表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/43

♭21

「別行動とは……我々をどこへ連れて行こうというのかね?まさか、軍人どもを引き離したということは、我らを消すつもりではあるまいな?こんな人だかりではそれも不可能、いや貴様の土地だから皆、蛮行も見てみぬ振りか!」


 ジノヴィエフ卿は恐る恐る、トニーの狙いを聞き出そうとするも、途中からあらぬ方向に妄想が肥大し、勝手に被害者になっている。


「はぁ?そう思うんなら何でついてきたんだよ。馬鹿じゃねぇのか、お前?」


「こ、ここで取り残されても祖国には帰れぬだろう!とんだ時点で、最初から従うしかなかったというわけか!おのれ、魔族め!」


「何言っても無駄みたいだな。まずは酒でも飲み直すか。ジャック、酒場を探して来い」


「はっ!」


 こちらの面子はトニーとジャック、それにジノヴィエフ卿を含んだロシア人のゲストが三名。合わせて五人だ。


……


 三分ほどでジャックが戻り、酒場が見つかったと申告する。


 そこは一階のフロアに大きなステージを持つ酒場で、その上ではチャイナドレスの若い女どもが明かりに照らされて妖艶な舞を披露している。


 言ってしまえば会員制の高級クラブのような場所だが、領主のトニーは問題なく顔パスだ。

そして当然のように上階のボックス型のVIP席のような場所へ通され、そこから階下の踊りを見ながら酒を楽しむ形となった。


「こ……これは。いかがわしい店ではないのか」


「ロシアにも似たような店くらいあるだろ?たまにはカミさんの事を忘れて目の保養をしていけ。ようこそ、我が領地、中国へ」


 中国国内では珍しいであろう、ワインボトルが運ばれてきて、乾杯する。


「心配しなくても俺の驕りだ。何せ、お前らへの接待なんだからよ」


「ふ、ふん!油断させようとしても無駄だぞ!」


 言いながら、ジノヴィエフ卿はワイン入りの杯をぐいとあおった。

 そして、目線は自然と目の前のトニーや酒から外れて階下のステージへ向いている。


「なんだかんだ言って楽しそうじゃねぇか。どう取り繕っても男の性には敵わねぇよな。なぁに、恥ずかしがるこたねぇ。おい!」


「はい!お呼びでしょうか、閣下」


 ボーイを呼びつけ、小銭を握らせる。


「こちらのお客人たちが綺麗どころをご所望だ。三人つけてやってくれ」


「はい、もちろんでございます!その、閣下の分の娘は宜しいので?」


「今日は俺がホストでな。こいつらに楽しんでもらえればそれでいい」


 トニーとて、女を侍らせるのは大好物だが、自身が楽しむのはまた今度だ。真面目に接待をしてやることにする。


「ジャック、お前もやるか」


「いえ、お構いなく。私には酒も女も意味がありませんので。閣下も気にせずお楽しみいただいて結構ですよ」


「残念だが仕事なんでな。退屈しのぎに、俺の話し相手にでもなってくれ」


「はっ、喜んで」


 ジャックは直立不動。トニーの後ろに立って微動だにしない。冗談もこの通り、真面目に返されて終わりだ。


 三人の綺麗どころが登場し、それぞれ客人らの隣に座った。さすがプロというべきか、にこやかで愛想のいい娘ばかりだ。


「お、おい。将軍、これはどういうことかね」


「どうもこうもねぇよ。飲みの席に華は必要だろうが」


 ジノヴィエフ卿は言葉では嫌悪感を示しつつも、鼻の下を伸ばしている。

 悪い気はしていないのが見え見えだ。


「ささ、どうぞ。お飲みになってください。せっかくですから楽しみませんと」


「あ、あぁ……」


 隣の嬢に酒を勧められ、言われるがままに杯を受けている。

 そこからはどこから来ただの、仕事は何だの、いろんな質問を受け、それに渋々返している。それに対して「すごい!」「偉い人なんですね!」と良い反応が返ってくるので段々と心地よくなってくる。


「まさか、実は彼女たちは魔族で、我々が酔ったところをバクリとはならんだろうな」


 他の男が言った。


「んなわけねぇだろ。こいつらは正真正銘、この国の人間だ。いい加減、俺のやることに裏なんかねぇって信じろよ」


 厳密に言えば良い気分にさせようとしているのだから、裏がないわけではない。ただ、騙して殺そうなどと考えていないのは本当だ。


「お望みとあらば、お持ち帰りも手配してやるぞ」


 これにはジノヴィエフ卿を含む三人の客人らは顔を真っ赤にする。

 果たしてその赤ら顔は怒りか、酔いか、別の妄想から来る興奮状態か。


「な、なにを言っているんだ貴様は!」


「然り!我らは視察を名目に来ているのだぞ!女遊びなど必要ない!」


「ほう?まぁそう言うなら無理にとは言わん。でもな、酒の席なんだからちっとは楽しそうにしてろ。世話焼いてる俺の顔が立たねぇだろうが。何にでも跳ね返るのは大人の対応とは言えねぇぞ」


