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#19

 謁見は女団長だけとし、他の者の入城は一切拒否する。

 それが最初の回答だった。


 こちらから、トニーの言伝を受けて、彼や他の腹心、ウィリアム自身なども謁見に含めるようにとの打診。

 そこからは一切、クレムリンからの連絡がない。

 協議しているとも見えるが、拒否だと捉えて間違いないだろう。


 それでもなお、ウィリアムは圧力を与えるために城門で待ち続けている。


「どちらもへそを曲げている、ってところか。我慢比べは嫌いなんだがね」


「我慢せずにいっぱい出した方がいいよぉ」


「幼子、それも女児が小便や射精みたいに言うんじゃねぇよ」


「やーい、弟くんのエッチー!」


 何が面白いのか、トニーの嫁だという魔女カトレアがウィリアムの周りをぐるぐると回ってはしゃいでいる。


「寒空の下で元気にはしゃげるのは、魔族だからなのか、それとも幼さゆえなのか……」


 これでもかと厚着をしたチェザリスが凍える声で言う。

 慣れてはきたが、こうやって城門前で立ち尽くすのは骨が折れる。


 毎日、日が暮れそうになると空間転移で近くの街に退避して宿をとるが、ウィリアムもそれが待ち遠しくてたまらない。


「寒ければ火に当たって来い。終わりの見えない戦いだ。風邪で離脱なんてのは軍人として嫌だろう?」


 ウィリアム達が起こしたものではないが、城門の近くには焚火が置かれている。城外の警備に回っている兵や、出入りをする商人、農民らが暖まるためのものだ。


 そこで茶を飲んだり、タバコをふかしたりする者も多いので、ちょっとしたコミュニティが生まれている。


「それもそうですが、ここを離れて火に当たってばかりなのも恥かと」


 チェザリスがちらりと視線を送った。


 カンナバーロが両手をこすりながら焚火の近くに堂々と陣取っている。無論、ウィリアムがそれを許可したからに他ならないが、門の前に立つ時間が極端に短いのはよろしくないとチェザリスは思っているようだ。


 ただ、彼が離れていることはどうでもよい。圧力を最も与えるのは魔族の兵士だろう。彼らは常にウィリアムの後ろに控えている。


 ロシア兵たちを率いる女団長も同じく立ってくれているが、彼女は入城を許可されているので、単独で時折市街地まで入っていき、差し入れを買ってきてくれている。

 茶や食料、タバコがそれだ。


「人には向き不向きがある。おおらかにいこうじゃないか」


「はぁ……了解しました」


「あたしは~?あたしは何に向いてる~?色仕掛けなら得意だぞ!」


 誰に向けてか、カトレアが投げキッスをしている。

 はじめはトニーと一緒にいたいと帰ろうとしたり、駄々をこねていたが、いつの間にかウィリアムやチェザリス達とも仲良くなって、今はそういった事は言わなくなっていた。


「そりゃあ、魔術だろう。魔族でも最強核だって聞いている。それはもはや、この世界で最強の魔術師なんじゃないのか?」


「んー、最強はおばあちゃんかな!それか陛下!それか閣下!」


「いや、何でトニーが入るんだよ……」


「閣下はかっこいいんだもん!」


 好いているせいで生じる依怙贔屓に呆れる。しかしカトレアにとって、トニーは強いとみなされているようだ。


 トニーはマフィアの頭だ。

 仮にその地位がなくてもあの性格だ。事業をするなり何なりで、大きな成功は収めただろう。

 そのおかげで現世でも女に苦労することはなかったが、幼子、それも魔族などという訳の分からない存在を娶るとは。


 そしてそれが、カトレア本人の望むような色恋ではなく、彼女の力を手元に置いておくための手段だと分かりきっているから気の毒だ。


「陛下というのは大魔王か?やはり強いんだな」


「魔族は力がすべてって考えがあるからねー。多少は賢さも評価されるけど、王様にまではなれないかな」


「トニーが含まれてるという、六魔将の選抜条件も似たようなものか?あとは、三魔女だったか」


「多分そうだけど、よくわかんない。将軍っぽい人が将軍だし、魔女っぽい人が魔女!」


 要するに、強さがある程度あればあとは適当らしい。


「なるほどな。カトレアは、トニーのどこに惚れ込んだんだ?弟の俺が言うのもなんだが、苦労も多いだろうに」


「そうなの!聞いてよ、本当にさぁ!閣下ったら、あたしがいくら誘っても一緒に寝てくれないし、うぶなんだから!これだからお子ちゃまってさぁー」


 亭主の愚痴を嬉々として友人に漏らす新妻のように、カトレアが饒舌になり始める。

 どこの世界でも、どんな世代でも、世話話が好きな女が多いというのは変わりないようだ。


「お子ちゃま、ね。カトレアから見たらトニーは幼く見えてしまっているわけか。面白いな」


「そうだよ!身体ばっかり大きくなって、心はお子ちゃまなの!それなのに、あたしにはガキガキって子ども扱いしてくるんだよぉ!信じらんないよねぇ!それと……閣下に言い寄ってくる雌猫が」


「ストップストップ、そのくらいにしておこう。ここにはトニーの部下もいるんだ。あまり彼を下げるようなことを言うのはよろしくない」


 愚痴を引き出すような問いかけ方をしたのはウィリアムだが、ここまで出てくるとさすがに気まずい。


 それを言っているのはトニーの嫁であり、聞かされているのはトニーの実弟だ。

 だから、忠義に厚い魔族の兵たちが怒るなど、ましてや害そうとするなど有り得ない。それでも方々から突き刺さる彼らの視線は痛いのである。


「えぇー?そっちから言ったんじゃんー」


「一応言い訳させてもらうと、俺はどこに惚れ込んだのかを訊いたぞ?トニーにも多少の欠点があるのは認めるが、こんなに悪口ばかり言われるとは思ってもみなかった」


「いいところねぇ。かっこいい!強い!大きい!頭がいい!」


 最後の一つは意外だが、身も心も幼少期であるカトレアからしたら、そうなのかもしれない。


「あとついでに、かっこいい!」


「いや、二回目だなそれは。今聞いたばかりだぞ」


「知ってるし!強調したかったのー!」


 しかし、あのトニーが振り払えなかった存在だ。愛嬌があるのも確かで、その上で実力は魔族内屈指。好意を突っぱねて逆恨みを買い、敵対するよりはマシだという判断、苦肉の策での婚姻という形だろう。

 それだけの条件で全面的な味方になるのであれば心強い。


 ウィリアムが同じような状況に陥った場合でもその判断を取るはずだ。


「そうか。トニーは果報者だな」


「でしょでしょ!かほうものってなぁに?」


「幸せな男だってことだよ。こんなにも可愛らしい嫁さんがいるんだからな」


「ほほーう。惚れたのかい?さては不倫をご希望ですかな?」


「何でそうなるんだよ」


 冗談なのは分かりきっているし、仮に本気でもトニーの嫁である事と、カトレアがどう見ても幼児である事、二重の意味で絶対に断る提案だ。

 否定の言葉にもついつい力が入る。


「照れてる照れてる。やっぱり兄弟なんだねぇー。閣下も毎晩あたしの色仕掛けにタジタジなのだ!」


「言ってろ。それに、あまりそうやって自分を安売りしない方がいい。俺をからかってもトニーが可哀想じゃないか。愛してるんだろ?」


「うん!そっか、弟君をからかったり、閣下に詰め寄ったりするのはいけないんだね。男心は難しいねぇ」


 返事は良いが、これから先も彼女は何度も同じことをやるだろう。


 ウィリアムにこんなことを言わせるくらいだ。トニーが注意していないはずなどないし、今まで怒鳴られてもあっけらかんとしてきたカトレアの顔が浮かぶ。


……


「さて、そろそろ日が暮れそうだな。今日は戻るとするか。おい、大尉」


「はっ。皆に伝えてきます」


 ここでの仕事で恒例となった、空間転移による帰還の時間だ。基本的には最も近い衛星都市に宿を取っている。

 徒歩ではないので、日が暮れるぎりぎりまでモスクワの城門前にいることができるのは非常に便利だ。


 ウィリアムの部下たちや騎士、ロシア兵、そしてカトレアを含む魔族の連中がすべて揃った。

 転移の前に点呼を取り、置いてけぼりがいないかを確認すると、城門から離れて人のいない街道まで撤退。

 そこで空間転移の魔術を発動して、次々と移動を開始した。


 空間転移はほんの一瞬で長距離を移動できるが、出る先も郊外だ。

 転移した先でも少しばかり歩き、ようやく寝床が準備されている街へと到着した。


「はぁ~疲れた疲れた。今日もご苦労様ですっと。宿は……あそこだったか」


「軍曹、貴様は火に当たっていただけだろう。それで疲れたとは大したものだな」


「えっ?隊長、何を言ってるんですか。自分はあの場で市民たちと交流し、情報を抜き出す仕事をしているんですよ。それよりも早く宿で温まりましょう」


「調子のいいことを言うな」


 ウィリアムはカンナバーロにそんな指示をした覚えはない。自主的にやっているのであればそれで構わないが、おそらく方便だろう。


「おい、すぐ着くんだから痴話喧嘩は部屋でやれ。わざわざ住民にそれを見られる必要はない」


 ウィリアムの言う通り、道端には多くの市民らがいる。

 ぞろぞろと歩いている魔族連れの集団は嫌でも目立つので、朝夕の移動はちょっとした見世物になってしまっているわけだ。


 時折、宿は変えていて、ここは衛星都市への滞在が始まってから二軒目の宿だ。


 二階にある客室は質素そのもので、ウィリアムとチェザリス、カトレアと女団長が狭い二つの個室をそれぞれ二人部屋として利用。騎士や兵士など他の面々はタコ部屋のいくつかに分かれて大勢で寝泊まりしている。


 大型の魔物たちは部屋に入れず、一階の食堂に寝泊まりしている。

 そのせいで夜の酒盛りは一般客が一人も寄り付かず、店側としては迷惑だろう。


 それを避けるために多少多くは宿賃を包んではいるが、それでも酒場営業をした方が儲かるはずだ。


 ただ、昼の食堂営業の客入りは特に変わりないらしい。むしろ、夜の間のウィリアム達、特に魔族の行動を宿の主人から聞きたいらしく、少しだけ客入りは増えたそうだ。


 それを鑑みると、利益はウィリアム達の利用の有無に関わらず、あまり変わっていないのかもしれない。


「……ふぅ」


「お疲れのご様子ですね。明日以降は軍曹と場所を変えられてはいかがでしょう?あれはサボりすぎです」


 客室、チェザリスとの相部屋につくなり、ベッドに仰向けになるウィリアム。

 荷物を置きながら、そんな主人にチェザリスが声をかけた。


 分離されたことで、先ほどまでの軍曹との口論は一旦終了している。


「好きにさせておいていい。さっきも言ったが、軍曹が輝く舞台は門の前に立つことじゃない。長い仕事になりそうだからな。途中で音を上げてついてこなくなるよりはマシだろう」


「そうなったとしても、引きずって連れてきますよ」


「俺は軍人じゃないんだ。軍隊式の根性論でどうにかするのは最終手段にしてくれ。不利益を産んでいない間はそっとしておいてやれ」


「……了解です」


 自分にも他人にも、特に部下には厳しくするように努めているチェザリスを納得させることはできない。ただ、命令とあらば必ず従う性格に甘えさせてもらう。


 コンコン、というノックの音。

 返事の前に扉が開く。実はこれは毎晩のことで、すっかり慣れたものだ。


「やっほー」


「失礼するぞ」


 隣の客室を二人部屋として利用しているカトレアと女団長だ。

 雑談がてら、街の中の様子を女団長に聞かせてもらうのが日課となっている。彼女だけはモスクワの中に入れるからだ。


 女団長は扉のすぐ近くで起立したままだが、カトレアは勝手にウィリアムのベッドに飛び乗り、飛び跳ねて遊んでいる。


「今日も市内の露店で買い物をしてきたが、王宮には目立った動きはなかった。やはり回答は沈黙。私以外の謁見を許す動きはなさそうだ」


「魔族を危険視しているのが一番だろうが、プライドがそうさせている部分もありそうだな。事実、トニーは次々と衛星都市との交流を結んでいる」


「それが、魔族から襲われて滅んでしまった場所もあるようだ」


「それも報告は受けている。拠点として利用するために、少しばかり再建したそうだ。それがモスクワ侵略の足掛かりとみられているか」


 これは起きてしまったこととして、受け入れる他ないとウィリアムは考えている。仮にその街を放置していても、クレムリンからの心証は変わらないはずだ。


 誰が襲ったのかは知らないが、トニーの策を邪魔しようとしていることから十中八九、仇だと言っていた魔族の一団だろう。


「そんな意志はないと兵士長には伝えたがな。この場で斬られないだけありがたく思え、と突き放されたよ」


「打つ手なしか。明日、またトニーに連絡を回そう。これ以上できることはなさそうだとな」


「そうなった場合、将軍はモスクワに攻め入るなどと言い出さないだろうか?」


 不安げな意見ではあるが、質問した女団長本人も、まさかそうなるとは思っていないはずだ。


「いや、それはないと言い切れるさ。今は敵対する魔族をロシアから追い出すか駆逐するのが先決。わざわざ二正面と構える理由もないし、そうなればアンタらの兵団はウチから離反することになる。モスクワとの敵対には何の意味もない」


