♯3
ローマ王宮内。
魔族の侵入による襲撃があった明くる日。早くも再び会議が開かれようとしていた。
今回は晩餐会という形ではなく、軍の詰め所を会議室代わりとしてのものである。出席者は変わりないが、もちろん食事は出されていない。
「昨日の件で急遽解散となっておったが、アメリカ大陸調査団編成の件、クレメンティに引き続きこの場を任せる事にする」
国王が宣言し、大司教が取り仕切る。
「我が君、感謝いたします。昨夜は魔族の侵入の報告などで一睡もなさっていないとか。頭が下がるばかりですわい」
「なに、身を挺して国を守ったタルティーニ、街や人の損害の調査を夜通し行っていたアダムと比べれば、余はただ玉座でふんぞり返っていただけだと民や兵に笑われるに違いないぞ」
驕らない態度だ。権力に溺れるような愚かな国王ではないらしく、ウィリアムは感心した。
「我が君、ご立派なお考えには常々感服させられてばかりです。俺も微力ながら国と王に忠義を尽くしますよ」
「陛下、ありがたきお言葉。イタリア王国は貴方の御心によって益々の繁栄をしていく事でしょう」
将軍と右大臣が返す。やはり誰もが国王の人柄に惹かれているのだ。
「ウィリアム。アメリカ大陸への渡航を先送りにしたいと申していたようだが」
大司教が話を戻した。他者からどよめきが起こる。
「なんと、客人よ。どういう事だろうか」
「陛下。昨日、俺は生まれて初めて魔族とやらを目にしました。もちろん渡米は強く望んでいますが、この国が抱える問題を放ったまま、調査団を作れるのか疑問に感じたんです」
「資金面で?」
国王の問いに頷く。
「そうだな。正直に言えばそんな余裕は無い。見ず知らずの客人に、国の財政を心配されていては、恥ずかしくて顔も上げられぬ」
「……」
苦笑しながら話す国王に、右大臣のアダムは両手で頭を抱え込んでテーブルに突っ伏してしまった。
見ての通り、政を執る彼には頭が痛い問題なのだろう。
「ヨーロッパ大陸の他の三カ国と比べると、国民も決して裕福とは言えぬ。首都であるこのローマはまだマシなほうだ。農村部の暮らしは、それは酷いものである。それもみな、アジア諸国との戦争や、魔族の侵入のせいだ。だがな、客人。今は何か、改革が必要なのだ。その何かを掴むため、余はアメリカ大陸の調査に注目しておる。 その為の具体案はまだ浮かばぬが、まずは『やる』と決める事が大事だ。違うかな?」
国王の蒼い瞳に力が宿っているのが分かる。
「分かりますとも。俺だって、やらないとは言ってない。ただ、こんな悲惨な現状があっては……」
「くどいぞ。余は、その現状を打破する解決策が、アメリカにあってもおかしくはないと言っておるのだ。アメリカ人であるとはいえ、客人はそこに巣くう魔族の何を知っている?咎めはせんが、終いには魔族を初めて見たなどと言い出す始末ではないか。しかし、人が住む環境があの大陸にあるのであれば、専門の調査団を派遣して魔族の技術や魔術、願わくばその弱点を見出す事が出来るであろう。何せ奴らは謎だらけの種族だ。もし対等に渡り合えるようになれば、魔族に怯えて日々の生活を送ることもない」
ベレニーチェと大司教が頷いて同意している。将軍はううむと唸り、右大臣はため息をついた。
「承知しましたよ、陛下。少しだけ、話をそらしてもイイだろうか?」
「うん?申してみよ」
国王の代わりに大司教が許可する。
「アンタらが知るアメリカの知識とは違うが、俺は昨日見せたような高度な技術で作られた道具を知っている。今は持ち合わせていない代物もたくさんな。例えば、自動車という鉄製の乗り物や、パソコンという情報収集や伝達に使う道具などな」