 実際、トニーは彼らが嫌がることをしているのではない。警戒心が解けないのは当然かもしれないが、好意に対して文句ばかり言っているのは考え物だ。


「そうですよぉ。閣下が誰かをもてなすなんて、二度とないチャンスかもしれないんですから」


「楽しみましょう、ね?」


 そこへ、同席する美女たちからの援護射撃。

 こちらに対しては怒鳴るわけにもいかず、ゲストたちはシュンとしてしまう。


「酒ばかりでは悪酔いするかもしれねぇな。何か腹にたまるものを出せるか?飯だろうがデザートだろうが何でもいい」


「はっ、手配させます」


 ボーイに、というよりは真後ろに立つジャックに聞こえるようにトニーが言い、ジャックから店側、そして調理場にそれが伝わっていく。

 酒場なのでさっきまでいた中華料理店ほどのものは出てこないだろうが、この席で味は二の次だ。


 その料理が出てくる前に、この国でも流行り始めているスーツ姿の男がやってきた。


「いらっしゃいませ、バレンティノ将軍閣下。当店はお楽しみいただけていますでしょうか。支配人でございます」


「おう、良い席を準備してくれてありがとよ。女も粒ぞろいだ。さっき食い物を頼んだところだが、それが良ければ満点だな」


「もちろん、料理も自信がございますのでご安心を。当店専属の料理人がお酒に合う品を提供いたします。何か他に、お困りごとはございませんか?」


 店長ではなく、支配人自らそんなことを訊きに来るのも珍しい。気を利かせて、トニーに顔を覚えてもらいたいといったところか。


「特にねぇ。わざわざ挨拶に来るとは殊勝なことだ。お前も飲んでくか?」


「いえいえ!滅相もございません!では、お客人とごゆっくりお楽しみくださいませ」


 一礼して、支配人を名乗った男が引っ込む。


 スーツは当然、トニーをはじめとして、組員らが流行らせた形だ。フォーマルという認識が強く、仕事着として着用している者が多い。


 そしてしばらく後、料理というよりは見た目が派手な皿が運ばれてくる。

 色とりどりのフルーツの盛り合わせだ。


 席にいる女たちは黄色い声を上げるが、トニーは不満げだ。


「あぁ?確かにデザートでも構わねぇとは言ったが、そのまま果物がどっさり積まれてるだけじゃねぇか」


「なんだ、意外なところでへそを曲げるのだな。御馳走ではないか」


 ジノヴィエフ卿は意外にも気に入ったらしい。ブドウを一つまみ、口に放り込む。確かにロシアの厳しい環境ではこんなにも大量のフルーツは贅沢品なのかもしれない。


 しかし、その後にはゴマ団子や月餅などの出来立ての焼き菓子も運ばれて来た。こちらは果物の大皿のような手抜き感を感じず、トニーも納得した。


 ただ、どれも甘い。旨いのだが、さすがにデザートばかりで酒もワインときたら口の中が糖分まみれだ。

 何かさっぱりしたものが欲しくなってくる。


 そんなことを考えていると、卵と米で作られた粥か雑炊のようなものが出てきた。とろみがあり、するすると胃に入る。

 デザートから米とはどういう流れでそうなったのか分からないが、これは単純にありがたい。


「ジャック、こいつを再注文だ」


「はっ!」


「おやおや、将軍は意外にもそんな庶民向けの粥が好みなのかね」


 少し見下したような言葉がジノヴィエフ卿から飛んでくる。


「口の中が甘すぎて気持ち悪くてな。今、俺にとっての一番の御馳走は辛い料理かもしれねぇ」


「ふん。であれば粥ではなく、辛い料理を頼めばよいのではないか?」


「あー、確かにそうだな。ジャック、変更させろ」


「ははっ!」


 雑炊のお替りはキャンセル。辛い料理をリクエストだ。

 ただ、四川料理ほどでなくとも中華料理の辛さは全体的になかなかのものである。


 運ばれてきたのは麻婆豆腐だったが、これが相当に辛い。

 トニーは眉をひそめ、食べなかった果物にも手を伸ばす。


 当然、他の面々も麻婆豆腐に手をつけるわけだが、香辛料に喉を焼かれて、揃って咳き込み始めた。


「な、なんだこれは!辛すぎやしないかね!」


「然り!辛い料理を頼んだのは見ていたが、これほどとは!」


 周りの女たちが手で口を抑えて笑う。

 彼女らは話を聞きながら酒を注ぐばかりであり、何も口にしていないので無事だ。もっとも、食べさせたところで現地の住民は辛さには強いのかもしれないが。


 上海料理なのでこの程度で済んでいるが、仮に韓国料理や本場の四川料理、インドカレーだったらもっと酷いことになっていたかもしれない。


「ほらほら、おしぼりをどうぞ」


「甘いもので喉をお休めくださいね。はい、あーん」


 彼女らの行動は辛さに負けた男たちへの、恥の上塗りにしか見えない。

 だが、それでも綺麗な女に甲斐甲斐しく世話を焼かれては従ってしまうのが男の悲しいところだ。


「ふん!」


「ええい、構うな!」


 そう言いながらもおしぼりで口を拭われ、ブドウを口に突っ込まれるのに彼らは無抵抗なのである。


「盛り上がってるじゃねぇか。どうだ、もう一度同じ質問だがな。女どもを持ち帰りたいんなら俺が話をつけてやるが?」


「い、要らぬと言っておるだろう」


「う、うむ。我らは視察に来ているのだ」


 まだ押せないようだとトニーは把握する。本来は娼館に直接連れて行っても良かったのだが、たまたま見つかったのが卓にキャストの付くこの店だったので、この状況を利用しようとしたのである。

