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♭12

 トニー・バレンティノの居城。ロサンゼルス城には、大魔王アデルをはじめとして、幹部のほとんどが集結していた。

 その部下も含めると来客数は五十名にもおよび、まさにてんやわんやの大騒ぎである。

 

 少し前にオースティンの襲撃を受けたせいでトニーの兵は少なく、城の周囲に住む一般の魔族たちを城内に上らせて給仕の手を借りている状況だ。

 

 一時的にロシア兵や人間の奴隷は北京と上海に退避させている。

 

「なんでこんなことになっちまってるんだ……」

 

 広いフロアの上座である玉座に腰掛けるトニーは、花や貴金属で彩られた会場をため息交じりに眺めている。

 

「えぇー?めでたい席で、しかも主役がそんなんじゃ浮かばれないんですけどー!」

 

 隣にもう一つ。いつの間にか準備されていた小ぶりな玉座に座るカトレアが、純白のドレスに合わせた薄いベール越しに睨みつけてくる。

 

「バレンティノ閣下、カトレア様、この度は誠におめでとうございます!」

 

 頭に乗せたテンガロンハットを片手で軽くもちあげながら恭しく一礼をしたのは、エルフ族で六魔将のアルフレッドだ。

 

「ふん、俺はどうだっていいんだよ。こんな茶番は」

 

「またまた。本心は隠せませんよ。こんな若くて強大な魔力を持つ相手を奥方に迎えられたというのに、嬉しくないはずがありません!」

 

 そう。事の成り行きにより、トニーは三魔女のカトレアを嫁に貰う結果になってしまったのである。

 

「そうだぞ、トニーよ。我も言ったであろう。汝とカトレアとの間に生まれる子が楽しみでならんとな」

 

 続いて玉座に同じく六魔将である死神ヘルがやって来た。

 

「子、ここ、こ、子作り……!」

 

 子供と聞いたカトレアが隣で顔を真っ赤にしている。

 

 この結婚はもちろん、上海に誰か人材が欲しいと思っていたトニーが言った「嫁を貰う」という冗談を真に受けたカトレアが半ば強引に実行したものである。

 カトレアはいち早く大魔女エリーゼに相談して止められた。あの男は、いずれどこかへ行ってしまうと。

 だが、意外にもそんなカトレアに味方してくれたのは姉のクリスティーナだった。彼女としては、毛嫌いしているトニーが妹の配偶者になる事で義弟として少しは自分に遠慮するとでも思ったのだろう。

 

 そこから力を得たカトレアは色々な場所で婚約発表をしてまわり、トニーが退けないようにしてしまったというわけだ。

 

 幹部会に出席している面々であれば、トニーが異界から来た人間に近い存在であることを知っている。そんな者と結ばれようというのだ。初めは皆、カトレアが適当な事を言っているだけだと笑っていたようだが、ある日突然届けられた結婚式への招待状に目を丸くした。

 

 親交の深いヘルなどはトニーのもとへ直接確認に訪れたほどだった。

 

 結婚にはあまり乗り気ではないトニーだったが、こうなったら自領への人材配置へカトレアを使うつもりであるということを告げると、妙に納得されたものだ。

 

「ふん、なに興奮してんだ?ガキとの間にガキなんかできるはずねぇだろうが」

 

「はぁ!?できるし!た……試してあげてもいいんだぞ!」

 

 ウインクに上目遣いに、なにやらトニーに色仕掛けをしているが微笑ましいだけである。

 

「……気色悪い」

 

「おいぃぃぃぃ!」

 

……


「仲睦まじい様子だな、バレンティノ夫妻よ」

 

 腹に響くような低くおぞましい声色。大魔王アデル・グラウンド十一世が上座へとやってくる。

 貴賓として玉座のそばに席を設けてはいるが、今日ばかりはトニーとカトレアが主役であるため王が自らこちらへと歩み寄ってきた形だ。

 アルフレッドやヘルが跪いた。

 

「でしょー!ラブラブなんですよぉ」

 

「お気楽なもんだな」

 

 対照的な返答が響く。

 

「経緯はどうあれ、めでたい席だ。貴様も今までのようにカトレアの心を無視はできまいて」

 

「まさか、それが婚姻を許可した理由じゃねぇだろうな。妙だと思ってたんだよ」

 

 カトレアがいくら騒いだところで、大魔王や大魔女が断固として拒否すればカトレアの願いは叶わなかっただろう。だが、最終的に彼らは許容したということだ。

 

「別段理由などない。互いに認め合ったのであれば、結ばれるのが必定であろう」

 

「ふん、やりたいようにやらせてもらうぞ。俺は自分の目的を忘れたわけじゃねぇんだからよ」

 

「好きにするが良い」

 

 大魔王が踵を返し、出席者達との歓談に戻って行った。アルフレッドは一礼して、ヘルはローブをバサリと翻して、それぞれが大魔王に続く。

 

 会場には全ての幹部が揃っているわけではない。

 大魔王の子供達は一人も出席しておらず、当然オースティンの姿も無かった。

 

「閣下、おめでとうございます」

 

 新郎新婦の相手がいなくなったのを見計らってやって来たのは、参謀長のブックマンだった。

 ブラウンのスーツに白いタイを締めている。

 

「よう、爺さん。いつも内勤だろ?ニューヨークから久々に出たんじゃねぇか」

 

「はは、まさにその通りでございますとも。この老いぼれの重い腰を上げて下さり、閣下にはお礼申し上げねばなりませんな」

 

 参謀長ブックマンは自宅と城を往復するだけの生活を送っている。休日に物見遊山に興じるような性格でもないので、トニーとカトレアの挙式が久しぶりの外出のようだ。

 

「これをお二人に」

 

 後ろ手に持っていたボトルを差し出す。年季の入ったウィスキーらしい。

 

「気が利くじゃねぇか」

 

「えー?なんだ、お酒かぁ」

 

 酒好きのトニーには垂涎の品かもしれないが、カトレアはあからさまに不満そうだ。

 

「上物だな」

 

 早速、蓋をあけてウィスキーを流し込む。かなりの時を熟成された一品は芳醇な飲み口だ。

 

「喜んでいただけたならば嬉しいです」

 

「しかし外に出ない爺さんがよく手に入れたな。配下に欧州へ侵入させたか?」

 

 外に、とは海外にという意味だ。ブックマン本人が行くとは思えない。

 六魔将などから買い付けた可能性もあるが、名酒や古酒は魔族内でも人気が高いので簡単には譲って貰えないはずだ。

 

「いいえ。私が直接手に入れた代物ですよ。もう何百年も昔の話ですがね」

 

「ほう?若い時は少しは元気があったみてぇだな」

 

「えぇ。ご承知の通り、先代様に多大な御迷惑をおかけしていた不届き者でしたからな。この酒も、その頃の名残のようなものです」

 

 参謀長が謀反を起こして捕縛された過去を持つことは誰もが知る事件だ。

 その際に助命を許可したのが現王だという話だが、トニーはきな臭いと睨んでいた。

 

「それでお前の屋敷にはあれだけの酒があったわけか」

 

 以前、トニーが参謀長の屋敷に招待されたとき、惜しげもなく酒を振舞ってくれた。さして広くもないその屋敷に、ずらりと酒瓶や酒樽が並べられていたのを思い出す。あれも自らで集めたコレクションの一部だったのかもしれない。

 

「さて、それでは宴の途中ですがお暇させていただきます。やはりどうも外に長らくおりますと、老骨には疲れが出てきてしまいましてな」

 

「あぁ。わざわざご苦労だったな」

 

「ばいばーい、さんぼーちょー」

 

 新郎新婦に見送られ、そのまま主君にも一礼して参謀長が退室する。

 

……

 

 次は大魔女エリーゼと、カトレアの姉貴分であるクリスティーナが現れた。

 

「二人とも、おめでとう」

 

「結婚おめでとう、カトレア」

 

 エリーゼはトニーにもしわくちゃな笑顔を向けてくれたが、クリスティーナは言葉通りカトレアの方しか見ていない。

 

「ありがとう、おばあちゃん、お姉ちゃん!」

 

「よう、婆さん。なんでこんな事になってるんだろうな」

 

 トニーも仕返しとばかりにクリスティーナを無視してエリーゼにだけ挨拶を返した。

 

「なるようにしかならんさ。あまりカトレアを泣かせるような真似はしないでおくれよ」

 

「安心しろ、コイツは泣くようなタマじゃねぇ」

 

 ただの皮肉だが、カトレアは褒められたと勘違いしたらしく両頬を手で押さえながら左右にクネクネと揺れ悶えている。

 

「ちょっと、バレンティノ将軍。貴方はおばあちゃんが言ってる意味が理解出来ているの?実際にカトレアが泣くかどうかじゃなく、ひどい扱いをしないようにって事よ」

 

 自らトニーを避けるような行動を取った割には、やり返されるのは気に食わなったらしい。

 クリスティーナが赤髪を細い指でかきあげて言った。

 

「婆さんに伴侶はいないのか?」

 

「ちょっと!聞いているのかしら!」

 

 なおも無視しているトニーにクリスティーナが詰め寄る。

 顔と顔がぶつかってしまいそうな距離に、カトレアが黙ってはいない。

 

「お姉ちゃん、近い近い!マイダーリンから離れるべし!」

 

 二人を引き剥がしたいカトレアは自分の椅子を飛び下り、クリスティーナが着ている真紅の魔女服の腰に両手を回した。

 

「え、何!急にしがみつかないでよ!」

 

「お姉ちゃんが閣下に顔を寄せるからだろぉ!」

 

 何やら目の前でもみくちゃになっている姉妹を、トニーは白い目で見る。

 

「はぁ?寄せるわけないでしょ、こんな男に!」

 

「こんな男とは何だ!妹の旦那をつかまえといて!世界一かっこいいでしょう!」

 

「ぜーんぜんっ!」

 

 しばらく続きそうなので、チビりとウィスキーを舐めて立ち上がった。

 

「婆さん、ちぃと外すぜ。コイツらの子守りは任せたからな」

 

「やれやれ、ようやく嫁に出たと安心してたんだけどねぇ」

 

 すれ違う面々には便所に行くと伝え、玉座の間の扉から出た。

 廊下を歩くと、いつの間にか真後ろにジャックが控えている。

 

「ちぃと窮屈だったんでな」

 

 葉巻を取り出して指先から火を灯す。

 ジャックから何か聞かれたわけでもないが、言い訳じみたセリフに意味もなく僅かな苛立ちを覚えた。

 

「お部屋でお休みになられますか」

 

「そうする、と言いてぇところだが無理だな。主役が消えたまんまじゃ、集まってる連中が騒ぐだろう。大勢を相手にあのガキだけで場が持つとも思えねぇしな」

 

「おぉ……閣下のお心遣いにはカトレア様もお喜びになるでしょう」

 

 一喝しようかとも思ったが、実際にカトレアが聞いたら確かに喜ぶのだろうなと舌打ちをする。

 

 宣言通り、気分転換は便所で用を足すだけに止めて、トニーは玉座の間へと戻る。


……

 

 やはりと言うべきか、カトレアの周りには諸侯が集まり、彼女はその対応にてんやわんやだった。「バレンティノ将軍はどうしたんだ」といった類の質問もいくつか飛んでいるのが微かに聞こえる。

 

「よう、新郎には小便する暇すら与えられないのがこの国の習わしか?」

 

「閣下ぁ!助けて~」

 

「そろそろ座ってるのも飽きてたところだ、何かつまむとしようじゃねえか」

 

 夫婦のために玉座が二つと大魔王のための貴賓席こそあるものの、基本的には立食のバイキング形式だ。フロアには当然、料理が載ったテーブルが乱立している。

 大抵は魔族のための料理でトニーは口にできないが、多少の牛肉や野菜は準備されている。

 

 ただし、その味付けは残念なものだ。

 

 ロサンゼルス城では以前、奴隷によって食事が作られていた。

 そして何者かによって襲撃を受けた後は、連れてきたロシア兵の中から当番制で給仕を行っている。だが、そのロシア兵は今日ここにいない。新たな奴隷もまだ調達できていない。 

 そこで今回、料理の腕を振るったのはリザードマンやスケルトン、オーガなど、トニー配下の魔族の兵士たちだった。

 

「……肉に味がねぇな」

 

 それがこの結果を生む。

 塩すら振っていない料理は素材本来の味わいといえば聞こえが良いが、やはり物足りない。

 

「おい」

 

「はい、親父」

 

 会場を警備中の組員を一人呼びつけた。

 

「誰か味見しなかったのか?」

 

「いえ……料理は化け物どもに任せっきりで……」

 

「隔離塔の調理場から調味料をありったけ持ってこい」

 

 普段から生の人間や野獣程度しか食らわない魔族の兵士にはいくら調味料を持たせたところで期待はできない。

 組員に任せてしまった方が安全だろう。

 

