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#20

 オースティンとの約束だった三日が経った。

 いきなりモスクワ近郊に布陣するのではなく、トニーとウィリアムは全兵力を連れてエカテリンブルグ近郊へと向かった。


「ロサンゼルスからも追加で少し呼び寄せた。それでもまぁ、二百ちょいってところか。三百はいねぇだろう」


「そうだな」


 トニーは二百ちょいと軽く言うが、ウィリアムにとっては大軍勢だ。

 一部の猛者や英雄を除いたら、人間の兵団と、魔族の軍団ではその力が桁違いである。


 この世界に飛ばされてすぐの頃、ローマが魔族の襲撃にあった時の恐怖に近いものを感じる。そういえば、ロンドンでの戦争の時も大勢の魔族を目の当たりにしたのだった。


 オースティンはまだいない。ただ、彼の部隊は数だけでこの十倍近いと聞いている。


 はじめてこの地を訪れる者がほとんどなので、懐疑的な意見も兵士たちの間で飛び交い始める。


「街の近くとは聞いていたが、何もないみたいだな」


「あぁ。こんなところに呼び出して、実は俺たちを包囲殲滅するつもりなのではないのか?」


「もしくはこの間にモスクワを攻め落とそうとしているのかもしれないぞ」


 それは戦力的に厳しいだろうとウィリアムは考える。

 モスクワは間違いなくこの世界で一、二を争う鉄壁の城塞だ。力押ししたところで、一日程度では絶対に落ちない。

 一日あればこちらが異変に気付き、モスクワ周辺に展開するのも間に合う。

 トニーが誰かを空間転移させて現場を偵察させるだろう。


「ふん、相手がちょっと遅いだけで心配性な連中だ」


「あぁ、大部隊は時間がかかるだけだろうな」


 兵士たちの会話を鼻で笑うトニーとウィリアム。

 直接伝えず、好きにさせていることに特に大きな意味はない。どうせオースティンが来れば全員黙るはずだ。


「それよりも、寒空で待機とはままならん。早く設営の指示を」


「わかってる。ジャック、セクレタリアト!まだ少し暇がありそうだ。設営をさせろ」


「「はっ!」」


 遠征など慣れっこのトニーだ。ウィリアムに言われるまでもないと部下に指示を飛ばした。

 それを受けたジャックらが走り、さらにそれを受けた兵たちがテントの設営に取り掛かる。


 大柄で力持ちな種族も多く、あれよあれよという間にいくつものテントが立ち並び、髑髏の翼竜が描かれた魔王正規軍の旗が掲揚された。

 アラスカ、シベリア辺りの、小さな遊牧民の集落にも似た陣地の完成だ。


 一時間も経たない内に、近くで空間転移の音と亀裂が走った。

 日にちだけで何時何分、という待ち合わせをしていたわけではないので、思ったよりは早い到着だ。


 バリバリバリッ!


「来たようだ、出迎えを」


「要らねぇよ、勝手に面出すだろ」


 天幕内でウィリアムとトニーはカードに興じていたが、席を立とうとしたウィリアムをトニーが止める。

 どちらが格上かを見せしめるつもり……というわけではなく、単純に勝負の途中で逃げ出すな、という意味だろう。


 トニーの表情から、かなり良い手札なのが伺える。

 賭けているのは高々、銀貨一枚なのだが、はした金であろうとトニーは勝負事には燃えるタイプだ。


 だが……


「俺はストレートで勝負だ」


「あぁ!?クソッ、こっちはスリーカードだ。俺の負けかよ」


 実はウィリアムの手札が勝っていたので、弟の離席を止めてしまったトニーは負けを見る羽目になった。

 ウィリアムは気を遣って辞退しようとしたわけだが、わざわざトニーが乗ってきた形だ。


 逆の立場ならトニーが手を叩いて煽りながら大笑いするところだが、ウィリアムは短気な兄を馬鹿にしたりはしなかった。顔を真っ赤にして怒鳴られるだけだ。


「まだやるか?」


「勝ち逃げは許さねぇ」


「お客様への配慮は無しってわけだ」


 山札を切り、五枚ずつカードを配るウィリアム。

 自身は役無しで五枚とも引き直し、トニーは手札に二枚を残して三枚を引き直した。


「閣下、失礼いたします。オースティン副長が参られました」


 天幕の入り口で背を向けて直立していたジャックが振り返って言った。


「おう、入れろ。最後の勝負だな。おら、俺はツーペアだ」


「こっちも同じだ。ドローだな」


「おんやぁ?ご兄弟で仲が宜しいようで。羨ましい限りっす」


 顔面に張り付けたような笑みを浮かべた狼の獣人が、両手をすり合わせながら入室してくる。おべんちゃらで小物臭を出そうとするのはいつものことだが、それがより強い。


「羨ましいなら、まずはお袋に頼んで弟を産んでもらわねぇとな」


「はははっ!そりゃあ母ちゃんも体にこたえるでしょう。と、冗談はさておき、一応ですね。部隊の一部は連れてきたんですが、まだ半分にも満たない数でして。今しばらくお待ち頂きたく……なにせ、方々に散っていて、連絡がつかない連中もいるもんですから」


「そのための三日だったはずだが?」


 トニーがぎろりとオースティンを睨みつける。

 どうやら、これがいつも以上に腰が低かった理由のようだ。自分で期限を設けておきながら、それに間に合わないと。


 トニーの機嫌が悪くなって怒られるのを恐れている、というよりは手を貸さないと言われて帰られてしまうのを恐れているのだと思われる。


「それはもちろんです!待っていただくのもタダでとは言いません。ウチが持ってる物資から酒と食糧、必要であれば人質もいくらか差し上げますんで、どうか!」


「それくらいの誠意は見せるってか。まぁいい。一日だけ待ってやる。明日の夜までだな」


「い、一日ですか!?せめて二日でどうでしょう!もちろん倍は出すっすよ!上玉の娘も出血大サービス!」


 トニーの眉間がピクリと動く。

 ウィリアムは肩をすくめ、呆れた表情。


 一見、ウィリアムが呆れたのは往生際の悪いオースティンへ向けたものだと思われるが、そうではなかった。


「ふん……二日を超えたら撤退するし、ついでにてめぇも殺すぞ」


「……っ!!!了解しました、すぐに集結させます!では自分はこれで!またお会いしましょう!」


 それは、酒や女で簡単に釣られてしまう、兄への哀れみだったのだ。

 踵を返し、猛スピードでオースティンが駆け出していく。


「勘違いしてるようだが、奴に何かを差し出させるのは弱体化が狙いだぞ。倍も食料や酒が手に入るなら万々歳だろう」


「別に何も言ってないだろ。三日も待ったんだ。五日も一週間も変わらない。ただ、陛下の生存率は気になるところだが」


「んなサバイバル生活はしてねぇ。どこの誰だか知らねぇが、丁重に扱ってくれてるさ、きっとな」


 ウィリアムとしても、トニーの言う通りになって欲しいところではある。


 そもそも、殺されているのであれば一日経った時点で手遅れだ。

 攫われたことから、生かされていると思うのであれば、短期間の経過はあまり関係ない。


「バレンティノ将軍、いるか?」


 凛とした、女の声。クロエだ。


「おう、中だ。入って来い」


 トニーの返事と同時に、クロエの大きな魔女帽が見えた。


「オースティン副長が来られたようだが、もうお帰りだったみたいだな。今しがた空間転移していったぞ。まさか、破談となったのか?兵は置いていったようだが……この陣地の外から睨みを利かせているように見える」


「全員集合までは時間がかかるとよ。急ぐように尻を叩いてやったところだ」


「そうか。安堵したよ。しかし、彼をここに入れたり、兵はあのように展開させたままで、警戒心が薄いのではないか」


 安堵したと言ったはずが、唇に人差し指を当て、心配そうに思案している。


「警戒してます、ってツラしとけってか?奴の腹は知れねぇが、こんな中途半端な段階で悶着起こすほど馬鹿でもねぇ。モスクワの城を手に入れるとか、こっちの戦力が大きく削がれるとか、誰が見てもあっちに有利な状況になるまでは気にする必要もねぇ」


 無論、ウィリアムもトニーもそんな状況を作るつもりはない。


「閣下、よろしいでしょうか。今度はオースティン副長の使いが数人、こちらへ向かっているようです」


 受け取りようによっては緊急事態だ。入口のジャックが、会話に割り込むようにそう告げた。


「ほう、そっちは早々に抜かりなしってか。食料と酒を持っているように見えるか?」


「言われてみれば、何か運んでいるようです」


 であれば危惧する必要はあるまい。さっき話していた、トニーへのプレゼントの宅配便だ。

 トニーの不機嫌を最小限に抑えるため、こちらは早速手配したらしい。


「バレンティノ閣下への献上物資である!道を開けられませい!」


 遠くから、そんな大音声が聞こえる。オーガあたりだろうか。

 どうやらこの天幕に近寄る前に、陣中の兵士に止められているらしい。物々しい雰囲気でも醸し出しているのかもしれない。

 オースティンは直接この側に現れたが、彼らは離れた位置から歩いてきているのも捕まりやすかった要因だ。


「ジャック、止められてるなら連れて来てやれ」


「かしこまりました」


 一礼し、足音ではなくパカラッと蹄の音が遠ざかっていく。

 ウィリアムやトニーの位置からは見えないが、おそらく近くに控えていたセクレタリアトが代わりに行った、もしくはその背にジャックが乗せてもらった、といったところか。


「兵がピリピリしてるみたいだな」


「仇だって思ってる奴は多いだろうな。前の団長の時には手を組むんじゃなく、戦ってきた間柄だ」


「それもそうか。さてさて、何を持ってきてくれたのやら」


 トニーへ向けた貢物だが、ウィリアムとしては魔族がどんな贈り物をしてくるのか気になる。ゲテモノでも送られてきたら笑い話になって丁度いい。


 だが、オースティンもそんな嫌がらせはせず、届いたのは干し肉や干し魚といった日持ちのいい食材に、酒の樽、金貨が数百枚と人間の女が五人ほどだった。


……


 気を利かせ、ウィリアムはトニーの天幕を離れた。同室にいたクロエもそれに同行する。


「バレンティノ伯……奴隷も送られていたようだが。出来れば開放して欲しいと思うのは我儘だろうか」


 やはり、彼女はそこが引っかかるらしい。


「奴隷を送るのは魔族間のマナーなのかもな?ただ、トニーはロサンゼルスで奴隷を好待遇で扱っているのは知っているだろう。それほど気に病むことはないと思うが」


「それは承知しているが、無理やり奉仕させるのはどうもな。私のような生真面目な考えだと、なんとも生きにくい世界だ」


 特段、魔族だけが扱うものではないのだが。クロエの言う通り、生真面目すぎる気はする。


「兄を悪く言うつもりはないが、女好きなのもあるからなぁ」


「あぁ、それは私にも声をかけてきたりしたから理解しているさ。その……彼女たちが乱暴されなければいいのだが」


「おい、美人やスタイルのいい若い女が好みという事以外、さすがに兄の性癖までは知らないぞ。まぁ……痛めつけるような趣味嗜好はないと信じたいのは同感だ」


 まさかクロエの口からそんな話題が出るとは思わず、気恥ずかしいような、微妙な雰囲気が漂う。


「は……伯は二日間、どうお過ごしになるつもりだ?まさかここまで来て、さらにお預けとはな」


「そうだな、あえて陣の外にいるオースティンの兵隊のところへ行ってみようかと思っている」


「何?危険ではないか?」


 その可能性は否定できないが、接触して敵を知れる今なら至近距離で全容を見ておきたい。


「心配してくれてるのか?大丈夫だ。こちらの思惑があちらの雑兵に知れているとも考えづらい。オースティン本人がいない今は唯一のチャンスだと思うが」


「それであれば、私も行こう」


「何だって?別に構わないが、なぜだ?護衛なら誰か手練れの兵を連れていくつもりではいるが」


 彼女が好奇心旺盛なのは知っているが、積極的について来ようとまでするのは意外だった。


「同じ理由さ。敵を知りたいと考えるのは自然ではないか?」


「……自然だな。分かった、すぐに向かうぞ」


……


 ウィリアムとクロエ、それに護衛としてトニーからスケルトン兵のジャックをつけてもらうという異様な組み合わせのパーティーが誕生した。

 三人は天幕ひしめく自陣を離れ、密集して固まっているオースティンの兵らがいる場所を目指す。


 雪原は変わらず凍えるような寒さだ。


 一応、毛皮のコートで身を守ってはいるが、それでも火のある天幕内より圧倒的に寒い。

 そんな中、ただ立ち尽くしているだけのオースティン兵らが不憫に思えてくる。


 ジャックの手元には心ばかりの酒と煙草。彼らと交友を深めるために使えればとウィリアムが指示して持たせてきたが、果たしてトニーの部下ではない魔族の心にどれほど嗜好品が響くのか。


