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♭13

 第二次世界大戦中の激しい空中戦のような、大迫力のパノラマが眼前に迫る。

 巨大テントウ虫の羽音はプロペラ機のエンジン音を彷彿とさせ、それが煙を吹きながら落ちていく様は、さながら撃墜された戦闘機の姿だった。


 フィラデルフィア城の前庭に転移を完了させたトニーらロサンゼルスからの援軍は、爆音と硝煙、悲鳴や怒号が支配する戦場の真っただ中に足を下ろした。

 無数の巨大テントウ虫と、それに向けられて放たれる魔術や弓矢。空は赤黒く、夕焼けのような曇り空を見せている。


「ちっ!もう天空城も包囲されてやがったか!ヘル!ヘルはいるか!」


 天空城の優雅な庭は、今やテントウムシの迎撃を行う魔族たちで溢れている。

 援軍の到着報告と市内各地の戦況、それから自軍が受け持つ配置箇所の希望などがあれば聞きたいのだが、ヘルがどこにいるのか分からない。


 間近にドォン、という轟音が響いた。巨大テントウムシから放たれた攻撃だ。

 それは魔法でも砲撃でもなく、大岩だった。無数のテントウムシが大岩や大木を天空城に次々と落としていく。

 小さな隕石とでも言うべきその爆撃はスケルトンを押しつぶし、庭の土を大きくえぐる。天空城が浮いている原理は不明だが、この地面に大穴が開いてはたまったものではない。


 トニーは天空城の中心にある、ギリシャ神殿のようなフィラデルフィア城の本丸を見やった。


「クソが……!おい、野郎ども!ジャック!うちの兵隊はあの神殿に入れろ!あんなつまらねぇ原始的な攻撃に殺られちゃ癪だ!」


 物理的な衝撃は破魔衣で防げない。原始的な攻撃こそトニー達が最も警戒しなければならない弱点だ。


「分かりました!親父も早く!」


「閣下、どうぞお先に!我らも続きます!」


 部下たちから様々な返答が飛んでくる。

 無論、トニーもこんなところに留まっておくつもりは無いので、軽く頷くと全力で駆け出した。


 神殿到達までは僅か一分。しかし、その間にもあわや直撃するのではないかと冷や汗をかかされる至近距離に次々と落下物が飛来した。


……


 ようやく頑丈な屋根を持つ神殿に滑り込み、荒い息を吐きながら一同は地面に這いつくばった。

 不運な事に配下のリザードマンが一体、背中に岩が当たって昏倒したまま、味方の手によって運び込まれた。それ以外の損害はないようだが、戦う前から一名脱落したことになる。


「トニーよ!」


 神殿の最奥部。

 自らを呼ぶ声に視線をやると、円卓に広げた図面らしきもの囲んでいる諸侯の姿があった。トニーを呼んだのはもちろん、フィラデルフィア城主の死神ヘルである。

 隣にはテンガロンハットのカウボーイ姿で手を挙げてくるアルフレッド、全身に包帯を巻きつけた、ミイラ男のような姿のリーバイスは腕を組んでいる。

 そして、その円卓の隅に座っているカトレアの姿もあった。転移直後からいないとは思っていたが、自分だけ一足先にここに来ていたようだ。


 部下たちにはその場で休息の指示を出し、トニーが腰を上げてそちらへ向かう。


「おい、ガキ。いねぇと思ったら何を一人だけくつろいでやがる」


「えぇー?だって、なんか降って来てるじゃん、あの辺。当たったらヤダもん」


「トニーよ、良くぞ来てくれた。感謝するぞ」


 トニーがカトレアに向けて次の言葉を吐く前に、ヘルが謝意を持って頭を下げた。

 それに対して、トニーは鼻を鳴らして鷹揚に頷く。


「まったくだぜ。こないだ退治できたと安心したばっかなのに、やっぱり奴は生きてやがったのか?」


「うむ、そう考えるのが妥当であろうな。確かに我が鎌は奴の首を落とした感触を伝えてきたのだが……幻術であったか」


「もしくは、そもそもあのチビは本人じゃなかったかのどちらかだな」


 トニーは円卓上の図面に視線を落とした。

 どこかを表す地図。それに赤いバツ印が無数に書き込まれている。


「それはフィラデルフィアの見取り図です。その印は陥落した拠点や詰め所です」


 アルフレッドが簡単に説明してくれた。


「そうか、それで下っ端に戦わせたまま、お前たちはここで何をしてるんだ?」


 ここにいるのは現在、フィラデルフィアの防衛の主力となりえる幹部全員だ。この面々が誰一人として前線に立たず、まごついていては被害が拡大するばかりだろう。


「そう邪険になるな。貴殿の到着前まで、我々も前線で戦っていたのだ」


 リーバイスがぼそぼそと抗議の声を上げた。


「あぁ?今、何をしてるんだと訊いてるんだよ」


「悔しいが、どの拠点も物量で押しに押されてな。一時、集まって作戦を立て直すことになったのだ」


「何?そんなにか。まさか、敵はテントウムシだけじゃねぇのか」


 厳しい状況なのは承知していたが、想像を遥かに超える大苦戦らしい。

 六魔将が三人もいてそうなったのならば、並大抵のことではないことが窺える。


「城下町は大量の蟻に複数体のカマキリが闊歩している。それで上空は見ての通り、空を埋め尽くす程のテントウムシだ」


 ヘルが答えた。襲撃から僅か二時間弱でここまでの被害となったらしい。


「ほう、デカい虫のフルコースか。ゲテモノ喰らいのてめぇらにはご馳走かもしれねぇな」


「それがもう腹一杯でな。お前に残してやったのだ。遠慮せずに全部、腹に収めてはくれまいか?」


 ヘルが意外にも軽口を返してきた。逼迫する場を和ませるつもりだったのかもしれない。


「あんな虫は食べたくないなぁ」


 カトレアだけが真面目に答えるも、一同はそのまま流した。


「で?ウチの戦力が増えたからって、どうにかなる話なのか?手伝うとは言ったが、鼻から勝ち目がないなら話は変わって来るが」


「厳しい状況に変わりはないだろうが、カトレアも来てくれたのは大いに助かる。しかし、貴様が最後というわけではない。恥ずかしながら、陛下にもご助力を嘆願したのだ。それを待つ間、耐え忍べば勝機はある」


「アデルが来る、と?そりゃ、思い切りの良い事だが、てめぇの管理職としての評価はダダ下がりだな。奴が出張るって事は、一人でかなりの敵を片付けちまうだろうしよ」


 大魔王が実際に戦うところは、トニー個人としては非常に興味がある。どんな技や術を使うのか、どのくらいの力を持つのか、出来れば目にしておきたいところだ。


「今はそんな事を気にしている場合ではないのでな。それよりも、トニーらを含めた新たな防衛陣を考えようではないか。この城はもちろんだが、城下も見捨てるわけにはいかん」


「賛成です。私は出来れば高所からの射撃、この城からの援護を」


 アルフレッドが我先にそう言った。

 援護が得意なのは当然なのだが、あまり危険な場所に行きたくないという気持ちが態度にも現れている。


「我もあまり無理が言えん立場だからな。アルフレッドには援護を頼むとしよう」


「まぁ、俺もそれには文句ねぇよ。うちの連中にもライフル担いできてるのがいる。それはお前に預けてやるから使え」


 もちろん、トニー配下の組員だ。遠距離戦ならアルフレッドの指揮下に置いておくのが適当だろう。


「それはありがたいことですが……バレンティノ将軍は彼らを私に預けて、危険な前線まで出られるのですか?彼らが黙ってはいないでしょうに」


「このチビは俺が連れていく。それでどうにか黙らせるさ」


「では我は、リーバイスと共に城下へ出よう。兵士以外で戦っている者も少なくないが、教会や庁舎に退避している住民が最も多い。それを防衛せねばならん」


 これでチーム分けは決定だ。

 トニーとカトレアの班、ヘルとリーバイスの班がそれぞれ城下の防衛に向かい、それを頭上からアルフレッドの班が援護する。ただし、空にも敵は多数いるので地上への援護射撃はあまり当てには出来ないだろう。


「わーい、閣下とデートだ!」


「死に物狂いのデートが楽しみとは恐れ入ったな」


「では、この地図を見てくれ」


 赤いバツ印とは別に、黒いインクで新たにヘルが円を書き込む。


「詰め所などの兵士が駐屯している場所は苦戦していても無視してくれて構わない。それよりもやはり、防御が薄い教会などに集まっている非戦闘員の救護だ。今書いたのはそれに当たる。カトレア、生存者は街の外へ一時的に飛ばしてやってはくれんか」


「お安い御用ですともー」


 いくらカトレアであろうとも、目の前に対象がいなければ転移術は使えない。

 もちろん自身やトニーには使えるので、転移術を連発しながら市街地を周り、生存者を救出していく形になるだろう。

 ただ、地理学はあまり得意ではないようなので、トニーが目の前の地図の印をある程度記憶して補佐してやる必要があった。

 ヘルとリーバイスの班も最初は転移術を用いるが、カトレアのような瞬間転移ではなく通常の空間転移だ。こちらは発動に多少の時間がかかるので最初の転移以降は地道に駆け回るらしい。トニーとカトレアに比べると危険度は段違いである。

 そこで、トニーの班はジャックを加えた三人のみ。ライフル持ちの組員はアルフレッドに預け、残りの魔族のロサンゼルス兵らはヘルにつけてやることになった。

 当然、トニーの命を第一に考える組員らからは反対意見が上がったが、カトレアの瞬間転移で移動するので、戦闘に巻き込まれることは少ないはずだと説いてこれを黙らせた。


「作戦を開始しよう。各々、頼んだぞ。必ず陛下の援軍が来たら押し返せる」


 そう言い残して、ヘルとリーバイスが城内から出発した。

 彼らは兵数が最も多いので、いくつかの空間転移の亀裂が作られている。移動だけでも一苦労だ。


「んじゃ行くか。まずはあそこに見えてる黒い屋根の教会だ」


「はいはーい」


「カトレア様、失礼いたします」


 それを見送り、トニーとカトレア、ジャックが動く。

 カトレアが転移術を発動する前に、トニーとジャックがカトレアの肩に手を触れた。


 瞬き一つする間に周りの景色は一転した。やはり、瞬間転移と通常の空間転移では術のスピードが雲泥の差だ。

 三人はトニーが指示した教会の真正面、砂が踏み固められただけの路地に立っていた。


「おい!中にいる奴ら!助けに来たぞ!」


 教会の扉は一枚岩の重厚なもので、力づくで無理やり開けることはできない。当然、魔術で吹き飛ばすわけにもいかないのでトニーが吠える。


「おぉ!城の使いのお方ですか!」


しわがれた老婆の声で返答があった。


「そうだ、ここを開けれるか!あまり長く外では話せねぇ!」


 虫の大群は近くにはいないようだが、トニーが話しているこのわずかな間にジャックが日本刀で、カトレアが発火の魔術でそれぞれ一体ずつ、巨大蟻を排除した。このまま騒いでいれば、じきにそれが集まってきてもおかしくはない。


 鉄の扉がゴゴゴ、という重たい音を伴って外側に開いた。

 出てきたのは灰色の皮膚の巨大な体躯を持ち、腰が少しばかり曲がったオーガである。茶色く貧相な麻の前掛けだけを身に着けている。


「婆さん……だよな?そんだけの怪力なら街で暴れてる虫なんざ片手で握りつぶせそうだが?」


 か弱い老婆が出てくると思っていたら、想像より何倍も屈強な老婆だったのでトニーが顔を引きつらせる。


「ほっほっ。何を仰せか。わしなど蚊の一匹も殺せませなんだ。こう見えて聖職者ですからの」


 法衣に身を包んでいるわけではないのでわかりづらいが、どうやらこの教会に勤めるシスターらしい。

 巨人族の大僧正イェンも迫力のある見た目だが、この老シスターの貫禄もなかなかのものだ。


「そ、そうか。まぁいい。入らせてもらうぜ」


「はい、どうぞ早く中へ」


 トニーら三人が中に入ると、再び重厚な岩が動いて外界と隔離された。

 中には子供なのか、小さな子供のリザードマンが少数と、シスターと同じく年老いたオーガたちが身を寄せていた。それぞれの目には怯えの色が見える。

 オーガは早々に成熟するらしいので子供がいないのも納得だが、リザードマンの老体がいないのは気になる。スケルトンは当然、どの個体も年齢など関係なく戦えるので不在だ。


「リザードマンはガキだけか?」


「え?そうですが」


「閣下、リザードマンにはオーガやケンタウロスのように引退という概念がほとんどありませんので、老体がいないのはそれが理由でしょう」


 ジャックが言葉を添える。なるほど、種族ごとにそれぞれの生き方があるらしい。


 確かにミッキーなどは年齢こそわからないが、いずれ年老いてしまったとしても最期までトニーのために戦おうとするだろう。リザードマンが魔族の中でも雑兵と侮られる地位の低い種族なのは知っているが、その精神力はどの種族よりも強いのかもしれない。

 逆に屈強なオーガや俊足のケンタウロスが老齢を理由に身を引くというのも意外だった。それでも人間よりは長寿なはずなので働く年数は充分なのかもしれないが。


「閣下、ですと……?貴方様は、もしや将軍様なのですか?」


 シスターが驚いた表情でトニーを見ている。将軍と言えば六魔将であるのは常識だ。見かける事くらいはあっても、普通であれば話など出来ない、雲の上の存在に近い。


「あぁ。ロサンゼルスが俺の街だがな。今日はヘルの野郎に加勢を頼まれて来てやったんだよ。お前らも奴には感謝しろよ」


「ありがたやありがたや」


「ヘル様、そして将軍様にも感謝を。ありがたやぁ」


 リザードマンの子供たちは未だに不信感を持ってトニーを見ているが、上位者だと知ったオーガの老人たちからは一斉に拝まれてしまった。

 ある者は頭を地面にこすりつけ、ある者は胸で十字を切り、涙を流している者もいる。


「で、お前は何をやってるんだクソガキ」


 なぜかその老人の群れに紛れてカトレアも「なんまんだぶなんまんだぶ」などと言いながら這いつくばって拝み始めたので襟首をつかんで引き寄せる。


「うげぇ、ちょっと!首は無理無理無理!」


「ふざけてねぇで、さっさとこいつらを安全圏に飛ばしてやれ」


「だって、なんか閣下が偉い人らしいからあたしも拝みたくなったんだもん」


「てめぇも三魔女の一角だろうが」


 三魔女という言葉に、老人たちの目が再び輝く。


「さ、さ、さ、三魔女様ですとぉ!」


「何という事じゃ、将軍様に魔女様じゃぁぁ!」


 老人たちが一斉にずりずりと二人へ這い寄ってくる。


「あぁ!?うるせぇぞ、お前らにかまってる暇はねぇんだ。おい、早くこいつらをどっかに置いて来い」


「おわぁ!おじいちゃんおばあちゃんにモテモテだぁ」


「こら、貴様ら!控えろ!お二方に無礼であろう!」


 トニーとカトレア、ジャックの叫びが響くのと、ドォンと勢いよく扉が外側から打ち鳴らされるのは同時だった。老人らは息をのみ、子供たちは悲鳴を上げる。

 どうやら少しばかり騒ぎすぎたようだ。


「おいでなすったな。おら、虫どもに食われたくなけりゃ大人しくこのガキの魔術で退避しろ!時間がねぇぞ!」


 次の瞬間、カトレアと数体のオーガの姿が消えた。

 巨体のオーガをすべて飛ばすことは叶わないので、何回かに分けて運ぶつもりなのだろう。

 その間にもさらに扉は大きく揺らぎ、残されている子供たちからは悲鳴が止まない。


「ジャック、うちの魔女様が仕事を終えるまでこの扉を死守するぞ。数が多かろうと相手は知恵もない虫だ。俺達二人でもなんとかなんだろ」


「御意」


「たっだいまー」


 真面目な返答と、すぐに戻ってきたカトレアの声が重なる。


「おい、さっさと残りを……!」


 と、声をかけたがカトレアの姿はそばにいた数体のオーガと一緒にまた消えた。


「チッ、クソが……」


「えっ、なにぃ?二秒くらい前、なんか言ってたー?」


「何でもねぇよ!」


 そしてそのトニーの咆哮も聞く前にカトレアは姿を消してしまっている。


「閣下」


「おう。年寄とガキども、下がってろ!」


 一枚岩の扉がついに粉砕された。子供たちは壁際で、今まで上げていた悲鳴すらも飲み込んで身体を縮めている。

 立ち上る砂煙の奥、外から覗き込んでくるのは巨大なカマキリだった。


「チッ……!どうせ蟻んこだろうと思ってたらコイツか!」


「なんと……」


 巨大蟻や巨大テントウムシなら問題なかったのだが、巨大カマキリの耐久性は二人で凌ぎ切るのは難しい。

 やや小ぶりな個体ではあるようだが、その強化された固い外郭は銃弾や剣を受け付けないのは以前の討伐戦で実証済みだ。


「おぉー!こないだの強い虫じゃん!」


「いいからてめぇはさっさと運べ!」


 ズドンッ!