 トニーのために作られた料理だけでなく、諸侯のために作られたものも味が薄いらしくあまり手が付けられていないようだ。誰かが文句を言うわけではないが、皿に残ったその量がすべてを物語っている。

 

「親父、これでよろしいですかね?」

 

 木編みの手持ち駕籠に胡椒や塩、砂糖、酢、唐辛子などを満載した組員が戻ってきた。

 

「おう、こっちには胡椒を頼む。そっちの魔族用の食い物は……どうするか。誰か適当な奴に聞いて味付けしてやれ」

 

 組員が近くにいた巨人、大僧正イェンに恐る恐る話しかけているのを尻目にトニーは食事を楽しむ。

 

「バレンティノ将軍」

 

 ガチャガチャと甲冑の音を鳴らしながら寄ってきた人物に、トニーが料理を口へと運ぶ手を止める。

 漆黒の鎧に身を包み、翼竜を模した盾と身の丈ほどもある大剣を背負っているその男は、六魔将でありヒューストンの城主でもあるハインツだ。

 

「よう。やっぱり宴の席でもその恰好なんだな、てめぇは」

 

「貴殿こそ相変わらずの横柄さだな。安心したぞ」

 

「祝言代わりの嫌味な小言を言うためにだけにロサンゼルスまで来たのか?メシにも酒にもどうせ手をつけねぇんだろうしよ」

 

 腹も膨れてきたトニーは自分の皿を組員に下げさせる。

 

「いいや。団長を討ち取った話、聞かせていただきたく思ってな。知っておるだろう?某は何よりも戦話が好きなのだ」

 

 強者との一騎打ちを好むハインツは、他人の戦いであろうと強者同士のそれであれば聞きたいらしい。

 ちなみに、トニーとエイブラハム、オースティンの諍いは既に殆どの者が知るところである。

 

「あぁ?ライオンを殺った話だぁ?」

 

「うむ。エイブラハム団長は一流の戦士であった。一流の呪術師であったクルーズに続き、彼まで討ち取ったとあっては某も貴殿への興味が尽きぬ」

 

 トニーが気色悪いとでも言いたげに舌を出した。

 

「なんてことはねぇ、一撃で吹き飛ばしてやっただけだ。クルーズのアホと同じようにな」

 

 多少の駆け引きはあったものの、確かにエイブラハム団長へのとどめは一発の弾丸だった。

 

「む、決め手はやはり銃とかいう貴殿の得物か」

 

「そうだな。魔術も多少は使った気がするが、当てたのはコイツの一撃だけだ」

 

 腰に差した愛銃を右手の腹で軽く撫でながらトニーは言った。

 

「それほどの力を秘めた武器か。ふむ……副長も戦々恐々だろうな」

 

「仕掛けてきておいてか?何をこそこそとやってるのかは知らねぇが、無駄なあがきをやめるつもりはねぇだろうよ」

 

 ハインツの言葉に、トニーは簡単には頷けない。

 実際にオースティンがトニーに恐怖しているかどうかという話ではなく、被害の大きさを許容出来ないという気持ちの表れだ。

 

「この城や、貴殿が占領した街を襲撃したらしいな」

 

「そこまで知ってるなら分かるだろう。あの犬は終いだ。万に一つも生き残る可能性はねぇ」

 

「悪いが、某にとっては貴殿らがぶつかる時が楽しみでな。間違えても雑兵に手柄を譲るなよ?副長にも会えるのならば同じことを伝えたいくらいだ」

 

「あのずる賢いだけの腰抜けが真正面からの喧嘩に応じたら、確かに楽しめそうだがな」

 

 トニーの悪態に、ハインツは声を落とす。

 

「確かに狡猾な性格ではあるが、副長も立派な戦士だぞ?あまり舐めてかからないことだ」

 

 周りに配慮したわけではない。少しでもトニーに緊張感を持たせたいのだろう。

 

「……そうだ、ちょうどよかった。一つ教えろ」

 

「む?」

 

「あの犬っころ。強いのか?のらりくらりしてるだけでどうにも掴めねぇ」

 

 カトレアにも同じことを尋ねたが、彼女は知らなかった。

 

「うむ、副長の強さは某が保証しよう。確かに団長も強かったが、副長も侮れぬ」

 

「なぜ強い?剣か?魔術か?用兵や戦術なんて回答は期待してねぇぞ。喧嘩の話だ」

 

「魔術も使うには使うが、やはり剣だな。斬撃、打撃、刺突、なんでもござれの我流の剣だ。動きが早いのはもちろん、型に捉われないせいで剣閃が読みづらい」

 

 歯を見せて、トニーがニヤリと笑う。

 

「ふん、それなら安心だ」

 

「ほう?剣には負けん、とでも言いたげだな」

 

「あぁ、その通りだ。読みづらい剣閃なんてのは何の問題にもならねぇ」

 

 言葉は返さず、ハインツが顎でトニーに先を促す。

 

「銃ってのは、鍔迫り合いで命のやり取りをするような洒落た代物じゃねぇ。コイツは指先一つで、一瞬にして相手の命を奪う道具だ。いくら鍛錬を積もうが、業物を手にしようが、剣に頼る以上はその間合いにすら入る事は出来ねぇんだよ」

 

「弓のように悠長な射速ではない、という話だったか」

 

「そうだ。喩えるなら、面と向かった相手の声から走って逃げられるか?一瞬でそのくらいの動きが出来るなら、話は変わってくるがな」

 

「音を超える射速か……面白い」

 

 前々からハインツはトニーらが使う銃や大砲というものに興味津々だったが、今回の話でさらに拍車がかかったようだ。

 ヘルにも大砲を一門譲る予定があるが、これは口止めをしておいた方が良さそうである。

 

「副長との手合わせ、ぜひとも某が立ち会いたいものだな」

 

「いついつのどこどこで喧嘩をしましょう、なんてお上品なもんじゃねぇんだ。いきなりおっ始まった時に、お前を呼んでる余裕なんてあるはずねぇだろうが」

 

「はは、それは分かっているのだがな。見てみたいと思うのは当たり前であろう」

 

 兜から覗くハインツの視線は読めないが、間違いなくトニーの愛銃に向けられている。

 

 ここで、カトレアが相手をしてくれていた諸侯がトニーの周りに幾人もやってきた。

 彼女も料理を取ろうと席を立ったので、それに便乗した形だ。

 

「おや?ようやく味つけをしてくれたのかね?ふむ、まぁまぁの出来だねぇ」

 

 少し離れたテーブルの牛肉料理をつまんでいた大魔女エリーゼから、そんな声が上がっている。

 

「おぉ!本当に!?あたしもいただきまーす」

 

 カトレアも喜声を上げた。彼女はエリーゼとは違って魔族向けに用意されたゲテモノ料理を食べている。やはり味気の無い料理は気に入らなかったのだろう。

 既に組員は大僧正のアドバイスを受け、全ての料理に調味料を加え終わっている。多少はマシになっているはずだ。

 特に、空腹を我慢していた今ならば格別だろう。

 

「うむ!確かに美味であるなぁぁ!」

 

 巨人の大僧正による雄叫びで、一同が殺到したのは言うまでもない。


……

 

 それから数分と経たない間に大魔王がニューヨークへと帰っていった。

 結婚披露宴ではあるが、会として終幕の定刻があるわけではないので、各々が自由に帰る習わしとなっている。

 

 アルフレッドやハインツはその一時間後に、大僧正イェンや他の諸侯も次々と空間転移を発動してゆく。

 最後に残ったのは大魔女エリーゼ、クリスティーナ、そしてヘルだった。

 無論、ヘルの護衛兵や三魔女の侍従などは一緒に残っている。

 

「ふー、すこしは落ち着いてきたねぇ」

 

「どこがだ。さっさとお前のとこの婆さんたちも帰せ」

 

 カトレアの安堵の声にトニーは舌打ちと反論を返している。

 

「閣下だってお友達のヘル閣下がいるじゃん!あ、それともなに?さては、早く二人きりで大人の時間を楽しみたいんだな!ダメよ~、まだダメなんだから~」

 

「馬鹿か、お前は」

 

 自ら言い出した良いものの顔を真っ赤にしたカトレアは両手を頬に当てて悶絶している。

 トニーは白い目を向けるばかりだ。

 

「仲睦まじいのは良いことではないか。夫婦になったのであれば、早く子を成すのも悪くなかろう」

 

「何を無責任なことを言ってやがるんだ、骨野郎が。俺はそんなつもりでコイツとの結婚に目を瞑ってやったわけじゃねぇのは分かってるだろ」

 

「まーたそんなこと言ってるー!照れなくてもいいんだぞー!」

 

 カトレアも、トニーがオースティンの襲撃に対するアジア防衛の戦力を必要としていることは承知だ。

 しかし、それは照れ隠しのための口実に過ぎないと思っているらしい。

 

「なんだっていいけど、娶ったんならこの子を悲しませるのは承知しないよ。ここまで好かれて幸せだろう?大事にしてくれないと三魔女の面目が立たないからねぇ」

 

「そうよ。カトレアの後ろには私たちがいるってことを忘れないで頂戴ね、バレンティノ将軍」

 

 エリーゼとクリスティーナが滾々と説くように言った。

 

「それに、どんな子が生まれるのか。興味がないと言ったら嘘になるねぇ……ひひひ」

 

「婆さんが言うと、前に俺にやったような人体実験目的にしか聞こえねぇんだが……まぁいい。孕ませるつもりなんざサラサラねぇが、コイツの力が役立つのも事実だ。今までより、少しくらいは大事にしてやる」

 

 言葉の最後は囁きのように小さくなっていったが、カトレアは目を輝かせる。

 

「いやぁあぁぁあん!超嬉しいんですけど!」

 

「うるせぇな、おい!」

 

 トニーの口から出た言葉に一同が頷く。

 

「くくく、ようやく夫婦らしくなってきたではないか。なぁ、トニーよ」

 

「おやおや、若いってのは良いねぇ」

 

「わ、私だってその気になれば男の一人や二人……っ!妹に先を譲ってやっただけなのだから」

 

「くそが……勝手に盛り上がってんじゃねぇぞ、お前ら」

 

 完全にトニーは孤立してしまったわけだが、納得できるはずも無くふてくされてしまったのだった。

 

……

 

……

 

 翌朝。 

 トニーの意見もむなしく、最後まで残っていた三魔女とヘルは夜通し飲み明かす結果となっていた。もちろん、がぶがぶと飲んでいたのはトニーだけで、他の者らは談笑に興じていただけだが。

 

 トニーは二日酔いの軽い頭痛を覚えながら目を覚ます。

 大量の備品や大きなベッドが鎮座するいつもの自室ではなく、玉座にもたれかかってそのまま眠ってしまっていたようだ。その膝の上にはカトレアが静かな寝息を立てながら眠っており、二人の身体には柔らかな白いブランケットがかけられていた。ジャックか、組員の誰かの気遣いだろう。

 

「……なんでガキがここで寝てやがるんだ」

 

「おはようございます。お目覚めのようですね、閣下」

 

 声をかけられて初めて気が付く。

 彼らの右手側に、直立不動の姿勢で佇むスーツ姿のスケルトン兵が一体いた。言うまでもなくジャックである。

 

「グラスと水を持ってこい」

 

「はっ、かしこまりました」

 

 酔い覚ましのため、挨拶も抜きに朝一番の命令を発した。

 

 数分でジャックが戻ってきたが、その後ろからぞろぞろと三魔女やヘル達も入室してくる。

 眠りこけていた新郎新婦は玉座に置き去りにして、彼女らは部屋で眠っていたらしい。ヘルだけは睡眠をとったのか謎だが。

 

「おはよう、バレンティノ将軍。初めて泊まらせてもらったけど、なかなか良い客室じゃないかい」

 

「うん、ベッドも悪くなかったわ。あと、温かいお風呂があるのには驚いたわね」

 

 クリスティーナが言っているのは、少し前にトニーの指示で部下に引かせた温泉である。小さなものだが、浴室を増設して浸かれるようにしてあった。

 無論、シャワーなどはない。木枠や岩で作った水路を伝って湯を引き、それを石積みの湯舟に流し込んでいる形で、日本旅館などでたまに見かける『源泉かけ流し温泉』のようなものである。

 

「ふん、新郎新婦を置き去りにして自分たちはリゾート気分満喫ってわけか?ふざけやがってよ」

 

「なぁに言ってんだい。勝手に飲みすぎて眠りこけちまったんだろうに。それに、初夜くらい二人きりにしてやるのは気遣いってもんだよ。感謝してもらいたいくらいだね」

 

「そうだぞ、トニーよ。しかしあの温泉とかいう風呂は大魔女の言う通り、なかなかに趣があって良いものだな」

 

 死神であるヘルが入浴する意味などあるのだろうかという疑問が一瞬浮かぶ。骸骨が湯舟に浸かっている姿を想像し、トニーは言い返す気を失ってしまった。

 

「はぁ……もういい。それで、何か用があるんだろう?わざわざ日を跨いでまで居座りやがってよ」

 

「お前が酔っていなければ昨日済ませても良かったのだがな。オースティン副長との諍いの件だ」

 

 ヘルの返答に、トニーだけではなくエリーゼやクリスティーナも視線を鋭くする。

 トニーの反応は自身や部下が痛手を被ったため当然だが、三魔女の二人もトニーの嫁となったカトレアの家族として、敵対するオースティンへのアクションであれば無視はできない。

 カトレアはそう遠くない未来に、夫であるトニーの依頼で上海に駐留すると公言されている。もしかしたらオースティンとカトレアが直接戦闘状態になるかもしれないのだ。親がわり、姉がわりとしてカトレアと接している彼女らも多少の緊張感を覚えるだろう。そして、彼女らも少しその辺りの話をトニーと詰めたかったのだと伺える。

 無論、そのカトレア本人は暢気にトニーの膝の上で眠りこけているのだが。

 

「おう、犬っころが何だって?あいつは俺がこの手でぶち殺すつもりではいるが?」

 

「一瞬だけだが、昨夜ロサンゼルス城に来ていたらしいぞ」

 

 ガバッ!