「止まれ、お前たち!バレンティノ将軍の部隊のものか!」


 相手のリザードマンの兵士から誰何はあったが、そこから警戒感を感じることはない。尋ねるまでもなく、そうであると分かるからだろう。

 やはり雑兵に同盟状態への疑念はないらしい。


「そうだ。責任者はいるか?」


 警戒はされていなくとも、来訪者に興味は沸く。

 話しかけてきたリザードマン以外にも数体、オーガやスケルトン兵が寄ってきた。


「なんだ、何用だ?」


「オースティン副長ならおられぬぞ」


「憎きバレンティノ将軍の部下か。仇のはずなんだがな」


 最後にやや不穏なセリフが飛んだものの、身の危険は感じない。


「まぁまぁ、俺たちはそういうやつがいるんじゃないかと思ってやってきたわけだ」


 ここからがウィリアムの舌戦。腕の見せ所ならぬ、口の見せ所だ。

 ただ、本領を発揮せずともある程度の友好性は既に見て取れる。


「我々の間では酒や煙草といったものが兵士の間でも嗜まれているが、この部隊ではどうなんだ?厳しい軍規でもあるのか?」


「いや、特にそれらは禁じられてはいない」


「そうか、それは重畳。お前たちにこのまま渡してもいいが、知らなかった連中からは不満も出よう。彼が不在の際は誰に言いつけるべきだ?」


 おぉ、くれるのか、と嬉しそうに声を漏らす面々。


「それはありがたい。だが、そうだな。オースティン副長以外にそういった責任者がいないので、困ったな」


「ではこうしよう。お前たちは俺に話しかけてきた時点で運がよかった」


「うん?」


 嬉しさから一転、今度はリザードマンやオーガが不思議そうに首を傾げる。


「これはお前たちに、と言っている。嫌でなければ一献、どうだ。付き合おう」


 一緒の酒を飲むことで親交を深める意味合いもあるが、相手視点では毒見も兼ねている。

 一同は互いを見て、異議なしと分かると一斉に頷いた。


……


「そういえば、自己紹介が遅れたな」


 地面に置かれたボロ布地の敷物に腰かけながら、ウィリアムが言う。

 この布のマットはオースティンの部下たちから。自分らは冷たい雪の上に直接座っているが、客人三名のためにと用意してくれたものだ。

 ただ集まっているだけの集団、野営も設営しておらず、椅子や天幕などありはしないのだから、かなりの好待遇である。


「俺はウィリアム・バレンティノ。お前らもよく知るトニー・バレンティノ将軍の実弟だ」


「何っ!?あちらの部隊の副将か!?」


「将軍の弟だと!そんな上位者がふらりとここに来て大丈夫なのか!?」


 なぜか敵方に心配されているようで面白い。


「それを言うならオースティン副長だってウチに来てただろう?」


「それはそうだが、オースティン副長ほどの実力者にそうそう心配などいらん」


「団長がうちの兄にやられたと聞いたが、それでよくもそう暢気なことを言ってられるな。団長が負けて副長が心配ないとは」


 答えたリザードマンがむっとする。


「ふん!エイブラハム団長はまっすぐなお人柄だった。オースティン副長はその点、慎重なお方だからな。本当に危険であれば近寄りもしなかったはずだ。バレンティノ将軍の出方を深く理解しておられる」


「まぁ、兄は直情的で読みやすいというのは同意する。亡き団長もそういう人物だったわけだな」


「その通り!それで……おっと、ありがたい」


 話の途中だが、木製、金属製のカップに注がれた酒をウィリアムが手ずから渡していく。


 スケルトン兵だけは飲食不要なので渡さず、その場の全員に杯がいきわたったところで乾杯となる。


「では、昔のわだかまりは色々あるが、今は交友を深めるとしよう。乾杯」


 ゴツゴツ、キンキンと木製と金属製のカップがぶつかる。

 持ってきていたのは赤ワインで、なかなかロシア国内では流通していないイタリア製のものだ。


「本当に交友を深めるためだけにわざわざこんなことをしているのか?」


「そのつもりだが、何か不満か?」


「我々を懐柔して味方にでもしようとしているのかと思ってな。見れば、そちらの兵は驚くほど少ない。手が足りていないのではないか」


 リザードマンが顎でトニーのいる野営地を指す。

 十倍近い差があるのだから、少ないのは当然だ。


「それは考えていなかったが、そうだな。もしウチに加わりたいという志願兵がいれば歓迎しよう」


「まさか。我らはオースティン副長についていくと決めている。酒の一杯や二杯で寝返るはずもなかろう」


「寝返るは言い過ぎだ。敵ではないんだからな。では、仮に主を鞍替えするとしたら?何が心を動かすんだ?」


 サングラスの下、ウィリアムの瞳が静かに怪しく輝く。さながら獲物を狙う狩人だ。

 一同は難しそうに唸った。


「思いつきもしないな。それこそ、副長が倒れて下の兵らが行き場を失った……とかくらいか?そんな敵など存在はしないし、その前に我らが倒れるだろうが」


「先に倒れる?副長を逃がすために全員が盾になるか?見上げた忠誠心だな」


「お褒めいただき光栄だが、少し違う。副長は勝てないと判断されれば退かれるだろう。だが、その予断がないほどの覇者、たとえば大魔王陛下などが相手であれば、我らなど逃げる間もなかろう」


 文字通り、雑兵など瞬殺で木っ端みじんにされるか。

 ウィリアムも魔族の猛者、人間の勇者を数多見てきた。確かに彼らの攻撃は大地を揺るがし、空気を切り裂くほど強烈だ。


 その場にいるだけで、力のないものは成す術なく消し炭にされる。

 そんな、アニメやビデオゲーム、映画でしか見たことのない情景が実際に繰り広げられるのだ。


「なるほどな……そこに巻き込まれては、オースティン副長くらいしか戦うも退くも選ぶ権利すらないか」


 不可能には近いが、オースティンをピンポイントで仕留めれば、彼らが靡く可能性は残されている。確か、魔族は強者を信じる習性があったはずだ。


 無論、トニーは別に兵員の増強を目指しているわけではないので、不要だと処断するかもしれないが。


 なので一時的に、イタリア国王が見つかるまでの間、ロシアで過ごす間だけのウィリアムの私兵部隊として組み込むという使い道を思いつく。

 だが気が早いなとその考えは霧散させた。自己都合が過ぎる。


 オースティンとどのタイミングで敵対するのか、そもそも敵対するのか、殺せるのか、逃げられてしまうのか、国王の所在、見つかった後の処理、すべて不確定だ。


 魔族の兵団などいなくとも、自分のそばには十二近衛やチェザリスたちがいるのだから、強欲になるのは良くない。

 むしろ、オースティンとの対決に備えて味方が多いほうが良いだけで、それが終わった後に兵を抱えて何の意味があるというのか。


「それより、ウィリアム・バレンティノ殿……だったか。貴殿も強いのか?失礼だが、腕っぷしよりは頭脳で上がってきたタイプに見える」


「上がってきたなんておこがましい。俺は兄の立場に甘んじているだけの身だ。こうして使いっ走りくらいしか出来ない」


 リザードマンにそう答える。

 そもそもウィリアムは魔族内で高い地位にあるわけではない。今はたまたま兄と合流して身を置いているだけだ。


「謙遜だな。だが、それが武器か」


「分からないやつだな……もう勝手にそう思っていてくれ」


 ウィリアムとてほめられて嫌な気分はしない。だが、今の立場は非常に難しく、自身の能力で勝ち取ったかと言われれば素直に頷けないのだ。

 まじめな彼はプライドが邪魔をしてリザードマンの意見を認められない。


「私は、バレンティノ伯爵は優秀な人材だと思うがな」


 たまらずクロエが援護射撃。こっそりと背後のジャックも頷いている。


「伯爵だと?人間の持つ貴族の位だったか。バレンティノ将軍のところでは面白い肩書を使っているんだな」


「あぁ、ウチは色々と変わっているのかもな。兄を見れば分かってもらえるだろう。人間も魔族も関係ない。使えるものは使うって考え方だ」


 あまり突っ込まれると人間サイドの人物だと割れてしまうが、この程度の言い訳はお手の物だ。というより、仮に割れてもトニーが人間を使っている、という話になるだけだが。


「合理的だな。そっちは団長よりも副長に近い考えかもしれない。あの方も使えると分かればなんだって使う」


 ウィリアムの身体がゾクリとした。別にオースティンが近くにいるわけでもない。

 ただ、このリザードマンの言葉の真意を想像すると気持ちが悪くなる。


『オースティンは、使えると分かれば何でも使う』

つまり、今のトニーや自分の状況がオースティンに利用されようとしているとも取れるし、この予測はおそらく間違っていないだろう。


 モスクワを落とすためにトニーやカトレアの力が必要。だから協力を申し出た。それならいい。

 こっちだってイタリア国王の情報を手に入れるためにオースティンを利用している。


 ただ、やはりなんとなく気持ちが悪い。

 自身と同じく腹芸が得意なら、そんな単純な話ではなく、さらに何かを企んでいるという思いがひときわ濃くなった。


「それを探るのも、俺の仕事になるかもな……」


 誰にも聞こえないくらいの声でつぶやく。


「バレンティノ将軍はいま何をされている?」


「ん?休んでいると思うが、どうした」


 また別の、オーガからの質問に答える。


「なに、団長を倒した猛者だからな。日頃から鍛錬でもしているのかと思ったまでだ」


「そんなにストイックじゃないさ。むしろ、仕事よりは遊んでいることの方が多いかもな。酒や女が好物だから、彼に取り入りたければ準備して会いに行くといい」


「嘘をつけ。六魔将の一角ともあろう人物が、そんな体たらくなはずがない」


「信じられない気持ちはわかるぞ。ただ、兄は良くも悪くも普通じゃない。こっちはいつも冷や冷やして見ているよ。だが結果を出す。そんな男だ」


 身内を蔑んでいるように見えるかもしれないが、これは飾らない正直な感想だ。


「ふむ」


「むしろ、オースティン副長がそのようにしているのか?彼の強さの秘訣も伺いたいものだな」


 反撃開始だ。ここから少しでも情報を引き出したい。


「無論だとも。副長は剣術も魔術も鍛錬を欠かさない。その上で調略までこなすのだから最強だ」


「具体的には何を?百人組手のようなものか?」


 ロンドンで見た、モリガン元帥の地獄の特訓が思い出される。


「鍛錬の内容か?それは我々も目にはできない。お一人でやられているようだ」


 ダメか。ただ、やはり剣術と魔術が使えるのは確定でよさそうだ。万能型なことだけはわかるが、実力の程は実戦以外で拝めそうにない。

 敵対する前に、少しでもモスクワ兵を相手に使ってくれれば見れるだろう。ただし、その場合はロシア側に被害が出てしまうし、オースティン副長の性格が慎重派というならばここぞというとき以外は前に出ない気もする。


「それでは、彼の強さをどうしてお前たちは知っているんだ?目にもできないのならば知りようがないはずだが」


「鍛錬は見ずとも、戦場では自ら剣を振るわれることもあるからな。魔術もそうだ。バレンティノ将軍も団長とは一騎打ちだったはず。副長も戦われることはある」


「剣術や魔術はどんなものを?切れ者に対する勝手なイメージだと、隙のでかい大技よりは速度や連撃を好みそうだな」


「ほう、見る目があるな。確かに副長は腕力に頼るよりは手数で押すタイプだといえる」


 そこは出し惜しみなく教えてくれた。主を褒められると嬉しくなってしまうのも理解できる。


「戦えない俺にはうらやましい話だ」


「腰に帯剣している者から出た言葉とは思えないな」


「あぁ……これか。これこそまさに俺を表す象徴のようなもんだよ。お飾りって奴さ。ほら、お貴族様は上品なお座敷剣術しか使えなくとも帯剣しているだろう」


 魔剣の鞘を撫でる。

 ウィリアムもそれなりに剣術は使えるし、これも良い武器だ。オースティン副長のような強敵は除き、そこらの魔族になら簡単に後れは取るまい。しかしここは自身が遜る(へりくだる)ことを優先させた。


「貴族の身の振り方など知らん。伯爵の名もお似合いというわけか」


「そういうことだ。俺の話などどうでもいい。調略というのは?何か面白い話があれば聞かせてくれ」


「はは、やはりそちらにも食いつくか。頭脳派というこちらの読みも間違っていなさそうだ」


「腕よりは覚えがあるかもしれないがな。何度も言うが買いかぶりすぎだ。それで?」


 今まで会話してくれていたオーガやリザードマンに代わって別のスケルトンが発言した。


「私はやはり、ロシア国内での侵攻における騙し討ちは見事だと思っているな。人間の町に遣いを出し、油断させて内側から破壊する。時には裏切り者を出させたりな。単純に力押しの場面もあるが」


「興味深いな。オースティン副長はそんな戦い方をするのか。魔族らしくないと言ったら聞こえが悪いか?」


「普通はな。しかし型にとらわれない副長であれば、笑ってお許しになり、むしろ賞賛と取って喜ばれるだろう」


 異端児はセオリー通りにはいかないので読み辛い。トニーが苦手な相手としているのも当然だ。


「今回のモスクワ攻略も、何か妙策を持っているのかもしれないな。期待させてもらおう」


「それは我らも知らないから何とも言えん。そちらは何か考えているのか?」


「見ての通り、我々の兵数では小手先の策を用いたところで鉄壁のモスクワに太刀打ちできない。悔しいが、そっちの大部隊に頼るだけだよ」


 トニーはもともと皇帝やクレムリンを懐柔する方向に持っていこうとしていたのだ。

 そのために周りの街も魔族の手から解放し、守りを固めている。魔族サイドであるにも関わらず、だ。

 大攻勢を仕掛けて陥落させようとしているのはオースティンだけである。


 既にこの情報は、モスクワの一部の者には女団長を用いて伝えてある。

 まさか、その中にオースティンとの内通者がいるとは考えづらいのでバレてはいないはずだ。


 あらゆる手を使うとは言っても、王宮内までその手が届くだろうか。


 しかし、この考えは次の言葉で懐疑的なった。


「副長も今回ばかりは特に、力押しは難しいとは思っておられるだろうな。どんな手を打たれるのか楽しみだ」


 まさか、内通者がすでにいるのかと思わずにはいられない。

 城門を開けさせる、街や城に火をかける、様々なシナリオが頭をよぎった。


「誰かを取り込むことに成功した場合、その者はどういった待遇を受けているんだ?街を陥落させた後、という意味だ」


「他の街で使える場合もあるから、しばらくは家族も含めて我々で預かる形になるが、利用価値がなくなったら最後は食糧だな。栄誉ある仕事をしたものに、無駄死にはさせない」