 振り返ることもせず、引き金を引きながら背中にいるであろうカトレアに叫ぶ。

 当然返事は無いので、言われるまでもなくまた瞬間転移を繰り返してくれているはずだ。

 まだ大半が残されている子供たちは、聞きなれない銃声と巨大な虫に驚いてわなわなと震えてしまっている。


「はっ!」


 ジャックが渾身の一撃を持って斬り込む。寸分たがわず、トニーの銃弾が当たった脚の部分だが、やはりそれも通ることは無い。


「ジャック!てめぇ、射線に入るな馬鹿野郎!」


「申し訳ありません!」


 銃を杖に持ち替えたトニーが発火の魔術で火炎放射をお見舞いする。

 視界のほとんどを覆ってしまう程に強大な炎だが、これも大した損害を与えることは出来ないだろう。


「うおっと!」


 身体は中に入らないので、巨大カマキリが鎌を室内へと突き入れてくる。

 燃え盛る炎の奥、つまりトニーの視認できないところから飛んできた鎌。すんでのところで後ろへ半歩下がってそれをかわした。

 ギザギザになったその鎌は切れ味鋭く恐ろしいというよりは、あまりにも強いその力で胴体であろうと引きちぎられてしまっていただろう。


「閣下、お下がりください!」


「あぁ!?てめえが前に出たって防げねぇだろうが!一撃では死なねぇからって、砕けた骨をボンドで止めりゃ動けるようになんのかよ!」


「いえ!カトレア様の転移が次で最後のようです!」


 そのジャックの言葉に一瞬だけトニーは視線を流した。

 確かに残るは部屋の隅にいるリザードマンが三体だけのようだ。


「ほい、ラストー!ばびゅーん」


 直後に現れたカトレアがそんな言葉を言いながら消えていった。


「よし、いいぞ!下がれ!」


 死霊術、酷炎を飛ばしながらトニーとジャックも大きく後退した。

 この術も目くらましにしか使えず、カマキリが絶命することは無い。


「ほい、お手頃なオーガの生首げっちゅーしてきたよ。使いましょうー」


 教会内にいた全ての民間人を送り届けて帰ってきたカトレアの横には、確かにオーガの大きな首が一つ転がっている。まさか彼女が殺したはずはないので、街のどこかで拾ってきたのだろう。


「それっ」


 指揮棒のような細い杖が振られ、生首はカマキリがいるはずの酷炎のどす黒い炎の向こうへ浮遊していった。


「ほー?食いつかせて起爆しようって腹か。悪くねぇ」


 カトレアの思惑にトニーがにやりと笑う。

 その自信から、首だけでも問題なく死体爆破の術には使えるのだろう。まだ消失していなかった点からして、あのオーガの首は斬れ立てほやほやに違いない。


「でしょ!もっと褒めて!あなたぁ、ほらもっとぉ」


「へんちくりんな甘ったるい声出してねぇでよく見てろ。食いついたタイミング見失うぞ、馬鹿が」


「えー?そんな事いってもなんか黒い煙であんまり見えないしー。適当でいっかなって」


 策士なのか浅はかなのか分からないことを言いながら、カトレアは後退りしてトニーとジャックの手を左右の腕に挟んだ。起爆とほぼ同時に離脱する為だ。

 無論、トニーらの今の目的は虫の退治ではなく生存者の確保だ。無理にここでカマキリを倒す必要はない。

 だが、巨大昆虫のなかでも最も脅威であるこの虫は、可能な限り一体でも多く減らしておくべきだろう。


「ほーい、どっかーん」


 そのカトレアの声が終わる前には、三人はフィラデルフィア城内に戻ってきていた。さすがにカマキリの生死は確認できない。


「なんだ、肝心なところはお預けか」


「いやいや、閣下。死にたくないでしょ?さすがにあの辺一帯は教会ごと消し飛ぶよ?あいつも、ちゃんと首を食べてくれてたら死んだかもねー。食べてなかったら多分生きてるー」


 それよりも、次の地点への移動だ。相変わらず前庭で激しい戦闘が繰り広げられているフィラデルフィア城も、今は心安らぐ場所とは言い難い。

 こうして雑談している間にも、城で戦う兵士らの悲鳴や銃声が聞こえてくるのだ。

 組員はアルフレッドにすべて貸し出してはいるが、城の屋根の下など、比較的安全な場所からの助勢を指示してくれているようだ。貸した兵をいたずらに失ったとあっては彼の顔も立たなくなるので大事に使ってくれている。

 ヘルの方にも魔族の兵士を貸し出しているが、こちらも先鋭ではなくヘルやリーバイスの周辺を固める近衛のような役目を与えられているはずだ。


「おい、ガキ。次はあの赤い屋根と白い壁の教会だ。見えるか」


 卓上の図面を再確認しながら、トニーは次の目標を指差す。

 ギリシャの神殿のように支柱だけで外壁の無いこの城では、真下でない限り街の様子も城内から見える。


「あー、えー、多分あれかな?そんじゃ、出発しんこー!」


 カトレアはトニーが指示した通り、間違えずに目標地点の教会前へと運んでくれた。

 しかし、目の前にあったのは荘厳な教会ではなく、すでに扉や壁の一部が打ち壊され、中には血肉が飛び散った悲惨な光景だった。

 巨大蟻が数体、キチキチと歯を鳴らしながら薄暗いその教会の中をうろついているのが見える。ここに避難してきていた民を食い荒らしたのはこいつらで確定だろう。


「チッ、遅かったか!」


「うげー、惨いことになってるねぇ。次に行く?一応、殺す?」


「移動だ。さすがにありんこには構ってられねぇ」


 巨大カマキリは強力な分、その生成が難しいのか個体数は少ない。しかし巨大蟻と巨大テントウムシは、数えきれないほどの大群で押し寄せてきている。いくら弱かろうとその数は脅威であり、全て潰していくとなると数日単位で時間を取られてしまうのは必至だ。


 教会の中を食い荒らしていた蟻たちがぞろぞろと出てきた。

 トニーらの存在に気付いたのは言うまでもない。


「ふん、まだ食い足りねぇってツラしてやがる」


「殺らないんでしょ?次はどこに行けばいいのー?」


「確か、徒歩圏内にもう一つ印がついてる場所があった。でかい店だかなんだか知らねぇがそこに行くぞ。こっちだ」


 虫は放置してその場を立ち去ろうとしたが、当然、歩き出した三人の背後から音を鳴らしながら襲い掛かってきた。


「はいはーい」


 だが、合計で五体の巨大蟻たちは一瞬にして燃え上がる。カトレアが何らかの魔術を使ったらしい。ジャックはそれを一瞥して蟻が動かないのを確認して主人に付き従ったが、トニーは最初から見向きもしない。


 虫や住民の死体が転がっている中を悠々と歩くこと三分。

 土づくりの大きな建物に到着した。中規模のスーパーマーケット程度の面積を持つそれは、住民らが物々交換を行う商会のようなものらしい。


 さすがに大きく目立つので幾体もの巨大蟻が寄ってきているが、そこにはスケルトン兵の守備隊らしき一団がおり、土嚢や瓦礫で防衛線を張って死守していた。


「あん?兵隊がいるならよそに回るか」


「えー?十人くらいしかいないし、手伝ってあげようよ。多分、虫が増えてきて一時間以内には落とされるよ?」


 良く見ると劣勢なのは確かなようだ。


「むっ!あちらの貴人方はどなただ!」


「誰かこちらにお連れしろ!お三方、そこは危ない!どうぞこちらへ!」


 トニー達が着ている服から高貴な身分だと理解したらしく、スケルトン兵からそんな声が投げかけられた。戦闘中だというのに生真面目な連中だ。これもヘルの影響だろうか。


「ま、しゃぁねぇ。ヘルの部下だろうし助けてやるか」


「よし来たぁ」


 二名のスケルトン槍兵が駆け寄って助けてくれようとしているが、それを巨大蟻が阻む。

 トニーが一発の銃弾でそれを弾き飛ばし、カトレアが氷結魔法で氷漬けにする。


「なっ!」


 スケルトン兵も、助けられる側なのはむしろ自分たちなのだと気付いた。

 商会までの道のりを塞いでいた巨大蟻をいとも簡単に排除して、三人は味方の元へたどり着いた。


「よう、どうも苦戦してるみてぇだったからよ」


「まさか、あなた方は。バレンティノ将軍閣下と……」


「おしゃべりはそのくらいにしとけ。この中に避難民がいるのか?うちのチビが転移させてやる。それが終わったらお前らも離脱しろ」


 跪いて礼を取ろうとするスケルトン兵らを制し、質問と指示出しを行った。


「は、はい!中に大勢おります。では我らはその間ここを守りますので」


「おう、チビ。仕事だ。大人数らしいが、しっかりやって来い」


「ほーんと、嫁使い荒いよねー。喜んでやるけども!」


 ぷりぷりと膨れっ面のカトレアは転移術の為に商会の建物に入ったが、トニーとジャックはスケルトン兵の最終防衛線に残った。

 スケルトン兵たちはキョトンとしている。


「あ?今までと同じようにはいかねぇぞ。さっきの銃声でわんさか寄ってきやがる。お前らだけなら、めでたく全滅だな」


「な、なるほど……確かに大群が来たら、もはや我らだけでは」


「どのくらいやられた?」


「最初は三十名おりました」


 表情こそわからないが、悲痛な声色から無念さが感じ取れる。

 三分の一にまで減ってしまったのだ。壮絶な攻防が繰り広げられたのだろう。


 そして、トニーが言った通りの来客はすぐに現れた。確かにペチャクチャと喋っている暇などほとんどなかった。

 巨大蟻がその脚や触覚を機敏に動かしながら迫ってくる。やはり大きな銃声はそれなりに感じ取れるようだ。


「ジャック」


「はっ」


「中を見てこい。どのくらいの時間凌げばチビが仕事を終えるか知らせろ」


「承りました」


 ここにいる中では唯一の甲冑以外の衣服を纏ったスケルトン、スーツ姿をしたジャックがひらりと身を翻した。

 このスケルトン兵らは、同族であるはずのジャックを見てどう思うのだろうか。ミッキーにしろジャックにしろ、名まで与えられて側近として取り立てられているリザードマンやスケルトンは他には存在しないはずだ。


 ズドンッ!


 ジャックが去ってすぐ。手近な巨大蟻に向けて初弾を放つトニー。

 それが開戦の合図となった。

 距離があったせいか、弾を受けた個体は一瞬のけぞっただけで、さらに進んでくる。無傷ではないものの、なかなかの防御力を有している。


「あぁ?」


 ズドンッ!


 一撃で倒れないのが気に食わないトニーは、同じ個体へ二発目を撃ち込んだ。今度こそ、ひっくり返った巨大蟻はぴくりとも動かなくなった。


「何にも考えずに突っ込んでくる虫を撃つだけなら、ビデオゲームみてぇなもんだな」


 さらに別の個体、そしてまた別の個体と、商会に近寄ってくる巨大蟻を次々と撃ち殺していく。

 スケルトン兵たちは圧倒的な暴力に言葉を失っていた。


「閣下、お待たせいたしました」


「おう、どんな感じだ」


 トニーが次弾を詰め、葉巻に火を灯しながら言う。


「カトレア様が仰るには三十分ほどはかかるとの事です」


「何?のんびりしすぎじゃねぇか?」


「かなりの人数が匿われており、私も驚きました」


 トニーとジャックが話している隙に押し寄せてきた巨大蟻は、スケルトン兵の弓矢や槍が必死で抑え込んでくれている。


「あっ、あれは!」


 そんな中、スケルトン兵が悲鳴に近い声を上げた。

 やってきたのはひときわ大きな影。巨大カマキリである。


「おうおう、やっぱりこっちにも来やがったか。どう考えても三十分は厳しいな。一旦、あのチビをこっちに寄越せ。あれはまた爆破しねぇと難しいぞ」


「かしこまりました。ではカトレア様にご助力をお願いしてきます」


 ズドンッ!ズドンッ!