「将軍は荒いお人だからな。思い通りに行かなければとも思ったが、実弟の貴殿が言うのであれば間違いないだろう」


「あんな城を落とすなんて御免だしな。ただし、モスクワ側からこちらへ、恩を仇で返すような真似をされたら黙ってはいられないぞ」


「それは私が全力で阻止しよう。ロシアの街を開放し、魔族を倒してきたのは紛れもない事実であり、将軍は味方だ」


 トニーの入城拒否の時点で恩を仇で返されているわけだが、攻撃を受けたわけではない。

 そのラインを越えられたら、ウィリアムもトニーを止めることは絶対に敵わない。


 むしろ、自らも進んでモスクワを黙らせようとするだろう。大都市モスクワを含んだロシア全土で、イタリア国王を探せるようになるにはそれしかない。

 魔族が犯人である線が濃厚である以上、国王がモスクワにいるという可能性はそう高くないわけだが、だからといってこの国最大の都市を見過ごすわけにはいかない。


 女団長らはモスクワから攻撃を受けても説得を続けようとするだろうが、襲われたから反撃をするだけという大義名分を得られる以上、こちらと敵対して手出しをしてくることもなくなるはずだ。


 ただ、これはあくで最悪のケースであり、ウィリアムはもちろん、トニーですらもそれは望んでいないので、急襲があった場合などは被害が出る前に、一度遠くへ撤退するつもりだ。

 死人や怪我人がなければトニーも怒りはすまい。


「入れてくれないなら、どーんってやっちゃえばいいのに」


「カトレア殿……騒ぎを大きくしては、仕事がし辛くなるだろう」


「だって、もう飽きたんだもーん。あの街ってそんなに大事かなぁ。早く弟くんの王様を探して、ついでに副長を殺そうよー」


 今のところはお行儀よく従ってくれているカトレアも、やはり心の中では思うところがあるらしく、退屈で、不満であることを隠さない。


 魔族でなかったとしても、彼女ほどの超越者であれば力業で解決してしまいたくなるのも納得だ。

 それを許可するわけにはいかないが。


「我が君を気にかけてくれているのは意外だな。しかし、ロシア皇帝もそれと同じくらいには考えてやってくれ」


「えー?弟くんは優しいね。閣下を無下にした奴なんか、どうだっていいのにー」


「優しさじゃないさ。仕事をしているまでだ」


 ウィリアム自身もイタリア国王の足取りがつかめないことに焦りは感じている。

 殺されていたなど、最悪の事態も脳裏には浮かぶが、それはできる限り表に出さないし、言わない。

 交渉などの材料としてはこの上ない人質。それ目的でさらわれたはずだと、今は無事を信じて探すだけだ。


「死んじゃってたら?」


 そんなウィリアムの気持ちを知ってか知らずか、カトレアが無遠慮な言葉を投げかけてくる。


「死んじゃってたら、弟くんたちは閣下やあたしたちから離れて帰っちゃうの?」


「……どうだろうな。責任を取らされて処刑になってもおかしくはない。責任逃れをしたいとは思わないが、俺は絶対に死ぬわけにはいかないんだ」


「ふーん。いなくならないなら、あたしはどっちだっていいや」


 短期間の付き合いでしかないのにも関わらず、既にカトレアの中ではウィリアムがそばにいたい人物として認定されているらしい。

 そう思われるのはありがたいことだが、国王の生死がどちらでも良いというのは頷けない。


「そう言うな。本当に大事な御方なんだ。助かれば俺もうれしいし、きっとトニーもイタリア国王の死は望んでいない。俺が悲しむのを知っているからな」


「分かってるって!できるだけ助けようとは思ってるけど、死んじゃってたらあたしでも無理だからね!それは知らないぞ!」


「もちろんだとも。だから、モスクワとの対話も力押しはしたくない。低い可能性だが、市内に我が君がいないとは言い切れないからな。明日には連絡が行くはずだから、もう少しトニーの決断を待とうじゃないか」


「オッケー!」


 ぴょん、と跳ねてウィリアムの膝上に飛び込んでくるカトレア。

 トニーといる時にもこの光景はよく目にしたので、彼女は誰かの膝上にちょこんと座るのがお気に入りらしい。


「まずは許可が下りている私だけで謁見をし、将軍らの行動の誠実さを皇帝陛下に伝えるという手段もあるが、どうだろう」


「正直、俺個人としては反対しない。だが、トニーは自身を含めて入城すると再三に渡って言っているだろう?気に食わない、というのも理由だろうが、何か考えがあるのは明らかだな」


 トニーには、ウィリアムよりもはるかに優れたカリスマ性がある。

 直感的に何かを決めることが多い人物だが、この謁見を仮定的に人任せにしないのも考えがあってのこと。


 以降の交渉が不利にならないように、自分の威厳を見せつけておく必要があると思っているように感じる。


 となると、皇帝の命令を無視して強行突破もあり得る。入ったところで兵士に囲まれるのは目に見えているが、どう出るか。

 カトレアが横にいるので死ぬことはないだろうが、ロシア皇帝との関係の変化は予測不能だ。


「承知した。では将軍の判断を仰ごう」


「閣下は何考えてるか分かんないもんねぇ。大抵はおらーってやるけど、たまに難しいこと言うし。困ったもんだよ」


「お前に言われてたら世話ないな……」


 おそらく、カトレアに何でもかんでも話しても時間の無駄だと分かっているだけだ。

 そして女団長の提案だが、東方でのトニーの功績は周りの衛星都市からクレムリンに伝わっているはず。

 一部、トニーの手によって要塞化している街はマイナスに取られている可能性もあるが、どちらも改めて女団長の口から皇帝に伝える必要はない。


「では私はこれで」


「えー?もうお部屋に戻るの?あたしは弟くんと寝ようかなぁ」


「トニーに、嫁がしつこく誘ってくると言いつけるぞ」


 何故か「へっ」と鼻で不敵に笑い、カトレアは女団長と退室していった。


「大した女性、いや女児ですね。さすがは将軍の妻というべきか。肝っ玉が据わってる」


「変わっているのは認めるが、あの調子じゃないとトニーとも釣り合わないのかもしれないな」


 夫婦にもいろんな形があるだろうが、トニーと添い遂げるならカトレアくらい滅茶苦茶な女の方がいいのかもしれない。

 トニー自身は形式上の妻としか考えていないのだろうが、案外とウィリアムの目からはお似合いのカップルに感じる。


「それほどまでに将軍もすさまじい人物であると。バレンティノ伯は兄上に対して厳しい見方をしておられますね」


「女絡みではな。正直、今までトニーと付き合いのある女には同情の念しか持たなかったが、カトレアにはそれがあまりない。この夫に、この妻あり、といった感じだ」


 あれほどの入れ込み様。現世へ帰れるようになったとき、カトレアがついてくると言いそうでひと悶着ありそうだ。


「そういえば、少し前に自分にも縁談の話が来ましたよ。今は家庭を持つほどの余裕はないとお断りしたんですけどね」


「本当か?赤の他人の目線では勿体ないと言えば勿体ないが、その決断はお前らしいな。どんな相手だったんだ?」


 チェザリスも今や大尉であり、中隊長、さらには国王の護衛など、肩書としては十分すぎる立派な軍人だ。

 それも若くして駆け上がったエリートでもある。


 大店(おおだな)の娘や尉官、佐官クラスの軍人の娘、あるいは平民ですらなく男爵、子爵程度の貴族の娘などから縁談の話が来ても何も不思議なことはない。


「いえ、ほとんど話は聞いていません。美人で若い娘だというくらいでしょうか。自分には有り余る光栄ですが、それほどの娘ならば、もっときちんと家に帰ってくるような家庭思いの亭主を持つべきでしょう」


「それは本人の意思次第だから何とも言えんが、モテる男は辛いな」


「伯……そっくりそのまま、お言葉をお返ししますよ」


 ウィリアムを見ながら、チェザリスがニヤリと苦笑い。

 彼が示すように、ウィリアムもそれなりには女ウケが良いのは事実だ。


 ただ、飛竜卿と呼ばれるウィリアムはチェザリスと比べると、国民にとっては英雄であり、高嶺の花であることは事実で、畏れ多くて縁談を持ち込もうという平民出の父親はいない。


 それと同時に、よくよく調べてみると出自の知れない外国人であることは簡単に分かるので、釣り合いが取れそうではあっても、伯爵や侯爵令嬢クラスの娘を差し出すには不安があるはずだ。


 となると、好意を寄せてくれていそうな感覚のあるベレニーチェが大本命だろうが、やはりウィリアムは現世に帰るという使命がある分、いくら彼女と仲良くなろうとも娶るのは難しいだろう。

 それこそ、トニーのような政略結婚であれば受ける可能性はあるが、そこに巻き込む相手は確実にベレニーチェではない。


「別に声もかからないし、モテてはいないんだがな」


「ポンポンと求愛の声をかけられる伯爵なんかいませんから」


「道端ではな。ただ、俺が社交場に出向かないだけだとも言える」


 上流階級での縁談などが持ち込まれるのは舞踏会など、パーティーの場が多いと聞く。

 ウィリアムはそんな場所に顔を出している暇もないし、理由なく行くつもりもないので、そういった話とは無縁だ。


「自業自得、ということでしょうか。しかし、伯も自分と同じような答えを出す気はします」


「よくわかってるじゃないか。もっときちんと家に帰ってくるような家庭思いの亭主を探してくれ、だったか?俺はお前以上に、ローマに滞在することは少ないからな」


「……お互い、身を固めるまでは遥か彼方の遠い旅路のようですね」


 よく考えると、カンナバーロもいい歳をして独り身で、それどころかイタリア国王も独身だ。ウィリアムの周りには、一癖二癖ある男ばかり揃っているのかもしれない。


……


 翌朝、衛星都市からモスクワの城門前に飛ぶ前に、トニーへの伝令を選抜した。

 別に大した任務ではないはずなのだが、希望者が殺到したのは、余程モスクワでの待機が厭になってきているからだろう。

 ハッキリと言ったカトレア以外の面々にも、その気持ちは燻っていたというわけだ。


 伝令に選ばれたのは一体のスケルトン。目深にフードを被り、手足も隠してしまえば人間と見分けがつかないからだ。


 選ばれなかった大多数は落胆していたので、この日、ウィリアムは僅かな見張りだけを城門前に残して、他はモスクワの巨大な城壁の外側をぐるりと周る指示を出した。もちろん自身も含めてだ。


 大した催し物にはならないが、堅牢な巨大要塞を見学するツアーで、多少の気分転換にはなるだろう。


「ううぅ、寒い……別に焚火の前でじっとしてても良かったのに……隊長、嫌がらせですか?」


 唯一、不満そうにしているのはカンナバーロだ。彼にとってこのツアーは行軍訓練と大差ないのだろう。

 であれば城門前待機にしても良かったが、例によってチェザリスから無理やり連れてこられている。


「いいや、バレンティノ伯の寛大なご配慮だ。皆、留まるだけで退屈していたからな。もしここを攻める、となった場合でも、外側から見て弱点がないかを探す良い機会だろう?」