……やはり根っからの魔族である彼らとは相容れないか。協力者ですらも人間であれば、そこに慈悲はない。


「なるほど、確かに惨殺するよりは食ってあげた方が無駄はない。それで、今は誰かの身柄を?」


 純粋な質問だが、わずかにイタリア国王の安否確認の意味も含んでいる。オーステインらからの手がかりを諦めたわけではない。


「いや?今は人間は軍団内にいないはずだが、誰か知っているか?」


 兵の数も多いので、奴隷や捕虜の有無は完全に把握しているわけではない、と他の面々にスケルトン兵が話を振った。

 しかし、全員が知らないと首を横に振る。気にもしていないという話だ。


「であれば、現時点ではモスクワ攻略に使える人間はいないということだな」


「おそらくな。いても知らない、というところだ」


 少なくとも手元にはいない。いるのなら街の方だ。

 そして、イタリア国王の情報もやはり得られないか。


「至極当然の質問だが、私からもいいでしょうか?」


 クロエも敵を知る、という名目のもとでここに来ている。ウィリアムの質疑応答が途切れた瞬間は彼女のターンだ。


「なぜ、何日もここにいる予定なのにただ集まっているだけなんです?寝床や炊事場は構築した方がいいと思うのだが」


「なぜ、と言われてもな。副長からの指示はなかった。あったのは待機命令だけだ」


 オーガが答えた。

 あまり、考えるということができないのか、それともその程度の勝手な行動ですら罰則が発生する独裁主義なのか。


「そもそも我らはロシアでの行動に慣れている。寒空の下でも大して苦にはならないんだよ」


「兵を苛めている、ということでなければ良いのだが」


「まさか。我らは兵士だぞ。こんなもの、しごきの内にも入らん」


 不眠不休で夜警する訓練などもあるだろうから、確かに寒空の下で待機させられるだけであれば緩いのかもしれない。


 しかし、人間であれば防寒具や温かい食糧がないと凍え死んでしまうほどの環境であることには変わりないので、魔族の屈強な体には驚かされる。

 彼らは薄着で、暖を取っているわけでもないのだから。


「だったら、俺たちとこうして酒や煙草を嗜むのも結構な娯楽になったんじゃないか。それだけでも来てよかった」


「それはその通りだ、伯爵。待機命令を受けた我らにとっての最大の敵は、寒さでも飢えでもなく、退屈だったからな」


 その割には我も我もと殺到してこず、ここにいる数人だけへの応対で済んでいるのは不思議だ。


「それは……全員分準備すべきだったかな」


 到底無理な話だ。トニーの部隊のすべての嗜好品をかき集めても、その何倍もいるオースティンの軍団全員には行き渡らない。


「気にするな。あとで我らが嫌味を言われるだけの話だ」


「そこは言われるんだな。羨ましいなら近寄ってくれば良いだろうに」


「無理な人数かどうかくらい一目でわかる。客人に対して、ここにいる数人で既に手一杯だとな。我らはそんなに厚かましくはないぞ。でかいのは図体だけだ」


「これは失礼。この人数でも少しばかり、プレゼントが足りなかったかもしれないな」


 まさか冗談のような言葉が返ってくるとは。ふふ、とクロエも袖で口を押えて笑っている。


「いいや。酒や煙草の良し悪しはわからんが、美味いものを楽しませてもらった。感謝する」


「それはよかった。では、我々はこれで退散しよう。まだ数日はここにいるようだから、また手土産を持ってくる」


「その時は是非、他の同志に振舞ってやってくれ」


「承知した。ではまた」


 ウィリアムが立ち上がり、クロエもそれに続いた。

 帰り際、彼女はスカートを両手で軽く左右に広げて一礼している。それが挨拶だと伝わったのかは分からないが、オースティンの部下たちは手を振ってくれた。


……


「ふむ。思ったより友好的だったな、伯爵」


 自陣に戻る途中のクロエとの会話。


「そうだな。オースティン副長の剣術と魔術の話、策略を好む話はトニーに伝えよう」


 伝えたところで「知っている」と言われるだけかもしれないが、警戒心を煽るには丁度いい。


 油断はしていないのかもしれないが、心配性なウィリアムからすればトニーはまだまだ、どれだけ警戒しておいても損はない。


「ジャックは何か気づいたか?」


「会話してくれていた連中からは何も。しかしその周りはあまり歓迎していない様子だったかと」


 それは気づかなかった。

 何もなかったのは、オースティンから何も言われていなかったからだろうか。次回はもう少し護衛がいた方がよいかもしれない。


……


 自陣には戻ったが、お取込み中だった場合にクロエは相当気まずくなると予想し、トニーの天幕には近寄らずに自身の天幕に入った。

 ジャックは主人のもとへ向かったが、クロエは特に予定もなく、そのままウィリアムについてきた。


 中にいたチェザリスとカンナバーロが敬礼する。


「バレンティノ伯、おかえりなさいませ。オースティン副長とはお話しされたと思いますが、その後はどちらか行かれてたのですか?」


「なんだ、大尉。随分ずけずけと突っ込んでくるようになったな。敵陣視察だよ」


「な……!?あの集団の中に!?我々もお呼びいただければよろしかったのに!」


 護衛としてここにいるのに、頼ってもらえなかったのがショックだったようだ。


「悪くないが、人間ばかりで行くのもな。代わりにトニーの護衛をつけてもらった」


「ほーう、あの馬みたいなやつですかい?」


 カンナバーロはチェザリスほどに思うところはないようで、暢気にそんなことを聞いてくる。


「いや、セクレタリアトじゃない。スケルトンのジャックの方だな。あれは実直で頼りになるぞ」


「真面目そうに洒落たスーツなんか着てますもんね。あんまり強そうには見えないんですが、バレンティノ将軍は重用してるし、実は強いんでしょうか?」


「それは知らん。トニーが気に入ってるのも強さだけじゃないだろうからな」


 スケルトン兵である時点で、ある程度は戦えるだろう。人間の兵士一人よりは実力もあるに違いない。だが、トニーが側付としてジャックを選んでいる理由はほかにあると推測できる。

 たとえば、義理堅く忠義に厚い、身を挺してトニーを守ったことがある、などだ。


「軍曹、そこまで気になるなら手合わせしてもらってはどうだ。魔族と試合なんて帰国後は叶わないぞ」


「そんなこと言ってませんって、中隊長殿……すぐそういう解釈をなさる」


「不服そうだな?私は貴様の前向きな姿勢に感心していたのだが」


 なぜそういう方向に話が進んだのか、一見、チェザリスがカンナバーロをいじめるためにそんなことを言ったようにも見えるが、本当に軍曹がそれを望んでいると思って、腕を上げてほしかっただけかもしれない。


一言、ウィリアムから付け足す。


「それなら軍曹だけではなく、大尉も行ってはどうだ?」


「よろしいので?では是非」


 拒否しない。つまり後者だったわけだ。

 カンナバーロがジャックと腕試しをしたいと考えていたと、そしてそれに自分も付き添い、鍛錬しようと本気で考えていた。指揮官でありながら、カンナバーロ相手の時だけはなかなかに鈍感な男だ。


「いやいやいや!お二人ともお待ちを!自分はそんなことしたいと思ってません!ジャックが強いかどうかなんて正直興味ありませんから!」


「ほぉ、イタリアが誇る手練れの強兵とバレンティノ将軍の側近の模擬戦か。興味があるな」


 クロエからも余計な一言。彼女の場合はどちらが強いのかという、純粋な興味だ。


「決まりだな。軍曹、さっそくジャック殿に話をつけてこい。これは命令だ。よろしいですね、伯?」


「あぁ、どうせ暇だしな。好きにしろ」


「そんなぁ……」


 肩を落とし、とぼとぼと退室するカンナバーロ。

 腕は確かなのに、精神的には楽ばかりを考える。まだまだ未熟だ。

 しかしそれでも命令に背かないのは流石に軍人の端くれか。


「いい催しになりそうだ、伯爵」


「催し、な。手合わせがしたいなら敵方の連中にも聞いてみればよかった」


 もちろんそこまではやらない。巻き込まれるカンナバーロはたまったものではない。


……


 戻ってきたカンナバーロは、にやりと笑って言い放った。


「ジャックに断られました。将軍の許可が必要だと」


「嬉しそうに言うな、軍曹。しかもそれは断られた内に入らないんじゃないのか?きっと後から快諾の連絡が来るぞ」


「えっ!?それはないでしょう!おそらくバレンティノ将軍も、我々の試合なんて大して興味ないですよ!」


 チェザリスの読みを全力で否定するカンナバーロ。

 トニーが手合わせに興味がないというのはその通りだろうが、ジャックに対して勝手にしろと言う可能性はある。


 その、ウィリアムの考えと、チェザリスの読みはたったの数分後に的中することとなった。


「バレンティノ伯、こちらにおられますか。ジャックでございます。ご臣下との模擬戦のお話を、閣下よりご承諾いただきましたので……」


「だぁぁぁぁぁぁっ!?なんで訊いちゃったんですか!将軍には無理に言わなくて良いって言っただろ!」


 天幕の入り口に駆け寄って、ジャックに唾を飛ばしながら抗議するカンナバーロ。


「え、いやしかし閣下にお手すきの時間があったので、訊いてみなければそちらにも悪いかと」


 忙しければ無理に言うつもりはなかったが、運悪くトニーに暇があったのでその話題もついでに話してしまったというわけだ。


「軍曹、言わなくて良いなんて伝えたのか?貴様はすぐ逃げようとする。自慢の槍が泣いてるぞ。ジャック殿、ご快諾いただき感謝する」


「じゃあ早速やろうか。暇を持て余してる連中も多い。盛大な見世物になってもらうぞ」


 ウィリアムのこの言葉で、すぐに模擬戦の話が陣内に広げられた。


……


 トニーとウィリアムは、雪上に準備されたリングのすぐ近くに椅子を用意され、そこで観戦する運びとなった。目の前に焚火も設置してあり、暖房環境は完璧だ。

 トニーは出てこないかと思ったが、見るつもりになったようだ。そしてその膝の上にはもらったばかりの女奴隷……ではなく、正妻のカトレアが陣取っている。

 彼女がプリプリしているように見えるので、お楽しみ中に鉢合わせでもしたのではないだろうか。


 リングはボクシングのようにロープなどの仕切りはなく、円形に広く石を並べて縁取られただけの、相撲の土俵のようなものである。


「せっかくやるんだ。速攻で負けるような真似だけはすんなよ、ジャック」


 身内を贔屓して応援するのは当然のこと。

 トニーからの声援に、深々と頭を下げてリング上のジャックが返礼する。


「軍曹、思い切りいけ!ジャック殿の懐を借りるつもりでな!」


 ウィリアムもトニーと同じようにカンナバーロに声援を送ろうと思ったが、先駆けてチェザリスがカンナバーロへ声をかけた。

 チェザリス自身も後から戦うのだが、今はセコンドのようにリング脇に控えている。


 それに対してカンナバーロは力なく笑い、槍をだらしなく構えた。

 やる気のなさが見え見えだ。開始前に勝負ありではないかと失笑を漏らしている観客の兵士すらいる。


「どっちが勝つかなぁ」


 暢気にカトレアがふかし芋を頬張りながら言う。食べこぼしがトニーの膝にポロポロと落ちているが、それに気づいているのは隣のウィリアムだけだ。

 後でカトレアはトニーから大目玉を食らうかもしれない。


「さぁな。ウィリアム、お前のところの護衛は強いのかよ?」


「カンナバーロもチェザリスも強い。ジャックとでもいい勝負になると思うぞ」


「そりゃいい。賭けるぞ。まぁ、賭けるもんなんざないがな」


 勝ち負けを楽しみたいだけだ。金など兄弟二人とも必要としていないのはわかりきっている。


「では互いの部下に賭けようじゃないか。勝った方は鼻高々というわけだな」


「そういうことだ。おい!レフェリーは誰だ!さっさと始めろ!」


 トニーの掛け声で、我慢していた観客の歓声も爆発した。そこまで見たくて仕方ないのは、魔族が強者こそ正義という信念に従っているからだ。

 彼らのほとんどはジャックを応援するだろう。カンナバーロとチェザリスにとってはアウェーだ。

 しかし勝てば、罵声ではなく惜しみない称賛が飛んでくるのもわかっている。


「では自分がレフェリーを……」


「その役、俺がやるぜ!」


 最初に挙手したのはトニーのもう一人の側近であるセクレタリアト。

 それを押しのける形でリングの真ん中に現れたのは小隊長と呼ばれる中年の男だ。クロエの仲間だが、なるほど彼も戦闘狂だったか。


「じゃあ、おっさんにやらせろ」


「おう!任せてくれ!」


 セクレタリアトがトニーに従って、小隊長がレフェリーに決定した。もしかしたら、彼自身も戦いたいのかもしれないと思わせるほどやる気満々だ。

 単に格闘技ファンのようなものかもしれないが、背にした大剣、槍、腰の直剣がそれを否定する。


「なんだあいつ。いつの間にか武器マニアになってやがる」


 三つも武器を持っていれば嫌でも目立つ。ここ最近の変化らしい。


「彼も出してやったらどうだ」


「そうだな。やりたいなら勝手にやればいい。魔族の中にも手合わせしたいやつがいるだろうしな」


「オースティンが戻るまで、退屈しなくてよさそうじゃないか」


 まずはカンナバーロとチェザリスがジャックとやり合う。

 その後は志願者を募集だ。思ったよりも大きな催し物となる。


「よぉし!そんじゃ両者、見合って!武器を構えろ!」


 カンナバーロがため息をつきながら槍を、ジャックは無表情のまま刀を抜いた。

切っ先が互いに向けられる。

 武器のリーチで言えば槍の方が圧倒的に有利だが、突く攻撃を躱されて距離を詰められた場合、刀の方が取り回しが利く。


「始めっ!」


 カンナバーロの表情がスッと冷める。嫌だ嫌だと駄々をこねていた子供が、急に真顔になったかのような変化だ。


 ブンッ!


