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#11

「完成しましたわ!バレンティノ様!」

 

 イタリア王宮内の研究室にベレニーチェの明るい声が響き渡る。

 彼女の手には、球体の底面だけを平らにした形の小さな鉛玉が乗っている。少々不恰好だが、これは弾丸である。

 何度も失敗しており、彼女のこのセリフもウィリアムの耳に届くのは十回目だ。

 

「今度は上手くいくといいな」

 

「絶対に上手くいきますとも!」

 

 そう言って、鉄屑を張り合わせて作った試作品の拳銃に弾丸を入れる。

 銃の方は弾丸よりもかなり早い段階で試作品が完成していた。マルコが持つ実物を分解して調べる事が出来たのがその理由である。

 もちろん、発砲の際には暴発などによってマルコの拳銃を壊すわけにはいかないので、試作品の銃を使っているわけだ。

 

 弾丸の発射実験の際は、この試作品の銃を地面に固定する。

 さらに引き金に細い紐を当て、それを遠くから引く事で作動させるという手法だ。

 無論、暴発を恐れての事だが、今まで実際にこの方法をとっていなければウィリアムの腕はとうの昔に吹き飛んでいただろう。

 

「では参りましょう、バレンティノ様!」

 

 弾を装填した銃をブンブンと振りながらベレニーチェが言った。

 

「ほら、振り回すと危ないぞ!俺が持って行くから、ベレニーチェは紐を持って来てくれ」

 

 ウィリアムが素早く銃を奪い取る。

 ベレニーチェは不服な様子だが、大人しく紐を持って研究室を出た。

 

 行き先は城を出て馬で五分ほどの距離にある、広い敷地と人型の的がいくつも配置してある弓兵達の練兵場だ。

 

「これは、子爵様に研究室長様。また実験ですか?精が出ますね」

 

 練兵場には四、五人の分隊がおり、弓術の訓練に励んでいた。

 声をかけてきたのはこの練兵場を管理している老人で、軍人ではなく一般の労働者である。ここは民間の人間であっても、弓を射る練習がしたければ彼に申し出れば利用出来る。実際、以前ウィリアムらが発射実験の為にここを訪れた際、騎士団を目指しているという少年達が汗を流している姿を見かけたことがある。

 

 練兵場とはいっても仕切りなどはない。だだっ広い砂地に的となる木造の人形。それだけである。

 管理人はこの近くに家があるらしく、いつも木椅子を持ってきては日向ぼっこをしている。

 雨の日の事は分からないが、彼のことだ。テントや大傘を張ってでも同じように座っている光景が眼に浮かぶ。

 

「あれは騎士団の連中か?気にせず続けさせておいてくれ。俺たちは五分とかからないからな。彼らの休憩中にでも使わせてもらうよ」

 

 管理人にそう告げる。

 

「そうですか」

 

 爵位を賜ってからは周りの反応がガラリと変わってしまった。

 ウィリアムがひと声、実験をしたいと言うだけで兵士達は駆け足でこの場を明け渡すことだろう。

 しかしそれは、ウィリアムにとって居心地の良いものではない。ベレニーチェやこの管理人に言わせれば、身分の高い人間は多少のワガママを言って当然らしいのだが。

 

 訓練兵の一人がウィリアムとベレニーチェに気付いて気をつけの姿勢をとったが、ウィリアムは軽く右手を振って「気にせず続けろ」という意思を伝えた。

 

……

 

 三十分程度経った頃。

 

 管理人が新たに別の木椅子を二つ運んできてくれたので、三人で他愛もない話をしていたところに、汗だくになった兵士達が歩み寄って来た。

 

「貴族様、お待たせいたしました」

 

 先ほど気をつけの姿勢をとっていた男だ。

 彼がこの隊を束ねているというわけではなく、全員が同期の新兵らしい。

 

 ベレニーチェは家が下級貴族だが、厳密に言えば彼女個人は爵位を持ってはいない。しかし、特に意見する理由もないのでそれは置いておく。

 

「ありがとう。ベレニーチェ、準備を頼めるか?」

 

「えぇ、喜んで」

 

 はじめの頃は貴婦人を砂まみれにするわけにはいかないとウィリアムが銃を地面に設置する事が多かったが、最近は是非やらせて欲しいと彼女が頼んでくるので任せることにしていた。

 

 彼女が愛用している魔女服は思いのほか汚れに強い。濃い色をしているのは砂埃にはマイナスかもしれないが、滑らかな生地は軽く叩くだけでそれを跳ね除けてくれる。 

 ウィリアムの上等なスーツはそうもいかない。もちろん、ヘンリーのおかげで今は着るものに困らないくらいにはストックを持ってはいるのだが。

 

「バレンティノ様!いつでも開始出来ますわ!」

 

「紐を通して、端をこっちまで持ってきてくれ。慎重にな」

 

 数フィートしか離れていないのだから、そう叫ばなくても聞こえていると苦笑を返す。

 兵士達は物珍しいようで、起立したまま行く末を見守っている。

 

「少し大きな音がするが、驚かないようにな」

 

 そう声をかけて、ウィリアムは紐を強く引いた。

 

 カンッ!と甲高い音が響く。

 

 銃声を知るウィリアムからすれば、それは正解には程遠い。

 

「あらっ……?」

 

 ベレニーチェも、聴き慣れている程ではないが違和感を覚えたようだ。

 

「ん……こりゃダメだな」

 

 激しく暴発はしなかったものの、弾は銃身の中で弾けてしまった。ウィリアムが銃口を下に向けて振ると、カラカラと金属片が落ちてくる。

 

「で、でも!少しは進歩したはずですわ!ほら、この鉄の土台はこの間みたいに壊れていないんですから!」

 

「銃な。まどろっこしいから、ちゃんと名前で呼んでやってくれ」

 

 手際よく銃をバラしていくウィリアム。この試作品は単発式の非常に簡単なもので、工具なしに分解できるように作っている。

 

「貴族様、それは何ですか?」

 

 実験こそ失敗だったが、興味を持った兵士達がウィリアムの持つ銃に目を奪われている。

 

「銃だ。弓に代わる遠距離武器だな。とはいえ、まだ完成はしてないんだが。これを完成させ、普及させようと思っているのさ」

 

「なるほど……それはもしや、魔術で小爆発を起こして鉄を射出する仕組みでしょうか?」

 

「なんだ、よく分かったな。本来なら火薬を用いるんだが、魔術でも問題ないと踏んでる」

 

 ほほう、と感嘆の声が上がる。

 だが、ライターや電球で驚くような者が多い中、この理解力は妙だ。それを問うより先に兵士が言葉を続ける。

 

「中将閣下と面識はお有りで?」

 

「もちろんだ」

 

「では是非、次にお会いになる時はその……銃をお持ち下さい。きっとお力になって下さいます」

 

 聞きたいことは色々とあったが、民間人である管理人の目の前だ。含みを持たせるような兵士の言葉に、軽く頷くだけでその場はやり過ごした。

 

「帰るか。そろそろ飛竜にメシを食わせてやる時間だ」

 

「えぇ。それでは皆様、ご機嫌よう」

 

 ベレニーチェの無垢な微笑みに、若い兵士が口元を緩めていた。

 

……


「あ、叔父貴。お帰りなさいませ。またハジキの実験ですか?」

 

 ベレニーチェと連れ立って馬小屋に顔を出すと、マルコが鶏を準備しているところだった。

 ヘンリーの会社の若衆が毎日、王宮前まで大量の鶏肉を乗せた荷車を引いて納品に来てくれるので、それをここまで運ぶのがマルコの日課になっている。

 

「お姉ちゃん達、お帰りなさい!」

 

 そしてそれはエイハブの日課でもある。

 

「エイハブ、今日もマルコの手伝いか?エラいぞ」

 

 軽く肩の辺りを叩いてやる。

 

「別にこのくらいは働くよ!他にも何か僕に手伝えることがあったら言ってほしいな」

 

 ベレニーチェの英才教育が行き届いているらしく、イタリアに来てからもエイハブはすくすくと良い子に育ってくれている。元ガットネーロ隊との訓練に加え、研究室ではベレニーチェを含めた職員に勉強を教えてもらい、アーシアとは一緒に王宮内の掃除などの雑用をこなしている。

 

「もちろんだ。何かあったら真っ先にお前に頼むとしよう」

 

「うん!また飛竜に乗りたいなぁ!」

 

 なるほど、狙いはそれだったか。 

 エイハブはもちろん、ヘンリーやマルコなども飛竜の背には乗せてやったが、誰もが思いのほか快適だと驚いていたのは記憶に新しい。

 

「本人に聞いてみるといい」

 

 飛竜は鶏肉の匂いや、ウィリアム達の存在に気づいて片目だけを開けている。

 餌の前にここで彼らが少し話をするのはいつもの事だ。それが終わるのを待っているのだろう。

 

「ねぇ、また僕を乗せて飛んでくれる?」

 

 イタリア語ではなく、エイハブが英語で飛竜に語りかけた。

 飛竜は返事の代わりに、開いていた目を閉じる。

 

「お?嫌だとさ」

 

 飛竜の意図が肯定か否定かは読めなかったが、マルコが笑いながら意地悪を言う。

 エイハブは「えぇーっ!」と飛竜に詰め寄った。

 

「毎日美味しいご飯を運んできてあげてるのに?あ、わかった!本当はお菓子も欲しいんでしょ!」

 

 いやそれは絶対に違う、と誰もが思う。

 

「グルル……」

 

 煩わしい、とでも言いたげに飛竜が唸る。

 しかし、エイハブにはそう映らなかったようだ。

 

「ほら、やっぱりだ!ちょっと待ってて!おじいちゃんにもらったクッキーが二枚取ってあるんだ!」

 

「あ、こら!緊急時以外はお城の中を走ってはいけません!」

 

 ベレニーチェの声を物ともせずにエイハブが駆け出す。

 彼がおじいちゃん、と呼んでいるのは大司教の事だ。随分と王宮内の連中とも打ち解けてきているのが分かる。

 

 二分と経たずにエイハブが紙袋を手にして戻ってきた。

 

「はい!あげる!」

 

「グルゥ……?」

 

 飛竜の口元に差し出された小さなクッキー。反応に困る飛竜に、これは珍しいものが見れたと一同から笑いが起こる。 

 そしてさらに驚くべきことに、飛竜はトカゲにも似た二股の細長い舌を出してクッキーをエイハブの手から食べた。それが菓子だと言うことは理解していたはずだが、菓子というものが何なのかまでは理解出来ていなかったのだろう。

 

「どう?美味しいでしょう?」

 

「グルル……」

 

 こればかりは誰にも判断出来ない。完全肉食である飛竜が甘味に舌鼓をうつなど想像出来るはずがない。

 