 返事の代わりに、トニーはさらに二体の蟻を撃ち抜いた。


「バレンティノ将軍!あの個体はどうすれば!」


「ちっと抑えてりゃ心配ねぇ!気合入れろ!」


 今にも押しつぶされてしまいそうな圧迫感にスケルトン兵らは浮足立つ。蟻とカマキリではその迫力がまるで違うのでそれも仕方のないことだ。

 おそらく、ここに詰めているこの兵らは前回の巨大カマキリ討伐には加わっていなかったのだろう。


「あ?こりゃついてるぜ」


 すぐにでも襲い掛かってくると思われた巨大カマキリだったが、トニーが殺した蟻を口に運んで貪り始めた。

 カトレアが来るまでの時間稼ぎにもなる上、味方の蟻をも食らうという事はその死体を利用して起爆できるという事だ。これを使わない手はない。


「ほいほいー。お呼びだってぇ?もう、少しも離れてられないなんて寂しがり屋さんだなぁ」


「戯言は後で聞いてやる。あれを吹き飛ばしてぇんだが」


「なんだよ戯言って!助けてやんないぞぉ!」


 身体をすり寄せてきたカトレアが、両手を腰に当てて胸をそらす。お怒りのポーズらしい。


「あぁ?それより見ろ。カマキリは蟻を食うらしい。同士討ちとは大悪党の野郎も予想外だったろうな。ま、虫如きに同族以外との統率なんて知恵が回るとも思えねぇが」


「へー。じゃあ簡単じゃん。閣下が蟻の方をいい具合に殺して、それをあたしがどかーんでしょ」


 カトレアが魔術で蟻を直接始末すると、どうしても燃やしてしまったり凍らせてしまったり、或いは吹き飛ばしてしまったりする。その点、射殺であれば魔術や斬殺よりも最小限の欠損で死体を作り出せるというわけだ。


「……ってぇ!戯言って言ったのをなかった事のようにしたって無駄なんだからね!」


「何だ、お前?どこかに頭でもぶつけちまったのか?」


 普段ならコロッと騙されてスルーしてくれるところだが、カトレアが気づいたことにトニーは心底驚いている。


「え、ぶつけてないよ?何で?心配してくれてるの?」


「ふん、どうだろうな。遊んでねぇで、次の一匹を殺すぞ。食ったら吹き飛ばせ」


 銃声と崩れ落ちる巨大蟻。

 少しずつ寄ってくる数が減りつつあるので、近辺の敵はあらかた排除できたのかもしれない。しかし、肝心の餌が無くなってしまえば巨大カマキリを倒す足掛かりを失うことになるので、今のうちにカトレアには頑張ってもらいたいところだ。


 まだ気に食わないのか、カトレアは何やら隣でぶつぶつと文句をたれている。

 しかし、巨大カマキリがトニーの殺した巨大蟻を口に運ぶと、指揮棒に似た杖を振って死霊術を詠唱してくれた。


 ドンッ!!


 轟音と閃光が炸裂し、カマキリの上半身を包む。

 トニーはボルサリーノのハットが飛ばないようにしっかりと左手でおさえた。


「な、何ですか今の凄まじい魔術は!」


「やはりそちらにおられるのは三魔女のカトレア様なのでは!」


 スケルトン兵が騒ぐも、トニーはカマキリから目を離せない。炎と煙の隙間からその様子を伺う。


「大成功ー?」


「……下顎が吹き飛んでやがるな。だが、まだ息はあるか。胃袋の中の死体は何で爆ぜなかった?」


「さぁ?もうドロドロに溶けちゃってたんじゃない?」


 事実かどうか定かではないが、魔物よりは昆虫の方が消化しやすいという事だろうか。実際に自然界のカマキリは他の虫を捕食するので、あながち間違いではないのかもしれない。


「弱らせはしたが、あれだともう食い意地もなくなっちまったんじゃねぇか」


「そうだねぇ。でも外側は固いからなぁ。どうしようかなぁ」


「いっそ、ここのスケルトン兵から決死隊を募るか。死ぬと分かっててアイツの口の中に飛び込む豪気な奴をよ」


 当然これは冗談だ。聞いていたジャックが胸を張ってその命令を待っているようだが、取り合わなかった。トニーはいかなる理由があろうとも自殺まがいの命令は出さない。

 自分の部下であってもそうだというのに、ヘルの部下をそんな風に使えるはずがなかった。


 キシャァァァァ!!と、カマキリが凶悪な叫び声を轟かせる。

 声帯のないカマキリがどうやって声を上げているのか定かではないが、どうやら怒らせてしまったことは間違いない。


「お、来やがるぞ!」


 両手を振りあげ、万歳のポーズのままカマキリが突進してくる。

 己が身一つなら退避するのは簡単だが、後ろには避難民がいるのでそれは叶わない。


「ぬんっ!」


「はぁっ!」


 突如、二つの掛け声が響いてカマキリの動きがピタリと止まった。

 灰色のローブをまとった死神と、薄汚れた包帯を巻きつけたミイラ男の背中が一同の目に映る。彼らの得物である大鎌と二刀曲剣がカマキリの脚に食い込んでいた。

 ヘルとリーバイスである。この大騒ぎが引き寄せたのは何も敵の昆虫ばかりではなかったらしい。


「これは閣下!」


「カトレア様、ご無事で!」


 ヘルたちにつけていたロサンゼルスの兵もいるようだ。

 六魔将の二人に遅れること数十秒。リザードマンが主体のロサンゼルス兵、スケルトンが主体のフィラデルフィア兵とジャクソンビル兵が一気にその場に流れ込んできてカマキリを包囲していく。形勢逆転だ。

 兵らに抑えを任せ、ヘルとリーバイスは得物を引いて歩いてきた。


「よう。良いところに来てくれたじゃねぇか」


「なに、あれほど騒がれれば気になるものだ。カトレアよ、今のうちに民を逃がしてやってくれぬか。中に大勢いるのだろう?」


「そうだね!んじゃ、ごゆっくりー」


 三人の将軍を残して魔女は去っていく。

 彼らがいるこの場ほど城下で安全な場所は無いだろうが、長らく固まっていては他に危険が及ぶ。カトレア不在で苦戦は免れないが、さっさとカマキリを倒しておきたいところだ。


 兵たちは一斉に突きかかるも、凶暴なカマキリの攻撃に吹き飛ばされるばかりで、なかなか思うような攻撃が出来ずにいる。

 死人は出ていないものの、このままではじりじりと体力を奪われて手負いの者が増えてしまう。


「ヘル。前にあれと戦った時、何匹かは普通に兵隊使って倒してたよな?どのくらいの労力が要る」


「あぁ……まずこの場にいる面々では数が足りぬな。我ら三人が加勢すれば問題はなかろうが、それでもかなりの兵数は失うことになるであろう」


「なら却下だな。しかし、チビが帰ってくるまでには駆除しとかねぇと顔が立たねぇぞ。大の男が三人がかりで何やってんだってな」


 ヘルは無言で頷いたが、リーバイスは珍しく小さな笑い声をあげた。


「ふふふ、確かにバレンティノ閣下の仰せの通りであるな。幸い、あれは顎がちぎれて口は開いたままだ。そこにヘル閣下の魔術を飛ばす算段を立てては如何か」


「悪くねぇな。内部が弱いのは分かってる」


「我もそれには依存なしだ。しかし、何を撃ち込む。時限式の術がよいのであろう?」


 口に直接、炎などを当てたところで、内部から弾け飛ばす程の威力は出まい。無意味だとは言わないが、口内ではなく、食道や胃内で最大限の攻撃力を発揮させたい。


「毒はどうだ?お前、こないだ使ってただろう。確か、遅効性の毒をよ」


「残念だが、あやつに呪術はほとんど効かん。それに遅効毒とはいえ、液体を流し込んで胃で発動させるわけではないぞ。術が当たるのはどうあがいても口元だ」


「ううむ……難儀だ。お二方、ひとまず助太刀に入らないか?そろそろ兵が仕損じるかもしれない」


 リーバイスは左右の腕をクロスさせて腰の曲剣を引き抜いた。ぼそぼそと言うや否や、ひらりと身を翻してカマキリの正面に立つ。


 興奮した巨大カマキリが、左右の鎌をデタラメに振り回した。

 しかし、リーバイスはその場を動かない。そして、まるで踊るように曲剣を振るってそれをいなした。


「ほう、大したもんだな。さすがは六魔将様ってか。しっかり受け止めるよりは流した方が良いわけか」


 トニーだけではなく、兵士たちからも感嘆と称賛の喝采が投げられている。


「感心しておらんで我らも行くぞ。それに、貴様も六魔将の一人だろう。クルーズや正規軍のエイブラハム団長まで倒しておきながら、今更なにを驚いているのだ」


「はっ!俺もとっくに人外だってか?嬉しくないねぇ」


 ヘルはリーバイスの横まで一気に跳躍し、トニーは数歩後ろでクルーズの杖を構えた。この相手には、銃よりこちらの方が役に立つ。


「ヘル!何かおあつらえ向きの魔術は思いついたか!」


 この場に立ったは良いが、決め手に欠けたままではどうしようもないのでトニーが問うた。


「いや、まだだ。色々と試すつもりだが、結果次第と言ったところだな」


「ふん、そうかよ!だったら俺から先にやらせてもらうぞ!」


 手始めにトニーは発火の魔術をカマキリの顔面に叩き込んだ。基礎的なその術はクルーズの杖で増幅され、極大の火の玉となって襲い掛かる。

 リーバイスに翻弄されていたカマキリは、避けたり防ぐことは叶わずにまともにそれを受けた。口元が炎に包まれ、顔全体を真っ赤に染め上げる。


「ほう、さすがだな」


 続けざまにヘルも発火の魔術を放つ。トニーの魔術にも劣らない強力な炎だ。


 顔面どころか、カマキリの上半身を覆ってしまう程の業火だ。たまらずリーバイスは一歩下がった。全身を大やけどした経験を持つ彼にとってはあまり嬉しい状況とは言えない。

 兵士らも荘厳なその光景に、歓声ではなく「少々やりすぎでは」という空気感を漂わせている。


 だが、数秒で炎が消えても、やはり大きなその身体は倒れることなく存在していた。ただし、その顔は煤にまみれており、目が見え辛いのか鎌で擦っている。


「ふん、タフな化け物だぜ!ヘル、次は何を試すんだ!?」


 怒鳴り声に反応し、ヘルが答えるよりも先にカマキリの顔がトニーの方を向いた。

 あわや飛んでくるのではと思われたが、それはリーバイスが曲剣で脚に斬撃を加えることで阻止した。


「トニーよ、まずは少し下がるぞ。リーバイスもやり辛いであろう」


「呼んでおいて申し訳ないが、そうしてもらえると……助かるな。ぬんっ!」


 気合を込めて曲剣に力を入れ、リーバイスがカマキリの巨体をわずかに押し返す。両足で踏みしめた地面が大きく陥没したことから、かなりの重量がのしかかっているのが分かる。

 がっちりと受け止めるのではなく、本来であればさらりと受け流すのが彼の戦法だ。彼もまさかカマキリの標的が、真正面にいる自分以外、特にトニーへ向くとは思っていなかった。あまり防御に徹し続けると身が持たないのは明らかだ。


「あぁ、そうみてぇだな。リーバイス、ちっとばかし遊んでやってくれ!すぐに黙らせてやるからよ!」


 杖ではなく、中国で手に入れた魔力の触媒、つまり指輪から中規模の火球をまき散らしながらトニーは後ろへ下がる。


 巨大カマキリは余程トニーの事が気に食わないのか、リーバイスの足止めや炎を振り払うように進もうとしている。

 それはリーバイスが許すはずも無いのだが、キシャァッ!と悔し気に鳴いて鎌を振り回した。


「おうおう、熱い求愛じゃねぇか。悪いが虫には興味がねぇな」


「貴様から人間に似た匂いでも出ているのであろう。美味そうな餌だと思われても不思議ではない」


「あぁ?そりゃあ、ここにいる骨やトカゲモドキよりは俺の身体は栄養満点だろうぜ。食われてやる気なんざ毛頭ねぇがよ」


 トニーは胸ポケットから葉巻を取り出して指先から点火した。香ばしい白煙が立ち昇る。


「ふぅむ。炎の次は、氷でもぶつけてみるか……」


 そう言って思案をするヘルの隣で、トニーがまた妙案を閃く。


「おい、人間や他の虫があいつらにとって魔族よりも美味そうだってことを利用できねぇか?」


「うん?なんだそれは」


 ヘルは魔術で生み出した、一本の氷の槍を投擲した。

 それは巨大カマキリの胴の辺りに少しばかり刺さったように見えたが、ほどなく鎌に粉砕されて塵と消えていく。


「たとえば視覚、嗅覚だろうがなんだっていい。幻術か奇術で騙せねぇかって話だ」


「要は、そこらにある石ころや土くれを人間の死体だと思わせれるか、と訊いているのか?それならば幻術だな。我にもやってやれんことは無いが、無機物にかける幻術では、おおよそ視覚のみしか騙せまい」


「奴はさっき、煤で眩んだ目を擦ってやがった。少なからず視力にも頼ってるのかもしれねぇ」


 ヘルもトニーの考えには納得のいくものを感じたらしく、感心したように深く頷いた。


「言われてみればそうであるな。よし、物は試しだ」


 ヘルの右手が毒々しい紫色の煙に包まれる。

 その手を適当な大きさの石に向けると、人間の生首の幻術が現れた。


「ふん。言ったはいいが、気味が悪い術だぜ」


「まだまだいくぞ。気味が悪いならお前に惚れている虫でも見ておけばよかろう」


「どっちもどっちだっての!せめて動物の身体にしてくれたっていいんだぞ!」


 その意見は無視されて、二つ、三つと地面に転がった生首が生成されていく。

 少しばかり大きな岩は、上半身や腕など、近い大きさのものとなった。これは自動的にそうなっているのではなく、ヘルが意図的に操作している。


 しかし、突如として現れた偽物の首や体にカマキリが気づいている様子はない。

 やはりその視線はトニー、そして目の前で防衛線を繰り広げているリーバイスにも意識が向けられている。魔族の兵らも初めはオロオロと戦いの行く末を見ているだけだったが、弓や投石などで微力ながら援護をし始めた。


「むっ、あっちを使うか」


 たかだか投石とはいえ、リザードマンなどが放っているものはそれなりの大きさがある。

 転がっている石や土くれではなく、今まさに巨大カマキリに向かって飛んでいくものに幻術をかけようというわけだ。


「そんな必要はねぇ。おい、てめぇら!どうせならヘルが幻術で首に変えた石を投げろ!そこにいくつも転がってるだろ!」


 トニーの命令に、まずはロサンゼルス兵が了解の意を示して動き始めた。


 数多の生首もどきに気付いていなかったのは兵たちも同じだったようで、それを投げるときには様々な反応を見せている。

 美味そうだ、勿体ないと嘆きながら投石するリザードマン。これは重い、と二人がかりで放り投げるスケルトンなどだ。


 そして、対するカマキリはというと、これにまんまと騙されてくれた。下顎のない口を大きく広げて一つの石をごくりと飲み込んだのである。


「よし!見たか、食いやがったぞ!馬鹿な野郎だ!」


「うむ、次々と食わせて身重にしてやろうではないか」


 石を大量に食ったからと言ってそれで倒せるとも思えないが、動きが鈍り、弱まってくれれば後は白兵戦で一気に押し込む。あわよくば、自立さえもままならず、地に倒れてくれれば万々歳だ。


