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♭19

「それでは、バレンティノ閣下。オースティン副長のもとへ行って参ります」


 まずはオースティンが残していた部下にトニーが会いに行くことを報告をさせ、相手方の都合や場所などを聞かせる。いくつか候補を出すように指示した。

 それが戻り次第、その中からこちらが選んだ日程を、トニーの配下と、オースティンの部下の両方に持って行かせる。


 オースティンの部下だけにやらせても勿論構わないのだが、騙し討ちなどの警戒もあるので、あちらの様子や会合場所をこちらの部下に下調べさせるのが目的だ。


 それが終わってようやくトニー本人が移動する。その時のガイドとしても、先に飛ばすこちらの部下は役に立つ。


 ズゥン……


 今しがた空間転移で消えていったのはオースティンの部下なので、数時間から一日程度は行動までかかるだろう。


 室内にはトニーだけが残される。

 こちらの砦は要塞としてしか使えない状態であり、とても寛げたものではない。


 ウィリアムやカトレアなどは、修復中ではあるが、もう一つの砦の方に移動させた。

 あちらは外壁が壊れて現状では見栄えこそ悪いが、内側には調度品も揃っているのでここに留まらせるよりはマシだろうという判断だ。

 そしてトニーの気分的に、騒がしいよりは一人の方がいいと思ったのも理由ではある。


 もともとウィリアムにあげるために作ったものなので、今の内から慣れてもらうのも良いだろう。


「ジャック」


「はっ、ここに」


 扉の外からの返答。

 護衛のジャックはセクレタリアトが仲間になって以来、主人を離れて別の仕事をしていることも少なくない。トニー自身、彼に何を頼んだか忘れていることもあるが、今日はそばにいるようだ。


「パリのクロエや、小隊長のおっさんはロシア兵団の嬢ちゃんらと一緒にモスクワに残っているのか?」


「はっ、ウィリアム様が仰るにはそのはずです」


 扉越しに回答が返ってくる。


「なら呼び寄せてウィリアムと同じ場所に置いておけ。犬っころと揉めた場合に使える」


「はっ!」


 ロシア兵団の女団長と爺やたちはモスクワ城門前の我慢比べから動かすわけにはいかない。オースティンと結ぶ場合はその場で敵対してしまう。

 しかしそれ以外は、雑兵を除く少数での最大戦力で敵地へと飛び込むべきだ。クロエと小隊長の二人は強い。


 ウィリアムが彼女らをおいてきたのは、イタリア国王との繋がりがないからだろう。反対に護衛のような二人と大勢の騎士たちは、大いに関わるのでウィリアムについてきたわけだ。


 しかしクロエたち二人も、トニーの要請にならば確実に応じる。

 無理を言ってアメリカやロシアと、様々な国に連れて来てもらっているという恩を持っているからだ。


 イタリア国王の救出という大立ち回りに関われば、フランスがイタリアに大きな貸しを作ることになるのも気に入ってくれるはず。

 もしかしたらウィリアムはそれをも気にしていたのかもしれないが、背に腹は代えられまい。


 扉越しに、早速ジャックが転移していくのが聞こえる。


 トニーとしても、ウィリアムの祈願が成就してイタリア国王が戻ってくれば、完全に味方として弟が抱えられるのではないかと思っている。

 国王に借りた恩とやらを返したと言っても過言ではない働きとなるからだ。


 ただ、結局はマルコと共に別働隊としてFBIを調べることにはなりそうだが。


 入れ違いに、ノックが鳴る。今度はセクレタリアトだろう。他に、城内で直接トニーに会いに来るような人物はいない。


「……入れ」


 人馬一体の甲冑姿。ケンタウロスのセクレタリアトが腰を曲げながら入ってくる。


「失礼します、閣下。給仕より、お食事と酒の準備があると。いかがなさいますか」


「そうだな、貰おう。すぐに行く」


「おや、お運びしても構いませんが。珍しいこともあったものだ」


 セクレタリアトの言う通り、トニーは自室ですべて完結することが多い。わざわざ階下に降りて食堂を利用したのは数えるほどだ。

 そしてジャックと違い、セクレタリアトはいちいち思ったことを口にする。


「うるせぇぞ。気分転換するときもあるだろうが」


「はは、そうですな。では閣下がへそを曲げて要らぬなどと仰せになる前に参りましょう。ご案内します」


 またもや余計な一言を付け加えながらセクレタリアトが背を向けた。


 食堂は小城型の砦の一階部分、最も広い部屋が使われている。他には兵舎や武器庫といったある程度の面積が必要な施設も一階にある。


「あっ……閣下」


「閣下、ご苦労様です」


 数体のリザードマン兵が食事をとっていたが、入室したのが誰か気づくなり、サッと起立してトニーに向けて一礼した。

 料理自体はトニーの命令で全て人間向けのものではあるが、ゲテモノ好きなはずの魔族の兵にも概ね好評である。


「おう、気にせず食事を続けろ」


「閣下、こちらの席へどうぞ」


 セクレタリアトが最奥部、上座に当たる席の椅子を引き、トニーにそれを勧めた。

 兵らと同じく、トニーの出現に驚いた給仕が飛んでくる。こちらは人間の男の奴隷だ。顔くらいは知っているが、どこの国から攫ってきたかまでは覚えていない。


「閣下、い、いかがなさいましたか?お申し付けくだされば、お部屋までお運びしましたのに」


 引きつった笑顔で給仕が尋ねる。上の機嫌一つで首が飛ぶのは誰でも嫌なものだ。


「毒でも入れてないか見に来ただけだ」


「そんな!滅相もございません!」


 あからさまなゴマすりにちょっとした悪戯心でそう返すが、会話を聞いている兵たちがピリッとしたのは言うまでもない。

 勿論、給仕にそんな疑いは一切ないが、トニーの言葉の方が重い。それだけだ。


「冗談だ。真に受けるな。お前はよく働いてくれている。料理と酒を持ってこい」


「は、ははっ!!」


 飛んできたときと同じ速度の駆け足で厨房に戻る給仕の男。料理の前に素早くワインが提供され、その後一分と経たずに魚料理とパンが運ばれてきた。


「閣下、私もご一緒しても?後ろでただ立っていては手持無沙汰です」


「腹が減っているなら好きにしろ。減ってないなら仕事に戻れ」


「では失礼して」


 セクレタリアトは椅子を使わず、四本脚を器用に畳んでトニーの近くに着座した。

 それを見た給仕が彼の分も料理を運んで来る。


「魚か。ちぃと味が淡白だな」


「そうですか?これでも濃い味付けだと思いますが」


 どちらかと言えばトニーは肉の方が好みだが、ムニエルのような魚料理は薄味ながらもなかなか美味だった。

 濃い味に、というよりも味付け自体にあまり馴染みのない魔族にはそう感じないらしいが。


 まずはワインと一緒に、次はバゲットに挟んで二回楽しむ。

 セクレタリアトはさすがに酒は飲まず、食事だけだ。


 ワインを追加し、食事の間にボトルを二本空けてしまった。

 酒酔いで良い気分になってきたので女でも呼びつけたいところだが、残念ながらこの砦にはその準備がない。

 ロサンゼルスへ戻るか、モスクワ以外のロシア国内の都市で娼館に向かうかだ。


「閣下、だいぶお強いようで」


「……そうかもな」


 現実での話し相手といえば、目の前にいる甲冑姿の人馬の化け物。

 酒がまずくなるとまでは言わないが、急激に酔いも醒めるほどにつまらない状況だ。

 美人のことを考えている時に、目の前に中年の親父や老婆の顔があったら興醒めだろう。それと似ている。


 紙巻きタバコをくわえ、指先からの魔術で火を灯す。

 せめてもの抵抗として、紫煙でセクレタリアトの顔を見えづらくした。


……


「またまた大所帯で、どうにも話し合いに赴こうという集団には見えませんな、閣下」


「そりゃ俺も同感だ。だがその前に、話し合いのつもりが喧嘩になるなんてのが往々にしてあり得るってのはガキだって知ってる」


「残念ながら、私はそういった幼年期を過ごしたわけではありませんので……おっと」


 セクレタリアトのそれ以上の茶々を、無言のジャックの視線がやめさせる。

 ジャック本人にそんな意志があったわけではないだろうが、先任の無言の圧というものはどこにだって存在するものだ。


 トニーがいた小城型の砦へと再招集されたウィリアム一行。

 そこに新たにクロエたちも迎え、合計で二十人弱の集団と化した。


「てめぇらにも改めて言っておくが、犬っころ……オースティンって魔族とは、一応は話し合うつもりだ。奴につくかどうかは先立って話した通り、奴がイタリア国王のガラを抑えているかどうかだったな。俺にとってはそれは二の次だが」


 ではトニーにとって、オースティンにつく条件とは何か。

 簡単だ。彼に与する方がモスクワを取りやすいか。これだけである。

 とにかく、形はどうあれロシアをアメリカのものとする必要がある。


 ただし、イタリア国王があちらにいた場合はウィリアムを含むイタリア組が離脱するか否かにも大いに関わるので、それは避ける判断をしたい。


 ウィリアムによれば、イタリア国王も話の進め方次第で国ごと下につく可能性があるそうではないか。

 これを逃す手はない。


 オースティンと組み、さらにウィリアム達も手放さないという結果になるためには、オースティンがイタリア国王に関わりがないこと、あるいは関わりがあってもそれを返すこと、となる。

 味方につかないと命を奪う、といった条件提示をされた場合でも渋々従うだろうが、好ましくはない。


 クロエたちはよその国とはいえ、人間と争うことをどう思うかは不明。

 女団長率いるロシア兵団の面々は確実に敵対する。


 では次に、オースティンと組まずに敵対となった場合。

 今の味方はそっくりそのまま残る。

 そして敵も変わらない。


 モスクワには現状のまま女団長を矢面に立てて懐柔策を取る。一応の親玉であるオースティンを倒し、完全にロシア国内を魔族の手から解放できれば、ロシア皇帝の意地も解れるのではないか。

 あくまでも希望的観測ではある。


 どちらがアメリカ様の天下取りに近づくのが早いか。トニーにとっては本当にそれだけだ。

 それを複雑化しているのはイタリア国王絡みのウィリアムの存在だが、別にそれを恨んではいない。


 ウィリアムはたった一人の実弟なのだ。言わば子分よりももっと親密な家族だ。

 兄に多少の迷惑くらいかけなくてどうする。可愛らしい限りではないか、くらいにしか思っていない。


 無論、度が過ぎればうっとおしくなってしまうのは確かだが、基本的にはそういったスタンスだ。


「トニー、少しいいか。出来れば二人で話したいんだが」


「あぁ?何だ、ここで言え」


「いや、それは厳しい。聞いてもらえないならそれでも構わないが、出来れば耳に入れておきたくてな。俺の案を」


 ウィリアムが堂々と内密な話があるというのも珍しい。

 駐留している砦が別の場所なので、中々二人きりになるチャンスがなかったのだろうが、それほど聞かせたいなら気になる。


「チッ。お前ら少し待ってろ。ウィリアム、俺の部屋に来い」


「あぁ、ありがとう」


 皆が集まっていたのは広い階下だが、狭い階段を兄弟だけで上がる。

 トニーの私室に入り、密談の場は整った。


「何だ、案ってのは……っと、待て。何かいるな。おい、ガキ!てめぇだろ!」


 トニーが窓際まで進んで振り返り、ウィリアムが後ろ手で扉を閉めた形だが、扉が視界に入っていたトニーは小さな影が扉から覗いているのを見逃さなかった。


「ば……ばれた!!」


「カトレアか?彼女くらいは聞かせてもいいぞ」


「チッ……だそうだ。命拾いしたな。さっさと入れ」


「やった!」


 兄弟水いらずとはならなかったが、カトレアが入ってきてトニーのズボンの裾を掴んだところでようやくウィリアムの話が始まる。


「仮に、陛下がオースティンのもとにいなかった場合でも、彼らと組んではどうだろう」


「ほう?どういうことだ?」


 絶対にそのままの意味ではないことくらい分かる。


「そうだな……モスクワにお灸をすえるという意味だと分かりやすいか。オースティン達にはこっちが味方だという状態で城攻めを。我々もその場には布陣するが、ロシア兵とオースティンの軍団、この二つの衝突が始まったら寝返ってオースティン側を討つのさ」


「く……はは!面白れぇことを思いつきやがる!」


「当然、女団長くらいにはこの話は通しておくといいだろう。ただし、モスクワ側には知らせない。彼らには、俺たちが街の窮地を救う活劇をリアルタイムで見てもらわなきゃならないからな」


 要は騙し討ちだ。それも、オースティンとクレムリンの両方を騙す大芝居を打たなければならない。

 成功報酬はオースティンの首と、モスクワの懐柔。その両方である。


「えー?えー?何が面白いのー?」


 約一名。盗み聞きをしに来たのに、話を理解できていない幼女がいるようだが。


「陛下の御身が捕らわれていた場合は、奪還できる隙が生じるまではあちらに協力することになる。取り返せ次第、あとは同じだな」


「仮にイタリア国王が捕まってて、モスクワを落とすまで取り返せなかった場合はどうするんだよ」


「うーむ……それはロシア側には申し訳ないが、後から国王を取り返すしかないだろうな」


 その場合はモスクワを落とし、ロシア全土をアメリカのものとするまでは「本当に」オースティンと同盟関係を結ぶことになる。


「ねぇねぇ、何が面白いのー!?」


「お前はそっち側の国についてるんだ。人間全体のことを考えるではなく、恩人一人の命かよ。残酷な奴だぜ」


「いいや。むしろ人間の国全体を考えると、あの御方には生きてもらわないと困る。国を超えて世界の架け橋となろう御方だ」


 魔族と対抗するために、何らかの形で人間全体を結束させるつもりらしい。

 そうなるとトニー側は苦戦するわけだが、それもまた一興か。


 むしろ人間側に加担してしまうか?