 ただ、最初に訊いた時よりも少しは懐柔できているようだ。


「まったく、お堅い連中だぜ。仕方ねぇな。ジャック、俺にも一人付けるように言ってこい。この店で最上の女だ」


「はっ、かしこまりました」


 作戦変更。ゲストが楽しまないのであれば、自身が好きなように遊ぶしかあるまい。


 現れたのはすらりと背の高い、黒髪の中国美女。

 チャイナドレスは純白で、手には金色の扇子を持っている。


 ゲストについている三人も美人だが、やはり本命はトニーが呼んだ場合の為に隠していたかと納得させられた。

 彼らも目を見開いて、その美貌に驚いている。


「……お前が看板娘か。さすがにいい女じゃねぇか」


「お褒めいただきありがとうございます。お隣、失礼いたしますね、バレンティノ閣下」


 声も鈴音のように凛としていて聞き心地が良い。席に着くと、まずは挨拶代わりに杯へ新しい酒を注いでくれた。


「店側に禁止されてなければお前も飲んで構わねぇぞ」


「閣下の御誘いを断るわけにはいきません。いただきますね」


「おう、乾杯だ」


 ワイン入りの二つの杯がぶつかる。


「さっき支配人の男が挨拶に来たが、アイツの隠し玉ってところかね」


「滅相もございません。先ほどまで舞台上で舞を披露しておりましたので、たまたま手が空いていただけの事」


 言われてみれば、確かにこの娘は踊っていたように思える。舞台の上には何人かいたはずなので、これといって注目していたわけでもないが。

 トニーが気づかなかったのは、衣装を変えたとか化粧や髪を直したとか、おそらくその辺りが理由だろう。


「そうは言っても一番人気なのは変わらねぇだろ。世が世なら映画女優でもおかしくねぇな」


「映画……ですか。ありがとうございます」


 聞きなれない言葉。しかし否定はせず、礼だけを述べる。

 トニーもこの娘を気に入り、手放しでベタ褒めだ。


「しかし、踊りからすぐにこの卓に付くとは、だいぶ慣れてるみたいだな。この仕事は長いか?」


「えぇ。閣下がこの地を統治される少し前より働いております。三年ほどでしょうか」


「そうか。客の羽振りはどうだ。以前と比べて」


「格段に生活水準は良くなりました。この街に住む者で、閣下に感謝していない人の方が少ないと思いますよ」


 これは非常にうれしい意見だ。武力で奪い取った街ではあるが、税を下げたり物流を良くしたりと様々な施策を講じてきた甲斐があったというものである。


 ただ、もちろん割を食った者もいるだろう。以前の状態での重税や賄賂などから来る大きな富を持っていた者たちだ。


 そのほとんどの首は飛んでいるだろう。物理的に。ただ、生きながらえて辛酸をなめている者も必ずいる。


 ただ、トニーや魔族に刃向かうほどの胆力があるかというとそうでもない。その人間は落ちぶれようとも、町全体は良くなっている。

 復讐を誓っても、賛同者など集まらないのは目に見えている。


 そして皮肉にも、その者らは以前より金を失ったかもしれないが、街にあふれる物やサービスは以前より良くなっているのだ。当然、それは住民の誰しもが享受できる。

 怒りをどこに向けるべきか分からなくなってしまうだろう。


「街ってのは賑わってるのが一番だからな。特に水商売は、衣食住が充実して初めて儲かり始める。俺としては花街に活気があるってのがかなり重要だ」


「その観点からでも、とても良い街になりましたよ」


「そうか。時々は遊びに来るとしようじゃねぇか」


「おや。その仰い方は、今日はもう行ってしまわれるんですか?」


 どことなく、話を切り上げようとしている空気を察し、女がトニーをやんわりと止める。


「そんなつもりはねぇが、そう聞こえたか?そうだな、お前は店外に連れ帰っても良いのか?」


 もう少し一緒にいたければ抱かれろ、と暗に伝えていることになる。


「あら、そういうことでしたら。さらに上の階にいくつか個室があります。ご一緒してくださいますか?」


 要するに、お持ち帰り用の特別室だ。

 看板娘が少しも渋らず受け入れたのは、トニーの立場あってこそか。


 そして、それを見ているジノヴィエフ卿らは黙っていられない。


「バレンティノ将軍!貴様は何を勝手に盛り上がっておるのだ!」


「然り!我らの視察はどうなる!」


「あぁ?俺に指図するな。退屈ならお前らもそれを連れて上がればいいだけの事だろう。一時間後にまたここに集合でどうだ」


 トニーの言葉にゲスト三人は唖然とする。

 が、唖然としているように見せているだけだとトニーは推察した。どうしようもない状況に追い込めば、彼らの安いプライドも崩壊するだろう。


「ジャック、こいつらに危険が無いように見張っておいてやれ。上に来る場合も部屋まで護衛だ」


「はっ、かしこまりました」


「んじゃ行くか」


「えぇ、閣下」


 トニーが立つと、その腕を掴んで女が歩みを共にする。

 ゲスト三人も、ここまでの反抗っぷりからトニーがこの場にいる状態では受け入れ辛いはずだ。あえて自分の目が届かない場所に移動し、動きやすいようにしてやる。


「あのおじ様方も、中々に恥ずかしがり屋さんなのですね」


「あぁ、この俺が折角もてなしてやってんのにな。強情な奴らだ」


 用意されていた部屋は中央に大きな寝台が一つ置かれただけのものだったが、掃除は行き届いており非常に清潔だった。これだけでも直接、娼館を選ぶより正解だったと言える。


「この部屋に酒は持って来れるか?」


「えっ」


 まだ飲む気なのか、という驚きではない。この部屋に連れてこられた場合、やることは一つなのだ。それ以外の要求というのが珍しくて看板娘は驚いたのである。


「かしこまりました。卓や椅子も持ってきてもらいましょうか」


「いや、盆にでも乗せてきてもらえればそれでいい」


 寝台の上に場所さえ作れば酒は飲める。


……


 一度退室した女がまた戻ってきてから数分後、トニーの要望通りに酒が運ばれてきたが、卓と椅子もついて来てしまった。

 寝台の上では飲み辛いだろうし、仮にこぼしてしまった場合などはトニーが寝づらいだろうという配慮らしい。


 そして、それを運んできたのは二人のボーイと、この店のオーナーだった。


「なんだ、お前まで働かされてんのか?」


「いえいえ、閣下が使われるお部屋ですから。他にも不足はないか、私の目でも直接見ておこうと思いましてね。料理はいかがでしたか?」


「まぁまぁだな」


「恐れ入ります。部屋の前に一人立たせますので、御用の際は大声でお申し付けください」


 これも前代未聞だろう。お持ち帰り用の部屋に人をつけるなど。


 無論、要らないのであればトニーが離れていろと伝えるだけであるが、どうでもいいとそのままにしておいた。

 並の人間であれば、人が近くにいる状態で女と媾おうとはならないが、常にジャックを自室の前に立たせているトニーにとっては些事だ。


「では一献。どうぞ、閣下」


「おう、お前もまだ飲むなら付き合え」


「これ以上は酔ってしまいそうですわ。それでも宜しければお付き合いいたしますが」


 返杯をしようとワインボトルをトニーは手に取ったが、確かに女の言うことに嘘はなさそうだ。頬は赤く、少し目もまどろんでいるように思える。

 せっかくのお楽しみが泥酔した女とではつまらないだろうということで、無理強いは避けた。


「……いや、飲まなくていい」


「かしこまりました。おや、外が?」


「……来たか。随分早かったが」


 部屋の外、複数人の足音。他の客でなければ、どうやらゲストたちが早々に折れたようだ。

 ぞろぞろと同じフロアの別の部屋に人が入って行っているのであろう。そして、その予想は当たり、ジャックの声がする。


「閣下、ジャックでございます。入室許可をいただけますでしょうか」


「おう、入れ」


 次の瞬間にはスーツ姿のスケルトンが足を揃え入室、姿勢を正す。


「失礼いたします。お三方が近くの個室へ別れて入られました」


「分かった。部屋の前で見張っておけ。すべての部屋の入り口が見える位置ならどこでもいい」


「はっ」


 彼らが何かするというよりは、侵入者への警戒だ。

 この部屋も含め、同じフロアであればジャック一人で事足りよう。


 そして、何も指示はしなかったが、ジャックはこの部屋の事も見張ってくれることだろう。ボーイが立っているらしいので不要ではあるが、それすらもジャックには警戒の対象でしかあるまい。