 次から次へとヘルが幻術で人間の生首や身体を生み出し、それを兵士たちがカマキリの口へと放り込む。餌付けにしか見えない異様な光景だが、あくまでも戦いの最中だ。

 いよいよ面白くなってきたのか、調子に乗ってまだ幻術のかかっていない石や瓦礫を投げる者まで現れ始めた。当然ながらカマキリはそれは食わずに鎌で弾き返す。


「馬鹿野郎!違うものまで投げるな!弾切れになっちまったら元も子もねぇぞ!」


 弾かれた石などは粉砕されてしまうので再利用するわけにはいかない。手近に適当な大きさの石などが無くなってしまえば終いだ。

 そして、その時が訪れるのはそう遠くないことも分かっている。


「おら!手の空いてるやつはゴミ拾いでもしてこい!つぶれた家ならそこら中にあるだろ、急げ!」


 投石が終わったと思ったら次は荷運びという重労働だが、これもやはりロサンゼルス兵が率先して駆け出すと、それにつられてフィラデルフィア兵とジャクソンビル兵も動いた。


「なかなか堂に入った指示ではないか。さすがというべきか」


「茶化してねぇでお前もサボったりするなよ」


 これで、トニーが指示を出し、リーバイスが敵を防ぎ、ヘルは幻術に集中するという役割分担が出来上がった。

 しかし、リーバイスは周りの雑兵に持ち場を任せて一旦退いてきた。そろそろ体力の限界が近かったのだろう。


「見事な策だ。食べるのに気を取られたカマキリの動きが緩慢になり始めているぞ」


 その曲剣は大きく歪み、鞘に納まらなくなっている。


「へっ!てめぇこそ、自慢の剣がそんなになるまで良く持ちこたえてくれたな。じきにあのデカブツも身動き取れなくなるだろうぜ」


「それは頼もしいな。しかし、もうひと踏ん張りといったところか」


 リーバイスは曲がってしまった曲剣に向けて自らの手をかざした。

 ぼんやりと淡い光が生まれ、曲剣を包んでいく。


「あん?何やってんだ?」


「初歩的な錬金術よ。これで多少はマシになる」


 明らかに曲がっていた曲剣が元の形状にゆっくりと戻り、それを確かめるかのようにリーバイスは鞘へと納刀した。


「錬金術?ほー、修復にも使えるとは便利なもんだな」


「長らく使ってきた相棒であるからな。まだまだ頑張ってもらわねばならないのだ。では、兵どもと場所を代わってやるとするか」


 結局、生真面目なリーバイスの休憩は一分足らずであった。


……


「トニーよ、そろそろ尽きるぞ」


「だから今、アイツらに運ばせてんだろ。これ以上急かしてもどうにもならねぇぞ」


 ヘルの投げかけに、トニーはせっせと瓦礫を運んでくる兵士を指差しながら振り返った。


「いや、尽きるのは奴の食欲だ。段々と飲み込まなくなっておる」


「なに?」


 トニーが凝視していると、カマキリの顔に生首もどきが当たり、そのままドスンと地面に落ちた。確かに口元に飛んで行ったものが無視されている。

ついに満腹になってしまったということか。


「動きは鈍ったか?たらふく腹に石を詰め込んだんなら、孕んでる女みてぇなもんだ。叩きつぶせるんじゃねぇか」


「確かに頃合いかもしれん。魔術で殺せなんだのは悔しいが、あとは実力行使と行こうか。兵の指揮は任せるぞ」


「おう、大して働いてねぇのは俺だけだからな。リーバイスとお前は休んでろ」


 リーバイスは未だに先頭に立ってカマキリを阻止し続けている。当然、餌に食らいつかなくなった事には気が付いているだろう。


「おい!そろそろシフト終わりだぞ、リーバイス!」


「うん……?シフト……なんだそれは?」


 聞きなれない言葉にリーバイスが首を傾げるが、後退して自分と代われというトニーの意思は伝わったらしく、大きく後方に跳躍した。


「これで良かったのか、バレンティノ将軍」


「おう、あとは任せとけ。ちっとばかし兵を借りるぜ」


「うむ、了解した。好きに使え。ただし、無意味な消耗は御免被るぞ」


 ヘルが控えるさらに後方へとリーバイスが下がる。

 それを確認したトニーは一際大きな声を張り上げた。


「よぉし、てめぇら!ヘルとリーバイスの仕事は終わりだ!あとは力で押し込むぞ!」


 うおおっ!と勇んだ一同から雄たけびが上がる。

 そして手にした得物を振り上げて力の限りの突貫が始まった。

 だが……


 ドドドドドドッ!


 重機関銃の一斉掃射のような固い連続的な破裂音が鳴り、突っ込んでいた兵士が次々と吹き飛ばされる。指揮を執るトニーは目を疑った。


「なっ……!?どうした!」


 雄たけびは瞬時に悲鳴に変わる。

 その原因は、カマキリが口から噴射した何かだった。


「まさか、砕いた石を腹に溜めて、それを武器にしてやがるのか!?」


 リーザードマンの胴が撃ち抜かれ、スケルトン兵の骨格が粉砕されていく。音と同じく、その威力は機関銃そのもの。絶命こそせずとも、バタバタとなぎ倒されていく兵が積み上がり、悪夢のような光景だ。


 当然、物理攻撃である岩石の連射は破魔衣を身にまとったトニーやジャックにとっても致命的だ。攻勢には参加せずにずっと後ろに控えていたジャックだったが、トニーの前に立って刀を抜いた。

 自らの命に代えても主君を守ろうという気概が伝わってくるかのようだ。


「ちっ!この虫けらが!石だと分かって食い溜めてやがったのか……!?立派な脳みそじゃねぇか……!」


「トニーよ!この想定外の反撃はさすがに危ないぞ!」


「バレンティノ将軍!下がれ!」


 さっさと後退命令を出したいが、下がったところで遮蔽物は無く、完全に逃げてしまっては転移途中の民がカマキリの餌食になってしまう。

 それに、幻術で餌を作って食わせたのはトニーの発案だ。退きたくないという意地がある。

 通常の石は食わず、巨大カマキリは幻術のかかった物だけを選んでいた。こうして吐き出しはしたが、半分は騙せていた筈だ。だが、失敗した。それがトニーを苛立たせる。


 ズドンッ!ズドンッ!


 さして効果があるわけではない。それでもトニーは腰の愛銃を抜いて引き金を絞る。


「クソが!しぶとい奴め!」


「閣下、失礼いたします」


 キィン!と音を上げてジャックの日本刀が彼らに向かって飛んできた岩石をいくつか弾いた。激しい衝撃に刃が欠け、その防御で無残にも折れてしまう。

 すかさずジャックは新たにトニーから下賜されていた脇差を抜いたが、あくまでも予備だ。期待しすぎるわけにはいかない。


「やっほー。終わったけどもー?」


 背後から聞こえてきたカトレアの声。残念だが、タイムリミットだ。


「あっれぇ?まーだ、やってんのかぁ。情けないなー」


「ふむ。さすがに短時間では無理であったのだ」


 カトレアとヘルの会話を背に、トニーはギリッと奥歯をかみしめる。

 だが、岩石の掃射が止んだ今でも味方の兵に死者は一人も出ていないのだ。大健闘と言ってもいいだろう。


「んじゃ、あたしも加勢しちゃおうかなぁ。退いてもいいけど、コイツは倒しといたほうがいいよね?」


「トニーよ、次の一手を頼む。我ら四人の力で奴を葬るとしよう」


 カトレア、ヘル、リーバイスがトニーの横に並んだ。

 トニーが意地を張って怒鳴り散らす前に、ヘルが指示を仰いだ。トニーの采配に全員が従うという形ならば、面子が丸つぶれというわけでもないと考えたのだろう。


「ふん!ちっとばかし怪我しても文句言うんじゃねぇぞ!」


「で、どうしよっかー?近くに死体もないし、味方を殺すわけにもいかないしー。また、あたしがひとっ走りしてくる?」


 先ほどオーガの首を持ってきたのをもう一度やろうかという提案だ。しかし、トニーはこれを却下する。


「いや、他にも有効な手段が存在しねぇか、コイツにはモルモットになってもらう」


「モルモット……?なぁに、それ?とりあえず色々試すにしても、のんびりはしてらんないんでしょ」


「それはそうだがな」


 顎に手を当て、考えること数秒でトニーは答えを導き出した。


「そんじゃ、手っ取り早く窒息で行くか」


「窒息?」


「こいつも巨大化してるとはいえ生物だ。空気がなきゃ死ぬだろう。水に沈めて浮かんでこないようにしてやれるか?」


 皆が一様に首をひねる。

 カマキリが一撃、斬りつけてきたがこれはジャックが辛うじて打ち払った。


「んーと?水をどうやって溜めるの?」


「地面に大穴開けてそこにコイツごと落としこんじまえばいいだろう。枷や檻も忘れずにな」


「なるほど、それは良い考えだな。さすがはトニーだ」


 もしかしたら魔族にとって、呼吸に空気が必要だという常識がないのだろうかとも思ったが、単純にその手段が思いつかなかっただけらしい。


「まずはドでかいプールが必要だが、どうやって作るか」


「それなら簡単だ。すぐ近くに井戸がある。その真上の地面を破壊すれば地底湖に落とし込める」


「天然の貯水槽か。あとはそこに水を満たせばいいわけだな」


 フィラデルフィア城下は多くの人口を抱えている。街のインフラはそれなりに整っているらしい。

 ロサンゼルスは城下町を持たず、住民も周辺に散らばってしまっている。

 さすがに城の中には水や、最近引いてきた温泉などの設備が整ってはいるが、その周辺には荒れ地があるばかりだ。


「枷や檻ってのは、なぁにー?」


 カトレアの質問と同時に、カマキリからはさらなる鎌の攻撃が放たれた、今度はそれを、ジャックよりもわずかに前へと飛び出たリーバイスが防ぐ。


「おい、ジャック!てめぇは死ぬ前に下がれ!ミイラ将軍様が代わってくれるってよ!」


 カトレアの質問への返答よりも先にジャックへの命令を出す。せっかくの脇差も歪に曲がってしまっていた。


「閣下、申し訳ありません。頂いた二振りともがこのような事に」


「あぁ?さすがに今回のは仕方がねぇ。また日向で貰ってきてやるから待ってろ」


 ジャックの肩に軽く手を当てながらそう返すと、ジャックは深々と一礼する。


「ちょっと、あたしにもそのくらい優しくしてほしいんですけども!」


「充分、優しくしてるじゃねぇか。よし、兵隊ども、リーバイス、そのカマキリを井戸のそばまで誘導しろ!ヘル、どこだ?」


「こっちだ、来い」


 足元にまとわりついてくるカトレアをひょいと抱えて、トニーはヘルの後ろに続いた。

 商会の建物を大きく迂回して、ちょうど裏手に当たる位置に古びた井戸が設置されていた。滑車や屋根が備え付けてあるわけではなく、直径が三フィート程の円形に石が積まれてちょっとした囲いが作られているだけのものだった。

 そこから下を覗くとぽっかりと深い穴が開いている。底は見えない。


「ほう、ここに落とそうってか」


「トニーよ、何をしておる。陥落させるから離れておらぬか」


「あぁ、頼むぜ」


 つい気になって覗き込んでしまったが、リーバイスや兵士たちがターゲットを誘導しながらここへ向かってきているのだ。一刻の猶予もない。

 カトレアもトニーの真似をして見物していたが、ヘルの言葉で自分の仕事を思い出したようだ。「放水!」と叫びながら杖先から大量の水を勢いよく井戸へと流し始めた。

 別段、ヘルの仕事を待たずとも水は先に張ってしまって問題ない。


「ははは!消防隊員みたいで間抜けだな」


 離れた場所に腰掛けたトニーがカトレアを指差して笑う。


「むぅ!言ってる意味はよく分からないけど、馬鹿にしてるのはちゃんと分かるんだからね!」


「カトレアよ、お主も手伝ってくれるのはありがたいがもう少し離れてくれるか!その辺りの地面を落とし込むぞ!」


 その上、ヘルからも軽く注意されてしまい、トニーがゲラゲラと笑っている。手伝わされているというのに不憫だ。

 そうこうしているうちに、リーバイスらが慌ただしく駆け寄ってきた。当然、後ろには巨大カマキリがノシノシと地響きを伴った足音を響かせている。


「荒廃!」


 カトレアの放水に続き、これまた聞き慣れない魔術をヘルが唱える。死霊術、荒廃は無機物を風化させてしまう効果を持つ。地面を砂よりも荒れた、言うなれば灰のような状態へと変化させてしまう。空洞となっている地底湖の真上に当たる地面に使えばどうなるか、想像に難しくないだろう。


 地面に亀裂が入った。ミシミシと音が聞こえてきそうな感覚に襲われる。

 無音の崩落へのカウントダウンが終わり、井戸の周辺が大きく窪んだ。そして、そのまま一気に地面が落ち、大穴が生まれる。


「おい!どうせならカマキリに踏ませて落とせよ!早すぎるだろ!」


「無茶を言うな。誘導している兵まで落ちてしまうだろう」


 リーバイスや兵士たちも、大穴が出来たのは確認できたようだ。二手に分かれてそれを避けつつこちらへ逃げてくる。

 だが、それではカマキリもついてくるだけだろう。


「よし。カトレアよ、あとは任せるぞ」


「任せて!本気の放水をお見舞いするよ!」


 やはり大穴をかわすように移動してきたカマキリに対し、真横から激流を当てて落としてしまおうというわけだ。先ほどまでとは比べ物にならないほどの水量がカトレアの杖先から放たれている。

 たとえるならば、大雨の後の河川の濁流と言うべきだろうか。もちろん水が濁っているわけではないが、飲み込まれたら決して人間の力では逆らえないほどの勢いだ。

 では巨大カマキリはどうかというと、鎌を地面に突き立てて流されまいと踏ん張っている。あれほどの大きさの虫を水で足止め出来るというのが、カトレアの魔力の高さを物語っていた。


「さーて。暇な俺達は枷の方を準備するか」


 ヘルと、リーバイスに向かってトニーが言う。


「それは構わんが、何を使うのだ?」


「うむ、我にも皆目見当がつかんが」


「あー、何か良い感じの魔術はねぇのかよ?岩の檻に閉じ込めるとか、地面から茨の蔦が生えてきて手足を拘束するとかよ」


 トニーもそこは考えおらず、二人に任せるつもりだったが期待はずれだったようだ。仕方がないので、現世で溺死により対象を処理をした時のことを思い出しながら、さらに頭に考えを巡らせる。


「残念だがそんな魔術は知らんな。瓦礫を直接、括り付けるくらいしか思い浮かばぬ」


「瓦礫か……それならもう一回、あいつに腹いっぱい石を食わせるのも悪くねぇな」


 腹に石を詰めて水に落とすとは、なかなか残虐な処刑方法だ。

 だが、ヘルは首を横に振る。


「やっても良いが、また吐き出されては敵わんぞ。その前に、もう食いつかないことも考えられる」


「チッ!少しはお前らも何か考えろよ!」


「とにかく大穴に落としてしまって、上から蓋をしてはどうだ?」


 これはリーバイスだ。


「それじゃダメだな。身体の、特にあの鎌の自由を奪わねぇと土を掘り返して上ってくるぞ」


 確かに上を塞いでしまう手は悪くはないのだが、檻や枷を準備したいのはそれが理由だ。地表まで這い上がって来る可能性、または下に掘り進んで生きながらえてしまう可能性もある。


