♭21
「別行動とは……我々をどこへ連れて行こうというのかね?まさか、軍人どもを引き離したということは、我らを消すつもりではあるまいな?こんな人だかりではそれも不可能、いや貴様の土地だから皆、蛮行も見てみぬ振りか!」
ジノヴィエフ卿は恐る恐る、トニーの狙いを聞き出そうとするも、途中からあらぬ方向に妄想が肥大し、勝手に被害者になっている。
「はぁ?そう思うんなら何でついてきたんだよ。馬鹿じゃねぇのか、お前?」
「こ、ここで取り残されても祖国には帰れぬだろう!とんだ時点で、最初から従うしかなかったというわけか!おのれ、魔族め!」
「何言っても無駄みたいだな。まずは酒でも飲み直すか。ジャック、酒場を探して来い」
「はっ!」
こちらの面子はトニーとジャック、それにジノヴィエフ卿を含んだロシア人のゲストが三名。合わせて五人だ。
……
三分ほどでジャックが戻り、酒場が見つかったと申告する。
そこは一階のフロアに大きなステージを持つ酒場で、その上ではチャイナドレスの若い女どもが明かりに照らされて妖艶な舞を披露している。
言ってしまえば会員制の高級クラブのような場所だが、領主のトニーは問題なく顔パスだ。
そして当然のように上階のボックス型のVIP席のような場所へ通され、そこから階下の踊りを見ながら酒を楽しむ形となった。
「こ……これは。いかがわしい店ではないのか」
「ロシアにも似たような店くらいあるだろ?たまにはカミさんの事を忘れて目の保養をしていけ。ようこそ、我が領地、中国へ」
中国国内では珍しいであろう、ワインボトルが運ばれてきて、乾杯する。
「心配しなくても俺の驕りだ。何せ、お前らへの接待なんだからよ」
「ふ、ふん!油断させようとしても無駄だぞ!」
言いながら、ジノヴィエフ卿はワイン入りの杯をぐいとあおった。
そして、目線は自然と目の前のトニーや酒から外れて階下のステージへ向いている。
「なんだかんだ言って楽しそうじゃねぇか。どう取り繕っても男の性には敵わねぇよな。なぁに、恥ずかしがるこたねぇ。おい!」
「はい!お呼びでしょうか、閣下」
ボーイを呼びつけ、小銭を握らせる。
「こちらのお客人たちが綺麗どころをご所望だ。三人つけてやってくれ」
「はい、もちろんでございます!その、閣下の分の娘は宜しいので?」
「今日は俺がホストでな。こいつらに楽しんでもらえればそれでいい」
トニーとて、女を侍らせるのは大好物だが、自身が楽しむのはまた今度だ。真面目に接待をしてやることにする。
「ジャック、お前もやるか」
「いえ、お構いなく。私には酒も女も意味がありませんので。閣下も気にせずお楽しみいただいて結構ですよ」
「残念だが仕事なんでな。退屈しのぎに、俺の話し相手にでもなってくれ」
「はっ、喜んで」
ジャックは直立不動。トニーの後ろに立って微動だにしない。冗談もこの通り、真面目に返されて終わりだ。
三人の綺麗どころが登場し、それぞれ客人らの隣に座った。さすがプロというべきか、にこやかで愛想のいい娘ばかりだ。
「お、おい。将軍、これはどういうことかね」
「どうもこうもねぇよ。飲みの席に華は必要だろうが」
ジノヴィエフ卿は言葉では嫌悪感を示しつつも、鼻の下を伸ばしている。
悪い気はしていないのが見え見えだ。
「ささ、どうぞ。お飲みになってください。せっかくですから楽しみませんと」
「あ、あぁ……」
隣の嬢に酒を勧められ、言われるがままに杯を受けている。
そこからはどこから来ただの、仕事は何だの、いろんな質問を受け、それに渋々返している。それに対して「すごい!」「偉い人なんですね!」と良い反応が返ってくるので段々と心地よくなってくる。
「まさか、実は彼女たちは魔族で、我々が酔ったところをバクリとはならんだろうな」
他の男が言った。
「んなわけねぇだろ。こいつらは正真正銘、この国の人間だ。いい加減、俺のやることに裏なんかねぇって信じろよ」
厳密に言えば良い気分にさせようとしているのだから、裏がないわけではない。ただ、騙して殺そうなどと考えていないのは本当だ。
「お望みとあらば、お持ち帰りも手配してやるぞ」
これにはジノヴィエフ卿を含む三人の客人らは顔を真っ赤にする。
果たしてその赤ら顔は怒りか、酔いか、別の妄想から来る興奮状態か。
「な、なにを言っているんだ貴様は!」
「然り!我らは視察を名目に来ているのだぞ!女遊びなど必要ない!」
