表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/43

♭20

「閣下、失礼いたします。伯がお出でです」


「……あぁ?んだよ、思ったよりも早いじゃねぇか」


 横で寝ている若い女の身体をどかし、トニーがごそごそと寝台から身を起こす。

 ウィリアムが来ているということはオースティンの部隊に動きがあったか。

 あれだけの大所帯だ。もう既に転移を開始しているのかもしれない。ウィリアムからすれば布陣の打合せくらい必要だろうに、という話だろう。


「兄貴、朝早くに悪いな」


「おう、犬が動いたか?」


「その兆候がある。一応部下に見張らせているが、奴らの転移前に俺たちの立ち合いが必要なんじゃねぇか?」


「それはその通りだな。行くぞ」


 セクレタリアトは近くにいないようだったので、ジャックとウィリアムだけを引き連れて移動する。


「お前の護衛はどうした?」


「言っただろ。先にオースティンの方に行かせてる。勝手に動いたことへの軽い抗議のつもりだ」


「動いた?そろそろ動きそうだった、って話だろ。どっちだよ」


「さてな。俺も自分の目で見るまでは断言できないもんでね」


 ウィリアムに当たったところで何の意味もないが、あいまいな情報でたたき起こされたのであれば癪だ。

 しかし、トニーの不満が爆発する前に、オースティンのいる場所に到達した。


「おはようございます!!!」


「おい、勝手にもう移動し始めてんのか?」


「いえいえ!伯の部下の方と、あなた方の到着後に行動しようと話していたところですよ!」


 つまりそれがなければ動いていたわけだ。阻止できたので、一応はウィリアムの手柄になる。


 オースティンに悪びれる様子はないので、こちらを出し抜くといった意図はないはずだ。

 しかし、それが非常識だという認識もまた、ない。


「まぁいい。配置は城を全方位だな。俺たちは城門が見える位置の後方に行く。俺と、ウィリアムの部隊は手持ちの兵を半分ずつにはするが、互いに近い位置を貰うぞ」


「承知しました!私の本陣もお二方とは近い位置に張らせてもらいましょう!」


 やはりそうなるか。ぶつかる場合は即座に対応が必要であるものの、他の連中が城に張り付いている間に、オースティンを攻めやすいという利点もある。


「あぁ、それでいい。どこに穴が開いても即座に対応できるように兵力は均等に展開しろ」


「ほう。一点に絞るわけではないんですね」


「砲弾が飛び始めれば相手さんも壁や門が破られることを危惧するだろう。こっちの配置で狙いがバレるよりは、どこから来るかわからない状態の方が防御しづらい」


 これも一長一短で、どこかに戦力集中させる場合は多くのオースティンの兵を簡単に撃ち殺せるのだが、あえて散らす指示を出す。


 味方が各個、後方の支援砲撃から撃たれていることを察知させず、オースティン本隊からできる限り長い時間引きはがしておきたい。


「それも承知しました!では先陣を出発させますね。まずはあちらに陣地を形成させます。我らは最後にゆるゆると参りましょう」


「それでいい」


 陣地形成は各自の隊に行わせる。トニーやウィリアムの寝所はこちらの兵に任せるつもりだ。

 オースティンの兵にはオースティンの本陣だけ組ませればよい。


「よぉし!みんな、出発だ!目標はモスクワ近郊!各隊、街の周囲に均等に展開!」


 オースティンの号令に返答があり、空間転移が発動する。


 ズゥ……バリバリバリッ!


 待たされた時とは違い、今回は五つほどの空間転移の亀裂が生成された。

 それでもこの数を通すのは一苦労だが、長くとも一時間程度で完了するだろう。


「ねぇねぇ、先に行ってても良い?」


 いつの間にかひょっこりと現れたカトレア。今までどこに行っていたのか知らないが、そう言いながらトニーのスラックスの裾を引く。


「何か用事でもあんのか?先に行くのは構わねぇが、悪戯すんなよ」


 大方、全員の移動を待っているのが退屈なのだろう。

 ただ、勝手をする前にトニーからの許可を求めたのは評価できる。


「しないよ!?あたしのことを何だと思ってるんですかねぇ!?」


「何って、悪戯好きの小娘だろうよ」


「そんなことないよねぇ!?」


 そう尋ねながら周りを見渡すも、首肯は一つもなく、皆がカトレアから目を離す。ウィリアムやジャックですらその有様だ。当然、オースティンも。


 カトレアがスッ、と消えた。もちろん瞬間転移だ。

 さらに否定の連続攻撃が来るかと思われたが、四面楚歌な状況を耐えかねたらしい。


「トニー、嫁がいじけてたみたいだが。本当に何か悪戯をするんじゃないのか?」


「あのくらいでいいんだよ。それよりウチからも先発を出させろ。俺らが行く頃には寒くないように、まずは高級ホテルの設営だな」


「はっ!」


 移動開始の指示には後ろに控えるジャックが答えた。


……


 バリバリバリ……!ズゥン……


 トニーとウィリアムの背後で、今しがた通ってきた空間転移の亀裂が消える。

 指揮官二人を運んできた、この転移門がモスクワ行きの最終便だ。

 防御柵などの設営はまだ途中だったが、トニーご希望の高級ホテルという名の寝所設営は既に完了している。


 オースティンは一足先に別便で、バレンティノ兄弟の目と鼻の先にある彼の本陣に到着している。


「じゃあ俺はあちらに移る。何かあればすぐに呼んでくれ」


「そっちもな。犬っころに近いのはてめぇの方だ」


 本陣は真ん中にウィリアムのものがあり、それを挟んでトニーとオーステインのものがある。


 それぞれが徒歩で三分程度の距離だろうか。ウィリアムの方が中央になっているのは彼の案で、急襲に備えて総大将のトニーをあえて中央ではなく、オースティンから離した形だ。


 遠く、モスクワの城塞の付近にあちらの騎士団が展開しているのが見える。

 まだ戦闘状態とはなっていないので、警戒をしているだけではあるが、まさか外に兵を出してくるとは思っていなかった。


「なんだ、ありゃあ?」


 ウィリアムの背はすでに遠のいているので、このトニーの独り言は控えていたジャックが拾った。


「モスクワへの連絡は、伯の方から行っているはずですが……」


「さすがに勇んで突っ込んできた奴の命までは保証できねぇぞ」


「仰る通りかと。力試しでもご所望なのでしょうか」


「……しかし外はやっぱり寒いな。俺は寝所に引っ込むぞ。酒と飯を準備させろ」


「はっ!」


 寝所自体はエカテリンブルグに、というよりロシア遠征中にずっと利用しているものと同じもので、代り映えはしない。

 だが、それでも寒空の下よりは天国だ。


 騎士団の話をしていたはずなのに、唐突に寒いと言い出し要求を飛ばす気まぐれなトニーへの対応も、ジャックはさらりと受け付けるあたり流石である。


「……」


 天幕内。人員は空っぽだ。葉巻の紫煙をくゆらせる。


 オースティンから受け取った奴隷の女らは、モスクワに布陣した時点でいなくなっていた。

 何か指示をしたわけではないが、戦が始まるという段階なので非戦闘員はロサンゼルス城に退避させているのだろう。それをやったのがジャックか、セクレタリアトか、ウィリアムかは分からないが。


 手持無沙汰にはなったが、トニーもその点に対して何か注意するつもりはない。万が一の時に被害を最小限にするのは基本だ。


「閣下、失礼いたします。現在、本陣設営の途中なので、簡単なものしか作らせられませんでした。申し訳ありません」


 ジャックが焼いたソーセージと酒瓶の乗った盆を手に入室してくる。


「おう、酒はウォッカか。悪くない。そのテーブルに置いとけ」


 確かに設営の途中で、トニーだけのために兵士一人を使って調理をさせるのは良くなかったか。しかし、思ったよりは上等な酒と肴が揃ったので良しとする。


「はっ。それでは私は天幕の前に控えておりますので、何かございましたらお声がけください」


 寒さを感じないスケルトン兵は極寒の地の守衛でもなんのそのだ。むしろ打ってつけの仕事だと言える。


 火のついた葉巻を灰皿の上に一旦置き、テーブルのウォッカのボトルをショットグラスに注ぐ。


 熱々の湯気が立ちのぼるソーセージが三本。手づかみで最初の一本にかじりついた。脂が程よく口の中で広がり、それに遅れて燻製肉の味わいが舌へやってくる。


 その余韻を楽しみながらもう一杯。強めのアルコールが肉の味を消し去り、ガツンとしながらもすっきりとした酒の味で満たされる。


 そして、残る二本のうちのもう一本を手にしようと……おかしい。

 木製の皿の上にはソーセージが一本だけ。


 トニーは三本のうち、一本しか食べていない。残りは二本で間違いないはずだ。まだまだ飲み始めなので、酔っぱらって、小学生でも解けるような算数の数え間違いをするような話でもない。


 では、床に落ちたか?それに気が付かないわけもあるまい。実際、足元にソーセージはない。


「……誰の仕業だ。って言うほどでもねぇか」


 ほんの一瞬だけ、オースティン側の手のもの。

 もしくはウィリアムが探しているイタリア国王を攫った何者かの犯行を疑ったが、霧散した。


「出てこい、ガキ」


「っへーーーーんだ!バレちゃあ仕方ない!でもこのお肉は返さないからね!」


 姿は見えないが、やはりカトレアからのささやかな悪戯だった。

 音もなく瞬間転移で入ってきたか、姿を隠す魔術でも使っているかだ。またはその両方を使っている可能性もあるか。


「返せ。俺は腹が減ってんだ。やっぱり悪戯好きの小娘だったじゃねぇか、お前は」


「もう半分食べちゃったもーん!んむんむ、美味しい!あたしだって腹ペコなのだよ!悪戯するなとか言って馬鹿にするから本当にやってやったんですぅ!」


 近い。そう判断したトニーは何となしに左手側の中空を掴むように腕を伸ばした。


「あっ……」


 確かな感触と、驚いたような声が上がり、ソーセージにかぶりつくカトレアの姿が浮かび上がった。


 トニーの左手はカトレアの腰辺りを抱きかかえる格好となった。逃げようと思えば逃げられるだろうが、カトレアはあえて姿を現したまま、少しうれしそうだ。


「そんなぁ、照れるぅ。閣下はあたしのことを見つけて捕まえてくれるんだぁ」


「まったく、せっかくのメシが台無しだ。設営中ですぐには作り直してもらえねぇってのに」


「えー?別にまた頼めばいいじゃん?あたしも足んないからついでにお願いしようかなぁ」


 カトレアは思いのほか大食いだ。トニーのおこぼれ程度では足りない。


「それは構わねぇが、兵隊どもの仕事が終わってからだ。だいたい、分かってんのか?今はオースティンと事を構えようって前段階だぞ。誰かが俺の部屋に侵入しただなんて状況、間違って殺されてもおかしくなかったんだからな」


「えー?敵方のスパイか何かと間違えて?閣下があたしをー?無理無理!愛が勝つ!」


「意味わかんねぇよ。てめぇと認識する前に弾いちまうとあぶねぇから気ぃつけろって話だろうが」


「心配してくれてんの!やっぱり愛だ!」


 ダメだこりゃ、話がまるで通じない、とため息をつきながらトニーが最後のソーセージにかぶりつく。

 カトレアもそれに合わせて、自身が盗んだソーセージの残りを口の中に収めた。


「んぐ。喉乾いた!なんかちょーだい!」


「赤子かよ。ここには酒しかねぇぞ。飲みたきゃ飲め」


 運ばれてきたウォッカと、酒棚には多少のワインの備蓄がある。

 カトレアがトニーの手から離れ、その棚を覗き込む。しかし、お気に召さなかったのか戻ってきた。


「ジュース!」


「ねぇって言ったろ。酒が嫌なら兵隊どもに水でも貰ってこい。おい、ジャック!」


「はっ!水でしたらこちらをどうぞ、カトレア様!」


 大声で話していたので、ジャックも呼ばれた理由は承知していた。自身に必要なはずがないのに水を持っており、すぐに出してきたのは意外だったが。

 おそらくトニーの急な要求に応えるための準備だろう。もしかしたら酒も、ポケットサイズのものであれば持っているのかもしれない。


「やだやだやだ!ジュースがいい!」


「も、申し訳ありません……ジュースは手持ちがございません。すぐに探して参ります!」


「やれやれ。わがままなお姫様だぜ」


「それほどでも!それに、閣下のわがままには負けますぅ!」


 数分後にジャックは戻ってきたのだが、魔族の兵士らがジュースなど持っているはずもなく、申し訳なさそうに謝罪をして下がった。


 その直後。下がったばかりのジャックがまた天幕に顔を出す。


「か、閣下。副長がご挨拶にお出でです。遠くからこちらへ歩いて来られています」


「ほう?さっき話したばっかりなのにな。何のつもりやら」


「あ、オースティン副長にもジュース持ってないか訊こう!」


……


「やぁやぁやぁ。閣下、設営の方は順調なようですね!」


「何をしに来た?話なら移動前に済んだはずだが」


 パッと思い浮かぶのは、トニーの本陣の視察か。ただ、現状は味方なので拒否するわけにもいかず、天幕までそのまま通してある。


「ねぇ、副長!ジュース持ってない?」


「当然、閣下や伯の位置を知りたかったからですよ?それと、ジュースっすか……ん-と、これでよろしいかな?」


「えー!なんで持ってんの!ありがとー!」


 オースティンの懐から、小さなボトルに入った飲み物が出てくる。本当にジュースか?とも思うが、カトレアは早速それを受け取って無警戒に飲み始めた。


「ん-?飲んだことない味ー。なんか甘酸っぱい!」


「ミカンという果実で作られたものらしいですよ。気に入ったのならよかった!」


 トニーは勘ぐりすぎだとは思いながら、自分とカトレアがさっきまでしていた会話が筒抜けで、このジュースも準備していたのではと考えてしまう。


「今の言い草だと、ウィリアムの方にも顔出したのか」


「えぇ。あからさまに歓迎されてませんでしたがね!」


 それはそうだろう。トニーとて同じ気持ちだ。


「しかし、閣下はこんな中にまで通してくださってありがたいことです!」


 ウィリアムとは違って、トニーのそばには魔族内でも最強格のカトレアがいる状況。万が一の暗殺などは起こりえない。


 それが多少、オースティンにとっては警戒が薄いと感じている理由だ。


「ウィリアムの事だ。反対にてめぇの方にも行ってんじゃねぇか?」


「御名答です!今頃は私の陣を見てらっしゃるはずです。自分はこの通り、閣下のところに来ているので不在となりますが、その間でよければご自由にどうぞと伝えてありますので」


 であれば、ウィリアムからその後、遣いが来るか自らここに来るだろう。図説などを作って寄越すかもしれない。


 砲撃を行うのであれば、オースティンがいるであろう指揮所の場所は最重要だ。ウィリアムの陣からは目視でも見えるかもしれないが、トニーの位置からは流石に見えない。


 当てずっぽうで撃つわけにもいかないので、ウィリアムに初弾を撃たせて、その砲撃に続く形で狙うしかなかったが、それも不要になるか。


 ちなみに、大砲は合計五門。ウィリアムのところに二門、トニーのところに三門配備してある。

 ただし、今のところはすべての砲をモスクワの城壁や城門に向けている。


「攻め入る、というか街全体に展開するのはどのくらいかかる?」


「何せ広いですから、半日はかかるかと」


 砲のある南側は既にオースティンの兵たちも包囲に動き始めているが、街の反対となればそれも納得か。

 砲弾は余裕で反対側の城壁にも届くため、どこが突破できるか、配置場所はほとんど関係ない。


「えー?転移で行かせないんだ?まだ余裕あるならさ、街でお買い物してきてもいーい?」


 相変わらずカトレアは暢気なものだ。街自体には入れるかもしれないが、ピリピリしているだろうし、戒厳令下で大手を振って買い物など難しいだろう。


「これは面白いことを仰る!いまから滅ぼす街で買い物ですか?それに、近距離でわざわざ転移なんてさせませんよ。包囲の工程を見せるというのも、人間どもに恐怖を植え付けるのには使えますから」