「別のアメリカなどと申しておったな……未だアメリカの事は把握できておらぬ。さすれば表裏一体の世界としてアメリカが二つ存在していないとも言えぬか」
わずかながら、彼らにもウィリアムの暮らしていた現世の存在を信用させられたようだ。魔術や魔族が存在する世界の人間。少しは不思議な現象にも理解はある。
「もしこの国でも製造できそうなものがあれば、国の為になるんじゃないかと思ってね。初歩的な道具だが、このライターなどはどうだ?」
「火が点くからくりさえ分かれば。燃料となるものを手に入れるのと、錬金術師や腕利きの鍛冶屋が必要でしょうね」
ベレニーチェが応える。
「錬金術師!?そんな者がいるのか!」
「アルケミスト、すなわち錬金術師。
魔術師、マジシャンにも様々な職種が存在します。
魔法戦士、マジファイター。
転移術師、テレポーター。
呪術師、シャーマン。
死霊術師、ネクロマンサー。
他にも色々いますわ」
自慢気に鼻を鳴らすベレニーチェ。魔術も奥が深いらしい。
「道具の精製に魔術が使えるとなれば、かなり頼もしいぞ。むしろ、なぜ今まで魔法で何か作ろうと思わなかったんだ?」
「レシピがないのに料理をしろと?」
「……おっしゃる通りで。魔術というものを見せてもらうことは?是非見てみたいな。何が作れるのか、俺の知る知識と掛け合わせて、考えが浮かぶかもしれない。調査団や国防に使える何かが」
ベレニーチェが国王をチラリと見る。国王は構わん、とつぶやいた。
「では、簡単な術を一つ」
ベレニーチェが木の枝で出来た小振りな杖を取り出した。
「まず、魔術の使用には杖など、魔力が宿った触媒が必要です。触媒はその者が得意とする術、職種に左右されます。例えば死霊術師の杖は骨で出来ている……といった具合に。魔族は初級呪文を触媒無しに唱えますが、人間には必要不可欠です。……次に使用者の魔力。これがない者に魔法は使えません。全ての魔族には備わっているようです。不公平ですよねぇ」
ウィリアムにも分かるよう、説明を付け加えてくれる。
「最後に詠唱。使いたい魔術を読み上げて発動させる鍵になります」
そこまで言い終えると、誰にも内容が聞こえない程の小さな声でベレニーチェがブツブツとつぶやき始めた。
これが詠唱なのだろう。
「……発光!」
魔力を帯びた杖の先がぼんやりと光を放った。
松明や懐中電灯代わりに使う術なのだろう。かなり地味だが、木の枝が光っているのだ。ウィリアムにとっては十分信じられない光景である。
「すごいな……その木がどんな作りなのか気になるが、やはり技術の産物ではなく、魔術なんだろうな」
「この杖は神木の枝で出来ています。お次は……発火!」
ボウッ!
光に代わって、杖先に炎が灯った。
「おおっ……!変幻自在だな!」
「ふふ、まだまだ序の口ですわ。いかがです?何か掴めそうですか?」
「あぁ、間違いなく。色んなものを生み出すきっかけになりそうだ」
パンパン、と大司教が手を叩いた。
「皆、聞かれましたな?ウィリアムが魔術を応用して生み出す道具。それは国のために活かされるであろう。そこで、こう考えてはどうじゃろうか。技術とやらが国を支えてくれるならば、調査団と共に彼をアメリカへ送り返してやる義務が我々にはあるはずじゃ」
「なるほど。お手並み拝見といくしかなさそうだな」
まず、将軍がそう返す。
「国の利益が出れば調査団の編成に反対する理由はありません。しかしそう簡単にいくものですかな」
