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♭11

 ロシア帝国、エカテリンブルク近郊。

 

 手勢三百と少しの兵を持つトニーは、街の東側に布陣していた。

 

 エカテリンブルクは低い塀と浅い堀に囲まれた城塞都市だった。

 規模はロンドンなどと比べると見劣りしてしまうが、それでも大都市と呼ぶにふさわしいだろう。 

 塀が若干低いおかげで、街の中にある背の高い建物、丸い屋根を持つ聖堂や立派な城が見えている。領主の居城だろう。

 そして、その大都市のそこら中から煙が上っていた。

 

 それが、街の外にトニーが待機している理由だ。

 

「閣下。斥候から、戦闘は終結している様子だと報告がありました」

 

 ケンタウロスの上のトニーに、ジャックが言った。 

 つまり、オースティン副長はすでにエカテリンブルクを占領してしまっていたという事だ。

 

 すでに住民や守備兵を皆殺しにし、次の街へ移動した可能性もゼロではない。しかしながら、少し前にトニーが撃破した部隊を配置していたのは時間稼ぎだったと考えておいたほうが良いだろう。

 

「敵影は?」

 

「未発見との事です」

 

「ふん……」

 

 オースティン率いる魔王正規軍本隊は、その隙にエカテリンブルクを落とし、街を盾にしてトニーの到着を待っていると思われる。

 すぐには進入せずにこうして陣を張っているのはそれを警戒しての事だ。

 

「再度、斥候を出します。次はもう少し街に近寄らせてみましょう」

 

「敵影は当然として、住民の生き残りも確認出来なかったか?」

 

「はっ、今のところはいずれも発見するには至っておりません」

 

 数秒、トニーは思案を巡らした。

 

「……生存者は見つからなかった。そうだな?」

 

「はっ……?え、えぇ。そうです」

 

 ジャックは今したばかりの報告にトニーから質問をぶつけられ、わけが分からないといった様子だ。

 

「安心した、街にありったけの砲弾を用いて攻撃できるじゃねぇか」

 

「……なるほど、了解いたしました。閣下の御心のままに」

 

 白骨化した顔の表情をピクリとも変えずにジャックが頷く。

 つまりトニーの言葉は、生存者がいようがいまいが街全体に砲撃しろ、そして生存者はいなかったものとする。という意味である。

 

「撃ち始める前に、生存者がいなかったと大々的に触れて回れ。それで味方のロシア兵や魔術師を多少は納得させれるはずだ」

 

 率いる三百名程度の兵には、すぐに伝令が回った。

 

 数門の大砲が陣の中央部に設置されるのを、新参の魔族兵士らが物珍しそうに見ている。スリランカのコロンボで急襲を受けた際にいくらか破壊されたが、まだ利用可能なものは残っている。

 

「親父、いけます」

 

 組員の一人が、砲の近くまでやって来たトニーに言った。

 

「街ごと吹き飛ばす勢いで撃ち込め。弾は惜しむな」

 

 もしオースティンやその部下達がが潜んでいれば、死にものぐるいで街から飛び出してくるだろう。城壁に囲まれた陣地を取られた状態で、律儀に白兵を用いた攻城をしてやる義理などない。 

 兵数の差は不明だが、まずは雪原で野戦へと持ち込んだほうが良いとトニーは見ている。

 

 弾頭が落ちるヒューッ、という花火にも似た音。そしてそれに続く爆発音。

 閃光、爆煙と、立て続けに繰り返される砲撃に自陣は大興奮だ。

 

「なんだこりゃぁ!」

 

「将軍のみならず、バレンティノ・ファミリーは全員が鬼神の如き強さなのか!?」

 

 一斉射撃を見るのは初めての者の割合が高く、彼らの目は破壊されていくエカテリンブルクの街並みに釘付けだ。

 見慣れているはずの組員らやトニーですら、その光景は凄まじく感じる。

 

「お、恐ろしい力だ……街が、消えてしまう」

 

 いつの間にか横にいた、ロシア人の女団長が言った。

 そばには彼女の言葉を通訳出来る兵の姿もある。

 

「安心しろ。所構わずこんな戦法を使うわけじゃねぇ。それはお前も知ってるはずだぜ」

 

 いくら生き残りがいないと言っても、街自体が跡形もなく消え去っていく様子に、女団長は興奮よりも恐怖を感じたらしい。

 味方にはエカテリンブルクに縁のあるロシア人もいたかもしれないが、そこまではトニーも考えていなかった。

 

「だが、これでは街の修復が厳しくなってしまうのではないか?」

 

「街は一からまた作れるだろ。魔族に蹂躙されちまった街並みなんざ、嫌な思い出と共に消し飛ばしてやろうじゃねぇか。住民が残ってたんならそいつらの意志に任せるが、全滅してるんなら味方の損害を減らす方が大事だ」

 

「閣下!やはり敵兵が潜んでいたようです!数名の獣人を確認しました!」

 

 会話の途中だが、自陣の先頭辺りからオーガ兵が叫んだ。

 

「む……なるほど、貴公が睨んだ通りだったか」

 

 ジャックに「お使い下さい」と遠望鏡を渡されたが、それを使うまでもなく、裸眼で獣人の兵士が逃げ出してくるのを確認した。

 爆煙を背にしたそれらはトニーの陣に寄ってくるわけではなく、陣から見て左手の方へと脱兎のごとく駆け出す。

 

「おぉ、見ろ!敵兵が逃げていくぞ!」

 

「さすがは我らがバレンティノ将軍閣下!見事な読みだ!」

 

 味方の魔族らが、槍や剣を鎧にぶつけて打ち鳴らす。

 士気は高く、今に来るであろう突撃命令を待ちわびているのだ。

 

 だが、トニーは違和感を覚える。

 

「こちらに向かってこないのは良いとして、出てきたのはあれだけか?」

 

 確認出来た獣人は十にも満たない。砲撃で壊滅したかもしれないが、それでも少ないのではないだろうか。

 

「街の裏手からも脱走している者がいるかもしれませんね。飛竜を飛ばしますか?」

 

「いや、いい。撃ち方をそろそろやめさせろ」

 

「はっ」

 

 ジャックが伝令を走らせる。

 

……

 

 火の手は消え、煙だけが燻るエカテリンブルクの街並み。

 

「少しばかり働いてもらうぞ」

 

 通訳を介してトニーが女団長に言った。

 

「何なりと」

 

「街に敵兵がいないか調べろ。百名ばかり付けてやる」

 

 人間の兵士や魔術師を七十、味方の魔族の兵士を三十集めた。

 

 トニー自身は廃墟と化したエカテリンブルクに入るつもりはない。

 万が一、人間の生き残りもいないとは言いきれないが、確率としてはかなり低い。焼け死んだ人間の遺体があっても、魔族にやられたものと区別は出来ないだろう。

 

「確かに承った。残存兵がいた場合は捕虜とした方が?」

 

 女団長が馬に騎乗しながら問う。

 

「殺せ」

 

「……承知」

 

 百名の部隊を率いて移動を開始した彼女の背中を見送る。

 

 住民の生存者について訊いてこなかったのは、トニーの回答を聞きたく無かったからか、斥候の情報を信用していたからなのかは分からない。

 

「少し、預けすぎたか」

 

「……と、仰いますと?」

 

 トニーの独り言を問いかけだと勘違いしたジャックが返してきた。

 

「偵察任務は偽りじゃねぇ」

 

「なるほど……つまり、あれは囮にもなり得ると」

 

 脱走してきた敵兵の少なさに抱いた違和感。

 

 エカテリンブルク陥落までの時間稼ぎだと思われる足止めを置いておきながら、姿を見せないオースティンとその本隊。今の状況は、何かがおかしい。

 

 雨の如く降り注いだ砲撃を耐え抜く方法こそ分からないが、伏兵がいるのならば様子を見に来たところに襲いかかるはずだ。

 もし街自体ではなく、どこか街の近くに伏せているのであればトニーが陣を張る前に攻撃を受けていただろう。

 

「親父、あれは何です?援護が必要ですか?」

 

 偵察にしてはかなりの人数を動かした為、とある組員がそんな質問をしてきた。

 しかし、城壁の向こうに敵兵が隠れていた場合、トニーの部隊の大半が罠にかかったと思わせなくてはならない。

 

「今のところは気にしなくていい。街の様子を見に行かせただけだ」

 

「焼け野原をですか?金目のものが見つかればいいですね」

 

 彼は勝手な勘違いをしているようだが、トニーもわざわざそこに突っ込みはしない。

 

 大型の魔族が木で出来た城門を開けて街に一団を導いているのが見える。

 砲撃によって街は瓦礫と化しても、頑丈な城の一部や街を囲む城壁は辛うじてその原型を保っていた。

 

 先ほど忽然と現れた脱走兵達は、城壁の上から飛び降りて来たのだろう。

 さほど壁の高さはないといえ、人間ならば骨折は免れない程度のものだ。しかし、身体能力が高い獣人の兵士であればどうということはない。

 

 いよいよ偵察任務を与えた部下達の姿が壁のせいで見えなくなる。

 

「ジャック、誰かを飛竜に騎乗させろ。上空から監視だ」

 

「かしこまりました」

 

 それ以上見つめていても仕方がない為、トニーはケンタウロスから降りて暖かな車の中へと戻った。

  

……


 それから十分と経たず、静寂は打ち破られる。

 

「閣下!失礼いたします!」

 

 ジャックだ。柄にもなく慌てた様子で、トニーの返事を待たずに車の扉を開けた。

 

「あぁ?」

 

「申し訳ありません!火急の知らせがございます!」

 

 うとうとしていたトニーが睨みつけるも、ジャックは言葉を続ける。

 

「さ、先ほど送った部隊が……壊滅致しました」

 

「何の冗談だ?」

 

 居眠りから少しずつ覚めてきたトニーの意識。耳を澄ますと、確かに外から喧騒が聞こえてくる。

 

「残念ながら、冗談ではございません。突如として敵兵の大軍が城壁の外縁にある堀から現れ……」

 

 そこまで聞き、トニーはジャックを押し退けて飛び出した。

 

「お、親父!」

 

「バレンティノ将軍!」

 

 自陣に残っていた組員と兵士も、突然の出来事に浮き足立っている。

 

「何がどうなった!説明しろ!」

 

 組員の肩を掴む。

 彼ら全員は砲撃支援の為、ここに残っていたのが不幸中の幸いか。

 

「は、はい!あの外壁の周りにある堀です!外壁も低いし、妙に浅い堀だとは思いましたが、あの中に雪を被せて大量の兵士を隠してやがったんです!」

 

「クソが、犬畜生の分際で小賢しい手を使いやがって……!」

 

 そのおかげで砲撃を免れたというわけだ。先んじて逃げ出した敵兵は、僅かながら街に待機させていた見張りだろう。

 

「奴らの数は!誰か、わかる奴はいないか!」

 

「はっ!私が計測するに、獣人の戦士がおよそ六百です、閣下!」

 

 ケンタウロスが叫ぶ。

 

「クソが!さっさと砲弾を撃ち込め!」

 

「は、はい!すぐに!」

 

 組員らが急ピッチで持ち場に戻るも、大砲の準備には少々時間がかかる。その上、残弾数は少ない為、大量に現れた敵兵を全滅させるほどの火力は出せないだろう。

 

……

 

「待ってくれ、将軍!」

 

 砲撃が始まろうというところで、なぜか一体のオーガ兵がそう叫びながら駆けてきた。

 

 当然、トニーの車の辺りに詰めている護衛のケンタウロスやジャックがそれを止める。

 

「なんだ貴様!」

 

「閣下に御用があるのならば我々が聞こう」

 

「まだ壊滅してないみたいだ!堀から出てきて街の中に突っ込んだ奴らの声が止まないし、剣戟の音が聞こえる!」

 

 彼が言うには壊滅の報告は間違っているという。僅かな味方が未だ奮戦している可能性があるようだ。

 

「あん?味方が生きてるだと?」

 

 耳を澄ますも、トニーには剣戟の音までは聞こえなかった。自陣の浮き足立った兵士らが騒いでいるからだ。

 

 だが、確かに街の中から獣人達の雄叫びなどは聞こえる。

 もちろんそれだけでは戦闘が続いているのかまでは分からないが。

 

「ジャック!お前はなぜ街に送った味方が全滅したと判断した?」

 

「はっ。上空から哨戒していた騎竜兵の目視による報告です」

 

 騎竜兵とは、単純に飛竜に騎乗した魔族を指す。特に組織化したものでは無いので、適当に人選をして飛ばしていたのだろう。

 

「将軍!その報告はきっと早とちりだ!いくらなんでも、たったの数分じゃ全滅まではしねぇ!頼む、あの中には弟がいるんだよ!」

 

 このオーガは家族を助けようとトニーの車まで馳せ参じたらしい。

 

「チッ……もし、てめぇが身内を助けたい一心でつまらねぇ嘘をついてたんなら首をはねるぞ」

 

「嘘なんかついちゃいねぇさ!頼む、弟を助けたい!」

 

「……クソが、とりあえず砲撃は一旦停止させろ」

 

「おぉ、ありがてぇ……」

 

 頭を地面に擦りつけて礼を述べるオーガと砲撃停止命令の為に走り出した伝令兵の背中を見ながら、さてどうしたものかとトニーは考える。彼も出来る限り戦力は減らしたくないのだ。

 

「もう一度飛竜に偵察させろ。落とさせるなよ」

 

 まずは状況を再確認。

 後ろから突こうにも全く兵数が足りない。それに、味方を救出する為に被害が出ては本末転倒だ。

 

「城壁の一部、跳ね橋が架かってない部分をぶっ壊すか」

 

 堀に跳ね橋がある部分の正面はもちろん城門だが、トニーはそれ以外の退路を作るつもりだ。

 

「重装備の兵隊を百名ほど選抜して城門前に集結させろ」

 

 さらに次の手。これは敵を撹乱させる為に使う。

 

 その命令を受けて百名の部隊が集まっている最中に、偵察を行っていた騎竜兵が戻ってきた。

 

「閣下、街の中央部付近、城がある辺りで戦闘が続いておりました。お味方は完全に包囲され、全滅は時間の問題かと」

 

 リザードマンの兵士がそう報告する。

 

 砲撃中止を嘆願しにきたオーガは嘘をついてなどいなかったというわけだ。

 

「……さらに五十名を選抜しろ、脚が速いケンタウロスと、軽装で身軽な奴だ。城門前の裏手に待機。野郎どもにはその五十名の切込隊の正面の壁に向かって撃ち込ませる」

 

 つまり、城門に敵の注意を引きつけているうちに、裏手の城壁を破壊して一点突破し、味方を救出するという作戦だ。


 ヒューッ……

 

 ドンッ!ドンッ!