「でもそれで最後なんだ。もう無いよ、ごめんね」

 

「グァゥ」

 

「じゃあまた僕を乗せてね」

 

「グァゥ」

 

 飛竜がクッキーの味をどう捉えたのかは闇の中だが、エイハブの頼みを承諾してくれたのは間違いない。

 味の良し悪しではなく、相手が自分に大事なものをくれたという事実が重要なのだ。

 

「さて、それじゃあ餌やりを始めるとしよう」

 

 ウィリアムの声で皆が鶏を手に持つ。

 

 日によってはアーシアがいる事もあるが、大抵は今いる四人で餌付けを行っている。その甲斐あってか、飛竜の方も彼らが触れたりするのは平気だ。

 他の者が触れようとしても噛みついたりはしないが、唸り声を上げるのでやはり信頼性は重要だと言える。

 

「待たせたな。今日は動いてないだろうがどうだ、腹減ってたか?」

 

 ウィリアムの英語での問いかけにこくりと頷く飛竜。明日は少し騎乗して運動をさせてやる事にする。

 

 マルコやベレニーチェ、それにウィリアムはリズミカルに次々と桶から鶏を放っていく。

 しかしエイハブはきちんと口元まで運んでやっていた。

 

……

 

……

 

 翌日の朝。空模様は生憎の曇天だった。

 

「いいな?天気が崩れたらすぐに引き返すぞ?」

 

「えー」

 

「約束だ。ずぶ濡れになって風邪でもひいたら大変だからな」

 

「うーん、わかったぁ……」

 

 いつ雨が降り始めてもおかしくない。それでもウィリアムはエイハブを前に乗せて手綱を握り、飛竜の腹を軽く蹴る。

 

「グァゥ!」

 

 任せろ、という鳴き声。そしてつぎの瞬間には飛竜の羽ばたきと同時に強烈な重力が襲ってきた。 

 ウィリアムは前屈みでエイハブに覆い被さるような体勢でしがみつく。


 ほんの数十秒間で上昇を終え、ゆっくりと滑空飛行し始めた。

 

「うわー!見てみて!もうお城があんなに小さいよ!」

 

「おっと、下を覗くのもいいが、落ちないでくれよな」

 

 今更ながら、命綱を準備しておくべきだったかと反省する。

 万が一、エイハブが落ちてしまっても飛竜を急降下させればキャッチする事は可能だろう。しかし、それでも打ち身や骨折は免れないはずだ。

 

 ピカリと遠くで光る稲光が見えた。空から見ると、ジグザグに走る稲妻が雲から地面に刺さる様子がよく分かる。やや遅れて、音が届いた。

 

「あれに打たれたらただでは済みそうにないな。飛んでる途中、雷に当たった事は無いのか?」

 

「グァゥ」

 

 これは否定だ。何となくだが、ウィリアムも飛竜の返事が分かるようになってきた。

 

「雲の上まで行っちゃえばー?」

 

「驚くほど寒いぞ。それに、空気が薄くて苦しくなったら嫌だろう?」

 

「え、寒いの!?お日様に近づくのに!」

 

「そうだ、不思議だろう?」

 

 子供らしい意見に、ウィリアム自身もエイハブと同じくらいの年頃だったらそう思っていただろうなと微笑む。

 

「前、行ったことがあるから知ってるのー?」

 

「あー、いや違う。行ったことがある人に聞いた話だ」

 

 流石に生身で高高度まで上昇した経験などあるはずもない。

 

「すごいね、その人!どうやって飛んだんだろう?魔術師?」

 

「いや、魔術師じゃないが……」

 

「でも、人に聞いた話なら本当かどうか分からないね。やっぱり行ってみなくちゃ」

 

 どう言葉を濁すか考えていると、エイハブの純粋で前向きな意見が投げられてしまった。

 

「そのやる気は認めるが、今日はそろそろ引き返すとしよう。高く飛びたいなら天気の良い日じゃないとな」

 

「そうだね、雲に頭がぶつかっちゃったら嫌だし」

 

「あ……あぁ」

 

 生真面目に「雲の中で濡れてしまったら大変だ」と返すか迷うも、エイハブの可愛らしい勘違いを肯定する事で難を逃れる。

 いつの日か雲を突っ切る事がなければ良いのだが。

 

……


「お帰りなさい、叔父貴」

 

「あぁ。まだ寝てるかと思ったぞ」

 

「ただいまー、マルコさん」

 

 ウィリアムがエイハブを抱えて飛竜から降りる。

 

 マルコは現在、ウィリアムの家で寝食を共にしている。朝早くに王宮へ向かう際にはいびきをかいて眠っていた。

 

「えぇ、さっき起きたばかりです。お見送りもせずにすいませんでした」

 

「俺が早く出すぎただけだ、気にするな。むしろ、出迎えご苦労さん」

 

「そうだ、ヘンリーのおっさんのところの使いが来てましたよ。ソイツのノックで起こされたんで」

 

 ウィリアムは衣服、雑貨から食料品まで、様々なものをヘンリーから買うようにしている。何かしらの、注文していた品が完成したのだろう。

 

「わかった。今から顔を出すとしよう。エイハブ、お前は研究室に戻るか?」

 

「ううん。お昼前にアマティのお兄ちゃんに弓を教えてもらう約束だよ」

 

「ははは、お前も多忙だな。俺よりも働いているかもしれないぞ?」

 

「たぼー?」

 

 返答の代わりにエイハブの頭を軽く撫でて、飛竜の小屋の側に停めていた黒馬に跨がる。

 マルコの愛馬もそこにいたので、彼もそれに跨がった。

 

 騎士団所有の軍馬達は別の場所で飼われており、この場は飛竜とウィリアムやマルコの馬専用と言える。

 

 エイハブと別れ、ウィリアムとマルコは馬で王宮の裏門から颯爽と駆け出した。

 二人共、馬の扱いは手慣れたもので、石畳の敷き詰められた街並みを難なく進んでいく。晴天であれば快活な心持ちになったかもしれないが、パラパラと霧のように細かい雨が降ってきてしまった。

 

「叔父貴、雨具を取りに一度戻りますか?」

 

「いや、このままヘンリーのところに行く」

 

 自宅によればレインコートがあるが、本降りになる前に済ませてしまおうと判断した。

 

……

 

 通りの先に、壁一面が赤いレンガという立派な店構えの商店が見えてきた。

 工房や自宅、社員用の寮などもくっついているので、造りは違えどその巨大さは下級貴族の邸宅にも引けを取らない。

 

「邪魔するぞ」

 

 馬を繋ぎ、店の入り口の軒下に立っていた顔見知りの小姓に話しかける。 

 十代前半の若い男で、スラックスにサスペンダーをつけ、上は白いシャツだ。見張りにしては整った身なりではあるが、眼光はどこか怪しげである。ヘンリーの店にいるくらいだ。この子の親がかつての盗賊団の構成員だったのかもしれない。

 

「いらっしゃいませ、バレンティノ卿。それにお付きの強面の兄さん」

 

 彼がドアを開けてくれる。

 

 すれ違いざまにマルコが「強面は余計だ」と肘鉄を落としていたが、見なかったことにする。

 

 店内は広々としているかというと、そうでもない。カウンターがあるだけの小部屋だ。つまり客には見えないが、その奥に隠れているであろう工房などがこの建物のほとんどを占めている事になる。

 

 簡素な木製のカウンターには、二人の店番が座っていた。

 坊主頭に筋肉隆々で荒っぽそうな中年の男と、瘠せている中年の女だ。

 夫婦にも見えるがそうではなく、むしろ犬猿の仲だということをウィリアム達は知っている。

 

 彼らの後ろには少しの雑貨が陳列されてる棚と、建物の奥に続く扉があるだけだ。大抵は受注生産で、在庫はあまり置かない商法なのがうかがえる。

 

「おう、貴族のあんちゃん。よく来たな」

 

「ちょっと!身分を考えなよ筋肉ダルマ!いらっしゃいませ、バレンティノ様」

 

 早速、口げんかでも始まりそうだが、ウィリアムはそれを止める方法を知っている。

 

「ヘンリーはいるか?呼んできてくれ」

 

「お頭か?ちょっと待ってろ」

 

 男が扉から消える。別に彼らから物品を受け取っても構わないのだが、たまにはヘンリーの顔を見るのも悪くない。

 

 一分と経たずに汗だくのヘンリーがやってきた。

 分かりやすい愛想笑いを浮かべているので、何かの作業に没頭していたところを邪魔してしまったのだろう。

 

「へへっ、これは旦那。どうなさいました」

 

「取り込み中悪いな。お前のところから使いが来たらしいんだ。納品があったなら持って帰る」

 

「ウチから使い……?いや、今日は旦那のところには誰も行ってないと思いますが。品物は何でした?」

 

「何?おい、マルコ」

 

 ウィリアムがマルコを見やるが、彼は首を傾げた。

 

「確かにこの店からだと言ってましたが……品物は、すいません。叔父貴がいない時の配達は初めてだったもんで、確認せずに追い返してしまいました」

 

「……ヘンリー、間違いないか?飛竜の餌なり、酒や煙草なり、大したものじゃなくとも何かしらの配達は無かったか?」

 

 ヘンリーが店番の男女に視線を送るが、彼らも肩をすくめるだけだ。

 

「なんだかキナ臭いな。しかし、わざわざ他人がお前の店を語って俺に近づく道理があるだろうか?」

 

「旦那は今や子爵様ですぜ。財産目当ての連中なんてゴロゴロいると思います」

 

「屋敷も持たず、未だに陛下から賜わった仮住まいなのにか?」

 

 この自虐にはヘンリーも苦笑しか返せない。

 

 ウィリアムの資産、つまり国王からの褒美や給金はほとんどをヘンリーの会社に預けたままだ。小さな家に煌びやかな褒美の品を飾ってどうするという考えからそのままになっている。

 

「飛び級で成り上がったんだ。目立つに決まってるじゃねぇ……ですか」

 

 無理矢理な敬語を使いながら筋肉隆々の店番が言った。さすがに社長であるヘンリーの前でウィリアムに粗相を働くわけにはいかない。

 

「どういう意味だ?」

 

 ウィリアムの問いに横の女が代わる。彼女が呼ぶ筋肉ダルマの失言を庇う為か。

 

「失礼ながら、バレンティノ様の事をよく思わない方々もいらっしゃるのではないでしょうか?」

 

「あー。老害って奴ですよ、叔父貴。昔から家柄を守ってきた下級貴族なんかはそう思うのかもしれません。何せ叔父貴は、その若さでいきなりソイツらよりも上の地位に就かれたんですから」

 

