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#12

 ウィリアムとカンナバーロを乗せた飛竜は、いくつかの小国の上空を飛んだ後にパキスタン共和国に入った。

 

 神々の水路を越えてからは、どの国も敵対しているものと考え、地上からかなり距離を取って飛行している。地上にある建物は視認出来るが人影は全く見えないので、逆に住民達からも飛竜が遥か遠くを飛んでいるようにしか見えていないはずだ。 

 どこで誰に見られているか分からないので、日中に着陸するのは危険である。日が落ちるまではこの高度を維持するしかない。

 

「バレンティノ卿、小便ってどうしたらいいですかね?」

 

 後ろから気だるそうな声が飛んでくる。

 

 飛行中だが、風を切る音は大きくないので少し声を張るだけで会話は問題なく出来た。

 

「クソじゃあるまいし、我慢出来ないなら立ち上がって後ろに出せばいいだろう」

 

「そんな器用な事出来るわけないでしょう!落っこちたらひとたまりもないですし、どうやっても飛竜にかかっちまいますよ!」

 

 真後ろには尻尾、真横には羽があるせいで八方塞がりだ。

 飛竜は小便がかかったくらいで気にはしないだろうとウィリアムは思うが、カンナバーロはその後に何かしらの仕返しをされると思っているようだ。

 同じように小便をひっかけられるくらいならまだしも、火炎を吐かれたり噛みつかれたりするのを恐れているのだろう。

 

「分かった分かった。次の離陸前には空き樽を準備しておけよ。それに、あと一時間もしない内に日は落ちるはずだ。もう少し辛抱してくれ」

 

「あぁ、神様!どうか自分の尿意を鎮めたまえ!」

 

……

 

 空から見る美しい夕焼けの後、満天の星空が辺りを包み込む。 

 背後で顔を青ざめさせているカンナバーロをちらりと見、ウィリアムは飛竜に下降の指示を出した。 

 直前に見た地図ではパキスタン共和国最大のメガシティ、カラチの近郊に到達しているはずだ。乾燥した地域だと予測していたのだが、河川や海が近くにあり、森林を持つ小山などもあって潤沢な土地である。

 

 カラチでは食糧調達しかやる事はないが、欧州人に対する現地民の態度が気になるところだ。

 冷ややかな視線くらいは覚悟しているものの、いきなり取り押さえられるほど敵対視されていては首都イスラマバードに向かうのを憂慮しなければならない。

 

「着いたぞ、よく頑張ったな」

 

 飛竜にもカンナバーロにも当てはまる声をかけ、ウィリアムは地に足をつけた。

 

「助かった……」

 

 よろよろとした足取りで、情けない声を出しながらカンナバーロが茂みへと向かう。

 

 ウィリアムはその間、周辺の警戒を行う。

 降りたのは飛竜を隠す為、例によって雑木林だ。何かいれば飛竜が真っ先に反応してはくれるのだろうが、頼ってばかりというのもウィリアムの性格上許容出来ない。

 

「ふぅ……バレンティノ卿、お騒がせしました。お次、どうぞ」

 

 恍惚とした表情のカンナバーロが戻ってきた。

 

「いや、俺はまだ大丈夫だ。それより野営の準備を頼む。俺は少し林から出て、周辺に人間や野獣の住処がないか確認してくる」

 

 特に、日中に人間の目が届きそうであれば早々の移動を考慮しなければならない。

 

「了解しました。テントと焚き火を準備しておきます。食事はいかほどに?」

 

「街で供給の目処が立つまでは控え目に頼む」

 

 カンナバーロが首肯したのを見届けると、ウィリアムは踵を返した。

 

 開けた場所から辺りを見渡すと、乾燥した大地と草原、河川や森林のコントラストという珍しい情景が広がっていた。

 幸い、街や集落は見受けられないものの、野営地からそう遠くない池の畔に一つ、木製の掘っ建て小屋が佇んでいるのを発見する。

 

「あれは……人が住んでいなければいいが」

 

 確認の為にウィリアムはそろりと近寄った。

 透明度の低い磨りガラス製の小窓が一つ、池に向かって勝手口が一つ、その真逆に玄関らしき扉が一つ。

 

 灯りはこぼれていない。まだ日が落ちて間もないので、住民が寝ているとは考え難い。

 留守か、そもそも住居ではない空き家だと思われる。

 

 勝手口の方は鍵がかかっておらず、ウィリアムはライターに火を灯して中に入った。

 

「誰かいるか?」

 

 英語は公用語らしいが、ウルドゥー語という現地語が使われていることが多く、地方ではあまり通じないという。

 たとえ都市部でも年配や学のない人間相手では少々厳しいと思われる。

 

 小屋の中は部屋分けされておらず、狭いワンルームだった。部屋の中には投網や釣り竿、桶など漁に使う道具が置かれていた。

 かすかに淡水魚独特の泥臭いにおいがするのに気づく。

 

 寝具や調理場のような住居としての必需品もない事から、漁師が備品を置いておく為の小屋だと分かった。

 だが、どの道具も埃を被っている訳では無いので頻繁に出入りはあると見て間違いない。

 

 ウィリアムは一度小屋から出て、池の畔に目を凝らした。

 

「あるな」

 

 水草に隠すように、木板を貼り合わせただけの簡素な小舟が接岸されている。

 

 ボロボロではあるものの、使用感の残るオールや座椅子が搭載されっぱなしだ。打ち捨てられているのではなく、現役で活躍している様子が見受けられる。

 

「夜に出てないという事は、仕事は早朝の可能性が高いか」

 

 様々な漁法があるのは当然だが、日の昇らない内に移動や仕掛けを済ませ、日中に作業をしていると考えるのが妥当だと判断した。

 漁師が飛竜を伏せた林の方に近づくとは考え難い。とりあえずは放置しておいて問題ないだろう。

 

 野営地に戻ると、カンナバーロが寝床と食事の支度を済ませてくれていた。篝火は木々のおかげで近寄るまで見えなかったので、雑木林の外から勘づかれたりはしないはずだ。

 飛竜は今か今かと、置かれている鶏を見つめて唸っている。

 

「おかえりなさい、バレンティノ卿。周辺は安全そうでしたか?」

 

「池の近くに漁師が使用しているらしき小屋があった。他には何も見当たらない。恐らく問題ないはずだ」

 

「村や集落もないのにそんなものがポツンと?わざわざご苦労な事ですね。生業じゃなく、年寄りや貴族の道楽でしょうか?」

 

 確かに河川や海がある地形で、わざわざ町外れの池を漁師が漁場にするのは変だ。商売として魚を流通させたいのであれば、そのまま船で港街まで移動出来る場所を選ぶはずである。

 

 意外なカンナバーロの観察力にウィリアムが舌を巻いていると、飛竜の唸り声が少し大きくなった。早く食わせろ、に違いない。

 

「おっと、メシだな?悪い悪い」

 

 英語でそう語りかけ、自分達が食事を始めるより先に、数羽の鶏を放ってやった。

 

……

 

……

 

 早朝。

 

「おはようございます、バレンティノ卿」

 

 交代で見張りをしていたカンナバーロに起こされる。

 

「あぁ、おはよう。飛竜にメシは食わせたか?」

 

「はい」

 

「悪いが俺たちは朝メシ抜きだ。昼まで我慢してくれ。すぐに出立するぞ」

 

 昨夜は先にウィリアムが夜番をし、深夜にカンナバーロに代わってもらった。もちろんその順番はカンナバーロの寝起きの悪さに起因している。

 

 はじめは貴族に夜番などさせれないと、一晩中カンナバーロが見張りをする事を申し出たが、二人しかいないのであれば毎回徹夜をさせるわけにもいかない。

 徒歩での移動中や地権者との謁見中に護衛が居眠りなどしていては話にならないからだ。

 

「まぁ、仕方ないですね……まずはどちらへ?」

 

「まっすぐカラチの街へ向かうが、途中で馬がいれば優先的に手に入れたい」

 

 手に入れたところで、馬は飛竜での移動時には手放してしまう他ない。

 だが、イタリアからの使者として職務に当たる以上は最低限の権威を見せて優位に立ちたいところである。

 

 地図を確認する。 

 徒歩での移動可能範囲内に大都市カラチの位置は示されているものの、近くに他の街などは明記されていない。実際に何も存在しないのではなく、地図が大雑把すぎて信頼度が低いのだ。むしろイタリア国内で手に入れられた物品にしては上出来だと言わざるを得ないだろう。

 

「南南西に向かう。方位は任せていいか?」

 

「はい、もちろんです。そのくらいなら朝飯前ですよ」

 

 古今東西、兵士には武器修練や肉体強化に加え、方向感覚が徹底的に叩き込まれる。時間帯や太陽の位置から方位を割り出すのは、ベテラン下士官のカンナバーロにとっては息をするのも同然だ。

 

 スーツ姿のウィリアムに、甲冑姿で槍と僅かな荷物を抱えたカンナバーロが続く。

 どう見てもイタリアから長旅をしてきたという風には見えないが、そこはどうにか信じてもらう他ないだろう。

 

 カラチまでは歩いて半日の予定だ。

 

 飛竜と別れる際、手持ちの食糧は全て置いてきた。

 好きに食べていいとは伝えているが、飢えそうであれば夜中の内に狩りを行う許可を出した。

 万が一、あまりにもウィリアム達の帰着が遅かった場合にはローマに帰るように言ってある。そしてもちろん、無事に合流出来たら土産をたんまり買ってきてやるとも。

 

 途中、ラクダに荷を載せたヒゲ面の男とすれ違った。

 見慣れぬウィリアム達の格好に驚いていたが、幸いにも英語が通じる。

 

「ほう、やはりヨーロッパ人か。ゴロツキには気をつけな」

 

「ゴロツキくらいなら可愛いもんだ。魔族はどうだ、こっちにも多いのか」

 

 売り物だという、彼のラクダの背に積んであった干し肉を昼飯代わりに少しだけ買い取り、ウィリアムが返す。

 

「散々なもんだ。カラチは大きな街だからな。年に何回も攻め寄せてきやがるよ。そんじゃな」

 

 男はパイプをくわえ、煙草をプカプカとふかしながら去って行った。

 

 カラチもローマやロンドンに近い状況と見て間違いない。

 東アジアの各国のように侵略こそされてはないないが、どこからともなく侵入してくる魔族に街を荒らされているようだ。

 

「なんだ、案外と普通に相手してくれましたね」

 

「街では油断するな。ゴロツキの話をするくらいだ。治安が良くないんだろうよ」


 予定通り、正午までにはカラチに到着出来たものの、残念ながら道すがらの民家で馬は手に入らなかった。

 

 街並みは空から眺めていた以上に人気があり、雑然としている。

 建物は石造りと木造、テントのいずれも乱立しており、お世辞にも整った街並みとは言えない。ごみごみしているというのがウィリアムの正直な感想だ。

 その上、魔族による襲撃の爪痕なのか、屋根や壁の一部が損壊していたり、完全に潰れてしまった建物も少なくない。

 道も整備されておらずに凸凹が激しく、街の入口で立ち往生したまま打ち捨てられている荷馬車がいくらか見受けられた。

 

 人々から上がる笑い声も多いが、それと同数の怒号も聞こえる。

 治安が良くないというのは間違いないだろう。

 

 目指すは市場だ。食糧の補給を済ませれば、特にそれ以上の用事はない。

 

 位置はテントを張り巡らされた区間だった。テントと言っても建物に寄り添うように一枚布が貼られ、その先に二本の脚を立ててあるものである。雨露や横風を防げるものでは無いため、悪天候時にはほとんどの店が営業出来ないはずだ。

 食糧品や衣料品がずらりと並んでいるが、どれも砂埃にさらされているせいで質が良いとは言えない。

 

「ヨーロッパ人だ!」

 

 突如、誰かが奇声を上げる。

 

 通りを歩く群衆の中、一人の女の子がウィリアム達を指差しながら英語でそう喚いていた。

 一斉にギョッとした視線が向けられ、二人は身構えた。敵対心や恐怖心であるならば不味い事になる。

 

 女の子は薄手の黄色のワンピースに、白いストールの様なものを頭に被せている。顔を目出しにしてまではいないが、イスラム教に縁のある民族衣装だろう。

 男は白地のゆったりとしたシャツとズボンを着ている者が多く、女は色とりどりのワンピースに、頭を布で覆っている者がほとんどだ。

 

「バレンティノ卿、お下がり下さい」

 

「さて、どうなる事やら」

 

 カンナバーロが警戒しつつ、ウィリアムを庇う。

 