右大臣は納得出来ていないようだが、それはウィリアムのこれからの働き次第だろう。
「あいわかった!概ねの賛同が得られたものとし、アメリカ大陸調査団の編成は可決としようぞ。我が君、よろしいでしょうか?」
「当然だ。余も異論はない。編成の詳細はいずれ。今日はこれで解散としよう」
全員が席をたち、バラバラと解散していく。
また、大司教にくっついて戻ろうとしていたウィリアムをベレニーチェが呼び止めた。
「バレンティノ様。少しお時間よろしいでしょうか?」
「どうかしたか?」
「研究室にいらっしゃいませんか?魔術もほとんどお見せできていませんし、その他にも役に立つものがあるのではと」
微笑み、そう返してくる。
「そうだな。面白そうだ」
大司教の姿はもう見えない。彼に一言断っていこうと思ったが、そのままベレニーチェの研究室に顔を出す事にした。
「ではこちらへ」
彼女の背中を追う。晩餐会の時とは違い、魔女のようなとんがり帽子と黒いローブ姿である。
……
「着きました。中へどうぞ」
王宮内の西側。聖堂が東の端なので、ちょうど反対側にそれはあった。
扉から中に入ると、いくつかの簡易ベッドと怪我人、手当てを行う使用人らの姿があった。対になっているだけあって、聖堂と同等の広さがある。研究室とはいったが、その大半は医務室として使われているようだ。
「昨日の戦闘の?」
「そうです。軽傷の方は兵舎に戻っていただいたので、重体の方だけこうして看ています」
「使用人もベレニーチェと同じような服を着ているんだな」
男性の使用人もいるが、全員がとんがり帽子にローブ姿だ。ただし、色はベレニーチェのような黒色ではなく、深い緑色である。
「ふふ、我々の制服ですから。兵士にとっての鎧や兜のようなものでしょうね。私は責任者なので、他の者とは異なる色なんです」
彼女が部屋の隅にある机へ移動した。
その上には書類や本、何かよく分からない液体が入った瓶、杖、羽ペンなどが散乱している。そこに椅子を二脚用意し、席を勧めてきた。
「散らかってますが、ここが私の研究室です。でも、研究スペースと言った方が正しいかもしれませんね」
「ここが……?」
ウィリアムは机を指差して笑うベレニーチェにオウム返しをしてしまった。無理もない。単に整理整頓が出来ない子供の机のようなスペースがあるだけなのだ。
「え?はい。ほら、これを」
『ベレニーチェ・シレア室長の席』という木札が、散乱する机の上から発掘されてウィリアムの目の前に現れた。
「……」
「では早速、先ほどはお見せ出来なかった魔術の数々をご覧にいれましょうか!」
「待て待て!本当にここでやるのか?」
「はい、問題が?」
怪我人もいる病室である。
さっきよりも強力な魔術を使うつもりなら少なからず危険もあるはず。当の本人はきょとんとしているので、それが日常的な事だとしたらなんとも恐ろしい病室だ。
彼女のデスクがある壁際をよく見てみる。ところどころに燃えたような煤がついており、床や机自体にも傷や穴が目立つ。これがまさにその証拠というやつか。
「他に魔術を見せてもらえる場所はないものだろうか……?」
看護を続ける使用人達が向けてくる視線に、恐怖心が混ざっている。彼らにとっては妙な出で立ちをしているウィリアムのせいだけではなさそうである。
「ありませんわ。王宮内では陛下の許可なく、魔術の使用は禁止されておりますので。この研究室のみ、私の権限でそれを行う事が許されているんです」
「しかし!」
「それでは……」
ウィリアムの言葉を無視して、ベレニーチェが杖を構えて詠唱を始めてしまう。
「放電!」
ドンッ!