「なるほどな。しかしそんな事を言われてもどうしようもない。ヘンリー、くどいようだが納品が無かったのは間違いないな?」

 

「へい。王宮向け以外では唯一、旦那への納品だけはあっしが直接確認してますんで」

 

 何もウィリアム個人が王宮に次ぐ太客というわけではなく、世話になった事へのヘンリーなりの気遣いだろう。

 

「マルコがいたから大人しく引き返したって事は、空き巣狙いか?」

 

「それならまだマシですが、叔父貴のタマを取ろうって不届きものなら厄介です」

 

 しかし、相手が貴族の仕向けた刺客だとしてもいきなり殺そうとしてくるだろうか。

 恨みを買うのは慣れているが、嫉妬の類はウィリアムにも経験がないので答えは見つからない。

 

「ソイツが持ってきた納品も気になるな。注意はしておくが、何が狙いか分かるまではしばらく泳がせておくしかないだろう」

 

「護衛だったら格安で手練れを用意しますぜ、旦那」

 

「大丈夫だ。変に警戒されて接触が無くなるかもしれない。俺自身、ソイツの企みが気になってな」

 

「そうですかい。必要になったら可能な限り何でも準備させていただきますんで、どうぞご贔屓に」

 

……


 手ぶらで帰るのも気が咎めると、ビール樽を一つだけ購入してヘンリーに別れを告げた。

 

 ドイツから仕入れたものらしいが、やはり現世の炭酸入りのものと比べると微妙な品だ。マルコが手早く自らの馬に樽を括り付けて帰路につく。

 

「貴族か……俺以上に周りが反応しているのは奇妙なものだな」

 

「自分にも子爵という身分がどのくらいのものかピンとは来ないんですけどね。ただ、真ん中くらいの爵位ですから、なりたくてなれる簡単なものじゃないはずです」

 

 本来ならば社交界デビューでも果たして顔を売る必要があるのだろうが、ウィリアムは誘いがあっても断るつもりでいた。爵位を盾に貴族として生きていくつもりなどないからだ。派閥などに左右されて、政争に巻き込まれるのは目に見えている。

 

 疾駆しているわけではないが、舌を噛んでしまう前に会話を中断する。

 雨は幸いにも大したことはなかったので、ほとんど濡れる事なく自宅に戻ってきた。

 

「荷下ろしと、俺の馬も頼む」

 

「分かりました」

 

 普通ならばウィリアム自ら愛馬の装備を外して休ませてやるのだが、今日は下馬するとすぐに部屋に入った。

 

 室内は明かりもなく暗い。天井から下がった電池式の電球を点けた。何者かが侵入した形跡もなく、異常はないようだ。書物以外は何も無い部屋ではあるが、やはり空き巣の線は薄い。

 

 腰の魔剣を壁際に立てかけ、ベッドに腰を下ろしてジャケットを脱ぐ。

 マルコも入室してきた。

 

「ビールは晩酌用ですか?」

 

「そうだな。たまにはウチで飲むとするか」

 

 彼らはもっぱら外食ばかりである。

 

……

 

 夕方までは翻訳の作業だ。

 

 それが終わるとビール樽を開けて、ゴブレットに酒を注いだ。

 夕飯の支度はしておらず、食糧の備蓄も特にない。しかし、今からまた出るというのも本降りになってしまった雨のせいで億劫だ。

 

「マルコ、腹は減ってないか?」

 

「減ってます。しかし、お気になさらず。ビールにありつけて幸せですから。叔父貴はいかがなさいますか?何か必要ならば買って来ます」

 

 こちらの世界に来て、ウィリアムもマルコも飢えには強くなっている。一日や二日、何も食べれなくとも耐えれる。それは暮らしぶりがよくなった今でも変わらずだ。

 

「いや、俺もビールで充分だ。乾パンなら少しある。必要なら食ってくれ。明日の朝は王宮で食わせて貰おう」

 

 王宮の食堂は自由に利用できる。もちろん無料で、腹いっぱいになるまでだ。

 

 ゴブレットをぶつけ合うと、ガツンと重い鉄の音が響いた。

 

「うーん……お世辞にも美味いとは言い難い味だな」

 

「まぁ、確かにそうですが、自分はワインよりはこっちの方が好みですね」

 

「そうか?それならまた買ってもいいが」

 

 苦味が強いのは良いが、アルコールは低そうだ。

 

 コンコン……

 

 雨の音に紛れて、簡素な木の扉がノックされた。聴き逃してしまいそうだが、大して酔ってもいない二人は扉に視線を送った。

 

「雨の夜に来客とは珍しい」

 

「自分が出ます」

 

 ノックをしてくるぐらいなので、警戒していた者とは違うだろうと、マルコが扉を開けた。

 

「はいはい、どちらさんで?」

 

「あぁ、午前中に伺った者です。ウィリアム・バレンティノ様はご在宅で?」

 

 若い男の声に続き、ガシッという擬音が出たと感じる程の勢いでマルコは来客の首根っこを掴んで中に引き入れた。

 当然、扉は閉められ、床に取り押さえ込んでしまう。黒髪をボサボサに伸ばした少年のようだ。

 

「え、えっ!ちょっ……!」

 

「てめぇ何者だ?」

 

 ドスの効いた声でマルコが尋ねる。

 

「いや、だから午前中伺ったヘンリー商会の……」

 

「あぁ!?ほら吹いてんのは割れてんだよ!さっさと吐け!」

 

「ひぃぃっ!すいませんっ!く、苦しい……!」

 

 今度は軽々とシャツの襟首を掴まれて壁に押し当てられる。

 

「マルコ、そのくらいにしておいてやれ」

 

「はい、叔父貴」

 

 手が離れると、少年はどさりと崩れ落ちて激しく咳き込んだ。 

 それをしばらく見守り、落ち着いたところでウィリアムが質問を引き継ぐ。

 

「ボウズ、手荒な真似をした事は許してくれ。こっちも気が立ってたもんでな。それで、誰だお前は?」

 

「だから、商会の……」

 

「その商会に行ってきたから訊いてるんだよ。言われたぞ?ウチは配達なんか出してませんってな」

 

 少年の顔が凍りつく。やはり嘘をついている自覚はあったようだ。

 これが、第三者からの依頼などによる仕業だったら彼は「本当だ」と言い張っただろう。

 

「どうした、答えないのか?」

 

「……」

 

「……マルコ、この顔で間違いないか?」

 

「えぇ、このガキでした」

 

 とりあえずは、すぐに犯人が見つかって良かったと思うべきだろう。

 

「さて、ヘンリーの名前を騙った理由。それを吐くまで帰れると思うなよ」

 

「ま、待ってください!乱暴はよしてくれ!」

 

「人聞きの悪い事を言うな」

 

 マルコがやり過ぎたせいで少年が怯えてしまうのも無理は無いが、ウィリアムは痛めつけてやろうという気など無い。

 

「え、えっと……話せば良いんですよね」

 

「あぁ、まずは……何を持ってきたんだ?」

 

 少年は彼の身体の三分の一はあろうかという大きな木箱を持ってきていた。子供が運べる程度の物と考えればこのくらいが限界だろう。

 

「ウチで取れた野菜」

 

 パカリと蓋を開ければ、確かにキュウリやピーマンなどの野菜が詰められている。

 

「野菜?また、どうして」

 

「ここに住んでる人は貴族で、いつも同じ店から日用品を買ってるって聞いて……」

 

 少し、話が見えてきた。

 

「なるほど、だからヘンリーの名前を使えば俺が買い取ってくれると思ったわけか」

 

「ごめんなさい!市場や露店に売っても大した稼ぎにならなくて、少しでも家族の為になればと思って!」

 

 床に頭を擦りながら少年が謝罪する。

 

 確かに、何の変哲もない野菜ならば買い叩かれてしまうだろう。

 貴族の家と直接取引き出来れば、利益率は上がる。

 

「だが、金払いの良さそうな身分の人間ならいくらでもいるだろう。何せこの街は王宮のお膝元だ」

 

「それはそうなんですけど……どのお屋敷も見張りがいたり塀で囲まれていたりして、近づく事すら出来ないんです」

 

「ははは!それで俺に狙いをつけたわけか?」

 

 意図せず、ウィリアムは最も庶民が接触しやすい上流階級の人間となっていたようである。

 

 元々は衛兵の詰所に使われていたワンルームの建物だ。

 隣人がアーシアだった事からも分かるように、ここは貴族達が挙って屋敷を建てあっている高級住宅街ではなく、平民達の民家や長屋、商店などが建ち並ぶ下町である。

 

 そこに子爵が住んでいるという嘘のような話も、すぐに広まるだろう。

 接触が容易であればマルコやヘンリーの店の連中が言っていたように、何か良からぬ企みを考える者が出てくるのも時間の問題だった。先駆けが無垢な少年だったというだけの話だ。

 

「買い取ってもいいが、キリがなさそうだな」

 

 ウィリアムは英語に切り替えた。

 

「はい。このガキは何度も持って来るでしょうし、他に同じ事をする奴らが無限にわいてくると思いますよ」

 

「仕方ない、しばらくは平民からも、貧乏子爵というニックネームで呼ばれるとするか」

 

 そこまで言うと、這いつくばったままキョトンとしている少年を立たせた。

 

「えっと、二人は……外国人なんです、か?」

 

「まぁな。ちょいと内輪の話があったもんでな」

 

 驚いた様子で訊いてくるのも無理は無い。

 海外からの移住者自体は少なくなかろうが、イタリアの爵位を賜っている存在などそうそういないだろう。もしかしたらウィリアムが初めてかもしれない。

 

「あ、そうだ。野菜……は無理ですよね」

 

「悪いがそうなるな。他に、俺がヘンリーのところに世話になっている事を知っている奴は?」

 

「いくらでもいる、と思います。街ではもっぱらの噂ですから。その……飛竜を駆る貴族様は下町に住む変わり者だって」

 

「手遅れ感が否めないが……一応言っておく。俺はどんなに良い商品でも、安い売り値でも、直接取引きは絶対にしない」

 

「どうしてです?お金がないなら安くていい品を……」

 

 と、そこまで言ったところで少年はハッとして自らの両手で口を覆った。

 目上の人間を相手に、あまりにも無礼だというのは理解出来たらしい。

 

「いや、それでいい」

 

「え?」

 

「貴族の分際で小屋に住んでるから、貧乏だと思うんだろう?ヘンリーとは長い付き合いでな。どこよりも安く、いい品を用意してくれるんだ。だからお前達につけ入る隙は無いって事だな」

 