「おーい」

 

 ピピッ、とホイッスルを拭きながらロバに乗ってやって来る者がいた。憲兵か、保安官のような役職だろう。服装は一般の群衆と大差ないが、腰に幅広の刀を下げている。

 

「街中で起こってる喧嘩を止めもせず、ご苦労な事だな」

 

 イタリア語でカンナバーロにだけ分かるよう悪態をついた。

 

「あんたら、どっから来なすった?欧州か」

 

 もちろんその男は構わず英語で語りかけてくる。

 

「軍曹、俺が話す。下がってろ」

 

「了解です」

 

 カンナバーロは理解出来ない上、攻撃的な感じではないのでウィリアムが前に出る。

 

「あぁ、見ての通りヨーロッパからの旅路だ。珍しい食い物があれば教えてくれないか。買い込んで、故郷への土産にしたい」

 

 この街での第一目的にそって話す。

 ウィリアム達は実際に食糧品を買い求めるつもりなので、街にいる間はそれを監視されたところで何の問題もない。

 飛竜向けの生肉が目立つ可能性はあるので、監視が厳しければやむ無く干し肉を大量に買い占めるまでだ。

 

「ほう、旅人か?手ぶらで、それもヨーロッパからわざわざ歩いて?」

 

「着の身着のまま、気楽なもんさ。怪しいか?」

 

「そりゃあな。一応は戦時中で敵国なんだ。一般人にまで罪があるとは言わんが、我が物顔で闊歩されては困る」

 

 案外と職務に真面目な男なのか、口にするのはもっともな意見である。

 

「そこまで言われてはお暇するしかないな。今なら見逃して貰えるだろうか?」

 

「地獄の沙汰も金次第さ」

 

 男はニンマリと笑ってそう告げた。

 真面目な事を言う割には、残念ながら汚い一面も持ち合わせていた。このくらいしたたかでないと渡り歩いていけない街なのかもしれない。

 

「ならば、こちらからも条件だ。先に伝えたとおり、土産に食べ物を買いつけれる店を教えてくれ。観光ガイドくらい出来るだろう?」

 

「そりゃお断りだね。仲良くつるんで歩いてるのを見られるのも困る」

 

「何?こっちも手ぶらでは帰れん」

 

 ニヤニヤとしていた男の面構えが、ウィリアムの反論で僅かに引き締まる。

 

「ダメなものはダメだ。さっさと出す物を出して立ち去るんだな」

 

「仕方ない、あまり使いたくは無かった手だが……この街に太守のような者はいるか?」

 

 身分は明かさないつもりだったが、補給が出来ない事態は避けなければならない。

 特に飛竜の餌は是が非でも要る。

 

「は?市長がいるが、何のつもりだ?」

 

 スーツの内ポケットから、巻かれた一枚の羊皮紙を取り出す。

 内容は見せれないが、封印のイタリア王家紋章が確認出来ればそれでいい。

 

「イタリア国王の勅命によって、パキスタンの首都まで向かう道中だ。疑わしいと思うなら市長に会わせろ。今ならまだ貴様の首は繋がっている」

 

「ははは、面白い冗談だな!その紙切れが何だって?もっとマシな嘘をついたらどうだ!仮に本当だとしても、敵国のお偉いさんなら捕らえるまでだぞ」

 

 やはりというべきか、簡単には話が通じない。いち警官に対して、急にスケールの大きな話をしたところでこんなものだろう。

 しかし、腹を空かせた飛竜の為にもウィリアムは簡単に引き下がるわけにはいかなかった。

 

「勘違いするな。残念だがお前にそれを判断する権限はない。少しは身分を弁えろ。俺はイタリア王国、バレンティノ子爵家当主のウィリアム・バレンティノ。もう一度言うが、俺は使者として我が君の勅命によって移動中だ。用があるのは首相だ。道中で必要な買い物も許されないのならば、市長に認めさせる。それだけだ」

 

 初めて男がうっ、と唸った。

 敵国であるのは間違いなくとも、使者などが例外的に通行を認められるのは万国共通だ。そうでなければ停戦の協議や降伏など、一切の対話が不可能になってしまう。

 

 ウィリアム達を捕らえた場合、逆に自分が咎められてしまうのではないかと不安に思い始めたのが分かる。

 

「どうした?さっさと案内しろ。心配なら、先に上長でも連れてきたらどうだ。少なくともお前の責任はなくなるじゃないか」

 

「わ、分かった!ちょっと待ってろ!絶対にこの場を動くんじゃないぞ」

 

「それともう一つ」

 

 今にも逃げ出しそうにすら見える男の背中に声をかける。

 

「身分を明かしたのにその態度は何だ?下馬もせず、膝もつかず、恥を知れ」

 

 怒りで真っ赤になるも、何も言い返さずそのまま去って行った。

 

「バレンティノ卿?」

 

「あぁ、心配ない。今、誰か呼んで来てくれるみたいだ」

 

 カンナバーロにそう返す。

 彼も、今のところは槍を構えずに堪えてくれていた。

 

……

 

「隊長、アイツらです!」

 

「ふん、貴様か!わけの分からん嘘をついているという輩は!」

 

 遠巻きに群衆が見守る中、そう言って騒ぎながら二人の男がやって来た。もちろん片方は、先程問答していた男だ。

 連れてこられたのは、確かに多少の権限は持っていそうな老年兵ではあるものの、残念ながらウィリアムの事は良いように伝わっていない様子である。

 

「よう、爺さん」

 

「やかましいわ、犯罪者め!貴様ら、どうせ盗っ人であろう!」

 

 そのがなり声を聞いた途端、カンナバーロが間に身体を滑り込ませる。

 

「おい!てめぇら、何を言ってるのかは知らねぇが、この方に手出しはするなよ!」

 

 槍の柄を地面に突き刺し、イタリア語でそう一喝する。

 

「何だ、歯向かう気か!」

 

「隊長、引っ捕らえて牢屋に入れちまいましょう!」

 

 ウィリアムは力づくでも抵抗すべきか迷ったが、国王の書状を取り上げられでもしたら一大事だ。

 苦い顔でカンナバーロに言った。

 

「軽く揉んでやってくれ。殺すなよ」

 

「かしこまりました」

 

 大騒ぎになってさらに多くの警官に囲まれる前に、自分達の足で役所に行くつもりである。

 問答無用で牢屋に連れて行かれるのならば、そうするしかあるまい。

 

「次からは外套でも用意して街に入るべきかもしれんな……」

 

 そう独りごちている間に、隊長と呼ばれた老年兵の身体が宙で一回転した。

 

「ぬぁっ!?」

 

 槍に引っ掛けて投げられたのだ。本人は何が起こったのか理解出来ずに、仰向けのまま目を見開いて空を見ている。

 

「隊長!?おのれ、やりやがったな!」

 

 ついに剣を抜いたが、すぐに槍でそれを弾き飛ばされて、同じようにくるりと倒されてしまった。

 

「へへっ、チョロいチョロい。どんなもんです、バレンティノ卿」

 

「見事だな。さすがにタルティーニ中将やイギリスのモリガン元帥との稽古、それに魔族の中をかいくぐってきた経験からすると生ぬるいか?」

 

「そりゃもちろん。あんな地獄はもう二度と御免こうむりたいですから……っと!」

 

 抵抗しないならば終わりのつもりだったが、二人とも立ち上がろうとしたので軽く頭に槍の柄を打ちつけて昏倒させる。

 

「行くか。じきにコイツらの仲間が集まってくる」

 

「はい、どちらへ?」

 

「偉い奴に話を通す。市長がいるらしくてな」

 

 ウィリアム達が歩を進めると、遠巻きに見ていた群衆が恐れて道を空けてくれた。

 

「場所は……聞けそうにないな。まずはこの騒ぎを見ていないだろう区間まで急ぐぞ」

 

「えー、それならあのロバ、奪いましょうよ」

 

「バカヤロウ。正当防衛ならまだしも、盗みは言い訳が立たん」

 

 ウィリアムが駆け足になると、カンナバーロもブツブツと文句をたれながらそれに続いた。

 

……

 

 近くを歩いていた婦人をつかまえ、役所の場所を聞き出すと、また駆け出す。

 食糧を取り扱う露店が道中にあったが、買い物は後回しだ。

 

「あれか」

 

 白壁の土で出来た建物。大きさは民家や店舗とさして変わらないが、見事な立方体をしている。

 ちょうど、振られたサイコロが止まったような印象だ。正面玄関の両脇にはパキスタンの国旗。これが道を教えてくれた婦人が目印として告げたものである。

 

「待て、異国の者と見えるが」

 

 見張りは若者が一人。帯剣はしておらず、右手を横に出して入り口に向かうウィリアムを制した。

 

「あぁ、急で済まないが市長に取り次いでもらえるか」

 

「用件は?」

 

「我が君、イタリア国王陛下からの勅命を携えている。安心してくれ。物騒な話ではない」

 

 怪訝な目を向けながらも一応は了承してくれたらしく、「お待ちを」と短く応えて役所内に引っ込んだ。

 

「エラく手薄ですね?」

 

「そうか?憲兵所でもないんだ、こんなものだろう」

 

 幸い、誰かが集まってきてしまう前に見張りが戻ってきてくれた。

 

「お会いになられる。こちらへ」

 

「あぁ」

 

「おっと、後ろの騎士。貴殿はここまでだ」

 

 ウィリアムだけを通し、カンナバーロは入り口で止められてしまった。

 完全武装しているからという理由もあるだろうが、それだとウィリアムの腰にある魔剣が取り上げられない理由が分からない。恐らく使者のみの入室許可なのだろう。

 

「軍曹、俺一人で大丈夫だ。手薄だと思うなら問題なかろう?」

 

「はぁ。では、お気をつけて」

 

 カンナバーロからゆるりとした敬礼を受けながら、ウィリアムは見張りの後に続いた。

 

 通されたのは市長室ではなく、応接間だった。

 

 建物自体が大きくなかったので予想は出来ていたが、やはり役所内は狭い。応接間の狭さも例外ではなかった。

 壁面に国旗が飾られ、部屋の中央に二脚の石椅子が配置されている。テーブルは無い。街並みが見える窓にはガラスなど張られておらず、四角い吹き抜けがあるだけだ。

 大都市ではあるが、ロンドンのように栄華を誇る様子はまったく感じられなかった。

 経済状況が厳しいのか、はたまた質素倹約を常とする国民性なのかは不明だ。

 

「こちらにかけてくれ。市長をお呼びする」

 

「分かった。案内に感謝する」

 

 石椅子に座ると、ひんやりとした感触が尻に伝わってきた。

 特に気になる調度品はないが、部屋の風景を携帯電話で撮影しておいた。

 

 こつり、こつりと杖をつく音が聞こえてきたかと思うと、腰がすっかり曲がった男が入ってきた。

 

 白地のシャツにズボン、頭には灰色のターバン。そして口元には真っ白になった髭をたっぷりと蓄えている。クレメンティ大司教をさらに二十歳ほど老け込ませたような男だ。年齢は百にも迫るのではなかろうか。

 

「よっこらせ」

 

 しかし、彼は介添えを必要とはせずに一人でやってきた。

 市長として現役である事を考えても、精力的な人物である事が伺える。

 

「あんたが市長で間違いないか?」

 

「なんじゃな。余計な挨拶など時間の無駄よ。さっさと書状を出さんか、小僧」

 

 これは面白い、とウィリアムは思った。偏屈なのは言うまでもないが、単刀直入な物言いや采配は見ていて気持ちがいいからだ。

 

「渡す前に一つ」

 

「またか、いい加減にせい」

 

「我が君、イタリア国王陛下からの書状の宛先は貴様などではなく首相だ。書状を開く事は一切許さん。いいな」

 

 面白い人物ではあるが、内容まで知られる必要はないと念を押した。

 

「これは妙な事を言う小僧じゃ。王家の紋章入りの封蝋だけで判断せよと?」

 

「そうだ」

 

「馬鹿者が!それだけで使者だと信用なるものか!」

 

 突如怒鳴りつけられ、ウィリアムは面食らった。

 それだけでも充分な証拠であると思っていたが、内容が気になっているのは明らかだ。

 

「……さて、どういうつもりだ?首相の顔に泥を塗るつもりの発言であれば大成功だが」

 

「ふん!倅の顔がなんじゃと?知れたことよ」

 

 なるほど、とウィリアムは納得する。

 

 息子が首相だとはっきり言った。傀儡政権とは断言出来ずとも、少なからずこの老人が手綱を握っているのは想像に難しくない。

 