 

 トニーはカトレアが乗っていることすらも無視して立ち上がり、ヘルに肉薄する。

 カトレアは滑り落ちず、トニーの膝にしがみついてぶら下がっている。寝たままであるのが信じられないほど器用な技だ。

 

「どういうことだ!ヘル!」

 

「落ち着きな、バレンティノ将軍」

 

 大魔女エリーゼが言う。

 トニーは大きな舌打ちをして玉座に腰掛けた。

 

「我の従者が城門前で彼の姿を見かけたと言っていてな。昨夜、皆が帰る間際だったらしい。空間転移で現れ、すぐに消えたようだ。それで、こんなものを置いていったと」

 

 ヘルがボロボロのローブから赤い小さな紙箱を取り出す。

 丁寧に黄色のリボンでラッピングまでされたその箱だが、オースティンが意図的に置いて行ったものであれば油断はできない。ヘルの従者に見られていることを承知で、トニーにこれが渡るのを期待している可能性が高い。


「開けたのか?」


「いや、もちろんまだだ。どう考えてもお前への贈り物だろうが、どうするかね?」


 トニーは即座には返答せず、エリーゼに視線を送った。


「婆さん。開けた瞬間に大爆発、なんて芸当はあの犬っころの魔術でも可能か?」


「可能だよ。さして難しいもんじゃないさね」


「そうか。なら、俺から離れろ。巻き込んじまっても知らねぇぞ?ヘル、そいつをこっちに寄越せ」


 トニーが右手を差し出して箱を受けとる。


オースティンの事だ。何かを仕込んでいるのは明白だとトニーは踏んでいる。だが、魔術が発動したところで破魔衣(はまい)に守られた彼が傷つくことはない。

箱は見た目の通り軽い。上下に振ってみると、なにからカラカラと物が転がる音がする。


「そんじゃ開けるぞ。婆さん、このガキもそっちに連れてけ」


皆はトニーから離れているが、カトレアはまだ膝の上で眠っている。エリーゼにカトレアを引きはがすように頼むと彼女は杖を振り、瞬時のうちに手元へと引き寄せた。

以前にカトレアも使っていた、物体に向けて転移術を放つ応用法だ。


リボンを乱暴にほどき、トニーは箱のふたを開ける。


「ドカン!……とはいかなかったみてぇだな」


 開いた箱を持ったまま、トニーが肩をすくめて見せた。

 彼のおふざけにエリーゼやヘルはやれやれと首を振り、クリスティーナは「脅かさないでよ!」と口をとがらせる。


「それで?いったい何が入ってるんだい」


「指輪……だな。こりゃぁ結婚指輪のつもりか?なんで第三者が用意するんだよ。アホか、あいつは」


 入っていたのは装飾も何もない、シンプルな銀製の指輪が二つ。大きさからして男物と女物で間違いない。オースティンなりの気遣いなのか、皮肉交じりの冗談のつもりなのかは不明だ。


「それに、手紙が一枚。どうやらこっちが本命だな?」


 折りたたまれた小さな羊皮紙に、意外にも丁寧な字が書きこまれている。


 珍しくも、手紙であるというのに筆記体ではなくブロック体で綴られた英語だ。

 トニーがこちらの世界に来て初めて見るが、生まれ育ったニューヨークではむしろ筆記体より見慣れた形の書体なので読むのに苦労はしない。


「ご結婚おめでとうございます……だと?」


 一同が理解できず、沈黙が場を支配する。


 もちろん手紙自体はそれで終わりではなく、祝福を述べる言葉が続いており、最後には、心を込めて指輪を送る事とオースティンの名前で締めくくられていた。戦争やロサンゼルス城襲撃事件に関しては一切触れられていない。

 一度目は皆に訊かせる意味で声に出し、二度目はそれを目で読み直すも、やはり内容はそれだけである。


「……なんだこりゃ?ふざけやがって!何が祝いの言葉だ!ふざけるのも大概にしやがれ!」


 トニーは手紙を縦に真っ二つに破り捨て、指輪が入ったままの箱も床に落として踏みつけた。中で二つの指輪がこすれたのか、チャリンと軽い金属音が鳴る。

 カトレアがトニーの大声にびくりと反応して、エリーゼの腕の中でようやく目を覚ました。


「ん……?なに……閣下?どうして怒ってるの?」


「おや目覚めたかい、お寝坊さんや。将軍に熱烈なラブレターさね」


「あぁ、おばあちゃん。おはよう……えぇ!?ラブレター!?さてはお姉ちゃんだな!」


 エリーゼの冗談を真に受けたカトレアが金切り声を上げる。


「誰があんなのにラブレターなんか。そんなもの書かないわよ」


「げ、お姉ちゃんもいたの!」


 クリスティーナから距離をとるように、カトレアはトニーの元に滑り込んできた。そして腰にしがみつく。


「ふん、ラブレターだ?一度かみついてきた犬にしっぽ振られても遅ぇんだよ」


「犬?お姉ちゃん、いつから閣下の犬になったの!?許せない!じゃぁあたしは猫になるにゃん!」


「妙な勘違いすんな!オースティンのくそったれがふざけたお手紙を寄こしやがったんだよ!」


 カトレアが視線を床に落とす。真っ二つに引き裂かれた手紙と踏みつぶされた小箱に気が付いた。

 彼女はまず箱を手に取り、中から二つの指輪を取り出す。しげしげと眺めていたが、やがて「見た感じ、つけても問題ないはず」と自らの薬指に一つの指輪をはめてしまった。


「何をしてやがる?」


「うん!デザインが地味だけどいい感じー!ありがたくもらっとこうよ!」


 宝石すらも埋め込まれていないシンプルな銀製の指輪は、六魔将と三魔女の結婚指輪にしては明らかに質素だ。それにカトレアがつけた指輪は確かに女物ではあるものの、彼女の小さな指に対して大きくぶかぶかである。

 それでも気にいったらしく、指輪をはめた薬指を恍惚とした表情でため息交じりに見つめている。


「阿呆が。そんなに指輪がほしいなら後でやる。だが、そいつはダメだ。あの犬っころがどういうつもりなのかは知らねぇが、アイツが用意した……」


「えぇ!?本当!?買って買って買って買って!いますぐ買って!」


 トニーの言葉を聞き、カトレアがすぐさま指輪を放り投げた。


「指輪や手紙の事は大した問題ではなかろう。なぜ、副長はわざわざここに現れたのかが重要ではないか?」


 ヘルの言葉が、和みつつあった場に緊張感を取り戻させた。


「決まってる。攻撃の意思がなかったんなら、安い挑発のつもりだろうぜ」


「そうかい?わしはそうは思わないさねぇ」


大魔女エリーゼがトニーの意見を否定する。


「探りを入れに来たのは間違いないよ。たとえば、誰がこの場に出席してるか……とかさ」


「それを知ってどうする?どっちにしろ、奴は会場内まで来れてねぇんだ。その企みは失敗じゃねぇか」


 トニーとの諍いにオースティンが協力者を探していたとしても、今のところ互いに誰かを巻き込むことは困難だと思われる。

 ヘルが秘密裏に武器弾薬の製造場所を提供する程度だ。

 無論、それが外部には漏れないように細心の注意を払う。トニー側に誰も加担していないように見せるカムフラージュだが、実際にはヘルと、それにカトレアと婚姻関係となったおかげで三魔女は味方と考えてよいだろう。最悪のケースでも彼女達が敵に回るとは考え難い。

 一先ず、協力者集めではトニーが一歩リードしている。


「馬鹿だね、たとえ話だと言ってるだろう?別に目的があったとしても不思議じゃないよ。とにかく気をつけておくれよ。特にカトレアが危険な目に合わされちゃ、たまったもんじゃないよ」


「わかったわかった。過保護なのは結構だが、コイツはアメリカいちの魔術師なんだろうが。どうってこたねぇよ」


 カトレアは褒められていると感じたようで上機嫌だったが、すぐに「か弱いし!閣下が守ってよ!」と喚き散らしている。

 それには相手をせず、トニーはエリーゼに視線をやった。


「で?ヘルが残ってたのは納得いったが、婆さんたちはまだ何か用か?」


「いんや、わしらは家族を送り出すものとして最後に一晩、この娘と宿を共にしたかっただけさ。結局、部屋は別だったけどねぇ。これでも家族みたいなものなんだ、別れは辛いもんだよ」


「今生の別れでもねぇんがな?」


 エリーゼが目を瞑り、首を左右に振る。


「そのくらいの気持ちで送り出すってことさね。さぁさ、そろそろお暇しようか。バレンティノ将軍、オースティン副長に負けるんじゃないよ」


……


……


 それからフィラデルフィアでの銃器製造の話や、大悪党フレデリックフランクリン討伐作戦への参加など、ヘルと細かな打ち合わせを行う。

 途中、エリーゼに厨房を借して手料理を振舞ってもらうなど、結局それからも一同は長い時間を共に過ごし、ようやくヘル、エリーゼ、クリスティーナの三人とその従者たちが空間転移の中に消えていったのは、夕方になろうかという時間であった。


 風呂に入りたいというカトレアを浴室までジャックに案内させ、退避させていたロシア人たちを呼び戻す使者を出し、トニーは一人で自室に戻る。

 壁際にかけられた日本刀、最近新調したスーツをかけた簡易式クローゼット、無理やり部屋に入れ込んだマセラティのセダン、そしてキングサイズのベッドが部屋の主人である彼を出迎えた。


 翌日からは最優先で組員と魔族の兵士たちに技術者の奴隷捕縛を再開させた。同時にその他の奴隷と、鉄や銅などの金属も強奪させる。


 カトレアは早速、上海地区の責任者として移動させようとしたが、予想通りと言うべきか「もう少し閣下と一緒にいたい」と渋ったので、しばらくは同行させる。

 上海には先日馴染みになった料理店もあるおかげで、駐留自体に大きな不満があるというわけではなさそうだ。彼女には瞬間転移という十八番もあるため、勤務後の就寝時間にはロサンゼルスのトニーのもとに毎夜飛んでくるだろう事も予測できる。


「今日は日向だっけ?日本の」


 トニーの自室の車のボンネットに腰掛けて足をぶらぶらさせていたカトレアが言う。


「……またついてくる気か。毎日毎日、仕方ねぇ奴だな」


 それはカトレアとの結婚騒動のおかげで最もあと回しになっていた巡回箇所だ。

 というのも、日向がある日本はトニーの領土ではない。その上、大アジア大陸から離れた島国であるのでオースティンによる襲撃が起こっている可能性は低いからだ。


「ほらいくよー?」


「あぁ?」


 瞬きをする間もなく、トニーとカトレアの二人は白壁と瓦屋根の門に木製の本丸という珍しい特徴を持つ城の城下町に移動していた。

 さして高くはない標高の山の頂上に構えられた山城、その麓にある小さな規模の町だ。長屋や屋敷は少なく、茅葺屋根のあばら家が多いため、城がなければ町というより村落に見える。城に詰めている兵を除けば、人口は数百人程度であろう。