 決して槍を振り回したわけではない。ただまっすぐ突いただけ。それなのに、風を切る音がけたたましく聞こえた。

 ジャックは大きく後ろに飛びのいてそれを避けている。


「うぉぉぉっ!見たか!?聞いたか!?風圧が出たぞ!」


「なんだ、今の一撃は!やるな、あの人間!」


 兵士らもやんややんやとはやし立てる。

 それに対し、カンナバーロは調子に乗ってへらへらと笑いながら手を振る……とはならなかった。


 冷たい表情はそのまま、二度、三度と高速の突きを連続で繰り出す。あまり後ろに下がってリングアウトするわけにもいかないジャックは横に飛び、それを躱した。


「おぉ!二人とも見事な動きだな!」


 レフェリーである小隊長は二人の邪魔にならないよう、少し離れたリング内にいるが、判定そっちのけで大興奮の様子だ。


「ジャックを近寄らせないつもりか。小賢しい野郎だぜ。ジャックもスピードは早いが、さすがにあの槍の間合いには飛び込めねぇ」


「いや?距離を取ろうとしてるんじゃなく、単純に終わらせようとしているだけに見えるが……ただ、それを当てれなくて軍曹も歯がゆいだろうな」


 バレンティノ兄弟も固唾を飲んで互いの部下を見守る。

 この、カンナバーロの攻撃のラッシュに関しては、おそらくウィリアムの見解が正しい。さっさと面倒ごとは終わらせて観戦に回りたいという一心での猛攻撃だ。


 右に左にと会費を続けていたジャックに動きがあった。

 わざと、槍の届く範囲に一歩踏み込んだのだ。


「おっと!ここでジャックが距離を詰める!だがこれは当然、カンナバーロの槍が捉えるぞ!」


 レフェリーなのに実況へと変貌した小隊長が状況を説明。

 その瞬間、予言通りにカンナバーロの槍はジャックの胴体を貫いた。


 わぁっと歓声が上がる。勝負ありかと思われたが、なんとジャックは刃先を受けたまま、さらに数歩前へと前進した。


 背中からスーツのジャケット部分を突き破り、槍が飛び出す。


「まさか、わざと食らって相手の動きを封じたのか!これは痛みを感じないスケルトン兵ならではの戦法だぜ!」


 小隊長の実況にトニーがウィリアムへ向けてニヤリと笑う。


「そうきたか。肉を切らせて骨を断つってか?あいつにゃ骨しかねぇが」


「あぁ。そもそもあばらの間の空洞を刺されてれば、骨にも当たってないのかもしれないな。食らったフリか」


 スーツで身体が隠れているせいで、どこを突かれているのかは判断できない。

 ただ、動きを見るに、どこにも当たっていないのではないだろうか。


 肉薄したジャックが刀の切っ先をカンナバーロの喉元へ。

 しかしカンナバーロは早々に槍を捨て、大きく後ろへと飛び退いた。


「お!?ルールがあるわけじゃないが、武器を捨てたってことは降参でいいのか、カンナバーロ!?」


「あっと……はい。槍がなきゃ自分は無力ですので」


「ということで勝負ありぃ!」


 小隊長がジャックの手を取り、大きく振り上げる。

 ホームの試合だけあって、兵士らの歓声がけたたましく響き渡った。


「なんだ、降参かよ。もうちょっと粘れっての」


「軍曹はそういう奴だ。あの体たらくをこの場に引っ張り出せただけでも御の字だよ。動きは悪くなかったし、鍛錬まではサボっていないようで安心した」


「優しい上官さんだこと」


 ただしそう思うのはウィリアムだけで、チェザリスからは後で叱られるだろう。


 しかし驚かされるのは、カンナバーロの動きを上回る対策を講じたジャックだ。一般のスケルトン兵相手であれば軍曹も遅れは取らない。

 たとえばタルティーニ中将やモリガン元帥のような恐るべきパワーこそないものの、魔族としては弱い部類のスケルトン兵の身でありながら、英雄と呼んでも差し支えのない強さだった。


「ジャック、ケガはないか?続行できそうならこのまま次の試合に行くぜ!」


「問題ありません。まずは槍をお返しします」


 自らを貫く槍を抜き、カンナバーロに手渡すジャック。やはり貫通していたのは衣服だけで、身体にダメージはなかった。見事だ。


「はは……無傷とは驚いた。一本取られたよ。おめでとう」


「そちらこそ、目にもとまらぬ槍捌きに刮目いたしました。いい手合わせができ、感無量です」


 がっちりと握手をし、カンナバーロだけが先にリングを出る。


「軍曹……言いたいことは色々あるが、試合自体は悪いものではなかった。ご苦労」


「お褒めいただき光栄です、隊長。ただ、あそこでの降参は間違ってなかったと思います。槍を取り返すのは不可能でしたから。ステゴロで勝てる相手とも思えませんでした」


「そうだな。予備に短剣でも装備しておけ。実戦で十分起きうる状況だった」


 言いながら、チェザリスは士官用のサーベルと、予備のショートソードを自身の腰に佩いているのを指さした。


「では、次の挑戦者はチェザリス大尉!リングに入ってくれ!」


 挑戦者呼ばわりとは、いつの間にかジャックがチャンピオン扱いだ。

 ただ、チェザリス本人もそれには納得しているようで、待ち構えるジャックに対して深く一礼して敬意を表した。


 ジャックも自惚れたりはせず、それに答礼する。


「それでは両者見合って……」


 顔を上げ、日本刀とサーベルがそれぞれ正眼に構えられた。


「始めっ!」


 先に動いたのはジャック。限りなく低い姿勢から、上に斬り払う形だ。

 これに対して、チェザリスも腰を落とし、上に向いた斬撃が身体を捉えさせないようにした。つまり、空振りを狙う。

 さらにはその前に、サーベルを地面に突き立てるように配置し、下段からのアプローチを完全に封じた。


 となると、ジャックは攻撃手段を中段や上段に切り替える必要がある。

 しかし、ジャックはそのままサーベルと日本刀を当てた。力比べを選択したわけだ。


 キィンッ!


 根元ではなく切っ先がぶつかり、重厚な音ではなく、鋭利で甲高い音が鳴った。


 そこからギリギリと刃を擦り合い、滑りながら根元の柄で動きが止まる。鍔迫り合いの始まりだ。


「おっと!さっきの当たらない戦いとは打って変わって、今回は力と力のぶつかり合いだ!面白くなってきやがったぜ!」


 意外にも、チェザリスがやや押している。靴がリングの土を踏みしめきれず、ずりずりと半歩、ジャックが下がった。


「なんだ、あの優男。怪力だったりするのか?」


「いや。大尉は確かに強いが、力自慢といったタイプではないな。俺も驚いている。逆にジャックは腕力が弱くて、速度や手数で攻める技量型の戦士なのか?」


「弱くはねぇぞ。その辺の人間よりは力もある。骨だけだろうと魔族だからな」


 スケルトン兵に見かけ上の筋肉はない。

 だがそれは魔術で生き返らされた死体なのであって、筋肉の有無は腕力に全く関係ない。


 さらには骨が折れようと痛みを感じない。ということはつまり、身体の限界点を超えて力をふるえるということだ。


 そんなスケルトン兵を凌駕するチェザリスの腕力。

 とうとう持ちこたえられなくなったジャックは横に飛び、その時に振り下ろされたチェザリスのサーベルによって左腕を切り落とされた。


「おぉぉっ!」と歓声が上がる。


「ジャックの腕が落ちたぁっ!これは流石に勝負ありか!?」


「……えぇ、これ以上は勝ち目がないかと。お見事」


 ジャックが小隊長にそう答え、チェザリスの勝利にて試合終了だ。


「トニー。落ち着いているが、スケルトンは再生できるのか?」


「あれくらいなら戻るんじゃねぇか?仮に戻らなくても問題ないだろ。あれは荷物持ちじゃなくて側近だ。腕は一本でも大して関係ねぇ」


 適当にもほどがある。

 できれば戻してやりたいが……と思ったところでウィリアムは苦笑した。まさか、自身が魔族の怪我の心配をしているとは驚きだ。


 ジャックが自分の左腕を拾い上げ、リングから出てくる。


「閣下、申し訳ございません。破れてしまいました」


 敗れてしまった、ではなく破れてしまった、である。用意してもらったスーツの話をしているようだ。


「予備は何着かあんだろ。腕が治ったら着替えろ」


「はっ。高位の術者……死霊術師や呪術師でなくとも魔力の高い御方がおられれば」


「えー?あたしに言ってるー?あとで診てあげるよぉ。むにゃむにゃ……」


「なんと、ありがたき幸せ」


 トニーの膝上のカトレア、試合中も妙に静かだと思っていたら居眠りしていたらしい。


 この世界にも治癒の魔術というのは存在しない。魔族とて、怪我は医療や静養で治すほかない。

 しかし、魔術的に死体を動かしているスケルトンは他の魔族と比べて例外だということか。


 骨をくっつけるだけなのであれば、魔術でなくボンドでも回復できそうな気がしてくる。

 物質的な魔族、例えばブロックや土くれが固まってゴーレムのような魔族が生まれた場合はスケルトン兵と同じく魔術的な療法が使えそうだ。


「伯、軍曹の仇……とまではいきませんが、ジャック殿に勝てました。強敵でした」


 チェザリスがウィリアムのもとへやってきた。


「あぁ、見事だったぞ。軍曹も善戦していたな。嫌がっていた割にあの試合だ。大目に見てやれ」


「えぇ、叱責するつもりはありません。しかしもう少し踏ん張れたのではないか、考えさせます」


 まぁ、そのくらいならよしとウィリアムも頷く。


「では我々も残りの時間は観戦させてもらいますね」


 観戦。そう、このまま終わるわけではなく、ヒートアップしたリングは次の挑戦者を待っている。


「ここからは自由試合だ!誰か腕試しをしてみたいやつがいたらリングインを頼む!レフェリーは引き続き俺がやらせてもらうぜ!何なら俺が戦ったって良い!」


 やはり本人もやりたかったか、と会場がどっと沸いた。


「よし、それじゃ俺が挑戦するぞ!相手は誰だ!」


 誰からの挙手よりも先に、小隊長が名乗りを上げる。

 そこからは我も我もと参加希望者が殺到し始める。その中にセクレタリアトがいるのも面白い。


 ウィリアムは消化試合の観戦はせず、トニーやカトレアを残して一人で自身の天幕へと戻った。


「……はぁ」


 最近ではこうしてゆっくりできる機会も限られている。

 寝るときは立て板があるとはいえ同室にチェザリスなどもいるからだ。


 ポケットから煙草を取り出し、久しぶりの喫煙を楽しむ。

 煙草は意外とこの世界でも手に入るので苦労はしない。ただし、フィルターなどはついていないので、やや喫味は強く重めだ。有害物質がダイレクトに摂取される点から吸いすぎには注意したい。

 トニーは気にせずこちらの世界の煙草も葉巻もよく吸っているので、そろそろ諫言してもよさそうだ。


「バレンティノ伯」


 そして、チルともいうべきまったりとした時間は、珍しい来客によって破られた。残念でもあるが、この状況は興味深い。


「……ジャック、か?どうしたんだ、一人か」


 切り落とされたはずの腕は既に治り、服も新しいスーツに変わっている。

 とはいえデザインは同じ黒地のシングルスーツだが。


「えぇ、一人でございます」


「トニーからの指示か?いや、そんな感じには見えないな。お前が俺を自分の意志で訪ねてくるとは驚きだ」


 よくもまぁ骸骨の化け物に懐かれたものだと苦笑する。無論、見た目がおぞましくとも、ジャックの心は紳士だ。嫌な気はしない。


「お礼を申し上げに参った次第。この度の試合、自分としても非常に有意義なものでした。カンナバーロ軍曹の槍捌きも、チェザリス大尉との力比べも、良い経験になりました。お許しをいただいたバレンティノ伯に心からの感謝を」


「それを言うならウチの兵を鍛えてくれてありがとうよ、って話にもなるんだがな。だが、わざわざ来てくれたんだ。その気持ちは受け取っておこう。トニーにも礼を言っておけよ。拗ねられたら困る」