「なら尚更だな。内容を見、勝手に指示をされてはつまらん」

 

「それこそ手間じゃ!倅はそれを受け取ったところで、必ず判断を仰いでくるに決まっておる!ほれ、さっさと見せい!」

 

 これはチャンスだ。そんな親の七光にあやかっているような無能が首相であれば、従属の話もウィリアムの手腕で飲ませる事が出来る。

 無論、そうなればこの市長には絶対に判断材料を与えてはならない。

 

「不敬だぞ、控えろ。我が君は首相に見せよと仰せだ。そちらの判断など関係ない」

 

「あとから見せれば良いではないか!」

 

「封蝋の意味も知らんのか、貴様は」

 

 なおも唾を飛ばしながら市長が抗議を繰り返すが、やはりウィリアムは淡々と拒否を返すばかりだ。彼にとって、この程度は口論にすら入らない。聞き分けの悪い餓鬼に諭すような物言いである。 

 その態度が気に入らないのか、さらに相手は捲し立てる。

 

「まったく、上からばかり物を言いよって!貴様は頼み事に来たのであろう!立場というものを考えたらどうじゃ!」

 

「その通りだ。しかし、ここで求めているのは滞在許可だけだ。食糧を補給したらすぐに発つ。それ以上、余計な世話はいらないんでな。お前こそ立場というものを考えて、さっさと許可しろ」

 

「ならん!王の書状を見せよ!」

 

「断る。国の話をたかだか街の太守如きが知る必要はない」

 

 顔を真っ赤に、息切れを起こした市長が肩を大きく上下に揺らしている。

 

「出て行け。斬首にならんだけでも有難いと思うんだな、小僧め……!」

 

「言われなくてもそうするさ。ただし、帰り際に食糧は買っていく。たとえダメだと言われてもな」

 

 伺いを立てても拒否されるだろうが、こう言ってしまえばウィリアムの勝ちだ。街を出るまでは強引ながら滞在許可を得たという事になる。

 

 だが、懸念事項もある。

 首相が彼の息子であるとすれば、すぐに早馬を飛ばすだろう。内容はもちろん、イタリアからの使者が来るという先触れだ。書状の内容を教えるようにという指示は勿論のこと、嫌がらせをするつもりならば「どんな要求だろうと断れ」とさえ書くかもしれない。 

 別れの挨拶代わりに一瞥し、ウィリアムはそのまま席を立った。

 

 部屋の外には案内をしてくれた見張りが待っていた。もちろん話は筒抜けだ。

 

「あの爺さんは、いつもあんな調子なのか?」

 

「いいから出ろ。街を発つまでは監視役として付き合おう」

 

「そりゃご苦労な事だな」

 

 むしろそうして貰えると助かるので、結果オーライだ。

 

「あ、バレンティノ卿。おかえりなさいませ」

 

「やれやれ。口やかましい爺さんだったよ。買い物は問題なく出来そうだ」

 

「英語は分かりませんが、ぎゃあぎゃあ喚いてるのは聞こえてましたよ」

 

 窓は吹き抜けなのだ。役所前に突っ立っていたカンナバーロの耳に届いたところで何も不思議な事はない。

 

「どうも市長は首相の父親らしいんだ」

 

 歩き出しながら、ウィリアムはにべもなくそう言った。

 その仏頂面を見たカンナバーロは最悪の事態を想定する。

 

「まさか、首相には会えないんですか?無駄足は勘弁なんですがね」

 

「そこまでは言ってなかったが、倅の用事ならば自分を通して欲しいようでな。というより、たとえ会わせないと言われようがあいつにそんな権限は無い。実の父だとしてもな」

 

 愚痴をそこまで一息に言って、ウィリアムは口をつぐんだ。

 二人の後ろからついてくる見張りが強く咳払いをしたからだ。黙ってさっさと街から出て欲しいのだろう。

 

「あれ、なんですか」

 

「監視役さ。とにかく飛竜の餌を買ってお暇するとしよう。しっかり担いでくれよ」

 

「げぇっ、ほどほどでお願いしますよ……」

 

……

 

 露天商の若い娘が、ウィリアムに怪訝な目を向けてくる。

 

 彼らがヨーロッパ人だからというわけではない。

 彼らが欲しがったのが、二十羽もの生の鶏肉だったからだ。

 二十羽分の準備はなく、店先にあるのが六羽、まだ絞めたばかりで羽もむしっていないものが裏に八羽あると言うやいなや、ウィリアムが即答で「それを全部くれ」と返したのも彼女を不安にした。

 

「何でそんなにって顔だな。ここにはいないが、大食らいの仲間がいてね」

 

「え、えぇ。それに八羽は血抜きもしてないですよ?」

 

「大丈夫だ。俺達は旅慣れしてる。鶏を剥くぐらいの事はどうって事は無い」

 

 飛竜にとって、鶏の羽や血などは逆に残っているほうが良い。栄養価が上がるのはもちろん、飛竜の好みであるというのが理由だ。

 

「わかりました、お買い上げありがとうございます」

 

 納得出来たのか、娘の顔が安堵の表情に変わった。代金を払い、店を後にする。

 大量の鶏はカンナバーロがそのほとんどを槍に括り付ける事で運んでもらった。ウィリアムの担当は四羽だけである。

 これではカンナバーロは槍が使えず戦闘不能だが、監視役がいる以上は安全だろう。実際に、すれ違う警官連中も声をかけずに黙認してくれていた。

 

「うぅ……」

 

 カンナバーロの肩にかかる重量はかなりの物らしく、時折呻き声を上げている。

 

 ようやく街の端に到着したところで、監視役が声をかけてきた。

 

「他にも仲間がいるんだってな?」

 

「なんだ、さっきの話を真に受けたのか?」

 

 伏せている飛竜の話を出来るはずもない。誤魔化しながらも、ウィリアムは先程の店先での発言を悔いた。

 

「確かにその量の鶏を二人で食べきれるとは思えん。たとえ首都まで無補給の旅路だろうと、多すぎる」

 

「悪いが、どうでもいい詮索はよしてくれないか。燻すなり、天日干しにするなり、塩漬けだっていい。無補給は間違ってないが、それなりに肉を日持ちさせる手段は心得ているつもりでな」

 

「まさか、胡椒も持っているのか?」

 

 イタリアでは砂糖が貴重だったが、ここでは胡椒が不足しているらしい。

 

 これには返さず、ニヤリと笑うだけにとどめておいた。

 

……

 

 街道に出て、何度か振り返る。

 見張りの男が、まだウィリアム達の方に視線を送っていた。

 

「軍曹、尾行に警戒しておけ。飛竜がバレると不味い」

 

「あぁ、来ますかね?とりあえず了解です」

 

 あっけらかんとした口ぶりだが、ウィリアムはカンナバーロが決して油断しているわけではないのを知っている。もともとそういう男なのだ。

 

「しかし……」

 

「ん?」

 

「鶏って案外重いですね」

 

 遠慮しているのか、持ってくれとまでは直接言わないものの、ほとんどそう言っているようなものだ。やれやれと苦笑しながら、ウィリアムはカンナバーロの槍先からひょいと二羽だけを取り上げてやった。

 皮を剥いでいるものは軽いが、まだ絞めたばかりのものは臓物や血もそのままなので確かに重い。当然、ウィリアムは今取り上げた分も合わせた軽い方の六羽だけを担当してカンナバーロに苦行を押し付けている。

 

「どうだ」

 

「まだまだ重いですよ」

 

「まったく、礼ぐらい言えないもんかね」

 

 そんなやり取りをしつつ進むも、辺りはすっかり暗闇に包まれてしまった。街道は未整備の場所もあり、草が生えていては道筋が追えない。

 不慣れな土地である上に明かりもない。星こそ出ているが、昼間と違う景色にウィリアムは戸惑う。カラチに向かう時はほとんど任せていたのも大きい。

 

「あぁ重たい……あれ?もしかして、迷われてます?」

 

 カンナバーロは前を行くウィリアムの足取りが緩やかになったのに勘づいた。声音に少し喜色が混じっているのは気のせいだろう。

 

「参ったな。軍曹、飛竜の待つ場所までの距離と方角は分かるか?」

 

「任せて下さい。自分が先導します」

 

 さすが現役の下士官だ。軽々と歩き始めたその後ろ姿を見て、荷物が重いと言っていたのも半分は冗談だったのだとウィリアムは思い知らされた。

 

……

 

 カンナバーロの先導で、およそ二時間後に到着すると、興奮した様子の飛竜が二人を出迎えてくれた。

 

「グゥァァゥ!」

 

「よしよし、待たせてすまなかったな。無事で何よりだ。軍曹も、よく案内してくれた」

 

「あぁー、どっと疲れましたよ」

 

 そそくさと荷物を下ろし、カンナバーロは鎧兜も付けたままで大の字になっている。 

 ウィリアムもそうしたいところだが、まずは飛竜に餌を食べさせてやる。食べても構わないと言って少しばかり残しておいた食糧にはほとんど手をつけていなかったので、ギリギリまで我慢していたのだろう。

 

「いい子だ。本当に賢い奴だな」

 

「グルル!」

 

 我慢させた分、今回は大盤振る舞いだ。

 

 ウィリアムが鶏を放り投げると、飛竜は器用に細長い舌を伸ばしてそれをキャッチした。続いて、バリバリと骨を噛み砕く音が聞こえてくる。

 

 カンナバーロがいつの間にか起き上がり、焚き火を点けてくれた。

 

 飛竜は喉を鳴らして一羽目を飲み込むと、次のをくれと視線を送って来る。

 

「ほら」

 

 二羽目。やはりペロリと平らげた。

 次を放るところで、飛竜がピクリと身体を震わせて辺りを見渡した。

 

「……?」

 

「グォォォッ!」

 

 木陰の一点に向けて轟く咆哮。明らかに威嚇だ。

 また野犬の類いではないかと疑ったが、走り去る足音に金属音が混じっていたのをウィリアムとカンナバーロは聞き逃さない。

 

「軍曹!人間だ!カラチ市長が放った追手かもしれん、逃がすな!」

 

「分かってますって!」

 

 カンナバーロが飛び出す。

 

 飛竜は動くつもりはないようだが、ウィリアムもカンナバーロに続くわけにはいかない。

 確実に飛竜を見られている。万が一、カンナバーロが追った人物をとり逃してしまった場合、またここに近づいて来るかもしれないからだ。

 もちろん、余程の手練でなければ飛竜に危害が及ぶ可能性は低い。むしろ心配なのは戦闘を回避した飛竜が飛び立ち、合流が困難になってしまうことである。それならば先にウィリアムが騎乗していた方が良い。


「バレンティノ卿、犯人はこのガキです!」

 

 手足をしばられた一人の少年が、カンナバーロの肩からどさりと地面に投げ降ろされた。幸い、対象の追跡と確保は上手くいったようだ。

 

 ウィリアムはいつでも離陸出来るように騎乗して待ち構えていたが、ひらりと降りる。

 

「坊主、英語は分かるか?」

 

 警戒は解かず、やや高圧的に怒気を含ませて言う。

 ボサボサ頭のその少年は上半身が裸で、土色に薄汚れた半ズボンだけを身につけていた。酷く痩せているので裕福ではないのだろう。歳は十を過ぎたくらいだろうか。

 

 仰向けになり、歯をガチガチと鳴らしながら怯えている。追手というわけではなさそうだ。

 

「おい、何か答えろ」

 

「ああ……!化け物が……化け物が!」

 

「よし、上出来だ」

 

 英語が拙いのは不得意だからではなく、飛竜を見て気が動転しているからに違いない。

 

 ウィリアムはドン、と鞘入りのまま魔剣を少年の顔の真横に突き立てた。軽い脅しだが、刀身を抜いては発火する恐れがある為そうした。

 

「分かっているとは思うが、騒いだら死んでもらう事になる。気をつけてくれ」

 

「あぁ……あぁ……」

 

 多少の恐怖は感じたのかもしれないが、やはり目の前にいる巨大な飛竜の脅威には敵わない。

 突き立てられた魔剣に目をくれたのは一瞬だけで、その後は飛竜に釘付けである。

 

「軍曹、金属音がしていたようだが」

 

「あ、はい。コイツを捕まえる時に落としましたが、銅製の桶やら釣り竿を持ってました。それが鳴ったんでしょう」

 

「何?まさか、この近くにある小屋はお前のものか?」

 

 池のほとりに建つ小屋に漁の為の備品があったのを思い出した。

 

「はぁ」

 