「……」


「閣下?どうかなさいましたか?」


 口に持っていこうとしていた酒のグラスを空中で静止させ、トニーが何やら考え込む。


「今、この部屋に来てどのくらいの時間がたった?」


 時計など持っていない世界の住民だ。そんな女に訊いたところで……


「三十五分ほどかと思いますが、いかがされました」


「ほう?出鱈目を言ってるんじゃなければ、なかなかのもんだぜ」


「ふふ、時間の感覚には自信があるんです」


 色んな卓での接客や踊りを時間ごとにこなしているせいか。思ってもなかった細かい回答にトニーが感心する。


「ということは、残り二十五分ってところだな」


「あら、先ほどのお連れの方とのお約束までの刻限でしょうか。お言葉ですが、お三方はお部屋に入られたばかりのはず。その時間で事が済むとは考えづらいのですが……」


 二十五分でお楽しみが終わるはずもないとの助言だ。トニーもそうは思う。


「何事も俺が基準だ。奴らに二十五分しかなかろうと関係ねぇ。俺が一時間だと言えば、約束は一時間後だ」


「待たされることになってもよろしいのでしょうか」


「……ブチ切れる理由ができるじゃねぇか」


「そんな、わざわざ対立せずともよろしいではないですか。もう少し楽しみましょう。ね、閣下?」


 まったく、やはり絶世の美女の甘えにはトニーと言えども敵わない。


……


 ひと試合終え、トニーが女と一緒に元の卓に戻る。

 二十五分とはいわないが、かなり早めに終わらせた。当然、ゲストたちはまだ降りて来ていない。


「どうぞ、一献」


 一人で待たされるわけではなく、美女から酌を受けながら話もできる。トニーが怒るのを止めるには良い手段だ。


 一瞬だけジャックが報告のために降りてきた。トニーが先に退室して下で飲み直していたことは廊下にいた彼も把握済みだ。


「閣下、報告申し上げます。今からお三方の内、お一人が参られます。残りはまだのようです」


「そうか、上に戻ってそっちを見張っておけ」


「はっ、失礼いたします」


 ジャックの言葉通り、入れ替わりで一人とその連れの女が姿を現す。ジノヴィエフ卿だった。


「ぐっ……!」


「なんだよ、鳩が豆鉄砲を食ったようなツラしやがって。俺が先に待ってるとは思わなかったか。だが三人の中では一番早かったんだ。年の割には頑張ったんだな、おっさん?」


「な、何も頑張ってなどおらぬわ!」


 さっさと事を済ませ、トニーに気づかれないように涼しい顔をしてここにいるつもりだったか。ジノヴィエフ卿はバツの悪そうな表情をしている。


「この期に及んでごまかせるわけねぇだろ。正直に言えよ。良い店だったよな?」


「ふん……確かに悪くない店だ。連れて来てくれたことに感謝しよう、バレンティノ将軍。だがしかし!それが貴殿や魔族への評価につながるとは思わんことだな!」


「そうかい。そりゃ残念だ」


 まだ足りないかとトニーは次の策を思案する。


 酒、女とくれば、次は金や地位だが、後者はトニーに与える権限はない。

 出来ても名ばかりの親善大使くらいか。少なくともロシア国内での出世とは関係ない。


 では金という話になるが、面と向かって賄賂など受け取るまい。それに、トニーとしてもせっかく善政を布いて民から少しずつ集めた税をそんなことには使いたくない。

 であればどうするか。他の二人の反応も見てみて考えることにする。


「いやはや、バレンティノ将軍閣下は良いお店をご存知だ」


「然り!至れり尽くせりとはこの事であるな!全く!」


 仲良く残りの二人と女たちが卓に戻ったところで、お伺い立てだ。


「よう、気に入ってくれたようで何よりだぜ。俺の言った通りだったろ。確かにここで生活してるのは人間だし、それなりに楽しく暮らしてんだよ」


 ジノヴィエフ卿は渋々、他二人は大きく頷く。


「モスクワと協力できるってのは分かったはずだ。確かに俺はこの国を落としたときに武力は用いたが、取り込んで以降は悪くない政治をしてきてる」


「うむ……」


「アンタらの国に期待してんのはあくまで同盟関係で、俺らと敵対する魔族とやり合うのに必要だ。あっちの連中は人間を滅ぼすのが目的だからな。魔族にもいろいろあんだよ」


 もう何度目になるか分からないほど伝えてきた内容だが、今は大きな効力を持つ。店では良い思いをし、実際に街の様子を見た今ならば。


「そうだな。ここまで来て疑うのは止そう。貴様らは魔族ではあるものの、我ら人間にも理解があるとみて間違いない」


「だろ。分かったら皇帝にも同じような報告を頼むぜ。そして、一気にあの犬っころの軍団を潰す」


 オースティン副長の事をジノヴィエフ卿は知らないだろう。だが、意味としては敵の魔族を潰す事だと十分伝わる。


「仮に味方するとして、我らに望むのは?」


「基本的には後方支援だ。食糧、寝床の提供。敵には俺たちがぶつかるからそっちの兵隊は要らねぇ。首都や周辺の街の防御にでも使っとけ」


 これも言ったはずだが、再確認だろう。

 ロシア国内が全面的にトニーへの協力体制を取れば、一気に戦争がしやすくなる。補給は近くの街で出来るようになり、わざわざ空間転移で本国や属国から物を運ぶ回数が減る。


「こちらの街や村落が襲われやすくなるのでは」


「それは最初からだ。奴らは目についた集落は全部攻撃してるみたいだからな。首都陥落には出張ってきたが、今はまた移動して各地で暴れてるだろうぜ」


 結果としてモスクワは落とせていない。オースティンがどこで何をしているのかは分からないが、兵員の多くがモスクワに引き付けられているのはこちらも同じ。

 その隙に裏で何かしているのは間違いない。事実、ロシアではないがロサンゼルス城は攻撃を受けてしまった。


 よくよく考えれば、ここ上海とて絶対に安全とは言えない状況だ。

 しかし、空っぽに近い状態だったロサンゼルスとは異なり、ここには多くの人や地元民の兵もいるので早々に落ちはしない。

 真っ先に本拠地を襲ったのはオースティンもそれが分かっていたからだろう。


「……わかったわかった。我々の降参だ。ただし、まずはモスクワ周辺に展開している敵を撃滅してから。その後に話を進めようではないか」


「残ってるのは数が多いだけの雑魚ばかりだ。しばらく待ってれば終わる。安心しな」


 オースティンが戻って来てしまえば事態は一変するが、おそらく彼は別の仕事で手一杯のはず。

 モスクワ戦の終結は時間の問題だとトニーは見ている。だからこそ、こうしてトニーにウィリアムという主軸の人物を陣から留守に出来ているのだから。


「口では何とでも言える。安全を謳うのであれば、さっさとそうしてみてくれたまえ」


「世話になろうってんのに、いつまでも偉そうな野郎だ。まぁいい。舐めた態度はいずれ後悔しろ」


「ふん!世話になるのはお互い様だろう!我らの補給が目当てなのは分かっているのだからな。ここは対等であるべきだ」


 そのための尊大な態度というわけだ。


「対等なら酒と女の分はきっちり働いてもらうとするぜ。そろそろ戻るが、他にこの街で寄りたいところはあるか?出来る限りは手配してやる」


 三人がトニーの提案にしばし思案する。