「鎌が脅威だというのであれば、枷など簡単に壊されてしまうのではないか?奴にとっては土を掘るようなものだ」


「水中なら動きも鈍るだろ。頑丈な岩や鉄なら耐えれると思うが」


「鉄か……であれば先ほど、そのスケルトンが折られた刀。もらい受けても構わないか?」


 ジャックの日本刀は地面に転がっているが、リーバイスはそれを拾った。


「錬金術ってやつか?それ一振りだけであのデカい両手に手錠でもかけれるのかよ?」


「いいや、いま少し鉄の量が足らんな。兵の武器を使ってもいいが、その後の戦闘が出来なくなる。無論、この曲剣にもまだ出番があるので使えない」


「鉄以外はどうだ?」


「まぁ、金属なら構わない。言うまでもないがそれなりの硬度があれば望ましいな」


 使える金属は無いか、またトニーは頭を巡らせる。ロサンゼルス城に多少の備蓄はある。兵器開発のためのものだ。しかしあれを使うより、いい方法はないだろうか。使い物にならないスクラップでいい。どうするか。こういった頭を使うことは今すぐにでも他の誰かに投げてしまいたいものだが、そうも言っていられない。


「ジャック」


「はっ」


 トニーはジャックにではなく上空に視線を送った。


「三分以内に天空城まで飛んで帰ってこれるか」


「はっ」


「野郎どもが撃ちまくってるんなら、空薬莢がそこら中に落ちてるはずだ。たんまり集めて持ってこい」


「仰せのままに」


 ジャックが空間転移でフィラデルフィア城に向かい、それを待つ間も大穴を隔てた攻防は続いている。カトレアが放水の水量をさらに上げる、もしくはヘルに加勢させれば落とすことはできる。だが、枷がなければ意味がないのでわざと足止めだけで膠着させている状況だ。


「空薬莢とかいうのはそんなに大量にあるのか?」


「さあな。多くても手錠型にするなら鎖部分くらいが関の山だろう。輪っかは岩で、鎖を連結させる形で出来るか?」


「それならば、一際大きな岩に鎖を繋いだ足枷の形が良いのではないか?」


 トニーの回答に、質問していたリーバイスではなくヘルが言った。


「あぁ?あの足に鉄球つきの鎖を繋ぐ古典的な奴か?」


「古典的かどうかは知らんが、岩を円形にくり抜くよりは割れる心配もなく良かろう」


 だが、ヘルの提案はもっともだ。

 大量の空薬莢と折れた刀身で巨大な手錠を作るのは難しい。やはり鎖部分だけになるだろう。問題は手かせの部分で、加工した石造りでは強度的に割れる心配がある。わざわざ円形のものを二つ拵えてカマキリの腕にはめるよりは、巨大な一枚岩を一つだけ、鎖で足に絡ませる方が良いだろう。


「ま、それでも鎖と岩の連結部分には不安が残るがな。深く食い込ませるしかねぇか」


「だがその辺りが限界ではないか?やってみる他あるまい」


「分かった、その案を採用してやる。とっととデカい岩を探すぞ。簡単にはぶっ壊れないやつをな。ジャックが戻ってきちまう」


「それなら我が城の神殿部分の支柱を一本使ってはどうだ。あれは外周こそ削ってはいるが、かなりの大きさだぞ」


 神殿部分の支柱は確かに巨大だ。太さも申し分なく、水中で勢いを殺して振るわれた鎌では破壊できないだろう。当然使われている岩も一つだけなのでつなぎ目などはない。しかし、問題はその長さだ。

 床から天井まで真っ直ぐに伸びているそれは、どう考えても大穴に落とす際に引っかかるし、縦向きでは地上まで突き抜けてしまうかもしれない。


「中の地底湖の深さと広さはどうなってるんだ?長すぎて納まらねぇなら話にならねぇぞ」


「問題ない。地底湖はこの街の五分の一近い面積を占めている。深さは計ったことなどないが、いくらあの支柱が長大とはいえ、それ以下であるとは考えられん。その大穴さえ上手く通してしまえば、あとはそのまま沈むだけよ」


「おい、そんなに面積があるのか?チビッ子のあんな水量じゃ一杯にならねぇじゃねぇか。空洞が多いと生き延びちまうぞ」


 地底湖の規模は想像以上だった。


「空洞を完全に無くして沈める気か?それは無理だ。心配せずともあのカマキリの体長よりは深いのだ」


 巨大カマキリの身長よりも、支柱の長さが勝っている。

 それが沈むくらいの深さが確保できているというヘルの言葉を信じるしかないだろう。


「チッ。支柱はどうやって運ぶ?簡単に外れるわけじゃねぇだろう」


「まあな。地表部と天面部を切断して取り出すしかないな。それは我が魔術でなんとかする。運搬もどうにかしよう。トニーとリーバイスにはこの場を預ける。カトレアにばかり活躍されては立つ瀬がなかろうて」


「うるせぇな。とっとと行って来いよ」


 ズゥ……バリバリバリ!


 ヘルには瞬間転移は使えない。通常の空間転移で消えていった。


……


 脚に枷をつけられた巨大カマキリが、徐々に大穴に引き込まれていくのを一同が緊張の面持ちで眺めている。

 既にカトレアの放水は止まっていた。その理由は括り付けられた石柱にある。


 ジャックが集めてきた空薬莢と刀で、リーバイスが作り出した鎖。そして、ヘルが持ってきた神殿部分の支柱は見事な枷になった。

 そしてカトレアの激流に暴れながら立ち向かっている隙をついて、カマキリにそれが取り付けられる。

 だが、カマキリよりも先に、水に押された枷が大穴に入っていってしまったのだ。その重量に体勢を崩し、徐々に引きずられていくカマキリ。


 鎌を地面に突き立てて最後の抵抗を見せているのだが、じわじわと引っ張られ、落下の時は迫っている。


「あーっ!た、たすけてぇー!落ちちゃうーっ!あたしが何をしたというの!?」


 カトレアがふざけて、巨大カマキリの心境を声に出して熱演している。地面でうつ伏せになり、両手で土を掻いて見せるほどの気合の入れようだ。


「おい、ガキ!時間もねぇんだから水で落としてもいいんだぞ!」


「えー?やだよ、何か面白いし最後くらい見届けてあげたいじゃん」


 ずずず、と巨体を支えていた地面が大穴の端から崩落していく。いよいよ終幕だ。


「なんでも遊びにしちまいやがって」


「ふふん、なんでも楽しんだもん勝ちだからね!」


「……こんなに必死なら、コイツが飛べないのは演技じゃねぇみたいだな。羽は動かせなかったか」


 トニーのその言葉と同時に、キシャァ!と鳴き声を上げたカマキリの姿は消え去った。


「そして今まで楽しかった出来事などの走馬灯を見ながら、私は落ちて行ったのであった……完」


「虫にそんな知恵があるかっての」


「どれほど生きていられるだろうな。さて、さすがにあの大穴に蓋までしている暇はない。我らは街の巡回に戻るぞ」


 ヘルがトニーの肩に白骨化した手を置く。

 他にもまだ、逃げ遅れている住民はいる。トニーの班も次の場所を決めねばならない。


「おう。ウチの兵隊はそのままお前らが連れていけ」


「恩に着る。ではまたな、トニー。それにカトレアよ」


「バレンティノ将軍、なかなかの策だったぞ」


「二人とも、ばいばーい」


 ヘルとリーバイス、そしてロサンゼルス、フィラデルフィア、ジャクソンビルの兵団がそれに続いた。

 この場に残ったのはトニー、カトレア、ジャック、そして商会を防御していたスケルトンの守備兵だけである。


「あん?何だ、お前ら。ヘルたちについて行かなかったのかよ」


「あ、はい。我々は別働で警らの任を得ておりますので」


 十人程度いるスケルトンの中から、一人がトニーの質問に答えた。


「だが最初は三十人くらいいたんだろ?お前らだけじゃ大して役に立つとは思えんがな。蟻如きに苦戦してやがったろ」


「お恥ずかしい限りですが、閣下の仰る通りかと」


「ならちょっと道案内してくれ。他に避難民が集まってそうな施設にな。虫の駆除と避難誘導は俺らがやる」


 道案内とはいうが、同行するわけではない。ではどうするか。

 まずは彼らを走らせ、逃げ遅れている住民がいる場所を探してもらう。それをトニー達は上空のフィラデルフィア城から観察する。合図はスケルトン達が放電の魔術をその付近に撃ち落とす事と決まった。


「なんだこりゃ」


 カトレアの瞬間転移で、フィラデルフィア城に戻ったトニーが放った第一声がこれだ。

 巨大テントウムシの死骸が城の庭を覆いつくしていた。文字通り、足の踏み場もないとはこのことである。


「うっひゃー。虫が全滅してるじゃん!」


「ジャック、どうなってやがる」


「分かりません。私が薬莢を集めに戻った時にはまだ交戦中でありましたが……」


 見たところ、上空にはもはや敵影はほとんど残っていない。この状況からして味方が制圧したのだろうが、防衛を担当していたアルフレッドや組員らはどうしたのか。

 すぐに神殿の最奥部に向かうと、大の字に倒れて肩で息をしている組員たち。片膝を地につけているアルフレッド。

 そして、城主のヘルが普段であれば使っているのであろう、骸骨で組まれた玉座に腰掛ける深紅の大悪魔の姿があった。


「アデル……来てやがったのか」


 玉座に座る大魔王アデルは頬杖をついたままトニーに視線を送った。


「野郎どもは……?まぁ、生きてるか」


「あっ、親父!」


「親父!おかえりなさい!」


 組員たちは敵に倒されていたわけではなく、寝そべっていただけのようだ。トニーに気付くと皆が身体を起こして歩み寄ってきた。大魔王の到着によって敵をせん滅できたことで、ようやく休憩にありつけたといったところか。


「こらこら、みなさん!陛下の前ですよ!」


 唯一、跪いているアルフレッドが注意するが、組員にとっては大魔王への忠誠心など微塵もない。構わずトニーの周りに群がって騒ぐばかりだ。

 だが、トニーは組員らに軽く労いの言葉をかけると、カトレアとジャックを伴って玉座の前へと足を進めた。


「貴様の兵隊共は賑やかだな。主人に似たか」


「ふん、うらやましいだろ?それよりも、他人の玉座で得意げにふんぞり返ってる暇があったら、城下の手伝いに行くべきじゃねぇのか」


 大魔王と軽口を交わす。アデルの声色はいつもどおり、背筋が凍るようなおぞましい響きだが、どこか楽しんでいる気配がした。

 アルフレッドは畏れ多いといった様子で頭を下げるばかりだ。カトレアとジャックは組員らの近くで玉座に向かって跪いている。


「やれやれ、フィラデルフィアについて五分と経たぬというのに……状況は芳しくないようだな」


「あぁ、城よりよっぽど街の方がひどいぜ。他の六魔将は?」


「フレイムスが来ている。他は分からん」


 シカゴ城主の竜人、フレイムス。大魔王とも負けずとも劣らない巨体と翼を持つ怪物だ。アデルが余裕なのも、代わりにフレイムスを城下へ送り込んだからだろう。


「ほー、あのドラゴンか。強いんだろうな?」


「さてな。貴様と同じ役職者だ。そのくらいは働いてくれるのではないか」


「はっ!言いやがる!俺はまだ仕事が残ってるから行くぜ。あんまりサボってんなよ、社長さんよ」


 トニーが踵を返す。

 もちろん大魔王に向けて放った言葉だったのだが、これを聞いた組員たちがダラダラと休んでいられるはずがない。すぐに弾倉を交換して配置に戻っていった。対空射撃は終結したので、地上に向けての援護をしてくれるはずだ。


「あっ、陛下、それではごきげんよう」


 カトレアがトニーの横に並ぶ。


「ちょっとあなた、待ってよぉ。あたしも陛下とお話したかったのにー。超頑張ったんだよーって」


「そろそろ下のスケルトン共が放電を飛ばしてるかもしれねぇ。それを確認する」


 カトレアの訴えは一切無視してトニーは天空城の端から地上を確認した。まだ、スケルトン兵からの放電の合図は見えない。


「ねぇってばぁ」


「うるせぇ、そんなに話したいなら行ってこい。まだアイツらからの合図は見えねぇからな」


「お!ラッキー。んじゃ、下りるときはその護衛君を寄越してよね。どうせ、あたしの瞬間転移がいるんでしょ?」


 ててて、と小走りでカトレアが神殿内に戻っていく。前々から大魔王アデルにカトレアがよく懐いている節はあった。アデルはお転婆なカトレアを愛娘の一人に感じているのかもしれない。無論、本当の娘や息子もいるのだが、彼らよりずっとカトレアは幼いので末娘のような感覚だろう。


「ジャック、聞いたな」


「はっ、ではこちらに控えておきます」


 トニーは短く息を吐いて、胸ポケットからクシャクシャになった紙巻きタバコを取り出した。浮遊しているフィラデルフィア城の地面の端から足を投げ出す。

 飛行機やヘリコプターのハッチから降下指示を待つような空挺部隊の兵士でもなければ、身がすくんでしまいそうな高さだ。トニーの足元にはそんな景色が広がっている。

 誰かに背中を押されたら落下してしまうが、ジャックが背後に控えているのでそう簡単にはいくまい。

 ジャック自身も、トニーがこうして自分に対して無防備な姿をさらすことは信頼の表れだと感じている。


「おっ、ありゃぁヘルか?派手にやってやがる」


「はっ、そのようです」


 待っている放電の魔術ではなく、なにやら黒い靄のような死霊術が展開されているのが見えた。また巨大カマキリに出くわして、苦戦を強いられていなければ良いのだが。


 次にトニーは先ほど巨大カマキリを落とした大穴の方を見た。もしあれが生きていたらと思うとゾッとするが、今のところ特に動きはない。既に溺死した、或いは水中でもがいている最中だとみて間違いなさそうだ。

 ヘルがいたと思われる場所に視線を戻すと、もう死霊術は展開されていなかった。その場の敵を倒し、どこかへ移動したのだろう。


 五分ほど、そこでぼんやりしていただろうか。視界の端に細い光の筋が走った。放電の魔術だ。さらにもう一度、同じ場所が光る。地上部隊からの合図だと見て間違いない。


「ジャック」


「かしこまりました」


 名を呼ばれただけで主人の意向を理解し、スーツ姿のスケルトンが足早にフィラデルフィア城の神殿へと駆けていく。


「なぁにぃ、あたしと一瞬たりとも離れたくないわけかぁ」


 ジャックが戻って来るよりも先に、気づけばカトレアがトニーの膝の上に向かい合って座っている。ジャックの報告を受けると同時に瞬間転移を唱えたのだろう。


「見えたぞ、あれだ」


 さらにもう一発、同じ場所に放電の光が走った。トニーが確認できたかどうか分からないので、何度も放っているのだと思われる。


「了解―」


 グッとカトレアがトニーの身体を引っ張った。当然、地面のふちに座っていた二人はそのまま大空へと投げ出される。


「なっ……!?お前、何してんだ、うおぉぉっ!!」


「我々は鳥になったのだーっ!」


 カトレアの悪ふざけで思いがけず、抱き合いながらスカイダイビングをすることになってしまった。落下時の風に煽られて、トニーの頭の上のボルサリーノのハットがどこかへ飛んでいく。