 少年は肯定とも否定とも取れない、微妙な返事をした。

 

「ふむ……」

 

「グァゥ!」

 

 突如、バシンと尻尾を地に打ちつけて飛竜が鳴く。

 

「ひぃぃ!し、死んだじいちゃんの小屋ですぅ!」

 

 飛竜は別に少年に怒っているのではなく、早く飯の続きを寄越せと言っているだけである。

 

「ちょっと待ってろ」

 

 ウィリアムは飛竜にではなく、少年に向かってそう言うと、残りの鶏をまた放り始めた。

 しばらくの間、バリバリという骨の砕ける音が続く。

 

「これで終わりだ。文句無いな?」

 

「グァゥ」

 

 満足気に飛竜が首を縦に振る。

 

「軍曹、何か俺達の夜食も準備してくれ。ガキは俺が見てる」

 

「わかりました。では干し肉と芋のスープでも」

 

「頼む」

 

 荷物から鍋を取り出し、水筒の水を入れて焚き火で沸かし始めた。

 ようやくウィリアムが少年に向き合って腰掛ける。手足を縛られたままだが、彼は既に半身を起こしていた。

 

「それで、何が目的だ?お前は漁師か?」

 

「目的?たまにあの池で魚釣りをするくらいで……」

 

「ここに、俺達の野営地に来た目的だ」

 

 少し落ち着いてきたのか、少年はチラチラと飛竜を見ながらも舌が回るようになってきた。

 

「灯りが見えたから、誰かいるのかなって……」

 

「焚き火の灯りか。なるほどな」

 

「も、もういいでしょ?化け物の事は内緒にしておくからさ!早く帰りたいです!」

 

 縛られた両手を突き出し、早く解いてくれと嘆願する。

 余裕が出てきたせいで、もう殺されるとは思っていないようだ。実際、ウィリアムはこの少年は追手ではない可能性が高いと判断している。

 

「いいや。そんな口約束を俺が信じるとでも?」

 

「そんなぁ……」

 

「だが喜べ。俺達は夜明けまでには出立する。それまで大人しくしていられるなら帰してやる。次に逃げ出したり、騒いだりしたら容赦はしない。コイツの餌になってもらうぞ」

 

「うぅ、わかりました。それで見逃して貰えるのなら」

 

……

 

 だが、そう穏便には済まなかった。

 

 夜半、再び飛竜の咆哮が響いたのである。

 カンナバーロが夜番をし、ウィリアムと少年は眠りについているタイミングだった。

 

「なんだ……?」

 

 ウィリアムが起き上がる。少年は目を擦りながらも、まだ朦朧としているようだ。

 

「バレンティノ卿、飛竜が急に騒ぎ出しまして!」

 

「どうした、誰か見つけたか」

 

 この質問に対してカンナバーロは首を横に、飛竜は首を縦に振った。

 

「軍曹、火を消せ。夜目は利く方か?」

 

「いえ、あまり得意じゃないですね。アマティがいれば任せれたんですが」

 

 そう言ったカンナバーロの足元にある焚き火に土がかけられ、視界は一瞬にして真っ暗になった。

 

 飛竜にこそ気づかれたものの、カンナバーロには存在を知られなかったのならば隠密に長けた者と見て間違いない。

 火を消したくらいで接近を断念するとは思えないが、丸見えよりは良いだろうと判断した。

 

 パキッ、と落ち枝を踏み折る音がする。耳をすませていてもわずかに聞こえた程度だ。

 最悪の場合は離脱したいが、それは間に合わないだろう。

 

「……!」

 

 突如、ウィリアムの口元が何者かの大きな手に押さえられた。

 

「動くな」

 

 図太く低い男の声だ。知らずの内に背後に接近され、首すじにはひんやりとした鋼の感触。どうやらナイフを突きつけられているようだ。 

 だが、それと同時にその者の首元には別の刃が触れたのは言うまでもない。カンナバーロの槍先である。

 

「ほう……意外とやるもんだな」

 

 夜目は利かないとは言っていたものの、カンナバーロはしっかりと襲来者に対応してくれた。

 ウィリアムからその姿は見えないが、腕利きでも回避出来ない程の目にも止まらぬ早業だったのだろう。

 

「グルル……!」

 

 飛竜は敵味方が近すぎて助太刀しようにも動けないようだ。悔しそうに唸るばかりである。

 

「さっさとその御方から離れろ。貫かれたいか」

 

「それは何語だ、兵隊さん。言ってる意味がまったく分からん」

 

 キンッ!と刃物がぶつかり合う音がして、ウィリアムは解放された。

 どうやらナイフを解いてカンナバーロの槍を弾いたらしい。そのまま距離を取ったようだ。

 

「待て!」

 

 暗闇の中、ウィリアムが英語で叫ぶ。

 

「どこに話してる?こっちだ。英語が分かる方の男」

 

 ウィリアムが目を凝らすも、声の主は見えない。

 仕方なく、一度は消した焚き火に魔剣を抜刀して瞬時に着火した。

 

 ようやく視界が戻ってくる。

 

「ほう……槍の名手に火剣使いか。二人揃って面白い奴らだ」

 

 浮かび上がった姿は、野太い声が似合う巨漢だった。

 ギョロリと睨む大きな目は鋭く、顔の下半分を覆い隠す濃い髭、短く刈り上げた黒髪。そばにいる少年と同じく、上半身は裸に半ズボンという服装だ。しかし、むき出しの筋肉隆々の四肢は細々とした少年とは比べるまでもない。

 そしてその手には、くすんだ輝きのナイフを持っていた。

 

「ん……えぇ?」

 

 少年が困惑の声を上げた。

 まどろんでいて、いきなりこの状況なのだ。思考が追いついて来ないのも頷ける。

 

 襲来者の巨漢は、少年の目の前に立っており、足元にいる彼に向けて軽く手を上げた。

 

「さながら正義のヒーローか」

 

「似たような者だ。子供に対してこんな仕打ち、許してはおけんな」

 

 実際、この状況ではウィリアム達が悪者である。やむを得ないとはいえ、子供を縛っているのは事実だ。

 

「どちらにせよ、朝になれば解放する。我々が滞在している間に、そこにいる飛竜の事を街で話されたら困るから捕まえた」

 

「信用なるものか!なぁ、ヘイシャム」

 

 ウィリアムは初めて聞く名前に驚き、びくりと少年も身を震わせた。

 

「知り合いか」

 

「帰りが遅いと釣り場の近くを探しに来てみたらこれだ」

 

「え!よく見たら……父さん?」

 

 ようやくこの巨漢が現れた理由が判明した。

 

「おぉ、実の父に気づかぬとは……それ程までに憔悴していたか。貴様ら、どこまでも外道だな!」

 

「頼むから騒ぐのはやめて、静かにしてくれないか?」

 

 ようやくウィリアムはこの巨漢が殺気を放っていない事に気づいた。腕利きであるのは間違いないはすだが、先程から喚き散らしているだけだ。

 実際、ウィリアムの首を一突きにしなかったのも、この父親が息子さえ取り返せればそれで良いと思っていたからだろう。飛竜や完全武装のカンナバーロを見て、勝てると思うほうが難しい。

 

「あの化け物はなんだ!まさか懐いているのか」

 

「お前はお喋りがしたいのか?子供を助けに来たんだろう?」

 

「そりゃそうだが、さすがにコイツは気になるだろう!」

 

 息子を連れて去りもしない。妙な奴に絡まれたなと、ウィリアムは肩を竦める。

 

「どうやって手なずけた?いや、ヨーロッパでは飛竜が一般的に普及しているのか?まさか、魔族に魂を売ったのか!」

 

「待て待て!好奇心は結構だが、俺達はなるだけ目立ちたくないんだ。やり合う気が無いのなら、まずは落ち着いてくれ」

 

「ふむ……」

 

 しばらく何かを考える素振りを見せ、男はナイフをズボンに差し入れた。鞘が無いので普段からそうしているのだろう。

 

「夜明けも近い。それまでなら話くらい聞かせてやる」

 

 それでこの場を収めるのも目的の内だが、親子をここに引き止められるのであれば、その間は飛竜の情報が街に流れる事がなくなる。一石二鳥というわけだ。

 

「バレンティノ卿。一体どういう事ですかね」

 

 会話に置いてけぼりだったカンナバーロは困惑するばかりであった。

 

……

 

 焚き火を囲み、奇妙な取り合わせの団らんが始まっていた。

 

「ほう!それで野良飛竜を手なずけたと!面白い!」

 

 懐柔するつもりで飛竜の話をしつつ、少しばかり酒を振る舞ってやったところ、この巨漢は途端に上機嫌になっている。

 

「だから騒ぐなと言っているだろう。カラチの市長の手が近くまで伸びているかもしれないと、何度言えば分かって貰えるんだ。いちいち声を大きくしないと気が済まないのか、お前の親父は?」

 

「父さんの声がデカいのはいつもの事だよ。これ、美味いな。クッキーだっけ。初めて食べた」

 

 ヘイシャムという少年はどこ吹く風だ。

 こちらも酒の代わりに与えた焼き菓子に夢中である。やはり血の繋がった親子なのだと思い知らされる。

 

「それで、ぶらぶらと世界各地を旅遊しているわけか」

 

 この巨漢。ヘイシャムの父は近くの村で狩人をやっているらしい。

 狙うのは鹿や穴熊、野鳥まで様々。普段から野生動物を相手にしているせいで、隠密行動や夜目、短刀捌きを身につけたのだ。

 

「旅遊か……まぁ、そうだな」

 

 一般人にわざわざ王の勅命を明かす理由もないので、適当にそう答えておいた。

 

「次はどこへ向かう?」

 

「さぁな。イスラマバードは見てみたいが」

 

「ほう?しかし、カラチに比べれば大した場所ではないぞ」

 

 イスラマバードはパキスタンの首都ではあるものの、抱える人口はカラチの十分の一にも満たない。高所地帯、山岳の近くに位置し、交通の便は著しく悪い。大きな都市にするのではなく、防衛を目的として発展してきた要塞都市であった。

 

「話はこんなところだな。見ろ、夜闇が薄らいできた」

 

「まだ聞きたいことは多いが、行くのか」

 

「そろそろな。真っ昼間にこんな巨体が飛び上がってみろ。街の人間にも要らない心配をかける事になる」

 

 ヘイシャムの父は名残惜しそうだが、この機を逃せば丸一日遅れてしまう。

 

「ぐぬ……確かにそうだな。近くの街や村の住民が怖がるのは良くない」

 

「お前の息子の事だが、迷惑をかけたな。しかし、本当に俺達は危害を加えるつもりなんて無かったと分かってくれたろ。それから、飛竜の事はくれぐれも内密に頼む。妙な噂が国中に立って、旅路を邪魔されるのは勘弁してもらいたいからな。飛竜に乗ってはいるが、俺達は魔族からの差し金でも祖国からの殺し屋でも無い」

 

 正直、大して信用は出来ない。親子どちらかの口が軽ければすぐに飛竜の目撃情報は広がるだろう。

 

「軍曹、荷物をまとめろ。出発だ」

 

「はい、ついにまたあの離陸の時間ですね……」

 

「嫌なら鞍に括りつけてやる。準備が終わり次第、飛ぶまでの間に寝ていれば気づいた頃には空の上だぞ?」

 

 冗談とも取れるが、半分は本気だ。

 

「いやいや、そんな状況じゃ眠気も起きませんよ!すぐに飛ぶって分かってるんですし!」

 

「そうか?名案だと思ったんだがな」

 

 身震いしながらカンナバーロは支度にかかった。

 

「飛ぶところを見たい」

 

「そう言うと思ってたさ。では焚き火だけはこのまま残して行く。この茂みと林を燃やしたくないなら、帰る前に消してくれ」

 

「分かった、ありがとよ」

 

 この程度の灯りでは離陸後すぐに見えなくなってしまうだろうが、飛び上がる瞬間くらいならば見えるはずだ。

 

「バレンティノ卿、準備完了です」

 

「よし」

 

 なされるがまま、荷物を積み込まれていた飛竜がチラリとウィリアムの顔を見る。

 

「飛べるか?」

 

「グァウ」

 

 首肯と鳴き声が返ってきた。

 

 ウィリアムが先ず座乗し、その後ろにカンナバーロが乗り込む。

 槍などもくくりつけているので今襲われれば丸腰だが、ヘイシャム親子にそんなつもりは無いようだ。

 朝焼けが木々の間から差し込み始めた。さすがに限界だろう。

 

「出るぞ、離陸してくれ」

 