「え、伯……?いやいや、これは命令ではないはずです」


「あぁ、俺は軍曹が残りたいなら置いてきてもいいと言ったぞ」


「じゃあやっぱり自分の同行は隊長の判断じゃないですか!」


「貴様はバレンティノ伯の護衛だろう!お側を離れてどうすると言うんだ!」


 予想通り、体たらくな発言をしたカンナバーロにチェザリスの雷が落ちる。

 カンナバーロはウィリアムの陰に隠れて、チェザリスと目を合わせようとしない。


 ただ、そんな痴話喧嘩をしつつも皆の移動の流れを邪魔しないよう、ちゃんと歩いてはいるので可愛いものだ。


「えぇ……でも、その護衛を離れてでも置いて行ってもいいと言ってくださったのはバレンティノ伯ですし……ねぇ?」


「言い訳はいい!」


「また喧嘩してるぅ。仲良しだなぁ」


 このツアーには当然、カトレアもついてきている。


「そろそろ止めてやるか。軍曹がいじめられっぱなしだ」


「え、いじめなんだ。かわいそー」


「おーい。大尉、その辺にしておけ。もう軍曹はこうしてついてきているんだからな。結果オーライってやつだ」


 もう何十回目になるだろうかという喧嘩の仲裁をすると、チェザリスはいつも通り、ウィリアムの命令とあらばと大人しくなる。


 喧嘩というよりは部下に対する叱責なのだが、いつ何時でも真面目であることだけが正解とは言えまい。

 息抜きや緩みあってこその仕事だ。確かにカンナバーロは度が過ぎることもあるが、それはまた別の話だ。


 一行は、いつも待機している正門ではない、西門と呼ばれる場所まで回ってきた。

 構えは正門と変わらない立派な鉄格子付きのものだが、少し小ぶりだ。


「これでようやく四分の一ですかぁ。元の場所に戻るまで丸一日はかかりそうですね」


「そうだな。これほどの巨大都市だ。外周はフルマラソンよりも長いだろうよ」


「フルマラソン……?しかし、雪景色も見飽きてきましたね」


 都市の外周は雪原が続くばかりで代り映えしない。この感想はカンナバーロだけのものではないだろう。


「あ、見て!なんか白いのいる!美味しいかなぁ?」


 カトレアが指をさす方向を見て、ウィリアムは驚愕する。


「なっ!?あれは、白熊か!?なぜこんなところに」


 現世では北極圏にしか生息しないはずの白熊だが、こちらの世界ではモスクワ近郊にも足を延ばしているらしい。

 ただ、北極圏とはいえ現世でもカナダやアラスカ、シベリアには生息しているので、ウィリアムがそれを知らなかっただけではある。


 惑星の特徴として、こちらの世界でも北極圏や南極圏は存在していないとおかしいので、北極圏とロシア大陸が現世と同じく近いという事だろう。

 しかし、それにしてもこんな大都市の近くにまで白熊が来ているというのは驚きだ。


 魔族相手に生き抜いているこちらの世界の人間はたくましいので、相手が猛獣であっても剣や魔術でいとも簡単に倒してしまうのかもしれないが。


「あれが白熊かぁ!もふもふでお肉も柔らかそう」


「なぜ毛の感じが肉質と関わると思ったんですか……」


 意地でも食べようとしているカトレアと、それにツッコミを入れるチェザリス。

 確か、どこぞの原住民は白熊を食用とすることもあると聞いた気がするが、進んで食べようとまでウィリアムは思わなかった。


「やめておけ。ほら、お前のよだれを垂らしてそうな顔を怖がって、さっさと逃げていったじゃないか」


「え!そんな顔してないですぅ!あーあ。美味しいかもしれなかったのにぃ」


 野生の勘で命の危険を察知した白熊は一目散に背を向けて走っていった。

 カトレアであれば転移して一瞬で追いつけるが、彼女もどうしても食べたいというわけではなかったらしく、それを見逃した。


 ふと、ウィリアムが思うのはこのロシアだけでなく、イタリアでも獣の類はあまり見ないなという事だった。もちろん、まったくいないわけではないし、あくまで人も獣ものびのびと生活をしている現世に比べて、だ。


 特に、アメリカ大陸はこちらの世界では動物はおろか、植物すら生えていない荒廃した大地しかないので、違いが顕著だ。


 魔族は人間を食らうとは言うが、人間だけではなく動物も食らう。人間が武装し、魔術を習得し、強固な砦を築くのであれば、自ずとその魔族の凶刃は動物へと向かうだろう。


 これもあくまで仮説でしかないが、魔族が欧州やアジアへの襲撃を繰り返し、その度に動物も連れていかれてしまうので、イタリアでもその数が少なかった、という事なのか。


 アメリカ大陸にも多少の生き物はいたが、それらは真っ先に食い荒らされてしまったのかもしれない。もしそうなら、魔族は牧畜や農業を学ぶべきだったなとも思う。


 もちろんそんなものは最初からおらず、魔族たちは困窮してこちらの国々を襲い始めたという主張が正しいかもしれない。

 長く生きられない人間にとっては、長寿な魔族たちの言葉も信じられないので、今となってはどうでも良いことだ。


 重要なのは、人間と魔族のくだらない争いを終わらせること。トニーが力でそれを成し遂げようとするのも正解の一つだと言える。


 ウィリアムは……真っすぐな兄とは異なり、揺らいでいる自分を情けなく感じるも、今は目の前の問題を解決するために尽力するまでだ。


「あれは……クレムリンの背面か。裏は最も手薄になるのはよくあることだが、果たして」


 ロシア皇帝が住まうクレムリン宮殿。やはり後ろから見てもその高台からモスクワを見下ろす壮大さは健在だ。

 背面も外周の城壁に面しているわけではないので、まずは市街地を抜けないとたどり着くことすら叶わない。


「まさに難攻不落ですね。我らがローマ城の守りの参考になるかもしれませんが、あらためて規模が違いすぎるというか」


「そうだな。まず、城下町の大きさが倍では足りないくらいだ。ただ、ローマ王宮の強みはその魔術用の結界にあると言ってもいい。そのあたりクレムリンはどうなんだろうな」


「あー、あたしが見てあげようか!」


 突如始まった城に対するウィリアムとチェザリスの談議にカトレアが参戦する。魔術的な見解が必要であれば、彼女が適任だろう。


「むむむ……むむっむむむむぅ……!」


 両手で双眼鏡のような形を作り、そこから両目でクレムリン宮殿を見る。


「あー。あるね、魔術結界。でも狭いかも?王様の寝室とかかなぁ?」


 さすがは魔女様だ。見ただけでそんなことがわかるとは。


「広すぎる分、強固な守りはピンポイントか。ただ、それをものともしないくらいに物理的な防御は堅いが」


「でもでも、あそこで王様が寝てるよーって言ってるようなもんじゃない?」


「確かに……そういう考え方もできるか。皇帝の寝室かどうかは見えない俺たちに判断はつかないが、少なくともその近くに皇帝はいそうだな」


 カトレアの言う通り寝室であるかもしれないし、執務室、宝物庫、玉座の間、いろんな選択肢が浮かぶ。

 結界が張られている部屋がロシアにとって、クレムリン内で最も大切な場所であることは間違いない。


「やるつもりはないが、その隣接する場所まで転移し、急襲することは?」


「可能だよー。そんなの朝飯前だっちゃ!」


「では、直接結界内に入ることは?」


「半々!弱ければ突破できるし、ある程度の魔術師が作った、強度があるものだったらビターンッ!ってなっちゃうね」


 中々に痛そうな表現だ。事実、高速で壁にぶつかったような衝撃があるのだろう。


「隣接した地点に飛んだ後、結界を破ることができない可能性は?」


「近くに飛んだ後に攻撃していいんでしょ?じゃあ破れないことはないよーん」


 先に話したように隣接地まで飛び、そこから結界を破壊するのはカトレアにとって簡単なことだと再確認。


 直接破壊行為をせずに、転移だけで直接入れるかが微妙だというだけである。魔術による攻撃での破壊自体は不可能であると言わなかったので、単に動作が一つ増える程度の認識の違いでしかないようだ。

 絶対的な自信がうかがえるが、それほど強大な魔族であるのは疑いようもないので、カトレアの言葉は信頼していい。


「で、やっていいの?」


「やらなくていい。どのくらいのことが出来るのか聞きたかっただけだ」


「んふーー」


 やれと言われるのを心待ちにしていて、肩透かしを食らったことでカトレアが残念そうに鼻息を荒げる。


「戦うなんてのは最後の手段だ。それもかなり消極的な手だと思う。トニーがその道を選ぶ確率は限りなく低いだろうな」


「そうー?なんか閣下はそれまでも苦労をご破算にしても、カッとなっちゃっていきなり攻め込みそうだけどなぁ」


「中々悪くない読みだが、トニーにだって許容範囲はある。今回の場合はかなり手を尽くしているからな。本当に最後の最後、絶対に無いとは言い切れないが、それ以外の道をすべて潰されてようやく攻撃だろう」


 とはいえカトレアの先ほどの回答から、敵対関係となっても全面戦争ではなく、秘密裏に皇帝に近づき誘拐して交渉するなり、暗殺なりをする手を選びそうではある。

 こちらの被害が最小限で済むからだ。


 カトレア本人は派手にやりたがって言い出さないかもしれないので、ウィリアムからトニーへの提案として覚えておく。


「あっ、あそこの兵隊さん手ぇ振ってくれてるー。おーいおーい」


 カトレアはあまり聞いていないようだ。

 一定間隔で城壁の上に立っていた衛兵の中で、こちらに対して手を振っている者に挨拶を返している。


 しかし、ここでウィリアムも気づかされた。

 モスクワにいる者はすべからくトニーの一団を歓迎していないものだと思っていたが、個人単位であれば軍人であってもこうして友好的な態度を取ってくる者はいるのだと。


 もしかしたら、城内に入ることもある女団長の功績かもしれない。


 商人や農民は城門の外で触れ合うこともあったが、兵士は口を一文字に結ぶ姿しかここでは見ていなかったので新鮮だ。


 交渉……に使えるくらいの人物ではなさそうなので、淡い期待は霧散させる。


「あ、あの兵士は……多分、自分が火に当たってた時に話したことがある青年ですね」


 意外なところでつながりを持っていたのはなんと、サボり癖のあるカンナバーロだった。焚き火周りのコミュニティも捨てたものではないようだ。


「えぇー?じゃあぐんそーに手ぇ振ってるだけじゃーん!あたしのファンじゃないのぉ!」


「なんでカトレアのファンの可能性があると思ったんだか」


「こんなにプリチーな少女だからだよぅ、弟くん!」


 自信があるのは良いことだが、どこで覚えたのか分からない現代語を織り交ぜながらカトレアはご立腹だ。


「大尉、軍曹のことを叱ってばかりもいられないな。たまたま士官クラスの兵士と居合わせていたらもっと良かったが」


「伯、あまり軍曹を甘やかさないでください。これがますます焚火に釘付けになります」


「甘やかしてなんて……ん、ここは北門か」


 時計回りに歩いてきた広大な外周も、いよいよ半分まで来たという事だ。

 思ったよりも速いペースで移動できていたらしく、日はまだ高い位置にある。これならば正門に戻るのは日がギリギリ落ちないくらいになるやもしれない。


「正門の位置からしてここが裏門となるはずですが……とてもそうは言えそうにありませんね」


 確かに、クレムリンの背後に位置する門ではある。

 ただ、勝手口のような小ぶりなものとは言えない、西門にも劣らない立派なものだった。


 正門だけはさらに一回り巨大ではあったので、そこと比べれば小さいのは分かる。

 しかし、それは西門の同じであり、正門の存在を知らなければここが正面口だと勘違いしても全くおかしくないくらいの巨大な作りだった。


「兵の数も多いし、隙も無いな。やはりカトレアの力を借りて一気に、というのが最も現実的か」


「魔術を使っている時点で、それも魔族の力を借りるという前提からして我々には現実的な策とは言い難いですが、成功率でいえば伯の仰る通りでしょうね」


「悔しいがな。だが、今までも魔族の襲撃をはねのけてきた城だ。高位の魔族にも対策を打っているかもしれない」


 たとえば、城内の皇帝の近くにはタルティーニ中将のような猛将が控えている、などは大いにあり得る。

 イギリス先王のように、皇帝自身が化け物クラスの実力である可能性も否めない。


 女団長あたりに皇帝や供回りについて聞きたいが、彼女の身分では、おそらくそんな殿上人との面識はないだろう。


 ただ、単独での謁見は既に許可されているし、しきりに「バレンティノ将軍も皇帝陛下に謁見させろ」とは守衛に嘆願していたので、トニーらの功績に乗っかる形である程度の発言力は持っている。


 彼女が身の程知らずなのかもしれないが、トニーと皇帝の会合には大いに意味がある。彼女の祖国を思う気持ちは本物だ。


「へぇ、強いのがいるってこと?」


「知らん。戦うことにはならないんだから嬉々とするんじゃない」


 カトレアが、いつ何時でも強者を求めるのは魔族の性か。


「我々にとってはタルティーニ中将閣下やモリガン元帥閣下のような、師匠になりえますね」


「うへぇ。やめてくださいよ、隊長。思い出すだけで、しごかれた時の心労からくる吐き気が」


 カンナバーロもウィリアムと同じような反応だが、チェザリスは稽古をつけてもらえそうな強者であれば大歓迎なようだ。


「軍曹……貴様はこうやって移動することも訓練になるというのに避け、城門の前に待機することすら適わず、そして貴重な強者との実戦訓練すらも拒否して、本当にどうしようもないやつだな。とにかく何もしたくない様子が気に食わん」


