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♭14

 フィラデルフィアを闊歩する虫のせん滅には丸二日。住民の誘導に半日。

 半壊したフィラデルフィア城と、破壊しつくされた街の復旧の目途、未だ立たず。

 死者、重傷者多数。軽傷者に至っては全住民の七割強。そして、避難させていた住民の間でのトラブル多数。

 兵たちは今も瓦礫の片付けや建物の修繕、住民への配給やトラブルの仲裁にてんてこ舞いの状況だ。


……


 フィラデルフィア城の円卓を囲むのは、大魔王アデルを筆頭に、六魔将のトニー・バレンティノ、ヘル、リーバイス、アルフレッド、フレイムス、そして三魔女のカトレア、魔族の頂点に君臨する大幹部の面々である。


「虫が退治され、ようやくひと段落着いたところではあるが、まだ油断はならんな」


「……陛下、それから各々方、数日間にわたるご助力に我は感謝の言葉もない」


 アデルが言い、ヘルが続ける。

 今回は誰もが予想していたよりも大規模な時間がかかる作戦となってしまった。

 そしてそれは、まだ完全に終わったとは宣言できずにいる。大悪党、フレデリック・フランクリンの足取りが掴めず、誰しもが退くに退けないのだ。


「本当に、ありがとうございます。この先は我だけでどうにかできると思うのだが、如何か?」


 だが、ヘルだけは諸侯への遠慮もあってか、そんな言葉を口にした。


「馬鹿言え。大悪党は見つけてねぇし、そうでなくとも街がこのザマじゃ、てめぇの手には余るだろうが」


「私も同意見です、ヘル閣下。フレデリック・フランクリンが潜伏しているかどうかはさておき、家屋を失った住民が一時的に暮らせるだけの簡易住居と、水や道路、インフラ整備くらいは終わらせてから退散すると致しますよ」


 トニーが鼻を鳴らし、アルフレッドがテンガロンを右手で少しもたげて言った。

 アデル、リーバイス、フレイムスは無言で同調を示してそれに頷く。カトレアはどうでもいいようで、神殿部の横に広がる青空を見ていた。


「しかし……各々方には自分の街での仕事もあろう。トニー、お前などは加えてアジアの維持とさらなる侵攻、オースティン副長とのいざこざもあるではないか」


「……これ以上言わせる気か?」


 イライラとトニーが返す。

 フィラデルフィアでの兵器生産の話は内密であるため、この場ではできない。ここが復興しなければならない理由はトニー自身にもあるのだ。


「あいわかった。ただし、必ずしも残って欲しいというわけではなく、火急の用などがあれば遠慮なく言っていただきたい。陛下も、どうぞご遠慮なさらず。よろしいでしょうか」


「無論だ。妻に呼ばれれば、フィラデルフィアなど二の次ぞ。あれを差し置いて帰らぬわけにもいかぬからな」


 思いがけず冗談を吐いた大魔王に、一同から笑いが起きる。


「では、陛下にはこの天空城の修繕を。他は我と共に城下街の方を、という形ではどうだろうか」


 「異存はない」「よかろう」「承った」と、全員からの賛同があった。


……


……


「てめぇが相棒とは珍しいな」


「珍しい、とは、いい意味か?」


 言葉を発するたびに火の粉がチラチラと飛ぶ。トニーの隣を歩くのはシカゴ城主、竜人のフレイムスである。


 瓦礫の山となったフィラデルフィアの街を、それぞれ二名ずつに分けた幹部達が巡回しながら兵への指示出し、避難民の誘導、時にはトラブルの仲裁や瓦礫の撤去などにも直接、手を下している。


 トニーはカトレアとペアを組まされるか、ヘルが相棒になるかと思っていたが、公平にくじ引きでこうなった。ヘルはアルフレッドと、カトレアはリーバイスと仕事に取り組んでいる。


 カトレアが不正だ、離婚をもくろむ輩の陰謀だと一人だけ騒いでいたが、無視された。


「いい意味?知らねぇよ。てめぇとサシで話すってのはレアだろ」


 厳密には二人きりというわけでもなく、互いの護衛兵がぞろぞろと後ろをついて来てはいる。大悪党がいる可能性もあるので、身辺警護は緩めない。


「サシ……?サシ、とは、何だ」


「めんどくせぇな……一対一って意味だよ」


 言葉はたどたどしいが、根は真面目な性格らしい。

 実際、会話が得意ではないというハンディキャップを背負いながらも、フレイムスは城主を務めているのだから優秀な人物なのだろう。


「……むぅ、バレンティノ。あれ、見ろ」


「あん?またか。これも仕事だから仕方ねぇ。任せるぜ、相棒」


 二体のオーガが、一つの樽を引っ張り合っている。配給された食料をや水を奪おうと、争っているのだ。


「グォォォッ!!」


 フレイムスが吠える。

 びくりと反応したオーガたちや、他にも近くにいた住民らが一斉にこちらを向き、そしておそらく別の街から加勢に来ている将軍だと判断すると、全員が慌てて膝をついた。


「何を、している」


「ひっ!」


「こ、コイツが私の水を奪おうと……!」


 フレイムスの問いかけに、争っていた二体のオーガがそれぞれ返答した。もっとも、片方は恐怖で短い悲鳴を上げただけだが。


「なんだ、でけぇ図体でビビってやがんのか」


 カラカラと笑いながら、トニーは今まで争奪戦が行われていた水入りの樽に座る。ちゃぽん、と中の水が跳ねる音がした。


「お前、水、奪ったのか?」


「ひっ!い、いえ、これはもともと僕の水です!この人が嘘をついてるんだ!」


「違う!コイツが嘘をついてる!この水は私のものです!」


 隣にいるトニーですら、フレイムスの頭が混乱しているのが手に取るように分かった。どちらの言い分が正しいのかなど、今来たばかりの者に分かるはずがない。


「む……バレンティノ。彼ら、違う事、言っている」


「あぁ、そうだな。どっちかが嘘をついてるってこった」


 フレイムスは判断に困り、トニーに助け舟を求めているのだろう。そう言われてもトニーとて、どちらが正しいかなど分からない。

 ではどうするか。


「お前ら、腹を空かせ、喉を乾かせた家族がいるんだろう?」


「え……?」


「は、はぁ」


「そいつらを呼んで来い。その家族の話でも聞けばお前らの普段の人となりが分かるってもんだ。それまでこの水は俺が預かる。次の仕事もあるんだから、さっさと行け。遅れたら俺が貰うぞ」


 もっともらしい事を言って家族を呼び出させる。これはトニーの罠だ。しかし、そんな事を知るはずも無い二人は、近くにいるであろう家族を呼びに行った。


……


 戻ってきた二人は、それぞれ妻子だというオーガ二体と、兄だという一体を連れてきた。


「こ、これでよろしいでしょうか。僕の妻と子です」


「私は独り身なので兄を連れてきましたが……」


「良いだろう。おい、こいつらが家族だという事に嘘偽りはねぇか?」


 これを本人に訊いても意味がない。トニーは振り返り、周りにバラバラと集まっているギャラリーに訊いてみた。


「あぁ、どちらの家族も見知った顔じゃ。わしが保証しましょう」


 その中のオーガが答えた。話し方的に老人なのだろう。


「そうか、なら問題ない。それで……お前らの内、どちらかがこの水を自分のものだと偽っている。間違いないか?」


「は、はい!それは僕の水です」


「何を言うんだ!私の水です!神に誓って!」


 これでは何度やっても同じことだが……と思っているギャラリーに、もう一度トニーが問いかける。


「この二人が水を取り合う前、どちらがこの樽を持っていたか見た奴はいるか?」


 老人のオーガも含め、誰もが「分からない」「知らない」と首を横に振った。


「バレンティノ、どうする。これ、何も、変わらない」


「埒が明かねぇな。んじゃ喧嘩両成敗といくか」


「うん?」


 聞きなれない言葉にフレイムスは首を傾げる。トニーはそれに対してわざわざ説明などせず、銃を引き抜いた。


「俺にはお前らの内、どちらが正しいかの判断は出来ねぇ。よって、この場にいるお前らの家族を全員殺す事とする。てめぇら本人は敢えて生かしてやる。恨むなら、嘘をついた自分を恨め」


「はぁっ!?どうしてそうなるんですか!」


「ちょ、ちょっと待ってください!なぜ無関係な兄を殺されなければならないんですか!?」


 当然、二人からは抗議が飛ぶ。家族も、周りの連中も、フレイムスでさえも恐怖心や怒気を立ち昇らせた。


「何回も言わせるな。喧嘩両成敗だ。どちらが正しいのか分からねぇんだったら、両方処分してやろうってんだよ」


「暴論だ!あなたは狂っている!どこのお偉いさんか知らないが、そんなの納得できません!」


「そ、その通りです!ちゃんと兄から私の事や言い分を聞いてからにしてください!」


「だったら嘘をついた奴がさっさと吐けばいいだろうが、あぁ!?めんどくせぇ仕事増やしてんじゃねぇぞ、カスがぁ!今なら本人の首だけにしといてやる!家族にまで巻き添え食わすのが嫌なら、ちったぁ根性を見せろ!」


 いかに他人の物を奪おうとしたとて、家族の命がかかるとなれば白状するだろうというトニーの考えだ。もしそれすらも厭わない外道であれば名乗り出ない可能性もあったが、今回はその可能性は低いと見ていた。


「ぼ……僕が、水を奪おうとしました……」


 とうとう音を上げたのは、妻子を連れてきた方のオーガだった。兄を連れてきた独り身のオーガが真実を話していたことになる。


「ほら見ろ!私がそんなことをするはずがないでしょう!嘘つきはコイツだったんです!」


 指をさし、地団駄を踏んで怒りをあらわにするもう一体のオーガ。その肩を力強く兄が掴んでうんうん、と頷いた。

 盗人だったオーガの妻子はまさか、信じられないといった様子で膝を地につく。


 集まっていた連中も口々に騒ぎ始める。ある者は怒号、またある者は糾弾、誰しもが興奮している様子だ。


「一応、言い訳くらいは聞いてやるぞ」


 水を奪おうとしていた方のオーガ。彼も家族同様に地面に崩れ落ち、顔までをも地面につけてしまっていた。謝罪のつもりなのか、恥じているのか、絶望しているのか、その姿は哀れというほかない。


「……」


 トニーの言葉にその場は静まり返り、そのオーガはゆっくりと土にまみれた顔を上げた。


「水の配給が遅れていて……何日も口にできていませんでした。このままでは妻と子が喉を潤すのは、数日先になるかもしれないと……思ったからです……」


 どこかに空間転移すればいいはずだが、そこまでの知恵が回らなかったか、或いは街の外の水源地の場所を知らないのだろう。


「そうか」


「僕の首一つで勘弁してください!家族に罪はありません!どうか、どうか……!この通りですから!」


「フレイムス、てめぇならどうする?一応、ここの連中はヘルの管轄の民衆だ」


 今すぐに、この者を処刑したからといってヘルも怒ったりはしないだろう。すべて独断でやっても良かったが、相棒に訊いてみた。


「バレンティノ、見事、だった。犯罪者は、許すな。だが、家族想うの、大事だ」


「何が言いてぇ?」


「殺す、以外で、罪を、償わせる。どうだ?」


 ほう、とトニーは感心しつつ頷いた。さすが、一城の主といったところだ。フレイムスもまた、お膝元であるシカゴの民事、刑事を裁いた経験があるに違いない。


「L.A.には罪状による罰則の決まりなんか無くてな。お前のとこにあるならそれでいいんじゃねぇか」


「迷惑を、かけた、相手に対して、何か、支払う」


「罰金か。だが人間の国みたいな通貨はねぇんだろ。何を支払わせる?」


「食料、衣類、武器、なんでも、いい」


 きっと斬首だろうと項垂れていたオーガ本人や、その妻子が固唾を飲んでトニーとフレイムスのやり取りを見ていた。

 水を奪われそうになっていた兄弟の方は納得がいかないのか渋い顔だ。


「水に困ってるくらいなら食料もねぇさ。おい、お前」


「ひっ!?は、はいっ!」


「金属製品、もしくは陶器、土器の類は家にあるか」


 価値があるとすれば、貴金属か焼き物だろうと踏んだ。


「金属製品……ですか?鍬や鎌、包丁くらいでしょうか」


 予想していたのとは程遠い、農機具などの名前が挙がってきた。だが、元々は樽一杯の水から生じた問題だと考えると、別に悪くないかと判断する。


「なら、それ全部だな。おい、女とガキ。コイツは生かしてやる。さっさと家に戻って取って来い」


「本人は、きちんと、相手に、謝れ」


 トニーの命令でこの場を離れた妻子が見えなくなったところで、フレイムスはそう言って、犯人のオーガの頭を鷲掴みにした。


「ひぃっ!痛い痛い!」


 ぽいっ、と被害者であるオーガの兄弟の目の前に投げられる。当然、足で着地など出来ず転がることになり、身体中さらに汚れてしまっている。これも十分刑罰に当たるようなひどい扱いだが、ノーカウントだ。


「危うく兄が殺されるところだったんだぞ、反省しろ!」


「家族の為とはいえ、他人の物を奪うとは許せんな」


「ご、ごめんなさい……」


 仁王立ちをする二体のオーガから責められ、委縮するオーガ。フレイムスがノシノシとやって来てその隣に立つ。


「後はもう、取り上げた、物で、許してやれ」


「は、はい!わかりました」


「勝手ながら、弟の水を分け与えるのは難しいのですが……彼らに少しだけでも水をお与えくださいませんでしょうか」


 兄の方が意外な事をフレイムスに対して口にした。徳が高い人物だと分かる。

 ただ、フレイムス自身もそれは考えていたようで、鷹揚に頷く。


「貴様ら。誰か、水筒を」


 自分の護衛兵を呼びつけて、三つの水筒を出させた。革で作られた袋型のものだ。飲みかけではあるだろうが、これでしばらくは水の配給まで待てるだろう。

 ちなみに、シカゴの兵もロサンゼルスと同じくリザードマンが多数を占めている。


「これを、渡しておく」


「あ……ありがとう……ございます……」


 土まみれのオーガはその水筒を受け取った。土下座のような格好で謝意を表している。


「他に、水、まだの者、いるか?」


 ギャラリーに問うと、四つ、五つの手が挙がったので、そちらにも護衛兵の水筒を渡していった。


 それが終わるころに、鍬や鎌などの農機具を抱えた妻子が戻ってくる。誰かが侵入時に奪ってきた、人間が生産したものを流用しているだけなので、巨体のオーガが持つと玩具のような印象を受ける。


「お待たせいたしました。これで、主人は助けていただけるのでしょうか……」


「問題ねぇ。それを渡して終わりだ」


「良かった……」


 トニーとフレイムスに騙される可能性も捨てきれていなかったようだが、これで一件落着となる。


「みんなよく聞け!もし今回みたいなトラブルを目撃したら、すぐ近くにいる兵士に相談しろ!物資に対して悩みがある奴も同様だ。変な問題を起こすくらいなら、同じく兵士に相談するか、火急ならヘルの城まで出向け!」


「そ、そんな。将軍様のおられるお城に上るなど畏れ多いです」


「確かに、それならばスケルトン兵士の方に言うのが良さそうだ」


 これは今回の罪を犯したオーガでもその妻でもなく、水を与えるよう懇願した兄弟のオーガだ。


「将軍様だぁ?はっ!俺やこのデカい竜人を見てもまだそう思うのか?俺はロサンゼルス城を、このデカブツはシカゴ城をそれぞれ持ってる将軍だ。ヘルの阿呆もそんなお高くとまったクソ野郎じゃねぇよ」


 おおっ、とざわめきが起こる。風貌や態度から別の街の将軍だとは分かっていたものの、実際にそうだと名乗られると、さらに畏まってしまうものらしい。


「そうだ。ヘル、民の事、考えている。頼る時は、頼れ」


「奴がどう計らうかは知らねぇが、少なくとも門前払いにはしねぇさ。それから、コイツの罪はもう償われたんだ。これ以上は、必要のない罵声なんか浴びせるんじゃねぇぞ」


「うむ。では、我ら、次へ行くぞ」


 フレイムスがそう言うと、その場にいたすべての民衆が地に頭をつけて拝礼した。


……


 道中、他にも様々なトラブルを解決した。

 大きな瓦礫を五人がかりで動かそうとしていたところにフレイムスの力が加わって解決、腹を空かして泣いている赤子に、トニーが手持ちのビスケットを与えて解決、他には一行が休憩中のところ、物欲しそうにしていた老人に酒瓶を分けてやったりもした。