 ポン、と首元を叩くと飛竜は翼を大きく広げた。

 

「グオォッ!」

 

「ひっ」

 

 飛竜の咆哮に混じって短い悲鳴を上げたのは、ヘイシャム親子ではなく、カンナバーロである。今から起こる急上昇に怯えているのだ。 

 バサッという一度のストロークと脚力に任せて、一頭と二人は薄暗い空に舞い上がる。

 

「おぉ、迫力があるな!ありがとよ!」

 

 焚き火の横で手を振る父親が見えた。

 ウィリアムもそれに応えて右手をあげたが、おそらくもう見えてはいないだろう。

 

……

 

……

 

 完全に夜が明け、眩しい光が大地を照らす頃には、悠々と遥か上空を飛んでいた。

 何枚か多めに着込み、防寒対策も万全である。

 無論、前回カンナバーロが騒いでいた便所代わりの空瓶の準備も怠ってはいない。

 

 早速使っているのか、背後からチョロチョロという音が聞こえて、朝食に干し肉をかじっていたウィリアムは何とも言えない気分になる。

 

 少し前、飛竜の口にも数切れの差し入れをしてやったが、やはり生の鶏が好きなようで食いつきは良くなかった。そうでなくとも自らの翼で飛んでいる最中なのだ。人間だって走りながら何かを食べようとはあまり思わないはずだ。

 

「軍曹、そろそろ寝ておいたらどうだ?まだ到着まで少しあるぞ」

 

 カンナバーロが空にいる間に出来る仕事はない。

 言い換えれば地上では常に気張らなければならない為、飛竜での移動中が最大の休憩時間になる。

 反対に、ウィリアムは手綱を握って舵取りをしなければならないので、せいぜい数十分単位の仮眠が許される程度だ。

 

「ではお言葉に甘えて……あ!その間に急降下したり宙返りしちゃダメですからね!」

 

「阿呆、そんなガキみたいな事はしない。心配なら命綱でも締めておくんだな」

 

 綱はあるが、既に荷物として搭載されている。

 空中で荷物を広げるわけにはいかないので、事実上不可能だった。

 

 カンナバーロも一瞬は本気にしたようだが、結局は諦めてそのまま眠ってしまった。やはり疲労が溜まっていたようだ。

 ウィリアムも眠気を感じているが、次の着陸後までの辛抱である。

 

 ゆっくりとした速度でも日が落ちる頃にイスラマバード近郊に到着出来る予定だ。

 湿度が高く、熱帯雨林もあると聞いているので、降りる場所には困らないだろう。

 

……

 

 風になびく地図を見ながら、ウィリアムは目的地が近い事を悟った。

 

「どうだ。疲れてないか」

 

「グァウ!」

 

 半日飛び続けているが、飛竜は英語の問いかけに力強く吠えた。

 それとは対照的に、背後のカンナバーロは未だ高いびきである。どこかに降りたら身の回りの世話は全てカンナバーロに押し付けて、ウィリアムは一眠りさせて貰おうと心に決めている。

 

 夕陽が傾き、いよいよ少しずつ高度を下げた。まずは首都イスラマバードの位置を確認し、それから付近の着陸ポイントを探さなければならない。

 森林を多く持つ高台や山々が眼下に広がっている。

 

「あれか」

 

 人工物が密集し、煙が上がっている。家屋と、灯りや炊事の為の火から上る日に違いない。

 

 地平線に日が完全に沈むと、火は赤々と見えやすくなった。

 やはり街だ。小さな集落とは思えないほどの灯りが見える為、あれこそ首都イスラマバードと認識出来る。 

 青々と繁る雨林の中、上空から見ると白いドーム型の屋根を持つモスクが目立つ。

 ただ、警備は厳重なようで、見張り台や柵、丸太の防壁が張り巡らされている。街の様子が空から分かるくらいに灯りが多いのもそのせいだろう。

 

 付近に着陸するのは可能だとしても、市内へ入るのに一苦労しそうだ。

 

「起きろ、軍曹」

 

「……ん、到着ですか」

 

「あれがそうらしい。見てくれ、中々に堅そうな城塞で涙が出るほど嬉しいじゃないか」

 

「うわぁ、こりゃ手厚い歓迎が期待出来そうですね」

 

 塀で囲まれている以上、間違いなく門番に呼び止められてしまうだろう。

 身分を明かし、本来の目的を始めから伝える他無いが、果たして易々と通してくれるだろうか。外国人を疎む風潮があるのはカラチの街で判明している。つまり最悪の場合、捕えられて処刑されてしまう可能性もあるという事だ。

 

「あの街から少し離れた熱帯雨林に着陸してくれるか」

 

 街の真上をぐるりと一周した後、ウィリアムが飛竜にそう告げた。

 

「グァウ!」

 

「また、危険な目に合ったり、俺達が戻れなかったら構わずローマまで帰還してくれ」

 

 手綱の根元、飛竜の首のあたりに一枚の書き置きを挟んでおく。

 無論、これは万が一の場合に任務の失敗を伝える国王への伝令書だ。

 

 ベチャリ、と飛竜が濡れた地面を踏む音がする。

 

 熱帯雨林に着陸したのは分かっているが、曇天の空の下の木陰では暗闇が辺りを支配していた。

 人より飛竜の方が目は良いらしい。

 

「一応聞くが、近くに人の気配は無いか?」

 

「グルル……グァウ」

 

「よし、それなら安心だ」

 

 手綱から手を離し、振り返る。

 

「軍曹、到着だ。しかし暗いな」

 

「すぐに明かりを起こします」

 

 足元も見えない中、カンナバーロが先に飛竜の背から飛び降りた。やはりこちらもベチャリと音が立つ。

 

「ううむ、ジメジメした場所ですね」

 

「火を起こすのに難儀しそうか?」

 

「えぇ、まぁ。雨が降ってないのは不幸中の幸いです。油がありますんで、それを少し使えば……」

 

 パチパチっと火花が爆ぜ、湿った落枝と落葉が小さく燃え上がった。

 

 鬱蒼と繁る雨林の木々や、濡れた地面、苔むした岩などが姿を現した。正直、あまりよい野営地とは言えない。

 

 雨を凌ぐには洞穴などが好ましいが、飛竜も入れるサイズとなると難しい。ここで待つのは飛竜なのだ。ずっと雨ざらしのままにしておくのは非情すぎる。

 

「一応、木々のおかげで横風は弱いが、屋根くらいは張りたいところだな。これでは葉の間から雨が降り込む」

 

「天幕をいくつかの木に渡らせ、広げて使ってはいかがでしょう。横は吹き抜けのテントになってしまいますが」

 

 木々の上部に幕の四方をくくりつけて広げればかなりの面積を占める屋根になりそうだ。

 

「名案だな。早速頼めるか」

 

「もちろんです。その前に卿の寝床ですかね」

 

「あぁ、それも頼むよ。俺はもうクタクタだ」

 

 濡れた地面に横になっていては風邪でもひきかねない。

 カンナバーロは手近を見渡し、できる限り平らな形をした石を複数集めた。人間の拳程度の大きさだが、それで寝床を僅かでも地面から浮かせようというわけだ。

 さらにその上に木板を渡し、ようやく寝具を敷く。簡易ベッドの完成だ。

 

「バレンティノ卿、お待たせしました」

 

「あぁ、助かる。悪いが、飛竜も待っている間に出来るだけ濡れないように何か拵えてやってくれないか」

 

「任せて下さい。よく寝たおかげで元気は有り余ってますんで。卿が起きられる頃には何か腹に溜まるものを作っておきます。森にウサギか野ねずみでもいないか、少しだけ離れる許可を頂けますか」

 

 意外にもカンナバーロは献身的に世話を焼いてくれる姿勢である。

 

「なんだ、いつもそのくらい真面目に働いていればチェザリスも安心しただろうに」

 

「自分は最初から真面目ですよ!では、行ってきますんで、ごゆっくり」

 

……

 

……

 

 ウィリアムが目を覚ましたのは日が高く上る時刻、つまりは正午であった。

 だが、日が高いのを実際に目に見る事は叶わない。雨天、それも豪雨の類の最悪の天候だったからだ。

 

 いくら天幕を張っていようと、雨量が多すぎれば水も滴り落ちてくる。カンナバーロはさらに追加で面積の広い葉を屋根に乗せてくれていたが、それもあまり意味を成していなかった。 

 轟々と鳴る雨音や、肌を僅かに濡らす雫の次に気を取られたのは、鼻をつく美味そうな匂いだ。狩りは上手くいったらしい。

 

「……昼か」

 

 携帯電話の画面で時刻を確認し、身を起こす。

 

「おはようございます。見たことも無い派手な野鳥がいたんで、三羽捕まえました」

 

 毛を毟られてなんの鳥かは分からないが、枝に刺してこんがりと焼いた丸焼きが二つ、焚き火のそばに突き立っている。

 一羽は生のまま飛竜に渡したのだろう。平等な分配だ。

 

「有難く頂くとしよう」

 

 味つけもなく、焦げた鳥肉はさして美味いとは言えなかったが、脂がよく乗っていて栄養がつきそうだ。

 カンナバーロは水筒に溜めた雨水を使って湯も沸かしてくれていたので、それで味気のない肉を胃に流し込む。

 

「うん、まぁまぁだな」

 

「まぁまぁとは酷いですね。しかし腹は膨れたでしょう」

 

「あぁ、この熱帯雨林は獲物が多いのか?」

 

 野伏も得意な弓兵のアマティとは違い、カンナバーロは大して狩りが上手くは無かったはずだ。それでもこうして鳥を仕留めてきたという事は、獲物の絶対数が多いに違いない。

 

「いえ、この大雨のおかげです。足音がかき消えるので、木陰で休んでる鳥の背後から槍を一突きするのが簡単でして。それにコイツらは赤やら橙やら、派手な羽をしてるんで見つけやすいんですよ」

 

 確かに鳥や爬虫類、果実に至るまで、熱帯の地域にはには派手な色をしたものが多い。現世と共通のようだ。

 

「……となると、バナナが取れるかもしれないな」

 

「なんですか、それは?」

 

「知らないか。こういう暑くて湿度の高い場所になる果実でな、見つけられれば、栄養価も高いから重宝するぞ。それに、美味い」

 

 他にもパイナップルやマンゴー、ココナッツなどがウィリアムの頭に浮かぶ。

 もちろん飛竜に食わせるわけにはいかないが。

 

「へぇー、果物ですか」

 

「さて、日が落ちる前に首都へ向かおう。吉と出るか凶と出るか」

 

「了解です。道中でバナナとやらを見つけたら教えてください!」

 

「構わないが、どこへ行くのか忘れてくれるなよ」

 

 雨から身を守り、目立つスーツや甲冑を隠す為に外套を羽織っている。

 それでも顔に向かって激しい雨が容赦なく叩きつけてくる。足元はぬかるみ、泥だらけだ。

 

「森でこれでは、平地はもっと厳しいかもしれんな」

 

「バレンティノ卿、残念ながらそろそろ街道に出そうです」

 

 木々が途切れ、街に向かって伸びる幅の狭い道が現れた。二人ならば横に並んでも問題ないが、馬車や荷車は通れないだろう。たとえ幅を広げても、ぬかるんだ道に車輪が取られて往生するのが関の山だ。

 道の脇に小川が流れているので、物流は舟を使うか、ロバや牛の背に直接乗せて行っているものと予想出来た。首都を僻地に構えるからには、それなりの不便を抱えるものなのだと思い知らされる。

 

 天候こそ悪いが、首都イスラマバードは街道からハッキリと見えている。木製の柵、小川や崖を利用した天然の要塞という言葉がぴったりの荘厳な構えだ。

 昼間であるにも関わらず外郭に松明が灯されているのは、厚い雲が日光を遮ってしまうからだろう。雨に濡れて火が消えないように、周りをガラスで覆う工夫がなされているようだ。

 

「ここからは一本道か。遮蔽物も無いな」

 

「今のところ道中には誰もいないようですが、往来はあるでしょう。その時はお任せします」

 

「あぁ……っと、言ってるそばからお客さんだ」

 

 両開きの正門は柵と同じく丸太を繋ぎ合わせたものだ。それが僅かに開き、二人の騎兵が傾斜のキツい街道を駆け下りて来るのが見えた。

 

 ウィリアムとカンナバーロが立ち止まって身構える。

 騎兵は段々と近づいてきて、彼らを一瞥し、そしてそのまま通り過ぎて行った。カラチで見た警官とは違い、長槍と鉄兜を装備していた。鎧はなく、黒い軍服である。

 