 これは半分嘘だ。

 確かにイギリス遠征のおかげで付き合いはある。そしてきちんと必要なものは売ってくれる。だが、決して無理な値引きはしないようにとヘンリーに伝えてあった。

 スーツなどは今のところ彼に頼むのが上策だが、食料品や日用品ならば、良い商品、安い値段の店はいくらでもあった。

 

「そうなんですか……」

 

「分かってくれたか?この野菜も持って帰れ。これだけ美味そうなら誰かが買ってくれるさ」

 

「もちろん!ウチの野菜は世界一ですから!」

 

「あぁ、その意気だ」

 

 これでひと段落だな、とウィリアムが煙草に火をつける。

 少年はライターに驚いたが、すぐに野菜の入った木箱を抱えた。

 

「じゃあ、お邪魔しました」

 

「頑張れよ」

 

 少年がペコりと頭を下げ、マルコの手によって扉が閉まる。


「小さくてもいいから屋敷を構えるべきだと思うか?」

 

「叔父貴が必要だと思われるのならば購入したらよろしいんじゃないですかね」

 

 マルコの返答にウィリアムが唸る。 

 必要とは思わないが、手に入れるとしても資金が無いことには始まらない。 

 ウィリアムは自らの身の回りを固めるよりは、研究費に私財を投じるつもりでいる。電気や機械、銃器の開発が最重要事項なのは言うまでもないだろう。

 

 アジア大陸の半分が魔族の手に落ち、ドイツ帝国が欧州四カ国協定から離反している今の世界情勢を大きく覆す必要がある。

 それには現世の知識を持って、ウィリアムがこの世界に革命を起こすしかない。

 

 だが、彼はあくまでもそれを軌道に乗せる事までを目的とし、以降はイタリア国王やイギリス新王など、国の指導者達が決起して全人類を引っ張るべきだと考えている。

 そうでなければ自身が渡米する機会は先延ばしになるだろう。

 地位や名誉が一人歩きをし、行き過ぎてしまえば自由を奪われる一方だ。ありえないとは思われるが、領地や官職を与えられてしまってからでは遅い。

 

……

 

……

 

 しばらくの間は予想通り、幾人かの物売りや物乞いがやって来た。

 これは先日の少年と同じ言い訳で追い返している。

 

 そして一度、泥棒に入られて家を荒らされるという事件も起きたが、それを見越して全ての金品はヘンリーの店に、翻訳の仕事に使う道具や書類はべレニーチェの研究室に置かせてもらうようにした為、家に置いていたワイシャツやジャケット以外は何も盗らずに退散したようだ。

 ウィリアム本人は大して気にしていなかったが、どこからか国王や大司教、そして中将の耳にもそれが届いたらしく、憲兵隊の巡回ルートにウィリアムの家の前の通りが加えられたらしい。

 

 少年や、追い返した物売りらの噂話が広まったのか、二週間もするとウィリアムを取り込もうとする輩はいなくなった。

 

……

 

 研究室。

 

 べレニーチェのデスク横に増設されたスペースが、最近のウィリアムとマルコの職場である。

 もちろん大層なものではなく、くたびれた机と椅子だけの、書き物が出来る最低限のものだ。

 

 マルコも今のところ別口で稼ぎには出ておらず、ウィリアムのやる仕事の補助をしてくれていた。

 魔族に関する書類はあらかた終わり、次は王宮内の電気設備の普及を重点的に行っている。

 地味なようだが、夜にも昼間と変わらない光量で活動が可能になるのは大きい。珍しく右大臣のアダムから、夜の読書がしやすくなったと礼を言われたくらいだ。

 他にも、研究室の病人や怪我人の看護が毎日昼夜の二交代制になったり、夜番の兵士は懐中電灯を用いる事で不審者の検挙率が上がっている。

 

 もちろん、問題も多々ある。

 王宮内に張り巡らされた電気設備ではあるものの、粗悪な品質の蓄電池を使用しているものばかりなので、しょっちゅう電池切れを起こす。

 それに対して魔術師全てが充電を行えるわけではなく、べレニーチェを含めてもかなり繊細な充電の魔力放出を行える魔術師は三人しかいなかった。

 

「あ!バレンティノ様、上手くいきましたわ」

 

「本当か?」

 

 今、ウィリアムやべレニーチェの目の前に置かれているのは、複数の蓄電池を銅線で繋げたものだ。

 さすがに城や街に電線を張り巡らせようとは考えていないが、充電を効率化出来ないかと実験しているところである。

 

 マルコはそのすぐ隣で、いくつかある銃弾の試作品を手に取って見比べていた。

 

「どうぞ、ご確認ください」

 

 蓄電池のひとつを手渡される。

 手渡し、とは言ってもティッシュケースほどの大きさのバッテリーだ。

 

 ウィリアムはそれに簡易式の電球を繋いでスイッチを入れた。

 

 昼間だと分かりづらいが、確かに明かりが点っている。

 

「うん、問題なさそうだな。やはり、魔力を二倍にしたのか?」

 

「いいえ。それだと銅線が焼き切れたり、蓄電池が壊れたりしてしまいますわ。意外な事に数を増やしても同じ具合の力なんです。強いて言えば、二倍になったのは時間でしょうか」

 

「なるほどな。それだと意味が無いな。もうひと工夫か」

 

 並列に繋げば時間短縮に繋がるのは間違いないだろうが、銅線の強化が必要となりそうだ。銅線を何本も重ねるか、元々太いものを利用する事で解決出来るはずだ。

 

「マルコ、そっちはどうだ?」

 

 マルコはいくつかある銃弾を弾倉に詰めたり出したりしていた手を止めた。

 

「だいぶ、形状は安定して作れるようになったかと思います。中で詰まったり、逆にスカスカだったりするものは減りましたね」

 

 銃弾の作成はべレニーチェとムッソリーニによるお手製だ。いかに彼女たちの腕が良いとはいえ、目に見えない誤差による大きさのバラツキは発生してしまう。

 工場で鋳造しているわけではないので、こちらも鋳型を用意するなどして簡易化していく必要がある。

 

「とりあえず、良さそうなのを一つ選んでおいてくれ」

 

「はい、叔父貴」

 

「お姉ちゃん、ただいまー」

 

 ちょうど、王宮内で遊んでいたらしいエイハブが研究室に戻ってきた。

 隣にはお目付け役にでも抜擢されてしまったのか、侍女のアーシアもいる。

 

「あら、おかえりなさい。今日は何をしてきたのかしら?」

 

「えっとね、飛竜を触って、馬を触って、猫を触ってきた!」

 

「まぁ、今日は動物さん達と遊ぶ日だったのね」

 

 クスクスと笑うべレニーチェ。

 

 飛竜や馬はともかく、猫は王宮内に勝手に住み着いているのだろう。

 

「うん!あ、バレンティノ様、マルコさんもこんにちは」

 

 挨拶をしないとべレニーチェに叱られてしまうのか、後ろにそう付け加えてくれた。

 

「あぁ。今日も元気なようだな。エイハブが帰ってきたと言うことは……おっと、やはりそろそろランチタイムか」

 

 携帯電話の画面を見てウィリアムが言う。

 

 遊びに出ていても、元ガットネーロ隊の面々から稽古をつけてもらっていても、エイハブは必ず昼食の時間が近づくと研究室に戻ってくる。

 体内時計というのも馬鹿に出来ないもので、ウィリアムやマルコが時間を携帯電話や腕時計で確認しても、正午から前後一時間以上はズレた事がない。

 

「俺たちも休憩にしよう」

 

「はい、叔父貴」

 

「ふふ、では皆さんで食堂に参りましょうか」

 

 べレニーチェもエイハブを引き取ってからは、研究の虫になって食事を取る間も惜しむ事は一切なくなった。夜更かしも減り、実に健康的な生活サイクルを守っているようだ。

 

「私は少し仕事をしてから参りますので、四人で行ってらっしゃいませ」

 

 アーシアが微笑みながら言った。

 午前中、エイハブを見ていてくれたおかげで雑務が溜まっているのだろう。

 

……

 

 食事は一般の王宮内の職員達が利用する大きな食堂を利用する。

 爵位を賜ったウィリアムは個室の利用や貴族用のラウンジなどを使う事も可能だが、一度もそれを使った事は無い。

 

「叔父貴、どうぞ」

 

「あぁ、ありがとう」

 

 今日のメニューは固いパンと野菜スープ、チーズとハムのようだ。

 

 食堂とは言ってもバイキング形式ではない。

 決まったメニューを給仕が運んで来るのだが、マルコが必ず毒味をしてから渡してくれる。

 無論、命令してやめさせてもいい。しかし実際、ウィリアムがここで食事を取るのはかなり目立ってしまっている。

 城内に敵が潜んでいるなどとは思っていないが、念には念をという自身のモットーに従い、しばらくは続けてもらうつもりだ。

 

 国王や大司教を交えての晩餐に比べれば質素なものだが、文句など誰の口からも出ることなく食事を楽しむ。

 エイハブのテーブルマナーも上達してきており、食べこぼしや食器で大きな音を立ててしまう事はほとんどなくなった。

 

「叔父貴、ワインが欲しければ特別に出すとコックが言ってます」

 

 女の給仕からなにやら耳打ちされていたマルコが言う。

 彼女が直接ウィリアムに伝えないのは身分差を弁えての行動である。

 

「いや、大丈夫だ。特別扱いは不要だと伝えておいてくれ」

 

 気遣いのつもりだろうが、周りの視線がさらに集まる事になってはただの有り難迷惑だ。

 

「スープおかわりしていいー?」

 

「もちろんだ、たくさん食え」

 

 対面の席にちょこんと座っているエイハブが訊いてきたので頷いてそう返した。

 

……

 

 結局、アーシアは溜まっていた仕事量が多いのか顔を見せなかった。

 そのためウィリアム達は食堂をあとにし、研究室へと向かう。

 

「あっ……バレンティノ様。陛下です」

 

 大理石が敷き詰められた立派な廊下を歩いていたところで、べレニーチェの呼びかけに一同は片膝をついて端に控える。

 エイハブも手慣れたもので、国王にはそういった敬意を示すのが当然だと理解してくれたようだ。

 

 頭を下げてひれ伏した彼らの前を四つの足が通る。

 国王と、右大臣のものだ。

 

「ん?ウィリアムか」

 

「陛下、ご機嫌麗しゅうございます」

 

「何やら物騒な話を聞いたぞ」

 

 家に入った盗っ人の事だろう。

 

「大したことはありませんよ。お気遣い感謝致します」

 

 チラリと顔を上げる。

 

 水色のマントを羽織った若き王の姿があった。 

 スキンヘッドの右大臣、アダムは朱色の貴族服に身を包んでいる。

 

「まぁ、無事で何よりだ」

 