 小声で何か相談し、代表してジノヴィエフ卿が発言した。


「では、この街の中心、王宮や総督府のような場所があれば見せてもらえるかね?」


「つまらねぇ回答だ。しかし仕事熱心で感動したぜ。いいだろう。弟の方と合流して、最後は庁舎を見ようじゃないか」


 上海にある宮殿は、しばらく前にトニーも拠点として使っていた場所だ。内部情報を渡すわけでもなければ、案内すること自体は問題ない。

 酒の入った赤ら顔に、妙にすっきりした身体で向かう場所ではないかもしれないが、ここで仕事に切り替えられるのは大したものだ。無下にするわけにもいくまい。


「ジャック、勘定を受け取ってこい。将軍ご一行は無料だ、なんて言わせるなよ。自分の街で金も払えないなんざ、恥でしかねぇ」


「はっ!」


……


 ジャックがボーイにそれを伝え、やはりオーナーが自ら請求書を持ってきた。

 それを見たトニーが顔をしかめる。思っていた額の半分にも満たない。


「なんだ、これは?割引か?正規の値段で取れ」


「いいえ、閣下。これが正規の価格で間違いありません。ただし、女やその他の従業員にチップを支払うのは自由でございます」


「そういうシステムかよ。じゃあこれで全体の払い。こっちはこの卓に関わった全員で山分けしとけ」


 店の払いで銀貨を数枚と、チップとして金貨を十枚包む。あまりにもおかしな配分と金額に、店のオーナーは白目をむいた。


「閣下!いくらなんでも頂きすぎかと!」


「あぁ?なら……こうだ。その二枚はボーイや料理人と分けろ。八枚に関して、てめぇは見てねぇ」


 金貨十枚を取り戻し、まだ席についている女四人に直接金貨を二枚ずつ、二枚はオーナーに手渡す。


「何も変わらないではありませんか……い、いえ、ありがたく頂戴いたします」


 内心では嬉しいのだろうが、ここまでの金額を受け取ると今後どんな要求をされるのか戦々恐々と言った様子だ。

 初めは顔を覚えてもらおうと出てきたのだろうに、予想以上の反応をされて委縮してしまったか。

 それを見越して、トニーも一言付け加える。


「心配すんな。金を渡したから何かに協力しろなんて意味は含んでねぇよ。ただ、楽しめたし世話になった心からの謝礼だ。特にこの女どもは気に入った。待遇を手厚くして大事に雇ってやれよ」


「は、ははっ!これからも精進いたします」


「閣下、またお会いできますか?」


 横にいた看板娘もここぞとばかりに名残惜しさを売り込んでくる。


「おう、またお前に会いに来るとも。おっさんらもまた来たいよな?」


「は!?我らを巻き込むな!そもそも貴様らが魔術を用いないと、この国には入れんだろう!」


「来たいってよ。お前らも良かったな」


 他に卓についていた女たちにも言葉をかける。彼女らがロシア高官たちをどう思っているかは知らないが、上客なのは間違いないので笑顔を見せる。

 勝手にまた来たいということにされてしまったジノヴィエフ卿らの顔はさらに赤くなった。


「では、お見送りを。下までご案内いたします」


 オーナーを先頭に、トニーと腕を組む看板娘、ゲストたち、ジャックの順で店の入り口へと移動する。


「またのご来店をお待ちしております」


 深々とオーナーとキャストの四人からのお辞儀を受け、歓楽街の喧騒へと戻った。


……


「おや?思ったよりも早かったな」


 酒場や娼館が建ち並ぶエリアから、商店が多いエリアに戻ると、その途端にウィリアム一行を見つける。

 あちらもトニー達に気づかないわけがなく、兄弟は歩み寄った。


「良い酒場があってな。そこで折り合いがついた」


「折り合い、ね……まぁ、分かった。どこか行くことになってるのか?」


 女の香と酒の匂いに苦笑いを浮かべながらウィリアムが訊いてくる。


「おう。庁舎を見たいとのご所望だ。そっちの用事が済んだら一緒に……ぐおっ!?」


 カトレアがトニーの鳩尾に突撃する。当然ご立腹だ。


「閣下、どこの女と遊んでたんだい!あたしには分かるのだよ!」


「何しやがる!こちとら真面目に仕事の話を進めてたってのによ!勘の悪い女は捨てられるぞ!」


「そんな甘ったるい匂いをぷんぷんさせてしらばっくれるとは!遊んでばっかりいないであたしの事も大事にしてくんないかね!」


 謎の肝っ玉母さんとしての新たなキャラクターが生まれる。演技派女優なのは結構だが、毎度毎度、解像度の高い役柄をどこで覚えてくるのかよくわからない。


「店の匂いの事なんか知るか!酒場で宮殿に行く話をまとめてたんだよ!」


「ふん!どんな店だったんだか!ともかく、しばらくあたしは離れないからね!」


「勝手にしろ!」


 落着したようで、一同は安心する。


「では俺が先導しよう。あぁ、そうだ。客人らが土産として仕立ててもらってる服があるんだが、先に寄っていいか?」


「おう、構わねぇぞ」


 ジノヴィエフ卿らにも簡単な土産を持たせるのにちょうどいい。


 頼んでいた者は仕立て屋の服を受け取り、そうではない者には適当な小物を土産品として渡し、宮殿へ向かう。

 カトレアがよほどトニーの気を引きたいのか、受け取ったばかりの服に着替えると駄々をこねたが、それは後でのお楽しみに取っておけとウィリアムが宥めて難を逃れた。


 平気で女遊びをするトニーの為に健気な事だが、今はタイミングが悪い。


 移動には転移ではなく、馬車を二台利用した。この時もウィリアムの引率組とトニーの引率組で別れて乗車する。

 ただし、カトレアだけはトニーの側に乗った。


 馬車は箱型ではなく、平型の屋根のないタイプである。乗客というより荷物のような扱いではあるが、宮殿に向かうまでの街の風景を、開放的な車でゲストたちに楽しんでもらおうという趣向である。


「風が気持ちいいな」


「然り。やはり暖かな国ならではというところですかな」


 ゲストたちの反応もまずまずだ。


「居心地も結構だが、街並みをぜひ見て行ってくれ。なかなか活気があって見事なもんだろ。俺との戦いの後、住民たちが自らの手で復興したんだ」


「壊した側が自慢することでは無かろう」


「ははは!確かにそうだな!だがまぁ街を全部壊したわけじゃねぇし、ウチの兵隊も手伝ったからな。許せ!」


 その、トニーの言葉を後押しするかのように、道行く人々がトニーに手を振り、頭を下げた。涙を流しながら拝んでいる老人や、馬車に並走して遊んでいる子供たちもいる。


「むぅ……この情景を見せられて、恨まれていると断じるのは難しいか」


「そういうこった」


 住民らがこんなに幸せそうに暮らしているのに、外野の自分たちがトニーを糾弾するのはおかしい。そう感じたジノヴィエフ卿が、さすがにその功績を認め始める。


「貴殿がこの領土を得る前は、よほどの悪政に民草は苦しんでいたのかね?」


 ゲストの一人が訊いてくる。


「そこまでじゃねぇな。だが、それよりも暮らしやすくした自信はある」


「閣下はこんな怖い顔のくせに優しいんだよ!アメリカ国内でこんな栄えてる街無いもん!」


 アメリカ本国は誰かの領地というより、民主は自由気ままに暮らしている傾向が強い。ヘルのように城下街として纏めている者もいるが、規模としてはやはり人間の街には敵わない。