「このガキ!ふざけやがって!」


「あははははははっは!」


 指をさしてケラケラと笑うカトレア。


「閣下、風で変な髪形になってるー」


 トニーは短髪なので大して乱れていないはずだ。むしろカトレアのブロンドのロングヘアは乱れに乱れて大惨事である。


「お前もだ!それに俺のハットが飛んだじゃねぇか!あとで探して来いよ、お前!」


「えー、めんどくさいなぁ」


「ふざけんな!あと、そろそろ浮遊なり転移しねぇと叩きつけられるぞ!」


 地面がみるみる近づいてくる。カトレアは指揮棒のような小さな杖を取り出した。


「あっ」


 そして、風でそれを取り落としてしまう。ハットと同じように、どこかへ流されていく。


「は?」


「ご、ごご、ごめん……杖、飛んでっちゃったんですけど……」


「なにしてんだ、てめぇはっ!」


 だが、触媒はあくまでも魔力の増幅に使用するものであり、カトレアほどの魔女であれば不要なはずだ。

 それにトニーのドクロ杖もある。ヒヤリとさせられたのは事実だが、トニーは自分の杖を引き抜いてカトレアに渡した。


「どどどどうしよう!」


「慌てすぎだ、ガキ!これを貸してやる!さっさとどうにかしろ!」


「おぉっ!天才じゃん、閣下!」


 カトレアには不釣り合いな大型の杖だ。トニーがカトレアを掴んでいるので、彼女はそれを両手で受け取り、なぜか二人の股下へ水平に入れた。


「あん?」


「我々は、今度こそ鳥になったのだ!飛翔っ!」


「……!!」


 ぐっ、と体重が股間に突き刺さる。ほうきに跨る魔女のように、杖を空飛ぶ乗り物として魔術を利用したのである。

 そして……男であるトニーだけは声にならない声を上げた。


 ふわりふわりと、二人を乗せた魔女のほうきが緩やかに地面に到達した。

 脚の長いトニーが先に地面を踏んだが、そのまま膝から崩れ落ちて苦痛の表情だ。

 カトレアは一度、ほうき代わりのトニーの杖を踏み、軽やかにジャンプして着地する。


「ほい、杖返すよ。ありがとねー」


「俺のハットを……探してこい……」


 杖は受け取らない。いや、痛すぎて受け取る余裕がない。


「え、どしたの?超苦しそうなんですけど」


 膝立ちのまま両手すら地面につき、冷や汗を流しながら顔を下に向けるが、カトレアはさらに下から覗き込んでくる。


「いいから……探してこい……俺のボルサリーノを……」


「えー?なにー?変なのー。じゃあこれもう少し借りとくね」


 カトレアは再度、ほうきのようにトニーの杖に跨ると、ロケットの如く爆発的な加速で発進した。

 その姿が消えたのを確認したのち、トニーは股間を抑えて地面に転がる。すぐにでも悶絶したかったところをよく耐えたと自分をほめてやりたいところだ。


「クソが……俺はコメディアンじゃねぇんだぞ……あのガキめ……」


 ズゥ……


 トニーの真横にある空間が歪む。少し遅れたが、ジャックがフィラデルフィア城から空間転移を使ったのだろう。


 バリバリバリ!


 亀裂が一気に広がり、予想通りそこにはスーツ姿のスケルトンが佇んでいた。


「か、閣下!いかがされたのですか!まさかお怪我を!」


 うつ伏せに倒れているトニーへ駆け寄るジャック。ボディガードである自身がいない間に主人が怪我を負うなど、悔やんでも悔やみきれないほどの恥だ。ここまで慌てた様子のジャックも珍しい。


「いや、なんでもねぇ……ちと疲れてるだけだ……じきにあのガキが返ってくる。それまで休憩するぞ」


 まさか股間を強打したとも言えず、二度目の強がりを見せながらトニーはうつ伏せから腹ばいになった。


「しかし、閣下……その、ここではお召し物に土がついてしまいます」


「あー……たまにはいいんだよ。たまには……」


「かしこまりました。もし要りようでしたら、いつでも私が着ているスーツをお使いください。もちろんのこと、お嫌でなければですが」


「馬鹿言うんじゃねぇよ……てめぇのそんなヒョロヒョロの身体とじゃサイズが合わねぇだろうが」


 ジャックのスーツは最も細身のサイズで購入したものだ。骨身と、トニーのがっしりとした筋肉質な体系では全く違う。


「……そろそろ大丈夫か」


 延々と続いていた痛みも引いてきた。飛翔などという魔術は二度と御免だ。


「……」


 ジャックが油断なく、立ち上がったトニーの身体を観察している。骸骨の顔には表情などないのだが、この頃は彼の無表情の中に表情が見いだせるようになってきたのは不思議なものだ。ヘルやリーバイスに対しても同じことが言える。

 近くで放電の魔術による落雷が響いた。二人の視線が同じ方を向く。痛みのせいですっかり忘れていたが、カトレアにはボルサリーノよりも先にこちらを頼むべきだったか。


「ガキはもういい。そのうち合流出来るだろう。それよりあそこに向かうぞ」


「承知いたしました」


 崩壊した瓦礫や、建ち並ぶ家屋のせいで測りづらいが、距離で言えば走って三分といったところか。

 ジャックに空間転移を連発させるよりは、自らの足を使うことをトニーは選んだ。


……


「バレンティノ将軍!」


「将軍!来ていただけましたか!」


 スケルトン兵たちが、現れたトニーの姿を認めて安堵した。

 その近くには小さな教会と、スケルトン兵がやったのか、巨大蟻の死体が二つある。兵士側に被害者は出ていないようだ。


「中に住民がいるのか?」


「はい!全部で十二名おります」


「この虫は?もしかして、放電のせいで寄ってきちまったのか?もしそうなら悪手だったな。すまん」


 トニーが謝罪すると、数人のスケルトンが一礼した。


「いいえ、一体は確かに途中で来たのですが、もう一体は我々がここに来た時には既に教会の扉を壊そうとしておりました」


「そうか。今はウチのガキンチョが出払ってる。帰ってくるまで、蟻くらいなら俺が防いでやる。だがカマキリはダメだ。出てきたら撤退するぞ」


 蟻ならトニーの愛銃や魔術でも撃退可能だ。スケルトン兵らもそれは承知している。


「ただ待ってるだけでも時間が勿体ねぇ。とりあえず俺が守ってる間に、中の住民は普通の空間転移でフィラデルフィア城に送っとけ。ヘルもキレやしねぇだろ」


 カトレアが瞬間転移で住民を移動させた場所はトニーには分からない。現在、既に天空に浮かぶフィラデルフィア城は安全だ。何百人ともなれば考え物だが、多少の住民くらい送ってもいいだろう。何か、ヘルが一般市民は城に入れない決まりを作っていなければ、だが。


「確かにそうですね。ではそのように致しますので、お力添えの程、宜しくお願いいたします」


「おう」


 その直後だった。

 ズシン、ズシンと重たい足音が聞こえてきたのだ。これは嫌な予感しかしない。


「グルゥ……アゥ!」


 現れた巨体が放つ咆哮。

 教会の中に入ろうとする足を止めたスケルトン達がビクリと反応する。


 緑色の鱗に覆われた巨躯。長く鋭い牙と角、咆哮と同時に口から漏れ出る微かな炎、背中に生える両翼。六魔将に名を連ねる竜人、フレイムスだ。


「なんだよ、てめぇか。でけぇカマキリかと思ったぜ」


「バレンティノ、いたのか。虫、見たか」


 たどたどしい言葉は相変わらず。しかしやはり、目の前まで来ると中々の迫力だ。フレイムスはアルフレッドが騎乗していた飛竜ジルコニアなどより一回り大きい。


「そこら中にいるだろ。あと、近ぇよ。見上げてると首が痛くなる。ちと離れろ、オオトカゲ」


「むぅ、すまん」


 足音を鳴らしてフレイムスが二歩下がる。


「あん?おい、オオトカゲ。てめぇ、後ろに虫引き連れてるじゃねぇか。何のつもりだ?」


 フレイムスの巨体の陰に隠れて、五体の巨大蟻たちが行進してきた。別にフレイムスが連れてきたのではないだろうが、彼の足音と大きな体がそれを引き寄せたことは否定できない。


「ぬぅっ!?違う、連れてきてない!」


「ま、ちょうどいい。お前、あれ殺ってみろよ。チョロいもんだろ?」


 トニーはフレイムスの力のほどを知りたいと思っていた。五体いるからといって巨大蟻ごときに遅れは取らないだろうが、これは好都合だ。


「わかった。仕方ない」


 フレイムスが振り返り、両翼を大きく広げて戦闘態勢に入る。

 巨大蟻はそれに臆する事もなく本能に従ってひたすら突進してきている。


「グォォォォゥ!!」


 咆哮と同時に、フレイムスの口から火炎放射器にも勝る勢いで灼熱地獄が生み出される。真っ赤な炎は乾いた地面を焼き尽くしながら巨大蟻たちを包み込んだ。


「ほー。やっぱりお前の武器はそれなんだな。ゴジラも顔負けの攻撃じゃねぇか」


 喋るたびにフレイムスの口から火がちらちらと漏れるのは周知の事実だ。それではなく、鋭い爪や牙を使うかとも思ったが、やはりメインは火炎を吐くという攻撃方法らしい。


「ガァァァァウ!!」


 炎が消え、フレイムスは天空に向かって雄たけびを上げた。

 巨大蟻だったのだろうか。そこには黒ずみになった何かが転がっているだけだ。燃えたというより、あまりの高温に溶けたと表現する方が正しい。


「ははは!幕引きもダイナミックだ。気に入ったぜ」


 見かけ倒しではなく、さすがに頼りになる。その後も数匹の巨大蟻がやってきたが、スケルトン兵たちが建物内の住民を退避させるまで、フレイムスは単独で十分な時間稼ぎをしてくれた。


「その火は魔術とは違うのか?」


「違う。息、そのものだ」


 となると破魔衣では防げない確率が高い。敵対する予定はないが、もしもの時は注意が必要だろう。


「次、移動、する」


「一緒に来るか?」


「任せる」


 ボルサリーノを探しに出たカトレアはまだ帰ってこない。自身の杖もついでに探しているとしたら、時間がかかるとみておいた方が良い。

 一度、フィラデルフィア城に戻っても良いが、フレイムスと街をうろつくことにした。これは、ドラゴンを引き連れて戦えるなら面白い、というトニーの単純な好奇心だ。


……


 敵である巨大蟻が現れる度、フレイムスの火炎放射で蹴散らしながら進む。

 それを見ているトニーも楽しげだが、百人力を手に入れたに等しいスケルトン兵たちは今まで以上に精力的に生存者を探して回った。

 それもそのはず。町の中の家屋を恐る恐る調べていく必要が無くなったので、大声で生きている者がいれば名乗り出るようにとふれて回る事が可能となったからだ。


「おーい!誰かいれば返事をしろ!」


「こっちは全滅だ!他の家を見てくれ!」


 兵たちの間でそんな声が飛び交う。

 しかし、今思えば通常の空間転移は簡単な術だったはず。住民らは自ら転移術を唱えてどこかへ逃げようとは思わないのだろうか。

 トニーはそう考えたが、住民らもどこへ逃げるべきか分からずに固まっているのだろう。危険なのはフィラデルフィア周辺だけであるという情報も持っていないはず。

 それに、そういった機転の利く者らはおそらく既に自主避難していて、街に残っているのはそうではない者だと仮定できる。


「キシャァァァァッ!!」


 轟く咆哮。これは無論、地鳴りのような低音のフレイムスのそれとは異なる甲高い音だ。

 難敵の登場である。


「おっと、出やがったな。まだ生き残りはいると見て良さそうだ」


「何だ、これは。大きい、虫。殺す」


 フレイムスは初見だったようだ。巨大カマキリはフレイムスよりもさらに大きい。大して高い建物もないこの街で、どうやって身を伏せていたのか不思議なくらいだ。

 地底湖に落とした個体とは別物だと信じたいが、後ほど確認に向かった方がいいだろう。


「グオォォッ!」


 まずは先制攻撃として、フレイムスの火炎放射が巨大カマキリに襲い掛かった。身体全体を包むことは叶わなったが、その上半身を灼熱の渦に閉じ込めることになった。


「やったか!」


「さすがフレイムス将軍!お見事です!」


 スケルトン兵たちが沸き立つ。だが、トニーは彼らに向けて怒鳴った。


「馬鹿か、てめぇら!さっきも戦っただろうが!このくらいで潰れるタマじゃねぇんだよ、このデカブツはなぁ!」


 そして、その忠告通り、フレイムスの火炎が途切れると同時にゆらりと巨体がその姿を現す。見たところ、ほとんど無傷といっても差し支えない。恐るべき防御性能を誇る外郭だ。


「来る」


 フレイムスも警戒の色を滲ませて短く警告した。トニーは後ろへと数歩下がる。


「キシャァッ!」


 反撃だと言わんばかりに、カマキリの鎌が横なぎに払われた。

 フレイムスはガバと大口を開け、鋭い牙でそれを噛み止める。


「は!大怪獣バトルだな!」


 まさに、巨大生物同士が衝突するさまはスクリーンから飛び出してきた映画のようだ。だが、目の前で起こっているそれは現実であり、いつまでも特等席で眺めていては危険を伴う。決してポップコーン片手に笑っていていい状況ではない。


「閣下!」


「おう」


 いつもの調子で「お下がりください」という言葉が続く前に、トニーは大きく後退した。

 さらにもう一本の鎌がフレイムスに振られる。噛みついている牙は使えない。爪で止めようとしたが、残念ながらそれよりも先にカマキリの鎌がフレイムスの頭部に直撃した。


「なっ!おい、大丈夫か!」


 まさか頭で受けるとは。だが、フレイムスは何も失敗したわけではなかった。わずかに傾げた首。その頭部にある角で受け止めていたのである。


「心配、ない。必ず、倒す。お前は、下がれ」


 さらに言葉はたどたどしくなって聞き取りづらいが、敵に噛みついた状態でも話せるらしい。


「ふん、心配してやって損したぜ。だったら存分にやれ!」


 闘争本能に火がついたのか、手出し無用などと言うフレイムスは意地になっているように感じる。確かに、自分よりも巨大な敵と戦う経験など滅多にないはずだ。少々興奮したところでそれも仕方がない。


「グルゥォォォォッ!」


 まずは気合の入った唸り声と、頭を大きく振って鎌を弾き飛ばした。そして、あえて噛みついていた口も放し、カマキリの体勢を大きく崩す。

 さらにそこへ、翼と脚を使った加速による強烈なタックルをお見舞いした。


 ズゥン、とカマキリが地面に横向きに倒れる。


「マジかよ」


 これにはさすがのトニーも舌を巻いた。己の力だけで巨大カマキリを転倒させたのだ。ヒヤリとさせられもしたが、これでフレイムスは優位に立った。


「ガァァッ!」


 追撃の火炎放射。カマキリが横倒しになっていることが幸いし、今度はその全身をすっぽりと灼熱が覆う。

 だが……


 ブンッ!