「ありゃ……?こっちに用があったわけじゃないんですね」

 

「あの様子だと、どこかへ飛ばした早馬のようだな」

 

「よっぽど急いでたんですかね」

 

 外套の効果もあってか、少なくとも一目見て怪しい者だとは判断されなかった。

 

「とはいえ、門番とは話さないわけにもいかない。俺達への対応はそっちに任せるという事だろうな」

 

……

 

 街を目の前にすると、やはり丸太を何千も組み合わせて作られている巨大な砦であった。

 門の前にテントを張っている連中が数人いる。中に入れてもらえなかった流民か旅人だろうか。

 

「なぁー、衛兵さんよぉ。そろそろ街に入れてくれるんだろうなぁ」

 

 ちょうど、一人の農夫が門の上の見張り台にいる兵士にそんな声を上げているところだった。門の外にあるテントからも、いくつもの恨めしそうな目がその兵士を見つめている。

 ウィリアムらの到着にその場にいる全員が気づいているはずだが、誰も何の反応も示さない。

 

「何度も言っているはずだぞ。すまんが住民以外は中には入れれんのだ。最近は商人の取り引きも、門外で行っているくらいだからな」

 

 つまり、ここにテントを張っている連中は他の村や街からやってきた者という事になる。

 観光や買い物に来たような気楽な連中なら居座ってまで抗議をするとは考え難い。イスラマバードに職を求めて遥々やって来たといったところだろう。

 

「参ったな。余所者は入れてくれないらしい」

 

 ウィリアムが雨音で掻き消えてしまいそうな程の声量でカンナバーロに伝える。イタリア語が他の連中、特に衛兵に聞こえて警戒心を煽らない為だ。

 

「そうなんですか?ま、交渉事はバレンティノ卿にお任せしますよ」

 

「少し、周りの奴らに話を聞いてみるか……」

 

 いきなり門前までは行かず、その少し手前に張られているテント群に近づいた。

 

「すまない。もしかして、街には入れないのだろうか?」

 

 適当に目星をつけたテントの入り口から、薄汚れた白地の服を着ている男に尋ねた。

 

「あぁ、あんたらみたいに手ぶらで気楽にやって来る観光客も含めてな。俺達は生活がかかってるってのによ……」

 

 苛立っているのか、軽い嫌味が返ってくる。

 

「それが、俺達がこうして立ち寄ったところで誰も見向きもしない理由か……出入りしてるのは、街の住民や兵士ばかりか?」

 

「あぁ、そうだよ。だから諦めな。こうして長らく張ってる我々が無理なんだ。ひょっこり現れた観光客に、あの兵士が通行を許可するとは思わないだろう?」

 

「同感だな。しかし、少しは粘って交渉してみようと思ってる。隣に野営をしても?」

 

 ウィリアムの言葉に、男は少し驚いた表情を見せた。

 

「いや、そりゃたまにはそういう奴も見るし、構わないが……着の身着のままで豪雨を過ごすつもりか?」

 

「しまった、そうだった。この一団に、庇を貸してくれそうな奴はいないか?銅貨なら少しある」

 

 そう長居するつもりはない。テントで世話になるのも一日か二日だろう。

 

「よくそれで旅をしてきたな……あぁいいよ。このテントに入れてやる。二人で銅貨一枚だ。ただし、一週間以内には出て行ってくれよ」

 

 ローマやロンドンに比べて破格の安さだとは思いながらも、国や街、それに身分の違いではそうなのだろうと納得するしかない。

 始めに銀貨や金貨で交渉しなくて正解だったようだ。

 

 ひとまず生活用品で手狭なそのテントの中に入って外套を脱ぐと、ようやく外国人だと気づいた男がギョッとした。

 

「お、おい。あんたら余所の人だったのかよ!訛りがあるから遠いところの者だとは思ってたが!」

 

「余所者扱いはお互い様だろ?あの兵士にとってはな」

 

「そりゃそうだが……まさかヨーロッパ人だとは……頼むからテントを出る時は被り物を外すなよ。国同士のいざこざに興味は無いが、一応は敵国なんだから」

 

 男はそう言いながら、いそいそとテント内に散らかった食器や衣服を片付け始めた。

 三人が横になれるスペースを作ってくれているようだ。

 

「一人でイスラマバードまで来たのか?」

 

「あぁ、見ての通りさ。天涯孤独なもんで、ここで従軍でもしようかと思って来たんだが……まぁ、今となっては周りに居座ってる連中がいるおかげで賑やかだがね」

 

 家族連れで越してきた者もいるようだが、大抵はこの男のように一人でいる者ばかりだ。

 

「しかし、いつまでも入れてもらえなきゃ資金が尽きて食い物にも困るだろう。どうするつもりなんだ」

 

「さてねぇ。考えた事も無かったが、いざとなったら別の街や村を目指すだろうよ」

 

「一番長い奴で、どのくらいここに留まってるんだ?」

 

「ひと月くらいじゃないか?それ以前は出入り自由だったらしいからな」

 

 つまりそのひと月の間に何かがあったと考えられる。

 手掛かりの無い状況では想像の域を出ないが、外部から入ってきた人間が街で重大な問題を起こしたのだろうか。

 

「何があったのか知ってるか?」

 

「知らないな。お偉いさん、首相が取り決めたって事は聞いたが」

 

 カラチの人間はイスラマバードが閉鎖的状況にあるとは知らなかった。海岸沿いの大都市から山岳地帯の要塞に向かう一般人は少ない。

 行商人や役人の中には知っている者もいただろうが、城外で取り引き自体は出来ているので大きな問題にはなっていないようだ。

 

「困ったな。せっかくたどり着いたのに」

 

「しかしどうしてわざわざこんな辺境の地に?パキスタンを旅するならカラチとかに向かったほうが良いと思うがなぁ」

 

 パキスタンはアジアの中でも中国やインドに負けずとも劣らないほどの大都市をいくつも有している。

 現世においてカラチ、ラホール、ファイサラバードなどはとてつもない人口を誇るメガシティだ。こちらの世界でも規模こそ落ち着きはするが、それらの街が賑やかなのは同じである。

 比べて要塞でしかない山奥の首都に外国からの観光客がわざわざやって来るのが不思議なのも当然だろう。

 

「知ってたら来なかっただろうな。俺達の故郷ヨーロッパでは、その国で最大規模の都市が首都になっている。ローマ、ロンドン、パリ、ベルリン。全てイタリア、イギリス、フランス、ドイツの最大の街だ。少し前にカラチにいたんだが、アジアでもそのルールが成り立っているつもりでいた。イスラマバードはさぞかし派手な場所なんだろうと思って楽しみにしてたんだよ」

 

「なるほどな。確かに来てしまったものは仕方ないか。早く街に入れるようになれば良いんだが……」

 

「話は変わるが、行商人はこっちにも商売をしてくれるのか?」

 

 こっち、というのは野営をしている入植希望者達の事だ。

 

「あぁ、それは問題ない。街の卸屋も門外まで買い付けに出てくるからな。金さえ払えばこちらにも売ってくれるぞ。ちょうど、今日か明日くらいには来るんじゃないか」

 

「それは良かった。食糧や酒が必要だからな。泊めてもらった礼だ。何か奢らせてくれ」

 

「ありがとうよ。出来れば食べ物で頼むよ」

 

 ウィリアムはハッとした。イスラム教では禁酒が常識なのを思い出したからだ。

 

「そうか、禁酒なんだな」

 

「一応はね。しかし、頑なに守っているわけでもないぞ。たまに嗜む事はあるからな」

 

 イメージしていたよりも戒律の厳しさは緩いようだ。

 

 だが、自分達の為だけにだとしても行商人による酒の販売はあまり期待しない方が良いだろう。持ってきたところで大して売れないのであれば、在庫をかかえているとは考え難い。

 

「さっき叫んでる奴がいたが、あぁやっていつでも衛兵とは話せるのか?」

 

「いや、今日の当番は優しい奴だってだけさ。大抵は黙って門の上に突っ立ってる。泣こうが喚こうが見向きもしないよ」

 

「住民か兵隊、誰かの出入りに紛れて忍び込む……というのも難しいだろうな」

 

「あぁ。吊るし首にされたくなきゃ遠慮しておいた方が良い」

 

 男が言うようにいきなり殺されるというわけではないだろうが、厳罰に処されるのは目に見えている。

 

……

 

 それから二時間後。雨が弱まってくると、ウィリアム達と街道ですれ違った騎兵に先導されて十人程の商隊がやってきた。

 あの騎兵らはその為に遣わされていたようだ。

 

 商隊は小ぶりな荷車を人夫が後ろから押し、さらに前からはロバがそれを引いている。荷車は合計三つだ。車輪に布を巻き、泥で立ち往生するのを防いでいる。 

 険しい山道を上がってくるのに大荷物は厳しいようで、こうした小規模な行商人が代わる代わる通っているのだという。

 

 手早く円錐型のテントが立ち、机が並び、絨毯が敷かれ、積荷が下ろされていく。

 

「おっ、来たきた」

 

「門も開いたな。俺達も行くとしよう」

 

 三人は連れ立って、そちらへと向かった。

 

 街から出てきているのは商店の店主や女将ばかりで、一般の主婦などは見当たらない。

 そのため、ごった返すほどの混乱が起きる事もなく、五十人にも満たない顧客が行商人のテントを囲んで商品を買い漁っている状況だ。

 

 街に住む一般人にまでこの場での買い物を認めると、城内の商店の利益が潰える。

 さらには、千人単位で暴動にも近い買い物競走が勃発してしまうだろう。

 その為、首相がこうして制限をかけているようだ。

 

 だが、外にいる連中。つまり現在のウィリアムのような輩に対してはそれを制限出来ない。

 無理やり兵隊を使って止めさせようともしてこないのは、テント暮らしの入植希望者らの買い物くらいで品切れにはならず、街に影響が出ないからだ。

 

「おぉ?新顔か」

 

 列に並んで待たされている間、ウィリアムとカンナバーロに声をかけてきたのは少し前に衛兵と話していた農夫だった。

 元々地黒な肌を持つアジア系の男だが、日焼けでさらにこんがりとした肌になっている。

 

「そうだ。しばらく厄介になる。ご近所さん同士、仲良くしてくれると助かる」

 

「おんやぁ?」

 

 フードつきの外套で顔を伏せているが、二人が地元民で無い事に気づかれたようだ。

 だが、農夫は特に触れずに話を進めた。

 

「ご近所さんか。ははっ、確かにそう呼べるくらいは顔見知りも増えてきたもんだなぁ」

 

 こんな所で長らく留まっていたいわけでもないのに、と力なく首を垂れる。

 

「ここには仕事を求めてか?」

 

「そうさ。村が焼き払われちまってな。家族共々、一週間前からここに陣取ってる。農業でも牧畜でも下男でもやるって伝えたんだが、なかなか入れてもらえんでな」

 

「災難続きだな……」

 

 ウィリアムがそう返したところで、農夫の買い物の順番が回ってきた。

 彼は手早く米や小麦だけを最低限手に取ると、泥で汚れた銅貨で支払いを済ませた。

 

「ま、ここが踏ん張りどころってな。んじゃ、女房と娘が腹空かしてテントに待ってるからよ」

 

「あぁ、またな」

 

 次はウィリアムの番だ。

 

「ほい、いらっしゃい。好きなものを手に取ってくれ」

 

 出迎えてくれた若い行商人の前に、食糧、少しの酒、衣料品、薬品や文具、陶器や磁器が並んでいる。

 

「食糧が良いんだったな?」

 

 振り返り、宿を貸してくれる男に訊く。

 

「ん、本気だったのか?ありがとうよ。それなら小麦粉を少し買ってくれるか。焼きたてのチャパティを振る舞ってやる」

 

「あの薄いパンみたいなやつか?あれは美味いから好きだ」

 

 チャパティは小麦粉と水をこねて焼く、インドのナンのようなものだ。

 米もよく食べられてはいるが、ヨーロッパ人であるウィリアムの好みに合わせてくれたのかもしれない。

 他には鶏肉や野菜、魚などを買いつけた。

 テント暮らしにしては豪勢な食事なので、他の連中が羨ましそうに見ている。大抵の者はいつまでここで待たされるのか分からず食費を節約しているからだ。

 しかし旅客を装っている為、この程度の奮発で怪しまれる事はない。

 

 テント内には、調理器具も最低限揃っていた。

 火元だけは外で起こすのが常識かもしれないが、雨が続く場合はやむを得ずテント内で全て行うそうだ。

 