杖先から小さな稲妻がほとばしる。とはいえ、その轟音と閃光はかなり激しい。
「電気……?」
キンと響く耳鳴りに耐えながら、ウィリアムが声を出す。
稲妻は壁の一部を軽く焦がしてしまったようで、薄い煙が上っていた。
「電気?小規模な雷を起こしたんです。電気とは何でしょう?」
逆にキラキラと輝く無垢な眼で見つめられながら質問を受けてしまった。
「電気の説明か……難しいな。俺たちの世界では必需品だった。車にしろテレビにしろ、電気がなきゃ動かない。人類の進化に貢献した最も権威ある文明の一つだな。雷はかなり高圧の電流なわけだが、そいつをコントロールすればエネルギーとして物を動かせるんだ」
「……???」
「悪い……俺も専門家じゃない。しかし、電気で動かせる機械がなければ無用の産物だよな。たとえば……コイツらは電池式だ。電気さえあれば息を吹き返す」
携帯電話と腕時計を机に置いた。
「この物体に放電の魔術を使えば、移動するのですか?」
「いや、移動はしない。こっちの腕時計は時間を示す道具。携帯電話は、離れた場所にいる相手と会話をする為の道具だ」
魔術の名前は放電だというのに、電気が分からないというのも奇妙な話だが、電子機器が存在しないのならばそれも納得するしかない。
「なんて画期的な道具なのでしょう!見てみたいわ!」
ベレニーチェの奇声に使用人や患者らが注目する。
「しかし、今見せてもらった魔術では電圧が強すぎるだろう。もう少し威力を落とせないか?」
「もちろん可能ですわ。どの程度に?」
「ボルトやワット数を計るすべもないからな……極力弱めに、としか」
腕時計の電池と、携帯電話のバッテリーパックを取り外し、本体は影響を受けないようにスーツの中にしまった。
「かなり的が小さくなりましたね……」
「難しいか?この部品に蓄電する必要があってな」
「よく分かりませんが、やってみましょう!」
杖を構える。
ウィリアムは少し離れてサングラスをしっかりとかけ直した。
「……放電!」
パチッ!
かわいいくらいの小さな稲妻が電池に向かって走る。威力の制御は確かに行われた。
「どうでしょうか。成功したのかしら?」
「取りつけるまでは分からんな。こっちの携帯のバッテリーにも頼む」
……
かなり荒療治だが、もともと使えないのだ。失敗しても当たり前だと考えながら組み立てていく。
「……!」
カチッカチッカチッ……
セイコーが針を動かし始める。
もちろん正確な時刻を合わせる事は出来ないが、魔術による充電は成功した。
「動いた……?動いてますよね、それ!わぁ……!なんて細かい作りなの!」
ベレニーチェがはしゃいでいる。
「見事なもんだろう?日本人は良い仕事をする」
「日本?あの偏狭の島国の人間が作ったものなんですか?」
「そうだ。こちらの世界にも日本はあるらしいが、俺が住む世界の日本とは違うだろうな。車や機械。島国でありながら、その技術力は世界トップクラスだ」
セイコーを愛用しているだけあって、ウィリアムは日本という国が好きなのを感じられる。
「そちらの道具はどうでしょう」
「携帯か……ちょっと待ってくれ」
バッテリーを取りつけ、電源を入れる。
ノキアのロゴが表示され、待ち受け画面にウィリアムとトニーが肩を組んで笑う写真が表示された。
「動いた……」
「きゃあぁぁ!小さい人が箱の中に!どうなってるんですか、これ!?しかもお一人はバレンティノ様に似てて……」
ベレニーチェはまず、液晶画面や電話というより、写真というものに驚いてしまう。
「おい、落ち着け!」
周りからの視線が痛い。病室で騒ぎ立てるのが怪我人に良いはずもないが、責任者がこの調子である。誰も注意できずに今日まで放置されてきたのだろう。
「これが落ち着いていられますか!お二人とも大丈夫ですか!どうしてこんな事に!?」
写真に向かって話しかけるベレニーチェ。ウィリアムが適当なボタンを押し、電話帳の画面に切り替えた。