「だからだよ!美味しい物とか焼けちゃうじゃん!何があるかなぁ?閣下も行く?」


「行かねぇし、あの中に単独で行く許可も出さねぇぞ。食い物なら中国か日本に飛んで買ってこい。最悪、お前ならロサンゼルスに戻って仕入れてきてもいいだろ」


「ケチー。観光もしたかったのにさぁ」


 正直、観光も食事も後になればできるのだが、オースティンの望み通りにモスクワが滅んでしまったら遅い。

 トニーには通らないが、真意を知らないオースティンには通る言い分だ。


「なるほど。最後の見納めというわけですか。可能であれば今が最大のチャンスではありますね。どうでしょう、街の中の視察のためにもカトレア様を行かせてみては?」


「ダメだ。サッと今言った場所から飯だけでも貰ってこい」


 自陣がオースティンの脅威に対して手薄になるし、街を滅ぼすつもりのないトニーからすれば観光は後からでもいい。それだけである。


「「ケチー!」」


「二人して声を揃えてもダメなもんはダメだ!奴らだって防御に必死なんだから、仮に行ったところでどこも店もやってねぇだろうがよ」


 この、トニーの言葉が終わる前にカトレアは消え去っていた。

 オースティンが目の前にいるというのに、何も考えていないやつだとトニーは苛立つ。


「おや?さすがお手が早いですね、カトレア様は。そしておそらくは、閣下の言いつけを守って領地のどこかへ行ったんでしょうね!」


「そうだな。話ならもういいだろう。俺もゆっくりしたいところだ、帰れ」


「何を仰いますやら!せっかく二人きりになれたって言うのに……ねぇ?」


 妖艶なセリフにも聞こえるが、そうではないだろう。首を狙うチャンスだとでも言いたいのか。

 だが、トニーもその程度では動じない。


「二人きりになりたかったのか?あぁ、そうか。今、俺がてめぇを殺せば行方不明で済むな。そんで、兵隊はごっそりといただくとしようか」


 ササッ、とオースティンが飛び退いてトニーとの距離を取った。


「な、な、な!!!閣下、ご冗談が過ぎますってば!自分だって、貴方に面と向かって勝てるなんて思ってませんから!」


「先に冗談を言ったのはてめぇだろ。ほら、俺の気が変わらねぇうちに帰れ。殺すぞ」


「ではそうさせていただきます!開戦は閣下か伯の砲撃を合図に行いますので、まずは包囲が完了次第、伝令をお送りしますね!」


 くるりと踵を返し、狼の獣人が天幕から出ていく。


「ふん、狐が」


 タイミングよく、それと入れ替わる形でカトレアが帰ってくる。手には立派なロブスターが二つ。


「見て見て!中華料理屋のおじさんにもらった!茹でたてのエビだって!」


 ということは、中国に行って戻ってきたようだ。ちょうど料理中だったものを貰えたらしい。


「そりゃよかったな。そんだけデカけりゃ腹も膨れるだろ」


「うん!二匹ともあたしのだからね!閣下にはあげないよーん!」


 バリッ!と殻ごとエビを貪り始めるカトレア。お上品に殻をむいて身だけを食べるという発想はない。

 大型のエビの殻など、普通の人間では到底食べられるものではないが、彼女の顎にかかればお構いなしだ。

 そのまま二匹目もバリバリと噛み砕き、頭から尻尾まで綺麗に食べてしまった。


「肝心のジュースはなかったか」


「あー。忘れてたー。これでいいや」


 だがもうそんなことは良い、と面倒になったカトレアは適当なワインで喉を潤している。


「閣下、ロシア兵の女団長がお見えです」


「あん?形だけでもあっちについておくんじゃねぇのか」


 入室してきた女団長と爺や。その顔は困惑というか不安げな表情だ。


「将軍。御無沙汰だな。どういう状況かを今一度、お聞かせ願えるだろうか」


 策はある程度分かっているはず。モスクワから見れば彼女らがこちらと繋がっているように見られかねない来訪だが、交渉とでも何とでも言える。


「ウチとは別の大きい兵団がオースティン副長だな。俺らの仕事は支援射撃だ。どこかしらに大砲で穴を開けて、そこに殺到した魔族の兵を後ろから狙い撃つ。そこからは俺らの内輪揉めになるな」


「うむ。我らは?」


「モスクワの騎士団は城壁から下がらせろ。お前らはまだ中に入れてもらえそうにないのか?難しければ一時的にロサンゼルスに送らせるが」


「私は入れる。しかし兵たち全員は難しいだろうな」


 となると、砲撃前にロサンゼルスに戻しておくか、自陣に収容してしまうしかない。城壁前に展開されたままでは大砲が撃てなくなる。


「まずは今、城の外に展開してるモスクワの城兵連中をどうにか内側に引っ込ませろ。それが終わったらお前の部下を全員連れてまたここに戻ってこい。そっちは匿ってやる。猶予は半日しかねぇぞ」


「半日?あぁ、なるほど。包囲完了までの時間か」


「他に質問は?」


「本当に……モスクワは滅ぼさないのだな?」


「くどい。この戦力を見て怖気づいたか?」


 こちらからすれば、あれほどに巨大な城を落とすにはこれでも全然足りていないのだが、魔族の兵団だけあって数千の兵でもそれなりの威圧感は出ているようだ。


「さすがにな。クレムリンも我らが謀ったのかと恐れているとも」


「伝えてある作戦も嘘と思われてるか。それを信用させるために他の街を開放してきたんだがな」


「私個人は信じているさ。ただ、裏切られた場合、こちらに防ぐ手立てはない。圧倒的な数じゃないか」


「馬鹿言え。御立派な城壁と騎士団がいるだろうが。それは誇っていい。もし簡単に落とせると思ってるんなら、俺らだってオースティンみたいなクソ野郎は巻き込まねぇよ。単独で攻め落として服従させてる。他の街みたいな好待遇でな」


「……分かった。では我らはモスクワの兵らを城内に退却させたのちに、こちらへと戻ってくる。受け入れの準備を頼むよ」


「安心しろ。裏切るのはオースティンの方へだ。てめぇらは守ってやる」


 胸に手を当てて一礼し、女団長と爺やは下がった。


 そして、次から次へと来客がやってくる。

 女団長と爺やとの入れ替わりで、ウィリアムが飛ばした早馬がやってきた。


 その手には、ウィリアムが自らしたためたであろう、オースティンの陣の内訳が記載されている。砲撃を向ける際には大いに役立ちそうだ。


「寝所や指揮所は狙うとして、食糧庫はここか。いや、武器や装備を置いてある場所を叩く方がいいのか?」


「短期でやっちゃうなら食糧はどうでもいいかもねぇ」


「なんだ、珍しく戦略に口出してくるじゃねぇか」


 大抵、カトレアはこういった話題だと興味なさげにしている。


「閣下が訊いたんでしょー?それに、ご飯は後から食べたいもん!あたしのためにも焼かないでおいてよ!」


「ははは!てめぇの食い意地もそこまで行くと見上げたもんだぜ」


 バツ印をつけようとした見取り図の食糧庫の部分から手を外し、指揮所と寝所にだけ羽ペンで印をつけた。ここが攻撃目標だ。


 待機していた早馬には、承知したとだけ言伝を持ち帰らせる。ウィリアムがどこを砲撃しようとするかは勝手だ。そんなことまでは指示しない。

 それに近距離なので、途中からは迫りくるオースティンの部隊への対処で手一杯になるだろう。


……


 そしてついに半日が経過。オースティンから包囲完了を知らせる伝令が来た。時間的に真夜中だったので、早朝に砲撃を開始すると伝えた。


 奇襲に最も適しているのは夜中より早朝だ。

 ただ、トニーはそんなことではなく、女団長らの帰参を待っているだけである。

 それを超えても戻らなければ、宣言通り、騎士団や彼女らを巻き込みながら容赦なく砲撃する。


「将軍、申し訳ない。予定よりも遅くなった」


 だが、そんな心配も不要なものとなった。砲撃まで余裕のある夜中の間に、女団長はモスクワの守備兵を城内に下がらせる交渉をし、自身とその兵らをトニーの陣まで連れ帰った。


「気にするな。むしろ早いくらいだ。それで、戦闘中はどうするつもりだ。ここに残るか、ロサンゼルスに退避しておくか」


「できればここで見届けたいと思っている。城が多少なりとも破壊されるのは心苦しいが、その後で魔族が打ち倒されるのであれば目に焼き付けておかなければな。それに、我々だって打って出ろと言われれば攻めかかろうではないか」


「そんな命令は出さねぇよ。ここにいることがモスクワに知られるとややこしくなるんじゃねぇのか?俺はどうだっていいが」


「その話もついているので心配無用だ」


 であれば、ようやくクレムリンの連中もトニーの話を信じ始めているわけだ。

 まだ半信半疑ではあろうが、実際にオースティンの部隊を半壊でもさせれば味方という認識はさらに強まる。


「なら好きにしろ。だが空いてるテントはねぇぞ。野営場所はてめぇらで準備しろ。陣内の敷地くらいならどこでも貸してやる」


「感謝する。よし、みんな設営を開始してくれ!」


 ロシア兵らが散開、例によって女団長と爺やだけがトニーの天幕のそばに残る。


「ん、まだ話でもあんのか。ねぇなら俺は部屋に引っ込むぞ」


「いや、特には。ただ……やはり昂るな。大きな戦の前というのは」


「てめぇは出ねぇっての。開戦は早朝だ。そんなに見てぇのなら寝過ごさねぇようにさっさと休め。じゃあな」


「あぁ、おやすみ」


……


「閣下、そろそろお時間です。お目覚めください」


 数時間後。トニーの寝台まで彼を起こしに来たのは、不眠不休でも何の問題もないジャックであった。

 天幕の外にはセクレタリアトもスタンバイしているが、こちらはどことなく眠そうだ。


 その背に乗り、支援射撃の開始準備を整えた砲兵隊のもとへ向かう。

 戦闘が開始されるとはいえ、こちらが使うのは砲弾のみ。しばらくは白兵戦にならないので気楽なものだ。


 三門の大砲はそれぞれモスクワ城壁の各所に向けた状態で待機していた。

 陣内の中心にこんもりと土や雪を敷き詰めた高台が作られて、そこに据えてある。


 陣の端に設置していないのは、オースティンらがやってきたときに、大砲を真っ先に狙われないようにするためだ。


 代わりに、陣を囲む防護柵には銃座があり、そこから射撃可能になっている。

 銃撃で食い止めている間に後方から砲撃して迫り来る敵を蹴散らす。ウィリアムの陣も同じような形に設営されている。


 そちらを見るも、沈黙。トニーの陣地からの第一射を待っている状況だ。

 城の周りにぐるりと展開しているオースティンの部隊もまた然り。


「将軍、お待ちしていたぞ」


 他のロシア兵らの姿は見えないが、唯一女団長だけは大砲のある高台近くに待機していた。

 戦いを見守りたいというのは本音だったか。


「おう、それじゃ開戦といくか」


 トニーが右手を上げる。三門の大砲に砲弾が装填された。


「撃て」


 ダンッ、と現代兵器に比べれば軽めの砲撃音が鳴る。


 ヒュー……ドンッ!!!


 第一射の三発は城壁のわずかに手前へ弾着した。


「二射目を準備しろ!」


 言われるよりも前に、次弾の装填が行われている。

 威嚇射撃以外で一発目で砲撃が終わるなんてことは無い。魔族の砲兵たちも今では手慣れたものだ。


「装填完了!閣下、いつでも行けます!」


「撃て!」


 再び轟く砲撃音。一度目は間に合わなかったが、二度目ともなると女団長は耳を両手で塞いでいる。

 未知の攻撃にさらされるモスクワの者らも戦々恐々としていることだろう。


「あん?そんなにビビるような音は出てねぇだろうよ」


「その通りだが、あまり慣れなくてな」


 弾着。二射目は三発ともすべて、城壁や城門に命中した。よくやるものだ。

 しかしあくまでも当たっただけであり、破壊するには至っていない。

 城を囲む各所のオースティンの兵らからは歓声が上がっているが、突撃命令はまだだ。


「次だ、そのまま壁に穴があくまで同じ場所に撃ち続けろ」


「はっ!」


 さらなる砲撃。そして命中。砲撃。命中。

 多少は風の影響もあってズレているが、概ね同じ場所に砲弾は当たり続けた。

 だが、分厚く高い城壁は簡単に壊れない。唯一、城門に向けて攻撃を加えている場所があり、狙い目はやはりそこになるだろうか。


 そして、四、五射目が終わったところでウィリアムの陣地からも砲撃が開始された。時間をきっちり守るウィリアムとしては珍しい対応だ。


 おそらく、トニーの砲撃がどのくらい有効かを見極め、狙いを吟味していたものだと思われる。

 事実、ウィリアムが指揮する砲撃は、二門とも城壁ではなく他の城門を狙ったものだった。


 これで、城門が三か所、城壁が二か所、いずれも遠く離れた地点が砲撃を受けている状態となった。


 モスクワを守る騎士団側としてはどこに戦力を絞るべきか分からずに対応が難しいだろう。しかしそれはオースティンの兵も同じ。


 そしてこの砲撃はあくまでも八百長だ。穴へと殺到する魔族に突如として襲い掛かる策。つまり守備兵の対応はそこまで重要ではない。


 とはいえ、完全にこちらを信頼していない状況で攻撃にさらされている以上、壊れそうな場所に兵員を集める対応くらいはしているはずだ。

 巻き込まれないように離れていろとは言ってあるものの、ある程度近寄ってきてしまうのは仕方のないこと。


 モスクワの兵や民が砲撃やオースティン側との衝突に巻き込まれないことを祈るばかりだ。


「案外、いや予想通りに硬い城だぜ。直すのも一苦労だろうに」


 崩れゆく壁を見て、初めからこちらに与するようにしていれば修繕せずとも良かったものを、とトニーがため息をつく。


 砲撃の音に加え、周りを囲むオースティンの兵団の声が大きくなる。今か今かと突撃命令を待っている状態。


 城の中で固唾を飲んでいるモスクワの将兵らは徐々に壊されていく壁を目の前にして、気が気ではないだろう。

 そして、密約を知らされていない住民たちはなぜ騎士団は反撃しないのかと、さらに不安でしかない。


 そして、砲撃開始からおおよそ三十分。ついに一か所が破られた。それはウィリアムが後から砲撃を開始した城門の一つで、こちらの陣地からは最も遠くにある地点である。

 街の頭上を通り越して、門の裏側から砲弾が当たっていた形なので、他の場所と比べると脆かったらしい。


「閣下、砲をあちらへ向けますか?」


「いい。ウィリアムが破ったんなら後処理もウィリアムにやらせろ」


 ジャックの進言は却下。いちいち標的を移す暇も惜しい。

 初めの『誤射』はウィリアムがやらかす形になり、よりオースティンの本陣に近い弟が一足先に不興を買う。


 もしこれで揉めるなら、陣が近い両者は一瞬で肉薄するわけだが、ウィリアムとオースティンがぶつかっている間にトニーが支援できる。

 いくら誤射をしたとはいえ、弟をやろうとはどういうつもりだ、という自分勝手な大義面分も振りかざせる。


 全部隊の数で言えばあちらに負けはしているものの、本陣周りはこちらの方が多い上、二か所の陣がある。展開している敵部隊の大多数がモスクワ城に張り付いている間は、圧倒的有利に戦いを進められる。


「あぁ……ついに城門が。いよいよ本番だな、将軍」


「そう緊張するな。まだ始まらねぇよ。多分な」


 破られた城門に内側から殺到しようとするモスクワの騎士団を心配そうに見つめる女団長。

 その外側からは魔族の兵団が集まり始める。


 そして、その部隊長あたりが指示を出したのか、はたまたオースティンが直接命令したのか、穴の開いた城壁の前に展開していた魔族の兵団が前進し始めた。


 その第一集団が街に入ろうとする瞬間。


 ドンッ!


 新たな砲弾が到達し、彼らを吹き飛ばした。


「あーあ。やっちまったな、ウィリアム」


 まるで他人事のようにその様子を楽しむトニー。


「当ててくれたか」


 女団長はトニーらが有言実行したことに安堵している。提案を知るクレムリンの首脳陣連中も同じ心持だろう。


 大混乱するその現場だが、さらに二発、三発とその周辺に弾着させてウィリアムは『味方』を何度も吹き飛ばした。

 今頃、オースティンの陣からウィリアムの陣に猛抗議が飛んでいるのではないだろうか。


 だが、その間にもさらに、何発もの砲弾が城門付近の魔族を吹き飛ばす。

 そして、もう一か所。ウィリアムの砲兵が狙っていた別の城門も破れ、同じように殺到する敵部隊への攻撃を開始した。


 各陣営の本陣からであればその様子は良く見えるのだが、城に張り付いている部隊同士では視界にその様子は映らない。


 どこかの壁が破壊され、戦闘が開始されたことには勘づいているだろうが、まさか次々と味方が砲撃されている事など知る由もないので、自軍の目の前の壁が壊れることを心待ちにしてその場に留まっているままだ。


 この隙に少しでもオースティンの兵を減らしておきたい。


 ようやく、トニーの砲撃の一つも壁を突破した。

 城門を狙っていたウィリアムからすると遅れた形だが、いよいよトニーの陣も誤射に見せかけた裏切りを発動する。


「閣下、城壁の一部に穴が開きました。狙いはそちらに殺到するオースティン副長の部隊へ変えますか?」


「しばらく照準はそのまま、穴を通ろうとする奴らの頭上に弾を落としとけ」


「承知いたしました」


 ジャックにそう返答する。

 ウィリアムは既に標的そのものを門から敵部隊へと狙い撃ちしている状況だが、トニーはあくまでも壁を狙い続けているという言い訳をする算段だ。

 これでも抗議が飛んで来たらいよいよ直接、敵を狙い始める。


 そして、他の箇所にも穴が開き、いよいよ五か所すべてに魔族の兵士が入れる状態となる。

 今か今かと待ち望んでいただけあって、そのどの穴にもどんどん押し寄せてくる。味方の砲撃に晒されている現状を見てもなお、そこへと突っ込もうとする。


「魔族の兵士は死を恐れないのか?撃たれると分かっていても進もうとしているが」


「そうだな。連中は死ぬことよりも、目の前の手柄を取って武勇を示すことを誇る。待てよ……?そうか、オースティンもそれを尊重しているのかもしれねぇな」


 トニーらの砲撃が自軍を狙っていると気づいても、穴が開いている以上はそれを超えてモスクワを落とし、改めて抗議をしようということだろうか。


 となると話は変わってくる。

 途中でこちらへと矛先が向くものだと思っていたが、あくまでもオースティンが攻城にこだわり続けるとしたら。砲撃だけであの大量の兵士全てを抑え込めるのだろうか。


「あのまま城を攻め続けるのなら、最悪、俺らからオースティンを攻めるしかないな。ともかく砲弾も追加で持って来させろ、ジャック」


「はっ」


「それと、大砲もロサンゼルスに余ってて回せそうなら持ってこい」


 砲弾はまだまだ十分に準備してあるのだが、この先何時間もこの状況が続くとなれば話は変わってくる。


 五つの大穴に五門がすべて張り付く以上、追加で大砲そのものも持ってきた方がよいかもしれない。これはオースティン本陣、あるいは撃ち漏らしそうになった敵に向けるものだ。


 数分後に戻ってきたジャックは砲弾を持ち込んだが、大砲は製造直後で試射前のものが一門あるだけだと伝えてきた。

 そしてトニーは否応もなくそれを持ってくるように指示する。


 どうせ撃つのであればこの戦場でテストしてもいい。既にいくつも生産しているので、まさか暴発するほどに出来の悪いものでもないだろう。


 そして、その新品の大砲はひとまずオースティンの本陣に向けて設置された。

 デビュー戦でいきなり花形を飾る大抜擢だ。一発目でオースティンの指揮所を狙い撃つ。


 その間も魔族兵は城内にへ入れず、足止めをされている状態。

 しかし、いくらなんでも引っ切り無しに突っ込んでくるので、次弾装填中のわずかな隙を狙って入る者もちらほらと出てきた。


 こちらはトニーやウィリアムにはどうしようもなく、中で待機していたモスクワの騎士団が担当することになる。


 既に衝突は起きているが、まだ敵兵の数が少ないので膠着状態といったところか。しかし、これでモスクワ側も人的被害ゼロとはいかなくなった。


 さらに撃ち漏らしが発生すればじわじわと街の中へと押し込まれてしまうだろう。


 そこまでの事態となった場合はこの新品の大砲の仕事となる。

 これだけの誤射を受けておきながら抗議も寄越してこないオースティンの事だ。本陣に撃ち込まれた時もそのまま攻撃を続行するのかもしれない。


 だが、その前に事は起きた。


 タタタンッ!タタタンッ!