「もちろん既に済んでおります」


 ならよし、と頷いた。

 そして治っているジャックの腕を指さす。


「それはカトレアがやってくれたのか?スケルトンの身体は本当に医術でなく魔術で治すんだな。便利なもんだ」


「はい、ほんの一瞬で。さすがは魔族内でも最強を担う三魔女のお一人。数分程度はかかると見込んでいたのですが」


「斬られた時の痛みなんかもないんだろう?魔術師が後ろにいれば、何度でも戦えるゾンビ兵の完成か」


 ジャックが首を傾げる。


「ゾンビ兵……ですか?私はスケルトンですが、おそらく似たような意味で言われているのでしょうね。痛みを感じないのはその通りでございます。ただ、我らとて再生不能なほどに粉砕されれば死に絶えます。もっとも簡単なのは頭を潰すことでしょうか」


 頭を砕かれれば魔術でもくっつかないか。

 仮に別の骸骨の頭と入れ替えたら違う人格になりそうなので、それは蘇生かと問われたら違う。


「もしかすると、生身のカンナバーロやチェザリスに対して手心を加えたりしたのか?ほら、彼らはケガを負ったらお前みたいにはいかないだろう。腕が落ちたりしたら再生もできない」


「仮に相手の腕を、脚を、首を落とす状況で私が勝っていたとしたら、その寸前で刀を止めて勝負ありの判定を貰うつもりでした。つまり、そうなっていないのであれば負けです」


「そうか……であれば、一勝一敗も実力そのままなのだな。チェザリスに力負けしたのは意外だったぞ」


「あれは驚きでした。士官だからと怠けず、よく鍛えられているようで。彼は本物の戦士です」


 チェザリスだけではない、負けたカンナバーロもしっかり戦った。

 そちらの感想も気になる。


「カンナバーロはどうだった」


「刺さったように見せたつもりだった彼の槍ですが、わずかに刃先が触れていたあばらにヒビが入っておりました。言うまでもなく、私がスケルトンでなければ負けていました。彼もまた、本物の戦士と呼ぶにふさわしい」


「そうだったのか。それは俺としても鼻が高いよ。ただ、それを言うと調子に乗るからな。ここだけの話にしておこう」


「はっ、それでは私のここだけの話としておきます」


 ジャックが胸に手を当て一礼した。

 そこらの人間よりも、よほど出来た礼儀作法だ。

 トニーが教えたとは思えないので、骸骨になる前の人格が影響しているのかもしれない。


「胸のヒビもカトレアに治してもらったのか?」


「はい。何か言ったつもりはなかったのですが、カトレア様にはあばらへのダメージもお見通しだったようで。腕と同時に一瞬で治していただきました」


「見透かしていたんじゃなく、魔力が強すぎるせいであばら骨は副産物的に、勝手に治った可能性は?」


「それも考えられます。ですが結果は同じこと。感謝に堪えません」


 カトレアの性格上、適当にパパっと魔力を注いだら全部治った。といったような話の方がしっくりくる。


「眠そうにしていたことだし、そんな気はするがな。今、試合の方はどうなってる?」


「魔族同士での試合が行われているようです」


「なに?あのレフェリーをやってたおっさんはもう負けたのか?」


 やる気満々だったので、数戦くらいはやってのけると思ったのだが。


「彼は二戦ほどでしたね。どちらも勝利し、満足げにまた審判に戻っていますよ」


「そうか。それなら納得だ。ウチの二人も戻ってこないところを見るに、まだまだ白熱しているようだな」


「えぇ。閣下がギャラリーに対して賭けを提案されまして、今は皆が銀貨銅貨を握りしめながら、手に汗も握っているようです」


 なんともトニーらしい。しばらく賭け試合は陣内でのちょっとしたムーブメントになりそうだ。


「お前は賭けなくても……と、興味がなさそうだな」


「そうですね。見ての通り、私には物欲というものがまるでありませんから。敢えて言うなれば、閣下のお側に置いてもらえることを欲しているくらいでしょうか」


「本当に立派な奴だ。お堅すぎて、トニーが気に入っているのが少し信じられないくらいにはな」


 ユーモアのある人物を気に入る傾向があるトニーではあるが、ウィリアム自身もそれはあまり自信がない。

 結局、よく考えてみれば、真面目な者を一番近くに置いておくのは現世にいた頃と同じだということだ。


「伯は閣下の弟君ですが、やはり身のお世話などを?」


「まさか。そこまではやらねぇよ。俺は仕事のサポートや、トニーの失態の尻拭いをしていた感じだな。トニーは知らぬ間に敵も多く作る。そこをなんとか減らしていたと言えばいいか」


「なるほど、それはご苦労なさったことでしょう。確かに、閣下は真っ直ぐな御方ですから。相手にとってはそれがつまらないと思うことも多いでしょうな」


 身の回りの雑務はフランコがやっていたはずだ。とはいえ、フランコが部下に指示してやらせていただけではあるが。マルコなんかもトニーの部屋の掃除などに駆り出されていた記憶がある。


 逆に、ウィリアムは私室への入室制限をしていた。自分のものを触られたくないのもあるが、そもそも清掃などは必要ないくらいに常に整理整頓されていたからだ。


 ただ、これは思い返すと良いことばかりではないのかもしれない。

 トニーのように愛されるリーダーは、どこか放っておけない部分もあり、身の回りの世話を通じて、自分が主を支えているのだという感情がわいてくることもある。


 無論、やりすぎては面倒なガキだと思われてしまうのかもしれないが、トニーはその辺りが絶妙だ。

 大事な場面の判断は自分で必ずするし、決定事項は守る。ミスをすれば部下にでも詫びる。部下が死ねば感情のままに慈しむ。


 プライドが高いようで、人間味も多く、敵であれば厄介だが、味方であれば嫌いになりきれない男である。


 弟であるウィリアムはもちろんの事、魔族であるジャックでさえも心から彼を慕っているのがその証拠だ。


「さて、まだしばらくはトニーが胴元の賭け試合が継続される予定なんだろう?お前は会場に戻るのか?」


「えぇ。特に予定はございませんので、閣下のお側に戻るつもりです」


「そうか。初めてお前と長話ができてよかったよ。礼を言いに来てくれたこと、こちらからも感謝する」


「勿体なきお言葉」


 ウィリアムが軽く会釈をすると、ジャックはハットを取り、それを胸に当てながらウィリアムよりも数段と深くお辞儀をした。


「ではこれにて失礼いたします、バレンティノ伯。ごゆるりとされているところに押しかけて申し訳ありませんでした」


「あぁ、またな」


 きびきびと回れ右をして、スーツ姿のスケルトン兵はウィリアムの天幕から出て行った。生前は家令か、将校か、憲兵か、それとも役人や貴族だったか、非常に気になるが、当の本人とて聞かれても覚えてはいまい。


 再び訪れた一人きりでの静寂、棚に置いてあったワインを開け、ワイングラスに注ぐ。


 さて、オースティン対策はというと、やはりまるで思いつかない。

 兵力は歴然。かといってロンドンの兵を消耗することは叶わない。

 こちらが裏切るタイミングでこの戦力差は絶対に埋まっていないということだ。


 頼りになるのは個人で他を圧倒するほどに高火力を出せるカトレアくらいなものだが、それでオースティンも討てるか。否だ。

 一騎打ちなどに持ち込めればいいが、それも兵力を増やし続けているあちらの状況からして叶わない。


「出たとこ勝負は苦手なんだがな……さすがにやってみるまで分からないか」


 最悪、トニーが言っていたように、オースティンを逃がしてもロンドン側がこちらの味方となれば成功なのだ。

 それで良しとするしかあるまい。


 ただ、なぜか、そのオースティン討伐の点に関してはトニーよりもウィリアムの方が強いこだわりを見せている。

 おそらく、計画性を重視する性格のせいで、障害となるものは早めに取り除いておきたいという深層心理が働いているのだろう。


 ワインを一杯だけ飲み干し、再び煙草に火を灯す。


 その時ちょうど、外からガヤガヤとした声が聞こえ始めた。どうやら今日の賭け試合は終了したようだ。

 兵たちがリングからこちらへ戻ってきたという事。


 これで終わりなはずはないので、ロンドンに攻めるまで、しばらく続けられるのは間違いない。


「ただいま戻りました」


「伯、ただいまです」


 そう思っていたところへ、チェザリス、カンナバーロもウィリアムのいる天幕に帰ってくる。


「おう、二人ともお疲れさん。チェザリスの試合は見事な勝利だったし、カンナバーロの善戦も俺は満足だったぞ。よく頑張ったな」


「へへぇ、そうでしょうそうでしょう!自分もつい本気になっちゃいましたよ」


「軍曹、調子に乗るな。確かに試合内容は良かったが、ヘラヘラしているとみっともないだろう。軍人は常に、凛としていろ」


 カンナバーロの腰の辺りをチェザリスが剣の柄で小突く。


「隊長だって、勝てて嬉しいでしょうに!指揮官にもちょっとくらい浮かれてもらわないと、万年葬儀参列者みたいな表情の部隊になっちゃいますよ!」


「それでいいんだと言ってるだろうに。まったく……つくづく、なぜ軍人をやっているのかわからんお調子者だな」


「軍人ほど明るくないとやってられない職業はないと思いますがね!?」


 兵士としての心構えは真っ向からの対立。ただ、この二人は昔からそうなので、あえて答えは出さず、このままの付き合いをさせておいた方が良い関係性を保てるだろう。

 おっとりとした性格で二人の緩衝材となっていたアマティ伍長の存在が懐かしい。


「俺は軍人の矜持なんてのは分からんが、どっちの意見も間違ってないと思うがな。ほら、あのレフェリーをやってたおっさんだって兵士だろう?いろんなのがいていいんだよ」


「彼は何というか……バレンティノ将軍に似たものを感じますね」


「あー、自分もそれは思いました!よくぶつからないもんです」


 確かにトニーが二人いれば喧嘩にでもなりそうなものだが、意外と小隊長とトニーは上手くやっている。


 たまに話している場面や酒を酌み交わしている場面も見るくらいだ。不思議なこともあったものだな。

 人と人のつながりは理屈ではないという良い例だ。


「お前らは全く違うせいでよく衝突してるくらいだ。似たような奴の方が案外いいのかもしれないな」


「だったら、自分と隊長は一生分かり合えませんね」


「奇遇だな。私も同じことを思っていたところだ」


「そこは一致するんだな」


 苦笑しながら、二人にも労いの酒が入ったグラスを手渡す。

 酒を断る軍人などいない。チェザリスはうやうやしく、カンナバーロは大喜びでそれを受け取った。


「では、二人の勇姿に乾杯だ」


「ありがとうございます、伯。乾杯」


「いただきます!乾杯!」


そこからしばらく、今日の試合の話だったり、昔話をしたりして、三人でのささやかな祝杯に花が咲いた。


……


「おう、なんだ。こんなとこでしみじみやってんのか。三馬鹿揃って赤ら顔じゃねぇか。場末のパブじゃあるめぇしよ」


「あ……?トニー?今日はやけに来客が多いな。ここまでくると珍しいなんてもんじゃないぞ」


「じゃーん!あたしもいるぞぉ!」


 今度はトニー夫妻の登場だ。ジャックはまだわかるが、トニーがウィリアムの方を呼びつけずに自ら足を運ぶというのは非常に珍しい。


「クロエから面白い話を聞いてな。お前、敵陣の方に行ってきたんだろう?」


「あぁ、その話か。なんてことはない、井戸端会議みたいなもんだ」


「で、どうだ。寝返りは期待できそうか?あわよくばオースティンの兵隊も味方に引き入れてぇとでも思ってんだろ?その場合はお前の私兵だな。ウチからの貸し出しも不要になって一石二鳥だ」


 さすがというべきか。ズバリと聞いてくる。

 ウィリアムが、可能であればと考えていた程度の策。それを簡単に引き当てるとは、時折見せる兄の勘の鋭さには驚かされる。


「今のままでは期待できないな。もしぶん取るとしたら、オースティンの死は必須だ。その順序が入れ替わることはない」


「魔族ってのはそういう生き物だからな、仮に金や地位をちらつかせた打算でも、首を縦には振らねぇ。強さだったり、知恵の高さだったり、そういった分かりやすい指標に付き従う」


「メリットもあるさ。オースティンを倒す。それだけでいいってのは分かりやすくていい」


「それが一番厄介なハードルなんだろうが。そっちは何かいい手でもあんのか」


 トニーがどっかりと椅子に座り、勝手にワインボトルの蓋を開ける。

 当然のようにラッパ飲みだが、ウィリアムもその程度、気にはしない。


「そこは正直、後手に回るしかない。モスクワ攻めの時、奴がどういう布陣をするかを見ないとな。かなりの数の兵になるのなら、隙もほとんどないかもしれない。その場合、討ち取ることは不可能だ」