 

 迫撃砲の如く、綺麗な放物線を描いてエカテリンブルクの外壁に着弾する砲弾。閃光、轟音、爆煙を撒き散らしながら石造りの壁を吹き飛ばす。

 

 同時に、城壁からつかず離れずで味方の百名の重装歩兵が敵部隊にちょっかいを出す。

 城内の敵兵は、砲撃が単なる援護射撃だと勘違いしてくれたようで、倒壊した外壁ではなく正門を警戒して押し寄せてくる。

 

「壁に穴が空いたところに足場をかけろ」

 

 トニーの命令で、五十名の切り込み隊が外壁が崩れた部分の堀に雪や岩、土を敷き詰める。

 元々敵兵が潜んでいたせいもあり、一瞬の内にそれは完成した。

 

「行け。出来る限り多くの味方を連れて来い」

 

 埋まった堀を渡り、崩れた壁を抜けてエカテリンブルクに突入していく救出隊。

 

 その間は砲撃が出来ない代わりに、正門前の部隊が敵を陽動する。

 

 トニーがいる本陣に残っているのは、組員を入れて僅か五十名だ。

 雪原のため見晴らしこそ良いが、オースティンが堀に伏兵を配置していた事を考慮すると、周囲への警戒も怠ってはいけない。


 いよいよ我慢ならなくなったのか、正門から打って出てくる敵兵を確認した。

 次から次へと雪崩のように獣人の兵士が飛び出してくる。

 

「よし、かかったな。だが、全部出て来てもらっちゃぁ少ない味方が飲まれる。押し返しながら叩け」

 

 敵は多いが、狭い正門を抜けるには二、三体ずつが関の山である。

 その近辺で押しとどめてしまえば有利に戦える。

 

「あとは救出に手間取らなきゃいいが……」

 

「伝令!閣下にお目通り願います!」

 

 一匹の飛竜とリザードマン兵士がトニーやジャックの側に降りてきた。少し前に報告をしてくれた者とは別の個体である。

 壁の中は見えないので、交代で逐一上空からの報告を持ち帰らせているわけだ。

 

「聞こう」

 

「はっ!救出に向かっていたお味方の別働隊が、包囲されていた偵察隊の生存者と接触いたしました!」

 

 まずは狙い通りにいったらしい。

 

「そうか。じきに引き返して来れそうだな。どのくらい生き残ってやがる?」

 

「切り込んだ部隊の損害は軽微ですが、偵察隊の生存者は三十名余りでした!」

 

「チッ……だがよくやった内か。野郎ども!味方が逃げ帰ったら堀に撃ち込め!」

 

 救出に向かった別働隊の次なる動きは、侵入に使ったルートを使い、一直線にエカテリンブルク市内を離脱する事だ。

 

 彼らが城壁を抜けて堀を越えた時点で、簡易的に埋め立てた堀を潰してしまう事で追撃を防ぐ。もちろん、敵の獣人は優れた身体能力でそれを飛び越えたりよじ登れないことなど無い。だが、降り注ぐ砲弾がそれを許さないだろう。

 

「出てきました。ケンタウロスです」

 

「よし」

 

 まずは重傷者を背に乗せた数騎のケンタウロス兵が姿を現す。正門の騒ぎのお陰で、追撃の手は薄かったわけだ。

 

 次に、比較的負傷が軽い人間の兵士が出てくる。

 馬は失ったようだが、自らの足で懸命に走る女団長の姿もあった。

 

 そして最後尾は救出隊の軽装歩兵だ。後ろから迫る敵兵に短弓を引きながら脱出する。

 

「撃て」

 

 上空の騎竜兵が手を上げているのを確認すると、すぐさまトニーは命令を下した。

 すでに裏手から本陣に駆けてくる別働隊や偵察隊の面々は見えていたが、エカテリンブルクに取り残された者がいないかどうか、最終的な判断は飛竜に任せていたからだ。

 

 ヒューッ……

 

 ドンッ!

 

 数秒と経たずに砲撃は再開された。それは堀を穿ち、追撃を困難にするが、すでに城外まで追って来ている敵兵も少なくはない。

 

「裏手からついて来ちまった奴らは俺たちが潰すぞ!」

 

 手元に残していた五十名にそう激を飛ばし、トニーは杖を構えた。

 

 正門で陽動を続けていた主力部隊も味方の脱出に気づいて、敵を完全に城門まで押し返そうと奮闘している。

 

「閣下!ただいま戻りました!」

 

「重傷者です!すぐに治療をお願いいたします!」

 

 救出隊の先頭集団。

 つまり、ケンタウロス兵が最初に本陣へと帰還した。

 

「よくやった!怪我人は陣の最後尾に運んでおけ!」

 

「ははっ!」

 

 ケンタウロス達が展開した本陣を突き抜けていく。

 

 続いて怪我を負いながらも自走で帰還した偵察隊の面々がやって来た。

 

「バレンティノ将軍!助け出してくれた事、感謝する!手間を取らせて申し訳ない!」

 

 女団長が叫ぶ。

 報告通り、三十にも満たない人数。彼女に随伴させていた魔族の戦士、そしてロシア兵も大半が死亡してしまったようだ。

 

「よく戻った。怪我で足でまといだと思う奴は下がってろ!戦える奴はここに残れ!追撃を打ち破るぞ!」

 

 城外まで出てきた敵は犬型、兎型の獣人が多い。動きが素早く、兎型の方は跳躍力も凄まじい。 

 数は五十。迎え撃つトニーの本隊と互角。早めに正門の兵を呼び戻したいところだが、まだそちらでも戦闘は続いている。

 

「親父!弾が尽きました!」

 

 組員がさけぶ。

 堀に撃ち込んだのが最後だったらしい。

 

「なら大筒を下げて、てめぇらもこっちを手伝え!」

 

「はい!」

 

 怪我人はトニーの車が置いてある辺りに寝かされている。

 大砲も破壊を逃れる為にそこへ退避させ、組員らは使い慣れた小銃を手に戻った。

 

「来るぞ!」

 

 両者がぶつかる。

 盾を持つ重装歩兵はこの場にはいないので、剣や槍による競り合いからそれは始まった。

 

「軽くたたんじまえ!」

 

「潰せ!相手は人間などに頼る弱小軍だぞ!」

 

 敵兵からそんな声が聞こえてくる。偵察隊を追い立てた勢いで士気は高いらしい。

 

「獣もどきを押し返せ!」

 

「閣下の御前だ、我々が倒れるわけにはいかんぞ!」

 

 続いて味方からの声。こちらも士気は負けてはいない。

 

 タタン!タタタン!

 

 拮抗していた戦闘を食い破ったのは、やはりトニーの部隊の内、組員だけが所有している最新鋭の兵器だった。アサルトライフルには大砲ほどの威力も派手さもないが、亜音速で撃ち出される弾頭は容赦なく的を捉える。

 

「犬っころは姿を見せねぇか」

 

 伏兵を用いた包囲網など、知恵を絞った作戦を指示したのは間違いなくオースティン副長だが、未確認である。

 

……

 

 正門前の部隊が完全に敵を押し込んだのを確認出来た。

 彼らは跳ね橋を落とし、これ以上敵兵が溢れ出て来るのを阻止する。

 

 タタン!タタタン!

 

 本隊と目の前でぶつかっている少数の敵も組員の銃弾を浴びて次々と倒れていく。

 

「……時間の問題だな」

 

 トニーが言ったのは自軍の勝利が、という意味ではない。何とか塞き止めた大軍が押し寄せてくるのが、という意味である。 

 このタイミングで砲撃出来れば殲滅は可能だっただろう。しかし、砲弾はもはや一発も残されていない。

 

「将軍、撤退するのが正解ではないのか」

 

 包帯を腕に巻いた女団長がトニーの横にやってきてそう言った。

 

「普通はな。だが俺は退かねぇ」

 

 エカテリンブルクの城壁に上がってひしめき合っている敵兵をトニーは睨みつけた。


 そして、トニーはその中に目的の人物が腕組をして立っているのを見つけた。 

 銀色の体毛の狼。鎧は他の獣人らと同じく白い外套で防寒をしているが、間違いない。

 

「出やがったな。大砲の弾切れを確信するまで隠れてやがったか」

 

「あれは……閣下、確かにオースティン副長のようです」

 

 隣のジャックも同意する。

 

 遠望鏡で確認すると、それに気づいたのか、オースティンはぺこりと一礼した。 

 続けて彼は右手を高く上げる。敵兵らがそれに呼応し、エカテリンブルクの城壁の上には一斉に魔王正規軍の軍旗がはためく。

 

「あれが親玉か……しかし、自軍の兵力を上回る守備兵相手に攻城戦は厳しかろう」

 

 こちらの手勢は動ける者が二百前後、対する敵は少なくとも五百。女団長の言葉はもっともだ。

 

「やるしかねぇんだよ。俺はもう逃げるわけにはいかねぇからな」

 

「もう?」

 

「チッ……おしゃべりがすぎたか。気にするな、こっちの話だ」

 

 トニーの脳裏に奇襲を受けて大敗を喫したスリランカの都市コロンボの光景が蘇る。

 

「うって出てくる……ほど愚かではないか」

 

 女団長が言った。

 通常ならば数に任せて攻撃に転じてくるのは上策だ。二倍以上、それも獣人で構成された部隊ならば人間と魔族の混成部隊など相手ではないだろう。

 しかしオースティンは城壁から出ては来ない。大砲と同時に、銃というものがどれほどの威力を持つのか理解しているからだ。

 スリランカを経験した兵士あたりから話を聞いていたのだろう。力任せだったエイブラハムとは違い、オースティンは頭を使った戦いをする。

 

 重装歩兵を前に、後ろに軽装、弓、魔術師を並ばせ、騎馬隊と組員は遊撃の為に左右に配置したが、オースティンは旗を立てる以上の動きは見せず、城内に引っ込んでしまった。

 

……

 

 日が落ち、両陣営に篝火が焚かれている。

 トニーもオースティンも兵を動かさず、未だに膠着状態が続いていた。

 

「このまま野営が続けば兵が疲弊してしまうぞ、バレンティノ将軍」

 

「勝算はある。今回は大将がいるんだからな」

 

 オースティンがいなければ全滅を狙うしか無かったが、エイブラハムの時と同じように大将の首を取れば敵は投降するというわけだ。

 

「夜襲か?」

 

「いや、狙撃だ。日中に、奴がまた城壁の上に現れたら殺る。大砲に比べりゃ地味だからな。射程距離を侮ってるはずだ」

 

 つまり夜明け前に、組員を雪中に伏せさせておく必要がある。

 近くで話を聞いていた彼らからは一斉に手が挙がった。

 

「狙撃なら俺に任せてください!」

 

「いや!親父、俺にやらせてください!」

 

 すると、大手柄欲しさに全く関係ない魔族の戦士やロシア兵まで集まって騒ぎ始めた。

 

「将軍!明日の一番槍の話か?俺に任せちゃくれないか」

 

「弓なら俺が!」

 

「我が魔術で先陣を切らせて貰おうか!」

 

 ズドンッ!

 

 あまりにも拡大してしまった騒ぎに対して、トニーは声を上げる代わりに銃声で黙らせる。

 

「てめぇら、うるせぇぞ。黙って持ち場に戻れ」

 

 嘘のように大人しくなった一同が肩を落として散っていく。

 

「バレンティノ将軍、結局のところは……」

 

「俺がやる」

 

「は?」

 

「俺があの犬を直接殺す。悪いが最初からそのつもりなんだよ」

 

……

 

……

 

 曇天で、朝日は顔を出さない。

 

 護衛すらつけず、トニーは雪の中に一人潜んでいた。

 厚手の防寒着や組員から借り受けたアサルトライフルの銃身に至るまでを白い布で包み込み、雪景色の中へと完全に溶け込む。

 スナイパーの真似事になど興味はないが、オースティンの頭に自らの手で風穴を空けるためには仕方のない事だ。

 

 夜中に移動をし、昨日オースティンが現れた城壁の上に銃口を向けたまま微動だにせず、すでに五時間が経過していた。

 

 吐く息を隠すために口元を覆うマスクは湿気で凍りつき、唇に張りついている。

 初めは我慢していた小便も、伏せたままの状態で済ませたせいで下着やスラックスはカチコチに凍ってしまった。

 

 それでもトニーは射撃体勢を崩さない。

 

 タバコを吸うわけにもいかず、イライラは奥歯を噛み締める事で殺すしかない。そのせいで当然血が滲み、不快な鉄の味が口内を満たす。 

 何度も右手の人差し指を軽く動かし、引き金が絞れる事を確認した。肝心な時に指が悴んで動きませんでした、では話にならない。

 

 正午を回る頃。天候は悪化し、吹雪が強さを増す。

 

 トニーは味方の部隊が動いている気配を感じた。街に接近して攻め立てるわけではないが、陣形を変えたり、或いは少しだけ前進していると思われる。もちろんトニーは動けないのでそれは視界に入らない。

 

 そんな指示をした覚えはないのだが、オースティンが顔を出すことを期待して女団長や組員らがアクションを起こしたのだろう。

 

「さっさと来やがれ……」

 

 目の前の城壁上部に意識を戻す。

 顔や身体は動かさず、トニーは眼球だけで僅かに視線を左右に振った。

 雑兵や軍旗は相変わらずそこにあるが、肝心のオースティンは見つからない。

 

 味方の部隊が挑発の為に弓矢を放つ。

 

 大して距離を詰めていないのか、それともわざと外したのかは分からないが、放物線を描いた数十の矢は城壁の手前に落ちただけだ。

 

「チッ……馬鹿が」

 

 おびき寄せようというのが見え見えな上、矢が降る可能性があればオースティンはますます閉じこもってしまうかもしれない。

 

 多くの足音が再び聞こえてきた。間違いない。味方の前進だ。次は街にぶつかってくると見せようとしているのだろう。

 

 ピタリと足音が止む。そして、再び矢が飛んできた。

 

「来るぞ!」

 

「防御体勢を取れぇ!」

 

 城壁の上、敵兵の間で怒号が飛び交う。

 

 ある者は盾を構え、ある者は身を屈めて鎧兜で防御体勢を取る。カンッ!カンッ!と矢が弾かれる音が鳴る。つまり、今度は直撃させたというわけだ。

 

「第二射!構えっ!」

 

 ロシア語の甲高い号令。

 

 女団長の声だ。

 

「放て!」

 

 さらに矢の雨を降らせたところで、ついに敵方にも動きがあった。

 

「奴らは少数じゃねぇか!このまま押し潰してしまえ!」

 

「おうよ!やってやろう!」

 

 防戦一方だった敵兵が苛立ち、勝手に持ち場を離れて城壁から飛び降りて来る者が数体現れたのだ。 

 ドスドスと雪上を駆ける敵兵がトニーのすぐ横を通る。

 

「ぶっ殺してやるぞ!」

 

「みんな!俺たちに続け!」

 

 無論、その程度ではトニーは瞬きすらしない。

 変わらず、オースティンが姿を現すのをじっと待つだけだ。

 

 犬型の獣人は鼻が利くのかもしれないが、トニーの擬態には気づかなかった。

 

 数秒の間、剣戟の音が聞こえた。

 今しがたトニーの横を走って行った獣人数体と、味方の前衛がぶつかったのだろう。

 

「バカやろう!迂闊に出るなと命令されてるだろうが!」

 

「あーあ、アイツらもう殺られちまった」

 

「そりゃそうだ!」

 

 街からはそんな声がする。つまり彼らは動くつもりもなく、その加勢が無かったせいで敵は大した数でも無かったので、問題なく対処されたようだ。

 

「今なら押し込めるぞ!弓隊、もう一度放て!」

 

 命令違反をして城から出た、たった数体の馬鹿な獣人を仕留めただけだが、女団長は血気盛んに攻め立てる。

 

 同じミスをしてくれないかと目論んでの事だろうが、それ以上の愚か者は現れない。

 完全装甲で矢をものともしない重戦士数体だけが城壁の上に残り、他の敵兵は引っ込んでしまったのである。

 

「なんだ、貴様らは腰抜けしかいないのか!」

 

「オースティン副長の名が泣くぜ!」

 

 これは味方の魔族による罵声だ。

 敵兵の士気を下げる、或いはオースティンが顔を覗かせるのを誘っている。

 

「黙れ!貴様らこそ、へっぴり腰で全く城壁に取り付こうとせぬではないか!」

 

「バレンティノ将軍とは、かくも姑息な攻め方しか出来ぬ六魔将なのか!」

 

 敵兵の罵倒のお返しに、味方の部隊よりもトニー自身が苛立って動かないように自らの身体を御するのに苦労した。

 ギリギリと歯ぎしりを立てながら何とか耐え抜く。

 

 その場での睨み合いは一時間程続いただろうか。

 

「今日のところは後退するぞ!続け!」

 

 やがて日が沈み、味方の部隊が女団長の号令で撤退していく。

 オースティンに顔を出させるのが目的であり、本気で攻めるつもりは無かったのだから当然だ。

 