 機関銃の音が聞こえる。ウィリアムの陣からである。

 ということは、オースティンの方から何らかのアプローチがあったということだ。

 同時に、ウィリアムの陣からの早馬も到着する。貸し出しているリザードマンの兵士だった。


「閣下、ウィリアム様の陣にオースティン副長からの使者が参りました。今すぐに砲撃を止めないと攻め立てる、と。そしてそれを突っぱねて二、三分後には後詰が来た次第です」


「そうか。押されているのか?」


「いえ、現状の敵は小部隊で問題ありません。対処可能なので助太刀無用とのことです」


 防備は固く、強がりではあるまい。おそらく事実だ。城に張り付く大部隊が戻ってこない限りは負けない。


「ふん、指図するなと伝えろ。俺は俺のタイミングでオースティンの陣に砲撃を開始する」


「はっ!」


 そして、それと入れ替わる形でトニーの陣にもオースティンの部下が数名で抗議にやってきた。

 防護柵の外から大音声で呼びかけてくる。


「バレンティノ閣下!オースティン副長は貴殿に強くお怒りだ!味方に攻撃を加えるとは何のつもりだ!」


「城内に突入する味方を撃つのを即座に止めよ!防壁の破壊の後に、貴殿らの仕事はない!」


 砲兵と大砲のそばでその声を聴くトニー。


「閣下、ご回答は如何されますか?」


「シカトでいい。顔を真っ赤にして攻め寄せてくるまでは撃ち続けろ」


 ウィリアムの陣と同じように衝突状態なるまでは無視だ。あくまでもこちらは誤射をしたまで。

 オースティンから直接的に手を出したという既成事実を作りたい。ウィリアムの陣が襲われている時点でそれは該当するが、弟が余裕なのであれば、さらに強い大義名分を得るために、こちらにもそれが欲しい。


「バレンティノ閣下!そこにおられるのだろう!返答を頂戴したい!」


「返答次第では伯爵の陣と同じく攻め立てることになるぞ!」


 陣内の兵士たちにもようやく緊張感が見え始めた。攻めると言われればそうなる。


「よく口が回るパシリだ。だがこっちから手は出させるなよ。特に、銃座についてる連中には強く言い聞かせろ」


「はっ、では私がそう触れて回りましょう」


 ジャックに変わり、俊足のセクレタリアトがトニーの命令を携えて陣内を駆け始めた。


「閣下!聞いておられるだろう!ご返答を!」


「五分だけ待たせていただく!その間に何もなければ、攻撃を開始する!」


「……ほう?五分か。随分とビビってやがるな。少しからかってやろう」


 ウィリアムの陣には即座に攻撃をしたはずだが、トニーにはなぜか猶予を与えてくれるらしい。カトレアがいる事を警戒しているのだろうか。

 前言撤回。面白そうだと踏んだトニーはオースティンからの使者たちと話せるよう、陣の端まで移動した。


「む!バレンティノ閣下!ようやくお出ましか!」


「貴殿らは敵の城壁ではなく、我が軍団に攻撃を加えているも同然だ!何を考えておられるのか!」


 オーガが三体、こちらを睨んでいる。


「あぁ?俺がいつ、てめぇらを狙った?見てみろ。寸分違わず、同じ時点に砲撃をし続けてる。敵が打って出ねぇようにだ。勝手にそこに突っ込んで行く馬鹿が死のうと知ったこっちゃない」


 わざわざオースティンの兵を狙い撃っているウィリアムとは違い、トニーの砲撃はその言葉の通り、破られた壁にそのまま撃ち続けている状態だ。


「そんな言い訳が通用するか!貴殿らの仕事は既に終わりだ!砲撃を中止せよ!」


「中止せよ、だぁ?何様だ、お前?そんなに止めたきゃ、お前らの首と引き換えに要求を呑んでやろうか」


「何を言っておられる!冗談じゃない!」


 ぶつかることは避けられないので正直どちらでもいいが、この使者らはトニーの無茶な要求を突っぱねた。


「ならどうする?泣き帰ってママを連れてくるか?ここを攻める、とか言ってたな。そして、可愛い弟には既に攻撃をしてるようだが」


「無論そうなる!では貴殿も砲撃をやめる意思なしと見なし、攻撃を開始する!」


「覚悟しておくんだな!裏切り者め!」


 捨て台詞を吐いてオーガたちは去っていった。

 トニーからすれば、彼らはほんの数分、寿命が延びただけだ。


「閣下、防御戦でしょうか」


「先制攻撃であればいつでもいけます、閣下!」


 そのやり取りを見ていた兵士らがそれぞれ声を上げる。

 女団長を筆頭に、陣内に滞在している少数のロシア兵らも集まってきた。


「よし、丁度いい。集まってきたんなら全員そのまま聞け。奴らは俺たちの援護射撃に感謝の言葉もなく、その代わりに恨み節をのたまいやがった。既に見ての通り、ウィリアムの陣は攻められてる」


 おのれ、許すまじと怒りのいった感情が一同に湧き上がってくる。


「そして、今度はこっちに来るそうだ。奴らの攻撃を受けたら即座に反撃を開始する。ただし、城壁を見てる大砲三つはそのまま撃ち続けろ。あっちの奴らをモスクワに入れるわけにはいかねぇ」


 城に張り付いている大部隊がこちらを向かない以上、二面同時に攻撃をしなければならない。

 想定していたよりはオースティンに向けて使える大砲が減るので、厳しい戦いになるだろう。


「将軍、我らも力を貸そう」


「好きにしろ。白兵戦になる前に片付けてやるつもりだがな」


 大砲に銃座、防御策、しまいには魔族内最強格の呼び声もある三魔女の一角。まず接近戦には成りえない。


 あるとすればオースティン空間が転移を用いて単騎突撃してくるくらいだろうが、緊急時に転移用の亀裂が入った時点でそこに一斉攻撃されて終わりだろう。


「あん?そういや、ガキの姿が見えねぇが。どこに行きやがった、あいつは?」


 半日ほどカトレアを見ていないことに気づく。

 逆に言えば、半日もいないことを気にしていなかったわけだが。


「カトレア様ですか?私も昨日からお見掛けしておりません」


 ジャックが返す。

 いなくてもいい時にはちょっかいを掛けてくるのに、肝心な時にいないとは困ったものだ。


「どこで遊んでやがる。今後は保護観察でも付けとくか」


「お言葉ですが、即座に撒かれてしまうのではないかと……」


 ジャックの言う通り、カトレアは瞬間転移で消えてしまうので誰も追いかけられない。お目付け役も即日御役御免だろう。


 ただ、苛立っているような言葉とは裏腹に、トニーはさほど気にはしていなかった。

 仮にこちらが絶体絶命のピンチにでも陥っていた場合、どこからともなくやってくる。あれはそういった女だという謎の信頼感もあった。


「まぁいい。それよりも、本当にお客さんが来てくれたみたいだ」


 使者が帰って即座に、二十を超えるオースティンの部下の小隊が送り込まれてきた。思っていたよりは少ない。これでは死にに来たようなものだ。


「なんだ、それで勝てるとでも思ってるのか。ウィリアムの方へ来てるのも大した数はいねぇって話だが、あの犬は何を考えてやがる」


 オースティンの考えがまるで読めず不気味ではある。しかし、何はともあれまずは迎撃だ。


「引き付けて、防護柵に取り付いたら撃て」


 敵兵は本当に突撃命令を受けているだけのようで、そのまま突っ込んでくる。

 あっという間に雪原を走って肉薄してくるが、太い丸太や石で組み上げられた柵に進軍を阻まれた。


 タタタンッ!タタタンッ!


 トニーの命令通り、オースティンの兵らは銃座に備え付けられた機関銃でいとも簡単に撃ち倒された。

 その間、おおよそ二分といったところか。ウィリアムの方も似たような状況であれば、加勢は要らないと断言するのも納得だ。


「……?なんだ、この攻撃は?」


 時間稼ぎをしてモスクワ城に突入する算段にしても非力すぎる。即死するのは分かりきっていたはずだ。


「増援も見えません。これで終わりのようですが……」


「警戒は続けろ。新しい大砲を一門、オースティンの陣に向けてしばらくぶっ放せ」


「はっ!砲撃準備!」


 ジャックも意味が分からず困惑している。だが、本陣攻撃の大義は得たので砲撃を開始する。


 ダンッ!ダンッ!


 他の大砲も含め、断続的な砲撃音。そして遠くから聞こえる弾着と爆発音。

 ウィリアムの陣を超えた先にあるオースティンの陣地に雪煙が上がった。


「敵の指揮所に命中!そのまま砲撃を継続します!」


「……おい、斥候を出せ。オースティンの陣の様子が知りたい」


「はっ、では自分が。誰かついてこい!」


 ジャックではなく、いつの間にか後ろに控えていたセクレタリアトが申し出る。ケンタウロスの駿足であれば適任だ。


 その速度には遠く及ばないが、数体のスケルトン兵がそれに続いて出発していった。

 飛竜やインプを飛ばす手もあるが、降雪で上空からの確認が難しい。それにギャアギャアと鳴くのではなく、言葉で報告できなければ意味がないので、セクレタリアトたちに任せることにする。


 たとえば、飛竜の鳴き声をリザードマンが翻訳して理解できそうなものではあるが、そんなことはないのだ。

 彼らにもトニーと同じくギャアギャアと聞こえているだけである。


「街の方はどうだ」


「多少踏み込まれております。少なからず被害は出てしまっているようです」


「まずいな。後から意図的に入れたと言われちゃ敵わねぇ」


 しかし、そちらに割ける人員はない。変わらず砲撃で援護するのが関の山だ。


「えー?なにー?押されてんのー?」


 そして突然のカトレアの帰還。おそらく瞬間転移か。どこにいたのか問いただすより先に、トニーは命令を出す。


「おい、ガキ。モスクワの街に犬っころの兵隊が入っちまってる。そいつらだけでも消せるか?」


「ん-?いいよー。幼女出撃!」


 次の瞬間にはもういない。そして、一分と経たずに戻ってくる。


「本当にちょっとじゃん!もうおわっちゃったよ!」


「でかした。どのくらいの連中が入ってた?」


「へへーん。数は全部合わせて五十くらいじゃない?副長はもちろん、強そうなのはいなかったよー」


 これで少しの間は安心できる。だが、依然として次から次へとオースティンの兵は城内へ突撃を繰り返しているので、砲撃の手は緩められない。


 都度、カトレアを派遣してもいいが、それはあまり期待しない方がいいだろう。彼女が退屈な掃討戦に飽きれば、どこかへ飛んで行ってしまう可能性もある。


「か、閣下ぁぁぁぁっ!!!」


 それから数分後。パカラ、パカラと蹄の音を立てながらセクレタリアトが戻ってくる。

 帯同していたはずのスケルトンたちは見えないので、単騎で全速力で戻ってきたようだ。


「どうした」


「オースティン副長の陣ですが、もぬけの殻でした!副長の姿も、その周りの精兵たちもおりません!」


「何だと?」


 すると、空の陣に向けて無駄な砲撃をしていただけになる。

 それよりも、奴らがどこへ消えたのか。人知れず空間転移をしていたものだと思われるが、モスクワの中に入ってしまったか、占領地やアメリカに撤退したのか、それとも……


「ロサンゼルス……か?」


 もしそうなら最悪の事態である。他にも中国や日本の日向など、味方がいる場所で手を伸ばされてはまずい街も無限にある。


 トニーやカトレアがモスクワにいると分かっている今、オースティンにとっては格好の襲撃タイミングだ。


「え?ロサンゼルス城が襲われてる感じ?」


「かもな。野郎、最初からそっちが狙いだったのか?だが、モスクワが囲まれてる以上は引き上げるってわけにもいかねぇ。どうしたもんか」


 現在、ロサンゼルスにもそれなりの人数はいるので、即座に落ちるとは思えない。他の場所も然り。

 かといってここに長居もできない。


「弟くんにどっちかを任せたらー?」


 悪くはないが、トニーの部隊が引き上げるとモスクワへの支援が文字通り半減する。逆にウィリアムにオースティンの捜索を頼んだ場合も同じだ。


 ならどうするか。トニーの判断は単純明快だった。


「おい、ガキ。見えてる奴らをできるだけ吹き飛ばせるか?陣から打って出て、ここにいる連中を攻め滅ぼしたい」


「さすがに数が多いよぉ!それにあのお城には当てちゃダメなんでしょ?ふるぱわーが使えないじゃん!まぁ、やれるだけやるけどさぁ」


 カトレアの強烈な魔術を当て、残党を砲撃と白兵戦で叩き潰す。

 何倍もの兵力をすべて相手にするわけだが、それしか方法はないと判断した。

 有利な点があるとすれば、相手方にオースティンという強者が不在というくらいか。


「セクレタリアト。ウィリアムにも作戦を伝えてこい。一気にやるぞ」


「はっ!」


「全砲台、そのまま敵の侵入を許すな。頭上に落としてもいい。残りはここに招集だ。背後からの攻め手を分ける」


 速攻を仕掛ける指示を出して、ウィリアムからの返答を待つ。

 二つの陣から同時に出て、せめてこちらの近くの城壁の穴に展開している敵兵だけでも壊滅させたい。そこへの支援砲撃が減らせれば、それだけ大砲も自由に撃てるようになる。


「トニー。ロサンゼルスが襲撃されてるって?」


 それからさらに数分。

 なんと、伝令を送ってくるのではなく、ウィリアム本人がセクレタリアトに乗ってやってきた。


「いや、その可能性もあるってだけだ。だから打って出て、ここにいる奴らを壊滅させるぞ」


「なら先に、カトレアでも飛ばしてロサンゼルスの様子を見てくればいいだろう?瞬間転移ってやつなら捕まったりはしないんじゃないのか?」


「……確かにな。ガキ、どうなんだ?」


「えー?網張られてたら飛んだ瞬間引っかかるかも?正直わかんない!遠くからでいいなら見てくるよ!」


 確かに相手がカトレアが瞬間転移で来ると分かって身構えていれば、いかに瞬間転移であろうとも捕まってしまうような魔術があるのかもしれない。


 強力な魔力に反応して知らせる、その一点だけ魔力を無効化する、即座に攻撃する、などなど、様々な手が考えられる。そんな技術が存在するかしないかもわからないが。


「遠くから見て、問題なさそうなら中も見てこい」


「あいあいさー!」


 敬礼のポーズのまま、パッと音もなく消えるカトレア。


「それで、あの数を全滅させるってのは正気なのか?」


「冗談に聞こえたならおめでたいな」


「本拠地がやられてるんなら、そっちを先に助けるべきだ。モスクワの援護は二の次でいい」


 慎重派のウィリアムらしいが、彼の個人的な立場で言えば、ロサンゼルスよりもモスクワの方が重要なはずだ。イタリア国王の情報はロサンゼルスにはない。


 それでもウィリアムは自身よりトニーの立場を優先してくれたわけだ。


「……だそうだが?お前はそれを許容できるのかね」


 近くにいた女団長に振る。

 彼女は苦そうな顔で頷いた。モスクワを全力で助けてほしいが、ロサンゼルスを見捨ててまでやることではないという回答だ。


「ふん、どちらにせよガキの報告待ちだ。今は奴らを攻撃する」


「待て、トニー。カトレアは遅くとも数分、あるいは数十分で帰ってくるんだろ?それからの判断でも遅くはないさ」


「のろまな判断は嫌いだ。ガキが帰ってくるまでは攻撃して敵を減らしておく。なに、砲撃と銃撃メインで、こっちに犠牲が出るほど近寄らせはしねぇよ」


「まぁ……それなら。ただし戻るのであればすぐに実行できるよう、陣からは離れすぎないようにしよう」


 暫定的な行動方針が決まった。


……


 頭上を味方の砲撃が通過していく。

 そして、目と鼻の先にいる敵部隊にその砲弾は直撃した。飛来した方向から見て、ウィリアムの陣からの砲撃だろう。


 なるほど、あちらはトニーの護衛に努めるような砲撃の指示を出したわけだ。自身の弟ながら泣かせてくれる家族愛である。


 トニーは数十名の小部隊を率いて、自陣から打って出ていた。


 敵方から見ればトニーという大将首を取るまたとないチャンスのはずだが、あいも変わらずモスクワへの進撃だけを続けている。

 おそらくオースティンからそう指示されており、機転は利かないらしい。


 トニーの陣からの砲撃はそちらを防ぐ砲撃を継続している。

 ただし、数の力に圧倒されてすべては防げず、モスクワ内も騎士団と魔族が交戦中。これは捨て置けない。


 増援を頼もうにも、本拠地ロサンゼルスはカトレアの報告待ちで、使えるかどうか不明。

 というより、この場にオースティンがいなければ、襲撃を受けていようが受けていまいが守備兵は使えない。

 他の属国や友好国も同じだ。攻められる危険性があるのであれば駆り出すわけにもいくまい。


 では攻められる危険性のないフィラデルフィア城のヘルあたりに支援を頼もうか。いいや、勘づかれた瞬間にオースティンと確実に正面から敵対するので、簡単には首を縦に振らないだろう。