 人は魔族以上に、寄り添って互いに依存しながら生活を送っている。


「つまりそれは、たとえば我らが暮らすモスクワなど、元々そこにいた人間が貴様らの街より大規模だったというだけではないのかね?」


「ぐむっ!そ、そうとも言うね!でもそれを維持してるじゃん!」


 カトレアの言い分であれば確かに何も凄くはないのだが、「栄えている」という状態を街の規模ではなく民の幸福度で喩えれば、この上海はかなり恵まれている街と言えるだろう。

 そして、それをトニーが付け加える。


「要は、モスクワの人間より上海の人間の方が楽しそうに暮らしてんだろって事だ」


「果たしてそうかね?我らにとっては目新しいものが多くて興味深いのは確かだがな」


「真似したい建築物や店舗、生産品があれば、遠慮なく知識を持って帰ってくれ」


 モスクワが栄える、良い街になる事に対してトニーは好意的だ。

 特に、極寒の地にある街なのだから、過ごしやすかったり楽しかったりする目玉は何かしら必要だろう。


「建築物は無理だな。大雪に耐えられず倒壊する。それに、木造の建物が多い。我が国は石造りが基本だ。しかし、食べ物は旨かったな」


 ジノヴィエフ卿はしみじみと料理屋の事を思い出す。

 現世出身のトニーやウィリアムですら美味いと思った料理だ。だが、あれは持ち帰れば作れるというわけではない。


「それなら朗報だ。当然ながら、こっちと友好関係になれば貿易が始まる。食糧だって取引されるだろうさ」


「貿易?ふむ、外国と商売をするわけか。であれば料理も買い取れるんだな。良い話を聞いた」


 ロシアは他国と行き来が出来ないせいで事実上鎖国しているのだから、海外とのやり取りは皆無。それが解禁されるとしたら生活は一変しよう。


 今回、少量の料理を持って帰ったところで再現は出来ないだろうが、料理そのものに加え、材料なども多くやり取りできるようになれば、ロシアで中華料理が流行することも有り得そうだ。


「逆に、海外に輸出できるような主力商品はあるのか?」


「ふーむ。鉄だろうか。鉄鉱石は多く取れるのでな。小麦などもあるにはあるが、そこまで余裕があるかと聞かれれば微妙だ」


 現世のロシアは石油などのエネルギー輸出国だが、こちらの世界では石油も天然ガスも利用するまでに至っていない。

 資源として存在はするかもしれないが、その代替手段として魔術があるので、需要としては低いだろう。


「鉄か。悪くねぇな。金属はいくらっても困らねぇ」


「ほう、買い取ってくれるか」


 トニーは死神ヘルの協力の元、秘密裏に銃器を多く生産させているので、鉄だろうが鉛だろうがアルミだろうが、あるだけ欲しい状態だ。


「当然だ。質は見せてもらうがな。それと、食料が少ないってのを漏らすのは意外だな。てめぇは俺らのことを信用するに値しないと思ってんだろ?敵に弱点をさらすのと同じじゃねぇか」


「馬鹿を申すな。農耕が難しい寒冷地帯にある国で食料が不足しがちな事くらい、誰にでもわかるものであろう。弱点をさらした内にも入らんわ。ここまでの話であれば、鉄と食料での貿易が主になりそうだな」


「おう。たんまりと買い取れるのを楽しみにしてるぜ」


 ロシア皇帝のいない場で確定という話でもないが、一応は貿易ができそうな話も取り付けた。ジノヴィエフ卿が宮殿内でどのくらいの地位にあるのか定かではないものの、輸出品の舵取りくらいはできる人物だと信じたい。


「ほかの国とはすでに商売をしているのか?」


「限定的だがな。ただ、本国アメリカには売れるものがほとんどない。俺の領地同士でのやり取りがほとんどだ」


 アメリカの荒廃した台地では何も育たない。

 トニーが自国で作っているものといえば武器くらいなものだが、これは売り物ではない。


 貿易といえば、トニーは支配下に置いているアジア各国同士での取引を補助するような形になるのも当然だ。


「アメリカ、魔族の国か。地獄のような場所なのだろうな」


「何もなくて退屈なのが地獄だと思うなら、そうなるな」


 つまり、トニーにとっては地獄であるということが確定する。

 彼ほど退屈を嫌う人間もいないだろう。


「退屈?おどろおどろしい闇や、轟々と燃え盛る溶岩地帯を想像してしまうがな」


「聖書通りの地獄ならな。実際は荒廃した平野が続く不毛の大地ってイメージが近い。山や森もあるにはあるが、国土面積に対して小規模なものしかない。だから人間の国を襲ってる連中が多いんだよ」


「食糧が不足しているということか。我が国以上の場所があるとはな。それも魔族であれば大飯ぐらいも多かろう」


 カトレアをイメージしたのであれば筋違いだが、別にどうでもいいことだ。


「心配しなくても俺たちの軍団に関して、食い物は他を当たる」


「うむ。この街も支配下なのであれば、むしろ我が国より貴様らの軍のほうが良いものを食っているだろうな」


 馬車がいろんな商店の通りを抜け、娼館や酒場の立ち並ぶ歓楽街を通り始める。なぜこのルートなのか知らないが、観光サービスのつもりか。


 ただ、カトレアの視線が鋭くなる。気づかなければそれが一番だったが、彼女の嗅覚はごまかせなかったようだ。


「むむっ!いかがわしいお店がいっぱいありますなぁ!閣下はここでお仕事をしてきたのかねぇ?似たようなお酒と香水の匂いがプンプン致しますなぁ!」


「なんだその変なしゃべり方は。どの店かは忘れたが、この近くの酒場だったはずだぞ。ステージには踊り子もいたから、そりゃ香水の香りも残るだろうぜ」


「いけしゃあしゃあと悪びれもせず!?ああーん!あたしという美しき妻がいながらぁ!知らない女の踊りだなんてぇ!」


「てめぇは踊ったりしねぇだろ!?」


 言われて悔しかったのか、カトレアはすっくと立ち上がり、走る馬車の上だというのにくるくるとその場で回り始めた。

 踊っているというよりは千鳥足でよろけながら回転しているだけだが、あどけない少女の姿なので子供が遊んでいるように見えて愛らしい。


「お、お、お」


「なにやってんだか。あぶねぇから座れ。落ちるぞ」


「おえぇぇぇ……」


 乗り物酔いか、目が回ったのか、いずれにせよ気分が悪くなったカトレアが荷台の端から顔を出して嗚咽している。何か吐き出したりはしていないようだが、演技でもなさそうだ。