 両陣営に篝火が焚かれ、トニーの位置が完全に闇夜に溶け込んだところで身体を起こした。さすがに彼も限界だ。空腹と冷えで頭がクラクラと回る。

 

「閣下、お迎えに上がりました」

 

 すぐに暗闇から聞き慣れた渇いた声がかけられた。

 

 ジャックに肩を借り、 自陣へと戻る。

 

……

 

……

 

「閣下、お気を確かに」

 

 暖かな感触にトニーが瞼を開く。 

 見慣れた人力車の天井。そして、顔を覗き込んでいる組員達と一体のスケルトン兵。

 

 自身は裸だが、湯でしっかりと温められた布で包まれているようだ。

 

「なんだ、寝ちまったか」

 

「寝ぼけてる場合じゃないですよ!ひでぇ凍傷と疲労で、死んじまったのかと思いましたよ!」

 

「親父!全く、無茶するからですよ!」

 

 組員達からは厳しい言葉が飛ぶが、それとは裏腹に皆安心した表情を浮かべている。

 

「ふん、生意気な野郎共だ。俺がそう簡単にくたばるかっての」

 

 力を入れて半身を起こそうとするが、身体はピクリとも動かない。

 確かにかなりのダメージを負っているようだ。

 

「閣下」

 

 スケルトンのジャックが背中を支えてくれ、ようやく上半身を起こす事が出来た。

 全身にかかっていた温かい布が僅かにはだける。

 

「戦況はどうだ」

 

 誰にというわけでもなく藪から棒に訊く。

 

「こちらからは昨日仕掛けたのが最後です。向こうも特に動いてません」

 

 組員の一人が応えた。

 

「俺が動けねぇからってぼんやりしてたのか?」

 

「監視だけは空から常に。オースティン副長らしき人物は認められません」

 

 報告をジャックが継いだ。

 おそらく、自らも飛竜の背に乗って偵察を行っていたのだろう。

 

「いつまでも、黙ってかくれんぼしてるだけなはずはねぇ。こっちの企みを知ってて、既に空間転移でトンズラしてる可能性もあるな」

 

 大砲の弾も無い以上、オースティン副長を直接討ち取る以外に、この場にいる多数の敵兵に勝つ事は出来ない。

 もちろん、だからといってトニーは退く事は絶対に選択しないだろう。

 

 相手が街に閉じこもっているからといって空間転移が自在に使える魔族相手に、アジア侵攻の時に使った兵糧攻めは使えない。近くに川がなく、水攻めも不可能だ。

 

「ソイツが他の場所にいるってんなら別働隊を作りますか?」

 

「親父、どちらにせよご自身での狙撃は自重して下さいね。また凍えちまいますよ」

 

「ふん……ここの兵隊を割く訳にはいかねぇ。ロサンゼルスにいる技術者共に砲弾の製造を急がせろ」

 

 本隊が睨み合いをしている間に大砲を使用出来るようにする。

 

「すぐに自分が行ってきます、親父。急ぎで何発くらいは欲しいですか?」

 

「そうだな……手始めに三十だ。さっさと作らせろ」

 

 前回のように雨の如く砲撃する必要はない。

 エカテリンブルクの街全体に一度ずつ着弾させれば充分だと言える。ロサンゼルスにいる奴隷の技術者や魔術師は数人程度だが、三十発ならば数日の間に完成するだろう。

 

「分かりました。おい、そこのトカゲ!俺と来い!」

 

 組員が空間転移要員としてリザードマンを適当に指名する。

 ロサンゼルス城内の隔離棟にいる奴隷への指示は、人間である組員を通す決まりになっている。特に貴重な職人相手ならば必須だ。

 以前、魔族が彼らの仲間を食ってしまった事件を根に持っている者が多いらしい。

 

「では、空間転移」

 

 ズゥ……

 

 バリバリバリ!

 

「親父、そんじゃちょっくら行ってきます。すぐに砲弾も持ってきますんでお待ちください」

 

「おう」

 

 ズゥン。

 

 空間転移が生み出す亀裂の中に組員とリザードマンが消えていく。


「お嬢様を呼んでこい」

 

 退屈凌ぎにちょっかいをかける為、トニーは女団長を呼び出した。

 

「お呼びか、将軍」

 

 女団長が片膝を雪につく。

 

「今日はいい天気だな」

 

「は?あぁ、そうだな」

 

 日は照り、空気も乾燥している。

 

「街は先の砲撃で瓦礫になっちまってるが、幸運にも倒壊した家屋は木材や藁葺きが多いそうでな」

 

「……なるほど、だいたいは理解した」

 

「魔術師と弓隊を連れていけ」

 

 火攻めだ。

 

……


 エカテリンブルク上空が真っ赤に染まる。

 

 それは夕焼けではなく、燃え上がる炎である。矢の先端に魔術師の火をつけ、それを放つという手製の火矢により、街は炎の海と化した。だが、さすがに街全体に矢は届かず、正門の周辺を燃やしただけに過ぎない。

 

 どれだけの犠牲者を出したかは炎が消えた頃に、飛竜隊に調べさせる。

 しかし、炎の範囲を見ても街に逃げ場がないわけではなく、敵兵が簡単に焼け死ぬとは思えない。高く見積っても数体くらいしか仕留めれていないだろう。

 

 無論、砲撃を再開するまでの時間稼ぎにしか過ぎない為、大した効果はトニーも期待していない。敵を苛立たせ、味方を勢いづければそれで良いのだ。

 

「充分だ。そろそろお嬢様を引かせろ」

 

 車の扉を開け、その様子を見ていたトニー。伝令兵を見送り、風の冷たさで痛む肌に苛立ちながら締め切る。

 

「親父、お辛いなら起きてないでしっかり休んで下さい」

 

「そうですよ。砲弾が来れば終わりなんでしょ?余計な仕事なんかしてないで寝るべきです」

 

 ふらふらとした足取りで椅子に座ったところで、車内にいた二人の組員に責められてしまった。

 

「全く、ダルい時にまで小言を聞かされるとはな。好きにさせるのが優しさってもんだろうが」

 

「当たり前でしょ!頭が茹で上がっちまったんですか!」

 

「そうそう、親父が弱ってる間に日頃むちゃくちゃ言われてる恨みを晴らさせて貰わないと」

 

「お前ら……後で殺す」

 

……


 トニー自身は軽く一眠りするつもりで目を閉じたのだが、起きてみると丸二日の間眠ってしまっていた。

 

 起きた時に側にいた組員とジャックを軽く小突いたものの、長い休みと温かい食事や久しぶりの酒のおかげで体調はほぼ万全に戻った。 

 この間に、同じく伏せたままだった騎士団の副官、爺やも回復して復帰していた。

 

「この度は、誠に世話になりました」

 

 車内。

 椅子に座ってふんぞり返っているトニーの前に、女団長と爺やが片膝をついて礼を述べた。

 横にいるロシアの通訳がそれを伝える。

 

「ふん。ジジイ、とうとうくだばらなかったか」

 

「はは、残念でしたかな?」

 

「せっかく繋いだ命だ。お嬢様に軍略でも叩き込んでやれ。最近はそいつに指揮を任せることも少なくないからな」

 

 爺やは重々しく頷く。

 

「えぇ、お嬢様より話は伺っております。屈強な魔族の兵士を束ねる戦など、誰しもが出来る経験ではありませんからな。微力ながらこの老体も知恵をお貸し致しましょう」

 

「お前は元々軍人だったのか?」

 

「はい。今の主家に仕える前は、ロシア帝国軍の騎兵隊で小さな部隊を指揮しておりました。退役後、私兵として旦那様に雇って頂いたのです」

 

 旦那様というのは女団長の父親、或いは叔父などに当たる人物だろう。

 

「ほう、悪くないな。同行している間はしっかり働いてくれ」

 

「はい、もちろんです。では、我々はこれで」

 

「失礼する、将軍」

 

 爺やに女団長の言葉が続き、深く一礼すると車から退出して行った。

 

……

 

……

 

 それから三日間に渡り、街に矢や魔術、時には銃でちょっかいを出し続けた。

 逆に夜襲をかけられるという事が一度だけあったが、敵兵は二十名足らずだった事もあり、問題なく撃退出来ている。

 

 砲弾の到着を待っているというのは誰もが理解出来ているが、そろそろ先触れとして数発だけでも欲しいところだ。

 

「おい、誰かロサンゼルスに行った奴と話して来い。帰りには今ある分の砲弾を持ち帰れ」

 

 集めた組員らに命令する。

 

「わかりました。オーガを借りていきますよ、親父」

 

「おう、使え」

 

 荷物持ちとして、巨体のオーガ兵一体と組員の一人が追加でロサンゼルスに帰還する。

 知恵が足りないと思われがちなオーガ兵も、空間転移くらいならば使いこなせるので心配はいらないだろう。

 

「いよいよ反撃ですね、親父!」

 

「ぶっ放すんなら、景気づけに一杯どうですか!」

 

 車内に残った組員が騒ぎ立てる。

 

「……チッ、しまったな。今、転移して行った奴に酒の追加も頼んでおけば良かったんじゃねぇのか」

 

「そうこなくっちゃ!」

 

「よしきた、車内の在庫は空にしてやりましょう!」

 

……

 

 小規模な宴会が終わり、朝焼けの光が雪の大地を照らしていた。

 空き瓶を抱いたままいびきをかく組員らより一足先に、トニーは目を覚ます。

 

「お目覚めですか、閣下」

 

 昨晩は宴会の場にいなかったジャックだが、いつの間にか車内の扉の前で警護をしていた。

 不眠不休で動けるスケルトンだ、トニーもそれくらいでは驚きはしない。

 

「ったく……寝覚めにてめぇの面拝むと、どうにも陰気臭ぇ朝になっちまうな」

 

「申し訳ございません」

 

 いきなりの悪態にも、深く頭を下げるジャック。

 

 それ以上は目もくれず、トニーは葉巻をくわえて指先から火を点す。

 

「で、何かあったのか?」

 

「いえ、特にご報告が必要な事項はございません」

 

「そうか」

 

「強いて言えば一つ」

 

 会話は終わりかに思われたが、珍しくジャックが続けた。

 

「あ?なんだ」

 

「昨日、ロサンゼルスへ移動されたお仲間のお帰りが少々遅いような気が致します」

 

 言われてみれば確かにそうだ。

 先発させた者は砲弾が揃うまで戻らないだろうが、昨日の後発組は違う。すぐに帰るようにと指示したはずである。

 

「まだ帰ってきてねぇ……だと?」

 

 自分は宴会で気分よく眠っていたくせにと言われてもおかしくはない台詞だが、当然それを咎める者はいない。

 

「はい。しかし、閣下は豪気な御方です。このくらいではお気になさらないと仰るならば、お待ちになっても構わないかと思いますが」

 

「……気にはならねぇが、どちらにせよ酒の在庫が切れちまったからな」

 

 アイツらも向こうでバカ騒ぎやっちまったか、などと考えてそう返した。

 

「承りました。では、すぐに私が取って参りましょう。数分で戻ります」

 

 ジャックが即座に行動を開始しようと扉に手をかけるが、トニーはそれに待ったをかける。

 

「おい」

 

「はっ!いかがなさいましたか」

 

「俺も行く」

 

……


 バリバリバリ!

 

 ズゥン……

 

 トニーとジャックはロサンゼルス城、玉座の間へ空間転移による移動を終える。

 

 トニーが自身も帰投すると言った理由は、酒の補充をすぐにでも済ませたかったのが半分、未だ戻らない組員らを心配したのが半分だ。

 無論、後者の理由を誰かに語ることはない。

 

「さてと」

 

 首を回し、パキパキと音を立てるトニー。

 

 出迎えもない玉座の間は静かなもので、等間隔で壁に取り付けてある銀製の燭台からの明かりがチラチラと弱い光を発していた。

 

「隔離棟ですね」

 

「おう」

 

 隔離棟はロサンゼルス城の外縁部、玉座の間から見ると背面に当たる北側にポツンと増設されている、三階建ての石造りの塔だ。

 

 玉座の間から出て、廊下を歩く。

 トニーが前を歩き、その後ろをジャックが追従する形だ。

 

 二人の革靴の音が、よく磨かれた白い石床でカツカツと反響している。

 

 城から隔離棟には、三階部分で連結された渡り廊下を通る事で行く事が出来る。

 裏を返せば、それ以外に繋がる道はない。

 というのも、隔離棟一階と二階には脱走を防ぐために扉や窓は一切設けられていないのだ。

 

「閣下」

 

「あん?」

 

 一つの曲がり角を経て、二階部分に上がる階段の手前。

 

 ジャックが何やら感じ取ったようで、右手を日本刀の柄に当てながら言った。

 

「城内に守備兵が一人も見当たりません。何やら様子がおかしいかと」

 

 確かに静かすぎる。ほとんど兵士は置いていないとは言っても、十名前後の守備兵は配置されているはずだ。

 

「どこかに集まってやがるのか?」

 

「分かりませんが、私が城内を警らして参りましょう。閣下は玉座の間でお待ちになられ……」

 

「バカヤロウ。あまりしゃしゃり出るような事をぬかすんじゃねぇ」

 

 ジャックの言葉に割り込み、ぴしゃりと意見を跳ね除けるトニー。

 待たされるというのは彼の好みではない。それこそ、ロサンゼルスまでわざわざ帰ってきている状況なら尚更である。ここで待機を選択するくらいなら初めからエカテリンブルクに残っていただろう。

 

「まずは職人達、人間の奴隷がいる隔離棟だ。てめぇは黙ってついてこい」

 

「はっ、仰せのままに」

 

「ふん……」

 

 黒に金の縁取りがされた豪華な絨毯。それが敷かれた階段を登り、まずはロサンゼルス城の三階に到達する。

 

 やはり、誰の姿もない。

 

 三階部分の北側に位置する扉を開き、そのまま隔離棟へと繋がる渡り廊下に到達した。

 渡り廊下は屋根もない簡素なものだ。地面から石を積み上げ、左右には落下防止の為に腰の高さ程の壁がある。

 つまり、石を凹型にしたものが本城と隔離棟を結んでいるということだ。

 乾いた大地の空にはうっすらと砂煙が舞い、日の光が遮られている。そして、降り積もった砂は灰色だったであろう渡り廊下を茶色に染め上げてしまっている。

 

「ん?隔離棟の見張りもいねぇな」

 

 真正面、廊下の最奥部には当然隔離棟の扉が待ち構えている。

 普段ならそこにスケルトンやリザードマンが一体配置されているはずだが、城内と同じくその姿は無かった。

 

「やはり、何かあったのかと」

 

……

 

 廊下を渡りきり、隔離棟側の扉の前。 

 鍵もかかっておらず、軽く押しただけで開いてしまった。

 

「……っ!」

 

 そこで、とうとう異変の原因を発見した。

 

 リザードマンの死体。胸に袈裟斬りを受けて絶命している。

 

 何者の仕業かは不明だが、死体が残っているという事はまだそれ程の時は経っていないという事だ。長く見積もっても半日以内の出来事だろう。

 

「これは……」

 

「行くぞ!」

 

 トニーは隔離棟の中を駆ける。さして広くも無い三階部分は出入口と物置部屋。

 二階部分が作業場や食堂、一階部分が居住区になっている。

 

 螺旋階段を降りて二階部分に到達すると、濃い血のにおいと、火薬のにおいが立ち込めていた。

 

 視界に飛び込んできたのは、数多の死体。奴隷である人間、警備兵、そして……二人の組員。

 

「おい!野郎共……!」

 

 トニーは駆け寄り、真っ先に組員らの身体を確認する。 

 既に息はない。床や壁に撒き散らされた大量の血は渇き、黒く変色し始めていた。

 

「クソがぁぁぁぁっ!!」

 

 トニーの叫びが狭い室内で反響する。組員の一人は腹を斬られ、もう一人は胸を突かれて無惨にも絶命していた。

 