「ほう?まぁそう言うなら無理にとは言わん。でもな、酒の席なんだからちっとは楽しそうにしてろ。世話焼いてる俺の顔が立たねぇだろうが。何にでも跳ね返るのは大人の対応とは言えねぇぞ」
実際、トニーは彼らが嫌がることをしているのではない。警戒心が解けないのは当然かもしれないが、好意に対して文句ばかり言っているのは考え物だ。
「そうですよぉ。閣下が誰かをもてなすなんて、二度とないチャンスかもしれないんですから」
「楽しみましょう、ね?」
そこへ、同席する美女たちからの援護射撃。
こちらに対しては怒鳴るわけにもいかず、ゲストたちはシュンとしてしまう。
「酒ばかりでは悪酔いするかもしれねぇな。何か腹にたまるものを出せるか?飯だろうがデザートだろうが何でもいい」
「はっ、手配させます」
ボーイに、というよりは真後ろに立つジャックに聞こえるようにトニーが言い、ジャックから店側、そして調理場にそれが伝わっていく。
酒場なのでさっきまでいた中華料理店ほどのものは出てこないだろうが、この席で味は二の次だ。
その料理が出てくる前に、この国でも流行り始めているスーツ姿の男がやってきた。
「いらっしゃいませ、バレンティノ将軍閣下。当店はお楽しみいただけていますでしょうか。支配人でございます」
「おう、良い席を準備してくれてありがとよ。女も粒ぞろいだ。さっき食い物を頼んだところだが、それが良ければ満点だな」
「もちろん、料理も自信がございますのでご安心を。当店専属の料理人がお酒に合う品を提供いたします。何か他に、お困りごとはございませんか?」
店長ではなく、支配人自らそんなことを訊きに来るのも珍しい。気を利かせて、トニーに顔を覚えてもらいたいといったところか。
「特にねぇ。わざわざ挨拶に来るとは殊勝なことだ。お前も飲んでくか?」
「いえいえ!滅相もございません!では、お客人とごゆっくりお楽しみくださいませ」
一礼して、支配人を名乗った男が引っ込む。
スーツは当然、トニーをはじめとして、組員らが流行らせた形だ。フォーマルという認識が強く、仕事着として着用している者が多い。
そしてしばらく後、料理というよりは見た目が派手な皿が運ばれてくる。
色とりどりのフルーツの盛り合わせだ。
席にいる女たちは黄色い声を上げるが、トニーは不満げだ。
「あぁ?確かにデザートでも構わねぇとは言ったが、そのまま果物がどっさり積まれてるだけじゃねぇか」
「なんだ、意外なところでへそを曲げるのだな。御馳走ではないか」
ジノヴィエフ卿は意外にも気に入ったらしい。ブドウを一つまみ、口に放り込む。確かにロシアの厳しい環境ではこんなにも大量のフルーツは贅沢品なのかもしれない。
しかし、その後にはゴマ団子や月餅などの出来立ての焼き菓子も運ばれて来た。こちらは果物の大皿のような手抜き感を感じず、トニーも納得した。
ただ、どれも甘い。旨いのだが、さすがにデザートばかりで酒もワインときたら口の中が糖分まみれだ。
何かさっぱりしたものが欲しくなってくる。
そんなことを考えていると、卵と米で作られた粥か雑炊のようなものが出てきた。とろみがあり、するすると胃に入る。
デザートから米とはどういう流れでそうなったのか分からないが、これは単純にありがたい。
「ジャック、こいつを再注文だ」
「はっ!」
「おやおや、将軍は意外にもそんな庶民向けの粥が好みなのかね」
少し見下したような言葉がジノヴィエフ卿から飛んでくる。
「口の中が甘すぎて気持ち悪くてな。今、俺にとっての一番の御馳走は辛い料理かもしれねぇ」
「ふん。であれば粥ではなく、辛い料理を頼めばよいのではないか?」
「あー、確かにそうだな。ジャック、変更させろ」
「ははっ!」
雑炊のお替りはキャンセル。辛い料理をリクエストだ。
ただ、四川料理ほどでなくとも中華料理の辛さは全体的になかなかのものである。
運ばれてきたのは麻婆豆腐だったが、これが相当に辛い。
トニーは眉をひそめ、食べなかった果物にも手を伸ばす。
当然、他の面々も麻婆豆腐に手をつけるわけだが、香辛料に喉を焼かれて、揃って咳き込み始めた。
「な、なんだこれは!辛すぎやしないかね!」
「然り!辛い料理を頼んだのは見ていたが、これほどとは!」
周りの女たちが手で口を抑えて笑う。
彼女らは話を聞きながら酒を注ぐばかりであり、何も口にしていないので無事だ。もっとも、食べさせたところで現地の住民は辛さには強いのかもしれないが。
上海料理なのでこの程度で済んでいるが、仮に韓国料理や本場の四川料理、インドカレーだったらもっと酷いことになっていたかもしれない。