「はい、日向に到着ー」


「おい、二人だけで来る奴があるか。バカが」


 トニーはいつものごとくジャックかオーガ兵あたりを護衛として連れてくるつもりだったのだが、カトレアの瞬間転移の発動前に意見するには間に合わなかった。


 遠巻きに通行していた町民らがトニーに気づいて声を上げた。

 無論、日向の民も彼らの訪問には慣れている。魔族を見つけて悲鳴を上げたわけではなく、トニーとカトレアが久々にここを訪れたことに驚いているというだけだ。


「あんれまぁ!物の怪の王様と姫様だよ!」


「ほんとだぁ!お殿様に知らせた方がいいんでないのかい?」


 薄手の着物をまとった若い娘たちがそんなことを言っているのが聞こえてくる。


「待て待て、それは我らの仕事だ。任せておけ」


 近くの茶屋の店先にたまたま居合わせた四人組の武士が寄ってきた。


「お久しゅうござる、お二方。殿へのお目通りで参られたのだな?」


 白髪混じりの頭で(まげ)を結った老武士が言った。

 平時のため、彼を含めた侍たちは全員、鎧兜ではなく黒地の小袖に鼠色の袴を着用している。おそらくこの服は破魔衣だろう。


「いや、それもあるが。町が大丈夫かを見にな」


「大丈夫か、とは?この日向は貴殿との約定により守られているはずだが」


「こっちの話だ、気にすんな。本山は城にいるのか?いるなら案内しろ」


 見たところ大きな混乱もなく、町の様子は普段通りである。

 オースティンが攻めてくる可能性があるという事を、身分の低い兵にまでわざわざ伝える必要はないだろうとトニーは話題を変えた。


「かしこまった。ついて参れ」


 その武士がトニーとカトレアを先導し、残りの侍達が後ろをついてくる。

 客人待遇とはいえ、自らが治める土地ではない。北京の時のような出迎えは期待出来ないので、このまま徒歩で山頂の城を目指すのだろう。


 城までは山道の険しさのせいで、一時間ほどかかった。トニーにしては珍しく、足がダルいだの、道が遠いだのとも言わず、道中では山から見下ろす町並みの景色などを見て楽しんでいた程だ。

 前回、トニーが日向の城に来た時に利用したのは駕籠(かご)と呼ばれる人力の移動手段だ。人ひとりが入るのがやっとの小さな箱に入り、前後に据えられた棒を二人の徒士が担いで走る。

 もちろんそれは城下町まで出迎えに来てくれていた日向の大名、本山忠政がその時だけ特別に準備してくれたからだ。トニーの護衛などはその時も足で走っていた。

 山の傾斜は急で、無理に馬を乗り入れれば足を折り、落馬してしまうかもしれない。城内に厩はあるが、結局乗るのではなく、引いて山を上り下りしなければならないそうだ。それで普段は大名や家老などの身分の高い人物は駕籠を利用している。


「おや、これは珍しい」


 まるで平城のような石垣と白壁、瓦屋根によって作られた城門の前で、久しぶりに見る顔との再会があった。

 藍色の平服を着たその老人は佐々木十太郎。以前、敵将の首を渡すことで破魔衣の交渉を受けてくれた男だ。


「よう、なんでお前がここにいやがる」


「あー!知ってる人!」


 トニーとカトレアが同時に言葉を発した。

 共に無礼な態度だが、相手は大名相手に話を持ち込めるような魔族だ。案内してくれた武士たちも、佐々木に一礼したのみで特に何も言わずに控えている。


「なぜここに、とはこちらが訊きたいくらいではあるがの。大殿に会いに来られたのであろう?では、ここからはわしが引き継ごう。お前たちは下がれ」


「はっ」


 三人はそのまま城門の内側、二の丸の曲輪の中を歩く。中には兵卒が寝泊まりするための陣小屋や厩、米蔵、武器庫などが建てられている。

 さらにもう一度、門をくぐるとそこは本丸、あるいは一の丸と呼ばれる区画だ。こちらには家老や侍大将、その家族が暮らす長屋や小ぶりな屋敷、そして四階建ての見事な天守を持つ。


 天守に入り、板張りの廊下を通る間に家臣や、下女などとすれ違う。トニーらの突然の訪問に驚いている様子は見せるものの、初見ではないので隅に控えて辞儀をしてくれた。


「しかし日本風の城ってのは狭いもんだな。人間が小柄だからか?」


 きしむ階段を上がりながらトニーが言った。

 廊下は二人分、階段に至っては人が一人やっと通れる程度の幅しかない。傾斜も急で、足を踏み外せば一気に下の階まで滑り落ちてしまいそうである。


「ほう、やはり魔族の城は広大なのですな」


 佐々木が納得したように返す。トニーの配下を彼に見せたことはないが、以前に他の六魔将に侵入を受けていれば、オーガやケンタウロスなども見た経験があるはずだ。


「いや、そいつは間違いだな。確かに魔族ってのはでけぇし、俺の城も広々としちゃいるが、中国の宮殿だってヨーロッパの王城だってこんなに小ぢんまりとしてねぇよ」


「他国の人間も大きい、と申されるか?つまりこの日ノ本の城だけが特別だと」


 佐々木は渡海の経験がないらしい。

 魔族は勝手にやってくるせいで見ることができるが、外国人はなかなか目にできないようだ。


「人間は多少でかい程度だ。城だけじゃねぇ。剣も鎧兜も、服だってこの国はちと独特だな。島国ってのは、よその国と交流しねぇせいなのかもな」


 トニーは世界史に詳しくはないが、外国との貿易や交流が皆無に近い、鎖国とよばれる制度が現世の日本でも過去には存在した。

 この世界の日本は戦国の世であるため、それぞれの大名の意向や領土の立地によって交流の頻度は異なる。ちなみに日向国は貿易向きの大きな港を持たない。


「さて、ここじゃ。ちとお待ちくだされ。殿、十太郎でございます」


 見事な鶴が描かれた襖が横に開き、その奥に佐々木が消えていく。すぐに閉じたせいで中は見えなかったが、この先に大名の本山がいるのだろう。

 来客と会うための座敷は一階に準備されていることが多いが、三人がやってきたのは最上階の天守閣だ。


「お会いになる。お二方、入られよ」


 室内から佐々木の声がすると、やはり自動的に襖が開いた。

 トニーとカトレアが入って左手を見ると、畳に正座をして控えている小姓がいた。彼が襖を開け閉めしていたようだ。

 日本の城は上階に行けば行くほど狭くなる設計になっており、ここは人が十人も集まれば一杯になってしまいそうなほどの広さである。その最奥部、椿の花の水墨画を背にして脇息に右手を乗せた本山と、そのそばに座る佐々木の姿があった。


「トニーよ、よう来たな!」


「おう、アホ面は相変わらずだな、本山?元気そうで何よりだ」


 群青色の着物の片袖を脱ぎ、上半身を露わにして豪快な笑顔を向けてくる人物。トニーにも負けずとも劣らないこの豪胆な戦国大名こそ、本山忠政その人である。

 破魔衣の供給を条件に事実上の魔族との同盟関係を結び、尚且つニューヨーク城で執り行われる大魔定例幹部会にも出席経験があるという変わり者だ。


「貴様、殿に対して何を申すか!」


 顔を真っ赤にした佐々木が片膝立ちになって腰の脇差を引き抜く。いかにトニーが特別な客とは言え、さすがに忠義を誓う主君への暴言は見逃せない。


「よい!下がれ、十太郎!」


「……はっ」


「なんだ、俺がてめぇを腑抜け扱いしてる事くらいは犬にも伝えておけよ」


 本山の正面に、トニーが胡坐をかいてドカリと座る。カトレアは例によって彼の膝の上に乗った。


「まぁそういうな!しかし、お主らも仲睦まじいことよのう」


「あたしたち結婚したんだよ!ねぇー、閣下?」


「知るか」


 カトレアが人差し指でぐりぐりとトニーの頬を押してくるも、無視する。


「なに、祝言を挙げたのか!それはめでたいではないか!今日はその報告か」


 扇子で膝を打ち、本山が破顔した。


「いや、ちげぇ。ちと俺らの国に厄介者が出てな。今そいつと喧嘩をやってるところだ」


「厄介者?」


「ここは喧嘩に巻き込まれるとは思えんが、俺かコイツがちょくちょく見に来てやる」


 ここ日向がオースティンの標的になるとは考えづらいものの、連絡を密にしておくのは必要だ。


「なんじゃ、破魔衣のおかげでせっかく物の怪からの侵攻が止んだと思っておったのに、それでは話が違うではないか」


「馬鹿野郎。厄介者ってのは魔族とはいえ別に俺の部下じゃねぇんだぞ。言うこと聞かせられねぇから、もし現れたら守ってやるって言ってんだろう」


「わかったわかった。お主にめでたい事もあったことだからの。それで良しとしよう。おい、酒を持て。肴もじゃ」


 本山は本気で不満に思っているのではなく、トニーをからかっているだけだ。結婚の宴のつもりか、小姓に酒と肴を運ぶように申し付けていることからもそれが分かる。


「夫婦そろってせっかく来たんじゃ。ささやかながら祝わせてくれ」


「あぁ、酒はもらってやる」


「わー!ありがとう、サムライの人!」


 侍女や小姓ら数人の手によって漆塗りの御膳が四つ運ばれてきた。なぜか佐々木の分の準備もあるらしい。

 その上に乗った徳利と薄っぺらな杯。山菜やキノコ料理、高野豆腐、焼き味噌、猪肉がその横に添えられている。質素で微量ながら、山で取れる最高のもてなしだ。


「おぉ!なにこれ、おいしそうだねぇ」


 調理されたキノコを食べ物として見るのが初めてなのか、カトレアが右手で椎茸をつまみ上げている。


「こら!手を使うとは不躾な。箸を使わんか、箸を!」


 本山が扇子でカトレアの右手を小突いている。


「箸?なぁに、箸って?」


「こいつだ。まぁ使ったことがないなら無理もないか。中華料理屋はデカい匙だったしな」


 言いながら、トニーはひょいひょいと箸を使いこなして見せた。現世では寿司などの高級な日本料理を食べる機会も多かったのだから当然である。


「おぉ、この二つの棒で挟んで食べるんだー。おサムライ!使い方、あたしにも教えて教えて!」


 何が彼女の琴線に触れたのかは分からないが、両手に一本ずつの箸を持ったカトレアが目を輝かせている。


「なぜこちらに話を振るのか、婿殿に訊けばよかろうに……」


「教えてやれよ。俺は我流だから誰かに訊かれても答えれんぞ」


「佐々木、教えてやれ」


 本山はぶつくさと言いながらも、使ったことが無いのならば仕方ないと家臣に手ほどきを指示した。

 その様子を横目に、トニーは手酌で杯に注いだ酒をうまそうに飲み干した。


「気に入ったか?今年は豊作でな。酒の出来も良いんじゃ」


「米から作るのか、この酒は」


「うむ。南蛮では葡萄酒や麦酒が主流だろうが、日ノ本では米は飯にも酒にもなる、まさに神の与えたもうた産物よ。手土産に酒樽一つ、持って帰れ」


 本山の申し出にトニーの顔がわずかに緩んだ。酒の贈り物であれば彼が断わるはずも無い。


「んー、えー、無理!めんどくさい!」


「そう言いますな。ほら、もう一度」


 早速箸を使うことを諦めたカトレアが子供のように癇癪を起し、それを佐々木が窘める。彼女が挑戦しているのは煮物に入っていた豆のようだ。箸の初心者に対していきなり高難易度の関門である。


「おぉ、そうじゃ。トニーよ、一つ頼まれてくれんか?」


「あぁ?」


「実は、鉄が不足しておってな。我が国は大きな鉱山を持たぬゆえ、刀や槍の製造が追いつかずに難儀しておるのだ。用立ててくれんか?」


 破魔衣の対価は魔族の侵入をさせないという取り決めのみで、金や物資では払っていないに等しい。それが危ぶまれるのであればそのくらいは飲めという話だろう。


「鉄だぁ?鉄鉱石か、それとも加工した鉄塊がいいのか?」


「おぉ、引き受けてくれるか!できれば加工されているほうが助かる」


「うちの城で鉄は取れねぇが、植民地化してる国でなら生産されてるはずだ。回せる余裕があるかどうかくらいは聞いといてやる」


 頼りとなるのは中国の呂明だ。逆に日本人の技術者を銃や大砲の生産に駆り出せないか尋ねようとも思ったが、トニーは踏みとどまった。

 生産はヘルのもと、フィラデルフィア城で行うのだ。奴隷として召し抱えるわけにもいかないので、この技術は今まで通り秘匿としておいたほうが都合がいい。


「わかった。お主らが頻繁に顔を出してくれるのであれば話をまとめるのも難しくはなかろう。わしがおらぬ時は奉行と話をするように頼む」


「約束はできねぇからな。回せなくても小言ほざくんじゃねぇぞ」


「期待するくらいよかろうて」


 トニーはしかめっ面で、本山はにやりと笑みを浮かべて、しかし二人は同時に杯をあおった。


「閣下ぁ、無理これー」


「あぁっ!まだ稽古は終わっておりませんぞ!」


 カトレアが佐々木の制止をふりきってトニーの膝の上に逃げてきた。箸で豆をつかむことは叶わず、畳の上にはつかみ損ねたそれがいくつか転がっている。


「なんだ、汚ねぇガキだな。おい、そこの小僧、これを片付けろ。踏んだらどうすんだ」


 襖の前にいる小姓に命令し、カトレアの頭を小突く。


「いたっ!だって無理じゃん!なんでいちいちこんな細い棒でつまむんだよー。スプーンとかフォークを準備すればいいでしょ!」


「俺に言われてもしらねぇよ。おい、本山。なんか掬えるものでもねぇのか?外国人が来た時のやつとかあんだろ」


「匙か?おい、匙を準備してやれ」


 小姓が再び走らされ、カトレアはようやく食事にありつけたおかげでおとなしくなった。代わりにぶつぶつと佐々木が文句をたれてはいたが。


「しかし、こんなに幼い女子を本当に娶るとはとはのう」


「勘違いすんな。俺だってガキに興味なんかねぇよ。お前らもお得意な政略婚ってやつだろ。もっとも、俺はこいつの魔術の威力くらいしか興味ないがな。それに、年齢だけはこう見えて俺やお前より上だ」