 いや、連合軍となれば星守とやらが出現する条件である、一国を富強するという話からは外れる。


 最善策はやはりウィリアムも味方にすること。

 今回は、彼の発案通りにオースティンを騙し討ちにしてしまうのが良い。その方向に上手く転べば面白いのだが。


 少しの時間があったことで、ウィリアムもしっかりと考えが固まったようだ。

 オースティンとの同盟をどうすべきか考えこんでいた時とはまるで違う。こうなった弟は強い。


「ねぇってば!何が面白いのー!!!」


 いよいよ堪忍袋の緒が切れたカトレアが、高くジャンプしてトニーの首にしがみついてきた。

 かまってちゃん絶頂期だ。


「おい、分かんねぇなら大人しくしてろ!お前は敵をぶっとばせりゃそれでいいんだろうが!」


「えぇ!?誰を倒すの!?」


「そこすら分かってねぇのかよ!オースティンだ!だが、すぐじゃねぇから少し待っとけ!」


 カトレアは振り落とそうとしてくるトニーの手を器用に躱して、強制的に肩車をされている状態になった。

 物理的にどう説明していいのかわからないが、身体の動きに瞬間転移を連続で織り交ぜてすべての攻撃を避けたのだろう。


「へへーん!」


「チッ……!乗っててもいいが、そのまま大人しくしとけよ!」


 ウィリアムはというと、そんな攻防には目もくれずに何かを考えこんでいるようだ。

 また時が経てば、何か面白い考えを話してくれるかもしれないと期待しておく。


……


「一応、てめぇらにも報告だ。今からオースティンって敵の親玉と話しに行くわけだが……ウィリアム、いいか」


「あぁ、では俺から」


 トニーの私室から階下の集合場所に戻り、改めてウィリアムの口から今回の話を説明させる。

 トニーが承認した時点で、ここにいる人間には開示してもいい条件がそろった。二人の密談で守秘する必要はない。


「オースティンとは結ぶ。これは確定事項だ。俺たちイタリア王国関係者が気にしている、国王陛下の存在の有無に関わらずだ。無論、陛下のご無事が確認できるのが最も望ましいが、そうでなかった場合も、奴らとは結んでモスクワを攻める」


 どよめきが起こる。トニーはともかく、完全に魔族へ加担する形になる事に抵抗があって当然だ。


「バレンティノ将軍!それは、ロシアの民や兵を殺せと言っているように聞こえるが、確かですか!」


「ただし、あくまでも街を攻めるのは奴らの部隊だけ。俺たちは着陣はしても、実際に手出しするつもりはない」


 その疑念を代表して問うたクロエに、トニーではなくウィリアムが淡々と返す。

 トニーの言葉の途中であったら、最後まで聞けと一喝されていたかもしれない。


「多少、荒療治にはなってしまうが、オースティンらにモスクワを攻めさせている間は静観だ。時が来たらそれに乗じると見せかけて、奴らの背後を討つ」


「なるほど、それで魔族に襲われる恐怖を今一度クレムリンに思い出させ、恩を売るというわけですな」


 ウィリアムの部下、チェザリス大尉といったか。彼が感心したようにそう言葉を漏らした。


「しかし、あくまでも作戦だとしても、実際に死人や怪我人は出るだろう?それを誘発し、見ているだけというのは……」


 なおもクロエはロシア人の被害を良しとしない様子。隣にいる小隊長はあまり興味がないようで、腕組をした状態で近くにいるセクレタリアトの鎧を見ている。


「それは同感ではある。ただ、犠牲のない状態での入城許可がロシア皇帝から下りない以上、この策に賭けたいんだ」


「クロエ、モスクワに残してきてる兵団の頭目の女とジジイは首を縦に振ったぞ。身内が良いって言ってんだから外様の出る幕じゃねぇ」


 トニーの言う通り、既に女団長には連絡済みだ。彼女らも同法が傷つくことに良い顔はしなかったが、埒が明かない状況を鑑みてしぶしぶ了承したらしい。


「なんだと……!まさか、そんなことが」


「降りるか?降りるならここにしばらく缶詰めだ」


「それも気になって仕方ないだろう。同行する」


 缶詰めとは言ったが、強制的にパリに戻されることも考慮しなければならない。彼女らはまだまだトニーらと行動を共にしたいことは承知しているので、かなり意地悪な提案だ。


「あぁ。ぼーっと見てる間は不満があるだろうが、オースティンに食らわす時にでも暴れてやれ」


「別に私は狂戦士では……」


「はははっ!それは俺向けの言葉だろうぜ!」


 小隊長が笑い、久しぶりに声を聴いたなとトニーは思う。彼もしばらく暴れていないので、鬱憤は溜まっているだろう。


「他に何か意見があるやつは?なければ出発だ」


 再びウィリアムに会話の主導権が戻る。誰も何も言わないので了承の意だ。


「ではカトレア、それとジャックにセクレタリアト。転移を頼めるか」


 この場にいるのはほとんどが人間なので、ウィリアムが呼んだ三人が空間転移時の頼りだ。

 彼らも含めると大所帯ではある。しかしあくまでも現段階では交渉に赴くだけであり、他の魔族の兵士は連れてはいかない。


「はーい、んじゃいくよぉ。普通の空間転移がいいんだよね」


 彼女の手にかかれば瞬間転移でも移動は可能。

 ただ、指名を受けたほかの二人、ジャックとセクレタリアトの空間転移に歩調を合わるため、通常の空間転移を発動した。


 ズゥ……バリバリバリッ!