 意外にもジノヴィエフ卿が彼女の背中をさすってやっている。


「瞬く間に転移を繰り返せる割に、目ぇ回すこともあるんだな」


「きもちわるいぃぃ」


「おい、貴様の奥方なのだろう?少しは大事にしてやらんか」


 さらにはジノヴィエフ卿からカトレアを慮るような発言まで飛び出し、トニーに苦笑させた。


「てめぇにそんな考え方があるとは驚きだな。他人のことを責めるのが仕事だと思ってたぜ」


「馬鹿を申すな!貴様を否定しているのは、貴様の言動と行動に問題があるからだ!街の活気など、認める部分は認めていただろう!」


「へいへい。おっと、ここからしばらくは練兵場なんかが続くぞ。魔族ではなく、この街の兵たちだ。見ておくといい」


「ふん!」


 がみがみと煩いのを黙らせるため、話題をそらす。それに気づくジノヴィエフ卿だが、確かに軍の施設は無視できない。

 カトレアは床にへたり込み……と思ったら這いずって、胡坐をかくトニーの膝の上へ。


「閣下ぁ。気持ち悪いぃ」


「俺のことを気色悪いみたいに言うのはやめろ。あと、絶対にそこでは吐くなよ」


 膝上から振り返ってトニーを見るカトレアは甘えたいだけだろうに、つっけんどんな態度をとられてしまい、頬を膨らませる。だが、トニーにとってはそれが吐しゃ物を口の中に溜めているようにしか見えない。


「おい、吐くなよ!飲み込め!」


「もう!本当に吐いちゃおうかしら!プンプンの香水の匂いが取れて一石二鳥だし!」


「将軍、あの建物はなんだ?異様に縦に長いが」


 夫婦漫才を差し置いて、ゲストの一人が五重の塔に興味を持ったようだ。


「あぁ?見ての通り、塔だ。特別な軍事施設ってわけじゃねぇ。中は狭いから宴会にも茶会にも使えねぇぞ」


 前々からある建造物だが、私兵団が実用するにしても見張り台としてくらいではなかろうか。トニーも詳しくは知らない。


 日本の仏閣でも似たような建物が見られるが、それよりはわずかに大きく、四角ではなく円柱形である。それでも使い勝手は悪いので、歴史的建造物という意味以上のものをトニーは感じられない。


「何か、儀式にでも用いるのかと思ったが違ったか。あれだけ高ければ神に近いだろう?」


「塔くらいロシアにもあんだろ。じゃあ逆に、そっちの国では高い建物で神に祈るのか?戦勝祈願とか?」


「い、いや。言われてみればそうだな。しかしこの、アジアの地域か?その中にある街に目立つ建物があれば、宗教的な意味合いがあるのではと考えてしまうのだよ」


 たとえば長年イギリスに住んでいる紳士が日本旅行で和風の古い家屋、特に大きな屋敷を見たとしたら、それは神社ではないかと勘違いしてしまうようなことだろうか。確かにありえなくはない。


「見晴らしは良さそうだからさ、デートスポットとして開放したらいいじゃん!入場料をちょっとだけもらえば潤うよ!」


 浅はかな考えに感じられて、なかなかカトレアの案は悪くない。私兵団もそうだが、軍隊というのはそれが利益を生むことはなく、税などで活動費が捻出される。


 軍がいるエリアにそういう場所があれば、その足しにはなる。ただ、常日頃から一般人であふれさせて良い場所ではないので、週末だけの開放など、日取りは決めた方が良いだろう。


「ジャック、手配しとけ」


「はっ!」


「日曜だけの開放で進めろ。入場料は銅貨二枚だ」


「はっ、かしこまりました!」


 即採用し、即行動だ。カトレアが鼻を鳴らして、いい事したでしょと自慢げにしている。


 ここで、後続のウィリアムの馬車が停車しているのが目に入った。同じようにあちらのゲストらも五重の塔が気になったのかもしれない。そのまま通過したトニーとは違い、ウィリアムたちは降りて見学するようだ。


 もちろん勝手にすればいいのだが、あまりに早く宮殿に到着しても退屈なので、こちらもどこかで停車することを考えておいた方がよさそうである。


「む、中も見れたのか」


 ジノヴィエフ卿も気づく。


「言ったろう。見たって中は狭いだけの塔だ。練兵の風景でも見た方が、ためになるんじゃねぇのか?」


「そうだな。では、兵どもの訓練でも見せてもらおうか」


「おう。見学するのによさそうな集団を見かけたら止めてやるよ」


 言うが早い、さっそくトニーが周りに目を凝らし始める。

 草生い茂る平野も多いが、建物も多いのでその中にいる兵などは見えない。狙うのは外で駆け回っている連中だ。


 一人、二人でスコップを手に何か作業をしている者、剣や槍を振っている者は見えるが、集団はなかなか見つからない。

 ぐずぐずしていると馬車はこのエリアを通り過ぎてしまう。


「あれはどうだ?」


 ゲストの一人が指さす。四騎の騎兵隊が列をなしてどこかに移動している。

 乗馬の訓練だろうか。見て面白いかどうかは疑問だが、他に目ぼしいものもないので、彼らをきっかけにする。


「ガキ、あいつらを呼んで来い」


「偉そうな頼み方!もう!それにあたしは体調不良なんですけど!」


 などと小言を言いながらも、次の瞬間にはカトレアはトニーの膝の上から消えていた。


 遠く、騎兵隊の前に立ちはだかる少女の姿。それに驚いた彼らは馬をいななかせて急停止する。少女が飛び出てきたことに驚いたのではない。カトレアだと理解して驚いたのである。この街を治める将軍の夫人。その認識がないはずもない。


 馬車を指さすカトレア。こちらを見やり、うなずいた彼らは一斉に駆けてきた。

 馬車の前で下馬し、兜を脱いで片膝をつきながら右手の拳を左手で包む、礼の姿勢をとった。


「バレンティン閣下!お呼びだと伺いましたが!」


「バレンティノ将軍、ご機嫌麗しゅうございます!」


 乗っている馬車は箱型ではなく平型なので、荷台のトニーは外からでも確認できる。トニーは手を挙げて返礼した。


「おう。訓練中に呼び出して悪いな。ここに同乗してるのは外国の使節団みたいな連中なんだが、訓練をしているのを見学させてやりたい。何でも構わないが、面白い訓練をしている奴らを知らないか?」