「へへ、そんなに褒めたって何も出ませんよ。それより隊長こそ、自分が焚火の前でサボってるだけじゃないと知って悔しかったんじゃありませんか?」


 サボっていたはずが、たまたま兵士と知り合っただけだろう。

 その結果だけでカンナバーロが調子に乗っているに過ぎない。


「伯も仰っただろう。士官クラスでもなければ大した意味はないぞ」


「あ、見て見て。あの城門の上にいる弓兵。多分あの人そこそこ強いよ」


 軍人二人の話題をぶった切って、カトレアが新たに現れた人物を評価した。


 分厚い柿色のコートにロシア帽子をかぶった男。身長を超す大きな弓を背負っている。


「ほう……何というか、いかした野郎だな」


 さながら、中世のスナイパーと言ったところか。あの大弓がドラグノフ狙撃銃だったらと思うと、引き金一つで簡単に射抜かれるわけで、それは恐怖でしかない。


 現世のロシア人はアメリカ人にとっては脅威だ。

 国の軍事力や経済力がというよりは、世界中で諜報活動を行うスパイの執念や、犯罪行為をするロシアンマフィアのバイタリティこそ、ウィリアムは評価すべきだと感じている。


 ただ、ここではアメリカとロシアの関係は全く違うので、あの狙撃兵の出で立ちが現世の殺し屋を連想させただけだ。

 それも実際の殺し屋ではなく、彼がこちらを狙っているという妄想に則った、スクリーンの中の殺し屋像に近い形ではある。


「あぁいう服が好きなの?」


「いや、ちょっと知り合い……?を、思い出していただけだ」


「ふーん?あの帽子、あたしも欲しいなぁ。もふもふで可愛い」


 服の話題となり、実はロシア帽が気になっているようだ。


「何だ今更、衛兵も市民も、この国ではあの帽子をかぶっている者は多かっただろうに。それにお前の魔女帽子も似合っているぞ」


 カトレアは帽子をかぶっている時といない時があるが、この日は空色の魔女帽子をかぶっていた。

 一体どこに隠し持っているのか、レパートリーもいくつかある。日によって魔術で呼び寄せている線が濃厚だ。


「えへぇ!でも、もふもふがいい!もふもふの魔女帽子作ってみようかな」


「寒いのか?あの形ではなく素材が気になっているだけなら」


「ううん、別に寒くないよ。可愛いから欲しいの!」


 兎か何かの毛皮だろうが、魔女帽子の形にすることは可能だろう。最悪、既に持っているカトレアの帽子の表面に皮を張り付けてもいい。


「モスクワ市内に入ったときに頼めないか、ロシア兵の団長に聞いてみよう」


「え、買ってくれるの!?わーい!でも売ってるかなぁ。みんな家庭の手作りだったりして」


「猟師や軍人の家庭ばかりならそうかもしれないが、商人や農民だっているんだ。店では売ってるはずだぞ。ただ、魔女帽子の形は無いはずだから特注品を注文するか、お前が言った通り生地だけ手に入れて自作してみるかだな」


 カトレアは別に手先が器用というわけではない。魔女帽子の形のロシア帽を作るとしても、魔術の力を頼ることになる。


 何気ないことのように感じるが、攻撃のための魔術ばかりが溢れている中で、創作系の魔術というのは逆に貴重だ。

 人間は生活の基盤を技術で、戦いだけのために魔術を利用している形なので、魔族とは若干、魔術の心得が違う。

 無論、その知識も威力も雲泥の差だ。


「あ、そうだ!みんなお揃いにしようよ!あたしが弟くんの分もぐんそーの分も作ってあげるよ!」


「それはありがたいな。暖かそうだから俺も被り心地が気にはなっていたんだ。しかし魔女帽子の形にするのか?我々には不似合いだと思うが」


 なぜチェザリスは除外されてウィリアムとカンナバーロなのかはよくわからないが、実際、彼は制服以外の着用は軍規違反の恐れがある、などと言いそうな性格ではある。


「形は何でもいいよぉ。お好みにしてあげる!」


 好みというか、被り慣れているのはハット型ではある。しかし、外面が毛皮でできたハットというのはファッショナブルだと言えるだろうか。


 大味でがさつなトニーとは違い、ウィリアムは繊細でスマートである。機能面ばかりを重視して見かけが二の次になるのは断じて許容できない。

 それならば普通のロシア帽でいい、となるわけだ。


「伯、割り込んですいません。それよりも、カトレア嬢の言葉の真意が気になります。あの弓兵が強いという」


「おっとそうだな。帽子より、俺もその話は気になる。弓を構えているわけでもない。どうしてそう思ったんだ?」


 本題から逸れてしばらく経ったが、その話題からは一歩引いていたチェザリスがスナイパーの話に戻す。


「あの弓、魔力が籠ってると思う。魔剣の弓バージョン!んー、魔弓?」


「魔弓か。ただでさえ大柄な弓だが、思っている以上に矢が飛びそうだ」


「そうだねぇ。どういう効果なんだろう。ものすごく遠くまで飛ぶか、いっぺんにたくさん飛ぶか、すっごく速く飛ぶか。どれだとしても強いよね」


 長距離射程、散弾、速射、確かにどれも脅威だ。


「裏門に強兵を配置か。抜かりないな」


「西門を通過したときは気付きませんでしたが、あそこにも何者かがいたのかもしれませんね」


 それを言うなら正門もであるが、わざわざ手練れ本人も常に目立つ場所に立っているわけではあるまい。

 ただ、これだけの規模の街で人口も多ければ、猛者を各門に配置するくらい簡単な話だ。


「おーい!おーい!ねぇねぇ!その弓見せて!」


 そのまま通過するだけのつもりだったが、勝手にカトレアがその弓兵に話しかけ始めた。

 城壁の上なので声が届くか微妙なところだが、彼がちらりと視線をカトレアに送った気配が感じ取れた。


 だが、手を振り返したり言葉を返すでもなく、腕を組んだままじっとしている。愛想が悪いと言えばそうだが、守衛として勤務中の軍人などその位でちょうどいいだろう。


「ねぇってばー!聞こえてるでしょ!そのゆーみー!みーせーてー!」


 ストンッ。


「へ?」


 なおも追い打ちをかけるカトレアの足元に、静かに一本の矢が突き刺さった。

 その矢自体は何の変哲もない木矢で、矢じりはその木を削ってあるだけ、鳥の羽根が根元についたものだ。

 先端に鉄などの重りがついてないのは意外だった。


「むぅ!射てとは言ってないぞぉ!」


「怒らせるからだ。しかしまぁ確かに、いきなり射るのは褒められた行為ではないな」


「伯、自分にはあのものが矢を射るどころか、背から弓を構える動作すら見えませんでした。これは一体……」


 言われて気付く。確かにそうだ。弓矢は発射までにいくつもの動作がある。

 弓を構えて矢をつがえるだけでも数秒はかかる。それが見えないなどという話はありえない。

 しかし弓兵は微動だにせず、腕を組んだままだった。


「あの弓は、早業ができるようになる魔弓なのかなぁ?」


「そんなものがありえるのか?むしろ、それはあの者の能力なのでは」


 構えているように見せない、射る瞬間を見せない、そんな魔弓があれば今の状況も納得がいくが、それは武器の範疇を超えている気がする。

 構えた時に音速の矢が放てるのとはわけが違う。今はただ、弓を背負っているだけなのだから。


 それよりはあの弓兵の動きが目で追えないほどに早すぎる、と言われた方が納得だ。それでも化け物じみた能力なのは変わらないが。


「えー?ますます気になるなぁ。ちょっと話してきてもいい?」


「ダメだ。城門の上に飛ぶ気だろう?勝手に城内に入ったのと同じ扱いになる」


 下手をすれば戦闘になるし、そもそも自身の能力について話してくれるはずがない。


「じゃあ、あの人をここに下ろすのは?」


「同じだろうが!というか、そんなこともできるのか……」


 カトレアが得意とする魔術は転移術というのは知っている。

 自身や触れている者、物質などは転移できることも知っているが、まさか目視しているだけの人物も移動させられるのか。


 もしくは気づかれない間にあちらへ飛び、ここへ連れ去る、といった手法なのかもしれない。瞬く間にそれが完了して目で追えなければ、呼び寄せたのと同じだ。


「絶対魔法美少女カトレアちゃんに不可能は存在しないのであーる!」


「時々飛び出す、変な現代語を教えてるのはウチの若衆か……?」


 馬鹿なやり取りをしている間、チェザリスが矢を拾い上げて検分している。

 やはり、矢の方には特殊な仕掛けは無いようにしか見えない。


「何の変哲もない……いや、むしろ簡素な矢ですね。これでは真っすぐ飛ばすことすら難しいはずですが」


 矢じりには鉄などの重い金属を使わなければ、風で射線がぶれる。もちろん無理に金属製である必要はないが、少なくとも先端が重いのが鉄則だ。

 この矢はその点、バランスが悪く、むしろ先端を削って尖らせているせいで最も軽くなっているように見える。


「魔弓のせいかな?適当な矢でも思いどおりに撃てるとか」


「そうならば無茶苦茶だな。射る瞬間は見えないわ、好きに飛ばせるわで、それこそ無敵じゃないか」


「避ければいいんだから無敵じゃないもーん」


 ついでに矢の威力、数、他にもいろいろと有り得ない能力があればいよいよお終いだ。

 ウィリアムの持つ魔剣とは性能の差がありすぎる。


「伯、なんでもかんでも魔弓の能力と決めつけるのは早いかと。我らが中将閣下のような超人もおられますし、あの弓兵もその類なのでは」


「この貧相な矢を真っすぐ飛ばせるのも、射た瞬間が見えないのも、あいつ本人の力だとしたら、まだ魔弓の潜在能力は使っていないことになる。脅威にもほどがあるぞ」


「だーかーらー!何が出ても避ければいいんだって!」


 敵対の意思はないが、もしやるならカトレアに相手してもらう以外に勝ち目はなさそうだ。


「そもそも、カトレアは魔弓だと言っているが、それ自体を見誤っている可能性はないだろうか。あの大弓はただの弓で、弓兵の能力が高いだけだった、とかな」


「いーや!あの弓から魔力を感じます!持ってる人とは別!」


 言い切るか。であればやはり、まだ能力を隠し持っていることになる。


 とはいえ、現状ではあの弓兵と話すことはできず、無理やりカトレアが飛ぶのも連れてくるのも良しとはできない。

 裏門に大弓を持つ強兵が配置されていることを頭の片隅に置いておき、モスクワが味方となる日があれば話せるのを心待ちにしておく。


「いつまでもここに留まってはいられない。まだ半分あるからな、行く……ぞ!?」


 小さな幼女の姿が消え、城門の上、弓兵の横に姿があった。

 もはや手遅れである。


 ただ、その足は地についておらず、中空にふわふわと浮いている状態だ。

 彼女なりの言い訳があるとすれば、城門に降り立ってはいないという事なのだろう。

 この世界に領空という概念がなければいいのだが。


 弓兵も度肝を抜かれたのか、腕組を解いて仰け反っている。


「あーあ。お嬢ちゃんが我慢できなかったみたいですね」


「他人事のように言うな、軍曹。あれはどうしたものか……」


「でも、外したとはいえあっちから矢を撃ってきたのも問題でしょうよ。これでおあいこかも?」


 カンナバーロはあっけらかんと、チェザリスはため息交じりにその様子を見つめている。


 当然、何やら抗議の言葉を受けている者と思われるが、こちらまでは聞こえない。やむを得ずの会話なので、いきなり弓の話は聞かせてもらえてなどいないはずだ。


 いくら不文律を破ったとはいえ、相手は小さな女の子、それもいきなり瞬間移動してくるような相手だ。

 弱者なのか強者なのかはっきりせず、羊の皮を被ったオオカミを相手にして対応に困らないわけがない。


 ただ、予想に反してというべきか、即射殺されるという事はなかった。

 手が届くほどの近距離で弓を射る阿呆もいないだろうが、ナイフや剣を抜くわけでもない。

 それすらも動きを悟らせない可能性はあるし、それすらもカトレアは避けてしまうのかもしれないが。


 何はともあれ、そこにあるのはにこやかに質問を続けるカトレアと、困惑する弓兵のやり取りだけだ。

 しかし、周りにも守衛はいるわけで、彼らがその周りに集まり始めた。そちらは弓兵とは異なり、槍や剣の切っ先をカトレアに向けている。


 ただしこれもまた、瞬時に転移して今は宙に浮く幼女にどう対応していいものか分かっていないのは明白だ。


 出来ればウィリアムはカトレアを呼び戻したいが、衛兵らの矛先がこちらに向いて矢を射られても困る。


 ただ、ここからでは理解できない意外な反応が起こった。

 まず、相対していた弓兵が肩をすくめ、何やらあきらめたような態度を取ったのだ。

 そして、周りに集まってきて迷いのある殺気をカトレアに向けていた他の衛兵らからはドッと笑いが起こる。


「は?カトレア嬢は一体、何を話しているんでしょうね」


「さぁな。ただ宙に浮いているだけの、お茶目な魔法幼女だと信じてもらえたんだろうさ」


 ともあれ、最悪の事態は避けられた。

 魔弓の秘密については初めから聞けるとは思っていないので、これで良しとしよう。


「おーい!カトレア!戻って来い!衛兵さんらのご迷惑だぞ!」


 今なら呼び戻しても平気そうだと、ウィリアムが添えた両手をメガホン代わりにして叫ぶ。


 それに対し、くるりと振り返ったカトレアが何か返す。

 声は聞こえるが何を話しているかはよくわからなかった。


「カトレアー!早く戻ってこーい!」


 繰り返し叫ぶと、右手を挙げたカトレアがスッと弓兵に触れた。

 嫌な予感がした、次の瞬間……


「たっだいまぁー。言われた通り、連れてきたよぉ」


「なっ!?地上だと!?」


 ふわりと着地するカトレアと弓兵。やはり連れてきてしまったか。

 連れて来いだなんて言ったつもりはないが、先ほどの遠く聞こえないやり取りを都合よく解釈したのだろう。


「これは!?一体何がどうなっている!?」


「落ち着け兵隊さん。転移したのはその子の魔術の効果だ」


「落ち着けるか!これは何のつもりだ!」


 急に暴れだしたりしても困る。話が通じるのであればまずは対話だ。


 しかし、腕組をして落ち着き払っていた時の様子からは考えられないほど興奮している。

 非難するにしても、もっと淡々と言葉立てをしてくるタイプかと思ったが、意外にも分かりやすく激高している。


「彼女が言う、連れてくるようにとの指示も出していない。子供の悪戯だと思ってくれ」


「これが子供のすることか!やはり魔族は化け物でしかない!」


「それは俺も同意だな。魔族の力は底知れない物がある。と、この口ぶりで予想はつくだろうが、俺は正真正銘ただの人間だ。ウィリアム・バレンティノ。イタリア王国で伯爵をしている」