 炎の中から鎌が飛んできた。フレイムスの鼻先ギリギリのところを通過する。よく見えていなかったおかげだろう。カマキリは炎の中で防御するわけでも、立ち上がって体勢を立て直すでもなく、真っ先に反撃をすることを選んだのだ。

 つまりそれは、この火炎が奴にとって何らダメージを与えていないことを意味する。


「小癪」


 火を吐くことをやめるフレイムス。その声は悔し気だ。


「ふん、あの必殺技が効かねぇんじゃ俺達に勝ち目はねぇな」


「閣下、カトレア様がいらっしゃいました」


「あ?」


 ジャックに言われ、トニーが振り返る。

 トニーが貸し出した杖に跨ったカトレアが手を振りながら飛行していた。魔女帽子の上、とんがり部分にトニーのボルサリーノを被っている。被っているというよりは引っかけているといったところか。どうして風で落ちないのかは良くわからないが、探し出したのであれば許すとしよう。


「あーなーたー。見つけたぞー」


「おう」


 ストン、と隣に着地したカトレアの頭上から、トニーはボルサリーノをヒョイとつまみ上げた。そして自分の頭に乗せる。


「なんだよ、もっと褒めてもいいじゃん。ついでにあたしの杖も見つけてきたぞ!」


「お前のせいでコイツは飛んでったんだぞ。褒めるわけねぇだろうが」


 軽く小突くが、カトレアはひらりと身を躱して舌を出した。


「チッ。なに避けてんだ、お前」


「ふーんだ。そんなことより、フレイムス将軍がピンチじゃん。またあのおっきい奴出てきてるしー。めんどくさいなぁ」


 トニーが言う大怪獣バトルは継続中だ。

 しかし、カマキリの攻撃の一発一発がフレイムスの命を脅かしているのに対し、フレイムスの攻撃はどれも効いていない。このまま戦い続けても、フレイムスが勝つことはないと言える。


「あぁ。またコイツで足止めだ。いったい何匹いやがるのか。お前、どうにかしろよ」


「ふふん。やってもいいけど、誰が食べられて起爆の犠牲になってくれるのかね?」


 カマキリが振り払いではなく、鎌を突き出す攻撃を放った。

 新しいパターンの攻撃に対応できず、フレイムスが翼の一部を貫かれる。


「グルゥァァアァァァァァァァァッ!」


 痛みから出た声か、怒りから出た声か、一層大きな咆哮を上げるフレイムス。

 自らの翼を貫いた鎌の根本、カマキリの腕を掴み右へと振って奴を転ばせる。当然、その反動で翼の傷口は大きく横へと裂けた。

 カマキリが腹を見せて暴れる間に鎌を引き抜き、再びの火炎放射攻撃。柔らかそうな腹ならばあるいは……と皆も思ったが、これも効いた気配はなくカマキリは立ち上がって両腕をもたげた。分かりやすい威嚇のポーズだ。それは自然界にいる普通のカマキリと変わりない。


 ドォンッ!


 突然、砲撃にも似た轟音。立ち昇る土煙。


 巨大な矢がカマキリの頭に直撃していた。射角はほぼ真上から。間違いない。フィラデルフィア城にいるアルフレッドからの援護射撃だ。

 少しでも手元が狂えばフレイムスに当たる一射。フレイムスどころかトニーやカトレアに流れてもおかしくはない。アルフレッドの精密射撃の腕が窺える。


 槍ほどもある巨大な矢は、カマキリの脳天から顎を貫き、その頭を地面に縫いとめた。両腕を投げ出したままお辞儀をしたようなその恰好は、さながら礼拝するイスラム教徒に見えた。

 どんな刃物でも傷がつかなかったのに、彼の矢は貫いた。一点集中の威力かもしれないが、その威力は他の将軍たちの攻撃力にも勝るという事か。


「アルフレッド、余計。手出し、するな」


 フレイムスが悪態をついて上空を見上げる。


「ギシャァァァッ!」


 巨大カマキリが奇声を発して立ち上がった。刺さっていた矢はずるりと貫通し、地面につき立ったままだ。信じられない、とスケルトン達が怯む。

 生物本来であれば弱点であるはずの脳天を貫き、顔に風穴が空いても死なないとは厄介この上ない。


 ガァンッ!


 さらなる追撃の一射。アルフレッドにフレイムスの声が届いているはずも無いので、それが飛んでくるのは当然のことだ。

 だが、カマキリも上空に注意を払っていたようで、これは大鎌で弾き飛ばした。金属のような音がしたので、矢は鋼鉄製なのかとトニーは思ったが、それは誤りだ。

 地面に突き刺さっていた第一射と、弾かれた第二射、そのどちらの矢も、ほのかな光に包まれて消失していった。鋼鉄製や木製の矢も使うことはあるだろう。だが今回使用しているアルフレッドの矢は、魔法で作り出したものだとわかる。

 一射目は耐久時間が切れて消失、二射目は横から鎌で破壊されて消失、といったところだろう。


 巨大カマキリにも知能の高さに個体差があるとみて間違いない。フレイムスと対峙している個体は明らかに戦闘の中で学習している。薙ぎ払いばかりだった攻撃を突きに変え、対空攻撃で矢を防いだ。

 巨大蟻たちは突っ込んでくるばかりの個体しか見たことが無く、他のカマキリやテントウムシにしてもここまで賢いものはいなかった。トニーから見ても、これはかなり優秀な虫だと言える。


「アルフレッド、邪魔だ!」


 カマキリの外郭を貫くのであれば、フレイムスの身体の鱗も貫通するはずだ。アルフレッドの腕は神業だが、それでも誤射を恐れてフレイムスは下手に近寄れない。フレイムスの足元から、大地を震わす地団駄が起こる。

 そして、間髪入れずに三射目も飛んできた。


 ドォンッ!


 その三射目の矢は、カマキリの最後部、尻の辺りを貫いた。アルフレッドが打った次の手は、鎌で防がれるのを回避するために腕の可動範囲外を狙うというものだったのだ。


「キシャァァァッ!」


 尻を貫通こそしなかったが、肉の半ばまで大矢が食い込んでいる。そして、それを抜こうにもカマキリは手が届かない。ブンブンと後ろに向けて左右の鎌を振るってはいるが、どれも空を切るばかりだ。


 ドォンッ!


 四射目。すっかり後ろに気を取られていたカマキリは防御も回避もできないまま、頭に直撃を受ける。これもまた貫けなかったが、頬の辺りを深くえぐった。頭の天辺を狙ったのだろうが、標的が暴れている状態で照準が若干逸れたのは言うまでもない。


「グォォォォッ!アルフレッド!」


 このままではトドメをさされてしまうと思ったのか、フレイムスはより一層の抗議を叫んだ。しかし援護射撃を止めれるはずもなく、五射目がカマキリの身体目がけて到達する。


「キシャァッ!」


 再度、尻に命中。いよいよ生命の危機を悟ったカマキリが一歩後退する。


「おい、アルフレッドの奴がこんな簡単に押せるんなら、俺達が今まで散々苦労してきたのは何だったのかって思っちまうな」


「ううん、それは違うと思うよぉ」


 トニーが同意を求めたが、カトレアは否定した。


「何が違う?」


「あの虫、フレイムス閣下と戦いながら結構な割合で矢を弾いてるじゃん?もし一対一だとしたら、ほとんど防がれちゃって当てれないと思う」


 つまり、カマキリがフレイムスに警戒しながら戦っているおかげで、アルフレッドの攻撃が効果的なダメージを与えていられるというわけか。見当はずれも多いカトレアにしては悪くない解析だ。


「奴は遠距離戦専門だからな。もしこの距離で一対一なら自慢の飛竜で迷わず逃げるだろうぜ」


「もし遠くから狙い撃ってもだってば。何もなければ飛んでくる矢に集中するだろうから、全部打ち払われるか、避けられちゃうよ」


「腕が届かなくてもか?」


「届くなら弾いて、それが無理だと思ったら避けるでしょ。射程外に逃げるか、距離を詰めるかもね」


 そこまで賢いか?と返そうとしたが、この個体は特別だ。頷かざるをえない。


「アルフレッドの野郎は大概が飛竜で高所にいる。虫の攻撃は届かねぇが、奴の攻撃も当たらねえとなれば、勝負は引き分けだな」


「うん、そういうこと」


 このままフレイムスがカマキリをけん制し、アルフレッドが射撃を続ければ敵を倒せるだろう。それを良しとしない者がいた。フレイムスだ。


「我慢、ならんぞ!」


 ついにしびれを切らしたフレイムスがカマキリに突進を敢行した。

 だが……


「フレイムス」


 腹に響くおぞましい声。今の今までこの場にいなかった人物の声だ。

 フレイムスの動きはピタリと止まった。


 大魔王アデル。その人の声である。


 しかし、その姿はどこにも見えない。周りをよく観察すると、一体のスケルトン兵が操り人形のようにぎこちなく話しているのが分かった。使い魔とはまた違う、憑依のようなものだろうか。大魔王にはこういった芸当も出来るわけだ。


「アルフレッドと協力せよ。今は意地を張っている場合ではなかろう」


「グルルル……」


 当然ながら、大魔王に逆らうことなど許されない。

 目の前の敵を倒すにはそれが最も良い選択であることは明らかで、フレイムス自身もそれは承知している事だろう。


「分かった……陛下に、従う。何を、すればいい?」


「矢が届く直前に、お前の炎で敵の視界を奪う、というのはどうだ?アルフレッドの狙撃が必中の状態であれば、すぐに決着がつくであろう」


「分かった。そうする」


「ではこの場は任せる。余も別の場所へ出るのでな」


 いよいよ直々にご出陣というわけだ。ある程度のフレイムスの力は見た。次にトニーは大魔王の戦いを見るためにどうしてもそちらへ向かいたいが、既に操られていたスケルトンは沈黙していた。居場所は聞き出せそうにない。


「ここはもう大丈夫だろう。俺らは移動するぞ」


「はっ」


「え、どこ行くの?」


 ジャックは返事だけを、カトレアは質問を飛ばしてきた。

 他のスケルトン兵たちはフレイムスの護衛代わりに、このまま付けておけばいいだろう。


「うちの大将のところだ。当然、ケンカは強いんだよな?」


「陛下の事?そりゃ強いでしょー。あんまり知らないけど」


 実力至上主義の魔族を束ねている存在なのだから、最強であることに疑いはない。だが、王ともなれば戦場に立つ機会はめっきり減ってしまう。

 今回は数少ないチャンスだ。


「知らねぇなら、お前にとっても良い物見遊山になるだろう」


「おっけー。転移したいけど、どこにいるのかな?」


「転移は必要ねぇ。何か、杖みたいに浮かせれるものはないか?三人乗りだったら、空飛ぶ絨毯でも欲しいところだな」


 ほうき紛いの代物に跨るのは絶対に避けなければならない。それでなくとも三人が並んで杖に座るスペースなど皆無だ。


「飛び回りながら、空から探すってわけね。でも何で絨毯?」


「魔法で空飛ぶ乗り物っつったら絨毯だろうが。空飛ぶ絨毯だよ、知らねぇのか」


 トニーの頭の中にはアラビアの空を飛び回る不思議な絨毯があるが、カトレアにそれが伝わることは無い。


「ふーん。それがいいって言うならそうするけど」


 パッ、とカトレアの姿が消えた。そして三秒ほどで戻ってくる。

 瞬間転移でどこかへ行き来したらしい。その小さな手には真っ赤な絨毯がある。


「これでいいかな?ロサンゼルス城のあたしの部屋に敷いてあったやつだけど」


「悪くねぇ。そいつを、人が乗って飛べるようにしろ」


「うい!ちょっと待ってね」


 カトレア愛用の小さな杖が紫色に光る。飛翔の魔術を唱えるだけではないらしい。

 地面に広げた絨毯は、十人ほど乗っても問題ないほどのサイズだ。それに向けて、カトレアは杖を振った。それを数度繰り返す。


「何をしてる?」


「固くしてんの。そのまま飛翔しても、あたしらだけ落ちちゃうよ?」


 ほうきのように跨っていた杖はもともと硬度があるので単純に飛ばすだけで良かったが、絨毯は違う。ひらひらとそれを飛ばすことは出来ても、絨毯は絨毯なのだ。柳のようにしなって、上に乗せた重量物だけは落ちてしまう。

 そこでカトレアは絨毯を硬化させることにした。もちろんカチカチにすると、板が浮いているような感じになってしまうので、トニーのイメージとは若干違うがこればかりはどうしようもない。


「あー、そうなっちまうのか。なら最初から板でもよかったな。おい、ジャック」


「はっ」


「何か、ケツの下に敷く物を探して来い。毛布でも何でもいい。ガチガチのフローリングにそのまま腰掛けれるはずがねぇ」


「かしこまりました。近くの廃屋を見て参ります」


 彼らの背景ではフレイムスとカマキリの死闘は継続しているのだが、かたやトニー達は敷物を探して優雅に空を散策しようとしているのだから滑稽だ。


「おー。閣下、気が利くねぇ」


「残念だったな。俺の分だけだぞ」


 もちろんそんなことは言っていない。単なる意地悪だ。


「いやいやいや!あのスケルトン君は絶対二枚持ってきてくれるし!」


「なら二枚とも俺が尻に敷く」


 だがカトレアは悔しがるでもなく、にんまりと笑った。


「へへーんだ!そう言うのはお見通しだったのだ!これであたしの席は閣下の膝の上に決定いたしましたからね!ざまーみろ!」


 ジャックの帰りを少しだけ待ち、離陸準備が整った空飛ぶ絨毯に三人が乗り込んだ。そこでようやく他のスケルトン兵らも気づき、カトレアの魔術に驚愕していた。観戦に夢中になっていたのだから無理もあるまい。


「おい、よかったな。ジャックが持ってきてくれた毛布がこんなに大きくてよ」


「むぅ……」


 広々とした毛布は、空飛ぶ絨毯の全体に敷けるほどのものだった。どこから拾ってきたのか、オーガなど、大型の魔物が使っていたものに違いない。トニー、カトレア、ジャックの三人が座る事など何の問題にもならなかったのだ。

 そのせいでカトレアはトニーの膝の上という特等席に座ることは却下されて叶わず、不機嫌でいる。


「見ろ、ついに倒しやがったか。アルフレッド様様だぜ」


 轟音、砂煙と共に倒れる巨大カマキリ。さながら陥落した巨大要塞だ。


「ほんとだ。結構時間かかったねぇ」


 トドメとばかりにさらに数発の大矢が飛来してくる。トニーが上を見上げると、小さな小さな人影がフィラデルフィア城の庭の縁に立っているのが見えた。アルフレッドなのかどうかなど分かるはずも無いが、きっとあれがそうなのだろう。


「おい、あれが見えるか?天空城に誰かいる」


「え?アルフレッド閣下?手ぇ振ってる。おーい、おーい」


 カトレアが小さな手を振り返した。


「なるほどな。このくらいの距離ならお前にも見えるわけか。アイツはさらに見えるんだろうな」


 カトレアにはハッキリとアルフレッドが視認できている。では遠距離戦特化のアルフレッドの視力の限界は一体どうなっているのか、気が遠くなるばかりだ。


 視線を上空から地上に戻す。カトレアお手製のカチコチの魔法の絨毯は、音もなく真っ直ぐに進んでいる。高度はビル五階分くらいだろうか。さほど高い建物は街にないので何かにぶつかる心配はない。