 何もない中空に、三つの亀裂が生まれる。


「完成!どれに入っても同じ場所に着くのでご安心をー!」


 トニーが最初に左端、ジャックが作り出した亀裂に入った。

 選んだ理由は一番近くにあったからだが、それに入る直前、カトレアのムッとした顔が見えた。


……


 エカテリンブルグ近郊。

 モスクワ近郊や、その衛星都市の周りと同じく一面の雪景色。

転移がうまくいったのかさえも怪しいものだが、カトレアに訊いたところ「合ってる」とのことだった。


 どこへ行くべきか分からず、一団は空間転移から出たその場で立ち尽くしていた。

 エカテリンブルグの位置が分からないという意味ではない。オースティンがどこで話すつもりなのかが分からない。


「動かないのか、トニー」


「呼んだのはあっちだ。迎えを寄越すのが筋だろうが」


 なんとも横柄な考えではあるが、確かに街まで行って、オースティンがいなければ無駄足だ。


「あ、飛竜が来たよ。あれがお迎えじゃない?」


 カトレアが空を指さす。人間の目では遠すぎて全く見えないが、飛竜が寄ってきているらしい。


 それから、飛竜がトニー達のもとに到着したのは凡そ二十五分後。

 トニーがイライラしながら何度も、腕時計を持つウィリアムに時間を訊いていたので間違いはない。

 それは、以前の世界では何度もあった懐かしい光景だ。


 二十五分も待たされたことより驚くべきなのは、そんなに遠くにいる時点から飛竜やカトレアにはお互いが見えていた事である。

 それほどまでに離れていては、もはや点にしか見えなかったはずだ。


「クァウ!」


 飛来した飛竜は一頭。乗ってくださいと言っているものだと思われる。


 まさかこちらが大所帯だとは思わず、オースティンが一人分の手配だけをした形だ。

 だからといってトニーやカトレアだけを騎乗させて、他は全員徒歩というわけにもいくまい。


「明らかに迎えが足りないが……これを先方のせいというのは少々傲慢だな」


「知らせてなかった俺が悪いってか。まぁ、その通りだ。おい、飛竜。もっと増援を呼べねぇのか。ここにいる全員を運べるくらいの数だ」


 ウィリアムの小言も正論なので反論はしない。ただし、飛竜に無茶ぶりは言う。


「クァウ!」


「あぁ?どっちだよ?誰かこれと話せる奴はいねぇのか」


「俺のもとにいる飛竜は多少の意思疎通はできるが、コイツは無理だな」


 ウィリアムが飛竜を飼っていることも、意思疎通できることも非常に気になる情報だが、今は役に立ちそうもない。


「ガキ。お前飛べるよな。全員飛竜に追従させて飛べ」


「それは無理ーー!魔術だって、何でもありじゃないんだぞぅ!」


 トニーが「ふん」と鼻を鳴らす。

 カトレアがあまりにも規格外のことをやってのけるせいで忘れがちだが、魔術とて文字通り「魔法」のように何でもできてしまうわけではない。


 今回の場合、全員を連れて空を飛ぶのは無理だが、全員を連れて転移することならできる。結果は同じだが、途中のプロセスは自由に選べないということだ。


 ただ、呼ばれた客である以上は迎えの飛竜に乗るということが重要だと思っているので、トニーは前者の方が良いと思ったまで。

 不可能であれば強制的に後者になる。


「なら仕方ねぇ。俺が飛竜に乗る。他の奴はコイツの到着地点に空間転移させろ」


「じゃあ、あたしも最初の便に同行するよー?じゃないと場所がどの辺りか分かんないし」


 最初に転移してきたようにエカテリンブルグの近く、というような雑な転移先の指定はできないらしい。

 街の名前が分かっている場合と違い、飛竜の行き先が分からないのでそれも当然だ。


「俺たちのことは心配いらない。こっちは俺がまとめて待機させておくから、たまには夫婦水入らずで行ってきてくれ」


「なんだ、その言い草は。まるで俺がそれを望んでたかのような言い方をするんじゃねぇ」


「いいや、望んでいたさ。ご婦人の方がね」


 ウィリアムに言われてカトレアの顔を見ると、予想通りにんまりと笑っている。


「チッ……旅行じゃねぇんだぞ。一緒に来い。あっちについたらさっさと全員を転移させろよ」


「行く行く!」


 飛竜の背にトニーが乗ると、その後ろにカトレアが座ってトニーの腰に手を回した。


「しゅっぱつしんこー!!」


「しばらく任せたぞ、ウィリアム。おい、飛竜。さっさと出せ」


「クァウ!」


 ダンッ、と脚が雪原を蹴り、翼を大きく羽ばたかせながら飛竜が上昇していく。ただでさえ寒いのに、上空は凍える寒さだ。


「おい、ガキ。この気温は何とかならねぇのか」


「えー?自分で火でも起こせばいいじゃん。甘えん坊だなぁ。それに、あたしは閣下が風よけになってくれてるので寒くないですぅー」


「火なんかこの風で消えるだろうが」


「もうー、ほいっ。突風。これでいいでしょ?」


 バタバタと前進を撫でていた風が感じられなくなる。風を除けさせるために、同じく風を扱うような魔術を使ったらしい。

 進行方向と反対向きに吹かせるか、上下左右に散らしているのだろう。


 だが、風がやんで体感温度が変わろうとも上空は寒いままではある。

 それに対して文句を言ってやろうかとも思ったが、カトレアに落ち度は全くないのと、飛竜が下降し始めたのでそちらに気を持っていかれた。


「あん?そろそろ到着か?案外離れてねぇな」


「クァウ!」


「どっちだよ」


 最低でも空の旅は三十分程度かかると覚悟していたのだが、その半分くらいしか経っていないように感じる。


「下に降りて雲を避けてくれてるみたいだねぇ。到着はまだかも?」


 カトレアに言われて上を見ると、確かに分厚い雲がかかり始めていた。

 ここを通っては文字通り凍り付く寒さだっただろう。飛竜単独ならともかく、こちらに配慮してくれたわけだ。


「そうかよ。ファーストクラスが恋しいぜ」


「あっ、それまた新しい言葉でしょぉ!メモメモ。ふぁーすとくらす」


 時折見せる、どこで覚えてきたんだというカトレアの現世の語彙力の片りんを見た気がする。

 実際に手帳を出してメモを取っているわけではないが、組員だったりトニーだったり、不意に発した様々な言葉をこうして記憶していっているのだろう。

 ただし、意味までは訊いてこないし、訊いたところでトニーは答えないので、後日組員に教えてもらうか、それができなければ間違った使い方をすることも多そうだ。


 雲が切れると、飛竜が再び上昇し始めた。

 別に低空でもいいはずだが、飛竜にはそれぞれの飛びやすい高度があるに違いない。


「おい、無駄に上下すんな。最短で飛べ、最短で」


「クァウ……」


「シュンとしてる!かわいい~」


 それからしばらく経ち、さらに高度が下がる。

 ゆっくりゆっくりと、出来る限りの衝撃を抑えて飛竜がついに着地した。

 抑えていてもドスンと雪原を激しく踏みしめ、大きな足跡が残る。


「クァウ!」


「おう、降りるぞ」


「ありがとー!」


 トニーとカトレアが地面に降りると、これで上からの任務は終わりだとでも言うように、こちらには目もくれずに即座に飛竜は飛び立っていた。

 これ以上、トニーから小言を言われたくなかったのかもしれない。


「で、誰もいねぇが。あ?」


 カトレアに話しかけるも、既に横には彼女の姿がなかった。

 まさか、消されたのではないかと嫌な考えがよぎるが、次の瞬間に、まずはジャックとウィリアムと手をつないだ彼女が現れる。

 つまり、瞬間転移で他の仲間を運ぶために戻っただけだ。


「え?何か言った?」


「行くなら一言かけろ」


 そして、それも瞬間転移で消えるカトレアには届かず、ジャックが沈黙、ウィリアムが苦笑しているだけだ。


「え?また何か言った?」


 次はチェザリス大尉とセクレタリアトが新たにその場に加わる。


「うるせぇ!何も言ってねぇよ!仕事を続けろ!」


「え?ごめん、何!?」


 実は何度も似たような経験があるトニーだが、初見の面々は笑っていいものか分からず堪えている。

 全員の移動が済むまで、延々とそのコントは続けられた。


「あーーーー、つかれたーーーー。ていうか移動したのにまだオースティン副長は来てないわけ?」


 確かに妙だ。結構な時間がかかったので、顔を見せてもいいはず。

 いや、むしろ移動が完了するまで、こちらの様子を伺っているといったところか。


 しかし、辺りはだだっ広い雪原に、少しの林がある程度。

 まさか、さらにここから二段階目の移動があるのだろうか。


 そんなに警戒しているのか。いや、これから会うのに警戒しすぎなくらいだ。


 しかし、ついに相手方の沈黙は破られた。数本の針葉樹が生えているだけの林の辺り。その一帯が空間ごとぼんやりとぼやけたのだ。

 空間転移にも似ているが少し違う。


「……おい。なんだ、あれは?」


「空間ごと歪んでるな。誰か出てくるのだろうか?」


「ありゃ、幻術でお家を隠してたみたい。見破れなかったー」


 トニーとウィリアムの疑問に、カトレアが回答する。

 三魔女の一角を騙すほどの腕前か。やはり魔術は達者であり、ほとんどの力が未確定なので油断ならない相手だ。


 ぼやけた林の映像が、ぐるりと回転するような不思議なものに変わり、それが止むとそこには、一軒の屋敷が建っていた。


 建築様式はなぜか南国のコテージ風、雪国には似ても似つかない代物だ。

 ニューヨークの魔王城のように魔術で生み出されたものであることは想像に難くない。


「こんなに多くの方が押し寄せてくるとは思いませんでしたよー」


 そこから登場したのは狼の獣人、魔王正規軍副長、オースティンだ。


「二人きりだなんて聞いてなかったし、そもそも野郎同士で二人きりなんて耐えられねぇだろ」


「はっはっはっ!何を水臭いことを。閣下と僕の仲じゃないですか。きっと二人きりでも素敵な時間だったと思いますよ」


「えぇっ!?閣下、女の子より男の子が好きなのぉ!?」


「真に受けるな、阿呆が」


 今までにそんな気配は微塵も見せたはずがないのだが、カトレアにとってトニーの恋愛対象は大きく影響するので、コロッとオースティンの冗談に騙されてしまっている。


「はは、愛妻家を寝取るのも悪くないですが、カトレア様が相手と会っては世界一危険な恋路になるでしょうね。遠慮しておきます。では皆さんこちらへ」


 恭しく一礼して、オースティンが一同を屋敷へ案内した。


 ただ、屋敷とは言えども大きくはないので、全員が入室できるような大部屋はなさそうだ。


 そこで、玄関横にある横壁が吹き抜け、日本式でいう縁側のような間取りになっている部屋があったので、トニーやカトレア、オースティンはそこに上がり、他の面々は庭先からその様子を見ている形になった。


 彼らは座れないが、くつろぎに来たわけでもないので我慢してもらう。


「さてさて、こっちと手を組まないかって話でしたね」


 両脚を投げ出し、無防備に見える体勢でオースティンが切り出した。


「えらく油断してるな。手下の一人もいねぇのかここには?」


「いやいや!バレンティノ閣下がガチガチすぎるんでしょ!自分はてっきりサシでの話し合いだと思ってたのに、ゾロゾロとお仲間連れて来てくれちゃって。ビビるほどのタマじゃないでしょうに」


 チクリとジャブのような煽り言葉を吐いてくる。トニーはそれに舌打ちだけ返した。


「ねぇねぇ、お茶とかお菓子出してー」


「えぇ!?そこまで気を抜いて良いとも言ってないんですが!?」


 そう返しながらも、オースティンは部屋の奥に引っ込んでいった。

 本当に茶菓子を準備するつもりらしい。


「おい、そんなものはいらねぇからさっさと話すぞ!一緒に来てる連中もそれが楽しみでついてきてんだからよ」


「お待たせしました。ウォッカとこっちは肴……えぇと、これは何だ?ニシンの塩漬けですかね。どちらもこのロシアの街で奪ったものです」


 茶菓子ではなく酒や肴と来たか。これはカトレアでなくトニーへ向けたものだろう。

 あくまでも話をするのはトニーなので、カトレアへの配慮ではなかった。

 当然、酒を嗜まない彼女は微妙な顔をしている。


「お魚……」


 ただ、ニシンの方は気になったようで早速つまんでいた。


「はっ、酒とあっちゃ褒めるしかねぇな。貰うぞ」


「どうぞどうぞ。この一本だけなので、庭におられる人達にまでは配れませんが」


 確かにこの量ではトニーとオースティンが飲んだだけで終わりそうだ。


 小隊長当たりの顔を見れば不服な表情をしているかもしれないが、そんなことはどうでも良い。

 受け取ったグラスを傾け、度数の高いアルコールでカッとなる喉に心地よさを覚える。


「犬っころ。一応は、てめぇの期待通りの返答を出すつもりだ」


「ほう!ということは、我らと協力してクレムリンを攻めてくれると!?いやー、さすがは閣下!真心で話せばわかってくれるお人だと思ってましたよぉ!」


「ふん、調子のいいやつだな」


「いえいえ滅相もない」


 これに味を占めて、相談事があれば常に酒を出してくれるようにでもなりそうだ。


「ウィリアム、上がって来い」


 同盟の返答は終わり。ここからはイタリア国王の話を聞くターンなので、口の立つ弟を呼びつけた。


「うん?こちらは?」


「はじめまして、オースティン副長。俺はウィリアム・バレンティノ。トニー・バレンティノの弟だ」


 入室したウィリアムを見て、オースティンが問う。

 そしてウィリアムの返答を聞いた彼は、大きく仰け反った。


「えぇっ!?弟さんっすか!まさか、閣下にご家族がおられたとは驚きだ!そっくりじゃないですか!」


 全く似ていない部類に入ると思うのだが、人間を見慣れていない、いや、見分けるつもりもない魔族の目から見たらそんなものか。


「副長、手を結ぶことが決まったところで、いくつか尋ねたいことがある」


「え、後出しみたいに変な条件つけないでくださいよ?」


「それはないから安心して欲しい。現時点では信頼できないかもしれないが」


 当然の警戒。狡猾なのはこちらだけではない。


「それでご質問は何です?」


「実はこちらの仲間が一人、少し前に攫われていてね。幻術の類で室内に侵入したようなんだ。それで、もしかしたら副長が今回の交渉の種に使うつもりで攫ったのではという疑念が生まれている」


「え、誘拐ですか?知らないなぁ」


 さて、本心か。嘘か。見抜く術はない。


「ただ、それ自体を責めるつもりはない。無事に返してくれれば、だが。今回はこうして仲間になる事で落着したんだ。もし人質がいるとしてもその意味は薄いと言える。むしろ諍いが起きる理由になりかねない」


「お互い、クリアな状態が良いのは頷けます。でもマジでそんな事してないのでどうしようもないんですが」


「そうか……部下などが勝手にそんな行動を起こした可能性は?」


 オースティンが顎に指をあてて考える。


 その間、ウィリアムにトニーがグラスを渡しでくれたので、舌を示らせるつもりで一口、ウォッカをあおった。だが逆に喉と舌が乾きそうなほどに強烈な酒精だ。

 それをごまかすように、ウィリアムが紙巻き煙草に火をつける。


「うーん、そんなことする奴はいないと思いますが。攫われたのは一体誰なんです?」


「大切な仲間、とだけ」


「もっと情報をいただけないっすかね?どういう人物か分かれば隊の中での目撃情報や、犯人が分かるかもしれませんよ。今のところ、ウチが関わってるとは考えづらいですが」


 今度はウィリアムが思案するターンだ。イタリア国王だと教えるのは簡単だが、どちらの方が正解か難しい。


「……若い男性だ。高貴な人間だから身なりは良い」


 身分は伏せる、という結論に至ったらしい。

 トニーは口を挟まず、事の成り行きを見守るだけだ。


「分かりました。では、部下にも心当たりがないか聞いておくとしましょう。ご質問は以上ですか?」


「そうだな……クレムリンにはどのくらいの部隊を出すつもりだ?こっちは数百ってところか」


「その十倍は出せる準備がありますね。とっとと潰しちゃいましょう」


「その後はロシアから手ぇ引くのか?」


「まさか!全ての街から人間を淘汰しないと!ここを大魔王陛下の土地にするんですからね!」


 自ら統治する、という気はさらさらないらしい。魔族らしいと言えばそうだが、為政者向きではない。あくまでただの軍人、それも戦闘狂の考えだ。


「そうか。じゃあ例の件、必ず報告を頼むよ。トニーにこの場を返す」


 ウィリアムがトニーに向けて黙礼し、室内から庭先へと降りて行った。


「ねぇねぇ、あたしからも質問していい?」


「あ?お前にそんなオツムがあんのかよ」


「ひどい!魔族一の天才幼女を舐めないで貰いたいんですけど!」


 カトレアに質問させたくないとまでは言わないが、こちらが隠している手の内をポロっと明かしそうでトニーは渋い顔だ。

 しかし、オースティンはにこりと愛想よく笑った。


「どうぞどうぞ。閣下も奥方をあまりいじめないであげてくださいよ」


「ふん、余計な時間になるだけだぞ」


「ここって、副長が普段使用している個人的なお家なの?」


 質問の内容はトニーが心配するようなものではなかったので、続けさせる。かと言って、有用な質問でもなさそうだが。


「えぇ、いくつかこういった場所を持ってるっすね」


「へー。たくさんの部下たちはどこにいるの?近くにいないみたいだけど」


「はい?そりゃあ、ロシア各地に散らばってますが。彼らの(ねぐら)には潰した人間の街などを利用させてますね」


「そなの!じゃあ、今は本当に一人なんだ。度胸あるねぇ。一人だと、閣下が急に怒って殺されたかもしれないのにさ」


 それを聞いて、ようやくオースティンは納得したようだ。トニーもカトレアの質問の意図が腑に落ちる。


「はは!心配してくれていたんすね。その点は大丈夫ですよ。交渉が決裂したら脱兎のごとく退散するつもりでしたし」


「えー?あたしからも逃げれるんだ?強気だなぁ」


 カトレアの瞬間転移から逃れるとは……詳細不明だが、そんな手段があるのか。それともハッタリか。


 そして、オースティンは都合よくカトレアが心配をしてくれているものだと解釈したが、トニーは違う。


 近くに他の敵がいないことを再確認してくれているのだ。その意図はないだろうが、この危険性が少ない状態でオースティンを仕留めることが出来るのを示唆している。


 モスクワの件がなければすぐにでも仕掛けたが、今はまだその時ではない。


「逃げれますとも!ただ、内容は企業秘密でお願いするっす」


「えー!教えてよぉ!あたしももっと早く移動したい!」


「贅沢すぎでは!?」


 そこまで計算していれば大したものだが、おそらくカトレアの本心からくる言葉。

 事実、今はもうオースティンの部下の所在よりも、どうやって逃げるつもりだったのかが気になっているようだ。


「どのくらいで部隊を集結できる?お前が率いてる連中を全て連れてくるのか?」


「全力で仕掛けるつもりではありますが、全員は無理でしょうね。今も小規模都市などで抵抗にあっていますから。三日ほどいただけますか。一旦、先にお呼び立てしたエカテリンブルグに兵を寄せますんで」


 それでもかなりの兵力が集まりそうだ。わざわざそんな中でオースティンの首を取るというのもかなり難易度が高い。


 だが、そのモスクワ侵攻の演目がなければロシア皇帝の意見はどうにもならない。

 それを助けても変わらないという可能性もあるが、多くの民草や兵、重臣からトニーらへ肯定的な意見が集まれば無視も出来まい、というのがウィリアムが出していた狙いだ。


「三日だな。分かった。こっちはお前らほどの兵はいないから、あまり期待するなよ」


「いやいや、大いに期待させてもらうっすよ。何せ、天下無双のトニー・バレンティノ閣下の兵団ですから!」


「調子のいいやつだ。ではまたな」


 このくらいでいいだろう。トニーは立ち上がり、庭先に待たせてある一団と合流した。

 カトレアもそれについていく。


 部屋の中から上機嫌なオースティンが手を振る。

 再びぐるりと回転するような不思議な錯覚が起き、屋敷があったはずの場所は林へと戻っていた。


「さて……お前らの欲しかった情報は取れなかったな、ウィリアム」


「仕方ないさ。長居は無用、砦に戻ろう。凍えそうだ」


 ウィリアムはもちろん、イタリアの騎士連中も落胆しているのが分かる。

 ただ、よく見るとウィリアムが目配せをしているのが分かった。早く戻りたいのは、何か話があるがここでは無理だという意味だろう。


……


 複数の空間転移を使い、戻ってきたトニー達。

 拍子抜けするほど穏やかな会合だったので、大人数の意味は薄かった。仮に、オースティンがトニーに何か仕掛けようとしていて、人数差のおかげで何もできなかったとしたら大成功だが、真相は分からない。