「なら、奴の兵隊は諦めるしかないな。だが、モスクワは絶対に味方にする必要がある」


「あぁ。それは見失っていないから安心してほしい」


 カトレアが勝手に部屋を物色している。酒しかないが、菓子でも探しているのだろう。この夫に、この妻あり。無遠慮なのは同じだ。


「ねぇねぇ、オースティン副長ってあたしが戦うの?」


「さぁな。実力としてはカトレアが最も現実的ではあるが、一対一の状況にはできないだろう。なぁ、トニー?」


「仮にサシでやれたって、あいつの実力は未知数だっての。どうせ正々堂々とはやってこねぇから、囲んで潰すくらいでちょうどいいんだよ」


 ウィリアムもその策に賛成だ。オースティン戦は保険に保険をかけてもまだ足りないという意識で臨んだほうがいい。

 ウィリアム自身を相手にするのと同じくらいには。


 トニーが倒したという、エイブラハム団長が直接的な性格であれば、オースティン副長はその逆。

 まさに、バレンティノ兄弟のようなものだ。


 カトレアの空間転移で一瞬にして距離を詰め、暗殺……なんてことも絵空事だろう。その程度の対策を怠る人物とは思えない。

 むしろカトレアが危険な状態になることさえ考えられる。


「ふーん!じゃあお菓子でも持ってこよーっ」


「遠足と変わりねぇってか」


 トニーの返事を待つまでもなく、カトレアは消えていた。

 まだモスクワ攻めには時間もあるので、菓子の準備には早いと思うが、彼女の場合は思い立ったら即行動である。


「放置しても、旗色が悪いと思えば即座に空間転移で逃げるだろうな。そして、奇襲自体はこちらに起こされることだってあり得る」


「その辺を奴は上手く綱渡りするってこった。俺らを利用できるだけ利用して、最後は牙をむく」


「モスクワをこちらにつかせないため、先制攻撃をこちらの隊に要請してくるかもしれないな。それは断固拒否しなければ」


「こっちの腹を探るためにな。だが、同盟の言い出しっぺはてめぇだろって突っぱねるとも」


 その程度で納得してくれればいいが。

 もしモスクワとの協力が狙いだと気づかれていれば、妨害してくるはず。それを搔い潜るのはウィリアムの頭しかないだろう。


「オースティン副長の最終目標はなんなんでしょうか?」


 至極当然の質問がチェザリスから飛んだ。


「基本的にはロシア全土の掌握だろうな。奴は大魔王直下の軍団の責任者だ。団長がいた頃からロシアへの侵攻は開始していた」


「それを大魔王に献上する、と?」


「それは知らねぇ。名義的に大魔王の物になったところで、奴はニューヨークの城にいるわけだしな。結局はロシアを取った奴が好きにできるだろうよ」


 一応は命令だったから従っている形だが、その後のプランは読めない。


「なら、トニーはどうするつもりなんだ?」


「俺はロシアを占領するつもりはねぇ。従うなら悪くも扱わねぇ。下につけばそれでいい。俺の目標はアメリカがこの世界で覇権を握ることだ」


「あぁ。それは理解している」


「具体的にって話か?そのためにはロシア、そして侵攻中のアジア。この両方くらいは傘下ってことにしねぇとな。ほんで、とっととこんなクソ田舎世界とはおさらばだ」


 ということは、欧州とはぶつかる前にことが終わる、つまり現世への帰還が叶う可能性もあるわけだ。

 いよいよウィリアムはどちらの応援をするべきか難しくなってくる。既にアジア西方国とは協力関係にあるが……トニーの下になら降伏を勧めるのも悪手ではないのではないか、と。


「田舎なのー?」


 いつの間にか帰ってきていたカトレアが訊く。


「田舎も田舎、クソ田舎だっての。ネオン煌めく繁華街が懐かしいぜ」


「ふーん?キラキラしてれば良いんなら、光でもたくさん出してあげよっか?カトレアちゃんお手製の即席摩天楼だよーん」


「要らねぇよ。加減も知らねぇ馬鹿に頼んだら目がつぶれちまう。それに、俺が惜しんでるのは光より繁華街の方だ」


 カトレアとて、見たこともない街並みを再現するのは不可能だ。

 松明や魔術くらいしかない世界で、人工的なネオンや蛍光灯の光というのも理解されない。光ですらも人工光源とは似ても似つかないものとなるだろう。


「はーい。じゃあこれ食べちゃお」


 カトレアは侮辱されたとは気づいておらず、早速、持ち込んだ果物をむさぼっている。遠足用だろうに、今食べてしまうつもりか。


「ん!?馬鹿って言わなかった!?」


「言ってねぇよ」


「そっか」


 近くにいたカンナバーロになぜかプラムのような果物を手渡している。

 驚いたカンナバーロはしかしそれを受け取り、とりあえず口に入れる。案外と美味かったらしく、カトレアに向けて微笑んだ。


「知っているだろうが、イタリア国としては人間側であるアジア側に肩入れしている状況だ。いずれトニーの部隊とぶつかるというのはあまり芳しくない」


「なら退かせろ。俺らだって殺戮は望んじゃいねぇんだ」


「それに周辺国は納得すまいよ。魔族に支配されるという字面だけ見れば恐怖でしかないからな」


「ふん」


「それ帳消しにするために中国などに人道的な支配をしていると思うのだが、その嘘みたいな事実に目をふさぎたくなるのもまた人間だ」


 そのおかげで何度も戦争が起き、負けて初めて真実を知るという構図だ。

 結局は戦いになる。


「俺らの戦力を見てもなお、勝てるつもりなのか」


「こっちにも強い人間はいるさ。ただ……やはり魔族全体として、その存在は許せないな。いっそのこと、トニーが魔族のトップであれば大手を振って味方できるのによ」


「大魔王を殺れって言ってんのか?それはアメリカが勝った後の話だ」


 アメリカが覇権をとっても現世への帰還が叶わなかったとき、という意味である。


「え?バレンティノ将軍って、大魔王を倒す気なんですか?」


「軍曹、今は我らは口を挟まないでおこう」


 二人のイタリア軍人にとって。非常に気になる発言だったのは言うまでもない。大魔王の打倒は人類全体の悲願だ。


「閣下じゃ陛下には勝てませんよーだ」


「そこはアデルに肩入れすんだな、お前は」


「肩入れも何も事実じゃん!陛下は最強だから仕方ない!泣くな、少年よ!」


 カトレアが手を出すとは思わないが、魔族は弱肉強食の世界。仮にトニーが大魔王打倒を目指したところで、周りは囃し立てるだけだ。


 人間社会であれば国家転覆罪として処刑だろうが、魔族はそれを許容する。

 頭目を倒せるものが現れたら、それは代替わりを表すだけである。だからこそのカトレアのこの反応だ。


 仮に敵対者に聞かれたとしても、それを大魔王に密告する輩は現れない。

 反逆が罪ではない上、むしろそれは挑戦する勇気を褒め称えるのに近い行為になってしまう。


「誰が少年だ、ちびっ子。ただまぁ、今はアデルよりオースティンだからな。この話は終いだ」


「へへん!負け惜しみ!」


 振り下ろされた拳骨をカトレアはひらりと躱し、舌を出した。


「俺自身も何度も考えたが、出たとこ勝負しかないという結論に至っている。悔しいが、それ以上言うことはないよ」


「そうか。寝返りの方は少しばかり期待したが、お前でも難しいなら仕方ない。邪魔したな」


 来た時と同じように、さっさと退散していくトニー。ワインボトルは気に入ったのかそのまま持ち去られてしまった。

 カトレアはついていかず、ウィリアムのベッドの上で果物に夢中になっている。

 本当に二人そろって自由な夫婦だ。


「なんだ、カトレアは戻らないのか?」


「あれ?閣下帰った?これ食べたら行きます!」


 両手にいっぱいだった果物も、もはやほとんどなくなってしまっている。その小さな体の割には言い食いっぷりだが、遠足用のおやつという話はどこへやら。


「いまだにバレンティノ将軍と対峙すると緊張してしまいます。失礼がないかと」


「え、隊長緊張してたんです?そうは見えなかったなぁ。それに良い御方じゃないですか、さすがはバレンティノ伯のお兄さんだと思いますね」


「俺に媚でも売ってるのか?しかし良い御方なんて感想が出るとは驚きだな、軍曹。兄を悪く言うつもりはないが、トニーを相手するのは普通より難しいほうだと思うぞ」


 カンナバーロは深く考えない性格なので気にならないのかもしれないが、一つの失言で烈火のごとく怒るような兄なので、チェザリスのように気を張る方が普通だ。


「媚とは酷い言い方ですね!これでも伯にはお取立ていただいて感謝しているんですよ!」


「ガットネーロ隊は伯のおかげで作られたような分隊ですからね」


「いいや、陛下のおかげだ。早くお救いせねば……」


 ウィリアムの言葉で一同にイタリア国王のことが思い出される。


「ねぇねぇ。王様探すんだよね?死んでた場合って弟くんが王様になるの?」


「そんなわけあるか。しかしそうだな……実際、陛下にはお世継ぎがいない。イタリア国内が混乱するのは避けられないだろうな」


 最悪の想定はしたくないが、もしそれが確定した場合は考えないわけにもいかない。

 だが、それを伝えに王宮へ戻ったウィリアムらは厳罰に処されてしまうだろう。


「自分はそうなったら帰国できませんよ!縛り首なんて御免です!」


「軍曹、事実をしっかりと持ち帰るのも仕事だぞ。私も気乗りはしないがな」


「十二近衛に任せるとか!」


「彼らは喋れないだろう」


「まさかその為の沈黙なんですか!?」


 そんなわけはないし、喋れないからと彼らが見逃されるはずもない。筆談であれば可能なのも分かっている。

 むしろ、ウィリアムやチェザリスらよりも十二近衛には厳しい目が向けられるはずだ。何せ、彼らは国王直轄の唯一の近衛騎士であり、片時も国王から目を離してはならなかったはずだからだ。


「俺も、身に危害が及ぶ場合はお前たちに帰国の指示は出すつもりはない。まずは右大臣宛と大司教宛に遣いを出し、書簡などで様子を見るべきだな」


 右大臣アダム、大司教アンドレア・バッティスタ・クレメンティ。

 国王不在となった場合、この二人がローマで最有力の人物となろう。さらに加えるなら研究室長のベレニーチェ・シレアと騎士団長のジョバンニ・タルティーニ中将か。


 左大臣がミラノにいるとは聞いているが、その人物の事はよくわからないので除外しているのと、間違ってもギルランダイオ候などの貴族方には派閥抗争の種となるような話題は伏せておきたい。


「それは……いえ、今は伯のご指示に従うしかないでしょう。ただ、十二近衛は伯の権限では動かせません。彼らが帰ると言えば帰すしかないでしょうね」


「その通りだが、帰すのは魔族の空間転移だ。それを俺がさせなければいい。無論、そんな意地悪をするつもりはないんだがな」


 遣いはどちらにせよ必要になるのだ。十二近衛に頼んでもいい。ただし、一度に一人か二人ずつという話にはなる。

 一気に帰してしまい、こちらとの連絡係が途絶えては困るからだ。


 こちらのとの、特に責任者として見られるであろうウィリアムとの連絡が途絶えるまでは、十二近衛も処分は保留となるはずだ。

 それは間接的に彼らの助命にもつながる。


「ま、まぁ陛下はご無事ですって!今はそれを信じましょう、隊長!」


「そうだな、私もそれを願っているとも」


 長期の間、国王が行方不明となっていよいよ見つからなかった場合も、結局は厳罰に処されることに変わりはない。

 ただし、国王の死が確定しない分、多少の猶予は与えられるか。


 悪い言い方をすれば、死んでいるくらいであれば見つからない方がマシだということだ。


「身代金の要求があるわけでもなし、魔族ってのは本当に読めない存在です」


「身代金ってなぁに?」


 チェザリスの意見に、カトレアの暢気な質問が飛んでくる。

 魔族は通貨を利用しないので、命を対価に金銭の要求するというのは全く理解できないはずだ。

 ただ、トニーの部隊は人間相手にも取引を行っているので、意外と貨幣の価値は分かっている者も多い。カトレアは例外として。


「お金は分かりますか?人質の助命や解放を願うなら、お金を払うようにと身内などに迫ることです」


「ん-と、たとえばアタシが副長に捕まったとするじゃん?それを助けたい閣下がお金を払うって事?そしたら副長がアタシを解放してくれるみたいな」


「えぇ、ご名答。人間社会では地位のある人物が捕虜となった場合の常とう手段です。というか、ほとんどそうなります」


 兵士や平民とは違い、即斬首、縛り首、とはならないのが王族や諸侯だ。特に欧州ではこの身代金文化は根強い。

 逆に中国では処刑、日本では切腹を強いられるなど、アジア諸国では地位のある人物でも関係なく殺される傾向が強い。

 金銭の実入りよりは、実力者を消すことの方に利があるという考え方の違いだろう。


「捕まってみようかなぁ。あたしにいくら払うんだろ、閣下」


「そんな真似をしたら来る助けも来なくなるぞ、カトレア……」


「え!?じゃあ弟くんが来てよぉ!」


 ただでさえカトレアに関心の薄いトニーだ。

 わざと捕まるような真似をしては、お遊びで捕まって楽しんでいるだけだと思われても仕方ない。

 それに、カトレアはトニーの陣営の中で最も実力のある人物。わざとでなくとも自分でどうにかするだろうとトニーなら考えそうだ。


「カトレアに対しては俺には何の権限もないだろう……」


「権限!?義姉でしょう!家族だよ!?助けてぇぇ!!」


「いや、その前に捕まらないでくれ。瞬間転移で逃げてくれ。飛べば誰もお前のことは追いかけられないからな」


 涙目で膝に縋りつくカトレアを押し返しながら、感情論に正論で抗議する。


「か弱い乙女なのに誰も助けてくれないよぉ……!」


「安心しろ、お前は強い」


「そんなんで安心したくないの!守られたいのぉ!!!」


 そんな願いがあって、なぜトニーなんかに惚れてしまったのか。トニーが女のために何かするというのが想像もつかない。


 しかし、この世界でカトレアを守れるという強者を探す方が難しいかもしれない。

 三魔女という高い地位に並ぶ、六魔将という地位にいるだけでも、トニーは彼女の夫にふさわしいという見方もできよう。


「わかったわかった。もしもの時は俺からもトニーに助けを出すようには進言するさ。ただ、わざと捕まるなんてのはナシだ。厄介ごとを自分から持ってきたらトニーに嫌われてしまうぞ」