「なっ……!」


 カトレアは五十歳を超えている。佐々木よりは若いが、本山やトニーより長く生きているのは紛れもない事実である。


「あれぇー?おサムライってば、自分の方が大人だと思ってたのー?」


「冗談で、あろう?まさかな」


「別に冗談じゃねぇっての。魔族は人間と成長速度も寿命も違うんだからよ」


 本山と佐々木は顎が外れてしまうのではないかというほどに口を大きく開けて驚愕している。


「い、いや待て。それではお主はどうなのだ。その見た目でこの嫁よりも若輩であるとは、話がおかしくないか」


「なんだ、まだ気づいてなかったのか?俺は人間だ。いや、厳密にはこの世界の人間に近い存在だってのが正解か」


「なにやらよく分からん言い回しじゃが……お主は見た目通りと考えておけばよいのだな」


「あぁ。このチビが成人の見た目になるころには俺はジジイだろうな」


 五十で人間でいう五歳児程度の見た目なのだから、単純計算で行けば百年経っても十五歳くらいだろうか。

 実際にそうだった場合にはトニーは老年どころかこの世にいないはずだが、カトレアの成人を待つより先にこの世界とお別れするつもりでいるトニーには関係のないことだ。


……


……


 酒樽を一つ抱えたトニーが本山と一緒に蔵から出てくる。

 その間、カトレアは近くに居合わせた女の着物に対してあれやこれやと質問を飛ばしていた。白い小袖の上にきらびやかな金色の打掛を羽織っているので、身分が高い女のようだ。その女の周りには袖をたすき掛けした女中が三人立っている。


「あっ、閣下。もう帰る?この服すんごい重いんだって」


「欲しいなんて言うなよ。お前が着ても、ひな人形とかいう子供のおもちゃに見えるだけだ」


「言いませんよーだ。重いって聞いちゃったし」


 にこやかな笑みを浮かべて一礼し、女たちが去っていく。

 表情こそ柔らかかったが、多少は魔族を相手にしているという緊張感もあったようだ。その背には安堵の色が漂っていた。


「今のがわしの側室よ。どうじゃ、よい女子であろう」


 馴れ馴れしく肩に回された腕を、トニーが叩く。夫の方は魔族に対してどこまでも楽観的で横柄なのだから不思議なものだ。


「ふん、誰もそんなこと聞いてねぇよ」


「うらやましいと言えばよいものを。さて、城下まで駕籠で送らせようぞ」


「いや、城門まででいい。そこから飛ぶ」


 本来であれば城門までですら歩く必要はなく、天守閣の最上階からそのまま転移してもよかったのだ。無論、酒を受けとる用事がなければの話だが。

 行きに城下町に飛んだのは、本山の所在が明らかではなかったからである。


 曲輪を越え、外壁の外。険しい山道を見据える大手門に到達した。

 本山が軽く手を挙げる。


「鉄の事だが、期待しておるぞ?」


「約束はできねぇと言ったはずだ。が、まぁいい。この酒の返し分くらいだけは確約してやるよ」


「ははは!そんなもんじゃ足りぬわ!けちけちせずにどーんと頼むからの!」


 くるりと振り返り、本山が門の中へと入ると同時にそれは大きな音を立てて閉められた。

 トニーらのそばには仏頂面の門兵が二人いるだけだ。


「なんだ、最後まで見送らねぇとは薄情なやつだな」


「よーし、んじゃ帰るよー。ちゃんとその樽は持っててね」


 カトレアが指揮棒のような杖を右手に持ち、左手でトニーのジャケットを掴んだ。


「ほい、到着」


 瞬きすらする前に景色が反転し、玉座の間ではなくトニーの私室内に到着した。

 酒樽という荷物があったのを考慮してここに飛んでくれたのだろう。トニーはそれをベッドのわきに下ろす。

 窓の外を見ると、ちょうど日が沈むところだった。


「今日はもう仕事お終い?」


「あぁ、お前の仕事はな。自分の部屋で寝てろ」


 トニーの強い希望で、カトレアの寝室はこの部屋から最も遠い位置に決められていた。

 無論、彼女からは強い反発があったが「同部屋や隣なんかだと軽い女だと思われるぞ」というトニーの発した謎理論を信じ込んだ事によって完封されている。

 本人も最終的には「会うまでの道のりは険しいほうが愛が深まるもんね」と納得している様子なので問題はないだろう。


「えぇー?うーん、まぁいっか。もう夫婦なんだし、チャンスならいつでもあるもんねー」


「なんのチャンスか知らねぇが、そんなもんは訪れねーよ。さっさと上海に行け」


「しばらくロサンゼルスにいるもーん。じゃまたねー」


 すでに上海地区にはカトレアの駐留を知らせてある。部屋は長官用の屋敷をそのまま使う予定だ。

 アジアでもっとも重要視していた中国の守りは固くなるわけだが、依然として他のアジア各国は危険な状況であるのに変わりはない。完璧に守り続けるのは難しいだろう。

 フィラデルフィア城での弾薬生産が本格化するまで一進一退の状況が続くのはやむを得まい。


 カトレアを見送ったトニーはジャックを探して先ずは玉座に向かう。


「あ、親父。お疲れ様です。どこかに出てらしたんですか?」


「閣下、探しましたよ。ご無事で何よりです」


 組員や魔族の兵士とすれ違うたび、声をかけられて「おう」と返しながら右手を挙げる。披露宴では退避させていたロシア兵もそろそろ全員帰還していることだろう。


 ギィィ、と重々しい音と共に玉座の間への扉が開く。

 玉座の左右に平伏しているのは一体のスケルトンとリザードマンだ。スケルトンの方はスーツに刀を携えているので、ジャックで間違いない。


「「閣下、お帰りなさいませ」」


 二つの声は同時に重なってトニーの耳に入ってきた。それを無視し、まずは玉座に腰掛ける。


「……?」


 ふと違和感を覚えるトニー。その目は未だひれ伏したままの片割れ、リザードマンの腕に向けられていた。


「てめぇ……」


 本来の色を失い、真っ黒に変色してしまった腕章。それは以前、トニーがポケットチーフとして使っていた最上級品である。


 トニーの身体が小刻みに震える。無論、それは激しい怒りからくるものだ。


「どの面下げて戻ってきやがったんだ、あぁ!?」


「閣下、お久しゅうございます。恥を忍び、戻ってまいりました」


 リザードマンは顔をさげたまま、零れ落とすように言葉を紡ぐ。


「ミッキー!てめぇはロシアに渡っての報復命令に逆らって離脱した!そうだったろうが!」


 かつての副官、時にはトニーの右腕として全軍の指揮すらも執っていたリザードマンは、数か月ぶりに主人の前にその姿を見せたのだった。


「閣下、どうかミッキー様のお話も聞いてやってはいただけませんか」


 激昂するトニーに、ミッキーと同じく跪いているジャックが懇願する。

 ジャックはトニーの護衛となるきっかけを作ってくれたミッキーにも多大な恩義がある。


「うるせぇぞ、ジャック!まだこいつの首がつながっている内に放り出せ!」


「閣下……」


 怒り狂ったトニーは取り付く島もない。事実、彼が言ったようにミッキーが瞬時に殺されていないのが不思議なくらいだ。


 その時。

 今しがたトニーが入ってきたばかりの扉がわずかに開いた。トニーからは見えるが、ジャックやミッキーは背を向けているのでそれに気づいていない。

 入室してくるでもなく、低い背丈の人影が顔を半分だけのぞかせて様子をうかがっていた。大声を聞きつけたカトレアである。


「クソが!」


 座ったばかりだというのに、居心地が悪くなったトニーは立ち上がる。彼に蹴り飛ばされるとでも思ったのか、ミッキーの身体がびくりと反応した。


「ちょーっと、ストップストップ!なに怒ってんのー?」


 しかし、その様子を見ていたカトレアはとうとう中に入ってくる。


「てめぇにゃ関係ねぇ話だろうが!」


「実は関係ありますー!はい、いいから座る!」


「あぁ!?なんだよ!」


 ててて、と駆け寄ってきたカトレアがトニーを玉座に押し戻して座らせ、その膝の上に跨って動きを封じた。興奮冷めやらぬトニーの手や胸の辺りをさすり、しばらく黙ったまま諭され続ける。トニーが鼻を鳴らしたところでようやくカトレアは言葉を返した。


「実はね。少し前からこのリザードマンは城内にいたんだよ?」


「どういうこった?なんでお前がそんなことを」


「このリザードマンに聞いたよー。エイブラハム団長とオースティン副長に仕返しするって、閣下が息巻いてた時の事」


 おそらくミッキーと別れるきっかけになった時の話だろう。

 スリランカのコロンボで襲撃を受け、甚大な被害を受けたトニーは即座に報復に向かった。それを諫める形でミッキーは最後まで反対した。


「何が言いてぇ?」


「まっ先にあたしに助けを求めるように助言したらしいじゃーん。うんうん、すごく正しい判断だねぇ。よし、許してあげて」


「はっ、それがお前がミッキーをかばう理由かよ」


 当然ミッキーの意見は却下され、トニーは少ない手勢でロシアへと強攻した。

 カトレアのことだ。理由はどうあれカトレアをトニーと引き合わせようとした過去がお気に召したらしい。


「まぁ話くらい聞いてあげてってば。別に閣下を裏切るつもりじゃなかったんだろうしさー」


「そんなにそいつが気に入ったんならお前が上海に連れていけ。補佐でも何でもさせてやればいいだろう」


「えっ!許すの早っ!」


 トニーは厄介払いのつもりでそう言ったのだが、カトレアはそうは取らなかったらしい。

 ミッキーも面をあげて、感動に身を震わせている。


「グルル!閣下……あ、ありがとうございます!再び、閣下のために命を尽くして忠義に励みます!」


「馬鹿が!別に許しちゃいねぇぞ!」


「カトレア様にご尽力をいただく進言をしてお叱りを受けましたが、閣下がカトレア様とご結婚なさったと風のうわさで聞き及び、きっと今ならばあの時の諫言をご理解いただけると信じておりました!」


 より一層、深く頭を下げたミッキーが床に向けて心の叫びを打ち明ける。その長い鼻先は床につき、床石を湿らせているのはとめどなく流れ出る涙であろう。

 隣で平伏するジャックも無言ではあるが、それに倣って白骨の額を床にこすりつけた。


「チィ、好きにしろ!ただし、あくまでもカトレア付の配下としてしか召し抱えねぇからな!てめぇの職場はロサンゼルスじゃなくて上海だ!分かったらさっさと行け!」


 こうなるとトニーも怒鳴り返すわけにはいかず、ミッキーの再士官をとうとう許した。


「ははっ!ではすぐに発ちます。カトレア様があちらに赴かれた折にお使いになられるお部屋を整えておきます。お二方、この御恩は絶対に忘れません」


 ゆるゆると立ち上がったミッキーが退室した。


「閣下、ありがとうございます。私からも感謝を」


「ふん、知らねぇよ。何か報告はあるか」


 カトレアを持ち上げ、膝から下ろす。


「は、ようやく鉄を扱える職人が三名確保できたとの事。たしか、イタリアに侵入した組からの報告です」


「そりゃいい。言うこと聞くようならさっさと銃弾を作らせろ。あぁ、鉄で思い出した。アジア各国の俺の領内で鉄を生産してる場所と産出量のリストを作らせろ。明日の朝までだ」


 下ろされたカトレアは仕事の話には興味が薄いようで、あくびを噛み殺しながら突っ立っている。


「はっ、まずは使者を飛ばす手はずを整えさせていただきたく」


「あぁ!?仕事はチンタラやるもんじゃねぇぞ!チッ……おい、ガキ。さっきのトカゲを呼んで来い。あいつはあれで人を回すのが上手いからな」


 早速ミッキーの使い道が出来てしまい、トニーはなんとなく悔しい気分になったのだった。


……


……


 数日後。

 ようやくカトレアが上海へと赴き、ミッキーもそれに追従させる形で追い出した。

 鉄は大した量を集めることができなかったが、本山との約束を破ったわけではないので、定期的に少しずつ分けてやるという話で渋々納得してもらっている。ここの折衝はミッキーに一任してしまっている。