「あぁっ!消えてしまいましたわ!」
「とりあえず、話を聞いてくれるか?」
「はっ……!す、すいません……」
取り乱していた姿を恥じるように、うつむいてしまった。興味が沸くと、自分でも制御が利かないらしい。研究者には多く見られることなので、ウィリアムもそれくらいで彼女が異常者だとは思わないが、話が出来ないのは困る。
「写真が分からないとはな……歴代国王や偉人の肖像画くらいこの国にもあるだろう?」
電子機器が魔法で使える事はわかったので、次はウィリアムが軽く道具の説明をしてやる。
「肖像画ですか。では今、私が見たのは絵画だという事ですか?あまりにも……まるで生きているかのようで」
「絵画とは違うが原理は同じようなもんだ。人物や情景をこの機械が模写するわけだからな。さっき左に写っていたのは俺だ。似ているも何も本人だよ。……よし、一つ面白いものを見せてやろうか」
携帯の背面をこちらに向け、ベレニーチェと並んで座る。
「面白いもの……?」
「この丸い部分。レンズと言うが、ここを見てそのまま動かないで」
「……」
言われたとおり、ベレニーチェが固まる。
カシャッ。
携帯から効果音が発せられ、二人の写真が撮影された。
「見てみろ。たった今撮った写真だ」
画面を覗き込む。
ウィリアムとベレニーチェの姿が確かに写っていた。
「……なんてこと!バレンティノ様と私だわ!鏡を見ているように綺麗に描かれている……本当に素晴らしい道具ですね!みんな!世紀の大発見よ!」
再び興奮状態に陥った彼女が、部屋中の人間に対して呼びかける。
「また騒ぎ立てて……気持ちは分からんでもないがな」
ウィリアムは呆れるばかりだが、さすがにベレニーチェの様子がいつもとは違うと思ったらしく、数人の女性使用人達が近寄ってきた。
「どうされました、室長。魔術が止んだと思ったら大声を出されたりして」
「先ほどから気にはなっていましたが、こちらの異国の御方は?随分と奇抜なお召し物ですこと」
……
「とにかく電気が利用可能ならば、それを使った道具を生み出せるかもしれないな」
携帯電話本来の機能の説明はやめておく。
電波塔や人口衛星もなければ、画面には圏外が表示されて当たり前だ。
「例えば?ほら、あなた達、これをバレンティノ様が」
ウィリアムに質問をしながら、ベレニーチェが使用人達に携帯電話を見せびらかしている。彼女らも画面の写真を見て、目を丸くした。
「電気で使うものは、俺が知るだけでもたくさんありすぎて困るが、一番簡単なのはランプや電灯の類いだろうな。魔術の『発光』だったか?あれに似ている。燭台や松明の代わりになり得るな」
「暗闇を照らす道具というわけですね。まずはその研究と開発に取り組むことにいたしましょうか」
ベレニーチェが微笑んだ。
もしこの世界でそれが叶えば、一気に文明が進歩するだろう。
「さっきも言ったが、俺は電気の専門家じゃない。完成した姿は思い浮かんでも、何を材料とし、どうやってその道具を作っていくのかまでは分からないからな。その辺りは手探りになっていくはずだ」
「承知しましたわ。ところで、バレンティノ様。アメリカにいらっしゃった頃は、何をなさっていたのですか?お伺いしたいわ」
ベレニーチェの問いに「アメリカ……?」と使用人達が首を傾げている。知らない地名なのだろう。
「何をとは?職業か?他愛もないことだ。のらりくらりして日々を過ごしていた」
わざわざ自らをマフィアだと名乗る者などいない。もっとも、彼女に理解できる生業なのか分からないが。
「……嘘ですね」
「どうかな」
「アメリカの事は分かりませんが、地位の高い方だとお見受けします」
ベレニーチェの視線がウィリアムの瞳を捉える。
「残念ながらハズれだな。大富豪に見えたか?俺は役人でも軍人でもないし、ましてや貴族や王族ではないぞ」
「そうですか。では、もうこの話はよしとしましょう。ほら、あなた達。いつまでサボっているの?」