「……で?何の話だ、ウィリアム」


「あぁ。オースティンと対峙してみて分かったんだがな。あれは食わせ物だ。腹の中は見せないだろうよ」


 トニーが鼻を鳴らし、ぐしゃぐしゃと頭を掻く。


「はっ、んなこた分かってるっての。アイツはてめぇと同じタイプだ」


「お褒め頂き光栄だね。もしかしたら、こっちの同盟が見せかけだってのもうすうす勘づいてるかもしれない」


「その上でのお誘いだってのか。だったら何を企んでやがんだ」


「それが分かれば苦労しないさ。ただ、用心しておくに越したことはない。モスクワを囲んだ時の布陣とかな。もしかしたら、街を攻めると見せかけてこちらを襲ってくる可能性もある」


 それならさっき、トニーの首を取るべきだったろう。わけが分からない。


「はぁ?最大のチャンスを逃しておいて、わざわざか三日後にか?」


「そりゃ、さっきはカトレアもいたしな。もちろん、モスクワ攻めの時もいるにはいるが。逆にあっちの手駒はわんさかいる」


「ま、お前が言うなら警戒はしておく。カトレアと、クロエたちを側に置いておくか。お前のところの騎士も使えそうだな」


「いや、さすがに俺の身も案じてくれ」


 騎士はウィリアムの部下のような扱いだが、離すのは野暮だったか。

 トニーとウィリアムが近くにいればいいが、余りに首脳陣がおしくらまんじゅうで固まっていると、オースティンからモスクワを攻撃するつもりがあるのか疑われる。


「ふん。ところで、イタリア国王についてはどう思った?奴は隠していると思うか?」


「いや、あれは知らない気がするな。部隊の連中に訊いてくれるってのもパフォーマンスだろ。一言、腹心に調べておくよう申し付けるくらいはするかもしれないが、それ以上は広がらない」


「お前の部下共はさぞ不満だろうな」


 何かトニーに言ってきたわけではないが、一番の目玉が成果なしとあっては面白くない。


「ただ、陛下が消えたのはアメリカだからな。離れるわけにもいかないから、見つかるまでは俺らの面倒も見てくれるとありがたい」


「お前は元々ウチの人間だろうが。イタリア国王は関係なく、俺に力貸せ。それがお前の仕事だ」


「そうだな。しかし、それは個人の話だ。騎士たちなんかはいつまでも引き止めれないぞ」


 ウィリアムの決断は未定、あるいは概ねトニーに従うが、イタリア国王が出てくれば他の者らはそっちにくっついていくという意味だ。

 惜しくないと言えば嘘になるも、トニーが買っているのはウィリアムの知恵なので、他の人間の存在は大きな問題ではない。


「で、奴が実際にモスクワ攻めの時にウチを潰そうと反旗を翻したら、どうする?」


「正直、分からない。大勢の魔族の軍隊を前に、こっちの手勢で勝てるのか?戦力差は大きいようだが」


「普通なら勝てる。あっちは何人も大物を相手することになるが、こっちは犬っころ一匹だけ気にするだけでいい。他は雑魚だ」


 魔族の力は人間と比べれば圧倒的ではあるが、こちらの手勢は個人技が光る面々ばかりだ。

 トニーの楽観的な意見を聞いて、ウィリアム顔をしかめる。


「だとすれば、それが理解できないバカじゃないだろうな。来るなら何かの手を打ってくるはずだ。それが何かまでは予想できないが」


「ふん、それを予測するのがお前の仕事でもあるだろうが」


「無茶言うなよ。人間ですらない相手の思考を読めって?現世でドッグトレーナーでもやっておくべきだったかな」


「そりゃいい。あの狂犬を可愛い子犬に調教してやれ」


 仮にドッグトレーナーをやっていたとしても、あの獣人の腹の内など分かりはしない。


「ともかく、ウチが仕掛けるつもりだった裏切りを先にやられる危険性は周知しておいてほしい。あとはトニーの警護と、もしかしたら俺を狙う可能性もあるから、こっちも守りは固めておく」


「そうしろ。三日後の配置や作戦も考えたい。他にも誰か会議に使えそうなやつはここに呼べ」


 二人きりの密談はここまでだ。


……


 作戦会議にウィリアムが呼んだのはチェザリス大尉という士官だけだった。

 トニーはジャック、セクレタリアト、クロエと小隊長、ついでに勝手についてきたカトレアだ。


「ぞろぞろいる、あの甲冑騎士共はいいのか?」


「十二近衛は喋らないからな。決定事項を後で共有するだけでいい」


「ねー、あの人たちってなんで喋んないの?鎧の中身はがらんどうなの?」


「さてな。気になるなら直接聞いてみると良い。教えてくれるかもしれないぞ?」


 ウィリアムの返答は適当にあしらっているようにしか見えないが、子供相手ならば十二近衛もあやしてくれる可能性はある。


「まずは、あの犬っころのところにイタリア国王はいないようだが、しばらくはお仲間ごっこを続けるってのは全員承知の通りだ」


「だが、彼もこっちが本心でないことは理解していると思っておいた方が良い。つまり、先に裏切ってくる可能性だ」


 バレンティノ兄弟の発言で、場がざわつく。


「伯、それは本当ですか?先に仕掛けられたら、我らに想定以上の被害が出てしまいますが」


 チェザリス大尉の発言。


「どうなるかは分からん。とにかく今は、モスクワ攻めの時に防御も考慮した布陣で備えておくぐらいか。何かあればみんなの意見をくれ」


「質問してもいいだろうか?」


 パリ宮廷魔術師のローブに身を包むクロエが挙手した。

 戦士や騎士のような軍人と比べると研究職にも近いので、こういった時の疑問点は誰よりも先に出やすい。


「どうぞ」


「その、オースティン副長の裏切りの色はどうやって判明したのだろう?温厚な魔族にしか見えなかったが」


「そうだな……俺は交渉事を多く踏んできた身でね。声色、仕草、確定的なものは何一つないが、信頼には値しないと読んでいる。回答にならなくて申し訳ないが」


「はん!そんなものを信じろってか!大した自信だな、伯爵様よう」


 小隊長が鼻で笑う。要はウィリアムのヤマ勘でしかないのだ。そう思われても仕方ない。


「あぁ、完全に信じてくれなくともいい。裏切りも、モスクワ攻めの後になる可能性もあるだろう。ただ、用心するに越したことはない」


「後、ですか?バレンティノ伯、その場合は我らが先に仕掛けるので、モスクワ市民に被害は出ないのですよね?」


「あー……そうだな。いずれにせよオースティン副長の部隊とはぶつかることになる。相手はこちらの十倍以上の兵力、油断できない」


 ウィリアムはチェザリスに言われてハッとしたようだ。

 なんとなく、トニーもその気だったが、わざわざあちらの裏切りを待つ意味はない。


 イタリア国王がいなかろうと、モスクワに被害を出してまでオースティンを攻撃する大義を得る必要はない。


「勝てるのだろうか?」


「楽勝だろ!」


 クロエ、小隊長のそれぞれの反応。どちらも正解だ。


「トニーの受け売りだが、兵数だけ見れば難しく、こちらの実力者の頭数でいえば勝てる、といったところだ。オースティン副長の実力はかなりのものだと思われるが、他の雑兵に手こずるわけではないだろう」


「ほらな!久しぶりに本気で暴れてやれそうだ。腕が鳴るぜ」


「ねー、オースティン副長はもう殺しちゃっていいのー?」


「ん?それは、可能であれば討ち取っても構わないが、そんなに簡単にいくものなのか?」


 まるで近所にお使いにでも行くような口ぶりだ。


「さぁ?正直、戦ってるのを見たことないからわかんないけど。でも、やるならサッとやらないと逃げちゃいそうー」


 確かにそれはその通りだ。あの性格では旗色が悪い状況になってまで、馬鹿正直にいつまでも戦場に残ってはいないだろう。


「面と向かって押し込むような真似をした時点で、取り逃す可能性があるか。となると、たとえば現地での作戦会議中に暗殺するような形になってしまうが」


 着陣後、主要なメンバーが集まってモスクワを落とす作戦を話し合う機会はあるだろう。その時ならばオースティンに最接近できる。


 同時にトニーやウィリアムも危険な状況ではあるが、オースティンの裏切りが確定ではない以上、その場では何もしてこないはずだと踏むしかない。


 大事を成すなら、リスクはつきものだ。


「いや、それじゃ意味がねぇ」


 しかし、この案はトニーが否定した。


「どういう意味だ?」


「犬っころを仕留めるってのはあくまでも第二目標だろうが。わざわざモスクワの前まで全員を動かして展開する意味は、客の前で犬っころの部隊を粉砕することにある。欲しいのはモスクワとの交友、言い換えればロシア全土の掌握だ」


「観客は、地味な終わりじゃ納得しないか」


 オースティンを暗殺しても、彼の部隊がそのまま撤退するだけかもしれない。

 それでは何の活躍も大勢の目には映らない、というわけだ。


「そうだな。ロシア側に死者や怪我人をいたずらに出すつもりはねぇが、多少の城壁の破壊、家屋の倒壊、農地の焼き払いぐらいは発生してもらわねぇとあいつらに危機感は生まれねぇ」


「理解した。無論、それに我々が加わった場合は一気に心証が悪くなる。うまく誘導しなければな」


「であれば、その誘導に我が方の魔族兵のみを用いるのはいかがでしょう?ロシア住民からは見分けがつかないのでは」


 チェザリスの提案。こちらのスケルトン兵やリザードマンをオースティンの部隊に紛れ込ませてしまうというわけだ。

 その兵が離脱に手間取れば同士討ちになる危険性があるが、発火材としては悪くはない。


「誘導した後、こちらに戻ってくるのを城兵の誰かが見ていないとも限らないが……しかし使えそうな手ではあるな」


「だったら軽めの幻術かけといてあげようか?認識阻害ぐらいものだけど!」


 幻術や奇術の類はカトレアの専門ではないが、誰なのかぼんやりと分からなくなるくらいのものなら扱えるらしい。


「それは助かるな。ただ、こちらからも分からなくならないか?」


「なる!しばらくだけどね」


 であれば、その個体の動きで味方の魔族を見分ける必要がある。数はあまり多くしない方がよさそうだ。


「敵の雑兵どもを活気づけて突撃させるだけの役目だ。十体もいらねぇだろ」


「そうだな、トニー。その程度の数を募ろう。危険だが栄誉ある役目だ。仮に死んでも文句を言わないやつがいい」


 死んだら誰もしゃべらないが、要は決死の覚悟で臨める、忠誠心の厚い兵を使いたいという意味だ。


「そんな腑抜けはウチにはいねぇ。紛れやすいように、オースティンの部隊編成を見て決めるぞ」


 トニーの部下で最も多いのはスケルトン兵やリザードマンだが、オースティンがオーガや獣人を多く連れていた場合はその辺りを使うのが良い。


「分かった。ではカトレアにはその者たちに幻術ってのを使ってもらいたい」


「はいはいー、任せといてー」


「敵がモスクワの外壁に取り付いたらすぐに離脱。多少の被害を出すまで、しばらくは静観だな」


「ウチはそうデカくないが、二手に部隊を組む。それぞれの指揮は俺と、ウィリアムだな。どっちもある程度はオースティンの本陣に近いところに置いておきたい。接触に五分程度の位置がいい」


 このトニーの決定には特に異論は出ないが、ウィリアムから質問が上がる。


「それぞれでオースティンを挟む陣形か?」


「いや、二隊はそばに置いておく。挟撃の利点より、各個撃破されるのを危惧してな」


「それなら俺も賛成だ」


 先にトニーが話した通り、オースティンの首は絶対ではない。取れるなら取りたいのも事実だが、こちらに大きな被害を出さず、モスクワを味方に引き入れることが最大の目標だ。