 手伝ってくれたとしても、物資の譲渡や情報の共有くらいか。


「突っ込め!」


「「おぉぉぉぉっ!!!」」


 トニーの指揮のもと、屈強なロサンゼルスの兵士がオースティンの部隊の背後に衝突する。


 振り向いて反撃することくらいしてもよさそうだが、ギリギリまで城へと進み、こちらがぶつかって初めて応戦してきた。

 迎え撃つ体制ではないので、ほぼ一方的にこちらの攻撃が通る。


「現場に下士官や隊長も置いてねぇか。本当に寄せ集めだな」


 トニーはセクレタリアトの背に乗った状態で、ぐるりと他の箇所を見る。


 すぐ左手のそばには自身の兵団を抱える女団長の部隊。右手の遠くにはウィリアムが出撃しているのも見えた。

 どこも同じで、大した応戦には合わずに撃破している。


 女団長の方はほとんど人間の兵士で構成されているので特に心配ではあったが、彼女に貸し出しているごく僅かなスケルトン兵が活躍しているようだ。


 そして今回、自軍の魔族兵には試験的に、携行型の銃器を与えてもいる。

 主にアサルトライフルである。


 いまや大砲や迫撃砲、機関銃、自動小銃、拳銃と、生産開発は多岐にわたる。

 ただし、すべてを取り扱えるのは人間と同じ背格好をしているスケルトン兵のみだ。

 そのほかの種族は引き金に指が入らず、大砲と迫撃砲くらいしか触れない。


 小銃などは組員だけが取り扱っていたが、最も忠誠心の高い種族であるスケルトン兵はこれを与えても問題ないだろうという判断である。

 ただ、リザードマンだろうがオーガだろうが、今後は順次専用の重火器を与える可能性は高い。


 とりあえず今回は女団長につけているスケルトン兵だけが装備しているが、予想通りの強さを発揮してくれていた。


「我らがいる面だけですが、城壁まで押し込めそうです」


 ジャックに言われずともトニーには見えている。

 つまりトニーとウィリアムの陣からは、モスクワ城までの道程の敵を綺麗さっぱり掃除できたわけだ。


 しかしここからが難儀する。

 城を囲む三百六十度の敵のうち、倒せたのは角度で言う十度に展開していた程度。今後は背後を突くのではなく、ぐるりと敵軍の横に向かって進軍していく必要がある。

 砲撃は一門だけが支援可能な遊撃状態となったが、それでも簡単な仕事ではない。


「か、閣下!陣中にカトレア様が戻られているようです!」


 ここからというところだが、リザードマンの兵の一体が駆けながらそう伝えてきた。


「戻られたようです?何でここまで飛んでこねぇ」


 陣から見れば、トニーらが打って出ていることなど一目瞭然のはず。お使い帰りのカトレアであれば、言われずともそれを見たら即座にここへ飛んでくるはずだ。


「そこまでは何とも……自分も見たわけではありませんので」


「ならさっさと見てこい!曖昧な情報は要らねぇんだよ!」


「は、ははっ!」


 仮に彼女が命からがら帰ってきた、という状態であれば一大事だ。ロサンゼルスにもかなりの被害が出ていると思われる。

 単に飽きて眠っているだけであればそれでいい。それが分からない情報には価値などないと切り捨て、リザードマンを走らせた。


 トニーと女団長が率いる一団は左、ウィリアムの部隊は右へと転進し、横からの攻撃を開始する。

 背後とは違ってこちらの接近が目に入るので、オースティンの兵たちからの抵抗は強くなり始めた。


「ぬぅん!」


 敵兵の一体にひときわ目立つオーガ兵。ただでさえ巨大な体躯が一回り大きい。それが振るう斧で、味方のリザードマンが三体、真っ二つにされてしまった。


「怯むなぁ!」


 女団長が叫ぶ。


「おい!やめとけ!砲撃を撃たせる!」


 人間の兵士では太刀打ちできまい。倒せてもそれなりに被害が出てしまう。

 トニーはロシア兵らを前に出さないよう女団長に呼びかけ、中空に向けて魔術の火球を放って支援砲撃を要請した。


 ドンッ!


 それが合図となり、一門、余っている大砲があるおかげで間髪入れずに砲弾が飛んでくる。


「がぁっ!」


 いくら巨躯の兵士だろうと、砲弾の直撃はほとんど即死を意味する。

 見事に肩に命中したそれは左腕を無残に吹き飛ばした。なおも片腕で戦おうとするところへ、スケルトン兵らの銃撃が襲い掛かる。


 タタタンッ!タタタンッ!


「ぬぅあぁっ!!!卑怯な戦いしか知らぬ痴れ者どもがぁっ!」


「耳を貸すな!死ぬまで撃ち込んでやれ!」


 トニーの言葉は届いていなくとも、さらなる砲弾が飛来してそのオーガ兵の足元に着弾した。


 雪煙を上げながら地面を抉る衝撃。それに巻き込まれたオーガ兵はとうとう倒れてしまっていた。

 他の敵兵も数体が巻き込まれて怯む。せめて逃げ出さないのは褒めてやるべきか。


「よし、蹴散らせ!」


 もう一度魔術を中空へ。ただし次は砲撃の停止を命じるために、火球を飛ばす発火ではなく、落雷に似た放電だ。

 雷のように落ちるのではなく、反対にピカッと光が天に上り、そこから白兵戦に突入する。


 砲兵らと詳細な打ち合わせをしたわけではないが、味方と敵が接近している様子は見えており、砲撃は止まった。


「今こそ我らの故郷からおぞましき魔族を追い出すとき!突撃!」


「……そう言われちまうと俺らも邪魔ものにしか聞こえねぇがよ」


 響き渡る女団長の号令にトニーが独り言ちる。


 側にいるジャックやセクレタリアトはノーリアクションだ。

 彼らの立場で何とも反応しづらいのはトニーも同意する。


 このタイミングで、走らせていたリザードマンが本陣から戻ってきた。


「閣下、申し上げます!カトレア様ですが、怪我はないものの、お疲れのご様子!ロサンゼルスはやはり攻撃されていたそうです!」


「……チッ。追いかけっこでもして、オースティンと遊んできたわけか」


「そ、そこまでは……」


 再度叱られるかとリザードマンが縮こまるも、トニーはそれ以上は何も言わない。

 攻撃をここまでとし、ロサンゼルスの防衛に回るか、このまま続行するか。決断の時だ。


 先ほどのウィリアムや女団長を交えた会議では前者のはずだった。


「さっさとここを片付けねぇとな」


 だが、トニーは後者を選ぶ。


 理由などない。気分だ。

 決死の覚悟で強敵に挑む騎士らの姿にでも当てられたのだろうか。本人にもそれは分からない。


 そのまま日暮れまでは戦い続け、夜になってようやく陣へと引き上げた。


……


「トニー、聞いたぞ。ロサンゼルスが……」


「耳の良い奴だ」


 トニーの天幕の中。卓を囲むのはウィリアムと女団長。

 そしてトニーの寝台ですやすやと眠るカトレア。よほど疲れたのか、戻ってからはずっと眠っていたようだ。

 魔力を使い果たした可能性が高いが、どんな罠が彼女の膨大な魔力を奪ったのか気になるところだ。


「乗っ取られてたらもう一回奪い返すまでだ。モスクワは、ここで退くのはもやもやするだろ」


「ロサンゼルスの奪還、ぜひ我らも参加さえてほしい。このままでは申し訳ない」


「はっ!当然だ。お前らどころか、クレムリンの連中にも援軍は要請するつもりだとも」


 申し出た女団長を鼻で笑い、今助けている連中も巻き込むと宣言するトニー。これはロシア皇帝ですら反論の余地はないだろう。


 だがそれでも、被害が出た以上は兵など出せないと駄々をこねるだろうか。確かに城の修復にも兵の補充や治療にも時間はかかるだろう。


「そうだな。私からも陛下には進言させてもらう」


「守ると言っときながら侵入を許した。よって味方にはならない、だなんて言わせるんじゃねぇぞ」


「それは……可能性はあるかもしれんな。だが今いる敵を蹴散らしてしまえば、陛下のご意思も、民意も将軍に味方しようというもの」


「どうだか」


 果たして民衆はどう見ているのだろうか。


 突然、魔族が仲間割れを始めて争っているのは分かるはず。そしてその裏切り者の中には人間の一団も少数ながらいて、手を貸している。

 どういうことなのか、わけが分からないといったところか。


 いや、ここまできてクレムリンの上層部が何も言わないとは考えづらい。騎士団に上意下達され、それが民衆の間にも徐々に広がっていることだろうか。


『魔族の一団の片方は味方である』と。


 城を大群に包囲され、壁を破壊され、絶望していたであろうモスクワ市民にトニー達はどう見えているか。


「……あ、閣下」


「あん?起きたのか、ガキ」


 寝台で目を擦りながら半身を起こすカトレア。


「うん、なんか話し声が気になっちゃって」


「安眠妨害へのクレームなら後だ。ロサンゼルスの状況をさっさと報告しろ」


 モスクワが加勢してくれるかという話題から、カトレアの起床のおかげで本題のロサンゼルスの近況へ。


「副長はいなかった、と思う。敵兵もそこまで多くはなかった。でも何だか魔力が吸われてるみたいな感覚だったんだよね」


 魔力を吸う、か。また妙な術か装置でも使っているものだと思われる。それがカトレアの疲れの原因だということも外れてはいないはず。

 だが、そこにオースティンがいないのであれば、魔力をほとんど持たない雑兵による奇襲か。


 ロサンゼルスには組員らもおり、魔術ではなく銃で武装しているので即座に乗っ取られるかどうかはわからない。

 こちらに連絡が来なかったのも、魔力を封じて間接的に空間転移が阻害されているからだと考えられる。


「魔力だけを吸う何かがあるのか?魔力がない奴は?」


「わかんない……多分、平気」


 それなら一安心、とも言い切れない。腕力のみの武力でも十分に魔族の兵士らは脅威だ。


 しかし、カトレアも魔力を失えばここまで弱るか。彼女はその絶大な魔力のおかげでほとんど無敵だと思っていたが、オースティンもなかなかに魔術師対策を熟知している。


 自身がその場にいないのもそれが理由かもしれない。オースティンの実力は未知数だが、剣術も魔術も両方使えるはず。

 得意分野が半分でも封じられるのであれば、自身もそれを嫌い、あまり影響のない雑兵にそこを担当させているわけだ。


 しかし、それでロサンゼルスが落ちるなどという甘い考えでいるほど馬鹿なのか?

 これは陽動に過ぎず、自身はトニーが持つ別の拠点、たとえば上海などを襲っているのではないだろうか。


 と、疑念は無限に湧いてくる。だが現状、カトレアがこうもやられるのであれば、他のものを遣いに出すなど到底考えられない。


 そして、カトレア本人を飛ばすというのはさらに考えられない。

 今回はうまく逃げてきたものの、次は帰ってこれない可能性が高い。


 カトレアはこれでもこちらの手札としては最高戦力なのだ。ここが取られては一気に組織が弱体化する。

 魔術が使えないカトレアも、人間と比べれば決して弱くはないはずだが、魔族の兵士に囲まれれば殺されてしまう。


「となると、野郎どもが抑えてくれるのを信じるしかねぇな」


「敵はそんなに……いなかったから大丈夫だと思う。むしろ、アタシや閣下を引き付けて……ここから離しておきたかったんじゃない?」


「その線もあるな。目標を複数箇所持ってて、どれか取れれば良いと思っているんじゃないか?」


 ウィリアムがカトレアの意見に賛同する。

 オースティンはロサンゼルスやモスクワも含め、手薄であればどこでも良いのでこちらの戦力が薄くなっている場所を潰したいわけか。


「全部にその魔力が奪われるって罠張ってるんなら、本命はやっぱりモスクワなんだろうな」


「さてね。裏をかいてロサンゼルスかもしれない。魔力の罠は逃がさないためとも考えられるからな。いずれにせよ、トニーの第一目標はモスクワで、次がロサンゼルスなんだろう?」


「そのつもりだ。奴の思惑は知らねぇが、別に乗らねぇ。俺の好きにやるまでだ」


 ウィリアムと、女団長も頷く。

 ロサンゼルスで魔力が使えないというのは脅威だが、今はどう足掻いてもその対策は打てない。


「あたしもそれでいいと思う……ロサンゼルスは取られたりしない……よ」


「お前がそう思うなら十分だ。もう寝ろ。モスクワの敵は数ばかりの烏合の衆と化した。一気に吹き飛ばすなら、てめぇにも働いてもらうのが一番だからな」


「人使い荒いなぁ」


 そう言って苦笑と抗議をしながらも、カトレアは言われたとおりにまどろんでいった。


「ふん、一日寝るくらいで戻ればいいんだがな」


「敵が大戦力を残してるのはここであるわけだ。叩いておいて後々、損もするまいよ。カトレア殿の魔術には期待させてもらう」


「こいつが使えなくともやるしかねぇ。明日の夜までには決着させたい」


 かなり厳しい目標だ。何倍もの戦力を相手に、あと一日で勝つというのは。


「カトレアなしで達成できる目標とは思えないが、力押しで?」


「それしかねぇだろ。他に何かあるなら意見を出せ」


「最も簡単なのは大砲、迫撃砲の増設だろうな。ただ、それも運べないのだからどうしようもない」


 空間転移が間接的に封じられては何も持っては来れない。


「分かりきった話はどうでもいいってんだよ。何かねぇのか?」


「ううむ、今は切り込んだ箇所から左右に攻めているが、それを変えてはどうだろう?」


「どう変える?」


「後ろからの攻撃の方が効果的なのは見えた。だから今空いている部分は城へ侵入する者への防御のみに留めて、他をまた後ろから強襲する」


 やってみても良さそうではある。だが。


「後ろに回っているのを見られるんじゃねぇのか」


「それはそうだが、連中は初撃もぶつかるまで対応しなかっただろう?見ていない、あるいは見ていても城にしか集中していない」


「なるほどな。それで包囲網に分断されている箇所を増やしていくか……やるぞ」


 トニーとウィリアムの隊でそれぞれ、どこかしらの敵兵の背後を突くことになった。


……


 結論から言えば、ウィリアムの作戦は上手くいった。だが、上手くいったところであまりにも敵の数が多く、壊滅状態に追い込むというのは届かない。


 カトレアが結局、この日も身体を起こせなかったのも起因している。魔力が吸われるというのは、そこまでに体に響くことらしい。


 トニーも現在は魔力を保有しているわけだが、それを吸われたとて元々持っていなかった力なのだから、それで動けなくなるという感覚はよくわからないでいた。

 だが、魔族にとってはそういうものなのだろうと受け入れるしかない。


「一日、というのは無茶だったな」


「うるせぇな。分かってることをいちいち伝えてくるな。嫌味な野郎だ」


「悪い、そんなつもりは。しかしどうする。このペースだと掃討には一週間近くかかりそうだ。もちろんこちらの被害が増えればもっと遅れる」


 烏合の衆に対する勝利の確信自体は揺るがない。オースティンが援軍を連れて戦場に復帰したりすれば話は別だが。

 ゆっくりじわじわと削っていき、すり潰すことは可能だろう。だがそれもウィリアムの言う通り、かなりの日数が経ってからだ。


 その頃にロサンゼルスが無事でいられるか。これは現場を見てきたカトレアに訊いた方がよさそうだ。


 だが皮肉にも、彼女が起きる必要はなくなった。


 ズゥ……バリバリバリ!