 続いて、ヘルとリーバイスの部隊を発見した。こちらは巨大蟻の大群と戦っている。それも三百近い、かなりの数の大群だ。上から見ると蟻たちが蠢くその様子は圧巻である。だが、いくら数が揃っていようとも、あの二人ならば手助けなど不要だろう。


 そして数百の蟻の中に十体ほど、一回り大きな個体を見つけた。あれは初見だが、フレデリック・フランクリンが巨大化の奇術を使った際に、働き蟻の中にわずかに混じっていた兵隊蟻ではなかろうかと推測できる。

 多少大きくても、カマキリとは比べ物にならないくらい小さいので脅威とはならなそうだ。


「やってるやってる」


「雑魚相手だ。あいつらは放っとけ。さっさとアデルを探すぞ」


 隣のカトレアは少しばかりの助力をしようと杖先を地上に向けたが、トニーの言葉でそれを引っ込めた。


「そう?んじゃあっちへ向かってレッツゴー」


 空飛ぶ絨毯がその速度を上げる。捕まる場所など縁ぐらいしかないので、振り落とされたらそのまま地面へ真っ逆さまだ。

 絨毯の操作自体にカトレアが魔術を用いている様子はない。杖をほうき代わりにした時もそうだったが、飛翔の魔術を一度かけた対象は、術者の意思で自由自在に操れるようになる。

 今は動いていない、バレンティノファミリー所有のマセラティのセダンを、組員達のために空飛ぶ高級車にしてしまうのも面白そうだ。地上を走らせたところで、整地されていないこの世界の道では往生するに決まっている。


「あ、見っけ。あれ多分、陛下だよ」


「あん?どこだ?」


「あそこだってば。あなたったら、目ぇ悪すぎ―」


 カトレアはそう言って前方を指差すも、望遠鏡を持っていないトニーにはどこを見ているのかさっぱりだ。

 瓦礫となった街並みしか目に入ってこない。


「ド田舎育ちの野生児と一緒にすんな。こちとらお上品なお座敷育ちなんだよ。遠くなんて見る必要はねぇ」


「はいはい、こちらの遠眼鏡をどうぞー」


 両手を筒状に丸めてトニーの両目に当てられた。当然、それで見えるはずも無い。

 魔法の絨毯が進む中、その手を払いのけて凝視していると、なるほど、深紅の羽を広げる体躯が見えてきた。いくら大魔王が巨体であっても、竜人のフレイムスやカマキリと比べてしまうと小さい。


 魔法の絨毯は大魔王の目と鼻の先まで近づいた。何やら派手な魔術で圧倒するのかと思いきや、大魔王は両腕の鋭利な爪で数体の巨大蟻を引き裂いているところだった。取り巻きも連れず、己の身一つでそこに立っている。


「陛下ー」


「む?」


 上空からの呼びかけに大魔王が首をもたげる。ジャックは後部に控えているので見えないだろうが、そこには縁から顔を出すカトレアとトニーがいた。


「何だ、面白そうなものに乗っておるではないか」


「いいでしょ!うちの旦那様の発明品だよ!陛下もお乗りになりますかー?」


「おい、何勝手に相乗り勧めてんだ、てめぇ」


 カトレアの頭を抑えつけるが、時すでに遅しだ。


「そうか?では邪魔するとしよう。この辺りは虫も少なくてな」


「てめぇも何を乗り気になってんだよ!歩け!もしくは羽で飛べ!」


……


「あー、なんだったか。お供を引き連れて旅路を行くっておとぎ話だ」


「ほう、何の話だ?」


 身体の大きなアデルが空飛ぶ絨毯の前方中央に陣取り、トニーは隅っこに追いやられてしまっている。


「西遊記?桃太郎?忘れちまったが、アジアかどっかの話だな。それによると、お偉い人間様が一人で、畜生を三匹従えて旅をしたんだと。まさに今の俺みたいな気分だったんだろうよ」


「畜生ってなにー?動物―?」


「そうだ」


 不機嫌そうに葉巻の煙を吐きながら返す。


「何で閣下とあたしとスケルトン君が動物なのー?」


「俺は畜生側の人員じゃねぇよ!アデルがお供の一匹だってんだよ!」


 当然だが、カトレアには大魔王が中心となったパーティに見えていたらしい。

 この存在感の前には、トニーも三蔵法師や桃太郎にはなれなかった。


「ところでトニーよ」


「あ?」


「貴様はフレデリック・フランクリンを見たのだったか?」


「あぁ。殺した……つもりだった。だがこうやって襲撃かけてきてんだ。俺やヘルが見たゴブリンは本人なのかどうかはわからねぇし、本人だったとしても生きてやがったんだ」


 それからしばらく、トニーは大魔王にフレデリック・フランクリンの容姿について説明した。

 幻術で拳銃を蛇に変えられたことや、瞬時に巨大テントウムシを生成したことも付け加えておく。


「なるほど。余の推測に過ぎないが、姿形はゴブリンのもので間違いない。奴と出くわした時に気付かれていなかったのであれば、自身を偽る暇などなかったであろう。死の演出が幻術ではなかろうか」


「だったら、今回も近くにいるなら同じ姿はしてねぇだろうな。ひどく臆病な野郎だった」


「その通りだ。発見は難しいやもしれん。住民や兵に紛れ込んでいたらと思うと、気が気ではないな」


 大悪党が住民や兵に紛れ込む……考えたくもない最悪の事態だ。しかし、幻術を用いる術者相手であれば、非常に現実的な話でもある。


「おい、カトレア」


「なぁに?」


「お前が商会やら教会から転移で退避させた住民らは安全なのか?」


「街から離れた川辺とか岩山とか、数か所に置いて来てるから安全だと思うけどー。今の話みたいにフレデリックが潜んでるなら、その集団は今頃全滅してるんじゃない?」


 さすがの三魔女も紛れ込んだ幻術師、奇術師を見破れはしないという事だ。


「後で確認して来い。絨毯を下ろしてからだぞ」


 即刻離れられたら術者を失ったこの空飛ぶ絨毯は墜落するのみだ。死にはしないだろうが大怪我を負う。無論、自力で飛べる大魔王アデルに助けを乞うなどハナから考えてはいない。


「見よ。おあつらえ向きの敵がいたようだぞ」


 足元には数匹の蟻。単体で行動しているものは無視して飛行してきたが、五、六匹が固まっている。

 真上を飛ぶトニーらに感づいたのか、餌をねだる犬猫のように、後ろ足で立ち上がって上体を起こしていた。


「ふん……蟻だな。そろそろ飽きてきたぜ」


「どうするの?下ろしてあげようか?」


「そうだな。あの数は行動中の兵の脅威になり得よう。カトレアよ、頼めるか」


 空飛ぶ絨毯が着陸するや否や、巨大蟻の集団は突進してきた。

 しかし、次の瞬間にはその身体から黒い炎が上がる。トニーが使用した死霊術、死の灰の効果である。虫たちは燻って崩れ落ちた。


「やりおる」


「ただの雑魚だろ。殺って褒められる価値すらねぇよ」


「じゃ、あたしはちょっと住民たち見て回るから離れるよ」


 カトレアは絨毯をその場に残したままで消えていった。


「働き者の良い嫁を貰ったな」


「ほざけ。アイツがいねぇからって俺達はここでサボれるわけじゃねぇんだぜ。ヘルには恩がある。さっさとこの虫のパラダイスを終わらせてやらねぇと」


「そうだな。では行くか」


 ノシノシと大魔王の巨体が絨毯から地面を踏みしめる。

 トニーもふん、と鼻を鳴らして続いた。最後尾は護衛のジャックが務める。


「デカいカマキリは見たよな?」


「あぁ、もちろんだ」


「お前ならサシでやった場合、勝てるか?」


「さてな。複数の六魔将を以てしても苦戦する難敵であろう。やってみねば分からん」


 その戦いを見てみたいという期待もあるが、またあれと遭遇するのも面倒だという気持ちもある。

 しかし驚いたのは、どのくらいの実力があるのか分からないせいで、何となく圧倒的な力を持つとトニーが思っていた大魔王も、六魔将が三人がかりであれば敵うか分からないという言葉だった。であれば六人がかり、加えて三魔女などの戦力もあれば間違いなく大魔王を討つことも可能なわけだ。


 無論、そんな勝ち方をしても一騎打ちでなければ誰が次代の君主になるかは決まらないし、大魔王の統治が善政を布いているのであれば誰にとってもそれはやる理由が全くない。

 誰ぞ、大魔王に不服があると聞いたこともないので今のところクーデターは起こりえないだろう。唯一、それを起こしえるのはトニー自身だけだが。


 そして、その大魔王をも苦戦させうる化け物を生み出す奇術師。大悪党フレデリック・フランクリン。奴がどれだけ危険な存在として魔族の間で認知されているのかを改めて理解できた。


「それでこんなにも大事になっちまってるってわけか。奴とは長い因縁だってな?」


「そうだな。百年単位で小競り合いが続いている」


 魔族の寿命からして、これは驚くことではない。


「奴の目的は……当然分かってねぇか」


「うむ。今までに何か要求を受けたことは無い。単なる愉快犯だというのが我々の見解ではあるな。今はフィラデルフィア近郊に執心している様子だが、アメリカ大陸の各地で被害が出たことがある」


「愉快犯かよ。面白くねぇ。国家転覆を狙ってるわけじゃねぇんだな」


「狙わずとも十分な脅威ではあるがな」


 トニーの言葉はまるでこの国が崩壊することを望んでいるようにも聞こえるが、特に他意はない。ジャックがわずかに身を固くしたが、大魔王がトニーに突っ込む事はなかった。


「今回、こうやって大魔王陛下直々のお出ましは何か理由があるのか?」


「被害が今までの比ではない。街一つが消えてなくなる程の虫の大群は初めてだ。ヘルからの救援要請も六魔将だけではなく、余にさえ届いていた。それだけ条件が重なれば尋常ではないと分かる」


「そんなお優しい大将が来てて、ハインツは何やってんだ?アイツは喜んで一番に駆けつけてくれそうなのによ」


 暗黒騎士とでも呼ぶべき容姿を持つ将軍ハインツは、戦いに身を置くことが常だ。古風な武人のような彼だけがフィラデルフィアに参陣していないことに強い違和感を覚える。


「余にも分からんが、それなりの大敵と戦っているのかもしれんな」


「話に聞いたイギリス国王以上の人間がいるってのか?」


「さてな。侵入が何らかの理由で長引いているだけなのかもしれん。何とも言えぬ」


 ハインツと連絡がつかないという事は、大魔王が言うように各国へ侵入するために出ている可能性が高い。

 通常であれば侵入は数時間だが、長引けば日を跨ぐこともある。理由は様々だが、大抵は転移先からの徒歩移動で街の発見が遅れた場合だ。


 万が一、行先で強敵が現れた場合は普通であれば消耗を抑えるために撤収する。侵入の目的は攻撃ではなく略奪だ。トニーはその辺りを考えず執拗に攻撃してしまうこともあるが、他の六魔将であれば大抵は退く。


 ただし、それに該当しない人物としてハインツも挙げられる。

 彼は強者との戦いを好む性格なので、侵入目標は物資が豊富な都市より、その土地に強敵がいるかどうかで選ぶという。

 今もどこぞへ侵入しているのであれば、槍合わせに興じているのかもしれない。


「こんだけ魔術が普及してんのに、携帯みたいなもんがねぇのは不便なもんだな」


「貴様の世界には便利な連絡手段があるのだな」


「テレパシー的なのとかあんだろ、普通に考えればよ」


 トニーは以前、中国人民軍の総大将、張彰(ちょうしょう)から脳内に直接呼びかけられた経験がある。それと同じものが普及していないのは妙だ。


「あるにはあるが、あまり使われんな。使える者も数えるほどだ。空間転移が自在に使える我らは、遠距離で話すくらいならば会ってしまえば早いという考えを持っている」


「そりゃ分かるがよ。居場所が分からず連絡が取れなきゃ意味ねぇだろ」


「どちらにせよ、術を用いても相手の居場所が分かっていなければ会話も出来ん」


「それなら侵入前に目標を一報寄越す仕組みでも作れよ。ま、俺はそんなもんには従わねぇがな」


 いつもの自分勝手で横暴な意見だ。しかしこれはスルーされることなく大魔王が返す。


「逆に問おう。貴様が部下をどこかへ向かわせる際は、すべて把握しているのか?」


「当たり前だろ。それを聞くのは俺自身じゃねぇこともあるが、侵入地点は出撃前に本拠地にいる奴が記録してる」


 最近はアジアを飛び回っていたトニー自身の行先も、組員やロサンゼルス兵の誰かが必ず知っている状態なのは言うまでもない。

 たった今、大魔王には従わないと言っておきながら、部下には行先を明らかにしているのだ。無論、揚げ足を取られるだけなのでそれをこの場で言いはしないが。


「これは驚いたな。貴様の事は、管理などという言葉とは程遠い男だと思っていたぞ」


「あ?馬鹿にしてんのか、てめぇ」


「そう吠えるな。褒めたつもりだったのだがな」


「ふん……」


 たまたま現れた一体の巨大蟻が、大魔王の爪で切り裂かれる。

 そしてさらに追加で現れた一体は、トニーの死霊術で消し炭になった。


「たっだいまー」


 剣呑な雰囲気が続くかと思われたが、暢気なカトレアの声でそれは破られる。

 素早く住民たちの安否確認を行い戻った彼女は、空飛ぶ絨毯でトニーらの真上をゆらゆらと飛んでいた。


「ご苦労。それで、どうであったか?」


 言うまでもなく、大魔王の問いかけは大悪党フレデリック・フランクリンの所在だ。


「何かケンカしてる人たちが結構いたけど、誰か死んだりとかは無いよー」


 避難したとはいえ、住民の間には不安な気持ちが蔓延っているという事か。些細な事で口論になり、争っているのかもしれない。その辺りはカトレアが声をかけて一時的に止めているはずだ。

 とにかく、今のところは大悪党が住民に紛れて大虐殺をしていないのは分かった。機を見て潜伏を続けている可能性は捨てきれないが。


 音もなく空飛ぶ絨毯が地面へと降り立った。


「お待ちどおさま。乗って乗って」


 トニーが我先に乗り、中央に腰を据える。

 だが、その次に乗った大魔王がその前に座してしまったので、視界が完全に塞がってしまう。カトレアは進行方向を見ながら絨毯を操作する必要があるので、それよりも前にちょこんと座っているはずだ。

 最後にジャックがトニーのやや後ろに控えた。何も見えないままでは癪なので、トニーは反転してジャックを押しのけ、絨毯の最後尾から足を投げ出して流れる景色を見る事にした。


「当機は離陸致します。ご着席の上、しぃとべると?をお締めください」


 どこで覚えたのか、カトレアのそんなふざけた台詞を聞かされながら、絨毯は徐々に高度を増していく。

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