「我らは騎乗での疾駆の訓練中でしたが、それでしたらご自由にご覧いただければと」


 要は駆け足の練習か。見栄えも良いし、つまらなくはないが果たして。


「うむ。少し見学させてもらおうじゃないか。ただ、次に見れるような他の場所も紹介いただきたいものだな」


 ジノヴィエフ卿も了承するが、その次までをご所望だ。


「他ですか……よその部隊が何をしているのかは我らもあまり把握できておりません」


「面白いと思われるかどうかはわかりませんが、体育館で組手の訓練であれば常時、誰かがやっております。それを見学なされてはいかがでしょう?」


 一人の兵の進言により、次の候補も決まる。

 組手の練習はトニーも見たことがない。中国拳法でもやっているのだろうか。


「そりゃいい。しばらくお前らが駆けているのを見学して、そっちに行こう」


「はっ!では訓練に戻ります!」


 三騎が馬車から離れていく。残っていた一騎は遅れてゆっくりとそれに向かう。


 先行した三騎が反転し相対したので、交差する訓練でも見せてくれるのだろう。あるいは、敵を取り囲む練習かもしれない。

 いずれにせよ、サービス精神は旺盛だ。


 同時に、一対三の騎兵が距離を詰める。


 やはり、遅れて向かった一騎は敵役らしい。

 先行してこちらへ戻る形となっている三騎はそれを取り囲み、ぐるぐると回り始めた。


 あまり実戦的な動きとは言えないので、あくまでパフォーマンスの一環だ。馬を最小半径で、それも高速で操るという技術を楽しんでもらおうという趣向が見える。


「わぁぁ、ぐるぐるぐるぐるぐる……おぇぇぇ」


「なんでお前が吐きそうになってんだよ。トンボか」


 そして、その中央で囲まれている一騎もジッとしているだけではない。非常に狭い範囲で右往左往しながら、何かを伺っている。

 次の瞬間、一同は目を疑った。


「はぁっ!」


 雄々しい掛け声と同時に、その騎兵は回転する場から脱したのだ。飛び越えたのではない。針の穴を通すような回転の隙を、馬ごと通り抜けたのである。


 ジノヴィエフ卿らは、どよめきながらも惜しみない拍手。トニーも息を漏らし、見事なものだと拍手を送った。

 カトレアだけはうつむいて気持ち悪そうにしている。


「素晴らしい馬術だ!研鑽を積まれているようだな」


「あぁ、ありゃ大したもんだな。俺もそう来るとは思わなかった。派手に馬の背中から飛んで、宙返りして着地でもするのかと思ったぜ」


 それだと見た目は派手だが、馬を敵中に見捨てる行為だ。今見せてもらった正面突破のほうがトニーも好みである。


 拍手を送られた一騎が再度、馬車の近くへとやってきた。


「喜んでいただけたようで何よりでございます。自分らは曲芸のような技を持っておらず、唯一、これくらいは観覧向きかと思って実施したのですが」


「楽しめたぜ。ありがとよ、隊長さん。これ以降は通常の騎乗訓練か?」


「えぇ。近くを駆けておりますので、どうぞご自由にご覧になり、その後で折を見て体育館にご移動いただければと」


「わかった。ご苦労さん。訓練に戻ってくれ」


「では失礼いたします」


 隊長、とは適当に言ったのだが否定もされないので、おそらく彼がこの四人と四頭のチームの統率者で間違いないはずだ。トニーの言を否定するのも憚られると思って訂正しないだけかもしれないが。


 そして彼の宣言通り、それからは早駆け、旋回など、基本的な訓練が行われ始める。

 五分ほどはそれを見ていたが、やがてカトレアが移動しようとせっつき始めたので、彼女以外はまだ誰も飽きてなどいないがそれに従うこととなった。


……


 体育館とは言っていたものの、板の間が張られたその場所は武道場と呼ぶのにふさわしい場所だった。

 稽古服に身を包み、素手で取っ組み合いをしている者や、木剣で人形に打ち込んでいる者、先端に布を巻いた木槍で試合をしている者、様々な場所で汗と気合の入った声が飛び交っている。


 そこに突如として、将軍ご一行が現れたものだから、一斉に視線が集まった。

 まずは「誰だ」という懐疑的な視線、そして「将軍だ」という驚愕の視線、最後に「その将軍が訓練を見学しに来た」という緊張と歓喜の視線。


 ドタバタと、師範をしているのであろう壮年の男が走ってきた。


「バレンティノ将軍閣下であらせられますよな!?どうなさいましたか!」


「おう、邪魔するぜ。今日は海外の客人がいてな。訓練を覗きに来た。すぐ帰るからそのまま気にせずやってくれ」


「は、ははっ!」


 気にせず続けろと言われても、というのが正直な感想だろう。

 訓練なので何かヘマをして叱責される恐れはないが、誰もがここで目立って取り立ててもらおうという気になっている。


 トニーの要望通りに組手が再開されるも、チラチラとこちらを気にしながら練習している者が多いのが見え見えである。


「どうだ、アンタらも参加していっては?」


「冗談を申すな、将軍。我らのような枯れ木が精強な武人に混じったところで怪我をするだけだ。貴様こそ一汗流してきてはどうだ」


 ジノヴィエフ卿が手をひらひらと振り、反撃してくる。


「それこそお断りだ。汗ならさっき、どこぞの店で流したばっかりだろ」


 カトレアはこのセリフの真意には気づいていないので、特に何も起きない。


「そうか?見たところ、将軍に認めてもらおうという下心を持ったものが多いように見受けられる。今ならば張り手の一発でも入れるだけで相手が倒れてくれそうだな」


「そんな阿保らしい八百長を見て笑いたいってのか?おそらくてめぇが行っても同じ結果は得られると思うぜ。ジジイが屈強な若者を倒す良いチャンスじゃねぇか。行って来いよ。俺の権威に感謝しながらな」


「不要だ。何も面白くなどないわ」


 だが、残念ながら面白くないのは彼らが出ていかなくとも同じだった。技が決まるたびにこちらをチラチラとみてくる兵たちが鬱陶しい。


 おそらく民兵や新兵など、軍人として長く生きて染まり切っていないものが多いのだ。

 先ほどのベテラン騎兵どもを見習ってもらいたいものである。彼らにも似たような気持ちはあっただろうが、それでも訓練自体は見事だった。

毎日投稿します。

最新話であるこのページの本文の最下部に、毎日300~400字程度を追記していく形です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