 ジャックは奴隷や魔族の兵士らの確認を行っていたが、トニーの視線に気づくと力なく首を左右に振る。手遅れのようだ。

 

「誰だ!こんな真似しやがったクソ野郎は!ぶっ殺してやるぞ!」

 

 トニーは未だ確認していない隔離棟の一階へと下る。

 そして、そこでも二階と似たような光景を目にする事となった。

 

 ロサンゼルス城は何者かの侵入、襲撃を受けて壊滅状態となっていたのである。

 

 しかしながら、肝心の襲撃者の姿は無い。無論、死体を含めてもだ。城に詰めていた味方を皆殺しにし、敵方には全く被害が出ていないという事になる。

 

 少人数の手練による犯行。単独犯の可能性もある。そして、トニーにとって思い当たる節は一つしかない。

 

「奴がエカテリンブルクで見つからなくなった理由……と見て間違いねぇな」

 

 千切れてしまうのではないかという程の青筋を額に浮かべたトニーが言う。

 

 オースティンは砲弾の補給を危惧し、ロサンゼルス城を単騎、あるいは少数精鋭で襲撃した。

 トニーがエカテリンブルクの近くに釘付けになっている事を直接確認出来たからだ。

 

 その間、ロサンゼルス城が手薄になっているかどうかを知らないオースティンにとっては賭けだっただろう。アジアのいくつかの国を手中に納めているトニーがロサンゼルスの防備を強化していないとも限らないのだから。そして、オースティンは賭けに勝った。

 

「大切なお仲間を失われた閣下のお気持ちは計り知れないものでしょう。すぐにでもお仲間のご遺体を手厚く葬って差し上げたいかと存じます」

 

「いや、待て」

 

 普段のトニーであれば何事にも先んじてそうしただろう。

 ジャックもそれが分かっていたからこその進言だった。

 

「ははっ。では、いかがなさるおつもりでしょう」

 

「すぐに陣に戻る」

 

「……かしこまりました」

 

 だが、そのまま組員の死体を放置するとは思えない。ジャックは次の言葉を待つ。

 

「味方を全員率いて一度撤退だ。ロサンゼルスが簡単に落ちた。アジアの監視もやらねぇと、あっちも食い荒らされる」

 

 トニーも今回ばかりは考えを改めた。執拗にオースティンを狙い続け、手持ちの街や城が次々とやられては意味が無いと。

 まさか、目の前にトニーがいる状況で後方が攻撃を受けるとは思っていなかった。

 

 真っ先に敵の大将を討つという考え方は、トニーとエイブラハムには当てはまったものの、オースティンには通用しない。

 猪突猛進かつ豪胆で馳せるタイプではなく、狡猾で冷静な相手だ。トニーにとっては最も苦手な相手だろう。

 

 ズゥ……

 

 バリバリバリ!

 

 ジャックの空間転移が発動する。

 

「どうぞ、閣下」

 

 トニーの魔術の腕前であれば自分一人で転移する事も可能ではあるだろうが、今のところ空間転移を覚える気はない。

 マフィア時代から移動は必ず部下に運転させる車だった。上に立つものが自ら一人で移動などするものか、という彼なりのプライドがそれを許さない。

 実際には大魔王ですら自分で転移するが、それはトニーの持論に今のところは関係のない話だ。

 

 エカテリンブルク近郊の本陣に到着すると、そこは騒然としていた。

 

 街から敵兵のほとんどが出撃し、両軍が衝突していたのである。

 

「将軍!お待ちしていたぞ!」

 

 一時的に総指揮をとってくれていた女団長が、トニーを目にして叫ぶ。

 

 トニーの、つまり大将の不在を知っていたとしか思えない敵の動きだが、オースティンの指示によるものかどうかは不明だ。彼の姿は未だ確認されていないのだから。

 

「悪くねぇタイミングだ、まったく……クソッタレめ」

 

 数倍にも及ぶ兵力差だ。このままでは潰されてしまう可能性が高い。

 しかし、トニーの心は既に決まっている。

 

「全軍、後退する!まずは敵を引き離せ!」

 

 ようやく下された撤退命令に、トニーの性格を知る多くの兵士が驚いたのは言うまでもない。

 

 撤退を悟った敵方は追撃をしようと勢いづく。

 矢や魔術を用いない、獣人やオーガによる完全な力押しだ。

 

 数で押し負けていた味方の生存者は、もはや百名にも満たないほどに消耗している。

 

「くっ……!このままでは、持たんぞ!将軍、貴公はファミリーの方々を連れて離脱されよ!」

 

「親父!どうしますか!」

 

 逃げる隙など無い。皆がそう思っていたが、トニーはゆっくりと最前線に向かう。

 

 ジャック、そして組員らが慌てて追従してきた。

 

「閣下!」

 

「死の灰」

 

 ゴウッ……!

 

 迫り来る敵兵の身体が、次々とどす黒い炎に包まれて滅却されていく。

 

 死霊術、死の灰。

 

 術者に接近する者を燃やし尽くす防御魔法。

 

「撤退戦にはうってつけだろ」

 

 横一列に黒炎が上がり、味方と敵に分かりやすい境界線が引かれている。

 

「今だ、ありったけの弾と矢を撃ち込め!」

 

 牽制の為にライフルや弓矢、更には発火や放電などの魔術が一斉に飛ぶ。

 これにはたまらず敵の部隊は足止めを食らった。

 

「お見事……!さぁ、今の内に!」

 

 女団長が言う。

 

「てめぇら、引き上げだ!空間転移をさっさと出せ!」

 

「はい、では我々が転移術を!」

 

「承知しました!」

 

 トニーの死霊術、そして後衛からの遠距離支援のおかげで退いてきた前衛組が空間転移を発動。全兵が流れるように撤退を開始する。

 最前線で重装備の味方と共に敵を食い止めていたらしい、副官の爺やの姿もある。復帰して間もないが、無事で何よりだ。

 

「おらぁ!グズグズすんな!」

 

 杖先から置き土産に特大の炎を飛ばしつつ、トニーは自軍が空間の亀裂に入るよう誘導する。

 

「バレンティノ将軍が御自身で殿を受け持たれて……!」

 

「なんと慈悲深い御方か!」

 

 魔族の兵士からは感嘆の声が漏れている。

 総大将が雑兵の撤退の為に体を張っているのだ。見惚れてしまうような状況なのは言うまでもない。

 

「行け!ロサンゼルスだ!」

 

 転移先は北京などのアジアにある拠点ではなく、本拠地ロサンゼルス。

 オースティンが出てこないならば、敵はこの場を離れはしないだろう。

 

「な、なんだ!あの黒い空間に入るのか?」

 

「一体俺達はどこへ逃げるんだ!?」

 

 これはロシア兵達だ。全員が空間転移を利用した事がないわけではない。しかし、ロサンゼルスに移動するとなると話は別だ。

 彼らとは一時的に力を合わせているだけの関係なので、アメリカまで連れて帰るとなると少々話がややこしくなる。

 だが、今は一刻の猶予もない。

 

 バリバリバリ!

 

 いくつもの転移術が発動され、味方が撤退していく。

 無論、トニーの勇姿に見惚れていた兵士やまごついていたロシア人は、近くにいた者が引っ張って無理やり連れて行った。

 

「よし、行ったか!」

 

 怪我人も含めた味方、車や物資は全て運ばれたようだ。最後までトニーと一緒に残ったのは、ジャック、そしてケンタウロスが二体だった。

 何か指示をしていたわけではないが、万が一追い込まれて転移する隙が無かった場合に駆ける為だろう。幸い、見事に敵を足止め出来ている。

 

「お乗り下さい」

 

「おう」

 

 トニーとジャックはケンタウロスに騎乗し、そのまま空間転移の亀裂へと入る。

 被害は少なくない中でこうして逃げているのだが、トニーは不思議と清々しい気分だった。

 

……

 

 再びロサンゼルス城。

 

 玉座の間に集結した面々は、豪華な金の装飾で彩られた玉座に堂々と座す城主に目を向けていた。

 

 魔族の兵士や組員は別として、ロシア人達は初めて訪れる場所に興味津々だ。トニーの方を見てはいるが、時折キョロキョロと辺りに目線だけを泳がせている。

 

「俺の城にようこそ、と言いたいところだが後回しだ。急いで戻ってきたのには理由がある」

 

 撤退の理由はジャック以外は知らないので、伝えておく必要がある。

 

「留守の間に、このロサンゼルス城が襲撃された。建物自体は綺麗なもんだが、城内の兵や奴隷は全滅してる」

 

 大きなどよめきが起こる。信じられないのも当然だが、隔離棟へ行けばすぐに分かる事だ。

 

「まさか……うちの連中も」

 

「それに、職人が殺られちまったって意味ですか!」

 

 まずは数人の組員らからそんな声が上がる。

 

「その通りだ。職人達がいた隔離棟も含めて全滅だ。魔族連中の死体は例によって消えちまってる頃合いだが、人間の死体は残ってるだろうよ」

 

「そんな……」

 

「クソ!出払ってるのを見越してこっちを攻めるとは……汚ぇ野良犬が!」

 

 それを皮切りに魔族の兵士、そして事情があまり飲み込めていないはずのロシア人達からも次々と罵声が飛び始めた。

 

「将軍、ここは……なんという国なのだ?ロサンゼルス城と言っていたが」

 

 女団長が通訳を介して尋ねる。

 

「アメリカだ。元は魔族の国だが、この街だけは俺が仕切ってる」

 

「……なんと、そんな危険な地に居城を?つまり、こちらも敵の本城を狙うつもりか」

 

 その口ぶりから、魔族の国家がアメリカにあるという事、そもそもアメリカという国の存在自体が浸透していないとトニーは感じた。

 アメリカを知っていれば、そこに街を持っているなど度肝を抜かれる話だからだ。彼女の反応からはそこまで大きな驚きは見て取れない。地理情報だけでも知っていたとしたら、まずはどうやって荒れ狂う大海原を渡って上陸したのかという話になるだろう。

 それが無いという事は、彼女が何も知らない事を表す。

 人間達の間で広く知れ渡っている情報は、魔族とはどこからともなく現れるものだという、ぼんやりとしたものなのだから無理もない。

 

 居城を逆に襲うという意見にたどり着くのはもっともだ。

 しかし、残念ながら魔王正規軍の本拠地は大魔王の居城でもあるニューヨーク城となる。

 当然、そこにオースティンは詰めてなどおらず、ニューヨーク城を攻めるというのは何の意味もなさない。

 

「いや、奴らは本拠地を持ってない。潰すならロシア国内になるはずだ」

 

「しかし、その間にここがやられては元も子もないというわけか。理解した」

 

 彼女の生き別れになった兄を探す、という目標は少々遠回りになってしまうわけだが、頼りにしているトニーの兵団が維持出来なくなるのであればやむを得ないと思ってくれたようだ。

 

「野郎共、隔離棟にある遺体を弔ってやってくれ。デカいのを何体か連れてな」

 

 分かりました、と全ての組員とオーガやケンタウロスが玉座の間から出ていく。

 

「我々も手伝おう」

 

「いや、そう多い人数じゃねぇから大丈夫だ。それに、お前らは一応は客人になるわけだからな。ロシア人全員に当てた部屋を用意させる」

 

 生き残っている者に向けてせめてもの労いだ。

 

 幸い、客間の数はロシア兵全員に充てがう程度の数を備えている。

 但し個室ではなく、二人一部屋という形になるだろう。

 

 通訳を介してそれを理解した彼らからは「やった、ベッドで眠れる!」「温かい部屋なんていつぶりだろう」といった言葉が口々に叫ばれていた。

 本来ならば食事も取らせてやりたいところではあるが、奴隷達が殺されてしまったせいですぐに全員分の給仕を出来る人間がいない。

 組員らやトニーもその辺りは得意では無いので、明朝にロシア人達の中から調理が出来る者を選抜して担当させる事になるだろう。今夜だけは手持ちのパンやビスケットなどの糧食で我慢してもらう。

 

 そして近い内に職人を含めた奴隷の再補充の為に、人間の街へ侵入をする必要があるわけだが、ロシア人達には強制連行している事実を隠す必要があるだろう。

 

……


 翌日の正午。今後の方針を練るために、トニーは主要な面々に招集をかけた。

 独断が多い彼にしては珍しい兆候だが、これには理由がある。ロサンゼルス城の防衛、アジア属国の巡回、そして各国都市への侵入と、同時にやらなければならない事が多いせいで、一人で全てを管理する事が不可能だからだ。

 その先にはロシアにいるオースティンの撃破と、中断されていたアジア進撃も待ち受けている。

 

 侵入の話をロシア人達には話せないので、女団長や爺やには招集をかけていない。

 彼らも含めた、現在ロサンゼルス城にいる手勢のほとんどには防衛任務を充てがう事になるだろう。思わぬところで隔離棟が役立つ事になりそうだ。侵入班はそちらへ直接奴隷を連れて転移し、奴隷として使える状態になるまではロシア人達と直接交流出来ないようにする。

 

 奴隷を給仕や生産活動などの支援がこなせる状態まで変化させれば、ロシア人達と顔を合わせたところで、対価を払って奴隷商人から買ってきたものだと思い込ませる事が出来る。

 人身売買は世界各国で公然と行われているので、強制連行された事を勘づかれなければ良いというわけだ。

 ただ、ロシア語を話せるとまずいので、欧州やアジアからの調達にはなる。もちろん、元からトニーはロシアに侵入班を送り込むつもりは無いので問題にはならない。

 

「俺はまず、北京に向かうつもりだ。中国はアジア拠点の要。他の国が犬っころに襲われて潰されてたり占領されてたとしても、北京からまた攻めれるように維持しなくちゃならねぇ。それから日本の日向だったか。破魔衣を作れなくなるのはまずいからな」

 

「しかし、親父」

 

 心配そうな表情を浮かべ、組員の一人が言葉を挟む。

 

「アジアの状況が分からない今、飛び込んだら既に敵に囲まれていた……なんて事にはならないでしょうか?」

 

「それはねぇな。奴がロサンゼルス城に来たのは昨日か、その前か……そこからアジアに行ってたとしても、二日やそこらでいくつも国は落とせねぇ。人間ばかりだが、結構な数の兵隊を置いてきてるんだからな」

 

「それはそうかも知れませんが……」

 

 北京や上海で言えば数千、日向は厳密に言えばトニーの配下には当たらないが、やはりこちらにも数千の兵がいる。

 オースティンといえども、ロサンゼルス城のように短い期間で落とすのは不可能である。

 実はトニーがロシアをエカテリンブルクまで進んできている間に、アジアが先に壊滅させられていたという線も可能性は限りなく低い。

 

 トニーが目の前にいる確証があったからこそ、オースティンは本拠地を潰す判断をしたと思われるからだ。

 ロシアを西進している事は分かっていたとしても、いくらかの強兵を従えてトニーがロサンゼルスやアジアの街へ帰還している時に鉢合わせにならないとも限らない。

 そこまで考えてようやく動くような者であれば、確かな情報も無い内に手を打つとは考え難い。

 

 オースティンはトニー個人の戦闘力を高く評価しているはずだ。何せ、エイブラハムを一騎打ちで倒したという報告を逃げ帰った部下から受けているのだから。

 

「いらねぇ心配だ。野郎共、お前らは人材確保の為にヨーロッパに向かえ。ジャック」

 

「はっ」

 

「俺の供回りを選別しろ。お前とそいつらを連れてアジア行きだ」

 

「はっ、かしこまりました。いかほど準備いたしましょう」

 

「戦えるやつを二体でいい」

 

 了承の意を込めてジャックが一礼する。

 かなり少ないのは、先にトニーが話した理由からだ。アジアを回るのに危険度は低い。むしろ、百名足らずでロサンゼルス城の防衛を任される者達の方が危ない。

 

「ついでにヘルのところにも顔を出すか……」

 