「ほらほら、おしぼりをどうぞ」
「甘いもので喉をお休めくださいね。はい、あーん」
彼女らの行動は辛さに負けた男たちへの、恥の上塗りにしか見えない。
だが、それでも綺麗な女に甲斐甲斐しく世話を焼かれては従ってしまうのが男の悲しいところだ。
「ふん!」
「ええい、構うな!」
そう言いながらもおしぼりで口を拭われ、ブドウを口に突っ込まれるのに彼らは無抵抗なのである。
「盛り上がってるじゃねぇか。どうだ、もう一度同じ質問だがな。女どもを持ち帰りたいんなら俺が話をつけてやるが?」
「い、要らぬと言っておるだろう」
「う、うむ。我らは視察に来ているのだ」
まだ押せないようだとトニーは把握する。本来は娼館に直接連れて行っても良かったのだが、たまたま見つかったのが卓にキャストの付くこの店だったので、この状況を利用しようとしたのである。
ただ、最初に訊いた時よりも少しは懐柔できているようだ。
「まったく、お堅い連中だぜ。仕方ねぇな。ジャック、俺にも一人付けるように言ってこい。この店で最上の女だ」
「はっ、かしこまりました」
作戦変更。ゲストが楽しまないのであれば、自身が好きなように遊ぶしかあるまい。
現れたのはすらりと背の高い、黒髪の中国美女。
チャイナドレスは純白で、手には金色の扇子を持っている。
ゲストについている三人も美人だが、やはり本命はトニーが呼んだ場合の為に隠していたかと納得させられた。
彼らも目を見開いて、その美貌に驚いている。
「……お前が看板娘か。さすがにいい女じゃねぇか」
「お褒めいただきありがとうございます。お隣、失礼いたしますね、バレンティノ閣下」
声も鈴音のように凛としていて聞き心地が良い。席に着くと、まずは挨拶代わりに杯へ新しい酒を注いでくれた。
「店側に禁止されてなければお前も飲んで構わねぇぞ」
「閣下の御誘いを断るわけにはいきません。いただきますね」
「おう、乾杯だ」
ワイン入りの二つの杯がぶつかる。
「さっき支配人の男が挨拶に来たが、アイツの隠し玉ってところかね」
「滅相もございません。先ほどまで舞台上で舞を披露しておりましたので、たまたま手が空いていただけの事」
言われてみれば、確かにこの娘は踊っていたように思える。舞台の上には何人かいたはずなので、これといって注目していたわけでもないが。
トニーが気づかなかったのは、衣装を変えたとか化粧や髪を直したとか、おそらくその辺りが理由だろう。
「そうは言っても一番人気なのは変わらねぇだろ。世が世なら映画女優でもおかしくねぇな」
「映画……ですか。ありがとうございます」
聞きなれない言葉。しかし否定はせず、礼だけを述べる。
トニーもこの娘を気に入り、手放しでベタ褒めだ。
「しかし、踊りからすぐにこの卓に付くとは、だいぶ慣れてるみたいだな。この仕事は長いか?」
「えぇ。閣下がこの地を統治される少し前より働いております。三年ほどでしょうか」
「そうか。客の羽振りはどうだ。以前と比べて」
「格段に生活水準は良くなりました。この街に住む者で、閣下に感謝していない人の方が少ないと思いますよ」
これは非常にうれしい意見だ。武力で奪い取った街ではあるが、税を下げたり物流を良くしたりと様々な施策を講じてきた甲斐があったというものである。
ただ、もちろん割を食った者もいるだろう。以前の状態での重税や賄賂などから来る大きな富を持っていた者たちだ。
そのほとんどの首は飛んでいるだろう。物理的に。ただ、生きながらえて辛酸をなめている者も必ずいる。
ただ、トニーや魔族に刃向かうほどの胆力があるかというとそうでもない。その人間は落ちぶれようとも、町全体は良くなっている。
復讐を誓っても、賛同者など集まらないのは目に見えている。
そして皮肉にも、その者らは以前より金を失ったかもしれないが、街にあふれる物やサービスは以前より良くなっているのだ。当然、それは住民の誰しもが享受できる。
怒りをどこに向けるべきか分からなくなってしまうだろう。
「街ってのは賑わってるのが一番だからな。特に水商売は、衣食住が充実して初めて儲かり始める。俺としては花街に活気があるってのがかなり重要だ」
「その観点からでも、とても良い街になりましたよ」
「そうか。時々は遊びに来るとしようじゃねぇか」
毎日投稿します。
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