 挟撃は有効だが、その分連携しづらいので、ただでさえ少ない戦力をわざわざ遠くに配置しない方針となった。


「イタリアの連中、そこの士官や騎士どもは全部お前が面倒を見ろ。それだけじゃ少ないだろうから、ウチの兵隊も半分貸してやる」


「助かる」


「他の主だった連中は俺の部隊だ。細かい話があれば個別で俺やウィリアムに相談しろ。以上だ」


 イタリア人はトニーより、ウィリアムの指揮下に置いておいた方が言うことも聞くだろう。

 解散の発言を受け、一同がばらばらと退室していく。トニーの側に残ったのは護衛のジャックとセクレタリアトのみだ。


「我らは閣下のお側におりますが、閣下は御自らオースティン副長の本陣に突撃するおつもりはございますか?」


 普段無口なジャックに代わり、セクレタリアトが遠慮のない質問を投げてくる。


「あぁ?その時にならねぇと何とも言えねぇな」


「では、我らは突撃に備えて最上級の装備を準備しておきましょう。閣下も、破魔衣だけでは危ないのでは?軽装鎧を準備させましょうか」


「要らねぇよ。暑苦しい」


「ではせめて、お召し物の下に鎖帷子だけでも。あれは空気を通しますので暑苦しくはないでしょう。とはいえ、ロシアはむしろ着込んでも肌寒いのでは?」


 現代でいえば防刃チョッキのようなものだが、破魔衣で防げない矢などの物理攻撃を多少は緩和できる。


「自分も鎖帷子には賛成です。閣下にはもっと御身を大事にしていただきたい」


 ジャックまでセクレタリアトの助言に援護射撃をしてきた。

 着心地は悪いが、鎧を着せられるよりはマシか、とトニーは是非を何も返さなず話題を変える。


「俺の心配もいいが、ウィリアムの方にも手練れをつけてやれ。隊を分ける以上、アイツも犬っころが狙う可能性はあるからな」


 であれば分けずとも、という話になるが、やはりイタリア側はあちらに任せたい。いざという時にいくらか機動力も出やすいだろう。


「もちろん、バレンティノ伯爵にも鎖帷子を」


「そういう話じゃねぇんだがな……まぁいい、それで気が済むならアイツにも着せとけ」


 よく映画やドラマで、王族や姫君が召使やメイドの着せ替え人形にされている描写があるが、そんな気分だ。

 ただ、今回は面白がっているのではなく、こちらの身を案じているだけなので意図は異なるが。


「……少し、気晴らしでもしてくる。おい、ロサンゼルスに戻るぞ」


「はっ、では私が。この場はセクレタリアトに任せます」


「それは大役ですな。行ってらっしゃいませ」


 ロサンゼルスに戻ればトニーの好きな食事も酒も、女も揃っている。

 ジャックが空間転移を発動し、二人は亀裂に入る。セクレタリアトの一礼を最後に視界が切り替わった。


……


 今、トニーの下で脚を開いている女は新顔だ。

 行為に及んでおきながら、今さらになって見ない顔だな、などという思考が浮かんでくる。


 ロサンゼルスにいる組員や魔族兵は、継続して各都市に侵入しているので、最近連れてきた人間だという認識はおそらく当たっている。

 若いが、決して生娘ではない。どこぞの女房か、もしかしたら娼婦だった可能性もありそうだ。


 嫌々抱かれているという様子もないので、衣食住が保証された暮らしに満足しているのかもしれない。もちろん機嫌を損ねて殺されないための演技の可能性もあるが、トニーにとっては些末な話だ。


 一通りその時を楽しみ終えると、トニーはサイドテーブルに置いてあるワインを一口あおった。


「お前はどこから来たんだ?ドイツあたりか?」


「えっ……?」


 まさか、いきなりそんな話を振られるとは思っていなかっただろう、シーツで全裸の身体を隠している女は返答に詰まった。

 今いる奴隷や使用人は、言葉自体はカトレアの翻訳術の恩恵でほとんどの者に伝わるという話を部下から聞かされている。


「ミュンヘン、ですが……」


「あっちにいた頃と、ここに来てからではどちらの方が生活水準は高い?」


 どちらの方が幸せか、という質問であれば千差万別だろう。だが、分かりやすい指標があればそこに感情は生まれない。


「圧倒的にロサンゼルスです。食べ物は豊富ですし、毎日着替えも、浴場も利用できます」


「そうか」


 この質問に大した意味はない。しかし、アジアも含めて、トニーが征服してきた街に不満が少ないのを、間接的に保障しているような気にはなる。


「将軍は……不思議な方ですね」


「あ?」


「人を攫うのであれば、もっと過酷な環境が待っているのかと思っていたので。でもそれは違いました」


 この意見に、フッと考えが浮かんだ。

 こちらの環境に慣れた彼ら、彼女らを、わざと故郷に帰してやるというものだ。


 一時的に帰るもよし、永続的に帰るもよし。

 こちらの生活が悪くなかったという話を故郷に流布させれば、トニーに協力的な村落や都市、国家が増えるのではないだろうか。

 もちろん心の奥底に敵愾心を持った者がいれば、よくない情報だけが流れることにはなる。とはいえ、大した話が奴隷には伝わっているはずもないので心配の種としては薄い。


 他には非常に重宝している奴隷が戻ってこなくなるという痛手も考えられる。たとえば執事のような仕事をさせているクンツなどだ。


「ミュンヘンに戻りたいか?」


「え、どうでしょう。故郷も、ここも、どちらも魅力的です」


 正直に言うべきか迷っている様子で、伏し目がちに女が答えた。


「……検討しておいてやる」


 決まりだ。これで帰ってこなければそれでも構わない。

 魔族の兵に、数人ずつ奴隷を故郷へ送り届けさせ、指定の期日にロサンゼルスへ戻る空間転移の航空便に乗らなければ釈放、と言った形でいいだろう。


 それでも戻ってくる連中は、もはや完全に掌握できたと取れる。

 たまに帰れるのであれば、ちょっとした出稼ぎのような感覚にもなろう。奴隷ではあるので賃金こそ与えてはいないが、それに匹敵する高い生活水準は約束されている。


 いずれ、攫わずともロサンゼルス居住を希望する人間が出てくるかもしれない。


「クンツ!いるか!」


 憂いは早く解消しておきたい。先ほど頭の中に浮かんだ執事を呼びつけた。

 女は隣で、慌てて着衣をしている。さすがに恥じらいがないわけではない。


 トニーの私室の前にいたのはジャックだけで、すぐにそこから執事へと声がかかった。

 二分程度でノックが聞こえる。


「フリードリヒ、参りました。お呼びですか、閣下」


「おう、入れ」


 なぜまだ退室を指示されなかったのか、バツの悪い状況となった女を尻目に、クンツ・フリードリヒが入ってきた。一礼し、後ろ手で扉を閉める。

 ピシッと着こなしたスーツに整えられた髭や髪、非常に実直そうで清潔感にあふれる人物だ。


「……ご用件を伺います」


「そこにいる娘はミュンヘンの出だそうだ」


「えぇ、存じております」


 それが何か、という表情で少しだけ首をかしげるクンツ。


「今後、故郷に帰る機会を与えようと思っている。すべての連れて来られた住民にだ。お前も当然その対象に含まれる」


「ほう、それはどうしてでしょう。釈放という事ですか?」


「あくまで名目上は一時帰国だ。戻ってくることを期待してはいるが、お前ならどうする?」


「帰ってこなければ故郷が滅ぼされる、と言った条件がおありで?それであれば解答は一つかと」


 それもそうだ。トニーがそう言えば、奴隷にとって家族や友人を人質に取られるのも同然である。


「いや、そんなつもりはねぇ。戻ってくるのを期待するが、全員が戻ってくるとまでは考えちゃいねぇ。それでお前がどうしたいのかが訊きたい」


「それであれば……いえ、それでも私は閣下のもとへ戻ってくるかと」


「皇弟に仕えなおそうとは思わねぇってことか?」


「いえ、そういうわけではありません」


 クンツはドイツの皇帝の実弟の使用人だった過去がある。


「しかし、こうして長らく離れており、敵対する関係にある魔族側の閣下にお仕えしている。故郷へ帰れたからといって、簡単に元鞘に収まろうなどとは思えません。閣下に受けた御恩もまた、皇弟殿下に受けた御恩と変わらず、大きなものとなりましたので」


 帰ったところで簡単に信用されて会える人物ではないだろう。

 むしろ、今まで何をしていたと問いただされ、それに対して敵国の将軍の庇護下にあったと答えては、居場所が与えられるとも考えづらい。


 スパイを疑われ、よくて捕らえられて尋問されるか、最悪処刑といったケースも考えられる。

 一般人であれば帰ってこれて良かったね、で終わるかもしれないが、国の中枢に関わる人物との接触は危険だ。


 それを言うならばウィリアム達、イタリア王国の関係者や、クロエ達、フランス王国の関係者も同じだが、彼らは無理やり連れて来られたわけではないので話が少々異なる。


「なら問題ないな。いるか知らねぇが、たまにはお袋さんか、嫁の顔でも見て来い」


「……はい、ありがとうございます」


 どちらの顔を思い浮かべたのかは定かではない。クンツが既婚かどうかも知らないし、親が健在かも知らないので、どちらもいない可能性はある。


 だが、クンツは感謝の言葉だけを述べた。


……


 その辺りの予定はロサンゼルスにいる部下に投げ、トニーはロシアへと戻る。

 戦いが終わり、戻ったときに多くの奴隷の顔が見れれば良いが、いくらか減っているだろうことは予測しておく。

 とはいえ、トニーが直接かかわるのは執事、娼婦、料理人くらいなので、他の仕事を振られている奴隷に増減があってもほとんど気付くことはない。


「お帰りなさいませ、閣下」


 モスクワ近郊の砦内で、セクレタリアトがトニーとジャックの帰還を出迎える。

 聞くまでもなく、特に問題は起きていなそうだ。


「おう」


「お早いお帰りでしたが、食事はされましたか?まだでしたら、他の方々も交えて今から晩餐の予定ですが」


 ウィリアム達も、もう一方のモスクワ近郊拠点である屋敷にはまだ戻っていないようだ。


「あぁ、そうだな。腹も減ったしアイツらと一緒に食うか」


「承知しました。ではこちらへどうぞ」


 本拠点で買春、仮拠点で晩餐と、有事の時だとは思えないほど優雅なものだが、これがトニー・バレンティノだ。

 仕事はこなすが、それと同じ、いやそれ以上に自由時間を楽しむ。


 この意識はファミリーの一員はもちろん、ウィリアムにも伝承されており、特にトップ二人の影響で魔族や他の仲間たちにもかなり浸透している。


 本来、魔族などは厳しい状況下でも実力主義の理念に従い、ろくな食事も与えられないまま戦うことを強制されても命令を最重視する種族だ。

 人間の兵士だってある程度はそのように振舞う。


 ただ、ロサンゼルス兵は他のどの将軍や幹部連中に付き従うより厚遇な職場であると言える。


 トニーは横暴な行動や物言いのわりに、部下からの不平不満が驚くほど少ないからだ。

 跳ねっ返りがあった初期の頃、懲罰や処刑も皆無ではなかったが、それでも両手で数えるほどである。


 それはトニーのおおらかな……むしろ豪快過ぎる性格。派手に遊んで派手に戦うというのが思いのほか楽しいと皆に感じさせているからに他ならない。

 最先端の大砲や銃器など、こちらの被害が最小限となる近代戦術もすんなりと屈強な戦士たちに受け入れられた。


 廊下で兵士とすれ違う。


「閣下、お帰りなさい」


「閣下、お食事ならあちらです」


「おう」


 そして何より、気難しそうで気さくでもある、その不思議な魅力とカリスマ性だ。

 それが兵を、民を、人を、魔族を、大勢の存在を彼へと惹きつける。


 晩餐は城内ではなく、屋外に設置されたいくつもの大きな円卓で執り行われるところであった。

 それもそのはず、今回の作戦に従事する者は兵数すべて合わせると百を超える大所帯だ。狭い室内では息も詰まろう。


 このような形を取れるのも、普段からトニーが一般の兵や民草と卓を囲むことを気にもしていないからだ。

 例えばイギリス、フランスの王族や上流階級の人間は、このようなことはしないのではないだろうか。


 諸侯を集めて晩餐会やティーパーティーは開くかもしれないが、果たしてそこに下町の住民や農民は参加しているだろうか。


「あ、閣下!戻ってたの?こっちこっちー!」


 言われるがまま、カトレアの隣に着席した。


 出てくる料理はトニー好みの肉や魚が多いのだが、これも今や魔族の兵らにすら好評である。

 やはり人間が生み出した文化、料理や味付けといったものは素晴らしい。


 酒も以前より大量に飲む機会が増えたようだが、こちらも魔族に好評だ。

 人間の街に侵入した際には、食料と奴隷の確保に次いで、酒の調達が重要視されているくらいである。


 現在は武器製造に重点を置いている奴隷たちの業務も、いずれは食糧自給や酒の醸造に使ってもいいかもしれない。


「ロサンゼルスに戻ってたんだよね?何してたの?」


「あ?奴隷連中のことで話してきた。一時的に故郷に戻してやろうって話だな」


 まさか、女を抱いたともいう訳がなく、クンツとの会話を理由にする。

 カトレアに知れたら雷が落ちるか、自分も抱いてくれと必要以上に言い寄ってくるだけだ。


「へー、なんで?」


「たまには息抜きさせてやってもいいだろ。それで帰ってこないやつも出るだろうが、別に気にするほどじゃねぇ」


「奴隷を帰省させるって?面白いことを思いつくもんだな、兄貴」


 イタリアを含む、欧州諸国でも奴隷は存在している。アジア圏にもだ。

 なので、ウィリアムも奴隷を持つことに対しては特に反対はしていない。


「ウチのは正直、奴隷と呼ぶのも可笑しいくらいに好待遇だからな。飯は三食、風呂は毎日、被服も片田舎の農民に比べれば立派なもんだ」


 その中にはイタリアやフランスの人間もいるが、ここにいる面々から非難される為にわざわざそこまでは言わない。


「風呂が毎日なんて、前線に出張ってる俺らよりは、よっぽど良い暮らししてやがるな」


「確かに。私もできれば毎日湯浴みしたいものだ。ここは寒いからな」


 小隊長とクロエが言った。

 それを改善するためにもモスクワ近郊の二拠点は作用するが、これからか。


「奴隷とは名ばかりで、ロサンゼルスでの生活は快適だぞって宣伝してもらうんだよ。仮に宣伝しなくとも、戻ってきたらそれだけで周りは驚くし、気になるだろう。それにほだされて移住希望者が出始めればこっちのもんだ」


「大量の移民を受け入れるってか。現世のメキシコ相手みたいなことをするもんだ。しかし、どう取り繕っても魔族側ではあるからな」


「取り繕ってねぇだろ。むしろ奴隷が故郷に帰ってからの行動はありのままの反応だ。どうなるかは分からねぇが、物は試しだ。反響くらいは見たい。上手くいかなきゃそこまでだがな」