 これは兵を借りる可能性があるからだが、オースティン相手となるとヘルも簡単には首を縦には振らないだろう。

 トニーの勝利を願っているだけではなく、実際に兵を貸したとなると話が変わってくる。

 肩入れしたと見なされ、オースティンはヘルにも矛先を向けるかもしれない。そうなれば、オースティンは他の幹部達を引き入れようとするだろう。

 

 どのくらいの幹部連中がそれになびくかは分からない。

 しかし、面白半分でオースティンの側に参加してくる者や、トニーやヘルが嫌いだという理由で手を貸すものがいないとも限らない。

 

 逆にトニーの側に加担する者も現れるだろう。三魔女のカトレアなどは良い例だ。嫁入りのチャンスだと踏んで、嬉嬉としてトニーに助力する様子が目に浮かぶ。

 

 そうなれば、アメリカは事実上二極化されたと言っても過言ではない。トニー派と、オースティン派だ。

 もちろん大魔王として君臨する者に対する謀反とは違うわけだが、個人の痴話喧嘩の域を出て他まで巻き込むとなると、国の力は間違いなく揺らぐ。そうなればトニーの悲願である魔王国家アメリカによる世界征服、そして現世への帰還はかなりの痛手を被る事になる。

 

 ヘルに兵を借りる事でそうなる事は望ましくないが、負けてしまっては元も子もない。

 即座に兵を借りるつもりはなくとも、借りれる状態にはしておきたいところだ。

 

「親父、侵入にはどのくらいの連中を連れていきましょう?」

 

「ロサンゼルス城を手薄にするわけにはいきませんよね」

 

 ヨーロッパへ向かう予定となった組員からいくつか声が上がる。

 

「急ぎたいところだが、砲弾を作れるような奴が育つには時間がかかるだろうな。侵入は一組ずつ、十名前後でやれ。ただ、前の班が戻ったら次の班が出発するようにしろ。手駒を失うような無茶な場所には行くんじゃねぇぞ。それとロシア人達にはあくまでも、奴隷は買ってきたという風に口裏を合わせておけ」

 

 少ない手勢で交代しながら休みなく人員を補充する。城に帰還している間は組員にとって休息になる。

 補充の最重要事項は生産を行える職人だが、兵士や戦士もいれば尚良い。今回はロシア人の兵団がいるので、奴隷の反抗心を抑え込めれば彼らと肩を並べて戦ってもらう事も出来るかもしれない。

 

 城が攻められた時の為、トニーはアジアの拠点を見終える度にロサンゼルス城に戻る。

 行き先も毎度伝えておく事で、何かあればすぐに伝令がトニーの近くへと転移してくる手筈だ。

 

 巡回は日に最大でも二箇所。これは敵襲などの緊急事態を考慮した時にトニーがくたくたになっていては色々と困る為、往復四回の転移までにしておこうという事になったからだ。

 

「他に何かある奴はいるか?」

 

 一同を見回す。

 組員全員が小さく頷いた。「大丈夫」という意味だろう。

 

「ならさっさと行け。行動開始だ」

 

「おう!」

 

 侵入班が去り、ジャックは供回りを選別する為に一度退室する。

 ガランとした玉座の間で一人、トニーは腰掛けて天井を仰ぐ。三階部分まで吹き抜けになった天井は高く、燭台の灯りや窓から差し込む光では室内を照らしきれていない。

 

 ズゥ……

 

 バリバリバリ!

 

「あぁ?」

 

 まるでトニーが一人きりになるのを狙っていたかのように、彼の目の前に空間転移が発動した。

 

 ズゥン……

 

 オースティンによる敵襲か、と銃を引き抜こうとしたが、現れた人物を目にしてそれをやめる。

 

「まったく、いつもいつも。てめぇはストーカーかっての」

 

「む?なんだそれは?」

 

 ヘルが白骨化した首を傾げる。

 

「うるせぇよ。何の用だ、骨」

 

 自ら赴こうとしていたのにこの態度である。

 内心では手間が省けてちょうど良かったとさえ思っているトニーだが、そんな事はお首にも出さない。

 

「うむ、大変な時期だとは思うが、少し手を借りたくてな」

 

「ほう?」

 

 これはヘルに恩を売りたいトニーにとって、渡りに船だ。しかしながら大量に動員が必要な案件ならば受けれるとは限らない。

 

「ついに巨大昆虫事件の主犯のねぐらを発見したと報告があってな。襲撃をかけたい。フィラデルフィア近郊だ」

 

「俺に出張れってか?」

 

「うむ」

 

「犬っころとの睨み合いで兵は出せねぇが、俺一人なら行ってやらんでもない。それでも今すぐには無理だ。数日間は引っ張りだこでな」

 

 アジア巡回を疎かにするわけにはいかない。もし攻められていれば、対応も必要となってくる。

 

「戦況は思わしくないか」

 

「ふん、わかってるくせによく言うじゃねぇか。ここに退いて来てるんだぞ」

 

「何?撤退したのか?」

 

 ヘルはトニーがいつものように一時的に帰城してきただけだと思っていたようだ。

 

「あぁ。ライオンは殺したが、犬っころがここを狙って来やがったんでな。空けてるわけにはいかなくなっちまったわけだ」

 

「待て。簡単に言うが、エイブラハム団長を討ち取ったのか!まったく、さすがは我の見込んだ男よ!次の大魔定例幹部会では我から陛下にご報告しておこう」

 

 トニー自身には偉業とは思えない。しかし、ヘルの反応が普通なのだ。魔族の間でエイブラハムの戦士としての評価はかなり高かったのだから。

 

「いらねぇよ。アデルへの報告なんざ余計な世話だ。だいたい、いらねぇ敵対心を持つ奴が出てくるだろうが」

 

「む……?いや、その心配は薄いと思うぞ。我ら魔族にとっては、強い者こそが正しいという風潮が強いのだからな。お前がエイブラハム団長を討ち取ったと知らしめれば、より一層好意的な態度を取る者が増えるはずだ」

 

 ヘルはそう言うが、人間であるトニーには理解し難い考え方だ。

 強き者に従うというのは分かる。しかし、友好関係にあった者が殺された時、単純に殺した側が正しいとは言い切れない。

 義理や私怨を晴らす為に、報復に出る方が自然だ。元から魔王正規軍の副長であったオースティンは実際に今そうしているが、それと何が違うのかがよく分からない。

 

「ま、てめぇがそう言うなら他の連中もそうなるか。だがあの犬はボスを殺されてもなお、俺に従うつもりはねぇ。俺が危惧してんのは、対抗して奴が引き入れをやる事だ」

 

「ふむ。確かに先手を打たれては焦ったオースティン副長がそう言った事をする可能性はあるが……」

 

「それで関係ねぇ奴らを巻き込むのは俺も良しとは思ってねぇわけだ。あの犬を殺すのが手間になれば、世界征服とやらが遅れるだろ」

 

 ヘルは単純にトニーが有利になるばかりだと思っていたが、各幹部がどちらに転ぶかはやはり予測不能だという事に理解を示してくれた。

 

「ではどうするつもりだ」

 

「どちらを応援しようが構わねーが、表立ってどちらかに加担するな、と釘を刺しておいてくれねぇか。奴や、周りにはサシの勝負だと思い込ませる」

 

「思い込ませる……?」

 

 どうやらトニーに考えが浮かんだらしい。

 

「あぁ、そこがミソだ。実際には違うってのを気取られなきゃ関係ねぇ」

 

「どういう意味だ?」

 

「裏方なら別にバレねぇだろ。ヘル、お前のところの城なり街なり、どこでも良い。何処かの一角を貸しては貰えねぇか」

 

「ほう?なぜだ」

 

 トニーの目論見は、間接的にヘルの手持ちの場所を借りるというものだった。

 

「ロサンゼルス城には、榴弾やら銃弾を作らせるために人間の技師と魔術師を置いてた。ウチの主力武器だ。安定して生産出来る場所が欲しい。ロサンゼルスの防備も当然固めはするが、強兵だけの配置にして、支援組はフィラデルフィアに隠しておく」

 

「馬鹿な事を。人間を我が城に置いておくと思うか?ロサンゼルスが危険ならばアジアに置けば良かろう」

 

「いや、それじゃダメだ」

 

 トニーがヘルを睨みつけながら首を横に振る。

 

「ロサンゼルス城が襲撃にあったって事は、アジアにも俺が生産拠点を置いてるかもと犬は考えてるだろうよ。すぐにその街、その場所を突き止められるとは考えられねぇが、わざわざ弱点を敵の手が届くかもしれねぇ場所に置いとかなくてもいいだろ」

 

「だが、それでも断る。確かにフィラデルフィアまでオースティンが来るとは考えられんが、そこまではしてやれんな」

 

「ヘル、てめぇ。何か忘れてねぇか?大砲や銃以外にも、俺が守らなきゃいけねぇ重要な物をよ。てめぇも知らんぷりは出来ねぇはずだが」

 

 ヘルは黙考し、そして心当たりを見つけた。

 

「ふむ……」

 

「そうだよ。破魔衣が取られたら面倒だからな。サムライは強いが、いっちょ助けてやる気持ちでよ」

 

「破魔衣は確かに我の兵には必要だが……それでも許可は出来んな。この世界の人間は敵なのだ。トニーよ、分かってくれ」

 

 トニーを友としているあたり、ヘルは特に人間を毛嫌いしているわけではない。

 だが人間を匿った事が知れ渡った時、諸侯からの信頼は失墜するだろう。元々よそ者であるトニーとは違い、永らく六魔将の地位にあるヘルが取って良い行動ではないというわけだ。背に腹は変えられない。

 

 そして、トニーはこれを口実にする。

 

「破魔衣は人間が生産してるものだと知った上で、既にお前は黙認してるじゃねぇか。せっかく俺たち二人で独占してきたのによ」

 

「なんと!我を脅迫するつもりか!見損なったぞ、トニーよ!」

 

「脅迫?お前を守ろうとしてんだよ。あれの生産拠点が犬に知られるのは面白くねー事になる」

 

 トニー以外にヘルやカトレアも日向の人間と接した事がないわけでは無い。取り引き自体はトニーの配下が行っていたわけだが、ヘルも現地民らと友好関係にある。

 可能性としてはかなり薄いが、オースティンが万が一にも破魔衣の流通ルートを掴んだ場合の事を言っているのだ。その前に匿ってくれ、と。

 

「無理だと言うておろう。お前はフィラデルフィアに何千人寄越す気だ」

 

 確かにそうなる。広大な畑と人員を全てとなると、隠しておくのは不可能だろう。

 そして、サムライ達は奴隷とは違う為、祖国を離れるのを拒む可能性がある。さすがにこの計画だけは諦めるしかないようだ。

 

「チッ……ならせめて銃関連の技術者だけでも頼む。こっちは多くても数十人ってところだ。俺も近々、お前のところの殴り込みに加勢するんだ。それで手打ちにしろよ」

 

 ヘルは無言で考え込む。

 

 およそ、二十秒程が経った頃にようやく口を開いた。

 

「我が城で、お前の言う銃器とやらが作れるとは思えんのだが?」

 

「心配はいらねぇよ。その辺は俺が上手くやるからよ」

 

 再度、ヘルが黙り込み、しばらくして口を開く。

 

「ふむ……我が領地内で、最も隠蔽に適している場所であれば、天空城以外には無いであろうな」

 

「決まりだ」

 

「待て、まだ決めてはおらぬ」

 

「二度言わせる気か?」

 

 はぁ、と大きく息を吐くヘル。

 骸骨の身体に呼吸が必要なのかは定かではないが、彼なりのちょっとした抗議であろう。

 

「決まりだ、いいな。城の隅にテントでも張らせてやれ」

 

 無論、トニーがそんなものを認めるはずもなく確定事項となってしまう。

 

 フィラデルフィア城、天空に建つ城はギリシャにある神殿に似た建物を中心としてその敷地内に広大な庭園や池などがある。

 その一角に技術者を住まわせることは可能だろう。トニーは城の隅とは言ったが、城内にという意味ではなく離れにテント型の工房を置いてくれればそれで良い。

 

「強引な奴め。フレデリックの討伐参加だけでは釣り合わんぞ」

 

「ケチケチすんな。犬っころの首をはねたらすぐにロサンゼルスに戻してやるからよ」

 

「ならば破魔衣に加えて、大筒とやらを一門譲ってくれ。それが最大の譲歩だ」

 

「なんだ、興味があったのか。一門くらいならやる。今度こそ決まりだな?但し、砲弾は有料だ。タダにして無駄撃ちなんかされちゃ大赤字だからな」

 

 ようやくヘルが首を縦に振った。交渉成立だ。

 

「巨大昆虫の主犯格ってのは、フレデリック・フランクリンとか言う奴本人で間違いないのか?」

 

「かなり可能性は高いと見ている。確かに奴は奇術師。自らの姿を晦ます事は造作もないだろう。だが今回フィラデルフィア近郊で見つかったのは、様々な昆虫や小動物が入った小さな檻が所狭しと並んだ洞穴でな。怪しいとは思わんか?本人の姿は未確認だが、奴の拠点と見て間違いなかろう」

 

「使い魔を取り扱うペットショップじゃねぇのか」

 

 以前、トニーはカトレアが使い魔として使役した女武将を譲ってもらった事がある。但しあれは例外中の例外だ。

 

「そんなものはないぞ。しかし、本当に一人で来るのか?それなりに覚悟は必要だが」

 

「兵隊が足りてなくて仕方ねぇんだよ。護衛が二、三体だろうな」

 

「それでも不安は残るが……依頼している身が心配したところで始まらぬな。では、用事とやらを済ませたら数日内にフィラデルフィア城まで来てくれるか。我はしばらく自領から出ることは無いだろうからな」

 

 かなり大規模な作戦になる事は間違いないので、綿密な計画を部下達と話し合いでもするのだろう。

 とはいえ、トニーの方が多忙なのは言うまでもないが。

 

「ついでに移民受け入れの予定地も考えとけよ」

 

「あいわかった。ではまたな、トニー」

 

「あぁ」

 

……

 

 ヘルの身体が空間転移の闇に飲み込まれ、跡形もなく消え去ったところで、二体のオーガを連れたジャックが戻って来た。

 

「閣下、失礼いたします」

 

「行くか。まずは中国だ」

 

 最も軍備を厚くしているあの場所ならば、たとえオースティンの攻撃にさらされている真っ最中だったとしても持ち堪えているに違いない。

 

「かしこまりました。では、どちらの都市へ?」

 

「上海、それから北京の二箇所にする。出る前に適当な奴を見つけて声をかけておけ」

 

「ははっ」

 

 オーガ二体を残し、再度ジャックが退室する。

 

「呂明だったか、あいつも使い魔にしたんだったな」

 

 上海地区長官に過ぎなかった呂明は、自らの手で両目を抉り出すという試練に耐え、カトレアによる従属の魔術で視力を取り戻している。

 現在は占領地となった中国の全権を彼に与えている為、彼が死んでいなければトニーの不在によって反乱が起きている可能性は1パーセントも無い。

 

……

 

 ジャックが戻り、一行は出発する。

 

 ほぼ同時にヨーロッパへの侵入第一班も出るとの報告を貰っている。

 

「では参ります」

 

「やっほー」

 

 ジャックが術を唱えようとしたところに、場違いな若い女の声が響く。

 

「閣下ぁ、ご無沙汰しております!」

 

「なんだ、今日は。次から次へと妙な奴が現れやがって……」

 

 トニーは大して驚きもせず、むしろ呆れた様子だ。

 

 突如、音もなくやって来たのは赤いローブにとんがり帽子の幼女。三魔女のカトレアである。大魔女エリーゼとアトランタで話した時、彼女は不在だった。

 

「変な奴とはなんだ!嫁でしょうが」

 

 左手を腰に当て、ビッと右手の人差し指をトニーの顔に向ける彼女の頬はパンパンに膨れてしまった。

 

「ふん。安売りを通り越して押し売りだな、クソガキ」

 

「ガキじゃないってば!違うって言ってるのに、そうやって何回も同じ嫌味を言う人の方がガキなんだよーだ」

 

「うるせぇぞ、今忙しいんだよ。帰れ」

 

 相も変わらず始まった漫才に、ジャックやオーガ達はオロオロするばかりだ。

 

「おばあちゃんに聞いたよ?ちょっと前にあたしを訪ねてアトランタまで来たんだってね!もうー、惚れてるんだったら最初からそう言ってよ」

 

「仕事で行ったんだよ、バカたれが。話はそれだけか?」

 

「違うし!あたしもお使いが済んだから休みを貰ったんだよ。それで将軍のお城に遊びに来たってわけ」

 

「そうか、なら城で勝手に遊んでろ。俺は出る」

 

「やだ!」

 

 ドンッ、とトニーの腰の辺りにカトレアがタックルをしてしがみついてくる。

 

「あぁ、うぜぇガキだな!俺は忙しいって言ってるだろうが!」

 

「そんなに焦ってどこに行こうってのさ!さては他の女のところだな!」

 

「アホか!なんで女遊びに護衛なんか連れて行くんだよ!上海と北京で仕事だ!」

 

 引き剥がそうとするも、カトレアはかなりの力でしがみついている。

 たとえ魔術師、それも子供のような見た目であろうともやはり魔族なのだ。人間と比べれば並大抵の腕力ではない。

 

「仕事とあたし、どっちが大事なのさ!」

 

「はぁ!?仕事だろ!いいから離れろ!」

 

「やだやだ、あたしも行く!アジアに行くだけなら連れてってよ。中国?別に邪魔はしないからさー」

 

「チッ……!絶対に余計な事はするなよ!いいな!」

 

 不毛な押し問答をしている暇は無いので渋々カトレアの要望を受け入れる。

 

「やったー!まずは肉まんを食べて、その後チャーハンを食べて……それから」

 

「ガキが、遠足気分かよ。ゲテモノ食いの分際で」

 

 ブツブツと食べ物の名前を念仏のように唱えているカトレアを白い目で見たところで、彼女は全く気がついていないようだ。

 

「ジャック、待たせたな。まずは北京に行くぞ」

 

「ははっ」

 

 ズゥ……

 

 バリバリバリ!