「……伯爵、殿」


 やはり兵士ともあれば、外国のものでも上流階級の肩書は無視できないか。

 反抗的な態度と眼光は少し和らいだように見える。


「なぜ、そのような御方がこんな真似を。いや、なぜそもそもこの国にお出でなのだ」


「後者の回答は仕事とだけ返しておこう。こんな真似とは?」


「魔族を率いて、皇帝陛下を脅しているとの話を聞いているが?」


 なかなかに穿った話が広まっているようだ。

 いや、モスクワ市民からすれば魔族を含む集団の入城など、それを見せつけること自体が脅しにもなるのだろうか。

 ローマにだって魔族が入ってきたら大騒ぎだ。謁見など、国王陛下の寝首を掻いて街を乗っ取られると思っても不思議ではない。


「脅し……か。実際に貴様はどうだ?今しがた話していたその子供は魔族だ。その力は強大でもある。だが逃げたり攻撃したりはしなかったな。敵だと分かっていても、話してみたらそう悪いものでもなかったんじゃないか」


「それは個人的な話なので差し控えさせていただく。一軍人の意見としては魔族の存在は看過できない。以上だ」


「おっかたーい。でもでも!あたしに危険性はないってわかったでしょぉー?こーんなにプリチーな乙女だし!」


 今回の騒動の犯人であるカトレアの能天気な発言に、弓兵どころかウィリアムも、ため息をつく。


「お前に悪気がないのはそうかもしれないが、彼を驚かせるような真似をしたのは事実なんだからな。そして、貴様もだ。いきなり矢を射るなんて敵対行為も甚だしいぞ」


「む……挑発をしたのはそっちだろう。馬鹿にされて黙ってもおれんからな。それに応じたまでだ。もっと言えば、ちゃんと外した」


「話しかけはしたかもしれないが、挑発なんてしてないだろう。いちいち反応していて衛兵など務まるのか?思った以上に子供だな」


 これではカトレアといい勝負だ。


「失敬な!それも挑発と取るぞ、伯爵!」


「挑発と取ったならなんとする?俺の首でも落とすつもりか。貴様は、こんにちはと声をかけられただけでも激昂するのだな」


「そんな話はしていない!」


 わなわなと震える弓兵。ここで怒らせてどうするとウィリアムにも非難が向きそうだが、城壁の下、つまりウィリアムの周りにいるのは味方ばかりなのでそんな意見は上がってこない。


「ほらほら、喧嘩しないのー!」


 そして、それを簡単に破るのもこの幼女、カトレアである。

 こんな状況になったのは自分のせいでもあるという自覚は皆無だ。


「それよりさぁ、魔弓の力もあると思うけど、兵隊さん強いでしょ!それで気になったんだよねぇ」


「ふん……いまさらおべっかを使われたところで、話すことなど何もないぞ」


「えぇー?そんなこと言っても、鼻が高いってバレバレなんですけどぉ?」


 強いと言われてうれしくない兵士などそうそういない。謙遜か、秘匿か、この弓兵は調子に乗りはしなかったが、否定もしなかった。


「馬鹿を言うな。仮に強いとして、瞬時に移動してくるような魔術師に敵うはずがないだろう」


「それとこれとは別の話!あたしに勝てる人なんてそんなに多くいませんからね!それは気にしないでよろしい!胸を張りたまえよ!」


「弓を見せろと再三に渡って喚き散らしていたな。だが、弓を持つところなど見せていないはずだが?先ほども矢は直接投げただけだ」


 投げた、ときたか。

 それでも動いてなどいなかったので、信じていいか難しいが。


「ふーん?じゃあ弓じゃなくてその帽子か鎧か、他のところにも魔力があるのかなぁ」


「さてな。話す必要はない」


「じゃあさ、どうやって矢を『投げた』わけ?動かないまま、何にも動いてないのに突然シュッて矢が飛んできたからびっくりしちゃった!」


 この場にいる全員が気になるのはそこだろう。


 魔術の類と考えるのが普通だが、カトレアも分からないのであれば、秘密はこの弓兵の他の装備にあるのではと考えるのはごく自然なことだ。


「だから、話す必要はないと言っている。逆に、どうやって瞬間移動したのだと聞かれて答える義理はあるか?ないだろう」


「え?瞬間転移っていう魔術だけど。パッて移動するの。やりかた教えてあげようか?魔術の心得があればだけど」


「クッ……!」


 まさか、一瞬で手の内を開示し、それも教示までしてやるという提案まで出されてしまう。


 彼が魔術師であれば相当に魅力的な提案であったのかもしれない。

 魔力を持っていないのか、あるいは持っていてもそれを良しとはできないのか、首を縦には振らなかった。


「カトレア、瞬間転移という魔術はそんなに簡単に教えれるものなのか?」


「もっちろん!でも、誰も使えるようになったことはないんだよねぇ。だから実験!もしこの兵隊さんができれば初の弟子だね!」


 今までにも教えた経験があって、それでも成功者がいない……

 これは話が変わってくる。


 その相手は魔族だろう。人間よりも強力な魔力を持つ魔族でも使えなかったのであれば、この弓兵には無理な話ではないのだろうか。


「他の魔族にとって、理屈は分かっても魔力が足りないとかそういう話か?」


「さぁ?こんなに簡単なのにね。美少女じゃないとだめなのかなぁ」


 絶対違う。


「で、そちらさんはどうすんだ?魔術を教えてもらえるってよ」


「いらん世話だ!そもそもこちらは魔術など使えないからな!」


 ということはやはりカトレアが睨んでいた通り、弓以外にも装備品に秘密があるという事か。

 ただ、タルティーニ中将などの怪力と似た形で、自身の身体能力だけで動きを隠せる可能性はまだある。


「しかし、そこまで譲歩されて何も言わないというのはこちらも寝覚めが悪い!城の防備のためにすべて話すというのは無理だが、動きが見えないのはおおよそ予想されている通りとだけ答えておく」


 ようやくの解答。確かに、このくらいが限界だろう。

 険悪なムードからよくぞここまで持ってきたものだ。


「へー!まだまだこの世の中には不思議なものがあるんだなぁ!」


「そりゃあ、お嬢ちゃんくらいの歳なら知らないことだらけだろう。むしろ、そんなに小さいのに大した腕前だ。これだから魔族は恐ろしい」


「へっ?あたしこれでも兵隊さんより年上ですぅ!あたしの方がお姉さんなんだからね!」


「そうかそうか。これは失敬」


 カトレアの年齢については、人間と魔族では成長速度も感覚も全く違うので、どう言っても歩み寄ることは不可能だろう。

 仮に彼女が「百歳だよ!一千歳だよ!一万歳だよ!」と言ったとしても、結局「そうかそうか」で終わってしまう。そんな途方もない話は人間には確かめようもないので、冗談だろうと本当だろうと、どうでも良い話だ。


「武器以外にも魔力が宿っているものがあるのは驚きだったな。そんな装備を与えられている貴様も、よほど腕が立つか、気に入られているということか」


「気に入られているだなんて、どこぞの貴族の坊ちゃんみたいだからやめてくれ」


「はぁ、伯爵相手にそれを言うか。変わったやつだな」


 ようやくいい感じに肩の力が抜けてきた。攻めるなら今か。


「さっきの話を蒸し返して悪いが、個人的に魔族への見方は大きく変わっただろう?俺だって人間でこんな場所にいるんだ。元々の気持ちとしては貴様に近い」


「それは差し控えると言ったが、まぁいい。魔族とて多少は話せる、という事だけは分かった。だが今回は、いつも魔族が喚いている言語とは違って聞こえるおかげだ。これはなぜだろうな。多言語国家なのか」


「魔術だな。俺たちの言葉は貴様らの耳には自動的にロシア語へと翻訳されている。逆に、そっちの言葉は俺たちに英語として翻訳されている」


 ここでもカトレアの貢献度が高い。

 普段、モスクワに侵入しようと攻撃を仕掛けている魔族も英語を話しているはずだ。違いは翻訳術の効果が出ていないこと。


「この声が英語とかいう言語に聞こえているのか。不思議なものだ」


「面白いだろう。皇帝にも、もう少し俺たちに興味を持ってもらいたいものだ」


「何か勘違いされているようだな、バレンティノ伯爵殿。皇帝陛下はあなた方に興味がないのではない。こういう訳のわからん魔術でも使われて国家がひっくり返るのを恐れておられるだけだ」


 例えば暗殺、例えば調略、生きているように見せかけて実は中身は別人とすり替えられて傀儡とされている、などなど、魔族がどんな手を持っているのかすらわからない人間に、それは脅威でしかない。


「もちろんそれは分かっている。信じてもらうしかないだろうな。そのために周りの街を、他の魔族の侵攻から解放して回っているんだからな」


「それすらも欺瞞であると思われても仕方なかろう」


「打つ手なしとなり、こちらに牙をむいてもらいたいとでも?」


「そうなれば分かりやすくはあるが、それも望んでなどおられまいよ。ただ、こんなものはいち兵士の戯言だ。本気にしないでくれよ」


 彼だけではなく、国民それぞれが皇帝の意思を自分なりに思い描いているのだろう。しかしその真意は皇帝本人か、あるいは側近や重臣にしかわからない。


「こちらはただ、直接の対話を望んでいるだけだというのにな」


「まずはそれがどれだけ難しいことなのか考えることだ、伯爵殿。陛下のご尊顔など、拝んだことすらないぞ」


「何?そんなに引きこもっているのか。我が君は誰であろうと親しく接してくださるというのに」


 少々出歩きすぎというか、警戒心が薄いのもイタリア国王が現在行方不明になっている理由の一つではあるが。

 丁度いい塩梅の性格の王はいないものなのか。


「失敬な。お身体が元々強くない御方なのだ」


「それで他国の王より会うハードルが高いという訳か」


 ただ、女団長の謁見は許可していたので、そこまで身体が悪いという印象は受けない。

 やはり、魔族を警戒しているだけに過ぎない。


「ちなみになんだが、謁見を希望しているトニー・バレンティノ将軍は俺の実兄だ。つまり人間だ。それが皇帝には伝わっていないのかもしれないな」


「なるほど。兄は将軍、弟が伯爵ときたか。変わった家柄だな。兄が問題児だという表れではないのかね」


 貴族の家は長男が継ぎ、それができない次男以降が軍人や商人となるのが通例だ。

 逆であれば問題なかったが、そこを突っ込まれる。


「はは、それは否定できないな。確かに兄は俺と比べて破天荒で冒険家気質だ。しかし、だからこそこうやって異国の地にまでやってきて、魔族をも従え、虐げられている人間の街を救っている」


 物は言いよう。この程度の問答などウィリアムにとって何でもない。


「随分と自由な御方のようだ。しかし、我らは平穏を望んでいるというのに、それを崩そうとしている自覚は持って頂きたいものだな。いつ誰が、守ってくれなどと頼んだ」


「強固な防御と屈強な精兵に守られたモスクワ単体で考えればそうかもしれない。だが、周りの街は常に魔族の脅威にさらされていることを知らないはずはあるまい。そこに手が回っていないのに平穏とは笑わせてくれるな」


「遠く離れた辺境までクレムリンの責任と申されるか!」


 弓兵は再び激昂するも、ジッと見つめ返すだけのウィリアムを見てすぐに平静さを取り戻す。


「……こんな道端で我らが議論したところで何も変わらないな、伯爵殿」


「そう。貴様の言い分も正しいが、我らの願いも無視できないはずだ。やはり皇帝の考えも聞きたい」


 現状維持が最善だと本気で考えていたら、それは能無しだ。

 モスクワは捨て置き、それ以外のすべての都市とだけ連携するほかない。


 その手間をショートカットするための謁見だが、果たしていつまで待たされるのやら。


「しかし、聞いた話ではそちらの陣営にいるロシア人との謁見は許可されている。わざわざそれを蹴るのではなく、先んじてその人間だけ寄越せばよかろう。それでは不十分と考えているのかもしれないが、本人は信用されていないと嘆いているんじゃないか」