 ロシア、そしてアジアを手に入れれば自ずと欧州に目が向くわけだが、大げさな話をすれば、奴隷の働きかけで戦争だって回避できるかもしれない。


「なるほどな」


「だがまぁ、まずは犬っころの退治だ」


 オースティンが完全に味方になる、というビジョンが描けないのはバレンティノ兄弟共通の認識である。


 仮にリベラルな左派思想の人物がいれば、なぜ信じてあげないのだ、敵ながらオースティンは寄り添っている、相手を信じないから裏切られる可能性が芽生えるのだという意見もあっただろう。

 しかしここまで信用を得られていないのも、拠点を襲った事実がそうさせているわけで、彼の自業自得だが。


 トニーが退治、と謳ったのはそれが殺害にこだわったものではないという事の表れだ。

 排除できれば生きていようがいまいが関係ない。ただ、元も確実なのは首を取ることに違いない。


「ねー、オースティン副長の話はもういいから、あのお魚取ってぇ」


 隣の席のカトレアは手足が短いので、遠くの料理に手が付けられない。

 トニーは黙ってそのお目当ての大皿を引っ張ってきてやった。


「わぁ、ありがとう!おいしそー!いいにおーい!」


「ふん、取らなきゃいつまでも騒ぐだろうが」


「騒がない騒がない!あっ、やっぱりおいしい!これ!あたしの目に狂いなし!閣下、愛してる!」


「俺が作ったんじゃねぇぞ」


 どちらにせよ騒いでいるのはご愛嬌だ。

 そんな一風変わった夫婦の姿を、いや、むしろ親子か年の離れた兄妹に見えるその姿を一同は微笑ましく見ている。

 実際はカトレアの方がうんと年上の姉さん女房なのだが。


「皿を取っただけで愛してくれるなんて、出来た妻じゃないか」


「この程度のガキが出来た嫁だって思えるなら、お前がこっちで妻帯しない事に辻褄が合わねぇな。幼女趣味だとは知らなかったぞ」


「それとこれとは別の話だ。その趣味も否定させてくれ」


 トニーは「こっちで」とは言ったが、ウィリアムは現世でも浮ついた話はあまりなかった。

 恋人くらいはたまに作っていたようだが、派手に女遊びをするわけでもなく、金遣いが荒いわけでもなく、そのほとんどの時間を組の運営の為に捧げていた。優秀なアンダーボス、若頭、といった印象しかない。


 しかし意外なのは、いい歳をした兄弟にまだ正妻がおらず、跡取りが確定していないことだ。


 実子を跡取りにするというのは、実は裏社会ではかなり珍しい。

 むしろ敵対組織に人質として攫われたりすれば弱みとなるため、子供は作らない組長も多い。


 仮に出来ても正妻ではなく妾との間の子が多く、その存在は秘匿される。


 そういった組織の場合、秘匿された子供にはカタギとしての人生を歩ませ、組はナンバー2のアンダーボス、若頭と養子縁組し、跡取りとするのが一般的だ。

 だが、バレンティノ・ファミリーの世襲は祖父の代から実子に限られているので、それに則るなら子供は必須である。


 現状は言うまでもなく、トニーに何かあった場合はウィリアムがそれを継ぐことになるが、もしかしたらウィリアムに女っ気がないのは、万が一、トニーの子ができた時に、その子との跡目争いが起きないように配慮しているのかもしれない。


 自身の人生の幸せより組の未来の安寧。実直なウィリアムらしい思考である。


「はっ、何を今さら照れてやがんだか。どう考えたって家庭を持つなら俺よりお前の方が妥当だろうよ」


「全く見当違いだが、もうそれでいいさ。幼女趣味にそんな夢は描けない。嗜好が人として破綻してる」


 しかしトニーはそんなウィリアムの画策があるとしてもお構いなしだ。妻帯しようが子供を作ろうが気にも留めないだろう。

 むしろそれを勧めてくる始末である。


 ウィリアムも議論は諦め、自身が変態の悪者になる事を選んだようだ。


「あらぁ、弟くんってばあたしの色目に内心メロメロだったわけだぁ?」


「それはまた違う問題になるのでは?なぁ、兄貴」


「あぁ?俺のことなら気にするな。好きなだけ色目使ってやれ、ガキ」


「むぅ!?」


 カトレアが色目をウィリアムに、というのは冗談だろうが、本当に気にしていない様子のトニーにご立腹だ。嫉妬して欲しかったのだろう。


「カトレア、気にするな。トニーはこうは言うが、お前のことを無下に思っているわけじゃない。実際、その力は大いに役立ってるしな」


「役立つとかじゃなくて、愛して欲しいんですけどー!あたしは部下や仲間じゃなくて、伴侶なんですけどー!」


「そう言うな。嫌われてるわけじゃないってだけでも価値がある。愛も一辺倒じゃないってことだ」


 愛の形も色々、というのはトニーも納得できる。

 ただ、ウィリアムはそれにつけこんで適当に誤魔化してくれているだけである。そして毎度、騙されるのがカトレアだ。


「嫌われてない?じゃあ好きじゃん!」


「間違いなくな。嫌いならとっくに離婚だろう。いや、政略結婚ならそう簡単にはいかないのか」


「好きだったらそういえばいいのに、閣下ー。照れてんの?うぶだねぇ」


「いつまでも騒がしいガキだ。黙って魚でも食ってろ」


 言われた通り、カトレアは料理に集中し始めたので、トニーは周りの会話に耳を傾けた。

大勢が集まっているおかげで、話しているのは何も三人だけではない。


 一般兵も晩餐に参加しており、各所で盛り上がっているようだ。

 近辺にはいつもの面々、クロエ達やウィリアムの部下などがいるのでそちらの声のほうが大きい。


 十二近衛とかいう騎士たちは、卓についてはいるものの、甲冑姿のままであり、食事にも手を付けていない。


 素顔をさらしたり食事をとるのは私室で、誰の目もない時のみ、という決まりでもあるに違いないが、本当に中身は生きている人間なのだろうかとさえ思う。

 絶世の美女でもない限り、兜を無理やり脱がせたいとは思わないのでどうでも良いが。


 他も色々と聞き耳を立てたり、表情を見て見ようとトニーは自身のワイン入りゴブレットを手に席を立った。

 ジャックがトニーにすら気づかれないよう、少し距離を開けて主を追尾している。


 この点は非常にトニーらしく素晴らしい行動力だ。普通であれば相手からお伺いを立てに来るのを待つことの方が多い。


「これは閣下、我らと乾杯してくださるんで?」


 いくつかの卓からそんな声がかかる。


 兵とグラスをぶつけるくらいならお安い御用だ。

 そして二言三言交わし、また移動する。その繰り返しだ。


「おや、閣下。美人妻を放っておいてこんなむさ苦しい卓に顔を出していただけるとは」


 一体の牛頭人体のミノタウロスの言葉。世辞なのかもしれないが、カトレアを美人妻と評するのはトニーにとっておかしくてたまらない。


「あれが美人だと?面の好みは知らねぇが、お前らの種族はもっと乳がデカいのがいいんだろう?」


 ミノタウロスにメスがいるのかなど知らないが、乳が張り裂けそうなほどパンパンに張った乳牛を思い出してしまう。


「ははは!まぁ、確かにそれはそうだ!カトレア様じゃ、ちぃっとばかり膨らみが足りませんな!」


 考えたこともなかったが、兵たち、というより魔族の家族の在り方というのは不透明だ。


 従軍し、ロサンゼルス城に詰めている兵はほぼ独り身なのだろうか。

 休暇中の行動など知る由もないので、家族や恋人に会っている可能性はあるが。


 城の近郊に住んでいる魔族も、どれがオスでどれかメスなのかなど分からず、家族で暮らしているのか、一体一体が別のねぐらを持っているのかも良く分からない。

 ただ、数の増減は少ないので、知らないうちに死に、知らないうちに交配して出産しているのだろう。


「お前は嫁をもらってるのか?」


「え?昔はいましたが、今は息子を連れてどこかにいるはずです。離婚というよりは、自分らはそういう生き物なんで。まぁ、連れ添う奴もいるでしょうが」


 どうやらミノタウロスは一般的には子を設けると夫婦がすぐに離れる、という事のようだ。


 大魔王アデルなどは妃や王子、王女がいる話をしていたので、魔族にも一家という概念はある。

 種族問わず連れ添う夫婦もいるのであれば、ミノタウロスだから、リザードマンだから必ず離れる、という話でもない。あくまでもミノタウロスは離れる夫婦が多いだけで、全員がそれに縛られるわけではない。


「そうか。面白い話を聞けた。礼を言う」


「いえいえ」


 お次の卓では、スケルトン兵が数人で固まっていた。


「……」


 人間や獣の死体から生まれる彼らに、家族の話は無用だろうな、と杯をぶつけるだけに留めた。


 一度死んでいる上に、飲み食いもせず、生殖活動もせず、天涯孤独とくればある意味、最も生物らしくない存在である。

 かなり前に、大魔定例幹部会で死霊術師がゾンビのようなものを作り出す事への議論がされていた場面があったが、スケルトンは天然の死霊術被害者のようなものだ。


 どういう理屈か、死霊術師がなにかしたわけでもなく、死体へ勝手に魂が憑依するような形で動き始めるようなものだとトニーは理解している。


 肉片がなく、白骨ばかりなので長い年月をかけて生まれてくるのではないだろうか。

 火葬の文化圏では多少生成が早まるかもしれないが、それも謎だ。


 ただ、会話はしっかりとでき、意志や忠誠心もしっかりしている。

 生物として浮いた存在でありながらも魔族に属したのは、その見た目から人間の迫害を受けたせいに違いない。


 もののついでに、十二近衛と呼ばれる騎士たちの卓にも寄った。

 問題なくグラスはぶつけて乾杯してくれるが、それを飲む様子はなく、何か声をかけてくるわけでもない。


「お前らは……話しちゃいけない決まりなのか?」


 無言で全員が頷いた。

 王の不在時にも戒律を守る、堅苦しい連中だ。


 ここで一つ、ほぼ完全に意思疎通を図る方法を思いつくトニー。


「筆談は禁じられてねぇだろ?可能なら紙とペンを寄越させる。翻訳術は効かなくなるが、お前らの言語はどっちにしろイタリア語だよな」


 はっ、と騎士たちも息を呑むような反応した。なぜ今までそうしなかったのか、気付いていなかったのかもしれない。


「おい。誰か大量の紙と、ペンとインクを持ってこい。この騎士連中と話す」


 トニーの第二言語はイタリア語だ。英語に比べれば話しづらいが、読み書きも当然できる。


 つまり、十二近衛ともトニーやウィリアムであれば話せるという事だ。

 それに、こちらの声は届いているので書くのは騎士たちだけでいい。


 筆記具類を俊足のセクレタリアトが持ってきてくれた。

 団欒を楽しんでいたはずだが、なかなか仕事ができる。


 騎士全員の手元にペンと紙が回る。インク瓶は数が少なかったので、数人で共用できるように彼らの間にいくつか置かれた。


「はっ、小学校のレクリエーション会かよ。それともパソコンがない時代のベンチャー企業の会議か」


 自分で提案しておきながら、円卓を囲んでペンを握る騎士を見るとなかなか間抜けな光景で笑いが出てしまった。

 騎士が資料をもとに会議するというのも別におかしな光景ではないはずだが、トニーの目には新鮮に映った。


「先ずは自己紹介でも頼もうか。お前らも知る通り、俺はトニー・バレンティノ。分かりやすく言えばウィリアムの兄だ。で、そっちは名前だけでいい。間違えても好みの女なんか書くなよ」


 いくつか笑い声が上がってもおかしくないのだが、さすがに無言を貫くことを鍛えられている。

 数人が肩をすくめたり、両手を広げて『面白い冗談だな』といった反応する程度だった。


 騎士たちが名前を書いてトニーに見えるように紙を立てる。コメディアンがフリップ芸でもやっているかのようだ。

 どれも一般的なイタリア人の名前ばかりだが、本名なのか偽名なのかは判断する材料がない。別に、呼べれば何でもいいのでそれには触れないでおく。


「ようやく会話ができてうれしい限りだぜ。お前らが話せないのは何か理由があるのか?」


 一番側にいた騎士が、さらさらと文字を走らせる。


『国王陛下の側付きであり、陛下と最も多くの時間を過ごす騎士なので、素性をできる限り隠している』


 要は、取り入られるのを警戒しているわけだ。しかし、顔が分からなければこの内の一人を密かに排除し、それになりすまして入れ替わられても気づかなそうだが。


「ほう?意味あんのかね、そりゃ」


『正直なところ、今となっては意味は薄い。しかし十二近衛の厳しい戒律の伝統として、千年以上昔から現在もこの形が守られている』


 栄誉ある側付きの騎士だ。ちょっとくらい厳しい方が身も引き締まるというわけか。


 歴史のあるものは、大抵ルールがあるのも納得できた。


「ご立派なことだ。お前らの王様もそんなもんさっさと変えてくれりゃいいのによ。そっちの方が仕事しやすいだろ?顔はともかく、声くらい出してもよ」


『陛下も同じことを仰せだが、さすがに長きに渡って伝わってきたものを変えるのは簡単ではない』


「テレパシーみたいな魔術はどうだ?ウチにも少し使えるガキがいるが……いや、魔族と人間だと魔術のレベルが違うって話だったな。それも魔術師じゃなく騎士相手だ。忘れてくれ」