「フレイムス、お前も飲むか?」


 フィラデルフィア滞在中ではあるが、トニーやカトレア、自軍の兵向けの良質な食料と、個人的に楽しむ酒類をロサンゼルスから定期的に空間転移で運ばせている。無論、大悪党との戦闘がひと段落した今だからこそ出来る楽しみだ。


「もらおう」


 今しがた嬉しそうに去っていった老人の背中を見送り、フレイムスが返した。


「ほらよ」


 瓶ではなく、樽を蹴って転がしてやった。巨体のフレイムスにはこのくらいの量が無ければ足りないだろう。

 トニーが抱えるとすれば両手が必要な樽だが、フレイムスはそれをヒョイと片手で持ち上げ、底面に爪で穴を空けてゴクゴクと酒を飲み始める。中身はウィスキーだ。


「ほう、中々いけるじゃねぇか。うめぇか?」


「うむ、感謝する」


「そりゃよかった」


 フレイムスはビールでも飲み干すかのように簡単に樽を一つ、空っぽにしてしまった。トニーも自身の手に持っていた瓶入りのスコッチをあおる。

 すぐ側に積まれている瓦礫の山の中に、フレイムスが飲み干した酒樽と、トニーが飲み干した酒瓶が同時に放り込まれた。


「休憩は終いだな。次はあそこでどうだ?」


 トニーが指をさしたのは石造りの巨大な十字架をどうにか地面に立てようとしている群衆だ。かつてそこに大きな教会でもあったのだろうが、巨大昆虫に建物が潰された今は見る影もない。


「よかろう。手を、貸す」


 ノシノシと歩き始めたフレイムスに、トニーが続き、さらに護衛兵たちがぞろぞろとついて行った。

 十字架を立てようとしていた者たちはフレイムスに気付くと歓声を上げ、目の前で十字を切って両手を組み、神へ捧げる祈りと同じように将軍たちの加勢を喜んだ。


「俺達は神じゃねぇんだがな」


「立てる。下がれ、バレンティノ」


「おう。野良仕事は剛力の竜人に任せてやるよ」


 フレイムスはトニー以外にも、巨大な十字架に群がっていた者ども全てを下がらせ、一人でそれと向き合った。

 翼を大きく広げ、鋭利な爪を石へと食い込ませる。普通であれば傷をつけて良いのかと心配なところだが、既にところどころが破損しているので折れたりさえしなければ誰も文句は言うまい。


「グォォォッ!」


 迫力のある掛け声と共に、力が入ったフレイムスの両腕に血管が浮き出る。

 数人がかりでびくともしていなかったその十字架が、ゆっくりとその体勢を引き起こしていった。


「おぉ!立ったぞ!十字架が立ったぞ!」


「奇跡じゃ!神の奇跡じゃぁ!」


「我らの願いが届いたんだ!」


 信心深い者も多いようで、興奮はさらに高まる。


「ぬぅん!ぐぬぬぬ……!」


 だが、意外や意外、そこから一気に立ち上がると思っていた十字架は、45度くらいまで持ち上がったものの、再び地面に寝かせられる。


「あぁ?どうした、フレイムス」


「重い。だが、心配、無用だ。もう一度、やる」


 今度は爪だけではなく、ガシリと腕全体で抱きかかえるように持ち、そのまま引き起こす作戦のようだ。


「神のご加護を!」


「我らの希望を!」


 落胆していた群衆も、こぞってフレイムスに声援を送り始める。

 フレイムスは彼らに対して力強く頷き、両腕に力を込めた。


「ぬぅん!ぬぅおぉ……」


 また、同じように半ばまで立ち上がる巨大な十字架。ここまでくれば、後は楽なように見えるのだが、ここからがなかなか難しいらしい。


「ありゃ、無理だ。このままだとまた倒すぞ。お前ら、ちぃと加勢して来い」


 後ろに控えていたロサンゼルスとシカゴ、両方の護衛兵にトニーが命ずるも、火炎混じりの鼻息荒く、フレイムスが拒否した。


「要らぬ!手出しは、無用!」


 その咆哮と同時に、辺り一帯にドシン!と響く地響きが起こった。

 だが、フレイムスはまだ十字架を倒してはいない。ではこの音は何だ、と誰もが思った時、大きな大きな影がそこにあった。


「あん?アデルか?」


 日の光のせいで逆光となり、巨大な影の正体は分からない。だが、そこから発せられた大音声ですぐに察しはついた。


「これは、これはぁ!フレイムス殿ではないかぁぁ!」


「むっ!」


 その巨躯はフレイムスやアデルをも凌ぐ。むんずと岩石のような手で十字架を掴み、フレイムスの力と併せて簡単にそれを立ち上がらせた。


「拙僧は感動いたしましたぞぉぉぉ!フレイムス殿がまさか、教会の修復に手をお貸しになるとはぁ!」


 鼓膜が潰れるかと思うほどの大声でガハハと笑うのは巨人族の大僧正、イェンであった。


「イェン!なぜ、手を貸した!」


「はっはっはぁ!困っている者がおれば手を貸すのは当然の事でしょう!フィラデルフィア城下を修復中であると伺い、今しがた馳せ参じた次第じゃぁ!」


 少し遅れてフィラデルフィアの噂を聞きつけ、ちょうど転移してきたばかりらしい。

 フレイムスが十字架の復活を一人で成し遂げようとしていたことなど知らないイェンは悪びれもせず、声高々に笑っている。

 その一言、その一挙手一投足がいちいち大きな音を立てるので、トニーは両手で耳を抑えてしかめっ面だ。


「おい、坊主!声がでけぇよ!うるさくてかなわん」


「おおっ!?これは、バレンティノ将軍もおられたか!失敬失敬!どうも小さい御仁は見逃しがちであってな!今、フィラデルフィアには数多の列強が集って復興の支援をしていると伺ったが、それは誠であったようじゃぁ!」


「ダメだ、コイツ。話が通じねぇ」


 トニーが文句を垂れたというのに、さらにこの騒ぎようである。大僧正イェンは、全く人の話を聞かない性格のようだ。


「イェン!話、終わって、ない!」


「なんのなんの!礼には及びませんぞ、フレイムス殿!」


「礼、違う!怒ってるのだ!」


 さらに激昂するフレイムスだが、イェンは笑いながら「またまた」などと言いながらその肩を叩いて労うばかりだ。


「それより、お前も来たんなら、他の奴もまだ来るかもしれねぇな」


 六魔将で唯一ここにいないハインツや、三魔女の残り二人。そして、参謀長ブックマンは……あまり来る意味がないかもしれないが。


「はて?拙僧はたまたま流民から、陛下や六魔将の諸侯らがフィラデルフィアで汗を流されておられるという噂を聞いたばかりでしてな。ここにおられぬ他の方々がお越しになるかどうかは分かりませんな」


「そうか。フレイムス、相棒はイェンと交代してもらっても構わねぇか?俺はアデルが一人で踏ん張ってるフィラデルフィア城内にでも加勢に行こうと思うんだが」


 実際には、加勢するというよりは城の修復状況が気になるだけだ。城の敷地のいずれかを、これから武器弾薬の密造拠点として使わせてもらう可能性が高い。


「なに?むぅ……」


 フレイムスがチラチラとトニーとイェンの目を交互に見る。おそらく、イェンとではやり辛いと思っているのだろうが、当のイェンはそう思われていることなどお構いなしだ。


「おぉ!ではフレイムス殿と街を回ればよいのですな!バレンティノ将軍はどうぞ、陛下のおわす城内へと向かってくだされ!」


「悪いな。代わりにウチの兵をいくらか置いて行く。こき使ってやってくれ」


 トニーは護衛としてスケルトンのジャックと、近くにいる組員らだけを連れて行けばいいと思っているので、その他の魔族の兵などを貸し出すことにした。


 もちろん、すべてのロサンゼルス兵や組員がこの場にいるわけではなく、散り散りになって瓦礫の撤去などを行っている。それらの者まではわざわざ招集しないので、城に向かうのはせいぜい四、五人だ。


「むむ……!待て、バレンティノ!イェンも、勝手に、決めるな!」


「何を悩んでおられるのだ、フレイムス殿!そら、次の迷える民のもとへ行きますぞ!一人でも多くの敬虔なる信者を救わねばなりませんからなぁ!バレンティノ将軍、貴殿にも神のご加護があらんことを!」


「……おう」


 首元を大僧正の剛腕でロックされたフレイムスがずるずると引きずられるように強制連行されていく。


「は、放せ!イェン!グルゥウウオオオオゥ……!逃げるな、バレンティノォォッ!」


 残ったトニーの一行と、集まっていた民が世界一うるさい二人組を見送る。


「ま、あの巨大な坊主型のスピーカーから逃げてるってのは否定しねぇがよ。ジャック、天空城まで転移だ」


「はっ、直ぐに」


……


 バリバリバリッ……!


 数人の取り巻きだけを連れたトニーが、フィラデルフィアの青空に浮かぶ天空城の庭先に降り立った。

 草花や芝、池などの優雅な面影はなく、巨大テントウムシの岩石爆撃によってボコボコにされた更地だけが広がっている。


 中央部の神殿もそうだ。頑丈だったおかげで天井が抜けるようなことは無かったが、かなりのダメージを受けて廃墟となった歴史的建造物にしか見えない。

 住んでいるのが死神ヘルなので、その居城として雰囲気が出ると言えばそうかもしれないが、これではあまりにも酷い。

 トニー個人としては前の雰囲気の方が見ていて気持ちが良かったし、気に入っていた。いずれ人を送り込むとしても、彼らとて朽ちた城など御免だろう。


「何だ、思ったよりも進んでませんね、親父」


「大魔王の野郎、サボってるんじゃないですか?」


 組員らからそんな声が上がる。


「確かにな。魔術でパパッとどうにかするもんだと思ってたが。何やってんだ、アイツは」


 おどろおどろしい見た目をしたニューヨーク城は、魔術の力で建造されたものらしい。フィラデルフィア城も空中に浮いているので似たようなものだと思っていたが、そのようには出来なかったのか。


 一通り庭先の状況を確認し、神殿へと入った。

 アデルは玉座に座り、使い魔なのか、数匹のコウモリや猫、フクロウ、蛇などに指示を出している。まずは床や天井、神殿の内部から修復に当たらせているようだ。


「よう、大将」


「トニー・バレンティノか」


「てめぇの作業が遅いって、俺からのクレームが入ってるぜ」


 腹の底から震えるような重低音でうなる大魔王アデルの声も、聞き慣れてしまえば低音を利かせたコントラバスの音色のようなものだ。


 つかつかとトニーが玉座の前まで歩いて行く中、組員らはその少し後ろで腕組をしたまま突っ立ち、ジャックだけが片膝をついて敬意を表した。


「そうか」


「袈裟を着たデカい坊主がさっき来たんでな。俺の手が空きそうだったんで見に来てやった。感謝しろよ」


「実はお主の申す通り、難儀しておってな」


「そりゃ面白れぇ。どうした?」


 せっせと働き続ける使い魔たちを指差す。


「このフィラデルフィア城の材質は岩石でな。魔力はこの地面の浮力以外には一切込められておらぬ。つまり、小さな使い魔共だけでは、力仕事に秀でた男手が足りぬわけだ」


「重い石材をペットに運ばせてんのか?無理があるだろうよ。ウチから何人か出してやってもいいが、ニューヨークから後詰でも呼べばいいだろうに」


「余の直轄の兵など大した数はおらぬ。ニューヨーク城と屋敷の警備につけておる数人だけだ」


 残る魔王正規軍は現在、オースティン副長の指揮下にある。大半はロシアにいるはずだ。


「貸しにしといてやる。きっちり返せよ」


「うむ。だがその借りは結局ヘルのものとなるのだがな」


「ふん……おい、ジャック。フィラデルフィア城下に向かい、俺の兵から力のあるやつを十人ばかり連れて来い。できればオーガやケンタウロスだ。数が見つけれねぇようならロサンゼルス城に残ってる人材でもいい。戦闘員にこだわる必要はねぇから装備は不要だ」


「はっ!」


 ジャックは大魔王への配慮か、視線を下げたままスッと後ろへ下がり、神殿から出たところで空間転移術を発動させた。


「見積でもやるか、野郎ども」


 修復箇所の数や規模、それに応じて必要な物資などを記録させる。頭を使うのが苦手なオーガの兵には厳しいだろう。とはいえ、組員達とて得意なわけではないのだが。


「分かりました、俺達に任せてください」


「書き物がないと厳しいですよ、親父」


「あぁ?紙切れくらいその辺に……ねぇな。ヘルはどうやって執務をこなしてやがるんだ?」


「なるほど、まずは記録付けから行うわけか。魔術以外での建築は初めてでな。普段とは勝手が違う」


 魔術ならば頭に思い描いたものを具現化するだけなのだろうが、今回はそうもいかない。


「俺らの世界には魔術なんてふざけたもんはねぇんでな。おい、ジャック!……は行ったばっかりか」


「くく、人材集めに書き物にと、あの者はスケルトン兵の割には大忙しだな」


 スケルトン兵やリザードマンなどの下級種族をいち戦力以外として重用しているのはトニーくらいなものだろう。


「上等な服着せて可愛がってやってんだ。人間みたいに疲れ知らずだってんなら、こき使ってなんぼだわな」


「転移術を自分で覚える気は無いか」


「ないね。ボスの移動は舎弟や部下の仕事だ。奪ったら可哀想だろうが。自前のフェラーリのハンドル握るのは青年実業家、マフィアのドンはベントレーの後ろに座るんだよ。違いが分かるか?ま、ウチはマセラティだけどよ」


 トニーの気が変わって転移術を覚える可能性もなくはないが、しばらくの間はなさそうだ。


「相も変わらず次から次へと知らぬ言葉を。面白いものだ」


 数匹の蛇が力を合わせて朽ちた石材を撤去しているのを見て、トニーはため息を一つ。

 これでは蟻にピラミッドを作らせようとしているようなものだ。何千年の月日をかけるつもりなのかと問いたくなる。


「ずっとペットに働かせるくらいなら、自分の身体使えよ」


「無論、そのつもりだった。どうしても無理そうな大物は余がやる。こ奴らを使うのは小物ばかりよ」


「結局どう考えても、城下の復旧が先に終わって、俺達が総出で手伝う羽目になってたわけか」


 しかしそれでもひと月はかかるに違いない。トニーが先行してここへ上ってきたのは正解だったようだ。

 計画だけでも終わらせてしまえば、オーガなどに任せられる。


「大魔王などと謳っておっても、余は所詮、一人では何もできぬ無力な存在よ」


「いいのか、そんな弱気で。お前に忠義を尽くしてる連中が聞いたら発狂もんだぞ」


「事実であろう。力でこそ余の右に出るものなどおらぬ。それがどうだ、蓋を開けてしまえば城一つ直すのに難儀しておるではないか。絶対の存在ではない。だからこそ、六魔将や参謀長などの助けが必要なのだ」


 そう考えると、アデルはかつてのトニー・バレンティノと似ているのかもしれない。トニーは粗暴で力のあるボスだ。だが、それを支える組員や弟の助けがあったからこそファミリーを維持できていた。

 トニー本人にも時折あるように、トップは常に孤独との戦いを強いられる。結局のところ、最後は誰かの判断にゆだねることなど出来ない。それは大魔王と呼ばれるアデル・グラウンドにも、のしかかっているのかもしれない。


「大魔王陛下、バレンティノ閣下、失礼いたします!」


「おう、戻ったか」


 トニーの言いつけ通り、十体のオーガやケンタウロスなど、力に秀でた種族を従えたジャックが戻ってきて、片膝をついて神殿の入り口部分に待機していた。

 それぞれの個体が既にフィラデルフィア城下で作業をしていたのか、それともロサンゼルスからわざわざ連れてきたのか、どういった者なのかは判別できないが、誰しもが大魔王とまみえる事など畏れ多いことは間違いない。