「どうだろうな。いかに我らの味方とはいえロシアの軍人だ。皇帝を前にしては畏れ多く、言いたいことをすべては吐き出せないだろうし、そもそも助けられている立場の元首が、その頭目を拒否するというのは些か外聞が悪いのではないか?」


 ロシアはこちらの世界では、大国ではあっても単一の島国だ。

 外聞を気にするような立地ではないので、引き合いに出すには弱すぎるか。


「ねぇ、議論しないって言ったのにまた始めないでよぉ!難しいよぉ~」


「……っと、それもそうだな。すまなかった」


 ウィリアムも、こればかりは幼女カトレアの指摘に自身が歳を食ったものだと自嘲する。


 子供の頃は、大人が小難しい話をしているのを「何が面白くて長々と話すのか」と不思議に思ったものだが、それが今や仕事のこととなると歯止めが利かなくなるのは、何を隠そう自分のことだ。


 その点、兄のトニーの話は分かりやすい。

 こうしたい、こうする、以上だ。説明を求められれば付け加えるが、それすらも面倒がる節がある。


「ところでその子供は、どうして従軍している?」


「従軍とは御大層な。気まぐれだろうよ。なぁ、カトレア?」


「じゅーぐんってなに?それより弓は結局見せてくんないのぉ?もう、あたしたちは仲良しなんだから見せてよ!」


「な、仲良し……!?これは困ったな。一応はそちらは魔族で、仮想敵扱いなんだが……」


 仮想敵か。魔族を含んでいるのにはっきりと敵対ではないのは意外だった。


「えっ!敵なの!?だから撃ったの!?じゃあその命令に従うなら話しちゃだめじゃん!わけわかんない!」


「手を出されない限り、許可されているのは威嚇までだ。ただ、お嬢ちゃんの言う通り、少々話し過ぎなのは否めないな」


「だったらほら、早く切り上げるためにも!みーせーてー!」


「……弓は使っていないんだが」


 ようやく、背にした大弓を取り外し、カトレアではなくウィリアムに手渡した。大きな前進だ。

 ただ、ウィリアムはそれを見ても、触れても、通常の弓より大きい以外は何もわからない。


 先ほどの速射は弓の能力ではない。他の装備や彼の能力からなる。

 ただ、主力は間違いなくこれだろう。


「貸してー」


 カトレアがジャンプしてウィリアムの手から大弓をもぎ取った。

 彼女が持つと、自身の身長よりも遥かに長い棒を持つ、綱渡りのサーカス団員のようだ。


「こら、乱暴に扱うなよ。彼の命といってもいいくらい大事な代物に違いない」


「わっ!やっぱりこれ、すごい魔力だよ!アルフレッド将軍の弓みたい!」


 ウィリアムの知らない名が出たが、魔族の将軍であるのは予想できる。

 そちらにも弓の名手がいるようだ。


「でも、さすがにどんな力があるのかまでは分からないなぁ。いろいろできるとは思うんだけど」


「魔力量がわかるだけでも大したものだと思うがな」


「そろそろ良いか?その、他の兵の視線もあるんでな」


 弓兵の言葉通り、城壁の上には先ほどまで彼と一緒にいた兵たちが下を覗き込んでいる。

 すぐさま降りてきて助けようとしないのは、どう見てもウィリアム達に敵対心がないのを理解しているからか。威嚇射撃まで受けて反撃していないのだから。


「ありがとー。じゃあ、代わりにこれ!見ていいよ!」


 パッ、と指揮棒のような小ぶりな杖を空間から取り出し、弓兵に大弓と一緒に手渡す。


「……これは、魔術師の杖か?あまり馴染みがないものでな」


 大弓を背負い、カトレアの杖をいろいろな角度から見ている。


 素材は樫木だろうか。魔女であれば人骨でも使っていそうなものだが、ウィリアムの知る、人間の魔術師の持つものと大差ないのは面白い。


「あたし、いっぱい持ってるんだよー。それはたまに使う杖」


 この発言通り、カトレアはいくつもの杖を所有し、気分次第で使い分けている。

 カトレアとは付き合いの短いウィリアムでさえもいくつかは見たので、もっと多くの杖を所有していても何ら不思議ではない。


 ただ、どれも小ぶりでデザインも似たり寄ったりなものばかりなので、よく注視していないと気付かないだろう。トニーなどは妻の武器が日替わりしても、気にも留めていないのではないだろうか。


「何か感じるか?」


「いいえ、伯爵殿。魔術は……というか魔力感知など一兵士にできるはずもないだろうよ」


「じゃあ瞬間転移を教えても、絶対できないじゃーん。返却!」


「おっと」


 言いながら、カトレアは弓兵の手元にあった杖を自身の手の中に転移させて戻した。


「うーん、うーん、うーん」


 その杖をぐるぐるとまわしながら、何やら唸り始めるカトレア。

 何かを思いついたのは言うまでもないが、子供の児戯にしか見えない。


「どうしたんだ?」


「あのね、弓を真似して作ってみようと思って」


 驚くべき発言。ただ、さすがに無から有は生み出せない。ここには丈夫な木もなければ張る弦もない。魔術とて神の奇跡ではないのだ。

 すぐに彼女は杖を振るのをやめた。


「無理かぁ。いけると思ったんだけどなぁ」


「仮に形は真似れても、能力が分からないままではどうしようもないだろう」


「その通りだ、伯爵殿。いくら高位の魔族の魔術師といえど、そう簡単に職人技を真似されては、製作者も小官も立つ瀬がないというものだ」


 魔族としては珍しいであろう、職人技、製作者という言葉にカトレアが反応する。


「え、そんなにすごい人が作ったのこれー?」


「もちろんだ。自分が持たせてもらえることは名誉なことでな。これは、軍で開催された弓術大会で優勝した時に、上官から下賜されたものなのだよ」


「すごいすごい!エリート兵士なんだね!」


 狙ったわけではないだろうが、カトレアの称賛が弓兵の口を軽くする。

 味方の目があるとはいえ、弓さえ返却してもらっていれば、この会話自体は上まで届かない。


「それほどのものではないが、他の者より弓の腕が多少立つのは事実だ。さらにこの弓があればモスクワの防御は鉄壁。他は分からんが、この門を抜かせることは決してあり得ない」


 だから妙な気を起こすなよ、という警告も含んでいるだろう。


 一応、今のところは無用な心配だ。カトレアが威嚇射撃を受けたという話もトニーにまで上げるつもりはない。

 兄を下手に刺激する以外には、何のメリットもない。

 笑ったり、興味を持たない可能性もあるが、気に障る可能性がある賭けに出る必要性は全くない。


 後でカトレアにも釘を刺しておいた方がいいのかもしれないが、面白がってわざと夫に話すことも考えられるので、以降その話題は振らずに事実を忘れさせる方をとる。


「確かにな。我々も考えないわけじゃないが、やはりこの城を落とすというのはあまりにも現実離れしている。何十万の軍勢が必要になるか分からん」


「都市機能は内部で農耕牧畜すらも完結している。大軍勢で囲んだところで、こちらが籠城しているだけで敵が干上がるぞ」


 まさか、城内に農地はそう多くないと思っていたが、モスクワは都市単独で継戦できるのか。


「城の攻撃にはその三倍の兵員を要する、というのがセオリーだったか。籠城も結構だが、永遠に続く波状攻撃に兵士も住民も王族も肝を冷やすだろうさ」


「言うのは自由だが、先に手厚い反撃で力尽きるのはそちらだ……っと、さすがにもう戻るぞ。ここまで話し込んでは仕事どころではない」


「上に戻ったら戻ったで、仲間たちからは質問責めだろうがな。今日の勤務はおしゃべりばかりじゃないか」


 弓兵が上を見上げてふっ、と笑った。


「誰のせいだかな」


「また会おうね、兵隊さん!」


 帰りもカトレアに瞬間転移で送らせるつもりでいたが、弓兵はそれを辞退して門から入城、城壁の裏にある梯子か階段で登るとのことだった。


 そして、まだまだ先の長いモスクワ城壁、外周観光ツアーの再開だ。


……


 日が傾き始めるが、まだ明るい。

 地面の積雪で日光を反射するせいか、他の土地よりもロシアの日は長く感じる。


 東門。

 大手門、正門である南門と同じく、巨大な作りだった。

 先ほどまでいた北門、そして東門でも十分立派だったが、ここ東門と南門だけは殊更に巨大で、多くの人の往来が期待できる。

 なにせ南と北はロシアの他の都市からの流通が多い。そのためにこの二点はこういった設計となったのだろう。


「やっと東門かぁ。まだまだ先は長い……」


「何を言ってるんだ、軍曹?ここが最後、あとは正門に戻るだけだろう」


「隊長、それはここが最後とは言わないのでは!」


 確かに新しく訪れるのはここが最後だが、元の位置に戻るまではもうひと踏ん張りだ。


「カトレアお嬢さん、ちょっと質問をよろしいかな」


「んー?なぁに、ぐんそーのたいちょー」


 カンナバーロからは隊長と呼ばれ、他の兵からは大尉や中隊長と呼ばれ、ウィリアムからは名前と階級どちらでも呼ばれるチェザリスが、カトレアからは妙な覚え方をされるのも無理はない。

 しかし、彼がカトレアに何の脈絡もなくいきなり質問とは珍しい。


「北門、先ほどの弓兵は何か感じるものがあったと思う。ここに東門や、最初の通った西門、それに正門にはそれがないという事かね?」


 これはつまり強兵の有無を尋ねている。


「んーーー、難しいところだなぁ。多分いるんじゃない?」


「多分?」


「だって、どの門も大事でしょ?でも他のところは魔剣とかそんなのを持ってない人なんじゃない?超ムキムキで金棒を振り回す人とか?」


 当たり前だが、魔力は感知できても武力は違うということだ。


「あぁ、大いにその節はありそうだな。しかも、強兵が一人というわけでもあるまい。どの門もやはり、戦力は十分にそろっていると考えるべきか」


 攻め落とすというのは現実的ではないことはチェザリスも分かっている。ウィリアムも同じだ。

 しかし職業柄、どう切り崩すか考えてしまうのは当然のこと。

 チェザリスのように部隊を預かる士官クラスであればなおさらだ。


 隣でカンナバーロが厭そうな顔をしているのは、その機会が訪れてしまった場合に先兵となる自分を想像したからか。

 ただ、今は彼にもウィリアムの護衛という名目があるので回避はできる。


「ま、あたしに任せときなさーい!どっかーんって吹っ飛ばして終わりなのだ!」


 門にはクレムリン宮殿の一部のような防御結界は張られていない。それが最も効果的だろう。


 しかし、敵側にタルティーニ中将のような豪傑が複数いた場合は、いくらカトレアが魔族随一の魔術師であっても油断できない。


 実際、数多の魔族の攻撃を防いできたこの大都市は、魔族側もここを落とす事と自分たちの被害を天秤にかけた結果、戦わない方が良いと判断して今もこうしてなお残っているのだから。


 本国から大部隊と多くの手練れを連れてきてようやくというところか。放っておけばアメリカを揺るがすわけでもなく、滅ぼしたり占領したりしても得られるものはほとんどない。

 それゆえにわざわざそんなことをするメリットもない。


「大魔術師を使ってようやく……通常兵器や部隊の展開で落とせる未来は、限りなく遠いか」


 あくまでカトレアの存在は特例だ。仮にイタリア王国騎士団全てを動員したところで、チェザリスの言葉通りとなるに違いない。


 ただ、トニーの目論見は違う。

 ロシア帝国全体を自身の配下、属国とし、仇敵を討つことでのみ前進するという話だ。この土地が地政学的に欲しい欲しくないの問題ではない。


 そうすることでのみアメリカの力が増大し、現世へ帰るためのヒントとなる、という感じだったか。

 しかし、この辺りはトニー本人も曖昧なはずだ。まずはやってみようというところだろう。


 人間側の国々の味方であるウィリアムとしては難しい心境だが、今のところトニーの軍団は魔族とばかり戦っている状況なので静観している。

 静観どころか、イタリア国王が見つかるまではひとまず協力関係だ。


「ロシアとイタリアが争う理由はない。仮に戦う場合はトニーのところが主力となるからな。通常兵器での攻城戦は想定しなくていいさ」


「はい、それは理解しております。が、考えておくのも良い訓練になるかと思いまして」


 おそらく最適解は戦わないということだろうが、似たような無理難題を押し付ける攻撃命令が下った場合には役に立つかもしれない。


「真面目なのは結構。今はそれよりも陛下の安否だ」


「やはりモスクワの中でしょうか」


「分からん。むしろその線は薄いかもな」


 何度も話してきた、当てのない予測。カトレアでも、特定の人物がそこにいるかどうかとなれば直接潜入するしかない。

 しかも、王宮にはそれを阻害する結界までも張られている状況だ。


「あっ。あの人強そう」


 不意にカトレアが東門の上を見てつぶやく。

 またも魔力かと思ったが、そこにはグリズリーかと見紛うほどの大男が腕を組んで立っていた。

 完全に見た目での判断だ。誰が見ても強そうだと思うだろうな、とウィリアムは苦笑いした。


……


 ようやくモスクワの外周ツアーも終了だ。

 東から正門に戻ってくるなり、カンナバーロはだらしなく両足を投げ出して地べたに座り込んだ。


「わっ!冷たい!」


 だが雪に覆われた地面では至福の時間は訪れなかったようだ。

 結局立ち上がって尻についた雪を払っている。


「……」


 その様子を見たチェザリスが何か言おうとするのを感じ取り、カンナバーロはそれよりも先にウィリアムの背後へと回りこんで護衛の職務を全うしているかのような姿勢を見せた。