使用人達には本当に携帯電話を見せたかっただけらしい。
「まったく、ウチの従業員には世話がやけますわ」とウィリアムに笑うベレニーチェ。やはり彼女は破天荒な上司っぷりだ。
「バレンティノ様。もう一度、その箱に写っていた絵を見せていただけますか」
「もう騒ぐなよ」
トニーとウィリアムの待ち受け画面が見える。今し方ベレニーチェと撮った写真も、記録しておいた。
「うーん。灯りをつける道具が描かれていたりしませんか」
「なるほど。電灯が少しでもフレームにおさまっている写真ならあるかもしれないな」
「え?他の絵画もこの中に?」
ちんまりとした携帯電話の本体に、そう色々なものが詰め込まれているとは思わなかっただろう。
「もちろんだ。俺はそこまで撮っちゃいないが、千枚、二千枚くらいはこの中に入るんじゃないか?」
「はい!?せ、千枚!?そんな大きさには見えませんし、おっしゃる意味が分かりませんが……他の場所から空間転移で絵画を取り出す、とか?」
「違う。どう説明したらイイか」
一旦携帯を置き、腕を組むウィリアム。
「そうだ、こう考えたらどうだろう。コイツは人間の脳と同じように様々なものを記憶する。目に映った景色や、耳から入った音をな」
「はぁ……?」
「とにかく、コイツの記憶の片隅から、記録したものを引き出せるんだ。こうやって……」
携帯からヴィヴァルディのクラシックが流れはじめ、ベレニーチェは飛び上がった。もちろん着信音の一つを作動させただけである。
「えぇ!?今度は音楽が!この中に楽団が!?」
「そんなわけあるか!音を出す魔術もあるんじゃないのか?杖に楽団が入っているのかよ?」
「そ、それは確かにそうですね……」
音の方は割と簡単に納得してくれた。
「ちなみに、俺の趣味は音楽鑑賞でな。クラシック以外にもロック、ヒップホップ、カントリー、なんでもござれだ」
もちろん言って分かるはずもない。
あえてクラシックを鳴らしたのは、この世界の人間でも『音楽』として聞こえると踏んだからだ。エレキギターやドラムスの音が彼女に通用するとは思えない。
「あらまぁ!私も音楽は大好きですわ。お詳しいのならば、色々と教えていただかなくちゃ!そういえば時折、楽団を城に招いて、舞踏会が開かれるんです」
「ダンスは苦手だな……ギターくらいは弾けるが」
照れくさそうにウィリアムが自分の頭を掻いた。
「ギターとは?」
「やはりないのか。弦楽器だよ。ヴァイオリンやチェロ、コントラバスなら分かるか?こちらの世界にもありそうだが」
「もちろん弦楽器ならございますわ。他にも管楽器や打楽器もたくさんあって、舞踏会の時に来る楽団は五十人近い大所帯なんです!」
どうやらオーケストラのような形に近いものらしい。とはいえ楽曲は違うだろうと、ウィリアムは少しばかり心躍らせた。
「それは楽しみだな。俺が住んでいた世界では、音楽にも電気が多く使われているんだ。今聞かせたような録音もそうだが、演奏する楽器自体が電気の力で動いているものもある」
「魔術のように、利用価値が高いものなんですね」
「それは正しいな。電気は俺達の日常生活にありふれている」
「先ほど、バレンティノ様の隣に描かれていた御方は?随分と親しげでしたが」
矢継ぎ早に質問が飛んでくる。初めて魔術を見せられた時のウィリアムよりも、はるかに彼女の好奇心が勝っている。
「兄貴だ。仲は良かったよ。また彼に会うためにも、俺は元の世界に帰らなくてはならない。必ずな……!」
「お兄様でしたか。私にも兄がいました」
ベレニーチェが過去形で話したので、ウィリアムは心情を察して押し黙る。
「……」
「お二人にも負けないほど仲は良かったんですよ。でも、八年前に魔物の術によって……私の目の前で燃やされて……」
「それが、お前が魔術師になったきっかけか?」