 ジャックの後ろにいる彼らは、平伏、という言葉がぴったりの形で、頭が最も低くなるように両膝をついて両腕を投げ出していた。

 大魔王という唯一絶対の存在の近くで仕事をするのだ。栄誉と畏怖とが綯い交ぜになって、高い緊張感を生み出しているのが手に取るように分かる。


「まぁ、男手はこんなもんで良いだろう。悪くねぇ仕事だ」


「ありがとうございます」


 集まっている魔族らの性別などお構いなしの発言だ。この中に雌がいないとも限らないが、誰も言い返したりはしなかった。


「ジャック、次はロサンゼルス城に戻って紙と筆をいくつか持ってこい。野郎どもが図面や材料の書き込みに使う」


「ははっ、かしこまりました。この者たちはここへ置いてよろしいでしょうか」


「おう、さっさと行け。遅れたらぶっとばすぞ」


「はっ!」


 行ったり来たりの大忙しだが、ジャックはすぐさま転移していった。


「アデル、使い魔たちを下がらせねぇと踏みつぶしちまうぞ」


「そうだな。まずは崩れた石材の撤去から、そ奴らに手伝ってもらうとしよう」


 大魔王やトニーの声は聞こえているはずだが、助っ人の魔族たちは直接の命令が下るまで控えたままで微動だにしない。


「アデル、てめぇはオーガ共を使え。瓦礫を集めさせろ。ケンタウロスは俺が使って荷運びさせる。庭の穴ぼこに入れて整地でもするか」


「よかろう」


「出来る限り細かく砕くようにやらせろ。おい、そこにいる奴ら、ちょっと来い!」


 魔族たちが十歩程度前に進み、今までと同じように頭を垂れて控えた。

 本来であれば庭の穴には土を入れてやりたいところだが、ある程度砕いた石材で埋めてしまって、最後に土を被せればいいだろう。


「親父、俺達はジャックの帰りまで待機でよろしいですかね?」


「おう。数分で帰ってくるはずだ。その後は、ぶっ壊れた城の詳細を書いて俺に提出しろ」


「了解です、親父」


 早速、オーガたちは使い魔たちを押しのけるように作業に取り掛かった。いよいよ大魔王アデルも玉座から立ち上がって汗を流すつもりのようだ。


 ケンタウロスたちの内、一体を指名してトニーは騎乗した。他のケンタウロスには荷車を引かせ、石材や土砂を積んで庭先に移動させる。


 ジャックが帰ってきたので、書き物を数人の組員に渡す。彼らは城の内と外に分かれて被害状況を書き記していった。


……


 日が落ち始めると、トニーは本日の作業の終了を全員に告げて回った。灯りが必要な状態だと、どうしても作業効率は落ちてしまう。特に人間である組員らは休ませてあげたい。

 大魔王の提案で、夜の間は使い魔に細かな掃除だけやらせておくことになった。それだけでも多少は効率が上がる。


 フィラデルフィアに来ている面々の中でも、夜だけは一時的に自領へ帰る将軍らもいた。

 だがトニーらロサンゼルスの者らは帰らず、フィラデルフィア城下の使える建物を選別して宿所としている。当然、大悪党フレデリック・フランクリンの再来を警戒しているからだ。


「閣下ー。お疲れ様」


「おう、リーバイスの足は引っ張らなかっただろうな?」


 トニーとカトレアは、その使える宿所の中でも最もマシな、全く損害を受けていない教会を準備されていた。この辺りの采配はヘルだ。他の兵士などに対しては「申し訳ない」と言いながら、半壊した民家などをあてがっている。

 地べたよりはマシだが、お世辞にも客向けの宿とは呼べまい。しかし、この街の現状は誰もが分かっている状況なので、魔族の兵はともかく、組員ですらも不満は口にしなかった。


「そんなまさかー!あたしの方がリーバイス閣下の数倍は役に立ったし!」


「そうかよ。ま、明日も適当に頑張れ」


 気のない返事をしながら、トニーは簡素な寝台に座ってジャケットを脱ぐ。

 魔族のものとはいえ、布団があったのはありがたい。だがかなり使い古されているようで、中々に強烈なにおいが立ち込めている。獣のようなそのにおいは、この教会の神父であるオーガの体臭に違いないだろう。


「適当にとは何だ!そっちこそ、フレイムス閣下の足を引っ張ってるんだろぉ!」


「おい、ロサンゼルスから俺のベッドを持ってこれるか?数日はこれで寝泊まりしてたが、あんまり寝れねぇんだよ」


「聞いてるのか、こらぁぁ……!」


 台詞の途中でフッ、とカトレアの姿が消失した。瞬間転移だ。なんだかんだ言いながらロサンゼルス城に飛んだらしい。


「ふん、聞いてねぇのはてめぇの方じゃねぇのか」


「聞いてますぅ!」


 瞬時の間にトニーのベッドに乗ったカトレアが現れる。

 この部屋自体はそこまで広くないので、トニーが座っていた教会の備品のベッドと、ロサンゼルスから持ってきた自前のベッドで、部屋のスペース全てを埋めてしまっている。


「うおっ!?こんなにデカかったか、俺のベッドは」


「それだけ贅沢してるってことですなぁ。つまりここは一人ではなく、二人で寝るべきではっ!?……ではっ!?」


「いちいち売り込んでくるな。しかし、この部屋じゃ無理だな。隣の聖堂に移動しろ。女神像の前で寝るなんて気がすすまねぇが」


 聖堂には日中、礼拝しに来る者もあるのだが、この神父の私室に置いてあっては扉すら開けられそうにない。


 ちなみに、カトレアにあてがわれている寝室はその聖堂を挟んだ反対側だ。

 左右対称の形で全く同じ広さの部屋がある、ということである。


「女神像より、本物の女神と一緒に寝ようよー」


「誰が女神だ。てめぇは魔女だろうが」


 都合が悪い言葉は聞きたくなかったのか、カトレアはトニーが運ばせたベッドと共に消えていた。


……


「おはようございます、閣下」


「親父、おはようございます!お迎えに……げっ、親父、何やってんですか!」


 翌朝。教会の正面扉を開いて迎えに来たジャックと組員達。

 寝室はそこから続く隣の部屋だと分かっているので聖堂まではそのまま入ってきたのだが、女神像を挟んでいる巨大なベッドが二つ。

 トニーのベッドと、それを真似したカトレアのベッドだ。


「あぁ?自前のベッドの寝心地が一番だろうが。反対側のガキが真似してるのは俺の知ったこっちゃねぇ」


 葉巻をくゆらせながら身支度を整えていたトニーが返す。

 聖堂内には早朝から祈りを捧げに来ている住民や神父の姿もあったが、そんなものはお構いなしだ。ちなみにカトレアのベッドは毛布がこんもりと膨らんでいるので、まだ寝ているらしい。


「将軍のお付きの方々、ご苦労様です」


 人の良さそうな神父は、オーガだが少し小ぶりな体型で、黒い祭服に大きな十字架のネックレスを下げていた。

 中身が人間ならダンディなナイスミドルくらいなのだろうが、トニーや組員らには彼の年齢はよく分からない。


「将軍ともあろう御方に、狭い寝室しかご用意できなかった私の不手際ですので、どうぞ聖堂もご自由にお使いください。街の復興にご助力いただく貴方がたとならば、寝食を共にしようと、きっと神もお許しになるはずです」


「おう。ありがとな、神父さんよ。何か困ったことがあったら、そっちで寝てる魔女に言えよ」


 素直に礼を述べながら、トニーはジャケットを羽織り、ボルサリーノのハットを被った。

 カトレアは起こさない。そもそも別の班なので行動を共にする必要などないので、好きなだけ寝かせてやるとする。


「ありがとうございます。では、いってらっしゃいませ。貴方に神のご加護があらんことを」


 トニーの出立を、神父以外の信徒たちも両手を組んで見送ってくれた。


「天空城に飛ぶ前に腹ごしらえだな。たまには炊き出しを覗いてみるとするか」


 トニーら、ロサンゼルスの面々は食料を自前で輸送しているが、街のあちこちで配られている炊き出しを利用しても問題ない。ただし、人間が食べれるものを配っているかどうかは行ってみなければ分からないが。


……


 配給は昼と夜の二回に分けてフィラデルフィア城下の数か所で行われている。

 偶然、この時に立ち寄ったのは、城の修復に連れて行っていない組員がその作業を担当している場所だった。スーツを着た強面の若い衆がエプロンをつけて食べ物を配るという、なんとも面白い光景だ。


「あれっ、親父!メシですか!?」


「俺に食えるものがあるならな」


 トニーに気付いた組員が驚いている。


「もちろんです!他のゲテモノばっかり配ってる場所とは違って、ここの炊き出しだけはまともですよ!」


 もちろん、人間にとってはという意味だが、配給を受け取りに来ている魔族の住民にとってはどこの配給もちゃんと食べれるので大差ないはずだ。


「どれどれ。ビーフシチューか?」


「はい!なかなかの出来なんで、どうぞ食って行ってください」


 大鍋いっぱいのシチューが焚火でグツグツと煮込まれている。実に美味そうだ。

 周りには夢中でそれにがっつく民衆がいる。よっぽど美味いのか、トニーら一行の存在にすら気づいていない様子だ。


「お代わりは貰えるんだろうか」


「俺も欲しいなぁ。もう一回並ぼうぜ」


「なんだこれ。料理された食べ物なんて初めて食ったぞ。泥水にしか見えねぇがうまいな」


 思い思いに話している声に耳を傾けると、やはり好評なようだ。獲物の生肉や果物ばかりを食べていたのか、料理を知らない者もいるらしい。


「どうぞ、親父。肉多めにしときましたんで」


「おう、ガキか俺は」


「へへ、汁ばっかり入れたら文句言うでしょうに」


「ふん、貰うぞ」


 シチューがたっぷり注がれた皿を受けとる。

 その後ろに護衛の組員が並んでいるが、先ほどお代わりを欲しがっていたリザードマンも並んでいた。


……


「これ、うっめぇなぁ」


「あーっ、お前の肉が多いじゃんか!いいなぁ」


「本当だ!多い!当たりだな!」


 リザードマンの子供だ。近くで車座に座って食事を取っていたトニーの、肉がてんこ盛りになった皿に気付いてワイワイと囃し立てる。

 不遜な態度にジャックや組員ら、護衛達が何か言い返そうとするも、トニーがそれを制す。子供にとって相手の地位など関係ないだろう。


「そんなに肉がうめぇなら分けてやる。おら、ガキども、皿出せ」


「えっ!いいの!?」


「ガキはたくさん食ってたくさん遊ぶのが仕事だからな」


 スプーンで一つずつ、周りにいたリザードマンの子供たちに肉を分けてやった。親が近くにいないのは孤児だからだろうか。


「お前ら、親父やお袋はどうした?」


「分かんない。ここにいるみんなは、家族とバラバラになっちゃったんだよ」


「戦争孤児ってやつか。まだそう決めつけるにゃ早いが、見つかると良いな」


「せんそーこじ?なんかよく分かんないけど、ありがと」


 さらに続々と集まってくるリザードマンやオーガの子供たち。気づけば十体以上になっていた。さらにトニーは肉を与え、汁ばかりになったシチューを平らげる。


「おい、お前ら。俺はもう行くが、まだ肉が欲しいなら、配膳してる奴らにちゃんと肉を多めにしてくれって言えよ」


「ううん、言っても大して肉くれないんだぜ?お代わりも一回までだってさ。ケチだろー?」


「肉ありがとな!変な格好の人!シチュー配ってる人も変な格好だよな!流行ってんのか?」


 子供たちは人間が住む街に行ったこともないので、スーツを見るのは初めてなのだ。

 相手が将軍だとも知らず、無邪気に手を振る彼らに別れを告げ、トニーはフィラデルフィア城に向かった。


 ズゥ……バリバリバリッ!


 空間を切り裂いて、フィラデルフィア城の前庭に現れる。ボコボコだったそれも整地が多少できたおかげでマシな状況になってきた。


「閣下、おはようございます」


「バレンティノ将軍、本日もよろしくお願いいたします」


 既に到着していたケンタウロスがトニーの出勤を待っていたようだ。

 城内では既に大魔王とオーガが昨日の続きの作業している。使い魔たちが夜中の間にせっせと掃除をしてくれていたおかげで、ケンタウロスたちが土砂の運搬に使う荷車などは綺麗な状態で置いてあった。


「おう。野郎ども、馬ども、みんな集まれ。それと……お前。アデルを呼んで来い。ミーティングだってな」


「えっ!は、はいっ!」


 適当なケンタウロスに大魔王を連れてくるように言いつけると、あまりの大役に躓きそうになっていた。


……


「まさか、貴様に呼びつけられるとは思いもしなかったぞ。トニー・バレンティノ」


「ふん、嫁以外の尻に敷かれる気分はどうだ?」


「最悪だな。貴様こそ、たまにはカトレアの尻に敷かれてみるが良かろう」


 大魔王を呼びに行ったケンタウロスは気が気ではないようで、未だに身体を小刻みに震わせている。

 本人たちは軽い冗談を交わしているだけなのだが、トニーの不遜な態度が大魔王の逆鱗に触れ、それに対してトニーが容赦なくやり返すという最悪のシナリオを想像してしまったに違いない。


「破損部分の運び出しは今日までの予定だ。終わりそうか」


「問題ない。手が空いたら次はどうするつもりだ」


「ウチの部下が侵入した、とあるフランスの郊外で石切り場を見た報告があった。ずいぶん前だったが、まだ残ってるだろう。そこに再侵入して建材を盗み出す」


 そこから石材を持ってきたとしても、さらに加工が必要となるはずだ。たとえば、ギザギザに切り込みの入った石柱などは簡単には作れまい。

 魔族にも工匠のような者はいるのだろうか。もしいなければロサンゼルス城にいる人間の奴隷の技術者を使うことになる。


「それは重畳。だが、侵入には余が向かうことは避けたい。貴様に頼めるか」


「分かってる。のこのこと敵地に行く総大将なんていねぇからな」


「うむ。これも妃の尻に敷かれておる証拠よ。あれは心配性でな」


 なるほど。他国への転移禁止は妻からのお達しか。余程の恐妻家なのか、それとも愛妻家なのか。

 力で言えば大魔王に王妃が勝るとは思えないが、その身を案じてくれているものを裏切りたくないという事なのかもしれない。


「逆に、そっちからいう事はねぇか?困ってる事とか、必要なものとかよ?準備可能なら都合してやる」


「困っておると言うほどではないが、城下の様子も気になるな。明日以降、貴様らが物資の調達に向かっておる間、少し下に降りてくるつもりだ」


「好きにしろ。ただしここを無人にはするなよ。道化師や羽虫がまたいつ現れてもおかしくねぇんだ」


 ゆっくりとだが、確実に日常が戻ろうとしている中で忘れそうになる。しかし、未だ厳戒態勢であることに変わりはないのだ。特にこの城が陥落した場合、戦況は簡単に不利な状況へと追い込まれてしまう。

 高所が低所よりも圧倒的に有利な地形である事はどの世界でも一緒だ。


「無論だ。六魔将の誰かを置いておく。アルフレッドなど良いかもしれんな」


「それじゃ作業再開だ。やるぞ、野郎ども」


……


……


 翌日。


「おい、どこだ?いつまで歩かせやがる」


「長い距離をご足労頂き、誠に申し訳ありません。あぁ、ありました。あちらです、閣下」


 フランス王国、北東部、ロレーヌ地域圏。

 夕闇に映える、のどかな田園風景と森林。それと隣り合わせる形で採掘場を構える鉱山がそびえ立っている。


 リザードマンの兵士に先導されて採掘場に近づくと、確かに岩山から人の手で石材が切り出されているようだ。ただし、詰め所のような小屋と、大きな空の荷車が数台あるだけで、大規模なショベルなどの機材は当然ない。運搬以外は魔術を用いているのだろう。


 組員の随伴はおらず、トニーの周りには魔族の兵ばかりだ。その数、およそ三十名。


「ようやく到着か。しかし、こりゃ掘ってるのは石だけじゃねぇな」


「と、仰いますと?」


「鉄だ。あのギラついてる石は鉄鉱石だろ。周りの地面に積もってる残りカスが赤錆てるから間違いねぇ。てめぇら、お手柄だぞ」


 鉄鉱石から鉄を製造するためにまた人間の技術者や魔術師が必要となるかもしれないが、これは武器の大量生産を目論んでいるトニーにとって有益なものだ。

 ただし、この鉱山を抑えるには近くにあるであろう街を潰し、さらなる採掘を止める必要がある。それは手間であると同時に、そこにいるであろう技術者を連れ去るチャンスでもある。


 とはいえ、今回はそんな私利私欲で動いているのではなく、フィラデルフィア城修復のための石材の運搬が仕事だ。


「鉄はそっち、石はあそこから出してるようだな」


 赤錆が降り積もっている付近の山はボコボコに掘り起こされているのに対し、少し離れた一角では岩山が直角に切り出されていた。その目当てが鉄ではないのは明白だ。


「なるほど、我々ではそこまでの思慮には及びませんでした。さすがは閣下」


 魔族は人間とは違い、自分たちで何かを生産することはまれだ。上流階級以外では、ほぼないと言っても過言ではない。鉄と石の違いなど見抜けるはずも無かった。


「近くの街はどのくらい離れてる?」


「早馬で半日、といったところです。今日の作業が終わっているのであれば、明朝まで人間も来ないはず」


 半日も離れているせいで夕方には作業員が引き上げているのだろう。こちらにも半日近い猶予があることになる。


「さっさと始めるか。まずは一番デカい柱になる部分だ。長く切り出せ」


「承知いたしました」


 数人のリザードマンとオーガが、短い距離の空間転移で岩山の頂上へと昇った。その手には金槌や槍が握られている。槍を突き刺し、その上から金槌で叩くことで細長く割ってしまおうというわけだ。


