれほど重宝しているとも考え難い。
……
「ブックマン。引き続き、よろしく頼む」
「ははっ。ここまで年老いてもなお未熟ではございますが、陛下のお力になれればと存じます」
参謀長が座る。
各幹部の報告は完全に終了した。あとは大魔王アデルの子供達だけであるが、ヘルが「ここからはただ退屈なだけだ。覚悟しておけよトニー」と言った。
王子や姫に当たる男女五人。彼らの口から出てくるのは単なる遊びの事後報告であった。
人間を何人食った。魔法で何をやった。新しい剣を手に入れた。どこどこの国に遊びに行った。こんな面白い貢ぎ物を民からもらった。使い魔の猫が子供を産んだ。
調子が狂うばかりであるが、王族である彼らの自慢話をわざわざ咎める者はいない。
「おいおい。揃いも揃って甘ったれのバカしかいねーな……アデルはどうしてあんな息子や娘どもをこの席に?」
「道楽の話は退屈だろう?しかし、後に王となられる方があの中におられるはずだ」
職場体験学習という事だ。贅を尽くした彼らにも、国を背負ってまともに働く日が来れば良いが。
……
「では、此度の大魔定例幹部会はここまでとしようぞ。解散せよ」
アデルが起立すると、トニー以外の全員がそれに習った。甲冑や武器がガチャガチャと鳴り、フレイムスやイェンのせいで地響きも起こる。
バリバリ……!
バリバリバリ……!
それぞれが空間転移を詠唱して消えていく。この王の間に入るには警笛でアデルの使い魔を呼び寄せる必要があったが、退室するのは割と簡単らしい。
「トニー」
「おう、明日は迎えよろしくな」
「せいぜい陛下との居残り授業を楽しむが良かろう。魔力の解放も訊いてみよ」
軽口を叩いてくるほど、ヘルはトニーに打ち解けている。
「うるせー!ニヤニヤしてるとその骨へし折るぞ、ヘル!」
「ふっ。さらばだ、友よ」
バリバリバリ!!
ズゥン……!
死神の姿は消えていった。
……
壁も床も視認できない空間に、トニー、フランコ、リザードマンのミッキー、そして大魔王アデルの四人が残る。
「護衛はつけねーんだな」
いまさらだが、各幹部とは違い、大魔王であるアデルにだけ護衛がいない。
「余の支配下にある空間だ。何人たりとも触れる事すら叶わぬ」
「そりゃ余裕綽々でいれるわけだ」
「近くへ」
アデルが手招きすると、一瞬だけ視界が暗転し、トニーが座る席がアデルのいる玉座の目の前まで移動した。瞬く間とはこの事である。
フランコやミッキーの立ち位置は変わっておらず、後方から二人が慌てて駆け寄ってくるのが分かった。
「もうこれくらいじゃいちいち驚いてらんねーぞ」
慣れとは恐ろしいものだ。摩訶不思議な事も、繰り返し経験してしまえば常識に変わる。
「トニー・バレンティノ」
「あ?」
あらたまって、アデルから名を呼ばれる。居残りを指名された理由は、意外なものだった。
「貴様……この世界の者ではなかろう?」