 許しもなしに顔を上げるなど無礼だが、国王は気に止めた様子もなくそう言って鷹揚に頷くと、右大臣を伴って再び歩き出す。

 

「バレンティノ卿、屋敷くらい早く持て。陛下のご好意にいつまでも甘えていては子爵の名が泣くぞ」

 

 アダムがすれ違いざまにそう、耳打ちしてきた。

 刺々しい言い方は相変わらずだが、明らかにその中に優しさを含んでいる。

 

「ご忠告感謝する、右大臣殿」

 

「ふん、ではな」

 

 嫌味ったらしく返したウィリアムに、短いながらも別れ際の挨拶をしてくるようになったくらいだ。彼との関係も、緩やかに良くなっていく事だろう。

 

 研究室に近くなってきたところで、パタパタとメイド服のアーシアが走ってきた。間に合わなかった事を気にかけているのかもしれないが、先に声をかける。

 

「すまない、食事はもう終わってしまった。気にせずゆっくりと休憩してきてくれ」

 

「申し訳ありません、皆さん。ちょうどケガをされた方がいらっしゃって遅くなりました。エイハブはお行儀よくしてくれていましたか?」

 

「問題ない。お前と、べレニーチェの教育がしっかりしている証拠だな」

 

 そんなことは、とアーシアが顔を伏せるが、素直に嬉しいと感じているのは誰の目にも明らかだ。

 

「では、失礼しますね。すぐに戻りますので。もし、お仕事に差し支えがあるようでしたら、午後からもまた私がこの子を預かります」

 

 アーシアが一礼する。

 

……

 

……

 

 数日後。

 

 久しぶりに大司教から呼びつけられたウィリアムは、一人で大聖堂を訪れていた。急だったが、大恩のある相手だ。無視は出来ない。

 大抵は近くに連れているはずのマルコはべレニーチェの所に置いてきている。

 

「聞いたかの?」

 

「何だ、藪から棒に」

 

 ウィリアムが聖壇の女神像を見上げる形で腰掛けるなり、そう声をかけてきた大司教は手元の教典に視線を落としている。

 

「同盟を求めてアジアに向かった先遣隊の事じゃ」

 

「出発した話くらいは聞いていたが、それ以上は知らないな」

 

 ウィリアムが自身でやりたかった仕事だ。国王から先触れを出したという報告は少し前に聞いている。

 

「全滅したそうじゃ」

 

「何?どこで?」

 

「イタリア国内、神々の水路を渡る前だそうな」

 

 二つの答えがウィリアムの頭をよぎる。

 

 一つは、単純に魔族や盗賊団の類など、たまたま外敵に襲われてしまったという不幸な結末。

 

 もう一つは、何者かが意図的に邪魔をしたという結末。この場合の黒幕は国内にいる可能性が高い。

 

「待ち伏せか?」

 

「いや、詳しくは分からん」

 

「どうやって情報が回ってきた?」

 

「大ヨーロッパ大陸と大アジア大陸を隔てて南北に貫く神々の水路には、川岸の港から定期的に巡回の兵士が送られていてな。彼らが先遣隊の全滅を確認したらしい」

 

 大司教が深く息を吐き、両手を組んで黙祷を捧げた。

 

「アジアとの同盟を嫌いそうな奴に心当たりはあるか?」

 

「ウィリアムよ。その考えは些か早計だと言わざるを得んぞ」

 

「そうか?今回の話は大々的には知れ渡ってないはずだ。陛下の腹心の仕業なら一大事だぞ」

 

「だが、思い当たる節などない」

 

「調べる価値はある」

 

 ここは押し切ってしまおうと、ウィリアムは大司教の言葉を否定した。

 アジア諸国との同盟、厳密には属国化の打診だが、これが失敗するのはウィリアムにとって大きな痛手になる。

 

「陛下はすぐに調査隊を出すおつもりじゃ。せめてそこからの報告が上がり、落ち着くまで待て」

 

「いや……そうか。もしかしたら、陛下に対する反感ではなく、俺が推した話に対する反感か?」

 

「むう?どういう意味だ?」

 

 子爵となった事で目立つようになり、下町の商売人達を相手に一悶着あったが、その相手が今度は貴族連中に変わったという考えだ。

 簡単に言えば、彼の事をよく思っていない者達の嫌がらせである。

 

「俺が飛び級したって事に対して、面白くないと感じてる古株がいるってのは?」

 

「うむ、確かにそういった話をしている者達はいると聞く」

 

「大方、そいつらが傭兵でも雇ったんじゃないかとな。陛下の勅命ではなく、俺の指示で動いた隊だと思ってたんなら合点がいく」

 

「そうだとしても、それを暴くのは止めておけ」

 

 大司教の回答にウィリアムが首を傾げる。

 

「なんだって?反乱分子を取り除いて何が悪い」

 

「分からんか?今、国を割るような事は出来ないという事が。確かに陛下にではなく、おぬしに反感があったのかもしれぬ。しかしながら悪事を働いた事が明らかになった名家はどうなる?汚点はいつまでも残り、陛下が何かしらの罰をお与えになった場合は本当に反乱を企てる阿呆を生みかねん」

 

 筋は通っているものの、放っておいてはアジア諸国との敵対関係は解消できないだろう。

 

「仕方ないな……やはり、俺自身が行くしかないか」

 

「馬鹿を言うな。また襲われたらどうするつもりか。全滅した先遣隊には悪いが、ウィリアムが死んでは元も子もないのだぞ」

 

「だからこそ、だ。俺は飛竜で向かう。供は必要ない」

 

 大司教が、初めて聖書から視線を上げてウィリアムに向ける。

 

「単独じゃと?追っ手は来ずとも、降り立ったアジア諸国に警戒されて殺されるに決まっておるわ!」

 

「何も飛竜で宮殿まで突っ込むつもりは無いさ。その辺は上手くやる。英語やイタリア語が公用語として使われている国はあるか?」

 

「英語ならば何カ国かは。しかし……」

 

「決まりだ」

 

 有無を言わさずウィリアムが告げる。

 

……

 

……

 

「許可できんな」

 

「陛下……」

 

 玉座の間。

 

 早速ウィリアムは翌日に大司教を連れ、謁見をしているところである。

 その結果は思わしくないものだった。

 

「クレメンティと同意見だ。ウィリアム、お前を単身で敵国に飛ばすなど、許せるはずがないだろう。理解してくれ」

 

「しかしながら、先遣隊の全滅を聞き、これ以上の犠牲は出せないはずです。さらに、調査隊を派遣されたようですが、彼らもまた、命を落とす可能性が十分に考えられるはず。危険な任務で優秀な兵士を失うくらいならば、飛竜を使って直接アジアに向かうべきではないでしょうか。幸い、俺は英語が話せます。そして……」

 

「ウィリアム!」

 

 国王の声が大きくなった。

 

「……出過ぎた発言をしました。お許しを」

 

「そうだな……飛竜は、一人乗りか?」

 

「!!」

 

 次いで出てきた国王の言葉に息を飲むウィリアム。

 公に良しとせずとも、それが全てを物語っている。「一人では行かせない」と言っているのだ。

 

「どうなのだ?」

 

「はい、鞍を準備できれば二人までは騎乗可能かと」

 

「ふむ……最初の一国のみで構わん。余も行く」

 

「陛下!何を仰せか!」

 

 今度は大司教が叫ぶ番だ。

 右大臣のアダムがたまたま控えていなかったのは不幸中の幸いだろう。だが、十二近衛の騎士達には無言の動揺が広がっているのが感じられた。主君を守れなくなる状況は許し難いのも当然だ。

 

「ウィリアムよ、飛竜があれば数日で行き帰りは可能か」

 

「おそらくは」

 

「そうだな。王とて数日の間、病に伏せる事はあろうな」

 

 ウィリアムと国王の顔にイタズラ小僧の笑みが浮かぶ。

 

「陛下、どれだけ危険な旅となるか!わしは絶対に許しませぬぞ!」

 

 大司教は右大臣程の保守派ではないが、これは当然の反応である。

 国王が自ら敵国へ交渉に向かうなど、殺してくれと言っているも同然だ。百歩譲ってそれを行なうとしても、何千、何万という大兵団に護られていて然るべきである。ウィリアムとたった二人で向かうなど有り得ない。

 

「危険などない。空を駆けるだけだ」

 

「ありすぎますとも!せめて先に兵を起こし、陛下のご到着に合わせて目的地まで進めて下さい!」

 

「そんな余裕はないぞ、クレメンティ。それに大軍が動けば戦争になる。交渉に来たとどれだけ言っても、相手は侵攻と疑ってしまうだけだ。不必要な血が流れるのは避けねばならん」

 

「ならば俺からも提案があります」

 

 国王一人だけでも肯定的な意見を持ってくれていると知り、ここぞとばかりに切り出した。

 

「構わん、話してくれ」

 

「陛下の御身が心配なのは皆同じです。であれば手練を一人、借り受けたいと思います。出来れば、タルティーニ中将閣下に匹敵するくらいの猛者を」

 

 国王はウィリアム一人で行かせる気はない。そして大司教は国王を行かせる気はない。

 ならばその間を取って、別の者を連れて行こうというわけだ。それが屈強な兵士や魔術師ならば、国王や大司教も多少は安心出来るだろうと踏む。

 

「仕方あるまい……タルティーニほどの腕利きはいないが、奴に直接きいてみるとしよう」

 

 そう答えた国王が、ウィリアムにだけ見えるように片目を瞑る。初めからこの方向に持って行く気だったと分かり、ウィリアムは頭が下がる思いだった。

 

……


 後日、飛竜と愛馬のブラッシングをしていたウィリアムの前に一人の兵士が出頭した。

 

「バレンティノ卿!タルティーニ中将より命を受けて参りました」

 

「……お前が?面白い冗談だな」

 

「ちょっと!冗談とはなんですか、冗談とは!」

 

 そう言って肩を落としたのは、元ガットネーロ隊の槍兵、カンナバーロ軍曹である。鎧こそ着ているものの、だらしなく猫背で敬礼されては頼り甲斐もなく見えてしまうというものだ。

 近くで自分の馬の世話をしていたマルコも手を止めて訝しそうに見つめていた。

 

「俺は将軍の強さに匹敵する強兵の借用を依頼したんだぞ」

 

「え!じゃあ、自分は遠慮してよろしいんですか!」

 

「どうせチェザリスあたりに推薦されて逃げれなかったんだろう?」

 

 ギョッとしたカンナバーロが目線を逸らす。

 

「い、いや……自ら志願しまして」

 

「そうでもなきゃ将軍からお前に白羽の矢が立つか?言っとくが、今回の任務はロンドンに行くのとは訳が違う。俺と二人だけだし、行き先は敵国なんだからな」

 