 下に残ったものは切り出されて倒れてきた岩を受け止めようと待ち構えていたが、これはトニーがやめさせた。いくら屈強な魔族とはいえ、確実に死傷者が出る。

 しかし、そのまま倒してしまっては衝撃で細長い岩が折れてしまうだろう。衝撃だけを緩和する便利な魔術はないのかと嘆きたくとも、こればかりは仕方ない。もしあったとしても、ここにいる兵士らはそんな専門的な魔術を狙って習得などしないだろう。


 そこで、切り出す前に岩の頂上に縄を通した杭を打ち込んだ。

 その縄を引くことで、岩山が割れてもそのまま倒れ込むのを抑える。その状態のまま全員で引き上げ、横倒しになった石材を持ち上げてフィラデルフィアまで転移してしまおうという作戦だ。

 引き上げるときに多少は削れてしまうだろうが止むを得まい。


「うおりゃぁぁぁぁぁぁっ!!」


 怪力自慢のオーガが一体、気合の入った掛け声とともに金槌を振り下ろす。

 あらかじめ突き立ててあた槍の尻に直撃し、岩山には一気に亀裂が入った。しかし、一度で一番下までは割くことが出来ず、埋まってしまった槍の尻に新たな槍を当てて再度金槌を振り下ろす。


「そぉりゃぁぁぁぁぁぁっ!!」


 それを繰り返す事、数回。張り出した岩の側面から亀裂を確認していたリザードマンから、待望の声がかかる。


「よし、もういいぞ!底部まで到達した!」


 岩はそのまま倒れることは無く、直立している。引いている縄のおかげか、ただ単にバランスが取れているだけなのかは今のところ分からない。


「引き上げさせろ。出来るだけ割れねぇように慎重にな」


 下から様子を見ているトニーが指示を出した。


「引き上げろー!」


 それを聞いたリザードマンがトニーの指示を大声で復唱する。珍しく護衛のジャックが不在なのは、別の任務を与えているからだ。


 ジャックは現在、単独で日本の日向に移動している。本人は当然、トニーのフランス行きに同行するのを志願したが、先の巨大昆虫との戦闘で刀も脇差も使用不可能な状態となっていた。

 トニーが「人間の国に侵入するのに護衛が丸腰では仕事にならないだろう」と言うと、直ちにジャックは日本へ飛んだ。日本刀にこだわる必要はなかったはずだが、特に脇差はトニーから与えられたものだという思いが強かったに違いない。

 今まで使っていたものは修理すらままならないので、あちらで新調して戻ってくるはずだ。そのための金は与えてある。

 ただし、あの白骨の顔を相手に商いをしてくれるのかは不明だ。


 当然、日向の町民らや城の侍共の中にはジャックの事を見知っている者もいる。

 刀が欲しければそれらに仲介や紹介を頼むのが最善策だが、いきなり一見の鍛冶場や武器屋に飛び込んでしまったら大騒ぎになるかもしれない。


 いくらはじめてのおつかいのようなシチュエーションとはいえ、ジャックがそこまで器量のない者だとは思えないので、よしなにやってくれると信じるしかあるまい。

 町民を驚かせることはあっても、侍に間違って斬られるような事態は想像しづらい。


「……」


「閣下、申し訳ありません。あの岩を引き上げるには力が足りないようです」


「そうみてぇだな」


 リザードマンが報告する通り、縄を必死になって引いてもビクともしなかった。人数をさらに増やすか、別の手を考える。

 ではやはりこちら側に倒すか。しかし、衝撃で派手に割れてしまうのは容易に想像できる。割ってしまったものを繋ぎ合わせて無理やり柱にするわけにはいくまい。強度もさることながら、見かけが非常に悪い。

 上の縄を引きながらバランスを保ちつつ、こちらにゆっくりと倒すことは出来ないだろうか。


「上から倒すのは無理でも下から引きずれはするな」


「さすがは閣下。もう妙案を?」


「おう。やってみるとするか」


 さらに岩の下部にも縄を通した杭を打ち込み、手前側に引いてしまう。上にも半数以上の兵を残しておいて、ずりずりと足元から岩を引き倒してしまう作戦だ。先に丸太の線路でも敷いておけばさらに良いだろう。


 早速その案を実行する事にしたが、木を切り出す作業も含めて結構な時間がかかってしまった。

 夕闇に包まれていたはずが、すっかり夜も更け深夜に。晴れていたおかげで月明りこそ照らしてくれているが、トニーはほとんど何も見えない。

 ただし、周りにいるのは組員ではなく魔族の兵だ。彼らはこの程度の暗さであれば特に気にすることなく作業を続行していた。


「いくぞっ!」


「せーのっ!」


 響き渡る掛け声。わずかながら、岩の足元がせり出してくる。引き上げるのは無理でも、手前に引きずり出すのは可能だったようで一安心だ。


「よし、いけそうだ!もう一度!」


「せーの!」


 どうせ空間転移で運ぶのだから、わざわざ一部をこうやって引きずり出さずとも、切った岩を立てたまま転移できないのかという疑問が起こるが、取り外しておかないと転移の対象物として認識できないらしい。

 それに、立てたまま運んであちらに到着した直後に支えを失った対象物が倒れると大惨事となる。それで一旦寝かせようとしているのだ。


「閣下、お休み中に失礼いたします。作業が終わりましたのでご報告です」


 切り株に座ってうつらうつらとしていたトニーにリザードマンから声がかかる。指示をしておきながら最後まで監督できなかったのはトニーの不手際だが、どうやら作業は完了したらしい。

 ぼんやりとだが、確かに横たわった大岩があるのが見えた。


「おう。飛ばせるか」


「はっ。対象物が大きいので、あと二、三人ほどが同時に転移をかけなければフィラデルフィアまで持って行けず、増援の手配をお許しいただきたいのですが」


 物を運ぶにはそういった制限もあるらしい。ここまで巨大なもので試すのは初めてなので誰にとっても予想外だった。カトレアなどの大魔力があれば話は変わってくるが、魔術専門ではない一般兵がいくら束になったところで、その魔力などたかが知れている。


 フィラデルフィアに戻るのではなく、ロサンゼルス城から補充要員を募るのだろう。


「許す。だがニ、三人だなんてケチケチすんな。それでまた足りなかったらどうするつもりだ。二十人くらい一気に引っ張って来い」


「か、かしこまりました!」


 それほどの魔族の兵が城に数が詰めているかは不明だ。ほとんどロシア兵と人間の奴隷しか残っていないはず。その場合は近郊の住民でも雇用して戻ってくるだろう。それくらいは判断してもらわないと困る。


 またうつらうつらとしていると、空間を切り裂く派手な音がいくつか聞こえてきた。複数人が転移していったようだ。現在は副官の随伴もないので、もう少し兵士同士で誰が行くか決め兼ねて揉めるかと思ったが、スムーズに行く者と残る者の役割分けが出来たようだ。


 だが、ロサンゼルスに飛んで人手を集める方が苦労したようで、彼らが戻って来たのは一時間ほどたった頃だった。


 それならある程度の人数が集まったところでいったん戻ってきて大岩を移動させれるか試せば良いものを、トニーが発言した二十人という言葉を忠実に守ってしまったようだ。時間を優先することで、それを守らずに戻って叱られるのを恐れたのだろう。しかし……


「おせぇぞ!何をチンタラやってやがったんだ!使えねぇな、てめぇらは!」


「申し訳ございません!」


 結局、雷を落とされてしまった。


「……あぁ?そういうことか」


 トニーに恐怖を感じて一斉に跪いた彼らを見渡すと、武器やその他の装備を一切身に着けていない全裸の者がいる。種族はリザードマンとオーガ、インプなどバラバラだが、おそらく彼らは城に詰めている兵ではない。一般の住民だ。


 城内にいない人数の指定をしてしまったため、到着が遅れてしまったのは自分にも非がある。だがやはり、その時点で一度、トニーの判断を仰ぐのが吉だったのは間違いない。


「さっさと運んで来い」


「閣下はこちらに残られるのですか?」


「おう。護衛もいらねぇ。フィラデルフィア城の隅の方に置いてくるだけなら時間もかからねぇだろ」


 転移に失敗した場合はともかく、移動してまた戻ってくるだけならば五分とかからないはずだ。


「かしこまりました。では」


「よし、みんな!コイツを運ぶぞ!」


「そっち、誰か頼む!」


 総勢五十名近い魔族が横倒しになった岩を取り囲む。

 持ち上げる必要はない。どこかに触れていれば良いので、均等な間隔でそれぞれが配置につく。


……


……


 トニーが異変に気付いたのは、三十分が経過したころだった。


「あぁ?さすがにおせぇな」


 結局また居眠りしていたのだが、明らかに待たされすぎている事だけは月や星の位置で分かる。

 一団がフィラデルフィアでトラブルに巻き込まれた、あるいは転移中に問題が発生した、と考えるしかない。ただし、前者の場合は誰かが一旦戻ってきて報告ぐらいはしてくれるはずなので、後者である可能性が高い。


「……」


 とはいえ、自身で転移術が使えるわけでもないトニーにはどうすることもできない。近くの落ち葉と枝を集め、魔術で起こした焚火で暖を取りながら再度横になった。


 ガサガサ、と音がする。ちらりと見ると一匹の野豚が土を掘り起こしていた。火が近くにあるというのに、度胸のある豚だ。


 食ってやるかとも思ったが、トニーに肉を解体する術などない。手元に刃物などないし、そもそもやり方が分からない。

 空腹というわけでもないので放っておくと、豚はトニーの周りを次々と掘り起こしていった。鉱山ではあるものの、トニーが寝転がっている周囲には木々も少なくない。土の中に木の実でも落ちているのだろう。


 いよいよ日が昇ってくると、トニーは人間の作業員の出勤を警戒しなければならなくなった。明らかに岩が切り出されているので、盗んだのは一目で見破られるだろう。


 部下たちが戻ってこない以上、ここでトラブルを起こしても面倒だ。作業員を皆殺しにしてここで待ち続けても良いが、帰ってくるのか分からない連中を待つよりは周囲の街を探そうとトニーは歩き始めた。


 トニーの足でおよそ半日。街と言うほどではないが、民家が五軒ほど密集した集落にたどり着いた。

 周りには小麦畑が広がっており、それを管理している農民の集落だろう。鉱山で働く炭鉱夫は街から来ているという話だったので、ここではないと思われる。


『おんやぁ?珍しい服着てるな、アンタ』


 麦わら帽子を被り、鎌を片手に作業をしていた男が腰をトントンと叩きながらトニーに声をかけてきた。

 近くに他の者の姿は見当たらない。


「チッ、フランス語はほとんどわからねぇな。おい、何か食い物は無いか」


 自分の口を指差し、次に腹をさすって見せる。


『こりゃたまげた!アンタ、外国人か!どうしてこんな田舎に一人で?』


「あー?伝わってねぇのか?おら、銅貨二枚やるから何か食わせろよ」


 トニーの懐には常に潤沢な資金がある。金貨も銀貨も銅貨も合わせれば、一年以上は高級宿で暮らせるほどだ。まずは、かさばる銅貨から消費することにした。


『何か食い物を寄越せってか?わかったわかった、その家がわしの家だ。おーい、かかあ!メシの支度を頼む!』


 手招きをしながら男が五軒の内の一軒に入っていく。茅葺屋根の素朴な田舎式家屋だ。


 何となく伝わったのは感じ取れたが、銅貨を受け取りもせずに家の中へに消えていったので、トニーは玄関先で待ちぼうけを食らう形になった。そのまま突っ立っていると、男が顔を出して手招きする。


『なーにやっとんだ?さぁ、上がっていけ。少し早いが昼飯にするぞ』


「パンでもくれるのかと思ったが、見ず知らずの人間を家にご招待ってか?さすが田舎者は人を疑うって事を知らねぇな」


 とはいえ、トニーとて別にこの男を騙すつもりは無い。お言葉に甘え、ランチの席に招かれることにした。


『いらっしゃい、外国から来たんだってね。どうぞ、食べていきなさいな』


 男の妻だろう。痩せぎすの女が人懐っこい笑顔でトニーを迎え入れてくれた。夫婦そろってお人よしだという事が分かる。

 家の中に子供がいる様子はないので二人暮らしのようだ。しかし、戸棚に飾られた子供用の人形が目に入り、子供は都会に稼ぎに出ているか、どこかへ嫁いだか、あるいは他界してしまったかのどれかだろうと予測できた。


 猫好きらしく、戸棚の上、テーブルの下、テーブルの上と、合計三匹の猫がいた。探せばまだ家のどこかから出てきそうだ。


「悪いな、邪魔するぜ」


『はーっ、本当に外国語をしゃべるじゃないか。すごいねぇ』


『な?わしのいった通りだろ、かかあ?』


 勝手に盛り上がっているようだが、トニーは何も分からないので応えず、丸い食卓を囲む内の一つだけ空いた椅子に座った。

 そして、準備された皿を覗き込む。さっぱりとした、何の香りもしない湯気が立ち昇る中に、白く輝く大麦。それが透明の液体に沈んでいる。お粥だ。


「麦粥か、懐かしいな」


 粥は消化もよく、栄養もそれなりに摂れる。幼い頃、風邪をひいて寝込んでしまった時以来だ。

 ただ、こうして昼食として摂るにはいささか物足りない。大麦と水と塩さえあれば作れる、とても質素な食事だ。農村部という事もあり、あまり裕福ではないので、住民にとってはこれが日常なのだろう。


『では祈りを。神よ、愉快な客人と食卓を囲める幸運に感謝します』


『また、今日もこうして命をいただけることに感謝します』


「……」


 トニーも彼らに習って、無言で十字を切った。


……


『いやぁ、言葉も分からねぇのに一人旅とは大したもんだなぁ。ほら、飲んでくれよ』


「さっきからグダグダと絡んでくれてるが、何を言ってるのかさっぱりだぜ」


 昼食の後、もはや仕事に戻る気がないのか、男は酒樽を持ち出して酒盛りを始めてしまった。トニーも一杯貰ったが、薄いエールのような味がする自家製麦酒らしい。お世辞にもこれが美味いとは思えなかったが、男は楽しそうにそれが入ったジョッキを何杯もあおって酔ってしまい、この通りトニーに絡んでいるという状況である。


『ほーら、アンタ。鬱陶しくてお客さんも困ってるじゃないか。何言ったって分かりっこないんだから』


『そんなこたねぇぞ。遠慮してるだけだ』


 妻が窘めてくれているのは分かるが、彼女自身も次々と干物やチーズなどの肴を持ち出してくるせいで、旦那の悪酔いを援護しているようなものだ。


 ただ、こちらの肴もトニーの口には合わない。不味いというよりは、薄味すぎて食べている気がしない。

 だが、飲み食いさせてもらったのは事実だ。引っ込めていた銅貨二枚に加えて銀貨も一枚、合計三枚の貨幣を食卓の上に置いた。


「馳走になったな。そろそろ俺は行くぜ。代金だ、取っとけ」


『ぎ、銀貨!?ちょっと、待て!こんなもの受け取れない!というより、銅貨二枚の方もいらん!』


『驚いた!あたしは銀貨なんて初めて見たよ!』


 夫婦そろって、てんやわんやしているがトニーは首を傾げるばかりだ。

 男は金を受け取ろうともせず、トニーに押し返す。


『どこの貴族様か知らんが、これはしまっておいてくれ!困っている人がいたら手を差し伸べるのは当たり前。わしらは金欲しさに生きてるわけじゃねぇ!』


 酔っているせいもあってか、すごい剣幕のフランス語でまくし立てられ、トニーは理解する。


「金も受け取らねぇとは、骨の髄までお人よしってか。借りは返す主義なんだがよ」


 どうせ通じないのだからとトニーは金を懐に戻して立ち上がった。

 理解はしたが、納得は出来ない。世の中に金を貰って喜ばない人種がいたとは驚きだ。現世でも孤島や山奥で暮らすような、賢者や仙人とでも言うべき変わり者はこんな感じなのだろうか。