 弾薬や武器精製用に奴隷の調達は組員と魔族兵によって継続中であり、手持無沙汰になったロシア兵らにはロサンゼルス城の防衛と周辺住民の徴兵や訓練を依頼している。女団長と爺やが頭だ。


 いまのところオースティンからの攻撃は鳴りを潜めている状況であり、上海に襲来した飛竜を最後に音沙汰はない。だが、間違いなくあちらも戦力の増強やロシアの侵攻を進めていることだろう。


 当のトニー本人はというと、フィラデルフィア近郊を訪れていた。共は護衛のジャックのみである。

 披露宴やら何やらで遅れてしまっていた、大悪党フレデリック・フランクリンの拠点探索。その参加依頼の催促がヘルから来たからだ。あわよくば討伐まで終わらせたいところではあるが、巨大昆虫を差し向けられては苦戦を免れないだろう。


 湿気を多く含んだ洞窟内には、確かに虫かごや壺などが所狭しと並べられていた。

 中にはカマキリやバッタ、蝶などの死骸。生きている個体もいくつかあったが、衰弱しきった様子で、しばらくエサを与えられていない様子だった。


「ふむ……手遅れであったか」


 探索隊というには仰々しい五十体のスケルトン兵を引き連れた死神ヘルが、バッタを指でつまみ上げながら言った。


「ここを出て結構な日にちが経ってるんじゃねぇのか?他に当てもねぇんなら、俺は洞窟を出たら帰るぞ」


 葉巻の煙をくゆらせるトニーが返す。


「なんだ、つれないことを言うではないか。ふむ、これは」


「はっ、気色悪いんだよ。それより、何か手掛かりでも見つかったかよ?」


「そのようだ」


 ヘルが羊皮紙をひもで纏めた冊子を手渡してくる。


「日記帳か?でかい虫に化けさせるのに成功した種類のメモみてぇだな」


 目を通すと、カマキリやバッタという、まさにこの場に集められている昆虫の名前がずらりと記載してあり、それを丸で囲んでいるもの、あるいはバツをつけて消してあるものがあった。

 カマキリや蟻など、フィラデルフィアに襲撃をかけた実績のある種類の昆虫には丸がついているので間違いないだろう。ほとんどがバツであるため、フレデリック・フランクリンの奇術もそう易々とは成功に至らないようだ。


「だが、こんなもん見つけたところで何の意味もねぇんじゃないか?」


 放り投げてヘルにそれを返す。


「いや、証拠としてはバカにはできんぞ。巨大化に成功した昆虫が鍵だな」


 厳密には巨大化したのち、生存させる事と命令を聞かせる事にも成功したものだが、今はそれは置いておく。


「あぁ?」


「カマキリと蟻の他に、ほら見てみろ。テントウムシとある」


 何十とある虫のリストで、丸がついているものは少ない。見返さずともトニーはテントウムシの丸印に気づいていた。


「高く飛べるんだったら自慢の天空城も安心してられねぇな」


 巨大カマキリは、幸いにもほとんど空を飛ぼうとはしなかった。もともと飛行は苦手でうろうろと飛び回る生体ではないのが影響していそうだ。


「うむ、しかしこうやって次にやってくる昆虫が分かれば、対策も立てられよう」


「対策だぁ?カマキリはデカくなっただけじゃなかっただろ。刃は通さねぇし魔術も効かねぇ。異常なほど固くなってやがった。テントウムシもそう簡単には撃ち落とせねぇぞ」


 フィラデルフィア城が落とされれば、トニーの兵器開発と生産も頓挫する。


「違う。その前に防ぐのだ」


「さっきからいちいち回りくどいぞ、骨野郎。どうするんだよ」


「テントウムシの巨大化に成功したのであれば、そのテントウムシを捕りにいくのではないか?それも城に攻勢をかけるつもりならば大量にな」


 大悪党の最終目標は分かっていないが、カマキリを使って街に甚大な被害をもたらした。

 飛べる虫を使う場合、目標は城だろう。だが、蟻で証明されたように、あまりにも体が小さな虫は、数が多かろうとさして脅威にはならなかった。テントウムシは蟻に比べると大きいが、奇術をかけてもカマキリ程の屈強さは手に入れられないだろう。

 カマキリ程の屈強さは期待できずとも、結構な数を揃えるだろうというのがヘルの予想だ。


「だからテントウムシを捕まえてるところを探すってか?馬鹿じゃねぇのか、てめぇ。そんなもんそこら中にウヨウヨしてるだろうが」


「いや、それはヨーロッパやアジアでの話であろう?大悪党がそっちまで実験台を仕入れに行かぬとは言い切れんが、フィラデルフィア周辺でそれを探そうとすれば場所は限られるのだ」


 アメリカ大陸はそのほとんどが荒廃した平野で成り立っている。魔族は過酷な状況でも難なく生活しているが、動物や昆虫はあまり生息していないらしい。

 そのため例外はあるが、食料は侵入時に手に入れた人肉や家畜、加工物で賄っている部分が大多数を占める。


「そうなのか?つまり、その少ねぇ虫の住処を調べようってわけか。ちなみに虫ごとにエリアが分かれてたりすんのか?」


「あぁ。幸いなことにな。蟻ならばフィラデルフィアだけでも範囲は広かったが、テントウムシであれば範囲を絞ることが可能だ。珍しい昆虫だからな」


「そりゃいい。早速行っても構わねぇが、他に丸が付いてる虫はいねぇか?」


 そう言われたヘルが再度手記に目を落とす。パラパラとページをめくり、数度頷いた。


「いいや、残念ながらまだいくつかあるな。生息地が分からない昆虫もある。どうしたものか」


「網羅するのは無理か。わかる分だけでも手分けして探した方がいいだろうな。その大悪党って奴は、でけぇ虫がいなくても強いのか?」


 奇術師というものをトニーは知らない。確かにカマキリは非常に強力だったが、本人も強いとなれば人員を分けるこの作戦は危険なだけになる。


「本人の強さは未知数と言うておこう。なにせ奴は誰とも関りを持たないのでな。長い間、話したものはおろか、姿をはっきりと見たものすらおらん」


「あぁ?だったらその本人を見つけても分からねぇじゃねぇか。姿や声を変える術を使われたら完全にお手上げだ」


 大魔女エリーゼも姿を変える奇術を使えた。フレデリック・フランクリンのような専門家なら体得していないはずがない。


「だから油断しているであろう、虫捕りの最中を狙うしかないだろうな。生け捕りが望ましいが、殺してもかまわん」


「生け捕りだなんて甘えた考えは最初から捨てておいた方が良いんじゃねぇのか?お前の城下町は壊滅的なダメージを受けたんだ。そんな野郎を生かしとく価値なんざねぇ。それともなんだ、悪党一人殺すくらいで罪悪感に苛まれるようなタマか?」


「くくく、馬鹿を言うな。罪悪感など微塵もわかぬ。だが承知した。トニーの言う通り、始めから殺す気でいこうではないか」


 ヘルがその身をすっぽりと包み隠している灰色のローブの裾を翻す。

 配下のスケルトン兵たちの手が止まり、洞窟内での探索調査は終了となった。


「次は見つけてから呼べよ」


「なんだ、テントウムシの生息地までくらい付き合え」


「あぁ?……ったくよぉ。さっさと行くぞ」


……


 移動は空間転移ではなく、徒歩だった。

 もちろんこれは転移術や飛竜での移動ではフレデリック・フランクリンがいた場合に感づかれてしまうからである。

 距離にするとおよそ3マイルほどで、小一時間もあれば到着可能だ。


 トニーは日向でこそ物見遊山がてらに登城をしたが、場所がフィラデルフィアでは砂埃が舞う荒野と枯れた短い草原が広がるばかりである。

 すぐさま嫌気がさし、結局スケルトン兵三体に自らの身体を運ばせている有様であった。


「おい、ヘル。まだかー?」


「しっ、静かにするのだ。もうすぐそこまで近づいているぞ」


「そうかよ」


 足音を減らすためにスケルトン兵が八体のみと、犬型のスケルトンが二体同行している。

 この犬型のスケルトンだが、特に呼び方は決まっておらず犬型と呼ぶのが一般的らしい。言葉を話せない代わりに嗅覚や走力など、ターゲットの追跡に使えるとの事で今回連れてきている。その辺りは生きている犬や狼と変わらないものと考えてよさそうだ。


「いつまでそうしておるのか知らぬが、目立っては意味がない。お前たち、将軍を下ろして差し上げろ」


「バレンティノ閣下、それでは失礼いたします」


「あ、おい!クソが」


 担ぎ上げられていたトニーの両足が、地面を踏みしめた。


「あそこに湖が見えるか」


「湖?」


 荒野にポツンと、青々とした背の高い草っぱらが生えている部分がある。

 草が育つのなら水があるのだろうが、規模としては湖というより池といったほうが良さそうなささやかなものだ。


「そこがテントウムシの群生地としては最も規模が大きい。フィラデルフィア周辺では、という意味だがな」


 ヘルが小声でそう教えてくれた。


「あれで一番デカいって?ほんとに恵まれてねぇ環境だな、この国はよ」


「だからこそ我々は昔からこうして人間どもに押し込められておるのよ。だが今はそんなことはどうでもよい。皆、ここからは細心の注意を払って近づくぞ。会話はもちろんのこと、足音にも気を付けてな」


 トニーらは荒れた大地に立っているわけで、遮蔽物はほとんどない。

 目標地点にある草むらの中、その奥ならばこちらは見えていないだろうが、手前側にいたらバレバレだ。

 フレデリック・フランクリンがいるとして、彼が湖に最も近い場所、つまり草むらの奥にいることが接近可能な前提条件となる。


 一番騒ぎそうなトニーから返答がないのを気にしてか、ヘルは人差し指を自分の口元に立てるジェスチャーをしながら見つめてきた。


「あぁ、わかってる。なんなら俺が先頭でもいいぞ」


「ほう?ではお願いしようか」


「おら、ついてこい。腰抜けどもめ」


 愛銃を引き抜き、トニーはぐんぐんと進み始めた。無言を貫いているジャックも続く。足音にも気をつけろと言われたばかりとは思えない足取りに、ヘルがため息を吐く。

 そこまで大きな音が立っているわけではないが、お世辞にも忍び足とは呼べそうにない。しかし、距離が詰まってきているのは間違いないので呼び止めて注意するわけにもいかず、一同はトニーが大股で進むペースに合わせて速足で移動した。


 とうとう葦のような背の高い草むらの端に到達し、トニーが振り返った。


「……」


 ヘルは無言でこくりと頷く。


 円形に広がる小さな草原の中心に湖があるのだが、そこに向かうにはここをかき分けて進んでいくしかない。どう足掻いたところでガサガサと音が出るので、ヘルはここで全員を円形にすると話をつけていた。

 トニーとヘル、ジャック、それに他のスケルトンたち総勢で十三名。一定間隔で広がり、徐々にその円を狭めていくという単純な作戦である。

 トニーから見て左手にジャック、右手にヘルがいる。最も遠い池の反対側には犬型のスケルトンが回り込んでいった。一分程度待機し、ヘルが右手を前に振ると、それに合わせて包囲網が中心に向かって動き出す。


 いよいよ草むらに入ると、左右にいるはずのジャックやヘルの姿も見えなくなる。それはトニー以外の者たちも同様であろう。隣から草をかき分ける音だけは聞こえてくるので、それを頼りに歩調を合わせるしかない。


……


「んー、んー、いいねぇいいねぇ」


 若い男の声が聞こえ、トニーは身構えた。包囲網を敷く味方の誰かが声を発するはずがない。つまり、他の何者かがこの先にいる。

 味方が動く気配が一斉に止まった。立ち止まるまで吹いているのに気づかなかったが、弱い風が草を撫でるかすかな音が場を支配した。


「あぁ、そうかそうか。可愛い奴め」


 続けて同じ男の声。内容からして誰かとの会話ではなく、独り言のようだ。その主がフレデリック・フランクリンだと確定したわけではないが、こんな場所でぶつぶつと独り言ちている人物がまともな存在であるはずがない。


 しかし、いつまでもこの場で立ち止まっているだけでは埒が明かない。

 その静止状態をいち早く破ったのは、やはりと言うべきかトニーであった。


「んん?なんだぁ?」


 草で塞がれていたトニーの視界が開けるのと、一体の矮躯が彼に対して声を発したのは同時であった。

 背丈はトニーの半分以下で痩せぎす。茶褐色の肌を露わにしており、下半身にのみ獣の革で作った貧相な腰巻をつけている。頭髪はなく、皺だらけの顔とエルフのような三角形にとがった耳。血色の悪そうな紫の唇は閉じられているが、黄ばんだ大きな牙が二本飛び出していた。