「て、敵国!?聞いてないですよ!」

 

 そらみろ、とマルコが鼻で笑った。

 

 実際、彼は真っ先に随伴を申し出たが、国王からは騎士か魔術師でなければならないと断わられてしまった。

 口には出さなかったが、ウィリアムが死んでしまった時の替え玉というわけだ。マルコもまたウィリアムと同郷である為、現世の知識を持っている。重要視されて当然だ。

 

「だろう?命が惜しいならやめておけ。将軍には俺から直接話しておく」

 

「い、いや!よく考えたら、それも不味いんですよ!」

 

 槍を地に落とし、ガシッとウィリアムの両肩を掴むカンナバーロ。

 

「……なんだ」

 

「あ、すいません!バレンティノ卿」

 

 余程焦っているように見えるが、すぐに非礼を詫びて片膝をついた。

 

「将軍に口利きするのが不味いか?」

 

「はい、実はチェザリス隊長……あ、いや厳密に言うと最近は中隊長候補になられたので、元隊長ですが」

 

「チェザリスがなんだ?」

 

「名誉ある特務だから必ず成功させるように、と。試験前の大事な時期ですから、自分がこのまま帰ったら殺されてしまいます。まったく……今や貴族となられたバレンティノ卿の護衛だから危険はないって思ってたのに……」

 

 確かに内容を聞かされていなかったのであればカンナバーロにとっては災難だろう。

 

「じゃあどうするんだ?行くのか?」

 

「うっ……ちなみに、どこの国でしょう?まさかアメリカとかいう魔族の国じゃないですよね」

 

「いや、アジア各国だ。英語が通じる国をいくつか回る気でいる」

 

 敵国と聞いて真っ先に思い当たったのがアメリカだったのだろう。

 アジアと聞き、少しだけカンナバーロの険しい表情が和らいだ。

 

「なんだ……死地に向かうというわけではないんですね」

 

「相手が人だから多少はマシだと思ったか?」

 

「はい、天と地の差です!交渉の護衛でしたら喜んで引き受けますとも!」

 

「相変わらず調子のいい奴だな。まぁいい。元々は一人で行くつもりだった仕事だ。荷物持ちと露払いくらいはしっかり頼むぞ」

 

 こうして、ウィリアムの護衛としてカンナバーロが同行する事が決定した。

 将軍ほどではないにしろ腕利きなのは間違いない。人間性に色々と心配な点があるものの、チェザリスの思いを無駄にするわけにはいかないだろう。カンナバーロが成長する事を望んで推薦したのは間違いないのだから。

 

 マルコは相変わらず気に食わない顔をしているが、ウィリアムの決定に口出しするほど野暮ではないようだ。

 だが、カンナバーロ本人に対してはそうではない。

 

「おい、兵隊さんよ。嫌々付き合うって態度を今すぐ改めないと、誰よりも先に俺がお前のタマ取るぞ?しっかり叔父貴をお守りすると誓え」

 

「は!俺だってやる時はやる男だぜ!大船に乗ったつもりで待ってな!」

 

「その言葉忘れんじゃねぇぞ」

 

 鼻を鳴らし、マルコが愛馬の手入れに戻る。

 

「バレンティノ卿、出立のご予定はいつ頃になりそうですか?」

 

「そうだな……数日内というのは確かだが、陛下にお願いしないといけないこともある。いつでも出れるようにしておいて欲しい」

 

 ウィリアム自身は目的地の設定、そこから国王には各国の主導者への書状を頼まなければならない。

 

「了解しました。出発まで待機しておきます」

 

「今、その間は訓練しなくていいからラッキーだと思ったな?」

 

「め、滅相もありません!最重要の任務ですから、ご命令に背くわけにはいかんでしょう!気合いを入れて、待機します!」

 

「そうか?待機に気合いなどいらんがな」

 

 カンナバーロの僅かな喜色を読み取ったウィリアムが意地悪を言う。

 怠け者の彼が、訓練をサボれるのを喜んでいるのは図星だろう。

 

「ではバレンティノ卿、また数日後にお目にかかります」

 

「頼んだぞ」

 

 槍を担ぎ、カンナバーロがぎこちない足取りでゆっくりと去っていく。

 ウィリアムとマルコが大きなため息をついたのは言うまでもない。


 ウィリアムはまず、パキスタン、ネパール、そしてバングラデシュの三国を目的地と決めた。

 理由はもちろん英語が公用語として通用するからである。

 

 ただし全ての住民と話せるというわけではなく、現地語も当然存在する。一つの国に複数の言語が存在しているというわけだ。

 だが、王族などの上位者であれば問題はない。学があるというのもそうだが、周りに話せる者がいないとは考え難い。 

 そしてその三国は「現在、魔族の支配下にない」という情報も目的地としてふさわしいだろう。

 

……

 

……

 

 玉座の間。

 ウィリアム、そしてカンナバーロという異色のコンビが国王の前に跪いている。

 

 旅立ち前の挨拶に来ているわけだが、国王から調査の経過報告とアジア三国に向けた書状を賜った。

 先遣隊を壊滅させた黒幕は未だに分かっていないが、調査隊は無事との事でひと安心だ。

 

「では、外交官として、その成果に期待しているぞ。ウィリアム・バレンティノ子爵」

 

「ご期待に添える結果、出してみせます」

 

「では行け」

 

 国王、右大臣、そして近衛の騎士達に見送られ、二人は玉座の間をあとにした。

 

 飛竜小屋に着くと、マルコやべレニーチェなどが待ち受けていた。珍しく、チェザリス中尉やタルティーニ中将もいる。

 

「お、親父?それに隊長も……」

 

「そりゃ見送りくらい来るだろう。お前じゃなく、バレンティノ様のな」

 

 目に見えて身体を強ばらせたカンナバーロに、チェザリスが鼻を鳴らしながら返す。

 

「将軍、どういう風の吹き回しだ?」

 

「大したご挨拶だな、バレンティノ卿。俺がいたら不満か?」

 

「いいや、ちょうど話す事があったのを思い出した」

 

 射撃のテストをしていた時に、将軍に話してみるようにと弓兵から言われていたからだ。

 

「火薬代わりに魔術を用いた武器の開発だが……」

 

「火薬?そうか、なるほど」

 

 ウィリアムが言葉を終わらせる前に、将軍は何かに納得した様子だ。

 

「おい」

 

「バレンティノ卿、話はだいたい分かった。しかし、先ずは今やる仕事を終わらせて来い」

 

 何やら協力的な話だという事は分かっていたが、武器研究に関する話しならば今すぐにとはいかないのも納得がいく。将軍の言う通り、アジア三国に向けての仕事を終えてからの方が良いだろう。

 

「分かった」

 

 そう答えたところで、淡い緑色のローブを羽織った大司教が駆け寄ってくるのが見えた。元々ウィリアムの見送りに来る予定だったのだろうが、何かの所用で遅れてしまったのだろう。その額には汗で湿った前髪が張りついている。

 

「ウィリアム」

 

「よう、爺さん。あまり走るな。その歳じゃ、腰でも悪くしたら一巻の終わりだぞ」

 

「やかましいわ!わしだって暇じゃないんだぞ。見送りに来てやったというのに、感謝の言葉の一つでも投げたらどうじゃ!」

 

「協力してくれた事に感謝はしてるさ。こんなに早く出れるとは思ってなかったからな」

 

 最終的な判断こそ国王のものかもしれないが、大司教が渋々ながらも国王に謁見を求め、将軍が素早く護衛を出してくれた。彼らの協力あってこその結果なのは言うまでもない。

 

「わ、分かっておるのなら良いが……」

 

 まさか本当に感謝の言葉が返ってくるとは思わなかったのか、大司教が面食らっている。

 

「マルコ、エイハブやアーシアは来てないのか?」

 

「おそらく城壁の上にいるはずです。叔父貴が飛んでらっしゃるところに手を振りたいと、ボウズが駄々をこねてましたから」

 

 なるほど、納得のいく話だ。エイハブを抱えるアーシアの姿が目に浮かぶ。

 

「バレンティノ様、こちらをお持ち下さい」

 

 最後に、べレニーチェが小さなネックレスを取り出した。

 チェーンは細い金で出来ており、トップの部分に赤くて丸い宝石がこしらえてある。女物に見えるが、こうして渡してくるからには意味がありそうだ。

 

「これは?大事なものなら受け取れんぞ」

 

 家族にもらった形見などであれば、という意味だ。

 

「いいえ、私とムッソリーニ様とでお作りした守りのネックレスです。一度だけ、その御身を守る術を仕込んであります」

 

 なるほど、今回の任務のために作ってくれたものならば喜んで受け取る事が出来る。

 

「魔術や矢を防ぐ、という事か」

 

「はい、他にも剣戟や落下にも耐えられるはずですわ。但し、一度だけなのでご注意下さいね」

 

「それは助かる」

 

 ウィリアムは受け取ったネックレスをすぐに首から下げた。

 スーツ姿なので、ネクタイに重なる形でネックレスが揺れる。後からシャツの内側に忍ばせることになるだろうが、あえて今だけはそのままにしておいた。

 

「よくお似合いですよ」

 

 頬を赤らめながらべレニーチェが微笑む。

 

「べレニーチェ様、俺には……いてっ!」

 

 空気を読まずにそんなことを言い出したカンナバーロの頭上に、いつもの如くチェザリスの拳骨が降り注いだ。

 

「では出発するとしよう」

 

 飛竜には二人乗りの鞍や鐙の他に、簡易式のテントを丸めたもの、雨具、食糧や衣料品も満載で括りつけてある。

 ウィリアム、カンナバーロ、飛竜の三者が無補給でも数日間は耐えしのげるだろう。もちろん、旅が長引けば途中で足りなくなるのは想定内なので出来る限り補給は行う。

 

「少しばかりの長旅になるが、よろしく頼むぞ」

 

「グァウ!」

 

 飛竜の首元を軽く撫でながら英語で告げると、元気な鳴き声が返ってきた。飛竜は体調も機嫌も悪くないようだ。

 

「叔父貴、ハジキは本当によろしいので?」

 

 騎乗したウィリアムにマルコが問う。

 

「研究で必要だから今回は置いていく。それに、銃よりも頼りになる仲間もいるからな」

 

「分かりました」

 

 後ろに座るカンナバーロが鼻を高くしているが、もちろんウィリアムが言っているのは彼ではなく飛竜の事である。誰もそれには触れなかったのでそのままにしておく。 

 実際、飛竜がやられてしまうような強敵に遭遇した状況において拳銃が役に立つのかは分からない。

 

「行くぞ」

 

 馬のように腹を蹴る代わりに、ウィリアムはパンパンと飛竜の首を叩いた。

 