 

「どうぞ、閣下、カトレア様。お入りください」

 

 ジャックとオーガ達が頭を下げる。カトレアは未だトニーにしがみついたまま惚けているので、トニーは無視して歩を進めた。

 ズルズルと引きずられる形でカトレアも空間の亀裂に入る。もちろんトニーは彼女を引っ張ったりはしていない。単に歩いただけだ。それでも手を離さないあたり、カトレアもなかなか見上げた根性だ。

 

……

 

 一瞬か、長い時間か、しばらくの暗闇が続いた後、水田の風景が目に入ってきた。 

 北京郊外の稲作地帯だ。

 

「到着致しました」

 

「おう」

 

 ズゥン……

 

 総勢五名がその地に降り立つ。

 

 ぴしゃりと水気を含んだ泥が革靴からスラックスに跳ね、トニーは眉間に皺を寄せた。

 

「チッ……行くぞ。おい、ガキ!いつまで引っ付いてやがる!泥まみれになりてぇのか!」

 

「はーい」

 

 汚れながらも引きずられるのは無視出来ないらしく、カトレアはようやく自立した。

 

 中央部に宮殿を持つ、北京の城郭の外壁は見えている。

 火の手や煙、どこかが崩壊した様子もなく、水田や畑には農作業をする手を止めてこちらを見ている農夫の姿もある。大きな問題が起こっているわけではなさそうだ。

 

「げー、自分で歩いても結局泥んこじゃんかぁ」

 

「被害が足だけになって良かっただろうが」

 

 トニーの腰にぶら下がっていたままだったら、尻の辺りまでは泥まみれになっていただろう。

 

「なんでこんな田んぼのど真ん中に転移しちゃうわけ?ねぇ、骸骨くん?」

 

「申し訳ございません。お二方に対してこのような……」

 

 その場で片膝をついて謝罪するジャック。

 彼の空間転移の精度は今回、あまり褒められたものでは無かった。

 

「ジャック」

 

「はっ!」

 

「次は上海だからな。海に飛ばすなよ。それから……てめぇは俺が与えたスーツを着て、泥の中にひれ伏すのか?」

 

 これは叱責に見えるが、実際には逆だ。

 そんなところでまで跪かなくていいからさっさと立て、である。

 

「はっ、申し訳ございません。閣下、カトレア様、お足元が悪いので水田ではオーガに乗って移動なさってはいかがでしょう」

 

「そんなみっともない真似出来るか。乗ってて見栄えが良いのはケンタウロスと飛竜くらいだろうが」

 

 オーガに乗れと言われても、おぶさるか、肩に乗るかである。子供のような扱いを受ける事をトニーは良しとしない。

 隣にいるカトレアが若干、残念そうな表情を浮かべているのはこの際無視する。

 

 一直線に城まで向かうのであれば水田を突っ切るのが早いが、トニーは一度そこから出て、大きく迂回しながら城へと進み始めた。

 もちろん、泥まみれにならない為であり、さらには少し離れて見ている農民らの作物を痛めない為だ。黙ってはいるが、自分の田畑が荒らされて嬉しいはずもなかろう。

 

 農夫らは久しぶりに見る魔族の姿に怯え、トニーの姿を見ても訝しんでいただけだったが、水田から出て城に進み始めた一行を見て合点がいったらしい。

 ようやく、自分達を襲いに来た侵入者ではなく、先の戦争でこの国を勝ち取った統治者である事が理解出来たようで、深々と頭を下げたり手を振ったりしてくれていた。

 

「この様子なら問題はなさそうだな」

 

「なにがー?」

 

「あぁ?なんだ知らねぇのか。犬っころにウチの城がやられたんだよ」

 

 全く足りないトニーの言葉に、彼の横をちょこちょこと歩いているカトレアは首を傾げるばかりだ。大魔女エリーゼのように、言わずとも色んな情報を握っている訳では無いらしい。

 

「犬?城?」

 

「めんどくせぇ。とにかく、しばらくは自領の巡回が俺の仕事なんだよ」

 

「ふーん」

 

 厳密には大魔王の領地だが、トニーにそのつもりは無い。

 

 田んぼ道をグングンと進んでいくトニーに従い、一行が城門の手前までたどり着いた。

 言うまでもなく、外縁部の壁は街を囲うものであるのはヨーロッパ諸国と同じだ。つまりここは文字通り第一関門に過ぎず、中央部の宮殿まではさらに歩く必要がある。

 

「魔族!?いや、貴方様は!」

 

 上から顔を覗かせた門番がギョッとする。大きな木格子が閉門しているのは外敵の侵入を防ぐ為だが、トニーを不機嫌にさせる理由になり得る。

 門番は自分の首が飛ぶ前にと、すぐに顔を引っ込めた。そのまま格子がガラガラと引き上げられ始めたので、彼が上で鎖を巻いた歯車を必死に回しているのだろう。

 

 ちなみに外にいた農夫らは日に二回、定刻にだけ城門が開閉するのを利用して農作業を行っている。

 

 トニーはカトレアの翻訳術が確実に、大魔女エリーゼがロシアで使ったものよりも上位の術であると確信した。

 彼女にやらせれば一度、時には二度ほどで国全体の住民と会話が出来るようになる。明確な範囲は本人らにも不明らしいが、エリーゼの言うとおり、カトレアの魔力が絶大である事は誤りではなさそうだ。

 初めて会う門番の言葉が通じたのも、彼女の力のおかげである。

 

「ん?どうしたの、閣下?あたしの顔見つめちゃって」

 

「……門が上がったな。行くぞ」

 

「あー!照れてる照れてる!かーわいいー」

 

「うるせぇガキだ」

 

 カトレアは並んで歩くトニーの横腹を人差し指でツンツンとつつく。

 舌打ちしか返ってはこないが、追従するジャックらの目には仲睦まじく映っていることだろう。

 

 門を潜り、独特な中国の建物が並ぶ街に入る。

 数分と経たない内に兵士、そして町民らが駆け寄ってきて大きな人だかりとなった。

 

「将軍様だ!おかえりなさいませ!」

 

「あの方がバレンティノ将軍か!初めて見たぞ!」

 

 トニー自身も忘れていたが、彼が統治を行ってからは街の整備や減税によって感謝されているのだ。そして何よりも一番大きいのは魔族による侵入と、他国との戦争が無くなった事だろう。

 確かに激しい戦で勝ち取った国ではあるが、そこから始まった、今まで味わった事の無い平和な生活は民忠をしっかりと掴み取った。この人気っぷりも頷けるというものだ。

 

「おー!大歓迎だ!」

 

「ふん、呂明の野郎が上手くやってくれてるだけだ。俺は関係ねぇ」

 

 人だかりのせいで上手く進めなくなり、かき分けて進んでしまおうかと思った次の瞬間。

 遠くから二頭立ての馬車が近づき、道が開けていくのが見えた。間違いなく出迎えの車だろう。

 立派な体躯の白馬が二頭、それらが引くのは朱色の木製の骨組みに金と白を基調とした箱を持つ車。

 明らかに最高級のものだ。やはりこの国では赤いもの、金色のものが好まれる傾向にあるらしい。派手好きなトニーも嫌いなものではない。

 

 予想通り、その馬車は一行の目の前までやってきて止まった。ブルルッと馬が嘶く。

 御者は下級役人と思わしき、紺色の官服を着た男だ。

 

 彼は御者台から降り、両袖に手を入れて深々とお辞儀をした。

 

「バレンティノ閣下、お迎えに上がりましてございます。どうぞお車の中へ」

 

「おう」

 

 それだけ返し、開け放たれた車の左側の扉から車内に入る。

 内装も見事なもので、向かい合わせに二人ずつの合計四人がけが出来る大きな椅子と、扉の反対側にはガラス窓が取りつけてあった。

 椅子は朱色に塗った木製で、その上に茶色い何らかの動物の毛皮が貼られている。座り心地も悪くなさそうだ。

 

 トニーが座ると、当たり前のようにカトレアも車に入ってきて彼の膝の上に陣取った。

 ジャックは向かい側に座り、巨体のせいで乗車出来ないオーガ二体は車外で警護に当たるようだ。

 

 発車前にバサッ、と屋根上から何かがはためく音がした。

 恐らく魔王正規軍の髑髏竜軍旗が掲げられたのだろう。人間達の間で馬車に旗を掲げるのは、国王や大臣など、重鎮が乗車している事を表すらしい。

 今回の意味はもちろん「将軍の乗車」である。

 

 馬車に揺られながら車窓の外を見る。

 街道は石を敷き詰めて整備され、倒壊していた家屋は一つも見当たらず、修理、もしくは建て替えられている。

 民の生活も安定しているのか、皆一様に笑顔を向けてくれていた。

 

「明るい街だね。閣下はこの様子を見に来たの?」

 

「最悪の事態じゃなかったってわけだ。だが、間違いなくここも犬っころの標的に入ってはいる」

 

「うーん、オースティン副長の話?確か、ケンカしてるんだったっけ」

 

「あぁ」

 

 エイブラハムを真正面から打ち破ったトニーの実力をオースティンは恐れている。そのトニーがいない場所を先に狙うという事は、こうして見回っていると悟らせれば簡単にあちらも手出しは出来ない。

 どこかで鉢合わせになるのは避けたいはずだ。

 

「そういえば、エイブラハム団長は?」

 

「殺った」

 

「えぇっ!?閣下、超強いじゃん!」

 

 ヘル同様、カトレアもこれには驚いた。

 異世界からの来訪者とはいえ、魔王正規軍の団長を拝命している人物を討ち取るのは生半可な実力では不可能だと認識していたようだ。

 

「なんだ今更。俺が弱いとでも思ってやがるのか」

 

「そうじゃないけどさ!一応、クルーズ閣下を倒して六魔将になったのは事実なんだし。それでも、エイブラハム団長だって強いんだから」

 

「犬っころはどうなんだ?アイツが剣を振ってるのは見た事がねぇが」

 

 トニーの質問に、カトレアは指を顎に当てて考え込む。

 

「オースティン副長かぁ……確かに武勇伝は聞いたことないかも。強いとは思うけど、よく分かんないや」

 

「蓋を開けてみたら、飛んだ雑魚だったって笑い話なら死ぬほど面白いじゃねぇか。俺が確かめてやる」

 

「でも、副長に任命したのは陛下らしいよ?弱いなら選ばないんじゃないかなぁ?」

 

 らしい、というのはカトレアは実際には知らないという事だ。

 そこを突っ込まずにはいられない。

 

「まさか、お前が産まれるより前から永く務めてんのか?」

 

 カトレアは五十年という、人間でいえば初老にも匹敵するほどの年月を生きている。

 あの、オースティンがそれだけの任期をこなして来たというのならば驚きだ。

 

「うん、そのはずだよー。六魔将と同じで、倒されるか引退するかしか交代は無いからさ」

 

「ふん。お前が言いたいのは、殺られるリスクのある役職なら多少は腕も立つって意味か」

 

「そういう事!だからもうひと踏ん張り頑張りましょう!」

 

「お前ら、三魔女もそうなのか?それに、将軍以外の他の幹部もいるだろう」

 

 カトレアがキョトンとする。

 

「え?交代の話?」

 

 トニーが頷く。

 

「三魔女って呼ばれ始めたのは、あたしやお姉ちゃんが今の地位に就いてからだからなー。それまではお婆ちゃんが大魔女って言われてただけらしいし」

 

 つまり、三魔女という役職は最も新しいという事だ。エリーゼが存命なのを見ると、任を退くという事例は無かったのが分かる。明確なルールは決まっていないという意味だ。

 

「デカい坊主や参謀長のジジイはどうだ」

 

「んーとね、確か大僧正は二十年交代だよ。参謀長は知らなーい。どっちも武官じゃないから、力で倒して代わるって人はいないと思うよ」

 

「確かにそうか。強さを示す役職じゃねぇってのは頷ける話だ。お前のは魔族内でも魔術のエキスパートが座る席なんだろ?俺達将軍に近いものが無いとも限らんな」

 

 今度はトロン、と恍惚とした目になるカトレア。

 よく表情が変わるのはまるで人間の子供と同じだ。泣いていたかと思えば、次の瞬間には笑っていたりする。

 

「あーれー、あたしが誰かに負い落とされちゃうのを心配してくれてるんだ?その時は助けに来てね、アナタ」

 

 語尾にハートマークでもついていると錯覚してしまうような甘ったるい声。いや、実際についているのは間違いない。

 

「知るか」

 

「やっぱり素直じゃないな!」

 

 カトレアはバタバタとトニーの膝の上で、短い脚を動かして抗議した。

 

 馬車が停止する。

 だが、まだ中央部に着いたわけではない。街の内側にある第二関門。つまりここから宮殿の敷地内に入り、まだしばらくは移動する。

 

 また車窓からの景色が流れ始めた。

 場所は違うが、トニーは春先に上海の庭園では桃の木が咲き誇っていたのを思い出す。しかし眼前の桃の木は枯葉がそれを飾っている。彼にとっては景色など大した感動をもたらしはしないが、少しばかり残念だ。

 

「ジャック」

 

「はっ」

 

「北京攻略戦の時は何をしてた?確か、お前を取り立ててやったのはインドにいた頃だったな」

 

 地面に死体のふりをして伏せていたジャックが、突如現れたトニーを狙う暗殺者の首をはねたのが最初だ。

 

「北京では雑兵として参加しておりました。ニューデリーにて閣下のおわす本陣で伏せているよう、ご指示を下さったミッキー様には深く感謝しております」

 

「ミッキーか……」

 

 しばらく見ていない、かつての副官。

 雑兵にしか過ぎないリザードマンだったが、トニーの留守には全軍の指揮を任せられるまでに成長していた。

 