 突きつけられた銃口に、ぎょろりとした大きな瞳を向ける、トニーが初めて見るその魔族。種族名をゴブリンという。


「よう、化け物」


「げげ!人間!?」


 この類のやり取りは久しぶりだな、と思いながらトニーは鼻を鳴らして笑う。

 得体のしれない武器を向けられ、逃げ出すべきかときょろきょろと周りの状況をうかがっている。


「お前は誰だ?ここで何をしている?」


「待てまぁて!待て!何の変哲もないゴブリンだ。そうだ、ゴブリンだ!そうだろう?」


 奇怪なしゃべり方をするそのゴブリンは両手をぶんぶんと振りながら、自分は無害な存在であるとアピールしている。


「ゴブリン?フレデリック・フランクリンってのがてめぇの名前だろ?」


「ひぃぃ!」


 悲鳴と同時に、そのゴブリンの右手の人差し指が光った。そこから放たれた白い光線が、トニーの愛銃に当たる。


「あぁ?」


 右手に握っていた硬質な感覚が、ぐにゃりとしたものに変わる。

 それは、緑と黄色のまだら模様を持つ蛇であった。シューシューと舌を鳴らし、トニーの腕を這い上がってこようとする。


 拳銃が、一瞬にして蛇へと姿を変えてしまった。それはトニーに恐怖よりも、怒りを与えるものだった。這ってきていた蛇の頭を左手でぐしゃりと握りつぶして捨てる。

 目の前のゴブリンは、その様子を見てにやりと笑った。


「い、いきなり驚かすからそうなるのさ!はははは!はははっ!そうともそうとも、僕を驚かすからその杖は恐ろしいものに姿を変えてしまったのだ。そうだろう?」


「てめぇ……聞くより先に弾くべきだったぜ」


 そうは言ってもフレデリック・フランクリンは正体不明だ。先に殺してしまっては討伐できたかどうかが分からなくなってしまう。

 彼自身に名乗らせる、或いは昆虫を巨大化するところを目撃するなどの条件が必要である。


 ここで、味方の包囲網が草むらを抜けて中心の湖を囲む状態となった。

 十三人ではさすがにぎっちりとは囲み切れなかったが、トニーと対峙するゴブリンを視認した全員が駆けつけてくる。池と呼ぶ方がふさわしいであろう小さな湖を背にして、ゴブリンは半円形に包囲された。


「ななっ!他にも仲間がいたのか?」


「ほう、こやつが大悪党フレデリック・フランクリンか。ようやく見つけたぞ」


 灰色のローブを羽織る死神、ヘルがそう言いながら目の前の空間から大鎌を取りだした。

 それを切っ掛けに、各々が自らの得物を構える。


「ままま、待つんだ!僕はそんな名前じゃないぞ!」


「ほう?では貴様は何者だ?」


 ここにいる誰しもがそれは苦し紛れの言い訳にしか聞こえていないだろうが、ヘルは尋ねた。


「お、お前たちこそ何者だ?そうだそうだ!お前たちは何者だぁ!僕の庭に勝手に踏み込んできてぇ!」


 トニーはゴブリンの返答に違和感を得る。


「ここが貴様の庭だと?貴様は誰の領地で…」


「待て、骨野郎」


 トニーは振り返ってヘルの言葉を途中で止めた。あえて、名では呼ばずにだ。

 なんだ、と訊いてくるヘルに歩み寄り、肩に手を回して小声でつぶやく。


「おい、大悪党ってのはお前のタマ狙ってんじゃなかったのか?何でこんなに分かりやすい城主様のツラを知らねぇ?しらばっくれてる演技の可能性もあるがよ」


「襲い掛かってこないのが妙だと言いたいのか?我らの反撃を恐れて、欺こうと演技をしているのであろう?何をいまさら情にほだされたようなことを言う。迷わず殺すべきだと言ったのはお前のはずだぞ、トニーよ」


「あぁ、殺ればいい。ただし、こいつが間違いなく大悪党って分かったらな。ちぃと俺に任せろ」


 ヘルの返事を待たず、その肩に回していた手をどけてゴブリンと正対する。


「早く出ていくんだ、このオアシスから!ここは大事な大事な僕の庭で、大事な大事な!とにかく大事なんだよ!」


「わかったわかった。大事なのはわかったからよ。何でここがそんなに大事なのかを教えろよ。そしたら帰ってやってもいい」


 これで、この場に生息するというテントウムシをその理由に挙げればアウトだ。


「この場には多くの生物が暮らしている。この荒野が続く大地にぽつんと水辺があればそうなるのは必然!ぼ、僕はその研究をしているのだからこの場を守る義務があるのだ!」


「たとえばどんな生き物だ?」


「これさ!あぁ、なんて可愛らしいのだろう」


 腰を落としたゴブリンが、指に何かを掴んで見せつける。小さくてトニーにはよく見えないが、虫であるのは間違いなさそうだ。


「あぁ、あぁ、元気に育ったんだね。元気に育った君にはご褒美をあげないといけないな」


 ゴブリンの右手の指先が光る。先ほどトニーの銃を変化させた時と同じだ。


「なっ!幻術!いや、奇術か!」


 ヘルが咆える。

 いままでゴブリンが手に持っていたはずの虫は逆に、ゴブリンを背に乗せて羽ばたくところだった。それは巨大な、深紅のテントウムシである。


 ここまでくればもう確実だろう。

 ヘルやトニーの号令を待たずして、スケルトン兵たちが一斉に襲い掛かった。


 既に地を離れようとしていたテントウムシだが、次々と兵に乗り込まれてあっという間に墜落する。


「あぁぁぁぁ!やめろ!僕に近づくなぁ!」


 慌てたゴブリンがさらに右手を光らせ、一体のスケルトン兵の剣が小枝に変えられる。

 だが、それまでだ。


 殺到したスケルトン兵は見る見るうちにゴブリンを覆いつくし、顔だけがこちらを覗いている状態になった。もはや動けまい。

 ヘルがにじり寄り、大鎌を頭上に構える。


「や、やめっ!」


「とうとう名乗らなかったな。フレデリック・フランクリン」


 首を刈り取った鎌が地面に突き刺さり、ドンッと鈍い音を立てた。


……


 首と胴の両方からは緑色の血液が勢いよく噴き出す。

 胴体はびくりびくりと痙攣すること数秒で停止した。ただでさえ大きかった目は驚きに見開かれたままで地面に転がる首。それが、壮絶な最期を物語っている。


「トドメをさせて満足か?いいとこ譲ってやったんだから文句は言うなよ」


「もちろんだ。感謝するぞ、トニーよ。しかし、せっかく助力を頼んだにも関わらず、呆気ないものだったな」


「大乱闘でも期待してたってか?こそこそ悪戯してるような奴だ。喧嘩が強いほうがおかしいのかもな」


 葉巻をくわえ、火をつける。

 墜落したテントウムシのほうは、ジャックや犬型も含めたスケルトン兵たちが袋叩きにして退治していた。


 二、三口だけ煙を吐き、すぐにそれを地面に捨ててしまう。

 そして、トニーは足元に転がっている愛銃に気が付いた。


「あん?どうなってる」


「どうした、それは大事な得物だったのではないか」


 拾い上げられたトニーの大型拳銃は、土をかぶってひどく汚れてしまっていた。それもそのはず、トニーは蛇に姿を変えたこれを握りつぶして投げ捨てたのだから。


「あぁ、そうか。たしか幻術ってのはこけおどしで、奇術のほうが厄介な魔術だったか」


「なるほどな。大悪党に幻術を見せられてそれを捨てた、というところか?戻ってきたならば良かったではないか」


「ふん」


 ごしごしとスラックスで乱暴に土をはらい、愛銃を見回す。さすがに蛇に見えていたからと鋼鉄を握りつぶせるはずがないので、曲がったりひしゃげてはいないようだ。


「虫をデカくしてたのは奇術か?」


「あぁ、それは間違いない。見てみろ。テントウムシの亡骸はそのまま残っている」


 すべての足を切断され、固い羽根も破れてしまったテントウムシが仰向けにひっくり返って動かなくなっている。

 拳銃が元の姿に戻っているのに対し、それは巨大なままだ。


「最初は俺の事を敵対者と判断しかねて、手始めに幻術でビビらせようとしやがったのか?」


「どうであろうな。だが、奇術を食らっていたならばそうして手の中に戻ってくることはなかっただろう」


「ま、俺の仕事はここまでだ。技術者のフィラデルフィア城移動の件はまた連絡する」


 ジャックを呼び、トニーはロサンゼルスへと帰還した。


……


……


 空間転移の亀裂から降り立ったのは玉座の間だ。

 珍しく衛兵や組員は誰もいない。誰かが廊下を走る足音や話し声などは聞こえているので、以前のように襲撃を受けてもぬけの殻だという心配はなさそうだ。

 トニーが大きく息を吐いて玉座に座ると、ジャックが一礼して横に控えた。


「おい、何か持ってこさせろ」


「はっ、ではお飲み物でも。ワインがよろしいですか」


「そうだな」


 ジャックが扉まで走り寄り、静かにそれを開いて右手を挙げている。通りかかった誰かをつかまえることができたようで、トニーの注文を伝えた。


「あん?」


 数分後に現れたのは真っ黒な執事服を着込んだ男だった。トニーはその男に見覚えがない。こんなに小綺麗な執事などロサンゼルスにいなかったはずだ。

 黒髪と顎髭を蓄えてはいるがまだ若い。三十代の半ばといったところか。それでも所作や恰好が板についているのは、これを生業としていたからだろう。

 以前も従者や侍女はいたが、それもオースティンの襲撃で根絶やしにされているはずである。

 つまり、この執事は新たに連れてこられた奴隷ということ。もう実務を任されているとは、技術者に比べて随分と早く従属したものだ。


 彼が手に持つバスケットの中には一本のボトルとグラス。それとチーズが入れられている。トニーの前に恭しく跪いて、頭上にそれを掲げた。

 トニーが顎をしゃくると、ジャックがそれを受けとる。

 執事は頭をさげたまま二歩下がった。


「お前、英語は喋れるか?」


「……少し、だけではございますが」


 トニーの声掛けに執事が床を見たまま返す。


「ドイツ人か。名前は?」


「クンツと申します。クンツ・フリードリヒでございます、バレンティノ閣下」


 イギリス英語だが、その上さらに訛りがある。母音が固い印象から、ドイツ人だと分かる。

 謙遜しているのか、少々といった割には流暢に話せている。確かにアクセントはネイティブには程遠いが、トニーにとってはイギリス英語というだけですでに聞き取りづらいのでそこまで気にならない。この執事とはカトレアの翻訳術に頼らずとも話せそうだ。それがこうして早々と仕事を与えられた理由だろう。


「そうか、うちの連中も執事とはおもしろい奴を拾ってきたもんだ。どこぞの貴族の家令か?」


「家令とは、滅相もございません。私はいち使用人に過ぎません。お仕えしていたのは帝国の皇帝陛下の弟君でございます」


「あぁ?皇弟の使用人だと?」


 皇帝の弟ともなれば国で最高に近い権力者であることは間違いない。

 この世界において、トニーが侵略してきたアジアの小国群とは違い、ヨーロッパの四か国とロシア帝国は大国であることが分かっている。


「ドイツの皇族の使用人がさっさと自分の立場と気持ちを切り替えれるもんなのか?」


「いえ、私以外にもお屋敷には使用人や僅かな数の衛兵がおりましたが、そのほとんどが斬られました。こうして連れ去られてなお生きながらえているのは私だけでございます。幸い、殿下は宮殿での会合で自領の屋敷を出ておいででした」


 皇弟の関係者とはいえ、守りが固いはずの宮殿で襲撃を受けたわけではないようだ。

 トニーの部下らは、皇弟が留守だったおかげでその屋敷を手薄と判断して襲ったのだろう。


「答えになってねえぞ。なめてんのか、てめぇ?」


「滅相もございません。私個人としての意見であれば、我が身可愛さに従うと決めたまで。幸い、魔族の中でもバレンティノ閣下の下には人間の奴隷が多いと教えていただきましたので」


「はっ、我が身可愛さときたか」


 トニーの脅しにもフリードリヒは身じろぎ一つせずに淡々と答えるばかりだ。

 本気で言っているとは到底思えない態度である。どこか、すべてを諦めているような印象を受けた。


「ひとり身でございますので、後顧の憂いもございません。どうぞ、身の回りのお世話であれば存分にお申し付けください」


「クソ真面目なのは結構だが、面白い話の一つや二つねぇのか?皇弟の側仕えなら、色んなお偉方を見てきたんだろ」


 眉間に指をあて、フリードリヒはしばし考えるが首を横に振った。


「いいえ、私の業務はあくまでも殿下の身の回りのお世話でしたので。お客様とお会いになられるような場に同席することなど私には許されておりませんでした。それに、お屋敷でのことをお話するのはできれば遠慮させていただきたいと存じます。殿下から賜った恩義を裏切ってしまった私が捧げられる、せめてもの忠節です」