 突如開く空間転移。

 天幕の外からだ。誰もがオースティンの襲撃ではないかと身構える。

 この本陣の位置を知る者は敵味方問わず、モスクワ攻めに参加していなかった者には少ない。


「何奴か!」


 天幕の外からジャックの誰何(すいか)の声が響く。


「閣下、ロサンゼルスの兵と名乗る者が参っておりますが」


「あ?ウチの兵だと?通せ」


「はっ!」


 それが真実かどうかわからないまま入れるのは刺客の可能性を考えると危険だ。しかしトニーは迷いなく即決でその者を招き入れる。

 ボロボロの軽装鎧に、折れた剣を腰に差したスケルトン兵が入ってきた。よく見ると片腕もない。


「か、閣下。ロサンゼルス城が……落とされました」


「「!!!」」


 ウィリアムと女団長が息をのむ。


「そうか、頑張ってくれたか。魔術を封じられたと聞いたが飛べたのか?よくここまでたどり着いたな。場所も知っていたのか」


「補給で、数日前にここを一度訪れましたので。お伝えせねばと、恥ずかしながら城を離れ、郊外で空間転移を発動しました……」


 面目ないとスケルトン兵が視線を落とす。トニーはその肩に手を置いた。


「野郎どもは生きてるのか」


「城は落ちましたが、組員の方々の欠如はありません。今は一時的に、日本や中国へ退避されているはずです」


「そうか」


 この者を見るに、その代わりに魔族の兵や奴隷に多大なる損害が出ていることだろう。ファミリーである彼らを守るために奮闘してくれたわけだ。

 最悪に近い結果だが、最悪の結果だけは免れた。


 しかし、いかに魔力が封じられたところでロサンゼルスには銃器があるはず。

 少数の敵に落とされたということは、カトレアが戻った後に何かが起きたとしか考えられない。


「敵は少なかったはずだが、どうして敗れたんだ?」


 トニーの代わりにウィリアムがその疑問を口にする。


「その通りです。我らもあの程度の数の敵では何もできないだろうと高をくくっておりました。しかし、途中でご存じの通り、魔術が使えないことが発覚。同時に、魔術で錬成された武器も動かないことに気が付いたのです」


「なるほど、それでか」


 ロサンゼルスに配備している銃器や弾丸はほとんど現代から持ち込んだものではない。

 見た目こそ同じかもしれないが、製造過程では魔術も一部用いられている。そこが動かなくなったというわけか。


「なら答えは簡単だな」


「どうするつもりだ、トニー?」


「こっちの世界も人間の国には既に製鉄の技術があるんだからよ。魔術を一切使わないで、実銃を生産すりゃいい。技術のある日本なんか打ってつけだ」


 現在の生産拠点はフィラデルフィア城だが、それをまた移すというわけだ。しかも、生産の仕組みまで変えて。

 中々大掛かりなプロジェクトである。


「日本、か。確かに彼らはそういった仕事が得意そうだ」


「それよりも、魔術が使えなくなった理由は分かってんのかよ?」


「いえ……分かっておりません」


 であればやはり対抗策は銃器の通常製造。調査が不足しており、原因自体を叩くというのは不可能だ。


「そんなものを今まで隠していたとは驚きだな。ここで使わなかったのはやはり自分の身が可愛いからだろうか」


「じゃねぇか?俺らの攻撃手段を奪ったとて、仮に追い詰められたら、逃げようにも逃げられなくなるしな」


「腹の中ではこちらを信頼していなかったんだな」


「当たり前だ。あれはそういう生き物なんだよ。だから先んじて裏切ってやった。もし先制の砲撃がなかったら、もっと多い敵を相手することになってただろうな」


 結果論である。

 オースティンがどのタイミングで牙を向けてくるつもりだったのかは分からない。しかし仮に、先に不意打ちを食らっていたのがこちらだったら?

 この少数の兵では一溜りもなかったはずだ。


「本拠点はどこに移す?仮拠点というべきか」


「モスクワの近くにせっかく作った拠点があるだろうが」


「いや、あれは脆弱だ。街ではなく孤立した砦でしかないからお勧めできない。それこそ日本か中国の大都市を使うべきだ」


「あぁ?それなら上海だろうな」


 中国は全土がトニーの属国となっており、人口も多く堅牢だ。

 トニーの案だと、補給に空間転移を用いなければならなくなる。連絡も密には行えない。

 反対に、住民を巻き込まないという利点はあるが。


「軽く行動方針をまとめておこう。まずはモスクワ周辺の大勢の敵の殲滅。これは時間こそかかるだろうが問題なさそうだ。馬鹿な連中が相手で助かった」


「犬っころがいねぇだけでこんなにも崩れるとはな。命令に忠実なのは良いが、厳しくしすぎてんじゃねぇか?ウチの連中はもう少し、個別でも動けると思うが」


「何も考えることを許されていないブラックな軍隊ってのが俺の印象だよ。それが終わったらモスクワとの同盟締結、本拠点の移動。そしてようやくオースティン副長の討伐や我がイタリア国王の捜索となるわけだな」


 トニーが頷く。


「待たせて悪いがそうなるな」


「トニーがそんなことで謝るとは驚いたな。この状況は誰もが分かっているんだ。近衛騎士の連中にも、文句なんて言わせないさ」


「別に謝ってねぇ。それに、イタリア王については随分と待たせてんのは事実だ。もう、くたばってる可能性の方が高いんじゃねぇか。わざわざ探すのを止めたりはしねぇが」


「それは言わないでほしいな。わずかな希望でウチの連中は動いてる」


 ため息をつきながらウィリアムが返す。


 チェザリス、カンナバーロといった護衛や近衛騎士たちには絶対に聞かせられない話だ。

 いや、彼ら自身もそう感じているのかもしれないが、口が裂けてもそんな不敬なことは言えないだろう。


「なんというか、それぞれ抱えるものが多い中で我が国を最優先されていて、面目ないな」


 これは女団長だ。アメリカのトニーも、イタリアのウィリアムも窮地なのに、という意味だろう。


「その後にきっちり借りを返してもらうぜ。なにせ、傾国の危機を救った勇者的な外国人なんだからよ」


 その傾国に加担していたのが同国の別分子である事実を棚上げしているのはご愛敬だ。そもそもオースティンとは同郷という仲間意識すらない。


「できる限りの支援は陛下に取り付けると約束しよう」


 ただ、正直ロシアが味方になったところで、このモスクワの城塞以外に強力な切り札はない。兵も平凡、武器も旧世代、食糧や物資も乏しい。

 ただ、領土だけは広いのでいろんな拠点を作ることには活用できそうである。

 無論、皇帝の許可が下りればだが。


「ではそろそろ俺は休むとするよ。しばらくは闘いの日々が続きそうだからな」


 ウィリアムが最初にそう言い、天幕を出て行った。

 彼だけは本陣が別にあるので先に休むと言い出すのも納得だ。


「では私もこれで」


 それを皮切りに女団長も退室。残されたのは寝息を立てるカトレアとトニーだけになった。

 と思ったが、伝令を持ってきたスケルトン兵がポツンと隅に放置されているのを見つける。


「おい。明日以降、可能ならカトレアに身体を治してもらえ。こいつの魔力が戻ってなければそれまでゆっくりしていい」


「い、いえ。そのような寛大なご配慮は……お許しいただけるのであれば、すぐにでも残してきた仲間の救出に行かせてください」


「許可できねぇな。てめぇの魔力では片道切符の死地だろう?」


 その他大勢の兵を見捨てることにはなる。だが、カトレアができないことを他の者ができるとは思えない。

 あっさりと決めたように見えて、これは苦渋の決断だ。


「それはそうですが、彼らを見捨てるわけには」


「落ちた城の中で最後まで応戦して、この長時間の後にまだ生きてる奴がいるのか?」


「わかりません。いえ、おそらく絶望的かと」


 行ったところで、このスケルトン兵ができるのは弔いくらいだ。そしてその後は敵に倒されるだけだろう。


「なら、なおさらだ。死ねって命令は出来ねぇな。仲間に申し訳ないって気持ちがあんのなら、そいつらが為せなかった、生きて俺に仕え続けるってのをやり遂げろ」


「しかし……」


「逆にてめぇが残ってた場合、俺に伝令を届けた仲間が死ぬと分かってて戻ってくるのは嬉しいのか?それよりは、こっちに残って次のお役目を果たして欲しいって考えたんじゃねぇのか?」


 スケルトン兵がハッとする。


「生きて、やるべきことをやれ。てめぇには、そうだな……ウィリアムの補佐を頼むか。俺で言うところの、ジャックみたいな護衛兼、秘書みてぇなもんだ」


「は、ははっ!謹んで拝命いたします!」


「ついでに名も与えてやる……ダニエルにしておくか。ジャックと並べて覚えやすいだろ」


 言わずと知れたテネシーウィスキー、ジャックダニエルからジョークのような名前を取って与える。だがこのスケルトン本人はそんなことを知る由もないので、ただただ感激して頭を地に擦りつけながら受け入れた。


「閣下、ありがとうございます……!」


「仲間の弔いと涙は、ロサンゼルスを取り返すまでお預けだ。ま、てめぇの身体じゃ涙は出ねぇだろうがな。おら、もう行け」


 立ち上がり、最後にもう一度振り返ってスケルトン兵は退室した。


……


 次の日の戦闘。

 前線に出てきたウィリアムの横には、隻腕のスケルトン兵の姿があった。

 どうやらウィリアムも本人からの申し出……といっても元はトニーの指示だが、それをを受け入れたらしい。


 そして、カトレアはまだ目覚めておらず、ダニエルの腕は治っていない。

 それでも何もしないではいられずにこうして出てきたのだろう。


 離れて戦うウィリアムと目が合う、妙なやつを押し付けてきたな、やれやれだと苦笑しているのが分かった。


「ふん。侍従、小姓としてでも使ってやれ。荷物持ちくらいにはなるだろ」


「なるほど……あれをウィリアム殿にお付けに。良いお考えかと」


 その独り言から主の視線を負い、同じスケルトンであるダニエルの姿をウィリアムの側に認めたジャックがそうこぼした。


「同属のよしみだ。ウィリアムに仕えるにあたり、あのスケルトンから相談事でもあったらお前が乗ってやれ。名前はダニエルと言う」


「はっ!私も未熟な身ではありますが、出来る限り立派な側近に叩き上げて見せます」


 スケルトンであるジャックに表情などないが、心なしか嬉しそうな声色だ。

 ジャック自身も元は一介の兵士からの叩き上げなので、その出自も近いものがある。


「将軍、我らが先陣でよいか?」


 今回も、トニーとウィリアムの陣営で別れているので、女団長率いるロシア兵らはこちらに帯同だ。

 せめてもの恩返しにと先当たりを提案してくる。


「好きにしろ。ただし、気張りすぎんなよ。死傷者が増えても責任はとれねぇぞ」


「責任など必要ないさ」


 全体の統括はトニーなので責任がないはずなどない。この女団長の意見を取り入れて許可した時点でそれは発生する。

 だが、痛手を被っても彼女たちからの恨み言は無し、という意味でこの言葉は機能した。


「……行け」


「感謝する。皆、突撃するぞ!目標、前方の魔族部隊!間抜けな背中からついてやれ!」


 剣を上に掲げ、女団長の凛々しい号令が飛ぶ。

 トニーから支給された銃、そして元から持っている剣や槍を手に、ロシア兵が突っ込んでいく。


 全て射撃で済ませてしまえばよいものを、わざわざ突撃するのはロシア兵の意地か。モスクワからも見えている状態なので、自国の兵の勇猛さをアピールする意図もあるのかもしれない。


 そして、ここでようやくモスクワからの反応があった。


 トニーらの攻撃の成果もあり、城内に入ってしまっていた魔族の駆逐もいよいよ終わったのであろう。

 数は少ないが、モスクワの城兵らも打って出て、敵を挟撃する構えを見せたのである。加えて、城壁の上から矢の援護射撃も飛んできている。


「ほう、やる気になったか。壁の修復も急いでほしいもんだな」


 穴を開けたのはトニーの部隊の砲撃なのだが、そこは棚に上げて急かすのがトニーという男だ。しかし、敵は未だにそこを目がけて殺到しているので今すぐに壁を直すのは難しいだろう。


 モスクワ兵が出てきているのもその辺りで、簡易的な木製のバリケードを盾にしながら押し出してきている。そして、その背後で多少は強固な石や建築資材を積み上げている。


 攻撃と防御を両立する、悪くない戦法だ。


 修復ができない分、せめて瓦礫でも積み上げて塞いでしまおうという策だが、押し出してきている兵らの帰りはどうするのだろうか。


 他の穴に回れば帰れるだろうが、危険度は増す。まさかその場で陣構築して耐え凌ぐわけでもあるまい。片道切符の決死隊なのだろうか。


 万が一、彼らの逃げ場が失われた場合にはこちらで保護してやっても良さそうだ。


「なかなか、人間共も役に立つではありませんか。これなら簡単にすり潰せます」


 下から届く声。トニーを乗せているセクレタリアトだ。ジャックは敵対者を除き、味方を低く見るようなこういった物言いはあまりしない。


 こちらの部隊からも前線に出ているのは女団長率いるロシア兵なので、ほとんどロシア人同士が協力して敵を倒している構図だ。


「奴らのお膝元だ。ギャラリーだってそれを期待してるだろうから、華を持たせるのもいいかもな」


「流石閣下。懐の深さに感服いたしました」


 使えるものは使う。前に出たのだからそのままやらせる。ただそれだけなのだが、皮肉のような意見が飛んできた。

 しかし、あくまでも相対しているのは魔族の兵士。あまりにもロシア人に被害が広がるようであれば手助けをしなくてはなるまい。


 ちなみに、本陣からの砲撃は他の城壁に穴が開いている地点へ集中させているので、ここは魔術、銃撃、白兵戦のいずれかで突破するしかない。


 城側からは盾を持つ城兵。反対側からはトニーとウィリアムの部隊。


 いよいよ逃げ場のない敵兵は左右へ広がって敗走の動きになり始めた。ただ、正面のいくらかのロシア兵は倒され、そこから瓦礫へよじ登る敵兵もいる。


 せっかく作られ始めた簡易的な障害物だが、垂直に立つ城壁に比べると上られやすいのは見ての通りだ。

 ただ、それは弓兵の矢と、さらに内側にいた騎士によって何とか食い止められた。敵が少なかったおかげだ。


「閣下、正面は潰せますが、左右に逃げる敵はどうなさいますか」


「追うな。こっちも分散する羽目になる」


「しかし、取り逃しては他の敵兵と合流して戦力になってしまうのでは」


 トニーとセクレタリアトの、この問答をジャックは黙ってみている。

 こうして比べるとセクレタリアトは差し出がましく感じるかもしれないが、これはこれで部下の意見を聞けるので悪くない。


「一長一短なのは認める。てめぇの言う通りに追撃もナシな話じゃねぇ。だが、撃破を急ぐよりもこっちの戦力の損耗を防ぎたい。なにせ先は長いからな」


 トニーにしてはやや後ろ向きな考えだが、兵の補充もままならない今はそう判断した。

 納得は出来ずとも、理解はできたセクレタリアトもこれ以上は食い下がらない。


「なるほど。手堅く潰していくというわけですね。さすがは閣下!恐れ入ります」


「はっ!いちいち無理しておべっか使わなくてもいいんだぞ」


「そんなことはしておりませんとも!」


 そして目の前……厳密に言うと前方の左右では、セクレタリアトが言った通り、一度敗走した敵兵が他の部隊に合流しているのが見える。

 ただ、こちらに向かうではなく、その部隊の正面にある城壁に張り付くか、あるいは別の穴を目指す動きだ。


 互いに反転して挟撃すれば、こちらとしては苦戦を強いられるわけだが、そんなことも思いつかないというのか。


 いや、仮に誰かがそれを思いついたとしても、部隊全体にそれを命令できる立場の存在がいないというのが正解だろう。

 魔族は実力主義だ。誰もが認める強い個体が集団の中にいなければ、バラバラな行動をするか、オースティンの不在中もその命令を愚直に守り続けるしかない。


「ぐぁぁぁぁっ!」


「なっ!?くそっ!」


 そんな中、トニーの部隊の兵らが吹き飛ばされた。

 たまに雑兵に紛れて強兵がいるが、今回はそれを引いたらしい。そしてそれは巨体のオーガやミノタウロス、飛竜であることが多いが、珍しくその強兵はインプだった。


 そう、あの小さな蝙蝠のような種族である。トニーもあれはキィキィと鳴くだけだという認識だったが、強力な魔術を操り、巻き起こしたその竜巻でこちらの兵を蹂躙している。

 なるほど、集団戦では身を潜めていたが、周りがやられて絶体絶命となり、味方への被害も厭わずに本気を出したといったところか。


「強いインプか。面白れぇのもいるもんだ」


「私も初めて見ました。インプが修練を積むとは思えないので、突然変異の個体でしょうかね?珍しいこともあるものです」


 暢気な会話をする人馬をよそに、ジャックは少し前に出て警戒し始める。


「閣下、強力な魔術ですのでここまで届くやもしれません。どうかお下がりください」


「破魔衣では不足か?見ろ、飛ばされた奴らもピンピンしてるぞ」


「魔術自体は防げても、竜巻に飛ばされ、地面に落下したときの衝撃は危ないかと存じます」


 彼らの頑強さは種族特性だ。魔術は破魔衣が、そして落下ダメージは丈夫な肉体が防いだに過ぎない。

 もちろん、後者はトニーに備わっていないので、運が良くても打撲や骨折は免れない。改めて、ジャックはよく主人のことを理解していると言える。


 スケルトンという、元人間だからこそ人間の肉体強度を熟知しているという見方もあるが、彼に生前の記憶などないのだから、本人の人柄だろう。


「まぁいい。そこまで言うなら俺は少し下がる。おい、距離を置いて射撃で潰せ!低い位置から斜め上に向けるのを忘れるなよ!」


 的が小さく素早い分、射撃の腕の見せ所だ。

 トニーの指示を聞いた銃持ちの兵士らが挙って撃ち始める。魔術や弓を飛ばさないのが、斜め上を狙うという指示に暗に含まれている。


 敵を挟撃しているのだ。放物線を描くような武器を使えば反対側の味方に当たる。その点、ある程度長い距離を直線的に飛ぶ銃弾であれば、見上げる様に撃っている限りは味方に当たらない。


 前後からの猛烈な掃射に狙われて、一分と経たずに件のインプは撃墜されていた。


 はさんでいた敵の全てを駆逐し、前に出ていた女団長率いる兵団と、モスクワの守備兵たちが顔を突き合わせる。

 守備兵の部隊長らしき男が女団長に感謝の意を伝えているようだ。


 そのまま、その者らを連れてトニーの下へ馳せ参じた。

 跪いたりはしないが、その場で姿勢を正してトニーに敬意を表する守備兵たち。


「将軍、彼らが礼をと」


「殊勝な事だが、そんな悠長にしてていいもんかね。他の地点はまだ襲われてんぞ」


「まぁそう言ってくれるな。それに、彼らは良く戦った。持ち場を離れてすぐに次の戦場とはいかんのだ。次の仕事はバリケードの補強となるだろうな」


 言わずもがな、トニー達は移動して日が暮れるまで戦闘だ。

 それを彼らにも強要は出来ないという。


「魔族の将軍。敵対しているはずの貴殿の御助力、心より御礼申し上げる」


「とのことだ。伝わっているか?カトレア殿の翻訳術が効いているだろうか」


「あぁ、問題なく英語として聞こえる。俺の言葉も勝手にロシア語になってんだろ」


 礼を述べていた守備兵の部隊長が頷く。


「なぜ、あれほどの有利な状態からこちらに味方しようと?」


「それはお前が知る必要のある情報か?皇帝と、一部の上層部は知ってる内容だが」


「ふむ……いや、失敬。出過ぎた真似を申した。謝罪申し上げる」


 トニーが気さくなせいで忘れられがちだが、他国であろうと将軍の地位は雲の上の存在だ。トニーはロシア皇帝とも交渉しているわけだが、本来、一国の王と交渉できるのも当たり前の事ではない。