『ようやく分かってくれたか。しかしもう行くのか?一日くらい泊まっていけば良いものを』


「ウサギか豚でも持ってくれば受け取ってくれたのかもしれねぇが、どうしようもないな」


『まぁ……行くなら仕方ねぇ。かかあ、パンを持たせてやってくれ。気をつけてな』


「せめてこの集落は襲わねぇように部下共に命令しといてやる。それがメシと酒の勘定だ」


 弁当代わりの固いパンを受け取りながら、トニーは呟いた。

 何気ない親切が、命と集落そのものの代金になったことは誰も知らない。


……


「めんどくせぇな」


 トニーの目の前には小さな川が流れている。

 河原の石に座り、いくつかの石を組んで地面に作った即席の鍋に川の水を入れ、そこに発火の魔術を当て、その湯でふやかしたパンを口に入れる。

 固すぎて到底食べれそうになかった為、面倒ながらも仕方なくそうした。


 時間的には真っ暗のはずだが、トニーの背後では大規模な森林火災が起こっていた。

 これもトニーの仕業だ。


 真っ暗で何も見えないので焚火でもつけようかと思ったのだが、石鍋を組み上げた時点で焚火まで準備するのが億劫になり、近くの森ごと燃やしてしまったのである。


 おかげで夕焼けかとも思えるほどの真っ赤な明るさを確保できているが、トニーが灯りを欲したというだけで、森の生物たちの居場所が消し飛んでしまっているのだから気の毒でならない。


 木々から飛び出してくる鳥や、逆に光へと集まる羽虫。トニーの側、河原で水を飲みながらその炎を無言で見つめるシカの親子もいる。

 背後では大騒ぎだというのに、トニーはその大火事の光を頼りにパンを頬張り続けた。


 数十分後。大して膨れもしなかった腹をさすり、堅い岩の上に寝そべる。さっきの民家に泊めてもらえばよかったなと思いながら。

 火事は森の奥の方へと移動していき、今も燃え続けている。遠くを見れば赤い空が確認できるが、トニーの周辺の木々は完全に燃え尽きてしまっているので辺りは薄暗い。


 シカの親子は別の居住地を求めて去っていった。住処を奪った男に復讐しようとは思わなかったようだ。もちろん、トニーの魔術のせいだなどと理解はしていないだろうし、知っていたところで人を襲う確率は薄い生物だが。


 朝になると、すっかり焼け野原になってしまった森が遠くまで良く見渡せた。

 美しかったはずの緑は消え失せ、黒々とした炭と煙だけが残っている。


 しかしトニーのいる反対側、そのある程度のところで川か平地でもあって森が途切れていたのか、遥か地平線の彼方まで燃え広がったというわけではない。


「チッ、余計な虫まで寄せちまったか」


 トニーは何者かが近づいてくる気配を感じた。寝起きで感覚はぼんやりとしているが、危険を察知する能力ならば嫌でも染みついている。


 身を隠す場所はないので、サッと身体を起こして銃を引き抜いた。

 カチャカチャという鎧が擦れる音に、わずかな蹄の音。騎乗しているという事は民兵ではなく正規の騎士か。


 その数秒後には四騎の騎兵の姿が見えてきた。


 多少の問答なら付き合ってやらないこともないが、拘束や攻撃など、トニーに危害を加えようとするのであれば皆殺し以外の選択肢はない。

 右手に愛銃を握ったまま、左手の人差し指で葉巻に火を点ける。


『どうやら、この大惨事は貴様のせいで間違いないようだな。それは……指輪型の触媒か』


 堂々と目の前で魔術を使ったトニーが魔術師であると確信したらしく、先頭の騎士の兜の中からくぐもった声が聞こえた。

 フランス王国は、欧州列強の中では最も魔術への理解が深い国家だ。触媒が杖型だけではない事を彼らは知っている。ただし、トニーの場合はそれが無くても魔術が使えるのだが。


「あ?まず馬から降りろ。頭が高いぞ、てめぇ」


『ほう、外国人か。怪しい奴め。何のつもりで木々を焼き払ったのかね』


「まぁ通じねぇわな。馬鹿は高い場所を好むってか」


 わざと大きく息を吐き、もくもくと紫煙を馬上の騎士の顔付近に立ち昇らせる。


『このっ!無礼な奴め……今すぐ叩き斬ってやりたいところだ……!』


『アルダン卿、落ち着いてください。それはまずいかと』


 わなわなと震える肩に、別の騎士の手が置かれた。


『分かっているとも、ジェラール卿。同盟国の人間に対して、我らフランス王国騎士団は出来る限り手荒な真似を避けねばならない』


 トニーにしてみればつまらないが、フランスの騎士は激昂することなく、同盟国との協定を重視した。


『後方にいる我が兵の中に、英語とドイツ語を解するものがおります。おそらくこの者が話しているのは英語ですから、呼んで参りましょう』


『うむ……すまんな、ジェラール卿』


 偵察であれば先兵を送るはずだが、この四人の騎士たちは自らの足でこの大惨事の現場に一番乗りしていた。

 兵どもは徒歩のため休ませておいて、騎馬で急行したかったという理由もある。


 一騎離脱していく騎士を見ながら、トニーは目を細める。


「増援を呼ぶ?いや、やる気ならそんな悠長な事するわけねぇよな。上への報告か、あるいは通訳でも探しに行ったか」


 その場に残った三人の騎士は、トニーからわずかに遠ざかり、つかず離れずの距離を保ってこちらの様子を窺っている。下馬しないのは、トニーが逃げようとした場合に離されないためだ。


「おい、用がねぇならもう行くぞ」


 葉巻を吸ったり、小川の水を飲んだりして五分、十分程度はぼんやりしていたが、いよいよ退屈になったトニーが切り出す。


『待てっ、動くな!ええい、通じんのか!ジェラール卿はまだかっ』


「あぁ?」


 あたふたと手を振って動かないように言われているのは分かるが、そんな事はお構いなしだ。むしろ、トニーにしては理由もよく分からないままで数分も待っていたこと自体がよくできた方だと見るべきだ。


『各々方、お待たせしましたー!』


 先ほど離れていった騎士が一人と、自足で走っている兵が一人。一般兵にしては鎧の上から、騎士たちの装備に負けないくらい立派なビロードのマントを羽織っている。貴族の出ではないのだろうが、裕福な一般家庭出身の下士官だろう。商人や大きな農家のせがれ等かもしれない。


「増援部隊じゃねぇ……って事は今連れて来たのが通訳だな。それなら付き合ってやるか」


 ふん、と鼻を鳴らし、トニーは足を止めた。


『おぉ、待っておったぞ。ジェラール卿、彼が英語の話者か?』


『左様です、アルダン卿。あの奇怪な魔術師と話してみましょう。おい、早速頼めるか』


『かしこまりました、ジェラール卿。それでは』


 連れてこられた兵士が騎士たちに一礼し、トニーの近くまで歩いて来た。

 軍人の割には防具以外身に着けておらず、得物は胸元に下げている短剣だけだ。代わりにぶ厚い書物を手にしているので、英仏辞書だと思われる。


「あー、私の言葉が分かりますか?」


「おう。わざわざご苦労なこった」


「よかった、あなたは英国人ですね?」


 一般的には、アメリカに住まう魔族が英語を用いる事は広く知れ渡ってはいない。英語を話すのならばイギリスから来たと勘違いさせることが出来る。


「まぁそんなとこだな。それで、俺はどうして引き留められてるのか、そこの偉そうな騎士様に訊いてくれよ」


「少々お待ちを」


 通訳の兵士が騎士たちに向けて目配せをする。四騎の騎士の内、トニーに質問をしていたアルダン卿と通訳を呼んできたジェラール卿の二人が馬を降りて近寄ってきた。


『うむ、言葉は通じたか!』


『よかった、お前を連れてきて正解でしたよ』


 豪胆なアルダン卿と柔和なジェラール卿からそれぞれ感想が飛んでくる。


『はい、ありがとうございます。彼はイギリスから来たようで、なぜ引き留められているのか教えて欲しいと』


『そりゃ当たり前だろう!こんな大火事を起こしておきながら、そのままにはしておけん!』


「こちらのアルダン卿は、あなたが森を焼いた事を咎められておいでです」


 普通の人間ならば知らぬ存ぜぬで通すところだが、トニーはニヤリと笑った。


「灯り代わりだ」


「……は?」


 引きつった顔を浮かべる通訳を見て、トニーは愉快な気持ちになって続ける。


「灯り代わりに燃やしたと言った。夜は暗くなるだろう?晩飯の準備に手元が見えなくてな」


「て、手元が見えないのならば焚火をすればよいでしょう!」


「それはめんどくせぇ」


「なんて馬鹿な事を……!」


 通訳が震えながら声を張っているその様子に、騎士たちが不穏な空気を察知する。


『おい、いかがした』


『この男、森を燃やしたのは夜が暗く、手元が見えなかったからだと……!ただそれだけだと申しているのです!』


 それを聞いた騎士たちから、暴風のように殺気が沸き立ったのがトニーにも分かった。


「ふん、来るか?」


 愛銃は最初から握られている。騎士たちの剣が放つ斬撃は破魔衣では防げないが、鞘から抜けばこちらが先に撃つ。それだけの仕事だ。弾を外す距離でもない。


『少々、狂った考えをお持ちのようだ』


 ジェラール卿が声を抑えて言う。抑えているのは声だけではなく、怒りそのものだ。


「あなたは狂っていると仰せです」


「そうか。だったらこれは狂人の悪戯だ。それで終いだろう。俺を見逃すのか、一戦交えようってのか、どっちだ」


『見逃すのか、戦うのか、選べと言っています』


 通訳のその言葉が終わる前に、アルダン卿の方が柄に手をかけた。

 トニーが笑うも、そのアルダン卿の右手の甲にジェラール卿の手が乗っている。


『ジェラール卿。彼奴は決闘を所望だ。違うか!』


『アルダン卿。お気持ちは痛いほど。私とてそれは同じ。しかし彼はこの人数相手に怯まない男。さらには大火を起こせるほどの実力者と見るべきです』


『ではこのまま行かせるつもりかね!』


 一人がトニーに挑もうとし、もう一人がそれを制しているのは分かる。


『それもまた許されませんな。罰金にしろ鞭打ちにしろ、大人しく我らに従うのであればそれで許したいところですが……』


 騎士である彼らにも、ある程度の罰則を与える権限は与えられている。たとえばこの場で罰金だと判断されればそれは効力を発揮するが、ジェラール卿としてはトニーがそれに従うのか甚だ疑問だ。

 トニーが強力な魔術師だと認識されている事はもちろん、外国人であることも難しい問題だ。イギリスとの間で揉め事を起こすのは得策ではない。実はイギリス人ではないのだが、それは誰も知らない。


「おい、通訳。聞こえねぇぞ、仕事しろ」


「は、はい。罰金か鞭打ちかどうすべきかと迷っておられるご様子です」


 ズドンッ!


『か……っ、は……』


 出来る限り揉めないようにと、懸命に止めていたはずのジェラール卿の腹に風穴が空く。


「な、何を!?」


「見逃すか、戦うかと俺は訊いたはずだ。罰金だぁ?何を勝手な選択肢を増やしてやがる、てめぇ?」


 どさりと倒れるジェラール卿。荒く大きな呼吸はしているものの、すぐにでも手当を受けなければ命に関わる重傷だ。


「何だ、くたばらなかったか。運の悪い野郎だ」


『ジェラール卿、大丈夫か!おのれ、貴様ぁぁっ!』


 倒れたジェラール卿の上半身を起こし、トニーを見上げながらアルダン卿が叫ぶ。


「お前は、俺とやり合うって事でいいんだな?」


「ま、待たれよ!」『アルダン卿もお待ちを!』


 通訳が命がけで二人の間に割り込み、英語とフランス語で双方を止める。


『早くジェラール卿を近くの街へ運ばなければと思われます!今は何卒、卿のお命を優先させていただきたい!ご覧の通り、鎧をも貫通するこの男の魔力は計り知れません!今すぐ成敗するのは難しいと思われます!』


『馬鹿を申すな!ジェラール卿の仇を取ってやる!』


『卿はまだ生きておられますっ!』


 喉が切れるのではないかと思うほど、通訳は声を張る。

 彼が必死になって止めるのは、ジェラール卿こそ自らが仕える主人であるからだ。ジェラール卿が大怪我を負っているのに、それを差し置いてアルダン卿の決闘など見ている暇はない。かといってそれを放っておいて先にジェラール卿を運ぶわけにもいかない。


「どうした?やらねぇなら俺は行くが」


「どうかお許しを!あなたの実力はよくよくわかりましたので!」


「お前はそうでも、そっちの騎士様はやる気満々に見えるがな」


 銃口がアルダン卿の顔に向く。


「あぁぁっ!どうぞお構いなく!」『アルダン卿!急がねば、ジェラール卿が死んでしまわれます!』


『ええぃっ!平民の出の分際で口を挟むな!これは騎士の誇りの問題だっ!』


 ジェラール卿の身体を置き、通訳を押しのけ、立ち上がったアルダン卿が遂に剣を抜いた。


 ズドンッ!


 間髪入れずに、立派な兜ごとアルダン卿の頭が撃ち抜かれる。断末魔すら出る間もない、即死であった。


「あぁぁぁぁっ!」


 吹き飛んで転がる死体を見て、通訳の兵士がアルダン卿本人の出せなかった叫び声を代わりに上げる。


「ビービー喚くな、通訳。これでそっちの方は助かるじゃねぇか。死んでほしくねぇんだろ?」


「くっ……!」


 トニーを恨めばいいのか感謝すればいいのか、よく分からない感情に襲われているに違いない。


「あの二人にも追わないように伝えておけよ。死にたくなかったらな。来たら殺す。それだけだ」


 いよいよ緊急事態であることを悟ったせいで、離れて見ていた残る二人の騎士も馬で駆け寄って来ているところだ。


「あなたは……何者なんですか」


「あぁ?バレンティノ・ファミリーのトニー・バレンティノ様だ。覚えとけ」


……


……


 怒り狂う残り二人の騎士と、それを押しとどめる通訳の兵士の言い争いを背に受けながらその場を去り、既に一日が経過していた。流石に疲労と空腹が蓄積してきている。


 撃ち殺す前に、騎士から何か手持ちの食べ物でも買っておけば良かったと後悔しても遅い。


 街や村を目指していたが、それより先に果樹園を見つけた。なっているのはまだ青い、未熟なリンゴだ。一つもぎ取ってかじる。渋いばかりで甘みも酸味もない、ただただマズいばかりの味だった。


「ちっ……」


 一口だけですぐにそれは放り投げ、赤く熟れたものはないかと頭上の果樹を見上げるが、手ごろなものは一つも見つからなかった。

 仕方がないので未熟品を小枝に突き刺し、魔術で焼きリンゴを作る。多少は甘みが得られたが、お世辞にも美味いとは言えなかった。


 さらに半日、街道らしき畦道を移動をしたところで一台の箱型馬車と出くわした。御者はパイプをくわえた一人の若い男だ。


「おい」


『おぉっと!』


 微動だにしないトニーのせいで御者が手綱を引き、馬は嘶きながら停車する。

 荷台の中は、大量の毛布や衣類が積まれているようだ。商家の馬車だろう。この男は小間使いか。


『道のど真ん中を歩いてたら危ないぞ、アンタ!何考えてんだい!』


「どこに行くのか知らねぇが、乗せてくれねぇか」


 この馬車は正面からやってきたので、今までトニーが歩いて来た道を引き返す事になってしまう。しかし、もはや歩くのが面倒だ。目的地など特にないのだから、どこかに到着すればそれでいい。ある程度の規模の街や村であれば、いつかのタイミングでそこに侵入してきた六魔将の配下と合流できるかもしれない。


『あぁ?外国人かよ。何言ってんだ?』


「そんじゃ邪魔するぜ」


 御者台の横に勝手に座るトニー。どうせ通じないんだからと、さっさと銀貨を一枚渡した。


『おい、勝手に乗るなよ!運んでほしいのか!?』


 慌ててはいるが、しっかりと金は受け取って懐に忍ばせている。数日前に会った農民とは違い、金の価値に縛られている者は動かしやすくて助かる。

 街を巡って商売をしているのであれば、なおさら金銭の重要さは分かっているだろう。


「あ?ほら、さっさと出せよ」


 顎で前方を指し、葉巻に指から火を点ける。


『げっ、魔術師!わかったわかった、乗せてってやるから妙な真似はするんじゃないぞ……って言ってる側から何してんだ!』


 トニーは御者台の後部をガサゴソと漁り、パンが入った麻袋を手に取ったところだった。


「んだよ、ケチケチすんな。腹減ってんだからよ」


『あぁっ!おい、かじりつくなって!俺の晩飯だぞ!』


 しかし、右手の手綱で馬車を操りながらの左手の制止は間に合わず、トニーはがぶりとパンにかじりついていた。


「……かってぇな。歯が折れちまいそうだ」


 なんとか一口分を噛みきれはしたが、口の中の固いフランスパンは咀嚼し続けなければならず、中々飲み込めない。味もないので、火を点けてしまった葉巻の風味が広がるばかりだ。逆に混じり合うような味気が無かったのは不幸中の幸いなのかもしれない。