 今、チェザリスがカンナバーロに何か言っても、間にウィリアムがいるのを良いことに、聞こえないふりをするだろう。


「皆、ご苦労だった。この大要塞を見て回ったわけだが、各々で何か収穫はあっただろうか」


 ウィリアムの問いかけに、大きく頷く者、首をかしげる者と様々だ。

 まぁ、半分は気晴らしのようなものだったので、ウィリアムもそれでいいと思っている。


「おぉ、戻られたか!」


 この場を任せていた女団長が話しかけてくる。


「あぁ、留守を預かってもらって助かった。やはりこのモスクワは難攻不落の名を欲しいままにしている城塞都市だな。隙が全く見つけられなかった」


「そうだろうそうだろう!なにせ皇帝陛下のお膝元であり、モスクワ帝国の首都だからな。他国の主要都市は知らないが、世界一の大都市なのではないか?」


「まさにそうだな。イギリスのロンドンも巨大だが、広さはこちらが上だろう」


 現世で多くの人口を抱える中国がこちらでは小国だったり、アメリカが荒廃した魔族の土地である以上、広さだけでなく人口すらもモスクワが世界一の可能性は大いにあり得る。


「とはいえ、その堅牢さを自慢ばかりしていてもどうしようもないのだがな。今はバレンティノ将軍が皇帝陛下にお目通りできるようになることの方が重要だ。畏れ多いことだが、どうにか陛下にはお考えを変えていただかなければ」


「仮に皇帝が今後も一切、トニーのことを認めず、こちらはそのままロシアの開放を続行した場合はどうなるだろうか」


「戦力としてはやはりロシア兵の力も借りたいところだが、では成し遂げられないかと言われればそうではないだろうな。しかし、その功績が後世に認められないなど看過できまい」


 トニーがそんなことを気にするかは不明だ。

 彼はロシアという国を手中に収めたという事実が必要なだけであり、賞賛や歴史書に名を残すことにこだわりはない。


「そう……だな。それは本当に遺憾だ。それもロシア皇帝の力によるものだった、と伝えられるんだろうな」


「あぁ。無いと信じたいがあり得る」


 ひとまず肯定して、ロシアの属国化等の話はこの場では飲み込んだ。

 女団長もその話自体は知っているが、多くのロシア国民は反発するだろう。少なくとも正門の前でわざわざ話すことではない。


「ところで、今日もこちらでは動きは無しか?」


「相変わらず仏頂面の兵士が入れ替わりにこちらを睨んでいるだけだよ。そちらはどうだった?」


「カトレアが弓矢で威嚇を受けてひと悶着あったが、それ以外は楽しい観光だったよ」


 女団長の細い肩が跳ね上がる。


「射られたのか!?それは大問題だぞ!その不届き者の所属、階級、名前は!?厳重に抗議する!」


 まぁ、普通はそうなるなとウィリアムも頷いた。


「あぁ、だがそれ自体は解決しているんだ。その場で兵士と話した。許される行為ではなかったが、お互いのためにも波風は立てないでおこう」


「お互い、というのが誰と誰なのか分かりかねるが……しかし事を荒立てないというのは、そうだな。確かにその通りかもしれない。抗議は差し控えた方が良いだろうか」


「できればそうして欲しい。こちらに被害は出ていないし、その事件のおかげで兵士からは色んな話が聞けて興味深かった」


 女団長が肩をすくめる。不満は残るが了解した、の意だ。


「ではそろそろ宿場に戻るか。日も落ちた」


「そうだな。みんな、移動を開始するぞ」


 帰るのはまだ、風の噂でトニーが準備しているという砦へではなく、変わらず近くの街の宿だ。


 トニーは必要になったら必要なことだけを連絡してくる。

 砦や屋敷などただの余興だ。つついて急かしたりしたら、へそを曲げて話自体がご破算になるかもしれないので、余程のことでなければこちらから進捗を訊く必要はない。


……


 宿へ到着する。昨夜の店と同じ場所だ。

 ウィリアムとチェザリス、カトレアと女団長の四人だけが二人部屋。

 他の騎士や兵士らはタコ部屋に押し込まれ、身体の大きな魔族は食堂である。


「今日は多く歩いたせいか、一段と疲れが溜まりましたね。伯はいかがですか?」


「なんだ?遠回しとはいえ文句を言ってくるとは珍しいじゃないか、大尉」


「あ、いえ、そんなつもりは!自分は単に伯爵がご無理をなされていないかと思っただけです!」


 チェザリスが失言をしてしまったと恥じているのか、顔を真っ赤にして謝罪する。

 もちろんウィリアムは全くそんなことは思っていない。ただの意地悪だ。


「冗談だ、気にするな。しかし、仮に無理をするとしても今はモスクワとの関係を進めるべきだ。陛下の御身は何よりも最優先される」


 ここで、ついに進展があった。

 モスクワとの関係や、イタリア国王の行方という意味ではなく、トニーの方針でだ。


 下の階が何やら騒がしい。下は食堂で二階が宿所なので、自動的に騒いでいるのは魔族の兵士たちという事になる。


「……ん、黙らせてきましょうか」


「いや俺がいく。お前が言っても言うことを聞くか分からないし、角が立つだろう」


 魔族の兵らはトニーから預かっているだけで、部下でも何でもない。

 しかし、チェザリスではウィリアムよりも威厳は発揮できないだろう。その点、ウィリアムはトニーの実弟だ。彼らも命令を無視はできまい。


 隣の部屋にいるカトレアがいればさらに心強いが、注意をするだけなので、わざわざ呼ぶほどのことではない。


 しかし、部屋を出たところでそれは無用な心配となった。

 眠気眼をこすりながら、枕を抱きかかえている魔女服の少女が一人、隣の部屋から出てきたからである。


 つまり、そっちでも女団長とカトレアのやり取りがあり、魔族に対する発言権ではより効果的なカトレアが出張ったというわけだ。


「あ……弟くぅん……」


「眠そうだな、カトレアお嬢さん」


「そりゃそうよぉ……今日は雪の中いっぱい歩いたし、早く寝たいのにぃ」


「下の連中への文句なら俺が引き受けるぞ。お前はそのまま部屋に戻ってろ」


 これは本心からそう言ったが、彼女も一度やると決めたのだからと固辞する。


「ううん、ありがとねぇ。もう起きちゃったし、このまま一緒にいこぉ」


「分かった」


 カトレアを伴って階下に降りると、騒ぎは一層大きくなる。

 その中心となっているのは一体のリザードマンだった。


 他種族というのは誰もかれもが同じ顔に見えるのは致し方のないことだが、ウィリアムの目でもそのリザードマンは見たことがない気がする。つまり、トニーから預かっている兵士らとは違う、ということだ。


「おい、何の騒ぎだ」


「うるさいよぉー」


 ウィリアムとカトレアの言葉が同時に出てきて、一同がさっと振り返る。


「あぁ、これは弟御、それにカトレア様。騒ぎ立てて申し訳ありません」


 最も近くにいたスケルトン兵がそう言った。


「何の騒ぎだと訊いているんだが」


「あのリザードマンが閣下からの連絡を持ってきたんです。その、オースティン副長と接触があったと」


 オースティン副長。組員やトニーの魔族の部下共の仇という話だったなと思い返す。

 イタリア国王の誘拐にもかかわっている可能性が最も高い人物だ。


 しかし、接触があったという言い方に過ぎないという事は、倒したり、何か情報が聞き出せたというわけでもなさそうだ。


 二人がトニーからの遣いであるリザードマンの前まで出る。


「オースティン副長と会ったの?」


「通達ご苦労。だが、先に彼らではなく、俺やカトレアに渡すべき情報だったな」


「はっ、申し訳ありません。すでにお休みだと伺ったので、朝まで待っていた次第であります」


 なるほど、その間に下の連中と話してしまったという訳か。あまり伝令としては褒められた行為ではないが、叱責するならばそれはトニーの仕事だ。


「さすがに今回は内容が内容だ。起こしてくれても構わなかった。ただ、もう終わったことをぐちぐちと言っていても仕方ないな」


「だいたい、みんなで騒ぎすぎてどっちにしろ起きちゃったんですけどー?無理にあたしたちを起こしたくなくて、朝まで待つんじゃなかったのー?」


「も、申し訳ありません……」


 許したウィリアムとは対照的に、カトレアはプリプリしている。

 慌ててリザードマンが謝罪すると、その場にいた一同もシュンとしてしまった。


「でも!その話は気になるので良いのだ!聞こうじゃないかぁ!ほらほら、早く!」


「は……ははっ!オースティン副長の部隊が、閣下が建設途中だった砦の内の一つを襲撃したとのことです」


「えぇ!?襲撃ってなに!?閣下は!?」


「ご無事です」


 襲撃と接触ではえらい違いだが、結果としてはこちらに損害が出ていないので同じという事だろうか。


「兵や砦に被害は出ていないのか?」


「はっ。負傷者が数人と、砦の外縁部に軽微な損傷があります。目下、修復の最中です」


「……そうか。明日、一番にトニーに会いに行くと伝えろ」


「はっ!」


 ウィリアムらが起きてきたことで、伝令の帰還は繰り上げとなった。

 すぐさま空間転移を発動してリザードマンが消えていく。


「うーん、いきなりあっちから仕掛けてきたんだね。閣下とお話ししたかったのかなぁ」


「そうだろうな。やり合うつもりはなかったように感じる。トニーに詳しい話を聞いてみよう。さて、お前たちも騒ぐのはやめて今夜はもう休め。我々も寝所に戻る」


……


「よく飛ばずに我慢できたな」


「え、あぁ。お見通しだったの?リザードマンの最初の返答がご無事です、だったからだよぉ。それに閣下は強いからね!オースティン副長になんか負けないのだ!」


 二階への階段を上がりながら、カトレアが照れ臭そうにはにかんでいる。

 言葉通り、万一のことがあれば即座に瞬間転移していただろう。


 トニーのことが本当に好きなのだと感じられる一方で、自身は恐るべき魔術師でありながら単なる人間である彼に対する信頼が過分に厚すぎる。

 確かにトニーの腕っぷしは強いが、彼女の強さとでは全く次元が異なる気がするのだが。


「ではおやすみ。明日はカトレアも同行してくれ」


「もっちろん!それじゃまた明日ね、弟くん。おやすみー」


 カトレアと廊下で別れて寝室に戻ると、当然ながら起きていたチェザリスが話の経緯を尋ねてくる。


「お帰りなさいませ、バレンティノ伯。一体何の騒ぎでしたか?」


「トニーが、探していた仇と接触したんだと。オースティン副長。つまりは国王陛下の行方を知っている可能性が高い人物だ」


「ほ、本当ですか!素晴らしい!兄上様にはお礼申し上げねば……!」


「待て待て。事を急くな。こちらはまだ何か情報を得られたわけでもなければ、当然ながら陛下が見つかったわけでもない。それを明日、トニーに直接聞きに行こうというところだ」