『こちらからも質問がしたいが、よろしいか』


 右手にいる別の騎士がフリップ芸を始める。

 トニーは首肯し、先を促した。


『貴殿はバレンティノ伯の兄上だと聞いている。なぜ魔族に加担し、それも将軍という高い地位を維持している?最終的にはすべての人間と争うつもりか?』


「あー、話してなかったっけか。誰に言ってて誰に言ってねぇかはいちいち覚えてねぇが。俺は、別に魔族だろうが人間だろうが、どっちが親しいってのは考えない。今回の作戦みたく、魔族だろうと喧嘩はするし、時には人間と戦ったりすることも事実だ」


 騎士たちが唸るような様子を見せる。


「ただ、降伏すればそれなりの好待遇はしているし、無差別な殺戮なんてしてねぇつもりだ。とある目標があってな。ちなみに手段は違うが、ウィリアムも同じところを目指している」


 これだけでは疑念を生むのでさらに付け加える。


「ただ、アイツの場合は同じといっても魔族を勝たせようって腹じゃない。人間が魔族を倒せればと思っているだろうさ。しかし、こうやってお互いの種族が触れ合ってみると、案外と共生の道を考えてるかもな」


 別に、支配は戦争が全てではない。どちらかがどちらかの属国、庇護下に入ってもそれは大国を成す。トニーやウィリアムの悲願である現世への帰還に近づくはずだ。


『確かに我らの魔族を見る目も少し変わった。信頼とまではいかないが』


「味方だと心強いだろ。気色悪いナリしてるが、面白い連中だ」


 これは騎士らも全員意見は一致しているようで、反発するような声……もとい、フリップは上がらなかった。


「他にも何かねぇか?今までずっと黙ってて鬱憤もたまってるだろ」


 ここで、ゴブレットを持ったウィリアムがトニーと同じように合流してきた。

 魔族の雑兵たちの席とは違い、十二近衛の卓とは近かったので、何か面白そうなことをしていると気付いてもおかしくない。


「俺もいいか、兄貴」


「好きにしろ。それにしても、筆談くらいてめぇも思いつきそうなもんだがな?放っておくなんて可哀想なことしやがって」


「可哀想?これは驚いた。誰かに世辞を言うなんて」


 可哀想が世辞なのかは置いておいて、ウィリアムの言にも一理ある。トニーの下手な気遣いとしては珍しい類のものだ。


『では将軍と伯爵のバレンティノご兄弟お二人に』


 新たな挙手とフリップ芸。


『アメリカのお生まれというのは?』


「あー、ではこれは俺から答えよう。他の面々にも何度も説明しているから慣れている。で、アメリカといってもこの世界ではないんだ。にわかには信じがたいだろうが、我々は別世界から来ていてな」


「こっちのアメリカは殺風景でクソつまらねぇしな。アメリカどころか世界全土か?魔術なんてのがある割に、文明が遅れすぎだ」


 トニーが説明ついでに愛銃を卓上に置いた。


「まぁ、これだけ見ても何なのか分かんねぇだろうが。とにかくコイツが別世界の道具だってのは理解できるだろ」


『非常に興味深い話だ。陛下がそちらの世界に行かれている可能性は?』


「それはない」「ねぇよ」


 兄弟同時の返答。彼ら自身が帰りたいと願っているのに、ホイホイとイタリア国王が飛ばされていては困る。


 なのでこの意見は事実というよりも二人の願望に近い感情も含まれているのだが、そうだとしてもほぼ間違いはないと思われる。


 大魔王アデルが言うには、その世界で最も力を持つ国家が明白であるときにのみ、星守と呼ばれる存在が顕現し、それが世界を渡る、あるいは対象に世界を渡らせる能力のようなものを持っているという話だったはずだ。


 現在、この世界で最強国家というのはアメリカなのか、イギリスなのか、はたまたドイツやフランス、ロシアなのかは定かではない。

 どこかの国が一強であるという、星守が現れる条件は未だ整っていない。


『安堵した。そんな状況であれば我々はどうしていいか分からなくなるからな』


「それは我々も同じだよ。異世界から来たとはいえ、不慮の事故のようなものだ。帰り方なんか知らないからな」


 知らない、は言い過ぎだが、星守の話は確証のない希望ではあるのでトニーも否定はしなかった。


「そうだ、話は変わるがお前ら強いんだってな。剣で戦うのか?」


「それは俺も気になっていたところだ。実はイタリアにいながらも、十二近衛の実戦は目にしたことがない」


『その通りだ』『我々の剣は王を守ることにのみ使われる』『わが国で敵う者はいまい』


 余程自信があるのか、複数のフリップが上がる。


「せっかくの精鋭なのにいつもは王の警護とはな。前線に行く機会のなかったてめぇらにゃ、今回の喧嘩はデカいイベントだろうさ」


「陛下がいない時に本領発揮というのも悩ましいところだな。十二近衛の力は騎士団のタルティーニ中将も常日頃から欲しいところだろうに」


 ウィリアムの言うイタリア国内の事情はトニーにとって新鮮な話だ。


 確かにいつも魔族や外敵と戦うのは騎士団だろうが、そこにこの騎士たちはいない。せっかくの戦力も王の供回りだけでは宝の持ち腐れのように感じる。


『それは言わないでくれ』


『我らも民のために力を奮えないのは思うところがあるが、陛下の御身の安全こそが使命であり、誇りなのだ』


『民の命を軽視するわけではないが、王は国の象徴だからな。最大戦力をそこに割くのは当然のことだ』


 またもいろんな意見が一斉に飛んでくる。案外と騎士たちはおしゃべりなのかもしれない。


「その最大戦力がいながら攫われてんじゃねぇか」


「いや、トニー。それは俺の責任だ。陛下の失踪を彼らだけのミスにしては良くない」


「そうかよ。先に言っておくが、これはウチの連中の仕業でもねぇからな。んなことやっても何のメリットもねぇ。多少は疑いも残ってるだろうが、全面的に協力してやるんだからむしろ感謝しろ」


 犯人は分かっていない、というのが今のところの答えではあるが、トニーの言う通りロサンゼルスの魔族が加担している可能性は限りなく低い。

 仮にやっていても、トニーがセクレタリアトやジャックに命じて話は広めているので、国王の身柄が返ってきていない時点でおかしい。


 騎士たちも、トニーの言を完全に信用はできずとも、概ね友好的だ。


『こちらに渡りたいと仰せだったのは陛下御自身だ。その責任を誰かに問おうなどとは思わない』


『その通り。国元の連中は躍起になって我らへ責任を問うてくるだろうがな』


『そうならないためにも、陛下を見つけ出さねば。攫った者には天誅を下してやる』


 最後のフリップを出した騎士が、高々と剣を掲げる。それに倣うように、次々と十二の剣が煌めいた。


「大盛り上がりで結構なことだぜ」


「おい、みんなここで抜剣するのはやめておけ。トニーに刃を向けるのかと魔族連中が勘違いするぞ」


 勿論そんな心配はない。

 煌めく刃が多少の目線は集めたが、突如、十二近衛がトニーに攻撃を加えるとはこの会場の誰も考えてなどいない。


 少し離れて見守っているジャックも直立不動のままだ。


 ただ、十二近衛はかなりの実力者だという。このまま騎士の誰か一人が気でも狂って剣を振り降ろしたら、ジャックの防御は間に合わないだろう。


 勿論そんなことになるわけもなく、ウィリアムの注意を受け、素直に全員が剣を鞘の中に戻した。


「ちなみに魔族の強敵とやり合ったことはあんのか?」


『ほとんどの者がないな。国王陛下に魔族の凶刃が迫るという事は今まであまりなかった』


「ほとんど、あまりってことは、ちょっとはあんのかよ。まぁ、のらりくらりと前に出て行っちまう国王なら危ない橋も渡るか」


 トニーに同意するように、数人の騎士が頷いた。

 彼らは彼らで、安全な場所にいるものの、それなりの気苦労はあるらしい。やはり今回の誘拐事件はその最たるものだと言える。


「兄貴はそこまで陛下との絡みも無かっただろうが、接しているとよくわかる。国王らしからぬ、落ち着きのないお人だよ」


「ガキのお守りみたいに言いやがるな」


「正直、否定できない部分もある。だが、それ以上に人徳で臣民を惹きつける、強烈なカリスマ性も持ってはおられるがな」


 第三者目線で見れば、トニーにもそれは備わっているのではないかという意見が上がるだろう。

 しかし、本人がそんなことを気にしているわけもなく。


「はっ。そんな言い方じゃ、放っておけねぇから金魚の糞がくっついてるようにしか聞こえねぇぞ。ただ、王は王だ。普通の奴とは違う感覚で生きてるってことは分かる。無邪気で探求心がガキみたいに強いのも、王宮で縮こまって生活させられてりゃそうなるだろうな」


 非常に悪い言い方だが、騎士たちもこれに何か言うわけではなかった。

 トニーがイタリア王を侮辱しているわけではないことくらい、彼らも分かっている。


 そこで、親しいウィリアムからの一刺し。


「放っておけないのは、トニーも同じだぞ」


「うるせぇ。イタリア国王に俺に、世話が焼きたいだけのお袋かよ」


 茶化してはいるがこれは本当にその通りで、ウィリアムは誰かの補佐というのが非常に身の丈にあっていると感じる性分だ。

 そのおかげで組が回っていたというのも、トニーは十分理解している。だから弟の意見は、耳が痛い話でもある程度は聞く。


「分かっているくせによく言う。みんなを引っ掻き回して、それで放っておけない大勢を率いてる。そして一国の王と比べられてもおかしくはないくらい、こっちの世界では大物じゃないか」


「ふん、特に後者は認めておいてやるよ。こんな田舎でお山の大将やって、そのまま死ぬつもりはねぇけどな」


「悪い場所とは言わないが、ここで終われないというのは同意だな」


 王に匹敵する大物、というワードに反応があった。騎士からの新たな質問だ。


『魔族での将軍というのは、こちらの国での騎士団長や軍司令と違った意味合いなのか?』


「あ?意味としては一緒だろうよ。城があって、支配地域があって、部下が大勢いる。ただ、裁量は広いな。自由がモットーの大魔王株式会社さんだ」


『株式……?となると、軍人というよりは領土持ちの貴族、領主と近いのかもしれないな。上に王はいるが、自領ではほとんど縛りがない』


「逆に俺はそれを知らねぇが、似てはいそうだな」


 税収などがある分、トニーよりもその領主とやらの方が領民を虐めて私腹を肥やしてはいそうだ。

 魔族も税制はなくとも人間の街で定期的に略奪を行うので、そちらの方が外の者からすると悪質ではある。苦労するのが内か外かの違いである。


『大魔王について訊きたい。どんな化け物なのだ』


「でっかい悪魔だな。角があって翼があって牙があって、まさに化け物ってのを絵に描いたような奴だ。ただ、会話はそこそこできる。誰かれ構わず取って食うような畜生ではないぞ」


 大魔王アデルは、悔しいがトニーの恩人でもある。魔力と地位を与えてくれたのは他でもない彼の力のおかげだ。

 星守の話がガセネタだった場合を除いて、敵対する理由も意味もない。


『力で魔族を支配しているわけではないのか』


「それは合ってるんじゃねぇか?ただ、強いってだけじゃねぇって話だ。嫁の尻には敷かれてるみてぇだがな」


「ははっ、大魔王も鬼嫁には勝てないのか。いいネタが聞けたよ」


 もし魔族を倒すという目標を掲げるなら、大魔王をも尻に敷く王妃も倒す必要があるのかもしれない。

 トニーが本気で怒ったのならば一族根絶やしくらいはするであろうから、王妃を特別狙い撃ちするわけではなく、勝手に巻き込む形にはなるが。


「自分で笑いの種にしてるくらいだから、おしどりなのかもしれねぇがな」


『強さはどんなものだ?』『王妃も強いという事か?』


 二人の騎士から、二つの質問。


「強さは魔族界では最強ってことだろうな。タイマンで勝てるやつはゼロのはずだ。嫁の強さなんか知らねぇよ。会ったこともねぇ」


「嫁といえば、俺としては兄嫁の強さも気にはなるがな」


「カトレアも最強格ではあるが、魔術分野に限定だな。それに加えて、爪で引き裂いたり牙でかみついたりできるのが大魔王ってところだろうよ。そんなことするのかは知らねぇが」


 正直、大魔王の強さについてはトニー本人は何もわからない。

 ただ、魔族の中で最も力を持っているのは確実なので、肉弾戦も得意なはずだ。


『では、今回のターゲットの方は?強いのだろうか。オースティン副長だったか』


「何だ、急に現実的な仕事の話を持ってきやがる。まぁ、オースティンはよくわからねぇ。アイツは魔王正規軍の副長だが、団長のエイブラハムって獅子は俺が撃ち殺したな」


「ほう!それなら期待が持てるな!やるじゃないか、兄貴」


 あくまでも団長より副長の方が実力が低い、と見積もればの話だが。

 オースティンはどこか、底が知れないので注意はしておきたい。


「自慢にもなりゃしねぇがな。しかし犬っころを殺す事ばかり考えて、国王をおざなりするなよ。あくまで奴の首は副賞だ。大当たりは国王の奪還だろうが」


『言われるまでもない』


 オースティンはモスクワに入り、ロシア皇帝に接触するための敵役だ。

 その前にイタリア国王の所在が掴めれば良かったのだが。


「どっちの可能性が高いと見てる?」


 ここでウィリアムが言うどっち、とはオースティンが国王の身柄を持っているか、ロシア陣営の街のどこかにいるかという意味だろう。

 何度も繰り返された話ではあるが、やはり誰もが気になる。


「さぁな。犬っころが隠している理由は何もない。いても部下が勝手にやったって話だろ。だが、それ以上に魔族の介入は確定なんだから人間の街にいるとは考えづらいだろうぜ」