 続けて、御者台の後部からボトルを取り出した。水かと思ったが、これはワインだ。


「おっ、いいもの持ってるじゃねぇか」


『おい!てめぇ、いい加減に……!』


「おら、とっとけ」


 追加の銀貨一枚でねじ伏せる。


……


『ほーら、着いたぞー。今日の移動はここまでだ、魔術師の旦那』


「小僧、これは何の冗談だ?」


『なんだよ?早く降りろっての。俺もここらで寝るんだから馬車は動かないぜ?明日も乗るなら追い銭だな』


 馬車が停車したのは見覚えのある集落。そう、トニーが少し前に粥と麦酒を馳走になった、あの小さな集落だったのだ。鉱山からの道のりを、ほとんど戻って来てしまったことになる。

 しかし、今さらどうするわけにもいかない。御者が飛び降りたのに続いて、トニーも降車した。


『おぉ、行商人の兄ちゃんか。毛布を一枚貰おうかね……っと、こりゃたまげた!アンタ、また来たのか!』


 ちょうど、今日の農作業を終えた男が声をかけてきた。トニーとも面識のある、世話焼きなあの男である。


「チッ、まさかの再会だな。元気そうで何よりだぜ」


『なんだなんだ、アンタら知り合いか?……って事は、魔術師の旦那はここに来たかったのか?』


 農夫から土で汚れた手を差し出され、嫌々ながらもそれを握るトニー。

 二人を交互に見ながら、商人の男は不思議そうな顔をしている。


『つい先日、うちに上がってもらって一緒に飯を食った仲だよ。素性は知らんが、どこぞの国の高位な身分の御方なんだろうさ』


『やっぱり身分の高い人なんだなぁ。言葉は分からねぇが、随分と羽振りが良くてな。歩き疲れてたみたいだったんで、ここまで馬車に乗せてきたんだ。晩飯にするつもりだった弁当と酒も取られて散々だったよ。もちろんきちんとお代は貰ってるんだけどな』


『そらぁ、兄ちゃんは商売が生業なんだから貰っといていいだろうよ。それより、毛布を一枚いいかね?それと、食い物が必要なら何か持っていけ』


 農夫が銅貨を差し出すと、それを受け取った行商人の若者は荷台から商品を下ろし始めた。いくつかの毛布を地面の青芝の上に放り投げていく。選べという事だろう。


 トニーは、農夫が現金を持っていることを意外だと感じていた。物が欲しい時には魔族のように作物と物々交換でもするのだろうと思っていたからだ。

 しかし、彼らとて収穫の時期には街まで作物を納品する別の商人と取引するし、その対価として金を貰っている。機会は少ないだろうが、旅行や買い物で市街地を訪れることもあるのだ。


 そうこうしているうちに、他の世帯の住民たちも馬車の周りに集まり始めた。


『兄ちゃん、うちにも毛布をくれるかい』


『わしは着るものをくれ。防寒着はあるか?』


『おう、好きなだけ見てってくれよ。安くしとくぜ』


 商品の質はトニーの目から見ればどれも最悪だ。しかし、銅貨一枚、もしくは二枚で売っているようで、それならばかなりのお値打ち品だとも見れる。


 たった五世帯ほどしかない集落だ。

 彼らの買い物は三十分と経たないうちに終わってしまい、すぐに店じまいとなった。商人の若者はいそいそと片づけを始める。


『あー、儲かった儲かった。あとは冷えたワインでもあれば最高なんだがなぁ』


「もう移動か?ここで一泊するのか?」


『あん?何て言ってんだ?質問してるっぽいが、言葉わかんねぇよ』


「ふん」


 無視はされないものの、特に会話する意味もない。万が一、トニーが寝ている間に移動しても問題ないように、御者台の上にいようと思ってよじ登ろうとした時。


『おーい、二人とも、夕飯食ってけ。宿も取ってないなら一部屋使って構わんぞ。毛布なら腐るほど持ってるだろう?』


 また、あの世話焼きな農家の男がやってきた。


……


 その夜は前回の粥とは違い、豪勢な食事だった。

 焼き魚、豚肉のステーキ、カボチャのポタージュスープやサラダが並んでいる。固いパンは相変わらずだったが、スープがあるおかげで浸せば随分食べやすかった。


『美味い!こんな御馳走は久しぶりだ。何だか悪いねぇ』


『構わんさ。隣の家の者が猟師なんだが、豚と魚を分けてくれたんだ』


『いい集落だな。彼は猟も漁もやってるのか?』


 二人の会話など気にもせず、トニーはガツガツと肉を食らっている。

 塩だけで味気はないが、新鮮なおかげで臭みもなく食べやすい。肉の質で言えば、現世で口にする家畜の豚と大差ない。旨味たっぷりのバーベキューソースでもあれば最高なのだが。


『魚の方は漁と言うほど手広くやってるわけじゃ無いな。豚を捕る罠を仕掛けて待ってる間、近くの川で魚釣りをしてるそうだ』


『何と言うか、ゆっくりしてるなぁ。自給自足の田舎暮らしってのも羨ましいぜ。せかせかしてる都会とはまるで違う』


『ないものねだりだろうさ。反対に街の方はここと違って何だって揃うんだからな』


 肉に飽きたトニーは川魚に手を出す。こちらも塩焼きでシンプルな味わいだが、豚よりはこちらの方がトニーの好みだった。骨ごとバリバリといけて実に美味い。


『おっと、話してる場合じゃねぇ。俺らの分が無くなっちまいそうだ。こちらの魔術師の旦那が全部食っちまう』


『ちげぇねぇ。しかし本当に身分が高いのか疑っちまうくらい豪快な食いっぷりだな』


 将軍、またはマフィアのドンを上流階級としていいものかは分からないが、トニーにお上品などという言葉は似合わないだろう。


 その晩、行商人の若者と一緒の部屋を割り当てられたトニーは、久しぶりに暖かな寝床で身体を休めることが出来た。身体や頭を洗えていないのが若干気になるが、体臭で言えば今までにこの国で関わってきた連中の方がよっぽど酷い。あくまでも予想だが、湯浴みや水浴びをするのは週に一回といったところではなかろうか。

 それは貴族でさえも例外なく、香の匂いがする分、多少はマシという程度だった。


……


『おーい、旦那。起きてるかい?目的地は知らんが、今日も乗っていくんだろ?出発前にメシにしようじゃないか』


 次の日の朝、このまま置いて行かれる可能性もあったが、行商人の若者はトニーを起こしてくれた。当然のように昨晩の残り物の朝食と弁当代わりのポークサンドが準備されていたのがありがたい。


 寝る時に使った毛布や弁当など、荷物を先に積み込んだ後、食卓で別れ前の朝食を取っていると、表から騎馬の蹄の音がパカパカと聞こえてきた。


『何だか騒がしいな』


『斥候の騎兵?いや、ありゃ騎士様じゃねぇか、珍しいこともあるもんだ』


 窓の外には二騎の馬に跨った騎士と、徒歩の従者のような男が二人で合計四人。トニーは思わず二度見してしまった。


「ありゃぁ……昨日ぶっ倒した騎士の残りじゃねぇか」


 確実に殺したアルダン卿と、重傷を負わせたジェラール卿の姿はもちろんない。つまり、あの場にいた残り二人騎士たちだ。従者二人には見覚えが無いので、通訳の男とは別人だろう。


 この集落はトニーが去って行った方向とは異なるため、別に追ってきたわけではないはず。しかし、顔を合わせれば面倒なことになるのは火を見るよりも明らかだ。


『我々は、この先の鉱山の調査へ向かうところである!この集落の住民らは、直ちに我々への補給物資、主に食糧を提供するように!』


 騎士の内の一人が集落の真ん中で張り上げた声に反応して、数軒の家から住民が顔を出した。

 調査へ向かうのは、トニーらが石材を盗んだ鉱山で間違いないだろう。その事件の調査だと思われるが、トニーにフランス語は分からないので、それに気づくことは無い。


『騎士様、食糧は四名分でよろしいので?』


 住民の一人が頭を下げながら、馬上の騎士に問いかけた。


『否っ!後方に二百五十ほどの兵を待たせてある!全員分を準備せよ!』


『二百五十人分!?そんな大量の食糧、この小さな集落に用意できるわけねぇでしょう!』


 どれだけ頑張っても五十人ほどが限界だ。しかも無理して五十人分を準備したところで、その後の住民の食糧が足りなくなってしまう。


『三食全てとは言わん!全兵員に一食分の食糧を補給する事を命ずる!早くしろ!』


『そんな、騎士様!一食ですら量が足りませんってば!』


『ええいっ!早くせぬか!』


 足りないと言っても聞く耳を持ってもらえない。乱暴こそ働かれないが、無理難題を押し付ける傍若無人ぶりは住民を困惑させた。


『二百五十人分とは大きく出たもんだ。しかし、腹を空かせた兵隊さんたちを放っておくわけにもいくまい。出来る限り準備してやるとするか』


 トニーや行商人の若者を泊めてくれた男がそう言った。


「騒いでる騎士は兵糧の補給でも言いつけてんのか?」


 トニーは状況を理解した。しかしその規模までは理解できない。こんな集落に頼むくらいなら大した量じゃないだろうと、そのまま待つことにした。どちらにせよ彼らが去らないと馬車の出発は難しいはずだ。


 そうこうしている内に、野菜やパンをかごに詰めた男が家から出ていく。


『あーあ。行っちまった。魔術師の旦那、ちょいと出発は見送るぜ。今出ると、絶対に騎士様方に止められちまう』


「お人好しもあそこまで行くと病気だぜ」


 行商人の若者がパイプを咥えたのを見て、彼がトニーの予想通り馬車の出発を後らせると言っている事を察する。


『おおーい、みんな!確かに二百五十人分だなんて難しいが、出来る限りは準備してあげようじゃないか!困った時はお互い様だぞ!』


 出ていった男が、集落の皆に届くように声を張り上げた。


『まったく、あんたにゃ敵わんよ。よしきた!騎士様、出来る限りは準備しますが、絶対に人数分は足りませんからね!先にそれだけ言っておきますよ!』


……


 窓の外。集落の住民らによって準備された大量の食糧。農作物である生野菜と麦が藁の上に置かれている。しかし、当初から言っていたようにすべての兵員に渡るほどの量ではない。

 だが、てっきり数人分だと考えていたトニーはそれを見て驚いていた。


「時間がかかってると思ったら、部隊がどこかに控えてやがったか。あの四人だけかと思ったぜ」


『まだ行かねぇのかなぁ、あの騎士様。全然出発できやしねぇ』


 従者たちが徴収した食料の検品を行っている。


『ざっと六十人分といったところです、卿』


『ふぅむ、やはり足らんか。もっと無いのか!』


『我々が今日明日食べる分以外は全部出しました。死ねと仰るので?』


 騎士の一人が住民に詰め寄るも、これ以上は本当に無理だ。この時点で既に、数日後には集落が困窮するのが予測できる。


『ふん、命を張る騎士と軍人に対する敬意が足らんな。まぁいい。ないものを作り出すなど魔術師でもいなければ不可能だろうからな。謝礼を』


『はっ』


 従者が集落に対する見返りとして金銭を支払った。どのくらいの額なのかは分からないが、最低限、または相場より低いものだろう。ほとんど強奪ではあったが、多少なりとも払うだけマシと考えるほかあるまい。


『これで他の街から買い入れるなりして工面せよ』


『ありがとうございます、騎士様』


 今回ばかりはあのお人好しの男もその金を拒否することは無かった。ここで受け取らなければ次の収穫時期を待たずに集落は全滅だ。農耕ではなく、猟師の住民による猟と魚釣りだけは即効性があるが、それだけに頼るのは運頼みのようなものだ。


 しかしここで問題が発生する。


『そこにある馬車は農作物の運搬、行商用か?我々の食糧運搬のために借り受けるぞ』


『いえ、それは我々の所有物ではないのでご容赦を』


 騎士がそう言いだし、農夫が断りを入れるが、これに行商人の若者は黙っていられるはずがない。


『何っ!そりゃ困る!』


「あぁ?うるせぇぞ、急によ。何を焦ってんだ、てめぇ」


『こうしちゃおれんぞ!止めてくる!』


 室内ではあるが、外の会話内容は聞こえているのだ。飛び上がって、壁や扉に身体を何度もぶつけながらバタバタと駆け出して行った。


『騎士様!それは俺の馬車だ!持っていかれちゃ困ります!どうか勘弁してください!』


『なんだ、貴様は』


 ズズッと膝を滑らせながらひれ伏した行商人の若者が懇願する。


『あ、えっと、俺はこの馬車を使って行商して回ってる者です!馬車を持っていかれると商売あがったりになっちまうんですよ!』


『それは我らとて同じ。兵糧の運搬が出来なければ行軍できまい。そして、この食糧を準備してくれた農民とてこうして痛手を被っておる。我らも想定外の出費を伴い、なぜ貴様だけが許されようか』


『そんなぁ……持っていかれたら何日も返ってこないでしょう。その前に、馬車が返ってくる保証も無い』


 ドッ、と鉄靴の底で、騎士がひれ伏している若者の肩を蹴った。頭や顔ではなかったのはせめてもの情けか。


『うぉぉっ!?』


『無礼者が!我らが約定を違えると思うてか!借り受けると言ったのだ!誰がもらい受けると言った!申してみよ!』


『騎士様!乱暴はおやめください!』


『どうかお慈悲を!お許しくださいませ!』


 集落の住民らが一斉に、怒る騎士に頭を下げる。もう一人の騎士やその従者らは我関せずといった様子で動向を見守っている。


「今度は何を揉めてやがる?さっさと消えろよ」


 窓際から少しだけ顔を出して葉巻を吹かしていたトニーが悪態をついた。今出ていってはさらに事態は悪化し、出発は遅れてしまうだろう。騎士と殺し合いになる可能性も高い。


『ふん、黙っていれば良かったものを。では馬車は借りていく。良いな』


『あ、ちょっと……!』


『まだ何か申すか?』


『い、いや……はは……必ずお返し下さい……ませ』


 騎士の右手は剣の柄にかかっている。引き抜かれたら斬られてお終いだろう。


……


 騎乗して去って行く騎士たち。馬車の御者台には従者が座り、満載の食糧と、売り物のはずの毛布や服が載ったままで持ち去られてしまった。


『くそっ……商売できやしねぇ。旦那様からクビにされちまう……』


『まぁ、気ぃ落とすな兄ちゃん。騎士様はきちんと返してくれるさ。そう約束なさった』


『信じられるもんかよ、あんなの……』


 泣きべそをかきながら行商人の若者が部屋に戻ってきた。農夫から肩を叩かれながら慰められているのは、言葉が分からなくともトニーにも理解できる。


『確かに高圧的な騎士様ではあったけども、フランス貴族は盟約や規律には厳しいし、きちんと守るぞ。その点は安心しろって』


『分かったよ。あーあ。その間に上がるはずだった、売り上げの担保まではして下さらんだろうぜ』


『そりゃ諦めろ。グダグダ言ってても仕方ねぇから、馬車が戻り次第、倍以上頑張れ』


 気の毒ではあるが、状況は最悪と言うほどではない。馬車だってきっと待っていれば戻ってくるのだろう。

 ただし、会話が理解できず、『馬車は取られてしまったものである』という風にしか理解できない人物がいた。


 トニーである。


「おい、べそかいてんのは勝手だがよ。馬車はどうした?兵糧と一緒に持っていかれちまったのか?」


『あぁ、魔術師の旦那。しばらくここで足止めになりそうだ。えーと、悪いな』


「チッ……取り返してやるか。ちょっとここで待ってろ」


 また何日も歩かされるのは面倒だ。騎士たちと従者の馬は駆け足で去ったわけではないので、今なら人の足でも追いつける。


『あれ、行くのか?』


 立ち上がったトニーが一人で出発すると思ったのだろう。しかしそうではない事を意思表示するため、トニーはボルサリーノを脱いでその場に置いた。そして床を指差す。


「コイツを見てろ。ついてくるんじゃねぇぞ」


『ん、なんだ?宿代のつもりか?変わった帽子だよな』


『いいや、戻ってくるからここにいろって事だろう。用事が何かまでは分からんがな』


 意図を汲めなかった行商人の若者と、理解できた家主の農夫。そんな二人をその場に残し、トニーは家を出る。


『あ!魔術師の旦那!?』


『まぁまぁ。待ってようじゃないか。どうせ、わしらに出来る事なんてないだろう?』


……


 およそ一時間後。


「よし、いやがったな。はぁ……ガラにもなく走らせやがって」


 トニーが全力疾走をするなど、ラスベガスの砂漠に大雪が積もるほどに珍しい事だ。


「おい!」


 堂々と声を上げ、騎士たち一行の背後に迫った。

 何事だと停止し、トニーの顔を見た二人の騎士だけが戦慄する。従者共はトニーの顔を知らないためだ。


『き、貴様はっ……!!』


『また我々の元に現れるとは、何のつもりだ!』


「メシは買ってたようだから知らねぇが、馬車はこっちで使う予定があってな!置いていけ!」


 無視して馬に駆け足をさせようものなら問答無用で撃ち殺すしかなかったが、騎士たちは馬を返してトニーと対峙した。これなら多少は穏便に済むのではないかという期待が持ち上がる。