「ほんとぉ?頼んだからねぇ!んじゃ、あたしは嫌われないうちにダーリンのとこに帰るのだ!待っててね、閣下ぁ!」


 そう残して、なぜか空間転移や瞬間転移ではなく、駆け足で去っていく。


「あらら、バレンティノ伯の寝台の上が果汁でびちゃびちゃですよ」


「まったく……すぐに替えのシーツの手配を頼む。これは洗濯だな。極寒の地で凍らずに乾かせるものか知らんが」


「はっ!」


 カンナバーロが指摘したが、返答をしたのはチェザリスで、足早に天幕から出て行った。

 天日干ししてはカチコチになりそうなので、乾燥は火でも起こすしかなさそうだ。


「軍曹が行く場面じゃなかったのか?」


「はい!恥ずかしながら、上官である隊長に先を越されました!」


 言葉とは裏腹に全く恥じている様子がないのはご愛敬か。


 チェザリスが近くにいた魔族にでも声をかけてくれたのか、スケルトン兵たちが替えのシーツを持ってきて取り替えてくれた。

 それが終わったころにチェザリスも戻ってくる。


「遅れました。クロエ殿とばったり会って、話し込んでしまいました」


「それはまた珍しい取り合わせだな。何かあったのか?」


「いえ、試合の感想を。自分がジャック殿に勝てたというのをお褒めいただいて」


「なるほどな。クロエも宮廷内で座学ばかりの秀才タイプに見えて、戦いへの情熱は強い。面白い魔術師だ」


 魔術師であれば汗臭い男たちの肉弾戦よりも、三魔女として権威のあるカトレアにべったりでもおかしくなさそうだが、トニーを絶世の美女であるクロエに取られると思い込んでいるカトレアがバリアを張っている。


「えぇ、自分も同意見です。ただ、クロエ殿だけではなく、ベレニーチェ室長も然り、カトレア様も然り、魔術師というのは総じて変わったことが好きな性格をしていると認識を改めた方が良いのかもしれませんね」


 言われて、これはそうだなとウィリアムも頷かざるを得ない。

 魔術師はどこか、学者のような部屋に閉じこもって研究ばかりのイメージを持ってしまうが、それは今挙げられた誰にも当てはまらないのだから。

 閉じこもりがちなベレニーチェでさえ、外に出ることや、魔族の生態を知ることは大いに好む。


「魔女や魔術師ってのはお利口ではなく、お転婆ってことですね、隊長」


「軍曹、それは言い過ぎ……いや、私も否定はできない意見か」


「ははは!チェザリスも認めるとあれば、それは誰にも否定はできんな。確かに魔術師は戦士や兵士に負けず劣らずの粒ぞろいだからな。頭でっかちだと思っていると、強烈なパンチが飛んでくるかもしれないぞ」


 あくまで例えばの話だ。実際に殴られるわけではないだろうが、それに匹敵するような言葉や態度が返ってくることは間違いない。


「魔術師たちが本格的に、先ほどのような試合に出ると言い始めなければ良いのですが」


 魔術はその威力と範囲が肉弾戦とは大違いだ。加減をしておかないと、リングも観客も吹き飛んでしまう。


「ありそうな話だな、大尉。やるならカトレア辺りに防御結界のようなものでも頼むしかないだろうよ。彼女自身が出るなんて言い始めたら本末転倒だが」


「そして、その可能性が一番高い気もしますね……」


 カンナバーロの意見に三人は頷いた。


……


 いよいよ、オースティンが約束した期日だ。

 結局、最初の三日に加えて、さらに三日経った。貢物を持ってきてあと一日だの二日だのと言っていたが、さらに若干の遅延が生じている。

 ただ、これはウィリアムもトニーも暗に了承済みで、大きな問題とはならない。


「一応、伝令が先に来ていたが、もう少しかかるか」


「ふん。一日すでに遅れてんだ。奴がすぐに戻ってくるとは期待しちゃいねぇよ」


 セクレタリアトの背に乗るトニーと、その横で腕組をして立っているウィリアム。

 彼らの後ろには三百程度のロサンゼルス兵、少しのイタリア軍人、騎士たち。


 そして対面する形で二千程度のオースティン率いる魔王正規軍の兵。

 そこにさらに一千程度の増援が来るという話を、遣いの者から聞かされていた。


 同時に、モスクワにいる女団長にはいよいよモスクワ攻めが近いことを伝えている。


 ズゥ……バリバリバリッ!!!


 空間転移の亀裂と轟音。


 次々とその中から魔族の兵士たちが姿を現す。どうやら今回はオースティンも仕事を完了できたらしい。


 魔族の大行列は転移の亀裂から続々と出てきているが、一向にそれが終わる気配はない。

 それも当然だ。空間転移は一か所のみで、そこから一体、あるいは二体が並んで出てくる形。それを一千の人数分やろうと思えば、途方もない時間がかかってしまう。


「……なんで二か所以上の転移術を使わねぇんだ、あのダボは」


「そういう演出のつもりなのかもな。強大な力と数の誇示ってやつだ」


「迷惑でしかねぇ。俺を待たせるとはいい度胸だぜ」


 さっきまですぐに戻る期待をしていないと言っていたはずだが、こうやってダラダラと時間をかけている様を見せられると、確かにトニーでなくともイラついてしまうのは頷ける。


 待たされることおよそ二十分。

 ようやく最後のオーガ兵が出てきて、その後ろからひょこひょことオースティンが姿を現す。


 右手で手刀を切りながら歩くそれは、人で混雑した場所をペコペコと会釈しながら通過する日本人のようだ。

 本心からやっているのならともかく、わざとらしいオースティンの仕草は卑屈に見えて仕方がない。


「いやー、すいませんすいません!お待たせしてしましました!」


「ふん、その通りだな。あんまり遅いからお前は死んだってことで、部隊を貰うところだったぞ」


「それはご勘弁を!頑張って増やしたんですから!」


 増やした、というのは本国で徴兵したり大魔王から下賜されたのではなく、文字通り部隊の中で魔族の個体を繁殖させているらしい。残酷なことだ。


「あぁ?かき集めたってのは新兵ばかりって言ってんのか?クソの役にも立たねぇんじゃねぇだろうな?」


 トニーの意見は戦力不足への鋭い叱責のようで、実はこちらに有利かどうかを見定める見事なものだ。新兵が多いのであれば寝返りもある程度は楽になる。


「いえいえ!新兵が多いというのは確かですが、使える兵も多いのでご安心を!」


 さて、これを本音と取っていいものか。残念ながら、集められた千の兵を見ても、戦いが始まらないことには、その熟練度まではウィリアムにもトニーにも分からない。おそらくカトレアでさえ分からないだろう。


「肉壁にでもならなきゃいいがな」


「おや?我が兵へのご心配とは、バレンティノ閣下らしくもない。何か悪いものでも食べられましたかな」


「あんまりふざけてるんじゃねぇ。せっかく集めた千人を今すぐ皆殺しにしてもいいんだぞ。お前が大好きなお仕事のやり直しだ。グダグダと待たせるのが趣味なんだろ」


「いやいや!勘弁してくださいよ!お仕事なんて大っ嫌いなんですから!自分の苦労が水の泡になるのはご容赦を!」


 トニーとてそんな意味のないことはすまい。

 現状の三百対三千という圧倒的な差を以てしても、こちらの方が強者なのだという刷り込みだ。オースティン本人というより、その兵らへの。


 彼らにとっては団長を殺した強敵、その男がどんなものかというものを知らしめているといったところか。


 厳しくトニーを睨むような目線もあれば、どこか恐れをなしているような目線もある。

 ただ、共通しているのは「自分が挑んで勝てる相手ではない」という認識だ。


 それが事実であろうがなかろうが、巨体のオーガや不死身のスケルトン兵にさえそう思い込ませるトニーの圧はかなりのものだと言える。


 魔術が使えるようになっていようが、将軍の地位にいようが、トニーはあくまでも人間だ。

 力比べをすればオーガには勝てないし、毒を盛られればスケルトン兵のようにケロッとしてはいられない。


 だがそれでも強者であり、多くの部下を抱え、十倍の戦力差があるはずのオースティン副長の部隊を、三分の一ではあるが簡単に殺せると宣言したのである。


 それを疑える存在はウィリアム以外、ここにはいなかった。オースティンも然りである。

 そしてウィリアムの疑いも「不可能だから」ではなく、「無駄だから」という理由に過ぎない。


「ふん。それで、もう進軍できるのか」


「いえ、本日は移動日です。明朝、モスクワ近郊へ転移しましょう。それで、バレンティノ兄弟にはこの後、自分の天幕へお越しいただきたく」


 力技で包囲殲滅するだけかと思ったが、首脳陣で何か作戦でも立てようというところか。

 別に断る理由もないのでウィリアムもトニーも頷く。


「では!みなさん、今日はゆっくりしてくださいね!明日には戦争をおっ始めますんでよろしくお願いします!解散!」


 ぞろぞろと、双方合わせて三千三百の兵士たちが解散する。


「お二人はこちらへ」


 二人と言われたが、トニーにはジャックやセクレタリアト、ウィリアムにはカンナバーロやチェザリスが随伴する。しかしオースティンはそれを黙認した。おそらく護衛は天幕の外で待機となるだけだ。


 カトレアはトニーのそばにいないので、オースティンの呼び出しには興味がなかったようだ。興味があれば呼ばずとも彼女は来る。


 オースティン率いる軍団の陣地にはトニーらの陣地のような天幕は張られていない。皆、一様に寒空の下で座ったり寝ているだけだ。


 しかし唯一、オースティンの寝所だけはいつの間にか立派な天幕が張られていた。見た目はモンゴルの遊牧民が使うゲルのような円柱状のもので、広さも十分ある。

 引き連れてきた全員も入ろうと思えばは入れるが、トニー、ウィリアム、オースティンの三名だけが入室した。


「どうぞ、好きな席におかけになってください」


 中は絨毯が敷かれ、円卓と四脚の椅子、ベッドだけが置いてある。暖房や火はなく寒いが、風がないだけ外よりはいくらかマシだ。


 トニーはオースティンのセリフが終わる前にどっかりと適当な椅子に着席し、ウィリアムはその後ろに立って控えた。

 このポジションに立つのも久しぶりだ。マフィア同士の会合などではこうして、ウィリアムがアンダーボスとしてトニーに同席させてもらうこともあった。


「うん?バレンティノ伯もどうぞおかけください。お二人はどちらも地位のある方なんですから、そんな補佐のような扱いはできませんよ?」


「いや、自分はここで大丈夫だ。お構いなく」


「そうですか?では自分は失礼して。よっこらせ」


 オースティンが円卓を挟んでトニーに対面する席を選び、そこに腰を下ろす。

 彼がウィリアムもトニーと同等に考えて扱ってくれるのは意外だった。


「まずは、長々とお待ちいただいたことに謝罪を。数日前に酒や奴隷などを送らせていただきましたが、今回は手持ちがないもので、これでご勘弁いただきたいっす」


 円卓に手をつき、オースティンが頭を下げる。それ自体には何の価値もないが、なるほど、確かにこれは上下関係が部下たちに勘違いされてしまうのでバレンティノ兄弟の前でしか見せられない。


「そんなもん、何の役にも立たねぇよ。実戦で示してもらおうじゃねぇか」


「と、言いますと?」


「モスクワ攻めは基本的にそっち主体でやれ。俺らは後方支援に努める。手持ちの兵隊が少ねぇ分、被害は抑えさせてもらう。そもそも、俺らはモスクワを懐柔するつもりだった。強行突破する案はてめぇのもんだ」


 少し腹案が透けて危ない気もするが、これが通れば大きい。


「さすがにそれは勘弁してください!モスクワは全周がめちゃくちゃ広いんすから、どこかの一翼くらいはバレンティノ将軍に担当してもらわないと!」


「おい、周りを完全包囲するつもりなのか?それなら三千くらいじゃ全く足りないぞ。どこかに戦力を集中して城門か城壁を一か所でも破れ」


 ペラペラな薄い包囲網では何の意味もない。


「え、将軍はあの防壁を抜けるおつもりなんですか?無理無理!あれを落とすならもっと戦力が必要です!」


「かと言って籠城させても永久に終わらねぇぞ。あの街は城壁の中が広すぎる。水や食料が干上がるのはいつになることやら」


 防壁を抜けないというのはトニーやウィリアムも同意見だ。しかしそれをやってもらわねば戦力が削がれず、オースティンを攻撃できない。

 囲んでいるだけではモスクワ側も手出ししないだろう。


「いやしかし……全方位からずっと緩い攻撃ではダメですかね?」


「意味は薄いな。落とすつもりなら攻めるもんだとばかり思ってたんだが?年単位で時間を使うつもりか?」


「はい。自分はそのつもりでしたが、お二人は違うんです?十年くらいならここにいてもいいかなぁと」


 なんということだ。長命な魔族ならではの考え方か。


「十年もこんな寒いだけの国にいてたまるか。とにかく、精鋭を選んでどこか一か所か二か所、押し込んで突破してしまえ」


「だーかーらー!それができれば悩まないんですって!手持ちの部隊が損耗したら包囲すらできなくなるんすよ!」


 では包囲の間にどんどん突撃要員の新兵を生ませてしまえと言いたくもなるが、それだとさらにオースティンまでの距離が開く。

 慎重派のウィリアムですら、もうこの場でオースティンを殺してしまおうかとすら思ってしまうほどだ。


「ウィリアム、何かねぇか?」


 いよいよこちらにお鉢が回ってきたか、とウィリアムは思考する。


「街は欲しい。だが兵は減らしたくない。時間も惜しい。そんなのは、普通は攻略を諦めるところじゃないか?ロシア中にまだ残っているだろう、中規模の都市を攻略する方がまだ楽だし実入りもある」