「グォォッ!」

 

 ドシン、と大きな足音を一つ立てた後、大きな翼を羽ばたかせて飛竜が上昇する。

 風圧に巻き込まれ、見送りに来ていた面々が砂ぼこりを避けようと目を押さえている。

 

「おおっ、おっかねぇっ!」

 

 後ろのカンナバーロは初のフライトに怯えている。

 エイハブやべレニーチェ、ヘンリー、マルコなどは乗せてやったが、皆一様に好奇心の方が勝っていた。それを聞いていたカンナバーロは、飛行は大して怖いものではないと勘違いしていたのだろう。

 命綱もパラシュートも、ガラスや壁も無しに生身で空高く舞い上がるのだから、むしろ彼の反応の方が常識的だと言える。

 

 鞍などの生成に協力してくれたヘンリーからはベルトの提案があったが、今回は安全面よりは快適性を求めた二人乗りの設計となっている。

 それぞれの席は柔らかくゆったりと座ることが出来、長距離航行でも尻や腰が痛まない。

 今のところ空戦をする予定があるわけではないので、この飛竜も無茶な飛行をしたりはしないだろう。飛竜が背に乗る人間が落ちないように気を配ってくれる事は実証済みだ。

 

「バレンティノ様ー!」

 

 王宮外縁部、城壁の上から声が届く。

 

 小さな身体で手を振るエイハブと、軽く会釈をするアーシアが見えた。

 

「行ってくる!いい子にしてるんだぞ!」

 

「いってらっしゃーい!」

 

 飛行中でもそのまま地上と会話が出来るのは、轟音を撒き散らすヘリやプロペラ機にはない良さだな、とウィリアムは思った。

 

 王宮から城下町の上空を通過する。 

 チラリとヘンリーの店を見やったが、備えつけの煙突から煙が上っているのが確認出来ただけだった。今日も変わらず何かの生産をしているか、買いつけや販売に精を出している事だろう。

 

「おい、軍曹。いつまでそうやってビビってるつもりだ」

 

 飛び立って一分程経ったが、カンナバーロは鞍の前部に取り付けられた手綱にしがみついたまま目を伏せている。無論、後部座席の手綱は操竜用ではなく、掴まるだけのつり革や手すりのようなものだ。

 ウィリアムの座る席にある手綱は飛竜の首元に繋がっており、意思を伝える事が出来る。

 

「お、おぉ……強風は止みましたか」

 

「基本的には一気に風がくるのは上昇の時だけだ。飛竜も勢いを抑えて飛び立つ事は出来ないからな。見てみろ、飛行中や着地は風も大して当たらん。優雅なもんだぞ」

 

「確かに、今は安定してますね……」

 

 足下に広がる街の景色を眺めながらカンナバーロが返す。

 

 高い所が苦手というわけではなく、身体を縫い止められてしまったかと勘違いするほどの重力と風圧に驚いていただけらしい。

 

「まだ不安か?」

 

「い、いえ!確かにさっきは驚きましたが、よく見るとこれはなかなか壮観ですね」

 

「帰ったら小隊の連中に自慢してやれ。王宮の兵士ではお前が初めて空を飛んだことになる」

 

「確かにそうですね!特別任務に子爵付けで随伴しているだけでも充分自慢の種にはなってたんですが、飛竜の事も自慢出来そうだ」

 

 既に別件で任務の話を言いふらしていたのを自白してしまったが、ウィリアムも特に咎めたりはしなかった。

 

 やがて、石壁と堀に囲まれたローマ市街を出ると広大な草原が広がる。

 ローマはロンドンのようにどこまでも続く城壁の中に農場や牧場を囲っている形ではなく、外壁、城下町、内壁、王宮というエリア分けになっている。

 農産物などは周囲に散らばる農村や中核都市からの運輸に任せっきりだが、街道を行き交う荷馬車の本数が多いという特徴があった。

 

「おぉ、空から見るとローマの周りにある街や村の位置がよく分かりますね。行軍訓練ではその距離が恨めしかった思い出がありますが、近く感じてしまいます」

 

 カンナバーロもいよいよ饒舌さを取り戻したようだ。

 

「こうしてひとっ飛びすれば世界は狭いもんだ。渡米もあながち夢物語じゃないと分かってくれたか?」

 

「それとこれとは話が違います。大勢を率いて船で渡るって話だったでしょう」

 

「痛いところをつかれたな」

 

 素晴らしい景色に我を忘れてカンナバーロからもいつもの調子で気楽な意見が返ってくるかと思ったが、それは間違っていたようだ。

 

「ただ、まぁ……二人までなら可能かもしれないとは思えますよね。魔族の国なんてたどり着いた瞬間に殺されちまうだけだとは思いますが」

 

 珍しく気遣ってくれたような言葉が続く。

 

「飛竜自体は魔族だが、乗っているのは人間だからな。上手く身を隠す手段があればバレないか……?」

 

 以前訪れたニューヨークではエルフが飛竜に騎乗していた。あれに似せれないだろうかと考える。

 

「ちょっと、バレンティノ卿!妙な思いつきでいきなり行き先変更だなんて仰らないで下さいね!」

 

「うぅむ……」

 

「えぇっ……」


 広々とした平原を越え、森林や山々、湖や川も迂回の必要なく通過する。

 半日程飛び続けたところで、日が高い内に初めての休憩を取ろうと小川が近くに流れる林にゆっくりと着陸した。仮に国王との旅路であれば弾丸ツアーとなっていただろうが、今回は火急ではない。

 

「どうだ、降りる時は平気だろう?」

 

 久しぶりの地上で背伸びをしているカンナバーロに問いかける。

 

「はい。しかしまたあの恐怖の離陸があるのかぁ……」

 

「我慢してくれ。軍曹、食事と水の準備を。俺は飛竜の装備を外してテントを張る」

 

「おっ、今日の移動はここまでですね?承知いたしました!」

 

 カンナバーロが軽い足取りで小川へ向かう。特別席のおかげか、疲労は少ないようだ。

 

 手早く焚き火とテントを準備し、持って来ていたパンとスープで団らんのひと時を迎える。

 飛竜には鶏を与えた。しかし通常通りには与えず、城での給餌のおよそ半分だ。

 積載には限界があり、特に飛竜の餌である鶏肉はかさばる為、基本的には現地調達の必要がある。狩りをするというよりは、アジア諸国の市場で購入するつもりだ。

 だが、購入が出来る状況なのかは実際に赴くまで分からないのもあって、その目処が立つまでは量を控えてもらう。友好的でない可能性も大いに考えられるし、そもそも物資が不足している可能性もある。

 もちろんこれは飛竜にも説明してあるが、あまり空腹を長く続けさせるのも気の毒なので、購入が不可能となった最悪の場合だけは野犬や野鳥を狙う事となる。

 

「明日の昼までには国境を越える。まずはパキスタンを目指すぞ」

 

 簡易的な地図を指さしてカンナバーロに説明する。

 

 パキスタンは目標としていた英語が通じる三カ国の中ではイタリアからの距離が最も近い。

 この世界のアジア各国は国土が狭いので、神々の水路と呼ばれる大河を渡ればパキスタンは目と鼻の先であり、到着すること自体は簡単だろう。

 

「急に攻撃されない事を祈りましょう」

 

「言葉が通じる分、俺の身分とイタリア国王陛下からの勅命を伝えれば手荒な真似は出来んさ。もちろん飛んでいる間はそういうわけにもいかないから、日中は見つからないように高度を上げるぞ」

 

 目立たない場所に着陸後は飛竜を置いていく事になるが、土産があれば大人しく待っていてくれるらしい。

 

「首都に直行ですか?」

 

「いや、それも考えたが、もし先に日が暮れたら最大規模の都市に寄ってみる」

 

 パキスタン共和国首都、イスラマバードに首相がいるのは分かっているが、着陸は必ず夜間を狙うため行き先はどの辺りを飛行しているかによる。

 パキスタン最大の都市、カラチは南西部、首都イスラマバードは北東部に位置しており、そのどちらかになる予定だ。

 ちなみにカラチはイスラマバードの十倍以上の人口があるらしく、街に物資が不足していなければ飛竜の餌の補給には持ってこいだ。

 

「どんな国なんでしょう?」

 

「俺にも分からない。この世界にイスラム教はあるのか?」

 

「イスラム?聞いたことはないですが、そんな名前の首都だし、あるんじゃないですかね」

 

 確かにそうだな、とウィリアムが頷く。

 カンナバーロがイスラム教を知らないのは彼が宗教について特別疎いわけではなく、ヨーロッパに広まっていないと考えてよさそうだ。ローマにもロンドンにも、仏閣やモスクは存在していなかった。

 

「さて、俺は寝るとするか。出発は朝食後、早朝というわけではないが、深酒はしないようにな」

 

「了解です!少しだけ飲んだら自分も寝ますんで」

 

 カンナバーロが小さな酒瓶を取り出す。

 アジアに入る前、イタリア国内であれば飛竜の離着陸はある程度自由な時間帯に行う事が出来るので、明日までは日が昇ってからの出発でも大丈夫だろう。

 

「お前も休んでくれ、明日からは違う国に入るぞ」

 

「グルル……」

 

 国という概念が伝わったかは謎だが、飛竜はゆっくりと目を閉じた。

 

……


「グァァゥ!」

 

 深夜。

 

 飛竜のけたたましい咆哮が宿泊地としていた雑木林に響き渡る。

 

「……?」

 

 目を擦りながらウィリアムがむくりと上半身を起こした。

 カンナバーロは反応せずに高いびきで横になっている。大方、飲みすぎてしまったのだろう。

 

「どうした?」

 

 見張りを頼んでいたわけでもないのでカンナバーロを起こして咎めはせず、飛竜に英語で問いかけた。

 

「グァォ!」

 

 飛竜が顎で前方を指し示す。どうやら何かを見つけたらしい。

 

「まさか、魔族か?」

 

「グルル……」

 

 首を横に振った。つまり、近くにいるのは人間か野獣という事だ。ウィリアムは少しだけ安堵した。

 

「軍曹、起きろ」

 

 右手に魔剣を引っつかみ、足でカンナバーロの腹を軽く踏みつける。

 

「ぐっ!?ば……バレンティノ卿!何をするんですか!」

 

 当然、カンナバーロは仰天して目を覚ます。

 

「何者かが近づいて来てる」

 

「えっ……!」

 

 自らの口を両手で抑えるカンナバーロ。

 ウィリアムが魔剣を持っているのを確認すると、立ち上がりながらそれに習って槍を取った。やはりその辺りは軍人である。

 

「魔族、ではないですよね?」

 

「おそらくは違う」

 

 ガサッ。

 

 その時。茂みをかき分け、いくつかの影が姿を現した。

 