『卿、こやつは……?みすぼらしい身なりの分際で我らを呼び止めるなど、無礼千万ではございませんか』


『馬鹿者!話しておいたであろう!こやつはジェラール卿とアルダン卿を一瞬にして討ち取った、件の魔術師だ!』


『なんと!この満載の馬車では遅く、逃げられないでしょう!我らが引きつけますので、卿らは早馬で離脱を!』


 従者二人が馬車から飛び降り、馬上の騎士二人とトニーの間に入って剣を引き抜いた。期待するだけ無駄だったようだ。


 騎士たちが躊躇したのは数瞬。


『すまん!では頼んだぞ!必ず戻る!』


 だが、即座に離脱を決定すれば、あとは一目散に馬に乗って逃げていった。

 トニーは「腰抜けめ」と舌打ちしたが、別に彼らに用はない。馬車さえ持って帰ればそれでいいので追いかけたり発砲したりはしなかった。


「で、お前ら二人はやるのか?アイツらみたいに尻尾撒いて逃げるなら見逃してやる」


『聞いていた通り、異国語か!』


『どうする!勝ち目は薄いぞ!』


 従者二人も主人らの盾になって逃がしはしたが、トニーを恐れているせいですぐに斬りかかっては来ない。


「馬車を寄越せ」


 空いている左手でトニーが馬車を指差した。

 突き出した右手はいつでも死霊術の発動が可能な状態だ。接近されればこの二人は骨の髄まで燃え尽きて灰となる。


『なるほど……こやつ、中の食糧が目当てのようだ!置いて行けば助かるかもしれないぞ!』


『しかし、簡単に渡してはならないのではないか!?』


 厳密には食料ではなく馬車と、その中にある毛布などの行商人の若者の売り物があればいいのだが、馬車を置いて行けという意図は伝わった。

 あとは従者二人がどんな判断をするか、だが。


「ふん、ビビってやがる。剣先が震えてんぞ?」


 もう少し脅せば立ち去らせることが出来そうだと判断したトニーは、突き出していた右手を頭上に向け、発火の魔術で巨大な火球を生み出した。一般的な魔術師が使うものの数倍は巨大なそれは、見た目的にかなりの脅威を感じさせることが出来ると思ったからだ。

 トニーはこれで穏便に済めば万々歳だ、などと考えているが、強盗紛いの事をしている時点で既にまったく穏便ではない。


『お、おのれ!我らとやる気か!フランス王国を敵に回す気なのだな!』


『待て!奴の術中にはまってしまうぞ!見たことも無いような凄まじい魔力だ!』


 今さら敵に回すなどと言われても、騎士を殺しているので手遅れだ。加えて従者や兵士を何人殺そうと、トニーにとって然したる問題ではあるまい。


「おい、退かねぇならやるしかねぇが?」


 頭上で燃え盛っていた火球をゆっくりと下ろしてくる。目の前の二人に向けて発射されるまで、秒読み状態といったところだ。


『くっ……!馬車が目当てならば退こう!きっと殺されはしない!』


『だが!ここで退いては卿らに顔向けできないではないかっ!』


『だったら勝てるのか!?私には、この一撃ですら耐えられる自信などないぞ!』


 一人がもう一人の肩を掴んで引っ張っている様子を見て、トニーは喧嘩にはならないだろうなと確信した。

 火球を横に向けて放つと、たまたまその場にあった大岩が爆砕する。


『なっ……!』


 絶句して腰を抜かす従者二人。耐えられる自信などないという発言は正解だったようだ。


「返してもらうぜ」


 馬車馬の扱いなど知らないトニーは、地上から馬の口元にある(くつわ)を直接引いて馬車を180度反転させた。

 そして馬車が帰り道の方面に頭を向けたところで御者台に飛び乗る。あとは手綱を引いて適当に鞭で尻でも打っていれば真っ直ぐ走るだろう。


『あ、おい!魔術師が行ってしまうぞ!』


『あれを見て、まだ止められると思っているのか?食糧は諦めよう。命を払うほどのもんじゃない』


 ゆっくりと走り去る馬車を、尻餅をついたまま見送ることしかできなかった。


……


 行商人の若者と集落の住民らが、目の前にある馬車に驚く。荷台の商品が無事であるのは当然で、集落から徴収したはずの食糧もすべて戻って来ていた。


「おら、さっさと次の目的地まで乗せていけ。食い物をこいつらに返してやってからな」


『なんてこったい!本当に取り戻してくれたのか、魔術師の旦那!』


『これはありがてぇ、ひもじい思いをしなくて済む……』


 しかし、一人渋い顔をしているのは、トニーと行商人の若者を泊めてくれた、お人好しの農夫だ。


『これ……まさかとは思うが、騎士様たちを殺して奪って来たんじゃねぇだろうな?あんたはフランス語が話せなかったよな。どうやっても話し合いでは解決できねぇはずだ。そうなりゃお尋ね者だぞ』


『なにっ!?そりゃ俺が困るぜ!商売できなくなっちまうじゃねぇか!』


 食糧を次々と下ろしていく住民たちの横で、狼狽する行商人の若者。

 とはいえ、トニーは元々騎士を殺していたので、始めからお尋ね者のようなものだ。


『今となっては手遅れかもしれん。この兄ちゃんが手荒な真似で取り返してない事を祈るしかねぇな』


『クソ……はじめから乗車拒否しておけば……でも金は貰っちまったし……』


『それでもまだ連れて行くんだろ?大した度胸と優しさだよ。道中、気ぃつけてな』


 なにやら肩に手を置かれて慰められている行商人の若者。

 食糧の下ろし作業は完了したようなので、トニーが急かす。


「おい、さっさと移動するぞ!いつまでもここにいて、追手が来たらどうするんだ」


『へいへい!分かったよ、魔術師の旦那!多分、急げって言ってるんだろ!?こうなりゃ地の果てまでもお供しますっての!あ、でも荷台の在庫が切れたら、ウチの本店の倉庫まで引き返すからな!』


 とうとう覚悟を決めた……というよりは反抗を諦めた行商人の若者が、するりと御者台に上がった。そして左手を差し出し、トニーを引き上げるための手助けをする。


『ほら、手ぇ貸すぞ』


「おう、行くか」


 その手を握って上り、若者の隣に座るトニー。


『ほらほら、弁当と荷物を忘れてるぞ!ちょっと取ってくるから待ってろ!』


 すぐに出発してしまいそうだった二人に待つように告げ、農夫が屋内から弁当や二人の私物、そして大事なボルサリーノのハットを持ってきた。


「おっと、いけねぇ。ありがとよ、おっさん」


 長年愛用しているので、これがないとやはり落ち着かない。

 カトレアにスカイダイビングを強制された時、気が気ではなかったことをふと思い出した。


「まだ迎えにも来やがらねぇ。一体、何をやってやがる」


 空間転移していった兵士らはもちろん、組員、カトレアやヘル、アデルなど、トニーの不在に気づく存在などごまんといるはずだが、全く状況が分からないのでどうしようもない。

 気持ちのモヤモヤは晴れないが、今はこの馬車で気ままに旅をするだけだ。


『これも持っていけ。取り返してくれた分から、集落のみんなからのほんの気持ちだ』


 ざっと二人で三日分はあろうかというパンと野菜、麦酒の樽を受け取った。一度下ろした中から、一番できの良いものを選別してくれたらしい。移動時、二人が食べきるまでに腐らない最大量だと思われる。


『そんじゃ出すぜ』


「世話になったな」


 馬が歩を進め、転がり始める車輪。車上から農夫らに手を挙げ、トニーは礼を伝えた。

 ゆっくりゆっくり、集落が見えなくなる。


『さーて、お次は近くの街でも目指すかね。一日半か、二日もありゃ到着だ。あそこには宿も酒場もあるし、少しは贅沢出来るぜ、旦那?』


「あぁ?運賃寄越せってか?クソガキが」


 トニーが行商人の若者に銀貨を三枚手渡す。


『おぉ!?なんだよ、気前がいいじゃねぇか!これなら二人別々の部屋でも宿が取れるぜ!』


「うるせぇぞ。てめぇは黙って俺を運んでりゃいいんだよ。腐っちまう前に、俺は後ろのクソマズくて薄い麦酒でも飲んでおいてやる。水よりはマシだからな」


『おっと、俺も一杯やりたかったところなんだよ』


 全く噛み合っていないはずなのだが、会話が弾んでいるように見えるのがおかしな話だ。


……


 それから二日間の移動中は特にこれといった出来事は起こらずに時間が過ぎていった。トニーはどこに向かっているのかも分かっていないし、退屈ではあるが、順調な旅だ。


 一日目は街道の途中で馬車を止めて荷台で車中泊をした。食料も味気はないが潤沢で問題ない。


 二日目は雨が降ってきた。若者は雨天用に備えていた雨具を着たが、トニーは御者台にいると濡れてしまうので、幌の屋根付きの荷台の中で過ごすこととなる。窓は無いが後部は開口しており、葉巻の煙をくゆらせながら、そこからぼんやりと雨が降っている外の景色を眺めるだけだ。


『旦那、そろそろ街が見えてくるぜ』


「あぁ?何か言ったか?」


 前方から声が掛けられる。数時間ぶりの会話だったが、幌に打ち付ける雨音で良く聞こえない。聞こえたところでフランス語なのだが。


『だから、街が見えてくるって言ってんだよ!あ、ほら、見えたぞ!』


 そのまま無視しようかと思っていたが、ギャアギャア煩わしいと思い、葉巻を道に投げ捨てて御者台の方へと身体を向ける。騎士か魔族か、障害になるものが道の先にいるのかもしれない。

 ただし、アメリカから侵入してきた魔族であった場合はトニーにとって味方だ。


「何だよ」


『ほれ、あそこだ!』


 そんな淡い期待をしながら前方に目を凝らす。

 どんよりとした雨雲の下で見えづらいものの、遠くに石造りの建物が密集している様子が伺える。それも百や二百ではない規模だ。大都市ではないが、中規模の都市と言って差し支えないくらいの街だと言える。


「到着か。まともな街だな」


『あれが目的地のエピナルの街だぜ。到着までは一時間かからないだろうさ』


 その言葉通り、馬車は一時間後には街道を進んで街へと入っていた。

 街道からの入り口にはしっかりとした石壁と門があり、中に領主や王の城を抱えているわけではないが、堅牢な街といったイメージだ。もし頻繁に魔族の侵入が起こっている街であれば、ここに留まるのもありかもしれない。


『魔術師の旦那がここからどうするのかは知らねぇが、まずは宿に向かうぜ。俺の商売も明日からのつもりなんでね』


「てめぇにも世話になったな。礼を言うぜ」


 飛び降りてさっさと街を散策しても良かったが、車が止まるまではそのまま荷台の中に座っておく。わざわざ雨に濡れに行くこともあるまい。


 そして、立派な宿の前に馬車が停車した。


『ほれ、せっかくアンタから高い運賃取ったんだ。今晩はここに厄介になろうじゃねぇか』


 行商人の若者が手招きする。


「あぁ?降りろってか。まぁいい、多少は良さそうなホテルだ」


 割り当てられたのは二階の個室で、大きな鏡を持つドレッサーとベッドだけがある部屋だった。


 ロサンゼルス城や現世の屋敷にある自室のベッドと比べれば質素だが、さまよっていた時には野宿、馬車を見つけてからは民泊と車中泊しかしていないので、徐々に部屋の格式が上がってきている。ここなら深く眠って充分に休めそうだ。


『俺は隣の部屋だ。言葉は分かんねぇけど、何か用があったら呼んでくんな』


 割り当てられた部屋を見回しているトニーの背後、入り口の辺りで行商人の若者が右方向を指差す。

 これはトニーにも隣に彼の部屋があることを理解できた。


「ちょっと来い」


『えっ?何だい?』


 ちょいと若者の袖を引き、一階のフロント、カウンター越しに笑顔を振りまいている店主のもとへ二人で向かう。


『おやおや。お客様、どうされましたかな?』


 金貨を二枚、カウンターに置く。店主も、行商人の若者も、二人そろって仰天しているのが分かる。


『き、金貨!?どのようなご用向きでしょう!?わたくし共で出来る事であれば、どんなことでもご期待に沿えるようにいたします!』


 金貨は一般層にはほとんど流通していない硬貨だ。おおよそ王族、貴族、大商人、大地主、大聖堂、あとは大きな犯罪組織など、権威ある者同士の取引でぐるぐる回されているので、あまり下りてこないのだ。

 二人とも商売人である以上は何度も取り扱ったことはあるだろう。しかしそれでも唐突に出されると息を呑んでしまうほどには力を持った物体である。


「オヤジ、これで滞在できるだけ、俺とコイツに部屋を貸せ。てめぇも、何日かはこの街で過ごすんだろ、小僧?その間の宿賃は俺が面倒見てやる」


『あの、えっと……何でございましょうか』


 英語を聞き取れない店主が困惑する。チェックインの時は行商人の若者に任せていたので、まさかその連れが外国人だとは気づかなかった。

 よくよく見てみれば、何やら珍しい恰好をしているし、羽振りもいい。外国から来た高貴な旅客がなぜか安っぽい行商人と同道しているということらしい。


『あー、こちら高名な魔術師さんらしいんだが、この通り外国の人でね。俺も話しが通じなくて困っちゃいるんだが、悪い人じゃないよ』


 騎士たちから馬車を取り返してくれた恩もある。その手段はなんだったのか、若者は恐ろしくて知ろうとも思わないが。


『しかし困りましたな。言っている意味が理解できないとなると……とりあえず、これだけ頂ければお二人合わせても三、四か月ほど宿の保証ができます。加えて、お部屋におられる間、軽いお食事やお飲み物も提供しましょう。それでご納得いただければよいのですが』


『多分、何か手に入れてきて欲しいわけじゃなさそうだし、それでいいんじゃないかな。ちなみに俺はふた月くらいで街を出るぞ』


 カレンダーなどがあればここからここまで、といったように図説も出来ただろう。それはトニーが指をさしてこのくらいまで延長しろと言っても良かったし、店主がここ辺りまで保証できますと言っても伝わったはず。


 しかし残念ながら、そんな便利なものは今ここに存在しない。月日は皆、おおよその勘で把握しており、しっかりと記録を取っているのは為政者に属する者だけだ。

 この街であれば管轄をしている王族か貴族、街自体を任されている者、その辺りと関係がある連中しか知らないだろう。


 だが、店主が機転を利かせて紙に絵を描き始めた。


 銀貨のイラスト。ペンは黒なので色の見分けがつかないが、草花が描かれているおかげでそれが銀貨だと分かる。統一はされていないのだが、銅貨には剣や盾などの道具、銀貨には植物、金貨には獅子や鷹などの動物がデザインされていることが多い。製造された場所や過程が異なるせいか、完全には統一されていないがおおよそはそれに当てはまる。

 そして店主はその横に1,2-Joursと文字を書いた。


「あ?なんだこりゃ」


 確実に彼の為への説明ではあるのだが、当然意味が分からないトニーは苛立つ。

 その様子に構わず、さらに店主は続ける。


 次に描かれたのは金貨だ。無骨だが、何かの鳥のイラストがあるので金貨だろう。その横には100,120-Joursと書いた。


『これでお分かりになりますでしょうか。宿泊可能なおおよその日数でございます』


「あぁ?ちょっと貸せ。こういう事か?」


 羽ペンを奪い取り、100,120-Joursに横線を引いて消し、100,120-days or 100,120-giorni? と疑問形で書き直した。前者は英文、後者は伊文だ。そしてこのトニーの質問は正解でもある。金貨一枚で一人が百から百二十程度の日数泊まれるのか、ということだ。