「え、えぇ。男子であれば騎士団という選択もありましたが、それは叶いません。しかし幸い、私は幼い頃から魔術に秀でておりました。それで修練と努力を積み上げ、王宮の魔術師試験に合格し、今では彼らを束ねる立場にあります」
「大した執念だ。兄貴の為にも、魔術の力で一矢報いてやらねーとな」
王宮の魔術師達が騎士団のように戦場に立つ事は少ないだろうが、研究や医療で間接的に魔族と戦う事は出来る。
「戦闘時、我々の任務は救護と城の防衛です。そのせいでなかなか戦うこともなくて。結界……弱めちゃおっかな~なんて」
「何言ってんだか」
暗い話をしていたはずなのに、今や舌を出していじらしく笑っている。
彼女は若く見えるが、童心がぬけ切れていないのもそれを助けていた。
「……ベレニーチェ。失礼な事を訊くが、かなり若いんじゃないのか?」
「ふふふ、私は今年十七ですよ。魔術師界の若きプリンセスとでもお呼び下さいませ!」
「十七!コイツは驚いたな!それで研究室の長とは、飛び級で国立大学に受かるようなもんだぞ!」
珍しく、ウィリアムが声を張る。
「大学……?しかし、王宮魔術師には十二歳から入団できますからね。ちなみに騎士団は十五歳から兵役可能ですわ」
「そうか。俺の感覚からすれば随分早いが……確かに俺の知る世界とそういうところに違いがあっても当たり前だな。ニューヨークでは、二十一歳でようやく成人と認められる。信じられないだろう」
「随分と悠長ですね。王族や貴族ならばともかく、庶民や兵士はそんなに長く生きていられるか分からないというのに」
疫病や飢餓、ましてや魔族や他国と戦争中なのだ。尊い命とはいえ、民がまず最初の被害を受けてしまう。
「手厳しいな。しかし、平均寿命が七十歳前後なんだ。俺など小僧に過ぎないな」
「平均で七十……仙人レベルの超越者ですよ!あなた方は、未知の生命体としか」
「いや、進歩した医療や食の問題だろう。むしろ人々の敵は満ち足り過ぎた生活からくる肥満だ」
ベレニーチェは口をあんぐりと開けている。
ウィリアムが自分たちの世界の話をすることで、彼女が毎回驚愕するのはしばらく避けられそうにない。
「じゃあ、今日はこのくらいにしておくか。大司教のところに戻らないと」
「そうですね。クレメンティ様が心配しておられるかもしれません。聖堂までお送りしますわ」
「そりゃどうも」
女性から道案内以外でエスコートを受けるのは珍しいが、断るのも不粋なので受けた。
……
「こうして見ると、やはり広い宮殿だな。さすが首都、王宮といったところか」
絵画や王国旗、甲冑が飾られた廊下を歩く。
時折、すれ違う従者や兵士がベレニーチェに向けて一礼してきた。彼女とウィリアムも答礼する。
「あら、陛下?」
ベレニーチェが跪いた。前方から国王が右大臣と二人で歩いてきている。
「おっと」
それを確認したウィリアムも、彼女に並んで姿勢を屈めた。
「おぉ、客人。それにベレニーチェ」
国王はそう言って柔らかく笑ったが、右大臣のアダムは黙って一礼し、ウィリアムをじっと見つめてくる。
「宮殿内で逢い引きかな?貴公も手が早いな!はっはっは!」
「違うぞ!」
「まぁ!陛下!ご冗談が過ぎますわ!」
やはり明るい人物だ。
眉一つ動かさない右大臣が気になるが、さらに一言二言交わすと、国王は去っていった。そして、続いて右大臣がウィリアムとすれ違う瞬間。
「……何を考えているのか知らぬが、私の目はごまかせんぞ。……異端者、悪魔の使いめ!」
彼にしか聞こえないよう、耳元でささやかれた。
「俺がアンタの立場なら、きっと同じことを言うだろうな」
「ふん……」
……
「おい、アダム!何をしておる!」
「はっ!今参ります、我が君!」
それを見送ると、ベレニーチェが顔を寄せてきた。
「ん?なんだ」
「バレンティノ様、どうかなさいましたか?目つきが急に鋭く……」
言われてウィリアムはハッとした。