「それよりも、今も震えてるだろう民草に多少は情報を与えてやれ。他国の軍隊が加勢してくれてるってな」


「うむ。それは既に広がり始めている。仮に隠したくても、これだけの騒ぎは隠せるものではないからな。ただ、貴殿らの素性が分からずに混乱しているのも事実だ。なぜ魔族同士が争い始めたのだとな」


「理由より結果だろ。俺たちは確かに魔族の兵団だが、お前らの味方をした。それだけが分かってればいい。モスクワ以外の他の街を開放して回ってきたのも俺たちだ」


「重ねてお礼申し上げる」


 同盟がどうだの、属国化できれば万々歳だの、そんな話はこの場ではどうでも良い。

 それを知り、市内で反乱分子が生まれても面倒だ。


 今後の付き合い方は市民ではなく、皇帝やクレムリン内の上層部と取り決める話である。


「一つ言えるのは、お前らを飼いならして食っちまおうなんて考えはねぇって事くらいか。酒は好きだが人は食わねぇよ。おっと、美女と(しとね)を共にするって話なら別だが。是非いただきたいね」


 部隊長含め、モスクワ兵からも笑いが起こる。やはりどこの世界、どこの国でも男は美女に目がないか。


 多少は打ち解けられた感触を得られたところで、女団長を見ると彼女も苦笑していた。見かけによらず、堅物でないようで何よりだ。


「食われないのであれば安心だ。酒に関しては市民にも伝え広めておくとしよう。今後、貴殿らの出入りが許された場合、軒先で酒の一杯でも振舞ってやるように、とな」


「それは嬉しい話だ」


「美女に関しては……申し訳ないが、貴殿の腕の見せ所だな」


 ドッと笑いが起こった。


「さて、楽しいおしゃべりをいつまでも続けていたいところだけどよ」


「うむ、そろそろバレンティノ伯への救援に行った方がよさそうだ」


 トニーが切り出し、女団長がそう返した。

 モスクワの守備兵たちからは驚きの声が漏れる。


「将軍だけでなく伯爵の位まであるのか。魔族というのは意外にも社会制度がしっかりと成り立っているんだな」


「能書きも地位もねぇ、畜生共の集まりだと思ってたか?ま、俺が言うのもなんだがそういうイメージになるのも仕方ねぇな」


 ウィリアムの爵位は別に魔族由来ではないのだが、彼やイタリアの協力体制をいちいち説明している暇もない。


「閣下、参りましょう」


「おう。移動するぞ、ついてこい!」


 セクレタリアトにそれとなく促され、馬上のトニーは部隊を動かす。


……


 ウィリアムの部隊は少し離れた位置で交戦中。ただしこちらは打って出たモスクワ兵の恩恵はなく、背後からの力押しだ。


 ただし、時折援護の砲撃が飛んできている。これはトニーの陣ではなく、ウィリアムの陣の砲兵隊の配慮だ。それでも多くは穴に向けられて撃たれるので、支援砲撃はあまり頻繁ではない。


「来てくれたか、トニー!」


 そこに合流し、兄弟は顔を合わせた。

 真横から突いても良かったが、単純に背後からの火力を上げる形になる。


「よし、そのまま突っ込め!敵を一気に蹴散らしてやれ!」


 先に指示を出し、トニーはセクレタリアトから下馬。ウィリアムと軽くハグをする。


「俺の方は片付いたんでな。今日はここの連中まで潰したら引き上げるとしよう」


「了解だ」


 何とも余裕のある会話だ。お互いに淡々と仕事をこなしているだけといった言葉。とても戦争中のものとは思えない。

 だが、指揮官を失って全く手ごたえのない連中をチビチビとすり減らしているだけの作業なので、そうなるのも当然ではある。


「カトレアの具合はどうだ」


「見ての通り、出張ってこれないくらいには弱ってるな。あれがいればもっと早くここを終いにできるんだが」


「ロサンゼルス城へ偵察に行かせたのは兄貴だからな。その手前、彼女の不調をあまり悪くも言えんだろう」


「分かってるっての。文句は言ってねぇだろうが」


 トニーがイライラと自身のポケットをまさぐるが、何もせず手を下ろした。

 それを見たウィリアムは懐から紙煙草を二本取り出す。一本をトニーへ渡し、もう一本は自分で咥えて火を点けた。


 良く気づいてくれたものだが、トニーは礼も言わずに舌打ちだけを返し、受けとった煙草に魔術で火を灯した。

 吐く息はもともと低い気温のせいで白い。それに紫煙が混じり、さらに色濃さを増して寒空に上る。


「スタテンの冬も寒かったよな。こうして二人で並んで煙を吐いていたのも懐かしく思うよ」


「はぁ?何を感傷的になってんだ。それに、ここの方が何倍も寒い」


 言いながら、トニーがウィリアムに歩み寄って肩に手を回した。


「ん?なんだ?」


「必ず帰れる。そうしたら逆に、あの時のモスクワ攻めは死ぬほど寒かったって笑える日が来るだろうな」


「ふっ……どっちが感傷的なんだか」


「俺のは昔話じゃなくて目標だろうが!」


 バンッと背中を叩かれ、ウィリアムが咳き込む。


「ここまで仲の良い兄弟も珍しいものだな。普通は地位や家督、派閥なんかで争っているものだが」


 女団長のこの感想も至極当然のものだ。家督の継承権を争う貴族や王族はもちろんのこと、商家や農家といった平民ですら家業を継げない者は苦労したりする世界である。

 金や暴力で兄弟を排除してしまう事件も多いことだろう。


「仲が良い……ね。背中を小突かれてるだけなんだが」


「可愛がりに拗ねてんのか。不服そうだな、ウィリアム」


「いいや。光栄だとも。そもそも俺は自分の立場は気に入っている節でね。トップよりはナンバー2の方が気楽で良いよ」


 それでも責任ある立場なのは変わらない。特に、トニーのような破天荒なトップの下というのは気苦労も多いのだから。


……


 その日の戦闘も終了し、本陣へ戻る一行。

 ウィリアムとはすでに別れ、天幕内には眠るカトレアと、卓に座るトニーと女団長。今回は彼女の副官の爺やも同席している。


「何の問題もなく戦況が移っているように見える。だがそれでも如何せん、数が多いな」


「んなこた最初からわかってることだ。しっかし、ここを開けてる手薄な間に奇襲もないし、もちろん夜襲もない。本当に猪武者しかいねぇみたいだな」


「期待しているのか、将軍?だったら敵方に吹き込んではどうだ。こうすれば勝てるぞ、とな」


 冗談のつもりだろうが、トニーはその女団長の言葉を熟考する。


「……そそのかして、逆に迎え撃って潰すか?やってもいいかもしれないな。そういう話を流せばこっちの目論見通りに乗ってくるだろうよ。馬鹿しかいねぇからな」


「本当か?だがそれでは数の少ないこちらも損耗する。兵が休む間もなくなるぞ。無論、敵の殲滅の速度だけは上がるかもしれないが」


「なんだ、お前が言い出しっぺだろうがよ。しかし、ウィリアムやモスクワの連中とも示し合わせとかないと混乱するだろうな」


「ううむ。やるやらないはさておき、そろそろ将軍も直接、陛下とお話しできないか打診してみようか」


 戦闘中ではあるが不可能ではないだろう。ただしその場合は夜間に赴くか、指揮を誰かに預けた状態でトニーが戦場を離脱しなければならない。


「そうだな。そろそろ皇帝の心も開いた頃合いじゃねぇか」


「街では貴殿らを称える声もあるとは聞くな」


「街?逆だっているだろうがな。そんなもんはどうだっていいんだよ」


 民意がどうでもいい、なんてことは無いはずだが、人気取りにトニーの興味が薄いのも事実だ。


「まぁ……ともかく私が明日、クレムリンへと赴こうと思う。その間、部隊の指揮は爺に」


「はっ。謹んでお受けいたします。どうかお気をつけて」


 戦闘が行われている昼の間に女団長が抜けるようで、その為の爺やの同席だったかと気づくトニー。

 夜はおそらく、何人たりとも皇帝には会えないのだろう。


「必要なら誰かに空間転移で送らせるぞ」


「いや、それには及ばないとも。大きな音と亀裂が走り、突如として宮殿の前に私が現れたとあれば、衛兵に捕らえられてもおかしくはないぞ。魔族の兵士もその場に一緒とあれば尚更だ」


 それもそうだな、とトニーが頷く。


「今日、戦っていた城壁の穴があったろう。あの辺りから入るつもりだ」


「砲撃は止めねぇぞ。馬鹿みたいに当たるなよ」


「あぁ、注意しておこう」


 モスクワ側とも完全に連携できるようになれば、多少は早くこの場が片付く。

 そして、未だに眠るカトレアの方を見やった。彼女の回復、戦線復帰も早く望むばかりだ。


「奥方が心配か?」


「そんな可愛いもんじゃねぇよ。いつまでガキらしく寝てやがるんだってな。あぁ見えて中身は化け物なんだぞ。さっさと働いてもらわねぇと」


「それほどまでのダメージがあったわけだ。魔力のない我らには想像もつかないが、それを奪うという敵の戦法も侮れないな」


 魔術の使用がない実銃の配備が急がれる。

 が、まずはモスクワの決着が先だ。


……


 翌日、戦闘が開始する少し前に女団長は単騎でモスクワ内へと入っていった。砲撃や戦闘に巻き込まれることはなかった。


 残る兵団は爺やの指揮下だが、彼はトニーの護衛に徹底し、突出することはしないという手堅い用兵をしてみせた。

 一応は自由にする権限を与えているのだが、血気盛んな女団長とは真反対の行動だ。

 預かっている兵を死なせるわけにはいかないという心情もあるだろう。


 ただ、これが功を奏した。

 今までは背後から襲われるがままのオースティンの兵だったが、この日は一転。城壁を背にしてこちらの兵と正面からぶつかる構えだったのである。

 もちろん、そのぶん後背からは城兵の矢が飛んでくる。


 半数ずつで対応などではない。前か後ろに全力、白か黒かという考え方しかできないのか。


 しかしそれでも、対応をし始めたという点では指揮系統のない連中にとっては大きな前進だ。

 爺やの指揮する強固な守りがなければこちらも慌てることになっていただろう。


 こちらに敵の攻勢が及んできたことで、トニーはウィリアムの部隊と集結して防御陣形。

 盾を持つ兵士を前面に押し出し、中段から銃と魔術、後列からは矢で応戦。

 さらには本陣からの砲撃と城兵の射撃ですり潰していくことにした。


 突破力のあるオーガなどに前衛の盾兵が吹き飛ばされる。

 だがそこを突き崩される前に銃兵と魔術兵が応戦し、その間に防御壁を再展開。

 敵方はまだ連携が取れているわけではないので、一瞬の隙をつけるほどうまく立ち回れていない。


 ここも学べばもっと力を発揮できる。だが、その前に壊滅となるだろう。


「おい、人間の身であんだけぶっ飛ばされて平気なのか?」


 鉄鎧に大盾があっても、オーガの膂力で叩かれれば骨くらいは折れよう。


「そうですな。あまりよろしくはないかと。本来は逃げ出す場面ですな。しかしながら、我々は将軍をお守りせねばなりません」


 爺やが答える。


「それに、こちらばかりが世話になってばかりでもいられません。どうか我が兵団を盾とし、思う存分に敵兵へ矢弾を叩き込んでください」


「そうかよ。言われなくてもそうするしかねぇがな」


 爺や自身もまた、あの防御壁に参加したかったはずだが、今は女団長に部隊を預けられている身である。

 自分は前へ出ず、トニーの横に控えている。もし主がいれば間違いなくあの中にいたはずだ。


 多少の怪我人と死人は出てしまったが、なんとか敵を撃滅。

 爺やはすぐに兵士たちを集めて状況を把握。ウィリアムも同様の動きを見せる。

 トニーは自身ではそれを行わず、ジャックに対応させる。


「欠員は三名。怪我人は多いですがいずれも軽傷です、閣下」


「そうか。次に移るぞ。兵をまとめろ。おい、そっちはどうだ、ウィリアム」


 ジャックに返答しながらウィリアムにも声をかける。


「同じような感じだな。いきなり対応されて驚いたが、まだまだいけるぞ」


「了解した。ダニエルはどうだ、気に入ったか?」


 隻腕のスケルトン兵。強制的に付けたウィリアムの側近である。

 他にも二人のイタリア軍人が護衛として付いているが、寝ずに無補給で動ける種族は使い勝手も良かろう。


「今のところは問題ない。不眠不休で使えるから、この先で助かることも増えるだろうな。俺に付けてくれて感謝してるよ」


「おう。腕もカトレアが起きたら直してもらえるはずだ」


「それは良いな。覚えておこう」


 丁度その話をしているからではないが、やや離れたところで兵を誘導するジャックとダニエルも何やら話している。

 聞かずとも十中八九、仕事の手ほどきだろう。雑談をする間柄でも性格でも状況でもない。


「もうひと当たり、ですかな」


「そのつもりだ。だが次はお前らのところの兵は後方に下げる。支援を頼む」


「……いやしかし、ううむ。承知しました」


 ロシア兵も被害は軽微ではあるのだが、疲労はタフな魔族の兵とは比べ物にならない。使えないから下げるのではなく、使い続けたいから下げるのだ。


 言われた爺やも、少し反論の色はみせたもののあっさり引き下がった。本人としても役に立ちたいより損害を減らしたい、兵を休ませたい気持ちが勝ったのが分かる。トニーのせっかくの心遣いにも泥を塗るわけにはいくまい。


「閣下、移動の準備が整いました」


「こっちもいつでもいけるぞ」


 戻ってきたジャックと、ウィリアムからも報告があった。


「よし、全軍……」


「しゅわぁぁぁぁっち!!!」


「……はぁ?」


 奇声と共にトニーの号令を邪魔する存在。それも突如として目の前に現れる幼女と言ったら、一人しか該当者はいないだろう。


「美少女魔術師カトレアちゃん!大復活なのである!」


 戦闘後に陣内の報告では待ちきれなかったのか、カトレアはわざわざ前線までやってきた。


「そうか。動けるだけなのと戦えるのでは大違いだが?」


「もっと喜んでぇ!?ねぇ!?そしてもちろん後者だよぉ!今まさに魔術で飛んできたの見たでしょ!」


 いつもながらのトニーの対応に不満そうだ。しかし戦えるとあればこれ以上心強い存在もない。

 ただし、魔術が使えるからと言って全力全開で動けているわけではないと考えておいた方がよさそうだ。


「なら連れてってやる。次の目標はあれだ。味方や城が巻き込まれないよう、魔術はほどほどにな。敵への接近も禁止だ。遠くから水鉄砲でも撃ってろ」


「お任せあれ!進軍開始ー!」


 セクレタリアトの背、トニーの前に陣取ったカトレアが前方を指さす。

 皆も空気を読んでくれたのか、本来であれば従う必要もないカトレアの号令を聞き、前進を始めた。


 先ほどぶつかっていた敵軍と同様に、こちらの敵兵も反転し、トニーらに対する反応を見せた。ただし突っ込んでは来ず、防御の構えだ。


「さっきとは攻守交代って感じだな。どう崩す?」


「そうだな……動かねぇなら砲撃、射撃、魔術でやっちまってもいいんじゃねか」


 ウィリアムの相談にそう返すと、張り切ってカトレアが挙手する。


「はいはいはい!じゃあ、あたしがやる!リハビリ!どっかーんって!」


「リハビリ、ねぇ。やりすぎんなよ。そうだな、あの敵兵の……半分くらいを吹き飛ばせる魔術でも使ってみろ。外すなよ」


「ラジャー!!」


 そんなにやらせて平気なのか分からないが、倒れればまた天幕に連れ帰るまでだ。

 カトレアがトニーの肩の上によじ登り、小ぶりな杖を取りだす。


 ここにいる味方のほとんどが、カトレアの魔術の威力は承知している。

 トニーのように、彼女がやりすぎやしないかと思案する者、単純に期待の眼差しを送るものと反応は様々だ。


「ん-と、ん-と、落雷で良いかなぁ?他のが良い?」


「別に何だって構わ……」


 ドォンッ!