「悪いな。小麦粉だけのつもりだったが、肉や野菜まで」

 

 焚き火の上にかけた鍋をかき混ぜながら男が言った。

 

「なに、調理させてるんだからな。食糧はあってもメシを作れなかった。三人分一緒にやってもらった方が得策だろう」

 

 それが理由だ。全て生のまま食べるわけにはいかなかったので、お裾分けをエサにして調理を頼んでいる。

 ウィリアムにしてみれば食糧を分けるくらい安いものだ。

 

「そうか。ところで、そっちのヒョロい兄さんはちっとも喋らんが」

 

「あぁ、コイツは英語が話せないからな。イタリア語だと騒がしい奴なんだが、輪に入れてやれなくて残念だよ」

 

 カンナバーロは一人黙々と槍の手入れをしている。

 雨の中では布に包んで外套の下に半身ほど隠していたが、やはり濡れているのは気になるようだ。

 

「えっ?なんでしょう、バレンティノ卿?」

 

 二人からの視線に戸惑ったカンナバーロが、ついに返す。

 

「いや、すまないな。お前とも喋りたがってるようだが、英語が話せないと説明してたところだ」

 

「なるほど。お構いなく、と伝えといて下さい。あぁそれと、味付けは濃いめでと」

 

「しょうがない奴だな」

 

 そのまま伝えると、男は大笑いしながら「任せときな」と薄い胸板を叩いた。

 

……

 

「ほう、それではアンタらは主従関係って事か?」

 

 夕餉の席。団らんには身の上話がつきものだ。

 

「主従というより、卿とは死線を何度も共にした心の友のような……」

 

 そして、ウィリアムは当たり前のようにカンナバーロの妙な返しの通訳をさせられてしまっている。

 いつの間に話すつもりになったのか、としかめっ面でだ。

 

「なんだそりゃ、旅路で魔族にでも襲われたか?」

 

「そりゃあもう!一度や二度じゃないぞ!ロンドンでは絶体絶命のピンチを迎えてなぁ」

 

 一応はそこまで通訳してやったが、あまり任務の内容までは話さないように注意する。

 

「軍曹、そのくらいにしておけ。貴族の道楽という話で、任務が出ると不自然だ。それ以上話すとイギリス先王や元帥閣下が登場してしまうだろう?」

 

「おっと、了解しました」

 

 子爵位は明かしたが、世界を悠々と旅して回るお気楽貴族だという事にしてある。

 だが男はあまりピンと来ていないようで、見なりも決して良くないウィリアムを見て、落ちぶれた貧乏貴族だと思ってくれたようだ。

 

「おい、なんだよ。その絶体絶命のピンチとやらの話を聞かせないつもりじゃないだろうな?」

 

「なに、この阿呆が迫り来る魔族をバッタバッタとなぎ倒しただの、空駆ける竜を魔法で撃ち落としただの、話に尾ひれがついた嘘を言ってたからな。本当は命からがら逃げてきただけだというのに」

 

 適当な言い訳で切り抜ける。

 

「はは!そりゃ、修羅場を越えたらそう言いたくなる気持ちも分かるってもんさ。聞いてる身だって多少は脚色されようと、楽しければいいんだから」

 

「多少か、これが。俺達の事を歴戦の勇者だと思われたら困るだろう?魔族退治の仕事なんか頼まれても真っ平御免だからな」

 

「いいや?確かにバッタバッタと斬り伏せたってんなら勇者かもしれないが、それなりにアンタらは腕が立つと見た。二人だけで世界中を回ってて五体満足でピンピンしてるのがその証拠だよ。違うかね」

 

 どうだ、と言わんばかりにニヤリと男が笑う。

 

「逃げ足が速くて隠れるのが得意な事を、腕が立つと言えるのなら否定は出来ないな」

 

「そうかい。どれだけ本人が認めようとしなくとも、そうに違いないと思っておくとしよう」

 

「好きにしろ。だが厄介事は御免だからな」

 

 話は終わりだ、とウィリアムはチャパティと肉で得た満腹感から地面に横になった。

 目を閉じる直前。まだ食べ足りないカンナバーロが、鍋の中からお代わりをよそっているのが見えた。

 

……

 

……

 

 翌朝。

 

 早速ウィリアムは門を守る衛兵に掛け合ってみた。

 

「おーい」

 

 見張り台として門に備えてある櫓に向かって声を張り上げる。

 門の外側には衛兵はおらず、この櫓と門の内側、つまり城内にしか彼らは配備されていない。

 

「……うるさいぞ」

 

「ほう、昨日の奴が優しいだけだってのは間違いじゃなかったか」

 

「……」

 

「なんだ、だんまりか?」

 

 それっきり、その衛兵は返事をしなくなってしまった。

 周りの入植希望者らも、新参者がやってくれるのではと多少の期待をウィリアムにしていたようだ。一様に成り行きを見守っていたが、興味を失うと各々の生活に戻っていく。

 

「正攻法は無理か」

 

 しばらくその場で考え込んでいると、城内から鐘が鳴った。

 鐘とは言っても教会のようなリンゴンという高い音ではなく、腹に響くようなゴウンという寺院のそれだ。イスラムに鐘を鳴らす風習は無いため、近隣国の仏教寺から仕入れた物だろう。

 

「なんでしょうかね?」

 

 カンナバーロがテントから出てきてウィリアムに並んだ。

 この男、宣言通りに交渉ごとは上司に任せ切りで自分は休んでいたのである。

 

「開門の合図かもしれないが……これは定刻の時報かもしれんな。時刻は……午前六時半くらいか?いや、時差を考えると詳細は不明だな」

 

 だが、開門の度に鐘が鳴っていた記憶もなければ、正午や夕刻、夜半に鳴っていた記憶もない。

 

「おい、あの鐘はなんだ?」

 

 やる事もなく、近くでぶらぶらしていた女を掴まえてきいてみた。みすぼらしい麻布のボロを被った老婆だ。

 

「さぁ、なんだろうかね。初めて聞いたよ」

 

「ふむ、そうか。門に動きはないな。城内で何か行われているのか……」

 

 老婆も数日以上はここに滞在しているはずである。

 聞いた事が無いのであれば時報や開門の合図ではない。

 

「軍曹、街の外周を歩いて、他に出入口がないか確認して来れるか?俺は残って、開門のタイミングがあれば出入りする住民らと接触する」

 

「えぇー、本気ですか。半日はかかりますよ」

 

「本気だ。先ずは左手に、崖や川で城壁沿いに進めない場合は引き返して来い」

 

「了解……致しました」

 

 とぼとぼと肩を落として歩いて行くカンナバーロの背中を見送る。


 雨こそ降ってはいないが、曇天でどんよりとしており湿気も多い。ただ立っているだけでもじわりと汗が滲む。

 

 他の入植希望者の面々と話していると、門が開いて百人前後の住民らが出てきた。

 鍬を担いでいる者は農作業へ、矢筒を背負って弓を手にしている者は狩りへ、釣竿や網を持っている者は魚を取りに行くのだろう。

 

 その中に、長槍を手にして大きな籠を背負っている若者がいた。

 聞けば槍で何かを退治するわけではなく、木の上のバナナを取りに行くのだと言う。

 カンナバーロと、ついでにテントを貸してくれている男に食わせてやろうと思い、若者に同行してもいいか尋ねると承諾してくれた。

 

 半裸で裸足のその若者はやはり地元民と言うべきか、熱帯雨林の中を迷うことなくグングンと縦横無尽に進み、次々とバナナの木を発見した。

 槍でバナナの房の上部を器用に突き、ドサリと落ちてきたそれを背中の籠に放り投げていく。

 黄色く熟れたバナナは香りがして非常に美味そうだ。その甘い香りのせいでハエやアリにたかられてしまっているが、若者は気にせず時折それを食べながら作業に没頭した。

 

 ウィリアムも微力ながら魔剣の鞘でバナナを突き落として回った。流石に抜刀して燃やしてしまうわけにはいかない。

 

「何故、剣を抜かないんだい?切り落とした方が楽だろうに」

 

 若者が尋ねる。

 

「すまない。一応は人を斬る為の商売道具だからな。それで食べ物を突くのは無遠慮だろうし、何より刃にあまり良くない」

 

「気にすることは無いと思うけど、まあいいか」

 

 ウィリアムが必要としていた量は三人分だけなので、二房を手にしたところですぐに終了した。若者の籠がいっぱいになりそうなタイミングを見計らっていたので、二人は同時に帰路に着く。

 

「それだけかい?もしかして観光客か」

 

「ご名答。連れがバナナを食べたいと言っててな。それで同行させて貰ったんだ」

 

「二つで良いなら俺の帰り際に城門前で声をかけてくれれば譲ってあげたのに」

 

 森を抜け、街道から城が見える。

 

「そうか?でも良い気晴らしになったよ。着いてきて良かった。他にもバナナを取ってる者はいるのか?」

 

「いないことはないが、バナナよりは小麦や米を収穫してる人が多いな」

 

 地域によるだろうが、イスラマバードでバナナは主食にはなり得ないらしい。

 

「野生の物も悪くはないが、稲や麦みたいに手をかけて栽培した方が質も量も上がりそうなものだがな。需要が少ないんじゃ、大した利益は見込めないか」

 

 ビクリと若者が反応してウィリアムの顔を見た。

 とは言っても、外套を目深く被っているせいで口元くらいしか見えていないだろうが。

 

「そりゃ名案だ!流石に旅人は考え方がひと味違うなぁ。明日から早速、バナナ農園を作る準備を始めるとしよう」

 

「おいおい、本気か?今言ったが、利益が出る保証なんてないんだぞ」

 

「こんな虫食いじゃなくて、米や小麦より美味いバナナを作れば問題ないだろ?」

 

 前向きなのは結構だが、楽観的すぎるように感じる。

 しかし、一人の若者の情熱が世界を変えるのも悪くはないかとウィリアムは苦笑で返した。

 

……


 縦向きに並べた丸太を連結した造りの城門前に着くと、カンナバーロが既に戻ってウィリアムを待ち受けていた。

 

 同行していた若者に礼を告げてその場で別れる。若者は門を開けてもらって城内に帰って行った。

 

「軍曹、土産だ」

 

「おかえりなさい、バレンティノ卿。この黄色い花は一体……?」

 

 初めて見るバナナを受け取り、カンナバーロは目を丸くしている。

 

「花じゃないぞ。これがバナナの身だ。甘い香りがするだろう?皮を剥いて食ってみろ。アリがいたら、そこは除いてな」

 

「え!これがそうなんですか!確かに美味そうな匂いはしますが……ってそれは後でいいんです!実は、街を囲む城壁に一部、人が通れそうな隙間を発見しまして」

 

 カンナバーロが興奮した様子でまくし立てる。

 

「何?でかしたぞ、軍曹。そこから人が出入りした形跡はあったか?」

 

「足跡は無かったんですが、這ったような跡が有りました。何せかなり狭い隙間で、大人一人が這うのがやっとです」

 

「なるほど。理由は分からんが、秘密裏に街を行来している者がいるのか……?よし、今夜は俺がそこを見張る事にする」

 

 すぐにそこから侵入せずにわざわざ見張るのは、街の内部の状況が分からないからだ。

 その曲者と話せるのならば、侵入してもすぐに捕まったりしないのかを知りたい。正体はこの際どうでも良い。

 

「卿、お気持ちは分かりますがお一人じゃ危ないですよ。それなら自分もご一緒しますんで」

 

「お前には、他にもそういった場所がないかを探してもらいたいんだが」

 

「いいえ、こればっかりは聞けません」

 

 カンナバーロはウィリアムに危険が及ばないようにする事が第一の努めだ。

 怪しい出入りを利用している相手は、良からぬ生業に就く輩であると思われる。複数人や手練を相手しなければいけない場合、ウィリアムが死んでしまうとでも思っているのだろう。

 

「しかし、これだけデカい街だ。他にもそういった抜け道があるのは間違いない。俺としては二箇所を抑えておきたいんだがな」

 

「三箇所以上の抜け道があるとしたらどうです?二人じゃ手が足りません。いずれかの場所を見過ごしてしまうのなら、一箇所を二人で見張る方が安全じゃないでしょうか」

 

「一理あるな」

 

「夜の間に少しだけ、自分に潜入をさせてもらえませんかね?抜け道の近くで城内に潜伏先に出来そうな場所を見つけれたら好都合です」

 

……

 

 だが結局、カンナバーロの案は採用されること無く終わった。

 なぜならば、日が落ちて二人が抜け道にたどり着いた時、奇跡的にそこから出てきた一人の男を取り押さえる事が出来たからだ。

 