 であれば無理をしてオースティンと敵対し、モスクワ側に取り入る意味はあるのかという疑問が出てくる。

 しかしこれはどちらかというと、アメリカが覇権を握ることへの布石だ。


 勿論、ロシア国内で動きやすくなり、特に最大都市のモスクワまで国王を探索できるという利点はあるので、ウィリアムや十二近衛を騙しているとまではいかない。


『オースティン副長が認めない以上は、ロシア皇帝と関係を密にするという他ないか。外交までいち将軍の裁量で決めれるのは驚きだ』


「普通は越権だろうな。だが俺らにゃそんなことは関係ねぇのさ。だいたい、魔族サイドは全人間の国家と敵対であるってのがデフォルトだ。勝手に手ぇ組んだり、属国にしたり、植民地にしたって、戦争して滅ぼすのに比べれば大した問題じゃねぇ」


 皆は知らないだろうが、六魔将や魔王正規軍を含めても、こんな変わったことをしているのは魔族の中でもトニーくらいである。


「大魔王も、人間を滅亡させるのではなく、屈服させればそれでいいとしているのか?」


「知らねぇ。だが俺の直轄地のことまで口は挟んでこねぇはずだ」


 戦わずして生き残りたい人間はトニーのもとへ集まるのが最善策だと言えるが、それを許さない国も多い。イタリア以外の列強国などは従わさせるのも難しいだろう。


 そして、トニーはこの世界のアメリカが覇権を取ってしまえば、後のことはどうだっていい。


 トニーやウィリアムが現世に帰ったとして、その時にトニーが属国を持っていたとしても、事後処理は残った魔族に託されるだけのことだ。彼らがそのまま生かされようが、食糧になろうが知ったことではない。


 最低限、人権くらいは守られるように配慮はするが、それも歴史の中で消え去ってしまう可能性が高い。

 いずれまた、人間と魔族で戦争になるか、あるいは一方的に人間が蹂躙されて捕食されてしまうか、はたまた人間が大逆転劇を繰り広げるのか。


 それでも、もっとも望ましいのは平和が続くことではある。

 ただ、ハイテク化が進んだ現世ですら人間同士で殺し合っているというのに、種族の違う者同士が暮らすこちらの世界でそれが叶うか。


 神のみぞ知る。


……


 神といえば、星守とはそれに果てしなく近い存在なのだろうか。


 アン、ツヴァイ、サラーサ、クアトロ、ファイブ、シャスチ、チー、ハチ、ノービ。

 この世界は九つに分かれたパラレルワールドであり、それを行き来させる

存在。


 意外に少ないのも興味深いが、自身ではなく、他者を送るというのが面白い。

 理由も手法も良く分からないが、とにかくファミリーはそれに選ばれた。


 トニーやウィリアムは迷惑だとしか思っていない部分が大きいが、シャスチという魔族と人間が住まう混沌の世界への来訪、それは珍しい経験としては最上級のものだ。


「その話……みんなには共有できないな」


 トニーの心の中を読むように、ウィリアムが耳打ちしてきた。

 見透かされた不快感はあれど、こんなものは日常茶飯事だ。


 血を分けた兄弟だから、という理由ではなく、ウィリアムの洞察力の高さが成せる業である。


「てめぇは知っていて、それでどうするつもりか。まだ聞いてなかったな」


「聞かせていないんじゃなく、決めれていないだけさ。どちらにせよ、最終目的は同じなんだ。どんなプランが最善かは、それを成就した後でも遅くはない」


「そうかよ」


 アメリカが最大国家となった後でも遅くはないとは驚きだ。そこから巻き返せる国なんて存在しないと思うが。

 いや、そもそもが覇権国を作ることが現世帰還と関係なかった場合のことを言っているのか。


「いずれ俺と敵対してでも、そのプランとやらをやろうってか」


 十二近衛を含み、トニーの言葉でピリッとした緊張感に包まれる。


「いいや?だからまずは、兄貴のやりたいことを見届けるつもりではいるさ。それが仮にダメだった時、むしろ逆に協力を仰ぐかもしれないな」


 しかし、ウィリアムはサラリとそれを躱す。あわや両陣営を巻き込んだ大規模な兄弟喧嘩にでも発展するかという危機は、簡単に回避された。


「はっ、気に入らねぇな。やる前から次善策とは」


「慎重なのが俺の取り柄なんでね。その分、思い切りが足りないところは頼りにさせてもらってる」


 物は言いよう。しかし、トニーの突破力とウィリアムの根回しがあってこそのバレンティノ・ファミリーだ。

 両翼がそろっている今、トニーが一人で組員と、さらには魔族の兵士らを引っ張って来た状況よりも格段に力は増している。


『こうして見ていると、本当に兄弟なのだなと我々も思わされる』


「どこがだよ」「どこを見てだ」


 鋭い返答がトニーはおろか、ウィリアムからも飛んだが、そのリアクションに兄弟が目を見合わせ、騎士たちは体を揺らして声のない笑い声をあげていた。

 なるほど、これならあの程度で仲違いは発生しまい、と誰をも納得させる反応だ。


「チッ……本当に気に入らねぇ」


「これは一本取られたな。だが、しばらく離れていた割には息が合っているとも取れる。今はモスクワ、オースティン副長、そしてイタリア国王陛下と、協力すべき点も多いわけだし、プラスに取っておくとしよう」


 モスクワ、オースティンは主にトニー、イタリア国王はウィリアムの目標ではあるが、やることはほとんど同じだ。


 モスクワに展開されたオースティンの部隊に加担すると見せかけ、逆に奴の部隊を粉砕する。

 それでモスクワに恩を売り、あわよくばオースティンの首を取り、その後に自由が利く状態でモスクワ市内にもイタリア国王捜索の手を伸ばす。もっと言えば、友誼を結んだロシア皇帝にも手伝ってもらえると助かる。


「少し長話しすぎたか。てめぇら、まだ質問はあるか?」


「むしろ俺から騎士たちに聞きたいんだが。仮に、陛下が見つからない……あるいは最悪の結果となった場合、身の振り方は考えているのかをな」


 イタリア国王が失踪して長くなるか、死んでいることが発覚した場合か。なかなか面白い質問だ。


 沈黙。一枚たりとも回答はなかった。

 単に考えていないのか、玉砕や自刃の決まりがある可能性もあるので深追いはできなかった。


……


「処刑でもされるかもってのは、お前も話してたところだろう。最悪の場合、あの騎士連中がそれを逃れる手段はねぇよ。それがなくとも高い忠誠心だ。後を追う腹なんだろう」


 トニーとウィリアムは騎士たちの卓から離れ、自席へ戻るところだ。

 なんだかんだで、こうして二人になる機会はそこそこ作れている。


「まぁな。さっきの質問の仮の解答としてなんだが、陛下が崩御されていた場合は俺も騎士たちと同じ運命を辿るしかなくなる。その時は守って欲しい」


「当たり前だ。むしろ今すぐ組に戻らないのが意外なくらいなんだぞ」


 トニーとて自由人だ。ウィリアムも今の立場でやりたいことはいろいろとあるはずなので、満足するまでは好きにさせている。

 ただ、処刑されてしまうなどの場合は例外だ。力づくでも連れ戻す。


「意外なもんか。問題は多角的に見る必要がある。俺達は揃って現世に帰りたいわけだが、魔族側と人間側に分かれていたのはむしろ好都合。どっちに答えが転がっているかなんて分からないんだからな」


「で、お前は何も見つけられてないが、俺はヒントを持ってる。それで戻らないのは意外じゃなくて何なんだか」


「それはそうだが結果論だろう。厭味のつもりならやめてくれ。逆にこちらで何かヒントの発見があれば兄貴にも共有する」


 トニーの心無い言葉にウィリアムは心外だ。


「可能性は高い方に賭けるべきなんじゃねぇのか」


「ゴール間近ならな。たとえば、アメリカが世界の覇権を取って、星守が出なかったときなんかは別のプランが必要になるだろう」


 帰還できることが確定すれば合流するが、あくまでもそれまでは色々と探っておきたいというのがウィリアムの主張だ。


 これはどちらが正しいわけでも、間違っているわけでもないので、議論は無駄な時間、平行線となる。


「それは言ってた通り、大魔王と戦争だ。俺を騙しやがった罰を受けてもらわねぇとな」


「それは好きにやってくれ。組員も失ってるんだ。嘘だったら制裁を加えるのも当然だと思う」


「んだよ、他人事か?世紀の大喧嘩くらい、お前も手ぇ貸せ」


 気が向いたらな、という意味でウィリアムは手をひらひらと振った。


 手を貸さないというよりは、本当にその時のウィリアムの状況によるだろう。他で現世に帰る何かのきっかけを掴んでいれば、そちらを優先するまでだ。


 ここで卓に到着した。やはり相変わらずカトレアが騒いでいて、他の列席者たちを困らせていた。


「だーかーらー、お魚は閣下が……あっ、閣下!レディを置いて浮気しに行くなんてさいてーなんですけど!」


「あぁ?部下の卓を回って話すのが浮気だってんなら、最低なのかもな」


「浮気浮気!浮気!浮気浮気!うきわ!」


「うるせぇぞ、何を言ってんだ」


 連呼し過ぎて口が回らず、関係ない単語が出ているのもご愛嬌だ。

 まだ魚のことを話していたので、頼まれてもいないのにもう一匹、大皿からカトレアの取り皿に投げつけるように移してやる。


「えぇっ、もういらないよぉ!でも頑張って食べる、ありがとう!」


「いっぱい食って大きくなれよ」


「……それでごまかしが利くんだな」


「駄々こねるガキに菓子や玩具を渡すようなもんだ」


 まだ子供はいないというのに、カトレアのおかげでトニーも子供の世話がうまくなったものだ。もっとも、カトレアは子供ではないし、本物の子供に比べれば聞き分けも良いとは思われる。


「将軍、なにやら騎士たちと会話らしきものをしていたようだが」


 助け舟を出すわけではないが、同卓のクロエがそんな話題を振った。ウィリアムもそちらへ移動していたのでその様子は気になって見ていたようだ。


「あぁ、初めての会話に感動してたところだ。連中、思ってたよりもユーモアがたっぷりでな」


「それは興味深い。骨の髄まで寡黙というわけではなく、筆談なら雄弁なのだな。戒律とは面倒なことだ」


「お前のところもルールくらいあるだろ。いや……あってないようなものか?」


 隣の小隊長が目に入ったせいで、トニーは発言を撤回した。

 彼はトニーにも負けずとも劣らない自由人だ。それに、クロエ自身もこうしてアメリカやロシアなどを訪れている。雁字搦めの十二近衛とは比べようもない。


「あるにはあるが、我が国は自由主義ではあるな。イタリア王国も似たようなものだとは思っていたが、軍人となるとまた違う。いや……あってないようなものか」


 彼女もまた、小隊長をチラ見して、トニーと同じことを言ってしまった。


「んだよ、チラチラ見てんじゃねぇ。それよりこの魚はマジでうまいぞ。ちっこいお嬢ちゃんの舌は確かだ。魔族にも美食って概念があるみたいだな」


「そ、そうだな。私もこの料理は美味しいと思う」


 小隊長のカトレア贔屓はいつものことだ。彼の場合は本当に娘のようにかわいがっている。


 クロエは魔族に対する見聞を深める目的であり、小隊長はカトレアをかわいがる目的でここにいると言っても不思議ではない。

 もちろんそれは過言に過ぎないが。


「もうお腹いっぱーーい!おじさん食べる?」


「あぁ?いらねぇなら貰ってやるよ」


 トニーが投げ入れた魚が小隊長にたらい回しされている。

 彼も満腹に近いはずだが、残った魚くらいならそれをあてに酒をちびちびやれそうだ。

 そしてその予想通り、小隊長は魚を少しだけつつきながらウォッカをあおっている。


「それで、話を戻すと騎士たちはどんな話を?」


「あー、そうだな。腕には自信があるってのはやたらと自慢げだった」


「さすがはイタリア王の側近というところか。次の戦でその雄姿を見れるのに期待できそうだな」


 そうは言うが、クロエはあまり荒事に関心はないはず。

 それに、十二近衛はウィリアム側の隊に組み込むので、トニーの近くにいる予定のクロエ達からは少し距離がある。


「意外なことを言うもんだな。あとはやはり、魔族の……というより大魔王の強さだとか、将軍というこの地位のことだとか、そんなことを質問されたくらいか」


「それは私も気になるところだな。大魔王の強さは特に」


「なんてこたねぇよ。大魔王は魔族内で最強だろうし、アメリカでの将軍はある意味、お前らの国でいう領主みたいなもんだって話だ。そもそも、今は魔王の話よりもオースティンの野郎だ。叩き潰してやるぞ」


 クロエがメモ用紙を取り出して走り書きしている。久しぶりに見る光景だ。


「魔王様は強いよ!せかいさいきょー!たぶん!」


 思い出したかのように、カトレアもそう付け加えた。というよりただ復唱しただけで、何の情報も持たない発言であった。

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