 だが、店主には英語もイタリア語も知識がなく、首を傾げられてしまった。


 辛うじて数字表記は同じなので、そこは互いに読み取れる。『多分伝わっているだろう』という予想のもと、このやり取りは決着した。


『問題ない……でしょうな。これは英語でございましょうか』


『さぁ?俺も外国語はさっぱりでね。こちらの魔術師の旦那は、見た感じアジア人じゃないから、残り欧州三国の内のどれかのご出身だろ』


 現世のように一般教養として外国語の学習があるわけでもない。そしてトニーのハイスクール時代の外国語選択は残念ながらスペイン語だった。

 だが、そのスペイン語ですらもすっかり忘れてしまっている。元々彼が、学校の講義などまともに受けるような学生ではなかったのは想像に難しくないだろう。

 問題なく話せるのは母国語である英語と、祖父の代から身内でのみ使っていたイタリア語だけなのだ。


「伝わったか?ならもういい。頼んだぞ」


 言って、トニーはさっさと宿を出てってしまった。チェックアウトに見えないでもないが、杖や荷物は部屋に置きっぱなしなので外出だと分かる。


 宿の部屋のセキュリティ状況に若干の不安はある。カメラが仕込まれているわけでもないし、従業員や他の宿泊客の道徳観は不明だ。上客と見られただろうから、店主が気を回してくれるのに期待するしかあるまい。

 だが、もし盗難など起これば店側の人間や疑わしい連中を始末する。それだけの事。愛銃や魔術の触媒である指輪は手元にあるのだ。造作もないだろう。


 街並みは以前、スーツの仕立てのために訪れたロンドンに比べれば平々凡々な中規模都市。道はところどころしか舗装されておらず、人や馬車の往来で踏み固められただけの土だ。


 特に何かあって宿を出てきた、というわけではない。単なる暇つぶしだ。小雨が残っているが、構うまい。

 行商人の若い男もこれほどの街ならしばらくは商品を売るために滞在するだろうし、トニーもその間はここに腰を据えて魔族の侵入が来ないか待つつもりである。


 もしあの小僧が移動をしようとしたら、ついて行くかこの街に残るか、その時に考えようと決めていた。


 とはいえ、結局ぶらぶらしたところで言葉は通じない。トニーはとりあえず適当な酒場に入って、適当な指差しで酒を注文するに至った。


 不自由な小旅行だが、出てきたワインはなかなかのものでトニーの気分を多少は良くする。

 しかし、一体、部下共の身に何が起こったのかは未だに分からず。フィラデルフィアの復興も、ロシアへの進軍も途中だというのに。


「めんどくせぇ」


 気分は良くとも口をついて出てくる独り言は、どうしても悪態ばかりになった。


……


……


 エピナルの街に滞在して三日ほどがたった頃。


 日課である街の散策、そして夕方からはいくつかの酒場を回ってテラス席でぐびぐびと酒を飲む。

 そんな事を繰り返していたトニーだったが、その日の夕方、テラス席の目の前の大通りに入ってきた兵団を目にする。


 そして……


「二度あることは三度あるってか」


 半円状に取り囲まれ、槍を向けられながら鼻を鳴らした。

 鎧を着込んでいるので『奴ら』かどうかは分からなかったが、この反応を見れば間違いなさそうだ。


『貴様!こんなところでまた会うとはな!』


 後方で馬上にいる騎士がふんぞり返って何か叫んでいる。

 そう。一人を殺し、一人に重傷を負わせ、残る二人や従者共に敗走を促した、あの騎士たちの兵団だ。今回は全軍を率いての登場である。二百ちょっとの数がいるように見える。


「トニー・バレンティノ殿!だったか!」


 これで全員ならば、いるだろうと思っていたトニーの耳に、やはりその声が聞こえた。通訳の兵士だ。

 槍を向ける兵をかき分けて、目の前までやって来る。


「よう、下っ端。こないだの死にかけは助かったか?」


 テラス席から立ち上がりもせず、トニーはゴブレットのワインをあおった。


「おかげさまで……と言いたいところだが、貴殿のせいでアルダン卿は死に、ジェラール卿は大怪我を負ったんだがね。ジェラール卿は既に帰郷され、ご自宅で養生されているだろう」


「勝手に罰金だの鞭打ちだの決めるからってのが俺の言い分だ。水掛け論がしたくてこの場にいるのか、てめぇは」


「いいえ。ここを通ったのは全くの偶然。我々も任務を終えて撤退しているところだ。しかし、貴殿を見かけては無視など出来まい」


 トニーがどん、と空のゴブレットを叩きつけるようにテーブルに置く。


「そんじゃ、やるか?俺は全員相手でも構わねぇぞ」


 既に周りの客や群衆は遠巻きに離れてしまっている。被害は最小限で済むだろう。この店くらいは潰れてしまうだろうが。


「少々手荒だが、あなたには王城の宮廷魔術師殿から面会の申し入れが来ていてな。同行していただきたい」


 槍を向けておいて任意同行とは。強制連行の間違いだろう。

 それに、王城と言うからには首都であるパリのはず。この数日でこんな辺境から首都までトニーの話が伝わったとあれば、フランス王国騎士団には素早い情報伝達手段があると見える。


「お偉い魔術師様が俺に興味津々ってか」


「そういうことです。ただし、騎士を殺めたのは事実だ。何かしらの責めは負わねばなりますまい。しかし、何も危害を加えるなと命令されているのもまた然り。宮廷の意向は不明でも、悪いようにはされないはずだ」


 殺すなら即座にそういう命令が出ているはず、と通訳は話す。


「それで、はい分かりましたってついて行くと思ってんのか?」


「では、少々痛い目を見る事になりますな。それは互いに望んでいないはずだ」


 トニーとて無敵ではない。この人数の槍と剣、矢を全て凌ぎ切れるかと言われたら怪しいのは事実だ。いくら危害を加えないと言われても、騎士団側に死者が出る以上、トニーも腕や脚の一本二本は平気で取られるだろう。

 だが、そんなことは全く意に介さない。


「やんのか、やらねぇのか、はっきりしろ。俺はどっちだっていいんだよ」


 テーブルに勘定代わりの銀貨を一枚置いて立ち上がるトニー。

 威圧はしていない。立ち上がっただけ。だが、それだけでも充分に脅威だ。トニー・バレンティノという人物の実力を聞き及んでいる槍兵らが唸って半歩下がったのは、別におかしなことではない。


「やらないと言っているでしょう!大人しくしてください!そうやって自分勝手な言い分でアルダン卿やジェラール卿に攻撃したのは貴殿の方だったはずだ!また繰り返すのか!」


「知るかよ。片方は決闘みたいな感じでちゃんと合意の上で殺しただろうが。剣を抜いたのは本人の意志だ。そしてこいつらも爪楊枝を俺に向けてる。違うか?」


 通訳が何か返すより先に、様子を見ていた騎士が声を荒げる。


『おい!いつまでぐずぐずと話しておるのだ!早く、縛ってでも連れて行くぞ!』


 数日前に馬車を放り出して逃走した時とは違い、多くの部下がいるこの場では強気だ。


『もう少々お待ちください!必ずやこの者を説得し、穏便に済ませて御覧に入れます!』


 その騎士に対して通訳が大声で返す。


「何だ、お偉いさんは気が立ってるみてぇだな」


「そのようです。しかし心配いらない。あなたが懸命な判断をしてくれるのであれば、ですがね」


「たとえそこに向かうまでの安全は保障されていようが、その先は何がどう転ぶか分からねぇ。宮廷の連中がどんな用で俺を呼びつけてるのか。それくらいは分からねぇもんかよ?」


 ただ話すだけ、という事はあるまい。実力がある、流れのイギリス人と思われているのであれば、フランス側のスパイとして王城に仕えるようにでも言われるのではなかろうか。


「それは聞き及んでいないので何とも。何度も言うが、あなたに危害を加えるおつもりではなかろうかと」


 遠巻きに見ている面々の中に、たまたま通りかかったのだろう、世話になった行商人の若者の心配そうな顔が見えた。

 所構わずひと暴れしようとしていた気持ちが落ち着いてゆく。


 さっさと移動しなければ、あの馬車も見つかって、持ち主である若者も引っ張られてしまうかもしれない。知ったことかと鼻で笑っても良かったが、少しばかりの良心でトニーは行動を決定した。


「ふん、分かった。だが、歩かせようなんて思うなよ。足を準備しろ」


「後方の荷駄隊に、ほとんど空になった引き車が数台ある。それでもよろしいですか?」


 屋根なしの人力車のようなものだろうが、他に車がなければ我慢するしかあるまい。


「あぁ。どのくらいの道のりだ?」


「数週間で到着の予定です」


 なかなかの期間だ。ただ、もしパリに自由の身でしばらく滞在できるなら、このエピナルよりは魔族の侵入に遭遇する機会が増えそうだ。


「もう少し早くいけよ」


「気持ちは分かるが、装備を背負ったまま歩く兵も多い。それに比べれば一応は客待遇の貴殿はマシでしょうに」


「はっ、言うじゃねぇか。まぁいい。出発前に、一つ個人的に頼まれてくれねぇか」


 トニーはガシリと通訳の肩を掴んだ。兵士の割に、トニーと比べると折れてしまいそうなほど華奢で線が細い。


「は?え?何でしょう」


「簡単な通訳だ。この街で世話になった宿に一言挨拶しておきたくてな。音沙汰もなく急に消えたら、意味もなく心配されちまうかもしれねぇだろ。荷物だってあるしよ。ただし取り巻きは連れてくるなよ。店側に妙な噂が立つ」


 行商人の若者とこの場で直接話すのはあまりよくない。宿の主人に言伝でも頼んでおけばいいだろう。この通訳の兵だけなら宿の前に停めてある馬車に見覚えはないので、それが取り巻きの同行を拒否する理由だ。


「……少々お待ちを」


 通訳の兵が下がる。後方の騎士様への相談だろう。

 それと同時に、少し離れていたはずの槍が再度突き付けられた。


『どうした!』


『宿に荷物があるので、私と二人で向かいたいと。大勢で押しかけては宿の方に迷惑がかかるので、護衛や他の付き添いは不要だと言っております』


『逃げる気ではないのか!信用ならん!』


 会話はトニーにすら丸聞こえである。もしトニーがフランス語を解するなら怒っていただろうが、それは幸運にも問題とはならない。


 そこから途中でもう一人の騎士も参加し、騎士二人と通訳の会話がややあって、通訳の兵がトニーのもとへ戻ってきた。


「お待たせいたしました。見張りとして護衛を二人つける、との仰せです」


「聞き分けが悪い騎士様だな。ならコイツとコイツだ。いいな」


 トニーが指差したのは目の前の槍兵。馬車の存在を知る、集落に来ていた従者二人と騎士二人以外ならば、百歩譲って許容しよう。


「えぇ、それくらいならば構わないでしょう」


「さっさと行くぞ。ついて来い」


 お尋ね者の連行だと思っていたが、その割には手足を縛る縄もなく、トニーが先頭であり、胸も大きく張って堂々と歩いて行く。群衆は訳が分からないだろう。


『そこの二人、こちらへ。少しの間、護衛を頼む』


 敬礼をしてついてくる兵士。この通訳の男は、やはり一般兵より立場が高いらしい。下士官で間違いなさそうだ。

 視界の隅で、行商人の若者もトニーらを尾行するように移動を開始したのが分かった。トニーがなぜ引き立てられているのか、どこへ行くのか、気になって仕方ないのだろう。


「……そういえば、今度は我らが補給した食料を強奪したそうですね。いくつ罪を重ねるおつもりか。普通であれば斬られて当然ですよ、あなたは」


「逆だ。俺が使ってた車をお前のとこの騎士二人に取られた。そりゃ取り返すだろ。撃たなかったのを感謝するんだな」


 宿への移動中、トニーの真後ろにピタリとついている通訳が訊いてきたので返した。


「撃つというのは……あぁ、魔術ですか。しかしそうですね。あなたであれば、その場の全員を殺して車を取り返しても良かったはず。むしろ、なぜそうしなかったのです?」


「俺を殺人鬼か何かと勘違いしてるみてぇだな。別に俺が狙ったのは食糧じゃねぇ。それをアイツらが勝手に積んでいった車の方だ。だが、奴らは大人しく置いて逃げていった。車が戻るんなら追い打ちまではかけねぇよ」


「まったく、よく分からないお人だ。それならば、最初の殺しだって回避できたはずでしょう……!」


 立ち止まり、振り返る。


「俺に、何か、文句が、あるのか?」


 一言一言、切りながらゆっくりと問うことで威圧感を倍増させる。

 だが、通訳の男はトニーが威圧したのではなく、馬鹿丁寧に、慇懃無礼な態度を取っただけだと勘違いしたようだ。

 やはり修学で単語や文法だけを理解できても、母国語が違うと微妙なニュアンスの違いは理解され難い。


「えぇ、今は貴殿への苦言を申し上げているところですが」


 心の底からトニーの言動の意味が分からない、といった表情で通訳はキョトンとしてしまっている。


「何せ、死人が出てるんですからね。もっとこう……他人の命を敬うべきですよ。力があっても簡単に誇示しちゃダメです。それでは人はついてきませんから。あなたもきっと、本国では人の上のお立場なのでしょう?」


 さらに説教と来たか。何だか白けてしまったトニーは、「もういい」とため息交じりに宿を目指す。


……


「おう、戻ったぞ」


『おや、お帰りなさいませ。今日はお早いですね』


 台帳に目を落として書き物をしていた店主が顔を上げた。トニーは毎日、飲みに出歩くが、こんな時間に宿に帰ってくるのは珍しい。


『そちらの方はお連れ様でございますか。立派なお召し物で……軍人さんにしか見えませんが。それに、あちらで離れて見ておられるのは兵隊さん?』


『私は通訳のようなものだ。あれは我らの護衛だ。気にするな』


『おぉ!お付きの通訳の方が見つかったのですか。ようやくお客様のお話を伺って、ご要望にお応えできます!』


『うむ。しかし残念だが、この御方……バレンティノ様は今日限りで部屋を引き払うのだ。荷物をまとめにきた』


 決してお付きなどではないが、まぁ細かい説明は不要だろう。


『なんと……お忙しい御方なのですね。いくらでもいて下さって構わないのですが……』


 トニーは話す言葉こそ分からなかったが、宿にとって上客であり、金の卵だ。いくらでもいて欲しいのは本心だろう。


「ここで待ってろ」


 トニーが二階の客間へと続く階段に足をかける。


「いえ、このまま逃げられても困りますので部屋までついて行きますよ」


「俺は待ってろと言った。頭吹き飛ばされてぇのか?」


「……分かりました」


 殺されるくらいなら逃げられる方がまだマシだ。通訳は外で待機している槍兵に目配せをし、一人を宿の裏手に回らせた。トニーが窓から飛び降りでもすれば気づけるはずだ。

 だが、少ない荷物を手にしたトニーが数分で戻ってきたので、その心配は杞憂に終わる。


「おう、世話になったな。これであの商売人の小僧の面倒見てやれ。宿にいる間は美味いもんでも食わせてやれよ。それから、こっちはお前にだ。取っとけ」


 金貨が追加で二枚。チップにしても高すぎるそれは、羽振りがいいなんてものじゃない。通訳越しにその言葉を聞いた主人は、何度もトニーに向けて頭を下げた。


「それと……おい、小僧!ついて来ちまったんならもう出て来い!」


『げっ!旦那』


 宿を出た瞬間、物陰の行商人の若者に気付いたトニーが声をかける。通訳も護衛も彼とは初対面だ。ここならばもう話しても良いだろう。


「野暮用でパリに行く。宿代は渡してあるから好きなだけ滞在していけ」


 通訳がフランス語でトニーの言葉をなぞると、若者は驚いた。


『え、旦那と話せるのか!宿代はありがとよ……って、パリに行く!?やっぱ連行されちまうのか!?大丈夫かよ!?』


「問題ねぇ。特にお咎めなしだ。偉い魔術師様が俺と面会希望だとよ」


『そ、そうか……まぁ、旦那なら実力も金も十分だ。宮廷に詰めてる魔術師の御方にお呼ばれくらいするんだろうな。身分もきっと高いんだろ?えぇと、達者で……』


 何やら寂しそうにしているが、彼とは短くない期間行動を共にしていたので当然だろう。トニーとて情は持っている。


「こないだ泊まったさびれた集落の連中にも、よろしく伝えておいてくれ。身分が知りてぇか?とある田舎国家の将軍だ。暇つぶしみてぇなもんだがな」


 若者、護衛二人、そしてフランス語で復唱した通訳本人がその言葉に飛び上がった。

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