「み、見逃してくれ!俺は人に頼まれて……!」

 

 立派な口髭をたくわえた中年の男は、泥にまみれたずた袋を大事そうに抱えていた。

 

「……軍曹」

 

「はい」

 

 取り上げて見てみると、その中身は大麻の葉だ。これを住民と取り引きする売人なのだろう。

 

「なるほどな。まぁ、俺にはこの手の商売をとやかく言う権利は無い。安心しろ」

 

「え?あ、ありがてえ」

 

「今夜の売りは終わりか?なら少し話を聞かせてくれ。素直に話せば逃がしてやる」

 

 死を覚悟していたであろうその男は、一瞬にしてキョトンと呆けた顔になってしまった。

 

「あの、えっと……どちら様で?」

 

「いいから話を聞かせろ」

 

「は、はぁ」

 

 チラチラとウィリアムの後ろに控えるカンナバーロの手元に視線が泳ぐのは、商品が入った袋を気にかけているからだろう。

 

「よくここからは出入りしてるのか?」

 

「さて……どうだか。仕事は初めてなもんで」

 

「あぁ、正直に答えてくれて構わないぞ。重ねて言うが、お前の仕事を咎めるつもりも、憲兵に引き渡す気もないから安心しろ」

 

 しかし、いくら口だけでそう言ったところで無理だろう。警戒心を解かせるにはどうすべきかと考える。

 

「そうかいそうかい」

 

「仕入れ先や顧客リストを聞かれると思ってるのかもしれないが、無用だ」

 

「……そうか」

 

 男の声音から、警戒心が一段階だけ緩んだ手応えを感じる。

 

「もっと言えば、売り場も相場もどうだっていい」

 

「この抜け道を頻繁に利用してるかどうかを聞いてどうするつもりだい」

 

「簡単だ。俺たちが安全に出入り出来るのかを知りたい。中に用があるが、違法に潜伏してる奴等はどうやって暮らしてるのかと思ってな。もちろん住処を吐けとは言わん。そいつらには用事なんてない」

 

 ははん、と男が鼻を鳴らす。

 

「なるほど、そこの仲間に加わろうってわけか」

 

「なぜそうなる?残念だが違う。用はすぐに済むからな。質問に応えろ」

 

「確かに、良からぬ連中はそこら中に潜んでるとも」

 

 そこら中という事は、やはり裏稼業の人間も少なくないという証拠だ。

 

「そいつらは定住してるのか?」

 

「定住してる奴、数日くらい中で過ごす奴、ちょくちょく出入りしてる奴、色々だろうよ」

 

 イスラマバードへの出入りが厳しくなってそう長くはないが、既にそうやって街の変化に適応している犯罪者がいる。ウィリアム達も紛れ込めるはずだ。

 

「昼間は身を隠してるのか?」

 

「いや、堂々と歩き回ってるさ。兵隊さんだって住民を一人一人覚えちゃいない。それに、門が閉ざされる前から売り買いをやってる奴もいるだろう」

 

「俺たちの場合は流石に出歩くのは危なそうだ。お前がうろついてるのもそれが理由だな」

 

「そういう事。新参は街に馴染むまで足で稼ぐしかないのさ」

 

 この男は地域住民や憲兵に少しずつ顔を売って、いずれはあたかも最初からイスラマバードに住んでいたと勘違いさせようとしているのだろう。

 無論、それには長い時間がかかる。その前にお縄につく危険性も無視は出来ない。

 

「どこかで首相を見たことは?」

 

「はぁ?首相だって?」

 

 まさか、と男は首を横に振る。

 

「田舎者なんでな。お偉いさんも時には散歩くらいしてないのかと気になっただけだ」

 

「それは……あんたら、外国人だよな?もしかして、首相を消すつもりか?」

 

 そこまで言い、再び怯え始めた。

 

「そうか!それで城に!は、話が終わったら俺も殺すのか!そうなんだな!?あぁクソッ!」

 

「面白い冗談だ。外国人なのは認めるが、暗殺者なんかじゃない。あまり騒ぐな。人が近くにいたら面倒だ」

 

「だ、騙されるもんか!そっちの長槍抱えてる奴はなんだ!よく見りゃあんたも帯刀してるしよ!殺し屋だろう!」

 

「軍曹、少し静かにさせてくれるか」

 

「はい、バレンティノ卿」

 

 なおも騒ぎ続ける男に、とうとうカンナバーロが槍を突きつけた。

 

「ぐっ……」

 

「お前、どうしてわざわざ死のうとするんだ?俺は話を聞いたら見逃してやると最初に言ったぞ。人を簡単に信用しちゃいけない世界で生きてきたのは分かるが、少しは無い頭を使ったらどうだ」

 

 あまり使いたい手では無かったが、ウィリアムはスラックスから金貨を三枚取り出した。

 

「な、なんだ。こんな大金……」

 

「俺はお前から情報を買う客だ。人は信じれなくとも金は信じれるだろう。今から殺す相手に代金なんか払うか?」

 

「金で油断させて殺すつもりだろ……」

 

「そこまで言うならお前はこの先、誰とも商売出来ないな」

 

 すぐさまウィリアムは金貨を元の場所にしまった。

 買収は兄であるトニーが考え無しによくやる手だ。兄は力か金か、二つに一つという豪快で単純な男である。ウィリアムもやらないわけでは無いが、あまり好きでは無い。

 ただ、今回は金を渋ったのではなく、目の前の男に揺さぶりをかける策としてそうした。そして、男は見事にウィリアムの術中にハマる。

 

「あっ、ちょっと待て。そこまで言われたら商売人の名が廃るじゃないか?」

 

「話す気になったか?おかしな奴だな」

 

 ウィリアムは一枚だけ、金貨を取り出して男に手渡した。

 

「……!?」

 

 相手は当然、目をぱちくりさせるがウィリアムは取り合わない。

 

「何か言いたそうな顔だな?だが自分で選んだ道だ。俺には関係の無い事だ」

 

「分かった分かった!もう逆らわないよ!」

 

「それならまず声を落とせ。騒がしいのは嫌いでな」

 

 あくまでもウィリアムの口調は柔らかだ。

 はたから見たら談笑している風にしか見えない。だが、言葉はあくまでも男を威圧している。

 

「……」

 

「やっと言葉が理解出来るようになったか。あまりにも頭が悪いと裏稼業では生きていけないぞ?第一に、噛みついていい相手と絶対に敵わない相手の見極めすら出来てない」

 

 ウィリアムが右手を挙げてカンナバーロに槍を引かせた。

 そのまま質問に入る。

 

「俺たちが街に入って、潜伏する事は?」

 

「……難しい、と思う」

 

「そんな俺たちが城内で活動するとしたら、日中と夜間はどちらの方が動きやすい?」

 

 これは少し難しい質問だったようだ。

 

「悪いが、何をするのか分からないのにいつ動くのがいいと言われてもな。売りなら夜だが」

 

「そうだな。ただ、城内をぶらぶらするならどうだ」

 

「その怪しい外套を被ったままなら夜だな。いや、外国人なら脱いでたって夜だ。白人だよな?すぐに怪しまれちまうだろうさ」

 

 精一杯の皮肉を込めて男が言う。

 

「警備は夜の方が手薄か?」

 

「いや、むしろ手厚くなる。昼は兵隊のパトロールが減る代わりに、住民の目があるからな」

 

 ウィリアムの目的は首相との接触だ。

 昼間に堂々と会いにいけるはずもなく、警戒が強まる夜に首相の寝床に忍び込むのも至難の業だろう。

 

「厄介だな。どうしてこんな厳重な街になってるんだか」

 

「俺が聞きたいくらいだ。もっと楽に稼げるつもりだったんだがな」

 

「一つ、頼めるか」

 

 改めて男が身を固くする。

 

「何を……いいや、お断りだ。きっとろくな頼みじゃない」

 

「そう難しい話じゃないがな。イスラマバード市街の地図が欲しいだけだ。手に入るか?」

 

「地図なぁ……そう簡単には手に入らんだろうな。やっぱり難題じゃないか。目立つ建物や道だけの、簡単なものであれば地面に書いてやる。それでいいか?」

 

 確かにヨーロッパでも地図は貴重なものだった。ウィリアムは運良く世界地図やアジアの大まかな地図を目に出来ているが、普及していなくて当然だ。

 

「助かる」

 

 男は木の枝で地面に書き始めた。僅かな明かりが城から届いているので夜闇の暗さは問題ない。

 地図に絵心は必要無いだろうが、意外にも丁寧なものだ。建物の特徴がよく分かる。

 

「ほう、うまいもんだな。それなら絵師にでもなれたんじゃないか?」

 

 立体的に描かれた城壁、家屋など、簡略化はしてあるが、こちらに来てから見た絵の中では抜群にレベルが高い。

 

「んん?まぁガキの頃はそんなことを考えもしたがな、これが中央にある政庁だ。政府の機関はここに集まってる」

 

「わかった」

 

「これが行きつけの酒場で、ここがよく売りをやってる裏路地、ここに牢屋があって……」

 

 次々と男が木の棒で絵を指していく。

 

「待て待て、説明が早い。というか、横に建物や道の名前を書きこんじゃくれないか?上手いが、どこが何だったかまでは覚えれない」

 

「あー、悪いが文字は書けないぞ」

 

「何?そうか、では俺が書き込むからもう一度教えてくれ。ゆっくりだ」

 

 その後数分の間、男から地図についての詳細を教えてもらいながらウィリアムが名称を書き込んでいった。

 

……

 

「こんなところか」

 

「あぁ、それ以上はわからないな」

 

 地図は残念ながら城全体を表すものではない。今現在いる城壁の抜け道からそう広い範囲ではないが、街の中心にある政庁までの道のりは描かれているので良しとするしかないだろう。

 この男とてイスラマバードに来て日が浅いのだ。嘘をついてる様子でもないので本当にこれがだいたいの活動範囲だったのだろう。

 

「そろそろ開放してもらえるか……?」

 

「そうだな。行け」

 

「ふん、売りを見逃してもらった礼なんか言わないからな!」

 

 捨て台詞を吐きつつ、脱兎のごとくという言葉が似合いすぎるほど、一目散に男が駆け出す。

 

「バレンティノ卿、行かせて良かったんですか?なにやら邪魔にならなければいいんですがね」

 

「心配ない。余計な事を吹聴して回る可能性はあるが、あんな小物の言うことなんて誰も聞かないだろう。特に、こんなやりづらい街に根付いて裏商売をやってるような連中なら尚更な」

 

 何の根拠もないが、これはウィリアムの勘だ。

 彼はマフィアファミリーの二番手として小さな組を支えてきた男でもある。はみ出し者たちから見て、先ほどの男がどういった目で見られているのかは容易に想像できた。

 

「では、我々は今後どういった方針を?」

 

「少し待て」

 

 ウィリアムは携帯電話を取り出し、男が残していった地面の地図をカメラで撮影した。

 そして足で土を蹴って地図をかき消す。

 

「これでいい」

 

 一枚の写真として納められた地図を見返しながら言う。

 

「何度見ても便利なもんです、その電話とかいう代物は」

 

 電話だからといって何にでもカメラがついているわけではないが、ウィリアムも頷いた。

 

「あぁ、今後の方針だったか」

 

「はい」

 

「ここを見ろ。奴が売りの場所に使ってる裏路地だ。まさか大事な縄張りまで吐くとは思ってなかった」

 

 カンナバーロにも読めるよう、地図上の書き込みはすべてイタリア語にしてある。男は読み書きができないので気づいてはいなかったようだが。

 

「明日、日が落ちたらここへ向かう。新参のあいつが近寄れる場所なら俺達にも可能だろう。そこでもっと顔の利くやつを探す」

 

……

 

「おや?今日はもう戻ってこないのかと思ったが」

 

 寝床を貸してくれていた男のテントに戻ると、日も上がらないうちから彼は一人分の朝食を作っているところだった。ウィリアムらは装備品を常にすべて持って出るので、男にとってはいついなくなっても不思議ではない。

 

「いい匂いだな」

 

 チャパティの上につぶしたバナナを乗せたもので、ほんのりと湯気が上がっている。

 

「あんたがテントに置いてたバナナだ。使ってよかったよな」

 

「もちろん。悪いがもう一日だけ世話になれないか?」

 

「構わないぞ、それなら二人の分も朝飯を作ってやるよ」

 

 訳してやると、カンナバーロが手をたたいて喜んだ。

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