 トニーの返答の前に、空から一筋の稲妻が降り注ぎ、敵陣のど真ん中に命中した。一撃で数十の敵兵を葬ったように見える。


「おい、聞く気がねぇなら俺に振るな。恥かかせやがって」


「へへぇー。どうどう?結構いい具合の攻撃じゃなかった?あーでも、やっぱりちょっと疲れるなぁ」


「万全じゃないのにあれなら上々だ。よぉし、てめぇらも続けて撃ち込め!」


 そこからは弾に矢に、地獄のような攻撃が敵を襲う。


 カトレアはというと、やはり無理をしていたようで、トニーの前で背を預けるように寄りかかってきている。

 セクレタリアトの上に騎乗しているので仮に寝てしまっていても問題はないのだが、瞬間転移で駆けつけてきた時点で痩せ我慢をしていたのかもしれない。

 もしくは本当に無理をしている自覚すらなく、遊び疲れた子供のように突如としてスイッチが切れてしまったか。


「さすがに硬いか」


 ウィリアムがこぼした。


 カトレアの魔術は見事に敵を潰したが、それ以降の銃撃や魔術の威力はそこそこといったところ。カトレアの魔術の威力の高さが別格であると窺い知れる。

 唯一、本陣からの支援砲撃だけはかなりの威力で敵を吹き飛ばしている。


「構わねぇ。こっちの被害はゼロなんだからな。このまま潰す形なら二か所でも三か所でも連戦できそうだ」


 そうするかどうかは時間次第だ。日暮れまで余裕があれば続行しても良いが、暗い中での戦闘は同士討ちを避けるためにも控えたい。


「雨あられと降り注ぐ弾矢は壮観なんだがな。地獄なようなビジュアルでも威力ではカトレア一人に敵わないか。改めて規格外な魔女だよ、その子は」


「釘付けにできてりゃそれでいい。砲弾はガキの魔術とそん色ないくらいの威力が出てる」


「そうだな。しかし、ロサンゼルスに帰れない以上、弾も無限ではないんだろう?」


「ロサンゼルスはそこまで関係ねぇ。フィラデルフィアから寄越すだけだ。心配すんな」


「それは良かった。それと、ダニエルの治療は今夜にでも頼みたいが……ん?」


 ウィリアムが、また眠るようにおとなしくしているカトレアに気づく。


「おう。見ての通り、それが今夜できるかどうかはコイツ次第だな」


「みたいだな。そして、遠慮しておいた方が賢明なようだ。彼女には魔力の持つ限り、今みたいに攻撃に徹してもらうのが先決じゃないか?」


「それはコイツが決めることだろう。頼むだけなら俺は止めやしねぇさ。好きにしろ」


 トニーとしては、ダニエルの腕を先に治しても別にダメではないと思っている。それはそれでウィリアムにとって有用な事だ。ダニエルの働きが増えれば、弟の仕事も少しは楽になるのだから。

 とはいえ、ウィリアムが言うようにカトレアに攻撃を継続担当させるのも重要な事ではある。


 やはり、カトレアの好きにさせてあげれば良いだろうという結論になる。


「夜になってもまだ元気な日があれば考えるよ」


「ん……ふぇ?あたしに何か頼みごとがあるのかなぁ?」


「スケルトンの片腕を治したいんだとよ」


 眠っていたはずのカトレアが寝ぼけながらに反応し、トニーが説明する。


「んぁいー。後でやるねぇ。燃えた死体から腕の骨とか拾っといてくれたらちょっと楽かもぉ」


「なるほど、道理だな。引き上げる前に探しておこう」


 ウィリアムがそう返答する。

 無から有を生み出すよりは、あり合わせの腕をくっつけてやる方が楽なのは想像に難くない。

 ダニエルを従えて探せば、サイズもぴったりのものが見つかるはずだ。


 燃えた死体はあまり多くないが、それよりも倒れている敵のスケルトン兵の腕でも問題ないだろう。


「それじゃ、見つけたら教えてねぇ……むにゃむにゃ」


「トニー……カトレアの力は本当に寝てれば戻るもんなのか?膨大な魔力を持っていたはずが、こんなにも疲れてるんだ。どれほどの力を奪われたのか」


「事実、今日は撃ててるだろう。戻らないようなら大魔王か大魔女に相談だな。あの辺ならコイツに魔力くらい入れれるだろ」


「そんな、ガソリンスタンドみたいな感じで上手くいけばいいが」


 強大な魔力を持っている人物から燃料を貰い、それをカトレアに入れてやればいいという単純な考え。

 そもそもそんなことができるのか知らないが、あの二人の老いぼれなら他にも何か知恵を持っていそうだとトニーは勝手に考えている。


 中距離からのけん制に、砲撃でのトドメ。そんな単純作業が続き、とうとう相手にしていた敵の一部隊の全滅が確認された。


「今日はここまでだな」


 セクレタリアトの背の上、トニーが指示を出して陣へと引き上げを開始する。

 その間も、やはりカトレアはトニーに寄りかかって眠ったままだ。こうして眠っている姿を見ていると、何百何千もの命を一瞬で奪える魔女であることを忘れさせられる。


……


 だいぶ長引いていたのか、トニーの天幕内でウィリアムや爺やと話しているところへ、ようやく女団長が戻ってきた。

 その顔は無表情で、話を聞くまではクレムリン側の解答が予想できない。


「よう、戻ったか。そんで?」


「単刀直入に言うと、合同での作戦はあまり良い顔をされなかったな。ただし」


「ただし?」


「どうにか将軍と伯爵の両名は、モスクワへの入城を許可いただくことに成功した」


 これは大躍進。良い兆候だ。


「そうか。よくやった。明日にでも早速、皇帝の面を拝みに行くとするか」


「待て待て。陛下はおそらくお出ましにはならん。ただ、上層部の誰かとくらいは話せるはずだ。それと、護衛は却下。許されたのはお二人のみだ」


 言うまでもなく引率は女団長。


 トニーとウィリアムの二人が戦場にいない間、指揮は爺やと、ウィリアムが連れている軍人らに任せるしかないだろう。カトレアはついて来ると言う可能性があるが、ダメなものはダメなので寝かせておくしかない。


 そして、カトレア以外にもジャックやセクレタリアト、ダニエル。それにウィリアムの護衛の軍人らも同行できないのを残念がるだろう。


「仕方ねぇな。ウィリアム、早起きだ。できるか?」


「それは俺のセリフなんだが。寝坊はよしてくれよ、兄貴」


 訪問は今日の女団長に倣って、戦闘開始前の朝からになる。

 軽口もそのまま返され、トニーが鼻を鳴らす。


「武器の所持はどうなってる?丸腰で濃いとは言わねぇだろうな」


「特に何も言われてはいないな。護衛を拒否している分、そのくらいなら許されるはずだ。しかし、危険がないことは保証する」


 それが最低限の譲歩か。別に喧嘩をするつもりはないが、銃があるのとないのでは安心感が違う。


「ウィリアム、弾きは持ってるか?それともその立派な剣をぶら下げていくのか?」


「どちらも持っていこう。剣は一目見て帯剣していると分かる威圧感のため、懐の銃は護身用だな」


「そうか」


 ウィリアムの言葉はもっともだと、トニーも銃と杖の両方を持参することを決めた。


……


 初めて入場するモスクワの街は、外から見るよりもやはり中から見る方がその大きさに圧倒された。

 縦にも高く、どこまでも横へと伸びる城壁。あまりにも広すぎるせいで閉塞感は全くない。


 外周にある平民街を通る間、不安そうにこちらを見つめる市民や衛兵ばかりだった。トニーらを指さし、物珍しさに楽しそうにしているのは子供くらいか。


「見た目は人なんだから、そこまでビビらなくていいのにな?」


「人の姿に化けてるとでも思ってるのかもしれないな」


 トニーとウィリアムの会話。

 確かにカトレアなどは青白い肌から、人間に近い肌の色に変えたりしている。


 平民街や商店街などが並ぶ区画を抜けると、次は兵舎や厩が並ぶ軍部。当然ながら市民の割合が減り、通り過ぎるのは兵士や士官ばかりになる。

 しかし、ここまでモスクワ側からの案内もなしで進めるとは、女団長もよっぽど信頼を置かれていると見える。


 軍部を抜けると今度は貴族街、立派な屋敷ばかりが立ち並ぶ。己の力を誇示するためか、どの屋敷も派手な母屋に、整備された広い庭で飾られている。


 この辺りは流石に人通りは少なく、馬車で移動する貴族連中、乗馬している警備兵くらいなものだ。

 王宮は目の前だが、ここまでおおよそ一時間。


「遠すぎるだろ。いつまで歩かせやがる」


「外からでもわかっていたはずだろう、将軍?この街は恐ろしいほどに巨大だ」


 空間転移やセクレタリアトなしでの移動は面倒だと、トニーは改めて思わされた。


 今までの平民街や軍部ではスルーだったが、貴族街では初めて三人が呼び止められた。


「おうい、貴殿らは外国人ではないか?街を歩いていて、こんなところに迷い込まれたのか?」


 意外にもそれは警備兵ではなく、馬車を止め、窓から顔を出している貴族。

 バレンティノ兄弟がスーツにコートという身なりで、外国人だということは分かったらしい。


「有事に巻き込まれるとは災難だったなぁ。この先には宿も商店もないぞ。平民街まで送ってやろう。乗りなさい」


 貴族、王族にはなかなか珍しい、差別意識や選民思想のない好々爺だ。


「いや、我々は王宮に召喚され向かうところだ。お構いなく」


 女団長がそう応対する。


「なるほど?では乗せていこう」


「真逆だが?」


 この二頭立て馬車は街の外縁部に向かっていたはずだ。


 何か狙いがあるのか、と三人が身構える。


「構わん構わん。私はこうして街の中を馬車で流し、景色を見るのが趣味でね。行先など問題ではないのだよ」


「ドライブが趣味ね。面白れぇ爺さんだ。おい、ウィリアム。ちょうど脚も疲れてるし、邪魔するぞ」


「まぁ……危険はないか」


 トニーが最初に言うと、ウィリアムも同調した。最後に女団長がやれやれと首を振って車に乗る。


「驚いたな。ロシア語を話すとは。私のことは……そうだな、アガフィアと呼んでくれたまえ」


 車の中、兄弟が好々爺の座席に向かい合い、女団長は彼の隣に着席した。


「なんだ、ファーストネームだけで身分も明かさねぇのか。何から何まで変わった爺さんだ」


「ほほっ、変わり者とはよく言われるよ」


 普通ならば「どこどこの家の、なになに子爵だ」などといった口上が予想されたが、アガフィアは一切何も言わなかった。

 隠したいというよりは、そんなことはどうでもいいといった態度だ。


「だったらこっちも、どこぞの外国から来た旅行者だ。って話で十分だよな」


「無論だとも。ただの旅行者が王宮に召喚されるはずもないが、そこには触れないでおこう。それよりは故郷の話などを聞きたいものだ」


「故郷ねぇ……ニューヨークの光り輝く摩天楼の話は退屈させない自信があるが、信じれねぇだろうな」


 予想以上の回答だったのか、アガフィアは目を輝かせる。


「ほう!光り輝く街とな!煌々と火が焚かれておるのか?」


「火じゃねぇ、電気だ。電気の説明はめんどくせぇ。ウィリアムから頼む」


「なんでだよ……俺だって御免だ」


 結局、電気の説明は抜きになり、高いビルや巨大なスタジアム、橋などの話に落ち着いた。こちらは想像しやすいようで、アガフィアも感心しながら楽しそうにしている。


「それほどの建築技術がある国とは。世界も広いものだ。人口も多そうだね」


「あっ、もしや」


 会話の途中だが、何かを思い出した女団長が割り込んでくる。


「アガフィア殿と名乗られて悶々としていたが、もしかすると、(けい)はアガフィア・コズロフ男爵では」


 彼女はモスクワに出入りがあるので、顔を知っていても不思議ではない。


「ははっ。こんなジジイが何者でも良かろう。馬車が持てるだけの小金持ちさ。この場ではそれだけでいい」


 おおよそ身分が判明したようなものだが、アガフィアはひらひらと手を振ってごまかした。本気で気にしないでほしいのが伝わる。男爵だからと畏まられたりしたくないのだろう。