「ふん、その忠誠心でここにいるってのがあべこべだな。固いのか自分勝手なのかわかりゃしねぇ」


「我が身可愛さと申し上げた通りでございます。同僚が次々と斬られていく中で、無様にも命乞いを致しましたところ、それなら閣下のお役に立てるように精進せよと言われまして」


 トニーは退屈そうに、丁寧で長々とした説明を聞いている。

 フリードリヒはその様子に気づくも、やはり慌てた様子はなくゆっくりと頭を下げなおした。


「で、どうしたいんだ?俺のところで生きながらえるだけでいいのか?当然、故郷に返してくれなんて願いは無理だがな」


「命あるだけでも充分でございます。末永く、お使いいただければ」


「そうか」


 それだけ返し、トニーはひらひらと手を振った。

 退室を促されているのを理解したフリードリヒが回れ右をして去っていく。


「ふん、やっぱり執事如きじゃ欧州侵攻の参謀には立てれねぇか。欲がねぇってのもつまらん奴だ。向上心があれば莫大な報酬で諜報員として送り込めたかもしれねぇのによ」


 ジャックがなるほど、と相槌を打つ。


……


 それから数日の間、トニーやその部下たちは戦力の立て直しに時間を費やした。

 カトレアは上海に駐留しはじめてからも頻繁に瞬間転移でトニーの部屋に押しかけてきたが、ミッキーの補佐のおかげで街の運営は真面目にやっているらしい。


 ロサンゼルス城の守備を命じているロシア兵らは多少の不満を抱えているようだが、今のところは女団長が抑えてくれている。確かに国の奪還は遅れているが、彼ら自身の衣食住には惜しみなく投資しているのも声を大にしてトニーを急かすことができない理由だろう。

 事実、技術者は各国から続々と奴隷として迎えられ、弾薬や兵器製造の手法を徹底的に叩き込まれている。

 つまり、心の底ではトニーが約束を違えて呆けているとまでは誰も思っていないはずだ。

 仕事がロサンゼルス城の守備だけでは、目に見えないところで祖国が蹂躙されているのを見過ごしているように感じてしまうのかもしれない。

 だが、自分たちだけでロシアへ戻って戦うよりもトニーの戦力増強を待つ方が明らかな近道だ。

 不満を口にするのはそれを理解できない末端の兵卒に多いという報告が女団長から上がってきたが、苦笑を浮かべつつも彼女が軽口のようにそれを愚痴っている間は安心しておいていい。冗談交じりということは、切迫した状況ではないということである。兵卒たちのほうも、上司に向けて勇んで見せているだけだ。

 そして、トニーも女団長もそのくらいは理解している。


……


 この日。

 

 玉座の間にはトニーと護衛のジャックの他に、妻である三魔女のカトレア、その副官ミッキー、女団長に爺や、組員から四人の若い衆が集まっていた。


「報告の通り、奴隷の職人が十名と魔族の魔術師が六名。こいつらをフィラデルフィアへ送る手はずは整った。あとは生産が順調に進めばロシアへの進撃を再開できるわけだ」


「おめでとうございます、閣下」


 一番に祝辞を述べたのはミッキーだった。それに続いて他の面々からも声が上がる。

 特に女団長と爺やは誰よりも喜びを露わにしている。


「だが、一つおもしろくねぇ話も入ってきた。ジャック、話してやれ」


「はっ。フィラデルフィアのヘル閣下より、討伐が確認されていたはずの大悪党、フレデリック・フランクリンの奇術による巨大昆虫が城下町に大量発生しているとの話です」


 ほんの数刻前。皆を呼び集めた後で届いた知らせである。


「えぇ?閣下が加勢に行って倒したって話だったじゃん?嘘ついてたのー?」


「アホか。そんな下らねぇ嘘なんかつかねぇよ。大方、奴の幻術だか奇術だかにまんまと騙されたか、それとも殺ったのがよくできた替え玉だったかってところだろ」


「そ、それでは今しばらく職人どもの移動は見送りになるのだろうか!」


 女団長が切羽詰まった様子で質問を投げると、トニーは軽く頷いた。


「なんということだ……将軍は今一度その場所に行かれるおつもりか?」


「ヘルからはその連絡だけで援軍の要請は来てねぇ。お呼びでないのに首突っ込むほど恩着せがましくしねぇつもりだ」


「他に火急の要件でもございますか」


 続いて爺やが訊いた。その瞳に宿っているのは焦りだろうか。


 その時だ。


 玉座の間の入り口付近に亀裂が入り、空間がゆがむ。


「……ったく、早速来ちまいやがったか。まだ一時間も経ってねぇのにもうギブアップかよ」


 再度、ヘルからの使者が送られてきたのだろうとトニーがため息をつく。


「バレンティノ閣下、お取込み中に失礼いたします」


 やはりその空間転移からは、一体のスケルトン兵が現れた。

 左足と左腕を根元から欠損しており、頭蓋骨も左側が半壊している。その状態から、かなりの激戦が予想された。

 それを見たトニーがピクリと片眉を吊り上げ、他の面々がハッと息を飲むのが伝わってくる。


「ふん、もう戦えねぇからこの骨が回覧板扱いか。手ぇ貸せってんだろ?街の状態を教えろ。もう壊滅的ならわざわざ出向いても意味がねぇ。まさか天空城が堕ちたんじゃねぇだろうな?」


「はっ。街は戦渦に巻き込まれて三割の家屋が倒壊、犠牲者も増える一方でございます。フィラデルフィア城も陥落こそしておりませんが、激しい攻撃にさらされている状況でございます。六魔将の方々全員に伝令を送っておりまして、バレンティノ閣下の他に、ご自身の城におられたアルフレッド閣下とリーバイス閣下はご助力においでくださるとの由」


 ボストン城主のエルフ、アルフレッドは大弓の使い手だ。天空城を襲う敵を撃ち落とすのには適任だろう。

 ジャクソンビル城主のリーバイスは二刀を下げたミイラ男だが、こちらはどのくらいの戦闘力なのかトニーには良く分からない。


「六魔将全員だと?ヘルも本気で焦ってやがるな。わかった、俺も行ってやる。ミッキー、ウチから出す援軍はお前が選抜しろ。死ぬだけの雑魚は送るなよ。ただしてめぇ自身は手薄になるロサンゼルスとアジア各地の防衛に就け。ロシア兵の指揮権も一時的にやる。このロシア人の嬢ちゃんとよろしくやっとけ。それから野郎どもとジャックは一緒に来い」


 テキパキと指示を出し終え、ヘルからの伝令兵に向けて「お前はさっさと帰れ」と手で追い払う仕草を見せる。

 労いもなしに邪魔者を帰そうとしているようだが、実際には早く援軍の知らせを持ち帰ってフィラデルフィアの兵員の士気を高めろという意味だ。


「感謝いたします、バレンティノ閣下……!」


 その言葉と共に、満身創痍のスケルトン兵は空間転移で戻っていった。


 同時に、編成指示を受けたミッキーや出撃命令を受けたジャック、組員らは玉座の間を駆け足で後にする。

 女団長と爺やは通常通りロサンゼルス防衛のため急くことはなく、トニーに一礼してゆっくりと退室していった。出れないのは悔しいだろうが、彼女らに大した戦果は期待できないので自重してもらうしかない。


「え?え?閣下、あたしは?」


 自分の顔を指さし、何の指示も受けなかったカトレアがポカンとしている。


「あぁ?お前はいつも通り、ままごとでもしてりゃいいんじゃねぇのか」


「そんなことしませんけどー!暇じゃん!連れてってよ!前、大きい虫をやっつけた時は役に立ったでしょー!」


 葉巻をくゆらせるトニーのスーツをゆさゆさと引っ張ってカトレアが懇願する。

 確かに巨大カマキリ撃退に彼女は死霊術で一役買った前例がある。


「ならそうしろ」


「えぇー!だから連れてって……へ?今日はやけに聞き分けいいね?」


 あっさりと同行を認めたトニーに、今度は違った意味でポカンとしてしまった。


「ほれみろ、本当は行きたくなかったんだろうがよ」


「違う違う違う!いき、いきき、行きますよ!さてはあたしをからかったな!もうー!」


「相変わらずきゃんきゃんとうるせぇガキだ」


 夫婦で痴話喧嘩をしていると、まずはジャックが戻ってきた。最近、新たに買い与えてやった二刀を腰に()いている。

 前々から愛用していた日本刀に、朱色の拵えの脇差を増やした形だ。本山から「都では二本差しが粋がられている」と聞いてジャックに一振り下賜したものだ。

 普段は気分でどちらか一本を持ち歩いているようだが、出撃命令を受けたのでどちらも持ち出すらしい。そして、その手にはトニーの銃と弾倉、死霊杖が持たれていた。


「閣下、こちらを」


「おう」


 簡単だが、彼らの準備はこれで完了である。

 組員もライフルを手にすぐ集まってくるだろうが、ミッキーの仕事に少しばかり時間がかかるのは仕方ない。


「あたしはこれー」


 別に聞かれてもいないのだが、愛用の小ぶりな指揮棒に似た杖をぶんぶんと振ってカトレアがトニーに見せつけている。


「相手は奇術や幻術が得意な野郎だが、お前はその辺の見識はあるのか?」


「あったりまえじゃん!あたしは魔族の最高位、三魔女の一人ですぞ!」


「それを言うなら俺も最高位の将軍の一人だろうが」


 最高位は厳密に言えば大魔王なのだが、幸いにもここに二人の言葉を咎めるものはいない。


「はいはい、将軍様すごいすごい。で、大悪党の奇術の弱点とかそういうことが知りたいわけ?」


「そうだな。あるのか?」


「術自体の威力はずば抜けて高いわけじゃないよ。分かってるとは思うけど、幻術や奇術ってのは相手を騙してなんぼな魔術なんだよねぇ。倒すのが一番厄介な術者と言えばそうかも。今回みたいに自分の死すら騙すからね」


 通常の魔術や、トニーの十八番である死霊術などは派手で威力も高い。

 だが、昆虫を巨大化させる奇術も十分に威力はある。決して弱いとは言えない。


「デカいカマキリの強さを忘れたか?騙しに使うのは幻術のほうで、奇術は実態があるから厄介だって話じゃなかったか」


「もちろん覚えてるよー。そうそう、幻術は見掛け倒しで奇術は実際に色んな変化を与える術だよ!よく覚えてたねぇ、閣下」


 トニーの頭を撫でようと背伸びするも、やはりカトレアの身長では全く届かない。


「だからその弱点はなんだって訊いてんだろうが!」


「んー、たとえば魔術はそこに何もなくても炎を出したり雷を飛ばしたりできるけど、幻術と奇術は必ず対象が必要ってところかなぁ?その点は死霊術とか呪術もちょっと似てる。でもね、実は奇術も騙してるんだよ。その対象自体をね。だから虫は大きく強くできても、意思のない岩とかお城とかは大きくできないよーん。もしやりたいなら幻術でそう見せるしかないね」


 生物には奇術で変化を起こせるが、無機物にはそれが通用しないため幻術で惑わすのが常套手段というわけだ。果たして弱点と言えるのかは微妙なところであるが、トニーは一つ合点がいく節があった。


 彼の愛銃である。

 幻術で蛇に変えられてしまったが、それはトニーに対して手加減をして下位の幻術を使ったわけではない。銃に対してはそれしかできなかった、ということである。

 ヘルもその辺りはあまり詳しくなかったので、さすがカトレアは魔術関連の専門家だと言える。


「奇術の方が生き物には効くってことは、俺達の身体に何かされる心配はあるか?」


「虫でやってる時点で出来ないんじゃない?そういうのは奇術や幻術じゃなくて呪術の専門だし。相手の腕を一本なくしちゃったり、髪の色を真っ白にしちゃったり」


「ややこしいな。とりあえず奇術メインの術者はそういった戦い方はしねぇってことか。だが、奴が呪術も使えないとは限らねぇだろ」


「それはそうだね。謎だもん、大悪党の情報」


 カトレアが肩をすくめて嘆息する。

 ついこの間まではその尻尾すらつかめなかった相手だ。死んでいなかったのであれば、いろいろな隠し球を持っていると踏んでいい。

 あのゴブリンの姿も当てにはならない。本人は全く別の種族である可能性もある。


「とにかく、物に奇術は効かねぇってのは全員に周知しておいた方が良さそうだな」


「そぉなの?」


「当たり前だ。知らねぇより知ってる方が有利だ」


……


 組員ら、そしてミッキーが編成した魔族の戦士たちが続々と集結してくる。総勢は四十名。


「閣下、ご武運を。防衛はお任せください」


 ミッキーに見送られ、兵を率いたトニーがロサンゼルス城を出発した。

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