 諌める言葉を無視し、ロシアの地に兵を進めたトニー。

 エイブラハムこそ討ち取りは出来たものの、結局はあの時の進言通りに本拠地までの撤退を喫している。まるで喧嘩別れをしたような状況だが、もちろんトニーは己の決断が間違っていたとは思わない。

 

「ん、誰だっけ?」

 

「さぁな」

 

 カトレアの記憶には残っていないようだが、トニーもそれ以上、何か言うわけでは無かった。

 

……

 

 そして、ついに宮殿である大きな屋敷の前に到着する。

 上海の小さなそれとは違い、三階建ての立派な木造建築だ。柱や屋根など、あらゆる所が朱色に塗られている。

 

「バレンティノ閣下、ようこそおいで下さいました。いや、おかえりなさいませと言うべきでしょうか」

 

 トニーらが馬車から降りると、宮殿の入り口で両膝を地面につきながら声を発した人物がいた。

 

「出迎えご苦労。馬車も助かった」

 

「臣下として当然の事をしたまで。この国の全ては貴方様のものです。カトレア様も同様でございます。どうぞ、お部屋へご案内いたします」

 

 真っ白な官服に紺色の帯でトニーを出迎えた呂明は、変わらず主人に忠誠を誓っていてくれていた。

 カトレアの従属の術の効果か、トニーへの感謝から来る本心か。呂明は以前から腹の中が読めない人物だとトニーは思っていたが、ここまで永らく街を離れていながら問題が起きていないところを見ると信頼に値するのかもしれない。彼に国を預けたのは正解だったようだ。

 

 玄関先で話しても良かったのだが、呂明が準備してくれた部屋へと入る。 

 無論、トニーが北京に詰めていた際に使用していた、前皇帝の私室である。低い建物しか周りには無いため、北京を一望できる特等室だ。

 

 オーガ二体は馬車の警護、ジャックは部屋の扉の前に立っているので、室内にはトニーとカトレア、そして呂明が卓を囲んで座った。

 

「閣下、今日はどういったご用件でしょう。もしゆっくりなさるおつもりでしたら、お食事や酒の準備をさせますが」

 

「いや、そうゆっくりとはしてられねぇ。実は、今戦ってる奴に、この北京が標的にされる可能性があってな。ここも防備が緩いわけじゃねぇが、さらに強化するように指示しに来た。相手はまさかの魔族だ」

 

 呂明が自らの、カトレアの呪術で蘇った偽りの眼を向けてくる。

 

「お仲間と仲違いをされた、という事でしょうか。確かに隣国から攻められるより何倍も強固な守りが必要となりますな」

 

「ふん、仲間なんかじゃねぇよ」

 

 中国にも魔族を屠れる強者は存在した。イギリスやイタリアにも英雄はいると聞く。しかし、人間の軍隊と魔族の軍隊、どちらの方が力を持つかは明白だ。

 

「以前よりも兵の数は減りましたが、練度は日に日に増しております。これも閣下がおいで下さったおかげ。争いが無くなった事で豊富な食糧が、税率が下がった事で増えた納税者による潤沢な軍資金もございます」

 

「奴らは突如やってくるはずだ。装備を整え警戒を強化し、街のどこであろうと素早く部隊を送り込めるようにしておけ」

 

「かしこまりました。閣下が留守にされている間は私がこの街を死守致します」

 

「他の街はどうだ。お前らだけで連携出来そうか」

 

 中国内の北京以外の都市では上海くらいしかトニーが直接赴く予定はない。

 小さな町や村まで回る余裕はあるはずもなく、そもそもトニーはそれら全てを把握出来ていない。

 

「早馬は飛ばしますが、正直なところ地方都市は軍備が不十分かと。敵襲の連絡を受けて首都から派兵しても間に合わない可能性があります」

 

「確かにな。最悪の場合は見捨てろ。俺がこの国で最重要視してるのは首都の北京と上陸拠点を築いて軍船を停泊させてる上海くらいなもんだ。他が焦土と化したとしても、全て終わった後に再興するくらいの支援はしてやる」

 

「御心のままに」

 

 呂明の一礼を受けて、トニーが席から立ち上がる。

 

「一度本拠地に戻るが、上海にだけはその後で俺が直接向かう。残りの拠点は任せた」

 

 面倒ではあるがロサンゼルスへの敵襲を警戒する為に、毎回帰還する手筈となっている。

 

「あぁーっと!」

 

 トニーに続いてカトレアが、ガタンと椅子を倒しながら勢いよく立ち上がった。

 スッと歩み寄ってトニーのスーツの袖を掴む。

 

「あ?なんだ、ガキ」

 

「肉まんは?」

 

「うるせぇ。上海で食え」

 

「あ、そこは許すんだ。りょーかーい」

 

 火急であるのが一番の理由だが、呂明に対して一度食事の準備を断っておいて、今更出せというのも格好が悪い。

 今は要らないが、上海に着く頃には自身も小腹が空いているだろういうのもある。

 

……

 

 深々と頭を下げる呂明に見送られ、トニーらはジャックによる空間転移の亀裂へと入った。

 

 さすがに北京へ転移した時の誤差とは違い、到着時にはロサンゼルス城の玉座の間、その目の前の扉が映し出される。

 

 寸分の差もなく瞬時に移動出来るカトレアの瞬間転移を利用してもよいのだが、部下がいる状態でわざわざそんなことはさせない。

 以前、トニーとヘル、そしてカトレアで小旅行をした時には利用したが、あれは全員が上位者だった為、それに加えてカトレアが自発的に転移術を唱えたのでそれに甘んじていただけである。

 

「お、親父!おかえりなさい!」

 

 たまたま近くにいた組員が一人、声をかけてきた。どうやら短い留守の間、襲撃は無かったようだ。

 

「ヨーロッパへの侵入はどうだ。技術者を引っ張って来たか?」

 

「いやいや、親父。冗談キツいですよ。まだ一陣目の連中が出て行って一時間も経ってません」

 

 トニーは北京に顔を出しただけかもしれないが、部下達は人間の村落や街で戦っているのだ。

 すぐには帰って来ないだろう。

 

「ふん、そうだったか?じゃあ俺は上海に向かう」

 

「閣下ぁ」

 

「あ?うるせぇな。今度はなんだ」

 

 カトレアを軽く睨む。

 

「今更だけど、誰かを集めるつもりなら中国から必要な人材を持って来ないのはどうして?」

 

 当然の疑問だ。

 占領下にある都市を持ちながら、わざわざ敵地から危険を顧みず人を攫ってくるのだから。

 

「技師は圧倒的に欧州出身者が有能だからだ。逆に農耕はアジアの方が進んでるがな」

 

 この世界において、大型の帆船や兵器の生産はドイツやイギリスが進んでいるという状況だ。

 実際、トニーの兵団が利用する大筒や砲弾の開発はドイツ人技術者と魔族の魔術師によって成功している。

 

 その奴隷やファミリーが必要とする食糧は侵入の際に手に入れたものでも賄えるが、今後はアジアからの上納品に頼るというのも悪くない手だとトニーは考えている。

 侵入による食糧供給では、どのくらいの量が手に入るか不明な上、奴隷や武具なども一度に運ぶとなるとやはり少量に留まる。その食糧を諦めることで他に必要な人材や物品を多めに持って帰れるというわけだ。

 ただし、アジアからの食糧は大半が穀物や野菜で、肉は少ない。その辺は適宜仕入れる必要がありそうだ。

 

「へー。人間は国によって色々違うんだねぇ」

 

「魔族は国が一つの割に、色んな種族がいるじゃねぇか。似たようなもんだろ」

 

「絶対それとは違います」

 

 人間は人種が違えども同じ人間だ。肌の色や国籍が異なっていても同じ生き物である。しかし魔族は、例えばリザードマンとスケルトン、オーガなどは同じ魔族ではあっても生物学的に見ると同じ種ではない。

 

「同じだろ?巨人は馬鹿力で飛竜は火を吐く。ドイツ人は物作りが上手くて、中国人は漢字が書ける」

 

 そしてトニーは当然のように、大して興味がない。

 

「なにそれー」

 

「ふん、まぁいい。ジャック、上海に向かうぞ」

 

「はっ」

 

 カトレアとのおしゃべりもそこそこに、ジャックへ次の移動を指示する。

 

……


 上海地区に到達した時、すぐに異変に気づいた。

 

 街自体は特に変化はない。規模は若干小さいが、北京と同じく復興が完了した街には活気さえある。

 トニーらに向かって、お辞儀をしたり手を振ってくる民衆もチラホラと見かけられた。

 呂明の政策は行き届いているようで、将軍が支配者だと言うことは忘れられていない。

 

 だが、港から見て沖合の方に停めていた軍船が一隻も見当たらなかったのだ。

 

「おい、そこのお前」

 

「へぃ、なんでしょう」

 

 露天商の男に声をかける。

 

「俺達が停泊させてた船はどうした」

 

「あー、数日前に飛竜が燃やして沈めちまったらしいです。不要になったから、将軍様がご指示なさったんじゃないんですかい?」

 

 そんなはずはない。野良の個体でもなければ、オースティンが出した部隊の仕業だろう。偵察がてら、ちょっかいを出したと見るのが自然だ。

 

「チッ……小賢しい真似をしやがる。邪魔したな」

 

 露天商の質問には答えず、チップ代わりに金貨を一枚手渡してさっさと通り過ぎる。

 

 目的地は北京の時と同じく中央にある屋敷だ。

 こちらは宮殿ほど立派なものではなく、こぢんまりとした規模だ。無論、普通の邸宅に比べれば充分に立派なものではあるが。

 

「あーあ、先手打たれた感じ?でもなんで、船なんだろうね」

 

「知るか。俺にビビって嫌がらせ程度の悪戯しか出来ねぇんだろ」

 

 実際、飛竜が数頭程度ではトニーの大型拳銃に撃ち落とされて終わりだろう。

 街は分からずとも、船内にトニーが不在である事を確信していての行動に違いない。

 

 やはり拠点にちょっかいを出してくるのであれば、フィラデルフィアでの秘密裏な銃器生産は効果的だと言える。

 

「オースティン副長もご苦労な事だねぇ。でも、閣下がすぐにやり返さないのは意外かもー」

 

「その為に今、色々と根回しをやってんだろうが。アイツが正面切って喧嘩出来ねぇ腰抜けのせいでよ」

 

「ロシアでは戦えなかったんだ?」

 

 面倒だとは思ったが、これ以上その都度質問が飛んで来る方が厄介だと感じ、トニーはカトレアに全てを話す。ロシア、エカテリンブルクでオースティンと対峙する所までは行った事。弾薬が尽き、攻め手に欠けた事。

 そのタイミングでのロサンゼルス城急襲。余儀なくされた撤退。フィラデルフィアに仮設の生産拠点を作る予定。

 

 絶対とは言いきれないが、カトレアであれば他言はしないと思われる。

 

「でも、オースティン副長にはちょっとだけ感謝かな。閣下とこうやってデート出来てるし!」

 

「ふん、日和見が……」

 

 屋敷まで馬車や衛兵などの出迎えはなく、そこに到達する。

 距離が短かったのもあるが、この街には今のところ呂明のようなまとめ役が存在していないというのも大きい。

 

 バン!と勢いよく応接間の扉をトニーが開くと、下級の役人や軍人ら十人ほどが卓を囲んで何やら話し合っているところだった。

 

「こ、これはバレンティノ将軍閣下!」

 

 役人の一人が言うと、全員が起立して深々と頭を下げる。

 誰一人としてトニーはその顔に見覚えがない。無論、初対面ではないが、地位の低い連中を彼がいちいち覚えているはずがない。

 

「先程、閣下がお越しになった報告を受け、今、誰がお迎えに上がるかを決めかねていたのです!皆、我こそがと名乗りを上げるもので中々終わらず……」

 

 おずおずと声を出す別の軍人。

 トップがいなければそんなものかとも思われたが、実際には誰もが行きたくなくて揉めていたのかもしれない。

 

「んなこたどうだっていい。俺の船が沈められたのは知ってるな?」

 

 一同が目を見合わせる。

 先程の露天商と同じく知っているが、将軍が自らやったのでは無かったのか、という反応だ。損害が軍船のみであり、街には一切被害が及んでいないせいで出た結論だろう。

 

「二回言わせる気か?」

 

「いえ!もちろん知っております!」

 

「飛竜が焼いている姿を目撃したと聞きました!」

 

 トニーの明らかに不機嫌そうな声に、慌てて返答がある。

 

「あれは俺の敵の仕業だ。魔族にも阿呆がいるもんでな。次は街がやられる危険性がある。本当は船がやられる前に伝えたかったが、ひと足遅かったみたいだ。だがそれでも、この上海は要所だ。絶対に落とされるな」

 

 各人の青ざめていた顔色はそれを通り越し、白く生気が無くなっていく。

 

「そ、それは……」

 

「また、我々は魔族による襲撃に晒される……と」

 

「そう言ったつもりだが?確かに俺の庇護下に入る事でこの街の平和は約束された。だが何事にも例外はある。そうだろ」

 

 当然、トニーの占領した土地は他の魔族から一切の攻撃を受けなくなる。

 善政も然りだが、やはりそれこそ人々がトニーを慕う理由だ。では、それが脅かされるとなれば、多少なりとも不満は上がってくるだろう。

 

「ふざけるな、とでも言いてぇ奴がいたら今すぐ手を挙げろ。死ぬ気で戦うか、先に殺して欲しいか、それくらいは選ばせてやる」

 

 そして、トニーは目の前で彼らに不満を上げさせるほどぬるくはない。

 

「時々は様子を見に来てやる。しっかりやれ」

 

 一同は再度、卓に頭がつくほどに深く頭を下げるばかりだった。

 

……

 

「ジャック」

 

「はっ」

 

「ロサンゼルスに戻るぞ」

 

「かしこまりました」

 

 屋敷を出たところでそう言うと、やはりカトレアがそれを制止してくる。

 

「ちょっとちょっと!約束が違うんですけどー!」

 

「あぁ?何の約束だ?」

 

「ご飯!食べるんでしょ!」

 

 しらばっくれてみたものの、当然通用しなかった。

 

「チッ……おい、ジャック。手近な個室が取れる店を探してこい。二人だ」

 

 ジャックやオーガ達まで店の中に入れるつもりはない。

 そもそも魔族と人間では食べるものも違うはずだが、カトレアはよっぽど中華料理に舌鼓を打ちたいらしい。多少なりとも人間の料理が好きな大魔女エリーゼの影響を受けているようだ。

 

 十分ほど待たされ、ジャックが戻って来る。

 

「お待たせ致しました。先程の露天の近くに料理屋がございましたので、ご案内致します」

 

「おう」

 

 店に向かうまでの間も、無遠慮な視線を送ってくる民草に手を挙げて応える。

 多少は畏怖の視線もあるが、やはり好意的なものが多い。治安も落ち着いているようだ。

 

「こちらです。お二人向きの個室と、料理を準備するように言ってあります」

 

 通りで一番の、立派な店構えの前でジャックが立ち止まる。木造建築のそれは、柱や屋根がこれ見よがしに黄金色に輝いていた。何とも分かりやすい高級店だ。

 大きさも中々のもので、役人達と話した屋敷と同等である。漢字で店名が書いてあるようだが、残念ながらトニーにそれは読めなかった。

 

「いらっしゃいませ、将軍閣下。こちらへどうぞ」

 

 これまた分かりやすい作り笑顔で出迎えてくれた店主は、縦にも横にも白人であるトニーを超える巨漢であった。頭を剃り上げているせいで分かりづらいが、歳は三十過ぎだろうか。

 真っ白な料理人服はシワや汚れひとつない状態であり、彼が普段から厨房に入らないことが分かる。着ている服がなぜそれなのかとは思うが、料理長というより支配人のような立場なのであろう。

 