 実は一国の将軍と伯爵であり、男爵と対等以上に話していても問題ない人物たちなのだが、バレンティノ兄弟の方もそんなことには興味がない。


「爺さんはずっとモスクワにいるのか?そのナリだ。領地くらいあるだろ」


「ふむ、あるにはあるとも。だが今は一人息子に任せておってな。近々、爵位もあれに譲ってやりたいのだが……」


「生前の譲渡は許されていないはずだな」


 ウィリアムがアガフィアの言葉の続きを紡ぐ。

 爵位は終身である。その一人息子が別途、功績をあげて授かるなどがあれば可能だが、これは考えづらい。

 一般的には当主の死亡後に男系男子へ継承されるもので、隠居などは出来ない。


 ただし、アガフィアのように自身は悠々と暮らし、領地経営は子息に仕事を任せてしまえば実質的には隠居しているようなものではある。


 無論、王都への招集や晩餐会などは本人が出る必要があるので、そちらは息子には任せられないが。


「まさにそうなのだ。こんな歳ではできることも少なくてな。先も長くないのだから、ゆっくりしたいものだよ」


「やれてるじゃねぇか。魔族が押し寄せてきてなければ最高の人生の終末だろう」


「あれには困ったものだよ。街の外に出たいのに、それが出来ん。だからこうして市中をぶらぶらとしておったのだ」


 そこへ、面白そうな外国人らしき三人組が歩いているのを見つけて声をかけた、という話だ。その予想通り、話題には事欠かない結果となっている。


「周りを囲む魔族は順当に減ってきている。じきに開門するだろうから、もう少しの辛抱だ」


「そうなのか、それは……いや、礼を言うべきなのだろうな」


 ウィリアムに対し、何故そんな情報を持っているのかとでも言いたげだが、勘づいたようだ。


「不要だ。俺たちはどこぞの外国から来た、しがない旅行者だからな」


「ほほっ、ではそういうことにしておこう」


 ようやくモスクワに鎮座する王宮、クレムリンの正門にたどり着いた。

 外壁の城門はただただ堅牢なだけの鉄扉だったが、ここのものは木製で、天使の意匠が彫られている。


「やっとかよ。そんで、ここからも階段だの扉だの、まだ歩かされるんだろうがよ」


 ロンドンといい、モスクワといい、あまりにも巨大な城塞都市は外から内への移動が不便で敵わない。女団長の帰りが遅かったのも納得だ。

 高さが出せない建築技術しかなければ、街の範囲を横に広げて多い人口を収容するしかないのだろうが。


「もう一息だ。ではコズロフ卿、感謝する」


「うむ。陛下とお会いになるか?」


「いや、その予定はないが、何か?」


 馬車からの降り際、女団長とコズロフ男爵の会話。


「なんの、しばらくお会いできておらんのでな。謁見するのであればよろしくお伝え願おうと思っただけだ」


「そうか。残念だが、その言伝は叶えてやれそうにない」


 たとえ貴族でも、おいそれとは会えないようだ。

 女団長は直接お願いすると息巻いていたが、それも叶っていないのかもしれない。仮に会えていたところで、全面的な協力状態にはなれていないのだが。


「よいよい。それではな、若人たち」


 三人を下ろした、コズロフ卿の二頭立て馬車が貴族街の方へと引き返していく。


 王宮正門の守衛が三人を見るも、女団長から周知されていることもあり、そのまま通れと手で指示された。


 王宮内は意外にも堅牢なつくりとなっており、煌びやかな印象は受けない。

 正門が見事だっただけに、ウィリアムは意外そうな声を出す。


「石造りの床に壁。白塗りされていて綺麗ではあるが、調度品などはないんだな。有事の際は引っ込めているのか?」


「おそらくそうだろう。例えば各地の有力者を集めて晩餐会などを催すとあれば、このエントランスも正門に負けずとも劣らない装飾に埋め尽くされるのではないか?」


 攻めてこられるかもしれない状況で色々と飾るわけもない。焼失や盗難を警戒して、地下室や宝物庫にでも突っ込まれていることだろう。


「士官と兵どもがあくせくと移動するんだ。壺や石像なんか、邪魔でしかねぇだろうよ」


 特に取り除かれる必要性もなかったからか、唯一、天井から柔らかい光を放っている豪華なシャンデリアを見上げながらトニーが言った。


「ここだ」


 当然ながら、玉座の間には案内されず、女団長が指示した応接間に入る。

 皇帝は会えないとのことなので、仮に玉座の間を覗いてもそこには誰もおらず空席だろう。


 応接間は向かい合った長ソファが二脚に低い木製の円卓。壁には絵画などの調度品が多少残っている。大きな窓が備え付けられており、王宮内でもひと際明るい。

 有事であってもここだけが飾られているのは、外部の人間と接触する場だからか。ただし、あくまでも必要最低限といった様相で、嫌らしさや誇張は感じない。


「さて、誰が出てくるのやら」


 トニーが我先にソファの中心に座り、葉巻に指先で火を点けた。

 ウィリアムはその後ろに立ち、後ろ手を組む。女団長は部屋の入り口から動かず、ドアの近くで待機する形となった。


……


「失敬。待たせたな。貴様らが寝返りを申し出ている魔族か?」


 詫びている割には尊大な態度の貴族らしき壮年の男がやってきた。後ろには秘書か書記官のような線の細い若い男を連れている。

 毛皮のコートにふかふかのロシア帽、たっぷりと髭を蓄えた口元。服の下には鍛え抜かれた筋肉。見るからに強そうな男だ。


「ほーう?そういう伝わり方をしてんのか」


 扉を閉めている女団長に、やや責めるような意味合いで言う。


「モスクワから見ればそう映るだろうな。将軍らは認識のされ方として、魔族なのに変わりはない」


「そうかよ。座れ、おっさん」


「偉そうな口をきくなよ、化け物風情が。言われずとも座るわ」


 トニーの向かいに男がドカッと腰を下ろす。その後ろには従者が立った。


「トニー・バレンティノだ」


「将軍職だと聞いている。俺はイワンだ。フルネームは驚くほど長い。イワンと呼べ。モスクワでは軍事を取り仕切る一人だ。貴様と似たようなものだな」


 貴族かと思ったが、軍人だった。騎士団の団長か副団長か、それと同等の役職なのだろう。


「そうか。俺らの協力がなければモスクワは危なかったはずだ。礼くらい言え」


「ふん。そうは言っても城壁に穴を開けたのも貴様らだろう。あれがなければ何年でも耐えていた」


「てめぇ、あんまり舐めてると殺すぞ」


 トニーの恫喝と同時に後ろのウィリアムが懐に手を。そしてイワンの後ろの優男も同じように懐に手を入れた。なるほど、彼は護衛だったか。


「お二方。城外の敵を排除したい思いは同じ。揉める必要はないのだ。あまり私を冷や冷やさせないで頂きたい」


 女団長が顔を強張らせながらトニーとイワンを懐柔する。


「物騒な言葉を使ったのはソイツだろうに」


「ハナから化け物だと言ってこっちを馬鹿にしてたのはてめぇだ、阿呆が」


「……なにか茶菓子でも頼もうか」


 やれやれと首を振りながら、女団長がドアから顔を出す。廊下で目についた誰かに頼もうとするも、それはちょうど運ばれてきたところだった。


 年老いたメイドが紅茶を淹れ、退室していく。

 残念ながら茶請けまではないようだ。


「ウィリアム、お前も座れ。二杯あるぞ」


 あらかじめ女団長から客人の人数を聞かされていたせいか、トニー側には二杯、イワンの前には一杯のティーカップが置かれている。

 ウィリアムはちらりとイワンの後ろの男を見た。無表情で正面を見ている。


 警戒しつつもウィリアムがトニーの隣に座る。だが、茶には二人とも手を付けない。唯一、正面にいるイワンだけが一口、茶を飲んだ。


「しかし……本当にロシア語を話すか。驚きだな、魔族の翻訳術というのは」


「こっちには、てめぇが英語でそれを言ってるように聞こえるから滑稽だぞ」


 カトレアの翻訳術が広範囲に及んでいるのは女団長から聞かされているのであろう。

 だが、いちいち返しに棘のあるトニーに、イワンはムッとした。


「貴様は余程、人間が気に入らんらしいな。やはり協力しようというのは策謀で、この街を……いや、この国を乗っ取る気だな?王宮に来たのも皇帝陛下のお命を狙っての事か」


「トニー」


「あん?」


 目の前のティーカップを見つめ、ウィリアムが口をはさむ。


「この茶、いやカップの方か。どうにもきな臭い。コイツは飲まない方がよさそうだ」


「こっち側の二杯だけ毒でも塗られてやがるか。まったく、てめぇは俺らを殺そうとしてるんじゃねぇか。国を取るだぁ?相手を疑う資格なんかねぇよ」


「何っ!?イワン殿!そんなことをしようとしていたのか!」


 これには女団長も血相を変えて激怒した。白昼堂々、トニーとウィリアムの暗殺を試みたのであれば友好条約どころではない。


「何の話だ!俺はそんな指示を出した覚えはないぞ!」


 それが本当だとしても、トニーらを良く思わない上層部の誰かが仕掛けたことになる。


「ならこの茶、てめぇが飲んでみろよ。二杯ともだ」


「そんな話が出ていて試せるわけがなかろう!」


「なら後ろの奴か、さっきのメイドにでも飲ませろ。話はそれからだ」


「くっ……!おい、適当に使用人か奴隷を二人連れてきてくれ」


「はっ」


 後ろの護衛の優男が退室する。丸腰で一人となるが、腕っぷしに自信があるのか、イワンは別に危機感はないらしい。

 それよりも本当に毒が盛られているのかどうか気になっている様子だ。


「使用人は分かるが、奴隷も城内に住まわせているのかい」


「あぁ。大抵は汚れ仕事で使っている。毒などと言ったが、貴様も軍人か?間違いだったらタダでは済まんぞ」


「いいや。俺は軍人ではない。しかし、汚れ仕事……ね」


 そう言いながらウィリアムが想像したのは、糞尿や残飯の掃除のような仕事という意味ではなく、血に汚れた仕事だろう。

 死人を処理、処刑したり、あるいは今回のように自身が人柱になったり、という意味での汚れ仕事だ。


「お待たせ致しました」


 程なくして、護衛の男が二人の娘を連れてきた。


 どちらも身なりは薄汚れ、年端も行かない若い娘。おそらく使用人ではなく奴隷だ。それも女というのだから、肉体労働に従事しているわけではないだろう。性処理の道具か何かだろうか。


 何をされるのかと不安そうな表情でもあり、どこか諦めたような冷めた表情。


 トニーは葉巻の煙を吐く。ウィリアムは目を瞑る。イワンは無反応。

 そして女団長の顔は引きつった。毒であれば殺すことになるのだから、特に同じ女として、その残酷さを許せないのも当然か。


「そこにある二杯の茶を飲め」


 護衛の男が命令した。

 毒見の意図を察した二人は、片方は死の恐怖で強張り、片方は安堵したような顔になった。反応は違えど、この日々が終わると確信した証だ。


 先に動いたのは安堵した表情をしていた娘。

 屈みながらすっ、とトニーの目の前の茶を一口飲んだ。ただ、さすがに即座に何か起きるわけもなく、目をパチクリさせる。


「お前もだ」


 恐怖していた方の娘も急かされ、ウィリアムのカップの近くへ。それを恐る恐る持ち上げる。

 先に茶を飲んだ娘に変化がないのと、手に持ったカップの中身を何度も往復して見やる。


「おい、さっさとしないか。そう恐れるな。毒見ではあるが、それがあるかは確実なものではない」


「……はい」


 か細い返事。そしてグイッと一気に茶をあおる。当然、何も起きない。


「さて、ご苦労。二人とも、その辺で待機していろ」


 これはイワンだ。今後の会談中に、この二人の身体に異変があればウィリアムの勝ち。なければイワンの勝ちとなる。


「おい。このまま続きを話すのは構わねぇが、それにしちゃ部外者が多すぎやしねぇか。情報統制はどうなってやがる」


 非常にフランクな形で話してはいるが、内容は同盟や協力という、国家の方針に関する一大事である。それに応対しているのがイワンのような男という時点でお察しだが、どうも軽く見られている。


「奴隷をそのまま同席させるなって?いない場所で毒が回っても俺たちは気づかないだろうが」


「トニー。俺が退室して二人の娘を見ていても良いぞ」


「いや、ダメだ。それをやらせるならその護衛だろ」


 イワンの護衛は否とも応ともなしに立っている。イワンからの命令待ちだ。


「いいや、それは俺の方が断らせてもらう。奴隷はこのままだ。会談の内容について気にすることはない。貴様らからの提案は王宮内のほとんどの者がすでに知っている」


 どうせ死ぬのだから聞いていても一緒だろう、などと言わないだけマシか。


 ウィリアムを信じるトニーとしてはこの娘二人が助かるとは思っていないのだが、イワンは懐疑的である。

 さらに付け加えるのであれば、軽く見ているこちらの発言など秘匿する意味も特にないと思われているはずだ。


「あっ……」


 二人の娘の内、恐怖していた方がふいに声を出した。


「む、どうした?もしや毒が盛られていたのか」


「あ……いえ、なんだか眠くて。申し訳ございません」


「そう言われると私も眠いような気がします。毒ではなく、お薬でしょうか」


 なるほど、と全員が理解する。毒ではないが、睡眠薬に近い作用のある物が盛られていたらしい。

 バレンティノ兄弟を眠らせて捕らえるつもりだったのか、とにかくこの賭けはウィリアムの勝ちのようだ。


「そうか……では座っていろ。眠ってしまって構わん。ご苦労だった」


 護衛の男が指示すると、娘二人は地べたに座り込み、うつむく形で眠ってしまった。


「どうだ、イワンとやら。誰の差し金だろうな。不届き者を洗い出してもらいたいもんだな」


「ふん!殺すつもりではないのがわかっただろう!」


「あぁ?何を開き直ってんだ、てめぇ?眠剤に殺傷能力があるかどうかは問題じゃねぇんだよ、タコ」


 ウィリアムの指摘にもまだ傲慢な態度で答え、トニーの堪忍袋の緒が切れる寸前だ。


「この件、私に任せてもらえないだろうか。手を取り合おうという場面で、水を差されるのは誠に心外である」


 女団長にも責任はあるのかもしれないが、これはモスクワ側に完全に非がある。自らの手で究明したいという使命感がにじみ出ている。


 実際のところ、確かにイワンはトニーらの事を良くは思っていないだろう。だが、毒見に対しては協力的な姿勢を見せた。何も、進んで危害を加えたいとまでは思っていないはずだ。


「あぁ?任せるって、どうするつもりだ」


「この(はかりごと)を企んだ人物を探すしかなかろう。ここにいるイワン殿は軍部の高い地位にある。まずは戦略的にだけでも手を結べないだろうか」


 繰り返しになるが、城を囲んでいる魔族の殲滅は双方にとって同じ目標である。


「そうだな。さっさとここは潰して次に行きたい」


「ふん。次とは何だ、将軍?」


「ここに張り付いている隙に、ウチの本拠地や、他のでかい街も襲われてるんでな。奪還する必要がある」


「それは驚いたな。そんな中でモスクワにかまけている時間があるのか」


 これは一見、呆れたり馬鹿にしているようにも取れる発言だったが、イワンは感心しているようだ。自国を顧みずに他国を助ける姿勢に、多少は心象も良くなったという事か。


「城がでかいからって引き籠ってても意味はねぇぞ」


「兄の言う通りだ。それで勝てると思ってるんだろうが、周りの街を開放して回ったのは誰だったか忘れてもらっては困る。モスクワは残っても、ロシアのほとんどは占領されていた」


「そうだったな。その件に関しては陛下に代わって俺から感謝申し上げる。数多の街を救ってもらってありがとう」


「その総締めがここでの決戦に勝利することだ。さっさと叩いておかないと、俺たちが帰った途端に、今まで開放してきた街に敵兵が戻るぞ」


「ふむ……」


 腕を組み、イワンが考え込む。


「作戦の内容だけでも話してみろ」


「作戦もクソもねぇ。今も一部の兵らは呼応してくれちゃいるが、全体に周知しろ。俺らが外から押し込んだ時に、内側からも仕掛けろ。すり潰す」


「犠牲は出したくないのだがな。城壁の上から射かけるだけでも良いのか?」


「へっぴり腰が。中距離の段階で射かけて、接近されたら打って出ろ。城壁に取り付かれた状態だとほとんど何もできねぇだろうが」


 ただし、これは城壁に穴が開いている箇所や城門に限られる。他は兵を下ろす手段がない。


「善処しよう。ただし、判断はこちらが決める。出れないときは出ない。そのつもりでいろ」


「決まりだ。上にもよろしく言っとけ。そろそろツラ見せちゃどうだ、皇帝様は」


「それは俺には何とも言えん。作戦がうまくいったら口添えくらいしてやる」


 一時はどうなることかと思われたが、女団長の進言や、イワンの感心、そして何より、皮肉にも睡眠薬を仕込んだ何者かの策謀によって、不穏だった協力関係は成就した。まさに奇跡の逆転劇だ。


「で、だ。この、舐めた真似した奴はどうするんだ。ちゃんとこっちに引き渡してくれるんだろうな?理由が何だろうと殺すがな」


「待ってくれ、将軍。怒りはもっともだと思う。しかし、まずは見つけ出した不届き者に私が話をしてみたいのだ」


「話すって、何をだ」


 言葉を続けたのはウィリアム。トニーほど分かりやすくはないが、その険しい表情からは静かなる怒りが漏れ出している。


「眠らせて何をするつもりだったのか、だな。捕らえるのは間違いないだろうが、ただ魔族側の上位者と話したかっただけかもしれない」


「あぁ?話してぇならこの場に出て来りゃ良いだけだろうが」


「それはそうだが……やはり恐怖心があって、鎖にでもつないでおかないと噛みつかれると思ったのでは?」


「いい加減にしろ。碌な奴ではないのは確かだ。トニーや俺に危害を加えようとした時点でソイツにかける慈悲はないぞ」


「待て待て、貴様ら。殺すと言われておきながら俺がそれを許すはずもなかろう!」


 当然、イワンは反対してくる。


「俺とて、こんな卑劣な真似は許せん。彼女と共に、その輩を見つけることには協力すると約束しよう。ここは俺の顔に免じて、まずは対話を試みることを許してやってくれ」


「身内にゃ甘いか」


「そんなつもりはない!内容次第では軍部の特権で捕縛する!」


 力強く拳を握るイワン。曲がったことが嫌いなのは見上げたものだが、バレンティノ兄弟の求める粛清は叶わなそうだ。


「さっき、茶を淹れに来たメイドから洗うのか?」


「それしかなかろう。おい、あれを呼んで来い」


「待て」


 今、ここで詰問を開始しても良いが、トニーがイワンの護衛の男への指示を遮った。


「なんだ、将軍。善は急げと言うだろうに」


「俺らが狸寝入りをしたらどうだ?その、眠っちまった二人の奴隷共は隠しておいてよ。そんで、茶を下げに来たメイドを騙すわけだ。メイドが何らかの指示を受けていたら、親玉がノコノコと顔を出すかもしれねぇぜ」


「面白い案だな。毒見させたことが知れてなければ、黒幕も騙されるかもしれない」


 トニーの策にウィリアムも同調する。

 実際にバレンティノ兄弟が眠っていた場合、それを知る窓口はあのメイドしかなかった。であればそれを利用する。


 奴隷の娘たちをこの部屋に連れてきたことはおそらくバレているだろう。だが、毒見などさせていないと思わせる必要があるため、まずはこの二人を起こす。


「起こせそうか」


「やってみます」


 イワンが護衛の男に問う。

 彼が肩を揺さぶったり、頬を軽くたたいたり、鼻をつまんだりするも、二人は起きそうにない。


「仕方ない。水でもかけてやれ。それを拭う布もな」


「はっ」


 勝手に眠らされ、強制的に起こされてと散々だが、死んでもおかしくなかった奴隷にとってはこれでもまだ甘い方なのだろうか。


 だが、それを試す前に、意外な方法で二人は目覚めた。

 トニーとウィリアムの葉巻と紙巻き煙草である。娘らを起こすまでは暇なので、兄弟揃って紫煙を燻らせ始めたのだが、火事とでも認識したのか、二人の娘は飛び上がった。


 片方の娘は安堵して命を諦めていたというのに、咄嗟に危機感を持つとこうなるか。ということは、本当は死にたくなどなかったのではないかと思わされる。

 また、煙にここまでの反応を見せるということは、二人とも火事などで家を失った孤児、あるいはそれを機に奴隷落ちしたのではないかと、様々な憶測が捗る。


 そして、バレンティノ兄弟の仕業であると気づくと、娘らは心からホッとしたような顔をした。


「なんだ、起きたじゃねぇか。それで、こいつらはどうすんだ」


「そのまま置いておこう。次は、メイドを呼ぶか。ゲスト二人がお休みなので部屋の手配を、とでも言ってやれば加勢を寄越すだろう」


 それで連れていかれる部屋次第で事は決まるか。

 牢屋のような場所であればその時点でアウトだ。イワンですらも激怒するだろう。


 一服を終え、火を消したバレンティノ兄弟が目を閉じ、狸寝入りをする。

 そして、イワンの護衛がメイドを呼びに走った。


「失礼いたします」


 目を閉じているのでわからないが、先ほど茶を入れたのと同じ、老齢のメイドで間違いないだろう。


「見ての通り、お二人が眠ってしまってな。何か聞いているか?」


「いえ特には。ただ、お客様がお休みになるのであれば客室のご用意はできております」


 本当に知らないのであれば睡眠薬をカップに塗ったのは彼女ではないのかもしれない。

 そもそも、バレンティノ兄弟を眠らせて、話がしたいのだとしても、それがメイドなはずはないだろう。必ずこの後ろに誰かがいる。


「では我らが運ぼう、案内を」


「はい、こちらへお願いいたします」


 大柄なトニーをイワンが、細身のウィリアムを護衛の男が抱え、メイドの先導に付き従った。

 現役の軍人だけあって、二人とも中々の膂力だ。


 トニーは初め、薄目を開けてどこに行くのかを見ようかとも考えたが、信頼に足る女団長もついているので身を任せた。


……


「この客室で良いのか?」


「はい、こちらでお休みになりますよう」


「では降ろすぞ」


 おおよそ、五分ほど歩いただろうか。ドアが開く音、そして柔らかな感触の場所に降ろされた。おそらくベッドかソファだ。ウィリアムとは別の部屋かもしれない。


「では、ウィリアム殿は隣の部屋へ」


 その、トニーの意思を汲んだかのように、女団長の声が聞こえた。少々わざとらしいが、メイドが察したところで問題のない話だ。


 人の気配が消えたのを察して、トニーは目を開ける。

 ビジネスホテルだと思えば、なかなか悪くない部屋だ。ベッドは清潔に保たれ、暖炉などはないが、代わりに暖かな日の光が窓からたっぷりと入ってきている。


 小さなノック。女団長が顔を出す。


「将軍、失礼する。メイドは既に帰した。弟君は隣の部屋だ」


「おう」


「誰からか、二人に接触があるかもしれない。私はイワン殿らと共に、向かいの客室で待機しておく。声を張れば駆けつけられる」


 なるほど。トニーとウィリアムはそれぞれ一人っきりにしておくが、近くで耳をそばだてておくという事か。


「ソイツが俺と話がしたいだけって場合はいちいち呼ばねぇぞ」


「無論だ。その場合は後ほど、話の内容を教えてくれ。仮に危険が迫ったときだけは遠慮なく呼んでほしい」


「おう、そうなったら怒鳴るより先に銃声だろうがな。たとえお前らが向かいでどんちゃん騒ぎしてても気づくから心配するな」


「ふふ、すまない。笑い事ではないんだがな。身に危険が及ばないことを祈っている」


「ふん」


「では失礼する」


 片手で口を抑えながら笑みを噛み殺し、女団長が去っていった。

 隣の部屋にいるウィリアムにも今から同じことを伝えるはずだ。


 トニーは時間を潰すためにベッドに横になったまま。もしかしたら、いや確実に、こちらに用事がある人物がさっさと出てこないということは、夜の人気が無くなった時間帯にしか姿を現さないだろう。


 指揮官二人が不在のままで部隊を放っておくのは良くないだが、あちらは任せておくしかない。


 狸寝入りのはずが、退屈になったトニーは結局眠ることにした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