別に右大臣を忌み嫌ったつもりもないが、敵意を持つ者には慈悲の欠片も見せないマフィアの顔が戻ってきてしまったようだ。本人もそれに気づいていなかった。
「まだまだだな。俺も。ポーカーフェイスが売りなのによ」
自嘲気味に苦笑する。
「……はい?」
「いや、こっちの話だ。ところで……右大臣は有能な人物に見えるが、実際どうなんだ?」
「アダム様ですか?王宮随一の切れ者とも称されておられますね。いかに優れた王や将がいても、政には血税を絞り取る汚れ仕事がございます。あの方の手腕が無ければ、国はいとも簡単に傾いてしまいますわ」
なるほど。周りからの信頼はあるようだ。
それならば個人的な嫌悪感を向けられているだけだという心配は薄いと言える。右大臣の事を煙たがるのはやめておくことにした。
「綺麗な女にそこまで誉められるとは、うらやましい限りだな」
「あらあら。そういったご冗談は陛下だけの特権だと思っていましたのに」
今し方その特権とやらを見せられたばかりである。二人は目を見合わせて笑った。
……
聖堂の扉が見えてきた。
番兵がウィリアムらの姿を確認して、声をかけてくる。
「客人。ベレニーチェ様と一緒だったか。大司教様なら、外出されたぞ」
「何?行き先は?」
「城下だ。おそらく街の教会と墓地をまわっておられるはずだ。夕刻には戻られるだろう」
客室が用意されているわけでもないので、ウィリアムは聖堂の扉を開いた。
「バレンティノ様、私はこれで失礼させていただきます。また研究室で」
ベレニーチェがお辞儀する。
「あぁ。電灯の開発に忙しくなりそうだな。明日、予定が無ければ午前中にうかがうよ」
「お待ちしておりますわ。では」
……
日が暮れ、聖堂の燭台に使用人らが火を灯して回る。ウィリアムはタバコをくわえてぼんやりとそれを眺めていた。
「やぁやぁ、戻ったぞ」
「お疲れさん」
「お主も引き連れていくつもりだったがの。姿が見えんから置いていってやったわい」
大司教がウィリアムの横に座る。
「死体や墓のお参りなんざ、遠慮させてもらうよ」
「どこをほっつき歩いておったのじゃ」
「研究室だ。ベレニーチェの呪文から、ヒントを得るためにな」
タバコの火を靴の底で消し、床に投げ捨てる。
「こりゃ!罰当たりめが!」
「一つ。かなり大きな成果があったぞ」
大司教の叱責を完全に無視して、ウィリアムが腕時計の針が動いているのを見せる。
「おぉ!?なんじゃ!?一定の感覚で回っておるのか!時を刻む道具と申しておったな!」
「ご名答。ちなみに今この針は午前一時五十二分十一秒を指している。もちろん狂ってるぞ?しばらく止まったままだったからな」
「今は夕方じゃからな。しかし、秒単位まで指し示すとは……」
時計はないが、時間の概念は同じらしいので非常に助かる。正確には無理だが、およそ一時間などといった話し方をすれば充分伝わるだろう。
……
「ある程度合わせておくよ。午後七時……っと。これで少しは使い物になる」
ウィリアムが針を進めて言った。
「なぜ、動き出したのじゃ?どんな魔術が有用だったのか、興味深いのう」
「放電、だったかな。雷を起こすやつだよ」
「ほう。雷を動力源にできるのか。素晴らしい技術じゃ」
針をまじまじと見つめる大司教。いつまで見ていても飽きないといった様子だ。
「ほら、コイツもだ」
さらに驚かせてやろうと、携帯電話の画面にベレニーチェとのツーショットを写し出してやる。
「こりゃたまげた!ここまで精密な絵画は見たことが無いぞ!」
「ベレニーチェも同じような事を言ってたよ。これを見せられたら、右大臣や将軍も少しは俺に期待してくれるだろうな」
「もちろんじゃ!また近々、我が君に会議を開いてもらうとしよう!その場で御披露目じゃ!」
国王も喜ぶだろうと、大司教が大手を振ってはしゃぐ。国王の興味を今以上に引き出せれば、道具の開発に場所や人材が与えられるかもしれない。資金はなるだけ抑えたいが、それはありがたく受けるべきだとウィリアムは思った。