 そもそも、オースティン副長を捕えたり、倒したりしたのだろうか。

 リザードマンの話ぶりからは追い払った程度にしか感じられなかった。仮に倒していたらそう報告するだろうから、おそらく違う。


「た、確かに……接触と言ってもその者を取り逃がしたり、或いは激戦のあまり殺してしまっていては情報が……」


「その辺も含めての聴取だな。そもそも本人たちは戦ってすらいないのかもしれない」


 伝令からのひと先ずの報告は、負傷者が数名と建物に軽微な損傷。

 オースティン副長の実力なぞウィリアムは知る由もないが、本気で暴れてその程度で済む人物でもないだろう。


 一応は敵対者であるため、ほんのお遊び代わりの攻防の後に、トニーと対峙して会話した線が濃厚だ。


「浮足立って取り乱しました。醜態を晒し申し訳ございません」


「陛下のこととなれば当然だ。謝る必要はない。気になるようならお前も来るか?カトレアと二人で行くつもりだったが」


「お願いできますでしょうか。しかし、十二近衛も黙っていないでしょうな」


 いや、厳密には言葉を発しないので黙っているだろう、などと無粋なツッコミを入れるのはやめておく。


 口に出さずとも、彼らは危機に迫るオーラを醸し出してウィリアムに同行を求めるだろう。

 そうなれば仕方ないので連れていくほかない。トニーに会うだけだが、思ったよりも大所帯になる。


「……明日、声をかけよう」


 となれば、黙って出ていくよりはこちらから誘っておいた方が後腐れもないだろう。

 喋らないとはいえ、イタリア国内屈指の実力者ぞろいの近衛兵なのだ。怒らせても何も得などしまい。


「何やらご不満そうなのが気になりますが、伯」


「いや、俺はいいんだ。ぞろぞろと引き連れて押しかけては、トニーが嫌がりそうでな」


「なるほど。難しい御方だ」


 何が難しいことがあろうか。悪く言えば至極単純な単細胞。よく言えば好き嫌いがはっきりしており、ある程度は腹を割って話せる相手だ。


 とにかく、近衛兵を怒らせるか、トニーを怒らせるか、二つに一つ。

 ただ、トニーの怒りは現時点で確実なものではないのでそちらに賭けるとしよう。誤っても大激怒はない。


 伝令によって、ウィリアムとカトレアが来ることは承知しているはず。

 トニーは自身の予想を超える展開を他から引き起こされるのが嫌いなので、入室前に騎士らの同席をこちらから願い出れば、渋々頷こう。


「まぁ、任せておけ。悪い人間ではないんだ」


 仕事柄はマフィアのボスであり、魔族の将軍と来れば、どう見ても大悪党ではあるのだが。


「軍曹はどうしますか?一応、あれも伯の護衛ではありますが」


 ウィリアム個人としてはどちらでもいい。むしろ、本人は嫌がるだろうから置いて行ってもいいのだが、チェザリスの口ぶりからは連れていくべきだという強い意志を感じる。


……


 次の日。

 結局、カンナバーロも連れて行くと伝えたのだが、本人はモスクワの正門の前で焚火に当たっているよりマシだと感じたのか、思いのほか喜ぶ結果となった。


「すまないが、半日ほど抜ける。ここはまた頼めるか」


 宿からの出発前。

 再びこの場を任せるのはロシア兵団の女団長だ。


「あぁ。カトレア嬢から昨晩、寝室で話は聞かされていたよ。朗報らしいな」


「どうだろうな。あまり楽観的ではいられないが。ではまた後程」


 ウィリアム、カトレア、チェザリス、カンナバーロ、十二近衛、そして空間転移要因として一体の魔族を連れ、トニーのもとへと行動開始だ。


 ズゥ……バリバリバリッ!


 一瞬の暗闇と無音に包まれ……否、一瞬ではなくもう少し長い時間なのか、それすらも分からない。意識があるまま五感をすべて奪われるというのは、生きている間に通常では経験しえないのではないだろうか。

 空間転移は何度味わっても慣れない経験だ。


 目の前に現れたのはロサンゼルス城ではなく、ロシア国内にトニーが作り上げたという二つの砦の内の一つだ。

 いくら荒廃しているとはいえ、ここよりは暖かいアメリカに移動できれば良かったが、大した距離を飛んだわけでもないので極寒の地獄からは逃れられない。


「ほう、思っていたよりは見事なものだ」


「街を砦にしているんですね」


 外縁を囲む石壁に堀、巨大な櫓や木柵、突貫工事とは思えない堅牢さだ。


 街は二つあるという話だったので、もう一つあるのだろう。ついでにそちらも視察しておきたいところだ。無論、トニーが許せばだが。


「こちらです」


 引率してくれた魔族、ケンタウロスに連れられて城内へ。三層の壁を通過し、中央部の小城にたどり着く。

 その間に守衛の魔族らから、いくつかの黙礼を受けた。


 軽微な損傷があり、修理中という事だったが、その様子はないので、襲撃を受けたのはもう一つの拠点なのかもしれない。


 ギィッ……


 鉄扉が開き、いよいよ本丸の中へ入る。

 三階建ての石造りの小城は、元からあった領主の城をそのまま利用しているように見える。

 というのも、扉や廊下が人間がやっと通れる程度の高さと幅しかなく、ケンタウロスが窮屈そうに背を屈めて進んでいるからだ。

 魔族が作ったのならばこうはなるまい。


 廊下と同じように窮屈である石の階段を上がり、二階、三階とさらに狭くなっていく。

 立方体ではなく、四角錐に近い性質。つまり、上に行けば行くほど面積が狭くなるピラミッドのような構造なので通路が狭まるのも仕方ない。


 もちろん、あれほどまでに三角に尖っているわけではないが、例えば一階は十部屋、二階は六部屋、三階は三部屋、のように、外から見ると段々畑のようになっている。


 しかし、実際にたどり着いた最上階は二部屋でウィリアムの予想よりもさらに狭かった。道理で自ずと全てが狭まっていくわけだ。


 一つの部屋は物見に使われそうな気がするので、トニーがいるのはもう一つの部屋。元の領主が使っていた執務室か私室だろう。

 その部屋には小城の中で、玄関口以外では唯一、扉がついていた。


「閣下、おられますか」


 ケンタウロスが問う。


「はっ、入室いたします。ウィリアム様、カトレア様らがお見えです」


 そのまま扉に手をかけたので、少し後ろにいたウィリアムには聞こえなかったが中からトニーの返答はあったのだろう。


 部屋は予想通りに狭く、その奥でトニーは窓代わりの穴から城下を見下ろしていた。

 部屋に椅子や机、ベッドなどの家財の類は一切ない。石壁に石床、そしてトニーがのぞいている穴、以上である。

 もしここに駐留するのであれば、これから本国から運んで来るなりして準備するはずだ。


「トニー」


「おう、来たか。あ?何だ、多いじゃねぇか。こんな狭いところに暑苦しい騎士どもまで連れてくるな」


「閣下ぁぁぁっ!隙あり!」


 カトレアが完全にトニーの言葉など無視して、その胸に飛び込んでいく。


 ただこれはもちろん、攻撃の意思ではなく、ただ単に甘えているだけである。しかし、その威力は正に魔族のもので……


「ぐぉっ!?おい、ガキぃ!いきなり突っ込んでくるな、馬鹿が!」


 屈強な体躯を持つトニーであっても、その厚い胸板にかなりの衝撃があったようだ。

 飛び込まれたのと変わらないくらいに強い力で彼女を引きはがして地面に落とした。


「へっへーん!油断してるからそっちが悪いんだよーだ!」


 尻もちなどつくことなく綺麗に両脚で着地したカトレアは、悪びれる様子もなくトニーを指さしている。


「夫婦仲睦まじいのは結構だが、さっそく話を聞かせてもらえないか?」


「これが仲睦まじいか。ガキにからかわれてるだけだ」


「そう!なかむつまじい!の!よくわかってるね、弟くん!」


 カトレアが今度はトニーの横に移動し、扉側のウィリアム達と対面する位置となった。


 本当は手でも繋ぎたかったのかもしれないが、遠慮がちに夫のズボンの裾をつまんでいる。

 トニーはそれを一瞥しただけで無視したので、裾を掴まれるくらいは許容範囲らしい。


 彼を怒らせたかと思えば、次の瞬間にはよく理解している一面も見せ、まるで長年連れ添った夫婦の様相だ。見た目は夫婦というより親子だが。


「オースティンは知ってるな。魔王正規軍の副長。団長は俺が殺したから、事実上の軍のトップだ」


「お互いに仇同士だと、恨まれようも凄そうだな」


「知るか。それで、そいつが襲撃してきた。場所はもう一つの砦の方だ」


 ウィリアムが思っていた通り、事件現場はこちらではなかった。トニーがそんなところに滞在するわけもない。


「あろうことか、外縁を部下に攻撃させている間に自身は俺のいる部屋に直接転移してきてな。それでめでたくご対面というわけだ」


「へー、よく殺し合いにならなかったねぇ」


「奴は俺を利用する気だったからな。モスクワを共同で落とさないかと話を持ち掛けてきた。砦を壊したのは、モスクワの連中に街を一つ破壊したのは俺だと思わせたかったんだろ」


 ただ、修復可能な軽微な損傷であればまだ、クレムリンの意見は気にする必要がない。つまり、現在の懐柔作戦を進めてもいいし、オースティンと結んで攻めてもいいという選択肢は残っているわけだ。


 ただ、前者を選んだ場合はいよいよオースティン副長は砦二つを完全に壊しにかかるだろう。

 女団長のことを考えれば前者一択だが、トニーはどちらが楽か、という事しか考えていないものと思われる。


「それで?オースティンと結ぶのか?付き従ってくれているロシア兵団はどうなる。敵対してしまうが」


「んなこた些事だ」


「……兄貴ならそう言うと思ったよ。ただ、決断する前に、こちらの国王陛下の行方を知らないかどうか、ソイツと話してみたいな」


 ウィリアムにと手の最重要事項。否、トニーが目指すアメリカの巨大化やその先にある現世への帰還こそがウィリアムにとっても最終目標ではあるが、イタリア国王への忠義は無視できない。


 仮に国王が死んでしまっていたとしても、それを確認するまでは捨て置けない仕事だ。そして、暗殺ではなく誘拐であることから、生きていると考える方が妥当である。

 ただ、誘拐犯からは身代金などの要求が一切ないので困りものだ。ただ単に拉致するだけでは勿体ないほどに地位のある人物なのだが。


「妙にこだわりやがる。そんなに大事なら目を離さずにいるべきだったな」


「それは返す言葉もないな。ただ、こうして俺がこんな世界で単身で生き残ってこれたのも陛下のお力が大きいんだ。それくらいに恩義は感じている」


「まぁいい。オースティンに会いに行くときはお前も来い。奴と結ぶかどうかは考えているところだ。ちょうどいいメンツも集まっていることだし、少しお前らの意見を聞かせろ」


 これは珍しいこともあったものだ。何事も即断即決のトニーが決めあぐねているとは。


「俺は……基本的には反対ではある。ただし、陛下があちらの手の内にある場合は、危険が及ばないように最大の配慮をお願いしたい」


「オースティンがイタリア国王のガラを持ってたら、言いなりになるってことかよ。人一人のためにモスクワ市民を殺す事も辞さないとは、中々言うじゃねぇか、ウィリアム」


 そんなことを言ったつもりはない。しかし、極論を言えばそうなってしまうわけだ。

 イタリア国王の助命嘆願や解放のため、オースティンと結んでモスクワを落とす事を選ぶと。


 ただ、ハナからこの意見はあちらに聞かせるつもりはない。

 イタリア国王が交渉条件に使えると気付かれていないのであればそれでいい。


「意地悪な言い方をするもんだな、トニー。俺だってロシアには何の恨みはないさ」


「いっそ、どっちも敵に回しちまうか」


「はぁ?それに何のメリットがあるんだ」


「面白くなる。ただそれだけだろうさ」


 ロシア兵団はこちらから離れ、イタリア国王の命も危ぶまれる、最悪の選択だ。普通であれば絶対にその命令には従えない。しかし、トニーはファミリーのボスだ。


 ウィリアムの立場上、モスクワ市民やロシア兵団、イタリア国王、トニーの順で優先順位が上がっていく。

 方針が決定してしまえばトニーに反発することは許されない。今が最後のチャンスだ。


「反対だ。二正面に敵を作る必要はない。多くの組員や、下手をすれば俺や兄貴も死ぬぞ」


「他の奴は?何かねぇのか」


「はいはーい!両方敵でいいと思いまーす!」


 この時ほどカトレアに黙って欲しいと思ったことはなかっただろう。

 楽しい事が最優先な彼女は、最悪の決断を後押しする。


「自分は……現状維持、モスクワを懐柔する方向が正解だと思いますかねぇ」


 カンナバーロの意見。


「それでは陛下の行方がいつまでもわからない。悔しいですが、自分はオースティンとやらと結び、情報を得る方が良いかと」


 チェザリスの意見。これに十二近衛の面々も無言で頷いている。

 完全に割れたな。トニーも悩むわけだ。


「チッ……もういい、会って決めるぞ」


「俺もそれがいいと思う。とりわけ、陛下のことを話してからでないと判断がつかない。相手方が知らなければ憂いもなくなるしな」


「奴に遣いを飛ばす。返答があったら出発するぞ」


 悩みはしたが、やると決めたら即行動だ。ウィリアムもこうありたいものだと思う。


「行き先は?」


「エカテリンブルグとかいう街だって話だな」


 暖かい場所を期待したが、やはりロシア国内か。せっかく転移術が使えるのに、話し合いをアメリカ辺りで行わないのは残念だ。


 しかし、敵地のど真ん中に向かうわけで、遠足気分は捨てた方が無難だ。

 たったこれだけの人数。対立するという決断を取れば、逃げ帰るのも簡単にはいかないだろう。

 だが、だからといってこちらの意見を引っ込めるトニーではない。


 この時ほどカトレアを頼りに思ったことはなかっただろう。

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