「それは元も子もない!将軍も伯も、あの街は欲しいんじゃないんですか!?」


「そりゃあな。だからこそのウチの策が、皇帝に取り入るものだったんだぞ。それをご破算にする誘いなんだから、少しは気合い入れて攻めてくれよ。ぶつかる前から諦められても、一点突破に必要な戦力すら試算できない」


「ふむぅ……では逆に聞きますが、ロシア皇帝とは繋がれそうだったんです?その場合、生かすつもりでしょう。あんな強固な城を持ったままでは常に反乱を恐れることになりませんか?」


 これもまた、魔族的な力での支配を前提とした考え方だ。


「まだ確実に引き込めるという見通しは立っていないな。だが、味方になってしまえば反乱を恐れることはない。奴らにもメリットのある付き合い方をしていくつもりだ」


「将軍がやられているアジア方面の統治もそうですが、それでは手に入れたとは言えないと思いますがねぇ」


 人のいない荒れ地を手に入れて何になるというのかと反論したいが、価値観の違う、魔族であるオースティンと論じても意味は薄い。


「つまり、こっちのロシア統治と、お前のロシア征服は根本から目指す場所が違うってことだ」


「それならそれで、なぜ自分の話に乗ってきたんっすかね?大好きな人間ども死んじゃいますよ?」


「殺すときは殺している。我々だって、救いたいなんて思いではないのさ。従うなら助けてやる、逆らうなら滅ぼす、くらいの心持ちだな」


 もちろんこれはウィリアムの気持ちなどではなく、トニーが行ってきた侵攻の話を代弁しているだけだ。


 ただ、ウィリアムの立場や身の上での話はここでは控えておいた方がよさそうだ。兄弟で意見が食い違っていると思われても困る。そんな隙をこの魔族が突いてこないはずがない。


 もしこちらへの敵意を隠し持っているのであれば、確実に分断を狙ってくるだろう。そんなものに引っかかるつもりなどないし、引っかかるほど兄弟の絆は脆くないと信じているが。


「簡単な話だ。勝算があるんだろうと踏んで乗るつもりだった。するとどうだ。数年間も城を囲む?なんてザマだ。お粗末にもほどがある。カトレアにでも立案させた方がよっぽどマシな作戦を持ってくるんじゃないのか?」


「ひどい言われよう!なら一緒に考えてくださいよ!」


「兄貴、どうする?」


 トニーが回答の前に煙草に火を点け、大きく煙を吐き出す。


「……手段はどうあれ、モスクワを落とせるんなら知恵貸してやれ」


「それは約束できないがな。力は尽くすとも」


 ここのトニーの真意はいまいち掴めなかった。


 というのも、実際に手を貸してモスクワを武力で侵略できてしまった場合は何とするのか。

 そうは言っていても結局はオースティンも邪魔だ。手を貸すふりをして背後を突く方向で行くのか。

 だが、ウィリアムは己の勘を信じて後者を選択する。


「トニー。大砲での砲撃は?」


「使わせてやる」


「分かった。では我々は後方から副長の部隊の突撃を支援する。城壁のいくつかの箇所に砲弾を叩きこむから、好きな場所を突破したらいい」


 そして、破られそうな場所に対して、味方であるはずの魔族の兵を誤射で砲撃する、といったところか。あくまでも誤射、だ。


「支援だけですかぁ?」


「支援射撃だけだ。こっちに損害を出す気はない。砲弾だってタダじゃないんだぞ。感謝してほしいくらいだが」


 なにやら匂う。こっちの戦力も削いでおきたいという発言に取れる。


 モスクワにも砲弾の件は伝えておかなければ。城兵を壁際から少し下げてもらう必要がある。


「まぁそうですね。感謝します。くれぐれも城壁だけを狙ってくださいね?」


 流石に鋭い。だが、ここはウィリアムの腕の見せ所だ。


「お前……信用しきれないにしても、こちらがそんなふざけたことをするとでも?心外だな。そこまで言うならわざと叩き込んでやろうか。遺憾の意を砲弾に込めて」


「冗談ですって!目が怖いですよ、バレンティノ伯!」


「心配するな。当てるような指示は出さないさ。お前が変な動きをしない限りはな」


 部隊を突撃させるとは言え、オースティン本人は後方に控えるだろう。

 そっちがトニーやウィリアムの部隊にちょっかいをかけることのないよう、釘を刺しておく。


「なんだ、犬っころ。てめぇはモスクワよりも先に俺らとやり合いたいってか?」


「バレンティノ将軍まで!?そんなこと言ってないでしょ!ちゃーんと仕事はやりますから、そっちも遊んだりしないでくださいね!」


 一応の言質は取れた。渋々ではあるが、これでオースティンの兵はいくらか攻城に割かれ、その数を減らすことができる。


「それで、話ってのはこれだけかな?」


「はい、だいたいはそんなとこっすね。ところでお二人は、いつ自分の首を狙いに来るおつもりで?」


 ゾッとする冗談だ、とウィリアムは肩をすくめ、トニーは鼻を鳴らす。


「そうだな……ロシア全土が魔族の手に落ちて、いよいよ俺かてめぇか、どっちがこの国を統治するんだって揉め始めるくらいのタイミングじゃねぇか」


「なるほどなるほど。否定はなさらないんですね!ははっ、気持ちの良い御方だ。しかしそれは自分も同じっすからね!お互い文句は言いっこなしで!」


 しかし、こうも身構えているのなら誤射も相当うまくやらないと見透かされて先制攻撃をされてしまいそうだ。

 不測の事態に備えて、オースティンがいる隊列の方にも砲を何門か向けておいた方がいいかもしれない。


「ただ、モスクワ攻城戦ではまだご法度だ。裏切りは無しで行こうじゃねぇか。なぁ、ウィリアム?」


「もちろんだ」


 だがこれは逆だ。トニーの目を見れば付き合いの長いウィリアムには感じ取れる。「やるな」ではなく「やれ」だと。

 オースティンもトニーの目線や表情、声色の微妙な違和感までは読み取れまい。


 これがまだウィリアムにも理解できなかった頃。

「撃つな」と言われていたはずの敵対マフィアとの会合で、本当に相手のボスを撃たなかったウィリアムはトニーから呼び出されて殴られたこともある。

「こんなチャンスに撃たないやつがあるか」と。理不尽以外の何物でもないが、確かに指示をしたトニーの目は敵を殺してやりたいという意志を持っていた。


 それがきっかけというほどではないが、ウィリアムはトニーの意思をできるだけ汲むように努めている。

 ただ、そう考えるようになってからは、兄ほどわかりやすく、言葉とは裏腹の指示を伝えてくれる相手はいないとも思っている。


「攻撃の場合、お前が言うように少しずつ擦り減っていくわけだが、後詰は持ってくるように手配できるのか?」


「それとも現存の部隊だけでやるかは気になるな」


 トニーとウィリアムからオースティンへの質問。

 これは暗に、これ以上の兵隊を増やせる余裕があるのかを聞いている。

 増えなければ、目に見えている兵だけがオースティンの戦力だ。


 オースティンは少し考え、頷いた。


「月単位……いや、二か月単位くらいであれば新兵を引っ張って来て、数の増強は可能ですね」


 つまり、二か月間はここにいる兵がオースティンの手駒の全てとなる。

 対立した後、あまりに長引けばどんどん敵が増えてしまう。

 そもそも攻撃に転じる場合はものの数時間で決着をつけるつもりではいるので、大きな問題とはならない。


 第一、旗色が悪いと見るやオースティンは即座に撤退するだろう。

 いかに危機感が薄いまま肉薄し、首を落とすかが焦点となる。


 取り逃すことも考慮してはいるが、出来ればここで仕留めておきたい。

 この点は大雑把なトニーよりも慎重派のウィリアムの方が強く望んでいるところだ。


 トニーはオースティンを逃がしたら逃がしたで何とかなると思っているのだろうが、ウィリアムはネチネチと報復が繰り返される事を恐れている。

 余計な手間が増え、仕事がやりづらくなるばかりだ。


「それでもなげぇな。増強は考えず、手持ちの部隊で突破するように努めろ」


「はは……将軍は無理を仰る」


「包囲して何年なんてふざけた期間もかける気はねぇし、攻撃する場合でも一か月二か月は十分長すぎるって言ってんだよ。何とかしやがれ」


「安心してほしい、我々の援護射撃はなかなかのものだ。きっと一か所くらいなら突破できるとも」


 ウィリアムが付け加えるとオースティンはゆっくり頷いて了承した。

 援護射撃自体はもちろんサボるつもりはない。きちんと城壁や城門に当ててやろう。

 モスクワ側から後になって「やりすぎた」と抗議が来るかもしれないが、退避勧告をしておいて人員の損害を出さないだけでも、ある程度の譲歩はしていると理解してほしいところだ。


「それでは、明朝はよろしくおねがいするっすね」


「おう、またな」


「副長のご武運を祈る」


 三人が軽く挨拶をし、密談はお開きとなった。


……


 自陣までは待機していた護衛たちを引き連れて戻り、そこでトニー、ジャック、セクレタリアトの三名と別れる。

 ウィリアム、チェザリス、カンナバーロの三人でウィリアムの寝所へ戻った。


「伯、内訳は聞いても大丈夫でしょうか?」


 帰りはほとんど終始無言だったので、ここで初めてチェザリスが会合内容について質問してきた。

 もちろん、彼らに対して秘密にしておく理由は一つもないので、普通にありのままを返す。


「俺たちは後方からの援護射撃のみに徹することになった。突撃はオースティンの兵だけだな」


 チェザリスよりも先にカンナバーロが大喜びする。


「ひゃっほう!危険な場所に行かずに済みますね!って、隊長。怖い顔しないでくださいよぉ。事実じゃないですか」


「また貴様は楽することばかり考えて……」


「モスクワの連中と直接刃を交えないだけで、いつ何時もオースティンの方とはぶつかる覚悟が必要だからな。援護射撃後、城壁や城門が破れたら、誤射を偽って奴らにも砲弾をぶち込む」


 それが本当の開戦の合図だ。

 あくまでその予定であるというだけなので、その通りに行かず、たとえばオースティンの方からこちらの不穏な動きを察知して、先制攻撃をしてくることも考えられる。


「不意打ちですか……正直、気乗りはしませんが、伯がそうご判断なさったのなら従います。正面切って開戦するより、効果的であるのは分かりきっていますしね」


「そのまま、オースティン副長さんが吹き飛んでくれれば戦わずに済みますね!」


「それは楽観的過ぎるだろう、軍曹」


「初弾はあくまで、壊れた城壁に殺到する部隊に向けてだぞ。オースティンに向けて撃つわけじゃない」


 カンナバーロが首を傾げる。


「え、なぜそんな回りくどい真似をするんです?」


「最初から殺意満々の本陣攻撃か?失敗した場合に言い訳が利かんだろう。城壁周辺であれば、外れても当たっても違和感は少ない」


 大砲による砲撃は、思いのほか命中精度が低い。初弾で向きを調整して次弾で当てるのがセオリーだ。

 その為、当てる場合は直前で近くに砲撃をしても違和感のない場所を狙いたい。


「それはそうかもですが、どちらにせよそれで向こうさんから抗議が来て、ぶつかるんですよね?」


「そうなるな。あくまでも誤射であり、こちらが謝罪しても腹を立てて襲ってきたのはあちらだという形が望ましい。こっちに大義がある状態の方が、皆も奮戦できるだろう」


 兵の士気は案外単純なもので、こちらに落ち度があると知れていると思いのほか力が出なかったりする。

 そのため、相手が悪いのだという精神状態を共通して持たせてやりたい。


「それは自分も同意見です。あくまでも誤射であるという姿勢を貫き、狙ってやったものだという話はここだけに留めておくべきです。軍曹、貴様もどこかに口外するなよ」


「分かってますって!仮に自分がそんな話しても、誰一人信じちゃくれないですからご安心を!」


 のらりくらりとしすぎていて、自身の発言に信憑性がないのは自覚していたか。

 それを正す方に動かないのもカンナバーロらしい。適当な自分でいられる方が居心地が良いのだろう。


「全く安心できないし、その状態を誇らしげに思うなという話だ」


「適当に話してても責任追及されないんで、身軽なのは気に入ってるんですけどねぇ」


 やはりチェザリスには突っ込まれたが、それを気にするカンナバーロではない。


「俺はカンナバーロがどんな態度を取ろうが、この話だけは他所でしないと約束してくれればそれで構わないぞ」


「それはもちろんです、伯!だから隊長もご安心を!」


 ウィリアムが口をはさむことで、これ以上の問答は終わりにさせた。


「明日はオースティン副長の部隊の転移まで考えるとおそらく早い。そろそろ休むとしよう」


 トニーがそれを気にして早起きするとは思えないので、ウィリアムが先に起きておいた方が無難だ。

 下手をしたらこちらの陣営の集合を待たずに、オースティンが移動を始めてしまう可能性もある。可能であれば街をどういう配置で囲むかくらいは、転移直前に、あちらの兵もいる状態で話しておきたい。

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