 案内された部屋は要望通り、二人用の個室だ。

 外観とは打って変わって装飾品などはなく、焼き土の壁に覆われ、木製の円卓と椅子が二脚あるだけである。

 

「店で一番いい酒を出せ。メシは何でもいいが、こっちのガキが望むものがあれば聞いてやれ」

 

「はい、承りました。お嬢様、ご注文をお伺いいたします」

 

 革張りの立派な品書きが円卓の上にある。

 カトレアはそれを見ながら、むぅと唸った。

 

「よ、読めない……」

 

 当然それは全て漢字だ。英語圏の識字はもちろんアルファベットである。

 

「なんだ、魔術で解読出来るもんだと思ってたんだがな」

 

 気楽な口調でトニーが笑う。

 翻訳は難なく出来たので、同じようなものだと思っていた。

 

「そんな魔術は無いよーだ。てか話せるし問題ないじゃん。あのね、肉まんと餃子下さい!あと、チャーハン!」

 

「はい、喜んで。それ以外はお酒に合うよう、見繕って参ります」

 

「おう。そうしろ」

 

 一礼して店主が下がる。

 

「肉まんって、何の肉が入ってるの?」

 

「知らねーで食いたがってたのか?俺も中華料理に詳しくはねぇが、豚とか鶏だろうな」

 

 店主が前菜として茹でた鶏肉とザーサイ、生野菜を和えた料理を運んできた。

 

「当店独自の創作料理でございます。こちらの紹興酒も一緒にどうぞ」

 

 瓶とコップが料理と共に置かれる。

 食器類はすべて、白地に青色で美しい龍の紋様が描かれていた。

 店主が自ら運んできてくれたのも特別待遇の表れであろう。もしかしたら、下手に女中などに任せて粗相をしないかを恐れての事かもしれない。

 

「おぉー、綺麗な料理!」

 

 鶏を中心にして、その周りを円形に色鮮やかな野菜達が取り囲んでいる。

 

「ありがとうございます。彩もまた、料理の内と考えておりますので」

 

 フランス料理や日本料理にも通ずる考えだ。

 トニーの故郷アメリカでは濃いめの味やボリューム重視で、雑多な料理が多い為に馴染みが薄い。


 次いで、酢豚にフカヒレ、そしてカトレアお待ちかねの餃子、チャーハンが出てくる。

 カニやエビがふんだんに使われた海鮮チャーハンである。流石は港町だ。

 

 肉まんはその後、杏仁豆腐と同時に運ばれてきた。デザートと考えると、おそらくこれで最後だろう。

 

「うぉぉっ!やっと肉まんが来た!」

 

 カトレアが、竹のむしろに入ったアツアツの二つの肉まんを両手に持ってはしゃいでいる。

 

「お前が食え。俺はいらん」

 

 トニーにとっては酒がメインである。

 肴としてつついていた餃子も皮が肉厚であった事もあり、彼の胃袋は十分に満たされた。

 

 そのせいでカトレアがほとんどの料理を平らげていたわけだが、その小さな身体のどこに入っているのかというほどの食欲である。

 彼女自身は「育ち盛りだから」の一言で済ませてしまったが、食べる量を人間と比較するのは間違いだったようだ。

 

「わーい!じゃあ残りは全部あたしがいただきー!後で欲しいって言ってもあげないからね」

 

 カトレアが両手の肉まんにひと口ずつかぶりつく。

 最初に口をつけることで食べかけにしてしまい、トニーに取られまいと考えたのだろうか。

 

「見てて気分が悪くなりそうだぜ。大食い選手権にでも出たらどうだ」

 

「なにぃ!さっきから成長期のレディに向かって失礼だぞ、この大酒飲み!」

 

「大して飲んでねぇだろ!まだ二本目だぞ!」

 

 確かに瓶は二本目かもしれないが、その瓶の大きさは中々のものだ。

 

「あっ!この、白いデザートも食べていいよね?」

 

「……めんどくせぇ」

 

 酒を舐め、葉巻を取り出す。

 

……

 

 カトレアが皿を空け、トニーが瓶を空けたところでタイミングを見計らっていたかのように店主が顔を出した。

 

「失礼いたします、将軍閣下。如何でしたか、当店の料理は。ご満足いただけたのであれば嬉しいのですが」

 

 分かりやすい作り笑顔は相変わらずだが、その額には大粒の汗が滲み出している。

 トニーの鶴の一声でこの店の命運が決まる。決して口には出さないが、緊張しているのも頷ける。

 

「もちろんだ。急に押しかけてきたわけだが、料理も酒も最高だった。良い店だ」

 

「美味しかったよー」

 

 カトレアも気に入ったようだ。

 上海を訪れた際の御用達にしても良いとは思ったが、彼女を伴う機会は暫くないだろう。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「取っとけ」

 

 ちゃり、と金貨を何枚か円卓に乗せると、店主は両手を大きく振って拒否する。

 

「そんな!閣下からお代をいただくなんて、滅相もございません!この国は貴方様のものですよ!」

 

「俺の国だぁ?なら尚更、コイツは受け取れ。そしてもっと美味いものを研究して客に出してやれ」

 

「おっとこまえー!」

 

 カトレアは茶化したが、店主は大真面目な顔で金貨を見つめている。

 汗はさらに量を増して滝のようだ。

 

 店主は今、トニーが自分を試しているのではという疑心を抱いている。

 この金を受け取る事で自分の評価が下がりはしないか。最悪、トニーを怒らせはしないか。

 確かにへりくだってはいるが、魔族である新しい支配者の気持ちが汲めないのだ。

 

「うるせぇ。さっさと帰るぞ、クソガキ」

 

 だが、トニーがそう言いながら席を立ち上がって退室しようとした事で、彼が本心から対価を支払っていたのだと思い知らされた。

 豪遊を好むトニーは、元々金払いが良い。一度出した金を懐に戻すような真似はしない。

 

「ご来店ありがとうございます!またお越し下さいませ……っ!」

 

 そこには、一瞬でもトニーを疑った自らの心の未熟さを恨み、真心から感謝の気持ちを送る店主の姿があった。

 

 やはりトニーには、一種のカリスマ性のようなオーラ、そして立ち振る舞いが備わっている。マフィアの首領の長男として生まれ、現在はその家の当主として多くの部下を従えているからこそであろう。

 彼自身にはそういった自覚があるわけではなく、ただ豪胆に、ただ自由に、ただ自信を持って、そして誰にもなめられてはいけないというプライドがあるだけだ。

 

「閣下、お待ちしておりました」

 

「おう、今日の散歩はここまでだ。ロサンゼルスに帰るぞ」

 

「はっ」

 

 待機していたジャックやオーガ兵が一礼して付き従う。

 

 ジャックが転移術を発動しようとしたところ、街中からおぉっ!といくつかの歓声が上がった。

 民衆がトニーらの姿を見て発したものではない。周りにいくらかいた通行人達も一様に足を止め、空を指差している。

 

「あん?」

 

「げっ、あれ飛竜じゃん。やばくない?」

 

 カトレアが民衆らの騒ぎの理由に気がつく。

 

 先程までいた上海中心部の屋敷上空に、夕日を背にした三つの影が見えた。

 おそらく、先日船を破壊した飛竜だろう。トニーが上海の状況を視察しに来ているとは知らず、追撃にやって来たのだ。

 

「出やがったか!ぶち殺す!」

 

 トニーが吠える。

 

 だがそれと同時に、飛竜らしき影から放たれた火球が屋敷に着弾した。

 

 ドォン、と重々しい音が轟くと、歓声は悲鳴に変わる。

 

 民衆は先日の船の破壊のように、余興だとでも思っていたのだから大慌てだ。

 まさか魔族の仲間が再び自分達に被害を及ぼすとは夢にも思っていなかっただろう。

 

 三体の飛竜のうち、一体が崩れ落ちた屋敷に降り立って咆哮を上げた。

 

 残りの二体は街を攻撃する気なのか、バラバラに移動を開始した。

 

「おい、デカブツ。二人で地面にいるあの一匹、やれるか」

 

 護衛として従えているオーガに問う。

 

「お任せ下さい。必ずや」

 

 二体の片割れがそう答えたが、実際にはかなり厳しいはずだ。

 飛竜とオーガは、単純な戦闘力でいえばオーガに軍配が上がる。だが飛べる相手となると一方的に攻撃を受けて倒されてしまうだろう。

 しかし、忠義を捧げる主人からの命令に尻込みするなど言語道断だ。重大な命令を受けたという喜びに、その目には闘志すらみなぎっていた。

 

 二体のオーガが駆け足で屋敷に向かって去っていくのを見送り、トニーは残る飛竜の片方を指差した。

 

「ジャック、アイツを先に殺る。ついてこい」

 

「はっ」

 

 その飛竜は街の上空に差し掛かっており、彼らの位置からであればそう遠くはない。無論、飛竜も常に停滞しているわけではないので急ぐ必要がある。

 

「閣下、あたしはー?」

 

「あぁ?てめぇは砂遊びでもしてろ」

 

 カトレアに手を貸して貰うなど、トニーの頭の中には毛頭ない。

 

「なんでだよ!そんなの暇じゃーん!あのもう一匹を落とせばいい?街の人が死んだら閣下のせいだと思われるかもよ」

 

 確かに事情を知らない民衆からすれば、トニーが攻撃をさせたと思う人間も出てくるだろう。それは彼も望むところではない。

 

「チッ……なら好きにしろ!」

 

「りょうかーい」

 

 カトレアは空間転移ではなく、瞬間転移で一瞬にして消え去り、直後に何か大きな物体が地に落ちる音が聞こえた。

 瞬殺だったとみて間違いない。

 

「ふん、やるじゃねぇか」

 

「ありがとー」

 

 やはり既に帰ってきていたカトレアが、もう一体の飛竜に向かって駆けていたトニーとジャックの横でニヤニヤと笑っている。

 

「グォォッ!」

 

 咆哮を上げたのは、仲間が倒されてしまったのに気づいたからだろうか。

 紺色の鱗を持つその飛竜は、口から火炎弾を吐き出して民家を焼き払った。

 

「あーあ、被害ゼロはあたしの担当した飛竜だけだねー」

 

「クソが!」

 

 ズドン!

 

 引き抜いた拳銃を撃つ。

 至近距離ではない上に、走りながら片手での射撃では当たるはずもない。

 

「グァァゥ!」

 

 銃撃に気づいたその飛竜はトニーに向かっては来ず、一目散に逃げ出した。

 

「あぁ!?逃げやがるか!」

 

 予想外の行動だ。

 おそらく、トニーに遭遇した際には退却するように指示されていたのだろう。情報を持ち帰る為か、被害を抑える為、或いはその両方だ。

 

「どうするの?」

 

「逃がすわけねぇだろ!」

 

「はいはーい」

 

 視界が瞬時に入れ替わり、トニーとジャック、カトレアの三人は飛竜の真下に近い民家の屋根上に立っていた。

 カトレアが全員に瞬間転移を発動した結果だ。

 

 ズドンッ!

 

 銃口から弾き出された鉛玉が飛竜の腹下に突き刺さる。

 

 ズドンッ!

 

 そして、空中でバランスを崩した飛竜の顎にもう一発。

 

 完全に活動を停止した飛竜が、民家をいくつか巻き込みながら墜落していく。

 

「お見事!やっぱ強いね、閣下」

 

「ふん、あれを瞬殺しちまうような女に世辞を言われても嬉しかねぇよ。まぁ……今の転移術は助かった。借りが一つだな」

 

「えぇ!今、超珍しい事言わなかった!?嬉しー!照れるー!」

 

 ぴょんぴょんと跳ねるカトレアを尻目に、最後の飛竜の方を見やる。

 残念ながらそれは健在で、予想通り空中から炎を撒き散らしていた。

 

「ジャック、デカブツの手助けに行く」

 

「かしこまりました」

 

 カトレアにではなく、ジャックに言ったのはトニーの性格の現れだ。彼女に助けられっぱなしでは面子が立たない。

 

「はい、ラストねー。ばびゅーん!」

 

 だが、カトレアはそんな事を気にする間もなく再び瞬間転移を発動した。

 

 瓦礫と化した屋敷前。 

 木造のそれは見事に焼け落ち、所々で赤い炎が夕暮れの空をさらに鮮やかなものとしている。 

 そして、その傍らに転がる二つの巨体。先程送り出したオーガだ。

 

「くそっ……!殺られちまったか!」

 

 彼らは護衛ではあったが、破魔衣を縫いつけた平服以外は丸腰だった。

 そして、飛竜の火球は魔術では無い為、完全に防ぎきる事は出来なかったようだ。

 

「グァオ!」

 

 突如現れた新たな闖入者に、白い飛竜が威嚇の咆哮を上げる。その羽には一本の木槍が突き刺さっていた。

 このオーガ達が一矢報いたという事だ。拾った槍を力一杯投げつけでもしたのだろう。

 

「偉いなぁ。ちゃんと頑張ったんだね」

 

 カトレアがポツリとこぼし、動かなくなったオーガのザラザラした禿頭を手で優しく撫でた。

 

「ソイツらには後で寺の坊主を呼んで、経でも上げてもらう」

 

 死体はいずれ消えてしまう為、埋葬や火葬は出来ない。

 アメリカ大陸から来た彼らが仏教徒なはずは無いが、中国で弔うのに神父や牧師を探すわけにもいかないだろう。

 

「さて」

 

 頭に被ったボルサリーノを軽くずらし、トニーの鋭い眼光が地に降りてきた最後の飛竜を捉えた。

 彼の正体にようやく気づいたのか、驚愕した様子で後ずさりをする。

 

「おい、逃がさねぇぞ?お前が言葉を喋れる種族なら、捕まえて犬っころの企みを吐かせるところだが……残念だな。畜生に生まれた自分を恨め」

 

「グォォッ!」

 

 大きく膝を曲げ、翼を広げた飛竜が離陸しようとする。

 

「使い道がねぇなら殺すしかねぇからなぁ!」

 

 ズドンッ!

 

 再び吠えた銃口から吐き出される鉛玉が、飛竜の口の中に吸い込まれるように突き刺さる。

 

 続いた「ボン」という破裂音は飛竜の後頭部を内側から食い破ったものだ。

 

「グァァァァッ!」

 

 断末魔と共に飛竜は涎と緑色の血液、そして僅かな火炎を漏らす。

 

 即死は免れないものの、数歩後ろに歩くだけの余力はあった。だが、そのまま意識を手放した巨体はバランスを崩してどうと瓦礫の中に倒れる。

 ビクリと一度だけ痙攣したきり、永久に動く事はなくなった。

 

「しばらくは大丈夫かもしれねぇが、上海にも誰か置いとかなきゃならねぇか」

 

 下級の役人もそう多くは残っていない。まず、この一件の後で街を預かろうという度胸がある者がいるだろうか。

 軍船が沈んだ事で街の価値は下がった。しかし、港を持つ要所である上、大都市からの徴税は棄てるには惜しい。

 

「ファミリーの誰かにお願いしたら?」

 

「アイツらは無理だ。命令したって聞きやしねぇ」

 

 以前、フランコに北京の総督を任せようとした時、彼はトニーから離れるわけにはいかないと固辞した。他の組員もフランコと同様だった。

 それで呂明を上海から北京に移したわけだが、兵数、城壁が堅牢な北京と比べると上海は脆い。可能であればオースティンが送り込んでくる魔族を撃退出来る程度の人材がいれば嬉しい。

 もちろん、トニーの巡回もあるので最重要課題ではないが、誰かが常駐でいれば心強いのも事実だ。

 

「躾がなってないねぇ」

 

「うるせぇ。てめぇも似たようなもんだ」

 

「へっ!?やだ、何それプロポーズ?」

 

「お花畑が。街の守護に使えるなら貰ってやる」

 

「え、えぇぇぇ!?なるなるなるなる!ギブミー閣下の夫人ポジション!」

 

 カトレアにこの手の冗談は通じないのをトニーはすっかり忘れていた。

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