「なっ!」

 

「ガルル……!」

 

 それは、四頭の野犬だった。

 

 ウィリアム達のキャンプ地は彼らの縄張りだったらしく、うなり声を発しながら威嚇してくる。ただ、飛竜の存在に少なからず恐怖を感じているようで、どことなく逃げ腰だ。

 

「グァォ!」

 

 再び飛竜が咆哮を上げた。

 

「……」

 

 尻尾を垂らし、野犬達が半歩だけ下がる。

 

「なんだ、犬っころですか。始末します」

 

「待て、無闇に殺すな。コイツらの居場所を奪った俺達に非があるかもしれないだろう」

 

 そう言うと、ウィリアムは干し肉を取り出して放り投げた。もちろんカンナバーロや飛竜の食糧ではなく、自らの分だ。

 

「バレンティノ卿、相変わらずお優しいことで」

 

「これで許してくれるなら安いもんだ」

 

「ガルル……」

 

 地面に散らばった干し肉に四頭の野犬が食らいつく。威嚇をやめてまで優先的にそうしたので、腹は減っているようだ。 

 飛竜は、何をしているんだ?とでも言いたそうにウィリアムを一瞥した。

 

 干し肉を食い終えた野犬達が、困惑したような視線を送ってきた。うなり声は小さくなり、僅かだが尻尾を振っている。

 さらにダメ押しとして、ウィリアムは追加の干し肉を投げた。先程よりも量は少なく、辛うじて四頭にひと欠片ずつが行き渡る程度だ。

 

「バウッ!」

 

 ついに怒りを失った野犬が、剥き出しの歯をおさめた。

 完全に警戒心を解いたとは言えないが、ウィリアム達からも目が届く場所で四頭は寝転がる。

 

「どうだ?これで安心して眠る為の用心棒が増えたぞ。他に獣がいたとしても、彼らが身を呈して止めてくれるだろう」

 

「なるほど、これは参りました。確かにあれを殺して血なまぐさい匂いが立ち込めていたら別の獣が寄ってきてしまいます」

 

 カンナバーロは心底感心した様子だ。

 

 続けて、飛竜に向けて英語で声をかける。

 

「必要以上に敵を作る必要はない。俺とお前だって、今じゃよろしくやってる仲じゃないか?しかし、起こしてくれたのは助かった。本当にありがとう」

 

「グァゥ」

 

 飛竜の返事に野犬達がぴくりと反応して半身を起こしたが、すぐにまた横になる。

 

「さて、まだゆっくり眠れる時間だ。休もう」

 

「はい!」

 

 それからは邪魔も入る事がなく、この場にいる全員が熟睡出来た。

 

……

 

……

 

 次の日。

 

 目を覚ましたウィリアムが携帯電話を見ると、午前十時を回っていた。

 

 綺麗に時間を合わせているわけでもなく、飛行してきたせいで時差も多少はあるだろう。

 しかしそれでも、いつもと比べてかなり長い時間眠ってしまったのは確実だ。 

 予想通りと言うべきか、カンナバーロはまだ眠っていた。

 早寝早起きが叩き込まれているはずだが、非番の日などはこの調子なのだろう。

 

 野犬の姿は既に見えない。

 念の為、食糧を確認したが荒らされた様子はない。

 言うまでもなく、そんなことをすれば飛竜による手厚い雄叫びのお返しがあったはずだ。それによって起こされた記憶はないので、あれから問題は無かったようだ。

 

 飛竜は起きていたが、朝食の時間を我慢出来なかったのか、どこからか捕らえてきた大鷲を食らっていた。

 

「あぁ、すまない。待たせてしまったな。少し遅いが朝メシにしよう」

 

「……」

 

 バリバリと鷲の骨を噛み砕きながら、飛竜は無言で批判的な視線を送ってくる。

 

 その直後に、今度は踏みつけられる事無くカンナバーロが起床してきた。

 

「ふわぁ……おはようございます、バレンティノ卿」

 

「それだけ眠れば大丈夫そうだな。小川で顔を洗って水を汲んでこい」

 

「はい、分かりました」

 

 大きな欠伸を隠そうともせず、カンナバーロが命令に従う。

 

……

 

 再び火を起こして、朝食兼昼食となる干し肉と根菜のスープと乾パンを食べていると、ガサガサと茂みが鳴った。

 

「グルル」

 

 予想通り、野犬が現れる。一頭だけのようだが、昨夜の四頭の中にいたものなのは間違いない。

 また餌を貰えると思って来たのかと考えたが、その口にはウサギがくわえられている。

 

「一緒に食べたいのか?寂しがり屋だな」

 

 ウィリアムが笑いかけた。

 

 だが、ウィリアム達の側まで歩み寄ってきた野犬はウサギを口から離した。

 地面に血なまぐさいウサギが転がる。

 

「ん……?」

 

「バウッ!」

 

 尻尾をちぎれんばかりに振りながら野犬が吠えた。

 

「おぉ!お前、まさかこれを……?」

 

「バウッ!」

 

 舌をだらしなく垂らし、ハッハッと息をしながら見つめてくる。間違いなく好意的な行動と見ていい。

 

「ははは!昨日の敵は今日の友って事ですかね、バレンティノ卿!しかし、うまそうなウサギだなぁ」

 

「あぁ、干し肉の礼かもしれないな。ありがたく貰っておくとしよう」

 

「バウッ!」

 

 ウィリアムがウサギを手に取ったのを確認すると、野犬は踵を返してどこかへと消えていった。

 

 カンナバーロはウサギを食べる気満々だったようだが、ウィリアムはこれを飛竜に与える事にした。野犬の接近を知らせてくれた礼だ。

 

 片付けを終え、出発の準備が整ったころにはウサギを食べ終えて機嫌が良さそうな飛竜がいた。

 

……

 

 再び上空。

 

 二度目の離陸はカンナバーロも初めほど驚くことはなく済んだ。

 

 国境、つまり大河に近づくにつれて眼下に見える街は少なくなった。森や山にひっそりと村や集落が点在している程度である。

 代わりに砦のような防衛拠点が多く見受けられるようになってきた。街道がしっかりと整備されているのはその為だろう。いざアジア諸国と開戦した際には大都市からの補給や行軍を迅速に行うことが出来そうだ。

 

「あれが神々の水路か」

 

「おぉ、自分も初めて見ました」

 

 南北に一直線に伸びるそれは、対岸までの幅が数マイルにも及ぶ。

 もはや大河というより海峡だ。

 

 イタリア側にも、対岸のアジア諸国側にもいくつか大きな港が見える。

 しかしそれらはすべて国有の軍艦や輸送船の為に作られたものであり、民間人は利用出来ないと中将から聞いた事がある。

 

 確かに敵国との国境沿いで商船や遊覧船を往来させるわけには行かないだろう。

 当然、向こう岸までの定期船も出ていない。

 

「なんだ、訓練なんかで遠征は無かったのか?」

 

「さすがにここまでは国境警備隊に配属でもされなきゃ来ませんよ。これでも自分は最も競争率の高い、イタリア王国騎士団の首都防衛隊ですよ」

 

 カンナバーロがさりげなく、エリートである事を自慢している。

 

「むしろ、なんでお前みたいな男が首都防衛隊とやらに配属されたのか気になるくらいだな」

 

「えぇっ!そりゃどういう意味ですか、バレンティノ卿!」

 

「さぁな」

 

 徴兵担当者から見た入団当初のカンナバーロの印象など、今となっては分かるはずもない。

 カンナバーロ本人に訊いたところで「愛嬌があって優秀な新兵でした」などと返してくるだけだろう。

 

「おっ、港から兵隊がこちらを指差してますよ」

 

「少し高度を下げて、手でも振ってやるか」

 

 イタリア王国騎士団には、ローマ王宮で飛竜を一頭保有している事は知れ渡っている。

 今回、ウィリアムがアジアに渡る事までは連絡が間に合っていないと思われるが、上空を通過したのが味方であると正体を確信出来れば彼らも少しは安心だろう。

 

「下にいる味方に挨拶をしたい。少しばかり下を飛んでくれるか?」

 

 飛竜に頼むと、滑空しながら旋回をしてくれた。

 バスタブから流れる水の渦のように、数周の旋回を経て高度が落ちる。

 

「おおっ!見ろよあれ!」

 

「やはり王宮の使いの方のようだ!」

 

 港に集まる百名程度の兵士からの声が届く。

 

「おーい!こちらに御座すのは、ウィリアム・バレンティノ子爵様だぞ!控えろー!」

 

 気分をよくしたカンナバーロが叫んでいる。

 

「軍曹、お前は俺の評判でも下げたいのか?あまり偉そうな事を言うな」

 

「偉そう……?いや、実際に卿は貴族様ではないですか」

 

「いいから黙ってろ!」

 

「はぁ」

 

 カンナバーロは叱責される意味が分かっていない様子なので困ったものだ。

 

「皆、騒がせてしまって申し訳ない!俺はウィリアム・バレンティノと言う者だ!国王陛下より直々に、アジア各国へ使者として赴く任を任されている!」

 

 兵士達からは大きな歓声が上がる。

 使者というと小間使いのようなイメージがあるが、勅命を受ける程の重臣だと解釈されたからに他ならない。子爵位だけを名乗るより格段に効果的だ。

 

「これより神々の水路を渡るが、敵方から狙い撃たれないよう、上空を飛行する!よって、軍艦による護衛は必要ないから安心してくれ!」

 

 遠回しに、対岸を刺激しないためにも船は出すなと言っているのだ。その意味を汲み取れない者はこの国境沿いにはいないだろう。

 

「では失礼する!諸君らのこれからの粉骨砕身の忠勤に期待しているぞ!」

 

 ウィリアムが話し始めたところ、飛竜は空気を読んでその場で羽ばたいてくれていた。

 イタリア語は理解出来ないはずだが、賢く忠実な性格だ。

 

「もう大丈夫だ、上昇してくれ」

 

 英語に切り替えて言うと、突風からなるさざ波を水面に起こして急上昇する。

 兵士達から、今度は驚きを含んだ声援が上がっていた。

 

……

 

「結局、先遣隊を妨害した連中は見つからなかったか」

 

 現在地は神々の水路上空。

 

「自分もそういった輩がいた話は聞いていましたが、さすがに飛竜で現れた我々の動きは追えないでしょう」

 

「もしかしたら国境警備隊の中に……とも思ったんだがな」

 

 怪しい連中がいないか確認したかったが、さすがに挨拶程度では難しいだろう。どちらにせよ、事を荒立てるなと大司教に言われているので見つけたところで手出しはできない。

 

 そして、飛竜はいとも簡単に河川上の国境を越えた。

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